大森荘蔵


大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している*1

1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。

大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念をもっていたという。また大森と議論したことのある永井均は、「大森さんは現在の自説が有効に論駁されることにしか興味を持っておられないようであった」といい、「完璧に哲学的であると感じたと」と大森の印象を語っている*2

大森は1960年代後半の学生運動が盛んだった頃、マルクス主義を信奉する左翼学生からブルジョア哲学の代弁者のように非難され、鉄パイプで殴られて入院したことがあった。退院して授業に復帰した大森に、当時学生だった中島義道が「どのように哲学をするべきか」と尋ねると、大森は次のように答えたという*3
やりすぎることです。直感的にある考えが正しいと思ったら徹底的にやってみる。毛沢東のように、やりすぎなければ革命はできません。

大森の哲学は時期によって変遷している。前期は自他共に認める現象主義であった*4。しかし論理実証主義の要素主義は否定する。中期には現象主義を独自に発展させた立ち現れ一元論を主張する。最後の著作となった『時は流れず』では、時間の実在性を懐疑し、アウグスティヌスやマクタガートの時間論に接近している。

なお大森はしばしば現象主義を批判しているのだが、それはエルンスト・マッハの感性的要素一元論や論理実証主義の感覚与件論など、狭義の還元主義的な現象主義を対象としている。「立ち現われ」一元論や「重ね描き」、また実在論を批判する大森の論法は一貫して広義の現象主義であり、「非還元主義的現象主義」と定義することが可能である。

二元論の否定

大森は二元論に対しては終生一貫して否定的な主張をしていた。たとえば机の上にカップがある場合、「カップはどこにあるか?」と問われたなら普通は机の上を指して「そこ」と答えるだろう。しかし二元論者がそう答えるのは間違いになるという。彼が見ているのはカップの知覚像であり、その知覚像を生み出した物質、つまり物自体ではないからだ。これをテレビにたとえれば、テレビに山が映っていた場合、この山はどこにあるのかと聞かれて、テレビ画面を指して「そこ」と言うようなものである。このことが示すのは、自分の内界と外界との位置関係を問うことの無意味さである。私が理解している空間的位置とは、私の内界における位置なのである。その内界を生み出す原因である外界はどこにあるかと問われても、私の内界と外界との位置関係というものは不可知というのでなく無意味に過ぎないのである。また大森は、二元論の立場では、私の内界と外界の時間的関係を問うことも無意味だとみなしていた。たとえば知覚は脳の作用によって生じると考えられているが、百年前や千年前の脳の作用によって今の知覚が生じていると考えても、何の不思議もないし、自然科学も何の影響も受けないのだ。*5

このような現象主義的な二元論批判から、大森は後述の「重ね描き」を提唱することになり、そして重ね描きは「立ち現われ」一元論へと発展することになる。また実在論に対する懐疑は、1980年代後半には科学的実在論の批判的検証という形でより徹底したものとになる。

普遍概念と無限集合

「普遍」がそれ自体で実在するという考えを「実念論」といい、普遍とは名詞としてしか存在しないという考えを「唯名論」という。実念論の代表的な人物はプラトンであるが、現代でこの立場を取る哲学者は少ない。例えば「猫」という語があるが、実在しているのはタマやミケや名もなき野良猫など、個別の猫たちだけであり、「猫一般」なるものが存在しているわけではない。しかし、にも関わらず我々は「猫」とその他の動物を区別できるのであり、その区別は何によってなされるのか、個別の猫たちは何によって「猫」という概念の枠組みに入れられるのかという問題がある。その問題を解決するために「無限集合」の概念を用いる経験主義的な立場がある。例えば、「猫」とは猫の「様相」の無限集合であるとするものである。つまりこの世界で存在することが論理的に可能な、ありとあらゆる猫の全ての集合が「猫」の意味だとするものである。

大森は「机の上にカップがある」というような文を「物言語」と呼び、実際に机の上のカップを見た時のような映像の知覚を「知覚像語」と呼ぶ。そして物言語とは知覚像の無限集合を生成する言葉であると考える。つまりカップの知覚像は、あらゆる視点から無限にありうるものであり、それぞれの知覚像は微妙に異なっている。それら知覚像の無限集合を表現する言葉として「カップ」という語があるのである。しかしこの無限集合をわれわれは作り上げることができない。できるのは特定の視点を与えられた時にどう見えるか、ということだけに留まる。つまり「見え姿」作成のアルゴリズムを知っているだけである。これをたとえれば、人は想像し得る無限の掛け算をやることはできないが、掛け算のやり方――アルゴリズムを知っていれば、任意の二つの数字を与えられれば掛け算をやることができる。このことが掛け算を「知っている」ことであるというように、任意の視点からのカップの知覚像が与えられた時に、それがカップの無限集合の一要素であるか否かの判別ができるということが、カップという語を知っているということなのである。*6

立ち現われと無限集合の関係については、例えば部屋にいて「富士山」という語を見た時、私は富士山のイメージを思い浮かべる。富士山という語は「知覚的立ち現われ」に加えて、「思い的立ち現われ」の無限集合を生成する言葉なのである。

大森の無限集合についての考えは現象主義的であるが、論理実証主義の感覚与件論のように、知覚描写によって物理的描写が消去できるとは考えない。われわれは日用品などだけではなく、高度で複雑な物理的概念も理解している。それらの理解には長い経験によって無数の知覚が区分され、統制され、また新たな科学理論によって絶えず訂正され、複雑さを増しながら整理が進む。従って、
(a)物理的描写は知覚描写の集まりである。
(b)しかし前者を後者で置き換えて消去することはできない。
この二つの主張は両立しうるとし、科学者の抱く「客観性」の概念は損なわれないという。

唯名論者のいうように、個物から離れた「円」や「三角形」そのもの、つまり普遍は確かに知覚できない。しかし普遍は「思う」という様式で日常的に経験されているのである。従って「思い存在」ということもできる。

後に大森は「重ね描き」の方法論によって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈する。実数や自然数などの「普遍」もまた、世界を言語によって記述していく過程で、その存在意味を獲得する「語り存在」なのである。

語り存在や思い存在は、知覚存在に比べてその存在強度が薄いというわけではない。それらはともに我々の経験世界の中に存在しているのである。

重ね描き

重ね描きとは、大森荘蔵が心身問題の解決策として提唱した現象主義的な方法論である。心的なものについての描写と、その心的なものを生み出しているとされる物的な脳の過程とミクロな物理現象についての描写は、重ねて描かれるしかないとする考えである。この立場では心的因果はもとより、心と脳の因果関係そのものが否定される。つまり脳がクオリアなど心的なものを作っているというのではなく、またクオリアが脳に作用するというのでもない。互いに互いを還元することはできず、心的なものと物理的なものは個別に描写するしかなく、その二つの描写を重ね合わせたものが、人の「経験」の正確な描写なのだとする。この重ね描きという方法を採用すれば、心と脳の関係という難問は解消し、なおかつ現代の脳生理学の知見は訂正の必要がないと大森はいう。

重ね描きと心身並行説は似ていると受け取られるかもしれないが、大きく異なっている。並行説が心と脳は別のものだと見做す二元論であるのに対し、重ね描きは現象一元論である。また並行説では心と脳の関係が偶然的であるのに対し、重ね描きでは(心脳同一説のように)論理的である。そして重ね描きと心脳同一説との違いは、重ね描きでは還元主義を拒否することである。

重ね描きは性質二元論とも大きく異なる。性質二元論では、心的なものと物的なものは「一つの実体」の二つの性質だと考える。中立一元論も類似の考え方である。たとえば「痛み」があるとき性質二元論では、
1、「痛み」という日常言語による記述
2、痛みをもたらしている「脳の状態」の科学言語による記述

以上のように「痛み」には二種類の記述方法があるとし、片方はもう片方に還元できないと考える。しかし重ね描きは現象主義なので「一つの実体」を想定しない。そして上の「二種類の記述を合わせたもの」が「痛み」という経験の正確な描写だと考える。つまり還元を拒否し、なおかつ片方の記述だけでは不完全だと考え、さらに双方の記述の不可分性――論理的関係を主張するのである。要約すると、重ね描きは現象主義的な「出来事一元論」ということになる。「痛み」という一つの出来事は日常言語でなければ記述できない要素と、科学言語でなければ記述できない要素があるということである。

