「……今のうちに殺しておくか……」

 大きなベッドの真ん中で未だ目を覚まさない竜女を見ながら、リンシャオは何やら物騒な事を言っている。
 と言うのも、一応リンシャオのご主人様は魔王で、目の前の竜女は魔王の命を狙った。
 なので魔王が助けたとはいえ、魔王に再び襲い掛かるに違いない。
 そんな時は死なせとくのが一番だ。しかも何だかキャラも被って癪に障る。
 さしずめ今の竜女は鎧を脱がされて魔王が持っていた衣装を着ているし、剣も小さくなって魔王が預かっている。
 殺すには絶好のチャンスだ。

「よいしょっと……」
「ん……っ」

 竜女の上に跨り、リンシャオは彼女を見下ろす。
 何時間か前の、無謀にも魔王に立ち向かった勇ましい姿とは一変し、寝顔は可愛らしい。
 頬を突いてみると少し眉根をひそめて反応する。
 こうして見ると竜人ではあるが普通の少女のようだ。
 それでも、危険な存在には変わりない。リンシャオは竜女を弄るのをやめて着ている巫女服の懐から何かを取り出した。

「衣装が燃えたら魔王に怒られる……毒殺にしてやる、あの世でのんびりしてるがいい」

 竜女の処刑は毒殺にしたようで、リンシャオが手に持っているのは”リンシャオ特製竜人にしか効かない毒団子”で、小さな白い団子。
 ちなみに竜人以外が食べると普通の甘いお団子である。
 それをリンシャオは自分の口に含み、そのまま竜女の顔に顔を近づける。
 口移しで毒団子を食べさせ、そのまま死なせてしまおうという流れなのだ。
 リンシャオの唇と竜女の唇の距離が徐々に縮まっていく。
 リンシャオは目を閉じた……残り数ミリで二人の唇が重なる。

「……ッ! な、なにをしている!?」

 竜女の唇に狐ロリの唇が僅かに触れた時、竜女の意識が戻った。
 そして状況はよく分からないけど、とりあえずリンシャオから離れた。
 意識が戻って目を開けたら、見たことがある顔がある。しかも唇から何か柔らかい感触を感じる。
 驚きもするだろう。

「チッ、もう少しだったのに……んっ、我ながらなかなか」

 手の甲で口を押さえ、顔を真っ赤にしてリンシャオを見ている竜女は、とにかく今の自分の状況を整理すべく周りを見渡す。
 それを団子を食べながらリンシャオは残念そうに見つめていた。
 団子を飲み終えると、リンシャオの手からは小さな火球が生み出され、それは細長い形に変わっていく。
 炎は徐々に消え、その中からは赤紫の刃が光る刀が姿を現した。
 そしてその刀を握り、リンシャオは立ち上がって竜女にゆっくりと近づいていく。
 リンシャオが一歩進むごとにベッドが軋み、竜女も腰を下ろしながら後退する。
 だがすぐに追い詰められてしまった。
 にや~っと怪しげに笑みを浮かべるリンシャオ。竜女の頬に一筋の汗が落ちる。

「な、何のつもりだ?」
「……衣装が血で汚れてしまうが……まぁ、しかたない。大丈夫だ、胸を一突き、いたっ!!」
「何をやっとるんだお前は?」

 刀を振り上げ、今まさに竜女を叩き斬ろうとしたリンシャオの体が上下逆さまになり宙に浮いた。
 その横には、9本あるリンシャオの尻尾のうち1本を持って彼女を持ち上げている魔王の姿。
 竜女抹殺を阻止されたリンシャオは驚きながら手足をばたつかせて抵抗している。何より尻尾を掴まれて痛い。
 とりあえず刀が危ないので取り上げてゴミ箱に放り投げる魔王は、竜女から来る警戒と僅かな殺意がこもった視線に気が付いた。
 その視線を感じても全く気にする素振りすら見せない魔王が、リンシャオをベッドの上に放り投げて竜女に歩み寄り手を差し伸べた。

「気が付いたのか。わりぃな、俺の使い魔が変な事……」
「っ! 私に、触れるなっ!!」

 魔王の手を掃い、竜女は自分が置かれている状況を完全に理解した。
 自分は魔王と戦い、敗れて、あろうことか捕虜となってしまった。
 武器や鎧を外され、こんな恥ずかしい格好までさせられて。
 屈辱。自分が意識がない間何をされたのかさえ分からない。というか、完全に裸は見られたに違いない。
 そう思ったらますます魔王に殺意を抱き、竜女は彼を睨みつけるが魔王が笑顔で返したあたり、自分の事をまったく恐れておらずなめられてる事にますます苛立った。
 そして竜女は疑問に思ったことがあった。

