第5話(BS08)「幻惑の樹海迷宮」 1 / 2 / 3 / 4


5.1.1. 新たなる国号

「マイロード、そろそろ、新しい国号を決めませんか?」

 アトロポス軍の戦いから月日が経過し、ようやく「山岳三村体制」が定着し始めた頃、マーシーがゲオルグにそう提案した。現在、ゲオルグはラキシス村に加えて、アトロポス村とクローソー村も傘下に加えている。直接的な統治はそのままエースとハウルに任せてはいるが、「山岳三村の盟主」となった今、新たにその「山岳三村」の総称となるような国号を設定すべきではないか、というのがマーシーの提案である。
 マーシー曰く、ゲオルグの聖印はエースの聖印を吸収したことで(現時点では彼に従属聖印という形で部分的に貸し出してはいるが)、これまでの混沌との戦いで集めたカウントも含めて、まもなく「男爵位」に近付きつつあるという。そうなった時に「ヴァレフール伯爵」や「アントリア子爵」と並べて呼べるような「明確な国号」があった方が納まりが良い、という考えもあった。
 ゲオルグもその考えには同意するが、問題はその呼称である。さすがに「ブレトランド男爵」を名乗るのはまだ無理がありすぎるし、「南東トランガーヌ男爵」というのも、中途半端な響きである。出来ることなら、現時点で国号として用いられていない、それでいて歴史的に由緒ある名前が良い、という考えの上で、マーシーが提示したのは、以下の三つの案である。
 一つは、現在支配している山岳三村を中心とする地域を指す言葉として用いられていたという「バストーニュ」という地名である。現在の支配領域を表す言葉としては最も適切であるが、最近は滅多に使われない呼称なので、住民達の間ににもあまり馴染みがない。
 もう一つは、このブレトランド中部に存在していたと言われる伝説の王国の名である「グリース」である。混沌爆発以前の時代に栄えていたと言われる半ば神話的な存在のため、実際の所在地についてはよく分かっていないが、その名前だけは現在も多くの人々の間に伝わってはいる。
 そして最後の一つの候補は、かつて英雄王エルムンドと共にブレトランドを切り開いたと言われる七人の騎士の一人「フェルマータ」の名である。彼はこのトランガーヌ南部の地で没したと言われており、「彼の志を受け継いで混沌と戦う者達の国」という意味では、スローガンとしても適している。ただ、マーシーはこの名を自分で提案しながらも、その採用をためらう理由があった。

「このような英雄名を国号に用いるならば、むしろマイロードの場合、『御自身の御先祖』の名を用いた方が良いのかもしれませんね」

 したり顔でそう言ったマーシーだが、ゲオルグは首を傾げる。彼の実家は貴族家の一つではあったが、そこまで有名な祖先がいるという話は聞いたことがないし、そもそも自分の祖先の話をマーシーにしたこともない。
 そんな彼の様子に対して、今度はマーシーがやや不思議そうな顔を浮かべつつ尋ねる。

「ルードヴィッヒ家の御長男として、御自身の血統が持つ意味は御両親から聞かされているのですよね?」

 それに対してゲオルグは、露骨に不機嫌そうな声で答える。

「知らん。そもそも俺は長男じゃない」

 そう言われたマーシーは、目を大きく見開いて驚愕の顔を浮かべる。

「え? そ、そうだったのですか……、では、御長男の方は? まだご存命なのですよね?」

「知らん。あいつがどこで何をしていようが、俺の知ったことではない」

 ゲオルグには確かに兄がいたが、混沌災害で実家が滅びて以来、行方不明のままである。というか、なぜこのタイミングで兄のことが話に出てくるのか、ゲオルグにはその理由がさっぱり分からない。
 一方、そのリアクションに驚いたマーシーであったが、自分の中でこれまでの経緯を思い出しながら、やがていつもの冷静な表情を取り戻していく。

(なるほど、それが今まで、私の予言との「誤差」が発生していた要因だったのか……)

 マーシーの「先読み」能力は学院出身の時空魔法師達と同様、特定の未来に関する「言葉」を天啓として受け取り、それを繋ぎ合わせることで未来を予知していく。当然、それらの言葉の「繋ぎ合わせ方」を間違えると、とんでもない誤解が発生する可能性もある。今回の場合、マーシーは「自分が仕えるべき主」のことを特定する際に受け取った天啓の中に「兄」という言葉が含まれていたため、それで彼のことを「長男」と勘違いしていたようである。

(そうか、あの「妹」の存在が、私をミスリードさせた要因だったのだな。だが、大丈夫。私の予言の大枠は間違っていない。私が今、仕えるべき主は、間違いなくこのゲオルグ・ルードヴィッヒ様だ)

 マーシーは自分にそう言い聞かせつつ、ゲオルグが長男ではないと分かったことで、この件についてはこれ以上触れずに話を進めようとする。彼女にとっては、ゲオルグが「ルードヴィッヒ家の歴代長男だけに受け継がれている秘密」を知らないことは、むしろ好都合だったのである。

「失礼しました。では、その件については置いておいた上で、ひとまず、国号についてはいかが致しましょう?」

 そう問われたゲオルグは、しばらく熟考した上で、こう答える。

「『グリース』がいいな」

 具体的な範囲が明確でないからこそ、その領土をどこまで広げてもこの名を使えるというメリットもある。かつての古代王国の名ということであれば、その後に生まれた国家であるヴァレフールやアントリアと比べても見劣りはしない。

「分かりました。では、マイロードが男爵位を授かる時には、エーラムにそのように伝えることに致します」
 こうして、山岳三村を中心とする「ゲオルグの支配領域」の暫定的な呼称として「グリース」という言葉が用いられることが決定された。つまり、これから先のゲオルグは「ラキシスの領主」であると同時に「グリースの領主」でもある、ということになる。問題は、その「グリース」の範囲が、これからどこまで拡大することになるのか、ということであるが、それはまだ誰にも分からなかった。

5.1.2. 植物学者

 さて、ミスリル鉱山開発の成功によって経済的には少しずつ安定しつつあるラキシスであったが、ラキシスを含めたグリース地方の三村は、共通する問題を抱えていた。それは、食材のバリエーションの乏しさである。一応、ギリギリ自給自足が可能なレベルで農業もおこなってはいたが、山岳地方ということもあり、一般的な作物の栽培には適さない。故に、僅かな気象変動によって収穫高が下がると、それだけで食料自給率は大幅に下がる。今後、周辺諸侯との関係が上手くいくかどうかも分からない以上、交易ルートが遮断されることが文字通りの死活問題に関わるような状態は、なんとか避けたいと皆が考えていた。
 そんな中、ミスリルの仕入れのために再びラキシスを訪れていた行商人のアストリッド・ユーノが、興味深い情報をゲオルグに提供してきた。

「植物学者として有名なエスメラルダさんが、メガエラ村に招かれて、この辺りに来ているらしいですよ」

 アストリッド曰く、そのエスメラルダという人物は、女性ながらも大陸有数の農作物研究家であり、以前は高山地方でも栽培可能な食物の研究に従事していたこともあるらしい。彼女をラキシス村に招くことが出来れば、貧相なこの村の食料事情を、劇的に改善することが出来るかもしれない、というのがアストリッドの考えである。ちなみに、彼女がこのことをあえてゲオルグに告げようと考えた理由は、彼女がお気に入りの「小料理屋:クレア店長のクリームシチュー」に更に多彩な食材が加われば、もっとその味に広がりが出るかもしれないという、個人的な好奇心であった。
 ちなみに、彼女が仕入れた情報によると、エスメラルダはヴァレフール経由でメガエラに向かっているらしく、今から出掛ければ、クローソーの近辺で彼女を発見出来るかもしれない、とのことである。メガエラに到着してから引き抜くとなると、また新たな火種が発生する可能性はあるが、その前に声をかけるのであれば、まだ正統性を主張しやすい。上手くいくかどうかは分からないが、やってみる価値はあるようにゲオルグには思えた。
 こうして、ゲオルグは急遽、「いつもの四人」に声をかけ、エスメラルダの勧誘のために南方に向かう旨を告げる。説得のスペシャリストとしてのルルシェと、万一の場合に備えての腕利きの護衛としてのヒュース・ガイア・コーネリアスという、現在のラキシスにとっての「最強の布陣」である。
 ただ、その話を聞かされた時、ヒュースの脳裏に一人の女性の顔が浮かんだ。彼の学院時代の召還魔法科の先輩で、当時学科内で最も優秀と言われていたエスメラルダという魔法師がいたのである。ヒュースとも親しく、その召還術の腕前は彼もよく知っていたが、卒業試験においてまさかの「不合格」という判定が出て、そのまま学院を追い出されることになった、と聞かされている。魔法師が学院を追い出される場合、少なくとも魔法に関する知識は記憶から抹消されることになるが、もともと優秀な頭脳の持ち主であった場合、魔法や混沌以外の方面での学者として第二の人生を歩む者も多い。その植物学者が彼の先輩と同一人物かは分からないが、状況的に考えて、可能性としては十分にあり得る話に思えた。

