小峡谷


洞窟を抜けると、そこは小さな峡谷に
なっていた。左右に壁のような崖が
迫り、頭上に狭い空が見てとれる。
切り立った崖はよじ登りようもなく、
谷底の道を導かれるまま進んで行く
他なさそうだった。

ヴァイ:
やっと洞窟からオサラバしたと思や、
今度は屋根がないだけかよ

D・S:
道は海岸線と反対に向かってる。
これに沿って歩いてくしかねーな。
ヨーコさんどう思う? ……おっ、
ちょっと光った。方角はOKだぜ

ボル;
待つでござる。それがしの影に、
何やら先刻より反応するものが数歩
先にあるでござるよ。これは……細い、
鋼の……糸?

その時、突如として煌めく鋼の糸が
地面から跳ね上がった。
髪の毛ほどの細さの、視認すら困難な
研ぎ澄まされた特殊鋼の糸であった。

なまじの刀剣よりも優れた利刃を誇る
鋼糸にまともに絡め取られれば、人の
肉や骨など容易に切断される。もう
少し踏み込んでいれば、致命傷にも
なりかねない剣呑な罠であった。

マカパイン:
我が妖斬糸を躱すとは――なるほど、
影使いがいるな。良かろう。罠如きで
片付いてしまっては面白味もない

マカパイン:
ククククク……惜しいところだったの
だがな。まあ良い。寿命が数秒ほど
伸びただけのこと

岩陰から現れたのは、長く垂らした
前髪で右目を覆い隠し、整った容貌の
奥に冷酷な雰囲気を宿した男であった。
周囲には幽かに輝く鋼の糸が波打ち、
男がそれを自在に操る極めて稀な
クラス――暗殺者の中でも特異な、
妖縛士であることを示していた。

ヴァイ:
誰だ!? テメエ!

マカパイン:
貴様等デク人形を地獄に導く使者よ。
防護結界から早晩飛び出してくると
踏んではいたが、思ったより早く網に
かかってくれたわ

D・S:
ふん、なるほどな。やはりあの要石は、
テメエみてえな敵対勢力を海岸線から
閉め出すために結界を張ってやがった
のか

マカパイン:
フ……今さら気づいたとて何になる。
我が前に姿を晒した以上、貴様等は
蜘蛛の巣に絡め取られた無力な羽虫よ。
このマカパインのための獲物なのだ

D・S:
やい三下、よくもテメエみてえな
二流美形、平たく言やあザコ野郎が
このハンサム様を前に“フッ”だの
羽虫だのとぬかしやがったな

D・S:
しかも殺す気でやろうってんだな?
テメエがどういう了見で喧嘩売って
やがるのか知らねえが、殺し合う
以上、俺様はとことん残忍にやるぜ

D・S:
テメエが負けたら楽には死なせねえ。
身体中の傷っていう傷にカラシやら
塩やら塗りこんで、磯のフナムシの
餌にしてやる。クックック

余りにも堂に入ったD・Sの恫喝と、
真実それを実行するであろう眼光に、
さしもの妖縛士もいささか怯んだ
表情を見せた。だが、己の中に生じた
恐怖を抑えつけ、マカパインと名乗る
男は嘲笑を浮かべてみせた。

マカパイン:
我が妖斬糸は攻防一体の優れた武器。
貴様等など私に傷ひとつつけることは
できん。加えて、私は手を抜かぬ主義
でな。単独で襲撃などしない

マカパインの言葉に合わせて、褐色の
肌を持つ精悍な剣士が、その背後から
姿を現した。睫毛の長い切れ長の瞳が
浅黒い貌の中で印象的に栄えているが、
そこにはどこか、飢えた獣を思わせる
渇望と猜疑の色が宿っていた。

その出で立ちと、湾曲した細身の剣を
佩いていることから察して、ヴァイや
ヨシュアと同じ魔法剣士・侍である
ことは疑いなかった。動き易さを重視
した軽装の鎧が、格闘戦においても
達者であると窺わせる。

ヨルグ:
……

マカパイン:
ハハハ! ヨルグよ、私の妖斬糸と
お前の剣技・格闘術が加われば、
こやつ等など苦もなく片づけることが
できよう!

D・S:
へっ。ひとり増えたところで目じゃ
ねーな。まとめてひねってや……

ヨシュア:
ヨルグ! ヨルグなのか!?

いつしか、竜船で別れたきり姿を
くらましていたヨシュアが背後の
洞窟から追いついてきていた。

ヴァイ:
ヨシュア! 一体今までどこに
行ってたんだよ?

ヨシュア:
話は後だ。とにかく今は加勢させて
もらうぞ!

D・S:
あのヨルグって奴、知ってるのか?

