第5話(BS13)「禁じられた唄」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 消えた少年

 SFC、それがこの世界における彼女(下図)の名である。それは彼女の「正式名称」のイニシャルなのだが、その正体を知る者はこの世界にはおそらく誰もいない(そして彼女はそのことを語ろうとはしない)。なぜならば、彼女は本来、この世界の住人ではないからである。


 彼女は、ヴェリア界という異世界からこの世界に投影された「投影体(プロジェクション)」である。ヴェリア界とは、様々な世界から「廃棄」された物品が流れ着く場所であり、彼女は「地球」と呼ばれる世界で子供達に遊ばれていた「玩具」の一つであった。技術の発達に伴い、新型の「玩具」が台頭するに伴い、本来の持ち主から捨てられ、ヴェリア界に流れ着いた彼女は、この世界に生み出された混沌の力によって「人間」に似た姿で投影されることになったのである。
 この世界において投影体と言えば、人間世界と相容れない理(ことわり)の下で生きる魔物・怪物の代名詞として用いられることが多いが、彼女は人に近い感性を持ち、この世界の人々とも積極的に交わろうとする、いわば「友好的な投影体」である。もっとも、彼女自身がそう考えていても、実際には周囲の者達がそう認識してくれるとは限らない。実際、彼女はこの世界に現れた当初は、その異様な姿から、様々な迫害の対象となっていた(ちなみに、実はその過程で一度、パンドラの闇魔法師クラインに助けられたことがあるのだが、そのことを彼女自身は覚えていない)。
 そんな彼女を救ったのは、ブレトランド南部を支配するヴァレフール伯爵領を支える七男爵家の一つ「チェンバレン家」の子息・セシルである(下図)。幼くして母親を失い、塞ぎ込みがちだった彼は、父の治める湖岸都市ケイの領内で偶然見かけたSFCに興味を抱き、彼女の新たな「持ち主」となった。SFCは、日頃は「人間」としての姿を維持しているが、いつでも本来の「玩具」としての姿となることも出来る。彼女はセシルを楽しませる「玩具」として、そして彼の心を癒す「友」として、彼の強い希望でケイの領主の館に転がり込むことになり、やがて正式にセシルの親衛隊長に任じられることになったのである。


 ある日、そんな彼女の元に凶報が届いた。彼女の「持ち主」であるセシルが、ケイの中心に位置する領主の館から、突如として姿を消したのである。前日までの彼の様子には特に変わったことも無く、彼が自らの意思で出奔するとは考えにくい。これは、何者かに誘拐されたと考えるのが妥当であろう。彼女を取り巻く親衛隊の者達は、その事実を知った途端、当然のごとく顔面蒼白となる。

「隊長、どうしましょう……」
「こういう時はね、RPGの基本として、まずは情報収集だよ」
「隊長、この旨は、男爵様にお伝えすべきでしょうか?」
「いや、それはいいよ。そうやってサブイベントまで広げると、メインのストーリーが進まなくなっちゃうから」

 SFCは、玩具としての自分の中に組み込まれた(正確には、彼女と接続する付属品の中に埋め込まれた)情報に基づいて、そう答える。彼女の「独特の言い回し」の意味は隊員達には伝わりにくかったが、ひとまず彼らも「今はセシルに関する情報を集めることに専念すべき」という意図は理解したようである。
 ちなみに「男爵様」とは、セシルの父であり、この湖岸都市ケイの領主であるガスコイン・チェンバレン男爵(下図)のことであるが、現在、彼は公務で隣町に出向いている。もし、セシルが見つからないまま、この事実が明るみになれば、その場合は「管理不行き届き」として、相当に厳しい処罰が彼女達に下されることになるであろう。


 こうして、SFC達が全力で街の中をシラミ潰しに調査して回った結果、昨晩から今日の明朝にかけて、ケイから北へと向かう街道を「四人連れの旅人」が北上していくのを見たという目撃証言に辿り着いた。

「バラモスを倒しに行ってしまったのか。今のままではまずい。早くガイアの剣を渡さなければ……」

 そう呟くSFCだが、彼女が言っていることを理解出来ている者は誰もいない(ちなみに、実はコートウェルズ島に「バラモス」という名の龍がいたりするのだが、全く関係ない)。そして目撃者曰く、その「四人連れの旅人」とは、「若い男女の魔法師」と「奇妙な風貌の少女」と「フードを被った10歳くらいの少年」であったという(ちなみに、セシルの年齢もちょうど10歳である)。夜だったこともあり、その少年の顔は確認出来なかったが、彼はうつろな瞳を浮かべながら「呼んでるんだ……。僕のことを……。だから、行かなきゃ……。待ってる人がいる……」などと呟きつつ、山岳街道を北へと向かっていったという。

「4人パーティーで魔法使いが2人か、バランスが悪いな。そして『誰かが呼んでいる』……? 一体、何のゲームだろう……? ダメだ、記憶が曖昧で、思い出せない」

 彼女はこの世界に来る過程で、記憶の大半を失っている。手元にある幾つかの「金属製の付属品」を身体に差し込むことで、その中に組み込まれた情報を読み取ることは出来るが、それも数が限られている。もっとも、その記憶があったところで、この状況を改善する上では、何の役にも立たないのだが。
 現状において、ケイから北へと続く山岳街道の先にあるのは、7年前に混沌災害によって崩壊したマーチ村であり、その周囲には危険な魔境が広がっている。もし、その「10歳くらいの少年」の正体がセシルだった場合、誰が何の目的で彼を連れ出したのかは分からないが、この先の混沌領域の危険性を考えれば、このまま放置して良い筈はない(ちなみに、セシルの亡き母はこのマーチ村の出身なのだが、SFC自身はセシルの母とは面識が無いこともあり、そこまでは聞かされていない)。
 彼女は一刻も早く自分の「持ち主」を救出するため、親衛隊の者達を山岳街道の入口付近に待機させた上で、単身、中央山脈の奥地へと足を踏み入れていくことを決意する。この先の魔境を探索する上では、君主でも魔法師でも邪紋使いでも、ましてや投影体でもない一般の兵士達を連れて行っても、足手まといにしかならないと判断したのである(彼女の思考の中では、一人で竜王を倒しに行くロトの勇者の姿が思い描かれていたらしいが、そんなことはどうでもいい)。
 投影体である自分を受け入れ、「玩具」としての価値を認めてくれたセシルを失うことは、彼女にとってのこの世界での存在意義を失うに等しい。何があっても彼を連れ戻すという重大な決意を胸に秘め、彼女は暗黒の渦巻く山岳街道を北上するのであった。

1.2. 街道浄化計画

 一方、そんな山岳街道の「反対側の終着点」に位置するのは、アントリアの城塞都市クワイエットである。ブレトランドの北中部を支配する覇権国家アントリアの東南部国境の最前線基地であり、この地を守る指揮官ファルコン・トーラス(下図)は、アントリア屈指の猛将として知られていた。


 そのファルコンが絶大な信頼を寄せる契約魔法師、それがスュクル・トランスポーターである(下図)。彼の外見は(SFCほどではないが)やや常人とは異なっている。一見すると、長身細身で眼鏡をかけた「普通の魔法師」のように見えるが、その眼鏡がかけられた両耳の先端に、金属のような異物が生まれつき埋め込まれているのである。実は、彼は「ラクシア界」と呼ばれる異界からこの世界に投影された「ルーンフォーク」と呼ばれる異世界人の末裔であり、その耳の異物はその名残であると言われている。もっとも、ラクシア界からの投影体の発見例は少なく、その実態はよく分かっていない。


 ただ、その末裔の中には、魔法師の力に目覚める者が多いようで、彼とその妹は共に魔法師としての資質に恵まれ、兄妹揃って魔法師のトランスポーター家の養子になっていた(通常、魔法師としての素養は遺伝しないと言われているので、これは極めて珍しい事例である)。そしてスュクルは、そんな自分のルーツに興味を持ったのか、当初は召喚魔法師としての道を進もうとしていたが、その修練の過程で誤って「呼んではならない者」を学院に招き入れてしまい、その時に妹を失ってしまう。
 その失敗を機に、「自分の判断で物事を決定すると、好ましくない結果をもたらす」と悟った彼は、改めて自身の適性の判断を師匠に委ねた結果、時空魔法師へと転身し、そしてファルコンと契約した後は、自身の独断専行を控えて、主君の意思を尊重した上で彼を支えるという「模範的な魔法師」としての道を歩むことになる(実は、それは彼の源流であるルーンフォークの本来の気性でもあるのだが、おそらく彼自身はそこまで自覚してはいない)。
 さて、そんな彼とファルコンが治めるクワイエットの街に、アントリアの首都スウォンジフォートから、騎士団長バルバロッサ・ジェミナイの契約魔法師であるフィガロ・トランスポーター(下図)が、査察員として派遣されてきた。スュクルとフィガロは同門の魔法師であり、スュクルは30歳、フィガロは24歳だが、入門も卒業もフィガロの方が早かった上に、契約相手の関係においても、バルバロッサはファルコンの「上司」にあたるため、どちらかと言えばフィガロの方が「兄弟子」的な立場にある。


 しかも、現在のアントリアにおいて、フィガロの契約相手であるバルバロッサは、実質的に「騎士団長」以上の地位を確立しつつある。先日、アントリア子爵ダン・ディオードが、コートウェルズの浄化のための長期遠征に出向いてしまい、彼の不在時の名代として指名されたのが、バルバロッサの妹ジャクリーンとダン・ディオードの間に生まれた私生児、マーシャル・ジェミナイだったのである(第4話「帰らざる翼」参照)。マーシャルはこれまで、バルバロッサの養子として育てられていたため、実質的には「騎士団長バルバロッサの息子」が、「アントリア子爵代行」に就任したに等しい。こうなると、今まで以上にアントリア内でバルバロッサの発言力が増すことは、容易に想像出来る。
 だが、当然、このような突然の政変に対して、反発を覚える者も多い。だからこそ、フィガロは現在、国内に「よからぬこと」を考える者達がいないかどうかを確かめるための査察に回っているのである。

「現状、マーシャル子爵代行閣下を中心とする新体制への移行過程で、アントリア内部は混乱しつつある。前線に立つ者達は、当面の間、無闇に戦線を広げることは避けるように」

 それが、ファルコンとスュクルへの彼の通告である。特にクワイエットの場合、数ヶ月前にこの地に滞在していたハルク・スエード将軍が独断で兵を動かして惨敗を喫した「前科」がある以上(第3話「長城線の三本槍」参照)、特に強く釘を刺しておかなければならない、と考えているようである。
 その言い分に対して、ファルコンは露骨に不満そうな表情を浮かべるが、彼よりも先に、スュクルが異論を唱えた。

「むしろこの状態だからこそ、弱体な姿を他国に晒すことは危険ではありませんか?」

 現状において、アントリアが混乱していることはヴァレフールにも伝わっているからこそ、逆にここは敵に主導権を握られないよう、こちらから攻勢をかけるべきではないのか、と考えていたファルコンは、自分の考えを代弁してくれた契約魔法師に内心感謝する。だが、フィガロはその意見をあっさりと切り捨てた。

「それはそうかもしれない。だが、指揮系統が混乱した状態で戦をしかけるのは得策ではない」

 確かに、それは正論である。現状において、アントリアは国内に旧子爵家を中心とする反乱軍を抱えている上に(第2話「聖女の末裔」参照)、聖印教会と手を組んだ先代トランガーヌ子爵にダーンダルク城を奪還されるなど(「ブレトランド戦記」第8話参照)、内憂外患状態が続いている。その上、子爵不在によって指揮系統を立て直さなければならなくなったこのタイミングで、専守防衛を基礎とするヴァレフールをわざわざこちらから刺激する必要はない、というのが、首都の要人達の間での一般的な考えであった。
 だが、戦場の前線に立つ者達の認識は異なる。一通りの通達を終えたフィガロがひとまず首都へと帰還した後、ファルコンはスュクルに対して、思いの丈をぶちまける。

「さっきの話、俺もまったく同感だ。こんな状態だからこそ、ここで攻め手を緩めたら付け込まれる。だからこそ、動きの鈍った中央の連中に代わって、前線の俺達が常に『次の一手』を考えなければならない訳だが、実は昨日、一つ面白い話が手に入った」

 そう言って、ファルコンはクワイエットの周辺地図(下図)をスュクルに見せる。クワイエット側から見て南方にヴァレフールによる長城線が存在する一方で、クワイエットから西方へと続く街道は、途中でトーキー、マーチという二つの村を経由して、ヴァレフールの湖岸都市ケイへと繋がっている。つまり、長城線を突破しなくても、この山岳街道経由でヴァレフール領へと攻め込むことは理論上は可能なのだが、問題は、この間にある二つの村のうちの片割れであるマーチ村が、7年前に混沌災害によって崩壊し、その周囲が魔境化しているという点である。


 一応、現在でも道そのものは存在しているため、運が良ければ、魔物(投影体)と遭遇せずに回廊を通過することは出来る。また、仮に魔物と遭遇したとしても、腕に覚えのある者であれば、それを自力で撃退することも出来る。これまでの目撃報告を聞く限り、この魔境に出没する魔物自体は、クワイエット軍が全力を挙げて戦えば、倒せない相手ではないらしい。
 だが、それ以上に大きな問題は、その魔境の中核に位置するマーチ村における混沌繭(カオスシルク)の存在である。マーチ村の中心には、「巨大な蛾の幼虫」の形をした投影体が作ったと言われている「巨大な繭」が存在しており、しかもその繭を中心として強靭な混沌の力が込められた「生糸」と「小型の繭」が村の近辺一体に張り巡らされているという。つまり、村の近辺領域に入ると、この混沌繭の生糸が通行を妨害している状態で、部隊をまともに展開することが出来るような状態ではないらしい。
 この生糸は、君主や魔法師や邪紋使いがその気になれば切断出来ないことはないらしいのだが、この生糸を切ると、その先に繋がっている小型の混沌繭が綻び、その中から様々な投影体が出現し、無差別に周囲の者達に襲い掛かってくるという(そして運が悪いと、彼等が他の混沌繭の生糸を破壊することで、更なる投影体を生み出すこともある)。つまり、この村の近辺を覆う混沌繭こそが、実質的に中央山脈の東部回廊を封鎖している諸悪の根源なのである。

「実は先日、我が領内に忍び込んだパンドラの間者を捕えて尋問した結果、この『混沌繭』を除去出来るかもしれない方法を入手したのだ」

 パンドラと言えば、エーラムの魔法師協会と対立している闇魔法師達の秘密結社である。その実態は謎に包まれているが、この世界を混沌で覆い尽くすことが目的とも言われており、混沌を浄化する力を持つ君主や、その君主を支えるエーラムの魔法師とは、基本的に対立している存在である。そんな彼らが「混沌を除去する方法」を知っているというのも妙な話だと思いつつ、スュクルは主君の話に耳を傾ける。

「あの混沌繭の中にいる『巨大蛾の幼虫』は、『混沌の力が込められた唄』の力によって羽化するそうだ。そして、その唄を歌うことが出来る者達が、旅芸人の『ロザン一座』の中にいるらしい」

 「ロザン一座」の名前は、スュクルも聞いたことがある。このブレトランドで最も有名な旅芸人集団の一つであり、このクワイエットにも度々訪れている。ただ、仕事熱心な彼は、実際にその演目を見たことは一度も無いのだが。

「そのロザン一座の中の『双子の歌姫』なる者達が歌う唄を聴かせれば、その巨大蛾は羽化し、そしてその双子の命令に従うようになるという。そして、その巨大蛾の力をもってすれば、あの回廊に現れる魔物達を倒すこともたやすいと、そのパンドラの捕虜は言っていた」

 主君の話がひと段落したところで、今度はスュクルが口を開く。

「かような者共の言うことを、そのまま信じる訳にもいかないでしょう。まずは調査して情報を収集した上で、その真偽を確かめるべきでは?」
「お前はいつも、私が考えていることを先んじて理解してくれるな。そんなお前だからこそ、私もお前を信用している」

 そう言って、ファルコンは再び満足そうな表情を浮かべる。生粋の軍人気質であるファルコンと、どちらかと言えば文官タイプのスュクルは、一見すると水と油の性格だが、不思議とウマが合うようで、作戦会議の場などにおいては、少なくとも基本方針のレベルでは、二人の方針が一致することが多い。

「とりあえず、そのロザン一座はちょうど昨日、このクワイエットを通過して、トーキーの村へと向かったらしい。もし、奴の言っていることが本当なら、そのロザン一座の双子の姉妹の身柄を確保することは、今後の回廊突破の鍵を握ることになるだろう。そして、マーチとわが国の中間に位置するトーキー村の領主との関係も、これから先は重要になる。そこで、まずはお前をトーキーに派遣して、そのロザン一座の双子と、トーキーの領主を、お前の弁舌の力で、こちらの味方になるように引き入れてもらいたい。説得でも、威嚇でも、どちらでもいい。有効だと思う手立てで、なんとか奴らにこの街道の浄化に協力させるのだ」
「承知致しました。では、出立の準備を致します」

 そう言って、彼は領主の謁見の間を出て、自身の護衛兵達に動員の令を下す。突然降って湧いたような話に対して、どうにも半信半疑の心境ではあるが、もし、捕虜が言っていることが全て本当なら、一刻も早く行動する必要がある。パンドラがわざわざ街道の「浄化」を率先しておこなうとは考え難い以上、おそらくこの情報には何らかの「裏」がある。それが何なのかは分からないが、少なくともパンドラが何らかの陰謀を企んでいるのであれば、その鍵を握ると思われる双子が混沌繭に近づいている現状を、黙って見過ごす訳にはいかない。
 様々な可能性を考慮に入れつつ、愛用の「気付薬代わりのサルミアッキ」を鞄に入れながら、トーキーへの旅支度を進めるスュクルであった。

1.3. 夢に光る聖印

 こうして、クワイエットからトーキー村に向けて調査・外交師団が派遣されようとしていたその日の夜、そのトーキーの領主であるエディ・ルマンド(下図)は、領主の館の寝室で、奇妙な夢を見ていた。暗闇の中で、見たことのない聖印が光り、そして彼を呼ぶ謎の声が聞こえてきたのである。


「我が預かりし聖印を受け取れ。バルバリウスの末裔よ」

 その声に導かれるように、無意識のまま身体を起こそうとした瞬間、彼は目を覚ました。その声の主が何者なのかは分からないが、一瞬、彼は自分の意思とは無関係に、その声を追ってどこかに向かおうとしていたのである。その理由は分からない。だが、何か得体の知れない大いなる力の存在を感じ取っていた。
 彼は、数年前に死んだ父からこの地を譲り受けた、まだ領主としての経験の浅い若い君主である。年齢は21歳だが、見た目はそれ以上に若く見える上に、よく言えば実直な、悪く言えば馬鹿正直な気性ということもあり、領主としてはどこか「頼りなさ」「危うさ」を感じる側面もあるが、この村を襲う混沌の侵食に対しては、常に最前線に立って民を守るために戦っているため、村の人々からの人望は厚い。
 ちなみに、彼は父だけでなく母も既に亡くしているが、彼の母はマーチ村の領主の親族であり、前述のセシルの母はその妹、つまりセシルは彼にとっての従弟にあたる。そして、夢の中で告げていたバルバリウスという名は、かつてそのマーチ村を救ったと言われる伝説的な領主の名である。母がその領主の末裔の親族であるならば、確かにエディもその末裔ということになるだろう。だが、その「バルバリウスの末裔」であることが、果たして何を意味するのか、この時点でのエディには、さっぱり分からなかった。
 結局、この日の夜は今ひとつ寝付けぬまま、彼は翌朝を迎える。夢の内容が気になるところではあったが、現状でいくら考えても手がかりがない以上、答えが出るとは思えなかったので、彼はいつも通りに身支度を整え、愛馬ロリータの世話をしつつ、今日も領主としての務めをまっとうするため、執務室へと向かう。この日、彼の命運を大きく変える来訪者達が現れることを、この時点での彼はまだ知る由もなかった。

1.4. 山村への招待状

 そんなトーキー村が昼下がりの時間帯を迎えた頃、この村に奇妙な風貌の一団が現れた。ブレトランドを拠点として活動する有名な旅芸人「ロザン一座」の面々である。座長のロザン(下図)は、“神笛”の異名を持つほどの縦笛の名手であり、彼の笛の音色に合わせて、一座の者達が剣舞、演劇、曲芸、歌唱などを披露する、多彩なエンターテイナー集団である(ちなみに、現在グリース子爵に仕えているペルセポネやモッチーナもまた、かつてはこの一座の一員だったことで知られている/ブレトランド戦記第7話第8話参照)。


 そして、この一座の中でも特に名の知れた花形スターが、ミレーユ・メランダ(下図左)とアイレナ・メランダ(下図右)という16歳の双子の歌姫である。彼女達の美声によって紡がれた柔らかなハーモニーは、旅先で多くの人々を魅了し、その名声は小大陸中に広まっており、数ヶ月前にマージャで開催された音楽祭(ブレトランド戦記第6話参照)においても、もし彼女達が出演していたら間違いなく優勝候補だったであろうと言われている(この時は、運悪く一座が大陸に巡業に行っていたため、参加出来なかった)。