5.1.3. 初めての……

 こうして、ゲオルグ達は新たな人材スカウトのために出立の準備を始める。ただ、距離的に今から移動して彼女に追い付けるかどうかは微妙だったので、ヒュースがタクトを用いて、彼の学院寮時代の寮長であったイクサに通信で依頼して、メガエラへと街道沿いにそれらしき人物が現れるかどうかを確認してもらうことにした(もっとも、イクサ自身はあまり人相の良い風貌とは言えないので、仮に発見したとしても、彼に「足止め役」を任せて良いかは微妙な問題ではあったのだが……)。
 その上で、迅速に身支度を始めるゲオルグ達であったが、そんな中、隊舎で荷物をまとめるコーネリアスの前に、鍛冶屋ボルドの娘、アドラが現れる。

「あ、あのさ、コーネリアスくん、ちょっと、その言いにくいことなんだけど……」

 彼女は、両手を後ろに回した状態で、伏し目がちにモジモジしながらそう言って彼に近付いてくる。

「これ、受け取って貰えないかな」

 そう言って彼女が彼の目の前に突き出したのは、鋭い銀色の刃だった。

「これは、まさか……」

 それは、コーネリアスが日頃扱っているダガーと同じくらいのサイズでありながらも、明らかにその材質は鉄とは異なる、独特の輝きとオーラを放っていた。

「親父さんから練習用に貰ったミスリルで、こっそり作ってみたんだ。まだ、これを作ったことは秘密なんだけど……、ちょっと試しに使ってみてほしくて。キミなら、このサイズの刃物の扱いにも馴れてるだろうし、バレないようにこっそり使うのも上手いだろうから」

 確かに、暗殺術に長けたコーネリアスなら、この手の武器の扱いはお手の物だろう。今のラキシスの中で、彼が最も適任なのは間違いない。

「初めてにしては、よく頑張ってるじゃないか」
「正直、私は今まで、ちゃんとした武器を作ったことがないから、実戦で使えるかは分からないんだけど……」
「ちなみに、この剣の銘は?」
「そうだね……、じゃあ、キミに付けてほしい。実際に使ってみた上で、考えてくれてもいい」
「分かった。使い心地を確かめてから、考えさせてもらう」

 そう言って、コーネリアスはそのダガーを受け取る。こうして、アドラが父と同じ武器職人への道を歩むことになるのか否か、その大きな転換点となりうる重大な使命が、コーネリアスに課せられることになったのである。

5.1.4. 樹海の出現

 その後、足早に準備を進めた五人は、さっそくクローソーへと向かい、無事に到着する。しかし、それと同時に、ヒュースの持つタクトに、メガエラ方面の街道の監視に向かっているイクサからの通信が入る。

「今、街道のど真ん中に『魔境』が出現したのを確認した」

 魔境とは、混沌核によって生み出された混沌空間のことである。今回現れたのは、巨大な樹海のような森らしい。そして、つい数刻前に、この近くを通った旅人達がいたという。

「現状、その旅人達も巻き込まれて森の中にいる可能性はある。あるいは、その旅人達がパンドラか何かの一員で、彼等の仕業によって生み出された樹海なのかもしれない」

 立地的には、ややメガエラ寄りの土地らしいが、クローソーの管轄内と言えなくもない、微妙な距離であるという。そして、イクサが見たところ、聖印も邪紋も魔法も使えない一般人が入ると危険な雰囲気を醸し出しているという。
 ひとまずゲオルグとしては、このまま放置しておく訳にもいかないので、クローソー村に駐在していたカイを派遣して、イクサと共に樹海の内部の調査に向かってもらうことにした(ちなみに、ハウルはヴァレフール諸侯への定期的な表敬訪問のため、不在であった)。あくまでも、樹海の概要を確認するための派遣であり、無理して危険を侵さず、すぐに戻ってくるように、という通達の上での派遣である。
 その間に、ゲオルグ達は当初の目的であるエスメラルダの捜索に向かうことにした訳だが、クローソー村でそれらしき人物の噂を集めてみたところ、どうやら既にメガエラ方面に向かってしまったらしい。ということは、その「旅人」の中に含まれていた可能性が高そうである。
 一方で、カイとイクサは樹海内に入ってから数刻経っても帰ってくる様子がなく、タクトを用いた通信にも、全く反応しない。これは、予想以上に厄介な魔境のようである。意を決したゲオルグは、側近達と共に、樹海へと足を踏み入れることを決意する。領土的には、彼の管轄下の土地と言って良いかどうか微妙な場所ではあるが、かつて混沌災害によって故郷を奪われた彼としては、どちらにしても、このまま放っておく訳にはいかなかった。

5.2.1. 二人の領主

 ゲオルグ達5人が街道を西進すると、そこには確かに巨大な樹海が広がっていた。比較的整備が整っているこの地域の街道を遮るように出現したその森は、あまりにも異様で不気味な様相である。
 彼等は、十分に警戒しながらその森の中へと足を踏み入れる。見慣れない種類の木々が生い茂る中、足場を確認しながら少しずつ共にまっすぐ進んでいった筈の彼等であったが、ゲオルグがふと周囲を見渡すと、いつの間にか、自分の回りに誰もいなくなっていることに気付く。

「これは……、噂に聞く樹海迷宮というやつか」

 彼が傭兵として各地を転々としていた頃、共に仕事を請け負っていた傭兵仲間の一人から聞いたことがある。混沌が生み出す樹海の中には、入った人間の方向感覚を狂わせることがある特殊な魔力を生み出す森もあるという。おそらく、これもその一種なのであろうということは、彼には予想出来た。

「ヤベぇ、ルルシェ……、大丈夫か!?」

 実はルルシェは、天性の方向音痴である。だからこそ、いつもゲオルグが彼女の傍らにいて導いてきただけに、ここで彼女とはぐれてしまったことで、ゲオルグの表情は青ざめる。もっとも、この樹海に入ってしまった以上は、もはや方向音痴であろうと無かろうと状況的には大差無いのだが、それ以前の問題として、現状において個人的な戦闘能力を殆ど持たないルルシェが、他の仲間とはぐれると一番危険な状態に陥ることは間違いない。
 慌てて彼女を捜そうと周囲を走り回っていると、その近くで、「何かと何かが戦っているような音」が聞こえてきた。魔物のような呻き声と、そして少女のような掛け声。ゲオルグがそちらに目を向けると、そこにいるのは、見知らぬ一人の小柄な少女(下図)が、レイピアを片手に、巨大な熊のような魔物の群れと戦っている姿である。


 その少女の纏っているオーラから、彼女が君主であることは分かるが、かなり息も荒く、フラフラの様子で、相当苦戦しているように見える。

「あの小娘、何をやってるんだ」

 そう呟いたゲオルグは、彼女に向かって駆け出し、その剣で彼女をとりまく巨大熊達を次々と斬り捨てていく。これまで幾多の戦場を渡り歩いてきたゲオルグにとっては、雑作もなく倒せる程度の熊であった。そして、割って入ってきたゲオルグが味方であると認識したその少女は、彼に向かって「再動の印」を発動させる。ゲオルグは、自分の身体が自分の予想以上の速さで動いていることに驚愕しつつ、あっという間に魔物達を殲滅した。どうやらこの少女は、自分自身が戦うよりも、周囲の者達を生かすことに長けた聖印の持ち主のようである。

「助けて……、頂き…………、ありがとうござ……、い、ます……」

 荒い息づかいのまま、少女はそう言って礼を述べる。

「まぁ、気にするな。これも、ここの領主の仕事だからな」

 ゲオルグがそう答えると、その少女は「領主」という言葉に敏感に反応する。

「領主……? もしや……、あな……た……が……、最近、クローソー村を…………、傘下に……治め……た……と……いう…………」
「あぁ、ゲオルグ・ルードヴィッヒだ。よろしくな。そういうお前は、流れの君主か?」
「いえ、わた……し…………は……、(ゲホゲホ)エラむ(ゲホゲホ)…………ょうしゅ……」

 息が荒れた状態のまま話そうとそいた彼女は、その状態のまま咳き込んでしまい、その状態のまま何か言っているようだが、ゲオルグにはよく聞き取れない。とはいえ、ゲオルグ自身はこの「小娘」の素性についてはそれほど興味があった訳ではないので、適当に彼女の声を聞き流しつつ、ひとまず自分の持っていた水袋を取り出し、彼女に渡す。

「色々大変だったようだな」
「あ、ありがとう……、ございます……」

 そう言って、彼女は水を飲み、ようやく少し落ち着いた表情を見せる。年の頃は、おそらくルルシェと同じくらいであろう。長年ずっと妹と共に生きてきた彼としては、どこか放っておけない存在に思えた。

