第2話(BS16)「義〜守るべき志〜」 1 / 2 / 3 / 4


1.1. 副団長の苦悩

 ヴァレフール伯爵領の中部に位置するカナハの村は、同国が誇る大穀倉地帯の一角を成す豊かな農村である。西隣に位置するイカロスの街は、同国騎士団の副団長(現伯爵ワトホートの義父)グレンの本拠地であり、カナハの村は伝統的に彼の強い影響下にあるが、一方で、村の東隣の一帯は、現伯爵ワトホートの爵位継承の正統性を否定する騎士団長ケネスを中心とする一派が領有している。
 従って、このカナハの周辺地帯は、現伯爵ワトホートを支持する(グレンを中心とする)「恭順派(ワトホート派)」と、ワトホートの即位を認めず彼の甥ゴーバンへの聖印譲渡を求める(ゴーバンの外祖父ケネスを中心とする)「反体制派(ゴーバン派)」の係争地帯であり、現時点では住民達の間でも、徐々に緊張感が高まりつつある。
 この状況下において、現在のカナハの女領主ユイリィ・カミル(下図左)は、あくまで両派の和解の必要性を強調し、「両派の和解が成るまでは、私の聖印は誰にも捧げない」と明言しつつも、実質的にはワトホートの聖印継承を認める立場を取るという立場を採っている。現実問題として、恭順派(ワトホート派)も反体制派(ゴーバン派)も、本格的な内戦を起こせば北の宿敵アントリアを利することになるのは分かっているため、彼女のように和解を求める者達は両派の内部においても多かったが、今はまだ誰もこの問題の解決の糸口を掴めていない、というのが現状であった。


 そんな彼女には、双子の妹がいた。その名はマイリィ・カミル(上図右)。二卵性故に外見は全く似ておらず、また聖印を受け取れる資質を持たなかったため、彼女は姉とは対照的にアンデッドの邪紋使いとなり、この村を守る道を選んだ。彼女が率いる自警団の活躍のおかげで、この村では投影体や混沌災害の被害が起こることは殆どなく、住民達は平和な日々を送っていた。
 だが、そんなカナハの村である日、異変が生じた。団長のマイリィが突然、行方不明となったのである。団員達が必死に捜索を繰り返したが、村の近辺には彼女の姿は無く、目撃情報すら見つからなかった。そんな混乱する状況の中で、ひとまず彼女に代わって自警団をまとめることになったのは、副団長のフリックである(下図)。


 彼はもともと、戦争で故郷と家族を喪失し、無法者として各地を転々とした後、カナハの領主姉妹に拾われた身である。それ故に、自分を救ってくれた彼女達のために尽力したいと考えていた彼は、マイリィの身を案じながらも、彼女が戻ってくるまで、自分が彼女の代わりに村を守らねばならない、という強い使命感に駆られていた。
 そんな彼がある日、ユイリィの契約魔法師であるダニエル・カサブランカ(下図)に呼び出されて、領主の館へと出仕した。


 ダニエルは研究者気質で、やや偏屈な気性の人物であり、フリックとしては、あまり良い印象は抱いていない。だが、大恩ある領主の契約魔法師である以上、その言には従う義務がある。また、人格的には少々問題があるとはいえ、魔法師としても内政官としても彼は優秀な人物であり、これまでのカナハの経済的発展に一定程度寄与していることは、ユイリィを初めとする多くの者達が認めるところである。
 そんな「優秀ではあるが、あまり付き合いたくない上司」に呼び出されたフリックに対して、当のダニエルはこう告げた。

「未だに租税を滞納している者達がいる。早急に取り立てて来るのだ」

 フリックとしては、想定内の通達だった。だが、村の現状を知る彼にとっては、承服しかねる命令でもあった。というのも、ここで言っている「租税」とは、定期的に毎年課せられる税金とは異なり、数週間前に突如として課せられることになった臨時の徴税令に基づく税であり、その理由については、住民達どころかフリック自身も知らされていない。当然、住民達の中ではこの徴税に対する反発は非常に強かった。

「ご承知のこととは思いますが、今年はただでさえ不作で、住民達には蓄えの余裕がありません。今の時点でこれ以上取り立てることは、住民達にとってあまりにも負担が大きすぎるかと」

 そう苦言を呈したフリックであったが、ダニエルにとってもこれは想定内の反論であった。

「今、民を甘やかしてはならん。こういう時に嫌われ者となるのも、我等の務めだ」

 フリックとしては、その説明で納得した訳ではなかったが、立場上、これ以上のことを言っても聞きれてはもらえないと分かっていたため、やむなく彼はその命令を受け入れて、粛々と退室する。マイリィが行方不明となって以来、彼にとっても、村にとっても、望ましくない状態が続いてはいるが、今の彼には、それに抗う術は無かったのである。

1.2. 麦畑の出会い

 そして、そんなカナハの村に、南方から旅人達が訪れようとしていた。マライア、キヨ、ラスティの三人である。いや、正確には、もう一人、ルークが一緒に同行していたはずだったのだが、彼は今、村を目前にして、マライア達とはぐれてしまっていた。一つ前の村で、諸事情により出発が遅れてしまった彼は、すぐに彼女達の後を追いかけていった筈が、村の近くの穀倉地帯に入ったところで、道を間違えて脇の小道へと入ってしまい、辺り地面に広がる麦畑の中で路頭に迷ってしまったのである。

(おかしい、もう皆に追いついていい筈なのに……)

 そう思いながら困惑する彼の足元から、突然、けたたましい獣の鳴き声が聞こえてきた。

「バゥワゥ!」

 焦げ茶色の長い毛並みと垂れた両耳を揺らしながら荒ぶるその獣は、短い4本の足で大地を踏みしめながら、激しい敵意でルークを睨みつける。一般に「ミニチュアダックスフント」と呼ばれる種類の小型犬である。コーギー同様、見た目は愛らしい外見だが、意外にその気性は荒い。どうやら彼は、ルークに対して激しい警戒心と敵愾心を抱いているようである。
 それに対してルークが、自分の足が噛みつかれそうになるのを必死で避けていると、やがてそこに、マライア達が駆け寄ってきた。どうやら彼女達は、追いついてくる筈のルークが見当たらないことを不安に感じ、この麦畑の近くを捜索していたようである。

「ルークさん、大丈夫ですか?」

 そう言ってマライアが駆け寄る一方で、犬好きのキヨがそのミニチュアダックスフントに手を差し伸べると、彼はそのままキヨに懐く。どうやら彼女は、犬には好かれやすい体質らしい。すると、その焦げ茶色の毛並みの下に首輪が埋もれているのを発見する。どうやら、誰かの飼い犬のようである。そして、よく見るとそこには、キヨにとっては馴染みのある、しかし他の者達にとっては「記号」としか思えない、特殊な文字が刻まれていた。

「スサノオ……?」

 それは、彼女がヴェリア界に流れ着く以前に存在していた地球(の一部)で用いられていた「カタカナ」と呼ばれる文字である。どうやら、この犬の名前らしい。そして、実はキヨはその「名前」にも聞き覚えがあったのだが、それ以前の問題として、この「文字」が刻まれた首輪を持つ犬がここにいることの違和感に、彼女が困惑の表情を浮かべる。すると、マライアが問いかけてきた。

「どうしました、キヨさん?」
「これは、私がいた世界の文字です」
「……ということは、この犬はあなたと同じ『地球』から来た投影体、ということですか?」

 状況的に考えれば、それが素直な解釈であろう。だが、投影体(混沌)の存在を嗅ぎつける能力を持つラスティは、その可能性を否定する。

「違うな。その犬からも、首輪からも、混沌の気配は全く感じられない」

 そうなると、この「文字」を彫った者、すなわちこの犬の飼い主が投影体である可能性が高そうである。ひとまず、キヨが一緒にいる限りにおいては、この犬は特に暴れる様子も無かったので、おそらくはこれから向かうカナハの村にその飼い主がいるのではないか、という推論の下、このミニチュアダックスフントは、ルークからはやや離す形で、彼等と同行させることになった。その「投影体」が何者かは分からないが、どんな飼い主であれ、この子をそのまま放置しておくのは忍びない、というのが、犬好きのキヨと動物好きのラスティの共通見解であり、ルークとマライアとしても、特にその方針に異論は無かったようである。
 そして、マライアは村に一歩ずつ近付いていくにつれて、「シリウスの力を受け継いだ者」の気配を強く感じていた。状況的に、この村の中に「二人目」がいることを確信しつつ、四人と一匹はカナハの村へと足を踏み入れることになったのである。

1.3. 強制徴収

 カナハの村に入ったルーク達は、村人達に今一つ活気が感じられないことに違和感を覚えていた。現在、この地域は「恭順派(ワトホート派)」と「反体制派(ゴーバン派)」の係争地帯故に、ここに来る途中の村でもやや緊張感が漂ってはいたものの、現在のこのカナハの村は、そういった「戦時故の重苦しい空気」とはまた異なる、「住民達の生きる希望そのものが奪われかけているような陰鬱とした雰囲気」に支配されていた。
 そんな住民達の様子に違和感を感じていたルーク達の耳に、突然、とある村人の嘆きの声が聞こえてきた。

「待って下さい! これ以上持って行かれたら、この冬を乗り切るだけの食料が……」
「黙れ! 領主様の命令だ。おい、持って行け!」

 ルーク達が目を向けると、そこでは、痩せこけた村人の家から、強制的に金品や作物を奪おうとしている軽装の兵士達の姿があった。そして、その後方で複雑な表情を浮かべながらその様子を見守る一人の指揮官らしき人物を見たマライアが、ルーク達にそっと告げる。

「あの人です。あの人から、ラスティさんと同じ気配を感じます」

 それを聞いたラスティ自身も、静かに頷く。彼は、「自分と同じシリウスの力の持ち主」の気配を識別することは出来ないが、混沌や邪紋の存在を感知することは出来る。その指揮官は鎧を着込んでいることもあり、その肌までは確認出来ないが、少なくとも邪紋使いであることは間違いなさそうである。
 だが、今のこの状況を見る限り、この指揮官のやろうとしていることは、あまり見てて気持ちの良い光景ではない。それ故に、ルークが思わずその指揮官に駆け寄って問い詰める。

「待て、村人から無理矢理税を取り立てているようだが」

 そう言われた指揮官は、しぶしぶながらに答える。

「あぁ。滞納している者達がいるのでな」
「だが、住民達も、ひどくやつれているようではないか。そこから無理矢理徴収するというのは、どうなんだ?」
「それも仕方のないことだ。あんたも君主のようだが、今のヴァレフールの情勢は知っているだろう。ここは両陣営の間にある。国力を蓄えるためには、徴税もやむを得ない」

 実際のところ、それが本当の理由かどうかは、彼にも分からない。だが、現状において部外者を納得させるには、それが一番妥当な説明であろう。実際、ルークとしても、本来ならば他の村の政治に首を突っ込んで良い立場ではない以上、そう言われてしまうと、それ以上言い返せない。それに、今、彼が聞きたいことの「本題」は、そこではなかった。

「ところで、あなたは邪紋使いなのか?」

 そう言われたその指揮官は、ピクッと反応するが、黙って答えない。すると、マライアがすっと彼に近寄っていく。

「すみません、あの、ちょっと、あなたの筋肉を見せてもらえませんか?」

 突然のその発言に、ルーク達までもが驚き、目を丸くする。当然、突如現れた魔法使い風の女にそう言われたその指揮官も、戸惑わない筈がない。

「何を言ってるんだ、お前は?」
「私、筋肉フェチなんです。ぜひ、その鎧の下の筋肉を見せてほしいと思いまして」
「別に、鎧の上から触っても変わらないだろう」
「いえ、ぜひ脱いで頂きたいのです」
「なぜ、脱がねばならんのだ?」
「筋肉フェチだからです。上半身だけでもいいですから」
「訳の分からないことを言うな!」

 彼女はこの指揮官の服の下に邪紋があるかどうかを確認しようとしたかったようだが、さすがにこんな唐突すぎる申し出に対して、喜んで鎧と服を脱ぐような者はいない。……普通は。

「筋肉が見たいんだったら、俺がいくらでも見せてやるぜ!」

 そう言って、(彼女の意図を知ってか知らずか)突然、ラスティが胸をはだけさせる。その胸に邪紋が刻まれているのはその指揮官の目にも入ったが、だからと言って、それで触発されて自分も脱ぎだすような性格でもなかった(ちなみに、体格的には、ラスティほどではないが、それなりに鍛えられた体躯であり、屈強な戦士であることはその姿からも想像出来る)。