 ちなみに、そんな彼女達は、今は無きマーチ村の出身である。幼い頃から天才的な歌唱力の持ち主として村人達の間で話題となり、その評判を聞いて村を訪れたロザンから、ぜひにと頼まれて、彼の一座に加わることになった。だが、皮肉にもその数ヶ月後にマーチの村は混沌災害で崩壊してしまい、帰る場所を失った彼女達は、その悲しみを振り払うかのように歌の技術を磨き、今の名声を得るに至ったのである。
 だが、そんな華やかな一面の裏側で、彼女達はその「歌姫」としてのドレスの下に「ライカンスロープの邪紋」を隠している。マーチ村はもともと(混沌災害が起きる前から)混沌濃度が高い地域で、邪紋使いが発生しやすい土地柄としても有名であり、彼女達もまた子供の頃にその力に覚醒していた。故郷を失った彼女達にとって、ロザン一座の者達こそが実質的な「家族」であり、その家族に危害を及ぼす者が現れた時には、その身を狼の姿に変えて、一座の護衛の者達を率いて戦う。そんな二つの顔を併せ持つ存在だったのである。
 さて、そんな彼女達が今回、故郷の隣村であるトーキー村を訪れたのは、座長のロザン宛に、この村の領主エディの契約魔法師であるジャスタカークから、招待状が届いたからである。相次ぐ災害に苦しむ村の人々を勇気付けてほしいという旨が記されたその手紙を読んだロザンは、ぜひともその想いに応えたいと考え、こうして一座を引き連れて村を訪れることになった。

「では、さっそく、我々を招待して下さった契約魔法師のジャスタカーク様と、この地の御領主様に御挨拶せねばな。お前たちも一緒に来るか?」

 そう言って、ロザンはミレーユとアイレナに問いかけると、ミレーユは妹の気持ちも代弁する形で問い返す。

「よろしいのですか?」
「あぁ、お前たちは隣村の出身だし、領主とは面識もあるだろうからな。一座を代表して挨拶に行く以上、ウチの花形スターを紹介したい気持ちもある」

 実際、彼女達はエディとは面識もある。と言っても、子供の頃にチラッと会った程度なので、その記憶は薄い。ただ、良くも悪くも誠実で馬鹿正直な「あるべき騎士の姿」を志す少年であったと記憶している。そんな彼に対して、少なくとも悪い印象は持っていなかった彼女達は、座長に誘われるまま、領主の館へと向かうことになる。
 一方、領主の館にいたエディは、突然の来訪者に驚いていた。ここ最近、混沌災害が多発するようになってからは、定期的に行き来する商人以外の者がこの地を訪れることなど、滅多にない。実質的に、山岳街道が魔境によって封鎖されているため、「通りすがりの旅人」すら殆ど現れないのが現状なのである。そんな彼に謁見を申し出たロザンに対して、エディはやや訝しげな心境ながらも、素直に対談に応じる。
 こうして、「謁見の間」と呼ぶにはやや簡素な応接室に案内されたロザンは、エディに対して深々と挨拶する。一応、ロザンも過去にこの村で公演をおこなったことはあるが、当時はまだ「先代」の時代であり、エディもロザンも、互いのことはあまりよく覚えていない。

「当一座の座長のロザンと申します。この度は、ジャスタカーク様にお招き頂き、ありがとうございます。さっそく、ご挨拶させて頂きたいのですが、今は何処に?」

 ロザンがそう言うと、エディはやや怪訝そうな顔をしつつ、申し訳なさそうな声色で答える。

「申し訳ございません。その者は、先日、混沌との戦いで、命を……」

 そう、父の代からこの村の領主に支えてきた魔法師のジャスタカークは数日前、この地を襲った投影体との激戦において、村人を守るためにその身を挺して戦った結果、非業の死を遂げていたのである。まだその死はエーラムに届け出たばかりで、代わりの魔法師も派遣されていない状態であった。

「なんと……、それはおいたわしいことです。しかし、この手紙を受け取ったのは、比較的最近のことだったのですが……」

 ロザンはそう言いながら、ジャスタカークから受け取った手紙を広げる。この時、エディがそこに記されていたサインを凝視していれば、この後の彼等の命運は若干異なっていたかもしれない。だが、この時点でエディは、特にその手紙に違和感を感じることはなかった。おそらく、生前のジャスタカークが、自分を驚かせようと思って密かに用意した余興だったのではないか、とでも考えていたのであろう。

「とはいえ、そのような状態なのであればなおさら、ジャスタカーク様の最後の御意思を叶えるためにも、我々にこの地で芸を披露する許可を頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それは全く構いません。よろしくお願いします」

 こうして、ひとまずのお墨付きを得たロザン一座の人々は、さっそくテントを張り、舞台を設営して、公演の準備を始める。その準備の様子を見て、村人達が集まり始めたところで、ミレーユとアイレナが、挨拶代わりに揃って歌を披露し始める。それは、一座に入ってから習った、大陸伝来の民族音楽であった。

「おぉ、なんと美しい……」
「あの娘達って、たしか、隣村にいた娘よね?」
「こんな綺麗な歌声を聴かせてくれるようになるなんて」

 次々と村人達が彼女達の周囲に集まり、魔物の襲撃に怯えていたその表情が、次々と笑顔に変わっていく。久しぶりに訪れたこの中央山脈に響き渡る彼女達の音色は、どうやら一瞬にして村人たちの心を掴んでしまったようである。

2.1. 西からの刺客

 一方、ケイからマーチ村へと向かっていたSFCは、混沌繭の生糸が張り巡らされた「魔境の中心領域」へと足を踏み入れつつあった。様々な方向から行く手を阻む生糸を器用に乗り越えながら進む彼女の瞳には、その道の所々に、生糸が丸く集積することで作られたいくつかの「投影体が内部で眠っていると思しき繭」が映る。それらにも触れぬよう気を配りつつ、彼女は着実に一歩一歩進んで行く。

「アクションゲームは得意だからね。カービィとか色々やってるし」

 そんな独り言を呟きながら、かつてマーチ村があったと思しき廃墟の領域へと足を踏み入れようとした瞬間、ふと背後に、何者かの気配を感じる。しかし、その気配の主が誰なのかを確認する前に、彼女の首筋に、背後から短剣が突き付けられた。突然の出来事に動揺する彼女に対して、その短剣の主は少年のような声で、こう問いかける。

「お前は、幻想詩(ファンタジア)か? それとも大工房(ファクトリー)か?」

 幻想詩連合(ファンタジア・ユニオン)と大工房同盟(ファクトリー・アライアンス)。それは、この世界を二分する国家連合である。ブレトランドにおいては、ヴァレフールは前者、アントリアは後者に属しており、ケイの武官であるSFCは、客観的に見れば前者に属する立場なのだが、それに対する彼女の答えは、彼にとっては少々想定外の内容であった。

「幻想詩も大工房もどうでもいい。私にとって大切なのはセシル様だけだ。邪魔をするな!」
「セシル……? お主は、チェンバレン家のセシル殿の部下か?」

 セシルという名自体は、それほど珍しくはない。だが、ケイとマーチを結ぶこの街道でその名を挙げたことから、この「短剣の主」の中では、それが何者なのか類推できたようである。そして、ヴァレフールのチェンバレン家ゆかりの者であるということが分かった時点で、彼はその刃を収める。

「私はグリースのコーネリアス。この地で不穏な動きを見せる者達がいるという噂を聞き、調査のために訪れた次第だ」

 そう言って、その短剣の主はSFCの前にその姿を現す。体格的にはセシルよりも小柄で、どう見てもただの子供にしか見えないが、実はこの少年は、先代トランガーヌ騎士団長の息子にして、現在はグリース子爵領における最凶の暗殺者(シャドウ)として名高いアトロポス駐在武官コーネリアス・バラッド(下図)である。彼は、自分の父を殺したアントリアのダン・ディオードと、彼を支援する白狼騎士団を初めとする大工房同盟の者達に対して、強い敵愾心を抱いている(詳細は ブレトランド戦記 参照)。もしSFCが大工房同盟側の人間であれば、迷わずこの場で斬り捨てていたであろう。


 現在、彼が所属しているグリース子爵領とは、数ヶ月前に中央山脈の西側に出現した新興国家である。その首都ラキシスは、かつてはマーチ村と街道で繋がっていたのだが、7年前にマーチの混沌災害に先んじて発生した火山の噴火を起因とする地殻変動により、今ではその街道は完全に崩壊し、断片的な獣道程度の痕跡しか残っていない。故に、普通の人間であれば、グリース方面から山脈東南部の街道まで足を運ぶことなど、ほぼ不可能なのであるが、このブレトランドでも有数の実力を誇るシャドウの邪紋使いである彼にとっては、その気になれば「道なき道」を乗り越えて進むことなど、それほど難しい話ではない。

「お主が幻想詩の者であれば、ここで争う必要はない。お主はここへ何しに来た?」
「だから、セシル様を探しに来たのだ」
「何!? セシル殿がこの奥にいるのか? それは、何者かに連れ去られたということか?」

 この瞬間、コーネリアスの脳裏には、数ヶ月前に中央山脈の反対側で起きたトランガーヌ子爵家のジュリアンの誘拐事件が思い起こされていた(「ブレトランド戦記」第7話参照)。だが、そんなことをSFCは知る筈もなく、彼女は自分の中に埋め込まれた情報に基づいて独り言を呟き始める。

「セシル様がこの奥にいるということは、これは闇堕ちしたセシル様と戦うフラグ……。このままではまずい。装備を整えないと」
「なんと、セシル殿は、もう既に自我を失った状態ということか?」
「え? そうなの?」

 基本的に、SFCの周囲の者達は、彼女の意味不明な発言はスルーする慣習が身についてしまっているため、このようにまっとうなリアクションで返されることに、どうやら彼女は慣れていないらしい。故に、どうにも会話が噛み合わない二人ではあったが、とりあえず、コーネリアスにとっての「友好国」であるヴァレフールの要人の息子が危険な状態にあると聞いた以上、彼としてはこのまま黙って見過ごす訳にはいかなくなった。

「ここから先は、我が国の領域でも、ヴァレフールの領域でもない。故に、足を踏み入れることに関しては、どちらかに優先権がある訳でもなかろう。とりあえず、何かよからぬ陰謀が展開されているのなら、私も同行させてもらおうか?」

 コーネリアスがそう言うと、SFCは無言で頷く。そして彼女の視界の下の方では「コーネリアスが仲間に加わった」という文字が(彼女にしか見えない形で)表示されていたのであった。

2.2. 異界の聖堂

 こうして、奇妙な形で同行することになった二人は、やがてマーチ村の廃墟の領域へと足を踏み入れる。既に陽は落ち、月光だけを頼りに進む中、その月光に照らされた純白の生糸が、放置された家屋の跡地を結ぶように張り巡らされ、その途中で幾つもの繭を形成しているのが目に入る。繭の大きさはまばらだが、その大半は、人間サイズの生き物を収納する程度であり、ここに来るまでの間にいくつか目にした繭に比べると、やや小型に見える(それでも、本来の蚕などの繭とは比べものにならないほどの大きさなのだが)。
 そんな中、その村の一角に、奇妙な建築物が立っているのが目に入る。その規模は、SFCの住むケイの領主の館よりも遥かに巨大で、八角形の屋根の上に、黄金の玉葱のような形の装飾物が光っている。それは、このブレトランドの伝統的な建築様式とは明らかに異質の構造であり、混沌に侵食されて何年も放置されたままの荒廃した村の内部の廃屋とは異なり、あまり傷ついた様子もないため、村が崩壊した後に建てられたとしか思えないが、その規模から察するに、一朝一夕で建てられるような代物ではない。既に人が住んでいない筈のこの地で、いつの間にこのような建物が築かれたのか、SFCもコーネリアスも、皆目見当がつかなかった。
 だが、SFCは、この建物に見覚えがあった。この特徴的な構造は、かつて彼女が作られた世界に存在していた、有名な建築物そのものだったのである。それは、彼女を生み出した島国において、当初は武道の振興のために作られ、後にコンサートやじゃんけん大会の会場としても用いられることになった伝説の聖堂「日本武道館」である(ちなみに「全日本プロレス2 3・4武道館」というソフトは実在するが、彼女がそれを使ったことがあるかどうかは不明)。
 なぜ、この建物がこんな山奥の廃村に存在するのか、この時点での彼女には全く理解できなかったが、そんな彼女達の前に、一人の魔法師風の男が姿を現す(下図)。


「おや、これはまた珍しい。こんな夜更けに客人とはな」

 長い黒髪を夜風になびかせた、左右異なる色の瞳のその男は、そう呟きながらゆっくりと二人に近づき、そしてSFCの装束を確認すると、再び口を開く。

「その装束……、そういえば昔、クライン殿から聞いたことがある。異界の『ゲーム機』なるものの擬人化体をこのブレトランドで見た、と言っていたな」

 SFCは、かつてパンドラの大物であるクラインに助けられたことがあるのだが、そのことは彼女の記憶にはないし、その名に聞き覚えはない。だが、コーネリアスの方は、パンドラの要人としてのクラインのことは噂程度には知っているようで、その名を聞くと同時に身構える。数ヶ月前のジュリアン誘拐事件の時にもパンドラが関わっていたことは、彼の中では記憶に新しい。

「それで、この地に何用かな?」
「ローラ姫を探しに来たら、こんな所にまで来てしまいました」

 どうやら、SFCの言語中枢には「ローラ姫」という言葉は、「助けなければならない大切な存在」の代名詞としてインプットされているらしい。常人であれば、そんなことが理解出来る筈もないが、この「パンドラの魔法師と思しき男」は、異界からの投影体の取り扱いに慣れているのか、彼女の言いたいことが概ね理解出来たようである。

「ほう、なるほど。つまり、貴殿にとっては、姫のような存在ということか」
「ペットと飼い主のような関係です。あ、ちなみに、私がペットです」

 そんなやりとりを目の当たりにしつつ、この女に任せていては話が進まないと思ったコーネリアスが、二人の会話に割って入る。

「この奥に、ケイの領主の御子息であるセシル殿がいるのではないのか?」

 そう問われた魔法師風の男は、鋭い眼光をコーネリアスに向けながら答える。

「確かに、セシル殿は今、この建物の中にいる。しかし今、セシル殿は誰にも合わせる訳にはいかない。セシル殿はここで、この地を浄化する力を得るための『訓練』の最中だ」
「訓練とは、どういうことだ? そもそも、お前は幻想詩なのか? 大工房なのか?」
「私は、どちらでもないよ。ただ、今回に関して言えば、どちらかと言えばアントリア寄りの立場、ということになるのかな」

 「アントリア」と聞いて、コーネリアスが黙っていられる筈がない。彼は瞬時にその魔法師に向かって斬りかかろうとするが、彼の刃が魔法師に届くよりも早く、その魔法師の手から放たれた衝撃波によって、コーネリアスは遥か遠方にまで吹き飛ばされてしまった。暗闇の中、その飛ばされた先に何があるのかは分からないが、山道の下の方まで転げ落ちていく音が聞こえる。

「スターウォーズだ!」

 そんな意味不明な驚嘆の声を上げつつ、SFCはこの魔法師の実力に脅威を感じる。前述の通り、コーネリアスはこのブレトランドでも指折りの実力を持つシャドウの邪紋使いであり、そのことは、他者の戦闘力をパラメーター化して認識することに長けている彼女には十分理解出来ていた。その彼を、たった一撃の衝撃波で視界の奥にまで吹き飛ばしてしまったこの魔法師が、もはや彼女のスカウター能力では計れないレベルの存在であることもまた、彼女は直感的に理解していたようである。

「すまないが、もうしばらく待ってもらえないかな。我々の手で、彼は立派な君主に育ててみせる」

 魔法師の男はSFCに向かってそう言うが、さすがにこんな胡散臭い人物の言うことを、そのまま信じる気にはなれない。彼女はこのようなシチュエーションにおいて用いるべき最短の言葉で答える。

「いいえ」
「納得できない、ということか?」
「はい」

 コマンド選択の要領でそう答える彼女に対して、魔法師は力付くで排除することも出来たが、それは彼の本意ではなかった。コーネリアスのように、問答無用で襲いかかってくる相手に対しては、強引に対処せざるを得ないが、生かしておくことで有効活用出来る可能性がある相手に対しては、無闇に力で解決しようとはしない。それが彼のポリシーであった。

「まぁ、セシル殿を我々に預けるのが不服というのであれば、代わりになる人材を連れて来てくれれば、それでもいい」

 そう言って、彼は東の方面に目を向けながら、SFCに対してこう提案する。

「トーキー村の領主、エディ・ルマンド。彼でもセシル殿の代わりは成り立つ。むしろ彼の方が、即戦力としては役に立ちそうだ」
「なら、最初から、そっちをさらってきなよ」
「さらったとは、人聞きが悪いな。セシル殿は、この村の混沌繭の中で眠る『四百年前の英雄』の声を聞いて、それに呼応しただけだ。エディ殿にもその声は聞こえていたと思うのだが、残念ながら、応えてはくれなかった」

 この魔法師が言っていることが今ひとつ理解出来ないSFCであったが、とりあえず、気になる点について確認してみようとする。

「あなたが直接頼みに行く訳にはいかなかったの?」
「今現在、我々は既にセシル殿の訓練を始めてしまっている。私はこうして外の見張りをしなければならないからな。人手が足りないのだよ」
「じゃあ、もう一つ質問。これは、メインイベントなの? サブイベントなの? それによって、どこまで全力を尽くすべきかは変わってくるんだけど」
「私にとっては、分岐イベントの一つだ。君にとってセシル殿を連れ帰ることが、メインイベントなのか、サブイベントなのかは分からない」

 SFCの独特の言葉遣いに対して、なぜかこの魔法師は妙に理解力があるようで、(噛み合っているかどうかは微妙だが)かろうじて会話は成り立っているようである。もしかしたら、彼自身、既にどこかで他のタイプの「ゲーム機の擬人化体」と出会ったことがあるのかもしれない。

「じゃあ、セシル様が本当に無事なのか、その『修行』の様子を見せて」
「……まぁ、いいだろう。では、この『窓』を開こうか」

 彼はそう言うと、SFCの目の前に、巨大な「画面」が広がる。武道館の内部に設置された映像記憶装置の内容を、この魔法師が作り出した即席の「壁」に映し出したのである。通常の人間であれば驚愕する技術であるが、映像技術の申し子であるSFCにとっては、さほど珍しい光景ではない。
 そして、そこに写っていたのは、女魔法師らしき人物(下図)と、そしてセシルの姿である。前者の周囲に、いくつかの小さな混沌核が現れては、それをセシルが自らの聖印の力で浄化・吸収する、という行為が繰り返されていた。


 セシルの聖印は、父であるガスコインから「後継者の証」というシンボル的な意味で受け取った従属聖印であり、その規模は従騎士クラスにも満たない程度だった筈なのだが、この作業を通じて、少しずつ彼の聖印は成長しているように見える。そしてセシルの表情は、何かに操られている様子でも、脅されている様子でもない。むしろ、日頃の「玩具状態のSFC」で遊んでいる時のような、生き生きとした様子に見える。

「なるほど、レベルアップのための狩場での経験値稼ぎか」

 そう考えると、彼女の中で、特に反対する理由もない。セシルが生き生きと今の状況を楽しんでいるようなら、彼女としてはむしろ、彼をこのままサポートしてやりたい気持ちもある。

「じゃあ、私はこの地でセシル様のお世話をさせてもらいます」

 そう言って、武道館の中に入って行こうとすると、魔法師が止める。

「悪いが、そういう訳にはいかない。今は修行に専念してもらいたいのでな」
「なぜですか!? 私にはセシル様が必要なんです。セシル様がいなくなったら、誰が私をプレイするんですか? セシル様ほど、私を深くやりこんで、裏技やバグまで発見してくれる人は、他にいません!」

 どうやら、セシルと彼女は、かなり強固な共依存関係にあるらしい。そして、そのことを悟った魔法師は、なおさら彼女を会わせる訳にはいかないと判断したようである。せっかく、訓練に精を出してくれているのに、今ここで別の娯楽を与えてしまっては、彼の集中力が鈍ることになりかねない。

「セシル殿の訓練には、まだもうしばらく時間がかかる。身体そのものが未成熟な分、聖印の力だけでも鍛えておかなければ、混沌を吸収する際に耐えられなくなりそうだからな。それまで待てないというのなら、代わりにトーキーの領主を連れてくることだ」
「……分かりました。シナリオ上、それしか道はないということですね」

 そう言って、SFCは一刻も早くセシルに自分で遊んでもらいたいという願いから、ひとまずトーキーの村へと向かうことを決意する。エディはセシルの従兄であり、SFCも彼とは面識がある。その際に、彼もまた「玩具」としての自分の価値に一定の理解を示してくれていたので、きっと彼であれば、セシルを解放するために協力してくれるであろう。彼女はそう信じて、暗い闇夜の中、月光に照らされながら、山岳街道を東へと向かうことになったのであった。

