第一章 第二章 第三章 第四章 黒斑洞黒の館気洞溶解雨の湿地デュアディナムトンネルランゲルハンス島スーゼミの神殿血路癌臓宮癌臓宮中枢部ダミーダミーダミーダミーダミーダミーダミーダミーダミーダミー 第五章 クリア後

溶解雨の湿地


洞窟を抜けると、そこはこれまでとは
比べものにならぬほど広い、岩壁の
天蓋に覆われた巨大な地底空間だった。

目が眩むほど高い天蓋との間には、
薄い層雲がかかっていた。その雲から
落ちてくるのか、それとも天蓋から
滲み出しているのか、霧雨状の水滴が
静かに視界を煙らせている。

大地は水気を吸った広大な湿地だった。
足に絡みつく水草が繁茂し、その隙間
から時折、瘴気の気泡が浮かび上がっ
ては弾ける。直に歩いて渡れる場所で
はないようだった。

湿地には、木で造られた渡り板が唯一
の道として設けられていた。それは
湿地の奥へと延び、ところどころに
雨をしのぐあずま屋らしきものが建て
られている。この湿地を庭に見立てて
いるのだとすれば、およそ悪趣味な
庭園であると言うべきだった。

D・S:
ここに逃げ込みやがったのか――

ネイ:
想像以上に広い地底空間ね……さっき
までは大きめの鍾乳洞のように思って
いたけど、この規模では地下世界と
呼んだほうが相応しいわ――

ガラ:
イヤな雨だぜ。薄い酸を含んでやがる。
長く浴びてっとひと皮ムケちまうぞ

D・S:
暗黒僧を追うにしろ、先に進むにしろ、
あの木道を渡ってくしかねえようだ。
オメエら、気ィつけろよ――










霧雨に煙る木道の視界は予想外に悪く、
少し離れると人の見分けもつかない。
足を踏み外さぬよう慎重に進むうち、
前方にぼんやりと、黒い人影が見えた。

D・S:
暗黒僧か――?

ヴァイ:
D・S! 良かった、ようやく合流
できたぜ!

D・S:
ヴァイか!

ヴァイも、おおむね状況は同じである
らしかった。ひとりで湿地に飛ばされ、
途方に暮れていたのであった。

D・S:
ところでオメエ、牛の骨みたいなモン
被った、見るからに怪しい黒ローブの
奴を見なかったか?

ヴァイ:
牛ィ? いんや、アンタらが来るまで、
ここを通ったヤツはいなかったな

D・S:
ここまで一本道のハズなんだが……
奴には毒の湿地も関係ねえのかも
知れねえな――










あずま屋の下に、ぼんやりと佇む男の
姿があった。

ヨシュアである。だが、その瞳は虚ろ
で、一行に気づいた様子もない。生気
を抜かれたように立ち尽くしている。

D・S:
おい! ヨシュア!

ヨシュア:
……はっ!?

強く呼びかけられ、ヨシュアの瞳に
覚醒の光が灯った。今の今まで強力な
術に括られ、催眠状態にあったらしい。

ヨシュア:
――その暗黒僧とやらかどうかは断言
できないが、不意を衝かれて術をかけ
られてしまったようだ。魔法剣士たる
侍として、情けない限りだ……

ヨシュア:
それと……他のみんなは?

未だ行方が判らぬと知り、ヨシュアの
表情は曇った。はっきりとは口に
出さないが、カイのことを気遣って
いるのは誰の目にも明らかだった。

ヴァイ:
それにしても、ヨシュアに術をかけた
のが暗黒僧ってヤツだとすると、何で
命を奪わなかったのかな?

D・S:
判らねえ。何か意図があるに違いねえ
んだが……










雨中の木道に倒れ伏す、女剣士の姿が
あった。

ヨシュア:
あれは……カイ! カイ、しっかり
するんだ!

カイ:
ん……ヨシュア……?

抱き起こされ、カイは薄く目を開けた。
日頃、男勝りな言動が目立つカイだけ
に、気だるく目覚めた表情は新鮮で、
はっとする美貌を気づかせる。特に
外傷らしきものは見当たらず、カイも
また瞬間的な催眠術にかけられていた
ようであった。

ヨシュア:
良かった……無事か……

カイ:
う……はっ! だ、大丈夫だ、ひとり
で立てるから……

ヨシュアに抱きかかえられた状況に
貌を赤らめ、カイは慌てた様子で身を
起こした。

カイも油断していたところを、忍び
寄ってきた何者かに術を施された
らしい。敵の姿をはっきりと捉える
ことはできず、意識を失う寸前、
笑みを浮かべた口元からこぼれる
白い歯を目撃したのみであった。

D・S:
歯か――暗黒僧め、仮面を外して
やがるのか?

カイ:
見間違いでなければだが――

イングヴェイ:
油断していたと言え、ヨシュアやカイ
の意識を奪うとなれば尋常の使い手
ではない。姿を変える術くらい、
身につけているかも知れんな……

ヨシュア:
雨の中に放置するとは何と無体な……
代われるものなら、カイがあずま屋で、
俺がここで襲われたなら良かった

カイ:
ありがとう、ヨシュア……さっきも、
助け起こしてくれたお前を振り払う
ような真似をして……ごめん

ヨシュア:
何を謝る? らしくないぞ、カイ

カイ:
……思い出したんだ。ヨシュアが
いつも助けてくれていたこと……

ヨシュア:
……そんなこと、当然だろう。侍は
いつだって女性や子供を守らなければ
ならないのだから……

カイ:
俺が女だから――それだけ?

ヨシュア:
カイ……違う、それは――君が……

D・S:
うっ……心臓が……。先を急ぐぜ!

カイ:
ああ! シーンたちのことも心配だ。
さ、行こう! ヨシュア

ヨシュア:
君が……その、あれ?

マカパイン:
グズ……










霧雨の向こうに、抜刀した白刃の
煌めきが見えた。

雨の中に、凍りついたように立つのは、
魔戦将軍ランであった。剥き出しの肌
には細かな傷を無数に負い、滲み出す
血が雨に溶けて薄い赤の筋を描く。

カイ:
ランか!?