感覚与件論やカントの統覚を「加工主義」と批判していた大森にとって、知覚をもたらすとされる物理的な現象、特に脳の作用と知覚現象(後の立ち現われ)の関係を説明する必要があった。そして『言語・知覚・世界』(1971)で、人間の世界とは五感によって捉えられる風景であり、世界の科学的描写はこれと独立に存在するわけではなく、ましてや知覚風景が見えることの原因を発見するわけでもないとし、科学的描写と知覚風景は時空的に重ねて描かれるべきだとする「重ね描き」の方法論を提唱した。

重ね描きでは、まず知覚される山やリンゴやテーブルといったマクロなものが日常言語で描写される。そして知覚対象の分子・原子レベルの細密な構造が科学的に描写され、かつ知覚対象から光波が反射し人の網膜に入り、脳のニューロンが活動するという過程が科学的に描写される。それらの描写を重ね合わせたものが、人間の知覚経験という出来事の、最も正確な描写だとする。例えばカップを見る場合、物理学がカップを構成する粒子(または場)が存在するとした空間領域の表面に、知覚像を重ねて描くのである。つまり科学理論による説明とは、知覚風景の科学的描写なのである。

重ね描きは現象主義的方法論であっても、マッハの還元主義的な現象主義や論理実証主義の感覚与件論とは大きく異なる。重ね描きでは、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論は、「語り存在」として解釈されて、他の何かに還元されることはない。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを語ること、つまり知覚および日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えるものである。

従って実在論的な考え方を逆転しなければならない。
まず原子が存在してそれを言語で表現する、という通常の考え捨てねばならない。事は正反対であって、日常言語描写に重ね描かれる新しい一つの語り方、一つの新しい言語、すなわち自然科学の言語が開発案出される、そしてその開発の中で原子の存在の意味が新たに開発されたのである。語られるということで対象性が発生し、その対象性が存在に成長する、と考えたい。科学言語という新しい言語の語りの中で新しい存在意味が生み出されたと考えたいのである。科学言語の語りが原子存在の意味を創造制作したのである。*7

そもそも物理的対象のあり場所、また形状や大きさも、知覚風景の中で言語によって定義されたものである。実在しているとされるボールペンが、知覚のボールペンと同位置、同型であるのは、事実としてそうだからではなく、そのように定義されたからなのである。科学的描写は必ず知覚風景に重ねて描かれるものであり、知覚風景と独立して描くことはできない。

しかし知覚風景を根本的前提としながら、一旦描かれた科学描写は独り歩きを始め、知覚風景を全て消し去り、この世界の科学描写をすれば、それが真の世界描写であり、知覚風景は二次的に生じた幻のようなものという本末転倒の考え方が生じる。たとえば、実在しているボールペンに光が当たり、その反射光が眼に入り、視神経から大脳の視覚領域に伝わることにより、ボールペンの知覚が生じる(知覚因果説)というように。これは全く逆なのである。知覚風景なしでは科学描写は意味を持ち得ない。

知覚風景は必ず特定の視点や、場合によっては感情的なフィルターを持つ。それに対し、物理学の描写には特定の視点や感情がない。「死物」の世界像である。日常言語で「青い箱」と呼ばれるものを、科学では分子構造などが描写される。そこには色の言葉は不要である。つまり科学描写とは日常言語で描写されたものを、記号と数学という感情の無い人工言葉で改めて語り直すものなのである。

これを大森は「略画」と「密画」の対比によってたとえる。たとえば夏の山は、遠くから見れば地平線上の青い盛り上がりに見える。これが山の略画である。しかし山のすぐ麓から見れば樹木や土石が見える。これが山の密画である。両者は異なる存在ではない。同様に我々が生活で用いる日常言語と、それの細部を描く科学描写は、同一の現象のマクロ記述とミクロ記述の関係であり、記述の細かさだけが違うということである。従って知覚によって表現される日常描写と、数学によって表現される科学描写の関係は、「因果」ではなく「即ち」の関係として捉えなければならない。また両者は不可分の関係である。遠くから山を見る場合、山の樹木や土石は見えないが、樹木や土石があるから山があるのである。すなわち略画と密画の存在論的身分は同一なのである。*8

マッハの現象主義によれば、物体が感覚を産出するのでなく、感覚複合体が物体をかたちづくるのであり、物体の本質とは「記号」である。重ね描きの方法論は、マッハの現象主義にゲシュタルト心理学の知見を取り入れ、さらに感覚与件論の反省を踏まえて独自に発展させたものと思える。上に引用した論文「過去透視と脳透視」で、大森は「脳変化は外部風景変化の原因であるが因果的原因ではない。私はそれを前景因と呼びたい」と書いていた。その「前景因」は、マッハからすれば、「特定の感覚」を存在させる「法則の構造」ということになるかもしれない。

バークリーの現象主義では感覚の無限分割可能性を否定しており、素粒子まで辿り着いた現代科学との相性が悪い。事実バークリーに近い立場を取ったマッハの現象主義は原子の実在を巡る論争で躓いた。しかし大森の現象主義は、感覚的なものと非感覚的なミクロな存在を「重ね描き」で同時に表現することができる。

近代科学の方法論を構築したガリレイは「幾何学があらゆるものの中で最も有力な手段である」として、すべてを幾何学的方法によって証明しようと意図した。彼にとっては、世界とは神が数学という言語で書いた聖書の一つだった。「それは数学の言葉で書かれてあり、使用されている文字は三角形や円その他の幾何学図形」なのであるが、その数学とは時間と空間上の形とその位置変化、つまり幾何学と運動学なのである。また科学とはわれわれが知覚するものを、可能な限り細かく分析していこうとするものであり、現代においては原子や素粒子などの段階まで細密に描写している。科学的手法というものを要約するならば、われわれが生活する略画世界の密画化・数量化なのである。しかし密画化されたもの、つまり原子や素粒子には色も暖かさも匂いも味も欠如している。従って科学によって描かれたその密画が世界の事実だということはありえない。密画はわれわれの知覚する略画と「重ね描き」されなければならない。「立ち現われ」とは、密画と略画が重ね描かれたものなのである。

大森は実在論を断固として拒否しており、科学的実在論を、実用的実在論(素朴実在論)と同一視している。日常経験を成り立たせている実用的実在論がなければ、科学的な研究も、科学的な記述も不可能だからである。科学的実在論とは、実用的実在論を時間空間的により細密にしたものなのである。

「重ね描き」の立場からすれば、心の哲学における意識のハードプロブレムは存在しないことになるだろう。科学理論による説明とは、略画である知覚風景を科学理論という手法によって描写した密画であるとすれば、「描写されたもの」が原因で知覚風景が生じていると言うに等しい神経生理学の考えは本末転倒となる。

大森は知覚因果を明確に否定している。
知覚風景は、(科学的描写によって描写される)大脳の状態を原因として生起するものではない。*9

人の知覚とは、外部の物の情報を感覚器官が受け取り、脳がその情報を処理する過程で生じると科学では説明される。これが「知覚因果説」である。これは実在論を前提とした二元論であるが、実在論に批判的な大森はこの知覚因果説を批判して「脳信仰」「脳産教理」と呼んでいる。

大森は、例えば視覚風景は「透視風景」であるという。霧の向こうに何かが見えているとする。霧が濃くなれば当然見え方は変わる。サングラスをかけても風景が変わる。このように前景が変わるとそれ以遠の風景が変わるという構造を視覚はもっている。これが「透視構造」である。さらに手前をたどると、瞼を塞げば風景は消える。眼球や視神経に障害が生じれば風景も変わる。そして脳に異常が生じれば風景は変わる。

脳の状態変化が視覚などの変化と相関することを大森は認めるが、両者の因果関係は否定する。
脳変化は外部風景変化の原因であるが因果的原因ではない。私はそれを前景因と呼びたい。
この前景因、「すなわち」の関係、は因果系列を逆方向に「透視」したものだと見ることができる。例えば、爆発→光の進行→眼球→網膜→視神経→脳、という因果系列を、今現在という一瞬に「逆透視」したのが今現在の視覚風景である。それゆえ、その系列の一部の変化はすなわち、それより以遠、以前、の系列部分の変化なのである。*10

