「………う………ん?………」

―――そして、俺がようやく気が付いたのは、アレからだいぶ経った後らしく、
日も傾いて、窓から射し込む夕日が俺の部屋をオレンジ色に染め上げていた。

………どうやら俺が倒れた後、
紺田さん(さん付けなのは恐ろしくて呼び捨てに出来ないから)が寝かせてくれたらしく、
俺はベットの上できちんと布団を掛けられ寝かせられている状態だった。

倒れた際にぶつけた後頭部がまだ少しずきずきと痛むのを堪えながら部屋を見渡すと、
恐らく自分の部屋に行ったか何かの用事でこの場を離れたのか、部屋に彼女の姿はもう無かった。
……あったらあったでまた気絶しそうなので、今は居ない方が俺にとって好都合だが………

俺はベットから身を起こすと、
すぐさま机の上のカバンの中に入れてる携帯を取り出し、在る場所へと電話する。
電話先は無論、親父の電話だ。

プップッと言う回線の接続音の後、数度のコール音が俺の耳元で聞こえ―――

『はいもしも―し、何処のどなたさんですかー?
ただいま、俺は朝のコーヒータイムが忙しいので電話に出られません。
言いたい事のある奴はツーツーと言う発信音の後。ワッフルワッフルと言って………』
「こぉのクソ親父ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

如何考えてもモロバレな居留守の言葉をクソ親父が言い切らぬ内に、
俺は音量ボリューム大にした絶叫に近い怒声を浴びせ掛ける。
……電話の向こうで一瞬『うおっ』という声と何かが壊れる音がしたが気にしない。

『な、なんだ、馬鹿息子か。いきなり大声上げるんじゃないぞ。
びっくりして手に持ってたコーヒーカップを落としちゃったじゃないか。
お陰で朝の優雅なコーヒータイムが台無しだぜ? お前、謝罪と賠償を………』
「アレは一体如何言う事だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

尚もクソ親父が寝ぼけた事を抜かそうとするが、
無論、俺は聞く耳持たず声のボリュームを更に引き上げた怒声を浴びせる。

『……んあ? アレって何の話なんだよ?
ひょっとして、ちょっち前にお前の貯金をちょっぴしちょろまかしたのがバレたのか?』
「違うわぁぁぁぁぁっ!!つか、何時の間にそんな事してたのかあんたって人はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
道理で最近、妙に貯金の減りが激しいし、不明瞭な引き出しがあるなと思ったら……――じゃなくて!」
『んん? じゃあなんだよ?………他に何かあったっけ?………』
「紺田さんの事だっ!!」

俺の叫ぶような問い掛けの後、数秒ほどの間を開いて。

『―――おおっ、お前の家に行った紺田さんの事か。思い出した思い出した。
俺の言った通り、彼女は美人だったろ? ………で、早速ヤったのか?』
「ふざけんじゃねぇボケクソ親父ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!
俺がデカイ蛇が苦手だって知ってて、彼女をこの家に来るように仕向けたんだろあんたはぁぁぁぁぁぁっ!!」
『アー、そういやおまえデカイへびがにがてだったんだなー、AHAHAHわすれてたーわすれてたー、メンゴーメンゴー』
「忘れてたーじゃないわぁぁぁぁっ! 絶対分かっててやっただろてめぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!
と言うか、思いっきりモロバレな棒読みで謝るんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

もうこれ以上に無いくらいエキサイトして叫ぶ俺。

『息子よ………何事もな、苦手と言う物は克服する物なんだぜ☆』
「こ、この………」

それでも、明らかにふざけてるとしか思えない事をのーのーと抜かすクソ親父。
その態度に怒りのヴォルテージがGENKAITOPPAしそうな俺が、再び怒声を浴びせようとした矢先。

