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東京ディズニーランド

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東京ディズニーランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東京ディズニーランド(とうきょうディズニーランド、Tokyo Disneyland :略称 TDL )は、東京ディズニーシーなどと共に東京ディズニーリゾートを形成する、日本の代表的なテーマパーク。

施設の名称には「東京」とあるが、実際に所在するのは東京都と旧江戸川を挟んだ千葉県浦安市である。ディズニーテーマパークと違い、東京ディズニーシーと共に唯一ディズニーグループの直営ではなく、オリエンタルランドがライセンス方式で運営する。2006年現在、年間来客数1700万人、売上高世界一のテーマパークである。


施設

名称:東京ディズニーランド Tokyo Disneyland Park
所在地:千葉県浦安市舞浜1番地1
開園日:1983年4月15日
キャッチフレーズ:「夢と魔法の王国」 The Kingdom of Dreams and Magic
シンボル:シンデレラ城

建設時の概要

建設計画当時、ウォルト・ディズニープロダクションズ(当時)は、EPCOT Center(フロリダ州オーランド)の設計・建設のまっただ中で初の海外投資には消極的であり、リスクを軽減するために、同社日本法人による直接経営を避けた。そのため朝日土地興業(当時)、京成電鉄、三井不動産が主要株主である株式会社オリエンタルランドがディズニー社とのライセンス契約のもと施設を所有運営し、ディズニー側がパークの設計をすると共に版権および運営の指導・クオリティー管理を行い、そのすべての費用をオリエンタルランドが負担するという方式をとった。1984年にディズニー社は企業買収騒動の末、経営陣が入れ替わるなどの「お家騒動」があったが、オリエンタルランド社とのこの方式は細かな見直しをのぞけば現在までほぼ一貫して同じである。 2006年現在、一番新しい香港ディズニーランドを含め世界で5つあるディズニーのテーマパークリゾートのうちディズニーが全く出資していないのは東京ディズニーランドのある東京ディズニーリゾートだけである。

ディズニーテーマパークの設計を行う専門組織であるWED Enterprises(現 Walt Disney Imagineering)は当時その多くのリソースをEPCOT Center (現 Epcot )に投入していたため東京ディズニーランドのオープン当初のパーク施設のデザインはそのほとんどが米国に既に存在した二つのディズニーテーマパークからの複製であった。 特にフロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内にあるマジック・キングダム・パークから多くの影響を受けており、世界に4つある「ディズニーランド」と名の付くテーマパークのうち、東京以外はすべて「眠れる森の美女の城」をランドマークにしているが、東京では「ディズニー・ワールド」のマジック・キングダム・パークと同じ「シンデレラ城」をランドマークとしている。

TDLの建設時、ディズニー側にあったアトラクション等の設計図面は現場での度重なる変更を完全には反映しておらず、米国のパークに現存する施設との不一致が多数確認された。より米国のオリジナルのパークに忠実な施設を日本に再現するため、日本側のスタッフが何度も米国に赴いて実測図を作成し、それを基に新たな設計図面が起こされた。

それらの図面類は日本の建築基準法やディズニーの機密保持等の関係もあり、TDL内にある「ドキュメントセンター」と呼ばれる部署で集中管理され、施設改修時には随時最新版に差し替えられる。「ここの図面があればTDLをもう一つ作ることができる」と言われるようにすべての図面類を保管している。なお、ディズニーのテーマパークでこのような形で図面を管理するようになったのはTDLが初めてである。

建設候補地

建設候補地は浦安市舞浜の他、清水市(現静岡市清水区)、横浜市、川崎市等があったが、都心からの近い立地の良さからディズニー側はかなり早い段階から舞浜に決めていた。しかし誘致合戦でオリエンタルランドからより良い条件を引き出すため最後まで静岡と舞浜の二カ所を候補地として残した。最終的にディズニー首脳陣は日本の象徴である富士山が常に見える場所では人工物が引き立たなくなってしまうというと言う表向きの理由を付けて静岡を除外した。なお横浜・川崎は埋め立てで場所をとると工業地帯の用地不足になるとのことから早い段階で候補から外された。

