(1) サッチャー保守党政権(1975.5~1990.11)
1970年代の末にはいわゆる英国病に悩まされたものの、80年代半ばの英国はサッチャー政権下で経済の好況と国際的地位の向上を享受し、‘強い英国’を実現するに至った。マーガレット・サッチャーは1979年5月以来、保守党党首としてイギリス史上、前例のない連続三選を果たし、イギリスの地方制度、教育面などの改革と民営化政策といったラディカルな改革を推進した。自由競争的市場経済政策、小さな政府達成などに代表されるサッチャー首相時代の一連の政策、サッチャリズムは、単に支出を制限し効率的な行政を実現することに主眼が置かれただけではなく、中央政府への権力集中、さらに中央権力による直接的行政サービスを目指したものと考えられている。
(2) メージャー保守党政権(1990.11~1997.5)
サッチャーの後継者としてジョン・メージャーが1997年まで二期に亘り保守党政権を続行した。メージャー政権はサッチャー時代の欧州政策とコミュニティ・チャージの手直しを行ったものの、経済政策や行政改革などの政治の大枠はサッチャリズムを継承した。その中において、1992年に当時のラモント財務相により提唱されたプライベート・ファイナンス・イニシアチブ(PFI)は、公共部門の中に民間部門の資金、経営・創造能力を直接取り込もうとする手法として、注目を集めた。
(3) ブレア労働党政権(1997.5~2007.6)
1997年5月の総選挙においてトニー・ブレア率いる労働党は18年ぶりに政権についた。サッチャー時代に低迷した労働党はサッチャリズムに対抗する道を真剣に模索し、党内左派を抑え、‘第三の道’を選択することとなった。‘第三の道’とは「社会経済の国家管理、平等主義、完璧な福祉国家を目指すのでもなく、サッチャーの導入した小さな政府、市場主義原理を推し進めるのでもなく、その双方の枠を超えて決然たる(decisively)道を進もうとする」ことだとされる(1998年フェビアン協会パンフレット“第3の道”より)。結果的に、ブレア政権は、保守党政権の行財政改革の流れを基本的には継続しつつ、新しい労働党をアピールするため、公共サービスの効率化・効果的な供給を図る「政府の近代化」を大きな政策の柱とし様々な改革に取り組んだ。政権は、安定した経済運営を背景に国民の高い支持を得、2001年の総選挙では大勝したが、政権2期目にはイラク戦争への関与のあり方に対する国民からの強い批判を浴びた。その結果、2005年の総選挙では過半数は維持したものの議席を減らし、政権3期目は厳しい政権運営を強いられた。
(4) ブラウン労働党政権(2007.6~現在)
2007年5月に退陣を表明したブレア首相の後継として、ブレア政権発足時から財務相として政権中枢の座にあった党内の実力者ゴードン・ブラウンが同年6月27日に首相に就任した。ブラウン首相は、最優先課題を住宅政策とし、その他、教育、NHS、人々の安心・安全等に取り組んできたところであるが、当初の高支持率を長く維持することが出来ず、同年10月以来の総選挙実施見送り決定、ノーザン・ロック銀行問題、個人データ流出、違法献金等の諸問題により、国民の支持を失うこととなった。この結果、2009年6月の地方選挙では、労働党が291議席を失うという歴史的な大敗を喫しており、同時に行われた欧州議会選挙でも労働党は大敗し、英国独立党に次ぐ第三政党に転落した。ブラウン首相に対する国民の支持は急速に悪化をしており、党内での求心力も失い始めている。英調査会社「MORI」が行った世論調査(2009年7月)によると、労働党の支持率は24%、保守党の支持率は40%、自由民主党の支持率は18%となっている。