第6話 演劇部のプリンス

6.1.1. 白泉寮の双璧

 体育館での柳生との決戦、そして坂本宅でのバーチャル・イフリート退治を終えた後、英雄は当初の予定通り、部下の遺骸の納骨のため、日本各地を巡回する旅に出た。そして数日後、ようやく彼が白泉寮に帰って来ると、そこでは久しぶりに見る顔が、彼を待っていた(下図)。


「やぁ、鳳凰院君。久しぶりだね」

 そう言って語りかけたのは、この学園随一のセレブ寮と言われる白泉寮において、英雄と並ぶ「荘厳にして華麗なるオーラ」の持ち主と言われる人物・西園寺帝(さいおんじ・みかど)である。英雄と同じ華族出身の彼は、学年的には英雄の一つ上で、演劇部の部長を務めており、つい数日前までアメリカに短期留学していた。つまり、ちょうど英雄と入れ違いで寮に戻って来ていたようである。

「おぉ、西園寺。元気だったか?」
「あぁ、やっぱり、本場のBroadwayの舞台は素晴らしかったよ。僕にとっても、いいinspirationになった。ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかな?」 
「なんだ?」
「君のwifeの姫子君の家に今、中等部の奏ミラというladyが下宿しているのは、知ってるよね?」

 どうやら、彼の中では、姫子は既に英雄の「wife」扱いらしい。まぁ、これはそう呼ばれても否定しない姫子が悪いのだが。

「あぁ。それがどうかしたか?」
「彼女にちょっと頼みたいことがあるんだが、今、彼女は忙しい身なのだろうか? 部活などはやっていないようだが、何か事情があるのかな?」

 英雄としては、歌姫の件はあまり公言しない方がいい、という姫子の方針もある以上、「事情」について話す訳にもいかない。もっとも、そもそも今の彼女の状況を「忙しい」と言うべき状態なのかどうか自体、判断が難しい問題でもあった。

「とりえあず、用事があるのであれば、明日にでも紹介しようか?」
「おぉ、そうしてくれるなら、ぜひお願いしたい。そして、これが一番重要な問題なのだが……、彼女には今、steadyな関係の人はいるんだろうか?」

 そう言われて、真っ先に英雄の脳裏に浮かんだのは、「あの淫魔」の顔である。

「…………今のところ、そういう『人間』はいないようだ」

 ここはひとまず、そう答えておくのが妥当だろう、と英雄は判断した。もっとも、「あの淫魔」とは別に、彼女に想いを寄せている「人間」達もいるのだが、今のところ、どの想いも一方通行でしかない。
 そして、その答えを聞いた帝は満足そうな顔をしながら、翌日に向けての様々な想いに頭を巡らせていた。

6.1.2. 狐面の男

 その日の夜、ヤマトはいつも通りに夢を見ていた。相も変わらず、ノーライフキングは多くの人々を相手に虐殺の限りを尽くしている。そんな中、その様子を遠目に傍観している「狐面」をつけた謎の人物(下図)の姿が目に入った。


 いつもとは異なる奇妙な光景に違和感を感じたヤマトがその人物に近付いていくと、その狐面の人物も、ヤマトの存在に気付く。

「凄いな、君。僕の姿、見えるんか?」

 その人物の声は明らかに男性で、京都訛りと思しき独特のイントネーションで語りかけてきた。

「だって、そこにいるじゃん」
「やるなぁ。さすがは、僕の子孫やねぇ」

 いきなり「子孫」と言われ、やや困惑したヤマトに対し、その男は語り続ける。

「そういえば、知っとるで。君、今、僕のために、声の綺麗な女の子達を探してくれとるんやろ? 嬉しいわぁ。楽しみやなぁ。酒井君も頑張ってくれはるみたいやけど、あっちはイマイチ期待出来へんのよ。彼、センス無いし」

 彼が何を言ってるのかさっぱり分からないまま、ヤマトが更に困惑の表情を浮かべていると、その男は狐面の下でしたり顔を浮かべながら、こう続けた。

「ま、近いうちにまた会うことになるから、詳しい話はそん時にでもしような、ヤマト君」

 結局、最後まで何が何だか訳が分からないまま、ヤマトは寝覚めの悪い朝を迎える。結局、彼が何者で、何を言わんとしていたのか、それが分かるのは、もう少し先の話であった。

 そして、そんな彼が学校へと向かう途中で、淳子と、そして彼女に連れられたさゆりと出会う。どうやら、さゆりがヤマトに用事があったようで、淳子が彼女を、ヤマトの通学路へと案内してきたらしい。まだヤマトに「あの時のお礼」をしていないことを申し訳なく思いつつ、通学前にあまり時間を取らせても悪いと思った彼女は、さっそく本題から話し始める。

「最近、ウチの店で働いている人で、ヤマト君達に会いたいと言ってる人がいるんだけど、いいかな? ちょっと前まで、『リヒテンラーデ』っていうお店で働いてた人らしいんだけど」

 「リヒテンラーデ」とは、榊原クラウスが新宿で経営していた(ヤマト達によって営業停止に追い込まれた)店である。つまり、元クラウスの部下ということになるが、果たしてその者が、人間なのかダークネスなのか、この時点では分かりようがなかった。

「もし、よかったら、今日の夕方にでも、開店前のウチの店に来てくれる?」
「うん、分かった。じゃあ、鳳凰院のお兄ちゃん達にも連絡しておくね」

 そう言って、ヤマトは了解した。危険性は否定出来ないが、かといって、そのまま放置しておく訳にもいかない。その後、さゆりはひとまず家に帰り、淳子は久しぶりのヤマトと一緒の登校を満喫し、昌子はその様子を背後から微笑ましく見守るのであった。

6.1.3. 舞台に潜む闇

 同時刻、武蔵坂学園の校舎へと続く道に、もう一組の男女の姿があった。政次とまりんである。いつも通りに、偶然を装って政次の通学路に現れ、そのまま一緒に学校へと向かうまりんであったが、この日は、ただ彼と一緒にいたくて待ち伏せしていた訳ではなかった。

「昨日、また新しい予知夢を見たわ。いい話と悪い話があるんだけど、どっちがいい?」
「…………先に、悪い話から頼む」
「三鷹市芸術文化センターで、再来週、何か危険なコトが起きるわ。淫魔が何かを企んでいるみたい。今回は前よりもブレイズゲートが激しくて、姿は全く見えなかったんだけど、多分、こないだの五十嵐先輩の家で見た淫魔よりも、ずっと強力だと思う」

 あの時点での(やや本気モードになりかけた)クラウスよりも強力となると、さすがに政次としても警戒心を強めざるを得ない。

「で、いい話ってのは?」
「その日、『歌姫』の一人と、その場で遭遇出来るみたいなの。こっちも、姿は全く見えなかったけど」

 つまり、どちらにしても、その日に「三鷹市芸術文化センター」に行く必要はある、ということである。ちなみに、彼等の通う井の頭キャンパスからその会場までは、それほど遠くはない。

