便衣兵の摘出・処刑

vol.120910

【結論から言えば、便衣兵の摘出・処刑については、合法である。】

以下の事実を評価せずに行った日本軍に対する非難のすべては妥当性をもたない

 それは、①南京城内は安全区も含め防守地域であり、この地域に無差別に攻撃をしても合法であった事実(ハーグ25条・軍事目標主義と、②日本軍は、安全区の無差別攻撃を自制し(ラーベの感謝状参照)、安全区に侵入した中国軍の便衣兵の個別の選別・摘出行為に出たという事実である。

これらの事実が認められる以上、日本軍は賞賛されこそすれ非難される理由が皆無であるといえる。

一言でわかりやすくいうならば、たとえ日本軍の処置に問題があったとしても、それが無差別攻撃を回避したがために起因し、より少ない不利益であるのなら許容されるべき。ということである。

※佐藤論文では、軍事的必要概念をもって、日本軍の行為を正当化するが、私個人的には、無差別攻撃を自制した人道的見地から、それ(無差別攻撃)以下の行動が許容されるのではないかと考える。この考えを認めなれば、軍隊が人道的な行動を取る機会を狭めることにならないだろうか。

むしろ非難されるべきは、安全区に侵入した中国軍・便衣兵や、侵入を許し杜撰な管理を行った安全区委員会だろう。



【南京における便衣兵の国際法違反行為】

①軍服を脱いだこと
安全区に侵入したこと ←戦時重犯罪の現行犯
 (ハーグ23条ロ号違反) 特に、②については、従来の議論が全くなされていないところである。 


【便衣兵の摘出・処刑についての各主張に対する反論】

1.便衣兵は、いなかった。

百聞は一見に如かず。 便衣兵はいました。
『南京戦史資料集』P550
○六旅団作命甲第138号 12月13日午後4寺30分
○南京城内掃蕩要領
3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。
○掃蕩実施に関する注意
1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、掃蕩を実施すべし。
2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。重要なる箇所には歩哨を配置すべし。
3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。
4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

2.便衣兵・ゲリラと呼ぶのは正しくない。

 「便衣」とは平服という意味。軍服の対義語。
 「便衣兵」とは、平服を着た兵士。ゲリラ兵のこと。
 便衣兵であるかどうかにつき、兵士が実際に戦闘をしているかどうかは関係ない。このような解釈は詭弁である。
 よって、軍服を着ていない兵士を便衣兵=ゲリラと呼ぶことは正しい。

国際法辞典 筒井若水編
ゲリラ(抜粋)
 伝統的な戦時国際法は、戦闘員資格をもつ正規軍による敵対行為だけを適法とし、文民等その資格を欠くものはもとより、
正規兵であっても不正規軍の適法な構成員資格を満たさない者の敵対行為は交戦法規に照らして違法としてきた。

3.便衣兵は、ハーグ第23条ハ号に該当し攻撃することは出来ない。

第23条 特別ノ條約ヲ以テ定メタル禁止ノ外特ニ禁止スルモノ左ノ如シ
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
(c) To kill or wound an enemy who, having laid down his arms, or having no longer means of defence, has surrendered at discretion;
 便衣兵が、降伏したという歴史的事実は存在しない。そもそも「降ヲ乞ヘル」のに軍服を脱ぐ必要性はまったくない。
 便衣兵は、ハーグ第23条ハ号に該当せず攻撃することができる。

4.便衣兵は、戦意がない敗残兵だった。

 便衣兵は、降伏していない以上、軍事目標である。
 戦意があったか否かではなく、降伏していたか否かで判断すべき。
 下記の証拠からも戦意が無かったとは認められない。
 以上から、かかる主張自体失当である。

 【歩兵第七連隊の南京城内安全区掃蕩成果】
 敗残兵の刺射殺数 6,670人
 敗残兵から鹵獲した戦利品 
 15センチ砲2門 同弾薬約600発
 20センチ砲8門 同弾薬約1000発
 小銃960挺 同実包39万発
 水冷式重機関銃12挺
 軽機関銃33挺
 拳銃103挺 同弾薬261,350発
 高射砲1門
 高射機関銃1挺
 山砲6門 同弾薬82発
 迫撃砲10門 同弾薬57,218発
 戦車4台 戦車砲弾39,000発
 銃剣320挺
 青竜刀2,020振
 手榴弾55,122発
 対戦車砲2門
 機関砲1門
 自動貨車16台
 便衣服2,300着
 夏衣袴25,300着

5.戦闘は終了していたので、便衣兵を攻撃することはできない。

 戦闘が終了したかどうかは、停戦の合意の有無によって決まる(ハーグ第36条)。
 南京攻略戦前後において、両軍が停戦の合意をした歴史的事実はない。
 よって、戦闘は終了していたとはいえず、軍事目標たる便衣兵に対し攻撃を加えることができる。