大森が想定した「透視構造」は知覚因果説の逆であり、脳→視神経→眼球→空気→物、という透視系列である。ここで重要なのは、大森のいう透視構造はダニエル・デネットカルテジアン劇場として批判したような、脳の中にいる「小人」が脳や視神経や眼球を透して風景を見ている、という構造ではないということである。知覚の透視構造とは、脳から物へという構造をもっているというだけであり、脳が物の知覚像を産出するというのではなく、物と知覚像は「同一のもの」なのである。上述したように、或る知覚とは「一つの出来事」であり、その出来事は日常言語でしか記述できない要素と科学言語でしか記述できない要素があるということである。その知覚像は脳から物へという系列を構造としてもっているということなのである。赤いサングラスをかけると風景が赤く見えるというのは、サングラスと風景の「因果関係」ではない。赤く見えている風景は知覚像として端的に存在しているのだから、それには透視構造があるというだけであり、サングラスをかけた「ゆえに」風景が変化したというのではなく、サングラスをかけることと風景が変化することは同一の出来事であり、即ちサングラスと風景は「論理的関係」なのである。

確かに、脳と心には因果関係があるよう思える。その因果関係を研究する脳生理学が間違っているというわけではない。物質が反射した光波を網膜が捉え、活動電位が発生し、それがシナプスを伝って脳の視覚領域に到達する――この因果過程は事実であろう。しかし重要な点は、その因果過程は「私に……が見える」という視覚経験の事態の中で生起しているということである。決して、その因果過程が「原因で」視覚経験という事態が生じているというわけではない。脳産教理においては、因果過程によって視覚が生じるという本末転倒の考え方をしているのである。

視神経や脳に傷害が生じれば視覚にもそれに対応した変化が現れるのは事実である。しかし、だからといって脳産教理を肯定する必要はない。正常な視覚の事態の中には無傷の因果過程が生起しているが、異常な視覚の事態の中にはそれに対応した傷害のある過程が生起している、と解釈すればよいだけである。

重ね描きの核心は、脳を原因として心的な視覚経験が生じるというように「原因・結果」の枠組みで脳と心を考えるのでなく、脳を視覚風景の一部分として位置づけるという点である。「私に……が見える」という視覚経験全体の状況の一部分として脳がある。ゆえに視覚経験と脳は重ねて描かれるしかないのである。

立ち現れ一元論

二元論と実在論を否定し、「重ね描き」の方法論を提唱した大森が、さらに独自の現象主義を発展させた存在論が、「立ち現れ」一元論である*11。「立ち現れ」という言葉はフッサールの「射映(Abschattung)」からとってきたものだという*12

「立ち現れ」一元論は現象一元論である。心的現象や物的現象がさまざまな思いや構造を持って立ち現れるとし、その現象外部のものについては不可知であるとする。「立ち現われ」には、感覚的な「知覚的立ち現われ」と、非知覚的で思考的な「思い的立ち現われ」がある。

二元論者によれば、知覚は物理的対象の表象である。「表象」という語は表象するものと表象されるものが区別されることを前提している。このような考えに対し、大森は立ち現れが何ものかの表象であることを否定する。二元論者が想定する物理的対象といった私の外界――経験を超越したものは、立ち現れの「外」でなく、立ち現れの「中」で捉えられなければならない。従って立ち現れは「背後をもたない」とされる。このような考え方は「存在とは知覚されること」としたジョージ・バークリーの現象主義と近似的であり、実際大森はバークリーを援用して以下のように述べている。
なるほど確かにバークリーはそれは「心の観念」だと言った。彼にはそれと対比さるべき「物」が存在しなかった。より正確には、意味をなさなかった、ことを忘れてはならない。だから彼の「観念」は何ものの「像」でもありえなかったのであり、実物そのものだったのである。(中略)われわれは「観念を飲食し、観念を着ている」(『人知原理論』38節)、バークリーの「観念」とはそういう観念なのである。だから、彼の言う「心」とは実は世界それ自身のことなのである(そして、われわれの言う「心」もまたそうであると私は言いたいのである)。
いずれにせよ、次のことは言えよう。もし私に「見え」、私が「触れ」、私が「味わう」ものすべてが「心像」であるならば、私の生きる世界はすべて「心像」であるはずである。だとすれば、「心」は私の内にひそむ何ものかではなく、私の部屋に、街に、海に、空に、日に月にまで拡がっている何ものかなのである。幻といわれるものすら私の外に見えるのである。まさに「心」と呼ばれたものは「世界」なのである。*13

大森がバークリーと異なる点は、知覚的なものだけでなく、抽象的な思考作用も「存在」に含めたことである。したがって「知覚的立ち現われ」と、非知覚的で思考的様式としての「思い的立ち現われ」が区別される。さらに能動的な意識主体としての「心」を想定していたバークリーとは異なり、立ち現れは無主体論的な思考形式であり、むしろデイヴィッド・ヒュームバートランド・ラッセルの立場に近い。大森は立ち現われを提唱する前段階として、イマヌエル・カントのような主体による「統覚」を想定する思考形式を、「加工主義」と呼んで批判していた。たとえば「私が見る」という場合、「私」という主体が客観世界を、時空という感性の形式と因果のような悟性の形式によって加工されて認識が成立すると考える。しかし、加工するという場合、加工される前の素材が想定されなければならないが、そのような想定は無意味である。例えば「赤いボールがある」という場合の「赤」については、既に人間に知覚されたものであり、知覚されない「赤」はないといえる。加工される前の素材を人間は云々することはナンセンスである。人間には加工済みのものだけが与えられているのだから、「加工」というプロセスは不要のものであり、主観や主体の働きは必要でない。したがって赤いボールがある場合、それを端的に表現するなら「赤いボールという知覚像がある」というのみである。

大森はこのような主観の働きの否定から、必然的に「心の働き」や「心の作用」を否定することになる。
或ること「を知っている」とは、知覚とは違う様式ではあるがやはり一つの風景があるということである。痛みを痛むのでなく、端的に痛みがあるのである。*14
これは「知っているという思いが立ち表れる」「痛みが立ち現れる」と言い換えることができる。知覚作用や思考作用などなく、端的に知覚的なものや思い的なものが立ち現れるだけなのである。また音がした場合、「音」は聞かれている音知覚であり、既に気付かれているのである。認識論では「気付いていることに気付いているか否か」ということがしばしば問題にされる。しかし「気付いていることに気付いてない」というのは意味をなさない。
意識を意識する云々は無限に重ねられていく鎖ではなく、同じ乾板に同じ風景を何度も写すようなもので、何も付け加えるものではない。
先刻ある音知覚があったというだけのことで知覚「作用」があるということを何等意味しない。
現在の意識内容はわざわざ二重に意識されるまでもなく、今ここに余すことなく与えられているのである。*15
大森は図によって自身の無主体論を表している*16。ここでは大森の図の概念を記号化して表してみる。
[私が] → [見る] → [A] の形でなく、
{ 私が ( 見る [A] ) } の形なのである。
この意識作用の否定は、バートランド・ラッセルの自我についての考察と同型のものである。また大森は「心」や「私」というものの実体性を否定して次のように述べている。
人は心あるから悲しいのでなく、悲しい状況にあるから心あるのである。心の中、そんな場所はどこにもないのである。*17
私はここに居る。確かにそうです。しかし「ここのどのあたりに居るのか」という問いは馬鹿げて聞こえます。私の眼のあたりの疲れ、尻の痛さ、手の動き、若干の想念、そして眼前の風景、(中略)その全部、それが「私はここに居る」ということなのです。その全部の他に「私が居る」のではなく、その全部のあり方(身体のあり方、遠近のあり方、等々)、そのあり方(構造、と言いたくなります)が「私はここに居る」ということなのです。(中略)
簡単に言うならば、私は世界の一項目としては存在しないのです。世界の一構成部分として登場しているのではないのです。私は世界の部品ではありません。ただその世界のあり方が「私がここに居る」ことなのです。*18