「で、それを探るために、まずは今日の放課後、敵情視察に行きたいんだけど、一緒に来てくれる?」

 そう言って、彼女が差し出したのは、その芸術文化センターの(演劇の上映などに使われる)「星のホール」用の二枚の観劇チケットである。題目は「風と共に去りぬ」と書いてあった。

「この話はね、南北戦争の頃のアメリカが舞台で、スカーレット・オハラっていう、美人だけど気性の激しい女の人がいて、その人の周りには、アシュレーとレット・バトラーって人がいて……」

 もう行く気満々で舞台の魅力について語り始めるまりんであったが、政次としても、特に断る理由(予定)がない以上、その計画に付き合うことにした。その会場自体に危険性が潜んでいる可能性もある以上、まりんを一人で行かせる訳にもいかない。
 こうして、まりんは無事に「観劇デート」の権利を手に入れたのであった。

6.1.4. The West Side Story

 そして、皆が学校に辿り着き、始業のベルを待っている頃、中等部のミラの教室に、英雄に連れられた帝が現れる。学園内でも有名な「白泉寮の双璧」の揃い踏みに色めき立つ女生徒達を横目に、英雄はミラに帝を紹介する。

「はじめまして。僕は西園寺帝。この井の頭キャンパスの演劇部の部長さ。よろしく。さっそくだけど、奏君、君に、僕の相手役として、我が部の舞台に出演してほしいんだ。演目は、ミュージカルの定番・ウェストサイド・ストーリー。そのマリア役をお願いしたい」

 突然の申し出に困惑するミラであったが、帝はそのまま話を続ける。ちなみに、ウェストサイド・ストーリーとは、『ロミオとジュリエット』を20世紀のアメリカに置き換えた舞台であり、世界中で何十年にも渡って演じられ続けている、最もポピュラーな現代歌劇の一つである。「マリア」とはその舞台のヒロインであり、『ロミオとジュリエット』の「ジュリエット」に相当する役柄である。

「この間、久しぶりに日本に帰ってきた時、偶然、音楽室から、君達のクラスの合唱の歌声が聞こえてきたんだ。その何十人もいる歌声が混ざり合う中で、なぜか、君の声だけがはっきりと僕の心に突き刺さった。その声が僕の心に響き渡った瞬間、今までに感じたことのない不思議な気持ちに包まれた。君の声だけに、特別な力を感じたんだ。ぜひ、その君の声の力を、僕に貸してほしい」
「でも、私、舞台の経験なんて、全然ないですし……」
「大丈夫。経験なんて無くたって、問題ない。演劇は心だ! 舞台は魂だ! 僕のイメージに合致するのは、僕の中のマリアは、君しかいないんだ! とりあえず、まずは今日の放課後、部室に来てくれないか? いや、僕の方から、君を迎えに行くよ」

 そう言ってまくしたてる帝の勢いに押されつつ、どう返していいか分からずにいるミラに対して、英雄が耳打ちする。

「もし、どうしても嫌なら、私が彼を説得してもいいが、とりあえず、見学だけでも行ってやってくれないか?」

 そう言われて、ミラもひとまず放課後までは付き合うことに同意する。ちなみに、そのミラの背後から、帝に向かって、「私は? 私はどうですか? 何でもやりますよ?」と自分を指差しながらアピールしていた(つい先日退院したばかりの)りんねがいたことには、誰も気付かなかった。それくらい、ミラを説得する帝の存在感に皆が圧倒され、そして帝の視線には、最初からミラしか映っていなかったのである。

6.2.1. 演劇部の部室

 その日の放課後、いつも通りに、英雄、政次、ミラ、ヤマトの4人が集合する。ちなみに、スサノオは、先日のバーチャル闇堕ち(?)の結果、脳波に異常が発生した可能性がある、と闇堕ち検診で診断され、現在は付属病院で入院&精密検査中である。
 とりあえず、元リヒテンラーデの店員の話については、夕刻にさゆりの店に行けば良いということなので、ミラと英雄はヤマトに同行することにしたが、政次は(何かは告げないまま)「先約がある」とだけ言って、今回は見送ることにした。
 そして、その前にミラは、帝の申し出に従って(一応、英雄も同伴する形で)演劇部を見学に行くことになった。帝は喜んでミラを迎え入れ、部活動の内容を説明する。基本的にこの演劇部は中高一貫型で、(普通は対外活動の少ない)この学園の部活にしては珍しく、頻繁に対外公演をおこなっているらしい。そして、次の対外公演は、二週間後の三鷹市芸術文化センターでの「ウェストサイド・ストーリー」の舞台だという。

「とりあえず、この楽譜の曲を歌ってみてくれないか?」

 そう言って渡されたのは、ウェストサイド・ストーリーの中でマリアがトニー(『ロミオとジュリエット』のロミオに相当する主人公)への愛を歌う場面の曲である。この歌劇は、イタリア系移民の「Jets」と、プエルトリコ系移民の「Sharks」という、二つの不良少年達のグループの抗争の中で、Jetsの元リーダーのトニーと、Sharksのリーダーの妹・マリアが恋に落ち、激しく愛し合うものの、最後は諸々の行き違いの末に、トニーが命を落としてしまう、という悲恋の物語である。
 渡された楽譜は完全に初見ではあったが、朗々と歌い上げるバラード曲なので、クラシック畑出身のミラにとっては、得意分野であった。彼女が感情を込めてその曲を歌い終えると、帝は感嘆の声を上げる。

「素晴らしい。やっぱり、僕のマリアは君しかいない」

 ちなみに、トニー役は帝が演じる予定であり、次は二人で歌うパートの練習をしようかと提案したところで、帝の携帯が鳴る。どうやら、部員からの電話らしい。

「あ、すまない。ちょっと待ってくれ」

 そう言って二人から離れて、小声で電話に出た彼であったが、やがてその小声が、叫び声に近いような大声に変わる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 西川が? 黒田と伊藤もか? 高倉と浅美だけでなく、彼等もなんて、聞いてないぞ!」

 彼の明らかに狼狽した声が部室内に響き渡る。ちなみに、部室内には他の部員達も何人かはいたのだが、広い部室の割に、明らかに数が少ない。また、全体的に、どこか活気のない雰囲気が伝わってくる。
 やがて、電話を終えると、帝は動揺を隠せない表情のまま、ミラと英雄にこう告げる。

