けいおん!澪×律スレ @ ウィキ

ROCK!!5

最終更新:

mioritsu

- view
だれでも歓迎! 編集
「澪、お茶あるか?」
「あー、うん。聡は何を飲むんだ?」
「あいつ大会近いから、まだ帰ってこないぞ」
 そっか、と澪が笑った。これじゃまるでお母さんだ。
 高校を卒業してから、澪は私の家に住んでいる。
 昔から私の家によく泊まる奴だったけど、卒業してからはそのお泊まり会が毎日続くようなものだった。
 澪の両親は特に何とも思っていないらしく、澪が家に帰るのは日曜日の夕方だけだ。
 もう同棲ということでいいんじゃないの、と家族はからかうけど、正直まんざらでもない。
 澪と一緒に晩御飯を作ったり、お風呂に入ったりするのはとても幸せだ。
 まるで本当の家族のように一緒に生活するできるなんて、私にはちょっともったいないと思ってる。
 もちろん生活することだけじゃなく、一緒にいることや勉強することだって私にはもったいないと常々思うけど。
 澪はいいお嫁さんになる。
 だけど私が許さないってことにしておこう。
「ああ、総体があるのか」
 澪は冷蔵庫からお茶を出して、テーブルまで運んだ。私は澪と作った二人分の夕食を皿に盛り付けている。
 私一人でつくってもよかったのだけど、澪も手伝うと言って二人で色々とつくることも増えた。
 澪は料理はすごく得意というわけではないけど、私を見習ってせっせと動く姿はとても微笑ましい。
 だけどそれを表情には出せなかった。
「だから今日は帰りも遅いと思う」
「そっか、大変だなあいつも」
 澪は二つ置いてあるコップそれぞれにお茶を注いで、箸を並べた。
 私はお茶がコップに注がれる瑞々しい音を聞きながら、皿を両手に持ってテーブルまで運ぶ。
 「手伝うよ」と澪も小皿だったりをテーブルに並べてくれた。
 エプロンを解いて適当な場所に投げる。澪と向かい合って座る。
「……いただきます」
「いただきます」


