樫の牢獄

ブラド:
助かったわい。ではワシはここで
別れるとしよう。精進を怠るなよ!

D・S:
さて、それじゃ森の奥に進むとすっか

シェラ:
あ……何だ……聞こえてくる

シェラは両手を耳にかざし、彼女だけ
に聴こえる微かな音に全身の神経を
集中させた。一心に聞き入るその姿は
あたかも何かに憑かれたかのようで、
事実それは一種のトランス状態であり、
ドルイダスの能力である大自然との
交感現象であった。

不意にシェラは顔を上げ、美しい声を
大気に響かせた。それは、曲であった。
喉を楽器代わりに、美しい旋律が紡が
れてゆく。やがて竪琴の音色が重なり、
歌となって森に染み通っていく。


  豊饒の森 吹きゆく風の宿り  
    龍の樹に木々は連なり   

  迷えるおさな児を腕に守り   
   天の恵みは翳りに覆われ   
    紅き荊に童は逐われ    



  哀れなるは風孕む龍      
   翼の自由は失われ      
    樹の床に繋ぎ止められ   

  戯れの死に ただただ囚われ  


歌が止み、シェラの瞳に意志の光が
戻った。どうやら彼女はこの瞬間まで、
語りかける声に意識をシンクロさせ
ながら歌っていたらしい。

シェラ:
木々の声、風の嘆きが聞こえた……。
この森は残忍な悪意に満ちている。
龍は囚われ、この地もまた苦痛の
翳りに覆われているようだ……

ヴァイ:
囚われの龍か……そいつは地龍とは
違うのかよ。水路が真っ直ぐだったん
なら、あの龍が飛んでったのはこの
森の方角だぜ

シェラ:
同種の力ではあるようだが……。
伝わってくるのは眠っているかに静か
な気配だが、目覚めれば地龍のもの
よりさらに大きいように思える――

D・S:
どっちにせよ、その龍の樹とやらを
探し出すしかねえだろう。龍ってのは
俺たちの敵にとって、制御不可能な
邪魔な存在らしいからな

D・S:
敵の敵は味方って言葉もある。記憶を
奪われて主導権のねえ俺たちにゃ、
その龍を解放すんのが敵を揺さぶるに
一番手っ取り早い――

ヨルグ:
ヨシュアも龍を解放しろと言い残して
いたしな。それを目的に探索する
ことに異議はない

ボル:
それにしても……探し甲斐のありそう
な森でござるな……

聞き覚えのある歌声が、竪琴の美しい
音色に乗って響いてきた。

D・S:
む……この声はシェラ、か?

シェラ:
……あなたの予感通り、我々は再会
する運命にあったようだ。かの地では
よくぞ龍を解き放ち、大地の苦痛を
取り払ってくれた。ありがとうD・S

シェラ:
だが、この森もまた悪意が満ち、
苦痛の翳りに覆われているようだ。
ああ……私の歌など何の癒しにも
ならない!

新たな竪琴を手にし、シェラの奏でる
調べは以前よりも格段に聴く者の胸を
打ち、心の琴線に響くものになって
いた。だが、それでもまだ、彼女の
望む音色にはほど遠いようであった。

シェラ:
この地に囚われた龍も、あなたの
解放を待ち望んでいる。救ってやって
くれ……私には苦痛を和らげてやる
力もないのだ……

ヴァイ:
おい、シェラ! どこへ――?

シェラ:
大いなる森は我々ドルイダスの故郷
――この地ならきっと、錆びついた
私の腕を蘇らせてくれる。その時こそ、
あなたがたの力となれるはず……

言い残し、美しい吟遊詩人は傷心の
面持ちで立ち去っていった。

D・S:
囚われの龍か――まずはその龍樹と
やらを探すしかねえな

D・S:
龍を封じ込めているのが敵なら、
そいつを解放するのは俺たちにとって
利になるハズだ。地龍の時と同様にな










それは、一瞬の出来事であった。
若い娘が笑いさざめく、そんな幻聴が
全員の耳を過ぎった。風が木々の葉を
揺らしただけかも知れない。しかし、
確かに何かがクスリと笑う気配がした。
一同が辺りを見回した時、神隠しは
すでに起きていた。

ジオン:
……シェン? シェン、どこだ!?

D・S:
どうした?

ジオン:
シェンが……シェンが消えたのだ!
ほんの今まで、俺のすぐ後ろにいたと
言うのに!

ボル:
敵!? しかしそれがしの影も、接近
する者の動きは捉えられなかったが

忽然と、風にさらわれたようにシェン
は消えていた。だが、微かに残る血痕
が、この失踪が幻ではないことを示し
ている。弟の突然の消失に、ジオンは
冷静さを完全に失っていた。

ジオン:
シェンが、俺の弟が……あああ!
この血は……まさか殺されて!?