「あの、秀樹さん」
「―――!………………………」

唐突に横からぽつりと抑揚の無い声を掛けられ、
身体が硬直し、一瞬の内に怒りが雲散霧消した俺は、声のした方へ錆付いた玩具の様にギギィッ、と頭を向ける

「身体、もう大丈夫ですね?」

其処には、何時の間にやら来ていたのか紺田さんの姿があった。

「………こ、紺田さん………何の用で………?」

一瞬、気絶しそうになるが何とか気力を振り絞って堪え、掠れた声で彼女に向けて問い掛ける。
彼女はやはり何処か焦点のあっていない目でこちらをじっと見て、

「夕飯、作りました………一緒に、食う?」
「あ、い、いや、今電話中だから……あ、後で」

心の中で動揺しまくっている俺は、自分でも分かるくらい震えた声で答える。
彼女は暫くそのまま動きを止めて沈黙し―――

「………そう」

と、一言だけ返すと、彼女は踵?を返し、しゅるしゅると蛇体を這わせ部屋から出ていった。
………やっぱ、ものすごく怖いです………。

彼女が去った後、俺は2度3度深呼吸して気を取り直し、再び電話を再開する。

『如何した? 馬鹿息子? いきなり話を切って何かあったのか?
……ああ、そうか、分かった。お前、早速紺田さんとチョメチョメする算段をしようと………』
「違うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
ただ単に彼女から夕食出来たから食わないかって言われただけだっ!俺にとっちゃ余計なお世話だと思うけどなっ!」

会話再開するなり再び寝ぼけた事を抜かす親父に、
俺は怒りの炎を再び燃え上がらせ、力の限り否定する。

『んあ? 余計なお世話? 何の事だ?』
「俺は俺で別に料理作って食うつもりだったし。彼女の作った料理を食う必要は無いって事!」
『勿体無いなぁ。せっかく美人の奥さん候補の人が作った料理を食わないなんて漢が廃るぞお前』
「をいこらまてっ、奥さん候補って何だよそれっ!!」
『んー、やっぱな、男女がひとつ屋根の下で暮らすとなると必然的にその関係へ発展するかなー?と思って?』
「勝手に展開を予想するなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 何処のホームドラマだよそれはっ!! しかも疑問系か!?
言っとくが俺は彼女と目線を合わせる事すら恐ろしいってのに、罷り間違ってもんな関係になる訳ねーだろっ!!」
『いやいや、この世の中何が起きるか分かったもんじゃないぞ―?
ひょっとするとひょっとしたらの展開が待ってるかもしれないんだぜ?今後に請うご期待☆って奴だ』
「誰が期待するかっ! んな展開っ!! つーか、絶対親父は面白がってやったんだろっ!!」
『あ、バレた?』
「やっぱりかてめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

完全に俺をからかっているとしか思えない親父に、俺は更にエキサイトして絶叫を上げる。
………ひょっとすると、この会話すらも面白がられているかも?、と俺の冷静な一面が推察しているのだが。
クソ親父と話していると如何も冷静になり切れないのがひたすら悔しい。

『けど、面白がってやっているのは半分ほどで、後の半分ほどはお前の為に思ってやっているんだぞ?』

をい………『面白いから』が行動の理由の半分も占めているのかっ、このクソ親父!
と、思っていると、急に親父が何時もと違う調子で、

『………お前、未だに彼女が出来てないんだろ? しかも最近、親友に先を越された見たいだな?』

 ざ む っ ! !

親父の言葉が心に突き刺さる音が聞こえた。
人はそれを、図星、と言う!

「な、何故、ソレヲ………?」

顔を思いっきり引きつらせ、震える声で聞く俺。

『HAHAHA、息子よ、この俺を甘く見ないで欲しいな。
何で分かっているかと言うとな、子供の事は何時でも把握しておくのが親の務めって物だから、
その手の人に頼んで、お前の現状をチョイチョイと調べてもらった訳だ。
この他にも、お前のエロの嗜好や、エロ本の隠し場所、そして1週間に何度オナニーやってるかとかも丸分かりだぞー?』
「んなもん勝手に調べるなぁぁぁぁぁぁぁっ!! ってか思いっきりプライバシーの侵害だろそれはぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
『まあまあ、息子よ、落ち着けって。そうカッカしていると禿げるぞー?』
「俺をカッカさせているのはテメェだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