「俺はこの魔境を探索に来たんだが、仲間とはぐれてしまってな。仲間を捜す間、俺と一緒に来ないか?」
「そうさせて頂けると、助かります」

 ようやく平静を取り戻した少女とゲオルグは握手を交わし、そのまま彼女の手を引いてゲオルグは歩み始める。この樹海の中では、このような形で手を繋ぎながら歩くのが、はぐれないためには一番の良策であった。

「それにしても、最近はこの辺りでの混沌の収束率も下がっていたのに、どうしてこんな……」
「さぁな。混沌のやることなど、我々人間には分からんよ。だが、こうやって混沌を倒していけば、聖印は成長する。そうすれば、更なる巨大な混沌を倒すことも出来るようになる」
「確かに、それが私達君主の使命ですしね」

 そう言いながら、二人の君主がその途上で現れる様々な魔物を倒しつつ、少しずつ進んでいくと、やがて彼等の前に、一人の魔法師が姿を現す。先遣隊として派遣されていたイクサである。どうやら彼もまた、ゲオルグ達と同様、この森の中で道に迷ってしまっていたらしい。

「おぉ、ゲオルグ殿、と、そちらは……、ティファニア殿!? なぜ、あなたがこんなところに」

 いつもは淡々とした不気味な表情を浮かべることが多いイクサが、珍しく本気で驚いた顔を見せる。

「知っているのか、こいつのことを?」
「ご存知なかったのですか? メガエラ村の領主様です」
「何!?」

 そう、彼女の名は、ティファニア・ルース。クローソー村とは街道を挟んで隣に位置する、メガエラ村の領主である。イクサは彼女が領主に就任して以来、何度か挨拶に訪れていたようである。

「私、先程そう言いませんでしたか?」
「聞いていないぞ!」

 正確には、言ったのだが、息が荒れていて聞き取れなかった。いずれにせよ、ゲオルグとしてはこれでようやく合点がいった。彼女はスタイル的に白兵戦向きのタイプではないようだが、彼女の聖印は明らかに「ただの流浪の君主」にしては大きすぎる(ゲオルグと同程度の)サイズだったのである。このトランガーヌ南部地方において、最も経済的に豊かと言われるメガエラ村の領主ということであれば、それも納得である。

(もし、あの時、俺がこの娘を見殺しにして、その聖印を手に入れていれば……。いや、今からでもそれは出来なくはないか……?)

 そんな考えが一瞬、ゲオルグの頭に浮かんだが、すぐさま、まず今は協力してこの森を脱出することを考えなければならないと頭を切り替えた上で、他の仲間とも合流するために、二人と共に周囲の探索を続けることにした。
 君主二人に魔法師が加わったことで、もはや大抵の魔物が現れても恐るるに足らない布陣が整った訳だが、魔物達もその「強さ」を直感的に感じているのか、あまり襲ってこなくなった。かと言って、相変わらず状況打開の策はないまま、ただ闇雲に歩き続けるしかないという状況は変わらない。そんな状態で歩き続けていたら、次第に彼等も気が滅入ってくる。

「なぁ、とりあえず、話でもしないか?」

 ゲオルグがそう言うと、ティファニアも同意する。

「そうですね。では、一つ聞きたいのですが、どうしてあなたは、ラキシス村の領主となったのですか? あなた自身は、あの村の人ではないのでしょう?」

 これはティファニアだけでなく、この村の近隣の多くの者達が感じている疑問だったが、ゲオルグにとっては、その答えは至極単純なものだった。

「俺は『領主がいない村』があると聞いた。そこに行けば領主になれると聞いた。それだけだ」
「ラキシス村がなぜ、今までどの領主も手を出さなかったのかを知った上で、ですか?」
「あの村が貧しすぎたからだろう? 奪い取るには、あまりにも旨味がなさすぎた。だが、流浪の君主にとっては、支配する村があるのと無いのとでは、天と地ほどの差がある。だから、俺にとってあの村は、十分に『価値のある村』だった」

 この考え方は、先代領主の娘として「生まれながらにして君主になることを定められた生き方」をしてきたティファニアとしては、今ひとつ共感は出来ないものの、「領主になりたい流浪の君主」の行動原理として、理屈の上では理解出来た。

「なるほど。そして、アトロポス、クローソーを傘下に治めた今、次はどうするつもりです?」

 もし、彼がこのまま拡大路線を続けていくなら、当然、次はメガエラが侵略の対象となるであろう。

「私は、平和を愛する君主だからなぁ。無事に君主を務められれば、それでいいさ」

 ゲオルグはとぼけた顔でそんな言葉を並べているが、明らかにその口調は「棒読み」であり、それが彼の本心ではないことは明白であった。

(果たしてこの男、本当に君主たる器の持ち主なのだろうか?)

 訝しげな視線を彼に向けつつ、そう考えながらも、今は彼の力に頼ってこの局面を乗り切るしかないことをティファニアは口惜しく感じる。

「そういうお前こそ、これからどうするんだ? 北にアントリア、南にヴァレフール、そして近場にも俺のような勢力を伸ばす君主が現れた。メガエラの領主は、この状況に対してどうするつもりなんだ?」
「私は……、今、『自分の覇道』を探しているところです。今の私には、守らなければならないものが沢山ある。我が領民達、我が配下の者達、そして……、この世界のために、私が、いや、我が一族が守りきらねばならないものが……」

 そう言って、彼女は「村の近くに潜む巨大な魔物」のことを思い出すが、そのことをこの場で口に出す訳にはいかず、言葉に詰まる(詳細は「ブレトランドの英霊」シリーズ第1話 「白き森の深淵」 参照)。

「覇道と言う割には、随分と守らなければならないものが多いのだな。覇道を歩むというのならば、それらの全ては自分が利用するための道具にすぎない、それくらい言い切ったらどうなんだ?」
「確かに、そうかもしれません。しかし、それは『自分の覇道』がはっきり見える状態になってから言えることです。残念ながら、今の私にはまだそれが見えない。そして、少なくとも今、私の回りには、私を慕ってついてきてくれる者達がいる。だから私は、まず彼等を守らなければならない。その上で、自分の進む道を探さなければならないのです。この世には、生まれながらにして、色々なものを守らなければならないという宿業を背負っている者もいる。あなたは、そうではないのかもしれませんが」

 ゲオルグも一応、次男坊とはいえ貴族の出身ではある以上、本来は一定の「守るべきもの」を背負って生まれてきた身である。しかし、彼は既にそれらの全てを(たった一人の「妹」を除いて)失ってしまった。憎むべき混沌災害によって。

「そうか……、お前は、それだけの荷物を背負えるのだな……」

 遠くを見ながら、ゲオルグはそう呟く。その視線の先に何があるのかはティファニアには分かる筈も無かったが、少しだけ心が通じ合えたような、そんな感覚を覚えていた。

5.2.2. 恋愛と兄妹愛

 一方、状況的に最もゲオルグから心配されていたルルシェは、ガイアと共にいた。運良くこの二人だけは、一人きりにならずに済んでいたのである。ただ、二人ともこの樹海の構造については理解出来ないままだったので、ただひたすら混乱するばかりであった。
 ガイアとしては、とにかく他の人々と合流する必要があると考え、近くの木に登って辺りの様子を確認しようとする。見たことのない形状の木ではあったが、それでもなんとかよじ上り、周囲を見渡していると、その中に、奇妙な光景が見える。それは「見たことのない装束に身を包んだルルシェ」の姿であった(下図)。


 やや髪型は違うものの、その顔付や背格好は、間違いなくルルシェそのものである。しかし、今、ルルシェは自分と共にいる筈。混乱したガイアは、慌てて木を降りてそこにルルシェがいることを確認しつつ、彼女に問いかける。

「ルルシェ……、あなたによく似た女の子を見たんだけど、何か心当たりはないかしら?」
「心当たりと言われましても……」

 ルルシェには姉も妹もいない。今まで、特に誰かに似ていると言われたこともないし、これと言って思い当たる節は全くない。
 そんな二人が更に混乱していると、その話し声が聞こえたのか、近くの木の奥から男性の声が聞こえる。

「おーい、そこに誰かいるのか?」

 そう言って現れたのは、以前、アトロポス村のボルドの工房で出会った、メガエラの魔法師、ヴェルノームであった(下図)。


「君達はたしか、ラキシスの……、なぜ、君達がここに?」
「それに答える前に、なぜあなたがここに迷い込んでいるのかを聞きたいわ」

 ガイアにそう問われると、ヴェルノームは素直に答える。

「なぜも何も、ここは我々の領土だからな。我々は今、とある客人を招こうとしていたんだが、その客人が来る筈の街道の途中で、この魔境が出現してしまったのでね。その浄化のために足を踏み入れたんだが、森に入った途端、仲間とはぐれてしまったんだ」
「そう……。私達も、同じようにこの森の調査に来て、迷子になってしまったの」

 さすがに、その「客人」を横取りしに来たということまではガイアも言わない。ひとまず、状況が確認出来たところで、ヴェルノームはガイアに対して、ふと個人的な感想を口にする。