「お前……何故私を殺さなかった?」
「なら、私が今すぐ殺して……」
「お前はだあってろ……えっとだな」

 何故自分は生きているのだろうか。
 それは魔王に助けられたからだろう。
 なら何故魔王は自分を助けたのだろうか。
 分からない、命を狙った相手を助けるなど。
 人質、という可能性も考えたがそれはおそらく無いだろう。
 魔王は強大な力を持っている、世界を滅ぼす事さえできる力。
 だから人質など取る必要は全くないし、それ以前に竜人を盾にしたからといって人間からしてみればそれほど痛くもないだろう。
 人間すべてが思ってないにしろ、その大半はやはり竜人や獣人、多種族を忌み嫌う。
 だからおそらく、人質になった竜人にかまうことなく魔王に攻撃を加えている。
 そう思うと何だか複雑な気分になり竜女は少し下唇を噛む。
 しかし、魔王から出た返答は竜女の予想をある意味超えていた。

「可愛い女の子だから」
「ハ?」

 竜女は唖然となって少し間抜けな声を出す。
 自分が可愛い女の子だったから助けた……ごつい男だったらどうする気だったのだろうかと疑問も生まれる。
 しかし何よりその理由だ、ふざけているのにも程がある。
 ただの女たらしではないか、まだ人質のほうが良かったかもしれない。
 こんな男が世界から恐れられる魔王なのか。戦闘時もそうだが、竜女が教えられた魔王のイメージと大分違う。
 そして、竜女は自分がこんな男に負けたのかと思うと、妙に情けなくも感じた。
 一瞬緊張感が薄れてしまったが、竜女は気を取り直し、再び魔王を警戒の眼差しで見た。

「そ、そんな理由で、助けたのか私を?」
「いやそれ以外の理由が無いし」
「ふ、ふざけるなよ魔王。私は頼んでなどいない、貴様に助けられたくもない。敵の情けを受けるのなら死を選ぶ」
「なら今すぐ私が殺して……」
「だからお前は黙ってろ。尻尾一本もぐぞ」

 竜女の言葉に、彼女に近づこうとするリンシャオの頭を押さえながら魔王は軽くため息を吐いた。
 何ともまぁ、王道な台詞を言うなぁと思いながら、後頭部を手でボリボリとかいた。
 魔王は唐突に竜女に顔を近づける。魔王の顔がいきなり近づいて、思わず竜女の顔が赤くなった。
 そしてすぐに離れると、魔王はニコリと竜女に微笑む。

「やっぱ、お前可愛い」
「な、う、うるさい! 私は可愛くなんて……」
「まっ、死ぬのは個人の勝手だ。生きてる奴はいずれ死ぬからな。俺がとやかく言うことじゃねえよ」

 魔王の言葉に顔を赤くしながら竜女は顔を横に逸らす。
 しかし、少し真面目な口調になった魔王を、横目で見つめていた。

「でも、死ぬ前に風呂でも入って綺麗になれよ。お前可愛いんだから」
「……」
「リン、風呂場まで案内してやれ。あと、この娘殺すなよ? これは命令だ」
「分かった。ご主人様の命令ならしかたない」

 リンシャオに命じながら、魔王は寝室を後にしようと扉を開ける。
 竜女は黙っていた。
 やはり自分が思っていた魔王像とは全然違うし、何より可愛いなんて言われたのも随分と久しぶりだったから。
 そして寝室から出て行こうとする魔王は、出ていき前に竜女に背中を見せたまま横顔だけを彼女に見せた。

「これは俺の意見だけどさ、お前可愛いんだから今死んだらもったいないと思うぜ、色々とな。それに……死んだら俺を殺せないんじゃないのかね?」
「……!」
「んじゃ、召喚獣に飯でも作らせとくから、腹減ってるなら食堂来いよな~」
「一応言うが、風呂を覗こうなどと思うなよ?」
「ケッ、だーれがリンのぺったん胸なんぞ見るか」
「大孤炎!!」
「ひぃ~……そんじゃな~」

 赤紫の業火が寝室の扉を破壊し、魔王が顔だけを覗かせた後逃げるように去っていった。
 それを黙ったまま見ていた竜女。
 何かを考えているようだが、リンシャオに腕を掴まれハッと我に返った。
 リンシャオは彼女の腕を掴んだまま歩き出し、魔王の命令どおり竜女を入浴場に連れて行った。
 身長差があるので、リンシャオは腕をまっすぐ伸ばし、竜女は少し姿勢を低くしながら。