「と、とりあえず、今日のところはこれくらいにして、続きはまた明日、ということにしようか」

 そう言われて、予想よりも早く解放されたミラ達は、演劇部の内情がやや気になりつつも、ひとまずヤマトと合流して、さゆりの店へと向かうことにした。

6.2.2. ニトロの依頼、クラウスの伝言

 夕刻、そろそろ歌舞伎町が「夜の街」としての姿へと変貌し始めようとするその直前、さゆりの店の近くまで英雄・ミラ・ヤマトが来たところで、偶然、ニトロと遭遇する。

「あ、久しぶり。ねぇねぇ、ちょっと聞きたいんだけどさ、あなた達、武蔵坂の演劇部の人に、知り合いとかいる?」

 タイムリーすぎる話題である。

「部長の西園寺とは、同じ寮に住んでいるが」
「あ、そうなの。いや、実はね、私の友達で、高校演劇に詳しい子がいて、武蔵坂の演劇部のこともチェックしてるみたいなんだけど、来月の芸術発表祭の出演予定者の中に、彼女が好きな浅美君と高倉君の名前が無い、ってことで、ちょっとショックを受けてるのよ」

 浅美と高倉、という名前は、先刻の帝の電話の中にも登場していた。ただ、それが誰のことなのかまでは知らないし、事情も何も分からない。

「辞めちゃったのか、怪我とか病気なのか、もしかして何かスキャンダルがあったのか、とにかく、何かツテがあるなら調べてきてほしい、って言われてね」
「ふむ……、とりあえず、何か分かったことがあれば、また教えよう」

 英雄がそう言うと、ニトロは満足してその場を去っていく。ちなみに、一応、武蔵坂の演劇部は対外公演もやっているものの、バベルの鎖の力により、彼等の公演内容は本来ならばあまり人々の話題に上ることはない。仮に見ている間は観客を感動させることが出来たとしても、すぐに人々の心から消えてしまう筈の存在なのである。
 故に、学園関係者でもないにも関わらず、熱心に演劇部の動向をチェックしている人物がいるというのは、かなりレアなケースである。もっとも、それを言うなら、同様にバベルの鎖によって存在感を消されている筈の英雄やヤマトのことをストーキングしているニトロもまた、相当に特異な存在である。その意味で、ニトロはバベルの鎖を乗り越える程度のサイキックエナジーの持ち主なのかもしれいないし、彼女の周囲には、他にも彼女と同様の「中途半端なサイキックの使い手」が集まる性質があるのかもしれない。

 そして、三人がさゆりの店に辿り着くと、そこで彼等を待っていたのは、「リヒテンラーデ」の騒動の際に、入口で「どこの組のモンだ!」と言って拳銃を彼等に向けていた、あの黒服の男である。どうやら、現在はこの店で「雑用係兼警備員(用心棒)」として働いているらしい。さゆりが言うには、この店に来てからの勤務態度は真面目で、店の人々からも信頼されている、とのこと。

「実は今、クラウス様は所用で東京を離れているんだが、お前さん達に伝言を頼まれたんだ。『武林歌劇団』には気をつけろ、とのことらしい」

 「気をつけろ」と言われても、何のことだかさっぱり分からないが、どうやら、その劇団の座長を務めているのが「クラウス様の不倶戴天の敵」である、とのこと。つまり、「クラウスの敵」であり、なおかつ英雄達に「気をつけろ」と伝えるということは、おそらくその座長が「クラウスと敵対しているダークネス」であろう、ということは容易に想像がつくが、それが分かったところで、今の彼等としては、何ら対策の取り様もないのであった。

6.2.3. 武林星羅

 一方、その頃、まりんとの「先約」を優先して、三鷹市芸術センターに来ていた政次は、彼女と並んで「風と共に去りぬ」を観劇していた。と言っても、この映画の歴史的背景など知る筈もなく、男女のドロドロの恋愛劇などに興味がない政次にとって、さほど興味をそそられる内容である筈もなく、もっぱら「ダークネスの気配」の察知に集中していた訳だが、結局、これといって不穏な空気は感じられなかった。少なくとも、今回出演していた劇団の人々や、この施設の職員達は、ダークネスの類いではないらしい。

「面白かったね。特にあの、最後のレット・バトラーが去っていく場面とか、最高だったよね」

 やや興奮気味にそう語るまりんに適当に相槌を合わせつつ、劇場から出ようとした政次の前に、一人の見知らぬ少女が現れる。

「ねぇ、アナタ、演劇に興味ない? 私の劇団に入れてあげてもいいんだけど」

 そう言って政次に声をかけたのは、いかにも芸能人風の派手な身なりの女性である(下図)。


 豊満な胸元を強調したその少女が馴れ馴れしく政次に話しかけるその光景を目の当たりにして、まりんが困惑の表情を浮かべるが、政次はあっさりと即答する。

「あ、いや、別に興味ないんで」
「そんなこと言っても、こうやって劇場に見に来てるんだから、舞台演劇とか、好きなんでしょ? 今、探してるのは『南総里見八犬伝』に出てくる、八犬士役のイケメン俳優なの。どう? あなた、いい体格してるし、似合いそうな気がするんだけど」

 確かに、政次は日本刀使いである。しかし、彼の剣技はあくまで「実戦用の剣術」であって、舞台映えする殺陣が出来る訳でもないし、そもそも「寸止め」の技術など持ち合わせている筈もない。

「まぁ、もし気が変わったら、いつでもここに連絡して」

 そう言って彼女が手渡した名刺には「武林星羅(たけばやし・せいら)」と書かれていた。肩書きは「武林歌劇団・座長」と書かれている。
 そんな彼女が去った後、劇場の予定表を確認してみたところ、まりんが「何かが起こる日」と予言したまさにその日に「武林歌劇団」が「南総里見八犬伝」を上演すると書かれている。既に二週間後の上演自体が決まっているのに、今の段階でまだ役者を捜しているというのは、かなり異常な状態の筈だが、それ以上に政次には不可解な点があった。

「なんで、俺に声かけたんだ?」

 まりんにしてみれば、政次がイケメン扱いされたことは嬉しいのだが、ここまで彼が自分自身のことに無頓着な状態が、どこか心配に思えてきた。

6.2.4. 演劇部の裏事情

 その日の夜、寮に帰った英雄は、帝にそれとなく、演劇部の現状について確認しようとする。当初は本音を話すのをためらっていた帝であったが、ニトロから聞いた「浅美・高倉の不在」のことを英雄が口にすると、観念した様子で、部内の実情を語り始める。
 彼曰く、浅美博之(下図左)と高倉大介(下図右)とは、演劇部の中では帝の「左右の両腕」に等しい存在だったらしい。


 浅美は帝と並ぶ人気俳優で歌唱力に定評があり、歌劇の際には主に帝のライバル役を務めることが多く、帝の留学中は彼が主役を張ることが多かったらしい。一方、高倉は演者としての人気もさることながら、音響監督としての実力も高く、様々な楽曲を独自のセンスでアレンジして、舞台を盛り上げてくれていたという。
 しかし、その二人が、帝が留学から帰ってくる直前に、学外のプロの新興劇団に引き抜かれてしまったらしい。武蔵坂の演劇部は、中高生の演劇部としては十分すぎるほどの施設に恵まれているが、「より音響・照明・衣装などの環境が整ったプロの世界で自分の力を試したい」というのが、彼等の言い分らしい。そして、浅美の親衛隊的な女子部員達と、高倉の音楽センスに傾倒する男子部員達までもが彼等の後を追って次々と退部してしまった結果、今の演劇部は深刻な人材不足に陥っているのが現状、とのことである。