「ところで君、こないだ会った時と、少し雰囲気が変わったね」

 女性中心の職場で働いているせいか、ヴェルノームは女性の微妙な心理の変化には敏感である。ここ最近のガイアは、以前よりも「女性らしい表情」を見せるようになったことに気付いたらしい。

「何があったか、分かるかしら?」

 幸せそうな顔で得意気にそう問い返すガイアに対して、ヴェルノームは自分の直感が当たったことを確信する。

「そうだね、僕と付き合い始めた頃のクリスによく似た表情だ」
「じゃ、そういうことにしといてちょうだい♪」
「しかも、僕の事情とは違って、それほど遠くにいる訳ではないのかな。僕の場合はね、会いに行きたくても色々と状況が許さなくて……」

 「恋をして綺麗になった女性」を褒めるだけで止めておけば良いのに、そこからサラッと自分の惚気話に持ち込んでしまう辺りが、ヴェルノームのヴェルノームたる所以である訳だが、そんな彼の長話を、ガイアがザックリと切り捨てる。

「ひとまずその話は後にして、この状況をなんとかすることを考えましょう」
「そうだね。とにかく、まずは仲間と合流しないと」

 冷静さを取り戻したヴェルノームに対して、今度はルルシェが問いかける。

「その様子からすると、まだ兄様には会っていないんですね?」
「兄様……? あぁ、あの噂のラキシスの領主様か。今のところ、この樹海に入ってから、会ったのは君達だけだ。多分、この樹海は、入った人間の方向感覚を狂わせるタイプの魔境なんだと思う」

 さすがに魔法師だけあって、ヴェルノームは混沌や魔境に関する知識は豊富である。彼の仮説に基づいた「この森の危険性」を一通り聞かされると、ルルシェは取り乱し始める。

「そんな……、じゃあ、兄様が危ない!」
「ルルシェ、落ち着いて。この状況で、誰がどこで怪我をしているのかも分からないんだから、あなたが気をしっかり持たなきゃダメよ」

 こういう状況においても、ガイアは冷静である。もっとも、落ち着いたところで、この状況をどうにか出来る訳でもない。ひとまず、この三人ではぐれないように気をつけながら、少しずつ彼女達は足を進めていく。
 すると、今度はそこで、ガイアとルルシェは、見たことがない「鉤爪を持った女性」(下図)と遭遇した。しかし、どうやらヴェルノームは、彼女のことを知っているらしい。


「おぉ、ヴェルノーム殿、ご無事でしたか。そちらの方々は?」
「どうやら、ラキシスの御領主の妹さんと、自警団の団長さんらしい」

 その女性に問いかけられヴェルノームがそう答えて、二人がそれに続けて自己紹介すると、「鉤爪の女性」も改めて自己紹介する。

「はじめまして。メガエラ村の筆頭武官のターリャと申します」

 近くまで来て見てみると分かるが、どうやら彼女はアンデッドの邪紋使いのようである。身体のあちこちが奇妙な形態に変質し、それを隠すように包帯が巻かれている。
 ターリャもまた、ここまで一人で彷徨い歩いていたようだが、その途中でいくつかの魔物に遭遇したらしい。今のところは、それほど危険な存在は出現していないようだが、この魔境が成長していくにつれ、より強大な投影体が現れる可能性も十分にありうるというのが、彼女の見解である。

「こんな時に兄様がいてくれたら、何か適切な助言を下さるでしょうに……」

 ターリャはそう呟く。彼女の兄、ファルク・カーリン男爵はヴァレフールの最前線基地であるイェッタの街の領主であり、ヴァレフールの七人の騎士隊長の一人でもある。そして、以前、ゲオルグに「ヴァレフールとの連携」を提案しに訪れた人物でもあった(第3話参照)。ターリャにとっての兄ファルクは、ルルシェにとってのゲオルグにも負けないほどに「絶対的な存在」であり、彼女は「この世界に、兄様よりも優れた人物など存在しない」と本気で信じ込むほどの偏愛の持ち主でもあった。
 ルルシェはその時アトロポスにいたため、ファルクと面識はないし、ターリャもゲオルグのことは知らない。ただ、なんとなく、互いに「自分と近い感性の人物」であることは感じ取ったのか、奇妙な連帯感がここに形成されることになる。

5.2.3. 失われた記憶

 こうして、仲間達がメガエラ村の面々と一時的な協力体制を築いていたその頃、ヒュースはまだ誰とも合流出来ないまま、サラマンダーと共に森を彷徨っていた。さすがに魔法師の彼は混沌や魔境に関することも学院で十分に勉強していることもあり、今のこの状況が、この樹海の力で方角を狂わされた結果だということには気付いていたようである。
 そんな彼が、ひとまずサラマンダーの炎で木を燃やすことで道を作りつつ、周囲を探っていると、その彼の目の間で、一人の武器を携えた見知らぬ男性が、巨大な狼のような魔物の前に倒れ込む姿が映る。そして、その男の背後には、一人の女性が怯えながら立ちすくんでいた。

「申し訳ありません、お嬢様……」

 その男が断末魔にそう呟くと同時に、その狼型の魔物が女性に襲いかかろうとしたが、間一髪のところで、ヒュースの傍らにいたサラマンダーが放った炎が、一瞬にしてその魔物を焼き尽くす。どうやらその魔物と戦っていた男は聖印も邪紋も持たない一般人だったようで、さすがに生身の身体でまともに戦える相手ではなかったようだが、ヒュースのサラダマンダーの前では敵ではなかった。

「大丈夫でしょうか?」

 そう言ってその女性に駆け寄ったヒュースは、その女性が、自分の見知った人物であることに気付く。それは間違いなく、彼の学院時代の先輩である召還師のエスメラルダであった(下図)。


「あ、ありがとうございます。あなたは……?」

 そう言って感謝の瞳を浮かべる彼女は、今、自分の前の前にいる人物が、自分の後輩だということに気付いている様子はない。学年は離れていたが、それなりに彼とは親しかった筈である。

「ラキシス村の魔法師のヒュース・メレテスです。僕のこと、覚えていないのでしょうか……?」

 そう言われると、その女性は申し訳なさそうな顔をして答える。

「すみません、私、一時期は魔法学院に通っていたのですが、学院を辞める時に全ての記憶を消されてしまったそうで……」

 どうやら、彼女が「ヒュースの先輩のエスメラルダ」であることは間違いないらしい。ただ、それにしては一つ、奇妙な点がある。通常、魔法学院の卒業試験に不合格となって放校になる場合、魔法に関する知識だけは記憶から消されるものの、その魔法学院に通っていた間の交友関係などの記憶は残っている筈である。もし、全ての記憶が消されたとすれば、それはただの「成績不足」ではなく、何らかの「特別な事情」で放校になった場合に他ならない。
 公式発表では、彼女は「卒業試験に不合格となって放校された」ということになっていたが、当時最も優秀と言われていた彼女が不合格となったことについて、疑問を感じる者も多かった。どうやら、彼女は何らかの特別な事情から、学院を強制的に辞めさせられた可能性が高そうである。

「でも、どうしてでしょう? あなたと一緒にいると、私の中の何かが反応しているような気がします。この森に入る前よりも、ずっと精神的に満たされているような……」

 やや火照った顔を浮かべながら、彼女はそう呟く。

「とりあえず、ここは危険ですから、はぐれないように一緒に行きましょう」

 そう言われると、エスメラルダも同意して、二人ではぐれないように手を繋ぎながら歩き始める。そしてその途上、ヒュースは、自分の周囲の混沌濃度がどんどん高まりつつあるのを感じていた。その状態にイヤな予感を感じたヒュースは、自分の周囲の混沌濃度を少しずつ減らしつつ、彼女に問いかける。

「ところで、エスメラルダさんは、どうしてここに?」
「あ、はい、私は植物学を研究している者なのですが、メガエラ村から『農作物の改良に協力してほしい』ということで招待されて、そちらに向かう途中で突然、この森が現れて……」

 どうやら、彼女が今回の「スカウトのターゲット」であることも間違いないようである。

「さっき一緒にいた人は?」
「彼は、これまでずっと私の護衛を務めていてくれた者です」

 そう言って、彼女は視線を落とす。どうやら、それなりに長く彼女を守り続けていた人物らしい。最期に「お嬢様」と言っていたところから、彼女はそれなりに裕福な家の出身のようだが、魔法師として入門した時点で一度は家を捨てている筈である。学院を辞めた後、色々な経緯があったのだろうが、さすがにそこまで踏み込んで聞くのはヒュースにも憚られたようである。
 とはいえ、図らずもヒュースは、今回のゲオルグ達の目的を果たす上での最重要人物と接触することには成功した。問題は、ここからどうやって他の者達と合流するかなのだが、残念ながら、今のヒュースには皆目その見当がつかない状態のまま、ひたすら歩き続けるしかなかったのである。

