ランゲルハンス島
そこは再び、巨大な地底空洞であった。
だが、この地には足下から這い上って
くる熱気と、鼻を衝く硫黄の臭気が
充満している。天を覆うドームは、
大地から噴き上がる溶岩の炎を映して
赤く染まっていた。
ガラ:
今度は火山地帯かよ。まっ、濡れた
カラダを乾かすにゃーちょうどいー
ケドな
D・S:
心臓が、疼きやがる……呪詛の源は、
近いぜ……
ネイ:
ダーシュ! 急がないと……
鮮血を思わせる真っ赤な地下水が、
一行の立つ渚を洗っていた。血の色を
たたえたこの地底湖が、火山地帯を
島状にぐるりと囲んでいるようだった。
ヴァイ:
うへえ……ホントに血みたいだぜ?
ザック:
うん。何かドロっとしてるもんな
マカパイン:
湖底からそういった色素成分が湧出
しているのだろうが――
ダイ:
チョット飲んでみていいデスカー?
ネイ:
ダイ! 拾い食いはおやめっ!
カイ:
そーそー。ネイ様のしつけは、そりゃ
厳しかったものさ
青白い肌をした青年が、血の池地獄に
かがみ込んでいる。その男は、長く
渦を巻いたストローを渚に突っ込んで、
血のような湖水をチュウチュウと
吸っていた。
ダイ:
まろやかーなノドごしですねぇ。渇き
きった五臓六腑に染み渡るよーです。
おお……きたきたきたァ! 失った
パワーが漲ってきましたよぉぅ!
ラン:
あれは――!?
カイ:
ダイ!
恐らくは蝙蝠の形態で虹に入り込み、
この地底までやってきたのだろう。
その青年は、かつて妖魔たちに魔力を
搾り取られ、みじめに下働きをさせら
れていた貧弱な美形の吸血鬼ダイで
あった。
ダイ:
おや? そこにおられるのは鬼道衆の
同志――おお、ネイ様もいらっしゃる
――それに、私をさんざんいたぶって
くれたD・Sではありませんか
D・S:
そーだっけ? うっ……不整脈……
ダイ:
おやおや。ずいぶんと調子が悪そうだ。
これは好都合、私の復讐の時が来たと
いうコトですかねえぇぇェェ?
ネイ:
ダーシュに復讐ですって? ダイ、
もういっぺん言ってごらん!
ダイ:
ヒィッ! ……お、脅かしたってダメ
ですよネイ様。私はね、もはや母代わ
りの貴女すら超えた魔力を身につけた
のです! 人間以上、エルフ以上のね!
ダイ:
みーなぎるゥ! パーワフリャァーッ!
雄叫びとともに、天蓋を仰いだダイの
喉から赤い水蒸気が噴き上がる。
それは霧となってダイの貧弱な肢体に
纏わりつき、白い肌に染み込んでいく。
内と外から魔力の源を吸収し、その
肉体は急激な変化をきたし始めた。
肌の薄皮が弾け、剥き出しとなった
筋肉繊維が凄まじい速度で紡がれて
いく。骨格すらも変化し、身長は見る
間に1メートル近くも伸び上がる。
それを筋肉の束が何重にも包み込み、
新たな肌が瞬時に全身を覆い尽くす。
魔力によってもたらされた質量の変化
は優に三倍を越えていた。
ダイ:
おおおおお――っ! 今ここに、究極
の美が復活ゥ! 私を崇めよ! 私は
今、世界で一番美しいぃぃぃ!
そこに誕生したのは、呪術的効果を
生む奇怪な刺青に顔面を彩られた、
見るもおぞましい筋肉質の巨漢吸血鬼
であった。
先刻までのはかなげな面影は全く消え
去り、闇の眷属特有の邪悪な魔力が
全身から放射されている。頭部の骨格
も根底から変形し、美形であった容貌
は今や暑苦しい大顔面と化していた。
赤い地下水が、あたかも乙女の血潮の
如き効果を吸血鬼に与えたようだった。
D・S:
み、醜い……とんでもないバカにしか
見えねー……
ネイ:
鬼道衆の母として恥ずかしい限りだわ
……
ダイ:
いきますよおぅ! 復讐の焔が私を
より美しく彩るゥ――!
ダイ:
はぐう……私が負けるなんて、あり
得ないコトですよぉ。これは、夢?