「君達は、旅芸人か何かか?」

 そう言って呆れ顔を浮かべつつも、ここまで自分に突っかかってくる彼等には、何か特別な事情があるのではないか、ということは、薄々この指揮官も感じ取っていた。

「何か特別な話があるのなら、後で聞こう。今は取り立ての最中だからな」

 そう言って、彼はルーク達にこの村の旅宿の場所を教え、「自分も後からそこに行く」と伝えた上でルーク達をその宿に向かわせると、自分は抵抗しようとしていた村人から強引に、金品が入っていると思しき小箱を奪い取る。

「すまない、このようなことをしてしまって」

 村人の耳元に小声でそっと囁いた彼であったが、そんな彼なりの気遣いも、現実に無けなしの蓄えを奪われてしまった村人にとっては、何の慰めにもならなかった。その場に泣き崩れる村人の様子を見て罪悪感に苛まれる彼であったが、今の彼には、この「嫌な仕事」を続けることしか出来なかったのである。

1.4. 昔の人脈

「あの者に、どこまで話して良いものか……」

 先刻の指揮官に言われた通りに旅宿に部屋を取ったルーク達は、彼の「仕事」が終わるまでの間に、「作戦会議」を進めていた。
 現在、このカナハの村を含むヴァレフールと、ルーク達が救おうとしているラピスの村を含むアントリアは、戦争状態にある。ラピスを救うために手を貸すということは、ヴァレフールの人間にとっては「敵国に手を貸す行為」に等しい。仮に、あの指揮官がシリウスの後継者の一人であったとしても、この村の住人である彼が、その計画に協力してくれるかどうかは、彼自身の中のこの村およびこの国への忠誠心や愛着心次第であろうが、今のところ、それを判断出来る材料はない。今のこの状況下で、いきなり「アントリアの地方領主の後継者候補」という今のルークの立場を明かして良いかどうかは、非常に難しい問題である。
 一応、ルークとラスティにはもう一つ「ヴァレフール領オーキッドの領主の息子」としての立場もあるが、明確に恭順派(ワトホート派)であることを表明しているオーキッドとは異なり、今のところ微妙な立場を取り続けているカナハの領主の真意が分からない以上、その立場を明かしたところで、「オーキッドの領主の息子」である彼等に協力してくれる保証はない。

「シリウスの力の後継者であれば、きっと、人としての器も大きいと思うので、国や立場を超えて協力してくれるのではないかと思うのですが……」

 マライアはそう口にするが、そもそもどういう基準で「後継者」が選ばれているのかも分からない以上、それも確実とは言えない(ただ、隣でそれを聞いていたラスティは、どこか満足そうな表情を浮かべていた)。
 ちなみに、ルークは一応、この村の領主であるユイリィとは面識がある。と言っても、ヴァレフールの領主達が集まる毎年の新年の祝賀会で何度か会って言葉を交わした程度であり、それほど親しい関係という訳ではない。ただ、その時の印象を見る限りでは、自分よりも2歳年下ながらも、領主として優秀な人物であり、尊敬に値する君主だと思っていた。それ故に、なぜ先程のような強引な徴税を村人達に課したのか、やや気になるところではあったが、あの指揮官が言っていた通り、それぞれの村にはそれぞれの村の事情がある以上、あまり不用意に口出しすべきでもないことは分かっていた。
 とはいえ、先程の指揮官をラピスに連れて行くとなると、それは実質的な「武官の引き抜き行為」になる以上、事前にユイリィの許可を得ておいた方が無難であろう。そう考えると、やはりまず、ユイリィに何らかの形で接触を取った方が良いことは間違いない。そんな話に差し掛かったところで、マライアが、やや言いにくそうな面持ちで口を開いた。

「一応、私、ここの領主の契約魔法師のダニエルさんとは、エーラム時代に面識があるんです。あの人、魔法師としては尊敬出来る人ではあるんですけど……」

 そう言って、嫌々そうに彼女は自分の過去を語り始める。どうやら、彼女がエーラムに入門したばかりの頃、薬学に関する講義に出席していた時にダニエルと知り合ったらしい。当初は、まだ何も知らなかった自分に対して親身に接していてくれた「いい先輩」だったらしいが、徐々に彼の言動から、彼が自分自身に「特別な感情」を抱いていることを察したことで、段々と「気まずい関係」になっていったという。ちなみに、現在19歳のマライアに対して、ダニエルは31歳。夫婦や恋人の関係としては、ギリギリありえなくもない年齢差ではあるが、少女だった頃のマライアにしてみれば、そこまで年上の先輩にそのような想いを抱かれても、困惑するのが当然の反応であろう。
 だが、ダニエルの側が今でもマライアに対して「そういった感情」を抱いているのであれば、現状において、彼女のこの「人脈」を生かせる可能性は十分にある。マライアとしては気が進まないが、状況によっては、自分の「女」としての武器も利用しなければならなくなる可能性について、嫌々ながらも考慮し始めていた。

1.5. 二人目の「犬士」

 こうして、彼等が今後の方針について悩んでいると、まだその結論が出る前の段階で、例の「指揮官」が、約束通りに彼等の宿を訪ねてきた。

「申し遅れたが、私はこの村の自警団の副団長のフリックだ。私に、どんな用なのかな?」

 そう言って彼が自己紹介すると、マライアはまず、彼女が想定している「選択肢」が使えるかどうかを確認しようとしてみる。

「この街にダニエルさんという魔法師はいらっしゃいますか?」

 すると、フリックはやや嫌そうな表情を浮かべながら答える。

「あぁ、ダニエルか。確かにいるが、彼に何か用があるのか?」

 立場的に言えば、街の自警団の副団長よりも、領主の契約魔法師の方が立場は上であるのが一般的である。にも関わらず、ダニエルのことを「呼び捨て」にしている時点で、あまり良い関係ではないことは伺えたが、ひとまずマライアはそのまま話を続ける。

「エーラム時代の先輩で、ちょっと話したいことがあるんですけど……」
「まぁ、それが頼みということであれば、話を通すことは出来る。彼も、知人が来たということであれば、無下にはしないだろう。話はそれだけか?」

 実際のところ、ダニエルを通じて領主のユイリィに話がしたいのは事実であるが、むしろルーク達にとっての「本命」は、このフリックの方である。ここで話を終わっていい筈がない。だが、どう切り出せば良いか分からず逡巡する彼等に対して、フリックは思い出したかのように問いかけた。

「そうえいば、名前をまだ聞いていなかったが」
「あぁ、『マライア』と伝えてもらえれば、分かると思います」

 彼女がそう答えると、それに続けてルークが口を開く。

「私も名乗り忘れておりました。ルーク・ゼレンと申します」

 すると、その「ルーク」という名に対して、フリックが反応する。

「ルーク……? もしかして、オーキッドのルーク様ですか?」

 そう言われたことに、今度は逆にルークの方が驚く。

「はい、そうですが」
「お噂は、ユイリィ様から伺っております。オーキッドの領主の御子息で、人格高潔な弓の名手であらせられると」

 厳密に言えば、フリックの直接の上官である(現在行方不明の)マイリィに対して、ユイリィがそう話しているのを横から聞いた、というのが実情である。あまり「同世代の異性」の話をすることが少ないユイリィが、珍しく嬉々としてその「ルークという名の好青年」の話をしていたのが印象的で、その名前がフリックの脳裏に残っていたらしい(ちなみに、その時点でのルークの苗字はまだ「ザンシック」だったのだが、さすがにそこまではフリックも覚えていなかったようである)。

「大変失礼しました。これまでの数々の無礼をお許しください」

 そう言って深々と頭を下げるフリックに対して、今度は逆にルークが恐縮する。

「いえ、こちらこそ、いきなり話しかけたり、身体を触ろうとしたり、失礼なことを……」
「その程度であれば問題ありません。自警団で鍛えておりますので。ユイリィ様のご友人ということであれば、何なりとお申し出下さい」

 そう言われたルークは、フリックのその瞳に宿された強い誠意の心を感じ取り、彼に全てを話すことを決意する。ラピスの現状と、そのラピスを守ってきたシリウスの力を受け継ぐ者を探してこの村に来たという事実を、全て包み隠さずフリックに伝えた。

「なるほど、そういうことでしたか」

 そう言って納得した表情を浮かべるフリックに対して、今度はラスティが、再び服を脱ぎ、自らの胸に刻まれた邪紋を見せつける。

「お前の体に、これと似たような印がないか?」

 そう言って、彼が自分の胸部を指差すと、その先には「孝」の文字が刻まれていた。もっとも、この世界に住む人々にとっては、それは「よく分からない記号」でしかないのだが、それを見たフリックは、その意図を理解したようである。

「あぁ、確かに、それと似たような紋章が、私の肩にもある」
「差し支えなければ、それを見せてもらえませんか?」

 ルークにそう言われたフリックは、素直に頷き、左腕の袖をたくしあげて、その肩を見せつける。すると、そこに刻まれていた邪紋の中央に、確かに「よく分からない記号」が記されている。そして、キヨには、それが彼女の故郷において「義」を意味する文字であることが分かった。

「それは『漢字』という文字です」

 そう言って、彼女はその意味を説明すると、フリックも得心した様子を見せる。実は、彼が邪紋使いとなったのは、つい十数日ほど前の話である。マイリィが行方不明となった後、「彼女とこの村を救わなければならない」という義憤の心に燃えていた彼の身体に、突如、北方から飛来した「珠」が飛び込んできた。それは、同時期にラスティが経験した現象と、全く同じであった。ちなみに、彼の邪紋は、上官であるマイリィと同じ「アンデッド」の系譜に分類される。

「それで、私に何をせよと仰るのですか?」
「出来れば、私達と一緒に、ラピスの解放に協力してほしいのですが……」

 マライアが彼にそう頼むが、フリックは複雑な表情を浮かべる。

「確かに、ブレトランドの危機にまで発展しかねない事態なのであれば、同行したいところではあるが、私にはこの村がある。この村の領主であるユイリィ様に忠義を尽くすと決めている。すまないが、この件に関しては、身を引かせてもらおうと思う」

 実際のところ、ラピスを解放するためにフリックの力が絶対に必要なのかどうかは、マライアにもよく分かっていない。更に言えば、ラピスを放置しておくことが、ブレトランド(あるいは世界)全体にとってどこまで危険な事態に発展しうるのかも分からない以上、ここで彼を確実に説得出来るだけの材料が、今のルーク達にはなかった。

「分かりました。あなたにも尽くすべき主がいるのであれば、仕方がありません。ただ、出来れば、この件について、もう少し考えて頂きたい」

 今の時点でルークとして言えるのは、それが精一杯であった。彼の立場を考えれば、主の許可無く村を離れる訳にはいかないということは、ルークにも理解出来る。

「了解しました。では、もう少し私の中で考えてみたいと思います。ひとまず、長旅でお疲れでしょうから、まず今夜はこちらの宿で、ゆっくりとお休み下さい」
「かたじけない。では、ダニエル殿への件についても、よろしくお願いします」

 ルークにそう言われると、フリックは頷いて宿を後にする。ルーク達としては、フリックに伝えるべきことは伝えた。こうなると彼等が次に為すべきことは、彼に翻意を促すことが出来る唯一の人物であろう領主ユイリィを説得することであろう。そのための鍵となるのは、彼女の契約魔法師であるダニエルであった。

1.6. 先輩魔法師の思惑

 そして、フリックは領主の館に帰還して、ダニエルにその旨を伝えると、ダニエルは驚いた表情を浮かべた。

「マライア……? マライア・グランデか?」
「はい。そう名乗る若い女性が、あなたに会いたいと訪ねてきたのですが……」

 そう言われたダニエルは、いつになく嬉々とした笑顔を浮かべつつ、頷きながら独り言のようにつぶやく。

「ほうほうほう、そうかそうか、マライアが私をわざわざ訪ねに来たのか、なるほどなるほど。それはぜひ、もてなさねばならんな、うんうん」

 フリックはその様子に、なんとも言えない薄気味悪さを感じていた。

「あなたにしては、随分機嫌が良いようですね」
「私はいつも、そこまで不機嫌そうに見えるのか?」
「無愛想には見えますね」

 無法者出身だけに、フリックは実質的な上官であるダニエルに対しても、このようにズケズケと物を言う。ダニエルから何らかの命令を出されればそれに従うが、ユイリィやマイリィとは違い、彼の中ではダニエルは「敬うべき対象」とは認識されていない。そして、ダニエルもそんな彼の本心は理解した上で、特にそのことを咎めるつもりはなかった。彼自身の中でも、フリックは「特に興味のない人物」であり、そんな彼に自分がどう思われようとも、彼にとっては「どうでもいいこと」であった。

