とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

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匿名ユーザー

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「ふうん。私ったら一ヶ月半も眠ったままだったのか。海の底で意識が無くなったはずなのに、ここが現世で良かったわ」
 御坂美琴は再びベッドに横たわって顔だけを横に、すなわち、この部屋に今いるインデックス、白井黒子、御坂妹、神裂火織を見て、なんとも細い笑顔を浮かべている。
 しかし、即座にハッとして、
「で、あの馬鹿は?」
「大丈夫だよ。とうまも助かったから」
「そう、良かった」
 インデックスの返答を聞いて、安堵の溜息を一つ。再び、笑顔も戻る。
 一度、視線を天井に向けて、
「で、あいつはアンタに謝れたの?」
 美琴は何気なく聞いた。
 美琴が上条当麻を助けよう、と思った理由のひとつは、インデックスに謝罪させるためだったからだ。
 それが叶っているかどうかは知りたいことである。
 知りたいことではあるのだが、インデックスに目を合わせられない、というのは微妙な乙女心と言ったところか。
 白い天井を見上げて美琴はレスポンスを待つ。
 誰も何も言わなければ、この白い空間に響くのはデジタル時計の音だけになる。
「ん?」
 なんだか思っていたよりもレスポンスが遅過ぎる。と言うか返事が来ない。
「どうしたの?」
 思わず、再び視線をインデックスに向けた。
 そこに居るのは当然、インデックスなのだがどうも様子がおかしい。
(変ね? この子が『あいつは助かった』って言ってたのに……って、ちょっと待って、何か表現がおかしくない?)
 美琴は思う。
 確かにインデックスは『とうまも助かった』と言った。
 『も』と言うことは、美琴同様に、という意味であり、それはすなわち、命に別状はない、と見て構わないことだろう。
 しかし、何かが引っかかる。
「ね、ねえ……まさか、あいつはまだ……」
 嫌な予感が過ぎる。美琴本人は一ヶ月半、意識不明だったわけだから、もしかしたら上条も、と考えても不思議はないし、というか、命に別状がないだけで、無事じゃない可能性があるのではないか、とか疑ってしまう。
「ち、違うよ! とうまは元気だから! 目が見えなくなったり口が利けなくなったり手足がなくなったりとかじゃないから!」
 手をばたばた振って、美琴の悪い予想を否定するインデックス。
「五体満足、なのね?」
「う、うん! もちろんだよ! 短髪と違って、とうまはもう自分の足で動き回れるようになってるし、ちゃんとごはんも食べられるようになってるんだよ!」
 ふむ、と美琴は思う。
 とりあえず身体的に問題はなかった、ということだけは分かった。
 ところが、それでもインデックスは『無事に』と口にしていない。
 つまり、命には別状ないし、体もいたって健康なのかもしれないが、どこかに異常があることになる。
 それはどこだろう?
 答えは既に出ている。
「……もう一回聞くけど、あいつはちゃんとアンタに謝罪した?」
 今度は、まっすぐにインデックスを見て問いかける。
「……………………………………………………………………まだ」
 随分と長い間があって、ようやくインデックスが絞り出した声を漏らした。
「……………………………………………………てことは、また?」
「うん……あ、でも今回は大丈夫なんだよ! 記憶はちゃんと戻せるんだよ!」
 深刻な美琴の声に、肯定はしつつも即座に、元気付けるように声を上げるインデックス。
 それは自分にも言い聞かせていることなのだが、それに関しては自覚なし。
「そうなの?」
「はい、と、ミサカはお姉さまの疑念を振り払います」
 美琴の確認に答えたのは、今度は御坂妹の方だった。
 その事務的で平坦な言葉には、一片の迷いもなく、漲る自信が宿っていた。