「……こんな服しかないのか、この城は?」
「……なら裸でいるのだな」
「誰が……」
「どうせ死ぬのだろう?」
「……誰が」

 風呂も上がって、リンシャオと竜女の肌はツヤツヤ、頬も赤くなり湯気も出ている。
 魔王は相変わらず気に食わないし今すぐ殺してやりたいが、風呂はリカバリーの魔法を魔王がかけておいたとかで気持ちよかったと竜女は思う。
 だが、用意されていた服を見て露骨に嫌な表情を浮かべていた。
 魔王が竜女に用意した服は、何故かメイド服だった。しかも図ったかのようにサイズは丁度良い上に、翼と尻尾用に穴まで開けてある。
 今まで騎士として生きてきた竜女は当然メイド服なんて着たことなんてない。
 メイド服どころか、ヒラヒラしたスカートを穿いたのだって、幼少の頃以来である。
 竜女は当然躊躇う。他に着る物もなく、自分が身に着けていたものはリンシャオが処分したと言っていたし。
 そのリンシャオは竜女の横で、いつもの巫女服を着ながら皮肉を言った。
 元々殺すつもりでいた相手だし、キャラも被っている上に、体系が圧倒的に負けているのが癇に障る。
 そんなリンシャオの念を感じ取り、風呂に入っている間も妙にギクシャクしていた竜女は、リンシャオの言葉に少し間をおき返した。

「ほう、では生きる事にしたのか?」
「……あぁ。それと、私はこの城に残る」
「好きにすればいい。魔王のことだ、大いに賛成する」

 更なるリンシャオの問いも、少し間を置いて竜女は返す。
 彼女は生きることにした。彼女をそう思わせたのは魔王の言葉だった。
 自分が死んだら魔王を殺せない。打倒魔王に人生の大半を費やしたことが無駄になってしまう。
 何より、この城に居れば魔王を殺せるチャンスもあるだろうし。
 入浴中まで何か考えていたのか、ずっとボーっとして女騎士とは思えない様子だったが、今はもう違う。
 言うなれば彼女の雰囲気が、勇ましい女騎士に戻った、と言ったところだ。
 脳内で『打倒魔王』の言葉が浮かんだ。それと同時に、先ほどの優しげな笑顔を見せた魔王の顔も浮かんだ。
 そんな魔王を思い出すと、何故だかは分からないが顔が熱くなって心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
 竜女はそんな異変をかき消すかのように首を横に振る。勢いよく何度も。
 その様子を、リンシャオは横目で見ている。
 リンシャオは既に着替え終わっていた。
 だが竜女はまだ裸である。

「くちゅんっ!」

 当然湯冷めしてしまった。
 竜女の翼が彼女の体を包むように動き、竜女は少し体を震わす。
 早くも少し情けない竜女の姿に、軽くため息を吐いてリンシャオは口を開いた。

「いつまでも裸のままでいるからだ。バカモノが」
「う、うるさい。こんな服、抵抗がある」
「ふぅ、とりあえずもう一度湯に浸かってこい……えと……そういえば名前……」
「……ミズチ。お前は……」
「リンシャオ。長ければリンと呼ぶがいい。魔王がそう呼んでいる」

 リンシャオと竜女ミズチは名乗り合い、ミズチは再び入浴場に入っていく。
 最初リンシャオがミズチを殺そうしたり、その後も妙にギクシャクしていていたけど、少しは丸くなったなぁと思いつつ魔王は入浴場にゆっくりと近づく。
 その様子を少しだけ見て、リンシャオは今まさに入浴場を覗こうとしている魔王を呼び止めた。

「覗くなと言ったはずだが?」
「いやだってさぁ……胸おっきい女の子見るのひさしぶ……すまん、悪かった、大人しくしてます」
「どうした、なにかあ……ったの……か……」

 愛想笑いを浮かべながらつい言ってしまった魔王の本音は、リンシャオが火球で脱衣所の壁を破壊した事により途切れた。
 何度も反省が全く感じられない謝罪をする魔王。
 その時、不意に入浴場に入る引き戸式の扉が開かれた。
 魔王は瞬時に後ろを振り向く。そこにはタオルも何もない、生まれたままの姿となった竜女。
 大きな翼を左右に広げ、最初は状況がつかめていない様子だったが、徐々に彼女の顔が真っ赤に染まっていった。