立ち現れは常に志向性をもっていると大森は考えていたようである。
「知覚されている」とはかならず「思いをこめて知覚されている」ことなのである。*19
思いが全くこもらない知覚(知覚的立ち現れ)はありえない(悟性的要素を全く排除した直観の多様などありえない)。しかし、たとえ思いがいかに濃密にこもっていようとも、机を「見る」こと「触れる」ことと、見も触れもしないでただ(心に、頭に)「思う」こととの分別は子供にも見誤ることのない歴然たるものである。ただ全く純粋な知覚的立ち現れとは、感覚与件と同様考えることのできぬものであり、すべての知覚は思いのこもった知覚である、このことを忘れてはならない。いかなる知覚も思いをこめての知覚なのである。*20
この考えは、われわれが事物の断面を見た時の意識を考えればわかるかもしれない。たとえば家や車、机や椅子を見るとき、われわれは必ず一定の視点からそれらの一面のみを見ているに過ぎないが、一面の映像を見ると同時にそれらの全貌――「家」「椅子」という概念が立ち現れている。つまり一定の視点からは隠された背面への思いも同時に立ち現れているのである。またその背面には限りがない。家の一面を見て「家」の概念が立ち上がるのだが、その家は土地に立っているはずである。またその土地は日本列島にあり、日本列島は地球にあり、地球は銀河系にあり、銀河系は宇宙にある。大森の考えでは、それら限りない背面への「了解」も同時に立ち現れているのである。コーヒーを飲むときはコーヒーの味が立ち現われ、またコーヒーカップの映像が立ち現われ、茶褐色のコーヒーの色彩が立ち現れるのだが、それら全てに限りない「背面」である時空全体が立ち現れている。
こうして現在の視覚風景には、「直接見えている」ものの向こう側(つまり背後や内部)、そしてまた以前と以降が(思い、という様式で)立ち現れ、現前しているのである。(中略)この空間的な向こう側にも、時間的な以前以降にも涯てが無い。涯てのある向こう側とか、涯てのある過去や未来とかは考えることができないものだからである。となれば結局、視覚風景とは常に四次元の全宇宙世界の風景であると言わねばならない。*21
涯てが無い四次元宇宙の一部を見るというのではなく、全宇宙への思いが立ち現れにこもっているということなのである。

「思いをこめて知覚されている」という考えは、現象主義的であっても、ヒュームやブントに代表される原子論的な感覚に関する要素主義とは異なっている。フッサールはマッハの現象主義に志向性の概念が欠けていると批判した。大森の立ち現われは、マッハの要素主義的な現象主義と、フッサールの「ノエシス――ノエマ」の概念を統合したものといえる。大森はフッサールの用語との関連で以下のように述べている。
「立ち現れ」はフッサールの「射映」Abschattung にあたる。しかし、フッサールと異なり、この「立ち現れ」「射映」の相貌の中に「指向的対象」が「じかに」立ち現れているのである。*22

大森の立ち現れ一元論では、ある立ち現われと別の立ち現れの関係、つまり「変化と同一性」の問題が派生してくる。この問題について大森は、同一性の担保となるような不変的「実体」を否定して、「実体」ではなく「体制」の不変性を主張する。
その要求には、「同一性」には「同一不変性」、つまり「不変性」が含まれている、いや含まれておらねばならぬ、という偏見に根ざしている。原子や素粒子の場合に明らかなように、「同一体制」は規定の不変性を含みうる。しかし、規定ではなく規定を担う何か基本的なものの要請、その不変性の要請は、その意味がわからぬ、わけのわからない要請である。少なくとも、そのようなものなしに「同一体制」は確立しうるのである。わたしが「同一性」に代えて「同一体制」を云々してきたのは、そのことを明示したかったからである。「同一性」は「同一不変」ではなく、「同一性」と「不変性」とは独立であり、「同一性」は規定の「不変性」を含むことも含まぬこともできるが、規定以外の形而上学的実体の不変性とは無縁なのである。「同一性」はそのようなものなしに確保することができる。そのことを明示するために「同一体制」と言い換えているのである。*23
※この大森の考えは、人格の同一性問題においてはデレク・パーフィットに近い還元主義である。

立ち現れには「背後」がないと強調される。背後に同一不変の何かがあって、それがさまざまなものを立ち現すのではない。実在論は拒否されている。立ち現れは時々刻々その姿を変えるが、それは背後にある同一不変の実在を元に立ち現れるのではなく、ただ「同一体制」の下で立ち現れるのである。

したがって立ち現われには虚実がないということになる。この説明に大森は「錯覚論法(argument from illusion)」と呼ばれるものを逆用している。例えば、私が道で蛇を見て足を止める。その時私は本当に蛇を見たと思っている。しかし後でよく見れば実は縄だったという場合もあるし、やはり本物の蛇だったという場合もある。仮に縄だった場合、最初私が見たのは単なる蛇の表象だったということになる。しかし本物の蛇だった場合でも、最初見たのが蛇の表象・イメージだったという点では同じである。従って最初に「蛇のイメージを見た」という直接経験は同じ体験なのであり、直接経験は間違いようがないというのが錯覚論法である。大森は直接経験、つまり立ち現われは間違えようがないという所までは同じ考えである。しかし「だから同じ心的イメージである」とは考えず、本当に蛇だった場合は単なる心的イメージではないのだから、縄だった場合でも心的イメージではない、と考える。つまり蛇という存在が蛇というイメージの背後に独立してあるような実体とは考えないものである。

立ち現われでは、加工主義として批判した認識作用が否定され、そして認識対象である実在が否定され、そして主体が認識を内包するという構図の否定(無主体論)により認識内容が否定されていることになる。

最初に見た蛇が本当の蛇だった場合と、実は縄だった場合の違いとは、ある立ち現われを真実と分類し、別の立ち現われを虚偽と分類するような、分類の仕方の違いに過ぎないのである。大森は次のように述べる。
すべての立ち現われはひとしく「存在」する。夢も幻も思いも違いも空想も、その立ち現われは現実と同等の資格で「存在」する。そのもろもろの立ち現われが同一体制、さまざまな同一体制の下に慣習的に組織される。その組織に参入した立ち現われが「実在する」立ち現われであり、その組織にあぶれて孤立する立ち現われが「実在しない」虚妄の立ち現われと、呼ばれるのである。
そしてこの組織は固定したものではなく、絶えず再編成され絶えず揺動するものである。この組織は「真理」や「実在」の観点から組織された組織ではなく、生きるためにもうけられた実践的組織であり、この生きんがための組織が「真理」とか「実在」とか呼ばれるのである。真理や実在によって生きるのではなく、生き方の中で真理や実在が選別的に定義されるのである。その定義はそれゆえ気まぐれや知的興味からなされる定義ではなく、命を賭け、生活がかかった定義なのである。だから、生き方が変わればまた真理や実在も変わりうる。*24

この実在観の下では、デカルトの二元論は否定される。デカルトは懐疑可能な物質世界と、懐疑不可能な精神を分離したが、大森にとって精神と物質は「描写」のされ方が違うというだけとなる。大森はバークリーの、「存在するとは知覚されることである」という考えを、「デカルトの二つの世界は実は同じ世界だと言っているのである」*25と解釈している。一つの世界の下ではデカルトの懐疑は発生せず、「幻覚」はありえない。従ってこの考えを「幻を滅する」との意味で、「幻滅論法」と呼んでいる。バークリーの「知覚=存在」とは、論証の必要なものでなく、日常の「観察」なのである。日常生活で見たり聞いたり手で扱ったりすることによって、「実在」を生活的に定義しているのである。その生活的定義によって、通常の事物は「幻覚」ではありえない。通常ではないと思われるものだけが「幻覚」とされる。これが「幻滅論法」なのである。