「まぁ、最近は色々と面倒な仕事もあるしな。とりあえず、彼女は今、どこにいる?」
「この村の宿にいます。私が今から御案内しましょう」
「あ、いや、待て待て。今はもう時間も遅い。むしろ明日、こちらに招待してもらえるか? この村の安宿では、その、『雰囲気』も出ないしな」
「珍しいですね、あなたが他人にそこまで興味を抱くとは。何か特別な想いがあるのかどうかは知りませんが」
「いやいや、別に、その、なんだ、ただの後輩だ。特に深い意味などない」

 フリックは、ダニエルのそんな「気持ち悪い中年男性」そのものの姿に辟易しながらも、翌朝に彼女達の宿に再び赴いてその旨を伝えることを約束し、ひとまずこの日は自警団の宿舎へと帰還するのであった。

2.1. 深夜の窃盗団

 だが、この日の夜、この村にとってより重大な事件が勃発することになる。自室で静かに就寝中のフリックの元に、部下の兵士が駆け込んできた。

「副団長、大変です! 領主様の館の近くに、不審な人物が!」

 そう言われた彼は、慌てて武装して外へと飛び出す。そして、彼の視界に領主の館が入ったまさにその時、暗闇の中、大型の台車に「何か」を載せた者達が、その館から走り去ろうとしている様子が見える。

「そこの者達、止まれ!」

 彼がそう言ったにも関わらず、彼等はそのまま走り去ろうとしたので、フリックは必死にそれを追いかけようとしたが、アンデッドの邪紋使いである彼は、あまり足が速い方ではなく、追いつけずにそのまま取り逃がしてしまう。ただ、その台車を引いていた者達の中に、「眼鏡をかけた奇妙な風貌の少年(下図)」がいたことが、かすかな月明かりのおかげで確認出来た(そして、その人物の身体から、非常に強い混沌の力を感じ取っていた)。


 そして、その直後、別の団員から、絶望的な情報が知らされた。どうやら彼等が運んでいたのは、領主の館の奥で厳重に警備されていた金庫の中身らしい。フリック達が涙を飲んで領民達から搾り取った税金が、丸々彼等によって盗まれてしまったのである。

「なんてことだ……。こんな形で」

 そう呟いて悔しがるフリックだが、彼の周囲の団員達は、彼以上に狼狽していた。

「ど、どうしましょう? 領主様にご報告せねば……」
「まずいですよね、これを知ったら、あの魔法師様が何と仰るか……」

 そんな動揺する彼等を横目に、苦虫を噛み潰したような顔で、フリックは言い放つ。

「報告しない訳にもいかんだろう。仕方ない。責任は私にもある」

 フリックはそう言って、急遽、領主のユイリィに報告しようとしたが、さすがに深夜ということもあり、彼女に代わってダニエルが応対した。

「そ、そうか……。なんということだ……」

 ダニエルはそう呟きつつ、落胆した素振りを見せたが、フリックを叱責することなく、すぐに冷静な表情に戻る。

「まず、今の村人の中に怪しい人物がいるかどうかを確認すべきだな。この館の構造を知っている者が手引きしている可能性が高い」

 いかにも冷静な軍師らしく、ダニエルは淡々とそう述べる。確かに、金庫の近辺には厳重な警備体制が敷いてあった筈であり、その間隙を縫って侵入・強奪したのだとすれば、内部に協力者がいる可能性は十分に考慮すべきだろう。

「分かりました。とはいえ、今すぐという訳にはいかないでしょうから、翌朝になったら、村人達を調べてみましょう」
「あぁ、それから、マライアの件も忘れないようにな」

 内心、「この忙しい時に……」と思ったフリックであったが、別に先刻の件を彼等に告げに行く程度の労力が捜査に支障をきたすとも思えなかったので、その点については素直に了承した。ただ、この非常事態において、ダニエルが妙に落ち着いているように見えたのが少々気になったが、もともと何を考えているのか分かりにくい人物である以上、深く詮索しても仕方がないと割り切ることにした。今の彼は、自分に出来ることをやるしかないのである。

2.2. 引き抜き交渉

 そして翌朝、フリックから一通りの話を聞かされたルーク達は、ひとまずルークとマライアの二人でダニエルを訪ねて、その間にキヨとラスティは、「スサノオ」の首輪がついた犬の飼い主を探すことにした(ちなみに、彼は宿に泊まっている間は、馬小屋に繋がれていた)。
 現実問題として、会談の場にキヨを連れて行っても、その身の上の説明だけで無駄に時間をかけてしまいそうではあるし、ラスティもまた基本的に交渉事には向かない性格のため、ここは素直に、この世界における「統治者階級」である「君主」と「魔法師」の二人に任せた方がいい、というのが彼等の判断であった。
 こうして、フリックに連れられる形で、ルークとマライアが領主の館の応接室に着くと、そこに現れたのは、心なしかいつもより上品な服を着たダニエルであった。

(何やってんだか……)

 フリックは内心そう思いつつも、ひとまずこの場に自分がいても仕方がないと考え、村人達の調査のために退室する。それを見届けた上で、ダニエルはマライアに向かって、やや複雑な表情を浮かべながら、こう問いかける。

「マライア、君の方から訪ねてくれるのは嬉しい限りなのだが、まず確認させてもらおう。隣にいるその男は、君の契約相手ということでいいのかな?」

 そう言われると、マライアとしては返答に困る。実際のところ、今のマライアには契約相手がいない。ルークの父ラザールが殺されて以来、彼女は誰とも契約を交わしていないのである。慣習としては、領主の死後にその契約魔法師が次代の領主と契約を結ぶのはよくある話であるが、今のところ、ルークからもマライアからも、互いに「契約を結ぼう」という話には至っていない。おそらく、まだ二人とも、そこまで心の整理が出来ていないのだろう。
 マライアが、どう答えて良いか分からず一瞬の沈黙が流れると、続けてダニエルは、眉間にシワを寄せながらこう言った。

「それとも『契約相手以上の関係』ということかな?」
「い、いえ、そういうことではないです」

 ダニエルの言いたいことを察した上で、そこは素直に否定する。実際、今のところマライアにとって、ルークは「同志」や「仲間」以上の存在ではないし、ルークの中でも、マライア個人に対して特別な感情は抱いていない。
 とりあえず、ここは早めに誤解を解いた方が良いだろうと考えたルークは、自らその会話に割って入るように、自己紹介を始める。

「私はルーク・ゼレンと申します。今は訳あって、彼女等と旅をしているところです」
「で、その旅の一環として、この村に立ち寄った、と?」
「はい」
「では、その旅の目的とは?」

 そう問われたのに対して、今度は再びマライアが口を開く。ダニエルはマライアがアントリアの領主と契約していることも知っている可能性が高い以上、ここは下手に隠さずに、素直に全てを話してしまった方が良いだろうと考えた彼女は、昨日フリックに話した事情とほぼ同じ内容を、そのままダニエルに説明した。

「なるほど。ということは、そちらの方が、ラピスの次期領主となられる予定、と」
「そういうことになります」

 ルークがそう答えると、ダニエルがややシニカルな口調で問いかける。

「では、あなたはその村を救った後、『アントリアの騎士』となられる、ということでよろしいかな?」
「そうですね。私はそのままその地に残って……」
「やがて我がヴァレフールに対して牙を剥くことになる、ということですな」

 そう言われてしまうと、ルークとしては何も言えない。ただ、そんな皮肉めいた言い回しをしながらも、ダニエルはそこまで明確に自分達に対して敵対心を抱いているようには見えないし、真っ向からルーク達の要求を拒絶しようという態度でもない。こちら側の出す条件次第によっては、交渉に応じてもいい、と言ってるようにも見える。
 その上で、フリックの件については、ダニエルはしばらく間をおいて考えた上で、ゆっくりと口を開いた。

「彼は我が村にとって貴重な戦力だ。今は実質的にこの村の自警団をまとめているしな。だが、マライア、君が『どうしても』というのであれば、私から領主様にお願いして、話をまとめてやらんこともない」

 もったいつけた口調でそう語る彼に対して、マライアはどこか生理的に嫌悪感を抱きながらも、必死に愛想笑いを浮かべる。彼が代償として何を要求してくるかは分からないが、ここはひとまず、彼を味方につけておきさえすれば、事態を解決出来るかもしれない。今のところ、他に手立てが見つからないのも事実である以上、ここは素直に彼を利用させてもらおうと考えていた。

「とりあえず、今夜にでも、領主様を交えて晩餐会を開こう。他に連れの者がいるなら、彼等も連れてきてくれて構わない。せっかく来てくれたのだ。食事を共にしながら、ゆっくりと話し合おうではないか」

 ダニエルにそう言われて、マライアもそれを承諾すると、今度はルークに向かって、ダニエルが問いかける。

「時にルーク殿、貴殿は今、独り身か?」
「え、えぇ。私には、伴侶はおりませんが」
「で、マライアとも契約は交わしていない、と」
「はい、そうですね」
「うむ、そうか。いや、我が村の領主様から、貴殿の話は聞いたことがあるからな。なかなかの好青年である、と」

 何が言いたいのかよく分からない言い回しであるが、ルークとしても、ひとまず話を合わせようとする。

「ありがとうございます。私も、こちらの領主様が大変優れたお方であることは、よく存じております」
「ふむ、そうだな。確かに、この地の領民にも慕われておるし、お若いながらによく頑張っておられる」

 そう語るダニエルであるが、どこかその口調は官僚的というか、あまり心が込もった言葉には聞こえない。少なくとも、先刻までマライアに対して語っていた時のような「生き生きとした声色」ではなかった。だが、ルーク達がそんな様子に微妙な違和感を感じていることなど気付かず、彼はそのまま話を続ける。

「ここのところ、領主様も体調を崩しがちではあるが、今夜の晩餐会には出て頂けるように、私から話をしておこう」
「ありがとうございます。ところで、一つお伺いしたいのですが」

 そう言って、ルークは昨日から気になっていた疑問をダニエルに問いかけてみる。

「さきほどのフリック殿は『副団長』と仰っていましたが、自警団の団長殿は、今どちらに?」
「あぁ、それはな、領主様の双子の妹であるマイリィ様がその任に就いておられたのだが、今は行方不明となってしまったのだ。だが、実は副団長であるフリックも、マイリィ様がいなくなった後で邪紋使いの力に目覚めた。だから、仮にフリックがいなくなったとしても、残された者達の中からまた新たな人材が生まれるのではないか、とも思っている」

 そう言ったダニエルの口調は、相変わらず淡々としていて、今一つその真意が掴みにくい。つい先刻、「彼は貴重な戦力」と言っていたが筈だが、この言い回しからは、別にいなくなっても構わないと言いたいようにも聞こえる。どちらが彼の本音なのか、今の時点で判断する術は彼等には無かった。

「領主殿の妹君が行方不明とは、大変な事態なのでは?」
「そう。我々も必死に探してはいるものの、なかなか手がかりすら見つからぬ状態で……」

 そう語る彼の口調も、やはり官僚的で、どこか淡々とした口調である。もともとダニエルは「個人的に興味のないこと」にはあまり真剣に取り組まない性格なので、「領主の妹が行方不明」という状態に対しても、さほど深刻な事態とは考えていないのかもしれないが、領主と契約する魔法師の態度としては、少々疑念を感じる。少なくとも、死んだ契約相手の無念を晴らすために、エーラムに帰らずにこの辺境の小大陸で独自の戦いを続けているマライアには、そのような感性は理解しがたい。もしかしたら、何か裏の事情があるのかもしれない、という疑念が彼女の中で広がっていく。

「領主様や妹君に関する話になった途端、あなたの熱意が急に冷めたように見えますが……」

 とりあえず、彼の真意を探ろうと考えたマライアは、思い切ってストレートにそう言って、彼の出方を見ようとしたが、返ってきたのは、全く想定外の返答だった。

「そんなつもりはないのだが、そう思われてしまっても仕方がないのかもしれないな。なにせ、直前まで君が話題の中心だったのだ。それに比べたら、どんな話題に対しても熱意が冷めたように聞こえるだろう。無論、領主様も私にとっては大切な契約相手だ。しかし、マライア、私にとって君は、それよりも遥かに大切な存在だということなのだよ」

 聞きたくもない口説き文句を聞かされたマライアは、ヤブヘビとなってしまったことを後悔しつつ、愛想笑いを浮かべながら、もう少し突っ込んで話を聞こうと試みる。

「ありがとうございます。ですが、昔から先輩は『やるべきこと』に対しては全力を尽くす方だと思っていたので、少々、違和感を感じたというか……。何か隠していることがあるのでは?」