2.3. 外交官と小領主

 そして翌朝、そんな彼女よりも一足先に、反対方向からトーキー村に、スュクル率いるアントリアの軍勢が到着した。少数とはいえ、隣国の軍勢が村を訪れたことに対して、村人達の間では静かな動揺が走る。覇権国家として知られるアントリアだが、旧トランガーヌ子爵領崩壊後のトーキーに対しては、良くも悪くも「不干渉」の姿勢を続けていた。その気になればいつでも制圧できる状態ではあったが、対ヴァレフール戦に全力を注がなければならない状態において、混沌災害に見舞われているトーキーをその領国に加えることは、アントリアにとってプラスよりもマイナスの方が大きい、というのが、中央の官僚達と現場の軍人達の共通見解だったのである。
 それ故に、村人達の間では、主家であるトランガーヌ子爵の聖印を奪った上に、苦境にいる自分達を放置しているアントリアに対して憎悪の感情を抱く者も多く、領主であるエディ自身も、クワイエットの領主ファルコンに対しては内心では敵愾心を抱いていたが、現実問題としてクワイエットを封鎖されるとトーキーは完全に「陸の孤島」と化してしまうため、少なくとも表面上は、アントリア(クワイエット)に対しても友好的な態度で付き合わなければならない、そんな関係であった。

「領主のエディ殿にお目通りを願いたい」

 スュクルは村の入口で衛兵に対してそう告げると、その旨はすぐにエディに告げられる。突然の隣国(強国)からの訪問者に対して、エディは内心で不安に思いながらも、ひとまず会って話を聞いてみようと考え、スュクルを領主の館まで連れてくるように伝える。
 思いの外あっさりと会談を許可を得たスュクルは護衛の兵達と共に、村人を刺激しないように注意しながら領主の館へと向かうが、その途上、ロザン一座の者達が公演の準備をしている様子が視界に入り、その中に「双子らしき女性」がいることも確認する。どうやら、パンドラの捕虜が言っていたことは、少なくとも全くの荒唐無稽な話という訳ではないらしい。館の前に着くと、スュクルは兵達を外に残したまま、単身で応接室へと向かい、そして領主と対面する。

「ご無沙汰しております、クワイエットのスュクルです」
「お久しぶりです。トーキーの領主、エディ・ルマンドです。今日は、どのようなご用件で?」
「今後の我が街との関係のあり方と、マーチ村を覆う混沌を浄化する方法について、少々お伺いしたいことがございまして」
「マーチ村の混沌を浄化? それは一体……?」
「それは国家の機密に関わることですので、我々にご協力頂けるという約束を頂けるなら、お話したいと思います」

 スュクルとしては、この情報を伝えることで、逆にトーキーがヴァレフールにその情報を流す可能性もある以上、そう易々と話す訳にもいかない。一方、エディにとってもマーチ近辺の魔境の浄化は悲願であり、そのための協力者は喉から手が出るほど欲しいというのが本音であるが、そのためにアントリアと手を組むことに対してはやや抵抗がある。これまで国策的な理由で放置され続けていたこの地に対して、あえて今頃になって手を差し伸べてきたということは、その裏に何らかの思惑があると考えるのが自然である。
 とはいえ、先日の戦いで契約魔法師であった忠臣ジャスタカークを失ってしまったエディとしては、もし次に本格的な投影体による襲撃があった時に、今の村の戦力だけで村を守りきれる自信はない。ならば、むしろ毒を以って毒を制す覚悟で、アントリア軍を利用することも視野に入れるべきなのではないか、という気持ちもある。

「御配慮頂き、ありがとうございます。そういうことであれば、まずはマーチ村の実態調査のために、我が村も協力しましょう。その後のアントリアとの協力体制については、その実態が明らかになった後に改めて、ということで構いませんか?」
「そうですね。では、その作戦を実行するため、これからクワイエットに増援部隊の派遣を要請し、トーキーに駐留させることの許可を頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 現実問題として、もし本格的な混沌災害や巨大な投影体の出現といった事態に遭遇した場合、現状のトーキーの戦力だけでは太刀打ち出来ない。その意味で、この提案は至極まっとうな申し出のようにも見えるが、それを口実にトーキーを長期的に軍事占領される可能性もある。エディの中では、主家であるトランガーヌ子爵家が混乱状態にある今(「ブレトランド戦記」参照)、中立の独立勢力であることにそれほど強いこだわりがある訳ではないが、覇権国家アントリアの支配下に置かれることに対して、領主としては警戒心を捨てることは出来ない。
 だが、仮にこれを断った場合、逆にアントリアが強硬手段に出る可能性もある。そうなった場合、トーキーにはそれに抗うだけの武力はない。ならば、どちらにしてもアントリアとは「良き隣人」の関係であり続ける以外の選択肢が現状で存在しない以上、ここはひとまず、アントリアが(少なくとも表面上は)友好的な態度を見せている今の段階で、彼等の戦力を利用する方向で妥協した方が得策かもしれない。

「分かりました。では、この問題が解決するまで、アントリア軍の駐留は認めましょう。私も一緒に調査に行くのであれば、その間に村を魔物から守る戦力は必要ですし」

 こうして、アントリア(クワイエット)とトーキーのそれぞれの思惑が交差する中、着々と両陣営の協力体制に向けての下準備が進められていった。外交官として難題に取り組むことになったスュクルとしては、ひとまず、トーキーの領主が「話が分かる人物」であることに安堵しつつ、彼の出方を見ながら、ここから先の計画に向けての思案を巡らせていく。だが、そんな中、彼等にとって想定外の事態が、このトーキーで発生することになる。

2.4. 妖魔の襲撃

 領主の館でエディとスュクルの間での外交交渉が展開されている頃、ロザン一座の舞台の袖で出番を待っていたミレーユとアイレナは、村の西方から、何か異様な者が近付いてくる気配を察知する。二人は互いに目を合わせ、同じものを感じていることを確認すると、ロザンにその旨を報告する。

「座長、この村に、混沌の気配が近付いてきています」
「何だと!? それはまずいな。ミレーユ、お前はすぐに領主様にそのことをお伝えしろ。アイレナは、他の者達と一緒に、村を守る準備を」
「分かりました!」

 二人は同時に答えると、ミレーユは舞台用のドレスを着込んだまま、全力で領主の館へと駆け抜ける。狼のライカンスロープである彼女の足は、通常の人間よりも遥かに速い。瞬く間に館にたどり着いた彼女は、入口の衛兵に事情を説明すると、すぐに応接室へと向かった。

「大変です、領主様。村の西方から、魔物の気配が!」

 突然現れた舞台衣装のミレーユに驚くエディとスュクルであったが、そう聞かされた以上、すぐに現地に向かうしかない。エディは側近の騎馬兵達を、スュクルはクワイエットから連れてきた護衛の盾兵達を引き連れて、ミレーユと共に西方に向かうと、そこには確かに、ティル・ナ・ノーグ界からの投影体であるゴブリン達の集団が、村に向かって押し寄せようとしている姿があった。
 既にロザン一座の護衛兵達を率いて臨戦態勢を整えていたアイレナと合流したミレーユは、即座にアイレナと共に、ドレスの下に隠した邪紋の力を発動させる。すると、彼女たちの手足が獣のような姿に変わり、手の先に鋭い爪が伸びていく。

(あの姉妹、邪紋使いだったのか!)

 スュクルはその様子に驚きながらも、彼女達が飛び込むよりも前に、まずは目の前で展開していた中央のゴブリンの一団に対して、ライトニングボルトを打ち込む(この魔法は術者本人から一直線上に放たれるため、射線上に味方がいる状態では放てない)。この先制の一撃で、ゴブリン達の隊列が乱れると、それに続けて、愛馬ロリータに乗ったエディ率いる騎馬兵達が左側の部隊に対して、ミレーユとアイレナに率いられた一座の護衛兵達が右側の部隊に対して、それぞれ特攻を掛ける。投影体の中でも下級の存在と言われるゴブリン達は、彼等の猛攻の前に、次々と崩れ落ちていく。
 だが、そんなゴブリン集団の背後で、密かに呪術を放とうとしているゴブリンがいた。ゴブリンの中でも特別に高い知性を持つ、ゴブリンシャーマンと呼ばれる個体である。しかし、彼が後方から何かを放とうとしたその瞬間、更にその後方から、彼に向かって襲いかかる者が現れた。
 SFCである。夜通しで街道を東進していた彼女が、ようやく念願のトーキーの村にたどり着こうしたまさにその瞬間、村がゴブリン達に襲われている場面に出くわしたのである。同じ投影体といえども、人間に対して敵対する性分のゴブリンは、彼女にとっては迷うことなく討伐すべき「敵」である。本来は画面上の存在を動かすために作られた玩具としての棒状の武器を振り上げて、彼女はゴブリンシャーマンに襲いかかる。突然の奇襲を受けたゴブリンシャーマンは混乱したまま撤退しようとするが、そこにスュクルから追い討ちのエネルギーボルトを放たれて、その場に倒れこんで絶命する。
 こうして、どうにか無事にゴブリンの集団を撃退したエディ達であったが、スュクルの目には、まだもう一体、警戒すべき存在の姿が映っていた。

「そこの奇怪な姿をした貴様、何者だ!?」

 そう言いながら、SFCに対して魔法を打ち込む構えを見せるスュクルに対して、彼女は素直に答える。

「私はケイの領主の御子息であるセシル様に仕える者です。天空の勇者であるエディ殿にお願いしたいことがあり、この地に参りました」

 「ケイ」と聞いた瞬間、スュクルの警戒心が更に強まる。宿敵ヴァレフールの者がこの地に現れたとなると、事態はかなり厄介である。出来ればすぐにでも排除したいところだが、その動きをエディが制した。

「あの者は、私の縁者であるセシルの側近です。ご安心下さい」

 エディとセシルは従兄弟ということもあり、過去に何度も会ったことがある。エディとSFCが会ったことは過去に一度しかないが、それでも、ここまで特異な風貌の人物であれば、忘れる筈もない。そして、そんな彼女がわざわざ危険な中央街道を突破してまでこの地を訪れたということは、何か緊急事態が起きているということは、エディにも容易に想像出来た。

(少々、厄介な事態になりそうだな)

 スュクルは、ヴァレフールからの介入者に対して内心そう思いつつ、この時点で騒ぎを起こすわけにもいかない以上、ここは素直に彼女を受け入れた上で、話を聞くことにしたのであった。

2.5. 深まる謎

「まずは、これをご覧下さい」

 そう言って、SFCは自らの体を「玩具」状態に変え、その一部である「画面表示装置」のところに、彼女がマーチ村で遭遇した魔法師との一部始終を音声付きで再現する。その謎の異界の技術に対して、その場にいた者達は驚きの表情を浮かべるが、そんな中、既に彼女のその姿を見たことがあるエディは、その映像の中に「見知った人物」がいることに気付く。

「これは……、シアン殿?」

 エディの記憶が正しければ、SFCの前に現れた魔法師の名は、シアン・ウーレン。パンドラの闇魔法師である。以前、エディがトーキー近辺に現れた魔物を倒すために討伐隊を率いて出陣した時に、山中に突然現れたシアンが、一瞬にして強大な魔物達を撃滅する場面に出くわしたことがあり、その時以来、エディは彼のことをライバル視すると同時に、この地の魔物を倒す彼のことは(その正体がパンドラの闇魔法師であることを知った上で)同志とみなすようになっていた。
 一方、スュクルとミレーユは、映像の冒頭で、そのシアンに向かって切りかかっていった「小柄な黒装束の少年」の声に聞き覚えがあったが、SFC視点からだったこともあり、その顔がはっきりとは映っていなかったため、それが誰かまではこの時点では特定出来なかった。だが、いずれにしてもスュクルの中では、「ヴァレフールの領主の息子が、この地を浄化するための力を得るために、パンドラと思しき魔法師達の訓練を受けている」という状態は、極めて危険な事態に思えた。シアン自身は映像の中で「どちらかと言えばアントリアの味方」と言っていたが、今の時点でその発言が真実と思える要素は何一つ見つからない。

「エディ殿、お願いします。セシル様をお救いするために、一緒に来て下さい」

 そう懇願するSFCに対して、エディは二つ返事で答える。

「セシルは私にとって家族も同然。まだ幼い彼に、そのような重責を担わせる訳にはいかない」

 この時点で、エディの中では既にある程度の予想がついていた。二日前に彼の夢の中で聞こえてきた声が、おそらくシアンが言うところの「四百年前の英雄の声」であり、おそらくは(自分と同じ「バルバリウスの末裔」である)セシルもまたその声を聞いた上で、マーチへと向かったのであろう。なぜ、それをシアンが手助けしているのかは分からなかったが、いずれにしても、自分の代わりに幼いセシルが危険な行為に手を出そうとしている現状に対して、黙っている訳にはいかなかった。
 一方、この事態に対して困惑していたのはスュクルである。ファルコンが入手した情報によれば、この街道の魔境を除去するための「巨大蛾の羽化」のために必要なのは「ロザン一座の双子」の筈なのだが、この投影体の少女の映した映像を見る限り、「この地を浄化する力」を持つのは、「ケイの領主の息子」か「トーキーの領主」であるという。この映像に映っている魔法師の言っていることと、巨大蛾の羽化の計画が連動しているのかどうかも分からないが、ここまでの情報を整理する限り、最悪の場合、ヴァレフールとパンドラが手を結んで巨大な陰謀を企んでいる可能性もある。
 こうなると、パンドラの陰謀を利用して山岳街道の通行権を確保するどころか、逆にヴァレフール側が巨大な混沌の力を用いて逆にこの山岳街道を制してしまうかもしれない。しかも、このエディの反応を見る限り、状況によっては、その企てにトーキーまでもが加わる可能性もありうる。アントリアとしては、何としてもそれは食い止めなければならないが、今、この地に連れて来ている軍勢は彼の護衛の盾兵のみであり、力付くでエディを止められる状態ではない。そして、エディはすぐにでもマーチに向かってしまいそうな状態である以上、クワイエットからの援軍を待つ余裕も無さそうである。
 この状況においてスュクルが出来ることは、彼らに協力する体裁を取りつつ、エディがパンドラやヴァレフールに手を貸すような事態を避けるように誘導していくことしかない。その状況を踏まえた上で、彼にはまず、確認すべきことがあった。それは、今のこの戦いで彼等と共にゴブリンを撃退した「双子の姉妹」の正体である。現状、目の前でマーチ村の混沌の浄化に関する話が交わされているにもかかわらず、この双子は、その内容に興味を示しながらも、積極的に会話に入って来ようとはしていない。この様子を見る限り、彼女達には「マーチの混沌を除去する上での鍵となる人物」としての自覚が無いか、仮に何かを知っているとしても、それを表に出せない状態のようである。
 そうなると、まずは彼女たちの「保護者」に確認してみるのが得策であろう。そう考えた彼は、ひとまずエディに一通りの事情を伝えた上で、ミレーユとアイレナを通じて、ロザンとの会話の機会を設けてもらうことにした。ミレーユとアイレナは、その意図がよく分からないまま、素直に自分達の「保護者」にその旨を伝えるのであった。

2.6. 村の守護神

 こうして、ロザンは領主の館に再び出頭し、応接室に案内された。状況を整理するために、マーチの現状を目撃しているSFCには同席させたが、スュクルの要望により、ミレーユとアイレナはこの場には呼ばなかった。もし仮に、彼女達に「巨大蛾を羽化し、操る能力」があることを座長が知っていて、彼女達自身が知らないのだとしたら、それは何らかの「聞かせたくない理由」が座長の中にある、ということになる。だとすれば、ここで彼女達を同席させる訳にはいかない。
 とりあえず、スュクルが、あの双子に魔境を浄化する力があるのではないか、という仮説をロザンに話すと、彼は重々しく口を開いた。

「マーチ村の人々は『あの二人の歌声には、この村の守護神を蘇らせる力がある』と言っていました」

 その「守護神」なるものが何者なのかは聞かされていないらしいが、村から二人を連れて行く時点で「もし今後、村に危機が訪れた時には、その二人を連れ戻すように」と頼まれていたらしい。だが、実際には、彼女達が村を去った数ヶ月後に、突然の混沌災害によって、彼女達を村に返す間も無く、村は壊滅してしまった。このことは、ロザンの中でもかなり重い過去のようで、その表情は暗い。そして、当の二人は自分達にそのような力があるという事実を聞かされておらず、彼女達の両親からも「二人にはそのことは伝えないように」と頼まれていたらしい。
 この時点でスュクルが入手している情報が全て正しいと仮定するならば、村人達が言っていた「村の守護神」とは、巨大蛾である可能性が高い。だが、その復活(羽化?)のための具体的な方法を知る者は、もはや誰も生き残ってはいないようである。もし、パンドラだけがその情報を入手していた場合、現状ではパンドラを出し抜く形での巨大蛾の羽化を実現することは難しい。
 こうなると、スュクルとしては、あの双子をマーチに連れて行くことは危険であるように思えた。仮に、双子を説得して、アントリアに有利になるような形で巨大蛾を利用するように促すことが出来たとしても、当の彼女達がその方法を知らないのであれば、パンドラの言いなりにならざるを得ない可能性が高い。

「座長殿、我々はこれから、マーチ村に調査に行きます。あの二人は村には近付けないようにお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 スュクルにそう言われると、ロザンも素直に同意する。彼としても、あの双子を危険な目に遭わせるのは本意ではない。とりあえず、今日の時点で既に陽は落ちかかっているので、明日の朝になったら、エディ、スュクル、SFCの三人がマーチ村に行くのと同時に、彼等一座は村を去り、クワイエット方面に移動する、ということで、彼等の方針は一致した。
 それにしても不可解なのは、なぜマーチ村の人々は、そのような「村の守護神」を復活させる力を持つ彼女達を、あっさりとロザンに預けたのか、という点である。この謎を解く手がかりを持つ人物は、実は既にこの村の中にいたのであるが、この秘密会議に参加した者達は、誰もその事実を知らなかった。

2.7. 夢に響く唄

 その日の夜、ミレーユは夢を見ていた。夢の中で、彼女の耳には、不思議な唄が聞こえてきた。聞き覚えがあるような、初めて聞くような、懐かしいような、新鮮なような、なんとも形容し難い旋律と、古代の言葉か、あるいは異世界の言語のような、奇妙な響きの歌詞。その唄は、夢の中で彼女がどこに行っても彼女の耳から離れず、彼女の魂の奥底に入り込んできた。誰が歌っているのか、何のために聞かされているのかも分からない。そんな不可思議な状況に不気味さを感じつつ、最後までその正体が分からないまま、彼女は寝覚めの悪い朝を迎えた。
 ふと横を見ると、隣で寝ていたアイレナも、同じような寝覚めの悪い表情を浮かべている。ただ、ミレーユとは異なり、アイレナの表情は、どこか「何かを悟っている様子」のようにも見えた。

「ミレーユ、あなたも『唄』の夢を見たの?」
「うん、あなたも?」

 アイレナは静かに頷きつつ、真剣な表情で、ミレーユに語りかける。

「私、あの唄のこと知ってるの。昔、お父さんとお母さんが話していたわ。あの唄を、私達に歌わせてはいけない、って」

 そう言って、アイレナは子供の頃に偶然聞いてしまった「村人達と両親の会話」について話し始める。それは、ミレーユにとっては全く初耳の話であった。


 彼女達の故郷であるマーチ村には、巨大な「蛾」の姿をした守護神がいるらしい。その守護神は、日頃は「幼虫」の形状で領主の館に眠っているが、この村が危機に陥った時には、「成虫」としての「巨大蛾」の姿となり、この村を全ての混沌から守ってくれるという。
 ただ、その巨大蛾自身も混沌によって作られた「投影体」であり、幼虫から成虫への「羽化」のためには、混沌の力を高める必要がある。そのためには、巨大蛾に自らの心を同調させた上で、その力を増大させるための「唄」が必要らしいのだが、過去にそれを試みた歌い手達は、いずれも歌い終わる前に混沌の力に飲まれてしまい、暴走状態となって、人としての心も身体も失ってしまったという。
 それ故に、その「羽化のための唄」を歌うことは、長らく禁じられてきた。ところが、そんな村にミレーユとアイレナという「美しい歌声の双子」が生まれたことで、村人達の一部に、ある「仮説」を唱える者達が現れた。

「双子で同調して歌えば、身体に流れ込んでくる混沌の力がそれぞれに半減され、暴走状態となることなく羽化を達成出来るのではないか?」

 当時の領主の契約魔法師はこの仮説に対して、それが実現出来る可能性はあるものの、確実と言える根拠はない、という見解を示していた。それ故に、彼女達の両親は、娘達にその「禁じられた唄」を歌わせてみようとする村人達の提案を頑として断った。たとえそれが村を守るために必要なことであっても、自分の娘達を危険な「賭け」に晒すことは避けたいと考えていたのである。