このような一元論的世界観の元で「言葉の意味」も定位される。「加茂川の水かさが増した」という声があるとき、水かさの増した加茂川が立ち現れる、と大森は考える。話し手の言葉の「意味」が立ち現れるのでなく、加茂川そのものがじかに立ち現れるのである。もちろん、時や場所、自分の気分によって、その立ち現れ方も異なる。
要するに、聞き手の側からすれば、言葉の意味の了解なるものは実は、話し手の声振りに触れられて動かされること、叙述の場合であれば、或る「もの」「こと」が或る仕方で訓練によって立ち現れること、じかに立ち現れること、に他ならない。そこに「意味」とか「表象」とか「心的過程」とかの仲介者、中継者が介入する余地はないのである。すなわち、言葉(声振り)がじかに「もの」や「こと」を立ち現わしめるのである。言葉の働きはこの点において、まさに「ことだま」的なのである。*26

この意味論は「加工主義」に対する批判と整合的である。例えば富士山という語の意味を理解しているとは、その語によって立ち現れたものが富士山の立ち現われであるか否かを判別できること、それ以上でもそれ以下でもない。従って富士山として分類された立ち現われは富士山以外の何ものでもなく、そこに富士山の「表象」などが介入する余地もない。富士山の立ち現われは「富士山そのもの」なのである。

実在論批判

立ち現れ一元論は、二元論と実在論の拒絶を出発点としており、「存在とは知覚されること」としたバークリーの哲学も援用されていた。また大森はデカルトの考察からも「存在」という概念についての問題を読み取っている。以下の文は大森の「存在」と「実在」についての解釈が表れている。
デカルトも「……私は夢見ており、私の見たり想像したりするものすべては偽であると私は想定したのだけれども、しかし、それらのものの観念が私の中に真実にある、ということは否定できなかった……」(『方法叙説』4部)、また「……観念は、単にそれ自身において見られ、他のものと関係させられないならば、本来偽ではありえない。なぜなら、私が山羊を想像しようとキマイラを想像しようと、私が想像するということ自体はどちらの場合でも等しく真である」(『省察』Ⅲ)ことを認めている。
すなわち、デカルトにとって、夢の事物であれキマイラであれ、また眼前に見えるランプであれ、「それ自身において見られ、他のものと関係させられないならば」、それらの立ち現れは最も強い意味で「真」なのである。立ち現れたのだから立ち現れたのである。したがって、それらの立ち現れは最も原初的な意味で「存在」したのである。夢の立ち現れ、キマイラの立ち現れも「存在」したのである。この強引な言い方も語源的には多少正当化されるように思える。茅野良夫氏によれば、ヨーロッパでの「存在」(エグジステンツ、エグジステンス等)の語は、「外に(エクス)立ち出る(シストー)」に由来し、「立ち出る」「立ち現れる」ことから「立ち出た状態」「立ち現れた状態」を意味するとのことである(「哲学の日本語」、『言語』七三年一月号。またこのことは井上忠氏に確認して戴いた)。いずれにせよ大切なことは、「実在するもの」も「実在しないもの」もその立ち現れにおいては、「それ自身において見られる」限りは、同等の資格で「存在」する、ということである。実在する、しない、は「他のものと関係」してはじめて生じる区分なのである*27

一つのものが人によってさまざまに見えることを大森は認める。それが、さまざまな主観が唯一の客観的実在を見ているという素朴実在論に繋がる。その実在論では主観に捉えられた表象として客観的実在は理解される。しかし大森は、その表象を写真のフィルムのような「写像」とする二元論的な比喩を拒否する。
表象論者はまず「対象の存在」を想定し、ついで「表象」からその「対象」を探究しようとするのである。*28
大森は心の外の不可知性を主張したバークリーに同意する。また自然科学によってもたらされた強力な実在論的世界観に対しても、電子や陽子や電磁場などは、全て知覚「表象」を手掛かりにして探究されたものにすぎないことを指摘し、そして表象と対象の関係は「重ね描き」によって結合させられる。
だが明らかに手掛かりだけがいくらあっても一歩も進めない。いや、手掛かりだけしかないとき、それらはもはや「手掛かり」ではないのである。それが手掛かりになるためには、そこから先に進む方式が与えられなければならない。だが知覚「表象」から「対象」へ進む方式は与えられていない(カントの場合では、現象から物自体へ進む方式は与えられていないことをカント自身が明確に自認している)。(中略)
「対象」は「表象」に基づいて定義され、考えられたものとなる。「対象」は「表象に」時間空間的に重ねて「考えられた」ものとなる。そして世界は表象言語(知覚言語)と対象言語(物理言語)によって時空的に「重ね描き」されることになる(中略)
いや、「客観」とは主観によって考えられて把えられる以前のものだ、といわれるならば、その把えられる以前の客観をあなたはどうやって云々できるのですか、と尋ねたい。ここで、それは直感的なものでなく論理的構造なのだというのは明白な欺瞞である。あらかじめ「主―客構造」をことわりなしに植えこんでおかない限り、主―客の論理構造などはどこからも出てこないからである。
ではあの幻覚は一体何なのだ、少なくとも幻覚こそ純主観的なものとせざるをえないではないか、と問われよう。別に何でもない。立派な視覚風景の一つであると答えたい。幽霊がそこに見えていることは墓石がそこに見えていることと変わりがない。ただ違いは墓石のようにぶつかることも触れることもないものだということだけである。またそれに対応する物理的状況ではそこに空気や電磁場があるというだけである。このことは幽霊を極めて興味深い種類の「物」にするだろうが、そこに「主―客構造」を思わせるものは何もない。たかだか、それを見ている人の視覚器官や大脳の状態についての示唆を与えるだけである。本当の幽霊はむしろ「主―客構造」という考え方なのである。そして客観の主観的表象、という概念こそ幻の概念なのである。*29

大森はカントが想定した「物自体」について、人間の経験に先立つ存在であるため「先行存在」と呼び、「存在する」という意味について以下のように述べる。
存在の原型としての知覚存在にせよ、数学的対象を典型とする普遍や物理学の理論的概念の語り存在にせよ、いずれも日常経験の中で制作されているということである。知覚存在は知覚経験の中に与えられており、語り存在はその経験を語る思いの中で形成されている。その点で以上に登場した存在概念は経験論的な存在意味であったといえる。
要するに、経験に先立つ(アプリオリ)存在ということに意味がない、と結論せざるを得ないのである。これは先行存在は無意味だと論理実証主義者ばりに宣告しているのではない。歴史的にそういう意味が形成されたり制作されたことがない、という事実報告をしているのである。意味の歴史的不在を言っているのである。そしていわゆる(素朴)実在論者がこの報告に反駁する仕方はただ一つしかない。
先行存在の意味を了解可能な形で自ら制作してみせることである。*30

自我と他我

二元論的な世界観を否定する大森は、デカルト的な意味でのコギト経験(立ち現われ)は、主客未分であるにもかかわらず、それが生活上の観点から「心」とその外部にあるとされる「世界」に分類されたと考える。これが心身問題という錯覚である。そして「心」に分類されたものには、「私が見る」や「私は悲しい」といった動作主体である主語が要請されるものがある。それが心的主体としての自我や「私」の制作のプロセスである。動作主体から離れた「私そのもの」というものはない。「私」とはあくまで便宜的に制作された言葉である。

また、伝統的に「自由意志」と呼ばれてきたものも、実は能動的で自発的な動作の経験に他ならない。動作の原因である自由意志などどこにもない。あるのはただ「自由な動作」という一種の「経験」であると大森はいう。

自我や「私」は言語的な制作物とする無主体論的な考えの下では、「私の意識」や「心の中」といったものの実体性が否定される。それらは実生活に必要な「意味」として制作されたものに過ぎない。しかし一旦制作された「心の中」といった意味は、ブラックホールのようにコギト経験を吸い込んでしまい、「私が意識を経験する」と歪曲され、主体と客体の対立構造が制作される。「私」とは、単に動作主体であるコギト経験を意味する「語り存在」に過ぎなかったのに、「私のコギト経験」というように、コギト経験が「私」に帰属させられてしまうのである。大森は以下のように述べる。
すべてがそこから発出しそこに帰着すべき始原の経験の所与には、主客の対立関係は存在しなかった。(中略)帰属が未定で開いているコギトの内容、知覚風景や想像風景が、一方的に私の意識に帰属させられることになる。その結果、シュリックからストローソンに受けつがれてきた「経験にはオーナーがいない」という貴重な観察が破壊される。その結果、帰属未分化の知覚風景が強引に私の意識に帰属されることになる。世界風景の強制的内在化が起こるのである。*31