沿革

※1983年4月15日より以前の、東京ディズニーランド開園までの歴史は、こちらを参照

1983年 
4月15日 アメリカ国外では初となる「ディズニー・テーマパーク」、「東京ディズニーランド」が開園
5月23日 100万人目のゲスト(来園客)が来園
9月5日 500万人目のゲストが来園。ウォルト・ディズニー・プロダクションよりシンデレラの噴水が寄贈
1984年 
4月2日 1,000万人目のゲストが来園
4月15日 開園1周年、プラザテラスに開園記念碑を設置
1985年 
1月17日 「マジック・ジャーニー」オープン(1986年12月クローズ)
4月26日 新東京国際空港(現在の成田国際空港)間直通バスの運行を開始
1986年 
3月8日 「アリスのティーパーティー」オープン
5月17日 「アメリカン・ジャーニー・サークルビジョン360」オープン(「マジックカーペット世界一周」フィルム交換)(1992年8月クローズ)
7月11日 「シンデレラ城ミステリーツアー」オープン(2006年4月5日クローズ)
1987年 
3月20日 「キャプテンEO」オープン(「マジック・ジャーニー」フィルム交換)(1996年9月1日クローズ)
7月4日 「ビッグサンダー・マウンテン」オープン
1988年 
4月15日 開園5周年、「ショーベース2000」オープン(2000年7月19日に「ショーベース」に名称変更)
6月2日 5,555万5,555人目のゲストが来園
12月1日 JR京葉線舞浜駅が開業、東京ディズニーランド・ギフトカードの販売を開始
1989年 
7月12日 「スター・ツアーズ」オープン
12月25日 7,777万7,777人目のゲストが来園
1990年 
2月19日 「東京ディズニーランド・ティーチャーセンター」オープン
1991年 
5月29日 1億人目のゲストが来園
1992年 
10月1日 「クリッターカントリー」、「スプラッシュ・マウンテン」オープン
1993年 
4月15日 開園10周年、「ビジョナリアム」オープン(2002年9月1日クローズ)
7月21日 「スイスファミリー・ツリーハウス」オープン
1996年 
4月15日 「トゥーンタウン」一般公開
1997年 
4月15日 「ミクロアドベンチャー!」オープン
7月25日 2億人目のゲストが来園
1998年 
4月15日 開園15周年
11月3日 「スカイウェイ」運営終了
1999年 
4月1日 駐車場料金改定(普通車:1,500円→1,700円に値上げ)
2000年 
1月1日 オリエンタルランドが「リゾート宣言」を発表、「東京ディズニーリゾート」が正式にスタート、初代「東京ディズニーリゾート・アンバサダー」が就任
9月1日 「プーさんのハニーハント」オープン、パスポート料金(入園料)改定
2001年 
2月21日 駐車場料金改定(普通車:1,700円→2,000円に値上げ)
4月1日 入園券、アトラクション券が廃止。
2002年 
6月30日 「ミート・ザ・ワールド」クローズ
11月8日 東京ディズニーランド、東京ディズニーシー合わせて3億人目のゲストが来園(3億人目のゲストは東京ディズニーシーへ来園)
2003年 
4月15日 開園20周年
2004年 
4月15日 「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」オープン
2006年 
5月9日 オリエンタルランドが「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」のパスポート料金(入園料)を一部改定すると発表
4月5日 「シンデレラ城ミステリーツアー」クローズ
9月1日 パスポート料金改定。(詳細については、東京ディズニーリゾートのパスポートを参照のこと。)
10月6日 トゥーンタウン・ベビーセンターがオープン。
10月27日 立体駐車場がオープン。
11月1日 東京ディズニーランド、東京ディズニーシー合わせて4億人目のゲストが来園(4億人目のゲストは東京ディズニーシーへ来園)

パーク

それぞれのテーマに分かれたエリアが7つあり、それらを「テーマランド」と呼ぶ。各テーマランドに配置されるアトラクションや物販店・飲食店および装飾類は、そのテーマに合わせてイメージの統一が図られている。園内の施設は、アトラクション以外の施設も全てオリエンタルランド直営である。

パーク内のショップについては東京ディズニーランドのショップを、レストランについては東京ディズニーランドのレストランを参照。 パーク内外のサービス施設については東京ディズニーランドのサービス施設を参照。

また、東京ディズニーランドのチケット料金(東京ディズニーリゾート共通)は、こちらを参照。

メイン・キャラクター
ディズニーの主だったキャラクターは大抵登場するが、中でも「ビッグ5」(米国では "FAB 5" や "fabulous 5")と呼ばれるメイン・キャラクターは、パレードやショーなどでもほぼ必ず登場し、別格とされている。