 そして、アイレナがこの話を聞いた数ヶ月後、ロザンがこの村を訪れ、そして二人を一座に加えたいと言い出した時、村の者達が反対する中、両親はあっさりとその提案を受け入れた。今にして思えば、おそらくそれは、このまま村に自分の娘達を残しておけば、その危険な「唄」を歌うことを強要されるかもしれない、という危惧だったのだろう。それよりは、村を離れて自由に生きてほしいと、彼女達の両親は願っていたようである。

「この村の領主様達は、これからマーチ村に調査に行くと言ってたわ。もしかしたら、私達の唄の力があれば、私達の故郷を取り戻せるかもしれない。失敗する危険もあるかもしれないけど……、どうする?」

 そう問いかけるアイレナであったが、ミレーユの中では、既に心は決まっていた。

「行きましょう。私達の力でどうにか出来る可能性があるなら、迷う必要はないわ」

 ミレーユの最も嫌うこと、それは優柔不断な態度である。自分達を気遣ってくれた両親には悪いが、その自分達の両親を奪った混沌を浄化出来る可能性があるなら、それに賭けてみたい。そう思った彼女の中では、既に迷いはなかった。アイレナも強い決意の瞳で、それに同意する。
 ただ、実はミレーユには「優柔不断な態度」と同じくらい、嫌い(より正確に言えば、苦手)なものがあった。それは「虫」である。それ故に、「巨大蛾」を復活させると聞いて、彼女の中では密かに並々ならぬ恐怖心が生まれていたのだが、それでもこの時点では、今は自分達に出来る務めを果たしたい、という思いの方が強かったのである。
 こうして二人は、早朝からクワイエット方面に向けての移動を始めようとしていたロザン一座を抜け出し、一足先に出発していたエディ達の後をつけて、故郷であるマーチ村へと足を踏み出したのであった。

2.8. 黒い魔犬

 そんな彼女達の思惑など露知らず、エディ、スュクル、SFCの三人は、この日の朝、マーチ村に向けて足を踏み出していた。マーチ村の近辺は、大規模な兵を展開しようとしても、途中で混沌繭の生糸に道を阻まれてまともに機能しないことは分かっていたので、あえて兵達は連れて行かずに、スュクルの連れてきた盾兵達もトーキー村に待機させていた。
 その上で、スュクルはクワイエットに伝令兵を送り、更なる援軍を要請する。間に合うかどうかは分からないが、最悪、大規模な混沌災害が起きたり、ヴァレフール軍が進駐してきた場合に備えて、打てる手は打っておく必要がある。もっとも、あまりにクワイエットの兵を動員しすぎると、逆にその隙をついてオディール方面から攻撃される可能性もあるので、派遣出来る兵の数には限界があるのだが。
 そして、彼等三人が、本格的に「魔境」と呼ばれる領域に差し掛かった時、後方から何者かの気配を感じる。ミレーユとアイレナである。気付かれないように密かについてきた二人であったが、時空魔法師であるスュクルの目をごまかすことは出来なかった。

「あなた達、どうしてここにいるんです?」

 すぐに追い返そうと思った彼であったが、それよりも先に、今度は前方から、今度は明確に敵意を持った気配を感じる。そこに現れたのは、昨日戦ったゴブリンよりも(個体としては)遥かに強力な投影体、ブラックドッグである。現状、彼の目に映るのは三体。その鋭い牙は、スュクル程度の身体であれば一撃で引き裂けるほどの威力である。
 少なくとも、今は口論している場合ではないということを瞬時に悟ったスュクルは、まず、その中の一体に対してライトニングボルトを放とうとするが、焦ったせいか、その発動に失敗してしまう。それに続けて、今度はエディが単身特攻して別の一体に切り掛かり、その一撃はブラックドッグの身体を確かに捉えたものの葬るには至らず、返す刀でブラックドッグに強烈な反撃を受けて、逆にエディが重症を負ってしまう。
 一方、スュクルが雷撃を食らわせようとした一体は、そのスュクルに向かって突進しようとするが、そこのSFCが割って入り、なんとか食い止める。奇妙な構造の鎧を着込んだSFCの身体は、ブラックドッグの強靭な牙に食いつかれても、そう簡単には崩れない。
 そして、残った一体に対して、今度はミレーユとアイレナが襲いかかる、その身を獣に変え、鋭い狼の牙で姿に変えた彼女達の連続攻撃に、一瞬怯んだかに見えたブラックドッグであったが、すぐに体勢を立て直してアイレナの柔肌にその牙を突き立てた結果、アイレナはその場に倒れ込んでしまう。

「アイレナ!」

 瀕死の状態で倒れ込む妹に向かって叫んだミレーユに対して、ブラックドッグは立て続けに襲いかかり、今度はミレーユも重症を負う。だが、それと同時に、彼女の中での「獣」の本性が暴走し始め、その爪が更に鋭く研ぎすまされる。そう、これこそが、ミレーユの中に秘められた彼女の真の戦闘形態なのである。

「落ち着いて、まずは一匹ずつ倒していこう!」

 そう叫ぶエディの声に従い、彼等はまず、アイレナを倒したブラックドッグに攻撃を集中させた結果、ようやく一体がその場に倒れ込む。すると、残りの二体のうち、SFCと対峙していた一体が突然後方に視線を向け、エディ達とは反対方向に向かって走り始めていく。

「仲間を呼びに行く気かもしれない。なんとか食い止めてくれ!」

 スュクルはそう指摘し、それに呼応したミレーユが追撃を加えようとするも、一歩及ばずそのまま暗闇の中へと走り去っていく。やむなく彼等は、残った一体を取り囲み、最後はSFCの会心の一撃でどうにか倒すことに成功するが、それとほぼ同時に、走り去っていった一体が、その暗闇の先で断末魔の悲鳴を上げる声が聞こえてきた。
 何が起きたのか理解出来ない彼等に対して、同じ方向から何かが近付いてくる物音が聞こえる。だが、その足音から察するに、それはブラックドッグではなく、二足歩行型の何者かであることは分かった。身構える彼等に対して、その暗闇から現れたのは、漆黒の装束に身をまとった、小柄な少年の姿でった。

2.9. 束の間の再開

「お主は、あの時の!?」

 黒装束の少年は、SFCを見てそう叫ぶ。月光に照らされて姿を現したその表情は、二日前にSFCの目の前で、「謎の魔法師」の放った衝撃波によって弾き飛ばされ、行方不明となっていたコーネリアスであった。見たところ、その装束はかなりボロボロで、身体にも傷跡が見えたので、相当な重症を負いながらも、九死に一生を得ていたようである。そして彼は、そのSFCの傍らにいる少女が視界に入ると、再び口を開いた。

「ミレーユ殿? それに。アイレナ殿も! どうしてこのような所に!?」

 実は、彼の実家のある街には、ロザン一座は頻繁に公演のために訪れており、それ故に、自分と歳が近い(2歳年上の)ミレーユ達とは顔馴染みで、何度も一緒に遊んだことのある仲なのである。そんなアイレナが、息も絶え絶えの状態で倒れているのを見て、彼は即座に駆け込んで、手元からエーラム製のポーションを取り出し、彼女に与える。このポーションは、いざという時のために主君ゲオルグから与えられていたものだが、自分のことを弟のように可愛がってくれた彼女達のために用いることに対して、彼の中では躊躇は無かった。
 一方、実は彼女達だけではなく、もう一人、コーネリアスのことを知っている人物がいた。

(この少年、確かあの時の……)

 スュクルである。以前、彼がアントリアの要人をクワイエットに案内しようとした時、黒装束の小柄な少年に襲撃されたことがあった。それが、グリースに士官する以前の、たった一人でアントリア相手に細々と抵抗を続けていたコーネリアスだったのである。その時は、からくもその要人の命は守ったものの、「激しい憎悪」と「強すぎる信念」に満ちたその少年の瞳が、スュクルにはあまりにも印象的だった。もしかしたらそれは、主君であるファルコンのためならば自らの命を投げ出すことも厭わない覚悟の自分と、どこか鏡合わせの存在のように思えたのかもしれない。
 だが、どうやらコーネリアスの方は、スュクルのことは覚えていないようである。彼はアイレナの傷が癒えるのを確認すると、SFCの方を向いてこう問いかけた。

「お主がいるということは、この方々もヴァレフールの人々か?」

 方角的に考えれば、今、彼等がいるのはマーチとトーキーの中間地点であり、ヴァレフール軍の者がこの場所いるとは考えにくいのだが、どうやらコーネリアスは、あの衝撃波で吹き飛ばされた時以来、この魔境の中を彷徨い歩いた結果、現在位置がよく分からない状態になっているらしい。

「私はグリースのコーネリアス。この地で起きた異変を調査するために派遣された。皆様がヴァレフールの方々なら、あの『アントリアに手を貸しているという魔法師』を倒すために、協力させてもらいたい」

 更に厄介な状態になったことを悟ったスュクルではあったが、先ほどの状況から察するに、走り去ったブラックドッグに止めを刺したのは、おそらくこの少年である。多少傷を負っていたとはいえ、一人であっさりと強力な魔物を倒す力を持つ彼を相手に、この場で喧嘩を売る訳にもいかない。これから先、更に強力な魔物が出現する可能性もある以上、ここは彼に話を合わせて、ひとまずその力を利用した方が得策である。

「分かりました。では協力しましょう。おそらくあの魔法師はパンドラの者です。奴等にこの地を好きにさせる訳にはいきません」

 スュクルがそう言うと、他の者達も彼の立場を理解したのか、彼がアントリアの一員であることは伏せたまま、コーネリアスに事態の概要を伝える。

「なるほど。セシル殿はあの奇怪な建物の中におられるのか。ならば、皆さんがあの魔法師の気を引きつけている間に、私が反対側から建物の中に忍び込んで、セシル殿を救出する、という作戦でどうだろう?」

 実際のところ、それで上手くいく保証はないが、現状ではそれが一番妥当な作戦のように思えた。敵の最終目的が分からない以上、どちらにしてもまずは会話を通じてその真意を聞き出す必要はあったので、その過程でコーネリアスがセシルを救い出してくれるのなら、それが一番確実である。そして、この小大陸でも指折りのシャドウの実力者である彼以上に、この任務に適任な者はこの場にはいなかった。
 その上で、もう一つの問題はミレーユとアイレナである。彼女達もまた自分の知る限りの情報を皆に伝えた上で、そのまま同行して村を浄化したいという決意を伝える。当初は彼女達を遠ざけようと考えていたスュクルではあったが、この魔境の中で彼女達を追い返した場合、逆にパンドラに捕縛される可能性がある以上、かえってその方がリスクが高い。むしろ、戦力としての彼女達が有用であることは先刻の戦いからも明らかであったため、この状況下において、彼女達を連れていくことに反対出来る状態ではなかった。

「ただ、パンドラと交渉する際に、あなた方の存在を知られたくないので、少し離れた場所からついて来て下さい」

 彼女達の存在は重要かつ危険な「交渉カード」であり、最初からこちら側の手札を全て見せる必要はない。相手の出方は分からないが、コーネリアスを吹き飛ばしたその実力から察するに、彼女達を力づくで捕縛しようとした場合、それに抗う術は見つからない以上、なるべく彼女達の存在を明るみにしたくないと考えるのは当然の判断である。
 こうして、それぞれの思惑を胸に秘めた六人は、謎の魔法師とセシル、そして巨大蛾の待つマーチ村へと更に歩みを進めていくことになったのであった。

3.1. 魔境の奥地

 ブラックドッグとの戦いの傷を癒した6人が、マーチ村を中心とした魔境の奥地へと足を踏み入れていく頃には、既に陽は陰り、夕刻に差し掛かろうとしていた。そんな中、スュクルは、周囲の空間に異変を感じる。周囲の混沌が、混沌核への収束という形ではなく、空間全体に変異律が発生しているような、そんな感覚を覚えたのである。
 そして、同じことに気付いた者がいた。混沌の申し子、SFCである。

「これは、マリオワールドの世界?」

 彼女がそう呟いた瞬間、その場にいた者達は、自分達のいる空間に「歪み」が発生したのを実感する。正確に言えば、それが「歪み」だと理解出来たのは時空魔法師のスュクルだけで、他の者達にとっては、一瞬、「よく分からない違和感」が発生した、という程度の感覚でしかない。
 そして、その一瞬の「異変」の次の瞬間、その場に残っている者達は気付いた。

「あれ? コーネリアスは?」

 そう、コーネリアスの姿が消えていたのである。何が起きたのかも分からないまま、つい先刻、合流したばかりの彼が、一瞬にして姿を消してしまったことに、彼等は驚きと動揺を隠せない。

「もしかしたら、私達よりも先に、例の建物の裏手に回るために、先に行ったのでは?」

 アイレナはそう解釈するが、スュクルには分かっていた。これは、一部の魔境において稀に発生する「空間歪曲」という怪異現象であることを。この変異律が発生してしまった場合、それに巻き込まれた者は、一瞬にして「別の空間」に移転してしまう。それがどこなのかは分からない。一般的には、それほど遠くまで飛ばされることはないのだが、飛ばされた方角が分からないため、探しようがない。アントリアを敵視している彼の離脱は、スュクルにとっては助かる側面もあるが、セシル奪還の切り札となりうる人物を失ってしまったことは、大きな損失でもあった。

「とにかく今は進みましょう。早くセシル様をお救いしなければ!」

 SFCがそう言うと、他の者達もそれに同意する。コーネリアスがどこに消えたのかは分からないが、アイレナの言うように、彼ならば自力で救出作戦を決行してくれる可能性もある。今の時点ではその可能性に賭けつつ、まずはマーチ村へと向かうしかない。
 だが、そんな彼等に次の関門が立ちはだかる。混沌繭の生糸である。身体能力に優れたSFCにとっては、容易に潜り抜けることが出来るレベルの障害でしかなかったが、他の者達にとっては、身体を捻りつつ、糸に絡みとられないように進むことは、決して簡単ではない。それでもなんとか、スュクル、ミレーユ、アイレナは無事に突破していく。だが、馬を連れたエディが、どうしてもその生糸網を突破出来そうにない。
 最悪の場合、生糸を何本か断ち切って道を作ることも出来るが、その場合、その生糸によって作られた繭の中から投影体が出現する可能性がある。先程のブラックドッグのような存在が次々と現れたら、今度は命があるか分からない。だが、彼を連れて行かなければ、ヴァレフール側の領主の息子に強大な力を与えてしまうことになりかねない。そう考えたスュクルは、時空魔法のプレディクトヴィジョンを用いて、彼に「生糸を突破するために必要な動き」を伝える。

「エディ殿、右です。右側に体勢を傾けつつ、左足を上げて、その生糸の先に下ろして……」

 そのサポートのおかげで、どうにかエディも生糸網を突破する。だが、こうして魔境の奥地へと近付いていく過程で、彼等は自分達が「何者か」に監視されているような感覚を覚えていた。

(これは……、この魔境の主か? それとも、誰かに付けられているのか……?)

 誰もその答えは分からないまま、当初の予定通り、エディ、スュクル、SFCの三人が先行し、ミレーユとアイレナがやや遅れて彼等の後を密かに追う形で進んでいくと、やがて彼等はマーチ村の跡地にたどり着く。その頃には既に陽は落ち、廃屋となった家々とその周囲に点在する小型の混沌繭を月光が照らす中、巨大な「武道館」と、その前に佇む一人の魔法師の姿が彼等の目に入るのであった。

3.2. 巨大蛾の正体

 目の間に現れた魔法師が、自分の知っている(以前、この地で出会った)シアン・ウーレンであることを確認したエディは、まずは自分から名乗り出る。

「私がトーキー村のエディです。あなたが私を呼んだのですか、シアン・ウーレン殿?」

 SFCに会った時には名乗っていなかったにもかかわらず、いきなり名前を呼ばれたシアンは、「はて、前にどこかで会ったことがあったかな?」と思いながら小首を傾げる。どうやら、彼の中では「数年前にマーチ村の近くで遭遇した少年」のことは記憶に無かったらしい(あるいは、その時のエディと、成長した今のエディの姿が、結びつかなかったのかもしれない)。とはいえ、SFCが自分の言った通りに「トーキー村の領主」を連れてきたことに、彼は満足気な表情を浮かべた。

「その通り。ここに来て頂いたということは、あなたがセシル殿に代わって、巨大蛾の復活に協力して頂けるということでよろしいか、領主殿?」

 そう言われたエディが答える前に、スュクルが口を挟む。

「あなたはパンドラの一員だそうですが、なぜパンドラの者が、この地の混沌を浄化しようとするのですか?」
「そうだな。それについては、語り始めると長くなるのだが……」

 彼はそう前置きした上で、まず、現状を理解してもらうために、ブレトランドの「昔話」から語り始める。シアン曰く、この村の跡地に存在する混沌繭の奥で眠っている巨大蛾の正体は、四百年前にブレトランドの混沌を収めた英雄王エルムンドの部下の七人の騎士の一人、バス・クレフであるという。エルムンドの部下の七人の騎士達は、いずれも強大な聖印の持ち主であったが、混沌との戦いの過程で、巨大すぎる混沌核に触れてしまった時に、その混沌核を浄化しきれず、逆に自分達の聖印が混沌核に変換され、その身を「異界の巨大な怪物」の姿に変えられてしまったらしい。ある者は空を飛ぶ巨大亀に、ある者は巨大な鎧武者に、ある者は三つ首の黄金龍に、ある者は紅蓮の飛龍に、そしてこのバス・クレフは、エステル・シャッツ界と呼ばれる世界に存在すると言われる巨大な「蛾」の姿になってしまったのである(ちなみに、実はこの巨大蛾が登場するSFC用のソフトも存在するのだが、残念ながら彼女はそのソフトを持っていなかった)。
 だが、身体は投影体となってしまったものの、その心はあくまで「人間」のままであった。それは、英雄王エルムンドとの(騎士時代の従属関係を引き継いだ)強い絆があったからこそである。しかし、エルムンドが大毒龍ヴァレフスとの戦いで受けた傷が原因で自身の死期を悟った時、七人の騎士達は、自らを封印する道を選んだ。彼がいない状態では、自分達の「人間としての自我」を維持出来ないと考えたらしい。

「バス・クレフ殿は、自らの姿を『卵』の形に変え、この村の奥地に眠ることになった。だが、今から約150年前、その封印を解く者が現れたのだ」

 そこまでシアンが説明したところで、シアンとスュクル、そして離れた場所から隠れて様子を伺っていたミレーユとアイレナの耳に、どこからともなく声が聞こえてきた。

「そこから先は、私に説明させてくれ」

 だが、その声はエディとSFCには届いていない。感応能力の高い者にしか聞き取れない形で発せられた、特殊な手段に基づくメッセージのようである。二人の様子から、彼等には声が届いていないことを確認したシアンは、ひとまず話を打ち切って、村の中心部の方を向きながら「何者か」に向かって語りかける。

「バス・クレフ殿、残念だが、その声が届いていない者もいるようなので、あなたの言葉を私が代弁させて頂くが、よろしいか?」

 どうやら、この声の主は、巨大繭の中で眠っている「巨大蛾」ことバス・クレフ本人らしい。突然、訳の分からないことを言い出したシアンに対して呆気にとられるエディとSFCに対して、その「声」が聞こえているスュクルが状況を説明する。少なくとも、スュクル自身には声が聞こえている以上、シアンがこの「謎の声の主」の発言を改竄出来ないことは理解出来た。

「仕方ないか、私には電波受信機能がないからな」

 SFCがそう呟く一方で、隠れていたにもかかわらずその声が聞こえてしまった双子は、顔を見合わせる。

(もしかして、私達の存在、バレてる?)
(やっぱり、さっき感じたあの視線って……)

 そんな不安に駆られる彼女達のことなど気にせず、シアン達に向かって巨大蛾は語り続け、そしてその言葉をシアンがエディとSFCに伝える。

「かつてエルムンド様が封印した大毒龍ヴァレフスの『断片』が、150年前にこの地で甦ろうとしていた。その時、当時この地の領主であったバルバリウス殿が、私の封印を解いた。彼は高潔な人物だった。私は彼のため、彼が愛するこの村を守るため、この力を使おうと決意した」

 その「声の主」曰く、彼の身体は三段階に変化するらしい。すなわち、全ての力を封印した状態である「卵」、部分的に力を解放した状態としての「幼虫(芋虫)」、そして全ての力を出し尽くすことが可能となる「成虫(蛾)」である。
 そして、150年前の混沌災害からこの地を守るためには、幼虫の状態で十分だった。復活しつつあった巨大な混沌核を、幼虫状態で吐く生糸で絡み取ることで、投影体として収束することなく封印することが出来たのである。そしてその後も、彼はバルバリウスの子孫達(歴代のマーチ村の領主)をパートナーとし、「幼虫」の姿のまま、彼等の用いる「小さき友の印」の力によって掌サイズに小型化された状態で、密かに領主と共にこの地を守り続けていたらしい(そして、その存在は村の外には決して漏らすことはなかった)。
 ただ、もし何らかの形で「より巨大な混沌核」が出現した場合、幼虫状態では太刀打ち出来なくなる可能性もある。その際には成虫へと「羽化」する必要があるのだが、そのためには、彼の中の混沌核の力を強めるための「唄」が必要らしい。その「唄」とは、彼の「本体」が存在するエステルシャッツ界に伝わる民謡のような唄で、投影体としての彼の脳内に埋め込まれており、その歌を(現在、スュクル達に対しておこなっているような形で)歌い手の脳波に送り込むことで、村人達に伝えることが出来る。だが、実際にその唄の力で彼を羽化させようと試みた者達は皆、途中で「混沌の力」に飲み込まれ、やがて暴走する「魔物」へと変貌してしまったという。

