金陵大学における強姦事件の真犯人

1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。


1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、
暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。


1938.1.25 NYタイムス
中国軍の首都放棄のあと、南京に「国際安全区」が設立されたが、多くの中国軍将兵がそこに避難所を求めている。
日本軍のスポークスマンである永井大佐は、昨日の記者会見において、そのように主張しつつ、南京の日本憲兵隊の報告を発表した。
報告が主張するところによると、中国軍の高級将校が、館員が退去したあとの外国大使館・公使館の建物に隠れていたことは、確かだという。
報告によれば、12月28日までに、23人の中国軍将校、54人の下士官、1498人の兵士が、安全区内のさまざまな建物内から日本軍によって発見された。
その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。
彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民の第四部門のグループを指揮していた。
また、前第八十八師の副師長馬?香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。
馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。
また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。
館員が退去したあとの外国大使館・公使館に隣接する防空壕からは、隠匿兵器が発見された。
ひとつの防空壕の捜索の結果は、次の通りである。

軽砲 1
チェコ製機関銃 21 弾丸60発付
他の機関銃 3
空冷式機関銃 10 弾丸3000発付
小銃 50 小銃弾42000発付
手榴弾 7000
迫撃砲弾 2000
砲弾 500

我々は、防空壕に隣接するという大使館の特定を求めたが、スポークスマンは、自分にはそれを言う権限がないと思う、と言うのみだった。
彼はまた、アメリカ公使館から誰かが発見されたのかどうか、という質問を避けた。
彼が続けるには、公式情報は入手できないものの、逮捕された多くの中国軍兵士が略奪の罪で処刑されたと思う、ということだった。
捕虜たちは戦時捕虜と見なされたのか、あるいはスパイと見なされたのか、という質問に対しては、彼は、それは捕虜たちが逮捕されたときの状況による、と答えた。

 ラーベ日記2月3日の部分にラーベが転載した『大陸報(チャイナプレス)1月25日』の記事。
(但し、日本語版では該当部分は削除されている)
 ---------以下引用----------------
中国軍の将校が隠れていた!
報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた。
12月28日に安全区で摘発、高級将校23名、初級将校54名、下士官、兵1498名。
南京保安隊長は難民区4区の工作を指導、八八師副師長馬宝山中将と警察局高官もいた。
馬将軍は反日感情と動乱を扇動、王新蕘保安隊長は部下3名と掠奪強姦市民に対する脅迫をしていた。
 また、発見された武器は、大砲一基、チェコ製マシンガン21丁、ライフル50丁、手榴弾7000発などである。


反日攪乱部隊が逮捕されてから明らかに南京安全区委員会の提出文書内容が変わっていっています
NO 日付 宛先 表題 作成者
1 1937/12/14 南京日本軍司令官 一般市民の保護について ラーベ ←【ラーベの感謝状】
2 1937/12/15 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 武器を捨てた中国兵について ラーベ
3 1937/12/15 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 南京国際赤十字社結成について フォースター
4 1937/12/15 特務機関長 特務機関長との会見の覚え書 スミス
5 1937/12/16 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 暴行、治安対策、食料要求など ラーベ
6 1937/12/17 南京日本帝国大使館 強盗、強姦、殺人の蔓延 ラーベ
7 1937/12/18 南京日本帝国大使館 暴行、強姦、兵士の取り締まりについて ラーベ
8 1937/12/19 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 スミス
9 1937/12/21 南京日本帝国大使館 放火、暴行、略奪への抗議 南京在住外国人一同
10 1937/12/21 南京日本帝国大使館 南京市の放火事件にかんする判定
11 1937/12/21 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
12 1937/12/22 憲兵司令布告
13 1937/12/26 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
14 1937/12/27 南京日本帝国大使館 食料、石炭要求 ラーベ
15 1937/12/27 南京日本帝国大使館 石炭要求 スミス
16 1938/01/04 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 ラーべ

17 1938/01/07 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 市内の秩序について ラーべ
18 1938/01/13 南京日本総領事代理・福井 小麦と米の無料配布について フィッチ
19 1938/01/14 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 食料石炭の供給について ラーベ
20 1938/01/15 南京日本帝国大使館 食料品の輸送について ラーベ
21 1938/01/17 アメリカ大使館/アリソン 石炭食料の輸送関連 スミス
22 1938/01/17 南京日本帝国大使館 石炭食糧配給についてラーベ
23 1938/01/18 上海キリスト教総会/ボイントン 食糧問題 フィッチ
24 1938/01/19 アメリカ大使館/アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 食糧問題 ラーベ
25 1938/01/26 アメリカ大使館/アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 配給問題 ラーベ
26 1938/01/28 イギリス大使館/ブリュン 寄付依頼 ラーベ
27 1938/02/06 アメリカ大使館/アリソン 義捐金関連 ラーベ
28 1938/01/27 南京日本帝国大使館 食糧事情 ラーベ
29 1938/01/28 南京自治委員会 食糧配給 ラーベ
30 1938/01/30 ドイツ大使館/ローゼン博士 国際委員会の地位について ラーベ
31 1938/12/03 日本大使館/日高 難民収容所閉鎖問題 ラーベ
32 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン 国際委員会の地位について スミス
33 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン リッグズ氏が巻き込まれた事件 スミス
34 1938/02/19 アメリカ大使館/アリソン 委員会名称変更について スミス

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最終更新:2012年03月02日 10:51
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