邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

Amazing Grace ①

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jyakiganmatome

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 Amazing Grace ①


     †


 目が覚めたのは、十字架のふもとだった。

 例えばそこが、深い深い地の底だったら。
 心など持たずに済んだかもしれないのに。

 例えばそこが、高い高い空の上だったら。
 悲しみを知らずに済んだかもしれないのに。


     †


 目が覚めたのは、十字架のふもとだった。
 再起動と同時に、私の頭部に据え置かれた3つの大脳と4つの小脳が、ゆっくりと回転し始めた。同時に、センサーアイの機能が復活し、私は視界によって、自分の置かれている状況を確認した。
 私は十字架に繋がれていた。十字架といっても、それはとても巨大な、金属の塊のような存在だった。古い血の様な赤黒い色の金属が、十字架のような意匠にかたちどられ、地に突き立っていた。ちょうど、十字の横棒になっている部分の両端から太い重厚な鎖が伸び、そこに私の両手首が拘束されていた。
 といっても、実際に拘束されているのは、実質、右腕だけだった。なぜなら私の左腕は肩の部分から完全に外れており、少し離れたところで鎖に繋がれたまま、振り子のようにぶら下がっていたからだった。
 立ち上がって左腕を取ろうかと思ったところで私は、左腕だけでなく両脚も完全に壊れ、歩けなくなっている事に気が付いた。

 段々と、大脳の思考領域が暖まってくる。私は考えた。どうして、私はこんな状態になっているのだろうか。十字架に繋がれたまま半壊しているだなんて、異常な事態だった。
 間もなく、私にはこの再起動以前の記憶が全く無い事に気が付いた。まさかと思って第3大脳の長期記憶領域をウェイクアップさせたが、その中は空だった。
 誰かが、私の記憶を消したのだろうか。それとも、何らかの理由で私自らがメモリをフォーマットしたのだろうか。いずれにしても、一体何故だろうか。
 或いは最初から、この起動が初回起動だったのかとも考えたが、その可能性は低かった。私のメインチップには、消去不可能な状態で起動状況が情報化されている。確かに、今回の起動は、私にとって2回目の起動だった。
 そしてもう一つ、情報以外に私に訴えるものがあった。私が繋がれている、この巨大な十字架だ。確かに私は、この十字架を以前にも見たことがある。記憶領域に残存したデータのゴーストが、芒洋とした言葉で私にそう訴えていた。

 これ以上私の記憶領域から有力な情報を得られないと判断し、私は顔を上げて視界センサーを巡らせる。
 そこは、まるで墓場のようだった。金属を削って作られた十字架が、数百単位で地面から突き出していた。しかしどれも大きさはまちまちで、小さなものもあれば、大きなものもあった。中には、銃を紐で結び合わせて十字にしただけのものもある。
 やがて、ここは戦場だったのだと気付いた。
 この十字架の下に埋まっている誰かは、きっと戦争で死んだ誰かなのだろう。名前も身元も分からなくなってしまった者たちが、こうして地面に埋められ、十字架を立てられたのだ。
 だとしたら、更に分からなくなってしまった。何故、人間たちの墓場に、人形の自分が打ち捨てられているのだろうか。
 それに、自分がつながれたこの十字架は、明らかに他のものとは違った。他のものは、鉄の板を十字に曲げただけの、粗雑な作りの簡単なものだった。しかし私の十字架は、形も整い、奇妙な意匠で飾られた、まるで壁のような大きさのものである。その外観は、どこか攻撃的でさえあった。

 しばらく、自分に集められるだけの情報を、私はその場で集め続けた。しかし結局、何故私がここに居るのか、有力な情報は一つも得られなかった。
 そのうちに夜になった。私には、体内の生体部品の状態を維持するために、睡眠や食事の機能が搭載されていた。する事が無いので、破損した生体部品を考え、睡眠をとることにした。


     †


 私が十字架のふもとで再起動してから、日単位で4日経った。
 2日目から既に情報といえる情報は手に入らず、私は半スリープモードで時間を過ごしていた。生き物の気配は全くなかった。時折、頭上のはるか高い所を白い鳥が円を描いて飛んでいたが、私とは関係の無い存在だった。

 早朝、まだ低い日差しの中で、私は鎖に自分の重量を任せたまま、万が一を考えて外部情報で解除されるようにあらかじめ設定してから、スリープしていた。私は一定以上体外からエネルギーを摂取せずにいると体内の生体部品が細胞レベルで破損してしまうため、このまま誰にも発見されない時の事が危ぶまれたが、発見されずに朽ちた所で特に問題は無いようにも思われた。