「そして7年前、遂に大規模な混沌災害が起こってしまった。当時の領主は村を守るために必死で戦おうとしたが、突然の魔物の大群を前に不覚を取り、命を落としてしまった。私は彼の聖印が消えてしまう前に繭によって包み込んだ上で、残された村人達を救うため、幼虫状態から出せる全ての力を振り絞って、この地に存在する全ての投影体を絡め取ろうとしたが、主を失ったことで自我を制御しきれなくなっていた私には、もはや『人間』と『投影体』を正確に区別することも出来ず、ひたすらに『動いている者』を繭状態にしていくことしか出来なかった。そして、このまま力を使い続ければ、私自身の心が完全に混沌に飲まれてしまうと察した私は、自分自身も繭の中に閉じ込めて、休眠状態に入った。いつか誰かが、私の新たな主となってくれることを願いながら」

 この話が本当であれば、この近辺に存在する小型の混沌繭は、「7年前の混沌災害によって発生した投影体」と「当時の村の住人」を巨大蛾が絡め取った代物だった、ということになる。おそらくは、村の中にいる「より小型な混沌繭」が「村の住人」なのだろう。そして、繭状態にある者達の身体は、腐敗も劣化もせずに「そのまま」の状態で保存されるらしい。つまり、「人間が眠っていると思しき大きさの繭」の近辺の生糸を切れば、その中の住人は「7年前の姿」のまま蘇ることになるが、それに連動して、周囲の混沌繭から魔物が出現する可能性もある。

「だが、私が羽化して本来の力を発揮出来るようになれば、現在、混沌繭によって絡み取られている全ての者達を解放した上で、その解放された魔物達を一掃することも出来る。おそらくな」

 つまり、誰かがこの巨大蛾の「主」となった上で、巨大蛾を羽化させることが出来れば、眠っているこの村の人々を救った上で、全ての魔物を除去することも出来る、ということである。そのためには、バルバリウスの血を引く騎士であるセシルかエディがその「主」となり、ミレーユとアイレナが「羽化の唄の詠唱」に成功した上で、成虫となった後の巨大蛾が自我を制御する必要がある。全てが上手くいく保証はないが、これが実現すれば、廃村だったマーチ村を復興することも可能となるだろう。
 そして、そんな巨大蛾の願いを叶えようとしたのが、今、エディ達の目の前にいる闇魔法師のシアン・ウーレンである。この村を訪れた際に混沌繭の奥にいる巨大蛾が発する「心の声」を聞いた彼は、その声が村の外にまでは届かないということを知り、自身の生み出した独自の魔法を用いて、巨大蛾に代わってその声をセシルとエディの夢の中へと送り込み、そしてトーキー村を訪れたミレーユとアイレナには、巨大蛾の心の中に響いていた「唄」を伝えたのである(ちなみに、ロザンに送られたジャスタカーク名義の手紙は、実は彼女達をこの地に近付けるためにシアンが偽造した代物だったのだが、結局、この事実は誰にも告げられないまま、闇に葬られることになる)。

3.3. 混沌に生きる者達

 ここまでの話を聞く限り、エディも、ミレーユも、アイレナも、巨大蛾の復活および羽化に協力することに反対する理由は思いつかない。だが、それに手を貸しているのがパンドラというのが、どうしても彼等の中では引っかかる。そもそも、シアンはまだ先刻のスュクルの質問に答えていない。

「パンドラがこの地を浄化する目的は、何なのですか?」

 改めてそう問い直すエディに対して、シアンは淡々と答える。

「正確に言えば、パンドラの目的ではなく、私個人の目的だな。パンドラの中にも色々な考えの者達がいる。このブレトランド支部においても、四つの系譜が存在していて……」

 そう言って彼は、聞かれていもいないパンドラの内部事情について語り始める。その情報が必要かどうかはエディ達には分からなかったが、コーネリアスが建物の背後に回っている可能性に賭けるためには、ここで話を長引かせておくのは悪くない、という判断から、あえて「興味深そうな顔とリアクション」に心がけながら、彼の話に耳を傾けた。
 シアン曰く、ブレトランド・パンドラとは、実質的には四つの集団の連合体であり、彼らの中で共通しているのは「全ての混沌を消し去る皇帝聖印(グランクレスト)」の出現を防ぐという一点のみで、実質的にはそれぞれが全く異なる目的の下に行動しているらしい。
 第一の系譜は、「均衡派」と呼ばれる人々。彼らは、皇帝聖印に至る可能性のある君主が現れた時に、反対勢力に協力してその勢力拡大を防ぐことを主目的とする(実はその指導者は、グリース子爵ゲオルグの側近であるマーシー・リンフィールドなのであるが、さすがにそこまではシアンも話さない)。
 第二の系譜は、「革命派」と呼ばれる人々。彼等はエーラムの打倒を主目的とする者達であり、実質的にエーラムによって築き上げられた現在の「君主」と「契約魔法師」が特権階級として君臨する世界秩序を壊し、エーラムによる「独善的な支配体制」を終わらせることを目指している。
 第三の系譜は、「楽園派」と呼ばれる人々。彼等は基本的に「この世界に出現させられてしまった投影体」によって構成されており、理不尽に迫害され続けるこの世界において、自分達の居場所となる国(楽園)を作るために結集された集団である。
 そして第四の、「最も純粋な意味でのパンドラ」と呼ばれる系譜は、「新世界派」と呼ばれる人々。彼等は、この世界を混沌で覆い尽くして、その混沌に適応する能力を持つ者達と、その混沌の中から生まれる新たな生命体による新世界を築き上げることを最終目的としている。
 このように、同じ「ブレトランド・パンドラ」を名乗る者達の中でも、それぞれの思惑は全く異なっており、派閥間で意見や利害が衝突することも多々ある。しかも、実際にはこれらの派閥に収まりきらずに、完全に個人単位の目的で行動する者達もいる。その代表例が、他ならぬシアン・ウーレンなのである。

「私は彼等のように、この世界全体のことを考えた上での『崇高な理念』など持ち合わせてはいない。私の目的は、自分の知的好奇心を満たすこと。私は見てみたいのだよ。四百年前の英雄達の今の姿を」

 つまり、彼にとっては、この地の混沌がどうなろうが、誰がマーチ村や山岳街道を支配しようが、どうでもいい。ただ、「成虫となった巨大蛾の姿をみてみたい」という、ただそれだけの一心で、この巨大蛾の羽化に協力しようとしている、ということである。
 ただ、彼は国家同士の勢力争いに対して、無頓着ではあるが、無知という訳ではない。この村を覆う混沌が消えれば、軍事力で優位に立つアントリアが長城線を迂回してヴァレフールに攻め込む機会を得ることが出来ることは理解しているからこそ、彼は一昨日の夜の時点でコーネリアスの問いに対して「どちらかと言えばアントリア側の立場」と答えたのである(もっとも、このままセシルが巨大蛾を完全に自由に操れる状態になれば、逆にヴァレフールを利することにもなりうるのだが)。
 とはいえ、彼が言っていることが真実かどうかも分からないし、いずれにしても危険な行為であることは間違いない以上、SFCとしては、やはりセシルをこの場から救い出したい。その上で、現状ではコーネリアスが建物の背後に回っている可能性に賭けている彼女は、ここで更にシアンの注意を引き付けて時間を稼ぐための妙案を思いついた。

「シアンさん、異界のゲームに興味はありませんか?」
「ほう?」

 知的好奇心だけで巨大な怪物を蘇らせようとするような人物が、この話に食いつかない筈がない。さっそく彼女は自身の身体を「玩具」状態に変え、画面を起動させ、シアンの目の前に「画面上の物体を動かすための器具」を差し出す。見知らぬ異界の文明を目の前にしたシアンは、さっそく彼女の器具を手にして、左右の異なる色の瞳を輝かせながら、喰い入るようにその画面を凝視する。

「なるほど、これが『マリオカート』というものか」

 そう言いながら、彼は両手の指(主に親指)を用いて、「異界のゲーム」に没頭する。こうして、廃墟となったマーチ村の片隅で、奇妙な光景が繰り広げられたまま、少しずつ夜は更けていくのであった。

3.4. それぞれの決意

 それからしばらく、シアンは「異界のゲーム」に興じていたが、彼の背後にある巨大な建物からは、特に変わった様子も見られない。もしかしたら、この間にコーネリアスが誰にも気付かれずにセシルを奪還しているかもしれない、という僅かな希望を抱きつつ、これ以上時間稼ぎをしても進展は見られないと考えたエディは、意を決して口を開く。

「とりあえず、あなた方と敵対する理由がないことは分かりました。ただ、幼い子供を親の許可もなく連れ出して、危険なことに協力させるのは好ましくないかと」
「まぁ、普通の人間であればそう言うだろうな。だが、実際に『貸してくれ』と言われた親が、素直に貸すと思うか?」

 「異界のゲーム」を続けながらシアンがそう答えると、「ゲーム機」状態のSFCが、付属品の音声発生装置から話に割って入る。

「あのクソみたいなオヤジが、貸すわけないですよ」

 SFCはセシルには絶対の忠誠を誓っているが、その父親であるガスコインからは疎んじられているため、彼女も彼のことを内心では快く思っていないらしい。もっとも、自分の跡取り息子が「ゲーム機」にばかり夢中になってしまっている状態において、親が彼女のことを疎んじるのは当然の判断なのだが。

「別に、こっちは借りパクする気もないし、レベルアップしたら返してやるつもりなのだが、おそらく、そう言っても聞いてはもらえないだろうよ」

 器用に両手の親指と人差し指を動かしながら、シアンはボヤくようにそう語る。いつの間にやら彼自身も、SFCに興じているうちに、なぜか彼女の言語に毒されてきているらしい。

「領主の息子が突然いなくなって、どれだけの人が悲しんだと思っているんだ!」

 ここまで穏便に話を進めようとしていたエディが声を荒げると、シアンはひとまず「異界のゲーム」を中断し、彼に向き合ってこう告げる。

「だが、あの子は言っていたぞ。あの街にいても、自分は誰からも必要とされない。だから、自分がいなくことなっても問題ない、とな」
「そういう子供を正しい方向に導いてやるのが大人の役目だろ!」
「だから、皆に必要とされるような『力』を与えてやろうと言っているのだ」

 微妙に話の論点がズレているのを自覚しつつ、シアンは今度は玩具状態のSFCに対して語りかける。

「お前に対しても、あの子はこう言っていた。『僕はSFCを必要としているけど、SFCは僕のことを必要とはしていない』と」

 そう言われたSFCは、思わず人間状態に戻って、紅潮した顔で熱弁を始める。

「プレイヤーを必要としないゲームなんて、ある訳ないじゃないか! それに大抵の人は私のことを『よく分からない物』として迫害してきた。そんな私をプレイしてくれるセシル様が、私にとってどれだけ大切な存在かを分かってくれていないとは! これは、徹夜のゲーム大会を開いて、分かってもらうしかないですね」

 そうやって一人でよく分からない決意に燃えている彼女の傍らで、今まで黙っていたスュクルが、シアンに問いかける。

「巨大蛾が羽化したら、その瞬間に全ての繭が解放されるのですか?」
「中央から少しずつ順に開いていくことになるな」
「ただ、その過程で、村人と魔物が同時に解放されていくことになる訳ですよね」

 つまり、仮に巨大蛾が羽化したとしても、巨大蛾が魔物を倒す際に、復活した村人達も巻き添えを食らってしまうのではないか、というのが彼の危惧である。

「その点については、心配ない。村人達を匿う手段はある。そちらが協力してくれるなら、その点も含めて、こちらの手の内を全て明かしても構わないが、いかがですかな、領主殿?」
「……分かった。セシルに代わって、私がこの地の浄化に協力する」

 エディとしても、マーチ村の復興に反対する理由は何も無いし、自分がセシルに代わってその巨大蛾のパートナーという「危険な任務」を担えるなら、それが最も望ましい選択肢である。
 一方で、スュクルもまた、このまま「ヴァレフール側の領主の息子」に強大な力を与えるよりは、自分達に友好的な姿勢を示しているエディにその力を与えた方が遥かにマシだと考えていた。問題は、「強大な力」を手に入れた彼が、ファルコンが計画しているアントリア軍の中央山脈突破作戦に素直に協力するかどうかだが、マーチ村の領主の一族であることが「巨大蛾のパートナー」の条件であり、自分一人でこの計画を力付くで止めることが不可能な以上、今のところはそれが最善の策である。

「では、その言葉を信じよう。武道館、もういいぞ!」

 シアンが、彼の背後にそびえ立つ建物に向かってそう叫ぶと、その建物は瞬く間に一人の「奇妙な装束の少女」(下図)へとその姿を変える。


 そう、「彼女」はSFCと同じ「ヴェリア界からの投影体」だったのである。通常、投影体としてヴェリア界からこの世界に現れるのは、「武具」や「乗り物」、あるいはSFCのような「器具」の擬人化体が多いのだが、この『武道館』のように「建物」が出現する事例も稀に存在する。彼女自身がどの系譜(派閥)の一員なのかは分からないが、どうやら彼女もパンドラの構成員のようである。

「村人達を解放し、彼等をすぐに一箇所に誘導した上で、彼女が先程までの『建物』の状態に戻れば、同時に復活した魔物達から身を守ることは出来る。この武道館は、屈強な武道家達が束になってかかっても壊れない強度だからな」

 そんなシアンの説明を聞く傍らで、エディ達がその「擬人化体少女」の奥に目を向けると、そこにはセシルと、そしてセシルに稽古をつけていた「女魔法師らしき人物」が立っていた。どうやらセシルは、武道館の内部での修行の最中に、突然その「建物としての武道館」が(「人間体」となったことで)消滅したことに驚いている様子である。だが、その直後に彼の目の前に「自分の最愛の玩具」がいることに気付き、満面の笑みを浮かべる。

「SFC! 手伝いに来てくれたの!?」

 そう言って、セシルはSFCに向かって駆け寄っていく。SFCも安堵の表情を浮かべながら、どこから話せば良いか困惑する

「いや、その、お手伝いするつもりだったんですけど、よく分からない方向に話が進んでしまって……、とりあえず、皆さんで一緒にマリカーしましょうよ、マリカー」

 そう言って再び玩具状態に戻ろうとするSFCを遮るように、エディが割って入る。

「セシル、勝手に知らない人とこんな所に来てはいけないよ」
「エ、エディお兄ちゃん!? い、いや、その、気付いたら、ここにいて、僕の力が必要だって言うから……、困ってる人がいたら助けるのが、君主の仕事でしょ?」

 その心意気自体は正しいが、さすがにまだ10歳で、父親から欠片程度の聖印を分け与えてもらっているだけの彼にそのような責務があるとは誰も思っていないし、どう考えてもこれは子供が背負うべき宿業ではない。そんなエディ達の気持ちを察してか、ここでその傍にいた女魔法師風の人物が割って入った。

「いや、でも、この子、筋はいいわよ。実際、私も最初は小さい子相手に投影体を呼び出すのは気が引けてたんだけど、少しずつ浄化の方法を覚えて、どんどん吸収していったわ。今はもう、そこの領主様と同じくらいの聖印になってるんじゃないかしら」

 どうやら、この女魔法師風の人物は、パンドラの召喚魔法師のようである。どういう意図でシアンに協力しているのかは分からなかったが、少なくとも、この魔法師が呼び出した「微弱な投影体」との戦いを通じて、セシルの聖印が急成長していることはエディにも実感出来る。
 だが、そのことを理解した上で、それでもエディとしては、このままセシルに危険な行為を任せる気にはなれなかった。

「セシルは今、自分が何のために修行しているのか、分かっているかい?」
「僕が力を手に入れて、この巨大繭を羽化させれば、その周りの小さな繭の中で眠っているこの村の人々が助かる、って言われた」
「そう、私か君のどちらかが、羽化させた後の巨大蛾を制御する必要がある。その役目を、私がやっても構わないか? ケイの領主の息子である君がこの地の領主になるのは、情勢的にあまりよくないのだよ」
「エディお兄ちゃんなら、いいの?」
「この地はもともとトランガーヌ子爵領だからね。ヴァレフールが支配するよりは、同じトランガーヌ子爵家に仕えていた私の方がまだいいんじゃないかな。少なくとも、私がこの地を治めた方が、アントリアとヴァレフールの衝突を防ぐことが出来る」

 エディはそう言ってセシルを説得しようとするが、まだ10歳な上に、ここ最近はゲーム漬けの日々を送って、あまり周辺諸国の情勢をよく理解していないセシルには、今一つ彼の言っていることが理解出来ない様子である。

「そう言われても……、やっぱり、僕がこの地を救いたい。今までの、誰からも必要とされていない僕じゃイヤなんだ。せっかくここで修行して、皆から必要とされるような力を手に入れられそうになったんだから、僕がこのまま最後までやりたい」

 強い決意を持ってそう語るセシルにそう言われると、エディも今一つ強気で押し切れない。実際、「力を得たい」「皆に必要とされる存在になりたい」という彼の気持ちは、同じ「領主の息子」として生まれたエディにも理解出来る。判断に迷った彼は、ひとまず、これまでセシルを鍛えたと思しき女魔法師風の人物に問いかける。

「実際、セシルに任せて大丈夫なのか?」
「そうねぇ。さっきも言ったけど、聖印の規模自体はあなたと大差ないと思うわ。ただ、基礎体力がある分、あなたの方が危険性は少ないと思う。正直、私としては、自分の弟子に頑張ってほしいという気持ちがある反面、失敗した時に心が痛まないという意味では、あなたにやってほしい気もするのよね」

 なんとも微妙な返答だが、この言い方から察するに、巨大蛾の制御に失敗すると、君主自身にも身の危険が発生するようである。最悪の場合、400年間にバス・クレフが巨大蛾になってしまった時のように、君主の聖印が混沌核に変わってしまうかもしれない、という仮説も成り立つ。

「……羽化した後の制御というのは、難しいものなのか?」

 更に問いかけるエディに対して、今度は巨大蛾が再び(実際にはシアンによる代弁という形で)語りかける。巨大蛾曰く、これまでの彼の「主」だった村の歴代の君主達と比べて考えれば、現在のセシルやエディの聖印でも十分らしい。ただし、それは彼が「幼虫」状態の時の話なので、全ての力を解放した「成虫」状態になった時にどうなるかは分からないらしい。
 皆が判断に困る中、真っ先に意思表示したのはSFCであった。

「私はセシル様がやりたいとお考えなら、その意思を尊重したいと思います」

 実際のところ、彼女は最初から「セシルが力を持つこと」に対して反対する気はなく、むしろ積極的に協力するつもりだった。このまま彼がその役目を続けるのであれば、彼女が「代役としてのエディ」を連れてきたことは「無駄足」だったことになってしまうが、結果的にそれでセシル自身の意思が確認することが出来たので、彼女としてはそれで満足なのである。
 そして、セシルに任せても良いものか迷い続けているエディと、このままセシルが巨大蛾を手にいれることはなんとか避けたいと考えているスュクルを横目に、シアンがエディ達の「後方」に目を向けながら、微妙に張り上げた声で語りかける。

「ところで、もう一人、いや、もう二人の『主役』の意見も、そろそろ聞きたいんだが」

 この瞬間、自分達の存在が既に察知されていることを理解したミレーユとアイレナは、素直に姿を現す。それを確認した上で、シアンは話を続けた。

「どちらにしても、この件はこの二人の協力がなければ成り立たない。村人を解放する方法として、一つ一つの生糸を切って解放するという手段もない訳ではないが、その度に出現する投影体と戦うよりも、巨大蛾を羽化させてまとめて排除した方が、効率がいい。昔馴染みの村人達を救うために、協力してもらえるかな?」
「……ここまで来て、何もせずに帰ったら、何のために来たのか分からないでしょ」

 ミレーユはあっさりとそう答え、アイレナも同意する。実際、まだこの魔法師にどこか「胡散臭さ」は感じるが、少なくともアイレナが子供の頃に聞いた話とも一致する以上、信憑性は決して低くはない。その上で、村人達を救える可能性が少しでもあるのならば(その中に自分達の両親も混ざっている可能性もある以上)、たとえ自分達の身が危険に晒されることになったとしても、彼女達には断る理由はない。
 こうして、「羽化」のための準備は整った。残す問題は「それを制御する人物」の側である。セシルとエディ、どちらがその重責を担うのか。成功すれば、強大な投影体を従える力と、この村の支配権が手に入る。だが、失敗すれば自分という存在そのものを失う可能性もある。セシルを心配する心と、セシルの意思を尊重したい心の間で悩みながら、エディが再び口を開いた。

