心的因果


心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識クオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。

現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用にただ随伴して生じるのみであるとする随伴現象説を主張する。

しかし随伴現象説は直感に反しているよう思われる。一般の人が前提にしている素朴心理学的な立場では、心的因果は当たり前の現象である。誰しも歩きたいと心で思ったら体は歩くのであり、歩き始めてから歩きたいと思うのではないからだ。

もし意識現象が物理的なものではないとするなら、意識が体を動かすことを説明することは困難である。従って物理主義の立場からは意識現象を物理現象に還元する心脳同一説が主張される。

ジョン・サールは心的因果について、つじつまの合わない以下の四つの命題があると主張する。
(1)心身という区別――心的なものと物理的なものは、別々の領域をかたちづくっている。
(2)物理的なものの因果的閉鎖性――物理的なものの領域は因果的に閉じている。つまり物理的でない心的なものは物理的な作用の原因となりえない。
(3)因果的な排除の原理――物理的な原因がある出来事にとって十分なものである場合、その出来事については他の種類の原因はありえない。
(4)心的なものの因果的な効力――心的状態は実際にあり、それは機能している。
以上の四つは互いにつじつまが合わず、ひとつの解決手段は(4)を断念することだが、それは随伴現象説である。そしてこのような哲学的問題は誤った仮定に基づいて起こるものであり、解決の手段は「心的なもの」と「物理的なもの」という伝統的な語彙を放棄することである。ここには二組の独立したシステムに関する二つの独立した記述があるのではなく、一つの完全なシステムに関する二つの異なる記述があるということだ。そして心的なもとは脳の「性質」とあり、ニューロン発火に関する物理的記述とは別に、心的なものに関する記述があるということなのだとサールは主張する。

性質二元論の立場からは、心的性質が物理的性質と表裏の関係にあるとすることで、心的因果を肯定しようとする。しかしこの立場は心的なものの因果的役割を物理的なものに帰着させていると見ることができ、フレッド・ドレツキは「ソプラノ問題」という思考実験で批判している。もしソプラノ歌手が高音を発して窓ガラスが割れたとする。ガラスが割れた原因は歌手の声の高さという物理的性質であり、歌の内容という心的性質ではない。従って性質二元論からは心的因果は導出できないということである。


  • 参考文献
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年
大田雅子『心のありか』勁草書房 2010年