きーんこーんかーんこーん………きーんこーんかーんこーん

「お、おわったぁ………」

終礼のチャイムが鳴るなり、俺は自分の机に突っ伏して盛大に溜息を漏らす。
背中がズキズキと痛む中での授業は、はっきり言って拷問に近かった。

ああ、くそっ! 数学の田中め! 俺が必死に痛みに堪えているのを知ってか知らずか、何度も指しやがって!
3度目に指名してきた時は本気で殺意沸いたぞ!

「どーしたんだ? ヒデ、お前、さっきから元気がないぜ?」

振りかかった声に、俺が突っ伏していた頭を上げて見ると、
其処には虎姐さんと裏切り者の光喜の姿。

「ああ、それがな、虎姐。 ヒデの奴がこーなった原因がな、
こいつの家に、こいつが大の苦手としているでかい蛇の獣人が住む様になったんだと。
で、おまけにその蛇の獣人、この学校の養護教諭になったらしくてなぁ………」
「あ?………」

光喜の説明に、虎姐さんが何か思い出そうとする様に、しばし獣耳の後ろ辺りをぽりぽりと掻いた後、
やおらぽんと手を叩き、

「あー! 紺田って女の事か? 朝礼で聞いたよ。
なんか無表情で大人しそうワリに強そうなでかい蛇のネーチャンだろ?」
「まあ、そうだけど………虎姐、お前は人を強いか弱いかで見ているのかよ………?」
「当たり前じゃねーか、光喜。 分かりきった事を聞くなよなー?」

うるさい、俺の前で夫婦漫才をするな、さっさと帰って乳繰り合ってろ。
―――と言いたいのだが、背中の痛みと心身の疲れもあって、行動に移す事が出来ず。
俺は机に突っ伏しながら夫婦漫才をする二人を睨むしか出来なかった。

「なあ、ヒデ、あいつは強いんだろ?」
「…………あ?」

唐突に、虎姐さんから俺へ話が振られ、机に突っ伏したまま間の抜けた声を漏らす。

「だから、あの紺田って女、強いんだろって聞いているんだよ」

―――ほほぅ、どうやら、虎姐さんは紺田さんと戦り合う気マンマンご様子。
…………これは、チャンスかもしれない。

「朝礼の時に見てから、あたし、アイツといっぺん戦(や)り合って見たいと思ったんだけど、良いか?」
「おい、虎姐、やめろって。迷惑だろ……」
「良いぜ? 思う存分、力の限りやってくれ、虎姐さん」

光喜が止めようとするのをさえぎり、俺は虎姐さんに向けて満面の笑顔でサムズアップする。
こう言う時、虎姐さんの腕っ節の強さが役に立つ、ああ、虎姐さんが居てくれて本当に助かった。
これであの蛇女をコテンパンにノしてくれれば、俺に対して大きな顔ができなくなることだろう。

「ホントかー!? それだったら本当にやっちまうぜっ!、本当に良いんだよなっ?」
「ああ。何だったら今直ぐ保健室行って戦ってくれても構わないぜ! 
もうあの蛇女には迷惑してたんだ、だから虎姐さんがビシィッ、と懲らしめてくれるなら俺は大喜びだぜ!」
「よっしゃーっ! なら今直ぐ出発だっ! あー、あたしワクワクして来たぜー!」
「…………おいおい。もう知らないぞ、俺…………先に帰るからな?」

そして、冷めた視線を投げかけつつ帰る光喜をよそに、
俺と虎姐さんは、意気揚揚と紺田さんのいる保健室へと向かったのだった。

因みに、この時、俺は既に背中の痛みなんぞすっかり吹き飛んでいたりする。

「たーのもーっ!」

ガラガラガラッ バーンッ ガターンッ!

保健室の静寂を打ち破る様に、
虎姐さんの掛け声と共に、横開きのドアが物凄い勢いで開け放たれ、
その衝撃でドアがレールから外れ、床に倒れた。
うーん、何と言う馬鹿力。だが、今はそれが逆に頼もしく思えてくる。

しーん

突然の事に、水を打ったかのように静まり返る保健室。
この時、保健室の真中でとぐろを巻いた紺田さんのほかに
保険委員の生徒や、物見遊山で紺田さんを見に来ていた生徒が何人かいたのだが、
この虎姐さんの闖入によって、紺田さんを除いた、保健室にいる生徒全員が一様に此方を見たまま硬直していた。