 その時、聞きなれない音が響き、私はスリープを解いた。
 それは車のエンジン音であり、とても遠い場所を走っているようだった。段々と音が大きくなり、私はその車が接近してきていること、そしてエンジン音から、恐らく車種はハマーH1である事を推測した。
 私の背後から、一台の大きなオフロード車が走ってきて、私の前方へと走りぬけた。とても古いものだったが、よく整備されているようだった。

 突如、車が私の50メートルほど前方で急ブレーキをかけた。
 そして墓場の真ん中で方向を変え、真っ直ぐに私の所へと向かってきた。

 私の目の前で停止した車から、男が降りてきた。背が高く妙齢で、柔らかくウエーブした黒髪だった。眼鏡をかけており、黒い男性用の修道服に身を包んでいる。私は彼を、聖職者なのだと認識した。
 彼はひどく混乱した様子で、私の肩を掴んで揺さぶった。しかし、何故か私は、彼の叫んでいる言葉を理解できなかった。
 しばらくして、私の言語認識機能に不具合が生じている事に気が付いた。聞き取った音声を文字列に変換するための機能が止まっている。再起動してから誰にも会わなかったためか、知らない内に機能を止めてしまっていたようだった。
 私が必死に認識言語を再構築している間に、男は私の身体や、十字架を調べていた。何度か私から鎖を外そうとして、やがて溶接されたそれを外す事は無理だと気付いたらしい。すると彼は車へと取って返し、車体の前部についていたワイヤーを引っ張ってきた。それを私の繋がれた十字架に巻き付け、外れないように何度も確認する。
 この人は、十字架ごと私を動かすつもりだ。そう気が付いた時、彼は既に車に戻っており、エンジンをかけていた。



 数十分後、彼の車の荷台に、私は十字架と共に積載されていた。相変わらず、鎖は手首に繋がっていた。横には、破損して外れていた私の脚部なども転がっている。
 やがて私の言語認識機能が復活した。私は車体に開いた小さな窓から、せわしなくハンドルを切っている彼に向けて、言葉を発した。どれほどぶりの発声だったかは分からないが、私の喉にある声帯は、問題なく人間の言葉を発音する事ができた。
「……あなたは、だれですか?」
 彼はひどく驚き、危うくハンドルを切り損なうところだった。ずっと黙っていたせいか、私が喋るとは思って居なかったらしい。しかし、すぐに返答が返る。
「僕は、サミュエルという者だ。二つほど隣の町で、牧師をしている」
 低く、落ち着いた声に、簡単な答えだった。私は更に質問をした。
「あなたは、何故、私を連れてゆくのですか?」
 彼はどうやら、すこし考えたようだった。しかしやがて返事が聞こえた。
「今、僕の教会には、僕一人しかいなくてね。お金も無いし、ちょうど補牧師かシスターか、助手が欲しかったんだが、とてもじゃないが雇えない。そんな時、君を見つけたんだ」
「私を所持するのですか? ですが、私は破損しています。助手を務めるのは難しいと思います」
「だからさ。さっきも言った通り、僕は雇う金が払えない。だから、交換条件なんだ」
 彼はどこか、独り言のように、取り留めの無い話し方をするようだった。私がどういう意味か考えていると、
「僕は、壊れて動けない君を治す。君はその代わりに、僕の教会で、僕の手伝いをする。どうだろうか」
 私は了承した。彼は、私が二つ返事で了解したので、少し驚いていた。
 しかし私に拒否する理由は無かった。破損を直せると言うのならば直して欲しかったし、その代わりに働くのであれば、それは対等な取引に思えた。いずれにしても、このままの状態で放置されていれば、私は近いうちに機能停止していたはずなので、人間的に言えば彼は「命の恩人」であった。
 古い大きな車は、巨大な十字架と私を載せ、山道に入っていった。


     †


 教会はとても小さく、海沿いの崖に立っていた。屋根の上には十字架が立っていたが、長い間海風に晒されていたのか、錆びて所々が崩れている。
 車は教会の裏に回り、開いていた広いガレージの中に入っていった。この教会は礼拝堂と居住用の部分とに大きく分かれていて、私が暮らすものこの教会なのだと彼は説明してくれた。