「さっきはいきなり泣きついたりして、ごめんな澪」
 食事も終わりにさしかかった時、私は切り出した。
「なんだよ改まって」
 澪は笑顔でそう言ってくれる。
「……私、梓が怖かったんだ。やっぱり嫌われてるんじゃないかって。そ、そりゃあんなに一緒にいた仲間を疑うのは、悪いことだって……思うんだけど」
 でも一緒にいた仲間だから、怖い。
 澪はそんな私をなんて言うんだろう。
 また優しい言葉で慰めてくれるんだろうな。
「……私が律でも同じことを思うよ。仲間だからこそ、思っちゃうってこと、あると思う」
 澪はなんでこんなに優しいんだろう。
 どうして、こんなにも胸にしみる言葉をかけてくれるんだろう。
 救われる、なんて大層なもんじゃないかもしれないけど。
 でも確かに澪の言葉は、私に癒しをくれている。
「それよりも嬉しいよ。そうやって悩んだり苦しんだりしてる事を、私に話してくれることが」
「澪……」
 ちょっとだけ和らぐ胸の痛み。
 自分でたくさん痛みを作ってたくせに、こういう時だけ澪に甘えたがる。
 私は私を責め続ける。
 それって、ただ澪に慰めてもらいたいだけなんじゃないのか?
 もう一人の自分の問いかけを振り払うために、声を出す。
「梓……何か言ってたか?」
 私は梓が怖かった。だけどそれは私の被害妄想であってほしい。
 澪は少し戸惑った顔で、答える。
「……お茶に誘われたよ。私と二人で行かないかって」
 澪がどうしてそんな顔をするのかはすぐにわかった。
 二人って、そういう意味なんだろうか。
 わかりたくもない理由があるような気がして、私は何も言わなかった。
 澪は取り繕うように、続ける。
「律が調子が悪いんなら、せめて私だけでもって意味だったんだろうけど……」
 調子が悪い、というのは、澪が説明してくれたんだろうか。
 だけど梓は私を連れて行こうとは言わなかったってこと。
 もしかして本当に気遣ってくれたのかもしれないけれど、でも。
 不安になる。
 梓は私を除け者にしようとしたんじゃないかって。
 やっぱり私、嫌われたのかなって。
「……梓は、『律先輩は大人だから、澪先輩がいなくても大丈夫』だなんて言ってた」
 そうだったかもしれない。
 梓にとっては私、頼れる先輩であったかもしれないけど。
 でも今は、澪がいなきゃ。
 梓にとっての先輩である『律先輩』は、もういない。
 卒業以来一度も会ってないから、梓はまだあの時の私を覚えていてくれているんだろう。
「――おい、律」
 目線を上げると、澪が鋭い眼差しでこちらを見ていた。
「……梓は、お前の事、大人だなんて言ってるけど……だからって無理はするな。私がいなくても大丈夫なんて言ってたけど、そんな律になってほしくない」
 澪は強い口調なのに、ちょっとだけ顔は赤かった。
 私は驚いて喉が震えるけど、その振動はただ驚いただけのものじゃなかったと思う。
「……もっと私を頼っていいんだぞ、律」
 私の名前が澪の口から零れるだけで、嬉しい。
 頼っていい。
 頼ることは、澪にとっていい事なんだろうか。
 そうしてもいいって言ってくれる。
 嬉しい。
 だけどそうすることは、私にとって喜ばしい事じゃない。
 澪に迷惑はかけたくない。
 迷惑をかけてもいい――頼ってもいい、分かち合ってもいい。
 澪はそう言う。
 だけど私はそうしたくないんだ。
 認められてるのに、私が認めようとしないの、間違ってるのかな。
「うん……ごめん、澪」
「だから謝るなよ」
 このやりとり、何回やるんだろう。
 まだ当分は、澪に謝る日々が続きそうだった。









 田井中律ちゃん、通称りっちゃん。
 元気いっぱいで大雑把な女の子。だけどいざという時は頼りになる部長でした。
 だけど大学受験に一人だけ不合格して、そんな性格はまるでなかったかのように別人みたいになってしまいました。
 澪ちゃんの励ましもあってか、澪ちゃんと一緒に予備校に通うことにして、来年あずにゃんと一緒に私とムギちゃんの通う大学を受けるみたい。
 りっちゃんは、私たち軽音部がりっちゃんの事を嫌いになったんじゃないかと悩んでいる。
 四人で同じ大学に行こうって決めた目標に本気じゃなかったんじゃないか? と言われるのが怖くてたまらない。
 そして一人で色々と責任を取ろうと自分を責めている。
 そして、仲間が自分を嫌うわけないのに、嫌ってるかもと思ってしまう自分を酷く嫌悪している。
 そしてりっちゃんを追って澪ちゃんが大学を辞めたこと。
 りっちゃんは、自分の所為で澪ちゃんに迷惑をかけたと思って、さらに自分を責めているようだった。
 昔からそういうところは真面目な子だと澪ちゃんは言っていたけど、こんなにも自分で抱え込む子だなんて最近知った。
 私は、りっちゃんの事を誤解していたかもしれなかった。



 秋山澪ちゃん、通称澪ちゃん。
 恥ずかしがり屋でクールで、繊細だけどかっこいい女の子。りっちゃんの幼馴染。
 一人だけ大学に不合格になってしまったりっちゃんを追いかけて、澪ちゃんも大学を辞めました。
 その時の澪ちゃんはとっても綺麗で迷いのない目をしていて、本当にりっちゃんと一緒にいたいんだなあってわかった。
 それから一人でりっちゃんを励まし、今は二人で予備校に通っている。
 澪ちゃんは、自分が大学を辞めた事に、りっちゃんが余計な責任を感じているんじゃないかと悩んでいる。
 りっちゃんと一緒にいたい、という気持ちはあるけれど、自分が一緒にいることでりっちゃんをさらに苦しませているんじゃないかって不安になっている。
 そして、りっちゃんが昔のように笑顔で笑ってくれなかったり、自分を構ってくれない事に寂しさを覚えている。