トラブルの空気を感じ取り保健室からそそくさと立ち去り始める生徒達に気に掛ける事無く、
虎姐さんは尻尾をピンと立ててずかずかずかっと紺田さんの前に来ると、

「お前が紺田 アナ、だなっ?」

紺田さんに向けて、びしぃっ、と指を差して問い掛ける。

「……はい、そうです」
「よっしゃ、なら早速、あたしと勝負しろっ!」
「………?」

肯定するなり、虎姐さんに勝負を申し込まれ、
紺田さんは意味が分からず、無表情ながら不思議そうに首を傾げる。

「あたしの名は虎山 妙! 朝、一目見た時からアンタと戦り合いたくなってここに参上した!」
「…………戦う?………なんで?」
「それは、あんたが強いと見たからだッ! だからあたしはアンタと戦いたいと思ったんだっ!
それに、光喜のダチがアンタに迷惑しているとも聞いた。
だから、あたしがここでアンタをビシィッと懲らしめて、光喜のダチに迷惑を掛けないと誓わせるんだ!
まあ、これは戦うついで、だけどなっ!」
「……………」

紺田さんは黙って、意気込む虎姐さんの顔を見据えていたが。

「分かりました。戦りましょう」
「本当かっ!」
「嘘は言いません………けど」

言って今度は俺の方へ視線を移し、

「もし、私が勝った場合…………秀樹さん、私の言う事を一つだけ聞いてくれますか?」

―――そう来たかっ!
俺が虎姐さんに頼んだ事を察して、交換条件を挙げたと言った所か………
何を頼むつもりか分からないが、どうせろくでもない事に違いない。

ま、まあ、虎姐さんに限って負ける事は無い筈だ!
たかが蛇獣人の一人や二人、虎の獣人のパワーに掛かればちょちょいのちょいだ!
そう思った俺は、少しだけためらいつつも首を縦に振った。

それを見届けた紺田さんは虎姐さんへと向き直り、

「ここで戦うと迷惑―――外で戦りましょう」

と言った後。紺田さんはしゅるしゅると蛇体をくねらせて移動し始める。
その後について、何も言わずに歩き出す、俺と虎姐さん。

そして、後ろの方で保健室にいる生徒たちの安堵の溜息や、罵声などを背に
紺田さんと虎姐さん、そして俺の一行が保健室を後にした。

暫くの間、俺も虎姐さんも紺田さんも、何一つ語る事なく歩き続け。
やがて、一行が校内の片隅にある人気の無い中庭に出た所で、紺田さんはぴたり、と蛇体を止めた。

「なるほど………ここなら幾ら戦りあっても誰にも迷惑にはならないな?」

ぐるりと周囲を見まわし、呟く虎姐さん。
周囲を校舎に囲まれた教室2、3個分くらいのスペースの中庭は、まるで放課後の喧騒から切り離された様に静かで。
聞こえる音とすれば、グラウンドか何処かから聞こえる部活の声と、チュンチュンと雀達が戯れる声のみ。
おまけに程よく掃除の行き届いた石畳の地面には出っ張った物は何一つなく、
更に人気が無い所為もあって。生活指導の先公の目も殆ど行き届いてはおらず。
決闘を行うにはこれほど適した場所は無い、と言える場所であった。

そして、中庭の中心でとぐろを巻いた紺田さんは、虎姐さんへと向き直り、その目を見据えて――

「では、虎山さん………遠慮せず、掛かってきてください」

無表情かつ抑揚の無い声で言い放った。

「へっ………随分と余裕じゃねぇか。 だが、その余裕の顔も泣き顔に変えてやるよ!」
「…………」

その言葉に応える様に、獰猛な笑みを浮かべた虎姐さんは尻尾をゆらゆらと揺らめかせて身構える。
対する紺田さんは、中庭の中心でとぐろを巻いたまま、悠然と何も言う事無く虎姐を見据える。

途端に―――ぴりぴりと肌を刺すような緊張感が中庭に満ちる。
既に、先ほどまで中庭で戯れていた雀達は身の危険を察して逃げ出している。
もし、この場に気の弱い生徒がいたら、恐らく雀達と同じ様に尻尾を巻いて逃げ出している事だろう。
――気が付けば、戦いを見ている俺自身もまた、額から汗を滲ませ、拳を強く握っていた。