 車で走っている間、私は牧師様に様々な事を説明された。
 自分はプロテスタント系の聖職者であり、牧師であること。「牧師」か「神父」かは、プロテスタントかカトリックかで分けられていること。私を見つけたのは全くの偶然で、遠い街の礼拝まで説教に出かけた帰り、気まぐれに通りかかった戦跡地で発見したこと。最初は私を人間だと思い、とても驚いたこと。
 彼は語りながら、「十字架に繋がれた天使かと思ったよ」と笑っていた。彼は明るく、優しい性格をしていた。
 しかし彼の話の中からも、私が何故あそこで繋がれていたのか、それは分からなかった。

 ガレージの中で、彼はどこからかアセチレン式のガスバーナーと、それに取り付けて使用する切断用トーチを取り出してきた。眼鏡を外して、代わりに目が焼けないようグラスをかけると、トーチに火を入れた。
 彼は慣れた手つきで私の手首に嵌められた腕枷を溶断していった。かなり手馴れた様子で、彼はそういう経験が豊富なのだという事がすぐに分かった。
 手枷が外れて自由になった私がそのことについて尋ねてみると、元々自分はエンジニアであり、牧師になったのは最近なのだと説明してくれた。確かに、この教会も先ほどの車も、古くはあるが決して壊れたり、汚れたりはしていない。彼が整備しているのだろうと思った。
 考えてみれば、直せない人形を拾って帰るだけの物好きがそうそう居るとも思えない。彼は私を修理できるという自信があったからこそ、私を拾ったのだろう。合点がいった。
 彼は私を小さい荷車に載せ、修理のための部品を手に入れる前にひとまず服をあげよう、と提案した。私は必要ないと答えたが、彼は有無を言わせずに、私を教会の奥へと連れて行った。

 案内されたのは、奇妙な部屋だった。ベッドと、クロゼットと、姿見だけの質素な部屋だったが、クロゼットの中には女性ものの服しか入っていなかったからだ。これは彼の発言と矛盾していた。彼はこの教会に一人で住んでいるとさきほど説明したが、この部屋は明らかに彼以外の誰かのものだった。しかし何故か、人間が暮らしているような生活臭は感じられなかった。私はそれが不思議だった。
 彼はクロゼットを開け、黒く質素なワンピースを取り出してきた。それを私に着せると、
「そうか。君は、頭も隠した方がいいかな」
 そう言って、大きな黒いバンダナを、私の後頭部を隠すようにして巻いた。私は頭部の前半分は人間のような顔と髪の毛があったが、後頭部には機械部品が丸見えのデザインがなされていた。バンダナは、私の機械部分を隠した。
 さあ、それじゃあ部品を取りに行こう、と彼は言って、荷車を押して歩き始めた。


     †


 そこはガラクタの山で、彼はその中を必死になって歩き回っていた。牧師服を着ていた彼は今は着替えて、簡単なシャツとジーンズ姿だった。車や、バイクや、冷蔵庫や、銃器や、中には私と同じような自動人形の部品もあるようだった。
 ここは、ハマーを20分ほど走らせた工業地帯の一角であった。彼によると、このガラクタの山は知人が運営しているゴミ集積所の一部で、よく利用させてもらっているのだという。最後にはスクラップになってしまうものたちなので、車や教会の機械が壊れた時は、よくここから必要な部品を貰っているのだという。
 私はハマーの荷台の上に転がったまま、彼がジャンクヤードを歩き回る様を見ていた。荷台の上は薄く汚れていて、私は与えられた服を出来るだけ綺麗にできるよう、なるべく動かないように気をつけた。
 彼はガラクタを漁り、めぼしいパーツを見つけては私のところへ持ってきて、私はそれを自分の修理に使用できるかどうかを判断して彼に告げる。それを繰り返した。私はかなり厳しく審査していたので、彼は何度も山と車を往復することとなった。
 やがて使える部品が荷台に溜まり出した頃、彼が嬉しそうな声を上げて戻ってきた。
 その腕には、ほとんど丸々一体分の、自動人形のボディが抱えられていた。球関節式で、私のボディのそれとよく似ているが、どうやら身長は私よりも少しだけ小さい。頭部は無かった。捨てられていたものなので、当然ぼろぼろだったが、それは今の私を修理するための必要な素材の殆どが含まれているように見えた。
 私は荷台から下ろされ、代わりに彼女が荷台に積まれた。私はハマーの助手席に乗せられて、シートベルトを締めてもらった。
 戻ったら、まずは脚を直そう、と彼は提案した。私は同意した。自分で歩行が出来るようになれば、彼にかかる負担を減らす事ができるだろう。
 彼は楽しそうに、今後の私の修理のプランを語りながら、車を走らせた。


     †

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