ラン:
カイ? いや――そこから動くな!

カイ:
どういうことだ、ラン!?

構えを解かず、ランは一行を見渡した。

ラン:
……正体不明の敵に襲われた。霧の中
で何度も切り裂かれ、今この瞬間まで
殺気は消えなかった。姿をはっきりと
確認することはできなかったが――

ラン:
皆の中に敵が紛れ込んでいる可能性が
ある。姿や声をそっくりに変え、仲間
のふりをしているのかも知れん――

ヴァイ:
おいおい、待てよ! 俺たちは今、
全員一緒にここに来たんだぜ。お前を
襲うことができる奴なんていねえよ!

ラン:
……この霧雨の中、全員揃っていると
確認できた者がいるのか? そいつを
相手にしていた俺でさえ、この目で
捉えることはできなかったのだぞ――

ヴァイ:
う……そう言われると……

イングヴェイ:
暗黒僧は妖術の使い手――我々に気取
られることなく、一時的に姿を消した
としても不思議はないが……

マカパイン:
そうすると、この湿地で出会った者が、
暗黒僧に取って代わられているという
疑いが濃いわけか――

ヴァイ:
でも、それだったら途中で入れ替わっ
たってことも考えられるぜ!
現にヨシュアたちだって、後ろから
襲われて気絶させられてるんだし……

重苦しい、息の詰まるような沈黙が
その場を支配した。この中に敵が紛れ
込んでいるのかも知れない――その
恐怖感が黒雲のように沸き上がり、
一行を疑心暗鬼に陥れ始めたのだった。
霧雨が湿地を静かに叩く音だけが、
互いに距離を取って疑わしげな視線を
見交わす彼らの間を満たしている。

静寂を破ったのは、ヨシュアであった。

ヨシュア:
みんな、落ち着くんだ! 今、我々の
心をバラバラにしてはならない!
それこそが敵の意図するところ――
術中に嵌まってはいけない!

カイ:
――その通りだ。暗黒僧とやらが俺
たちを殺さなかったのは、こうして
仲間同士が疑い合う状況を作り出す
ためだったに違いない

ヨシュアとカイは互いに無防備な背中
を相手に預け、全幅の信頼を示し合い
ながら語りかけた。仮にどちらかが
暗黒僧の化けた敵であり、背後から
刺されることになったとしても構わぬ
という、死を突き抜けた気持ちがそこ
にあった。信じ合うふたりの誠心が、
疑心暗鬼に苛まれた一行の心を次第に
和らげていく――。

ランが、抜刀したままであった剣を
鞘に収めた。それを皮切りに、彼らは
ぎこちないながらも、過剰な警戒心を
解こうと努め始めた。

ラン:
不安を煽るような言動、済まなかった。
確かに我々が疑い合い、力を合わせる
ことができなくなれば、それこそ敵の
思う壺だろう

イングヴェイ:
逆に、こうした手段を取ったという
ことは、暗黒僧は直接我々を壊滅に
追い込む手段を持っていないとも
考えられるな――

マカパイン:
うむ……一息に殺せるのなら、とうに
そうしているはず――我々を同士討ち
させる肚なのか

ヴァイ:
でも……まだこの中にいる可能性は
残ってるんだろ?

マカパイン:
誰かに入れ替わっていても、我々が
分裂しない限り仕掛けてはこれない
……そういうことだな

ヴァイ:
……なるほどね

ヨシュア:
ともかく、先に進もう。D・Sの身体
のこともあるし、何よりまだこの地に
散らばっている仲間が心配だ

カイ:
そうだ。急ごう!

ラン:
侍大将ヨシュアか……結局俺は敵わん
のかも知れないな――

カイ:
何か言ったか? ラン?

ラン:
いや……あいつになら、誓いを託せる
と思ったのさ

カイ:
……?










あずま屋は、誰もおらぬように見えた。

次の瞬間、屋根が落とす影の中から、
全身を迫り上がらせて影使いボルが
出現した。

イングヴェイ:
ボル!

ボル:
おお! 多勢の足音がすると思えば
……皆、無事でござったか

D・S:
オメエは、どうしてたんだ?

ボル:
それがしでござるか?

ボルは影を渡り、この危険な地下世界
を、仲間の姿を求めて彷徨っていた。
木道が連続した影を落とす湿地は、
ボルにとっては移動しやすい場所で
あったらしい。

ボル:
湿地の先にあるトンネルを抜けて、
ここに移動してきたところでござるよ。
一時にこれだけ多くの仲間に会える
とは、それがしも僥倖でござったな

イングヴェイ:
ううむ……疑うわけではないのだが、
床から出てくる様子が、暗黒僧が現れ
た時とあまりに似ている――ボルよ。
貴公、本当にボルか?

ボル:
なな? 何を言いだすでござる!?

マカパイン:
呆れるクソ真面目だな、イングヴェイ
……そんな聞き方で、贋者だと答える
ヤツがいるか

イングヴェイ:
む……そうか

マカパイン:
私が尋ねよう――ボルよ。貴様が本物
なら答えられよう。私の右目に隠され
ている秘密とは、何だ?

ボル:
マカパインの右目? ちょ、ちょっと
待つでござる! これを間違えると、
それがしは贋者というコトになって
しまうのでござるか?

マカパイン:
そういうことになるな

ボル:
ヒィィ……ど、どんな秘密でござった
かな……マズイマズイ、まだ蘇って
いない記憶があるのでござろうか?

ボル:
う、うう……ダメでござる。それがし、
貴公にそんな秘密を教えられた覚え
など――

マカパイン:
……どうやら本物のボルだ。私の右目
など、見たことのある者はおらん

ボル:
あっ! ひ、ヒドイでござるぅ!

マカパイン:
お陰で身の潔白が証明されたのだ。
感謝されこそすれ、酷くはあるまい?