「しかし、より高いレベルのステージに立ちたい、というのは、もっともな言い分ではないか?」

 英雄にそう言われると、帝もやや困った表情を浮かべつつ、しかし毅然とした態度で反論する。

「そうかもしれない。でも、音響も照明も衣装も、あくまで演劇を彩る一つ一つの道具にすぎない。演劇の本質は、演者の心だ。今の彼等は、それを見失っているように思える。だから、僕等が魂を込めた演劇を見せれば、きっと彼等は帰ってきてくれる。僕はそう信じている。そのために、彼等を納得させる舞台を作りたいんだ」

 一応、退部した部員達は今も普通に武蔵坂学園には通っており、演劇部の次の公演も見に来てくれることも約束しているらしい。ただ、問題は、現状の部員達の中には殺陣の経験がある者が少なく、特に中盤の見せ場となる、Jetsのリーダー・リフ(トニーの弟分)と、Sharksのリーダー・ベルナルド(マリアの兄)の対決シーンを演じられる役者が欠けているのだという。

「ふむ……、そういうことならば、一応、演じられそうな者に心当たりはあるぞ」

 英雄がそう言うと、帝は藁にも縋るような表情で、彼に懇願する。

「本当か? ならば、頼む。演技の経験は問わない。戦う男達の気魄を見せられるような決闘のシーンを演出出来る者であれば、ぜひ紹介してほしい」
「分かった。とりあえず、明日にでも頼んでみることにしよう」

 そう言って、英雄は自分の部屋へと戻る。もっとも、この時点で、どうやってその「演じられそうな者(の片方)」を説得すれば良いか、という点までは、英雄は考えが回っていなかった。

6.2.5. 武林の正体

「だが、断る」

 翌日、英雄が同じクラスの「心当たりの人物」こと政次に、昨日の話を伝えた上で、公演への出演を依頼したが、彼はそう言って、あっさりと断った。無理もない。ここであっさりと話に乗るくらいなら、昨日のスカウトの時点でも少しは興味を示していただろう。
 仕方ないので、ひとまず政次のことは諦めた上で、英雄はミラにも一連の演劇部の事情を伝えると、「そういうことなら……」ということで、彼女はマリア役での出演依頼に応じることを決意する。これで、ひとまずヒロインは確保した。その上で、今後のスカウト方針を確認するために、英雄とミラは演劇部の部室へと向かう。

「一つ、確認したいのだが、その新興劇団は、なんという名前なのだ?」

 英雄は帝にそう聞いたが、彼の中では、既に一つの仮説が生まれつつあった。

「『武林歌劇団』というらしい。もっとも、その実態はよく分からない。突然メンバー募集を始めて、まだろくに実績もない筈なんだが、かなりハイレベルな設備を揃えるだけの資金力は持っているようだ」

 まさに英雄の予感的中である。こうなると、クラウスの言うことをそのまま信用する訳にはいかないが、少なくとも、ダークネス絡みである可能性は十分に考慮に入れる必要があると彼は考えていた。
 その上で、話題は昨日の「演者二人」へと移行する。

「とりあえず、一人には断られてしまったが、少なくとも一人は確約出来る」
「そうか。で、その確約出来る一人というのは?」
「私だ」

 英雄は真顔でそう告げる。一瞬の間を開けて、帝は「その手があったか」という表情を浮かべる。確かに、英雄であれば見栄えも良いし、戦闘シーンを盛り上げる技術にも長けているだろう。ただ、問題は彼と並んでも見劣りせず、格闘術で彼に引けを取らない動きが出来る人材がいるのか、という点である。政次ならば確かにうってつけだったが、彼がダメとなると…………。
 そこで彼等が思案を巡らせていると、突然、意外すぎる人物が名乗りを上げた。

「カイザーの相手役ということであれば、私しかいませんね」

 そう言って突然その場に現れたのは、英雄の元副官・井伊フリードリッヒである。

「き、貴様! なぜここに!?」

 既に戦闘態勢に入った英雄がそう叫ぶのも、もっともな話である。どうやら彼は、クラウス同様、武林歌劇団の動きを警戒しており、その調査の一環として、劇団構成員の主力の出身母体であるこの演劇部の動向を調べていたらしい。

「武林歌劇団の座長・武林星羅の正体は、現在動けるダークネスの中では最強クラスとも言われている淫魔・ラブリンスターです」

 フリードリッヒは淡々と元上官にそう告げる。曰く、ラブリンスターは個体としての強さもさることながら、無数の信者や眷属を従える誘惑の能力に長けているため、彼女の組織(ファンクラブ)の力は非常に強く、東京を拠点とする多くのダークネスにとって、非常に厄介な存在らしい。それ故に、そんな彼女を倒すためであれば、自分が手を貸してもいいと申し出てきたのである。

「お前達でも倒せない相手を、なぜ我々ならば倒せると考えているのだ?」

 英雄は様々な感情を押し殺しながら、冷静にそう問いかける。客観的に見て、今の英雄達が結束するよりも、東京中のダークネス達が結束した方が、おそらくは強い。しかし、フリードリッヒは帝が語る「魂の籠った演劇を見せることで部員達の心を取り戻すこと」に、一つの可能性を見出していたのである。

「ラブリンスターの最大の強さは、彼女を守る親衛隊の『数』です。しかし、淫魔に魅了されてダークネスとなった者達の心は非常に不安定で、わずかな契機で元に戻った事例も多いです。皆さんの演技で彼女の周囲の側近達の心を乱せば、そこに勝機が見えます。だからこそ、私は皆さんの可能性に賭けてみたいし、そのための協力も惜しむつもりはありません。我々にとっても、彼女は排除したい存在ですから」
「なるほど。言いたいことは分かった。だが、仮にお前の言うことが本当だとしても、私としては、今、目の前にいるダークネスをこのまま放置しておく訳にはいかん!」

 そう言って、英雄は武器を構える。もし、舞台上で彼と殺陣を繰り広げることになった場合、おそらくは二人とも本気モードとなって、舞台どころではなくなってしまうだろう。

「交渉決裂、ですか。仕方ないですね。では、私は客席からカイザーの演技を楽しませてもらいます」

 やや残念そうな顔を浮かべながら、フリードリッヒはその場から立ち去っていく。この状況下で、一人だけ全く事情を飲み込めない帝はやや困惑した様子であったが、どうやら英雄が、かなり強力なダークネス達からも一目置かれる存在であるらしい、ということだけは理解した。