5.2.4. 騎士と影(シャドウ)

 そうこうする中、ヒュースと同様に一人、誰とも合流出来ずにいたコーネリアスは、ただひたすらに混乱していた。彼には今のこの「混沌の樹海が生み出した魔力によって、皆とはぐれた」という状況が理解出来ていない。普通に歩いていた筈の自分が、いつの間にか迷子となっているという状態に、激しく動揺していたのである。なんだかんだで、隠密としていつもそれなりに周囲の状況を計算した上で行動する彼は、このような全くの不測の事態への対応力には欠けていた。
 そんな彼が、本来の集中力を欠いた状態で立ち尽くしていた時、その背後から伸びてきた細いレイピアの剣先が、自分の首筋に突き立てられていることに気付く。

「お前は、ルブラン(白)か、それとも、ルノアール(黒)か」

 それは、明らかに幼い少女の声であった。いつもの自分とほぼ同じ手法で自分が追い詰められているという状況が、彼の中の混乱に更に拍車をかける。しかも、「ルブラン」も「ルノアール」も、全く聞き覚えのない呼び名であり、それが人を指しているのか団体を指しているのかも分からない。
 困惑したコーネリアスが硬直した状態になっていると、そこに割って入る者が現れた。コーネリアスの首に突き付けられていたレイピアが、後方から投げ込まれたダガーによって弾かれたのである。その隙に剣先から逃れたコーネリアスがそのダガーの飛んできた方向に目を向けると、そこにいたのは、一人のメイド服を来た少女であった(下図)。


 森の中にこのような姿で現れる時点で非常識であるし、ダガーを投げ込むような戦士の装束でもない。しかし、コーネリアスはこの少女のことを知っている。

「クローディアさん!」

 彼女の名は、クローディア・シュトライテン。かつて、コーネリアスの父アウグストが仕えていたトランガーヌ子爵の懐刀と呼ばれていたシャドウの召使いである。年齢はコーネリアスに近いが、シャドウとしてのキャリアは長く、トランガーヌの武官達からも一目置かれていた存在であった。トランガーヌ子爵が行方不明となった後、様々な経緯を経て、現在はメガエラの領主ティファニアに仕えていたのである。
 そして同時に、コーネリアスの視界に入ってきたのは、彼にレイピアを突き立てていた少女の姿である(下図)。その身長はコーネリアスと大差ないほどに小柄で、手足は異様なまでに細く、そして耳が尖っている。その風貌は、明らかに「本来のこの世界の住人」とは異なっていた。


「貴様、何奴!?」

 その少女がクローディアに向かってそう叫ぶと、淡々とクローディアが答える。

「むしろ、それはこちらが知りたいところです」

 そう言いながら、クローディアは視線を横に向ける。

「というか、どうしてあなたがここにいるんです、コーネリアス?」
「それは私の台詞ですよ、クローディアさん」

 そんな二人のやりとりを無視して、そのレイピアの少女は二人に向かって名乗り出る。

「私は、ルブラン王国の近衛騎士隊長アレックスの娘、シャルロット。貴様等、面妖な姿で我が森に入り込んで、一体何者だ? というか、我が森の姿をこのように変えおったのも、貴様等の仕業か?」

 「ルブラン王国」という名は、コーネリアスもクローディアも知らない。しかし、クローディアは彼女の正体について、おおよその見当はついていた。細身で耳が尖ったその風貌から、おそらくは「エルフ」と呼ばれる投影体の一種である可能性が高そうである。

「どうやらあなたは、こちらの世界に投影されてきた存在のようですね」

 そう淡々と言った上で、クローディアはその「シャルロット」と名乗る少女に、この世界における「混沌核」や「投影体」といった存在について説明しようとするが、自分自身が「投影体」であるという自覚などある筈もないその少女が、その話をすぐに理解出来る筈もない。

「お、お主、一体何を言っているんだ……?」

 コーネリアス以上に混乱した様子のシャルロットだが、少なくとも、自分の目の前にいるのが「本来の自分の世界の住人」ではないことは確かであること、そして今自分がいる森も「本来の自分の世界の森」ではないということは、どうにか把握したようである。
 そして、彼女が自分の思考を整理しているその間に、コーネリアスとクローディアもまた、互いにそれぞれ「今の主君」と共にこの森の調査に訪れ、そして仲間とはぐれてしまったという現状を確認する。

「とりあえず、今の我々がデタラメに動いても、事態は解決しません。なんとかしなければ……」

 クローディアがそう言うと、少なくとも目の前の二人が自分に敵意を持っている訳ではないことを確認したシャルロットが、こう告げる。

「つまり、今、お主等はこの森で迷子になっているということだな? では、私がお前達の仲間探しに付き合ってやるから、まず、お主等の主人に会わせろ、話はそれからだ」

 シャルロット曰く、彼女も今のこの森は初めて訪れたが、彼女は森の中を流れる「風の音」から、周囲の状況を把握することが出来るらしい。静かに集中して耳をすますと、今の彼女から見て左側の方角を向き、更に集中を高める。

「こちらの方角に、ヒョロっとした男と女と、火の魔龍がいるようだが、あれもお前達の仲間か?」

 「火の魔龍」と聞いて、コーネリアスが反応する。おそらくそれは、ヒュースの呼び出したサラマンダーであろう。だとすると、「ヒョロっとした男」がヒュースである可能性が高いが、もう一人の女性が、ガイアなのかルルシェなのか、それとも他の誰かなのかは分からない。だが、現状では他に手掛かりもないということで、ひとまずこの少女の道案内を頼りに、三人はそちらの方向に向かって歩き始めることになったのである。
 そんな中、ようやく平常心を取り戻したコーネリアスは、道案内してもらっているシャルロットに対して、一つ気になっていたことを問いかける。

「シャルロット、さっき私の首に剣を突き付けて、『ルブランか? ルノアールか?』と聞いていたが……、復讐か?」

 自分と全く同じ口調で同じことをやられた上に、彼女が「近衛騎士隊長の娘」であるということを知らされたコーネリアスは、自分と同じような境遇にあるのではないかと、直感的に感じていた。

「それもある。確かに、ルノアールの連中には我が同胞を多く殺された。だが、奴等との戦争が当分終わりそうにない現状においては、復讐心があろうと無かろうと、私は戦い続けなければならないのだ」

 どうやら、既に一度明確に「敗戦」を経験しているコーネリアスとは少々事情が異なり、彼女の祖国であるルブランも、そして父である近衛騎士隊長も、まだ健在のようである。

「そう言うお主は何者なのだ?」
「私は、とある君主に仕えるシャドウのコーネリアスだ。騎士団長だった父を殺した君主に復讐するために戦っている」

 コーネリアスの言葉から、並々ならぬ憎悪と絶望の感情を感じ取ったシャルロットは、哀しそうな瞳を浮かべながら呟く。

「そうか、お主は既に守る者を失ってしまったのだな」
「確かに、私が守りたいと思える存在はない。だがしかし、私の中の復讐の炎は今もなお燃え続けている」

 そう言われたシャルロットは、深く溜め息をつきながら、再び静かに語り始める。

「今のお主に、どう言葉をかけて良いのか分からん。おそらく、私もお主と同じ立場であれば、お主と同じ道を歩んだであろうな。だが一つ、不可解なことがある。お主、本当に騎士団長の息子なのか? どう見ても貴様は、下賎な裏稼業の者にしか思えんのだが」
「本当は私も父と同じく、まっとうな騎士として父の下で働きたいと思っていたのだが、混沌災害に遭って、このような身体になってしまったのだ」
「そうか、この世界では、誰でも騎士になれるという訳ではないのか。才能があっても騎士になれない者もいる、と。難儀な世界だな」

 そんな「騎士の名家に生まれた二人」の真後ろで、クローディアは複雑な想いを抱えていた。彼女の中にも、主君を追い落としたアントリアへの敵愾心が無い訳ではない。しかし、今の彼女はそれ以上に、現在の主君であるティファニアへの忠誠心を心の拠り所として生きている。それどころか、昔の主君であるトランガーヌ子爵が実は大陸で生きているという情報を知った今、状況によっては彼女はそのトランガーヌ子爵と戦う覚悟まで定まっている。
 あくまでも過去の因縁にこだわり続けるコーネリアスと、既に過去を捨て去った今の自分。一体、何が二人の道をここまで違えることになったのだろう? 彼が男だから? 彼が自分よりも年少だから? 彼が名門出身だから? それとも、彼の中での主君への忠誠心が、まだ自分の中でのティファニアへのそれと同程度にまで発達しきっていないから? もし、最後の仮説が正しいとすれば、いずれはコーネリアスも自分と同じように「過去を捨てた上で今を生きること」が出来るようになるかもしれない。だが、それが人として、シャドウとして、正しい道なのかどうかは分からない。いずれにせよ一つはっきりしていることは、その決断はコーネリアス自身が下すことであり、自分が口出しすべき問題ではない、ということであった。

5.2.5. もう一人の聖女?

