黒の館
館の内部は、奇妙に美しく整えられて
いた。床には精緻な柄を織り込んだ
絨毯が敷き詰められ、黒一色の外見
とは対照的な色彩をたたえている。
だが、注意深く観察すれば、その柔ら
かな床は織物などではないことに気づ
くだろう。それは細かな、あまりにも
微細な突起の集合物であり、洞窟に
繁殖している黒い肉腫と同種のもので
あった。柔らかな肉の突起を踏みつけ
る、吐き気を催すような感触が足下
から這い上ってくる。
ガラ:
オレ、こーゆーの苦手なんだよなあ。
ウエッ、オレまで調子悪くなりそ
ネイ:
イヤな気配のする館だな……これは
腐臭? いや、違う……死を直前に
した者の臭い――“死”そのものの
臭気だ――
バ・ソリー:
ええい! 何なんどわあぁこの館わぁ!
マカパイン:
おお! バ・ソリー! 貴様ここに
いたのか!
バ・ソリー:
あお? マカパインではないかあ!
バ・ソリーは蟲たちを使い、この館を
探ろうとしていたらしい。だが、体内
から放たれた蟲は、床の柔突起に阻ま
れてろくに身動きが取れない。何匹か
はそのまま床に飲まれ、どうやら消化
されてしまったようであった。
バ・ソリー:
ううう……俺様の蟲がァ、蟲がァ
ガラ:
おーおー可哀想にね
バ・ソリー:
貴様、全然同情しとらんだろ!?
ロス:
こういうグロいトコは貴公が得意そう
だと思ってたんだけどねー。アタシ
みたいに根が高級だとなじめないわぁ
バ・ソリー:
それじゃ俺様は低級かい! おにょれ、
そのうち貴様が寝ているうちに、蟲の
卵を飲ませてやるっ!
ロス:
……想像しただけで気絶しそう。いく
らでもアヤまるからそれだけはヤメテ
床の模様とは別に、そこに活発に蠢く
癌細胞の群れがあった。一行に微かな
反応を見せたが、あまりにも群体が
小さいため通過の障害にはなり得ない。
ただ、細胞は倍々に、急激な速度で
分裂増殖を繰り返しつつあった。
柱の間で蠢動する癌細胞の群体は、
今や一帯の床を覆い尽くすほどに成長
を遂げていた。接近する獲物の気配を
嗅ぎつけ、それは迅速に盛り上がり、
番兵の実体を顕し始めた。
開かれた宝箱の前で、ひとり佇む侍の
姿があった。
シェンであった。その箱から取り出し
たのであろう、脇差を手にその刀身を
食い入るように見つめている。
もの静かなシェンの貌に、錯覚か、
鬼神の激しい憤怒の相が浮かんでいる
ように見えた。
D・S:
……シェン?
シェン:
! ああ、D・S……無事か
夢から覚めたように――そしてその
内容をD・Sに覗かれてしまったと
感じているかに、シェンは慌てた様子
で脇差を鞘に収めた。その腰には兄・
ジオンから受け渡された黒夜叉と、
白鞘の脇差が下げられている。
D・S:
あんまり、無事じゃ、ねえな……。
オメエ、兄貴はどうした?
シェン:
――そちらとも一緒ではなかったか
……オレは虹の中ではぐれてしまった。
いや……オレを避けて、姿をくらませ
たのかも知れんな――
D・S:
……? どういう意味だ?
シェン:
……いや、気にしないでくれ
それ以上、シェンは何も語ろうとは
しなかった。ただ、ジオンのことを
問われた瞬間、幽かだがあの鬼相が
シェンの貌を過ぎったように思えた。
ダイ:
おおお――っ! 美しいーっ! 心の
琴線を掻き鳴らすこのセンス! 足下
から伝わる総毛立つような肉の感触!
素晴らしいぃぃぃ!!
