邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

ミネルヴァの梟 2.

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jyakiganmatome

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ミネルヴァの梟 

1. 第二夜


    ◆◇◆


 まず、私は右眼を覆っていた眼帯を外した。眼帯は現実世界で身に着けていたものだから、私の右眼をかくしたままだった。一瞬で、暗闇の中に視界が現れた。

 この右眼は、理不尽が形を持ったかのような悪夢の世界の中での、私の唯一の救いだった。
 私の右眼は、普通の眼じゃない。
 まるで梟のそれのように金色で、黒い瞳孔が底なしの穴みたいに見える。そして実際に、夜行性の動物のように、私の右眼は暗い闇の中でもまるで問題ないだけの視界を得られる。どうしてだとか、原因はよく解らない。聞いた話だと、ママも私が生まれる前に、これとそっくりな右眼を持ってたらしい。だからきっと遺伝なのだと思うけど、今のママの目はどっちも普通の色だから、正確には、遺伝とは少し違うのかもしれない。

 外した眼帯を車内のシートに放り投げて、私はホームに降りた。眼帯はもう必要ないから捨てていくけど、目が覚めればちゃんと私の頭についたままだ。現実から悪夢に持ち込んだモノは、悪夢の中で壊れたり無くなったりしても、目が覚めればちゃんと元通り、同じ場所に戻っている。それはナイフも、服も、そして私の身体もだ。
 私は悪夢の世界でどんなにひどい怪我をしても、目が覚めれば元通りになっている。骨が折れたり、内蔵が出たりしても、目が覚めれば全てが夢だったとわかる。問題は、痛みはちゃんとあるということだけ。だから、できれば怪我はしたくない。多分だけど、私は他のクラスメイトたちよりも、痛いのには強くなってると思う。
 いやそれとも、夢だとわかっているからこそ、耐えられているだけなのかな。

 開け放たれたドアの向こうの、ホームに満ちた、重苦しい闇を睨みつける。右眼の視界だけが、ホームの中には何も無く、このまま歩いて外を目指せる事を告げた。
 暗いのは怖くないけど、嫌い。右眼と左眼の視界が違うから、頭がくらくらする。それがこの悪夢の中ともなると尚更で、私の右眼は壁に張り付いた血や膿や、肉のようなひだを全部見てしまう。いっそ暗い方が見たくないものを見ないで済むかと思ったこともあったけど、うっかり手を突いて得体の知れない肉片に触ってしまうのは、もっとごめんだった。考えただけで鳥肌が立つ。
 一歩、ホームに踏み出した。ぺちゃ、という音が私の夏用サンダルの下で鳴った。どうやらこのホームには血のような液体が溜まっているらしい。サンダルや足が汚れたけれど、これだけは仕方ない。目が覚めれば綺麗になっているし、進むためには歩かなきゃいけないし、進まなきゃ目を覚ませない。
「もう、嫌になっちゃう」
 わざとらしく口に出してみる。誰も居ないからかわからないけど、悪夢の中では独り言が多くなるみたい。

 数歩、ホームの真ん中へ歩き出すと、背後でドアが閉まった。私をここまで運んできた客車だけの地下鉄は、何事も無かったかのように発車して、あっという間に車内から漏れていた光が消えうせる。
 闇だ。
 どこまでも、闇。
 左眼の視界が完全に消えて、私の見る景色は右眼だけのものになった。血と錆で赤くなり、膿で黄ばんだ世界だけが見える。
 出口は近い。少し右に歩けば、改札口へ登るための階段がある。私は階段へと歩き出した。

 当然、エスカレーターは止まっていた。私はそちらを無視して、階段を登った。足の下で、冷たい足音が鳴った。
 相変わらず闇だけれど、登るにつれて、少しずつ左眼も見えてきた。ホームの外は、どこかに光源があるのかもしれない。まともな光源だといいけど。
 ナイフを握り締めたまま、ゆっくり上を目指す。長い階段で、後半になると、すこし息が上がってきた。私だって10歳の女の子なのに、まったく。あんまり意味の無い文句を言いながら階段を登りきると、改札口が見えた。そして、その横の駅員室。駅員室からはちいさな灯りが漏れている。