と、そんな最中、緊迫感漂う決闘を観戦する俺の後ろの方から、
やや慌てぎみな足音が近づいて来るのに俺は気付いた。

「あ、いたいた――って、もう始まってやがるか………来るのが少々遅かったか」

その姿を確認する間も無く、足音の主、もとい光喜が観戦する俺の隣に立つと、少し残念そうに呟く。

「んあ? 光喜か?………如何したんだ? お前、 帰ったんじゃないのか?」
「いや、帰ろうとは思ったんだけどな………少し思うところがあって虎姐を止めに来たんだけど………」
「へぇ、お前にしちゃあ珍しい………いったい如何言う風の吹き回しだ?」
「ああ、いや、紺田先生を相手にするってのは、少しばかり無謀じゃないかなって思ってな」
「…………は?」

光喜の言葉に、俺は思わず眉をひそめる。

「いやあの………幾らなんでも無謀ってのは如何言う事だ?」
「それが虎姐の奴、先週辺りにちょッとした事で俺の知り合いと戦りあって、其処で見事なまでにボロ負けしてな。
ま、それで、虎姐はここ最近はその汚名返上をしたがって―――って、これは関係無いか」
「何が言いたいんだよ」

ツッコミをいれる俺に、光喜は構わず話を続ける。

「まあ、それで虎姐が汚名返上したがるのは良いんだが、今回ばかりはその相手が悪すぎる。
俺の予想が正しければ、相手の紺田先生は恐らく世界最大級の蛇、オオアナコンダ種の獣人だぞ!」
「アナ……コンダ? ああ、だから紺田 アナ、か。分かりやすいネーミングだなぁ………」
「――紺田先生のネーミングについてのツッコミはさて置き、
虎姐は多分、レスリングで紺田先生に挑むつもりつもりだろうけど、それこそ無謀ってもんだ。
そりゃあ、普通に戦えば虎の方がアナコンダよりかは強いだろうと思うが、
巻き付いて締め付けるのを得手とするアナコンダ相手に、組み付いてレスリングしよう物なら、
組み付いたその途端に………」

などと光喜が言いきらぬ内に―――

ぐぎょぇぇぇぇぇぇぇ………

横合いからガマ蛙を踏み潰した時のような悲鳴が響く。

「………巻き付かれてあの様になるんだよ」
「…………………」

紺田さんの蛇体に身体を締め上げられ、あっさりと白目をむいて気絶した虎姐の姿を見ながら。
光喜が疲れた表情を浮かべて言ったのだった。

それに対して、俺はその様子を呆然と眺めるしか、出来なかったのであった。

「ほら、帰るぞ………全く、馬鹿な事しやがって………」
「うぅ~、ちくしょー………」

それから数分後、拘束を解いた紺田さんの処置によって、虎姐さんは意識を取り戻し。
窘める光喜の肩を借りて悔しげに呻きながら、ふらふらとその場を後にして行く。

「………戦いとは、何と虚しい………」

その去り行く二人の後姿を眺め、
虎姐さんを嗾(けしか)けた事を棚に上げ、俺は戦いの愚かさをかみ締める様に呟きを漏らす。
結局、この戦いからは何ら得る物は無かった………ああ、夕日が眩しい。

「秀樹さん」

―――なんて現実逃避している最中。
声を掛けられ、ビクッ、と身体を震わせて振り向いたその後ろにはやはり無表情な紺田さんの姿。

「な、なんでしょうか、紺田さん?」
「約束、守って下さい」

顔を青ざめさせ、上擦った声で誤魔化す俺に、紺田さんが淡々と言いつつずいっと無表情で詰め寄る。

「は、はは、何ノ事デショウ?」
「私が虎山さんに勝った時、秀樹さんが私の言う事聞く約束です」
「………う゛」

必死にとぼけて見せる俺に、更にずいっと詰め寄る彼女。
こ、これはかなり怖い………

「その約束、守ってくれますね?」
「………………………………」
「ますね?」

その詰め寄る彼女の様子から、俺は1分の隙すらも見出せず。
結局、頭をこくこくと頷かせる事しか出来なかった。

その瞬間、気の所為だろうと思うが、常に無表情である筈の彼女の口の端が僅かに笑みの形に歪んだ様に見えた。

            *  *  *

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

自宅の、自分の部屋のベットに頭を抱えて突っ伏す俺の頭の中は、ただこの文字で一杯だった。
放課後の決闘のあの後、俺は誰と何を如何会話して、そしてどうやって家に帰ったかさえ覚えていない。

普段ならば、今頃の俺は夕食のカップラーメンをすすっている頃なのだろうが、
今の俺は食事をするどころか、部屋から出る気すら起きなかった。

自分で蒔いた種とは言え、流石にこう言う事になるのは勘弁して欲しい。
一体、紺田さんは、これから俺に何を言うつもりなのだろうか?