 琴吹紬ちゃん、通称ムギちゃん。
 おっとりぽわぽわしてて、いつも優しい女の子。お茶を入れるのが上手です。
 りっちゃんの後を追って澪ちゃんと同じように大学をやめようとするけれど、澪ちゃんに止められてそのまま入学することになった。
 実はりっちゃんのことが好きで、一緒に遊んだり恋人同士になりたいと考えているけれど、澪ちゃんという存在に阻まれている。
 そして澪ちゃんに決して敵わない事を受け入れつつも悩んでいる。
 私と一緒に大学に通っているけれど、いつもふと目線が遠くなる。
 そんな時、いつもりっちゃんの事を考えているんだろうなって思う。
 そして澪ちゃんと今、一緒に勉強したり歩いているということに嫉妬を覚えずには居られない。
 りっちゃんに会いたいと思っている。



 中野梓ちゃん、通称あずにゃん。
 私たち四人の一つ下の後輩で、少し真面目だけどとっても可愛い女の子。ギターが上手。
 私たちとの時間をとても大事にしてくれて、あずにゃんも私たちと同じ大学を必ず受けると約束してくれた。
 りっちゃんに対しては、先輩としては尊敬しているようだし、来年同じ学年として受験することはなんとも思っていないみたい。
 だけど実は澪ちゃんのことが好きで、いつも澪ちゃんと何かコミュニケーションを取ろうとしていた。
 あずにゃんが入部した時は、澪ちゃんも比較的真面目だったから、きっとそういうところに惹かれたんだと思う。
 あの二人は外見も似てて、姉妹みたいだねってからかわれていたから、そういう部分も理由に当たるかもしれない。
 だから澪ちゃんの心を一人占めしているりっちゃんが、なんとなく疎ましい。大好きな先輩ではあるけれど、恋敵としてあまり好きではなく、嫉妬に悩んでいる。



 そして私、平沢唯。
 大学に一人不合格だったりっちゃんと、
 りっちゃんを追って大学を辞めた澪ちゃん、
 そして一人部長として軽音部を引っ張っているあずにゃんとは別れ、女子大の近くの下宿に一人暮らしをしています。
 大学生活はそれなりに楽しいけれど、やっぱりりっちゃんや澪ちゃん、あずにゃんが気になって時には心配になったりもする。
 ムギちゃんと行動を共にするけれど、純粋に大学生活を楽しめている、とは自信を持って言えない感じだった。
 だからってそれを他の誰かの所為にしようとは思わないけど、四人で大学に入れたら、もっと楽しかったかなあと思っちゃう。
 今が楽しくないわけじゃないよ。
 ムギちゃんと一緒にいることや、新しい友達といたり、新しい生活で新しい何かを発見できたりするのはとても楽しい。
 だけどもし四人だったら。
 私一人でギー太をつつくだけに留まらないで、音楽のサークルか何かに皆で入って、
 皆でわいわいしながら演奏したりお話できたんだろうなあと思うと、やっぱり今の生活は少しだけ物足りない。
 やっぱりあの放課後が、楽し過ぎたんだと思う。
 ……こんなこと思うから、りっちゃんは悲しいんだ。

 一年先までその楽しみはお預けなだけなんだって思えば、早いものだけど。
 一年もこうやって、一人でギー太を弾くだけなのかなあ。
 ムギちゃんと二人っきりで、ずっとセッションしてるだけになっちゃうのかな。



 来月向こうに帰ったら、五人で演奏したいな。
 りっちゃんは多分私たちに会いたいとは思ってないと思うけど……でも私もムギちゃんも、りっちゃんに会いたいと思ってる。
 あずにゃんは、ちょっと複雑だけど。でもあずにゃんはバンドメンバーとしてはりっちゃんのことが好きなんだ。
 来月、どうにか会えないかなあ。