「おっぱいキターーーーーーーーーー!!!!」

 約一名は絶叫に近い歓喜の叫びをしている。

「なっ……な、な、く、く……くたばれエロ魔王ぉぉーー!!!!」
「フッ、当たらなければどうと言うこ、げはっ!!」

 竜女は木で出来た風呂桶を魔王に投げ飛ばす。
 1、2発目は軽く避けていた魔王だが、3発目が顔面に直撃。
 以後何十個と桶をぶつけられ、最終的には風呂桶の山に潰されているような状態になっていた。
 どんな形にしろ、魔王が誰かに倒されるのを始めて見たリンシャオは、風呂上りのコーヒー牛乳と油揚げを食べながら観戦していた。
 やがてコーヒー牛乳を飲み終えると、ゆっくりと桶の山に歩み寄って、唯一飛び出している魔王の片足を掴む。
 そして頭がたんこぶだらけの魔王を桶の山から引きずり出し、そのままズルズルと引きずって脱衣所を後にした……
 なお、ミズチは迷った挙句メイド服を着てしまい、魔王は再び歓喜の声を上げて、赤面しているミズチから再び攻撃された。


「はい、いただきます」
「いただきます」
『『『いただきます』』』
「……いただきます」

 とてつもなく広い食堂のど真ん中に大きな丸いちゃぶ台がある。
 そのちゃぶ台を囲むように座り、1人の男と2人の狐娘と竜娘、3体の女性型召喚獣が手を合わせて軽く頭を下げている。
 食事をする際は、その前にちゃんと挨拶をするのが魔王城の決まりだ。
 使い魔だろうが魔王の命を狙う者だろうが召喚獣だろうが、この決まりに従わなければ食事抜きである。
 挨拶をしリンシャオや魔王やミズチ、光の召喚獣ルナはごく普通に食事をしている。
 しかし、ルナ同様魔王に召喚されたセルシウス、イフリートは木製の箸が凍り砕けたり、燃えてしまったりするので、力を調節しながら食事を取らなければならない。
 魔王は忘れていた。ちゃぶ台や茶碗やお椀、各種料理の材料等に施しておいた守護魔法を箸には施していなかった事に。

「リン、お姉さまたちに新しい箸を」
「わかった」
『『ぐぬぬ!!』』

 魔王の命令でリンは食堂を後にした。
 セルシウスじゃ尻から生えている蒼い狼の尻尾を逆立て、イフリートは紅く蜥蜴のような尻尾の先から紅の炎を吹き出し明らかにイライラしている。
 そんな2体を、金色の長髪から白い兎の耳を生やしたルナが、女神のごとき美しい微笑を見せつつ宥めている。
 その言葉に魔王は楽しそうに笑っている。やはり食事は人数が居たほうが楽しいし。
 だから魔王は必ず食事の際召喚獣を何体か呼び出す、一応暇かどうか聞いて。
 そして暇な召喚獣は、魔王に呼び出されては調理を手伝ったりし、それなりに楽しんでいる。
 召喚獣はその力ゆえ基本的には戦闘時にしか呼び出されず、こうした時をこの世界で過ごすことは少ないから。

「持ってきた」
「おう、ご苦労さん。……はい、これで凍りもしないし燃えもしませんよお姉さま方」
『すまん』
『ありがとう』

 2体の召喚獣は、リンシャオが持ってきた箸を魔王から受け取り、ようやく普通に食べることが出来た。
 セルシウスは熱い料理を程よく冷やし、イフリートは豪快に食べまくっている。
 ルナがこの料理は美味しいと言うと、魔王は嬉しそうに自分が作ったと誇らしげに言っていた。
 その言葉にミズチが肩をビクッと動かし少し反応する。てっきりいつもどおりリンシャオが作ったのだと思っていたから。
 魔王の手作り……毒でも入っているのではないかと一瞬思ってしまったが、まぁそれはないだろう。
 ミズチが魔王城に住むようになり数ヶ月……リンシャオならやりかねないが、毒殺をするならもっと早いうちにやっているはずだし。
 そう思いながら、いい匂いがする白い粒の塊を口に運んだミズチ。

「……おいしい」

 呟くような小声でミズチの口から自然と言葉が出た。
 召喚獣やリンシャオには聞こえなかったらしいが、魔王には聞こえていてミズチに笑みを見せた。
 ミズチは赤面し、魔王から顔を逸らす。
 また顔が熱くなった。きっと今の顔は真っ赤だろうと自分自身でも分かるくらいに。
 何故熱くなるのかは分からない。
 胸の鼓動も高まっていく。緊張状態にも似ているが何か違う気がするこの感覚。
 しかし魔王達に悟られまいと冷静を装い、ミズチは食事を続けた。
 何十年漬けたか忘れていた梅干が特に好評だった。