D・S:
落ち着けジオン! どうやらあの時
聞こえた笑い声は幻聴じゃねえようだ。
一瞬に俺たちの中からシェンを連れ
去るたあ、ただのザコじゃねえぜ――

D・S:
! 血の痕は森の奥に続いてるぜ!
この程度の出血ならシェンは死んじゃ
いねえ。すぐに追うぞ!

ジオン:
おお……シェンよ。どうか無事でいて
くれ――

ジオン:
シェン! シェン! そこか?

森の奥から飛び出してきたのは、
記憶の手がかりを求めて流浪する
兄弟剣士の兄、ジオンであった。

D・S:
ジオンじゃねえか。オメエらもこの
森に辿り着いてたのか

ジオン:
D・S! シェンがこちらに来なか
ったか?

D・S:
いや……どうしたってんだ?

ジオン:
それが……シェンが忽然と消えて
しまったのだ。ほんの一秒かそこらの
うちに、後ろにいたはずのあいつの
姿は煙のように――

弟の消失に取り乱した様子のジオンに
よると、一陣の風が駆け抜けたと感じ
た瞬間に、振り返るともうシェンの姿
はなかったと言う。シェンがふざけて
隠れているとは考えられず、またその
場に少量の血痕が残されていたことが、
ジオンの冷静さを否応なく蝕んでいた。

ボル:
そのように人が消えることを、
それがしの里では“神隠し”と呼んで
畏れていたが――

D・S:
本当に神の仕業かも知れねえぜ。ま、
神と言ってもいろいろと格があるんだ
けどよ。一瞬に剣士をさらうとなりゃ、
ただのザコたあ思えねえ

ジオン:
頼む! 一緒にシェンを探してくれ!
あいつに何かあったら、俺は――

D・S:
放っとくワケにゃいかねえ。
こっちには誰も来てねえんだから、
森の奥を探してみようぜ










ジオン:
血の痕はこの先に続いている……
急ごう、D・S!










ジオン:
そっちじゃない!










わずかに残された血痕を辿り、一行が
入り込んだのは、無数の樫の樹幹、
根が絡み合って構成された通路状の
区画であった。明らかに人工的にねじ
曲げられたと思しき場所もあり、樫の
迷宮とも呼ぶべき奇観を呈している。










ジオン:
ぐうおおおっ! シェンンン!

シェン:
兄者ぁ――!

樫の牢獄まであとわずかという場所で、
ジオンとシェンの絶叫が響いた。

駆けつけた一行が目にしたのは、樫の
巨木の前で渦を巻く空間の裂け目と、
そこに吸い込まれていくふたりの姿で
あった。助けの手を差し伸べる間も
なく、ジオンとシェンは暗黒の洞穴に
飲み込まれ、裂け目は閉じて虚空と
化した。宿り木の短刀が、カランと
音を立てて地面に転がった。

魔雷妃(幻体):
アハハハハ! 私から逃げようと
するからよ! どこに繋がっているの
かも判らない異次元のトンネルで、
兄弟仲良く苦しむといい!

ジオン:
シェン! 無事か!?

シェン:
おお……兄者……D・Sたちも……

酷くやつれた様子のシェンが、牢獄の
中で身を起こそうとした。その周囲の
暗がりから無数の、糸のように細い
子蛇がさあっと散り、樹幹の亀裂に
潜り込んで姿を消した。見ればシェン
の剥き出しの肌には点々と小さな牙の
噛み痕が穿たれ、子蛇の群れが生き血
を啜ってじわじわと弱らせていたと
判る。

シェン:
いつしか抵抗する気力も失せて……
危ないところだった……

ジオン:
すぐにそこから出してやるぞ!
忌々しい樫の根など、この短刀で――

ジオンが宿り木の短刀で切りつけると、
あれほど頑強だった樫の根の格子は、
自ら刃を避けるように断ち切れた。
ジオンが飛び込み、消耗したシェンに
肩を貸して牢から出ようとした、その
時であった。

魔雷妃(幻体):
私から逃げるのね……イヤよ!
逃がすくらいなら、殺してしまった
ほうがいいわ!

木々の間から少女の声が響き、突如
牢の出口に空間の裂け目が生じた。
黒々と渦を巻く虚空の穴は、凄まじい
吸引力を発生させてシェンを引き込も
うとする。

シェン:
うわあああ――!?

その瞬間、ジオンがシェンを思い切り
牢の中へ突き飛ばした。シェンは
引力の効果範囲から外れ、代わりに
反動で近づいたジオンが暗黒の洞穴に
吸い込まれていく――。

シェン:
あ、兄者ーッ! な、何故――

ジオン:
幼い頃、誓った――オマエを護るのは
俺の役目だと……さらばだ、シェン!