大袈裟な身振りで、ひとりこの奇怪な
館を讃える筋肉の塊がいた。ダイの
ねじくれた美的感覚には、生理的に
嫌悪感を催すこの建物こそ、至高の
美に値するものであるらしかった。
ダイ:
思わず頬ずりしたくなりますねェェ!
柔突起、サイコー!!
ネイ:
やかましいっ!
ダイ:
はぐっ!? あ、ネイ様ぁ?
ネイ:
相変わらず美的感覚のズレた子だね、
オマエは! それなりに可愛い子供
だったのに、いつの間にやら醜い筋肉
ダルマになって! うーっ、天誅!
ダイ:
あぎゃあああ――!
ダイ:
……ふうぅー
ネイ:
何っ? 私の雷撃からもう回復する
なんて!?
ダイ:
効きませんねぇネイ様。私はもはや、
母代わりである貴女を超えたのです!
魔雷妃であった貴女に奪われた以上の
闇の魔力を取り戻したのですよぉぉ!
凄まじい妖気の噴出が、ダイの蝙蝠
マントを羽根の如くに膨らませる。
巨体をわずかに浮き上がらせ、ダイは
激しく哄笑した。
ダイ:
ふははははは! 見ればD・Sは
ずいぶんと具合が悪そーではありま
せんか? これは大変な好都合!
わははははは――
ダイ:
私ももう思い出しちゃいましたよ。
以前アナタに邪悪な呪いをかけられ、
ヒドい目に遭わされたことをねぇ。
今こそが復讐の、千載一遇のチャンス!
D・S:
そう言えば思い出したぜ。昔、この
世界に放り込まれる以前、テメーには
青爪邪核呪詛を施したハズ……だが、
どうしてその印がねえんだ?
D・S:
アレは絶対に解けねえ呪いだってのに
……
ダイ:
ははは――! 服従する必要がなくな
った今、高貴なる私の取るべき道は
復讐だ! 支配者たる私を青爪などで
辱めた罪ィ、その身体で思い知れェェ!
ダイ:
はぐう……私が負けるなんて、あり
得ないコトですよぉ。これは、夢?
D・S:
やい……人が調子悪りい時に、言い
たい放題吹いてくれやがったなあ……
ダイ:
はああ……わっ、判りましたよ。もう
以前のコトは水に流してあげましょう!
だからまた呪いをかけるなんて真似は
やめるのです! ね?
D・S:
ね? じゃねーだろうが!
ダイ:
ぎゃああっ! そ、ソコを踏むのも
やめなさい!
ネイ:
ねえダーシュ、もう許してやって。
私が拾った頃から、この子は素直に
謝れないタチなのよ。育て損なったの
は私にも責任があるわ。だから――
ダイ:
ネ……ネイ様ぁ
D・S:
ち……クソッ、また苦しくなってきや
がった。いーだろ、可愛い娘に免じて
青爪邪核呪詛だきゃあカンベンして
やらあ――
ネイ:
ありがとう、ダーシュ! ……ダイ?
これからはダーシュに感謝して、心を
入れ替えて働くのだ。いいな?
ダイ:
しかたありませんね
ネイ:
ダーシュ、やっぱりやっちゃって
ダイ:
あああ、ハイィ! 喜んで、お供を
させて戴きますですぅ……
ダイも、他の仲間の手がかりを得ては
いないようだった。どうやらここで
グロテスクな館に見惚れっ放しだった
らしい。
ネイ:
ダーシュが苦しんでるぶん、オマエが
ちゃんと働くんだぞ。いいわね?
ダイ:
ハイハイ。幾らD・Sが弱ってても、
この青爪の効力がある限り逆らえませ
んからねェ。好きなよーに、奴隷の
よーにコキ使えばいーじゃないですか
D・S:
ホントに、イイんだなぁ? 俺様が
考えるドレイのよーに扱って?
ダイ:
……やはり、奴隷というのは言い過ぎ
でしたね。我々は仲間! そう、仲間
なのですね! この私、皆さんのタメ、
頑張る所存ですよぉぉ
D・S:
俺にウソをついても、爪が赤くなるん
だよなあ
ダイ:
へああっ!? ウソウソウソウソ
ウソォ!
