南京大虐殺の背景

南京大虐殺 (本来ならば南京事件問題とする方が政治色がなく妥当)

南京大虐殺は、中ソ共産党(西安事件)やナチスドイツにそそのかされて、蒋介石が上海に攻め入ったことが、そもそもの発端です(第二次上海事変)。

よく日中戦争は盧溝橋事件から始まったといわれていますが、それは疑問です。
戦争とは偶発な事件が発端で行き当たりばったりで引き起こされるのではなく、綿密な計画によって遂行されるものだからです。
事変ではなく日中戦争という言葉をつかうのでしたら、全面戦争に突入した第二次上海事変からとすべきです。

当時、南京と上海の間には、第一次世界大戦の経験から改良されたトーチカ要塞線が網の目のように張り巡らされていました(ゼークトライン)。
これは、国民党の軍事顧問であるナチスドイツ将校らによって、上海停戦協定を中国側が破って作られていました。
中国は、事前に日本と全面戦争をしようと準備していたのは明白です。

中国は、このトーチカ線に日本軍をおびきだし、消耗させる作戦でしたが、当時の日本軍の参謀たちをはじめ、この要塞線を突破するとは誰も予想していなかったみたいです。
この第二次上海事変では、日本軍の5~10万の兵力に対し、中国軍は兵力を30~60万人も投入したといわれています。
外交ではドイツルートで和平工作が開始されていました(トラウトマン工作)。

しかし、すべての人の予想に反し、現地日本軍は、この要塞線を見事突破してしまいます。

前線が崩壊したため、中国軍は総崩れとなり南京に退却していき、それを日本軍が追いかけていきました。
中国兵が上海から南京に退却する途中、逃亡する大勢の中国兵による、一般民に対する略奪暴行等があったのは、間違いがありません。
しかし、このような中国に都合の悪い所業は、戦後すべて日本軍がやったことになりました。

南京大虐殺や日中戦争は、中国の責任によるところが大であるにもかかわらず、現在ではその責任を追及しようとする中国側の学者はいません。
この点に関しては日本側も同様で、喧嘩両成敗という言葉を忘れているみたいです。

日本軍が南京に到着する直前に、蒋介石を初め首脳陣は南京を見捨てて重慶に逃亡します。
さすがにナチスドイツ軍事顧問団も南京を巻き込んでの戦争には反対しますが、蒋介石の命令を受けた南京防衛軍総司令官の唐生智は、日本軍の降伏勧告を突っぱねて、南京防衛戦を敢行します。
南京の四方を焼き払い焦土作戦を敢行し、城内外で漢奸(日本側のスパイ)狩りをして、住民を処刑したりしました。

このようにして、南京は戦場になったのですが、この戦場のド真ん中に、安全地帯を作った人達がいます。
これが、安全区委員会と呼ばれ、リーダーがナチスドイツ党員のラーベです。
安全地帯は、完全なる中立が求められるのですが、守備陣地のド真ん中に作られたので、日本側は、安全地帯とは認めませんでした。
しかも、戦場と中立地帯の境界があいまい、管理もずさんで、南京攻略戦がはじまると、多数の敗残兵が一般市民の服を奪い取って、安全区に逃げ込みました(便衣兵摘出問題の原因)。

この南京の中に安全地帯を設けたのは、明らかに安全区委員会のミスです。
そしてこの時、南京に居た人たちは遠方に逃げることができなかった貧民層でしたが、彼らを肉の盾として逃亡の時間稼ぎとして使った中国軍の責任も大です。

日本軍の南京占領後、安全区委員会のメンバーは責任を問われ全員罷免されますが、戦後彼らは責任をすべて日本軍に負わせるため、ありとあらゆる方法で日本軍を貶めました。

これらは第一次近衛内閣にて行われており、以後日中戦争は泥沼化することになります(近衛上奏文)。

【2chコピペより】
日中紛争は中国側から起こしたもので、全部中国側の責任である。
事変唯一の解決法は、上海の周囲に中国軍を絶対に入れない一大中立地帯を作
ることで、これに関しては日本は度々提議したが、中国はその都度拒絶した。
【ベルギー、ナシオン・ベルジュ紙】(昭和12年11月18日)

中国側では上海付近に於いて中国軍隊の抗戦能力を試験しようと決意し、優秀
な装備を持つ日本軍に対抗、三ヶ月を支うるに成功した。
【ノース・チャイナ・デイリー・ニュース紙論説】(昭和12年12月2日)

蒋介石は元々日本との戦闘を欲していなかったが、四囲の情勢上やむなく抗日
戦を起こしたので適当な口実さえ付けば日本側に寝返ることも想像できる。
【カナダ、モントリオール・デイリー・スター紙論説】(昭和12年11月)

日中の抗争により日本を衰弱させ、これに乗じて資本的、領土的に中国に喰い
入らんとする英米仏ソの真意を悟らず、地理的、歴史的に提携すべき日本と戦
う中国はまさに幻想に掛かったものと言える。
【イタリア、ジョルナーレ・デイタリア紙論説】(昭和12年12月5日)

中国が列国の掠奪の目標となることは今日でも免れられぬ宿命である。
【米国、デイリー・ミラー紙論評】(昭和12年11月21日)

日本は武力を以て正当に上海を占拠した。
【カナダ、バンクーバー・サン紙社説】(昭和12年11月23日)

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最終更新:2012年03月03日 02:03
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