朗らかな調子でのたまう親父に、今すぐ携帯を窓から放り捨てたい衝動を絶叫に変えて更にエキサイトする俺。
………何だろうか、今日はこのクソ親父の所為で俺は絶叫してばかりいるような気がする………。
これで良く咽喉が枯れないものだと我ながら感心してしまう。

『まあ、とにかく、今年で彼女いない歴11年を更新しようとしているお前の事を考えて、
独身の紺田さんへお前の家に行くように言った訳だ』

彼女いない歴いうな! 自分自身で考える事ですら心が痛いんだから。

『それに、お前は年上フェチだろ? 年上の彼女が出来て望んだり叶ったりじゃないか、良かったな?
この俺の配慮を本当にありがたいと思えよ? 馬鹿息子』
「……だっ……」

俺が反論しようとした、その時。唐突に身体に何かがしゅるりと巻きつく。

「―――うぇ?」

うかつな事に、俺は思わず巻きついたそれの方を視線を向け―――
身体に巻き付いているデカイ蛇の胴体をまともに見てしまう!

ぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつぷつ!

この時、俺は確かに、自分の身体中に鳥肌が立つ音が聞いた気がした。

「夕飯、冷める」

後ろから掛かった声の方を見れば、其処には相変わらず無表情の紺田さん。

恐らく、俺を待ち切れなくなった彼女が、
未だに電話中の俺を無理やり食卓に連れて行くべくロールしたと言う所かっ!
この状況、ロールミーとか言って喜ぶ連中にとっては憧れのシュチュエーションなのだろうが。
生憎、デカイ蛇が苦手な俺にとっては只々恐怖でしかない!

もう今すぐ逃げ出したい!
だが、紺田さんの蛇体が身体にがっちりと巻きついている為、
振りほどくどころか身を捩じらせる事しか出来ない!

『それじゃあ、何も言わないって事はここで話は終わりって事で、バハハーイ♪(プツン)』

こうやっている間にさっさと電話を切る親父。
しかし、声を出そうにも、巻きついた蛇体の鱗のおぞましい感触による恐怖で声すら出せず、
俺は酸欠の金魚の様に、口をパクつかせる事しか出来ない!

「最初の夕飯………一緒に食うと決めた、だから一緒に食う」
「い………いやぢゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

そして尻尾の端で俺を拘束したままするすると移動し始める彼女に、
俺は力いっぱいの悲鳴を搾り出して拒否の姿勢をアピールするのだが――

「さあ、親睦は深めましょう」
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

あっさりと受け流され、俺は悲痛な悲鳴を残して部屋から連れて行かれてしまう。
―――そしてこの日、俺の悲痛な悲鳴は幾度に渡って家中を響き渡るのだった…………。

     ――それから数日後――

「おい、ヒデ、お前………一体、如何したんだ? なんか凄く顔色悪いぞ?」
「あ、ああ………光喜、か………」

体育の授業中、俺がグラウンドの隅に力無く座っている所で、心配げな光喜に話しかけられる。
光喜に心配されるのも無理は無い。もう、この時の俺は自分でも分かるくらいに憔悴しきっていた。
多分、今の俺の姿を鏡で見たら、それこそ幽鬼の様な顔となっている事だろう。

「お前、ひょっとして何か悪い病気なのか?
もし具合悪いんだったら、無理しないで家に帰った方が良いんじゃ………」
「………その家に問題があるんだよ、光喜………」
「はぁ……?」

俺の言っている言葉の意味が飲み込めないのか、
光喜は気の抜けた声を漏らすと共に『何言ってんだお前?』と言わんばかりに首を傾げる。

「実はな。俺の家にな………今、とてつもなくデカイ蛇が居るんだよ、それも生半可な大きさじゃないんだ。
それこそ、動物園に居るニシキヘビが縄跳びの縄に見える位にデカイんだよ、
もう恐いを通り越して死にたい位だよ………」
「あ、ああ………そうか、そいつは大変だな………」
「光喜………まるで他人事みたいに言わないでくれ。もうはっきり言って本気でシャレになってないんだよ」