D・S:
……ワカりやすい奴
ダイ:
ヒィィ……今こそ反撃のチャンスなの
ですが、今度はネイ様が……やっぱり
子供よりオトコを取るのでしょーね。
児童虐待ですよ……ブツブツ
ネイ:
バカでかい図体になって何が児童だ!
……しかし、私がダーシュの娘である
ように、オマエは私の息子だ。頼りに
しているぞ――
ダイ:
ハイッ、ネイ様! でも、そーなると
私はD・Sの孫ってコトになりません?
D・S:
うっ……病状が悪化しそうな事実だぜ
イングヴェイ:
D・S! 皆も――!
ガラ:
おう、イングヴェイじゃねーか!
マカパイン:
ありがたい! 魔戦将軍の筆頭と
ここで巡り会えるとは――
一行はイングヴェイと短く情報を交換
した。やはり状況は同じようなもので、
虹突入時にはぐれ、この館の近くで
意識を取り戻したらしい。
イングヴェイ:
残念ながら他の仲間たちの消息は掴め
ていない。洞窟にも館にもいないと
すれば、館が塞いでいるその先に
跳ばされたと考えるべきだろう――
イングヴェイ:
D・Sが変調を来した今、ここにいる
我々が力を合わせてこの館を突破
しなければならん。カル様の行方も
心配だが、今はこちらが先決――
マカパイン:
うむ。あのガインと狼麒には我々魔戦
将軍の忠誠を利用されてしまった。
今一時、カル様への想いを殺して団結
しなければな――
イングヴェイ:
マカパイン……貴公、少し変わったか?
マカパイン:
ん? ……そうだな。以前の私なら、
魔戦将軍筆頭と呼ばれ、カル様の信頼
篤い貴様に対して、反発こそすれ同調
することなどなかったが――
マカパイン:
学んだ、ということか。つまらぬ意地
よりも、もっと重要な張りどころが
あるということをな。D・Sと幾度も
闘い、ようやくそれが判った……
マカパイン:
らしくないか? イングヴェイ?
イングヴェイ:
いや……我々魔戦将軍が皆そのように
考えることができれば、我々はもっと
カル様のお役に立てただろう。そして
それは、これからでも遅くはない
マカパイン:
そうだな――
シェン:
――イングヴェイ、ひとつ訊かせて
欲しい。兄者は……いや、ジオンは
魔戦将軍だったのか?
イングヴェイ:
? ああ、その通りだが。そう言えば、
それを思い出したのはこの地に来て
からだな。氷獄塔では、ジオンが我々
の仲間だと気づかなかった――
イングヴェイ:
ジオンも、魔戦将軍であることを忘れ
ていたのだろうが――他の者が皆、
至高王の姿を見た時点で思い出して
いたのに……何故だろう?
シェン:
忘れていたほうが良い記憶もある……
だからだろう
イングヴェイ:
シェン? どうした、恐い貌をして?
シェン:
……何でもない。つかぬことを訊いた
イングヴェイはこの小部屋で癌細胞の
番兵と戦い、鍵を入手していた。
ガラ:
この館のどこかで使う鍵だろうな。
探して回る手間が省けたぜ
館の最奥部と思われる大広間は、その
中心部を底なしの広い溝が囲み、外周
から切り取られたようになっていた。
部屋の中央に、巨大な釜が見える。
釜からはぐつぐつと湯気が立ち昇り、
時折黒いものが吹きこぼれるように
その縁から流れ落ちる。
それは、洞窟にはびこる黒肉腫だった。
肉腫は蠕動しながら溝へゆっくりと
移動し、そのまま次々と落下していく。
恐らくは溝の底から洞窟へと通じる
排出孔があり、そこから肉腫が外に
送り出されているのだろう。
ネイ:
“死”の臭いの塊だ……あれこそが、
この館の中枢部であるに違いない
ガラ:
こっからじゃチョイと渡れそうにねえ
な。真ン中の扉から入ってこねえとよ
再び、作動音が響いた。それに続いて、
広間の中央の扉が重々しい音を立てて
開く。
ネイ:
やはりな……これであの大釜に辿り
着ける。頑張って、ダーシュ!