『ごちそうさまでした』

 終始楽しく盛り上がっていた食事が終わった。
 リンシャオは全員の食器を、またド広いキッチンに運ぼうと皿等を重ねている。
 手で持ちきれないものは器用に尻尾の上に置き、食堂を後にした。
 その際、食器洗うのも俺がやると魔王はリンシャオに伝えたが、リンシャオは人の仕事を取るなと言う。
 それでも魔王はやると言うので、使い魔にとって主の命令は基本的に絶対だからリンシャオは魔王に任せると言い出て行った。

『では、私(わたくし)達はこれで失礼します』
『また呼べ、魔王』
『私も、気が向いたら食べてあげる』
「お任せあれ。しかし、俺と言う絶品料理もあることをお忘れなく」

 召喚獣たちも異世界へと戻るようだ。
 元々”一緒にご飯を食べる為”にこの世界に召喚されたのだから、それが成されれば戻るのは当然。
 ルナは丁寧に魔王に頭を下げ、セルシウスとイフリートは結局口喧嘩をしてしまい異世界に帰っていった。
 喧嘩の原因は、魔王の取り合いだった。
 その光景を終始見つつ、軽くため息を吐きミズチも立ち上がった。

「おうミズチ。風呂沸いてるから入ってこいよ」
「……」

 魔王に話しかけられても、無言のまま彼に背中を見せるミズチ。
 いつもは何かしらの返事や反応が返ってくるが、今回は返ってこない事に魔王は頭をかしげる。
 ミズチはそのまま扉に向かう。それを魔王はただ黙って見ていた。
 そしてドアノブを握ったミズチは、彼に振り返るわけでもなくそのまま背を向けた状態で口を開いた。

「……覗くなよ?」
「覗かねぇよ。桶の生き埋めはもうごめんだからな」
「ならいい」
「あ、ついでにリンの奴も一緒に入れてくれ」
「わかった」

 ミズチは魔王の顔を見ることなく返事をし食堂を後にした。
 何か怒らせるようなことをした、もしくは言ったかと魔王は考えつつ、自分の体を光らせキッチンへ転移した。
 食堂の扉を閉めたミズチ。魔王に言われたとおりリンシャオの元に向かおうとしたが、目的の狐はすぐそこにいた。
 食器を置き終え、何もすることが無いので魔王に何かないか聞きに行くところでミズチに呼び止められる。
 魔王に言われた事をそのままリンシャオに伝えるミズチは、そのままリンシャオと浴場へ向かう。
 その途中、リンシャオはミズチの顔を横目遣いで見上げていた。
 やはり彼女も感じていたのだ。ミズチの様子が少しおかしいことに。
 魔王も含め、気づいていたのは今より結構前の事だが、気にする事もないだろうという判断から気にはしなかった。

「お前、どうした?」
「ぇ、なにが……」

 しかし、今日はいつにも増して元気がないというか、何かをずっと考えている様子。
 相手は魔王の命を狙う本来ならとっくに殺していなくてはならない者。リンシャオ自身も幾度かミズチの命を狙ってきた。
 だがまぁ、ミズチが嫌い、憎いという個人的感情はない。
 むしろ数ヶ月暮らしてきて共に居るのが当たり前のようになってきた。
 だからこそリンシャオは本人に訊ねる。
 ミズチは肩を震わせて、とぼけるもののリンシャオには通じなかった。
 少し間が空き、言うべきか迷っていたミズチは静かに口を開いた。

「……私は、魔王の……」
「魔王の?」
「あ、いや……魔王は、本当に憎むべき世界の敵、なんだろうか……」
「世界の敵……だからお前も奴の命を狙っているのではないのか?」
「……」

 呟くような小声でミズチはリンシャオに問いかけるが、彼女の質問で返され下唇を噛み黙ってしまう。
 即答できない、以前なら答えられたはずなのに。
 ミズチの答えを待っているリンシャオ。
 そんな彼女から逃げるかのように、ミズチは竜の翼を広げ羽ばたき宙に浮く。
 翼の羽ばたきによって生まれた風でリンシャオの白と紺の巫女服は揺れ、風が治まるとリンシャオの隣にはミズチは居なかった。
 彼女は廊下内を飛び、浴場へ向かったのだ。その際、横顔をリンシャオに見せる。

「変なことを訊いた、今のは忘れてくれ」

 最後に言葉を残し、曲がり角を曲がりリンシャオの視界からミズチは居なくなった。
 彼女の言葉を聞き、9本の尻尾を揺らしながらリンシャオは黙って立っているが、再び歩き出す。