 そう言われたダニエルはニヤリと笑いながら答える。

「隠し事、か。そう言う君は、もう私に対して隠し事はないのかな?」
「いえ、私の方は、もうこれ以上、特に何も……」
「そうか。まぁ、これ以上の事情を聞きたいのであれば、今夜にでも、色々とお互いに腹を割って話そうではないか」

 含み笑いを浮かべながらそう語るダニエルに対して、マライアもひとまず同意しつつ、この場は一旦、引くことにした。彼が何を考えているのかは分からないが、ここでこれ以上突っ込んでも、事態が好転するとは思えなかったからである。こうして、ひとまず彼等の「第一段階の交渉」は終了した。

2.3. 青き星の少年

 一方、ミニチュアダックスフントの飼い主を探すため、村の中を散策していたキヨとラスティは、村人達が自分達を遠巻きに見ながら、ひそひそと話をしているのが聞こえる。その内容は、はっきりとは聞こえないが、どうやら「異世界の装束を着た少女」と「巨大な体躯の男」(と「小型犬」)という組み合わせに対して、奇異と警戒と恐怖が入り混じったような感情が、彼等の瞳から感じ取れる。
 もっとも、二人とも、そのような目で見られることには日頃から慣れているので、別段それで困るという訳でもない。ただ、道行く人々が彼等を避けていくことで、飼い主に関する情報を積極的に集めにくい状態でもあった。
 そんな中、一般の村人達に混ざる形で、革鎧と剣で武装した兵隊らしき者達が、彼女の連れている犬に視線を向けているのが目に入る。

「なぁ、おい、あれ、隊長の愛犬じゃないか?」

 そんな声が聞こえてきたところで、キヨは彼等に近寄り、話しかける。

「この付近で、このワンちゃんを見かけたのですが、飼い主の方を知っているんですか?」

 鋭い剣士のようなオーラを放つ彼女がそんな口調で話しかけてきたことに兵士達は微妙な違和感を感じつつも、素直に答える。

「あ、あぁ。多分、ウチの隊長だと思うんで、その、俺達が届けるということでいいですか?」

 そう言って彼等は手綱を取ろうとするが、キヨがそれをさっと避ける。

「この首輪に書いてある『記号』が少し気になるので、よろしかったら、その隊長さんとお話をさせて頂きたいのですが」

 穏やかな口調ではあるが、彼女の懇願は、どこか断りづらい雰囲気を醸し出していた。更に、その後ろでラスティが腕組みをしながらニヤリと笑っていたのも、兵達にとっては威圧感になっていたようで、彼等は密かに小声で相談を始める。

「おい、どうする?」
「さすがに、あそこに連れて行くのはまずいだろう」

 そんなやりとりの後、兵達の一人が、その場から離れて走り出す。

「分かりました。では、隊長を連れてきますので、あちらの広場でお待ち下さい」

 そう言って、残りの者達が、街の中心部にある小さな広場へと、彼女達を案内する。そして、その場でしばらく待ち続けた結果、眼鏡をかけて奇妙な装束を着た一人の少年(下図)が彼女達の前に姿を現した。


 彼の姿を見た瞬間、キヨは驚きの表情を浮かべた。彼女は、彼の姿に見覚えがあった。彼女の記憶が間違っていなければ、彼はこの世界にいる筈がない人物である。だが、そんな彼女が自分の気持ちを整理して彼の素性を確かめるよりも先に、その少年の方が先に口を開いた。

「スサノオ、無事だったか!」

 彼がそう叫ぶと、ミニチュアダックスフントは、彼に向かって駆け寄ろうとする。その犬の嬉しそうな態度から、間違いなく彼が飼い主であると確信したキヨが手綱を手放すと、尻尾を振りながらその少年の胸へと飛び込んでいった。

「見つけてくれてありがとう。心配していたんだ。このお礼は……」

 と、言いかけた途中で、彼はキヨの持っている「日本刀(キヨの本体)」に目を向けると、表情を一変させる。

「お前……、なぜ俺の刀を持っている?」

 そう言って鋭い視線を向ける彼を見て、キヨは確信した。この少年は「自分が知っている人物」であるということを。

「鴻崎翔さん、ですね?」

 それが、彼女の知っている「彼」の名である。そしてそれは、地球時代の彼女にとっての「10代目の持ち主」の名であった。

「……何者だ、お前? 少なくとも、この世界の住人ではないな。そうか、お前も、僕と同じ世界から来た投影体か」

 その推測は、半分正しくて、半分間違っている。キヨと彼は、本来は同じ世界にいた。しかし、キヨは当時、今の姿ではなく、純粋な「刀」であった。それがヴェリア界という世界に流された後、擬人化された「オルガノン」という形でこの世界に投影されたのである。だが、ヴェリア界やオルガノンという存在自体を知っている者は、この世界では少ない。
 やや混乱した状態の彼は、気持ちを整理しつつ、改めて自ら名乗りを上げる。

「そうだ。俺の名は鴻崎翔。お前の名は?」
「私は、キヨと申します」
「キヨ、か。聞いたことのない名だな。で、なぜお前がその刀を持っている?」

 そう言われたキヨは、自分の分かる範囲で彼に事情を説明しようとする。自分自身が「刀」であること。かつて彼は自分の「持ち主」であったこと。そして、彼から次の世代へと受け継がれ続けた後、最終的に廃棄されてヴェリア界へとたどり着き、そこからこの地へ投影されたこと。キヨ自身も、投影の原理については、あくまで他人から聞かされた程度の知識しか持たないので、その説明は今ひとつ説得力に欠けている。

「つまり、お前自身が、俺の加州清光だということか……」

 翔は、キヨの言わんとしていることは理解したが、そんなことが本当にありえるとは、どうにも信じきれない様子である。一応、彼女は彼の名前を知ってはいたが、彼もこちらの世界に来てから、自分のフルネームを名乗ったことはあるので、それ自体は証拠にはならない。

「ともあれ、スサノオを助けてくれたことには感謝する。その上で、一つ確認させてくれ。お前が本当に俺の『刀』だというのであれば、この犬の名である『スサノオ』が、俺にとって何を意味しているのか、分かるか?」

 そう言われたキヨは、彼と共に戦っていた時代を遡りながら答える。

「それは、かつてのあなたの戦友で、弟のような存在……」

 彼女の記憶が間違っていなければ、翔は「灼滅者(スレイヤー)」と呼ばれる特殊な能力の持ち主であり、彼が「武蔵坂学園」という学校に通っていた頃、彼と同部屋に住んでいた後輩が、「スサノオ・ビヨンドルメーソン」という名であった筈である(詳細は サイキックハーツRPG「12人の歌姫」 を参照)。

「……どうやら、本当のようだな。そう、俺にとって、あの世界でのスサノオは、家族同然の存在だ」

 そう言って、彼は自分の身の上を語り始める。どうやら彼は今、元の世界において「中学二年生」の状態であり、その世界を救うための重大な決戦(詳細は、上述のリンク先の 最終話 を参照)の直前のタイミングで、突如、この世界に出現することになったらしい。

「元の世界に戻るには、どうしたらいいか分かるか?」
「私もそれは調べているんですが……」

 実際のところ、「投影体が元の世界に帰還する」ということは、厳密な意味では不可能である。あくまでも彼等は「元の世界における本体」から生み出された「影」としての「別個体」であり、彼等がこちらに投影された後も、元の世界の本体達は本体としての人生をまっとうしている。故に、投影体がこの世界から消滅しようがしまいが、本体の人生には影響がないのである(一説によれば、本体にとってこの「投影体」が経験したことは、元の世界にいる本体は「夢」として認識されている、とも言われているが、それも定かな話ではない)。もっとも、そのようなことは魔法師レベルの知識の持ち主でなければ到底理解出来ない話なので、今の彼等に実感出来る筈もなかった。

「そうか。まぁ、それは仕方ないとして、お前は今、この世界で何をしてるんだ?」
「……遥か昔の私の持ち主と因縁がある相手が、私と同じようにこの世界に出現して、多くの人々を苦しめているので、その力を抑えるために、仲間と旅をしています」

 この説明で理解出来たかどうかは微妙だが、少なくとも、キヨはキヨで、この世界の中で既に「自分の役割」を見出していることは、翔には伝わったようである。

「そうか。俺は今、この村の契約魔法師殿の下で働いている。あの人への恩返しのためにな」

 翔曰く、彼はこの世界に出現した当初、「危険な力を持つ投影体」として、多くの人々から忌み嫌われる存在となっていたが、偶然出会ったダニエルに助けられて、彼の取りなしにより、エーラムから「人類に害悪をもたらさない投影体」であるというお墨付きを得られたことで、この世界における「居場所」を手に入れたらしい。

「さっき、あの人達があなたのことを『隊長』と呼んでいましたが、隊長さんなんですか?」
「あぁ、俺は今、ダニエル殿の直属の特別部隊の隊長を務めている。詳しい内容は言えないが、この村の自警団や他の正規兵とは別に、あの人の命令で特殊な任務を遂行するのが、今の俺の役目だ」
「今も何か任務を?」
「そうだ。だから、今からそちらに戻らなければならない。俺がいない間に、よからぬことが起きてはいかんからな。だが、スサノオを見つけてくれたことには、心から礼を言わせてほしい」

 そう言って、彼は深々と頭を下げる。どうやら、今の彼にとって、この「旧友の名を付けられた犬」は、心の支えのような存在らしい。

「また何か、力になれることがあったら、言って下さいね」
「そうだな。元の世界に戻る方法があるかどうかは分からないが、とりあえず今は、お互いにやるべきことがあるようだし、それぞれに今、出来ることを頑張っていこう」

 そう言って、翔は部下の兵達と共にその場を去り、キヨとラスティも宿屋へと戻る。無論、この時点で、この翔とその部下達が、昨夜、領主の館から金品を運び出した張本人であることなど、キヨ達は知る由もなかった。

2.4. 不穏分子

 その頃、(ルークとマライアを領主の館に案内した後で)村の中に不審な人物がいないかどうかの確認に回っていたフリックは、村人達から、不穏な噂話を入手する。どうやら最近、領主からの過酷な税の取り立てに反発する住民達の中に「よからぬこと」を企んでいる者が現れつつあるという。
 さすがにこれは見過ごす訳にはいかないと考えた彼が、その噂を頼りに更に調査を調べていくと、村外れの一角で、あまり見覚えのない風貌の若い男が、なにやら村人達と密談している様子が目に入る。その若い男は、ルークと同じような君主(騎士)風の軽装備で、村人達は彼を取り囲むように座り、深刻な形相で何かを訴えかけているように見える。
 その詳しい内容を知るために、密かに身を隠しながら彼等に近付いていくと、徐々にその会話の内容が聞き取れてきた。

「昨夜、金庫破りが出たらしいが、本当かどうかは分からない。そう言って、領主様が密かに金を個人的に着服しているのでは?」
「いや、俺が聞いた話だと、あれ、自警団の自作自演らしいぞ。どう考えても、そんなあっさりと侵入された上に逃げられるなんて、ありえないだろ」
「とにかく、今のままだと、もう俺達はこの村では生きていけない。盗まれたからと言って、また追加で徴税なんかされたら、もう俺達も我慢の限界だ」

 村人達の口から、そんな穏やかならざる言葉が飛び交う中、彼等の中心にいた「見慣れない騎士風の男」は、ゆっくりと諭すように彼等に語り始める。

「うむ、分かった。そういうことならば、これ以上、今の領主にこの村を任せる訳にもいかんだろう。だが、もうしばらく辛抱していてほしい。近いうちに私が、この村を救うための仲間達を集って、お前達を助けに来るから」

 そう言われて、村人達はひとまず納得したような表情を浮かべ、その場から退散していく。フリックは、この「見慣れない人物」の正体を確かめるため、密かにその後を尾行するが、やがて彼は村の外に出て、そのまま街道を東の方へと向かって行く。どうやら、隣の村に向かっているらしい。この村の東側は、反体制派(ゴーバン派)陣営の領域であり、実質的に中立派の立場にあるカナハの自警団の者が迂闊に近付くのは危険である。

「どうやら、何か特殊な思惑で動いている者達がいるようだな」

 彼が、隣村の人物なのか、それとも、全くの流浪の君主なのかは分からない。ただ、数なくとも、今の領主に対して敵対的な立場を取る者が、カナハの住民を扇動した上で隣村へと向かっていった、という事実を脳裏に深く刻みつつ、これ以上東進すると今日中に村に帰ることが出来なくなる、という場所まで来たところで、フリックはやむなくカナハへと引き返すのであった。