ミッキーマウス、ミニーマウス、ドナルドダック、グーフィー、プルート

近頃は、これにデイジーダック、チップとデールを入れて、「ビッグ8」と呼ばれることもある。

場内にいるこれらキャラクター達は、子供が見ても「かぶりもの」だが、パーク内ではちゃんとした人(?)格を持つ生き物として扱われる。「ミッキーはミッキー」なのであり、誰が演じているという事を意識させない点を徹底している。ところが1990年に海部俊樹首相(当時)が来場し、帰り際に、「ミッキーやミニーの中にいる人たちも本当にご苦労様でした」とスピーチし、パークスタッフらは困ってしまった。

また、京葉線が不通になった2006年9月、スタッフが、パークへ行けず開園時間を遅くなったトラブル際、テレビ朝日のスーパーJチャンネルのリポーターがディズニーランドの広報担当者に「ミッキーやミニーはだいじょうぶでしたか?」という問に対し「ミッキーやミニーはここに住んでますから」と答えた。なのでミッキーやミニーはパークに住んでいるという事になっているらしい。

ワールドバザール
アメリカ20世紀初頭の「典型的な地方都市」の町並みを再現したテーマランド。ウォルト・ディズニーの出身地マセリーンがモデルともいわれている。海外のディズニーランドでは「メインストリートUSA」と呼ばれる。実質的にアトラクションは存在せず物販店が多い。日本では雨の多い気候に合わせて、アーケード商店街の様に通路全体を「オール・ウェザー・カバー」と呼ぶ大屋根で覆うことで、全天候型エリアとなっている(海外とテーマランドの名称が異なるのはこのためでもある)。
アドベンチャーランド
未開の地を探検したり、海賊に襲われたりする冒険を題材にしたテーマランド。「カリブの海賊」、「ジャングルクルーズ」、「魅惑のチキルーム」など、米国ディズニーランドでも歴史が古いアトラクションの移入が多い。
ウエスタンランド
アメリカ開拓時代の西部の町並みを再現したテーマランド。海外のディズニーランドでは「フロンティア・ランド」と呼ばれる。「アメリカ河」という環状の「河」が敷地の多くを占め、アメリカ河の中央には散策型施設「トムソーヤ島」がある。アメリカ河を航行する「蒸気船マークトウェイン号」や、鉱山列車型のローラーコースター「ビッグサンダー・マウンテン」、劇場型アトラクション「カントリーベア・シアター」などがある。
クリッターカントリー
ディズニー映画『南部の唄』を題材に「小動物たちの住む郷」をテーマにしたテーマランド。1992年10月1日から公開された。ウォーターシュート型アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」と、園内で唯一の人力アトラクション「ビーバーブラザーズのカヌー探険」がある。
ファンタジーランド
西洋のおとぎ話をテーマにしたテーマランド。園内のシンボル「シンデレラ城」はここに存在する。『シンデレラ』、『ピノキオ』、『白雪姫』、『不思議の国のアリス』等、往年のディズニー作品をモチーフにしたアトラクションが多い。
トゥーンタウン
ディズニーアニメをテーマにした「ミッキーと仲間たちの住む街」という設定のテーマランド。1996年4月15日(開園13周年)から公開された。親子連れなど低年齢層向けのアトラクションが多い。ミッキーマウスに必ず会うことができるミッキーの家がある。講談社がこのテーマランド全体のスポンサーになっている。
トゥモローランド
人類月面着陸以前に想い描かれた無機的なSF世界を元に「未来の国」をテーマにしたテーマランド。「スペース・マウンテン」や「スター・ツアーズ」等のスリル系アトラクションや「ミクロキッズ」などの映像系のアトラクションなどがある。

そのコンセプト上、アトラクションには常にその時点での最新技術やテーマが求められることから、技術やテーマが時代遅れとなったアトラクションの入れ替えが最も多いテーマランドである。特に トゥモローランド に多い映像系のアトラクションは投資額が少ないものの、人気の持続が難しく入れ替えが早い。

閉鎖されたアトラクションは以下の通り。

「エターナル・シー」、「マジック・ジャーニー」、「キャプテンEO」、「世界一周・サークルビジョン360°」、「アメリカン・ジャーニー・サークルビジョン360°」、「ビジョナリアム」、「ファンタジーランド行きスカイウェイ」、「ミート・ザ・ワールド」

事件・事故

1986年11月
「スペース・マウンテン」が脱線。乗客一人が軽いけが。
2001年
9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の影響により、アメリカ文化の移入である東京ディズニーリゾートもテロの標的にされる懸念から、警備が強化され入園者に対する手荷物検査等が開始された(現在もこの体制は継続中)。
2003年12月5日
アトラクション「スペース・マウンテン」において走行中、車軸が折れ車両の脱線事故が発生し、約2ヶ月半の間運転が中止された。客12人が乗っていたがけがはなかった。原因は東京ディズニーリゾート全体で設計書の単位ルールを見直した際、単位見直し前の古い設計書と新ルールに基づいた新しい設計書の2種類が存在してしまい、古い設計書の数値を用いて新設計書の単位で発注してしまった為、仕様に合致しないサイズの車軸が納品・使用され、規定外の隙間が生じたことであった。