他我の概念は、前述のような自我の制作プロセスから必然的に導かれる。「歩いている」という動詞に「私」という主語が要請されたならば、歩く者が私でなければ「彼が歩いている」というように他我が要請されるのである。自我と他我の概念は同時に制作されているのである。

しかし素朴心理学的な前提では、特に知覚は私と他者とは端的に異なっているように思える。私が風景を見ていて、隣の人がテレビを見ていた場合、両者の視覚は異なっているはずである。この点について、大森は知覚的な立ち現われ論から、「どこから」見ているかが問題であり、誰が見ているかは問題ではないとする。もし私がテレビの方に視点を移せば、隣の人と同じものが見えるはずである。つまり視点を移動すれば誰であっても同じものが見えるということになる。「私には……が見える」という言葉における「私」とは、特定のパースペクティブを現すものでしかない。つまりその「私」は立ち現れているものに含まれているのである。知覚主体や動作主体とは、あくまで立ち現われの分類によってなされたもの、人為的に「制作」されたものである。

ただしこれは、自我と他我を同一視しようという試みではない。「私が見る」とは前述のように純粋なコギト経験である。確かに動作主体から離れた「私そのもの」はないが、「私」は「見る」という動作と一体として経験されている。しかし「彼が見る」という場合、その言葉と対応した純粋なコギト経験はない。つまり自我と他我には絶対的な境界があるということになる。*32

大森は他我問題についての自分の考えを「アニミズムと呼んでいい」ともいう。他人の知覚は私には立ち現われることがないので、他我問題は立ち現れ論で掬い取れないと考え、なおかつ他我問題は過去の多くの哲学者が解決を試みてきたが、全て失敗であるという。そして他我問題とは解決が必要な問題ではなく、人間の理解の基となる「事実」であるべきだとし、以下のように述べている。
人間であろうとロボットであろうと石であろうと、それら自体としては心あるものでも心なきものでもない。私がそれらといかに交わりいかに暮らすかによってそれらは心あるものにも心なきものにもなるのである。それに応じて私もまた「人間」になり、また文明人にも未開人にもなるのである。*33

われわれは、しばしば他者が痛がっていると想像することがある。しかし、それは自分の痛みを他者という場所に移し変えているだけであり、それはあくまで「私の痛み」なのである。そのような他者に対する想像を、大森は「虚想」という。結局、立ち現われは全て私への立ち現われとする一元論の立場では、「私」とはそのような虚想も含めて、全ての立ち現われの総称ということになる。

なお他我問題の「解決」を放棄した大森は、晩年の論文「他我問題に決別」で、他我を「意味」の問題として扱っている。ここでは他者の心は経験不可能であるものの、他者の心の意味は「語り存在」としての経験可能な実在性が与えられている。語り存在とは「重ね描き」論において、物理法則などの抽象的概念に与えられた存在の性格であり、人はそれらを思考し語ることで存在させることができると考えるものだ。しかし大森は、他我についての自分の方法論に満足していなかったようであり、論文最後で以下のように書いている。
ともあれ、他者の心の意味が思考的であることをいったん確認することができれば、「他我問題」とはお別れができる。おそらくはしばしの別れであろうが。哲学では最後に笑うのはいつも問題のほうであるらしい。*34

※参考までに野矢茂樹は大森の自我論を、デイヴィッド・ヒュームが知覚一元論的な立場から自我を知覚の束とみなしたことの類比と見て、大森の考える自我は立ち現われの束だと解釈している*35

時間論

立ち現われ一元論は、時間論にも適用される。大森は「過去は想起という様式で経験される」という。もちろん、想起とは立ち現われの様式である。想起は過去の知覚の想起ではない。想起とは過去世界そのものの立ち現われとなる。想起から独立した過去世界そのものの存在は不可知である。つまり大森の時間論は、二元論批判とセットになっている。
二元論の構図では、去年の嵐のことを思いだすとき、今思いだされているのはあくまで「表象」、去年の嵐の「表象」であり、去年の嵐そのものは今では既に過ぎ去って存在しないものと見るであろう。それに対し、一元論の構図では、去年の嵐そのものが今、じかに思い的に立ち現れている、と見るのである。また、未来の予期であるならば、予期された未来の事件が今思い的に立ち現れる。過去も未来も「今」において存在するのである。*36
事物の立ち現れの様式には様々なものがあるのである。見触、思い出し、期待、思い、想像、空想、思考、等々。そのある様式で立ち現れる事物を「在る」と呼び、別のある様式で立ち現れる事物を「あらぬ」と呼ぶことは、ただ単にそれらがしかじかの様式で立ち現れているということ、それ以上でも以下でもない。過去は「もう既にない」からただ「思い出される」ことしかできない、と言うことは実は、「思い出される」事物をただ、「あらぬ」と呼ぶことにする、と言うだけのことに過ぎない。*37

以上の大森の時間論は「ここ今主義(here-now-ism)」と呼ばれるものと類型である。しかし、このような考えに対しては、誰しも素朴な疑問を抱くと思われる。立ち現れに過去・現在・未来、全てが包括されているというなら、立ち現れる以前はどうなっていたのか、と。大森もその問題は自覚したようであり、後期の大森は新たな視点から時間論に取り組み、微妙に考えを変えていくことになる。

前期大森哲学においては、過去とは「想起」という形式の「立ち現れ」であった。それに対し、後期大森哲学における時間論の特徴は、「過去は言語的制作物」だとしたことである。「過去」とは「今」において、過去形で語られる言語命題なのである。
想起される、言語的に想起される、ということによって過去形の経験が成るのであり制作されるのである。
経験が制作される、というのはいかにも奇妙に響くだろう。確かに、知覚や行動の経験が制作されるなどということはナンセンスである。しかし、過去形の経験は想起されることがなければ全くの「無」なのである。*38
何であれ過去性を知覚的に描写することは不可能なのである。過去性の図解などはありえないのである。われわれはやむなく現在風景を代用して過去を図解するほかない。ではいったい過去性はどのようにして理解されるのか。それこそほかでもない、動詞の過去形の了解によってである。つまりそれは言語的了解によってである。*39
「過去」ということの意味は、人間の言語実践の過程において与えられるのであり、過去の想起の内省によってではない。大森は蛇を見た時の直接経験に誤りがないこと(幻滅論法)を例に、立ち現れには虚実がないと論じていた。過去や幻や現実なるものも、立ち現われという総体を分類したものに他ならない。立ち現われと独立した世界があってそれが立ち現われの真偽を決定するのではない。真偽は立ち現われの中で分類される。大森はカントの「物自体」に習って過去実在を「過去自体」という*40。昔のことを想起した場合、過去自体がその想起の真偽を決定するのでなく、立ち現われの中で真と分類された想起が真の過去世界であるとされる。「過去自体」や「物自体」は妄想である。
過去物語の真理条件は数学や自然科学の真理条件と同様に歴史的社会的制度なのである。「真理」はアプリオリに天下るのではなく、人間社会の制作物なのである。(中略)
過去自体とはカントが強調したように、物自体と同様に経験的には考えることができず、したがって想像することもできない、それゆえただ妄想することができるだけのものである。
ありていに言えば、過去とは真理条件に沿って制作される過去物語りにほかならない。*41
※ここで重要なのは、大森がいう「制作される」とは、過去の「概念」だけでなく、過去の「世界」そのものも含んでいるということである。

大森は想起を夢にたとえ、以下のように書いたこともある。
すべての想起は夢なのである。人生夢の如しなどという感傷的比喩ではなくて、われわれの過去は夢以外のものではない。それに対応する現実は実在しないのだから。*42