 私と唯ちゃんが、実家に帰れるのは八月――つまりお盆の前の週辺りだ。
 大学も夏休み入っているし、サークルにも入っていないから比較的時間に余裕はある。
 大学に入って新しくできた友達は、バイトだったりとか運動部の大会なんかでなかなか家に帰る余裕はないそうだけど、
 そうではない私たちは、やっぱり何処か『軽音部』の延長のまま過ごしているのかもしれない。
 今日は、唯ちゃんの小さな下宿で一緒に楽器を弾くことにした。
 四畳半という少し狭い部屋だけど、唯ちゃんはそれで十分らしい。
 家具はきちんとそろっていて、昔訪れた唯ちゃんの自宅の部屋とどこかしら似た雰囲気を兼ね備えた部屋だった。
 質素ながら味のあるテーブルが一つ中央にあって、クローゼットの周りには『がびょう』『貝柱』という謎の印字Tシャツが幾つも投げ捨ててある。
 唯ちゃんの趣味も相変わらずだと思った。
 時刻は夕方。窓からは少しオレンジ色の光が差し込んでいる。
 唯ちゃんは正方形でとても小さなミニアンプをギターと繋げたりしている。
 ケーブルとヘッドフォンが絡まったりして、解こうと一生懸命な姿は微笑ましい。
 私はというとキーボードを机に置いて、電源を入れたりコンセントに繋げるだけでよかった。
 ちなみに放課後ティータイムで使っていたあのキーボードは、実家に置いたままだ。
 大切に取っておきたいし、皆との思い出が詰まっているから、五人の時だけ使おうと決めていた。
 だから来年まで使わないだろうとこっちに持ってこなかったのだ。今使っているのは少し小さめの別の物。
 唯ちゃんはというと、ギー太と呼ばれるギターしか持っていないので、それをそのまま持ってきたみたいだった。
 アンプは部活で使っていた大きな物ではない。
 それゆえに音もあまりいいとは言い切れないけれど、彼女は『五人じゃないから、音が悪くてもいいや』と言っていた。
 五人で演奏することにこだわっているのは私と同じようだ。
「準備、できた?」
 唯ちゃんがストラップを肩にかけるのを見て、私は声をかけた。
「あ、うん。ちょっと音量の調節はまだだけど、大丈夫だよね」
 そうやって笑う。唯ちゃんの笑顔は、どことなく人を元気にしてくれる。
 それはりっちゃんも同じだった。
 ……今は、唯ちゃんとの演奏に集中しよう。りっちゃんの事を考えてたら、やることもやれない。
 やりたいと思ってたこともやりたくなくなる。
「じゃあAにしようよ」
「Aでいいの?」
「うん」
 A、というのは、私と唯ちゃんがこっちに来て作った幾つかの曲のうちの一つだ。
 五人で演奏する機会はないけど、私は新規に曲を作り続けていて、暇な時にメロディを紡いだりしている。
 そうやってできた曲は四曲ほどあって、完成した順にABCDと呼んでいた。
 澪ちゃんがいないから歌詞もないので、今の時点では全てただのインスト曲。
 ドラムパターンやベースラインも考えてあって、五人でまたアレンジしたりするのを楽しみにしている。
「じゃあ行くよ」
 唯ちゃんが言って、首をリズムよく振った。
 一、二、三。
 私はリズムよく鍵盤を叩いた。唯ちゃんの、ジャーンという擬音がよく似合う音が適度な音量と強度で奏でられていく。
 それから、頭の中に流れていく楽譜を追った。ドラムもベースもない薄っぺらな音色は、四畳半によく響いた。
 ――。
 楽しいけど。
 楽しくない。
 いつも私の横の位置で、楽しそうにドラムを叩くりっちゃんがいないのに違和感がある。
 梓ちゃんのサイドギターも、澪ちゃんのベースもないのも……。
 頭の中に思い浮かべた五人での演奏は、それで完全なもの。
 そうでなくちゃいけなくて、それ以外であるとしっくりこない。
 五人でなきゃ、やっぱり駄目なんだなって思う。


