上幻の湖


森の中に、神秘的な色の水をたたえた
湖があった。樹海の中心を貫く川から
潤沢な水量を注ぎ込まれているらしく、
鏡のように細波ひとつない湖面からは、
水深がどれだけあるのかを見通すこと
はできなかった。










湖の半ばで途切れた橋の突端に、湖面
に立ち上る霧を纏ってイングヴェイが
佇んでいた。謎めいた湖水を見つめる
彼の表情は沈み、恐らくはその記憶に
かかった霧の向こうにいる、主の安否
を気遣って苦悩しているようであった。

シーラ:
イングヴェイ――

イングヴェイ:
む……ああ、また出会ってしまった
ようですね。シーラ姫

イングヴェイ:
D・Sも……勝手を通す申し訳なさ
から、あなたが目覚める前に去らせて
もらったのだが――

どうやらイングヴェイも、樹海の要所
に設えられた堅固な門に、主の探索を
阻まれているようだった。囚われの
シェンに己の主の姿を投影したのか、
憔悴するジオンに同情した目を向ける。

イングヴェイ:
兄弟が引き裂かれるとは、何と気の
毒な……しかし、残念だがその幻術を
使う娘とやらには出会っていない

ジオン:
そうか……

イングヴェイ:
心中察するぞ、ジオン――

イングヴェイ:
私もずいぶんと焦っているようだ。
遠くから湖面に聳える古城を目にした
ように思ったのだが、ここにあるのは
霧ばかり……幻覚を見るようではな

イングヴェイ:
少し頭を冷やして、もう一度樹海を
探索してみることにしよう。それでは
D・S、あなたがたの頭上に幸運が
あらんことを――

祈る仕草を見せ、イングヴェイは
桟橋を引き返して森に消えていった。

D・S:
古城ね……あながち幻とも言えねえ
大がかりな代物だがな。だが、確かに
この湖上にゃ何もねえ










あの神秘的な湖水は、水妖の湖から
流入する水量が激減したのを受けて、
あたかも幻のように消失していた。
どうやらこの湖の底は際限なく水を
吸い込む地質らしく、常に膨大な水が
供給されていなければ、湖としての
外観を保てないようであった。










D・S:
もうこれといった用はねえが、ここで
戦いの勘を取り戻すのも悪くねえ――










剥き出しになった湖底に、奇怪な城が
露となっていた。

水藻に覆われながら、それは決して
水没した城の残骸などではなかった。
今もって何者かが棲む、水中にあって
魔法の結界に守られた城砦――それが、
湖面に幻影の如くに映り込んでいた
謎の城の正体であった。

シーン:
あれだわ! 私が見た古城は!

カイ:
すると、お前を捕らえた男の妖魔も
あの城に潜んでいる可能性が高いと
いうことか――

ボル:
ここから降りられそうでござるな

ヨルグ:
敵方の城であることに間違いはない。
みんな、油断するな!

干上がった湖底のぬかるみで、編み笠
を被った男がひとり、泥まみれになり
ながらあちこちを掘り返している。
何かを探している様子であった。

ヴァイ:
おい! D・S、アイツは――

D・S:
おーおー。やっぱり生きてやがった

その男はかつて一行の襲撃に失敗し、
巨大魚に飲まれて消息不明となってい
た異能の蟲使い、バ・ソリーであった。
その不死身の再生能力により、何とか
消化されずに魚の胃袋から逃げ延びた
ようであった。

バ・ソリー:
む? ぬおお!? 貴様らわあっ!

D・Sたちに気づいた蟲使いは、泥の
飛沫を撒き散らしながら駆け寄って
きた。

バ・ソリー:
ここで遭ったが百年目えぇ――!
あの時の恨みを晴らしてくれるわぁ!

ヴァイ:
恨みったって、ありゃオマエが襲って
きて、しかも勝手に湖に落ちたんじゃ
ねーか

バ・ソリー:
ウルサイうるさいっ! あれから
俺様は大変だったんだぞお! 魚の
胃袋の中なんて、貴様ら入ったコトが
あるのか!

D・S:
だからそりゃテメエのせいだろが

バ・ソリー:
ええい、やかましい! バ・ソリー様
の怒りの一撃を受けてみろぉぉぉ!

バ・ソリー:
あぐう……きょ、今日はこのくらいで
カンベンしてやるう――

D・S:
ナニが勘弁だ。逃げるんじゃねーか

バ・ソリー:
む、蟲も見つからんし、もお俺様
泣きたいわぁ――ん

半ベソの絶叫を残し、バ・ソリーは
一目散に走り去っていった。

ヴァイ:
蟲って何だろ?

D・S:
さあ? 体の中に新種の寄生虫でも
飼いたいんじゃねーの?

D・S:
おーい! バ・ソリーとか言ったよな。
そんなトコで何してんだ?

バ・ソリー:
ぬ? 貴様らは……! あの時は
よくも!

D・S:
あれはテメエが襲ってきたんだろが。
それに、無事だったなら別に今さら
争う理由もねえんじゃねーのか?

バ・ソリー:
うーん? ウム。考えてみるとそう
かも知れん。あの時は鬼忍将にダマさ
れていたようだったからなあ――

バ・ソリーは記憶とともに失った蟲を
探していた。以前D・Sたちを襲った
のも、鬼忍将に貴重な蟲の引き渡しを
交換条件として持ちかけられたからで
あった。今も湿地を好む珍蟲を探して、
水の引いた湖底をほじくり返していた
らしい。

ヴァイ:
そういや、さっき変な蟲を拾って
きてるんだよな。何か干物みたいに
乾いて仮死状態になってるんだけど、
オッサン見る?

バ・ソリー:
オッサンと呼ぶなあっ……おおっ!?
そ、それはまさしく俺様の探し求める
可愛い珍蟲ちゃんではないかあ!

バ・ソリー:
くれっ! すぐくれっ! それを
プレゼントしてくれっ! できるコト
であれば礼は何でもするからあ!

D・S:
ふーん。それじゃ俺たちに力を貸せ。
オメエみたいに自己再生するタフな
ヤロウが欲しいと思ってたトコだ。
どーだ?

バ・ソリー:
そんなコトでいいなら、むわったく
問題なし! どこでもついて行かせて
もらおうでわないかあ!

バ・ソリーは愛おしそうに蟲の干物を
受け取ると、霧吹きのように唾液を
吹きかけた。

すると水分を感知したのか、蟲は見る
間にそれを吸収して蘇生を開始する。
やがて拳大のサイズのまま蠕動し始め
た蟲は、バ・ソリーの口腔にさらなる
水分を求めて入り込んでいく。食道、
胃を経由し、それは蟲使いの体内に
同化吸収されたようであった。

ヴァイ:
うげぇ……

シーラ:
む……蟲使いとは、こんなにも凄い
能力なのですね

D・S:
シーラ……言っとくがアレをまた口
から出したりするワケじゃねーからな

シーラ:
え……違うのですか? あの、金魚を
飲んだり吐いたりとか……

ヴァイ:
人間ポンプじゃないんだから



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年10月31日 21:16