6.2.6. 再度の説得

 こうして、「もう一人の演者」探しは再び振り出しに戻ってしまったかに見えたが、フリードリッヒと入れ違いに、また別の候補者が部室の扉を開く。

「なんか、凄い剣幕でしたけど、何があったんですか?」

 そう言って入って来たのは、翔である。入院中のスサノオに付き添うため、ここ数日、授業終了と同時に学校を後にしていた彼であったが、最近、ミラが演劇部の部長にスカウトされたらしい、という噂を聞いて、様子を見に来ていたのである。あくまでも興味本位であって、それ以上の他意はなかった。多分。きっと。おそらく。
 しかし、そんな彼の姿を見るや否や、英雄はさっそく、勧誘に動き出す。一通りの事情を聞いた翔は、演劇部(に協力する姿勢を示しているミラ)のために尽力するのはやぶさかではない、と言いつつも、独自の提案を切り出す。

「俺、一応、映画版は見たことあるんですけど、出来れば、(Sharksリーダーの)ベルナルドでも(Jetsリーダーの)リフでもなく、チノの役をやりたんですよ」

 チノとは、Sharksの一員であり、マリアの婚約者でもある人物で、最終的に主人公のトニーを銃殺する役柄でもある。彼があえてその役を希望したのが、「マリア(ミラ)の婚約者」というポジションに惹かれたのか、「トニー(帝)を殺す」という役回りに惹かれたのかは不明だが、いずれにせよ、面倒な提案である。一応、帝としても、チノ役はチノ役で見栄えの良い俳優が欲しかったので、その申し出自体は悪くないが、まずその前に、「英雄との決闘シーンを盛り上げられる俳優」を優先したい。
 その心情を理解している英雄は、翔にこう告げる。

「では、もう一人の役者候補を説得するのに協力してくれ。そうすれば、チノ役の方に回ってくれてもいい」

 そう言って、彼はミラと翔、そしてヤマトも連れて、再び政次の元を訪れる。武林歌劇団のこと、そしてそれを裏で操るダークネス・ラブリンスターの存在のことも告げた上で、改めて四人がかりで彼に出演を承諾するよう説得する。最初はそれでも渋っていた政次だったが、最終的には、(協力したくても年齢的に不可能な)ヤマトの説得が一番心に響いたようで、政次もしぶしぶ出演を承諾する。その上で、自分が武林星羅に勧誘されていたこと、そして、彼女達の舞台の出演日に何かが起こる可能性があるということを、英雄達に告げる。
 すると、くしくもそれは、演劇部の公演日と同日であった。つまり、同じ会場を用いて、「昼の部」に武蔵坂学園演劇部の「ウェストサイド・ストーリー」、夜の部に武林歌劇団の「南総里見八犬伝」が上映される予定となっていたのである。この巡り合わせを目の当たりにして、確かに、何かが起こりそうな条件が十分すぎるほどに整っていることを、この場にいる誰もが実感していた。

6.2.7. 舞台稽古

 こうして、ようやく「トニー:帝」「マリア:ミラ」「ベルナルド:政次」「リフ:英雄」「チノ:翔」という形で主要メンバーが揃った新生(暫定)演劇部は、舞台稽古を開始する。さすがに主要キャストが素人集団なので、二週間、みっちり基礎から叩き込む必要があったが、さすがにそこは皆、常人とは異なる肉体・精神の持ち主だけに、なんとか少しずつ形になっていく。
 そして、やがてミラと帝が二人で愛を語らい合いながら歌う劇中歌「One Hand, One Heart」の練習が始まる。日頃は(英雄と同レベルに)尊大な態度を取ることが多い帝だが、それだけの態度を取るだけのことはあって、歌もダンスも演技も、何もかもが常人とは次元が違う。しかも、自分一人だけが浮く訳でもなく、きちんとミラや他の共演者達のフォローもしながら、全体の中で自分を生かしつつ、共演者達の魅力も引き出せるよう、自らの演技も調整している。さすがに、中等部時代から部長を務めてきた実績は伊達ではないようだ。
 だが、そんな彼の舞台役者としての才能は認めつつも、どこか面白くない気持ちを抱えた者達もいる。

「なぁ、アイツ見てると、なんかイライラしてこないか?」

 チノの衣装に身を包んだ翔は、トニー(帝)とマリア(ミラ)のラブシーンを目の当たりにしながら、自分の隣にいる、スサノオと同い年の少年にそう語りかける。

「そうだね。なぜかは分からないけど、僕も同感だよ」

 ノートパソコンを開きながらそう答えたのは、高倉の代役として音響関係を担当するように頼まれて、久しぶりに学校にやってきた「伏龍」こと坂本俊一である。先日、自分が戯れに作ったゲームで(しかも、自分のゲームバランス設定のミスが主要因で)スサノオを病院送りにしてしまった彼は、さすがに英雄達に対して罪悪感を感じていたようで、彼等からの頼みをあっさりと受け入れた。無論、もう一つの理由として、ミラの舞台を自分で演出したいという欲求に駆られた側面もあったのは言うまでもない。
 そんな二人が、目の前で(演技とはいえ)甘い言葉を歌に乗せながら身体を密着させる帝に対して、激しい嫌悪感を抱くのは当然と言えば当然の話であった(下図)。


「いっそのこと、当日、実弾で打ってやろうかな」

 翔がそんな物騒なことをボソっと呟いている一方で、帝の歌声に合わせて合唱パートの練習をしていたミラは、奇妙な違和感を感じていた。帝の歌声の中に、これまで何度も感じてきた「歌姫の波動」に近い何かを感知していたのである。

 そして舞台稽古の終了後、五十嵐邸に戻った彼女は、英雄・政次・ヤマトも加えた状態での作戦会議の場で、そのことを皆に告げる。そして、それを聞いた英雄は、最初に帝がミラを口説く時に用いていたフレーズを思い出していた。帝は、大勢の生徒達の合唱を聞きながら、その中でミラの歌声にだけ、特別な何かを感じたと言っていた(ちなみに、その時点では、りんねはまだ入院中だった)。英雄自身にはそれが何なのかはさっぱり分からないが、その言い方は、これまで、姫子やミラが他の歌姫達の歌声を聴いた時の反応と、非常によく似ている。つまり、帝には、少なくとも何らかの形で歌姫を識別出来る能力がある可能性が高い。そして、これまでそれが可能なのは、姫子と、歌姫達自身だけであった。

「姫子、『12人の歌姫』というのは、全員が女性なのか?」

 英雄に唐突にそう言われた姫子は、やや困惑した様子で答える。

「確かに、私も未来予知の際に、全員が確実に女性かどうかまでは確認出来ていません……。ただ、私の耳には、全員が女性の声に聞こえましたし、顔ははっきりとは見えませんでしたが、全員が女性のような姿をしていたと記憶しています」