そのほか

ライセンス方式
TDL開園10周年の記念式典の際に当時のディズニー社最高経営責任者のマイケル・アイズナーは、大成功を収めているTDLプロジェクトをライセンス方式で運営したことを「ディズニー社史上最大の失敗」と冗談めかして語っている。
TDL計画当初、ディズニー社側は自社の長年の計画であったフロリダのEPCOT Centerに多額の投資をしており、海外進出を考える段階ではなかった。そのためリスクを避けるためライセンス方式による運営で、自社はまったく出資していない。
しかしながらライセンス契約によりオリエンタルランドの利益にかかわらず、売り上げから一定の特許使用料など毎年多くの収入をいっさいののリスク無しに受け取っている事や、後のアイズナーが関わりディズニーが多額の投資をしたユーロディズニーの経済状況を考えると当時のディズニー首脳陣の判断の正しかった事がわかる。
遠近法
パーク内は随所に遠近法を利用しており、シンデレラ城と、三大マウンテンと呼ばれるコースター系アトラクション(スペース・マウンテン、ビッグサンダー・マウンテン、スプラッシュ・マウンテン)の最上部は、ほぼ同じ高さである。ちなみに一番高さが高いのはスペースマウンテン。
成人式
浦安市は、2002年より東京ディズニーランドのショーベースで成人式を開催している。

現在のオフィシャルスポンサー

株式会社NTTドコモ 
ディズニー・ドリームス・オン・パレード "ムービン・オン"
キッコーマン株式会社 
ポリネシアンテラス・レストラン
キリンビール株式会社 
カリブの海賊
ロイヤルストリート・ベランダ
株式会社講談社 
トゥーンタウン
株式会社ジェーシービー 
ミクロアドベンチャー!
新光証券株式会社 
魅惑のチキルーム "ゲット・ザ・フィーバー!"
新日本石油株式会社 
ジャングルクルーズ
株式会社そごう 
イッツ・ア・スモールワールド
第一生命保険相互会社 
ビッグサンダー・マウンテン
ベビーカー&車イス・レンタル
株式会社日本航空インターナショナル 
スタージェット
日本コカ・コーラ株式会社 
スペース・マウンテン
リフレッシュメントコーナー
トゥモローランド・テラス
日本通運株式会社 
宅配センター
日本ユニシス株式会社 
東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ
ハウス食品株式会社 
カントリーベア・シアター
ハングリーベア・レストラン
マイルロングバー
富士フイルム株式会社 
バズ・ライトイヤーのアストロブラスター
カメラセンター
ファンタジーランド・カメラショップ
スプラッシュダウン・フォト
株式会社ブリヂストン 
グランドサーキット・レースウェイ
松下電器産業株式会社 
スター・ツアーズ
三井不動産株式会社 
ショーベース
三井ホーム株式会社 
アリスのティーパーティー
明治乳業株式会社 
スウィートハート・カフェ
クリスタルパレス・レストラン
アイスクリームコーン
ソフトランディング
アイスクリームワゴン
ベビーセンター
トゥーンタウン・ベビーセンター
山崎製パン株式会社 
イーストサイド・カフェ
UCC上島珈琲株式会社 
センターストリート・コーヒーハウス
株式会社ユーハイム 
スイスファミリー・ツリーハウス
ペイストリーパレス

過去のスポンサー

日産自動車(1992年10月~2006年9月3日) 
スプラッシュマウンテン
森永製菓株式会社(1983年4月15日~2006年9月3日) 
キャッスルカルーセル
日本ヒルズ・コルゲート株式会社(不明~2006年9月3日) 
ペットクラブ
日本水産株式会社(1983年4月15日~2006年9月3日) 
蒸気船マークトウェイン号
株式会社タカラトミー(1983年4月15日~2006年9月3日) 
ウエスタンリバー鉄道
ただし、2007年4月1日より再度参加企業となることが、2006年11月8日にOLCからアナウンスされた。
セイコー株式会社(1983年4月15日~2006年9月3日) 
ニューセンチュリー・クロックショップ
セコム(1988年3月20日~2003年3月20日) 
ホーンテッド・マンション

外部リンク

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