還元・創発・汎経験説


概説

クオリアというものが一体どこから、どのようにして生じているのかは全くの謎である。現代の科学においても、脳の神経細胞の作用に対応して存在していることだけが事実として認められている。言い換えると脳科学が明らかにしたのは、心的現象と脳の作用に因果的な隣接関係が見出せるということのみであり、脳の作用は心的現象を生じさせる十分条件であると論証できないどころか、必要条件の一つであるとも論証できないのである。多数の哲学者や科学者たちを取材したスーザン・ブラックモアは、学者たちの間では旧来の「脳が意識を生み出す」という表現から、「脳と意識は相関する」という表現に変えるのが流行しているという。

歴史的には心的現象は「魂」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立場に分かれていた。しかしこの二つの立場はともに素朴であり、クオリアの生成を説明するものではない。仮に魂なるものの存在があったとしても、その魂がどのようにして個別のクオリアを生成しているのかと問うことが出来るし、原子論の立場に対しても同様に、原子がどのようにしてクオリアを生成しているのかと問うことが出来る。

現代の心の哲学では、クオリアがどのように生成されているのかという問題については、「還元説」「創発説」「汎経験説」という三つの主要な仮説がある。ただしそれらは、科学的実在論、つまり物質というものが実在していることを前提にして考えられているものであり、現象主義観念論といった実在論に反対する立場では全く異なったアプローチを取ることになる。

以下は上述の実在論を前提にした三つの仮説について解説する。

還元説

還元説、または還元主義とは、一般的にはクオリアなど心的なものは、存在論的に物質的なものに還元されるという主張である。世界の全ての事物は物理学によって説明できるとする「物理学の完全性」を前提に主張される。心脳同一説は弱い還元主義であり、意識は脳の過程であるとみなす。英語では「Mind is Brain」と、心と脳の同一性を表現する。 具体的には「痛みという心的状態は、ある特定のニューロンの発火である」というように考える。

消去主義的唯物論は強い還元主義であり、認識論的にも還元が可能であると考える。たとえば10キログラムの物体があり、それは1キログラムの部分を10個持っているとする。この場合全体は部分の総和であり、部分は全体に還元でき、また部分の性質から部分の合成物を予測することができる。心的なものはそのような還元ができないと思われているが、それは現在の科学が未熟だからであり、かつて科学的に存在が仮定されていたエーテルやフロギストン理論が消去されたように、「信念」や「欲求」といった心的なものもまた、科学が発展すれば消去可能であり、物理学の用語に還元可能であると考える。

なおダニエル・デネットやケヴィン・オレーガンなど、最も唯物論的傾向が強い立場では、知覚やクオリアも消去可能であると考える。例えば「赤」や「痛み」といったクオリアは、体験を反省した際に見出せる一種の意味論的なものであり、実際には体験していない、とするものである。

創発説

創発(emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体として現れることであり、科学と哲学の双方で用いられる重要な用語である。心の哲学においては、物質がある巨視的なレベルで特定の配置を取ったとき、すなわち脳を構築したときに初めて現象的意識クオリアといった心的なものが創発すると考える。この創発概念を前提とした心身関係論が創発的唯物論、または創発主義である。

創発説は還元主義的な唯物論に対するアンチテーゼとして主張されたものであり、意識という創発特性は物質の性質に還元できないとする。しかし心的因果を認めず、物理領域の因果的閉包性も否定しない。クオリアは脳の作用に随伴して生じるだけのものであると考える。つまり創発説は、全ての事物は物理学に還元可能だとする物理学の完全性を否定しながらも、物理主義的な一元論を擁護しようとする立場から主張される。すなわち創発とは、還元主義と実体二元論の双方を否定する概念である。

創発は、創発物の出現が事物の部分についての知識からは予測できないとされる。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いに還元できないようなシステムが構成されると考える。全体は部分の総和を越えるという考えはアリストテレスにまで遡る。この世界の大半のもの、生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を前提にしたとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は予測困難だということであり、下層には元々なかった性質が、上層に現れることがあるという考えである。

発現、または付随性は創発に近い概念であり、心的なものは物理的なものを基礎にして、その上に発現すると考える。これは、心的状態はそれに対応する神経生理学的状態に完全に依存しているというものである。この付随性を前提にした心身関係論にドナルド・デイヴィッドソンの非還元的物理主義がある。創発主義との違いは心的因果を認める点である。

デイヴィッド・チャーマーズによる解説

D.チャーマーズによる解説では、「創発」とは陽子や電子などの構成要素から予測できない特性が分子や細胞などの全体に現れることである。創発は弱いものと強いものの二種類に分けられる。「弱い創発」とは物理学では説明できないが化学や生物学で説明できるもの。「強い創発」とは自然科学では説明できないもの、つまり意識であり、この説明には自然科学の拡張を要する。