 こうして、奇妙な取り合わせの三人が森の中を進んでいくことになった訳だが、その途上、シャルロットが顔をしかめる。

「うーん、どうやら、お主の仲間と思しき奴等、私達と反対の方向に向かって歩いているようだな」

 仮に今、彼女達が追いかけている集団がヒュース達であったとしても、ヒュースの側は彼女達が近付いていることが分からない以上、彼等がこちらに近付いてきてくれないのは、おそらくただの偶然であろう。そんな中、シャルロットは別の人物の気配を感じる。

「おや、この先に、また別の誰かがいるな。今度は女が一人。特に殺気や警戒心が感じられないし、武器らしい武器も持っていないから、近付いても危険は無さそうだが、どうする?」

 そう言われると、コーネリアスとしては当然「それはきっと、ルルシェ様だろう」と考えて、そのままその女性の方向いる方向へと向かってもらうようにシャルロットに依頼する。そして、そのまま彼等がその方角を進んでいくと、その先に現れたのは、ルルシェと全く同じ顔の、しかし明らかにルルシェとは服装も髪型も、そして表情の作り方も全く異なる、見知らぬ少女であった(下図)。


(ルルシェ様…………、ではない? 一体、何者だ、あの娘?)

 そう考えた彼は姿を消し、彼女の背後に回り込もうとするが、その前にシャルロットの存在に気付いたその少女は、驚いた表情を浮かべながら彼女に近付いていく。

「エ、エルフ……? エルフよね!? 本物のエルフの女の子よね!?」
「そこの女、止まれ!」

 コーネリアスはそう言うが、その少女は無視してそのままシャルロットにまとわりつく。

「うわー、スゴい! 本物のエルフ耳だ! なにこの腕、ほっそー、ハリガネじゃないの?」
「え、えぇい、放せ! この無礼者!」

 辺りの状況を無視して一人ではしゃいでいるその少女に対して、今度はクローディアが語りかける。

「あなたも、この森で道に迷ったのですか?」

 だが、それに対しても、その少女は同様のテンションのまま、訳の分からないことを喋り続ける。

「え? メイドさん? すごーい! でも、エルフの森とメイドさんって、世界観おかしくない? え? 何? 何なの、ここ?」
「お主、何者だ!」

 今度は前よりも大声でコーネリアスが叫ぶと、さすがにその少女も彼の存在に気付く。

「あ、ごめん。あなた、いたのね。てか…………、ちっちゃ!」

 いきなり、文字通りの「上から目線」でそう見下ろされながら叫ぶ彼女に対して、コーネリアスは徐々に自分の中で殺気に近いものを感じ始めるが、そんなことはお構いなしに、その少女はマイペースに自己紹介を始める。

「私の名前は、南條里菜(なんじょう・りな)。リナよ。あなたは?」
「私はコーネリアス。この近くの村を治める領主の部下だ」
「領主? ってことは、やっぱり、ここは西洋ファンタジーの世界なのね」

 なんとか平静を取り戻しながら答えるコーネリアスに対して、この「リナ」と名乗る少女は、相変わらず訳の分からないことを呟いている。

「リナ殿は、なぜここに?」
「いや、分かんないんだけど、学校が終わって、友達と帰ろうとしたら、いきなり目の前が真っ暗になって、気付いたらここに……」

 とりあえず、この少女が「いずれかの世界における人物の投影体」であることは、なんとなくコーネリアスにも察しがついた。しかし、この彼女が元々住んでいたのがどんな世界なのか皆目見当もつかないし、そもそもなぜ、ルルシェと同じ顔をしているのかも、全くもって謎である。
 その後も、しばらく訳の分からない会話を交わしつつ、とりあえず歩きながら進もうと考えた彼等は、その道の先で、ようやくヒュース(とエスメラルダ)と合流することに成功する。

「あ、コーネリアスさんと、ルルシェ様……、ではない? え? そっちの人は?……エルフ?」

 混乱するヒュースに対して、コーネリアスが(分かる範囲で)説明すると、再びリナが興味津々の表情でコーネリアスに近付く。

「へぇ、あなたは魔法使いさんなんだ」
「魔法使いというか、まぁ、正確に言うと、こいつらの力を借りてるだけなんだけど……」

 そう言って彼が自らの召還獣を指すと、リナのテンションが更に上がる。

「わー、凄い、サラマンダーだ! なんかコレ、お母さんの小説に出てきたサラマンダーのイメージにピッタリだわ♪」
「……お母さん? 小説?」

 首を傾げるヒュースに対して、そのリナは少し悩みながら、説明しようとする。

「んー、『本物』の人達相手に、こういうこと言って分かるかどうか分からないけど、私のお母さん、ファンタジー小説を書いてるの。ちょうど私が生まれる頃から書き始めてるから、それなりにキャリアもあってね。私も速くお母さんみたいにデビューしたいと思って、富士見ファンタジア大賞にもよく応募してるんだけど、まだ佳作にも引っかからなくてね」
「……お前の言う『ファンタジー小説』とやらには、サラマンダーも出てくるのか?」

 言っている意味がよく分からないまま、ひとまずコーネリアスが質問してみる。

「そうね、色々出てくるわよ。特に最近は『なんでもアリ』のゴチャ混ぜの世界観が主流になってるんだけど、でもここは、割とオーソドックスな世界みたいね」

 結局、彼女が言っていることは理解出来ないままだが、少なくとも彼女の方は、自分が今、「本来の自分の世界」とは異なる世界にいる、ということは自覚しているようである。
 そして、ヒュースはリナのここまでの言動とその装束から、彼女がどの世界の住人なのかも、おおよそ見当がついていた。自らの妄想を力に変えることが出来る、投影体の中でも、ある意味で最も危険な存在。そう、彼女は「地球人」であった。

5.2.6. 心を導く音色

 一方、ルルシェ、ガイア、ヴェルノーム、ターリャの四人が、はぐれないように気をつけながら探索を続けていると、彼女達の耳に、「聞き慣れない音楽」が聞こえてくる。音質も、旋律も、この世界のものとは思えない、なんとも不思議な響きである。少なくとも、ラキシスにも、メガエラにも、このような音を奏でる者に心当たりはない。

「私達以外に、誰かいるのかしら?」

 ガイアがそう呟きつつ、四人がそちらの方向に向かっていくと、そこに現れたのは、銀髪・金眼で、衣服も金銀で彩られた奇妙な風貌の人物であった(下図)。本人の回りに、鍵盤楽器の一部が浮いた状態のまま、不思議な音色が彼(彼女?)の身体から発生しているのが分かる。


 虚ろな目でガイア達を見ながら、その「謎の人物」はガイアに語りかける。

「あなた方は、この世界の住人ですか?」
「この世界って、どういうこと?」
「少なくとも、ここは私が元いた世界ではないし、私が今いる筈の世界でもない」
「だったら、あなたの世界はどんな世界?」
「私の世界は、もっと多くの人々が住み、私のような『機械』が数多く並び、そして多くの音楽が街に満ち溢れていた。しかし、そこから私が移り住んだ、いや、移された(映された)世界、そこには音楽はなかった。音楽の無い世界に私の居場所はなく、次なる世界を求めていたところ、気付いたら私はここにいた」

 正直、ガイアはこの人物(らしき何か)が何を言っているのか、さっぱり分からない。困惑しているところで、ヴェルノームが口を挟む。

「ほぼ間違いなく、投影体だな。ただ、こちらに危害を与える様子は無さそうだ」

 投影体の中には、人類と会話するだけの知能を持たない者もいれば、ボルド(ドワーフ)やシャルロット(エルフ)のように、人語を解し、状況によっては協力することが可能な者もいる。無論、意思疎通が出来るからと言って、必ずしも共存出来るとは限らないのだが、少なくとも、今、彼等の目の前にいる人物については、敵対的な意志は見られないと彼は判断したようである。

「では、良ければ、私達と御一緒しませんか?」

 ひとまずルルシェがそう問いかけると、その人物はこう問い返す。

「あなたには、旋律を愛する心はありますか? 韻律を楽しむ心はありますか? 和音を慈しむ心はありますか?」

 唐突な質問にルルシェが戸惑っていると、そこにガイアが口を挟む。

「私は大好きよ、音楽」

 彼女は胸を張ってそう答える。実際、山村であるラキシスには娯楽が少なく、そんな中で音楽は彼女の心を癒してくれる貴重な心の栄養源であった。
 すると、彼女の瞳から、その感性を読み取ったらしいその人物は、彼女に対してこう告げる。

「あなたであれば、私のシンパシーに応じてくれるかもしれない。では、私のマスターになって下さいますか?」
「え? マスターって、どういうこと?」
「私の『持ち主』となって、私を奏でてほしいのです」

 そう言うと、その人物は自らの姿を変貌させる。それまでの人間の形から一変して、「小型の鍵盤楽器」となったのである。その大きさはギターと同程度で、従来の鍵盤における黒鍵の部分が金色、白鍵の部分が銀色に塗装された、実に煌びやかな風貌であった。