2.5. 困惑の宴席

 そして、晩餐会の時間がやってきた。ルーク、マライア、キヨ、ラスティの四人は、それぞれに得た情報を交換した上で、まだ今のこの村の全容が見えない状態であることを確認しつつ、まずは素直に領主の館へと向かう。
 館の入口に彼等が到着すると、衛兵達が手厚く出迎える。そして、領主との食事の場への出席ということで、武器を預けるように要求され、ルークは素直に従うが、キヨに関しては、日本刀は彼女の「身体の一部(より正確に言えば、本体)」であり、切り離せないという旨をマライアが説明した上で、例外的に帯刀した状態のまま入室を認められた(おそらく、ダニエルからの口添えがなければ、それも難しかったであろう)。
 一方、今のこの状況において、何か不穏な事態が起きる可能性を案じたフリックは、自ら会場内の警備役を買って出る。村の中の不穏分子達の動向とルーク達が繋がっているとは考えたくはないが、マイリィ不在の今、自分こそがユイリィを守らなければ、という義務感があったことは言うまでもないし、ダニエルとしても、何かあった時のための護衛役として、彼を会場内に配置しておくことには異論はなかった(客人の中に「帯刀した人物」がいれば尚更である)。

「いいか、領主様を一人にしないように、厳しく監視しておくのだ。おそらく、ルーク殿が領主様と直接お話をすることになるだろうが、正直、彼が何を考えているのか、よく分からない。まぁ、領主様も体調がよろしくない以上、早めにご退室頂くつもりではあるがな」

 ダニエルはフリックにそう告げると、改めて鏡の前に立ち、自らの身だしなみを再確認する。彼等がそんなやりとりをしていると、やがて宴席の会場にルーク達が到着し、それとほぼ同時に、領主であるユイリィも姿を現した。

「ようこそ、お越しくださいました。まずはごゆるりとおくつろぎ下さい」

 笑顔でルーク達にそう告げる彼女であったが、その笑顔には、どこか影がある。体調がよくないという話は聞いていたが、むしろ、精神的に何かに悩んでいるかのような様子である。もっとも、妹が行方不明で、村の金庫が破られた直後である以上、それも無理からぬ話ではあるが。
 そして、彼女の登場と同時に、料理の数々が宴席場に運ばれてくる。この光景を見て、先日のオーキッドでの一件を思い出したラスティは、自身の混沌察知嗅覚を駆使して、それぞれの料理の匂いを嗅いでいった。

「大丈夫だ。特に奇妙な気配は感じな……、ん?」

 一通り確認して納得した表情を浮かべかけた彼が、一瞬、顔をしかめる。彼が「何か」を感じ取ったのは、マライアの前に出されたワイングラスの中からである。そして、同じことをフリックも感じていた。

(なんだ、この匂い? 普通のワインの匂いじゃないぞ……?)

 フリックは、自分自身の嗅覚についての詳しい説明までは受けていないため、それが何なのかは分からない。ただ、ダニエルが何か「よからぬこと」を企んだのではないか、ということは、この状況から薄々察していた。とはいえ、今の彼の立場としては、ここでどうこう口出し出来る状態ではない。
 そして、マライア自身も、そのラスティの反応を見てワインの中身を注視した結果、(さすがに医療や薬物の専門家だけあって)そのワインの中に何らかの「薬」が潜んでいることは分かったようである。

「このワイン、何か異物が混入していますよ」

 さすがに、自分に対して露骨に「何か」を仕込んできたことに立腹したのか、マライアがストレートにそう告げると、ダニエルがいつもの「淡々とした口調」で近寄る。

「ふむ。これは、料理長を叱責せねばならんな。申し訳ない。代わりの酒を用意しよう」

 そう言った彼の口元が一瞬歪んだのを、マライアは見逃さなかった。何の薬が入っていたのかは分からないが、対象が自分一人だったこともあって、これまでの彼の態度から、ある程度は推測がつく。やはりこの人物は、魔法師としては尊敬出来る才能の持ち主であっても、人間的には決して受け入れることが出来ないタイプの存在であることを、改めて彼女は実感させられた。
 一方、領主のユイリィは粛々と料理に手をつけ始めたが、その彼女を儚げな表情を凝視したキヨは、ユイリィの瞳の奥に「誰か、助けてほしい」と訴えているような、そんな気配を感じる。その旨をキヨから密かに伝えられたルークが、どうすればその彼女の真意を読み取ろうと思案を巡らせていると、ユイリィの方から、彼に近寄ってきた。

「お久しぶりです、ルーク様。我が村のフリックが、あなたの実家を救うために必要だそうですね」
「はい、大変身勝手な申し出とは思うのですが……」
「どうしても、このブレトランドを救うために彼が必要ということであれば、彼さえよければ、連れて行って頂いても構わないと私は思ってます。ですが……」

 彼女はそれに続けて何かを言いたそうな様子ではあるが、それを言い出せない、そんな雰囲気であった。そして、その彼女が視線を泳がせる先には、ダニエルの姿がある。ダニエルは、マライアの気を引こうと彼女に近付きつつも、横目でチラチラとユイリィの動向を確認していたのである。それは、彼女を守るためというよりも、彼女を監視しているような視線であるように、間近で彼を見ているマライアには思えた。そこでマライアは、君主同士の話し合いを円滑に進めるために、あえて身を削って、ダニエルの視線を自分に集中させようと試みる。

「さっきから、領主様の方ばかり見てますけど、やはり、私よりも領主様のことが気になるのではないですか?」
「おや、これは心外だな。私は仕事と私生活は分けて考えている。領主様への感情は、私の中では『仕事』の範疇から外れることはない。一人の人間として、一人の女性として、君と同列に考えたことなど、一度も無いよ」

 そう言いながらも、マライアがやや嫉妬めいた言い方をしたことが嬉しかったようで、そのまま上機嫌でマライアへの想いの強さを語り始めつつ、マライアに酒を勧めていく。どうやら、彼の中で「今夜のこの雰囲気なら、イケる」という自信が生まれてきたらしい。
 こうして、ダニエルの注意がそれたこのタイミングで、ユイリィはあまり中身のない会話を交わしながら、表情を変えずにハンカチの内側から小さな紙片を取り出し、ルークの服のポケットにそっと忍ばせる。ルークはその動作を確認しつつも、何か特別な事情があることを察し、何も気付かないフリをしてそのまま「他愛ない話」を続ける。
 一方、ダニエルとの飲み交わしに付き合わされ続けたマライアは、徐々に顔色が悪くなる。その様子を見て、彼女よりもまだ若干余裕がありそうなダニエルは、ほくそ笑みながら彼女を気遣う素振りを見せる。

「ん? どうした、マライア? 辛いようなら、この奥の客間で少し休むか?」

 そう言われたのに対して、返事をする気力も無くなりかけていたマライアを、ダニエルが彼女の半身を支えながらその場から連れ出そうとしたところで、ルークが駆け寄る。

「大丈夫か、マライア?」

 ルークがマライアの反対側の手を引くと、彼女の身体はダニエルの身体から離れて、そのままルークに寄りかかる。朦朧とした意識の中で密かにルークに感謝するマライアであったが、それに対して、ダニエルは露骨に不快そうな表情を浮かべる。

「おや、領主様とのお話はもうよろしいのかな?」
「あ、いえ、その、まだ途中ではあったのですが……」
「お主は『仕事よりも私生活を優先する派』か? それとも、あくまでこちらも『仕事』の一環なのか? 契約魔法師でもないのに」
「いや、確かに、仕事ではありませんが……、その……、旅の仲間の容体が悪いようなので、心配で見に来ただけでありまして……」

 そう言って、特に個人的な下心がないことを強調するが、ダニエルとしては「自分よりも遥かに若い(マライアに歳が近い)好青年」に「マライアを『介抱』する役」を奪われるのは、どうにも面白くない。相当な量の酒が入っていることもあって、その感情は余計に露骨に現れている。
 そんな不穏な空気を察してか、ここでフリックが横槍を入れてきた。

「ダニエル様、あなたもかなり酔っていらっしゃるようで」
「あぁ、まぁ、そうだな。だが、もうしばらくくらいは……」
「呂律も回っていませんし、これ以上は明日に響きますので、そろそろお休み下さい」

 そう言って、フリックは強引にダニエルの腕を引っ張り、彼をそのままダニエルの私室へと連れ去って行く。既に足元もふらつき始めている彼が、屈強なフリックに引っ張られて、抵抗出来る筈もない。ルークとマライアは内心で彼に感謝しつつ、既にマライアの体調も限界に達していることもあり、彼等もまた、宴会の席を後にして宿へと帰還することになった。
 そして、ダニエルを彼の私室のベッドの上へと放り投げたフリックが宴会場から戻ってくると、ユイリィもまた、会場の後片付けの指示を出しつつ、自室へと戻ろうとしていたので、念のため、今度は彼女を護衛する形で、フリックはユイリィと共に宴会場から再び退室する。

「すみません、村が大変なこの時期に、色々とあなたには苦労をかけて」
「いえいえ。領主様こそ、お身体が悪い中、ご無理をなさらないで下さい」

 そう言われたユイリィは、ややバツが悪そうな表情を浮かべつつ、話題を切り替える。

「ところで、ルーク様から、あなたの力が必要だという話を伺いましたが」
「はい。あの方から、力を貸して欲しいとは言われました」
「あなたとしては、どうしたいですか?」
「領主様に貰った命ですから、出来ればこの村のために尽くしたいと思っています」
「そういうことでしたら……、今は……」

 彼女はそう言いかけて、周囲を気にしながら再び口篭る。その様子を不自然に感じたフリックが彼女と同じように周囲に目を向けると、やや離れたところから、誰かに監視されているような視線を感じる。
 その不穏な空気を感じ取った彼は、一刻も早く彼女を部屋に連れて行こうとするが、その最中、ユイリィは言葉を選びながら、フリックにこう告げる。

「ルーク様は信用出来る方です。出来れば、あの方の力になってあげて下さい」
「……分かりました。考えておきます」

 大恩あるユイリィにそう言われてしまうと、フリックとしてもその言葉を無下には出来ない。だが、今の村の状態を放ったまま旅に出る訳にもいかない、というのが彼の本音である。複雑な思いを抱きつつ、ユイリィを送り届けると、フリックもまた、様々な思考を巡らせながら、領主の館を後にするのであった。

2.6. 走り書きの想い

 一方、旅宿に戻ったルークは、仲間達の目の前で、ユイリィから渡された紙片を取り出す。すると、そこには走り書きのような文字で、短くこう書かれていた。

「マイリィを探して下さい。彼女はこの村の外れの森にある廃屋にいる筈です」

 ひとまず、マライアに気付薬を処方して酔いを覚ました上で、今後の方針について確認する。こんな短い手紙を密かに渡したという時点で、現在のユイリィが、何らかの理由により、自由に発言出来ない立場にいることは、彼等にも想像がついた。しかも、知らぬ仲ではないとは言え、外部の人間であるルークに頼むというのは、よほど特殊な事情があると考えるのが自然である。キヨが感じ取った「誰かに助けてほしいと訴えかけるような瞳」と照らし合わせて考えても、彼女が今、精神的に相当追い詰められた状態にあることは間違いないだろう。
 これは、早めにマイリィを探した方がいいと彼等が考えていたその時、彼等の宿を訪ねる者が現れた。フリックである。

「夜分遅くに、申し訳ございません」
「いえ、何かありましたか?」
「先ほど、領主様から、ルーク様の力になってほしいと言われまして……」

 そうは言っても、今すぐ彼等と共にこの村を去る決意が固まった訳ではない。今の村の状況を伝えた上で、互いに協力出来る範囲で協力していくための方向性を模索しよう、という曖昧な気持ちのまま訪ねた訳だが、ルーク達にとっても、ここで彼が現れてくれたことは、まさに渡りに船であった。

「そういうことであれば、さっそくお力を貸して頂きたいことがあるのですが」

 ルークはそう言って、ユイリィから受け取った紙片をフリックに見せる。

「あなたの上司のマイリィ様は今、行方不明だと聞いていますが」
「はい。我々も、その行方を捜していたところです」

 フリックが見る限り、その紙片に書かれた文字は(かなり急いで書いた走り書きではあるが)間違いなくユイリィの文字である。しかし、なぜ彼女がそんな情報を持っているのか? そのことを知った上で、なぜ彼女自身が探そうとせず、ルークに託したのか、現時点ではまだ謎が多い。とはいえ、マイリィの捜索自体は、むしろフリック自身が切望していたことであり、ルーク達が彼女を探すというのであれば、それに協力しない理由は彼にはない。
 ただ、「森の中の廃屋」と言われても、明確な心当たりはフリックにはない。正確に言えば、森林地帯の中には、かつてその地で林業を営んでいた者達が使い捨てていった小屋がいくつかある筈だが、その中から特定するのは難しい。とはいえ、まったく土地勘がないルーク達よりは、フリックがいた方が探しやすいことは確かであろう。