D・S:
やい……人が調子悪りい時に、言い
たい放題吹いてくれやがったなあ……
ダイ:
はああ……わっ、判りましたよ。もう
以前のコトは水に流してあげましょう!
だからまた呪いをかけるなんて真似は
やめるのです! ね?
D・S:
ね? じゃねーだろうが!
ダイ:
ぎゃああっ! そ、ソコを踏むのも
やめなさい!
ネイ:
ねえダーシュ、もう許してやって。
私が拾った頃から、この子は素直に
謝れないタチなのよ。育て損なったの
は私にも責任があるわ。だから――
ダイ:
ネ……ネイ様ぁ
D・S:
ち……クソッ、心臓がヤられてるって
時に余計な運動させやがって……いー
だろ、可愛い娘に免じて青爪邪核呪詛
だきゃあカンベンしてやらあ――
ネイ:
ありがとう、ダーシュ! ……ダイ?
これからはダーシュに感謝して、心を
入れ替えて働くのだ。いいな?
ダイ:
しかたありませんね
ネイ:
ダーシュ、やっぱりやっちゃって
ダイ:
あああ、ハイィ! 喜んで、お供を
させて戴きますですぅ……
火口へと続く山道の途中で、不安げに
立ち竦むシェラの姿があった。
イングヴェイ:
シェラ!
シェラ:
おお、みんな――会えて良かった……
マカパイン:
どうしたのだ? 酷く憂えた貌をして
いるが――?
シェラ:
……声が聞こえた。この火山島の山頂
から、龍の声が――。だが、それは
これまでのものとは全く違った……
シェラ:
破壊し、貪ろうとする、ただひたすら
凶暴に吠え猛る声……あれが龍のもの
であるなら、その龍は――
D・S:
暗黒僧が言い残した、黒い龍か……?
その時、山の頂から凄まじい咆哮が
轟いた。大地が揺るぎ、まるで噴火が
始まるかの如き震動が断続的に一行を
襲う。
シェラ:
何という叫び……“死”を与える悦び
を謳っているのか!?
D・S:
こいつぁ、万全な体調でお相手したい
化け物らしいな。だが、そうも言って
られねえ。いよいよ心臓が保ちそうに
ねえぜ……
山の頂には、巨大な噴火口が赤い顎を
開いていた。真っ赤に燃えるマグマが
渦を巻き、時折火口の縁まで炎を
噴き上げてくる。
そこに、龍はいた。
漆黒の巨体を溶岩に沈め、闇色の龍は
無機質に輝く双眸でD・Sを見上げた。
その姿は地獄の業火の中に棲む悪魔の
王の如くで、見る者に悪夢の光景を
想起させる恐怖の波動を纏っている。
黒き龍は火口からゆっくりと身を起こ
した。その眼はD・Sと並び、やがて
遥か頭上より見下ろす高さにまで昇っ
てゆく。マグマに隠されていたのは、
想像を越える長大な巨躯であった。
D・S:
――確かにこれまでの龍じゃねえ。
こいつは敵……俺の生命を貪り喰う
邪龍だ――
ガラ:
くるぜ!
大気を震わす絶叫を残し、漆黒の龍は
その巨大な頭部を火口の縁に引っかけ
た状態で絶命した。
黒い鱗が溶け始め、その下にある黒い
肉も凄まじい速さで分解し始める。
それは以前、黒い館にはびこっていた
肉腫と全く同種のものであった。
ものの数十秒で、巨体は原型を止めぬ
ほどに溶け崩れた。黄ばんだ骨格が
露出し、やがて自重を支えきれなく
なった屍は頭部だけを残して頸骨から
千切れ、溶岩流に飲み込まれていった。
D・S:
……! 心臓が――
ネイ:
ダーシュ!? まさか、限界に――!
D・S:
……いや、アーシェス、もう心配いら
ねーぜ。たった今、呪詛が消えた――
D・S:
クックック……さあ、哀れに怯え狂っ
ていた手下どもよ! この超絶美形
D・S様の完全復活を祝え!
ガラ:
まーた始まりやがった。誰がオメー
みたいな虚弱魔導師の手下なんだよ!
D・S:
んだとぉ? 虚弱たあ上等じゃねーか!
久々に勝負してやっかぁ?
ガラ:
この野郎、ここまでさんざメーワク
かけやがったクセに! 元気になった
途端にコレかよ!
ネイ:
そこがステキ……
ガラ:
そー思うのはオメエだけだっつーの
ヴァイ:
おいD・S……ヨーコの玉だけど、
まだ様子がおかしいぜ?