イングヴェイ:
なるほど、うまい……

マカパイン:
こういうやり方、貴様には生涯無理
かも知れないな――もっとも、こんな
手に長けていては、今ほど魔戦将軍
全員から信頼を受けていないだろうが

マカパイン:
真面目、正直が貴様の取り柄。それで
良かろう。私は多少汚くとも、カル様
のお役に立たなくてはならぬからな










その出会いに、予兆めいた不穏な
気配はあった。

シェンの腰に下げられた二本の刀――
漆黒の太刀・黒夜叉と、白鞘の脇差・
薬師丸が、鞘の内で微かに震え始めた。
何かの接近に対して、警報を発するか
の如く――。鋼の低く共振する調べが、
にわかに降り募り始めた雨音をかえっ
て強調するように響く。

そして、宿命を背負うふたりは再び
巡り会った。

肌を刺す酸性の雨を浴び、微動だに
せず立ち尽くす黒い人影があった。

ジオン:
雨か――あの夜と同じだな

それは、ジオンであった。漆黒の鎧
ブラック・レネゲイドが強まる雨を
弾き、その全身を細かな水飛沫で煙ら
せている。皮肉に歪んだ嗤いを口の端
に浮かべた貌は、初めて出会った時の
彼と同じ人物とは到底思えない、暗い
感情に支配された凶相であった。

予感があったのだろう。シェンは兄と
の遭遇に、さして驚いた様子は見せな
かった。一行の前に進み出、ジオンと
向き合うその表情には、圧し殺した
強い感情が――殺意が、はっきりと
宿っているのが判る。弟が兄を見る、
そんな目ではあり得なかった。

シェン:
決着をつけに来たのか。兄者――いや、
魔戦将軍ジオン

ジオン:
相応しい場所ではないか、影流継承者
よ……シェン、お前の死に場所にはな

ふたりの発する奇妙な圧力に、声を
発することもできずに見守っていた
一行も、ようやくこの兄弟が殺し合い
をしようとしていることに気づいた。
あれほどまでに庇い合い、互いを気遣
っていた仲の良い兄と弟が、である。
誰もがその衝撃に改めて言葉を失い、
信じられぬ思いでふたりを見つめた。

ヨシュア:
ま、待て、シェン! ジオン! 何故
お前たちが殺し合わねばならんのだ?

カイ:
ヨシュアの言う通りだ! ふたりとも、
敵の術に落ちたのではないのか?

シェン:
……操られているわけではない。ただ、
俺たちは思い出してしまった――

ジオン:
……教えてやろう。俺たちの――影流
の継承を巡る呪わしい経緯をな……

礼と忠節を重んじる魔法剣士・侍に
より、武力を支えられた王国――その
歴史上、数多編み出された剣術の中に
あって、影流と呼ばれる異端の流派が
存在した。

中位の魔術師呪文を操る侍にとって、
剣技と組み合わせた魔法攻撃は最も
基本的で、効果的なコンビネーション
となる。だが、影流では一切の呪文の
使用を許さず、純粋に剣のみにおいて
闘うことが義務付けられていた。

理由はひとつ――影流とは、暗殺を
任とする隠密剣法であり、術者の痕跡
を残す魔法はその働きにそぐわぬもの
であったがためである。為政者の権力
を陰で支える暗殺剣――それが血塗ら
れた影流の歴史であった。

その陰働き故に、影流は代々王家に
取り立てられ、宗家は王国に隠然たる
力を持つに至った。宗主は長男に受け
継がれ、表には見えぬ絶大な権力を
手にする――言わば影流は王国治世の
暗部の象徴であり、王家といえども
迂闊には手出しできぬ怪物であった。

故に、影流を統べる者が惰弱であれば、
王家は間違いなく家を取り潰すことに
なる。影流宗家は常に優秀な世継ぎを
――強い雄を欲してきた。それを得る
ためならば、侍が守らねばならぬ徳や
礼節は何ら拘束力を持たなかった。

そして、惨劇の種は播かれた。

ジオンとシェンは、先代影流宗主の
息子として誕生した。ジオンは妾腹で
あり、正妻の子であるシェンとは異母
兄弟であったが、ふたりはともに育て
られ、少年期・青年期を影流剣法の
修行に明け暮れる日々を送った。

ジオンは非の打ち所のない青年だった。
頭脳は明晰で体格も良く、裏表のない
優しい性格の持ち主であった。誰から
も好かれ、とりわけ門下の若者たちの
信頼が厚かった。剣においても頭角を
顕し、少年期の終わりには父をおいて
右に出る者はないほどに成長していた。

一方のシェンは、母が病弱であった
こともあり、幼い頃から大病を繰り
返す、ひ弱な印象を与える少年だった。
剣の才もジオンに比べれば平凡に見え、
ともすれば兄の後ろをついて回る、
気の弱い愚弟と陰口を叩かれていた。

次期宗主の候補と目されていたのは、
当然ながらジオンであった。だが、
ジオンは妾腹であるが故にシェンを
立てようと常に気を配り、当主継承に
関しても身を引く構えを見せていた。
それほどまでにジオンは弟を愛し、
そんな兄をシェンも心から信奉して
いたのだった――。

ジオンには、将来を誓い合った恋人が
いた。名はマリエ。宗家の傍流である
名門の出自で、父によって引き合わさ
れた美しい娘であった。以来、マリエ
は頻繁に宗家に出入りし、修行に励む
ジオンの傍らに常に身を置くように
なっていた。

良く気がつく、芯の強い武家の娘――
父にあてがわれたようで、当初は多少
の反発を抱いていたジオンも、次第に
マリエへと傾倒していく。ふたりに
真実の恋が生まれるまで、さしたる
時間はかからなかった。

ふたりの側にはシェンもいた。マリエ
が出入りするようになって以来、父の
言いつけで、そうさせられていたのだ。
惹かれ合うふたりを見張る役割だと、
シェンは思っていた。邪魔者になる
つもりはなかったが、当主である父に
逆らうことはできない。

だが、マリエと一歳しか違わぬことも
あって、当初引け目を感じていた
シェンもやがて打ち解け、彼らは常に
三人で過ごすようになっていった。

シェンは、ジオンはもちろん、活発で
思慮深く、美しいマリエのことが好き
だった。ふたりが祝言を挙げ、この家
を継ぐその日を、我が事のように待ち
望んでいた。

だが、全ては策謀であった。家という
名の魔性に心を売り渡した父の、人と
は思えぬ企みの一環であった。

いよいよその年の内に婚儀が行われる
と思われたある日、ジオンとシェンは
父に呼ばれ、奥の座敷に上げられた。
一族の主立った顔とともに、そこには
マリエの姿もあった。障子越しの光の
せいか、マリエの美しい貌は心なしか
青ざめて見えた。