「我々は明日の朝から、森を捜索しようと思っています。ご協力頂けますか?」
「了解しました。そういうことであれば、私が森の中を案内しましょう」

 フリックとしては、出来れば自警団全体で捜索に向かいたいところではあるが、今は村の内部で不穏な動きもある以上、全体を動かす訳にもいかない。それに、ユイリィが「部下への命令」という形ではなく、あえて外部の人間に頼んだということは、表立って捜索することで何らかの弊害が発生すると考えている可能性がある以上、ここは彼個人のみが密かにルーク達に協力するに止めておく方が無難であろう。
 こうして、ここまで互いに相手を気にかけつつも微妙にすれ違っていたルーク達とフリックが正面から手を取り合う関係が、ようやく構築されたのであった。

3.1. 恩義と疑惑

 そして翌朝、彼等が森の中へと向かい、フリックが想定していたいくつかの「廃屋」を回っていくとその中の一つから、中に人がいる気配を彼等は感じ取った。警戒しながら近付いていくと、その建物の中から、一人の少年が姿を現す。
 キヨのかつての「持ち主」、鴻崎翔である。だが、彼を見た途端、フリックが大声を上げる。

「お前は!」

 そう、彼の目に映った翔の姿は、まさに先日の窃盗団の中にいた少年そのものであった。しかし、それとほぼ同時に、翔もまたフリックを見るなり、激しい敵意を彼に対して向ける。

「貴様、一昨日の強盗団の首領だな! 性懲りも無く、ここまで追いかけてきたか!」

 翔はそう叫び、地球時代から用いていた(キヨと並ぶ)もう一つの武器である「解体ナイフ」を取り出し、その刃をフリックに向ける。
 だが、その反応は、フリックにとってはあまりにも想定外すぎて、彼は一瞬、面食らったような表情を見せる。

「ん? 強盗団はお前達の方じゃないのか?」
「何を言っている!? 我々はダニエル様からの密命で荷物を運び出したのだ。お前達、強盗団から、その荷を守るためにな!」

 完全に両者の意見が食い違った状態であるが、フリックの方は、うっすらと事態が見えてきた。その上で、ここはひとまず、相手の真意を確かめる必要があると考えた彼は、そのまま翔と口論を続ける。

「強盗団とは、とんだ言いがかりだな。お前達、その荷物が何なのか分かっているのか?」
「この村の民が納めた貴重な血税であろう。それをお前達に盗まれないよう、密かに運ぶために、我々が警護の任に就いていたのだ」

 そう言った上で、翔はフリックの隣にいるキヨにも怒声を浴びせる。

「おい、どういうコトだ!? お前が言ってた『仲間』ってのは、この村の血税を横取りするような連中だったのか!?」

 そう言われたキヨも、そしてルークもマライアも、今のこの状況は理解出来ない。ひとまずキヨは、彼が昨日出会った「自分の過去の持ち主の一人」の鴻崎翔であることを皆に説明するが、正直、キヨとしても、なぜ彼がここにいて、フリックのことを強盗団呼ばわりしているのか、状況が掴めずに困惑した状態であった。

「フリック殿、どういうことなんだ?」

 ルークにそう言われたフリックは、自分が知りうる限りの事情を伝える。一昨日の夜に、館から村の予算となる税金を翔達が盗み出し、フリックが率いる自警団を振り切って逃げ去った。それが、フリックにとっての「真実」である。
 警戒した面持ちで武器を構えながら、フリックの語る彼の「言い分」を聞いていた翔であったが、ここで今度は彼の方が困惑した表情を浮かべる。

「ちょっと待て。お前は、あの村の自警団だと言うのか?」
「あぁ、副団長のフリックだ」
「その証拠は?」

 実際のところ、証拠と言われても、明確な身分証がある訳ではない。カナハのような小さな村では「顔パス」が一般的である。フリックの顔を翔が知らないと言っている以上、何をどうしても証明の仕様がない。むしろ、翔の方こそが「その身の証を立てろ」と言われても、立証の仕様がない状態である。
 だが、キヨが知る限り、翔は不正に自ら進んで手を貸す性格ではない。おそらく彼は、本当に「恩人であるダニエル」に雇われて、彼の命令で行動したのであろう。キヨはひとまずフリックに、彼が「自分が元いた世界における仲間」である旨を告げ、彼がダニエルに協力するに至った経緯を、彼に代わって説明する。

「そうか、ダニエルの手先の仕業だったのか」

 「手先」という言葉に翔は再び顔を強張らせるが、彼が何かを言うよりも先に、ルークがこの状況を整理しようと、口を開く。

「彼が副団長であることを証明しろと言うのであれば、団長に聞いてみれば良いだろう。ここに団長のマイリィ殿がいるのではないか?」

 そう言われた翔は、ピクッと反応しつつ、鋭い視線をルークに向ける。

「その話を、誰から聞いた?」
「それは教えられない」

 さすがに、相手の状況がまだよく分からない以上、ユイリィから密かに情報提供を受けたということを教えて良い状況ではない。翔の反応から察するに、この奥にマイリィがいる可能性は高そうだが、ここまでの敵対的な態度を見る限り、そう簡単に会わせてもらえそうにない。
 どうすれば彼を信用させることが出来るのか。皆がこの状況を打開する方法を悩んでいる中、キヨがおもむろに口を開き、彼に全ての事情を語り始める。少なくとも、今ここにいる中で、翔が最も信頼しているのはキヨである以上、彼女の口から説明するのが最も有効であることは、彼女自身も分かっていた。ラピスの陥落から、シリウスの消滅、そして八人の後継者の存在に至るまでの事情を話すと、翔の態度にやや変化が見られる。

「それは、まるで里見八犬伝のような話だな」

 実は、彼がこの世界に投影される約一ヶ月前、彼が通っていた高校の演劇部が「南総里見八犬伝」を演じていたのを、彼は観劇していた(詳細は、前述のリンク先の 第6話 を参照)。彼が言う通り、今のキヨ達を取り巻く状況は、まさに南総里見八犬伝の物語に酷似している。あるいは、地球におけるその物語と、この世界における状況には、なんらかの相関関係があるのかもしれないが、今の時点でそのことを立証出来る方法はない。

「そして、彼がその八犬士の一人だと言うのか?」

 翔にそう言われると、キヨは「はい」と言った上で、フリックに肩の邪紋を見せるように促す。すると、そこに確かに「義」の文字が書かれているのが翔の目に入った(ちなみに、その隣でラスティも勝手に服を脱いで、自分の「孝」の文字を見せつけようとしたが、翔の視界には入っていなかった)。

「た、確かに、それは俺達の世界の文字……。そうか、『義』か。それが、お前の背負う宿業だというのだな……」

 冷静に考えれば、その文字があるからと言って、フリックが「義」の志を持つ者であるという保証はどこにもない。だが、この「異世界」において、「自分が知っている物語」に基づいた形で「自分が知っている文字」を目の当たりにしたことで、翔の心にも「この男が、嘘をついているとは思えない」という気持ちが広がってくる。
 だが、そうは言っても、今の翔にとっては、自分を助けてくれたダニエルのために尽くすことこそが、自分にとっての「義」である。したがって、どのような事情があるにせよ、ダニエルのことを裏切ることは出来ない。
 そうなると、彼の中で矛盾なく構築しうる唯一の「真実」は、ダニエルと自警団との間で、なんらかの行き違いが生じた、という可能性である。今はその可能性に賭けつつ、ひとまず、キヨの要請に応じて、彼の知りうる事情を語り始めた。

「お前達が言う通り、この奥には自警団の団長のマイリィという女性がいる。彼女は領主のユイリィ殿に対して叛乱を企んだことが露呈したため、今、この建物の地下で監禁している。最終的にどのような裁きになるのかは分からないが、この事実が広がると村人達に動揺が広がるため、このことは伏せた上で、誰もここに近付けてはならない。それが、ダニエル殿からのお達しだ」

 翔はそう説明したが、フリックが知るマイリィは、姉であるユイリィに刃を向けるような人物ではないし、行方不明となる直前の段階でも、そのような素振りは全く見せなかった。どう考えても、この少年がダニエルに騙されて利用されているとしか思えなかったが、今の彼にそう言ったところで、彼がその主張を受け入れるとは思えなかった。

「で、お前達は誰から、この奥にマイリィがいることを聞いたんだ?」

 改めてそう問われたルークは、ユイリィから受け取った手紙を見せて、ここに至るまでの事情を説明する。翔が全てをさらけ出した以上、こちらとしてもこれ以上、隠し立てをする必要はないと判断したようである。

「なるほど。つまり、ダニエル殿はマイリィをここに監禁し、ユイリィ殿は彼女をここから連れ出そうとするということは、お二人が対立関係にある可能性が高い、ということだな」

 徐々に冷静さを取り戻した翔は、そう状況を分析する。確かに、それが一番自然な解釈であろう。もしその通りだとすると、ダニエルを心酔する彼が、ユイリィからの依頼でこの地に来たルーク達をあくまで拒絶する、という構図になりそうな状況に思えたが、逆に彼はここに至ってようやく、自らの刃を鞘に収め、そして建物の奥にいる部下の兵士達を呼び出し、建物の周辺地域の警備に回るように告げる。これは実質的な「人払い」であった。

「お前達は、ここから彼女を連れ出した後、どうするつもりだ?」
「ユイリィ様の元に連れ戻し、自警団に戻って頂きたい」

 フリックがそう答えると、翔は複雑な表情を浮かべながら今の正直な気持ちを述懐する。

「俺はまだこの世界のことがよく分かっていない。何がこの世界の理(ことわり)なのか、何が正しいのかもよく分からない。だが、俺がダニエル殿に助けられたのは事実。そしてもう一つ、スサノオをお前達が助けてくれたのも事実だ」

 つまり、彼としては、ダニエルにもキヨ達にも恩義がある以上、どちらを信じて、どちらの味方をすれば良いのか分からない、というのが今の正直な気持ちらしい。この世界の中で受けた恩義の重さで言えばダニエルの方が大きいのだろうが、キヨとは、地球にいた頃からの深い信頼関係もある(たとえ、当時はただの「物言わぬ刀」であったとしても、彼女の存在によって助けられていたことは紛れもない事実である)。

「だから、俺は今から、ダニエル殿のところに行って、事情を確認してくる。その間にお前達がここで何をしようが、俺がこの場にいない以上、俺にはどうすることも出来ない。俺は今、この場を守るという任務よりも、ダニエル殿の真意を確認することの方が重要だと判断したから、ひとまずこの場を放棄する。部下が俺の不在に気付くまでの間に、お前達がどうするかは、お前達の判断に任せる。もっとも、この奥の地下室には、防犯用のガーゴイルが設置してあるから、お前達が勝手に入るのは、その身を相当な危険に晒すことになるがな」

 そう言って、翔はその場を去って行く。この状況で、両者への義理を両立させるために彼が導き出した結論がこれであった。部下達を残した上で、彼等が中に入らないように監視させるという選択肢もあったが、おそらく直感的にキヨ達の実力を察知した結果、自分が不在の状態ではどちらにしても勝てないと判断して、あえて退散させたのであろう。
 こうして、様々な不確定要素を孕んだままではあるが、ルーク達はひとまず、この奥に存在するであろう地下室へと足を踏み入れるための「道」を手に入れたのであった。

