龍樹


龍樹の根本へと続くと思われた洞窟を
抜けると、そこは樹幹の内側に存在
していた巨大な空洞であった。
空洞はその天まで続くかに思われる
梢まで龍樹を縦に貫いており、遥か
上空から自然光が静かに降り注いで
いる。龍樹の直上に雨雲がかかって
いるのか、光はか細く、薄暗い。

その地は、巨木の内部に繁った森で
あった。龍樹の空洞はあまりに巨大で、
堆積した土にいつしか木々が芽吹き、
そのまま大きな森へと成長したので
あろう。

そして――。
見上げた空に、巨大な影が覆い被さっ
ていた。風を孕み、天空を駆けるため
の雄々しき巨翼。尾は古代の鳥の祖の
ように鮮やかな羽根に包まれ、その
首は空を渡る風を読み取るが如くに
長く伸ばされている。

紛うことなく、翼龍であった。だが、
それは今や空を駆けることはない。
内側を囲む樹壁から伸びた無数の蔦が
龍を絡め取り、縛り上げ、締め付けて
その全身を空中に拘束しているのだ。
それは龍の骸であり、無惨に吊られた
処刑の光景のようであった。

シェラ:
酷い……苦痛の声が聞こえてきたのも
無理からぬ姿だ――

ヴァイ:
酷え……晒しものにされてんのかよ

D・S:
囚われの龍を解放すると言っても、
生きちゃいねえようだな……これも
魔雷妃……いや、あの妖魔どもの仕業
なのか――

エスス:
その通りよ!

荒々しい胴間声が、巨大な空間に殷々
と響き渡った。と、蔦が絡んだ辺りの
樹壁に変化が顕れる。逞しい腕が生え、
次いで首、胴と、まるで木の中を同化
して泳いでいるかの如く、巨漢の妖魔
が樹壁を抜けて躍り出してくる。
それはD・Sたちの眼前に落下し、
凄まじい地響きを立てて着地した。

全身に蔦を絡ませた、獣の如き闘気を
発散する妖魔であった。その獰猛な
容貌からは、これまでの妖魔が備えて
いたわずかな気品も感じ取れない。
だが、その瞳が宿す酷薄で嗜虐的な
光は、間違いなくテウターテスと同じ
種類のものであった。

D・S:
三男神の一匹だな。翼龍を吊してる
蔦は、テメエが操ってやがるのか

エスス:
ヒヒヒ……そうだともよ。兄者たちの
司る力では封印に不向きでなあ。
このエスス様が引き受けたのよ――

エスス:
もう心臓を抜かれてたからなあ。
さして手応えのないつまらねえ仕事
だったぜ。退屈でな、ついつい余分に
龍を縛り上げちまった

エスス:
だが、今は退屈じゃねえ。こんなに
吊し殺していい相手がやってきたんだ。
お前たちが絞め殺される時にどんなに
不様に取り乱すか、楽しみだぜ――

エスス:
くそ! 龍の拘束が弛む!

妖魔エススの制御が弱まったのか、
頭上の翼龍を縛る蔦が弛み、巨体が
ぎしりと音を立てて揺らいだ。だが、
蔦はほんのわずかに弛緩したに過ぎず、
龍は再び宙に静止した。ただ、その
振動のせいなのか、それとも死した龍
の意志なのか、蔦に絡め取られていた
大きな宝石らしき珠が、翼龍の頭部
からD・Sたちのそばに落下してきた。

エスス:
くっ……“翼龍の左眼”が。龍め、
心臓を抜かれてもまだ完全には……

エスス:
ハッ! どのみちD・S、この龍樹
には兄者の呪いがかかっている。
お前たちに翼龍を蘇らせることなぞ
できるわけもねえ! あばよ――

エススはその身に繁らせた蔦を頭上に
放つと、樹壁に絡ませてするすると
それを登っていく。猿の如き迅さで
壁に到達し、現れた時と同様、龍樹に
同化するように吸い込まれて消えて
いった。

D・S:
チッ! また逃げやがった。妖魔ども
め、樹棺城に逃げ込んでやがるのか

ラン:
この宝石を“翼龍の左眼”と呼んで
いたな……どういう意味なのだろう?

その時、頭上の翼龍を仰ぎ見ていた
サイクスが、そちらに向かって掌を
突き出して口を開いた。

サイクス:
……うむ。やはり、翼龍は完全に
死んでいるわけではないようだ。空間
振動に対してわずかだが反応がある

サイクス:
妖魔が漏らした言葉によれば、龍は
心臓を抜かれているらしい。それでも
死に至らないと言うことは、遠隔で
心臓から力を得ていると考えられるな

ヴァイ:
抜かれた心臓から? そんなコト
できんのかよ!?

サイクス:
地龍の時もそうだったが、龍とは
エネルギー体に近い存在であるらしい。
心臓も血液を循環させるただのポンプ
ではなく、力の核と考えられる――

サイクス:
それが近くにあり、エネルギーを
受け取ることができるからこそ、
翼龍の生命は尽きていないのだろう

D・S:
近くって言うと、この森の中か?