助けの手を差し伸べる間もなく、
ジオンを飲み込んだ裂け目は閉じて
元通りの虚空と化した。宿り木の短刀
が、カランと音を立てて地面に転がる。

シェン:
馬鹿な……兄者が、オレなどのために
……

魔雷妃(幻体):
アハハハハハ!

暗黒洞があった場所に、いつの間にか
少女の幻体が姿を現していた。
D・Sに背を向けた格好で、嘆き狂う
シェンに嘲笑を投げかける。

魔雷妃(幻体):
兄さんがいなくなって悲しいの?
アハハ! 全部あなたが悪いのよ。
私から逃げ出そうとするから、あなた
の兄さんが身代わりになったんだわ

魔雷妃(幻体):
私から奪おうとする者は、どこに
繋がっているのかも判らない異次元の
トンネルを永遠に彷徨うといい!
アハハハハハ――

D・S:
テメエっ! 何て真似しやがる!

D・Sの声に、娘の幻体はハッとして
振り返った。その幼さを残した貌に、
一瞬悪戯を見咎められた子供のような
表情が過ぎる。だが、その刹那、娘の
衣服の胸元から滑り出てきた細い蛇が、
その褐色の首筋に鋭い牙を立てた。
少女の姿は急速に薄れ、幻体はそれに
憑いた、妖魔の人格と姿を表層に
浮かび上がらせる。

それは、毒蛇を彷彿とさせる衣服を
着た、美しいがどこか邪さを感じ
させる若い女妖魔だった。王鴉と
共通の雰囲気を纏っており、妹と
呼ばれたのがこの妖魔であることは
疑いないと思われた。

毒乙女:
お前たちか? 姉君を傷つけて城に
追い返したというのは

毒乙女:
――こんな奴らに敗北を喫するとは、
戦の魔女もやきが回ったものだね。
王鴉姉も、そろそろ主導権を私に
譲れば良いものを……

毒乙女:
まあ良いさ。私は姉君のような失策は
犯さない。魔雷妃の邪魔な意識には
完全に眠ってもらっているからね

毒乙女:
この毒乙女がたっぷりと相手をして
あげようじゃないか。そしてD・S、
次にこの牢獄に閉じ込められるのは
お前だよ――

不敵に微笑む毒乙女の唇から、毒蛇の
それと同じ、細い牙が覗いた。
そこから毒と思しき液体が滴ったと
見えた瞬間、妖魔は襲いかかってきた。

D・S:
どうした? 俺を閉じ込めるんじゃ
なかったのかよ?

毒乙女:
く……なるほど、姉君が負けたのは
油断ではなかったか……

毒乙女:
ならば私も考えを改めよう。仮に
お前たちが樹棺城に辿り着くことが
あれば――あり得ぬことだが、
その時は本来の姿で叩き潰してくれる!

D・S:
ほーお、さすが姉妹だぜ。負け惜しみ
までソックリたあな

妖魔は口惜しげに牙を剥き、細い
蛇に姿を変えて絡み合う樫の狭間に
潜り込んでいった。

シーラ:
ジオンたちはどこへ……

D・S:
あの暗黒洞がどこかまともな場所に
繋がってることを祈るしかねえな。
あの女も、どこに続いているのかは
知らねえようだったし――

ヴァイ:
無事だといいけど……

D・S:
今はカイとの約束を果たさなきゃ
ならねえ。水妖の湖とやらに向かおう

シェン:
くそっ、不甲斐ない……オレはいつ
でも兄者の足手まといになるばかりだ!
……兄者、どうか生きていてくれ――
今度はオレが助ける番だ

巨樫の根本に穿たれた大きなうろの
口に、太い木の根が格子状に絡みつき、
頑丈な牢獄の如き空間を造り上げて
いた。囚われているらしき人影が
その中に見てとれる。

ジオン:
シェン!

シェン:
ああ! 兄者!

兄弟は格子越しに再会した。だが、
木の根の格子は刃も呪文も受け付けず、
シェンを救い出すことができない。
この年経た樫の根は、強力な呪力に
守られているようであった。
幸いシェンの傷は浅く、出血もすでに
止まっていた。

D・S:
火も効かねえのかよ

ジオン:
一体何がオマエをここに閉じこめた
のだ? そいつなら、この根を取り
払う方法も知っているだろう!