光喜が若干引き気味に返すが、それでも俺は涙ながらに光喜へ訴える。

「その蛇はな、普段は風呂場で、風呂桶の水に浸かって過ごしているみたいなんだけどよ。
気が付いたら何時の間にか俺の傍にいたり、壁の角からじっと俺の様子を見てたりするんだよ。
しかもおまけに食事の時、俺を無理やり食卓まで連れてきた上で、テーブルにでかい豚の丸焼きを用意したかと思えば、
奴は普通ではありえない位に口を大きく開けて、一口で豚の丸焼きを飲み込んだんだぞ!
あの時はギャル○根なんて目じゃないぐらい凄まじい物を感じたぞ………」
「は、はぁ………?」

再び首を傾げる光喜。
今度はさっきとは違う意味で俺の話が理解できなかったらしく、
光喜はこめかみに人差し指の先を当てながら、

「い、いや、ちょっと待て………ヒデ、今、お前の家にいる蛇って一体何なんだ?
如何もお前の話を聞く限りじゃ、その蛇って俺の想像する蛇とは少々どころかかなり違うような気がするんだが………」

………どうやら光喜の奴、俺の家に居る蛇を、何処にでも居る普通の蛇だと思っていたようだ。
仕方あるまい、いちいち掻い摘んで説明するのはヤなのだが、分かってもらうには他が無いか………。

「その蛇はと言うとな、実は………――――っておい、光喜?」

と、俺が言い始めた所で、光喜の奴はやおら、ばっ、と立ち上がると、
俺が話をしている最中にも関わらず。ダッシュでその場から離れて行く。
………をいをい、一体何なんだよ? 人がせっかくしたくもない説明をしようとしていた所なのに………?

んあ………? 光喜が立ち止まって、俺の後ろの方を指差して何かを言っている………?

え?……ひ・で・う・し・ろー? 

まるで大昔のコントの観客みたいな事を言うな―、あいつ。
……で、俺の後ろに何があるんだ?

そう思いつつ、俺は何気に後ろへ振り向いて――

「東条 秀樹、私の授業中にムダ話とは良い度胸だな?」
「…………」

後ろに立っていた体育教師と目が合い、硬直した。

年の頃は二十歳すぎ、小麦色の肌の女性にしてはがっちりとした体つきに、腕4本、黒い短髪で鋭い目つき、
着ている上下のジャージが妙に似合っている彼女こそ。
自称スーパーカブトムシと言って憚らぬ体育教師のアテナ先生である。

つーか、木枯らしの吹く季節にカブトムシが元気に体育教師しているんじゃね―YO!

数ヶ月ほど前に彼女はここへ赴任してきたのだが、
少しでも反抗的な素振りを見せた生徒を、容赦無くブン投げるその教育スタイルもあって、
今では、この学校の不良はおろか、他の学校の不良にまで恐れられている熱血(?)教師である。

俺の前で、4本の腕を腰に当てて仁王立ちするアテナ先生のその表情は既に不機嫌そのもので。
明らかに、先生は俺を攻撃対象としてロックオン☆していると見て間違い無かった。

「さて、これから私がやろうとしている事は分かっているよな?
……お前が悪いのだ、私の授業中にムダ話をする行為がどういう結果を齎すかを理解しないお前が」
「え、エーと、いや、そのー、俺は、友人に話しかけられたから答えていた訳で、
別に、ムダ話しようと思って、ムダ話をしていた訳ではないんですよー?」

じりじりと迫ってくる先生に向け、俺は必死に弁明をしながら肩越しに光喜の方を見ると。
奴は既に、遠く離れた場所で他人のフリをしている所だった…………くっ、友達甲斐の無い奴め!
そりゃーまー、逃げ出したい気持ちもわかるが、せめて何か言ってから逃げろよこんちくしょう!

