1937年12月の南京は防守都市か?

①占領を企図する地上兵力が近接していること 日本軍の存在
②敵の占領に対し抵抗しようとする勢力が存在すること 南京防衛軍の存在
A.南京は防守都市であったことは、否定しようがないだろう。

Q.では、南京城内に設けられた安全区はどうか?
①の要件は充たす、
②の要件は充たすか? 便衣兵を始めとする敗残兵が降伏せずに侵入しているので、この要件も充たす
A.南京安全区も防守都市である(なお下記「12月8日上海における日本大使館報道官声明」参照)。

 12月8日上海における日本大使館報道官声明
 南京城内に設置された安全地帯の境界が判然とせず、これを管理する国際委員会に支那軍の安全地帯への侵入を阻止する実力がないことを指摘し、
 「昨今の南京発の外国通信は、いわゆる南京中立地帯の委員なるものの活動状況、ならびに避難民流入の状況を伝えているが、日本当局としては実に異常の困難に鑑み、遺憾ながら、いわゆる安全地帯の設置につき何等の保障を与えることは能わざりしことは周知のごとくである。
  事実、南京の地勢、及び防御状況よりみて、南京はそれ全体としていわば一大要塞を構成するものというべく、かかる地域の中にいわゆる安全地帯なるものの存在することは、むしろ観念上の矛盾といわざるを得ず、
  もとより帝国軍隊としては屡次声明の通り外国人の生命財産については勿論、一般支那人民に対しても、故意に戦争の惨禍を蒙らしめる意思は毫もない次第である。
  南京のいわゆる安全地帯なるものについては、如上の理由に基づき、何等の保障を与うること能わず。之に避難する者は総て自己の危険においてなすものと諒解せられたく、万一戦闘の影響が右地帯に波及するとも、責任を問わるべき地位に無きことを、この際、特に鮮明ならしめておきたい次第である」と声明した。



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最終更新:2012年02月27日 10:39
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