「これより仮祝言を行う。マリエと、
我が嫡男シェンのな――」

兄弟にとってその言葉は、鉄球で頭を
さらわれるが如き衝撃であった。父の
言い間違いではないのか――そんな
考えさえふたりの脳裏を過ぎった。

だが、それは覆らなかった。家長たる
父は厳酷に言い渡し、異を唱える者も
その場にはいなかった。マリエでさえ
――。宗家の当主に家の廃絶をちらつ
かされ、彼女は否応なくシェンとの
婚儀を承諾させられていた。

同時に、ジオンは絶縁を申し渡された。
継承者の証であり、これまで帯刀を
許されてきた名刀・黒夜叉をも取り
上げられ、ジオンは着のみ着のままで
放逐された。

無論、シェンは抗おうとした。何故、
自分が敬愛する兄から恋人を奪い、
約束された地位までも簒奪せねばなら
ぬのか――だが、父は逆にこう言った。

「わしはジオンの絶縁を決して解かぬ。
兄を救い、復縁させるには、シェン、
お前がマリエと婚儀を執り行い、わし
の後を継ぐ他に道はないのだ――」

結局はこの言葉に乗せられ、シェンは
マリエとの婚儀を承諾することになる。
彼女の家のことも念頭にあった。なに、
形だけの祝言を行い、宗主の座に就く
なりジオンの絶縁を撤回し、マリエと
影流の継承権を兄に返せば良い――
そう、シェンは考えた。

しかし、婚礼が行われた後も、父は
シェンの剣技の未熟を理由に引退する
素振りを見せなかった。王国から追放
されたジオンの行方はようとして
知れず、マリエとの仮初めの生活だけ
が過ぎていった。一日も早く影流を
継承すべく、シェンは死に物狂いで
研鑽を積んだ。

ふと、シェンは気づいた。実の姉にも
等しい存在と思っていたマリエに惹か
れていることを。そしてまた、マリエ
も心優しいシェンを愛し始めていた。
ふたりとも、ジオンを忘れたことなど
片時もない。しかし、惹かれ合う感情
は抑えようもなかった。そのふたりが
仮初めの夫婦ではなくなったのは、
言わば必然であったのだ。

それを境に、シェンの剣技は恐ろしい
ほどに冴え始めた。ジオンに負けぬ、
マリエに相応しい男となろう――その
思いは、シェンが初めて抱いた、兄を
越えようとする感情であった。
秘められていた才能は、今や凄まじい
勢いで花開こうとしていた。

それこそが、父の狙いであった。

宗主は始めから、シェンの中に眠る
天賦の才を見抜いていた。ジオンとて、
立派に影流を継げる才があった。妾腹
といえども、優れた者であれば問題
なく代々の宗主を務めてきている。
だが、影流の剣に関しては、シェンが
天才であった。

その眠れる才を引き出し、影流を――
“宗家”をより強くするために、父は
道に外れた計を案じた。優し過ぎるが
故に少年時代から抜きん出ることの
なかったシェンを強い雄に変えるべく、
ジオンを贄とする策謀を――。

ジオンの相手としてマリエを選んだの
は、必ずシェンと彼女が互いに惹かれ
合うであろうことを、その悪魔じみた
嗅覚で嗅ぎつけたからであった。

敬愛する兄から婚約者を奪い、結果と
してそれが真実となることで、ジオン
を踏みつけにした意識が脆弱なシェン
の精神を鍛え上げる――あまりにも
非情な、人の親とは思えぬ企みだった。
だが、その計略は見事、図に当たった
ことになる。

そして、惨劇の幕が上がる――。

婚礼から一年近くが過ぎた、その夜。
夜半から泣き出した空は、やがて雷鳴
を伴う激しい嵐となった。この荒天を
突き、影流屋敷へと忍び入る黒い姿が
あった。

手練れであるはずの見張りは、声を
立てることなく斬殺された。黒い影は
迷うことなく屋敷内を移動し、宗主の
寝所へと向かう。稲妻が閃き、瞬間
その姿を闇に浮かび上がらせる。

それは、全てを奪われ、復讐の修羅と
化して舞い戻ったジオンであった。
狙いは憎き父の首。そして己を裏切り、
マリエと夫婦となったシェンの命――。

手にするのは魔剣・魂喰らい。ジオン
の中に育まれた暗い魂に呼応したのか
――かつてのD・S四天王ガインの
死後、一世紀近くも行方の知れなかっ
た魔剣は、放浪するジオンに発見され
て現代に蘇ったのだった。

老いたりとは言え、父もさすがは影流
宗主であった。近づいてくる殺気を
察知し、すでに刀を手にして身構えて
いた。刺客がジオンであると知った
瞬間も、さしたる驚きは見せなかった。

真に父が驚愕したのは、ジオンもまた
天才であったと知った時だった。影流
の、ではない。魔剣を操るため、放浪
の中で培った戦士の剣――修行には
充分と言えぬ期間のうちに、ジオンは
凄まじいまでの殺人剣を体得していた。

勝てぬと悟り、相討ちを狙った捨て身
の斬撃をジオンの着込んだ漆黒の鎧
――負の鎧ブラック・レネゲイドに
弾かれた瞬間、影流宗主はその妄執
もろとも、突き立てられた魔性の刃に
魂を吸い尽くされ、絶命した。

豪雨に煙る庭を突っ切り、黒い魔剣士
はシェンたちの住まう離れへと向かう。
目に映るのは閃く雷光に深まる闇と、
網膜に焼き付く赤い残像。それが父の
死で昂るジオンの激情をさらに滾らせ、
盲目的にさせる。