 演奏は終わって唯ちゃんがジュースをコップに注いでくれた。
 私は正座で座っていて、もうキーボードはケースにしまっていた。
 少しして、唯ちゃんは訝しげな顔で尋ねてきた。
「ムギちゃん……あんまり楽しくなさそうだね」
 そう思わないようにしていたのに、唯ちゃんはあっさり見抜いてしまった。
 唯ちゃん、気を悪くしたかな。
「ううん、違うの……」
「嘘は言わなくていいよ。私も……そんなに楽しくないもん」
 それは『私と一緒に演奏することが楽しくない』と言っているわけじゃない。
 わかっていた。唯ちゃんも同じだった。
「五人でやりたいよね」
 唯ちゃんは寂しそうに、すっかり日も落ちた窓の外へ目を向けた。
 今、りっちゃんと澪ちゃんは何をしているんだろう。
 あんまり連絡を取らないから、わからない。
 もしかしたら予備校で二人で勉強をしているかもしれない。
 晩御飯を一緒に作って、一緒に食べているかもしれない。一緒にのんびり座ってお話をしているかもしれない。
 りっちゃんと澪ちゃんが一緒に。
 一緒に。
 二人にとって一番それがいいのに、私はそれを邪魔したいと思ってしまう。
 りっちゃんが欲しい。
 だけど澪ちゃんから奪えないんだ。わかってるんだ。
 どうしようもないってことわかってるのに。
 りっちゃんと澪ちゃんは、何年も一緒にいるんだ。
 まだ出会って三年の私を、りっちゃんが好きになってくれるわけがない。
 りっちゃんと澪ちゃんが一緒にいるのは、一緒にいる然るべき理由が何十何百もあるから。
 理由なんてなくても、お互いの心がそうしているから。
 だから私は、澪ちゃんには勝てない。
 私は、膝の上の拳を握りしめた。
「ムギちゃんは……まだりっちゃんの事、好きなんでしょ?」
 はっとして唯ちゃんを見ると、私の方を見ずにギターの手入れをしていた。
 ばれていたんだ。
 唯ちゃんって、やっぱり凄い子だ。
「うん……そうよ」
「会いたい?」
「……うん」
「じゃあ会おうよ。それで、気持ちを伝えたらいいんじゃないかな」
 唯ちゃんの声は、いつもみたいに明るく元気なトーンではなく、冷静で、まるで言い聞かせるような優しさを含んでいた。
 そうしたら? と言われて、できるものならやっているのに。
 りっちゃんが好き。それを伝えて、りっちゃんはどう思うだろう。
 もしそれで迷惑がかかったら。りっちゃんが嫌な思いになったらと思うと怖くて。
 もしかしたら五人で集まることができなくなるぐらい、気まずくなっちゃうかもしれないのに。
 気持ちを伝えたら、苦しいの終わるのかな。
「……りっちゃん、会ってくれるかな」
「りっちゃんは、怖いんだよ。皆に嫌われたんじゃないかって思ってる」
 それをわかってる。
 そんなこと絶対にないのに。
 信じてくれてないのかな。
「『仲間が自分を嫌うわけないのに、嫌ってるかもと思ってしまう自分』も嫌いだとも思ってるはずだよ」
 まるでりっちゃんの心を読んでいるように、りっちゃんの心情を読み上げる唯ちゃん。
 唯ちゃんの言っていることが本当なら、りっちゃんは相当辛いだろう。
「だから、私たちは嫌ってないって言ってあげなきゃね」
 そう言って、微笑んだ。
 私は、頬を緩めて頷いた。