6.便衣兵は、捕虜として扱うべきだった。

 便衣兵は、捕虜の資格要件(ハーグ第3条)であるところの、戦闘員の資格の要件(ハーグ第1条参照)を充たしていない。
 よって、便衣兵を、捕虜として扱うべき義務はない。

(正規兵は無条件で捕虜資格が与えられる。)

『戦時国際法論』 立作太郎 日本評論社 1931年 P54
 上述の正規の兵力に属する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵団に必要とする後述の四条件を備へざることを得るものではない。
 正規の兵力たるときは、是等の条件は、当然之を具備するものと思惟せらるるのである。
 正規の兵力に属する者が、是等の条件を欠くときは、交戦者たるの特権を失ふに至るのである。

『上海戦と国際法』 信夫淳平 丸善 1932年 P114
 現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、第一には正規兵、第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、(三)公然兵器を携帯し、(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守するといふ四条件を具備するもの(正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である)

ハーグ陸戦規則
 第一章 交戦者の資格
 第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
  1. 部下の責任を負う指揮官が存在すること
  2. 遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること
  3. 公然と兵器を携帯していること
  4. 戦争法規を遵守していること
 第2条:未だ占領されていない地方の民間人が、敵軍の接近に伴い第一条を充たす(軍隊等を)編成する猶予なく応戦するために公然と兵器を携帯し、戦争法規を遵守している場合は交戦者の資格を有する。
 第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、俘虜となった場合、双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。

国際法辞典 筒井若水編
ゲリラ (抜粋)
 伝統的な戦時国際法は、戦闘員資格をもつ正規軍による敵対行為だけを適法とし、文民等その資格を欠くものはもとより、
正規兵であっても不正規軍の適法な構成員資格を満たさない者の敵対行為は交戦法規に照らして違法としてきた。
戦闘員(抜粋)
 国際法上、適法な害敵手段によって敵を攻撃し(敵対行為に正当に従事でき)、敵に捕らえられた場合は、犯罪人としてではなく、捕虜としての待遇をうける権利をもつもの。

7.便衣兵は、武装解除して一旦捕らえたら、捕虜として扱わなければならない。

 陸戦において、武装解除して一旦捕らえた者は、すべて捕虜として扱わなければならない義務の規定は1937年当時存在しない。
 この義務が規定され始めたのは1949年ジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)第5条2項からである(1953年10月21日日本国効力発生)。
 しかし、この第5条2項によっても、とらえられた後に、便衣兵であると判明した場合には、捕虜としての資格は剥奪されると規定されている。
 つまり、便衣兵を武装解除して一旦捕らえたら捕虜として扱わなければならないという主張は、1949年時点においてさえも妥当しないのである。

【佐藤論文抜粋】
一九二九年捕虜条約をさらに大幅に改善し拡大した一九四九年のジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)の第五条は、「本条約は、第四条に掲げる者〔捕虜の待遇を受ける資格のある者〕に対し、それらの者が 敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、且つ送還される時までの間、適用する」、「交戦行為を行って敢の手中に陥った者が第四条に掲げる部類の一に属するか否かについて疑いが生じた場合には 、その者は、その地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、本条約の保護を享有する」と規定している。
 一九四九年捕虜条約は、一九二〇~三〇年代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、 少なくとも右の第五条に見られる「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らないことを示唆している点において、注目に 値しよう。

8.便衣兵を処刑するためには裁判(軍律会議)が必要である。

 戦闘中においては、軍律裁判は不要 。戦闘休止状態になって初めて軍律裁判が必要。

【小川法務官の日記】
「◎十二月一日
中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令及ビ中支那方面軍軍律審判規則発令セラル…
戦闘中ハ反逆者タル帝国臣民以外ノ人民ニ対シ直ニ之ニ適当ノ処分ヲ為スコトヲ得シモ
敵国トノ戦闘休止ノ状態ニ至リタルトキハ戦争中ノ如ク適宜処分スルハ穏カナラザレバ
一種ノ軍政タル本則ニ基キ軍律ニヨリ帝国軍ノ利益ヲ保護セントスル趣旨ニ出タルモノナリ」(p.90) 

戦闘中か否かの判断基準につき 下記↓および上記5.を参照

9.便衣兵は、無裁判で処刑された。

 ①無裁判で②処刑されたという事実は、未だ証明されていない。
 何を根拠にこのような主張ができるのか、しているのか、正直私には理解不能である。情報メール募集中
 冒頭1.で示した写真から見てもわかるとおり、憲兵が便衣兵を一人一人取調べているにもかかわらず、それ以後なんの手続が行われず、無裁判であったという主張は破綻している。