「なるほど……まぁ、私には関係ないことか」

 リンシャオが浴場に来た時には、もうミズチの姿はなかった。
夜の魔王城は暗闇が支配している。城が建っている場所が元々暗い土地なのだから本当に真っ暗だ。
 自分の手も見えるかどうか分からない廊下に、一つの明かりがゆっくり横に動いている。
 それはミズチだ。彼女が持っているランプが唯一廊下を照らしている。
 眠るときはさすがにメイド服ではなく白い寝巻き姿になるミズチ。
 リンシャオも眠ってしまっていると思われるこの時間に起きてしまい、自分の迷いを晴らすべく魔王を討ちに行こうとしているのだ。
 その手には、武具及び機械巨人等がある武器格納庫から持ってきた短剣が握られている。
 元々持っていた大剣は魔王に取られて以来戻ってきていない。

「……」

 魔王の寝室まで辿り着いた。リンシャオの妨害を警戒し、周りを見渡す。
 いつもなら赤紫の炎を纏った狐の姿で現れるリンシャオが、今日は現れないところを見ると本当に眠っているようだ。
 そしてミズチにとって問題は魔王が起きているか否か……起きているのなら彼に勝つ事はまず不可能だと身をもって知っている。
 だから慎重に、慎重に扉を開け寝室内を覗き見た。

「ん? リンか?」
「っ!」

 魔王は起きていた、しかも気が付かれた。
 寝室内も魔王が出した炎球が、天井まで昇っており明るく照らされている。
 このまま部屋に戻ろうか、そう考え扉を閉め戻ろうとするミズチだが、魔王の捕縛魔法に捕まり無理やり室内に引き寄せられた。
 光る糸のようなものが手足や胴に巻きつく。まるで操り人形のように。
 そして引き寄せられる際、短剣は廊下の通路に落ち金属音が廊下に響き渡った。

「うぁっ!」
「なんだミズチか。どした、こんな夜中に、トイレか?」
「……ち、違う。それより、これを解いてくれ。それと……見えている」
「え、あぁ、わりぃ」

 引き寄せられて、ベッドの上に座っている魔王の胸の中で止まったミズチ。
 リンシャオではない事を確認すると、彼女に掛けていた捕縛魔法を解き、指摘されてズボンを吐いてモロ出しだった男の大事な部分を隠す。
 それが目に入ってしまったということもあるが、何より魔王に抱き寄せられてミズチの顔は赤くなっている。
 魔法が解けると、ミズチは魔王から少し距離を取り立ち上がった。

「そ、そんなものを出しっぱなしで、な、何をしていたんだ?」
「さっきまでセルシウスとちょっとした晩酌をな。まぁ、向こうが先に酔っちまって。そんでそういう空気になったもんで」
「……」

 当然のように魔王は腕を組み言う。よく見れば確かに魔王の頬は少し赤くなっている。
 それをミズチは黙って聞いていた。セルシウスの姿が見えないあたり彼女はまた帰っていったのだろう。
 そんな中、彼女の心のどこかでセルシウスに対してちょっとした恨み、憎しみといった負の念が生まれる。
 悋気に似た感情……何故セルシウスに対してそんな感情を抱いてしまったのか分からない。
 とにかく今日のところは失敗もいいところなので、ミズチは自分の部屋に戻ろうとした。
 だが、魔王に手を掴まれベッドの上に座らされてしまった。

「な、なんだ?」
「いやぁ、少しくらい付き合ってくれよ。まだ酒余ってるし」
「私は、酒は飲めな……」
「はいコレ。セルシウスが作った絶対溶けない氷のグラス♪」

 どうやら魔王はミズチの話をまるで聞いていないようだ。
 笑顔でさっきまで使っていただろう、冷たいグラスをミズチに手渡す。
 思わず受け取ってしまい、赤いワインが注がれるのをミズチは見ている。
 本当に飲めないのだが、飲まなければ帰してくれそうにないのは既に分かっていた。

「ほら、一口だけ」
「あ、あぁ…………んっ」

 魔王に急かされて、ミズチはグラスに口をつけワインを一口飲む。
 倒れた。
 トマトのように頬を真っ赤にさせベッドの上に仰向けで倒れこんだ。
 これにはさすがに魔王も少し驚いた。ミズチが飲んだワインの量は本当に僅かだったから。
 まさかあれだけの量で倒れるとは思ってみもなかった。