ヨシュア:
知っているも何も、ヨルグは私や
ヴァイと志を同じくする侍のひとりだ

ヨシュア:
それに……私とお前は変わらぬ友情の
誓いを立てた親友だったはずだ。
忘れたのか、ヨルグ!

ヨシュアの呼びかけにも、ヨルグは
眉一つ動かさずに、冷ややかな目で
一行を眺め下ろしていた。

マカパイン:
ククク……貴様など知らぬとさ。
そうだとも、お前が真に友と呼ぶべき
人間はこのマカパインをおいて他に
ない。それで良いのだ、ヨルグ!

ヨシュア:
くっ……やはりヨルグも記憶を……

マカパイン:
さあ、ゆくぞヨルグ! D・Sの
首級を上げれば我等の身分は安泰だ。
油断せずかかれ!

D・S:
フハハハハーッ! この程度の腕で
俺様の首を獲るだと!

ヨルグ:
くっ

マカパイン:
むうっ! 強い――

D・S:
さあて、どうしてくれようか?
クックック、敗者に選択権はねえぞ

D・S:
そうだな、まずは誰がテメエらの
身分を保証するのか聞かせてもらおう。
そいつだろ? 俺を倒してこいなんて
無茶をぬかしやがったのは

マカパイン:
……ふん、何の話だかな

D・S:
いいんだぜ、喋りたくなってからで。
すぐに吐かれたんじゃ拷問も味気ねえ

D・S:
どのみちテメエらはフナムシの餌に
なるんだから、早めにバンザイした
ほうが楽でいいと思うけどな。
ククククク……

マカパイン:
う……うう

ヴァイ:
おい、D・S、ちょっと……

D・S:
何だよ、こんなトコに引っ張って
きやがって?

ヴァイ:
ほ、本当に拷問とかすんの?
あと、フナムシの餌とか?

D・S:
バーカ。するわきゃねーだろ。
テメエがやりたいってんなら止めねえ
けどよ。誰が好きこのんで野郎なんざ
責めたりするかってんだ

D・S:
こいつらは多分、使い捨ての斥候に
されたんだろうぜ。わざわざ命まで
取ることもねえだろ

ヴァイ:
ホッ……そうこなくちゃ

D・S:
ただ、少しは敵の情報も手に入れて
おかねえとな。ここはテメエも調子を
合わせろ。マカパインのほうは案外
簡単に落ちそうだぜ

ヴァイ:
判った。俺の演技力を見てくれ

D・S:
……さーて、中座して悪かったな。
まずは予告通り傷口に塩からいくか?

ヴァイ:
へっへっへ、塩は肌にいいんだぞ。
痩身美容にもいいんだ。痩せちまうぜ

D・S:
……(クソバカ!)。それとも
拷問の定番で、目玉でもくり抜いて
やろうかあ? 眼球ってのはよ、
意外に簡単に外れちまうんだぜ

ヴァイ:
ほ、ホント? そんなに簡単に
外れるなんて俺ヤダなあ

D・S:
……(もー、アッチいけバカ!)。
さ、どうする? 早いトコ吐いて楽に
なっちまったほうがいーんじゃねーか?
その隠れた右目からいくか?

マカパイン:
く……私はただ、邪魔者を片づけて
くればそれ相応の待遇で迎えられると
持ちかけられただけだ

ヨルグ:
マカパイン! 喋るのか!

マカパイン:
黙っている義務はあるまい……。
詳しいことは私も知らないが、
巨大な砦と軍団を率いた男だった。
鬼忍将と名乗っていたな

D・S:
鬼忍将……知らねえ名だな

マカパイン:
知る限りのことは話す。だから……
この、右目だけは――

マカパインが予想外にあっさりと
白状し始めたために、この時一同には
気の緩みが生じていた。マカパインが
右目を覆う髪に手を伸ばしたのも、
D・Sの脅しが効いたからだと考え、
その不自然さに誰も気づかなかった。

マカパインが髪を払った瞬間、右目の
あるべき場所から激しい閃光が疾った。
彼らが目を眩まされたのは一秒にも
満たぬ間だったが、視覚が常態を
取り戻した時には、そこにはすでに
マカパインの姿はなかった。

マカパイン:
この敗北は油断だった! この次は
必ず貴様の首を獲る。妖縛士の誇りに
かけてな!

あらかじめ鋼糸を張っていたのか、
マカパインがそれを伝って崖の縁を
乗り越えていくのが見えた。

ヨシュア:
仲間を置き去りに逃げるとは……
卑劣だぞ! マカパイン!

