スレ128(実質129より)

413 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:47:21 0
特に報告や相談がなければ
母から聞いた伯父がエネで離婚騒動に発展した話を聞いたのですが
夜食がわりにいかがでしょうか?

414 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:51:08 0
>>413
いかがでしょうっていわれてもなあ。
登場人物の相関関係をわかりやすくお願いします。
「祖母」と「トメ」を同じ人を指す言葉として使って混乱させられるのはいやだお。

416 名前:413 その1[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:53:59 0
では少々長くなりますがお付き合いください。
固有名詞は私の視点から書きます。
伯父=漁師、母方実家長男。伯母とは再婚
   (前妻はパート先で浮気をして子供もいなかったので離婚)
伯母=伯父の二番目の妻、従兄三人の母
祖父=孫と相撲とお酒が大好きな人だったらしい
祖母=孫にはよい祖母だけトメとしてはワルトメだったらしい
従兄=三人兄弟。当時、一番したの従兄が小学生。従兄は全員、祖父母にはなついている。
母=末娘。母の兄弟姉妹で唯一、伯父以外で地元に残った。

 Q州の南の県での20年ほど前の話し
 伯父夫婦は祖父母と二世帯住宅で暮らしたけど伯父がエネ
 伯父の漁の期間は比較的長く1週間~2週間程で
 その間、やはり祖母と伯母はぶつかり合っていたとのこと
 伯母がその嫁いびりのことを
 伯父にうたっえても「我慢しろ」だけで一切庇わず、むしろ伯母を責めた
 伯母の最大の不満は
 長い漁から帰宅するなり伯父は伯父家族のスペースではなく
 祖父母のスペースで祖父とお酒を飲んだり話し込んでいて

417 名前:413 その2[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:55:34 0
 伯母はいろいろ話したかったが話せず家族で話したと伯父に訴えるも
 伯父は「お前達がこっちにきて食事をすればいいだろう」と
 伯母の気持ちを無視
 そんな生活が何年たち祖父が病気になり入院。
 長い闘病末に祖父が亡くなった。
 それにより祖父の死後、祖母の情緒不安定で嫁姑問題が激化。
 伯父は伯母の味方になるどころか
 祖父の死後2ヵ月後に
「親の代わりはいないが、嫁は代わりがいる」と言い放った
 それが引き金に伯母が「なら、離婚する」と言い出し
 あせった伯父は母に「別れなたくないから、祖母と別居したい」
 と泣きついてきたらしい。
 母は以前から伯父の言動をしっていたので葬式の後に
 伯母に対しての暴言は言わないようにと注意していたのだけど
 こうなったら仕方がないと県外にいる母が兄弟姉妹と連絡をとり
 話し合いのすえ祖母を県外の母姉宅へと祖父の遺骨とともに送り出した。
(遺骨を祖母にもたせたのは母の案。
 祖母は墓参りが祖父の生前からの趣味なので持たせれば
 そうそう帰ってこないだろうとのことで母がもたせた)

418 名前:413 その3[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:56:45 0
 それから伯父はいままで住居を捨てて新居をたてて
 二度と同居しないとの約束をしたためなんとか離婚回避
 伯母も「最後に自分を選んでくれて嬉しかった」と母に話したとの事。
 そして、祖母は、やはり故郷が懐かしくなり2年ほどで戻って来ることに
 その際には母兄弟姉妹で話し合い、
 祖母の郷里の老人ホームに行くことに決まったが、
 そこでも孫になかなか会えないのがさびしいと
 伯父、母と同じ市内の老人ホームに入居。
(このときも母兄弟姉妹で話し合い、伯母は祖母の面倒を見ず、
 母が祖母の身の回りの世話をすることで話が決まり決定した。)
 現在、祖母はそこでのんびりと老人ホーム暮らし。
 たまに従兄たちが進んで見舞いにも訪れ、
 ひ孫にもあえるので今も元気に過ごしている。


 この伯父の離婚騒動が離婚せずにすんだのは
 亡き祖父のお陰と母が語ってくれた。
 祖父は伯父が結婚する前から嫁姑問題は必ずおきると予想し
 中学卒業後、県外に就職をする母に
「祖母は伯父にどんなに最高の嫁がきたとしても必ず嫁姑問題に発展する
 だから、お前だけでも5年したら戻ってきて欲しい。
 将来、嫁に力を貸してくれる人間がいなかったら絶対に離婚する」と
 母に伝えていたと教えてくれた。
 また、伯父が漁が出ている間の嫁姑問題は

419 名前:413 ラスト[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 21:58:12 0
 祖父が緩衝材になって大事にならないように奮闘していたとのこと
(ただ、それを伯父が台無しにしていた
「嫁の代わりは~」発言も祖父が生きていた頃にも何度かいわれが、
 祖父がフォローをしていたらしい)
 祖父は、子供の頃、両親以外に育てられたらしく、
 それがあまりにも、辛かったので、子供や孫に同じ気持ちを味合わせたないと
 がんばっていたとの事。
 推測が入りますが、当時の従兄の家の間取りが玄関2つ、
 トイレも2つ、台所2つ、お風呂のみ1つだったのは
 たぶん祖父の案だったのではないかとこのスレを読みながら思ったしだいです。
 
 最後にスレチではありますが
 祖父は決して長男教ではなく、孫全てがかわいい人だったそうです。
 私の弟が腕を骨折して入院した際、入院中の祖父(まだ、動けたとき)は
 弟の病院がどこかよくわからないのに病院を飛びだし
 二時間かけて病院をめぐり見舞いに駆けつけて母を驚かせたそうです。

 長くなりましたが、これが伯父家の離婚騒動の顛末です。

 

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最終更新:2020年08月10日 13:56