 こうなると、英雄の中で想定出来る可能性は三つ。今の帝が「本来の性別」を偽っているのか、姫子の中の歌姫の一人が「女性のフリをした男性(帝)」であるのか、あるいは、何らかの形で「性別が変わる」という現象が帝に起きるのか。いずれにせよ、(まりんの予知との整合性という観点から見ても)「彼」が「歌姫」であるという可能性も考慮に入れる必要が出てきたことは確かである。

 そして、一通りの話し合いを終えた後、年齢的にどうしてもこの舞台に加わることが出来なかったヤマトが一人寂しく帰路についていると、そこに「あの女性」が現れる。

「君、演劇とか、興味ない? 今、ちょうど新兵衛役の子がリタイアしちゃって、空きがあるんだけど、どう?」

 そう言って、その女性は「武林星羅」の名刺を差し出す。彼女が言うところの「新兵衛」とは、おそらく、八犬士の中で最年少の犬江新兵衛のことだろう。ヤマトがその役名のことを知っていたかは定かではないが、いずれにせよ、この「武林星羅」という名前だけは英雄達から聞かされていた以上、いくら暇を持て余していたからといって、あっさりとそのスカウトを受け入れる訳にはいかない。彼はあっさりとその誘いを断り、一目散に家へと帰還する。このタイミングで、囮捜査という選択肢も無くは無かったが、さすがに「現役最強クラスのダークネス」と聞かされていた以上、そこまでの危険な任務に飛び込んでいけるほどの自信を持てなかったのも、致し方あるまい。

6.3.1. 幕間の決戦

 こうして、様々な疑惑と思惑が交差する中、どうにか二週間の猛特訓を終えた彼等(とヤマト)は、三鷹市芸術文化センターでの本番公演へと向かう。舞台に出演する予定の英雄達が奥で着替えを始めている間、ヤマトが客席の様子を確認していると、やがて、その一角に武林星羅ことラブリンスターが、多くの取り巻きを引き連れて現れたことに気付く。この時点で、彼女は「お手並み拝見」とばかりの余裕の表情を浮かべていた。
 そんな不穏な空気が漂う中、舞台の幕が開き、ニューヨークのストリートをイメージしたセットが観客の前に広がる。そのセット背景に、リフ(英雄)に率いられる形で、Jets役の若い演劇部員達が指を鳴らしながら踊りつつ、ベルナルド(政次)率いるSharksと衝突するに至る過程が、「Prologue」の曲に乗せて演じられる。演劇もダンスも素人の英雄と政次ではあったが、それでも二週間の特訓の成果で、最低限の「型」は出来上がっており、そこに彼等自身の「闇堕ちしかけている元部員達の心を取り戻そう」という魂を込めることで、少しずつ、彼等の心を魅了していく。
 そして、物語の主役であるトニー(帝)とマリア(ミラ)が登場し、彼女達の歌声が会場内に響き渡ることで、殆どの観客達が彼等の世界に引き込まれていくことになる。歌姫としてのミラと、そのミラの心を震わせるほどの(他の歌姫と同レベルの)波動を響かせる帝の歌う「Tonight」「One Hand, One Heart」といった名曲が、ラブリンスターの周囲に座る部員達の心をも動かしていく。
 やがて、物語は中盤の山場に差し掛かり、リフ(英雄)とベルナルド(政次)の決闘のシーンが始まる。共にストリートファイターをポテンシャルとする者同士の、半ば本気の格闘シーンが展開される中、二人を止めようとしたトニー(帝)が現れた瞬間、その姿に気を取られたリフがベルナルドに刺され、そして、その状況に逆上したトニーが、マリアの兄であるベルナルドを刺殺し、両軍の悲鳴と怒号が飛び交う中、照明は暗転し、幕が降り、「幕間」の時間となる。
 ここまで、どうにか順調に物語を進めることが出来た彼等であったが、それを目の当たりにしたラブリンスターが連れてきた(元武蔵坂演劇部の)劇団員達の大半は、明らかに動揺していた。

「すげーな、部長達。てか、ホントなら、俺達もあの舞台に立ててた筈なんだよな……」
「俺達、やっぱり、やめるべきじゃなかったんじゃ……」

 そんな声がラブリンスターの耳に入ってくると同時に、彼女は開演までの余裕の表情から一変し、憤怒と嫉妬の感情に駆られて立ち上がる。

「あー、もう、冗談じゃないわ。こんな舞台、今すぐ壊してやる! 来なさい、皆!」

 そう言って、部下達と共に舞台に飛び移ろうとするが、殆どの部員は困惑した表情を浮かべたままで、彼女の言に従わない。しかし、そんな中でも彼女に忠実に付き従う二人がいた。浅美と高倉である。真っ先にラブリンスターの手に落ちたこの二人だけは、帝や英雄達の魂の込められた演技をもってしても、心を取り戻すことは出来なかったのである。
 しかし、だからと言って、このまま三人に舞台を壊される訳にもいかない。もともと客席で彼女達の動向を見張っていたヤマトからの連絡を受けた英雄、政次、ミラが舞台袖からすぐに現れ、三人に対峙する(ちなみに、この戦いもまた強力なバベルの鎖によって保護されているため、彼等の言動は他の観客達からは全く気にされていない)。

「あら、あの時の坊やじゃない。私の誘いを蹴ったこと、後悔させてあげるわ!」

 そう言って、ラブリンスターは強烈な超音波攻撃でヤマトの精神を破壊しようとする。さすがに現役最強クラスと謳われる彼女の一撃は、一瞬にしてヤマトの心身を限界まで追い込んだが、その限界を超える魂の力でなんとか踏み止まる。続いて、高倉もまたミラに音波攻撃を仕掛けようとするが、女性相手ということで本気になれなかったのか、彼の攻撃はあっさりとミラにかわされる。しかし、その直後に英雄と政次相手に繰り出された浅美の(舞台経験を生かした)しなやかな足技攻撃と、そこに畳み掛けるように加えられたラブリンスターによる連撃によって、英雄と政次もまた、魂が肉体を凌駕することで、かろうじて立っていられるという状態まで追い込まれることになった。
 しかし、そのまま倒されるような灼滅者ではない。彼等もまたたて続けざまに有効な反撃を繰り返し、自分自身も限界まで追い込まれながらも、遂には浅美と高倉がその場に倒れ込む。しかし、この時点でまだ彼等には息があり、少しずつその身体から闇の気配が抜けていくのが感じられる。どうやら、フリードリッヒが言っていた通り、淫魔に堕とされた元サウンドソルジャー達は、まだ今からでも人間に戻せる可能性は残っていそうである。
 一方、自分を守ってくれる手駒を失ったラブリンスターは、自分が演出していた歌劇よりも遥かにリアルな戦場と化したその舞台から飛び離れ、そのまま会場から去っていく。