シェン:
それは――

魔雷妃(幻体):
それは私。その男が気に入ったの

牢の上に、ひとりの娘が腰掛けていた。
年の頃は十四、五といったところか、
若く勝ち気な雰囲気を漂わせている
美しい娘であった。だが、浅黒い肌と
とがった耳が、娘に黒き魔の血統と
呼ばれ忌み嫌われるダーク・エルフの
血が混じっていることを示している。
高慢とも言うべき態度で見下ろし、
娘は続けた。

魔雷妃(幻体):
私のものになれって言ったのに、
その男は忘れてしまった妻の記憶を
探している、それは私ではないと答え
たわ。私のものにはならないって――

魔雷妃(幻体):
だからこの牢獄に閉じこめたの。
そして、生きているうちには決して
出さない……そうすれば、この男は
私のためだけに生きたことになるのよ

ジオン:
ふざけるなあっ!

激昂したジオンが、刃風凄まじく斬撃
を放った。だが、か細い娘の身体を
撃ち砕くかに見えた衝撃波は、少女を
通り抜けて虚空に消えていく。

ジオン:
! 幻影か――

魔雷妃(幻体):
きゃはは! あなたがこの男の――
シェンの兄さんね。必死ね、フフ……

魔雷妃(幻体):
でもね。これはあなたにとって良い
ことかも知れないわよ。シェンがこの
まま、ここで生涯を終えてしまうのは。
だってねえ、あなたたちは――

D・S:
オマエ……誰だ? 俺の知っている
女じゃねえのか?

問いかけられ、少女は初めてD・Sに
気づいたという目を向けた。驕慢な
光を宿した瞳が、ふと、何かを思い
出そうとするかに揺らめく。

魔雷妃(幻体):
……知らないわ。知らない。あなた
なんか……オマエなんか、知らない!

叫び、少女は心を乱されたように目を
逸らして立ち上がると、忽然と姿を
消した。遠くで風が遠ざかる音がした。

D・S:
夢に出てきた女か……いや、もっと
若いな……

ジオン:
シェンよ、済まない……俺にはこの
牢を開けてやることができない……。
オマエを目の前にしながら、助けて
やることもできんのだ――

シェン:
兄者……オレこそ、いつも迷惑ばかり
かけて……

D・S:
湿っぽくなるんじゃねえよ。ったく
オメエら兄弟は……あの女の本体を
とっ捕まえりゃシェンは助け出せる
はずだぜ。他を回ってみよう

ジオン:
シェン、必ず助け出してやるからな。
辛いだろうが、ここで待っていてくれ

シェン:
兄者……苦労をかける……

ジオン:
もうしばらく辛抱してくれ……必ず
解き放ってやるぞ、シェン……










ヴァイ:
おい、ブラドじゃねえか!

樹海の林道に、途方に暮れた様子で
腰を下ろしているのは、巨漢の重騎士
ブラド・キルスであった。

ブラド:
おう。貴様らか

ブラド:
結局、姫君の救出は先を越されて
しまったな。しかし、それはワシの
精進が足りぬと言うこと――

ブラド:
騎士としての貴様らの修行はまだまだ
であること、しかと肝に銘じておけよ!

D・S:
だからあ……あーもういーや。はい
はい、修行はまだまだデス

ブラド:
ハイは一度ぉッ!!

シーラ:
あなたも私を助けようとしていて
くれたのですね。ありがとう、騎士様

ブラド:
いや、まあ、その……照れるのお

D・S:
オメエは何にもしてねえって

どうやらブラドはこの先の森で迷い、
竜船が座礁している樹海のとば口まで
戻ろうとしているようであった。
明らかに弱り果てていたが、ブラドは
決して自分から助けを求めようとは
しなかった。騎士道精神に照らすと、
それは恥ずべきことであるらしい。

ジオン:
D・S。シェンのことが心配だ。
一刻も早く樹海の奥へ進もう

ブラド:
ほう。弟が囚われておるのか。
うむ。兄弟が庇い合う姿にはワシの
心も打たれるわい。行ってやれい

QUESTION:
ブラドを救ってあげますか?
仕方がねえな
迷子に構っちゃいられねえ

D・S:
どうしようもない方向音痴から
片づけちまおう。いったんこの樫の
森の入口まで戻るぜ

ブラド:
む……かたじけない。実を言えば
困り果てておったわい

ジオン:
……焦るばかりでも、シェンを救う
ことにはならぬか――

D・S:
事情が事情だからな。先を急ぐぜ。
ブラド、迷った時は右手か左手を壁に
つけて歩いてきゃあ、いつかは出口に
辿り着くもんだ

ヴァイ:
でもそれって、迷うだけ迷い尽くす
コトになるのでは?

ブラド:
やってみよう。では、精進せいよ!










ブラド:
む……? ここは森の入口とは違う
ではないか!

D・S:
お? 悪りい悪りい、完全に方角を
間違えちまったぜ!

ブラド:
全く頼りにならん……もういいわい!
ワシは自力で戻る!










ジオン:
シェンが捕まってるのはそっちじゃ
ない! 急いでくれD・S!



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最終更新:2020年10月31日 21:16