現象的意識


現象的意識とは、意識の性質のうち、客観化できない主観的な内容のことである。心の哲学においては、客観化できる意識の機能的な側面と対比させて、現象的な側面を指す場合によく使われる。

クオリアという用語は現象的意識とほぼ同じ意味で用いられることがある。たとえば表象主義では、意識の「現象的側面(phenomenal aspect of consciousness)」がクオリアと呼ばれる。

現象的意識という用語はネド・ブロックが案出した。ブロックは「現象的意識(phenomenal consciousness)」と「アクセス意識(access consciousness)」を区別した(Block 1995)。

ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、その生物であるということが何かのようであるような、その何かが存在しているときである」ということ、つまり第三者からはアクセスできない主観性――クオリアがあることなのである。

アクセス意識とは、その内容が、思考や報告に利用されている意識状態である。たとえば「小鳥のさえずりが聞こえた」という場合、「小鳥のさえずり」という現象的意識にアクセスしたことになる。逆に、現象的意識を伴うがアクセス意識を伴わないケースもある。たとえば、喫茶店で恋人と会話しているとき、恋人の背景には沢山のものが見えているのに、会話に熱中して背景に全く注意を払わない状態は、意識の視覚的な現象面にアクセスしていない、ということである。

デイヴィッド・チャーマーズは意識の現象的側面と機能的側面の違い(意識の二面性)に着目して、哲学的ゾンビの思考実験を行っている。

現象的意識は現在の物理学に還元できる特性のひとつでしかないと考える物理主義的立場と、そうした還元は出来ないと考える二元論的立場の間で、その存在論的位置づけを巡って激しい論争が繰り広げられている。(論争の詳細はクオリアを参照のこと)