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アンマネージド フィクション

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 マネージド/アンマネージドはLSP(リテラシースタディーズプラットフォーム)をベースにした、ナノクプラットフォームの基本的な方向性を定義するために利用する言葉であり、創作上のしかけとしても利用出来る。
 福田恆存は19世紀に入って小説に「水引き」のような物がなくなってしまったと嘆いている。つまり鮮明な描写や切り口を「俺が考えた」というのに夢中になって、そのために今まで誰もががやってきた「でもこれはただの作り話なんですよ」という前置きがおろそかになってしまったという。この水引きの無い状態をアンマネージされた状態と呼ぶ。
 これはフランスで生まれた自然主義(「ボヴァリー夫人は私だ」)への批判と考えられる。近代になって検閲を出自の一つとする著作権が整備され、企業体が生まれ貿易が大々的な搾取を導入し、特許その他の権利処理に呼応するかのように科学的観察をインフラとする小説というジャンルが流行し、芸術作品も個人の署名による作品が横行するようになる。そして芸術作品は才能が作り出すもの、という一種独特な念仏のような風習が複製時代の芸術とともに横行して現代に通じる。
 複製時代の芸術鑑賞者は技術偏重、古典偏重という特徴があることをベンヤミンは見てとり、ファシズムの批判としてこれをとりあげた。この傾向は今も続いている、一方でこれはある文明インフラを利用して気軽に妄想の糸を紡ぎたい1個人にとっては、いちいち社会的責任や意義を自分の妄想や二次創作にとりいれて公共の場へ発信するのは重荷だし、もう一方で才能の源泉となるプロフェッショナルと呼ばれる一団が、なんのてらいもなく技術偏重、古典偏重に応じて消費者の求めるものと売り上げだけを考えて教育上の倫理その他を顧みない状況を作り出している。
 かかる状況の打破としてLSP(リテラシースタディーズプラットフォーム)が考案されたが、現実はアドバンスドダンジョンズアンドドラゴンズやアセンブラ言語のように、万能かつ地味な作業の繰り返しである。
 ナノクプラットフォームは、LSPを簡易化し、同時に旧サンマイクロシステムズのJAVAに取り入れられたサンドボックスモデルという概念を導入した。(マネージド、アンマネージドという概念はそのサンドボックスモデルが出たあとに、マイクロソフトによって考案された。マネージドコードの中で動くプログラムは、いわゆる暴走を起こさない配慮がされており。メモリ管理その他の処理が簡易化されている。)ある前置きのもとで、マネージされた規定の中で自由な表現を行い、表現者は他者の倫理観を軸にした未熟な批判になやまなくてもすむ。
 同様のしくみがナノクプラットフォーム全体にあり、ナノクビーコンによって示される現実を題材にした一連の設定や作品はすべて創作のためのものであって、ストレートに社会活動や思想に直結しない。
 ナノクプラットフォームは自然主義と同じように、科学全般を題材としているが、階層化され、可能な限り透明性のある定義をこころがけている。
 しかし現実はつねにアンマネージドな状態である、さまざまな抗争や配慮のもとで価値観が蜘蛛の巣のようにはりめぐらされている。ナノクプラットフォームではアンマネージドだったせいで起こるフィクションに関する弊害についてグレード分けをしている(ナノクハザードレベル)。
 ある考え方に寄らなかったとしても例えばこんなことがある、HGウェルズは自分の空想の中で原子爆弾の理論を考案し、そのせいでその空想の産物を阻止するロビー活動その他にその後の人生を捧げた。実際の原子爆弾の開発に携わる人間の幾人かはこのフィクションの読者であった。ナノテクノロジーの中にも似たようなジレンマに陥っている技術はいくつかある。ナノクプラットフォームではウェルズの精神に則ってつつみかすさず、定義をできうるかぎり透明化して整理する。と同時に、間違えや勘違い、途方も無い発想など、愚にもつかないたわいもない作品を整理できる場所も用意し、創作の場はDNAのように二重らせんをえがいている。
 アンマネージドな発想は砂場の中で行い十分な実験を経てから、マネージドな作品を社会に出していく。批評の主な対象もマネージドな作品となる。

ヴァーティカルメタフィクション/ナノクハザードレベル

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