大森からすれば「未来」も「過去」と同様である。そもそも「時間」そのものが人為的なものなのだから、自然科学の道具である「線形時間(現在・過去・未来と直線で表現できる時間)」も人為的に制作されたものとなる。
時間というものがわれわれ人間から独立に存在しているというのではなくて、時間とはわれわれ人間が独り独り生活上の必要から制作したものだということである。人間が言語を制作し、自我の概念を制作した、というのと同じ意味で制作したのである。線形時間が過去、現在、未来という順序で接続しているのは、われわれの三種の経験である意図と想起と経験のあり方からそのように制作したのである。(中略)そしてその時間軸が過去と未来の方向に無限であるのは、われわれが年代記や科学の世界の記述を収容するために時間軸を無限に延長したからである。こうして線形時間は徹頭徹尾われわれの意図的な制作物なのである。*43

大森はゼノンのパラドックスに対し、生涯の課題として取り組んでいた。そしてゼノンは線形時間が矛盾を導くことを明らかにしたという。「飛ぶ矢のパラドックス」の場合、矢は「瞬間」であるどの点をとっても静止している。直線が点の無限集合であるとするならば、飛ぶ矢とは静止状態の無限集合ということになる。しかし静止状態を無限に集めても運動にはならない。即ち線形時間と点時刻が用いられられていることがパラドックスを生じさせている。「アキレスと亀のパラドックス」も同様に点時刻を用いることが問題の原因である。「最初に亀がいた地点に到達する」「次に亀がいた地点に到達する」と、アキレスは亀に追いつくまでに無限の異なる状態を実現しなければならない。これは最初の状態を「1」、次の状態を「2」と番号付けてみれば明白で、アキレスは自然数全てを数え尽くして状態「∞」を実現しなければならないが、それは不可能である。これまで多くの学者がこのパラドックスの間違いを見出そうとしてきたが、大森はゼノンの方が正しいと主張する*44

しかし大森は運動の不可能性をも同時に主張するのではなく、ゼノンのパラドックスは人為的に制作された線形時間に依拠しており、その線形時間という道具に矛盾が見出されたのであり、運動じたいに矛盾はないという。なぜなら、線形時間は点時刻の無限集合であるが、その点時刻においては、人間はいかなる知覚体験も経験もすることができないからである。視覚においても聴覚においても、「今現在」と感じることのできる経験においては明確に計測できないものの、必ず時間的な幅があり、これは点時刻ではありえない。われわれが「今現在」として経験できる運動を「体験運動」、またその経験を「現在経験」と呼び、「線型時間」は自然科学のための便利な道具なのだとし、以下のように述べる。
運動はただ現在経験にのみ所属するものであって、時間軸とは何の関係もない*45
この表現は、「現在の運動という経験」のみが「存在」する、とも解釈でき、これはアウグスティヌスの時間論と類似している。事実、大森はそれに近い主張をしている。
多くの人が「今現在」を一つの時刻を指す名前であると誤解している。時間についての人を惑わせる難問奇問の相当数はこの誤解に起因している。この誤解から自由になって考えてみれば、「今……の最中」という言い方の中に「今現在」の意味を求める道が開かれるだろう。つまり、今食事の最中、今風呂の最中、というように、何かをしている最中を今と言うのである。この「今最中」の意味によってこそ過去、現在、未来の三様相の間に時間順序が付けられるのである。*46

大森は線型時間の否定によって、「時間の流れ」を否定する。「今」の時刻は常に変動している。これは線型時間で表現できる時間軸の上を「今」が移動していくというイメージである。しかし線型時間は運動そのものでなく、運動の軌跡を記述する自然科学の道具である。したがって「今」が時間軸上を移動するというイメージはナンセンスなものとされる。そして、時間の流れという錯誤が生まれる原因は、現在経験に時間の動きだと見誤ってしまいがちな多くの体験があるからであり、この現在経験の「運動まがい」によって、運動と無縁な静態的時間軸(線形時間)の運動の欠落を埋めようとするからであるという。またこの洞察は、マクタガートの時間否定の論拠と同根であるともいう。

大森はゼノンのパラドックスの検討によって得られたのは「現在」という概念の捉え難さだという。そして時間軸上で過去と未来の境界にあるとされる現在の概念を「境界現在」と呼んで「現在経験」と峻別する。現在経験は時間順序の過去や未来とは全く異質なものとして考えるべきだとし、以下のように述べる。
具体的には以下の図Aのように過去現在未来を時間軸上に並べるのをやめて、図Bのように現在経験の中に過去と未来の時間軸を考えるという、これまでも多くの人がきづいた見方に移ることである。(『時は流れず』pp.100-101より引用)

図Bで示されているものは、一見これまでの立ち現われ一元論と変わりがないように思える。立ち現われには過去も未来も含められているとされ、「過去は想起という様式で経験される」といい、「過去自体」とは峻別されていた。しかしこの場合は、
これまでも多くの人がきづいた見方に移ることである
という但し書きが付いていることから、立ち現われ一元論を示しているのではなく、時間の実在性を否定した古代エレア派やアウグスティヌスの時間論を示していると解釈すべきだろう。

アウグスティヌスは『告白』20章で以下のように述べている。
未来も過去も存在せず、また三つの時間、すなわち、過去、現在、未来が存在するということも正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち、過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するという方がおそらく正しいであろう。実際これらは心のうちに三つのものとして存在し、心以外に私はそれらのものを認めないのである。即ち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直感であり、未来のものの現在は期待である。

野矢茂樹は上の図Bについて以下のように述べている。
私にはこうして大森が辿り着いた見方はまさにアウグスティヌスのものと等しいように思われる。(中略)
このようなアウグスティヌス的な見方に立つとき、時は流れようもなくなる。知覚も想起も予期もそこにおいて展開する経験の現在、この「今」について、それが流れるということに意味を与えることができなくなるのである。例えば、宇宙全体を考えてみていただきたい。そしてその宇宙全体はもはやその外を考えることができないようなものであるとしよう。そのとき「宇宙全体が移動している」ということに意味を与えることはできない。いっさいの過去と未来を包摂する現在は、もはや時間の中を推移することができないのである*47

※参考までに、大森は坂本龍一との対談で、人間の一番重要な問題は「死」であるにも関わらず、神と死には言及しないようにしている、という主旨のことを述べている*48。これは経験主義的性格の強い哲学者としてはまっとうな態度なのだが、しかし大森が死去する一年前の「時は流れず」で提案した前述のアウグスティヌス的な時間論は、明らかに経験可能性を超えたものであり、死期が迫るのを感じて信仰を告白したとも受け取れる。

無主体論と無時間論

(※以下は管理者の見解)

大森荘蔵の哲学について野矢茂樹は、全てが「今」に立ち現われるという意味で、立ち現われには「今」が刻印されており、なおかつ全ての立ち現われは「私」に立ち現れているという意味で、「私」を刻印していることと対になっており、つまりあらゆる立ち現われには「今」と「私」が刻印されていると解釈している*49。これは立ち現われ一元論の妥当な解釈だと思われる。

しかしそれならば、なぜ「今この私」が「この立ち現われ」なのか、という意識の超難問に類した疑問が生じざるを得ない。これは大森と同様に無主体論者であったデイヴィッド・ヒュームが躓いた問題でもある。

ヒュームは知覚の重要な原則として、
1、われわれの別個な知覚はすべて別個の存在であること
2、その別個の存在の真の結合をわれわれは何も知覚しないこと
という二つを挙げ、その二つの原則は両立しない矛盾したものと考えた。その二つの原則は論理的な矛盾はないのだが、しかし他のものと接続せず、他のものに還元不可能な、完全に独立した全一的な知覚たちが、孤立的に次々と生起することは極めて不自然に思える。素朴に見るならば、多様な知覚たちはジグソーパズルのピースのように、他の知覚たちと連携して一つの、まとまりのある人格・全体を形成しているよう思えるからだ。ヒュームが人格の同一性問題について、「迷路に巻き込まれた」と告白したのは当然の心境でもあった。

しかし無主体論を否定することもできない。デレク・パーフィット人格の同一性問題において、堆積のパラドックスを応用した思考実験で、人格の「主体」が存在することの困難を主張した。このパーフィットの思考実験は強固であり、反駁に成功したものはいない。