【2ch南京スレにおいて、以下のようなカキコが見られた(一部表現を修正)。】
  • 裁判が無かったという証拠はもちろん根拠すら提示されない。
  • 中支那方面軍司令部は国際法遵守の為、国際法顧問として斉藤良衛博士を帯同していた。
  • 南京戦史に「摘出処断」と記されている。
  • ラーベの日記にも即決の軍事裁判が行われた事が記されている。(再修正)
  • 一般兵士ではなく、「憲兵」による調査が行われている写真が存在する。
  • 中支那方面軍法務部が司令部の到着に先立ち、早くも12月14日に到着している。
  • 日本軍にもちゃんと法務官がいた。
  • 東京裁判でも「軍法会議にかけて処断したのが誤って虐殺したと伝わったのではないか」と証言されている。
  • 南京国際委員会の第37号文書第185件にも日本軍の処刑を「合法な処刑」と記載されている。
  • 憲兵が実際に行動しているのだから、「司法」がかかわっている。
  • 特設軍法会議や軍律裁判では通常裁判記録を取らないのだから、「裁判記録が無いから裁判が無かった」等の主張は妥当でない。
  • これだけの根拠が有るにもかかわらず、「裁判がなかった」等と言うのは明らかにオカシイ。普通、ある資料が無ければ他の傍証を当たる物だが、大虐殺肯定派がそれを頑なに拒むのは「傍証をあたれば裁判があった可能性が高いという結論になってしまう」からに他ならない。
●なぜ大虐殺肯定派は「便衣兵の裁判は軍律ではなく軍法によって行われる」と主張するのか?
答えは簡単、便衣兵の裁判は軍律によって行われる事を認めてしまうと日本軍は便衣兵の裁判を【現地司令官に裁量権があり、運用の自由度が高い軍律】で適法に行った蓋然性が高い事になってしまうからです。反対に軍隊の制定権限から分離され、国会で制定される軍法会議法・軍法は厳格な運用が要求されます。
http://www.iris.dti.ne.jp/~rgsem/mcourt.html(軍法会議と軍律法廷の詳しい説明)
●憲兵 (日本軍)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E5%85%B5_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
憲兵(けんぺい)とは、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し主として軍事警察を掌り兼て行政警察、司法警察を掌る兵科区分の一種。

10.軍民をきちんと分けなかった。

 裁判(軍律会議)を行い、軍人か一般市民かを厳格に分けろという主張であるが、そもそも、兵民分離義務があるのは、攻撃される側にあって、攻撃する側にはない。
 また、軍律会議の手続によっても、軍民をきちんと分ける事は不可能であり(そもそもこういうことを目的とした裁判ではない)、この主張の要求に答えられる国は、当時世界に存在しない。 
 よって主張自体が失当である。

佐藤論文 結論

その一は、「安全区」に遁入・潜伏して、便衣(民間人の平服)に変装した支那兵の摘出・処断である(その具体的な人数等に関しては、『南京戦史』 三四二~三四三頁の第五表に詳しい)。
 右の安全区は、南京在住の第三国人有志が十二月初めに南京安全区国際委員会という非政府機関を設立して、南京城内の特定区域(三・八平方㌔)を難民のための中立地帯として設定し、外交ルートを通じ日本側にもその保証を求めてきたものである。(P316)
 国際法でいう中立地帯とは、交戦国間の合意に基づいて設定され、敵対行為に参加しないか、または戦闘外に置かれた非戦闘員・住民を軍隊の作戦行動の影響から保護することを目的とするものであるが、日本軍当局は、右委員会の中立性維持能力を危ぶんで、この安全区を正規の中立地帯として公式に承認することはしなかったが、軍隊の立入禁止区 域の設定という趣旨は諒として、事実上安全区の存在を尊重する-もちろん、支那軍による同様の尊重が必須の条件とされたが-ことにしたのであった。(P316-P317)
 南京城内外での激戦の結果、安全区内に遁入・潜伏する支那敗残兵の数は少なくなかった。
 一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵は、投降したとは認められないので、攻撃できるのである。安全区に逃げ込んだ支那兵は、投降して捕虜になることもできたのに、それをしなかったのであり、残敵掃討が諸国の軍隊にとってむしろ普通の行動であることを考えると、敗残兵と確認される限り、便衣の潜伏支那兵への攻撃は合法と考えられるが、安全区の存在とその特性を考慮に入れるならば、出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を構成すると認められ、安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、彼らに正当な捕虜の資格がないことは既に歴然としている。
 兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられることもやむを得ない。多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)― 軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている―、また市街地における一般住民の 眼前での処刑も避ける必要があり、他所での執行が求められる。したがって、問題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、違法な虐殺行為ではないと考えられる。

11.軍事的必要概念は否定されている。

 戦数も復仇も1937年当時、完全に否定されるものではない(下記参照)。

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最終更新:2012年09月11日 10:35
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