「で、インデックスさん? あなたはここで何をしているのでしょうか?」
 翌日、再び、上条当麻の病室を訪れたインデックスは、お見舞い用に飾ってあった花瓶を上条のベッドの横にある小さな三段引き出しの上に置いて、空っぽになった小さなテーブルでレポート用紙に何やらボールペンを走らせていた。
「あなたの記憶を、彼女があなたと関わった記録を書いてもらってます、と、ミサカは現状報告します」
 答えたのは、インデックスと供に現れた御坂妹だった。
 どうやら夕べもインデックスは御坂妹の病室に泊まったようである。
「俺の記憶?」
「そうなんだよ。とうま! 私ととうまの回顧録をパーフェクトクールビューティーがとうまの頭に書き込むんだよ!」
「は?」
「厳密にはミサカではなく、ミサカが用意する学習装置(テスタメント)が入力します、と、ミサカは補足説明します」
 はじけんばかりの笑顔で答えるインデックスと、淡々と呟く御坂妹は、手持ちのノートパソコンをソファーに座り、太ももの上に置いて、広げて、何やら打ち込んでいる。
「で、あなたも何をやっているので?」
「私にも、あなたと過ごした記録があります。それをまとめています、と、ミサカは一心不乱に打ち込みながら答えます」
 回答している時点で一心不乱とは言えないのだが、それは言うまい。
「ええっと、てことは俺の頭に、君たちが俺と一緒だった過去を入力する、と?」
「その通りです、とミサカは肯定します。ご安心ください、と、ミサカはあなたの不安を取り除きます。学習装置は元々、学園都市の能力開発装置を応用したもので、耳から直接電極を刺して稼動させますが、それは、能力開発時にあなたも経験済みのはずです、ではなく、この学園都市の入学条件を知っているはずですから、記憶はなくても、そういうことがあったことは認めるはずです、と、ミサカは懇切丁寧に説明します」
「まあ……この町にいる時点で、それはそうなんだが……」
「学習装置の安全性については問題ありません、とミサカは保証します。なぜならミサカ自身に使用されたからです、と、ミサカは実体験を遠い思い出のように語ります」
 経験者は語る、というやつだ。
 しかも御坂妹は、クローン体であり、生命の理に基づいて生まれた者たちと比べると、どうしても体調的に弱い部分がある。
 しかし、そんな御坂妹だからこそ、文字通り身をもって学習装置の安全さをアピールできるのだ。
「し、しかしなあ、それだと俺の記憶というか、君らだけとの記憶しか入力できないんじゃないか?」
「うん知ってる。だから、私たちだけじゃないよ。短髪もくろこもこもえもあいさもかおりもサーシャもシェリーもオルソラもアニェーゼもルチアもアンジェレネもオリアナもいつわもエリザードもリメエアもキャーリサもヴィリアンもレッサーも協力してるよ。……って何か女の人ばっかりだし、ちょっとむかつくかも」
 白いシスターの目がとっても怖くなって、上条は身震いする。
 身に覚えはないのに、なぜか、あのシスターのあの表情は直感的に非常によろしくない気がする。
「同感です、と、ミサカは、あまりのあなたのフラグ乱立ぶりに辟易します」
 ……いや、それは今の俺ではなくて、前の俺ですよね? というか前の俺! どんだけ羨ましい目にあってんだーーー!!
 と、ツッコミを入れたが最後、なんとなく命の危険が真近に迫ってきそうな気がしたので、心の中でだけ絶叫する上条当麻。
 もし、記憶を失う前の彼が二人ともいたならこう言って、焼け石に水の反論をしたことだろう。
 ステイルと偽海原光貴と建宮斎字は?
 ちなみに数多くの女性と確かにお知り合いの上条当麻ではあるが、それは全て別に、ギャルゲーのように幼馴染だったり出会いがしらにぶつかったり突然声をかけられたり木の影から見られていたり事ある度に勝負を挑まれたりしたわけではなく、清々しいくらいとっても命と紙一重の危険な目にあって生き残った成果だったりするから、それが羨ましいかどうかは正直、疑問を感じるところではある。
 もちろん、今の上条当麻はそれを知らない。
 って、あれ? 一つだけ実話なのでは?