しかし、それは彼女が学校から帰ってくるまで分からない。
今、俺に出来る事は只々、自分の部屋のベットに突っ伏して震えて待つしか出来ないのだ。

―――ふと、俺の脳裏に、紺田さんの食事光景がありありと甦る。
紺田さんは自らの顎を外し、大きく口を広げて見せると
女性のか細い口には到底、収まりそうにない豚の丸焼きを見る見るうちに飲み込んでいったのだ。
そして、飲み込み終えたのを見た後の記憶がない事から、俺はそのまま気絶したのだろう。
それだけおぞましい光景だったのだ。

ひょっとすると、彼女は、俺をあの豚の丸焼きと同じように飲み込むつもりかっ!?
ありえる、絶対にありえる、彼女なら人間の男の一人や二人、飲み込む事も容易い筈だ!
ああ、何てことだっ! 俺は童貞を捨てる事も出来ずに蛇女に食われちまうのか!
ちくしょう、こうなったのも全てクソ親父の所為だ!
死んだら化けて出て親父の悪行を全て母さんにばらしてやるぅっ!!

――――無論のこと、後々れーせーになって良く考えれば分かる事なのだが。
幾らなんでも、紺田さんが巨大な蛇の獣人だからと言って、人を食う事なんぞある筈がない。
もし家主の息子なんぞ食おう物なら、追い出される所かそのまま刑務所へ送られる事になる。
それは彼女自身も分かっている事だろうし、俺自身も分かりきっている事だった。

――――賢明な人なら、もうお分かりだろう。
この時、俺はあまりにもの恐ろしさで冷静さを完全無欠に失っており。
悪い想像が悪い想像を呼んで澱のように心の中に積み重なった結果、
まともな思考なんぞ出来る状態ですらなかったのだった。

そして、そのまま悪い想像の無限ループを、這い寄る混沌すらも呆れるほどに繰り返した後。

………コンッ………コンッ………

どびくぅっ!

唐突に鳴り響いたドアのノックの音に、俺は思いっきりビビり、ベットから転げ落ちかけた。

………コンッ………コンッ………

何とかベットから落ちぬ様に堪えた後、恐る恐る振り向いたドアの方から、再びノックの音が響く。
間違いない、紺田さんが来たんだ。

………このまま無視しつづければ、ひょっとすれば彼女は諦めてくれるかも?
――とか、一瞬、俺は楽観的な事を考えたのだが、
それで問題の解決になるかと言えば、ちっとも解決にならないのは明白だった。

暫くの間、俺は思考を逡巡させた後、意を決し、ドアに顔を向けて、

「………鍵なら開いている、入るならさっさと入ってくれ」

僅かに震えた声で、扉の向こうにいるであろう紺田さんに向けて言い放った。
もし、食うつもりならばせめて一矢報いてやる、とか考えながら。

ガチャリ………キィ………

一拍の間の後、ドアノブが回され、僅かに軋む音を立てて扉が開く。
その向こうの暗闇から、紺田さんが滑る様に俺の部屋に入ってくる。
下半身さえ見なければ、その様子はさながら美女の幽霊が入ってくる様にも思えた。

「用事が終わるまで時間が掛かりました。………少し、待たせてしまいましたね」
「……あ、ああ……いや、別にそれほどでは………」
「そうですか」

淡々と、抑揚のない言葉で謝罪する彼女に、俺は掠れた声で応える。
その応答に、彼女はぽつりと一言だけ言うと、するすると俺の傍までやってくる。

「では、早速………私から、秀樹さんに言いたい事があります」
「……………」

………ごくり
無意識の内に、俺は唾を飲んだのか咽喉の奥で音が響く。
彼女は一体、何を言い出すのだろうか?

やはり………俺の思ったとおりの事なのか?
それとも………もっと別の事を言うつもりなのか?