サイクス:
その可能性は高いだろう。だが、
闇雲に探して回るには広過ぎる空間だ

サイクス:
恐らくはその場所を示すべく、龍は
その“翼龍の左眼”を我々に託したと
思われるのだが……

D・S:
この謎さえ解けりゃ、心臓を見つけ
出せるかも知れねえワケか――

その時、目の前の空間に見覚えのある
裂け目が生じた。突如現れた亜空間の
窓に、それを初めて目にする者は
驚愕を露にした。

カイ:
ぬうっ! これは何だ!

シーン:
な、何か出てくる!?

ラン:
オマエたちは退がっていろ! 出て
きた瞬間の無防備なところを斬る!

D・S:
あー待て待て。そりゃ敵じゃねえ。
早く出て来いよ、サイクス

サイクス:
大丈夫なのか……? いきなり頭を
かち割られてはたまらんぞ

貴公子然とした美しき次元跳躍者、
サイクスが裂け目から恐る恐る姿を
現した。

カイ:
奇怪な……妖魔の類ではないのか?

サイクス:
私のことは後でD・Sにでも説明して
もらってくれたまえ

サイクス:
まだヤツに追われているのでね。
これまでに私の知り得た情報を手短に
伝えよう

D・S:
オメエも大変だな

サイクス:
諸君らが現在、この翼龍を解放しよう
と奮戦していることは判っている

サイクス:
だが、龍は暴凶の三男神と名乗る
妖魔たちによって心臓を抜かれ、死に
等しい状態にある。拘束が弛んだ今、
蘇生の鍵はこの心臓にあるのだが――

サイクス:
恐らくこの森に隠されているはずだ。
奴ら妖魔は莫大なエネルギーの核とも
言える龍の心臓を、えぐったとは言え
持ち去ることはできなかったのだろう

サイクス:
力の波長が根本的に異なるのだ。
迂闊に手を出そうものなら、自分自身
が変質するほどの影響を受ける――

サイクス:
そして、翼龍の意識はまだ完全に
失われてはいない。救出者である君
たちに、何らかの手段で心臓の隠され
た位置を示そうとしているはず――

サイクス:
その“翼龍の左眼”こそが、現在の
龍に可能なメッセージなのだろう。
その謎さえ解ければ、心臓を見つけ
出すこともできると――むっ?

カイ:
早口だな、この男。何を言っているの
かも良く判らなかったぞ

D・S:
早口の理由はすぐに判るぜ。
追いつかれたのか、サイクス?

サイクス:
そのようだ。猟犬の追跡能力は着実に
上昇してきている。逃げ足で敵わなく
なる前に、対抗できる力を手に入れ
なければな――

言う間にも、あの凄まじい気配はこの
次元に急速に接近しつつあった。

カイ:
! 何という殺気だ!? 浴びただけで
昏倒してしまいそうな……

サイクス:
私を追っているものさ。では諸君、
これで失礼させてもらうよ

サイクスは手刀で空間を裂き、素早く
そこに飛び込んだ。気配の主も亜空間
の中で向きを変え、サイクスを追って
遠ざかっていく――。

カイ:
……D・S、もう説明はいらん。
あの男は、あんな凄まじいものに
追われているのか――










龍樹の内部空間は、降り注ぐ陽光に
明るく照らし上げられていた。覆い
被さる翼龍の影も、桁違いに増えた
光量にはさしたる影響を与えなかった。

ヴァイ:
見ろよ! 翼龍の身体が!

翼龍の巨体のほぼ中心に、陽光が透過
して目映く輝く光点があった。恐らく
は心臓のあった位置であり、それを
くり抜かれた際に、背から胸までを
貫通する穴を穿たれたのであろう。

その穴から一筋の陽光が、この森の
一点に向けて投げかけられていた。
まるで、何かを指し示すかのように
――。

D・S:
あの光が照らしてる辺りに行って
みようぜ










その一帯は、翼龍の心臓の穴から降り
注ぐ陽光によって格段に明るく照らさ
れていた。

広場の中央に、地中から光を噴き上げ
ている一点があった。そこに埋められ
た何かが、光のエネルギーを浴びて
反応しているようであった。

D・S:
あれだ! あの地面を掘り返せ!

輝く地点を掘り返していくと、光が
次第に強まり始める。やがて内側から
燃えるような光を放つ、翼龍の心臓と
思しき大きな内臓器官が姿を現した。

それは心臓と呼ぶよりも、輝くオーラ
に包まれた珠のような物体であった。
だが、透かし見える内部器官は定期的
な膨張収縮を繰り返し、エネルギーを
循環させる鼓動を単体で刻んでいる。

膨大なエネルギーの波が、龍の心臓を
中心に発せられていた。接近し過ぎる
と、自分の生命の律動が狂わされて
しまうほどに強い波動である。心臓を
くり抜きながらも、妖魔たちがこれを
持ち去れなかった理由は、手にすれば
己の存在自体を変質させかねないほど
強大なこのエネルギー波であった。

だが、それは一行にとっても同じで
あった。心臓の放つ波動と完全に同調
する生命リズムを持つ存在でなければ、
ずれた鼓動の影響を受けて自分の
心臓が止まってしまいかねない。

ただひとり、D・Sだけがその波動の
影響を受けていなかった。否、D・S
の生命活動は龍の心臓が刻む律動と
一分の乱れもなくシンクロし、逆に
相乗効果によって凄まじいまでの生命
エネルギーが細胞の隅々まで染み渡っ
ていく。脳細胞が活性化され、記憶の
底に封じられていた知識が呼び醒ま
される――。

D・S:
ハハ! 凄え! 陽電子の渦に頭を
突っ込んだみてえだぜ――!