「ああ! なんて素晴らしい空間! お姉様が! お姉様が二人もわたくしを囲うなんて! これもひとえにお姉さまの身を案じて一ヶ月半を一人寂しく過ごしてきたわたくしへのご褒美なのでしょう!!」
 上条が滞在している隣の病室では、同じように御坂美琴と白井黒子が、上条当麻との回顧録レポート作成に勤しんでいた。
 この二人はさすがに用紙にボールペンというアナログではなく、手持ちのノートパソコンでキーボードを叩いている。
 叩いているのだが、実のところ、叩いているのは白井黒子だけであって、御坂美琴はベッドに横たわったまま、傍にいる自分のクローン・妹達の一人、一〇〇三九号に口述筆記させていた。
 なぜなら、美琴はまだ、キーボードを叩くどころか、ペンを持つ以前に、自力で起き上がることさえできないくらい体力が回復していない。
 何と言っても、美琴が覚醒したのは前日の晩で、それまで一ヶ月半、まるで動かなかったのだ。栄養点滴だけでは当然追いつかず、ようやく、今日の朝、オモユを口にできた程度。これで動けという方が無理である。喋ることさえ、結構億劫なのだが、今の美琴ができるのはここまでだ。
「ねえ黒子……あんたのハイテンションは諦めるけど、ちゃんと言われたことやってんの……?」
 美琴が呆れて呟くと、
「もちろんですわ、お姉様! あの腐れ類人猿との回顧話などものの数行で終わりますもの!」
「だあー! それじゃ意味ないじゃない! 妹達の一人が言ってたでしょうが! あいつと一緒に居たときのことを覚えている限り、詳細に書かなきゃいけないって!」
「むぅ。ですが、わたくしとあの殿方だけの接点となれば、八月二十一日の夜と大覇星祭前のビル崩壊から救われた二つしかありませんの。あとはお姉様もご一緒でしたから、別段、わたくしが書く必要は無いのではないかと。お姉様と一緒にいたときであれば、わたくしよりもお姉様の方が、詳しく書けるのではなくて?」
「ななななななな何言ってんの黒子! 私とあいつは別に、その、何と言うか……」
「それでも、あなたにも詳しく書いてもらいます、と、ミサカはあなたの目をまっすぐ見つめて懇願します」
 美琴がどもると同時に、ミサカ一〇〇三九号はじとっとした声で白井黒子に希望する。
「う……お、お姉様と瓜二つのあなたに促されるとわたくしとしても何と仰いますか……逆らえないと言いますか……」
 多少顔を赤くして、妙に鼓動が加速する白井黒子はしどろもどろしている。
 ちなみに、白井黒子に妹達のことを教えたのは御坂妹だ。
 上条の部屋に移る前に、この病院にいるあとの三人の内、今日の調整が済んでいた一〇〇三九号をを呼んだ。満足に動くことができない美琴のフォローのために。
 それゆえ、どうしようもなかったのである。
 自分と一〇〇三九号という二人の御坂美琴そっくりの存在と出くわした白井黒子は、すでにこの件に大きく関わってしまっている。
 昨日までであれば、御坂美琴第一だったため、周りにまで気が回らなかったのだが今日からは違う。
 御坂妹と会っていることは当然記憶に残っている。
 いずれ、追求されるなら、と考え、他言しない、という条件の下、妹達のことを説明した。
 ただし、実験のことや最終信号、そして最近増えた番外個体のことは伏せて、自分たちが美琴のクローンであること、噂にあったレベル5の軍用量産モデルであること、というところまで、で。
 さて、なぜ一〇〇三九号が白井黒子にも再度、記録作成を依頼したのか。
 その理由は、
「これを見てください、と、ミサカはあなたにパソコンモニターを突きつけます」
「はい?」
 なんとなく、やさぐれている雰囲気を醸し出す一〇〇三九号に従って、白井はモニターに映し出された文章を読んでみると、
「…………………………お姉様、これは惚気話でございますか……?」
「ぶっ!」
「そういうことです。お姉さまとあなたたが一緒にいるときに、あの人と接点があったならば、あなたの記録の方が客観的かつ適切に処理できるからです、とミサカは砂を吐きながら嘆息します」
「何でそうなるのよ! わ、私はちゃんと事実関係に基づいて!」
「その割には、私から見てもこれは主観が混ざり過ぎているように思えますわよ。何ですの? この『何でも解決してくれるヒーローのように』とか『何かこっちを意識しているみたいで』とか『本当に嫌われていたらどうしようと思いつつ』とか。もしかして、こちらの方も、逐一訂正しておられるのではないでしょうか?」
「その通りです、と、ミサカは呆れて首肯します」