(これは……、噂に聞く「オルガノン」というやつか)

 ヴェルノームは内心でそう呟く。オルガノンとは、元々はどこかの世界に存在していた「武器」や「道具」が、「ヴェリア界」と呼ばれる世界を経由して、「人間」の姿をしてこの世界に現れるという、特異な投影体である。この人物の姿は、本来の世界では「ショルダーキーボード」と呼ばれる道具の一つだったのだが、さすがにそこまでは博識なヴェルノームであっても、知る由もない。
 だが、ひとまずガイアは、この人物が「楽器」であることは理解したようである。

「なるほど、そういうことね。でも私、あんまり上手くないわよ」

 実際、田舎村には鍵盤楽器などある筈もなく、このような形状の楽器を弾いた経験もガイアにはない。

「大丈夫です。私のこれまでの経験を、あなたにシンクロさせますから」

 そう言うと、楽器状態の彼(?)はそのまま浮遊した状態でガイアの元へと移動し、そして身体から「肩紐」を出現させてガイアの身体にそのままフィットする。

「じゃあ、私自身はあんまり楽器を奏でるのは上手くないから、もっと上手く演奏出来る人が現れるか、あなたが元いた世界に帰れる時が来るまで、一緒にいてくれるかしら」
「分かりました。私の名前はKX-5。好きに御呼び下さい」

 そう言うと、彼女の頭の中に「この楽器の弾き方」に関する知識が入り込んでくる。どうやらこれも、オルガノンである彼(?)の能力らしい。

「ところでマスター、今、マスターは何に悩んでいるのですか?」

 楽器状態のまま、どうやら発せられているのかよく分からない声で、KX-5はガイアに語りかける。どうやら、彼女が困った心境にあることも、この金銀の鍵盤楽器には伝わっているようである。

「仲間とはぐれて、迷子なのよ。どこに向かえばいいのかも分からないわ」
「でしたら、私の身体を使って、マスターの想いを乗せた音楽を奏でて下されば、この周囲にいる人々にまで届くかもしれません」

 そう言われたガイアは、半信半疑ながらも、初めてとは思えない流麗な手つきで、金銀の鍵盤を奏で始める。もともとの楽器としての性能に、彼女の「音楽を愛する者」としての感性が加わった結果、それは先刻までの「楽器単体で奏でていた音」よりも遥かに華麗で、優雅で、それでいて重厚な旋律であった。

5.3.1. 合流と困惑

「この音色は……?」

 最初にガイアの演奏が届いたのは、ゲオルグ、ティファニア、イクサの三人である。ゲオルグとイクサは芸術の類いには全く疎いが、幻想詩連盟の盟主国にまで留学していたティファニアは、現地の社交界にも頻繁に顔を出していたこともあり、それなりに音楽にも通じている。
 その不思議な音色が気になった彼女がそちらの方向へと向かい、ゲオルグとイクサもそれに続くと、やがて彼等は、ガイア、ルルシェ、ヴェルノーム、ターリャの4人と合流を果たす。

「兄様!」
「おぉ、ルルシェ、無事だったか」

 最愛の兄との再会を果たし、感激するルルシェ。その傍らでターリャは、ルルシェがここに至るまでの道中で散々力説していた「世界一素晴らしい兄様」の「実物」を目の当たりにして、やや呆気にとられる。

(……まぁ、私の兄様のような人が、そう何人もいる筈もないわね)

 ターリャは妙に納得した表情でそんな優越感に浸りながら、ヴェルノームと共に、自分の主人の無事を確認して安堵する。
 そして、彼等に一歩遅れて、コーネリアス、ヒュース、ティファニア、エスメラルダ、シャルロット、リナの6人も、その音色に惹き付けられるように、その場に現れた。色々と「見知らぬ人々」が混ざった集団と合流したことで、メガエラの面々もラキシスの面々も混乱することになった訳だが、その中でも特に深い困惑の表情を見せたのは、リナとルルシェである。

「え? 何? あなた、私のアバター……、じゃないわよね? 私の持ってるコスプレ衣装とも、ちょっと違うし」
「あなたこそ、誰なんですか!?」

 困惑する「同じ顔の二人」を前に、コーネリアスが事情を説明しようとするが、彼自身もリナの正体がよく分かっていないので、今一つ明確な説明にはなっていない。現時点で分かっていることは、リナが「地球人」らしい、ということだけである。
 そして、そんなコーネリアスの説明を聞き流しながら、リナの視界に、ルルシェの傍らにいたゲオルグの姿が映ると、彼女はゲオルグに向かって歩き出す。

「あなた……、お、お名前は?」

 さすがに、ルルシェそっくりの外見の彼女を目の当たりにしてゲオルグが冷静でいられる筈もなく、彼もまたドギマギした心境にはなりながらも、それでもどうにか心を落ち着かせつつ答える。

「ゲオルグ・ルードヴィッヒだ……」
「あなた……、そっくりだわ……、私がずっと夢の中で見てきた……、私のナイト様!」

 そう言って抱きつこうとするリナをさらりとかわしつつ、ゲオルグはなんとか平静を装いながら答える。

「誰と間違えているのかは知らんが、君はこの世界の住人ではないのだろう? だったら、私が君の夢に出てくる筈がないじゃないか」
「そう、分かったわ。ここは私の夢の世界だわ。私は遂に、夢の世界に入ることが出来たのね!」

 彼女が何を言っているのかは分からないが、彼女が間違ったことを言っていることだけは分かる。その異様なテンションに押し切られそうになりながらも、つとめて冷静にゲオルグ達は彼女の発言を受け流そうとする。とはいえ、彼女が「ルルシェと同じ顔」をしている以上、彼女が「ただの妄想癖の激しい地球人」ではないのではないか、という疑念が、ラキシス村の面々の間で広がっていく。しかし、彼等が「リナとルルシェの真実」に辿り着くのは、もう少し先の話となる。

5.3.2. 樹海の発生源

 一方、その混乱から一歩離れた場所で、魔法師のヴェルノームとイクサは、ここまでの各人の証言に基づいた上で、互いの見解を語り合いつつ、今のこの状況を整理しようとしていた。そして一つの仮説に達したところで、彼等はエスメラルダに近付き、彼女に語りかける。

「どうやら、あなたの身体から、混沌核が発生しているようです。それがこの樹海、そしてあの異界の住人達をこの世界に投影させてしまったのでしょう」

 ヴェルノーム曰く、世の中には、持って生まれた体質によって、混沌濃度を無意識のうちに高めてしまう者がいるらしい。そういった者達は魔法師としての強い資質の持ち主であることが多いが、同時に、自分では制御出来ないレベルの混沌を招いてしまう可能性もあるため、そのような者が現れた場合、学院側の判断で、一方的にその者の記憶を消して学園から追い出している、という噂を彼は聞いたことがあるという。
 そして、イクサと彼が感知してみたところ、確かにエスメラルダの身体の奥底には巨大な混沌核が眠っているという。ただ、彼女自身の身体はあくまでもこの世界の住人のそれであり、彼女自身が投影体という訳ではない。つまり、混沌核が彼女の身体を作っているのではなく、彼女の身体の中から混沌核が自然発生している状態なのだという。これは、上述の特異体質の者達の中でもかなり稀な事例らしい。
 そう言われてみれば、ヒュースにも思い当たる節はある。確かに、彼女の近くにいることで、いつもよりも容易に召還魔法が可能になっているような、そんな感覚を感じる。ただ、彼女が言っていた「ヒュースの近くにいることで、精神が安定する」という状況が、それと関係していることなのかどうかは、まだ現時点では分からない。

「なるほど、ただの学者先生ではなかったのですね……」

 そう呟きつつ、ティファニアはエスメラルダに近付いていく。

「はじめまして。私があなたをお招きした、メガエラの領主ティファニア・ルースです。あなたの体質のことは存じませんでしたが、ご安心下さい。あなたがどのような方であろうと、我々はあなたを迎え入れる所存です」

 ティファニアは強い決意の瞳でそう語る。この状況を魔境を消滅させる上で一番簡単な方法は、エスメラルダの存在自体を消し去ることだろうが、ティファニアとしてはそれを許すつもりはないらしい。もっとも、それは彼女と同様にエスメラルダの知能を欲しがっているラキシス側としても同じ考えである。

「シャルロット、この森の外に出ることは出来ないのか?」

 コーネリアスに問われたシャルロットは、少々複雑な表情を浮かべながら答える。

「まず、この森の外がどうなっているのか、私には分からんからな。それでも、この森の外に出る道は、おそらく私ならば見つけられるが、この森がこのまま残った状態では、お前達は困るのだろう?」
「当然、困る。『我が領内』にこんな危険な魔境の存在を許しておく訳にはいかん」