「冗談じゃないわよ。こんな街、もう二度と来ないから!」

 そんな陳腐な捨て台詞と共に、彼女は劇場から去っていった。こうして、厳しい戦いではあったが、現役最強級の淫魔・ラブリンスターの撃退に、彼等は成功したのである。

6.3.2. 酒井小五郎

 そんな激戦が幕間に目の前で繰り広げられていたことなど気にも止めぬまま、観客達は舞台の続きを心待ちにしている。その空気を察した帝とミラ(と翔)は、そのまま最後まで滞りなく演技を続け、やがて物語はトニーの死という哀しきフィナーレを迎える。多くの人々がスタンディングオベーションで彼等の名演を讃えた後、客席を後にしていく中で、一人、明らかに遅れたタイミングで拍手をしながら立ち上がる人物が現れた(下図)。


「いやー、素晴らしいお芝居でした。そして、我等にとっても厄介な敵であったラブリンスターを、見事に撃退して下さいましたね。お見事です」

 そう言って、舞台袖から客席の様子を確認していた英雄達の前に姿を現れしたのは、カイゼル髭を生やした初老の男性であった。その姿が目に入った瞬間、政次の脳裏に、幼少時の微かな記憶が蘇る。というのも、彼は生まれながらの天涯孤独の身ではなく、とある山間部の小さな集落に住む少年であったのだが、やがて、突然現れたヴァンパイアによって、両親を殺され、里を追われ、近所の村の住人に助けられたのである。ずっと忘れていたそのヴァンパイアこそが、今、目の前で手を叩いている、その人物であった。込み上げてくる怒りに震える政次であったが、そう簡単に殴り倒せる相手ではないことも分かっていた以上、今は下唇を噛みながらじっと堪えて、彼の様子を伺っている。

「どうやら皆さん、私の予想以上に難敵のようですね。今回は助かりましたが、今後はこちらも、皆さんが相手の時は本気で対応することにしましょう。そこのアナタもですよ、いいですか?」

 彼がそう言って客席の一角に目を向けると、バツが悪そうな顔をして、一人の男が立ち上がる。宣言通りに英雄達の舞台を見に来ていた、フリードリッヒである。

「あれ? バレてたんですか? こっそり来たつもりだったんですがね」
「アナタも、いつまでもそんな人間であった頃の身体にこだわってる場合じゃないですよ。早く、本当の身体に戻りなさい」

 そう言いながら、その初老の男はその場を去ろうとすると、舞台袖から英雄が姿を現し、呼び止める。

「待て、貴様。一体、何者だ?」

 すると、その男は振り向き様にこう答える。

「おや、これは失礼しました。酒井小五郎と申します。葉那くんにも、よろしくお伝え下さい」

 その言葉を言い残し、彼は姿を消す。そしてフリードリッヒもまた「いい演技でしたよ、カイザー」と告げ、その場を立ち去って行くのであった。

6.3.3. 伏姫

 その後、浅美と高倉の状態を調べてみたところ、どうやら今後の治療次第で元に戻れる状態らしい、ということが判明し、帝は安堵する。そして、彼等ほど深く洗脳されていなかったが故に、人としての心を取り戻すことが出来た元部員達は、勝手に部を去ったことを帝に詫び、復帰を願い出る。当然、帝も喜んで彼等を受け入れる意志を示すが、そんな中、どこか心残りな表情を浮かべている者達もいた。
 彼等はまだ洗脳が浅かったからこそ、彼等自身の意志で「南総里見八犬伝」の舞台を作り上げようと、必死で頑張ってきた。それが、淫魔の陰謀に加担するためのことだと分かった今でも、それを形に残せないままお蔵入りさせてしまうことに、何とも言えないやるせなさを感じていたのである。
 更にそれに拍車をかけるように、何も知らない観客達からは「夜の部も楽しみだね」「どんな人達が八犬士をやるのかな」といった声が聞こえてくる。そんな声を聞かされると、帝としても、なんとかしてやりたいという気持ちが強まってくる。

「よし、じゃあ、とりあえず、僕が浅美か高倉の代わりをやろう。里見八犬伝なら、僕も大まかなストーリーは分かってる。今からでも台本を頭に入れて、やれないことはない」

 そう言って帝は元部員の一人から台本を借りようとするが、その元部員は微妙な表情を浮かべながら、こう答える。

「いえ、浅美さんと高倉さんの役に関しては、いざという時のための代役はいるんで、どうにかなるんです。ただ、『伏姫(ふせひめ)』の役だけは、座長がやる予定でしたから、誰も練習してなくて……」

 伏姫とは、八犬士の実質的な母親役にして、彼等の守護神的な存在の女性である。物語の序盤で命を落とすも、以後は霊的存在として彼等を影で支える役回りなのだが、どうやらラブリンスターは、その役を自分がやることを前提に、かなり出番を増やしていたようで、今更、その存在を削る訳にもいかず、かといって、今から台本を読んだだけですぐ演じられるような、帝レベルの女優がこの場にいる訳でもない。
 そうして皆が困った表情を浮かべていると、英雄が(前々から思っていた仮説を頭に思い浮かべながら)どこかトボけた口調で、こう語る。

「こんな時に、一度台本を読んだだけでその役柄を演じることが出来る、天才的な才能を持った女優がいれば良いのになぁ。どこかにいないものかなぁ、そういう都合の良い逸材が」

 その発言の真意を汲み取ったのか否かは定かではないが、帝は元部員達にこう告げる。

「ほら、その、あれだ。男子校の演劇部の場合、男子生徒が女役をやることもあるだろう。だから、その、もし、皆が嫌でないなら……、僕が、伏姫役をやることも、出来なくは、ないんだが…………」

 なぜか、あさってな方向に目線を向けながらそう提案する帝に対して、元部員達は「ぜひ、お願いします」「部長なら、何の問題もないです!」と懇願する。

「そ、そうか。まぁ、その、女装の経験は初めてだし、多分、もう二度とすることはないと思うけど、とりあえず、今日来てくれたお客さん達に満足して帰ってもらうために、今から皆で全力で頑張ろう」

 そう言って、彼等は楽屋へ向かっていく。そして数時間後、同じ会場の舞台上には、昼の部の「トニー」とはまるで別人のような「伏姫」を堂々と演じる帝の姿があった。そしてミラは、その「伏姫」の歌い上げる劇中歌から、「トニー」の時よりもはっきりと、「歌姫」の波動を感じ取ったのであった。

6.3.4. 「七人目」

 こうして、一日に二本の舞台を終えた帝とその仲間達は、近くの大衆食堂でささやかな「打ち上げ」を開く。これまでの過去を全て洗い流して、再び同じ部に集うことになった仲間達がそれぞれに盛り上がっている中、英雄と政次が、帝の両腕を掴むような形で、他の者達から見えない場所へと連れて行こうとする。