 確か、この病院の防音施設は完璧なはずなのだが、いきなり、うぎゃー!!、という叫び声とかビリビリとかバリバリとか、遠くから聞こえたような気もするが、聞かなかったことにしよう、と、隣の部屋にいる上条は心の底から思う。
 これに関わるのもなんとなく身を滅ぼしそうな予感がしたから。


「はぁーい。みなさぁーん。大変、嬉しいことに上条ちゃんが無事発見されましたー」
 とある高校の教室。その教壇で見た目小学生の月詠小萌はパンパンと手を叩きながら、教室中に甘ったるい、まだ子供らしさが残る声を響かせていた。
 同時に、歓声とどよめきが上がる教室。
 ここは上条当麻が所属するクラスだ。
「しかぁーし! 非常に困ったことに今、上条ちゃんは記憶喪失にあります! ですから、それを治すために、皆さんに『上条ちゃんとの思い出話』を最低原稿用紙五枚で書いてもらうのでよろしくですー!」
 一見、軽いノリの小萌であったが、ここは学園都市だ。
 学園都市に住む全員が、記憶喪失も直せるほど医療技術は発達しているだろう、と考えても不思議はない。
 ええー、と不満の声も多少聞こえるが、それでも、この人物が言えば、クラス中はそれで纏まる。
「まあ、あんな奴でもいちおークラスメイトだし――」
 言いながら、その人物は立ち上がり、教壇に向かいながら、一度顔を洗うように両手で表情を隠し、その両手を一気に上げて頭の後ろへ回して、耳に引っ掛けていた髪を完璧なオールバックの形に整え直した後、さらにいくつかのヘアピンでそれを固定していく。
 彼女は本気だ。
 クラスの誰かが叫んだ。
「――吹寄おでこDXッッッ!?」
「さあ!! この私が、後からあの馬鹿にまとめて渡してくるから気合入れて書くのよ!!」
 振り返った巨乳女子高生・吹寄整理の仕切り屋魂にはゴウゴウと音を立てて燃えていそうな炎が宿っていた。
 そして、教室が妙な迫力に包まれる中、学校指定のセーラー服よりも巫女装束の方が似合いそうな、上条当麻とは浅からぬ因縁を持つ者の一人、姫神秋沙は淡々とペンを走らせている。
 しばらくして「にゃー! カミやんと言えばこれだにゃー!」とか「おうおう、ワテもそう思いまっせ」とか言う叫び声が、「貴様ら! これは上条当麻の記憶じゃなくて、人間性だろうが! 間違っていないけど間違ってるわ!」という叫びと供に妙な衝突音を響かせていた。
 月詠小萌は教壇で自身もペンを走らせながら、なんとなく思った。
(上条ちゃんは幸せですねー、こんなにも上条ちゃんのことを心配してくれている人たちに囲まれているんですよー)
 その瞳には嬉しさのあまり、光るものがあったのだが、それに気づく者はいない。