「お、お~い、大丈夫かぁ?」
「ぅ……ん、にゅぅ……」

 魔王の呼びかけに、普段からは出ないと思われる台詞を言いつつミズチが寝返りを打った。
 どうやら眠ってしまったようで、魔王は手で後頭部をぼりぼりっとかき、彼女を抱きかかえた。
 お姫様抱っこという形となり、魔王に抱かれてミズチは寝息を立てている。
 これまで彼女の寝顔は見たことがなかった魔王は、普通にミズチは可愛いなぁと思いつつ彼女の部屋に転移した。
 このまま襲ってもよかった。
 しかし、翌日になってボコボコにされるのも嫌だったし、リンシャオに何を言われるか分からないから今日はやめておく。
 こういうのが何度か続いた日には、我慢できないかもしれないが……
 ミズチの室内が一瞬白く眩く光り、光の中からミズチを抱きかかえた魔王が現れた。
 彼はゆっくり白いベッドに歩み寄り、ミズチを寝かせようとする。
 しかし、ミズチの体はベッドの上に乗らずそのまま魔王から離れない。
 だってミズチが魔王の首に両手を回して、抱きついているから。

「起きてたのか。おい、どうした?」
「魔王は……いい匂いがする……」

 ミズチを寝かせようと下がっていた腰を再び上げ、彼女をその場に立たせた魔王。
 一度離れても再びミズチは魔王の胸の中に自らいく。とりあえずロウソクに火をつけ少し明るくさせる。
 ここで本来なら魔王は自らの本能がまま彼女を抱くのだが、相手が相手だけに今はやめておき、様子見の上で頭を撫でる事にした。

「さっき激しい運動したから、今の俺は汗と酒のにおいしかしねぇぞ?」
「……それでもいい」

 いつもなら頭を撫でただけで鉄拳が飛んでくるか、最悪刃物が飛んでくるが、今のミズチは何もしない。
 むしろもっとしてくれと言わんばかりに、翼はゆっくり羽ばたくように動き、尻尾は揺れている。
 まぁ、最近の考え事をしているのか少し暗い様子のミズチよりは大分いいが、こうして甘えるような仕草もまた魔王を考えさせる要因となっていた。
 やはり酒の影響か、ミズチの頬は赤い。瞳も潤んでいる。
 だがそれは酒の影響によってだけではない、それはミズチ自身わかっている。
 認めたくなかった感情。だが今は素直に出せそうな気がした。

「魔王は、何故優しい?」
「それは俺だからだ」
「答えになっていない……お前がそんなだから、私は……」
「もしかして、ついに俺に惚れちまったか?」

 ミズチを離し、冗談半分で笑って言う魔王。
 しかし、こんな事を言えばもうボコボコは確定なのだが拳一つ飛んでこない。
 その上ミズチは赤面して俯いていたが、再び魔王にその身を寄せる。
 この反応は、彼女の気持ちは本物だと取るには十分過ぎるものだった。

「おいおい、マジか? 俺は多くの人間殺した大罪人だぜ?」

 ミズチの両肩を掴み、再び引き離して言った魔王の言葉。
 それはミズチにも分かっていた。
 実際、ミズチが魔王を討とうとした時、彼は召喚獣を使い機会巨人のパイロット数名を死なせた。
 死の覚悟があったミズチを含めた戦士以外の者が見れば、魔王がした事は確かに大罪だろう。それも分かってはいる。
 だが、それと同じくらい、いやそれ以上にミズチは魔王に惹かれてしまった。
 そしてその気持ちは自分の中で今まで抑え込んできたが、もう限界だ。
 酒の勢いもあって一度解き放たれてしまった、もう自分でも抑えられない。

「……ん」

 ミズチの翼が数回羽ばたき、彼女の体が少し浮く。爪先立ちをしても僅かに届きそうにないから。
 そして魔王の肩に両手を添え、目を瞑って唇を重ねた。
 これには驚いた魔王は目を見開き、ミズチの唇が離れても彼女の顔をただ見つめるだけ。
 言葉にすることが出来ず、行動に移したのはいいものの、魔王に見つめられて自分がしたことに羞恥心を感じ始めるミズチ。
 魔王から視線を逸らし、広げた翼を畳んで魔王に背中を見せた。

「酒は恐ろしいな……飲んだ者をおかしくさせる。朝になれば私も元に戻るだろう、今夜の事は忘れて――」

 そう言ってベッドへ一歩進んだ。
 口付けだけでよかった。むしろこれ以上の事はできない、相手は魔王なのだから。
 だからもう終わりにして、明日からまたいつもの自分に戻ろう。
 そう思い、口付けをした言い訳に似た言葉を言いながら、魔王に背中を向けるミズチ。
 しかし背後から軽く肩を叩かれる。
 反射的に振り向いた時、ミズチの視界には自分の顔に近づく目を瞑った魔王の顔が映っていた。
 そして今度はミズチが目を見開き、その場で硬直する。
 再び2人の唇が重なったのだ。今度は魔王からである。
 唇はすぐに離れる。しかし呼吸をする僅かな時間の後、言葉を発する暇も無くミズチの口は再び魔王により塞がれた。