傍らの茂みで、刃が白く稲妻を反射
した。ジオンは機械的に反応し、魔剣
を即座に突き立てる。刃が肉を深く
抉る感触に、彼は伏兵の死を確信した。

次に稲妻が疾った瞬間、ジオンの薄笑
みは彫像の如くに凍りついた。

魂喰らいに胸を貫かれているのは、
放浪の間も忘れたことのないマリエで
あった。弟と睦まじく暮らしていると
聞いた時も、決して恋慕の想いを捨て
去ることのできなかった女――その
細い指から、家伝の脇差・薬師丸が
こぼれ落ちる。

剣士がジオンであると気づき、マリエ
の目はわずかに見開かれた。次いで、
苦痛に歪む美しい貌に、幽かに微笑み
が浮かぶ。死神の鎌に捕らえられた
蒼白な唇が何事かを呟く。雷鳴にかき
消されながら、ジオンにはマリエが
何と言ったのかが判った。実際には
口にできなかった言葉まで、読み取る
ことができた。

ご免なさい。
これで良かったの。
ジオン。今でも愛しているわ。
あの人を――シェンを許してあげて。

魂喰らいが短く震え、マリエの魂の
最後の一滴を啜り上げた。刃の先で、
愛する女は物言わぬ肉塊へと変わった。

絶叫した。ジオンは狂ったように、
暗い天に向かって吼えた。泣いている
はずだった。だが、降りしきる雨が
彼に、己の涙はもはや枯れ果てている
かのように感じさせた。

過ちとは言え、弟の命を狙った挙げ句
に、最愛の女をその手にかけた――
そんな鬼畜に涙を流す権利はないのだ。
ただ吼えるだけの獣だ。修羅なのだ。
菩薩をも殺して、人でいられようはず
もない。

いち早く異変を察し、父の寝所に駆け
つけたシェンは、ジオンとは入れ違い
の形となった。もはや事切れた父の
惨状を目にし、とって返した彼が見た
ものは、庭のあずま屋に横たえられた、
眠るように安らかな表情の妻マリエの
亡骸だった。

それを掻き抱き、しかしまだ声も立て
られぬシェンの耳に届いたのは、雷鳴
をも圧して響き渡る獣の咆哮であった。
それで、シェンは全てを理解した。
ジオンが戻ってきたのだと。そして、
マリエを殺してしまったのだと――。

マリエの冷たくなった頬に、点々と
血の痕が落ちた。それは、シェンの
涙であった。愛する妻と敬愛し続けた
兄を失ったこの時、彼もまた人ならぬ
夜叉へと変貌していた。

ジオンの血を捧げることを誓い、土砂
降りの中、シェンの慟哭はいつまでも
続いた。彼方から届くジオンの咆哮が
それと溶け合い、惨劇の幕を引く悽愴
なハーモニーを奏でる。

そして――忌まわしき記憶の全てを
取り戻した兄弟は、ここに巡り会った
のだった。

兄弟の背負うあまりにも重い宿命に、
声を発する者は誰もなかった。

シェン:
薬師丸が貴様の血を欲して震えている
――マリエの仇、討たせてもらうぞ

ジオン:
お前は俺から何もかもを奪ったのだ。
マリエの、心さえも……俺にはお前を
殺すしかないのだ、シェン

QUESTION:
二人を止めに入りますか?
止めねえと……
やらせてやれ

ヴァイ:
だよな。こりゃ白黒つけさせて
やらねえと収まらねえよ

一行が固唾を飲んで見守る中、雨中に
対峙するふたりはほぼ同時に抜刀した。

ジオン:
ゆくぞシェン! お前が影流継承者に
――そしてマリエの夫に選ばれた理由
たるその才を俺に示せ!

シェン:
見せてやるとも! あの世で我が妻に
詫びるがいい、ジオン!

ジオン:
フ……強くなった……あの泣き虫の
シェンとは思えぬほど……

ジオンの口元から、血の筋が細く流れ
出す。それはみるみる太くなり、顎を
伝ってブラック・レネゲイドを赤く
染めていく。

シェン:
ジオン……兄者!

ジオン:
これで、いいのさ……あの日以来、
俺にとって生は苦痛だった……いや、
マリエの命を奪った瞬間、人間として
の俺は死んでいたのだ――

ジオン:
全ては余生だった……カル様の理想に
殉ずる想いだけが、俺に人間の真似事
をさせてくれた――そんな資格など、
俺はとうに失っていたのに……

シェン:
兄者! オレは――

ジオン:
兄と呼んでくれるなら、ひとつだけ
言っておく……この死は必然なのだ。
決して後悔するな……俺の死にとらわ
れるな――

ジオン:
それに、俺はお前の剣では死なぬ――
見ていろ!

言うなり、ジオンは魂喰らいを逆手に
持ち換え、止める間もなくその切っ先
を己が腹部へと滑り込ませた。黒い刃
は背中へと突き抜け、ジオンは大量に
吐血して倒れ伏す。

シェン:
兄者ぁ! 何故、こんな……

駆け寄ったシェンに、ジオンは薄い
笑みを浮かべて静かに呟いた。

ジオン:
最期は、侍として迎えたかった……
あの、楽しかった時代を思い出してな
――。なあシェン、俺はあの世で、
マリエに許してもらえるかな……

シェン:
恨んでなんかいないとも! マリエは
死ぬまで、兄者のことを――

ジオン:
フフ……相変わらず優しいな。そこに
マリエも惚れたんだろう……さあ、
俺は、ゆかねばならん――

最後の力を振り絞って立ち上がると、
ジオンは魔剣に貫かれたまま、一歩を
踏み出す。

シェン:
何を……?

ジオン:
さらばだ。シェン――

刹那、信じられぬ迅さで走り出した
ジオンは、湿地へと跳躍した。水飛沫
が上がり、水面に血の色が広がる。
だが、鎧の重さなのか、それとも水草
が絡みついたのか、ジオンの骸は二度
と浮いてはこなかった。

シェン:
オレは――こんなことがしたかったん
じゃない。オレは……オレは!

滂沱と涙を流すシェンの目に、もはや
妻の仇を憎み続ける夜叉の光は灯って
いなかった。悲しき兄弟の結末に、
鎮魂の雨は静かに降り続けた。

シェン:
さ……すがは、兄、者――

魂喰らいに深々と抉られ、シェンは
ゆっくりと背中から倒れ込んだ。
濡れた草地から湿った音が響き、
ふたりの死闘の終焉を告げる。

ジオン:
シェン……? シェーン!