 神裂火織は本気で悩んでいた。
 ここは上条当麻と御坂美琴が入院している病院の待合室。
 むろん、神裂も上条当麻の記憶の1ピースをになっているので協力しなければならない。
 持っているのが、白紙の巻物に毛筆というところが、なんとも説明し辛いところではあるのだが、これが幸いして、彼女に近づくものは誰もいない。
 正確に言えば、近づきたくない、が本音だろう。
 その隣にはテレビ電話付けっ放しの状態で、電源が入っているノートPCがある。
 そこに映し出されている光景は、
『おいオルソラ! てめえ、全然違う方に話が言ってるじゃないか! あのガキとの回顧話が何をどうやったらお鍋の焦がさずに済むか、に変わるんだよ!』
『そうは申されましても、私としてはそれがとっても大切なのですよ、シェリーさん』
『シスター・アンジェレネ。それは今日の朝食の話です。あの男のこととはまったく関係がありません』
『そ、そうは言いますけどシスター・ルチア! あなたの文章もそれは主への感謝の意でしかないと思います!』
『あ、あのオリアナさん……? 本当にそのようなことを彼との間であったのでしょうか……?』
『なあに顔を真っ赤にして。さすがは第三王女・ヴィリアン様、真性のお嬢様なのかしら。うぶな子を見るとお姉さん、どきどきしちゃう』
『お母様、それは何か違うような……? 別に私たちはあの男に救われたわけではありませんわ。私の知性が――』
『ここではエリザード女王と呼ぶのじゃエメリア。というか、おぬしのは美味しいトコ取りだっただけではないか。おい、キャーリサ。おぬしのは文章ですらないぞ』
『はぁ……何で軍師の私がこんなことを……こういうものはそもそも書記の仕事であって……』
『ステイル、それは上条当麻への悪口だと思うんですがね?』
『君も人のことは言えないと思うよシスター・アニェーゼ。それはどうやって上条当麻を打倒しようかという作戦メモに過ぎない』
『第一の質問ですが、それは恋文じゃないですか?、と五和さんに問い質します』
『ち、違いますよ! ちゃんと上条さんとの回顧録です! サーシャさん!』
『そうですか? わたくしの目にもそれはラブレターにしか見えないのですが?』
『れ、レッサーさんまでー!!』
 広い聖堂に集まり、ぎゃあぎゃあ言いながら何をやっているんだろう、と神裂は頭を抱えている。
 自らの筆は自信はあるのだが、画面の向こうがこれでは本当に大丈夫なのだろうか。
『プリエステス!』
 突然、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
 画面を見れば、一匹の人の姿をしたクワガタ、もとい、建宮斎字の顔が画面いっぱいに映し出されていた。
『……なにやら、かなり失礼なモノローグをされてませんでしたか? プリエステス』
「気のせいです。して、何の用で?」
『いえ、是非、ここにいる連中に、参考のためにプリエステスとあの少年の回顧録を拝見させていただきたく、お声をかけさせていただいた次第ですのよ。でないとまともに完成しそうにありませんのことよ』
 建宮の言葉には説得力があった。
 確かに目の前のモニターを見れば、不安に駆られても仕方がないし、彼の気持ちも理解できる。
 そして神裂自身も、一応は誰かに自分の文章を確認してもらいたかった。
 入ってはいないと思うが、主観が入っていては意味がないからだ。
「では――」
 言ってモニターに神裂が書いた回顧録を映し出す。
 それを、じっくり拝見する向こう。
 しばしの沈黙。
 ややあって、周りは皆、納得したように頷いて、静かにペンを走らせるようになった。
 自分の文章が、いい影響を与えたことに、神裂は、少し頬を紅潮させながらも満足げな笑みを浮かべて巻物を仕舞う。
 しかし、
『プリエステス』
「ん?」
 まだクワガタが映っている。神裂は静かに問うた。
「何か?」
 至極真面目な表情で建宮が答える。
『堕天使エロメイドの件がございませぬが、それはマズイのではございませんか? 少年との回顧はありのままを伝えねばならないとお聞きしたのですが――』
 神裂火織は迷わなかった。
 一度深呼吸し、伏せた瞳の努めて冷静な表情で優雅な笑みを浮かべつつ、
 建宮の顔面を記憶ごと粉砕する力を込めて、PCのモニターに強烈な鉄拳をめり込ませた。