 そう言い切ったのは、ゲオルグである。距離的に言えば、どちらかと言えばメガエラに近い場所だけに、この発言に対してはメガエラ組から何か言いたそうな雰囲気が広がっていたが、ティファニアはあえて「聞かなかったフリ」をして、この魔境の浄化方法を考えるのに専念しているようである。
 そんな重苦しい雰囲気の中、口を開いたのはイクサであった。

「私の最近研究している新型の静動魔法なら、どうにか出来るかもしれない」

 曰く、彼は「敵の内臓」を攻撃する魔法であるフォースグリップを応用して、体内の臓器の一部を身体の外に引きずり出す魔法を開発しているらしい(その目的が何なのかは不明であるが、誰もそれを聞きたいとは思わなかった)。それを応用すれば、エスメラルダの中にある混沌核を、一時的に彼女の身体の外に引きずり出すことも出来るかもしれない、と彼は話す。つまり、その「一時的に身体から離れた混沌核」に対して、全員で総攻撃をかけることで、彼女の命を奪うことなく混沌核だけを破壊出来るかもしれない、ということである。
 成功するかどうかは、やってみないと分からないし、もしかしたら、彼女の身体を傷付けてしまうかもしれないが、現状では他に方法は見つからない。エスメラルダはその作戦に同意し、他の者達もそれぞれに逡巡しながらも、今はその方法に賭けてみるしかない、ということで、両村の方針は一致した。

5.3.3. 同盟協定

 その作戦は、一瞬だった。イクサによって引き出されたエスメラルダの中の混沌核に対して、ラキシスの5人とメガエラの4人、そして異邦人であるシャルロットの10人が、一斉に攻撃をかける。その圧倒的な破壊力によって、瞬時にその混沌核は砕け散り、そこから分散していく大量の混沌は、ゲオルグとティファニアによって浄化され、彼等の聖印へと吸収されていく。それと同時に、それまで彼等の周囲を取り囲んでいた樹海が消滅し、元の「街道」の姿へと戻っていったのである。
 そして、その街道の整備された石畳から離れた場所で、一人の邪紋使いが倒れているのが、ルルシェの視界に入った。先遣隊としてイクサと共に樹海に入っていたカイである。どうやら彼は、方角が分からないまま魔境の中を全力で走り回り、その一角で誰とも合流出来ずに倒れていたらしい。さすがにこのまま放置しておく訳にはいかないので、ルルシェは急いで彼の元へ向かい、その傷を自らの聖印で癒していく。
 そんな中、エスメラルダはティファニアに対して、申し訳なさそうにこう告げる。

「私の身体が混沌核を生み出しているというのなら、やはり、私はメガエラに行く訳にはいきません。今回は、どうにか皆さんのお陰で消し去ることが出来ましたが、今後も同じような形でまた混沌核を生み出してしまうかもしれない以上、その解決手段がない状態のメガエラ村に、ご厄介になる訳にはいきません」

 確かにそう言われてしまうと、ティファニアとしても無理に誘う訳にはいかない。なぜならば、今回の浄化作戦の肝を握っていたのはイクサであり、彼はクローソー、つまりは(間接的とはいえ)ゲオルグの配下なのである。彼等の協力無くしてエスメラルダの身の安全は確保出来ない以上、胸を張って「それでも我が村に来てほしい」と言える状態ではなかった。
 そして当然、こうなるとラキシス(グリース)側が勧誘に動き出す。真っ先に声をかけたのは、やはりヒュースであった。

「では、私達の村に来ませんか? こちらには対処法がある訳ですし……」
「私も、出来ればそうしたいです。なぜだかは分かりませんが、先程からあなたと一緒にいることで、私の心は満たされていますし……。ただ、私の方からそれをお願いする訳には……」

 そう言いながら、エスメラルダは申し訳なさそうにティファニアに目を向ける。やはり、せっかく自分を誘ってくれた彼女の誘いを袖にして隣の村に行くというのは、どこかバツが悪いようである。そんな空気を察したのか、ここでゲオルグが口を開いた。

「そういうことならば、こちら側からも提案がある。メガエラの領主ティファニア、もしお前がエスメラルダの力を欲するなら、彼女を我が村に迎え入れた上で、我々との同盟を結ぶことを条件に、彼女をお前の村に派遣してやっても良い」

 ティファニアとしては、この提案はかなり意外であった。てっきり、ゲオルグはエスメラルダの知識を自分達で独占した上で、いずれはメガエラにも戦争を仕掛けるものだと思っていただけに、このタイミングで同盟案が出てくるなど、思いも寄らなかったのである。メガエラとしては、ここでラキシス(グリース)と同盟を結ぶことで、彼等がヴァレフールやアントリアと本格的に対立することになった時には難しい対応を迫られる可能性はあるが、少なくとも現時点では、共に武装中立の立場である彼等と手を結ぶこと自体に何のデメリットもない。

「分かりました。『我が領土』の浄化に協力して頂いた訳ですし、ここはそういう形にさせて頂きましょう。先生への報酬は、こちらが支払わせて頂きますので、ご安心を」

 先刻のゲオルグの「我が領内」発言をさりげなく否定しつつ、快く彼の申し出を受け入れる。こうして、これまで独立独歩を歩んできたラキシス(グリース)のゲオルグとメガエラのティファニアは、ここで初めて「対等同盟」を結成するに至ったのであった。
 その上で、ゲオルグは別れ際に、ティファニアに対してこう告げる。

「お前は『覇道を探している』と言っていたが、早めに見つけた方がいい。何かあった時に、自らの無力を後悔するのでは遅いのだからな」

 自らの過去を思い返しながらそう忠告して、ラキシスへと帰っていくゲオルグに対し、ティファニアは彼に聞こえるか聞こえないか微妙な声で、ふと呟く。

「あなたは、姿形は全く違うのに、あの人と同じことを言うのですね」

 かつて彼女が留学していた幻想詩連合の本拠地ハルーシアの方角を見ながら、そう口にした彼女であったが、そんな彼女の表情が、前と少しだけ変わったような様子を、その傍らに立つヴェルノームは感じていた。その「心境の変化」がメガエラにもたらす影響について様々な憶測を立てつつ、何があっても、今後も彼女を守り抜こうと改めて心に誓う。無論、それは彼女の一歩後ろを歩くターリャとクローディアもまた同様であった。

5.4. エピローグ

 その後、樹海に現れた三人の投影体のうち、KX-5はそのまま「ガイアの持ち物」としてラキシスに連れ帰られ、彼女と共に村の人々を癒す音楽を奏でていくことになる。
 一方、シャルロットもまた自身の今の立場をうっすらと理解しつつ、「とりあえず、この世界のことを教えてほしい」とコーネリアスに頼み、彼も快くそれを受け入れたことで、ラキシス村の住人として認められることになった。既にボルドという「前例」を抱え込んでいるラキシス村にとっては、今更、投影体の住人が一人増えることに対して、これと言って強い反発がある筈もない。
 そして、一番の問題はリナである。

「ナイト様、これから先も、私を守って下さるんですよね?」

 そう言ってゲオルグにベッタリくっつこうとする彼女に対して、ゲオルグとしても扱いに困っていたが、一応、「地球人」には様々な特殊な奇跡を起こせる力もある、という話を聞いて、「いずれ何かの役に立つかもしれない」と考え、自分の側に置いておくことを認めるに至る。
 無論、こうなるとルルシェが内心穏やかでなくなるのは、当然のことである。一応、ルルシェもゲオルグが誰か特定の女性と「特別な関係」になることに反対するつもりはなかったが、さすがに「自分とそっくりの地球人」が現れたとなると、色々な意味で話が別である。これまで、何があろうと「妹」という特権階級にあり続けた自分の地位も、これから先はどうなるか分からない、そんな恐怖感を感じつつあった。

 そして、無事にラキシスに帰還したゲオルグ達から一通りの話を聞いたマーシーは、それまでずっと彼女の中で疑問に思い続けてきた「ある問題」について、ようやく一つの「確信」を得るに至る。
 彼女はゲオルグの私室に赴き、他に誰も聞く者がいないことを確認した上で、こう告げた。

「マイ・ロード、落ち着いて聞いて下さい。ルルシェ様は、あなたの妹ではありません」

 もともと、ルルシェはゲオルグにも、そして父にも母にも似ていない。それ故に彼女の出生に関しては、昔から様々な噂が彼の故郷でも流れていた。それ故に、今更このようなことを言い出す人物が現れても、ゲオルグとしてはそれほど取り乱すようなことはない。しかし、その次の一言は、さすがに彼にとっても予想外だったようである。

「ルルシェ様は、投影体です」

 マーシーは自分がその結論に至った理由をゲオルグに説明しつつ、少なくとも現時点ではそのことを他言せぬよう、彼に釘を刺す。ゲオルグ自身がその説明で納得したかどうかは分からない。ただ、いずれにせよ、このことをルルシェ自身が知ることになるのは、もう少し先の話である。

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最終更新:2014年09月24日 03:45