「どのような事情があろうとも、お前がムダ話をしていた事実には代わりは無い」
「いやそれだったら光喜の奴も同罪じゃ――」
「問答無用!」
「――え?ちょ、やめ――――」

俺の必死の弁明も虚しく。
聞く耳持たぬとばかりに先生に組み付かれ、俺が悲鳴を上げるいとますらなく。
視界に映る景色が上下に反転し………

              *  *  *

「う………む………?」
「………あ、気が付いたか?ヒデ」

目を覚ますなり、傍に立っている光喜に声を掛けられる。
気が付けば、俺は保健室のベットに寝かされている所だった。

身を起こそうとするとずきり、と背中が痛む。
多分、ブン投げられた俺はそのまま背中から地面に叩き付けられて気絶したと見て良いだろう。
くそう、あの暴力教師、俺を思いっきり投げ飛ばしやがって………まあ、だけど

「ヒデ、悪かったな………あの時、もう気が付いたら先生が来ていたからな………
その事をヒデに教える余裕なんて無かったんだ………こんな俺を許して、くれないか?」
「ああ、本当だったらお前をぶん殴る所なんだが、今回は許す」
「え?………何故?」
「投げられる直前、俺はとっさに先生にボインタッチしてやったんだ―――柔らかかったぜ☆」
「………………」

とてもイイ笑顔でサムズアップする俺を前に、口をぽかんと開けて呆れる光喜。
女性の大きな胸を揉む事の出来る幸運に比べれば、友に裏切られた事何ぞ、取るに足ら無い事だ。

「ああ………アテナ先生のおっぱい、先生のがっちりとしたガタイの割に大きくて柔らかかったなぁ………」
「………ヒデ、お前って奴は………何時かエロスの為に大怪我してもおかしくないぞ?」
「フッ、光喜よ、大怪我が恐くて女のおっぱいを揉めるかっての、俺を甘く見るなよ☆」
「………いや、その………ヒデがそれで良いって言うんだったら………もう、俺、止めない………」

やや引きつった顔でで言った後、光喜はやおら「あっ」と言わんばかりの表情を浮かべ、

「そういや、ヒデ、お前が言ってた蛇の話……俺、なんと無く理解できたんだけど」
「おぇ?………いきなりなんだよ?」
「いやな、ついさっき、お前を保健室に運んだ時に………」
「ヒデさん、目を覚ましましたか?………」

話の最中、光喜の後ろの方から掛かった、抑揚のない調子の女の声に、俺はびくん、と身体を硬直させる。
………こ、この声はまさか………!?

「身体の具合、如何?………」

さっと道を開けた光喜の横を通り、学校にはいない筈の紺田さんが姿を見せる。
う………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? 何でこいつが学校にいるんだよぉぉぉぉぉぉっ!?

「紺田 アナ、さんだっけ?………確か、今はヒデの家に住んでいるんだってな?」
「はい」
「あいつの家って、結構広いけどさ……紺田先生の、その、長い身体は邪魔にならないのかな?」
「大丈夫、慣れれば気にならない…………」

認めたくない現実を前に、思わず頭を抱える俺をよそに、
光喜はのんきに紺田さんと世間話を始める。

「あ、あ、あ、えーと、その………何で紺田さんがここに………?」

―――そして、二人の世間話の内容がパンにはさむ物の好みの話題に差し掛かる頃。
ようやく気を落ち着け、覚悟完了した俺が、掠れる声で彼女へ問う。

「私、ここの養護教諭………」
「………ゑ゛?」

彼女の意外な答えに、俺は思わず変な声を上げてしまった。

ど………どひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!
よ、よりによって保険医(実際はそんな職業はないらしい)なのかぁぁぁぁぁぁぁっっ!?
保健室は俺にとっての心のオアシスだったのに、この蛇女が其処に居座るってのかぁぁぁぁぁっ!?
こ、このままじゃストレスで死んでしまうぞ俺っ!?

頭の中でパニックになりつつある俺に、光喜は意外そうに、

「ヒデ………知らなかったのか?」
「ぜ、全然………これっぽっちも………」
「今日の朝会で紺田先生の事を言ってた筈なんだけが……お前、まさか朝会をサボってたのか?」
「………う゛………」
「………やっぱりか」

するどい指摘に呻きを漏らす俺を、光喜はジト目で見ながら呆れた様に呟く。
………だ、だって仕方ないじゃないか!
ここ最近の出来事のお陰でテンション最悪の状態で、
朝っぱらから校長の長話に付き合うなんて出来るわけないだろっ!
そんな事するくらいなら、学校の屋上で流れる雲を眺めている方が100倍マシだっ!

