それはただひたすらに、言葉にできないくらい大きな大きな青。
「ほら、見えるか刀刃斎?あれが海だ。」
「うみ!うわ~!うわ~!あ~!」
叫んで僕は海に駆け出す。師匠が止めるのも聞かずにわらじを脱いで焼けた砂浜を走って、走って…。

「やれやれ、どうしたんだ?」
濡れた服を脱がせながら師匠が笑っている。
「なんだかからだがかってに」
「そなたはしゃぎすぎだ。昼だったからまだよいが…夜の海に魅入られないように気をつけよ。」
「でも、ししょーだっておさけをのむときはしゃいでるよ?こないだも…」
「減らず口を叩くのはどの口か~!」
ぽかりっ!

あ~あ、あの時のたんこぶの大きさったらなかったよなあ。
あれ、なんでこんな事を思い出してるんだろう…?

見上げる先は青い月。それは不気味なほど巨大で、不気味なほど優しい光を放っていた。
その中をゆっくりと舞い下る一匹の龍、否、龍人がいる。
龍人が地に足を着けた刹那、風が凪いだ。山のいななきが失せた。虫の声が消えた。
―――刀刃斎
いつもと同じ…一片の澱みも迷いもなくて、少し優しい師匠の声。
「師匠は…戦いの化身なんでしょうか?」
「まだ余を師と仰いでくれるか…いかにも、そなたの言うとおりだ。」
微笑みを浮かべ、身に纏う着物を丁寧に脱いでいった。
やがて一糸纏わぬ姿となった師匠の体を月光が撫でるように照らし出すと、体の至る所に幾何学的な模様が浮かび上がっていく。
昔、龍人には見えない鱗があると師匠が教えてくれたことを思い出した。

「刀刃斎…怒りはあるか?」―――いいえ。
「刀刃斎…憎しみはあるか?」―――いいえ。
「刀刃斎…悲しみはあるか?」―――いいえ。
「刀刃斎…喜びはあるか?」―――いいえ。
「刀刃斎…今からそなたは余の弟子ではない。もうそなたに師はいらぬよ。」
微笑んで天に手をかざすと、見る間に月光が収束していき一振りの太刀と成る。

僕の心は澱みない水のように、曇りない鏡のように心が穏やかだった。


いつかの夜…そうだ、師匠と初めてあった夜もこんな夜だったな。
「そなたと会った夜を思い出すな…。」
笑顔を崩さないまま呟いて目を瞑る。
僕も目を瞑り師匠と共にしばらく黙想して、大きく深呼吸した。

「我こそは…。」
「我こそは天上天下、鳥獣草木に至るまで、武神、戦神、闘神にいたる闘争が長…龍神にして龍人、将にして兵、八洲天龍なり!我に刃を向ける汝が名を名乗らん!」

「我こそは…八洲天龍が一番弟子、刀刃斎なり!八洲天龍、今この場で貴君に果たし合いを申し入れん!」
静かに互いの刀が抜かれ、共に同じ構えをとる。
距離にして三歩。気付けば八洲の瞳は赤く染まっていた。

「「いざ、尋常に…」」

彼女の真名、僕の真名、月光に映し出される互いの刀身、無音、凪、明鏡止水…そして、全てが止まった。

「「勝負ッッッ!!」」
その刹那、龍と人、神と人、師と弟子、母と子は消え失せた。
ただただそこに在るのは互いの総てを賭して相手を斬らんとする『闘争』だけだった。

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最終更新:2008年08月08日 22:49