原剛氏による虐殺否定論者に対する批判についての考察と反論

「原剛氏特別講義(11月17日)レジュメ 社会教育学研究第15号2009年1月」p6
 虐殺否定派の論者は、捕虜や便衣兵を揚子江岸などに連行して射殺もしくは刺殺したのは、虐殺ではなく交戦の延長としての戦闘行為であり、また軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、ハーグ陸戦規則の第一条「交戦者の資格」規定に違反しており、捕虜となる資格がないとして殺害したのも不法殺害にならない故、どちらの行為も虐殺に当たらないと主張している。
 しかし、戦場で捕らえた捕虜や便衣兵を、武装解除して一旦自己の管理下に入れておきながら、その後揚子江岸などへ連行して射殺もしくは刺殺するのは、戦闘の延長としての戦闘行為であるとは云えない。捕虜など逃亡とか反乱を起こしたというのであれば別であるが、管理下で平穏にしている捕虜などを、第一線の部隊がわざわざ連れ出して殺害するのは不法殺害である。捕虜などを捕らえた第一線の部隊には、捕虜などを処断する権限は無いのであって、捕虜ならば、師団以上に設置された軍法会議の裁判、捕虜でないならば、軍以上に設置された軍律会議の審判により処断すべきものである。
 しかし、軍法会議・軍律会議とも本来小人数の違反者を対象にしたもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判したり審判することは能力的に不可能であった。だからと云って、第一線部隊の殺害が合法であったとして許容されるものではない。

考察と反論
 まず、原剛氏のいう虐殺否定派の論者の論理と、私の論ずる戦時国際法上合法説とは、完全に一致するものではない。そして、原氏がどのような証拠に基づいて事実を認定したのかは不明である。
 拙稿「便衣兵の摘出・処刑」の冒頭で述べたように、日本軍を非難する場合には、以下の事実を評価しなければならないと考えるところ、①南京城内は安全区も含め防守地域であり、この地域に無差別に攻撃をしても合法であった事実(ハーグ25条・軍事目標主義)。②日本軍は、安全区の無差別攻撃を自制し(ラーベの感謝状参照)、安全区に侵入した中国軍の便衣兵の個別の選別・摘出行為に出たという事実。これらの評価が全く行われていない。したがって否定・合法論の根拠の大前提を欠いているので、そもそも批判として妥当ではない(もし、この批判が妥当だとすれば、日本軍としては無差別攻撃を仕掛けるべきだったという結論になる)。
 日本軍の処置に問題があったとしても、それが無差別攻撃を回避したがために起因し、より少ない不利益であるのなら許容されるべきと考える。
 他にも、「武装解除して一旦自己の管理下に入れ」たら捕虜資格を与えなければならないという法的根拠が示されていない(便衣兵の摘出・処刑についての各主張に対する反論.7参照)。防守地域の安全区において、潜伏している便衣兵を発見(戦時重犯罪の現行犯)し即射殺することは合法であるのに対し、処刑のため武装解除して連行後に処刑した場合には違法というのは整合性を欠く。「無裁判で処刑された」という事実の判断がどのようになされたのか不明(便衣兵の摘出・処刑についての各主張に対する反論.9参照)。憲兵の取調べが認められている以上処刑命令があれば、軍律裁判をしていないとするほうがむしろ不自然であるため、処刑命令なしで処刑されたというのだろうか(命令がなく処刑した場合は「個人」の犯罪であって「日本軍」の犯罪ではない)。
 また、「多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判したり審判することは能力的に不可能」と判断しつつも、違法性等が阻却されないとしている論拠も示されていない(遵守不可能な法規は無効であるはずex「飛べなかったら死刑」などとする法律)。
 以上から、当該批判は、考慮すべき事実を考慮しておらず、考慮した事実や法的根拠もあいまいで誤っている点があるといえるので批判として妥当ではない。


『国際法Ⅲ』 田岡良一著 P352
戦争法規は戦時に通常発生する事態における軍事的必要のみを考慮して、その基礎の上にうち建てられたものであるから、より大きい軍事的必要の発生が法規の遵守を不可能ならしめることは実際に必ず生ずる。この場合に法規は交戦国を拘束する力を失う。



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最終更新:2012年12月14日 06:04
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