「セシル、君がやろうとしていることは、とても危険なことかもしれない。それでもやるのかい?」
「危険なことというなら、エディお兄ちゃんがやっても危険なことなんでしょ?」
「まぁ、それはそうなんだが……、君にはもっと未来があるだろう? 君は将来、父親の後を継ぐんじゃないのか?」

 無論、端から見れば、エディにも十分過ぎる程に未来がある。童顔で小柄のため、実年齢以上に若く見られることが多いエディだが、実年齢にしてもまだ21歳であり、領主としては誰がどう見ても「若造」の部類である。だが、そんな彼の口からこんな言葉が出てくるほどに、セシルはあまりにも幼すぎた。

「そうかもしれない。でも、あの街の人達は、僕に対しては冷たい。だって、あの人達は、僕の大切な友達のSFCのことを『この世にあってはならない存在』だと言ってたんだよ。人を見た目で判断するようなあの街の人達のことを、僕はどうしても好きにはなれない」

 実際のところ、それが投影体に対する一般的な反応である。人間社会に溶け込める投影体であれば受け入れられることもあるが、SFCの場合、本人は溶け込もうとしていても、その思考回路が特殊すぎて、彼女の発言を理解出来ない者達が多く、「人間とは意思疎通出来ない怪物」と同じ扱いにされることも多い。それ故に、そんな「怪物」を庇い、従えるセシルに対しても、冷ややかな視線を送る者は少なくなかった。

「だから君は、新しくマーチ村の領主になるつもりなのかい?」
「解放したマーチ村の人達が、僕を領主として受け入れてくれるなら……」

 どうやらセシルも、ただ単に勢いに流されて了解しただけではないらしい。おそらく彼は、「皆に必要としてもらえる力」と同時に、「皆に必要としてもらえる居場所」が欲しいのであろう。今のケイの街の中で閉塞感を感じている彼が、マーチに来て自立して「自分の居場所」を作ろうと考えているのであれば、むしろそれを応援してやりたい気持ちがエディの中にも芽生えてきた。実際、巨大蛾という「投影体」を領主が従える習慣を100年以上も続けてきたマーチ村の人々であれば、「得体の知れない投影隊」を重用するセシルの価値観も理解出来るであろう。

「じゃあ、君がマーチ村の領主になった後も、お兄ちゃんと仲良くしてくれるかな?」
「それはもちろん!」
「そうか……。じゃあ、君に任せる。ただし、君が制御するのが無理そうなら、私が代わる。それでいいか?」
「分かった。ありがとう、僕、頑張るよ」

 こうして、エディとセシルの間での合意が成立した。こうなると、なんとかセシルによる巨大蛾の継承を止めようと考えていたスュクルとしても、この流れを覆せる手段が見つからない。故に、ひとまずこの状況を黙認した上で、あとは状況を見て臨機応変に対応策を考える。今の彼に出来ることはそれしか無かった。

(だが、このままではクワイエットが危ない。いざとなったら、この身を捨ててでも、巨大蛾の羽化は止めなければ……。どんな手段を使ってでも……)

 そんなスュクルの悲壮な決意など他の者達は知らないまま、既に深夜に差し掛かろうとしていたこともあり、ひとまず彼等は、再び「建物」状態となった武道館の中で、休眠を取るのであった。

3.5. 一触即発

 翌朝、エディ達4人とパンドラの3人は、セシルを伴って、村の一角に鎮座する混沌繭の前に立つ。それは建物状態の時の武道館ほどではないにせよ、その中に幾つもの家屋を収納出来そうな規模であり、この奥に眠る「幼虫」がいかに巨大な存在なのかも容易に想像出来た。そして「虫嫌い」のミレーユにとっては、それは想像するだけでもおぞましい存在であることは言うまでもない。
 それぞれの思惑を抱える七人を背後に、セシルは一歩踏み出し、そして繭の中で眠る巨大蛾に向かって、こう語りかけた。

「英雄王エルムンドの忠実なる騎士バス・クレフよ、マーチ村を長きに渡って守り続けた守護神よ、我を新たな主と認め、共にこの地の混沌を祓おうぞ!」

 幼い声ながらも堂々とした口調で彼がそう言うと、今度はこの場にいた8人全員に、巨大蛾の心の声が響き渡る。どうやら、至近距離まで近付いたことで、昨晩は聞き取れなかったエディやSFCの脳にも伝わるようになったらしい。

「良かろう、バルバリウスの末裔よ。受け取るがいい。バルバリウスから代々この村の領主に継承され続けた、我が主の証たる聖印を」

 その声と同時に、巨大繭の傍に作られていた「掌サイズの混沌繭」が開き、その中から一つの聖印が現れると、セシルはその聖印を受け取り、自らの聖印と融合させる。この時点で、セシルの身体に何か異変が生じた様子はない。だが、セシル自身は、自分の魂が混沌繭の奥にいる巨大蛾と「繋がった」ような感覚を覚えていた。こうして、巨大蛾とセシルは、特異な形での従属関係が結ばれることになったのである。
 こうなると、次はミレーユとアイレナの番である。ここに来る直前に、武道館のステージで一度リハーサルをおこなっていた彼女達が、巨大蛾を羽化させるための「唄」を歌うために、呼吸を整えようとする。
 しかし、その瞬間、村の南方から、大勢の人々が近付いてくる足音が聞こえてきた。

「あれは……、ケイの軍隊?」

 真っ先に気付いたのは、ケイの武官であるSFCである。その陣容は混成部隊のようだが、その中には確かに彼女の部下(セシルの親衛隊)の者達もいた。どうやら彼等は、隊長のSFCが戻ってこないことに危機感を感じ、やむなくケイの他の部隊に援軍を要請し、セシル救出のための大規模な捜索隊を結成して、ここまで乗り込んできたようである。
 そして、そんな彼等の先頭に立って先導しているのは、昨日の魔境の空間歪曲で行方不明となっていたコーネリアスであった。彼は、あの変異律によって魔境の反対側に飛ばされてしまい、再び方向感覚を失ったまま歩み続けた末に、山岳街道の南側に辿り着いた結果、彼等と遭遇することになったのである。

「そこのアントリアに与する者共、セシル殿を返してもらおうか!」

 そう叫ぶコーネリアスであったが、彼の目の前では「どちらかと言えばアントリアの味方」と自称していた魔法師と、SFC達と、そしてセシルが、特に対立している様子もなく、自然と並び立っている。しかも、その中には一人、彼にとって見覚えのある人物が混ざっていた。

(あれは、エスメラルダ先生……、ではないな。ということは「奴」か!)

 「女魔法師風の人物」を見た瞬間、内心でそう叫んだコーネリアスであったが、「奴」がここにいるという事実が、余計に彼の思考を混乱させた。

「SFC殿、今はどういう状態なんだ!?」

 コーネリアスにそう問われたSFCが、それを説明するためにどんな映像を見せようかと迷っている間に、後方からヴァレフール(ケイ)軍の指揮官らしき男が叫んだ。

「まず聞きたい。お前達はこの地の混沌を祓おうとしているのか?」

 これに対して、反射的にスュクルが、誰も予想していなかった回答を返す。

「祓うつもりはありません。ここにいるのは、パンドラの人間です」

 この瞬間、この場にいる誰もが耳を疑った。エーラムの魔法学院の制服を着た魔法師が、パンドラと協力しているかのような口ぶりでそう告げたのである。ヴァレフール軍は混乱し、エディ達も「何を言い出すんだ?」という顔で彼を見つめる。確かにパンドラの者達はこの場にいるが、混沌を除去しようとしているのは事実なのに、なぜそれをあえて否定するのか。
 これは、スュクルの咄嗟の奇策であった。ヴァレフール軍が事態を正しく理解しないまま、こちらを敵視して襲いかかってくれれば、その混乱のドサクサに紛れて、巨大蛾の復活を止められるかもしれない、と考えたのである。だが、さすがにこれに対しては、エディとミレーユが即座に否定する。

「祓うつもりかと言われれば、間違ってはいない」
「えぇ。私達は、そのためにここに来ました」

 二人がそう告げると、ヴァレフール軍は全く想定外の返答を返す。

「それは困る。ヴァレフールの安全のために、この地の魔境は今、解放される訳にはいかないのだ」

 そう、実はヴァレフール側は、国防のための戦略上、この地の混沌の除去を望んではいない。その意味では、結果的に彼等の発言は、スュクルの奇策以上に、ヴァレフール側の敵意を自分達に向けることになってしまったのである。だが、それに対してエディも真っ向から言い返す。

「それは困る。今のままでは、私の村の混沌災害が収まらない」

 そう言った上で、彼はセシルが今、この村の守護神である巨大蛾と契約して、この地の領主となろうとしているという旨を伝えるが、ヴァレフールの者達は、唐突に告げられた突拍子の無さすぎる話を信用しそうにない。この点では、最初に「パンドラ」の名を出したスュクルの奇策が功を奏している(それに加えて、コーネリアスが「この計画の黒幕はアントリア」という誤認識を彼等に伝えていたことも影響していた)。おそらく、彼等の目には、「パンドラの者達がセシルを騙して危険な行為に巻き込もうとしている」という状態に見えたのであろう。

「セシル、どうする?」

 困った表情でエディは従弟に向かって問いかける。エディとしては、セシルをヴァレフールに返した上で、自分がその代役になるなら、それでもいい。だが、セシルはそれでは納得出来ないようだ。

「やっぱり、僕じゃダメなのか。僕は誰の役にも立てないのか……」

 暗い表情を浮かべながらそう呟くセシルを目の当たりにして、今度はSFCがケイの者達を説得しようとする。

「あなた達にとって一番大切なものは何? セシル様の成長でしょ? どうしてそれを邪魔するの?」

 ここに来ているケイの軍人達のうち、親衛隊の者達は、SFCが「セシルに対しては誰よりも誠実」であることは知っている。だからこそ、彼女の発言にそれなりの説得力を感じていたが、他の者達から見れば、やはり彼女は「得体の知れない投影体」であり、その発言に耳を傾けようとはしない。やむなく、再びエディが彼等を説得しようと口を開く。

「セシルがこの地の領主になるのを認めないというなら、代わりに私がこの地の領主となるが、それがどのような結果をもたらすか、お分かりか?」

 実際、この状況を正しく把握している者から見れば、セシルが「巨大な投影体の力」と「村の支配権」を掌握することは、ケイ(ヴァレフール)にとって決して悪い話ではない。確かに「魔境という形での緩衝地帯」は消滅するが、この地の混沌を単体で除去できるほどの巨大な投影体の力があれば、アントリアとしても容易に攻め込むことは出来ないだろう。むしろ、逆にアントリアの拠点であるクワイエットに対して圧力をかけることも出来る。中立勢力とはいえ、実質的にアントリア寄りの立場を余儀なくされてきたエディにこの地を支配されるよりは、遥かにそちらの方が得策な筈である。
 だが、あまりにも不確定な要素が多すぎるこの状況で、彼等はエディ達の発言を信じることが出来ない。それ故に、彼等の返答は至極単純明快な内容であった。

「我々が貴様達を排除すれば良いだけの話だろう」

 疑わしきは殺す、これが、最も確実にリスクを排除する方法である。領主の跡取り息子を「誘拐」された上に、街の安全を脅かすような「魔境の排除」を決行されようとしつつある今の状況において、一刻も早くこの事態を解決しなければならないという焦燥感が、このような短絡的な結論を導き出したとも言える。

「こちらにはセシルがいるのですよ。セシルの意思を踏みにじってまで、我々に刃を向けるおつもりか?」

 エディがそう言うと、その言い回しがまるで、セシルを人質にとっているかのように聞こえたこともあり、かえってケイの兵達の印象は悪くなっていく。まさに「一触即発」の状態に陥っていた。

3.6. もう一人の「玩具」

 そんな中、スュクルはこのまま彼等が羽化の儀式を妨害してくれるのを祈りながら、密かにプレコグニションの魔法を用いて、「ヴァレフール軍の動きを決断するための要素」が何かを調べる。すると、彼の脳裏に伝わってきたのは「セシルの言葉」「巨大蛾」「共闘」という三つの言葉であった。

(共闘、か……。これは「巨大蛾を復活させるための共闘」なのか、それとも「巨大蛾を止めるための共闘」なのか、これだけでは、何を意味しているのか特定は出来んな)

 スュクルがそう考えつつ、次の一手を思案していた時、突如、ヴァレフール軍の後方の部隊から、叫び声が聞こえてきた。何事かと思って振り返ったヴァレフール軍の目の間に現れたのは、彼等を上回る数の投影体である。実は、彼らはここに来るまでの間に、混沌繭の生糸によって何度も道を阻まれ、一刻も早く到達するために、それらを強引に切断して強行軍でこの地に辿り着いていたのである。その反動として、小型の混沌繭の中で閉じ込められていた投影体が、次々と出現して、無差別に襲い掛かってきたようである。
 シアン達にしてみれば、彼等が自滅している間に羽化の儀式を進めたいところだったが、自分の親衛隊の者達が襲われている状態を、セシルとしては黙って見ている訳にもいかない。

「みんな、協力して、一緒に戦ってよ!」

 セシルにそう請われたら、SFCもエディも、当然、迷うことなくヴァレフール軍に加勢する。本来はヴァレフールの宿敵であるスュクルにしても、今このままヴァレフール軍が壊滅されると、羽化の儀式を止める者がいなくなる以上、助けざるを得ない。そうなると、ミレーユとアイレナとしても、まずは目の前の敵を排除してから、と考えるのは自然な流れである。
 こうして、彼等が、セシルを守るような陣形で戦闘態勢に入ると、襲い来る投影体の中から、ひときわ強力な混沌の力を漂わせた者が、ヴァレフールの軍勢を払い除けながら、彼等の前に現れた。

「おや? こんなところに、旧世代の遺産が残っているとはな」

 そう言って現れたのは、どこかSFCと似た風貌の投影体である。しかし、その瞳は憎悪に満ちており、目の前に現れる者達を次々と無差別になぎ倒していく。その姿はさながら、飢えた野生の猛獣のようにも見えた。そして、その胸の部分には「64」という数字が刻まれており、その数字を確認した瞬間、SFCはその投影体の正体を見抜いた。

「誰かと思えば、スマブラしか無かったような奴が何を今更。あなた、日本での売り上げ、私の何分の一だと思ってるの?」
「き、貴様! ただ我々の生産が遅れたために延命されただけの分際で!」
「一番売れてたマリカーだって、元祖は私達ですよ。つまり、あなた方は私達の遺産を食い潰していただけのゴミにすぎない!」
「お前達だって、先代の遺産で生き伸びていただけの存在だろうが!」

 どうやらこの投影体(以下、便宜上「64」と表記)は、SFCと同じヴェリア界出身の、しかもSFCの後継機とも言うべき玩具の擬人化体らしい。だが、元となった「本体」は同系統の機種であるにもかかわらず、その雰囲気はSFCとは大きく異なる。いずれも、「廃棄物」としてヴェリア界に出現した擬人化体だが、本来の持ち主に「もっと自分で遊んで欲しかった」という切望の気持ちを強く投影する形で現出したSFCとは対照的に、この64の場合はそもそも買い手がつかないまま廃棄されてしまった個体だったため、「自分を選ばなかった人間」に対する激しい憎悪を強く投影する形で生み出されてしまったようである。
 無論、彼等は量産型の玩具である以上、同じ型の本体をベースとした別の擬人化体がこの世界のどこかに他にも存在している可能性はあるし、それらはまた彼等とは異なる感情をもってこの世界に出現しているのかもしれない。だが、そんな事情は(SFCも含めた)この場にいる者は誰も分からない。一つだけはっきりしていることは、「今、彼らの目の間にいる64」は、明確に「人間に害を与えること自体を目的とする投影体」であり、分かり合うことの出来ない敵、という悲しき現実であった。

3.7. 魔法師の「賭け」

 こうして、SFC以外の者達は、目の前に現れた「64」が何者かも分からない状態ではあったが、明確に敵意を持って自分達に対して向かってくる以上、全力で迎え撃つしかなかった。
 まず最初の一撃を放ったのは、スュクルである。彼の放ったライトニングボルトは的確に相手を直撃したが、それでも64は全く怯む様子はない。間髪入れずにエディが馬上から剣を掲げて突撃をかけるが、あっさりとかわされてしまう。どうやら、ゴブリンやブラックドッグとは明らかに格の違う相手らしい。
 それに続けて、今度はミレーユとアイレナが身体を半獣化した状態で襲いかかろうとするが、彼女達の爪牙が届くよりも一瞬早く、64が彼女達とエディに対して、全方位攻撃を仕掛ける。それはさながら、暴走状態の魔神の如き圧倒的な破壊力であった。三人とも、その一撃で瀕死状態にまで追い込まれ、その場に倒れ込みそうになる。
 だが、その次の瞬間、彼等の後方から放たれた何かが、彼等三人の体を包み込んだ。混沌繭である。後方から彼等を支援しようとしたセシルの願いに呼応する形で、巨大蛾の幼虫が生糸を飛ばし、即席で彼等を包み込む繭を作り上げたのである。更にそこに、セシルが治癒の印の力を用いて、三人を瀕死状態から回復させる。本来、通常の治癒の印では瀕死状態にある者の傷を癒すことは出来ない筈だが、どうやらこの巨大蛾によって作られた混沌繭の中では、それも可能となるらしい。

「お兄ちゃん達、そのままでいて。まだ、傷は治りきってないから、今出ると危険だよ」

 セシルは三人に対してそう告げるが、このまま彼等が混沌繭の中で休んでいた場合、セシルを守れる者はSFCとスュクルしかいなくなる。先ほどの圧倒的な破壊力を見る限り、あの二人だけで防ぎきれるとは思えなかった。巨大蛾が混沌繭の力で64を封じ込めることが出来れば良いのだが(実際、このタイミングで現れたということは、過去に一度封印されていた筈なのだが)、現時点でそれが出来ていない状況から察するに、どうやらセシルはまだこの力を使いこなせていないようである。
 この状況を踏まえた上で、エディ達三人は、自身の身体がギリギリ動ける状態にまで回復していることを確認しつつ、自ら混沌繭を破って外に出て、再び64に襲いかかる。今度は三人の攻撃が直撃するが、それでも64の動きは止まらない。すると、宿敵・SFCに襲いかかろうとしていた64の視線は再び彼等に向かい、咄嗟にエディに対して全力で反撃した結果、エディは再び瀕死状態に陥り、その場に倒れ込んでしまう。
 一方、その間にスュクルはSFCの力で精神力を回復させてもらった上で、彼女の武器にライトニングチャージをかける。この結果、彼女の武器に炎が宿り、彼女はその力をもって64へと斬りかかろうとする。だが、彼女の刃が64に届くよりも先に、予想外の一撃が後方から飛んできた。
 スュクルによって64に向けて放たれた、二撃目のライトニングボルトである。その勢いは一撃目よりも更に強く、そして今、この瞬間、彼と64との間には、エディ、ミレーユ、アイレナ、SFCの4人が、まさにその雷撃の通り道となる直線上に並んでいたのである。

(巨大蛾の羽化を止めるタイミングは、今しかない!)

 そう、アントリア軍人の契約魔法師として、ヴァレフール側に巨大蛾を渡さないようにするための最も確実な方法は、ミレーユとアイレナのどちらか(あるいは両方)を消すことである。更に言えば、ヴァレフールの武官であるSFCも、巨大蛾の主となる資質を持つエディも、彼にとっては「出来れば倒しておきたい存在」である。故に彼にとってベストの選択肢は、この瞬間に64と共に全ての者達を消し去ることだった。その千載一遇の機会が、偶然にもこの瞬間に巡ってきたのである。
 無論、これは非常に危険な賭けである。彼はこの一撃に残っていた全ての力を込めていたため、もし仮に、この一撃で4人を葬ったとしても、肝心の64を倒しきれなければ、次の瞬間に自分が64に嬲り殺しにされる。だが、重傷を負っているエディや双子はともかく、まだ無傷のSFCならば、仮に直撃してもまだ64と戦える体力は残っているだろうし、彼女の身体能力ならば避けることも可能だろう。そして、基本的にセシルのことしか頭にない彼女にしてみれば、この攻撃でエディや双子が殺されても、それほど精神的に動揺するとは考え難い。一瞬にしてそこまで計算した上での、現在の軍略的苦境を覆すための起死回生の一手であった。
 この突然の雷撃に対して、SFCは咄嗟の前転回避でかわすことに成功し、ミレーユもまたギリギリのタイミングで避けることが出来たものの、アイレナと64はかわしきれず、そして既に倒れて動けない状態にあったエディには避けられる筈もない。この瞬間、スュクルは「賭け」に勝ったことを確信した。ミレーユには避けられたものの、アイレナだけでも倒すことが出来れば、当面は巨大蛾が羽化する危険性は消える。
 だが、そこで思わぬ横槍が入った。セシルである。混沌繭を飛ばそうとしても間に合わないことを瞬時で悟った彼が、自ら身を呈してエディとアイレナを庇ったのである。距離的に考えても、本来の彼の運動能力で間に合う筈がないし、そもそも二人の仲間を同時に庇うなど、常人には出来る筈がない。しかし、確かに彼は瞬時に二人の前に現れ、二人分の雷撃を全身で受け止めたのである。
 誰もがこの状況を理解できない中、やや離れた場所で他の投影体と戦いながらセシルに目を配っていたシアンだけには、その時に瞬時に起きた「奇跡」の正体が見えていた。

(今、バス・クレフ殿とセシル殿が融合した……?)