己が思う以上に、魔剣が弟に深傷を
与えていたことにジオンは気づいた。
駆け寄った彼が見たのは、魂喰らいに
生命力を吸われ、急速に命の灯火を
弱めつつあるシェンの死相だった。

シェン:
結局、兄者には勝てなかったな……
親父はどうして、オレに影流を継がせ
たんだろう――兄者はこんなに強い
のにな……

シェン:
マリエの、ことだって……最初は本当
に、兄者が復縁さえされれば、別れて
返すつもりだったんだ……。マリエは
真実、兄さんを愛していた……

ジオン:
もういい! 喋るな!

シェン:
結局……オレが弱かったんだ。親父の
言いなりになって、本気でマリエを
好きになって……もっと他に、兄さん
を救う方法はあったはずなのに――

ジオン:
シェン……もう……

シェン:
……マリエのことは不可抗力だったと、
オレは判っていたんだ。それなのに、
全て兄さんのせいにした……楽になれ
たから……オレが、弱いから……

ジオン:
弱くなどない! 魔剣の力を借りなけ
れば、倒れていたのは俺だ――シェン?

シェン:
ああ……マリエが、見える……笑って
いるよ……兄さんが死ななくて、よ、
かっ、た――

シェンの瞳から光が消えた。亡き妻の
幻に導かれ、その魂は黄泉路へと就い
たのであった――。

ジオン:
シェン……? おおおお、シェン!

弟の亡骸を抱き、ジオンは天に慟哭
した。修羅道の果て、魔剣士が辿り
着いたのはさらなる苦しみの地だった。

父を殺し、恋人を殺め、そして今また
弟の命をその手で絶った――奪われた
全てを自ら消し去ったこの時、あの夜
以来初めて、涙を流す自分に気づいた。
彼を満たしたのは怨讐を果たした歓喜
ではなく、底深い悲しみと悔悟の念
のみであった。

ヴァイ:
くそうっ、よくもシェンを!

QUESTION:
ヴァイを止めますか?
止める
放っとけ

D・S:
よさねえか! 止めなかった以上、
俺たちにどうこう口を挟む権利はねえ!

ヴァイ:
でもよう……

D・S:
ジオンよ。決着はついたな。だが、
勝ったのはテメエじゃねえ。それは
判るよな?

ジオン:
……ああ。俺の負けだ。これ以上
生き恥を晒すくらいなら、いっそ――

D・S:
バカ野郎っ!

魂喰らいを己に突き立てようとする
ジオンを一喝し、D・Sは続けた。

D・S:
ここで死んだら、テメエは永久に弟にゃ
勝てねえ! 負け犬のままあの世に
行って、合わせる顔があんのかよ!

ジオン:
う……うう

D・S:
罪だの恥だのと思うなら、生きて償え!
シェンのぶんまで生きて、俺とともに
戦え! あの世の恋人と弟に胸を
張れるだけの仕事をさせてやらあ!

うなだれたジオンの目に、微かだが
光が灯ったように見えた。やがて彼は
立ち上がり、苦悩を噛み殺した表情で
頷いた。

ジオン:
そうだな……ここで自刃しようもの
ならシェンとマリエに笑われよう。
この手に染みついた血を贖える時まで、
己の命を絶つことだけはすまい――

ジオン:
シェンに代わって、ともにゆこう――。
俺たちの兄弟の記憶を弄んだ神々と
やらに、復讐の牙を突き立てよう――
それが、今の俺の望みだ

シェンは草地に埋葬された。墓標の
代わりに並べて立てられた黒夜叉と
薬師丸が、死後界で再び巡り会う夫婦
の姿を思い起こさせた。

ジオン:
シェンよ……俺はゆく。詫びるのは
この命が果てた後、あの世でのことと
しよう。さらばだ――

黙祷し、ジオンは墓標に背を向けた。
歩み出す。前に向かって。長き歳月を、
修羅に囚われてきた男は今、ようやく
人として進む道を見出したのだった。

ヴァイ:
どうしてシェンが死ななくちゃなら
ないんだよ!
ジオン、俺と勝負しやがれ!

ジオン:
――吠えなくともいい。
すぐに、決着をつけてやる

言い放ち、ジオンは魂喰らいをヴァイ
に向けて構えた。魔剣の刀身が、新た
な犠牲者の魂を求めて低く震える。

次の瞬間、目にも止まらぬ迅さで剣を
逆手に持ち替えたジオンは、その黒い
刃を深々と己の腹部に突き立てていた。
薄い笑みを浮かべた口元から、鮮血が
大量に溢れ出す。

D・S:
バカな真似を!

イングヴェイ:
ジオン!

ジオン:
フ……これでいいのだ。イングヴェイ、
カル様のこと、頼んだぞ――

ジオンの目は、すでに焦点を失い
始めていた。魔剣を抜き捨て、最後に
残された視力で弟の亡骸を目指し、
這い寄っていく――。

ジオン:
お前と、マリエに、怒られちまうか
……だが、俺にはもう、生きていく
ことはできない――復讐心にしがみ
ついていた、空っぽの人生なんだ……

ジオン:
俺は神など信じない……だが、もし、
俺たちが生まれ変わることがあった
なら……戻りたいな。全てが輝いて
いた、三人で過ごした、あの頃に――

その言葉を最後に、力尽きたジオンは
シェンの傍らで倒れ伏した。弟の後を
追い、修羅の魂はその肉体を離れたの
であった。

凄惨な結末に、一行は黙りこくった
まま、苦い思いを噛み締めていた。
弱まった雨音に、押し殺したシーラの
啜り泣きが混じる。

ふたりの亡骸を簡単に埋葬する間も、
誰ひとり声を上げる者はなかった。
魂喰らいと黒夜叉、そして薬師丸を
揃えて湿地へと沈め、一行は重苦しい
足取りで進み始めた。誰に向けたもの
でもない、暗い怒りが彼らの心を
満たしていた――。

D・S:
待ちやがれ……うぐ……

対峙するふたりの間の、そこだけ帯電
したかの如く緊迫する空間に、不整脈
の続くD・Sは身体をねじ込むように
して割って入った。凄まじい殺気の渦
が、彼の弱った心臓を撃つかに思えた。

ジオン:
邪魔だてするな、D・S

シェン:
仇討ちを止めると言うなら、オマエ
でも容赦しないぞ

D・S:
けっ……つまらねえコトで兄弟ゲンカ
しやがって――

ジオン:
つまらぬ、だと――?