創発は「下方因果」の問題を含む。つまり陽子や電子など根源的な要素が集まって、それら要素から予測できなかった特性が全体から創発した場合、その創発したものが根源的な要素に因果的に作用するということである。この下方因果の問題も「強い下方因果」と「弱い下方因果」に分けられる。後者の因果作用は最終的には根源的要素に還元可能である。しかし前者の因果作用(心的因果)は還元不可能である。

最も興味深い強い下方因果の問題は、量子力学における観測問題である。二重スリットの実験では観測した場合と観測しなかった場合では粒子の振る舞いが変わることが知られている。この場合、人間の意識が粒子の振る舞いに因果的に作用した可能性があるということである。

https://consc.net/papers/emergence.pdf(チャーマーズの論文)

汎経験説

汎経験説とは中立一元論の一種であり、現象的意識クオリアといった心的な性質が、脳や神経細胞といったレベルの構成においてはじめて生まれるのでなく、宇宙の根本的レベル、つまりクォークやプランク長といったレベルにおいて原意識という形で存在しているとする説である。自然主義的二元論を提唱するデイヴィッド・チャーマーズ量子脳理論を提唱するロジャー・ペンローズやスチュワート・ハメロフらがこの立場である。

世界を構成する基本要素として心的な性質が遍く存在しているという考え方は真新しいものではなく、歴史的には汎心論と呼ばれてきた。原始宗教ともいえるアニミズムでは、生物・無機物を問ず、全てのものの中に霊魂や心的な何かが宿っていると考えられていた。近代の哲学者であるスピノザライプニッツの形而上学においても、そうした世界観が提示されている。

チャーマーズらが原意識を想定する理由は、現象的意識やクオリアがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が還元主義や創発説では説明困難だからであり、従ってクオリアなど心的性質を物理的ではない何かに還元し、それらの組み合わせによってクオリアなどの生成を説明しようとするものである。

諸説への批判


(以下は管理者の見解)

還元主義は、クオリアなどの心的現象がどのように生じるかの説明を放棄する立場である。心的な用語と科学用語には説明のギャップがある。還元主義では、たとえば「痛みとはニューロンCの発火である」というように心的現象を科学用語に置き換える。しかし「ニューロンCの発火」と「痛み」という言葉は論理的に結合できず、つまり両者を同一のものと論証することはできない。これが哲学的ゾンビが思考可能である理由とされる。ダニエル・デネットは還元主義の説明は失敗しているとみなして「貪欲な還元主義(greedy reductionism)」と批判し、行動主義的な立場からクオリアの説明を試みている。また「ニューロン・グループCの発火」はプロセスを説明することが出来るが、「痛み」の出現はそのプロセスを説明できない。結局、還元主義を主張する学者の多くは、クオリアなどの心的現象は科学の研究対象とすべきではないという立場となる。

創発説は、性質二元論の一部論者から「野蛮な創発(brute emergence)」と批判される。「全体は部分の総和を越える」という主張は意味論的・認識論的には正しくても、存在論的に正しいとはいえない。つまり物理的なあらゆるものは、下層の状態から上層を予測できなくても、「全体」の質量やエネルギー量は一定であり、決して「部分の総和」を超えることはないからだ。これは現象的意識やクオリアなど心的性質にはあてはまらない。そもそも心的現象と物理的現象はカテゴリーとして論理的に異なることが前提とされているため、「物質から精神が生まれる」という主張は、決して「1プラス2は3である」というような論理的整合性を確保できない。このことを端的に指摘しているのがソウル・クリプキによる固定指示子の概念である。彼の概念を援用して創発説の主張をたとえるなら、「1に2をプラスする過程で愛情が生まれる」と言っているようなものであり、これは単純にナンセンスである。

汎経験説は意識についての原子論的還元主義である。この立場ではトースターやサーモスタットにも意識のようなものを認めざるを得ないため、意識に相関した脳活動を前提にした脳科学や神経科学からは批判があり、また組み合わせ問題意識の境界問題がアポリアとなる。汎経験説の主張をたとえるなら、「赤4つに甘さ3つを加えると愛情になる」というようなものであり、創発説同様の単純なナンセンスである。


  • 参考文献
河村次郎『自我と生命』萌書房 2007年
スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』山形浩生 森岡桜 訳 NTT出版 2009年
ティム・クレイン『心の哲学』植原亮 訳 勁草書房 2010年
立木教夫「現代「心-脳理論」の鍵概念である「創発」をめぐる一考察」『モラロジー研究』No.24 1988/03/25
  • 参考サイト


最終更新:2023年07月21日 13:12