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エンフィールドNo.4


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びぃえふに登場する数々の兵器が、現実ではとんなものだったのかなぁという疑問に次第にマニアックに答えていくコーナー。
第六回では第四回の専攻に惜しくも漏れた連合スナイポと工兵(無印)の友達、No.4を取り上げることにする。
イギリスの兵器運用思想と併せて、この銃を解説していこう。

この銃の正式な名称は「リー・エンフィールドNo.4」。原型となるのは1873年にアメリカのジェームス・パリス・リーが開発した「リー・メトフォードライフル」で、エンフィールド社が改良を加えた「MLE(マガジン・リー・エンフィールド)」というモデルが1895年に英軍の制式ライフルとなる。
「マガジン」の名の通り、この銃はボルトアクション方式ながら脱着可能な箱型弾倉を持っていた。これはあくまで弾薬を収めておくための部分に過ぎず、装填をする際には他のライフル同様にクリップを用いて上部から挿し込む方式である。とはいえマガジンという弾薬収納の専用部位を持つことで、当時のライフルとしては破格の装弾数10発を実現した(注:ドイツのGew-98やソ連のモシン・ナガンなどは5発程度)。
この銃も当時の例に漏れず、120cmを越す長い銃身を持っていた。そして他国のライフルが短銃身化していくのに倣って、1903年に「SMLE(ショート・マガジン・リー・エンフィールド)」こと「No.1」が開発された(ちなみにエンフィールド社はこのナンバリングを自社開発銃器の名称としてつけている。No.2はリボルバー式拳銃である。No.3は不肖ながら該当資料が発見できなかったため不明である)。

このNo.1ライフルは1939年、本格化する戦争に備えて改良を加えられる。こうして誕生したのがNo.4ライフルである。No.1と比較して素材などのコストを押さえつつも各所を補強し、実践的な仕上がりになっている。
ここで注目すべきは、その開発年にある。1939年というと、既にソ連はセミオートライフルを実戦投入直前にあり、ドイツも対抗して鋭意開発中であった。アメリカでも制式な装備とするべく開発が進んでいた時期である。その中にあってイギリスは独自の路線を貫いた。実戦においては精密な新機構よりも、シンプルかつタフな構造が効果を発揮すると考えていたのである。熟成した技術を最新の思想で運用するそのスタイルは、当時の英海軍が艦上戦闘機として複葉機を使っていたことにも現れている(単に頑固なだけだとか、先進性が無いとか、変態だと言われる由縁でもあるが)。
ともあれその堅牢さは前線で好評を得、手入れが行き届かなくても十分な作動を発揮したという。また、ボルトのストロークが短い上にレバーが後ろ寄りに配置されていたことで装填が素早く、装弾数の多さも相まって時にセミオート並みの火力を発揮していた。
反面タフな構造、翻せば大雑把な造りゆえに狙撃銃としての評価には疑問が残るのも事実である。とりわけトリガープルに関してはかなり重く、精度もさほど高いものではなかった。専用のスコープはマウント部分と合わせると一キロ弱もあり、携行性に劣っていた(ただし、銃が重い分には反動を抑えやすくなる利点もあるので、これはあながち欠点とは言えないかもしれない)。

初代No.1から60年近くも主力ライフルとして使用され、主力を退いた後も訓練用・狙撃用ライフルとして90年代初頭まで現役だった。この長寿もイギリスの思想あってのものだろう。
現在は軍用としては完全に退役したこの銃だが、今でもハンティング用として人気の高いモデルである。原型設計のリーが「軍用ライフルは人殺しの武器でしかなく、狩猟用ライフルにも劣る最悪の道具だ」という言葉を遺していることを考えると、皮肉なような幸せのような隠居生活ではなかろうか。