D・S:
何ィ?
D・Sの肉体を蝕む呪詛は解かれた。
だが、ヨーコ玉は変わらず、その表面
をくすませたまま力なく震えている。
ヨーコ自身を苛んでいるのは、D・S
のものとは別の呪詛であるらしかった。
D・S:
くそっ、一難去ってまだ、か……。
のんびりしちゃいられねえ!
山の反対側に降りるぜ!
D・S:
待ってろよヨーコさん……呪いなんざ
すぐに解呪してやるからな!
シェラ:
……黒き龍は、肉腫で造られた贋の
龍だった――ならばこの地に、真の
龍は存在しないのか……? 強い力の
うねりは感じられるのに――
火口に残された龍の頭蓋の中に、肉腫
に取り込まれていたのか、腕に装着
すると思われる奇妙なアクセサリーが
転がっていた。
ガラ:
何だコリャ?
ネイ:
何かの増幅器のようね。拾っといて
ガラ:
えーっ? オレがあの口の中に入んの?
あ、急に腹痛が……
ネイ:
急ぐわよ! ホラ、早く!
ガラ:
へーい……トホホ、この世界にゃ手下
の忍者はいねーし、天下のニンジャ
マスターが使いっぱしりとは……
男って、ツライねえ
ネイ:
ブツブツ言わない!
ガラ:
はうっ! 骨に噛まれたぁ!
見つけにくい脇道を経た火山の中腹に、
地下へと誘う入口がひっそりと開いて
いた。
D・S:
誰かが最近足を踏み入れた形跡が
あるな……
ヴァイ:
探ってみる? はぐれた仲間がいる
かも知れないぜ
ボル:
探索するにしても、リスクは少なく
なさそうでござるな
D・S:
感じるぜ……俺の中にいる二匹の神が
呼応して吠えてやがる。そうかよ……
ここにいやがるのかよ
D・S:
以前迷い込んだ、太古の邪神を祀った
神殿と同質のものだな。と、すると、
ここにも何かいやがるってコトだ
ヴァイ:
そういや、まだイダとはぐれたまんま
だな。またこーゆートコに迷い込んで
るんじゃねーの?
麓の終端にある洞窟の中に、別の火口
が開いていた。他にこの火山から
通じている場所はなさそうであった。
ガラ:
行き止まりになっちまったな
ネイ:
他に道はなさそうだが……まさかこの
火口に飛び込むわけにもいかないしな
D・S:
いや……ここしかねえぜアーシェス
ネイ:
ダーシュ?
黒き龍を滅ぼしてから、D・Sの知能
――洞察力や、直感めいた思考力は、
急激に上昇しつつあった。これまでの
龍の解放に伴う変化に似てはいたが、
根本の部分でそれは正反対の現象で
あった。
地龍や翼龍、そして水龍のエネルギー
は、D・Sを細胞レベルで活性化させ
る共振を引き起こした。しかし、今回
はむしろ、D・Sの身体機能を阻害
する病巣が消えたことにより、本来の
能力を取り戻したと言うべき変化で
あった。
その、解放されて昂った思考力が、
D・Sにある推論を導かせた。
D・S:
おぼろげだが、龍の正体が掴めたよう
な気がするぜ……この世界の、謎もな
――
D・S:
少なくとも、この火口が暗黒僧の隠れ
てやがる本拠地への、唯一の侵入口
だってこたあ間違いねえ。ここを降りるぜ
!
ヴァイ:
いいー? 無茶だろ、そんな――
D・S:
今の俺に不可能はねーぜ。抑え込まれ
ていた炎の力が漲ってきやがる……
俺様は人呼んで爆炎の征服者!
たかが溶岩流の熱で阻めやしねえ!
D・S:
じゃっ!
気合い一閃、放出された魔力の帯が、
溶岩を割って火口の底を露出させる。
そこに、地底へ続くと思しき通路が
現れた。魔力が連続して放たれ、渦を
巻く溶岩を固定する不可視の障壁と
なる。
ヴァイ:
ほえー、凄え……
ネイ:
ダーシュの魔力が増してきてるわ……
これもみんな、あの娘の――ヨーコの、
ため……?
D・S:
さあ、今のうちに行くぜ! 遅れっと
閉じたマグマに燃やされちまうぞ――
ラン:
戻るより、先へ行こう!
最終更新:2020年10月31日 21:26