 そう、400年前の英霊であるバス・クレフの魂の一部がセシルに乗り移る形で、一時的にセシルにバス・クレフの力が宿り、その力をもって、超人的な動きで二人を庇ったのである。実際、彼には見えていた。超人的な速度で動くセシルが、「先刻まで巨大蛾の繭から発せられていたオーラ」をまとっていることを。既に「人」としての姿を失い、投影体となってしまった筈のバス・クレフに、このような離れ業が可能であるとは、事前に様々な調査を済ませていたシアンにとっても、全くもって想定外であった。

(面白い……。やはり、この英霊達は、私が人生を賭けて研究するに価する存在だ!)

 シアンが内心でそう確信して悦に入っている一方で、二人分の雷撃を肩代わりしたセシルは、その場に倒れる。もし、この時点でセシルが絶命していたら、彼の身体からは聖印が浮き出てくる筈であるが、その様子は見られない。本来の彼の体力であれば間違いなく即死の筈だが、どうやらこれも、バス・クレフの力で命が保たれている状態のようである。だが、そうして彼に力を注いだ反動か、徐々に彼等の背後に鎮座していた混沌繭の中の巨大蛾の力が弱まっていくのを、その場にいる者達は感じていた。
 一方、二度目のライトニングボルトが直撃した64もまた、相当な損傷を受けてはいたが、それでもまだ機能停止には至らなかった。そして、現状において最も危険な存在はこの雷撃を放った魔法師であることを察した64は、自分の周囲を取り囲む双子の妨害を振り切り、スュクルに向かって突進する。この時点で、スュクルには既に次の魔法を放つ力は残っていない。このままであれば、間違いなくスュクルは瞬殺されるであろう。
 だが、この時点で64以上にスュクルに対して強い殺意を抱いていた者がいた。SFCである。最愛のセシルが、スュクルの雷撃によって倒れたのを目の当たりにした彼女が、冷静でいられる筈もない。

「貴様、よくもセシル様を!」

 スュクルにしてみれば、あの一撃でセシルを殺すつもりはなかったが、ヴァレフールの強大化を防がなければならない彼にとって最も排除すべき存在は、実はセシルである。そして、上述の状況から、セシルがまだ死んではいないことは確認していたが、その一方で、彼等の背後にいた巨大蛾の幼虫の力が失われていくのを実感したことで、彼は満足気な表情を浮かべていた。当初の予定とは異なるが、結果的にこれで巨大蛾の復活を止められるなら、彼としてはそれで本望だったのである。
 そして、SFCには、そんな彼の表情から、彼が意図的にセシルを殺そうとしていたと判断したようである。これは誤解と言えば誤解なのだが、スュクルとしては弁明する気もなかった。仮に弁明しても、彼女は聞き入れてはくれないだろうと覚悟を決めていたのである。
 烈火の如き怒りの形相を浮かべつつ、SFCはスュクルのいる方向へ向かって、そのスュクルによって強化された炎の武器を掲げて襲いかかる。だが、SFCとスュクルの間には64がいた。

「あくまでも立ちはだかるか、この旧式が!」

 自分のことを襲いに来たと勘違いした64はそう言って武器を構えようとするが、SFCは無言で全力の一撃を64に叩き込む。彼女にとっては、もはや64など、どうでもいい。ただ、彼女がスュルクに殴りかかるためには、64の存在が(物理的な意味で)邪魔だった。そして、怒りで我を忘れた彼女は、その一撃に持てる力の全てを叩き込んだのである。ここまで4人の攻撃を受け続けて既にボロボロの状態だった64に、その渾身の一撃に耐え切れるほどの力が残されている筈もなかった。

「お、おのれ貴様、次に、次の世界で会った時は、この恨み、かなら……」

 最後まで言い切ることも出来ないまま、64はその機能を停止する。先達であるSFCを遥かに上回る性能を持ちながらも、その性能を発揮しきれないまま、本人にしてみれば理不尽な形で、この世界からも消え去ることになってしまったのである。

3.8. 混沌繭の消滅

 こうして、ひとまず目の前の「強大な投影体」は排除した。邪魔者がいなくなったことで、SFCはそのままスュクルに殴りかかろうとしたが、次の瞬間、彼女の後方から、セシルの声が聞こえる。

「ふ、二人とも、大丈…………夫……?」

 エディもアイレナも、そしてミレーユも「心配されるべきは君の方だろう」と思いながら、セシルが無事だったことに安堵する。そしてSFCもすぐに彼の元へと駆け寄り、得意の医療技術で彼の傷を癒す。
 だが、まだ危機的状況は終わっていなかった。というよりも、状況はより悪化していた。セシルを助けるために、巨大蛾はその力を使い切ってしまったようで、セシルが意識を取り戻すと同時に、彼の姿は「幼虫」から「卵」へと戻っていく。そして、その結果として村の近辺における混沌繭が、次々と消えていったのである。その中から現れたのは、ミレーユとアイレナにとっては馴染み深い村人達と、そして彼等を襲おうとしていた魔物達である。

「な、何が起きた?」
「今、守護神様の生糸が私に……?」

 数年ぶりに目覚めた村人達が混乱していると、シアンはすぐに武道館に合図を送り、彼女は「建物」フォームへと変形する。それと同時に、彼女はこの時点で村の中に存在していた全ての人間(とSFC)と、「卵」となったバス・クレフを、自身の中に「招待」という特殊能力で瞬時に収納したのである。彼女は、彼女自身が望んだ者だけを収容し、望まない者を館内から排除する能力を持つ。何十年にも渡って、様々なイベントを滞りなく運営し続けてきた建物だけが持つ、鉄壁のセキュリティである。
 そして、困惑する村人達の生き残りに対して、アイレナが事情を説明する。と言っても、彼女自身も今の状況がよく分かっている訳ではないし、「あなた方は数年間眠り続けていました」「その間にトランガーヌ子爵領は崩壊しました」「守護神様はケイの領主の御子息を新たな領主として認めました」などと立て続けに説明しても、すぐに理解出来る筈もない。ただ、それでも村人達は、彼女とミレーユが(彼等の視点から見れば、数ヶ月前に一座に引き取られた彼女達が、いきなり急成長して現れたことになるのだが)「本物」だということだけは、どうにか信じることが出来たようである。
 そしてその間にミレーユは、シアンからより詳しい「今の状況」を確認していた。

「おそらく、セシル殿が使い慣れていない巨大蛾の力を強引に使おうとした結果、巨大蛾はエネルギーを使い果たして、休眠状態となっている。その結果、村人達と共に、7年前の混沌災害で出現した投影体達も全て蘇ってしまったようだな……。申し訳ないが、私の力をもってしても、それら全てを倒すことは出来ない。巨大蛾の羽化に成功すれば雑作もなく倒せると本人(バス・クレフ)は言っていたが、この状態では羽化以前の問題として、まず幼虫体の状態まで戻るのに、数日はかかりそうだ。それまでは、この中で待つしかない。今外に出ても、あの数の魔物達から逃れるのは不可能だろう」

 つまり、「卵」が幼虫体となるまでの数日間、再び武道館の外で魔物達が暴れ回るのを無視しながら、ただひたすらここで「籠城」して待つしかない、ということである。セシルの暴走が無ければ、こんな事態にはならなかったのだが、彼があの場で「暴走」してくれなかったら、エディとアイレナは死んでいた(そしてアイレナがいなければ、おそらく羽化させることは出来ない)。あの混戦の最中でスュクルの放ったライトニングボルトが、状況を一変させたのである。
 そのスュクルは、セシルが回復したことを確認したSFCから、激しい殺意の視線を向けられていた。

「セシル様、こやつはセシル様を殺そうとしたのです。今すぐ処刑しましょう!」

 彼女がそう叫ぶと、その状況をよく見ていなかったヴァレフールの兵士達もまた、一斉にスュクルに向かって激しい視線を向ける。だが、スュクルとしては言い訳する気はなかった。セシルを殺しかけたのは想定外だが、仮にセシルが最初からその場にいたとしても、彼は同じことをしていたであろう。そして、ここまでやりきった以上、もう彼としては、この場で処刑されても後悔はなかった。既に力を使い果たしていた彼としては、ヴァレフール軍だらけのこの状況で抵抗することも不可能である。

「ちょっと待ってよ。この人は敵を倒すために仕方なく魔法を使ったんだよね? そもそも僕を狙ってた訳じゃないし、僕が勝手に、お兄ちゃん達を庇おうとして割り込んだから」
「そんなことは関係ありません。どんな経緯であれ、セシル様に傷をつけた時点で、有罪です。ギルティーです。殺させてください!」
「いや、でも、僕が倒れたのだって、僕が弱かったからで、僕がもっと強ければ、もっとちゃんと戦えたんだし……」

 このセシルの過剰なまでの自責発言に対しては、彼を追い込んだ張本人のスュクルですらも、さすがに「それは違う」と言ってやりたい気持ちになったが、彼が何か言おうとする前に、SFCが声を荒げて反論する。

「そんなことはありません! セシル様は、やれることは十分にやってます! 130%以上働いてるんですよ! それをコイツが! 後ろから味方ごと撃つなんて真似を! いや、コイツにとっては、味方ですら無かったんでしょうけど!」
「まぁ、私は職務上、やるべきことをやっただけですから。処刑するというのであれば、どうぞご自由に」

 淡々とそう語るスュクルに対して、SFCは更に怒りの感情を爆発させる。そんな彼女をセシルがなんとか宥めようとしていたところで、エディが割って入る。彼は、身を挺して庇ってくれたセシルに礼を言った上で、SFCやヴァレフール軍の者達に向かって、こう告げる。

「彼にどういう意図があろうと、実質的に彼の魔法の標的となっていたのは私であって、セシルではない。だから、彼の身柄は私に引き取らせて頂いた上で、どう処分するかは私に決めさせて頂きたい」

 状況的に、既にあの場に倒れていたエディが魔法による攻撃を避けられる筈がないことは、誰の目にも明らかであったし、どうしてもあの場でライトニングボルトを放たねばならないと言える状態でもなかった。故に、エディの場合は(狙われた訳でもないのに自ら身を挺して庇いに行ったセシルとは異なり)明確に「スュクルの攻撃の被害者」と言える立場である。とはいえ、エディの中では、彼だけを責める気にもなれなかった。現実問題としてスュクルがいなければあの投影体は倒せなかったし、それ以前にも何度も彼には助けられている。そしてセシル同様、エディもまた、戦いの途中で倒れたのは、弱かった自分が悪いという気持ちもある。
 それに加えてもう一つ、彼としてはスュクルを殺せない理由があった。それは今現在、トーキー村にはアントリアの兵達が駐留しているということである。ここで彼を「領主殺害未遂」の罪で処刑した場合、間違いなくアントリアとの関係は悪化する。そして、実質的にトーキー村を軍事占領しているアントリア軍を自力で排除することは現状では不可能である以上、「交渉カード」としての彼を安易に殺す訳にはいかないのである。
 セシルはこのエディの申し出を受け入れ、SFCも、非常に不服そうな、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながらも、しぶしぶながらに同意する。

「分かりました。今回だけは、今っ回だけは、見逃してやります!」

 そんな彼女の敵意を冷ややかに受け止めつつ、スュクルはエディの手によっておとなしく捕縛されながら、SFCに向けて淡々と呟くように語る。

「もし私が無事にクワイエットに戻ることが出来たら、次に会う時は戦場になるでしょうね」
「その時は殺す! 絶対に殺す!」

 こうして、ひとまず先刻の戦いの事後処理については(一応の)合意を得た上で、彼等は改めてシアン、ミレーユ、アイレナを加えて話し合った結果、ひとまずバス・クレフが「幼虫」としての力を取り戻すまで数日待った上で、そこから双子の「唄」の力で彼を羽化させてこの周囲の魔物達を一掃する、という基本方針で一致する。というよりも、実質的にはそれしか選択肢が無かった。
 幸いにして、この武道館の内部には「喫茶店」という名の飲食スペースがある。そして、SFCが「電源」が無いこの世界でも自己発電機能によって機動出来るのと同様に、この武道館内の喫茶店もまた、食材を自力で生み出すことが出来るため、籠城状態となっても食糧難に陥る心配は無い。
 そして、ひとまず皆を代表してセシルが(シアン達の正体については曖昧にごまかした上で)村人達とヴァレフール(ケイ)軍の人々に対して改めて「今の状況」を説明する。村人達の中には、もともと「守護神」の存在を知っている者も少なからず存在していたこともあり(先刻のアイレナによる説明もあって)、なんとか理解してくれた。先刻は激しく反発したヴァレフールの者達も、セシル自身の口で説明されたことでどうにか納得し、これから数日間、奇妙な形での「籠城生活」が展開されることになった。見知らぬ異世界の建物に困惑しながらも、生き延びるために、なんとかこの場を耐え凌ぐという方向で、皆が合意に至ったのである。
 そんな中、シアンと「女魔法師風の人物」は、「卵」となったバス・クレフに混沌の力を注ぎ込むことで、少しでも早く力を取り戻させようと試みていたが、そんな彼等を後方から密かに監視する人物がいた。コーネリアスである。彼はこの武道館に収容されて以来、密かに隠密状態となり、ずっと彼等二人を見張っていた。コーネリアスはこの「女魔法師風の人物」とは因縁があり、出来ることなら隙を見てその命を絶とうとも企んでいたが、長年のシャドウしての経験から、今の状況ではおそらくそれが不可能であることを薄々察した彼は、せめて少しでも彼等の情報を集めておこうと考えていたのである。
 彼の視線と思惑に、この二人が気付いていたのかどうかは分からない。ただ、そんな静かな緊張感を漂わせながらも、これから先の数日間は、特に大きな事件も無く、彼等は粛々と(それぞれの想いを胸に抱きながら)静かな籠城生活を続けていったのであった。

3.9. 羽化の唄

 こうして彼等が武道館の中で籠城していた間も、その外側で投影体達は暴れ続けていた。投影体の中には、稀に64のように高度な知性を持つ者もいるが、この場には出現した全ての投影体を統率出来るような者は存在しなかったようで、投影体同士で衝突することも多々あった。そして、勝った投影体は倒した投影体の混沌核を吸収して更に強大化していく。どれだけ彼等の間で殺しあっても、誰か君主が彼等の混沌核を浄化・吸収しない限り、投影体の脅威は減らない(むしろ強まる)のである。
 そんな中、この地に足を踏み入れる者達もいた。ケイの軍隊である。息子が行方不明のまま、調査に行った者達も帰ってこないということもあり、隣町から帰還したガスコインは街の主力部隊を討伐隊として派遣したのだが、そのあまりの数の投影体の前に、あっさりと壊滅してしまう。一方で、トーキーに駐留していたクワイエットの部隊は「トーキーに待機しろ」という命令を受けていたため、自らマーチに近寄ろうとはしなかった。こうして、結果的に言えばスュクルの無謀な奇策は、ヴァレフールの戦力を削ぐことに繋がったのである。
 一方、武道館の内部においては、ミレーユとアイレナは、村人達から質問攻めに合っていた。自分達が眠っていた7年の間に彼女達がどんな人生を送っていたのか、ロザン一座での生活はどうだったのか、彼氏は出来たのか、などなど、村人達にしてみれば、彼女達に聞きたいことは山のようにある。一方、彼女達は村人達の中に自分達の両親の姿がないかを確認したが、残念ながら見つからなかった。7年前の時点で投影体に殺された可能性が高そうだが、実際に両親が殺された場面を見たという証言も無いため、もしかしたら、どこか別の村に逃れたのかもしれない。今は、そのわずかな可能性を信じたいと願う彼女達であった。
 そして、その籠城生活の五日目、遂に「卵」から「芋虫」が生まれた。ようやく、この村の「守護神」が本来の姿に戻ったのである。その姿に恐怖を覚えるミレーユであったが、ここまで来たら、もうやるしかない。意を決してアイレナと共に、バス・クレフと意識を同調させながら、「エステルシャッツ界に伝わる唄」を歌い始める。
 すると、バス・クレフは瞬時に口から糸を吐き出して繭を作り、その中で「羽化」の準備を始める。これまで、幾多の歌い手達が挑戦しては失敗し、混沌に飲まれて暴走状態に陥り、やむなく村人達の手で葬られてきた。もう、そんな悲劇は繰り返したくない。バス・クレフ自身もそう強く願いながら、双子と共に精神を集中させていく。
 周囲の者達が固唾を飲んで見守る中、やがてその「唄」はクライマックスを迎える。村人達曰く、これまでこの唄を歌った者達は皆、最後まで歌い切る前に混沌の力に飲み込まれてしまった。しかし、この二人にはまだその兆候は見られない。最高潮に盛り上がるパートにさしかかっても、まだ彼女達の身体からは、暴走の兆候は見られなかったのである。
 行ける、このまま歌いきれば、羽化は実現する、そう皆が確信しながらその歌に聞き入っていた。そして遂に、二人は最後まで歌いきった。そして次の瞬間、繭が割れ、そこから巨大な「蛾」の姿をした投影体が出現する…………筈であった。

「……何も起きない?」
「どうした? 歌いきったんじゃないのか?」

 村人達が首を傾げながら状況を見守るが、繭に変化は見られない。すると、目の前にいる村人達の心の中に、バス・クレフの声が響き渡る。

「すまない。無理だったようだ。この二人の唄ならば、私も本来の姿を取り戻せると思ったのだが、私の身体は、あと一歩のところで、それに応じてはくれなかった」

 その言葉が届いた瞬間、双子は膝をついてその場に倒れる。なぜ失敗したのかは分からない。64との戦いで生死の境を彷徨った時の精神的な後遺症がまだ彼女達の中で残っていたからなのか、ミレーユの中の「虫への恐怖心」が彼女の声に微妙な揺らぎを生み出してしまったのか、単純に彼女達の「歌姫としての実力」が足りなかったのか、それとも、復活したばかりのバス・クレフに「羽化するために必要な力」が足りなかったのか。どの可能性もあり得るが、どの可能性も明確に一つに特定出来る要素はない。

「ど、どうするんだ?」
「俺達、一生この建物の外には出られないのか?」

 村人達が動揺する中、バス・クレフは自ら繭を破り、再び「巨大芋虫」としての姿を現す。

「大丈夫だ。主が健在の今の状態なら、幼虫の形態でも、奴らを完全に倒すことは出来なくても、封じることは出来る。今の唄の力で、羽化にまでは至らなかったものの、既に私の力は幼虫体としては最高の段階まで高まっているからな。それに、7年前の時は不意を取ってしまったが、今回は私が戦っている間に我が主を守る戦力も整っている」

 バス・クレフは、シアン、エディ、SFC、といった面々に目を向けると、シアンは武道館に対して、その身体を人間体に戻すように促す。その瞬間、彼等を覆っていた「建物としての武道館」は消滅するが、それと同時に、芋虫状態のバス・クレフは口から次々と糸を吐き、武道館の周囲にいた投影体達を次々と絡みとっていく。その勢いは止まらず、村の外に出現している者達も、次々と眉の中に封じ込めていった。

「……この力、先代様の時よりも、先々代様の時よりも強まっているのでは?」

 村の長老らしき人物が、その巨大芋虫の動きを見ながらそう呟く。おそらく、それは双子の唄の力が強化されたことが原因なのだろうが、それに加えてセシルとの相性が(歴代君主よりも)合っているのかもしれない。いずれにせよ、瞬く間に村の周囲に存在していた投影体達は、全て大小様々な大きさの混沌繭によって封じ込められたのである。その間、投影体達はセシルにもバス・クレフにも、全く近付く暇は無かった。

「これでもう大丈夫だ。次にまた新たな混沌が現れても、私と新たな主が、この地を守る。ただ、捕縛した投影体達を全て完全に浄化することは、今の主にはまだ難しいとは思うが……」

 強大な混沌核の浄化には、一定の規模の聖印が必要である。今回の場合、彼等が籠城している間に投影体達の間で殺し合いが発生し、結果としてより強大な混沌核を持つ投影体も生まれてしまっていた。