サイクス:
こ、この波動に影響されないのか?
いや、D・Sの力はむしろ増幅されて
いる……完全なる同調……龍とは、
龍とは一体――!?

D・Sの歓喜の哄笑が響く中、爆発的
に高まった魔力に押し上げられて、
心臓は翼龍に向かって上昇していく。
それが輝く穴に到達し、陽光をわずか
に翳らせたその時――。

天空から一際凄まじい閃光が輝き、
稲妻が翼龍を貫いて広場に落雷した。
心臓を取り戻したのも束の間、頭上に
拘束されたままの翼龍は炎に包まれ
始める。

落雷地点に、それ自体が稲妻であった
のか、ひとりの妖魔が実体化していた。
炎と雷を内包したているかに、肉体の
内側から放たれる鈍い輝きと熱気――
稲妻の化身の如き姿を持つ、恐らくは
三男神の次兄となる妖魔であった。

タラニス:
我はタラニス。うぬらを殺す。翼龍と
ともに、龍樹とともに、焼けて死ね

それだけ呟くと、妖魔タラニスは全身
から炎と光を噴き出した。赤々と燃え
盛るその姿はまさしく、全てを灼き
尽くす破壊の雷霆そのものであった。

D・S:
最も殺し専門の妖魔ってワケかよ。
ケッ、焼殺は俺の専売特許だぜ!

タラニス:
グウオオオウ――!

D・S:
ヤロウ! 逃げやがるかっ!

D・Sがとどめを刺しに行くより一瞬
早く、タラニスは稲妻と化して空に
逃れた。最後に火焔を降り撒きながら、
龍樹の梢を抜けて逃走していく。

翼龍を包んだ炎は、今や龍樹の内壁に
燃え移ってこの大樹全体を焼き尽く
そうとしていた。空洞はそれ自体を
蝕む火に照らされ、頭上からは剥がれ
落ちた樹皮や蔦が炎に包まれながら
降ってくる。

D・S:
もうここはダメだ! 脱出するぜ!

脱出した一行が見たのは、空を焦がす
かの如くに噴き上がる壮大な火柱で
あった。龍樹は巨大な松明と化し、
再び空を覆った雲の下腹を赤い血の
色で染め上げる。

ラン:
龍樹が、燃える……

ヴァイ:
畜生っ! せっかく心臓を見つけた
のに、翼龍が焼き殺されちまった……

D・S:
――いいや、死んでねえ。判るぜ。
翼龍の鼓動がまだ伝わってくる……。
いや! 強まってるぜ!

炎上する龍樹の中で、一段と激しい
炎の光輝が見てとれた。それは上昇を
始め、やがて凄まじい勢いで火柱の
頂に達する。燃え盛る龍樹ですら
霞ませる、他を圧する輝きであった。

それは不死鳥の如く、全身に炎を
纏った翼龍であった。妖魔の放った
雷撃すらも、復活を遂げた翼龍を灼き
殺すことはできなかった。むしろその
高熱を自らのエネルギーに転化し、
巨体をさらに膨張させながら、翼龍は
怒りの咆哮を樹海に轟かせた。

カイ:
何という存在だ……むっ! 翼龍が
向きを変えるぞ! あっちは……北、
そうだ! 樹棺城の――荊の壁の
方角だぞ!

D・S:
地龍の時と一緒だぜ……“螺の道”が
開きやがるのか――

限界までエネルギーをたわめた翼龍は、
引き絞った弦から放たれる矢の如く、
凄まじい勢いで螺旋軌道を描きながら
飛び去った。突進する龍の巻き起こし
た衝撃に、龍樹は瞬時にその炎を
かき消されていた。

彼方で激しい破砕音が響き、強力な
結界が破られる際の、一瞬鼓膜が痛く
なるほどの大気の緊張が疾り抜ける。
膨大な龍のエネルギーは遠ざかり、
やがて樹海には静寂が訪れた。

圧倒的な光景に、一行は暫し言葉を
失っていた。その沈黙を破ったのは、
やはりD・Sであった。

D・S:
――恐らく、今ので荊の壁はブチ
破られているハズだぜ。結界が
砕かれる感じ……間違いねえ

カイ:
行こう……確かめたいんだ。魔雷妃の
正体を――

シーン:
樹棺城へ――



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最終更新:2020年10月31日 21:16