3.2. 予期せぬ遭遇戦

 だが、ここで足を踏み入れていいかどうかについては、ルークの中では逡巡があった。彼の中では、ユイリィとダニエルを比べた場合、これまでの印象から察するに、ユイリィの言い分を信用したい気持ちはある。だが、この村のことをよく知らない彼としては、果たして本当に正しいのはどちらなのか、この村の人々のためになる人物がどちらなのかを、今の時点で自分の印象論だけで勝手に判断して良いのか、という気持ちもあった。
 おそらくこれは、先日のオーキッドの一件において、最後にヴェルトールから言われた言葉が、どこかで引っかかっていたからであろう。これまでは義父の命令に従って務めを果たすだけの立場であったが、これから先は一人の独立した君主として、仲間達を、そしていずれはラピスの領民たちを正しい方向に導かなければならない。だからこそ、今のこの不確実な情報が多い中で、翔がダニエルの真意を確認する前に、「悪いのは、マイリィを監禁したダニエル」と決めつけて良いかどうか、まだ決心がつかずにいた。
 そうして、彼が廃屋の前で判断に迷っていると、翔が去っていった方向とは全く別の方角から、何者かが近付いてくる音が聞こえる。ルーク達が警戒してそちらに目線を向けると、そこに現れたのは、先ほどまでこの建物の中にいた翔の部下達とは明らかに異なる風貌の持ち主であり、それを率いていたのは、先日フリックが目撃した「東方の隣村へと去って行った騎士風の男」であった。

「ん? 新顔か? ショウ殿はどうした?」

 そう言われてルーク達が困惑する中、まずマライアが一歩前に出て口を開いた。

「コウサキ・ショウ隊長と、知り合いなんですか?」

 先刻聞いたばかりの翔のフルネームを挙げて彼女がそう尋ねると、やや怪訝そうな顔をして、その騎士風の男は答える。

「あぁ。話を聞いていないのか? 例の物品を受け取りに来たのだが」
「例の物品?」
「決まっているだろ。例の支援金のことだ。支払いは今日の予定だろ?」

 そう言われたルーク達が困惑した表情を浮かべていると、その来訪者達は表情を硬化させ、腰の剣に手をかける。

「お前達、何者だ? ダニエル殿の一派ではないのか?」

 相変わらず困惑した状態の中、今度はフリックが口を開く。

「ダニエルの一派ということは、他の一派もいる、ということなのかな?」
「質問に答えろ。お前達は何者で、ここで何をしている?」
「怪しい者がうろついていると聞いて、ここに調査に来た者だ」
「……なるほど。少なくとも、お前達は俺達の味方ではないようだな!」

 そう言うと、彼等は剣を抜き、ルーク達に向かって襲いかかってくる。そして、その指揮官らしき騎士風の男の頭上には聖印が光っていた。どうやら彼は、少なくとも一定以上の実力を持つ君主であるらしい。しかし当然、ルーク達も既にこの状況から、彼等の殺気は察知しており、すぐに応戦態勢に入る。
 まず、ラスティが最前線に飛び出して敵の一部を引き付けようとするが、その後方に魔法師(マライア)がいることに気付いた彼等は、まず彼女を狙おうと、ラスティの脇を突破して後方に走り込む。キヨとフリックがその動きを妨害しようとするが、それでも敵の一部は彼等の側面を回り込むことで、マライアをその剣の射程に収めた。
 しかし、ここでルークが、マライアと入れ替わるように敵の前に立ちはだかる。本来であれば、弓しか武器を持っていない彼もまた、敵の真正面に立つべき人物ではないのだが、魔法師であるマライアを助けるため、背に腹は変えられない状態であった。彼は敵の攻撃を受け流しつつ、マライアが放つ魔法による補助もあって、必死で応戦する。
 一方、敵の隊長格である騎士風の男はフリックに向かって襲いかかるが、アンデッドの邪紋使いである彼には、全くその刃は通用しない。何合か打ち合ってそのことに気付いた彼は、途中でその標的をルークやマライアに変えようとするが、その攻撃も全てフリックが身を呈して庇うことで、その刃は彼等には全く届かない。そして、フリックがその騎士風の男を封じ込めている間に、キヨの刃とラスティの剛腕、そしてルークの放つ弓矢が敵を次々に倒し、その兵力を削いでいく。
 気付いた時には、自分の周囲の味方が全員倒れていることに気付いた騎士風の男は、さすがに身の危険を感じて撤退しようとするが、それもキヨとラスティに回り込まれてしまい、更にその後方から、マライアが大声で叫ぶ。

「抵抗しないなら、これ以上何もしません。武器を捨てて下さい!」

 そう言われて、状況的に逃げられないと判断したのか、騎士風の男は素直にその場に剣を投げ捨てる。おそらく、ここで逃げたら、マライアが全力の魔法攻撃を放つと思ったのだろう(実際には、彼女は攻撃魔法は使えないのだが)。

「わ、分かった、分かった! 降伏する!」

 そう言って、彼は両手を挙げる。ルーク達も追いつき、彼を取り囲むようにして尋問を始めると、彼は素直に自分の知っていることを全て語り始めた。
 彼は本来は流浪の君主で、「領主の地位」を得ることを条件に、東方の反体制派(ゴーバン派)に加わることになった人物らしい。彼曰く、ダニエルは実は裏で反体制派と通じており、密かにカナハの資金をケネス派に支援金として横流しする計画を立て、この騎士風の男とその部下は、その資金を受け取った上で反体制派の拠点アキレスへと運ぶ役目を担っていたのだという。
 その上で、その資金を得るために重税を課すことで村人達の不満が募った段階で、この騎士風の男が彼等を煽って叛乱を起こし、「領主の圧政に苦しむ村人達を助ける」という名目で隣村からケネス派の軍隊が雪崩れ込み、現領主ユイリィを倒してこの人物を次の領主に据えた上で、ダニエルは降伏して(という建前で)彼の契約魔法師となる、という算段だったという。
 この説明が真実であるという保証はないが、少なくともこれまで集めた情報とは辻褄が合っている。現状、反体制派は相次ぐ巨大な投影体との戦い(詳細は「ブレトランドの英霊」第5話第6話を参照)が続いたこともあって、軍資金難の状態に陥っているため、少しでも資金が欲しいのは事実であろうし、恭順派の総本山であるイカロスに隣接したこのカナハの地を手中に収めることは、軍略上重要な意味を持つ。状況証拠的に考えても、十分に信憑性のある話である。
 そして、この一通りの話を聞いた上で、ようやくルークの中でも、ダニエルと対立する覚悟でマイリィを助ける決心が固まる。他の村の騒動に口を出す権利があるかどうかは微妙だが、少なくともこの話が真実であれば、一人の君主として、このような君主と領民への裏切り行為を黙って見過ごす訳にはいかない。無論、それは他の者達も同様であった。
 その上で、この騎士風の男の処遇についてどうするか、と考えていたところで、この男は自らの聖印を、ルークの前に差し出す。

「この聖印をやるから、命だけは助けてくれ。な、頼む!」

 聖印を他人に譲渡すれば、その時点で彼は君主としての力を失う。そうなれば、少なくとも当面は寝首をかかれる可能性は無いだろう。そして彼は、ルーク達が何者なのかもよく分かっていない以上、もし仮にゴーバン派の陣営に帰還したところで、「計画が邪魔された」ということ以上の情報を与えることは出来ない。もし、ここで彼を殺した場合、おそらく彼等が帰ってこないことを不審に思われて別の者達が派遣されることになるだろうが、仮に彼が帰還してこの顛末を語れば、逆に諦めてこの計画を中止するかもしれない(無論、諦めずに次の手を打ってくる可能性もあるが、それは彼を殺したとしても同じことである)。
 そこまでルーク達が考えていたかどうかは不明だが、少なくとも、あえてここで彼を積極的に殺す必要もないと感じたルークは、その申し出通りに聖印を受け取って自らの聖印と融合させる。そしてその「元騎士風の男」は、一目散にその森から走り去って行くのであった。

3.3. 地下牢

 こうして、思わぬ形で真実(と思しき情報)を手に入れたルーク達は、廃屋の中に入ると、その中に地下へと続く階段があることを発見し、そのまま降って行く。おそらくは、もともと木材の貯蔵庫であったと思しき構造で、その奥行きはかなり広く、幾つかの部屋に分かれているのが分かる。
 そんな中で、幾つかある部屋の一つに「錠前」がかけられているのを発見する。他の部屋に比べて、ここだけが扉の構造も頑丈そうに見えたので、おそらくはこの奥にマイリィか、あるいは金庫から盗み出した金品のどちらかが隠されているのではないかと推測されたが、この場にいる者達の中には、小道具を使って解錠するといった技術を持つ者はいない。かといって、力付くで破るのも厳しそうな扉のように見える。
 そして、そこで立ち尽くす彼等の後方から、何者かが小さな足音を立てて近付いてくるのを察知した。振り返るとそこにいたのは、焦げ茶色の体毛を揺らして近付いてくるスサノオである。その口元には、いくつかの鍵のついた鉄輪が加えられていた。
 もしや、この中のどれかがこの部屋の鍵なのでは、と思った次の瞬間、彼はマライアの元に走り寄り、彼女にその鍵を渡す。おそらく、翔はスサノオに対して、自分以外の者が来ても渡さないよう躾けていたのだろうが、先日の一件もあり、彼等は翔の敵ではないと勝手に判断したようである。もっとも、なぜ真っ先に渡したのが、実際に翔に受け渡す時まで同行していたキヨやラスティではなく、マライアだったのかは謎であるが。

「コイツ、女にばかり懐くんだな」

 ラスティがそうボヤくのを横目に、マライアが錠前の形を確認しながら、その鉄輪につけられた鍵の一つを試してみると、あっさりとその錠が開いた。そして彼等が扉を開くと、その奥に、一人の女性が鎖に繋がれた状態でいるのが目に入る。

「マイリィ様、大丈夫ですか?」

 そう言って、フリックは駆け寄っていった。どうやら彼女こそが、探し求めていた自警団長のマイリィであるらしい。かなりやつれた様子の彼女は、虚ろな瞳を浮かべながら、ゆっくりと口を動かした。

「フリック? お前……、どうやってここに……」
「その話は後で。とにかく、今はまず、ここから出ましょう」
「そうしたいのは、山々だが、今、この鎖を壊すと、アイツ等が、動きだす……」

 そう言って彼女が周囲に目を向け、その視線の先を見ると、部屋の四隅に四体のガーゴイルが設置されているのが分かる。彼女曰く、実はこの鎖自体は、彼女が本気になれば壊すことは出来るらしいが、壊れると同時にガーゴイルが彼女に向かって襲いかかるシステムが、ダニエルによって組み込まれているらしい。その強さは不明だが、少なくとも体力も武器も鎧も奪われた状態の今の彼女では、まともに戦うのは難しそうである。
 そして、そこにフリックやルーク達が加わったところで、このガーゴイル達を倒せるのかは分からない。この状況下で、どうやって彼女を助けるべきかを彼等が考えていると、やがてその後方から、今度は人間と思しき足音が、少しずつ近付いてくるのを感じた。

3.4. 戦う理由

「そこにいるのは、翔ではないな」

 それは、ダニエルの声であった。やがて彼の姿がルーク達の視界に入ると、ダニエルもまた、彼等の存在に気付く。

「マライア? なぜここに君がいる?」

 それが彼の第一声であった。フリックよりも、ルークよりも、まず真っ先に彼がその存在を認知したのは、やはりマライアだったのである。

「領主様から、マイリィさんを助けてほしいと言われて、ここに来ました」

 そう言った上で彼女は、ここまでの経緯を全て話す。翔と、そしてあの流浪の騎士から聞いた話を全てダニエルに伝えた。そして、その話を聞いたダニエルの様子から察するに、どうやら彼はまだ、翔とは接触していないらしい。翔がダニエルの元に行こうとしたのと入れ違いに、彼は様子を確かめるためにこの廃屋へと到着してしまったようである。

「そうか、全て知ってしまったんだな。その上で、君はこれからどうするつもりだ? アントリアの村を救うために行動している君が、まだ我々に対して何か介入する気があるのか?」

 ダニエルは、完全に開き直った表情を浮かべながら、マライアにそう問いかける。

「君達の目的は、そこの副団長だろう? 彼を連れてこの村から出て行くというのであれば、私もこれ以上、君達に干渉する気はない。ここから先は、この村の内部の問題だ。彼がこの村の住人でなくなるのであれば、我々がこれ以上、関わり合う必要は何もない。もっとも、君がこれから先、『この村の住人』になるというのであれば、また話は色々と変わってくるが」

 そう言われたマライアは、一瞬、言葉に詰まる。後半部分は聞き流すとしても、この状況で「余所者」の彼女が、これ以上介入する義務や権利があるかどうかは、非常に難しい問題である。

