付随性


付随性(ふずいせい、英: Supervenience)とは、ある現象が、それと異なる現象に依存している性質であり、現象同士の非対称的な依存関係を指す。現象Aが現象Bに付随しているということは、Aのどんな変化も、Bの特定の変化に対応しているということであり、Aが完全にBに依存しているということである。逆にBはAに依存せずに変化できる。これが非対称的な依存関係である。

心の哲学における付随性とは、クオリア現象的意識など心的な性質(高次の存在者)は、ニューロンの活動など脳の物理的な状態(低次の存在者)に付随(supervene)しているという仮説である。心的な存在を「高次」、物理的存在を「低次」とするのは、物理的存在を基礎にして、その上に心的な存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。

近年の神経科学の急速な発達により、心的とされる性質のほとんどがニューロンの活動など脳の物理状態に付随するものだ考えられるようになった。つまり脳状態の変化に対応することなく心的状態が自律的に変化することは無いということである。

歴史的に supervene(スーパーヴィーン)という語を哲学的な意味で初めて用いたのは、20世紀初頭の心理学者、ロイド・モーガンであり、彼は創発主義の立場からこの語を使用した。心の哲学においてはドナルド・デイヴィッドソンが、心的因果を認めながら物理主義を擁護する非法則一元論を提唱する際にこの語を用いた(非還元的物理主義)。

ジェグォン・キムは、デイヴィッドソンが主張した非法則一元論には、心的なものの原因性が否定され余剰となる随伴現象説や、一つの出来事に物理的原因と心的原因が独立して存在する因果的過剰決定のいずれかが帰結するというディレンマがあることから、その解決策として「付随的因果性(supervenient causation)」を提起した。付随的因果性とは、出来事の因果関係はそれが付随する出来事の因果関係によって決定される、という主張である。これを簡単に例えると、まず「脳の物理現象 P1 が生じ、それに付随して心的現象 M1 が生じる」という出来事があり、その出来事に付随して「脳の物理現象 P2 が生じ、それに付随して心的現象 M2 が生じる」という次の出来事が生じる、というようなものである。この付随説をとれば、クオリアなど心的現象を消去することなく、因果的過剰決定を退け、人間心理について完全に唯物論的な説明が可能となるとキムは考える。このキムの説には「心的なものは物理的なものではない」という主張が含意されており、一種の非還元的物理主義とも考えられる。

なおキムは付随性を、「弱い付随性(Weak Supervenience)」と「強い付随性(Strong Superveniense)」に分けている。弱い付随性では、現象同士(心と脳)の依存関係は偶然的と考え、強い付随性では現象同士の依存関係は必然的と考える。

デイヴィッド・チャーマーズは、キムの付随性概念を「論理的付随性(Logical supervenience)」と「自然的付随性(Natural Supervenience)」と呼び変える。そして現象的意識が物理的なものに付随するのは論理的ではなく、自然的であるとし、従って哲学的ゾンビは論理的可能性として存在しうる(想像可能性論法)として、それを理由に既存の物理主義を否定している。物理主義では(異なる可能世界同士に)脳の物理状態が同一である二人の人物がいた場合、両者の心的な性質が異なることは論理的に不可能であり、想像可能でないとするからだ。

柴田正良は〈控えめな物理主義〉を提唱してチャーマーズの想像可能性論法を否定する。これは哲学的ゾンビの可能性を認めながら、論理的でなく自然的スーパーヴィーンで物理主義は問題ないとする。物理主義者が主張したいのは、物理的事実に対するすべての事実の法則的依存性であって、論理的依存性ではない。したがってゾンビ世界の論理的可能性は、物理主義の破綻には繋がらないとする。


  • 参考文献・論文
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 朝日出版社 2006年
大田雅子『心のありか』勁草書房 2010年
太田雅子付随性と説明の十分性について科学哲学32-1 1999年
柴田正良「ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons
武田 一博「D.チャーマーズは心の唯物論を論駁したか」2003年
  • 参考サイト