邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

設問編

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jyakiganmatome

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「君があの列車での一件で、自信を持つ事が出来たのは素直に嬉しいよ」

その言葉に、楓火は戸惑いを隠せなかった。
ロッキングチェアに座る父、竜胆 菖蒲は、目の前の楓火へと諭すように言葉をかける。
そのニュアンスが、自分がしようとしている事への否定を含んでいる事は明白だった。

「自警団に入るのも、良いだろう。しかし……」
「何が言いたいんですか?」

楓火は苛立ちを隠せず、語尾に力を込める。

「正義の味方ごっこのつもりなら」
「ごっこのつもりは有りません」

楓火は、楓火なりにあの事件の後、考えた。
何の前触れもなく自分に襲いかかった、怪異と言う名の危機。
自分の暮らす日常が、薄氷一枚の上に成り立っている、いつ壊れても可笑しくない物だという現実。
一歩間違えば自分たちが死んでいただけではなく、列車が駅に突っ込み、多くの犠牲が出ただろう。
それを、自分は救う事が出来た。

「行動する事で、変わる事もある。私は私にできる事をして、人の助けになりたいと思いました」

楓火は至極真面目な事を言っているつもりだ。
しかし、菖蒲の表情は明るくは無い。

「…………オオカミと羊のパズルを知っているかね」
「……は?」

唐突な問いかけに、楓火は首をかしげる。

「川岸にオオカミと羊が、それぞれ3匹ずついる。そして2匹まで乗れる手こぎ式の船が有る。川には獰猛なワニが泳いでいる。」

ただし、と菖蒲は付け加える。

「ひとつの場所…岸でも船でも、オオカミの数が羊を上回った場合、オオカミは羊を食べてしまう。全員が無事に対岸へ渡るには、如何すればいいかというパズルさ」

楓火はその言葉の意図に困惑する。
なぜ今、パズルゲームの話などしなければならないのか。

「……それでも、全員助ける事は出来るんでしょう?」
「時間をかけて考えて、正しい手順を踏めばね」
「だったら」
「だがね、事項を付け加えたらどうだい?『15分以上の時間がたつと、最初の岸にはライオンが現れてみんな食べてしまう』『船は最高でも往復1分の時間がかかる』」
「う……」
「15分の間に正しい答えを見つけ…いや、現実には往復にかかる時間があるのだから、考える時間はもっと短い。考えが思いついても、もはや避難は間に合わないかもしれないし、手順を間違えたら死んでしまう」
「……でも、可能性はある」
「可能性はね」

菖蒲の言葉は、楓火にはどこか吐き捨てるように感じられた。

「でももし……君が『羊』だったら?」
「えっ……」
「上手くいけば全員助けられるかもしれない。でも、君が『羊』だったとしたら…仲間だけを助けるためには、もっと少ない手順ですむ」
「オオカミを見捨てろって事ですか?」
「確実に助かる事が出来る羊。もしかしたらもう時間が足りないかもしれない全員。君が羊を助けたいのなら、前者を取るのが確実だね」

ばん、とテーブルを叩く音。
乗っていた紅茶が、楓火の心と同じように波を立てる。

「……でも、私はみんな助けたい」
「だからさ、吾輩は心配しているんだよ、君の事をね」
「お父さんは間違っています!」

楓火にしては珍しい、荒々しく低い声。
菖蒲はその姿を、どこか遠い目で眺めるだけで。


「誰かを犠牲にして得られた結果なんか、嬉しいわけないですよ」


心からの言葉だった。
楓火は心の底からそう信じているのだろうし、現実でもそうして行動するのだろう。
けれど、菖蒲の口から投げかけられる言葉は、それをぴしゃりと切り捨てる。


「誰かを犠牲にする覚悟も無しに、誰かを救えると思わないことだ」


楓火は、今まで見せた事が無いほど悲痛な表情を浮かべ、部屋を飛び出していく。
最も尊敬する父親。
正義の味方として揺るぎなかった筈の父親に、理想とは違う答えを突きつけられた。
それは、楓火の幼い心中を揺さぶるには、十分すぎる言葉だったのだろう。

「……ああいうころもあったね、吾輩にも」

懐かしむように窓の外を眺めながら、溜息をつく。
盟君が帰ってきたら、余計な事を言ってと怒られるだろうか。

そして、楓火はいつか、自分の期待した答えを出すのだろうか。

ロッキングチェアの揺れる音だけが、部屋の中に響いていた。
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