「確かに、私の目的とは関係ないですが、彼を連れて行くには、ユイリィ様の許可が……」
「もう領主様の許可は得ているだろう? 違うか?」

 ダニエルがそう言うと、今度はフリックが口を開く。

「あぁ、その話は私も聞いているよ。ルーク様を手伝うようにと言われている」

 そう言った上で、フリックはルークの方に視線を向ける。

「ルーク様、あなたは昨日の夜、私の力を貸して欲しいと言ったが、一回だけ、私の頼みも聞いてもらえないか?」

 これまでに見せたことがないほどの真剣な表情を浮かべながら、様々な想いを胸に抱きつつ、フリックはルークに対して訴えた。

「私に力を貸してほしい。この村を、守りたいんだ」

 そう問われたルークであるが、言われるまでもなく、既に彼の心は決まっていた。

「あぁ、分かった。この者を倒す力だな。喜んで貸そうじゃないか」
「厄介ごとに巻き込んでしまって、すまない」

 フリックはそう言って頭をさげると、ダニエルの方を向き直る。

「そういうことだ、ダニエル」

 その決意に満ちた眼差しを受け流しつつ、ダニエルはマイリィに視線を向けて、ため息をつくように呟く。

「……いずれ利用価値があるかもしれないと思って生かしておいたのが、失敗だったか」

 そう言うと彼は、今度は再びマライアを見つめる。

「マライア、君はどうするつもりなんだ? そこの男は、君の契約相手ではないのだろう? それでも君は、この男のために協力するというのか?」
「この人のためだけじゃなくて、自分の使命でもあります。そのために仲間を守るということは、もう、決めたことですから」
「…………そうか、ならば仕方がないな」

 そう言うとダニエルは、それまで中途半端に開いていた右手を、強く握りしめる。その瞬間、部屋の四隅にいたガーゴイル達が、一斉に動き始めた。ダニエルは、静動魔法の使い手である。フォースグリップを応用した力で、ガーゴイルにかけられていた封印を自ら解いたのだ。
 そして、この状況に至っては、もはや自重する必要はないと感じたマイリィは、自ら鎖を引きちぎり、臨戦態勢に入る。

「奥の二匹は私が食い止める! その間に、ダニエルを!」

 そう言い放ったマイリィであったが、既に手負いの状態の彼女に、そこまで無理はさせられないとルーク達は考えていた。故に、彼等は一刻も早くダニエルを倒して彼女を救おうとしたが、彼等がダニエルに襲いかかるよりも前に、彼の右手に宿されたフォースグリップの力が、今度はルーク達の体内の臓器を握り潰そうとする(しかし、マライアだけはその対象から外されていた)。
 その痛みに耐えながら、ルーク、キヨ、ラスティが必死でダニエルに攻撃を仕掛けるが、ギリギリのところでガーゴイルが割って入り、ダニエルに致命傷を与えられない。間一髪助かったダニエルは、更に続けてフォースグリップの力でルーク達に襲いかかり、更にそこにガーゴイルの攻撃も加わることで危機的状況に陥るが、フリックが必死で彼等を庇い、マライアが補助魔法と回復魔法を矢継ぎ早に駆使することで、なんとか耐え続ける。

「ダニエル、お前だけは許さない!」
「マイリィ様は必ず助ける!」

 彼等は次々にそう叫びながら自らを鼓舞して戦うが、ダニエルもそれに負けじと、ルーク達に向けて立て続けにフォースグリップの魔法を放ち続ける。だが、フリックの鉄壁の守りとマライアの治癒能力によって、彼等も倒れそうな状態で必死で耐え続けた結果、やがてルーク達の攻撃の前にガーゴイル達が次々と倒れていく。
 だが、それでもダニエルは最後の力を振り絞って、ルークの矢も、ラスティの爪牙も、キヨの白刃もかわし続けた。既にここまでの戦いで相当な傷を負っている彼ではあったが、それでも彼の心の中で燃えたぎる「ある執念」の力で踏みとどまっていたのである。

(ここで死ぬ訳にはいかんのだ。大恩ある、あの方のために……)

 内心でそう自分に言い聞かせていた彼であったが、最後は、後方のガーゴイルを倒して前線に加わったマイリィがその身を振り絞って放った渾身の一撃によって、その場に倒れ込んだ。そして、最後の力を使い果たしたマイリィも、意識を失ってその場に崩れ落ちる。
 この時点で、二人ともまだ息はある状態であったため、ひとまず事情を確認する必要もあると考えたマライアが応急処置をした上で、ダニエルを完全に縄で拘束した状態で、マイリィを伴って彼等は地上へと帰還する。こうして、カナハ村を混乱に陥れたダニエルの謀略は、ルーク達という思わぬ来訪者の介入によって、潰えることになったのである。

4.1. 明かされる背景

 その後、領主の館に辿り着いた彼等は、ダニエルの身柄をユイリィに差し出した上で、マイリィとユイリィを再会させる。ユイリィは涙ながらにマイリィを抱きかかえながら、ルーク達に深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、ルーク様。あなたであれば、きっと助けて下さると信じていました。このような事態に巻き込んでしまったこと、どうかお許し下さい」

 そう言った上で、彼女は全ての事情を話す。彼女曰く、ヴァレフール東方を支配する反体制派(ゴーバン派)の実質的な指導者である騎士団長ケネスの契約魔法師が、ダニエルにとってエーラム時代に深い恩義のある人物であったことから、ダニエルはユイリィにゴーバン派に加わるよう再三訴えていたらしい。しかし、ユイリィはあくまで中立を主張し、彼の提言を受け入れなかったため、彼は妹であるマイリィを誘拐した上で、彼女を人質とすることで、事実上、ユイリィを傀儡状態にするという強硬手段に至ったという。
 ユイリィはダニエルが個人的に雇った私兵によって常に厳しい監視下に置かれ、まともに意思表示をすることも許されなかったため、密かに隠れてあの「手紙」を書くのが精一杯の状態であったという(廃屋にマイリィが収容されていることは、ダニエルと彼の部下の会話から類推したらしい)。そして、いずれ誰かにその手紙を託そうと考えていたところに、過去に何度か面識のある(彼女の中で「信頼に足る人物」と認識されていた)ルークが来訪してきたことで、彼に全てを託そうと決意したらしい。
 そして、拘束されたダニエルは、もはや何も語ろうとはしなかった。ただ、隣村からもこれといって目立った動きは無かったため、どうやら彼等も計画の失敗を悟って、これ以上の介入は避ける方針に転じたようである。ユイリィとしても、ここで反体制派を糾弾することは、余計にヴァレフールの混乱を広げるだけだと判断したため、今回の件については「全て自分の不徳の致すところ」と割り切った上で、対外的には一切の抗議活動を控えた。
 また、騎士風の男と同調して叛乱を起こそうとしていた村人達についても、ユイリィはフリックからその話を聞かされてはいたが、あえて「聞かなかったこと」にして、何の処罰も下さなかった。彼女にしてみれば、脅されていたとはいえ、村人達をそこまで追い詰めるような重税を課す命令を下してしまったことへの自責の念が強く、彼等が謀反を企てるのも「致し方ないこと」と考えていたようである(ちなみに、廃屋の中の別の部屋から、盗まれていた金品は無事に回収し、追加徴収した分の租税については、そのまま住民達に返還されることになった)。
 とはいえ、さすがに今回の陰謀の張本人であるダニエルだけは、このまま不問に伏す訳にはいかない。本来ならば、死罪が当然の立場である。しかし、ユイリィが自らの手で彼を処刑すると、彼と深い繋がりを持つケネスの契約魔法師を刺激することにもなりかねない。それに、ユイリィにとってダニエルは、ヴァレフールが分裂状態に陥る前までは「この村の発展のために積極的に手を貸してくれた功労者」でもあったため、それまでの功績に免じて、命だけは助けてやりたい気持ちもあった。
 そこで、彼女はひとまず彼の身柄をエーラムに送還して、エーラム側にその裁定を委ねる、という決定を下した。だが、その決断が、思わぬ顛末をもたらすことになったのである。

4.2. それぞれの「義」

 廃屋での一件から数日後、ユイリィの命令で、エーラムへとダニエルを送還するための馬車が村を出発した直後、突然、遠方から「見たこともない謎の武器」が馬車の中のダニエルに向かって飛来し、彼の喉元を貫いたのである。間近で見ていた御者の証言によれば、ダニエルは満足そうな顔を浮かべながら、そのまま絶命したという。
 そして、その場に立ち会っていたルーク達が、すぐさまその飛んできた方向に目を向けると、そこにあったのは、廃屋で別れて以来、行方不明となっていた翔の姿であった。彼はすぐにその場から姿を消したが、翌日、宿に泊まっていたキヨに手紙が届けられる。その中身は、キヨにしか読めない「地球の文字」で書かれていた。
 曰く、彼はあの廃屋の前で別れた後、領主の館へと向かったものの、ダニエルは既に(入れ違いに出かけてしまっていたため)不在で、彼を探して村の近辺を周回しているうちに、気付いた時にはキヨ達がダニエルを捕らえて村に帰還してしまっていたという。その後、翔は密かに自警団が管理する牢獄に忍び込み、ダニエルと接触したが、その時点で彼は多くを語ろうとせず、ただひたすら「もうこれ以上、生き恥を晒すつもりはない」という言葉を呟き続けていたという。その意を受けて、翔は今の自分が彼のために出来ることは何かと数日考えた結果、自らの手で彼の人生に引導を渡すことを決意したという。それが、翔にとっての彼への最後の「恩返し」であった。
 おそらく、翔がダニエルのことを最後まで信用していたのは、ダニエルが翔と同じ「過去の恩義に報いること」を重んじる性格であるが故に波長があった、という側面もあるのだろう。その一方で、領主姉妹への恩義を果たすために生きるフリックのことを最終的に信用出来たのも、根本的な人格や価値観のレベルにおいて、同じ匂いを感じ取っていたからなのかもしれない。
 その上で、彼は最後にこう書き添えていた。

「今回に関しては、お前達の方が正しかったようだ。そして、今の俺はまだこの世界について何も知らないことを痛感させられた。今の俺には、この世界の何が正しくて、何が間違っているのかも分からない。だから、もう少しこの世界について知るために、俺はまたスサノオと一緒に、この世界を旅して回りたいと思う。もしかしたら、またどこかで会うこともあるだろう」

 キヨは静かにその手紙を読み終え、そっと懐にしまう。そして、遠くない将来、彼とは再び遭遇することになる予感を、静かに感じ取っていた。

4.3. 北へ続く旅路

 こうして、微妙な後味の悪さを残しつつも、ひとまず事態は収束し、カナハの村は「本来の形」を取り戻しつつあった。
 そしてユイリィは、今回の件で大きな「借り」が出来たルークに対して、改めてフリックを連れていくことを認める意思を示す。そして、彼の直属の上司であるマイリィもまた、その方針を快く受け入れた。

「この私が戻ってきたからには、もう心配することはない。お前は心置きなく、アントリアに行って来い」

 実際、地下牢での戦いにおいても、極限状態であった彼女が自分以上の働きを見せていた以上、フリックとしては、この言い分に対して反論する余地はなかった。

「分かりました。では、この村のことはお任せします」

 そう言って、彼はルーク達と共に、この村を旅立っていく。マライアが受け継いだシリウスの感覚によれば、ここから北へと続く街道の先に、ラスティやフリックと同じような「気配」を感じるらしい。まずはその地に向かって、新たな一歩を踏み出していくルーク達であった。
 そして、そんな彼等を遠くから見送るユイリィに対して、その傍に立つマイリィが問いかける。その表情は、先刻までの「自警団の女戦士」としてのそれではなく、純粋に姉を気遣う一人の「妹」としての顔であった。

「姉さん、本当はもう少し、ルークさんにここに残っててほしかったんじゃないの?」
「何を言い出すのよ。あの人達には使命が……」
「でも、アントリアの村の領主になっちゃったら、もう滅多に会うことが出来なくなるのよ。下手したら、次に会えるのは戦場かもしれないし」
「仕方ないわ。どれだけ深い恩義がある人だとしても、私達にはこの村を守る使命があるもの。ダニエルのように、個人的な恩義に報いるために領民を裏切るようなことは、私には出来ない」
「だったら尚更、行かせてしまって良かったの? 苦しむことになるのは、姉さんでしょ。それに、今回の恩義以前の問題として、姉さん、ずっと前からルークさんのこと……」
「それこそ、公私混同だわ。私は、人々を慈愛の心で癒す使命を持つメサイアの聖印を授かった君主。私が『愛』を注ぐべき相手は、特定の個人じゃないの」

 マイリィには「その愛」と「この愛」は別物であるように思えたが、ユイリィ自身がそう割り切っているのであれば、今はこれ以上蒸し返すべきではないと悟り、黙って姉の横顔を見つめる。そして、これから先、もう二度と今回のような不覚を取ることなく、何があっても彼女を守っていこうと決意を新たにするのであった。

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最終更新:2015年02月04日 04:31