D・S:
ああ……ぐうぅ……いよいよ肺が
限界に近づいてきやがった……
宝箱の蓋と連動して、どこかでカチリ
と仕掛けが作動した。
ガラ:
何か、音がしたぞ?
ネイ:
うむ……反対側も調べてみよう
正面に大釜が湯気を噴き上げていた。
その蠢く水蒸気が、まるで薄嗤いを
浮かべる悪魔の貌のように見える――。
否、それは現実に嗤ったのだ。大釜を
抱きかかえるように、胡座をかいた
奇怪な悪魔がそこに実体化を始めて
いた。腹部に肉腫を生み出す釜を持つ、
おぞましい魔神がそこにいたのだった。
双眸が不気味に輝き、開いた顎から
剛槍の穂先の如き牙が剥き出される。
その口から啖った生物を体内に吸収し、
黒い肉腫として腹部から生み出す病巣
のような魔物――。新たな肉の原料を
前にし、魔神は歓喜の吼え声をあげて
巨体を震わせた。
ガラ:
うっ! D・Sに続いてオレもハラの
具合が……
ネイ:
コラ! ガラ! アンタがビビって
どうするの! 魔神剣出しなさいよ、
ホラ!
ガラ:
えーっ、やっぱオレぇ?
イングヴェイ:
しかし、何という化け物なのだ……。
D・Sの容態が悪いだけで、我々の
士気がこうも低下するとは――
マカパイン:
このまま戦ってはまずいかも知れんが
……選択できる状況ではないな。
奴が来るぞ!
その時、背後から一陣の風が
飛び込んできた。
ザック:
メテオ・ドライヴァー!!
闘気を纏って突進するザックの拳が、
魔神の下顎を抉った。数本の牙が
へし折れ、悪魔は苦悶と怒りの咆哮を
轟かせる。
イングヴェイ:
ザック!
ザック:
へへっ! 魔戦将軍の切り込み隊長
見参! イングヴェイ、ムズカしー
コト言って策を考えるより、ここ一番
の思い切りだぜ!
ザック:
俺たちが死力を尽くせばこんな奴ァ
目じゃねえぜ! 一人が一軍に匹敵
すると言われた魔戦将軍の力、見せて
やろうぜ!
イングヴェイ:
その通りだったな……よし!
ガラ:
みんな元気出てきたなっ! おーし、
いくぜいっ!
ネイ:
調子いいんだから……
魔神の動きが止まった。大釜にひびが
生じ、それが瞬時に全身に広がると、
悪魔は凄まじい絶叫を残して粉々に
砕け散った。
ザック:
やったぜ!
この魔神が本体であったのか――釜
からこぼれた黒い肉腫も、急速に溶け
崩れ、消滅を開始した。恐らく洞窟に
繁殖したものも、同じ運命を辿って
いるのだろう。
同時に、館全体が激しく鳴動し始めた。
この建物を構成する建材の大部分が
魔神から発生した生きた細胞部品で
あり、主を失った今、それらは接合
する力をなくして崩壊、死滅を始めた
のである。
ガラ:
ヤベえ! ここは崩れるぜ!
ネイ:
この先が館の裏口に通じているようだ。
急ぐぞ! ホラ、ガラ! ちゃんと
ダーシュを支えて!
ガラ:
へいへい。ちったあオレも大事に
されたいねェ
ネイ:
ダーシュの次ぐらいにはしてるわよ。
さ、早く!
ガラ:
え? ソレって……
ネイ:
はーやーくー!
ガラ:
おうよ! へへっ、我ながら単純だね
ガラ:
グズグズしてっとヤベエぜ、D・S!
最終更新:2020年10月31日 21:25