様々な想像が俺の脳中を駆け巡り、俺の身体全体に緊張が漲る。
永遠のような刹那の後――彼女が口を開いた。


「秀樹さん………私と、仲良くなってください」

………………………………………………………………………。

「はぁ?」

想像していた物とは180度以上も裏側の言葉に、
一気に拍子抜けした俺は思わず気の抜けた声を上げていた。

「ですから、私と仲良くなってください」

俺が意味を理解していない、とでも思ったのか、彼女がもう一度、淡々と言い直す。
ま、まあ、俺が想像していた物と違って、仲良しになるのは容易い事、だろうと思うのだが…………
けど、けど………俺は………

「ゴメン、やっぱ無理」

でかい蛇が苦手である俺にとって、彼女と仲良くなる事ですらも精神的にダメポであり。
即行でなおかつきっぱりと一言で断ったのだった。

「…………何故? 私が嫌い?」
「い、い、いや、別に紺田さんが嫌いって訳じゃなくて、俺はでかい蛇全般が苦手なんだよ!
だから、紺田さんが蛇の獣人じゃなくて、普通の人間だったり他の種の獣人とかであれば嫌がったりしないんだよ!
だから無理って言うのはそう言う事、分かってくれる、紺田さん」

首を傾げ、問い掛ける紺田さんに、俺は必死に言いつくろい、弁明する。
そして、彼女は暫く考える様に顔を俯かせ――

「分かりました」

なにやら頭の中で結論に達したのか、おもむろに顔を上げ。俺の顔を見据えて言った。

む、むぅ………何が分かったのだろうか? ひょっとして出ていくとか言うのだろうか?
もし、そうだとすれば少し罪悪感を感じてしまうなぁ。

「私が、秀樹さんの苦手を治します」

……………………………………………………………………

「い、いや、あの………苦手を治すって、如何やって?」

今度こそ、俺は紺田さんの言っている意味が分からず、思わず掠れた声で聞き返してしまった。
苦手を治すって、ひょっとして彼女はカウンセリングでもするって言うのだろうか?

そうだとすれば………尚更お断りである。
只でさえ俺は、紺田さんと顔を合わせる事ですら滅茶苦茶ストレスが溜まるってのに
それを一々、顔をつき合せてカウンセリングなんてやっていよう物なら。
1週間も持たない内に俺の胃に穴が開くか、もしくは精神がいかれてしまう事だろう。

とにかく、ひとの苦手を治すのは一筋縄では行かないのだ。
はてさて、彼女は一体、如何言う風に俺の苦手を治すのだろうか?

なんて思っていると―――

「―――――っ!?」

何時の間にやら俺の眼前にまで来ていた紺田さんの両腕が後ろ首へ回され、
そのまま彼女の双丘の間に顔を埋める様に、俺は抱き寄せられた。
俺がそれに驚く間も無く、彼女の下半身の蛇体がしゅるしゅると俺の胴体へと巻き付き。
やがて俺を抱擁する彼女のともども、彼女の蛇体が形作るとぐろに巻かれてしまった。

当然のこと、俺は恐怖に駆られて逃げ出そうと必死にもがくのだが、
無論、しっかりと巻きついた蛇体から逃げられる筈もなく、惨めに身体を捩じらせる事しか出来ない。

中房の頃の蛇に絞め殺されかけた記憶が脳裏をよぎり、俺の恐怖が頂点に達そうとした、その時――

「こわくない、こわくないよ……大丈夫」

何時もの、紺田さんの感情の欠片すら見えない抑揚のない声とは違う、何処までも優しい声と共に、
俺の頭に添えられた彼女の両手が、母親が子供にする様に。俺の後頭部を優しくなで上げる。

「大丈夫、大丈夫。だから、おびえないで」

巻き付いている蛇体も、しっかりと巻き付いているが締め上げる訳でもなく、
むしろ、優しくクニクニと蠕動し、俺の身体全体を揉み解す。
普通は蛇は冷血動物なのであるのだが、俺の身体に巻き付いている蛇体はとても温かい上に柔らかく。
まるで、いや、まさに彼女によって全身を優しく抱擁されていると言っても良かった。

ふわりと漂う、何処か甘いものを感じさせる彼女の体臭。
それを嗅いでいる内に、恐怖に凍り付いていた心が、穏やかな日差しを浴びた氷の様に溶け出し。
彼女の温もりに包まれ、鼓動を感じている内に、俺は次第に落ち着きを取り戻して行く。

「ほら、もうこわくない」
「…………」

そして、気がついた時には、俺の心の中から、彼女に対する恐怖心は完全に消え失せていた。


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最終更新:2008年03月24日 18:59