「立ち現われ」はヒュームの「知覚」と同様、他のものと接続せず、他のものに還元不可能な全一的なものである(それゆえ「物自体」や「過去自体」と区別される)。そして立ち現われは過去も現在も未来もその内に含んでいるという。しかしそれならば、なぜ「今この私」が「この立ち現われ」なのか、他のものに還元不可能なはずの全一的な立ち現われが、なぜ生じ、なぜ消えていくのか、というアポリアが生じる。他の何かに還元できないということは、他の何かから生まれることはできないということだからだ。大森は自身の哲学がヒューム哲学と共通する難点を抱え込んでいたことを理解していたに違いない。無時間論への接近は、その難点の克服の試みであったと思われる。

立ち現われは「今この私」なのであるが、世界は極めて多様である。しかしヒュームの「知覚」も大森の「立ち現われ」も、その多様な世界の一部に過ぎない。もっとも「立ち現れ」の場合は「世界」そのものだとされていた。「立ち現われ」は世界の中に位置づけられるのでなく、世界が「立ち現れ」内部の構造として位置づけられるのである。しかし、「立ち現れ」が一つのパースペクティブをもって世界を表象している点が問題である。固有のパースペクティブを持つ限り、「なぜこのパースペクティブであり、他のパースペクティブではないのか?」と問わざるを得ない。やはりヒュームの「知覚」と同根の困難を抱えているだろう。世界の一部であるように見えるものが、他のものと接続せず孤立して存在しているというのは極めて不可解である。

このような難問から必然的に、部分と全体の関係についての形而上学、現代ではメレオロジーといわれる問題について考究せざるを得なくなる。唯物論的なメレオロジーでは、個別的な素粒子のみが実在すると主張するのがニヒリズムであり、逆に素粒子は全て互いに関係し合っているゆえに、真に実在しているのは「全体」であるとするのが一元論である。もしメレオロジーの観点から一元論の立場を取るならば、それは古代エレア派、スピノザ、ヘーゲルが展望した世界観に他ならない。なお時間論に限定して一元論を主張するなら、まさに最晩年の大森が接近したアウグスティヌスの立場に他ならない。

もしアウグスティヌスの無時間論の立場を取るならば、前述のヒュームの難問は乗り越えられるかもしれない。無時間論では、過去は「あった」というのでなく、未来は「あるだろう」というのでもない。過去・現在・未来の全ての出来事は、全て平等に、一挙に「現在」として存在すると考えるのである。

エレア派のような言い方をするならば、過去が「ある」ものであるならば「ない」ものになることはできない。未来が「ない」ものならば「ある」ものになることはできない。世界の全体は「ある」もので満ちていなければならない。パルメニデスは以下のような詩を残している(井上忠 訳)。
それはかつてあったのでも、いつかあるだろう、でもない。なぜなら「ある」は、いま、ここに一挙に、全体が、一つの、融合凝結体としてあるわけだからである。(Fr.8.5-6)
過去・現在・未来の全ての出来事は「一つらなりのもの」として、ただ「ある」と考える。この立場では、「今この私」というのは存在全体の切片を捉えた錯覚のようなものである。たとえて言うならゼノンの無限分割のパラドックスの、一つの分割段階、つまり実在性が否定される概念的な存在に過ぎない。「今」とは対応する存在をもたない概念であり、無主体論の立場では「私」もまた対応する存在をもたない概念である。「今この私」というのは錯覚のようなものである。

大森がカントの「物自体」になぞらえて「過去自体」としたものも、無時間論的な一元論では包括することができる。またヒュームが知覚たちの結合を見出せないとしたのは、知覚たちが時間によって切断されているからであるが、時間の実在を否定するならば、知覚たちは時間によって切断されず、結合していることになる。ヒュームが躓いた無主体論の難問は無時間論によって解消される。無主体論を貫徹するならば無時間論に至るべきである。

『時は流れず』は、大森の最後の著作であり、無主体論である立ち現われ一元論が、紆余曲折を経て宿命的に、無時間論という極限に至ったのだと思われる。


  • 参考文献
大森荘蔵『大森荘蔵著作集 第二巻 前期論文集II』岩波書店 1998年(1960年代論文集)
大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年
大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年
大森荘蔵『流れとよどみ―哲学断章』産業図書 1981年
大森荘蔵『新視覚新論』東京大学出版会 1982年
大森荘蔵『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫 1994年(初出1985年)
大森荘蔵『時間と自我』青土社 1992年
大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年
大森荘蔵『時は流れず』青土社 1996年
大森荘蔵+坂本龍一『音を視る、時を聴く』朝日出版社 1982年
木田元『マッハとニーチェ――世紀転換期思想史』新書館 2002年
小山虎「なぜ物質的対象は複数存在すると考えるべきなのか?」Nagoya Journal of Philosophy 第8号 2009年
近藤正樹「イメージの復権を求めて--大森哲学批判」大阪芸術大学紀要 22 1999年
永井均『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書 1996年
中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読――』河出書房新社 2014年
野家啓一 編『哲学の迷路 大森哲学 批判と応答』産業図書 1984年
野家啓一『無根拠からの出発』勁草書房 1993年
野矢茂樹『大森荘蔵――哲学の見本』 講談社 2007年
デイヴィッド・ヒューム『人性論』土岐邦夫・小西嘉四郎 訳 中公クラシックス 2010年
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最終更新:2014年08月22日 22:08

*1 中島 2014: 21

*2 永井 1996: 112

*3 中島 2014: 122

*4 野家編 1984: 5

*5 参考「心身問題と時空」1963年 『大森荘蔵著作集 第二巻』所収

*6 「意味の了解と因果了解」1961年 『大森荘蔵著作集 第二巻』所収

*7 「存在の意味」1992年 『時間と存在』所収

*8 参考『知の構築とその呪縛』1985年

*9 『言語・知覚・世界』 p.286

*10 「過去透視と脳透視」1981年 『新視覚新論』所収

*11 「立ち現れ」という語は1973年の論文「ことだま論」に登場する。『物と心』所収

*12 中島 2014: 21

*13 「無心の言葉」1975年 『物と心』所収

*14 「科学の地形と、哲学」1968年 『物と心』所収

*15 「知覚の作用と内容」1968年 『言語・知覚・世界』所収

*16 「科学の地形と、哲学」1968年 『物と心』所収

*17 「心の中」1976年 『流とよどみ』所収

*18 「心」1982年 『新視覚新論』所収

*19 「日常言語と科学言語」1972年 『大森荘蔵著作集 第五巻』所収

*20 「虚想の公認を求めて」 1975年 『物と心』収録

*21 「何が見えるのか」1976年 『新視覚新論』所収

*22 「ことだま論」 1973年 『物と心』所収

*23 「ことだま論」1973年 『物と心』所収

*24 「ことだま論」 1973年 『物と心』収録

*25 「幻滅論法」1981年 『流とよどみ』所収

*26 「ことだま論」1973年 『物と心』所収

*27 「ことだま論」1973年 『物と心』所収

*28 「「表象」の空転」1976年 『新視覚新論』所収

*29 「「表象」の空転」1976年 『新視覚新論』所収

*30 「疑わしき存在」1992年 『時間と存在』所収

*31 「意識の虚構から「脳」の虚構へ」1993年 『時間と存在』所収

*32 参考「理論概念としての自我と他我」1990年 『時間と自我』所収

*33 「ロボットが人間になるとき」1976-1977年 『流とよどみ』所収

*34 「他我問題に決別」1995年 『時は流れず』所収

*35 野矢 2007: 174

*36 「ことだま論」1973年 『物と心』所収

*37 「言い現し、立ち現れ」1982年 『新視覚新論』所収

*38 「過去の制作」1985年 『時間と自我』所収

*39 「殺人の制作」1995年『時は流れず』所収

*40 「殺人の制作」1995年『時は流れず』所収

*41 「「後の祭り」を祈る」1995年 『時は流れず』所収

*42 「色即是空の実在論」1993年 『時間と存在』所収

*43 「線形時間の制作と点時刻」1993年 『時間と存在』所収

*44 『時間と存在』p.10

*45 「時は流れず」1996年 『時は流れず』所収

*46 「線形時間の制作と点時刻」1993年 『時間と存在』所収

*47 野矢 2007: 212-213

*48 大森・坂本 1982: 39

*49 野矢 2007: 214