シェン:
撤回しろ! D・S!

D・S:
やかましーや! どうしてもやり合お
うってんなら、俺を倒してからにしな。
その程度の業に縛られてるテメーらに
やられる俺様じゃねーけどよ

ヨシュア:
無茶だD・S! シェンは剣の腕前に
限ってなら侍随一の手練れだぞ!

イングヴェイ:
ジオンも、魔剣の扱いにかけては
天才的だ。足を止めての勝負では私も
太刀打ちできぬほど強い。まして
D・S、今の身体では――

D・S:
小僧どもに多少斬られてヒイヒイゆー
ほどヤワじゃねーよ。任しとけ……う

ヴァイ:
よーし、力ずくで止めてくれ、D・S!

ジオン:
……力ずくだと? ならば貴様から
魔剣の贄にしてくれよう!

シェン:
仇討ちは侍にとって最も重んじるもの
――D・S、許せ!

ジオン:
何故だ!? 何故されるがままで抵抗
しない! 魔人と言えど……死ぬぞ

シェン:
何かを……伝えようとしているのか?

無抵抗に病身を晒すD・Sの気迫に、
互いの復讐に滾る兄弟の剣は止まった。

D・S:
……いーコンビネーションじゃねーか
……。ぐっ、眩暈がしやがる……少し
血を流し過ぎたかよ――

D・Sは膝を突き、そのまま前のめり
に倒れそうな身体を精神力で支えた。

シェン:
D・S!

ジオン:
何故そうまでして……俺などのために
……

D・S:
へ、へ……記憶を失ってる時は仲が
良くて、思い出したら殺し合う――
そーいうのはよ、オカシーじゃねえか?

D・S:
記憶は生きるための道標かも知れねえ
……だがな、それに縛られて望んでも
いねえ道を進むってのは馬鹿げてるぜ

D・S:
俺なんざ四百年ぶんだぜ? いちいち
こだわってたら身が保たねえ。少しは
忘れちまってるほうがいいって、記憶
を取り戻してみて思ったぜ

ジオン:
――忘れて良いのだろうか。愛する女
を殺した罪を、人間として忘れても
良いものなのか? 俺は――

シェン:
兄者……オレは判っていたんだ。
辛かったのはオレじゃなく、兄者
だってことを――

ジオン:
……シェン

シェン:
マリエの仇を討つ……そう考えると
楽だった。全てを兄者のせいにできた。
オレがマリエを愛したことに、後ろめ
たさを感じずに済んだ……

シェン:
婚儀の時、兄者の復縁のことだけを
考えたと言えば、それは嘘だ。他にも
方法はあったはずなんだ。それなのに
オレは、言いなりになって――

ジオン:
もういい……やめるんだシェン

シェン:
確かに、D・Sの言う通りだった。
つまらない仇討ちだ。マリエがあの世
で喜ぶはずもないことを、オレは判っ
ていたのだから……

ジオン:
――この手でマリエを殺めてしまった
時から、お前を殺す理由などなかった。
いや、マリエが真実お前を愛した時
から、理由などなかったのだ……

ジオン:
マリエが幸せであれば、それで良かっ
たのだ。お前ならきっと、そうできた
……

シェン:
……やり直そう、兄者。俺たちで、
マリエを弔い直そう

ジオン:
そうだな……マリエの命を奪った罪は
決して消えない。だが、生きていく
方向を変えることはできる。前に――

D・S:
キッツイ役回りだったぜ……うう、
死んじまいそう

ネイ:
ああっダーシュの血が止まらないわ!
だくだくとか出てる……でも、ステキ
だったわ、ダーシュ。ガラ! ぼーっ
と見てないで輸血ゥ!

ガラ:
オレの血ィ?

D・S:
や、やめろ……バカになる……それに
低級なコイツの血が超高級の俺様に
合うワケがねえ。凝固しちまうぅ――

ガラ:
あっ、テメっ、よーし輸血してやろー
じゃねーか!

マカパイン:
つくづく不死身な男だなぁ……

D・S:
くそっ……ダメだ! 力ずくじゃ抑え
られねえ!

ネイ:
ダーシュ、しっかり!

ジオン:
さあ、邪魔者はいなくなった。積年の
決着をつけようぞ――

シェン:
望むところだ! 貴様の首、マリエの
墓前にそなえてくれる!

二本の黒い太刀が交錯した。その刹那、
消失したように見えた黒夜叉が漆黒の
鎧に弾かれる。

シェンの脇腹から鮮血が迸った。
魔剣に深々と抉られ、シェンは転がる
ように倒れ込む。黒夜叉が手から飛び、
湿った草地に斜めに突き立った。

だが、もう一方の手に、すでに薬師丸
はなかった。

立ち尽くしたままのジオンの口から、
大量の血が吐き出された。交錯の瞬間、
黒夜叉を囮に繰り出された薬師丸が、
ブラック・レネゲイドの装甲の隙間
から急所を貫いていたのだった。

ジオン:
フ……強くなった。父御がお前を選ん
だ理由、判った気がするわ……ごぶっ

溢れ出る鮮やかな血が、ジオンの言葉
を途切れさせた。倒れたシェンに
向き直り、魔剣士はゆっくりと、足を
引きずって近づいていく――。

ジオン:
これで良かったのかも知れん……あの
夜から、俺にとって生は苦痛だった。
カル様の理想に殉ずることのみが、
俺の余生に意味を与えた――

シェン:
兄者……ジオン兄さん。オレは……
こんなことがしたかったんじゃない

仰向けに倒れたシェンの瞳から、命の
灯が急速に消えていく。魂喰らいに
斬られた傷は黒く変色し、もはや治癒
も不可能なほどに腐敗し始めていた。

シェン:
復讐など、マリエが望むわけがない
……。どうしてこんなことになっち
まったのかな――オレたちは、昔には
戻れなかったのかな……?