「んッ! んッぅッ……!!」

 しかも先程までの口付けとは違い、今度は舌が入った深い口付け。
 涙を浮かべ眉間にしわを寄せるミズチは、魔王から離れようとするが後頭部を押さえられているので離れられずにいる。
 口内で動くニュルリとした感触は決していいものではない。
 ましてや他人の唾液を入れられるなど、気持ち悪い。最初、ミズチはそう思っていた。

「んッ……んん……はぁ、ん」

 しかし、徐々にミズチは魔王の口付けを受け入れていく。
 目は溶けたようにとろんとなり、体の力が抜けて今にも倒れそうに足がガクガク震えている。
 やがてミズチも魔王の口内に舌を入れて、舌を絡ませ合った。
 平たく言えば気持ちよくなっていたのだ。
 長い口付けが終わると、魔王はミズチの腰に手を回して彼女を持ち上げた。

「ぅわっ」

 魔王がミズチの体をベッドの上に放り投げた。
 ベッドは軋んで揺れ、ミズチは思わず声を上げる。
 その彼女の上を魔王が覆いかぶさり、真剣な表情でミズチを見つめる。
 だがすぐに、魔王とは思えないいつもの優しい笑顔になった

「俺も酒のせいでおかしくなっちまったようだぜ」
「わ、私には、いつものいやらしい魔王にしか見えないが?」
「そりゃ男はいやらしい生物だから仕方ない、うん。それにあんな事されちまったら、我慢できなくなるのも仕方ないよな?」
「……」

 魔王の言葉の意味を、ミズチはすぐに理解した。
 というかそのままの意味で、魔王は男としての色々な我慢が出来なくなってしまった。
 そしてもう一つ、魔王がこれから何をするのかもミズチは理解している。
 相手は魔王で敵……そんな言葉がミズチの脳裏に一瞬よぎった。
 しかしそれはすぐに心の片隅に置き、今は自分の気持ちに従う。
 それに相手は魔王なのだ、今までの苦痛しかなかったもの行為とはきっと違うはずだとミズチは思った。

「一応訊いとくが、今からする事わかってる? いいのか?」
「…………あぁ、今夜だけ、だから……」

 それにこんな行為をするのは、おそらく今夜のみ。
 自分にそう言い聞かせて、ミズチは魔王の問いに静かに頷く。
 魔王は微笑み彼女の前髪に触れ、再び顔をミズチに近づけた。
 そして、2人の唇は再び重なった……






 すべての行為が終わり、一つのベッドに2人の男女が寝ている。
 元々一人用のベッドなので魔王とミズチは寄り添い、眠っているミズチの横顔を魔王は見つめていた。
 可愛らしい寝顔。ミズチの長いもみ上げを指で弄っている。

「案外、俺も……」

 魔王は何かを言おうとした。しかし途中で軽く頭を横に振り、言葉を中断させる。
 これまで魔王は自分でも覚えきれないほど、様々な若くて可愛い女の子に声を掛けてきた。
 大半は正直覚えてない。覚えいてるのはほんの数名と言う、ある意味最低な魔王。
 だが、ミズチに対しては何かが違っていた。いつもとは違う感情が確実にあったのだ。

「そうだ、せっかくだし……教えてやるか」

 何か閃いた様子の魔王。
 物音を立てずに、そっとミズチの耳元に顔を近づけた。

「夢の中で聞きな…………俺の名前と、弱点をな」

 名前のみならず、何故知られてはならない自分の弱点まで教えたのか魔王自身にもよく分からない。
 ただ、この時はミズチになら殺されてもいいかなと思ってしまったことや、ミズチ自信が今熟睡しており聞いているかも分からなかったから。
 魔王はミズチに伝え終えると、少し唸ったミズチを抱いた。
 肌と肌の感触が気持ちいい。またムスコが覚醒してしまうところだったが、ここはさすがに堪える魔王。
 そして寝息を立てているミズチを抱きながら、魔王にも眠気が襲いそのまま瞳を閉じた。


「フフ、なるほど……そういうことだったか、これは丁度いい」

 そしてミズチ達がいる部屋とは違う部屋で、魔王の弱点を知り一人怪しげに微笑んでいる少女がいた。



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最終更新:2008年05月30日 01:43