 お風呂からあがって、ボタンのパジャマで夜を過ごす。私はふと、本棚を見た。
 律のドラムスティックが、本棚の隅っこで埃を被っていたのだ。
 肝心の律はベッドの上で赤本を読んでいた。
 唯たちのいる大学の物だろうけど、この時期から赤本に取り掛かるのは早すぎる。
 それとも早いうちに対策を立てるつもりなんだろうか。
 私もあの女子大の赤本は持ってるが、今はそれ以外の事に力を注いでいる。
 気になるのは、律が勉強ばっかりってことじゃない。
 あの律が、家でドラムの練習をしていないこと。
 卒業して三カ月、ほぼ二十四時間毎日一緒にいるけれど、律がドラムの事話したことはほとんどない。
 もちろん律の中では、ドラムというのは重要な位置を占めるものだろう。
 五人で過ごした軽音部の核で、私と一緒にバンドを組もうって言った時、律がやるドラムだったんだから。
 だから、律の中でドラムはまだ輝いているはずなのに。
 それを触ろうともしないなんて。
「律ー、ドラムの練習しないのか?」
 あまり深刻にならずに、問うと、律は何の気なしに返した。
「してる暇、あるのか?」
 ――そうだけど。
 確かにそうだけど。
 私たちは浪人なんだ。律は受験に失敗して、私はその後を追って辞めたから、一般的に見れば負けたみたいなものだ。
 本当は勉強をたくさんして、目指すべき大学に入ろうと努力しなきゃならないんだ。
 そういうものなんだろうけど……。
「……澪だって、ベース弾いてないんじゃないのか?」
 図星だった。
 私は言葉をなくす。
 でも律は、こっちを向いて目を細めた。
「――だけど澪、勘違いすんなよ」
「……え?」
「私さ……今も、いつでも、ドラムや澪のベース、大好きだから」
 さっきの優しい瞳は、私の気持ちを汲み取ってくれたんだろうか。
 もしかしたら律が、ドラムを嫌いになっちゃったかもって。
 そう思ってた私が、ちょっと恥ずかしい。
 そこだけは変わらないんだなあって。
 嬉しい。
「……でも、しばらく叩けない」
 律は切なそうに白い歯を見せた。
 さっき心は温かくなったけれど、またちょっとだけ胸は痛んだ。
「――自信がない。こんなにたくさんの人に迷惑をかけて、澪を困らせて、梓や唯、ムギと会いたくないと思っている内は、叩きたくないんだよ」
 律は赤本をテーブルに投げ捨てた。そして、仰向けで寝転ぶ。
 この位置からでも表情はよく見えた。
「澪もわかってるんだろ?」
「……何を」
 律の言いたいことはいつだって、なんとなくわかるんだ。
 でも、それでも信じたくないんだ。
「私、変わっちまったよな」
「そ、そんなこと――」
 反論しようとしたけど、言葉が出ない。
 そんなことないよって、言いたいけど。
 律は仰向けのままこちらに首を回して、笑った。
 いつも律の笑顔は寂しそうだ。
 それが私の心を揺らしているっていうのに。
「昔みたいに元気ないし、笑いもしない。馬鹿な事もしないし、澪をからかいもしないしさ」
 律は、自分を客観視できる。
 昔からそうで、いつだって大人だった。
 だから安心して殴ったり、一緒にいたり、ときには頼れたりできた。
 根本的なところは何にも変わっていないって、断言できるのに。
 変わっちゃったことがこんなにも悲しいなんて。
「あ、でも……澪にとっちゃ、からかわれなくなったのはいいことか」
 律がそう言った時、頭に浮かんだ記憶。