………まあ、その所為で知っておくべき重要な情報を聞き逃した訳なのだが………後悔先立たず………

「まあ、朝会で校長が延々と言ってた話を掻い摘んで言うと、
紺田先生はな、前々から日本の学校で働きたい一心で猛勉強して、教員免許を取得した努力人だそうだ。
何も、紺田さんの父親が、結婚する前は日本の学校の教師をやってたらしくてな、
小さい頃に何度もその父親の思い出話を聞いて、紺田先生は日本の教師に強い憧れを抱いたそうだ。
で、何で、養護教諭かと言うと、父親も養護教諭をしていたからだってさ」
「………そのとおり………」
「ソウデスカ…………」

光喜が親切丁寧に説明した後、紺田さんが小さく頷いて肯定する。
それに対して、俺は殆どうわのそらで聞き流していた。

「取り合えず、そろそろ次の授業があるんで、俺はここでお暇させてもらいます。
紺田先生。ヒデの事、よろしくお願いします、それじゃ
「あ………ちょっ………」

言うだけ言った後、光喜の奴は無常にも助けを求めようとした俺を置いて、さっさと保健室を後にする。
後に残されたのは、去り行く友(裏切り者とも言う)に何か言おうと手を伸ばした状態で口をぱくつかせる俺と。
そのベットの傍でとぐろを巻いて、俺の様子を静かに眺める紺田さんの姿のみ。

………どうしよう、思いっきりこっち見てるんだけど………
ああ、これが蛇に睨まれた蛙って奴か。この場合、俺が睨まれた蛙って訳だな?
って、事は俺は食われる事確定かっ!?(んな訳無い)

「………秀樹さん………」
「ひゃいっ!? ナンデヒョウカッ!?」

いきなり声を掛けられ、俺は思いっきり上擦った声を上げてしまった。

「身体はもう大丈夫?」
「あ……えっと」

どうやら、彼女は俺の身体を心配している様だが。
ここで正直に『背中がまだ痛いです』なんて言おう物なら、
恐らく、俺は学校が終わるまで、保健室のベットから起きることすら許されず、
この狭い部屋で彼女と二人っきりでいる羽目になる事だろう。
………はっきり言って、それだけは勘弁したい。

「大丈夫大っ丈夫! 俺はこれくらいでへこたれるほど弱くはないからなっ!
だからっ、紺田さん、いや、先生か。まあ、先生が心配する必要はナッシングだぜっ☆」

そう思った俺は、ベットから立ち上がるなり、自分が平気である事を身体を張ってアピールする。
更に、とても良い笑顔を浮かべてサムズアップをする事も忘れない。

……本当はまだ背中がズキズキ痛むが、ここでそれを悟られる訳には行かないのだ。

「そう………けど、秀樹さん、如何見ても足が震えて………」
「それじゃ、もう授業が始まっていると思うんで、急がないとっ! それじゃっ!」

紺田さんが何かを言い出そうとするのをさえぎり、俺が言うだけ言ってダッシュで保健室を後にする。
振り返る事無く、保健室から離れた南校舎へ続く渡り廊下についた所で、俺は足を止め、後ろを振り向いた。
大丈夫、彼女は追ってきていないようだ。

―――やれやれ、なんとか脱出成功できた。
けど、ろくに処置もされてないまま出た物だから、背中がズキズキ痛む………
ま、まあ、学校が終わるまでの間、あの蛇女と二人っきりでいるよりかはマシだと思えば、
ある程度は痛みが我慢……できるかなぁ?

そう思いつつ、俺は背中の痛みを我慢しながら教室へと向かったのだった。

―――結局、この後、俺が思っていた通り、
この日の授業の内容は背中の痛みの所為で殆ど身が入らなかったのだった。