 一週間が経過した。
 ようやく御坂妹の元に、上条当麻と関わりがあった人たち全てからの記録が届いたのだ。
 神裂の分は手渡しで、クラスの分は吹寄整理が持ってきて、海外の分はEメールで送られてきて、美琴と黒子の分は御坂妹が直接取りにいった。一方通行と打ち止めの分はミサカネットワークが知っているので、御坂妹が代筆した。
 記録としては、上条当麻が高校に入ってからのものであり、それ以前は含まれていない。
 これは、上条当麻が両親にだけは記憶喪失のことを隠しておきたかったからだ。
 ただでさえ、親元を離れて寮生活している上条当麻だ。それだけで両親に多大な心配をかけている。
 だからこれ以上迷惑をかけたくない、という思いがはたらいたのだろう。
「ねえねえ、これでとうまの記憶が戻るんだよね?」
 インデックスは嬉々として話しかけている。
「その通りです、とミサカも自然と笑顔になれます」
 むろん、笑顔になっていない。
「じゃあ、とうま、明日は私のことを覚えてるとうまなんだよね?」
「そうなるかな?」
「……嬉しいかも」
「いきなりしおらしくなるなよ」
「だって仕方がないんだよ……私は…………」
 昼間までのテンションはどこへやら。
 インデックスの胸には再びこみ上げるものがあった。
 涙も自然とこぼれてくる。
「なあ、俺、本当に何も悪いことしてないの? なんだか、君の顔見てると、すっごい悪いことしてる気がしてならないんだけど?」
 上条は苦笑を浮かべるしかできない。
 確かに見た目だけなら『聖少女』っぽい純粋な少女が泣いているのだ。これは効く。
「ん~~~そう言えば、私に酷いことしたかも」
「ええっ!?」
 右手人差し指を頬につけ、小首を傾げるインデックス。
「あは、何をしたかは思い出して話すんだよ!」
 なんて小悪魔っぽい笑顔のインデックスがきびすを返して走って病室から出て行く。
 釈然としない上条。
「お、おいインデックス!」
 呼び止められたインデックスは背を向けたまま、ぴたりと足を止めた。
 しばし沈黙。
「……約束だよ」
「え?」
「明日になったら絶対に私のことを思い出していて……約束だから……」
 上条の返答を待たずにインデックスは飛び出していく。
 今日の行き先は、小萌のアパートだ。
 御坂妹が今日は個室に戻れないから、ということだから。
 二人残される上条当麻と御坂妹。
 上条当麻は何故か、インデックスの約束という言葉が気になった。
 なぜかは分からない。
 漠然と、忘れてはいけない何かを突きつけられたような気がした。


 御坂妹は自身の個室へと戻ってきた。
 大量の書類が入った鞄と、キャリーケースに入った学習装置を取りにきた。
 ようやく今晩、上条当麻の記憶が戻る。
 上条当麻には伝えてある。
 記憶は戻るが、今回の、目を覚ましてから今日まで過ごした記憶も消えることはない、と。
 そういう記憶回復であることを伝えていた。
 周りから見れば、とてもそうは見えないのだが、御坂妹は意気揚々と部屋を出る。
 しかし――


「ようやく君と話せる機会を得たよ。ここ最近、ずっとあのシスター少女が君の傍にいたからね。正直、あの子に、これ以上絶望感を与えるのは忍びなかった」


 御坂妹が病院の自室を出たところで、背後から、普段は聞いたことも無いような真剣で重低音の声をかけられた。 
「残念だが、それを大目に見ることはできない」
 即座に、彼女は振り返る。
 そこに居たのは、カエル顔の医者だった。
 しかし、醸し出す雰囲気がいつもの『優しいお医者さん』ではなかった。
 壁側の左半身を影で覆われ、鋭く睨みつける右目の眼光もさることながら、左目は完全に影の中の光と化している。
 そこに居たのは、文字通り、冥土帰し(ヘブンキャンセラー)という二つ名に恥じない佇まいの迫力漲る漢(おとこ)だった。
「御坂くんのときは確証があったから、医者として医療以外の技術に頼れなかったから、見逃してあげたけど、今回はそうはいかない」
 硬直していた御坂妹の体に自由が戻る。
「何故です? と、ミサカは尋ねます」
 声はまだ震えていた。
 本来感情に乏しいはずの彼女の声が、畏怖で震えていた。
 この医者には全てが筒抜けだったことを突きつけられたからではなく、もっと別の何かが彼女に畏怖を与えているのだ。
「僕が、君がやろうとしている方法を思いつかなかった、と本気で思っているのかい?」
「え……?」
「――『学習装置』を利用した記憶回復、それを本気で、この僕が見落とした、と思っているのかい? と、聞いたんだ」
 言いながら、ヘブンキャンセラーは重い足取りをものともせず、ゆっくり近づいていく。
 カツン、カツン、という靴の音が、さらに重さに拍車をかけていくというのに、さらに彼の影を濃くしていくというのに。
「実際に、あなたはこの方法を提示していません、と、ミサカは反論します。もし、この方法を思いついたのであれば、あなたほどの医者であれば、間違いなく採用します、と、ミサカは確信をもって主張します」
 そう。
 確かにヘブンキャンセラーはそういう医者だ。
 患者を助けるためであれば、医療技術に有効であると判断できれば手段は問わない。
 それは、患者の負担が軽ければ軽いほどいい、というだけで既存の手術法ではなく、独自の手術法を編み出し、心臓手術を部分麻酔で成功させたことでも分かるし、脳に致命的な障害を受けた者を、クローン一万体近くのネットワークを電極チョーカーで繋ぎ、多少、体に障害が残ったとしても、それでも平常どおりの生活に戻せるほど、回復させたことでも証明されている。
「その通りだ。だからこそ、そんな僕が見落としたと本気で思っているのだとしたら、君自身が冷静ではないことを暴露しているようなものだ」


 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?!