ヴァイ:
逃げちまいやがった。キッタネエ
野郎だぜ! アイツ

ヨルグ:
……殺すなら殺せ。この機会に
逃げられなかった以上、もはや
生き恥を晒すつもりはない

ヨシュア:
ヨルグ! 思い出せないのか?
私だ! お前の友、侍大将ヨシュア・
ベラヒアだ!

ヨルグ:
知らぬ! そのような甘言で俺の
口を割ろうなど、舐めるにもほどが
ある! 俺に友などおらん。力が
なければ死が待つのみだ

ヨシュア:
……ヨルグ

D・S:
おい、オメエもう行っていーや

ボル:
! D・S、何故でござる!?

ヨルグ:
……どういうつもりだ? 俺を
懐柔しようなどと思うな

D・S:
飽きた。テメエの好きにしろって
言ってんだ。とっとと失せやがれ。
それでまだ俺を狙いてえってんなら
また相手してやらあ

ヨルグ:
……後悔するぞ。次に戦う時は
どちらかが死ぬ

D・S:
バーカ。今度仕掛けてきやがったら
手加減はねえぞ。肝に銘じてきやがれ

ボル:
あの男、心が病んでござるな

ヨシュア:
やはり放ってはおけん。D・S、
済まないがヨルグを追わせてくれ!

ヨシュア:
あいつはマカパインに騙されている
だけだ。何としても私が説得して、
正気を取り戻させてみせる!

峡谷の先に走り去ったヨルグを追い、
ヨシュアもまた、彼方に消えた。

ヴァイ:
また行っちまった

D・S:
俺たちも行くぜ。マカパインが
言ってた鬼忍将って名前は嘘じゃ
なさそうだ。砦とやらがどこにあるか
知らねえが、挨拶といこうじゃねえか










峡谷の奥に隠れるように、小さな祠が
ひっそりと建てられていた。

D・S:
これで行き止まりか。ヨシュアと
ヨルグはどうやってこの峡谷から
抜けだしやがったんだ?

ヴァイ:
この辺りから、どこかにトンネルが
続いてるとか?

D・S:
いや、やっぱりさっきの塞がれた
洞窟が怪しいな。だが、その前に
この祠も調べてみねえコトにはな










ボル:
む? 人の気配がするでござるよ

祭壇の背後から、ひとりの男が現れた。
D・Sたちに驚いた様子も見せず、
男はゆっくりと近づいてきた。

端正な顔立ちの、長身の剣士だった。
淡い色の髪は長く、はっとするほど
長い睫毛の持ち主だったが、そこに
女性的な印象は微塵もない。男に常に
纏わりついている沈着冷静な雰囲気が、
彼の容貌をより男らしく感じさせて
いるのだろう。

イングヴェイ:
先刻の男とは違うようだな。
戻ってきたのでは、と思ったが

D・S:
落ち着いた物腰だな。どうやら
こちらの命を狙ってるって口じゃあ
なさそうだな

D・S:
ところでその男とやらはどこに行った?
俺たちはこの峡谷から抜け出す道を
探っているんだがな

イングヴェイ:
あなたがたもか……

男はイングヴェイと名乗った。

彼もまた記憶を失っており、目覚めた
時にはこの峡谷に佇んでいたのだと
語った。

イングヴェイもやはり断崖絶壁に閉じ
込められた状況で、脱出口を探して
彷徨っていたところ、ヨルグらしき
男が祭壇を何やらいじくり、塞がれた
洞窟へ足早に去ったのを目撃した。

後を追ったもののすでにヨルグの姿は
なく、洞窟も固く入口を閉ざしたまま
だった。仕方なく、ここに戻ってきた
のだと言う。

D・S:
……ってコトは、やっぱりこの祭壇に
何か手がかりが隠されてそうだな










D・S:
このレリーフの龍、角の部分が動くん
じゃねえか?

ヴァイ:
どれどれ――おっ!?

ヴァイが龍の角に触れた途端、それは
レバーのように下がり、再びもとの
位置に戻った。と、レリーフの眼に
幽かな光が灯る。

足下の地中から、塞がれた洞窟に
向かって仕掛けが作動する気配が
伝わってきた。

D・S:
意外と簡単な仕掛けだったな。
オメエ、気づかなかったのか?

イングヴェイ:
め、面目ない……

イングヴェイ:
D・S。よろしければ、私もともに
行動させて頂きたいのだが

イングヴェイ:
寄る辺となる記憶すらない身では、
この先どこを目指すべきかも判らぬ。
迷惑でなければ、だが

D・S:
好きにしな。ただし、俺は狙われて
いるようだぜ。覚悟さえあるんなら、
断る理由はねえ

イングヴェイ:
有り難い。思い起こすに私は戦いを
生業としていたようだ。自分の身を
守る程度なら、剣も使いこなせよう



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年10月31日 21:07