 近付いて調べてみると、机の上に、従業員用のものなのだろうか、懐中電灯が置かれてあって、ひとり寂しく光っている。さっきから薄明るい原因は、これだったのか。
 手にとって見ると、意外と重い。深緑色の、Lの字型をした筒みたいな形。珍しい形をしているけど、確か一度見たことがあった気がする。自衛隊とか、軍隊の人たちが使っていた。ということは、これはいわゆる軍用L字ライトなのだろうか。どうやら従業員の人の持ち物じゃなさそうだった。どうして軍用のライトが置いてあるのか分からなかったけど、この悪夢の中で「どうして」なんていう疑問は全く意味が無いことなんて、私はとっくに知っている。
 使えそうだ。
 私はそう考えて、ライトを左手に握って歩き始めた。右手にはナイフ。L字ライトというものは初めて握ったけど、こうして使うには、持ちやすくて便利だ。無駄に折れ曲がっているわけじゃないみたい。
 とにかく、これで少しでも、光源の足しができた。私の右眼は少ない光を集められるというだけだから、本当に暗くなってしまうと、やっぱり視界は少なくなってしまう。いつもはそれでも進むけど、今回はその心配はしなくて済みそうだった。
 当然目が覚めればこのライトも消えてしまうけど、それまでの短い付き合い。
 私はライトとナイフを握り締めて、改札をくぐった。


     ◆◇◆


 昔、夢占いというものが流行っていた気がする。
 もしも私のこの夢を占ったら、いったいどんな結果が出るんだろう。どうせ、ろくでもない結果に決まってる。この夢と同じで。

 改札を抜けて更に階段を登ると、そこはどうやら、デパートのようだった。
 デパートというよりは、ショッピングセンターに近いのかもしれない。私のうちの近くにもある大型のジャスコとか、ああいう感じ。縦長な吹き抜けの、広い空間。どうやら専門店街らしいそこに、何店もの店が肩を並べている。といっても、商品も店員も無い、からっぽの空間だけど。
 私はそんなデパートの一階の、端っこのトイレから出てきた。どうして地下鉄の駅がデパートのトイレに繋がっていたのか。相変わらずのことだけど、不条理だった。
 左手のライトで、暗い専門店街を照らす。がらんどうなお店たち以外、何もない。あるのは赤黒い染みと、砕けたガラス、破られたシャッターと扉。まるで、暴動が起きて全員逃げ出した後みたい。
 私は歩き出した。
 とにかく、このどこかに、居る。
 私が殺さないといけない怪物が。
「早く起きたい……」

 その時、不意に咆哮が聞こえた。
 おおおおお、という、低い、泣き声のような声。
 私は咄嗟にそちらにライトを向ける。
 しかし、光の輪の中には何も無い。ただ、延々と連なる店の列があるだけだ。
「……」
 どうやら今の鳴き声は、ずいぶん遠い場所から聞こえてきたらしい。私は注意深くライトで周囲を照らしながら、通路の真ん中から端に移動した。
 今のは、間違いなく怪物の鳴き声だ。それ以外にはありえない。この悪夢には、私と怪物意外何も存在しないのだから。
「あっちか……」
 音の聞こえた方へは長く長く建物が延びていて、ライトの光でも、私の右眼でも、様子を窺い知ることは出来ない。私の居る場所はどうやら細長い建物の、その一端らしい。声が聞こえてきたのは、反対側のようだ。たどり着くには、この長いショッピングセンターを縦断しないといけない。
 私は近くの柱に張り付いていた地図を見つけて、眼を通した。私が居る場所は、東西に伸びたショッピングセンターの東端。ちょうど食品売り場と専門店街の間。そしてもう片方、西の端にあるのは、電気店や書店や、大型の専門店たち。このショッピングセンターは3階建てで、西の端は、円形の大きな吹き抜けになっているようだ。
 ここが怪しい。
 恐らく、この吹き抜け部分に陣取っているのだろう。今回は、ずいぶん大きな奴なのかもしれない。
 私はナイフを握り締めて、荒廃したショッピングセンターを歩き出した。
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