「大丈夫だよ、バス・クレフ。これから僕が少しずつ君主として強くなって、いつか全部浄化してみせるから」

 そう言うと、彼は「小さき友の印」を用いて、「巨大な芋虫」の状態の彼を「通常の芋虫」より少し大きい程度のサイズにまで小型化し、自らの掌の上に載せる。

「よろしくね、バス・クレフ♪」

 そして、この様子を見ていた村人達が、次々とセシルに向かって敬礼する。

「セシル・チェンバレン様。どうかこれから、この村の領主として、我々をお守り下さい!」
「私達も、誠心誠意、領主様を支える所存です。よろしくお願いします!」

 こうして、セシルはわずか10歳にして、マーチ村の新領主に迎え入れられた。ヴァレフールからの兵達も、拍手でそんな彼を讃える。無論、その中でもひときわ激しく喜んでいたのがSFCであることは言うまでもない。
 一方、そんな彼等を横目に見ながら、シアン・ウーレンとその二人の仲間は、複雑な表情を浮かべながらその様子を見ていた。

「残念な結果に終わってしまいましたね、シアン殿」

 女魔法師風の人物にそう言われたシアンは、苦笑いを浮かべながら答える。

「まぁ、仕方ない。とりあえず、眠っていた英霊を呼び起こすことは出来たのだ。あとは、次の歌姫が現れることに期待しよう。それが何年後か、何十年後かは分からんがな」

 そう言いながらも、その声と表情からは、あまり悔しさは感じられない。どうやら、彼の知的好奇心を満たすという目的においては、今回の一件はそれなりに「実りの多い成果」と考えているようである。

「ところで、アンドロメダ、お前に対して妙に激しい敵意を向けていたあのシャドウの少年、知り合いだったのか?」

 そう問われた女魔法師風の人物は、不敵な笑みを浮かべながら答える。

「ちょっと前に、色々あったんですよ。私は革命派の人間ですが、あの時は色々と事情があって、均衡派の人々に協力してまして。詳しい事情を話すとマーシー殿に怒られそうなので、言えませんが」

 ブレトランド・パンドラの四派閥は、それぞれに最終目的も異なる以上、その情報すらも共有していないことが多い。あくまでも「皇帝聖印の出現の防止」という共通目的のための「対等な同盟勢力」同士の関係にすぎないのである。

「まぁ、お前の能力は特殊だからな。色々なところで重宝されるのは分かる。私も、今回の件で革命派と楽園派の人々には、大きな借りが出来てしまった訳だが」

 そう言いながら彼は、「女魔法師風の人物」と「武道館」に目を向ける。

「気にしなくていいですよ。シアンさんの技術がなければ、ウチの邪紋兵団は成り立ちませんからね。持ちつ持たれつということで」
「私は、久しぶりに『祖国の歌』が聴けた。それだけでも、満足」

 二人がそう答えると、シアンは静かに頷き、そして二人と共にこの村を去って行く。

(さて、そろそろ北の姉妹も、決心がついた頃かな)
(そうえいばあのボウヤ、いつの間にかいなくなってたわね)
(次は、炎のファイターが聞きたい)

 そんな想いをそれぞれに抱えながら、それぞれの次の目的地へと向かう三人であった。

4.1. 交渉と介入

 こうして、新領主セシルが誕生したことで、新生マーチ村は実質的にヴァレフールに併合された。相変わらず混沌繭と生糸が村の各地に点在する「住みにくい村」ながらも、蘇った村人達は、少しずつ復興に向けて準備を進めていく。SFCはそのままセシルを支えるためにマーチに残り、ミレーユとアイレナはロザン一座へと戻る。そして問題は、エディとスュクルである。
 現状では、トーキーにはまだアントリアの軍隊が駐留している。マーチ近辺の混沌が多少なりとも除去されたことで、その周囲の地域も魔境状態ではなくなったが、それでもまだ、トーキー近辺も含めてこの地域の混沌濃度が高い。故に、これから先のトーキーの安全を重視するなら、アントリアの協力があった方が望ましいが、エディとしてはアントリアの傘下に加わりたくはない。ヴァレフール側のセシルがマーチの領主に就任した今、彼と敵対する立場となるアントリアに取り込まれることは避けたいのである。
 そこで、彼はひとまず、クワイエットの領主ファルコンに対して書状を送る。彼の契約魔法師であるスュクルを「領主殺害未遂」の罪で拘束しているという旨を伝えた上で、相手の出方を見ることにしたのである。スュクルとしては、任務に失敗した自分など切り捨ててくれればいいと考えていたようだが、ファルコンからの返答は、少々意外な内容だった。
 まず、ファルコンはスュクルの行為に関しては素直に謝罪した上で、その身柄の返還を要求する。その上で、トーキーに駐留している部隊については、引き続き現地の治安維持のために必要ということであればそのまま残してもいいし、不要ということであれば撤退させても良い。ただし、前者の場合はアントリアに聖印を捧げる(アントリアの国家元首代行であるマーシャルの従属騎士となる)ことを、その条件として提示してきたのである。彼等としては、ヴァレフールにマーチを制圧されたことで、いつトーキーもヴァレフールの手に落ちるか分からない状態となった以上、混沌災害との戦いに力を割かざるを得なくなることを覚悟した上で、一刻も早くトーキーをその勢力下に組み入れるべきという判断に至ったようである。 
 これに対してエディは、ファルコンにとってスュクルが「切り捨てられない存在」であると察したこともあってか、強気の返信を返す。エディは書簡を通じて、あくまでもアントリアに聖印を捧げるつもりはなく、ヴァレフールにも組しない「中立勢力」としての道を貫くと主張した上で、スュクルの返還の条件として、トーキー近辺の混沌浄化のために駐留軍に協力させることを要求したのである。これは「トーキーにとって、かなり都合の良い条件」であり、アントリアが素直に受け入れるとは考えにくかったが、エディとしては、スュクルの身柄が自分の手元にある以上、彼等も安易に交渉を打ち切って強硬手段に出ることはないだろう、と判断したようである。
 こうして、両者の意見が衝突しつつ、しかしアントリア側も今のところ強硬手段には出る気配はないという微妙な均衡関係において、両者の調停を申し出る者が現れた。山岳街道の西側に出現した新興国家、グリースである。
 マーチの戦いの後、グリースに帰国したコーネリアスは、事の次第を主君であるグリース子爵ゲオルグに伝えると、ゲオルグは仲介使節として、(コーネリアスを案内役とした上で)契約魔法師のヒュース・メレテス(下図)をトーキーへと派遣したのである。彼は子爵の代理として、以下のような仲介案を両陣営に対して提示した。


「現状、アントリアにとって『トーキー村がヴァレフールの傘下に入ること』が脅威であるならば、第三国である我々グリースが、アントリアの代わりにトーキー村を暫定統治下に置いて管理する、というのはいかがでしょう?」

 つまり、(マーチを挟んで飛び地的な位置付けになるが)この地をひとまずグリース領とすることで、ヴァレフール軍によるこの地への介入を防ぐ、という提案である。
 確かに、それならばトーキーを完全中立(孤立)状態のまま放置するよりは、結果的にヴァレフールの介入を防ぎやすい立場となるし、アントリアとしても余計な兵力をトーキーに裂かずに済む。現状、ヴァレフールとグリースは比較的友好関係にあると言われてはいるが、現在交渉役として派遣されているヒュースは、アントリアの次席魔法師クリスティーナの義弟であり(この点が、今回の交渉役としてヒュースが選ばれた理由の一つでもある)、現状ではアントリアに対しても、少なくとも表面上は敵対的な姿勢は取っていない。従って、この中間地点をグリースが支配することになれば、結果的に両者の間の新たな「緩衝地帯」として機能することになるだろう。
 本来ならば、軍事的に優勢なアントリアとしては、このような緩衝地帯はむしろ邪魔だと考えていただろうが、マーチを支配することになったヴァレフール側の新領主であるセシルが「得体の知れない強力な投影体」を傘下に加えたことで軍略的な立場は逆転し、今はむしろ、アントリアの方が「ヴァレフールからの山岳街道経由の奇襲攻撃」を防がなければならない状態になっている(もっとも、ケイのヴァレフール軍も今回の戦いで相当な痛手を被っているので、当分はその心配も無さそうではあるが)。今のこの状況であれば、確かに、グリースの介入はアントリア側にとっても悪くない展開である。
 その上で、ヒュースはエディに対して、トーキー近辺の混沌の浄化に対しては、アントリアによる駐留軍に代わってグリースが全面的に協力し、そのための人員や物資は、グリースの首都であるラキシスとマーチの間に存在していた旧街道を再建した上で、マーチ経由でラキシスから派遣する、という案を提示する。エディとセシルの関係を考えれば、マーチの領主であるセシルがこれに反対するとも考え難いため、エディとしてはすぐにでもこの案に乗りたいところであったが、ここでヒュースが一つ、「見返り」としての条件を提示する。

「コーネリアスがこの地で出会ったという、パンドラの『女性の姿をした魔法師』の捕縛に協力してもらいたいのです。出来る限りその者の情報を集めた上で、もしこの地にその者が現れたら、すぐさま捕獲、それが無理なら、尾行してその本拠地を突き止めてほしい。それが条件です」

 正直、エディとしては、その『女性の姿をした魔法師』に対しては、(結果的にセシルを立派な君主に鍛えたという意味では)これと言って恨みも敵愾心もないのだが、パンドラの一員であるという時点で、危険な存在であるということは理解しているため、ここは素直に同意する。もっとも、彼の目の前に本人が現れたところで、そう易々と捕縛すも尾行も出来ないとは思うが。
 ちなみに、ヒュース曰く、その魔法師の名は「アンドロメダ」。現在、グリースに仕えている植物学者エスメラルダの、双子の「弟」である(詳細は「ブレトランド戦記」第7話参照)。

4.2. 外交官と将軍

 こうして、アントリア・トーキー・グリースの三勢力の合意の下で、トーキーに駐留していたアントリア軍は撤退し、スュクルも解放されたことで、彼等と共にクワイエットへと帰還した。

「今回の作戦の失敗は、私の不肖の致す限りです。どうぞ、ご自由にご処断下さいませ」

 主君であるファルコンと再会したスュクルは、開口一番に淡々とそう告げる。山岳街道と巨大蛾をアントリアの支配下に置く筈が、逆にどちらもヴァレフールに奪われてしまったこの現状に対して、スュクルとしては何ら言い訳出来る心境ではなかった。

「いや、今回は俺の見通しが甘かったことが原因だ。トーキーの領主を殺そうとしたのも、お前としては良かれと思ってやったことだろうしな」

 ファルコンはそう言って、スュクルのことを全面的に擁護する。実際、客観的に見ても、中途半端な情報に基づいてスュクルと僅かな護衛兵のみで派遣したのは、明らかにファルコンの判断ミスである。いっそ、迅速に大軍を動かしてトーキーを占領し、双子を強引に手中に収めていれば、パンドラに対してもヴァレフールに対しても、もっと幅広い選択肢が可能だったであろう(とはいえ、あの状況ではそこまで決断出来るだけの情報が無かったことも事実であるが)。
 そして、結果的に言えばスュクルがいたことで、ケイのヴァレフール軍は大打撃を被ることになった。更に言えば(これはあくまでも仮説レベルの話だが)、彼のあの「裏切りの一手」が無ければ、もしかしたら混沌蛾の羽化は成功し、より強大な力をヴァレフール側が手にしていたかもしれない。あの状況下において、スュクルはアントリアの臣として、選ぶべき最良手を選んだというのが、ファルコンの評価である。

「それに、グリースという第三国が介入することになったのも、これはこれで悪くはない。あのゲオルグという男は、何を考えているか分からないが、だからこそ、今後の情勢次第ではヴァレフールとグリースの間で戦端が開かれる可能性もあるしな。しばらくは、奴の出方を見ることにしよう」

 その上で、最大の問題は巨大蛾であるが、これについては現状、次の「歌姫」が現れないように気を配るしかない。スュクルとしては、それらしき人物が現れ次第、すみやかにその者を手中に収めておく必要があるだろう。これから先は、そのための情報収集もスュクルの重要な任務の一つとなる。
 今回の「失敗」を糧に、次こそは主君の役に立てるよう、粉骨砕身の努力を惜しまぬことを誓いつつ、明日からは、自分の不在時にたまっている諸々の雑務をこなすため、まずは静かに自室で休息を取るスュクルであった。

4.3. 姉妹と座長

 一方、そんなクワイエットの城下町にて、ミレーユとアイレナはロザン一座と再合流していた。座長達に黙って勝手に魔境へと向かった二人は、深々と頭を下げてロザンに謝罪する。厳しく叱責されることを覚悟していた二人であったが、意外にもロザンの口調は穏やかであった。

「まぁ、仕方がない。お前達も、故郷を目の前にして、自分達が何とかしたかったのは分かる。だが、結局、その巨大蛾の幼虫は、お前達の歌には反応しなかったのだろう?」
「えぇ……」
「それは、なぜだと思う?」

 実際のところ、それは二人にも分からない。前述の通り、様々な可能性が考えられるが、そのどれも決め手に欠ける。それ故に、二人共どう答えれば良いのか分からない。困った表情を浮かべる二人を前にして、ロザンはため息をつきながら再び口を開く。

「それが分からないのであれば、これからどうすれば良いかも分からんな。ただ、一つ気になることがある。今まで、その唄を通じて巨大蛾の羽化を試みた者達は皆、歌い切る前に混沌に取り込まれて暴走してしまったのだろう? しかし、お前達は混沌に取り込まれないまま、最後まで歌い切ることが出来た。ということは……、もしかしたら巨大蛾は、途中から、お前達の歌に同調するのを拒否したのではないか?」
「拒否?」
「そう、あくまでも俺の勝手な推論だが、巨大蛾はその羽化の途中の段階で、このまま続ければお前達の身体が混沌に取り込まれてしまうと考えて、途中からはお前達と心を同調させることを自ら放棄していたのではないか、と考えることも出来るだろう」

 ロザンは君主でも魔法師でも邪紋使いでも投影体でもない。純粋なただの一般人である。混沌や投影体に関する学問をどこかで学んだ訳でもない。だが、このブレトランドだけでなく、世界各地を旅して回り、様々な人々と触れ合ってきた彼は、世界中の神話・伝承にも通じている。それらの情報に基づいた上での完全な「何の根拠もない妄想」であると断った上で、彼は自身の仮説を提示した。

「もしかしたら、巨大蛾は、お前達を殺したくなかったのかもしれない。お前達の中に眠る可能性を本能的に察知して、今ここで無理をさせるよりも、もう少しお前達が力をつけた上で再度自分の羽化に挑戦してほしい、と考えていたのかもしれん」

 だが、実際には巨大蛾ことバス・クレフは彼女達に何も言っていないし、そもそもなぜ失敗したのかについても、彼自身が分かっていなかった様子である。ただ、団長の言う通り、自分達が命を落とさずに済んだのは巨大蛾のおかげかもしれないし、そうでなくても、結果的に歌い終わった後も生き残っているというだけでも、過去の挑戦者達よりも一歩進んだ到達点に達していると解釈することも出来る(実際、幼虫体としては最高の段階まで成長したと、バス・クレフ自身が言っていた)。そして、生きているからこそ、歌の実力を磨いた上でもう一度再挑戦することも、確かに可能である。

「だから、もし次に、お前達の中で『今度こそ羽化出来る』という自信がついた時は、俺達がお前達をマーチに連れていく。どうせ、放っておいても勝手に行くだろう? それくらいなら、それまでの道中、俺達がお前達を守る」
「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」

 ミレーヌがそう言うと、二人は改めて深々と頭を下げる。実際のところ、現状ではそこまで巨大蛾を羽化させる必要に迫られている訳ではない。ただ、今後、更に強力な投影体や混沌災害が発生した時には、その力が必要となることもあるかもしれない。
 その時に、彼女達に再挑戦する機会が訪れるのかどうかは分からない。だが、いずれにせよ、今の彼女達がやるべきことは、歌い続けることだけである。今回の件で迷惑をかけた分、今まで以上に一座のために歌い続けよう、とミレーユが決意を固める一方で、アイレナは、姉の「虫嫌い」を克服させるにはどうしたら良いか、ということを密かに考え始めていたのであった。

4.4. 玩具と持ち主

 そんな彼女達の故郷であるマーチ村では、7年ぶりに蘇った村人達の手で、着々と復興作業が進みつつあった。村の各地に生糸が張り巡らされ、混沌繭が存在するという、なんとも奇怪な村ではあったが、逆にその生糸の存在を前提とした上での街造りをすればいい、という逆転の発想で、新しい村の家並みを設計していったのである。無論、10歳のセシルにそこまでの計画が立てられる筈もなく、実質的には先代領主の側近だった人々が中心となって、積極的に彼を補佐しつつ、新体制を築き上げていった。
 ちなみに、このような形で息子が想定外の早さで自立していくことに対して、父であるケイの領主ガスコインは困惑していたが、ひとまず現状においては、ケイの建築技師や土木工事職人を派遣することで、それを積極的に支援する、という方針を選んだ。出来ることならば、巨大蛾という危険な存在を、まだ幼い息子に預けておきたくはなかったのだが、現実問題としてマーチの領主の血を引いている者はヴァレフールにはセシルしかいない。仮にガスコインがセシルの従属聖印を取り上げたとしても、巨大蛾はガスコインのことを新たな主人とは認めず、かえって暴走状態に陥る危険性もある、というのが、ガスコインの契約魔法師の判断であったため、今のところは息子にそのまま委ねるしか無かったのである。
 こうして、周囲の人々のサポートによって、どうにか領主としての責務をこなしていた彼であったが、村をまとめる者として、どのような方向性を示せば良いのか分からないという、新たな悩みも抱えていた。

「セシル様、そんな時はコレです」

 そう言ってSFCは「シムシティ」を取り出す。もっとも、異界における街造りを題材としたこのソフトが、この世界の村造りを考える上で、どこまで参考になるかは分からないが。

「これを通じてシミュレーションして、擬似経験を積んでから、実際の村造りに挑戦していきましょう。そのためにも、これから先も、私で遊んで下さい」
「うん、そうだね。ところでSFC、一つ聞きたいんだけど、今の僕は、誰かの役に立ってるかな?」
「それはもう、誰が見ても役に立ってます。私の誇り高いマスターです」
「じゃあ、もう一つ。SFCは、僕のことを必要としてくれてる?」
「もちろんです! というか、ここまで私で遊んでくれる人は、あなたが初めてです! これから先も、一生ついていきます!」

 こうして、弱冠10歳の新領主セシルは、部下にして親友であるSFCと共に、新たな一歩を踏み出していく。これから先、いずれは契約魔法師を迎えることになるだろうし、他にも多くの家臣をその傘下に加えていくことになるだろう。しかし、彼女以上に自分のことを想ってくれる存在は、これから先も現れることはないだろう、と彼は確信していた。玩具とその持ち主という、なんとも奇妙なこの二人の関係は、これから先もまだまだ続いていくことになるのである。

4.5. 領主と魔法師

 そして、ひとまずグリースの傘下に入ることを決意したエディは、定期的にラキシスから派遣されてくるヒュースとの間に、強固な信頼関係を築きつつあった。マーチでの戦いにおいて、仲間であった筈のスュクルに背中から撃たれたことで、当初は魔法師に対して警戒心を強めつつあった彼も、根が真面目で裏表のない性格のヒュースのことは、素直に信用することが出来ていたようである。

「ところで、エディ殿、あなたには今、契約魔法師がいないようですが、もしよろしければ、私が学院時代の後輩を、誰か紹介しましょうか?」

 ヒュースはそう提案する。彼は名門メレテス家の出身であり、その後輩(義弟・義妹)ということであれば、優秀な人材の宝庫である。

「ヒュース殿の紹介ということであれば、ぜひともお願いしたいです」
「ちなみに、どういった人材をお望みですか?」

 エーラムの魔法師の中にも、様々な系統の者達がいる。スュクルのような時空魔法師もいれば、ヒュースのような召喚魔法師もいる。あるいは、性格や人間性という点も、領主との相性を考える上では重要だろう。

「そうですね……、特にこれといって希望はないのですが……、まともな友好関係を築ける人がいいです」

 やはり今回の一件を通じて、スュクルのようなタイプの魔法師に対しては苦手意識を持ってしまったようである。その辺りの詳しい事情を知らないヒュースであったが、ひとまずエディと仲良くやっていけそうな人物を、彼の記憶の中からリストアップし始める。無論、彼が斡旋したところで、実際に赴任してくれるためには、魔法師本人の同意も必要なのであるが。
 そして、そんなやりとりを交わしつつ、領主の館に帰ったエディには、セシルからの手紙が届いていた。さっそく開いてみると、そこに書かれていたのは、マーチの彼の邸宅での「三國志の対戦プレイ」への招待状である。それがどんなゲームなのかはよく分からなかったが、ひとまず彼は「領主としての勉強も一緒にしような」と但し書きを加えた上で、その誘いに応じる旨を手紙で伝える。これから先も、従兄弟として、領主の先輩として、セシルを支えていかなければならない、と改めて決意するエディであった。
 ちなみに、これから数ヶ月後、このエディとセシルの元に、それぞれ新たな契約魔法師が派遣されることになる。それがどんな魔法師達なのか、そしてその二人を招いた両村の合同親睦会でどんなゲームが遊ばれることになるのか、そのことを知る者は、この時点ではまだ誰もいなかった。

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最終更新:2014年11月06日 06:48