 今度こそ、御坂妹は完全に固まった。


「君は、いや、正確には、君を含めたミサカネットワークは、周りと違って冷静なつもりでいたのかもしれない。それはこの一ヶ月半を、あの少年と、あの少女の、危険な状態を目の当たりにして、なお、的確な処置が取れていたから、そう自負できたのかもしれない。しかしだね、こと『学習装置による記憶回復』に関しては、残念ながら致命的な見落としをしている。だから止めたまえ。人の命を助ける、というのは容易いものではない。熟慮に熟慮を重ねて、それでいて慎重に行動できなければ、逆に命を奪ってしまうものなのだよ」
 ヘブンキャンセラーは『慎重』と『大胆』は相反するものだとは考えない。
 そもそも、言葉の意味的にも対義語ではない。『慎重』の対義語は『軽率』で『大胆』の対義語は『小胆』だ。
 だからこそ手段を選ばないでいられる。
 それはヘブンキャンセラーである彼の真の能力とも言えるだろう。
「どういう意味ですか? と、ミサカは再度尋ねます」
 学習装置が内蔵されたキャリーケースを脇に抱えて、まるでヘブンキャンセラーと対峙するような雰囲気で問う御坂妹。
 対するヘブンキャンセラーは、そんな彼女の目をまっすぐ、ある意味、睨みつけて、
「君は、その『学習装置』がどんなものかを知っているはずだ」
 静かに呟く。
「……『知識』を直接脳に入力する装置、と、ミサカは以前、ミサカが施されたことを思い出しつつ即答します」
「――やはり、冷静さを欠いている。僕が聞いたのは『取扱い』だ。しかし君の答えは『機能』だったよ」
 御坂妹はヘブンキャンセラーの言葉にハッとした。
「要するに、君は学習装置の『特性』だけに目が行ってしまっていて、学習装置の全体像を完全に失念している。誤解の無いように言っておくが、君が想像しているとおり、学習装置による記憶回復は理論上可能だ。複数の関係者による『記録の照合書類』を読み取って、対象者の脳に書き込めば、間違いなく回復する。たとえ、それは擬似記憶でしかないとしても、本人にはその自覚は無い。『実際に体験した』という記憶にすり替わる。『空気が美味しい』とか『人がスシ詰め』とか言った『抽象的な表現』は分からないかもしれないが、『味覚』や『嗅覚』は体験が無くとも理解できるようになっているのと同じように」
 御坂妹には狙いはまさにこの説明だった。
 このことに関しては、九九八二号という、レベル6シフト計画の実験で命を落とした御坂妹の姉で証明されている。
 美琴と供に行動した九九八二号は『初体験』であるにも関わらず紅茶やアイスクリームの味をちゃんと理解できていた。
 また御坂妹自身も操車場での戦いを終えた翌日に、やったこともないブランコの『立ち漕ぎ』を遊びに来ていた子供たちに披露することができたのだ。
「しかしだね、その学習装置は『電気』で動く」
「あ……!」
「しかも、書き込む際は耳から直接電極を刺して入力する。つまり、書き込んでいる間中、脳には直接、電磁波が浴びせられることになる。それも強い電磁波が、だ」
 御坂妹は理解した。
 自分の計画の致命的な欠陥を理解した。
「学園都市の脳開発や君たちへの知識入力ですら、三十分内で留めているんだよ。今回の少年の記憶入力にかかる時間を算出しているのかい?」
「……二時間、と、ミサカは震えながら返答します」
「君は、そんな長時間を彼の脳が耐えられると思っているのか?」
 彼女は答えられなかった。
 沈黙の肯定が答えだった。
「そういうことだ。まあ、だからと言って気を落とす必要は無い。今回、集めた『記憶』を彼に話してやればいい。母親が子供に読んで聞かせる絵本のように、寝る前にでも毎日ね。それだけでも充分、彼の助けになるはずだ」
 ヘブンキャンセラーの表情はいつもの『カエル顔のお医者さん』に戻っていた。
 患者に不安を与えない。『町のお医者さん』に。
 しかし、御坂妹は何も言えなかった。
 自信を持って、少年を救えると信じていたことが粉砕されて、絶望してしまっていた。
 クローンという人工生命体に心が宿ることは悪いことではない。
 むしろ、それは上条当麻が、御坂美琴が、一方通行が、芳川桔梗が、あの実験に関わった『人の心を持っている』者、みんなが望んだことだった。
 もっとも、だからと言って、このような『絶望』では、あまりに哀れ過ぎる。辛過ぎる。酷過ぎる。
 もし、この場に『上条当麻』がいたならば。
 そんな『幻想』をぶち壊してくれたことだろう。
 しかし今、『彼』はいない。
 御坂妹を命がけで救ってくれた『彼』は、いないのだ。