ジオン:
シェン……どこだ、シェン?

ジオンはすでに視力を失っていた。
おぼつかぬ足取りで、しかし導かれる
ように弟のもとへと歩み寄っていく。

ジオン:
戻ろう、シェン……あの、楽しかった
季節へ……マリエも、待っ、てる――

シェン:
ああ、兄さん……見えるよ。マリエも、
笑っ、て、る――

力尽き、倒れ伏したジオンの顔は、
測ったようにシェンの傍らにあった。
安らかな、救われた笑みを浮かべて、
兄弟の魂は同時に、この世界を離れて
いったのだった――。










霧のように細かな雨が、再び渡り板を
進む一行の視界を奪い始めた。

そして、姿なき襲撃者は再来した。

D・S/ガラ/ザック:
うおっ!

イングヴェイ/ヨシュア/ボル:
ぐうっ!

ロス/マカパイン/サイクス:
痛ぅっ!

ネイ/カイ:
うっ……

ラン/ジオン:
むうっ!?

ブラド/ダイ:
おごぉっ!

バ・ソリー:
ウガフグッ!

D・S:
出やがったか……くそ、もうすぐこの
空洞から抜けられそうだってのに……。
こんな時に心臓が言うことをききやが
らねえ――

襲撃が止んだ。そう思った瞬間、
何かが近づいてくる足音が響く。

身構える一行の前に現れたのはヨルグ
であった。

ヨルグ:
D・S! おお、ヨシュアも、みんな
も、無事か――ん? どうしたんだ?

自分に注がれる猜疑の視線に気づき、
ヨルグは狼狽の表情を見せた。

さらにはジオンとシェンの死が、一行
の心に荒んだ感情を植え付けていた。
一度は信頼を取り戻した彼らも、こう
もタイミング良く現れたヨルグを受け
容れて良いものか――むしろ暗黒僧と
疑ってかかるべきではないか、という
疑心暗鬼に再び苛まれ始めていた。

ヨシュア:
待て、みんな! 落ち着くんだ

ボル:
いいや、警戒を解いてはならぬ!

ヨシュア:
ボル!? 今は心を合わせて――

ボル:
そのように甘いことは言っておれぬ!
災いの芽はここにて絶つでござる!

ボルは射るが如き眼光でヨルグを睨み
つけ、そろりと背の剣に手を伸ばした。
次の瞬間、彼は踵を返し、背後の人物
を指し示した。

ボル:
贋者は貴様でござる! ヴァイ!

ボルから密かに伸びていた影の触手が、
驚愕の表情を張り付けたヴァイに絡み
ついた。刹那、肉体を包んだ幻影は
影に引き剥がされ、暗黒僧の異形が
露となる。

暗黒僧:
何故だ……この男の姿と言動は、
完全に複写していたはずなのに――

イングヴェイ:
うまくいったな、ボル。影で結界を
張り、皆の動きを把握してもらえば、
不審な行動はすぐにそれと知れる――
先刻、秘密裏に依頼しておいたのだ!

ボル:
迂闊に攻撃を仕掛けたのがおぬしの
失策よ。影使いに、いかなるまやかし
も無駄と知れい!

暗黒僧:
……ここは天晴れと誉めておこう。
あと少しで人間の脆さ、無価値さを
教えてやれるところであったが――

暗黒僧:
まあ良い。どのみちお前たちが辿り
着くのは滅びと言う名の絶望だ。
今はわずかに余命が延びたことを、
喜び合うが良かろう――

ボル:
むっ! 待つでござる!

再び絡みつこうとした影よりも迅く、
暗黒僧の肉体は木道に沈み込んだ。
機械的な声だけが、この地下空洞に
響き渡る。

暗黒僧:
D・S……お前の心臓が鼓動を刻まぬ
ようになるまで、もうさほどの時も
残されてはおらぬ。黒き龍に食い千切
られるさま、見物させてもらうぞ――

掠れた哄笑とともに、暗黒僧の姿なき
気配は遠退いていった。

ボル:
逃したか――

D・S:
まさかヴァイの野郎に化けていやがっ
たとはな……考えて見りゃ、ずいぶん
混ぜっ返すようなコトを言って煽って
やがった――

ヨシュア:
ある意味、奴の狙いは半ば以上成功
したと言える。我々の失ったものは、
余りにも大きい……










湿地を抜け、この大空洞からの出口と
なるであろう洞窟の前で、一行は倒れ
伏すヴァイを発見した。

ヨルグ:
ヴァイ!

ヨシュア:
良かった! 気を失っているだけだ。
起きるんだ、ヴァイ!

ヴァイ:
う……ん? か、母ちゃん、もう食え
ねえよ……ムニャ

D・S:
コテコテなリアクションしやがるな。
起きねえかこのお気楽バカ!

ヴァイ:
あ痛! な……はぅ? ココどこ?

ヴァイは虹ではぐれてから、目覚めて
すぐに暗黒僧に拉致されたようだった。
変装した自分と鉢合わせせぬよう、
ヴァイに深い眠りの術を施したうえで、
暗黒僧は一行に潜り込んできたので
あった。

D・S:
また贋者じゃねーだろうな?

ボル:
大丈夫。本物のヴァイでござるよ

マカパイン:
しかし何故、ここに至って暗黒僧は
この小猿の命を取らなかったのか……?

ヴァイ:
コラっ! 誰が小猿だっ!

ネイ:
あれが本来我々の仲間であるとすれば、
敵の精神支配に抗っているのかも
知れないな……私がダーシュの姿に
心を乱されたように――

ガラ:
なあ、ネイよ。今のヴァイの寝言で
思い出したんだけどよ。オレたちって、
メシって食ったかな?

ネイ:
ええい、それどこじゃないのッ!

ガラ:
大事なコトだと思うんだけどなあ










D・S:
戻ってる場合じゃねえ



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最終更新:2020年10月31日 21:26