「な、何だ? どうしたんだ、君達」
「ちょっとお話したいことがありましてね。今の私達が直面している問題について」

 珍しく、英雄が敬語で「先輩」である帝にそう告げる。ひとまず店の外に出た彼は、自分達が姫子の依頼で「世界を救うための12人の歌姫」を探していること、ミラがその一人であること、そして歌姫には他の歌姫の歌声を感知出来る能力があることを、帝に告げる。

「そして、ミラがあなたの歌声を聴いた時、そこに『歌姫』の波動を感じたらしいんですよ」

 そう言われた瞬間、帝はやや視線を宙に泳がせながら、おぼつかない口調で答える

「へぇ……、それは、その、どういうコトなんだろうねぇ……」
「そして、あなたもまた、彼女の歌声の中に、特別な波動を感じた。そうですよね?」
「いや、それは、別に僕でなくても、誰だってそうだろう。それくらい、彼女の歌声は特別なんだ!」

 なぜか、やや取り乱した様子で帝は応じるが、それに対して今度は政次が答える。

「確かに、彼女の歌声は綺麗だとは思いますが、私は歌姫ではないので、それ以上の何かを感じることはありません。それを感じ取れるのは、我々が知る限り、姫子さんと、歌姫の人達自身だけの筈です」

 そこまで言われた帝は、今回助けてくれた彼等への恩義に報いるためにも、これ以上の隠し事はすべきではないと判断し、遂に自らの素性を明らかにする。

「僕は、本当は西園寺家の人間じゃない。過去に、出雲の阿国を初めとする多くの優秀な神薙使いを輩出した一族の『娘』として生まれたんだ。でも、その一族の『女性』は、かつての出雲の阿国のように、ダークネスにとっての脅威となりうるから、幼少期に惨殺されることが多くてね。そこで、子供がいなかった西園寺家の人々に預けられて、更にカムフラージュのために『息子』として育てられることになったんだよ」

 ちなみに、帝のルーツは神薙使い、ポテンシャルはサウンドソルジャーである。まさに、出雲の阿国の末裔にふさわしい能力と言えよう。

「だから、僕の身体は確かに女性だ。そして、僕が本当に『歌姫』の一人だというなら、僕達の演劇部を救ってくれた君達のために、出来る限り協力させてもらうつもりでいるよ。でも、僕は17年間、ずっと男として生きてきたから、これからも僕のことは女性として扱わなくていい。というか、扱わないでほしい。ミラ君にも、そう伝えておいてくれ」

 いつの間にやら「奏君」から「ミラ君」に呼び名が変わっていることについてはスルーしつつ、ひとまず、「彼(彼女)」の申し出を英雄達は受け入れる。こうして、彼等は紆余曲折の末に、ようやく「七人目の歌姫」を手に入れたのであった。


第6話の裏話

 久しぶりの「灼滅者の歌姫」の登場です。今回は「神薙使い×サウンドソルジャー」というまっとうな候補者でありながらも、「男装」という別種のカムフラージュ要素を入れてみた訳ですが……、ちょっと序盤からヒントを出しすぎたせいか(あるいはイラストが中性的すぎたせいか)「6.2.7.」の帝の正体を暗示するくだりにおいても、プレイヤーの中で特に驚いた様子が無かった(つまり、序盤の時点でほぼ見破られていた)のが、ちょっと残念でした。
 しかも、私の想定では「ミドルフェイズあたりで誰かが気付いた時点で問い詰める」→「その時点で明かす」という予定だったのが、誰もそのことを直接問い詰めずに、ニヤニヤと「きっとどこかで大々的なカミングアウトの場面があるんだろうな、ワクワク」みたいな顔で状況を見守ってるものだから、これは戦闘終了後に普通にバラすだけじゃ納得しないだろう、ということで、急遽、「帝が女装して里見八犬伝を敢行する」という追加シーンが加わることになった訳です(まぁ、コレはコレで美味しい展開だったかな、とも思う訳ですが)。
 さて、今回のラスボスであるラブリンスターについては、色々とアレなキャラなので、当初は出す予定はなかったのですが、やっぱり、サウンドソルジャーを軸としたキャンペーンである以上、出さないわけにもいかないだろうと思い直して、四天王組とは別勢力としてここで登場させることにした訳です。ただ、この時点ではまだ再登場の予定も考えておらず、ましてや「あんな設定」が後から追加されることになるとは、全く想像もしていませんでした。
 そして、そんなラブリンスターに洗脳された演劇部員達に関しては、PBW版で「ダンス対決で勝てば、淫魔による闇堕ちから救える」という話があったので、「淫魔の洗脳は、かかりやすく解けやすい」という私の勝手な解釈の下で、こういう形のユルユル裁定になった次第です。そしてこの回以降、「敵となったNPCも、なるべく助けられる展開にしよう」という方向性が定まったことで、徐々に「仲間NPC増えすぎ問題」が深刻化していくことになります。
 それにしてもこの回は、ただひたすらに「私の好きなもの」を詰め合わせただけの回でしたね。「男装女子高生」を筆頭に、「ウェストサイドストーリー」や「里見八犬伝」、そして「浅倉ファミリー」ネタなど、ただただ私の趣味を羅列しただけの回でした(まぁ、それが出来るのがGMの特権なのだと開き直っていますけど)。ちなみに、なぜロミジュリではなくウェストサイドなのかというと、歌姫探しという観点から、あくまで「ミュージカル」でなければならなかったからです。なお、もう一つの選択肢として「サウンド・オブ・ミュージック」という案も考えたのですが(これなら、ヤマトにも出番が与えられたのですが)、さすがにあっちのマリア役を素人にやらせるのは無理があると思い、断念しました。
 一方、この回から遂に、物語の最後のキーマンとなる「狐面の男」がヤマトの夢に登場することになった訳ですが、このキャラの設定を思いついたのは、実は第5話前編の終了後だったりします。というか、初期の段階では神代家が何系のエクソシストなのかも確認していなかったので、GM的にもちょっと設定が練り込めなかったんですね(これは、もっと早く確認しなかった私のミス)。とりあえず、ノーライフキングの正体が家康に決まった時点で、仏教系なら天海、神道系なら阿国、キリスト教系なら中浦ジュリアンの子孫にしようと思っていた訳ですが、「陰陽師系」と言われて、戦国〜江戸初期の陰陽師が特に誰も思いつかなかったので、やむなく「誰もが知ってる陰陽師」の末裔という安易な結論に到達した訳ですが、それをどうやって家康と結びつけるかで四苦八苦した挙げ句、ヤマトと「彼」の間にもう一人の祖先を絡めることになります(詳細は次回以降を参照)。
 ちなみに、この頃からスサノオの中の人が多忙状態となり、今回は丸々欠席、そして来週以降は後半のみの参加という形になってしまったので、以後、彼は様々な理由をつけて、物語の本筋から離れた行動を取ってもらうことになりました。

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最終更新:2014年01月05日 06:17