 御坂妹の瞳から一滴、液体がこぼれる。
 床に小さなしずくが月の明かりを反射して弾けた。
 こんな悲しい涙はいらなかった。
 こんな苦しい思いは抱いてほしくなかった。
 もし、この場に『上条当麻』がいたならば、そう言ってくれたに違いない。
 だが、現実は無情だ。
 どんなに望んでも『上条当麻』はもういない。
 どんなに望んでも『上条当麻』はもう二度と帰ってこない。
 御坂妹は脇に抱えた学習装置が落ちたことに気づいていない。
 自身も崩れて床に座り込んだことに気づかない。
 震える体で、いつの間にか両手で顔を覆って。
 初めて知った喪失感。
 こんなに重く辛いものだと知った『心』。
 しかし、彼女が何をしたのだと言うのだろうか。
 大切な存在を失わなければならないほどの大罪を犯しただろうか。
 カエル顔の医者は思う。
 世界は確かに件の少年によって救われたのかもしれない。
 それなのに、いまだ件の少年の周りは救われてはいない。
 『不幸』は少年の元に集まるのかもしれないが、少年以外の周りまで巻き込んではなかったはずだ。
 少年が『不幸』を背負う代わりに、少年の周りは幸福が溢れていたはずなのだ。
 いや違う。
 幸福は待っていても、やってこない。
 救われたければ、救われるのを待っていたところで報われない。
 それが『この世界』だ。
 世界は都合よくできていないのだ。
 しかし、『ミサカ』が嘆き悲しむことを誰よりも気に喰わない男が、世界で、たった一人だけいる。
 その男は、『ミサカ』を助けるためであれば何でもする。それも、できないことでも無理矢理実行したほど、『上条当麻』に勝るとも劣らない、しかし『上条当麻』とは正反対の、学園都市一優等生の大馬鹿者だ。


「つーことはだ、電気を使わずに、体内の生体電気から脳内を読み取ることができりゃァ、問題ねエってことだよなァ?」


 カエル顔の医者がいた向こう側、御坂妹の背後から声がした。
 それは、地獄の底で捕らえられたヒロインを救うために颯爽と登場した主人公とは、あまりにもかけ離れた声だった。
「ったく、クローンどものネットワーク経由であのガキの元にたったひとつだけの情報が流れてきて、しかもソイツがあのガキども全体の総意だっつーから、やって来てやったンだが、なンだァ?」
 恐る恐る御坂妹は振り返る。
 愕然とした顔で肩越しに振り返る。
 その眼前には細身の少年。
 狂ったように白く、歪んだように白く、澱んだように白く。
 どう考えても、場違いな存在。
 どう考えても、この場に居る方があり得ない存在。
 どう考えても、逆にヒロインを地獄の底で捕らえていそうな存在。
「俺にヒーローを助けろってか? 散々、不相応なことをやってきたが、これ以上はあり得ねえンじゃねエのか、オイ?」


 自他共に認める、絶対にラスボスの方が相応しいはずの、最後の希望(アクセラレータ)がそこにいた。

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