『すごい! 百点だ!』
『左利きなんだあー!』
『綺麗な髪だねー!』

『わあ、手の豆潰れちゃった!』
『澪ほどメイド服姿が似合う奴、なかなかいないぞー!』




 ……。



 いっつも殴り返してたけど、確かに嫌がってたかもしれないけど。
 嬉しかった。楽しかった。好きだった。
 そういうの全部、私と律にしかできないことなんだって。
 だからそういうのも大切な時間で。
 愛おしい。
 またからかってほしい。いじってほしい。私に構ってほしい。
「嫌なんかじゃ……なかった」
 無意識に漏らしていた。記憶から戻った時、律はこっちを不思議そうな目で見ていた。
 私はゆっくり近づいて、律の倒れているベッドの端に座った。少し顔を左に向けると、律の顔がさっきよりもよく見える。
 律は倒れたまま私を不安そうに見ていて、もしかして私、泣いちゃっていたかもしれなかった。
 独白のように、私は言う。
「……律が私をからかってくれるの、ちょっと嬉しかったりしたんだ」
 恥ずかしくて殴ったりもしたけど。
「でも、澪……いつも殴ってくるだろ? あれ、嫌だからかなって思ってて」
「――律は気付いてないかもしれないけど」
 気付いてるかも知れないけど。
 そんなに気にしない事かも知れないけど。
「私、律しか殴らないんだよ」
「……知ってるよ」
「なら、わかるだろ……私、律にしかできないんだ」
 律にしかできない事。
 それが私の、律に対する想い。
「律が、好きだから。大切だから。照れ隠し」
「……馬鹿だなあ澪」
「ば、馬鹿ってなんだよ」
「……でもさ、もし澪が嫌がって私を殴ってたとしても、私はいじるのをやめなかったなあ」
「……なんで?」
「澪が可愛いから」
「って、な、お前――」



 瞬間、律が私にキスをした。


 律は私の言葉を遮って、体を起こした勢いのまま唇を重ねたのだ。



「んっ……」



 律の舌が入ってくる。
 絡みつく少し湿った感触。



「っ……」



 力が抜けて、抵抗も何もできやしない。する気もなかった。
 目を閉じた分、暗闇で律の為すがままになっているような感覚。
 私の五感は全て口元に集められているように、言いようのない感情がせめぎ合う。



 体が熱くなって、顔も熱くなって。
 風邪を引いたときのような、火照った高揚感。




 口を結んだまま、律はゆっくりと私をベッドに押し倒した。
 パサリという音が聞こえて、私の長い髪の毛がシーツと擦れた音だと悟った瞬間、律は唇を離した。



「っ、ぷは……」



 私は情けない声を出してしまう。目を開けると、律は私を意地悪そうで――それでいて切なそうな目で見ていた。
 微かに私たちの口と口の間に、透明な糸が張っている。
 律は細い指でそれを絡み取ると、舐めた。



「澪は可愛すぎるんだよ……」
「り、律……ちょっとまっ」



 律は私のパジャマのボタンに手を掛けた。
 プチ、プチ。
 小さな音は、大きく反響する。
 律の手が、微かに私の胸に触れた。



「っ……あっ……」
「ごめん……嫌なら、嫌って言ってな」



 律はいっつも優しい。
 優しくて優しくて。
 そんな律が大好きで。


「い、嫌じゃない」


 私が強い口調で言ったためか、律は少し驚いていた。
 律と『やった』ことは、何度もある。でも、『今の律』になってからは初めてだった。
 体を重ねることは、初めてじゃないのに。
 どうして嫌かどうかの確認なんてするんだ。

 私の気持ち、知ってるくせに。


「……律じゃなきゃ嫌だ。私、律がいい」
「――私も澪がいい」



 左手と右手を重ねて、指を絡ませる。離さないというようにお互いが強く握った。
 律は、目の端に光るものを見せながら、笑った。



「澪じゃなきゃ嫌だ……澪とずっと、一緒に……ずっと……」



 さっきの笑みが崩れて、泣き出してしまった。
 私が気持ちを伝えると、律はいつも感傷的になる。
 それでも涙を零して、掠れた声で私に想いを伝えてくれる。


「澪……」
「うん……いいよ、律」



 もう一度、深いキスをした。


TOP

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー