「と言うわけで、恩返しに参りましたぁ」
「はえーよ」

俺の前で座る少女が深く頭を下げたのに対し、真っ先にそんな言葉が出た。
傍目から見れば、仁王立ちの男の前で少女が土下座してる訳だから、
ちょっと普通じゃない光景だ。ただ、この少女は普通じゃない。

金髪で少し小柄なこの少女、
しかしよく見ると、頭の横から長く、フワフワした毛に覆われた耳が飛び出している。
そしてもう一つ、お尻の辺りには7つの尻尾。モコモコとした毛に覆われたそれはまさしく狐の尻尾だ。
コスプレではない事は確かである。
さっき俺が自身で確かめ、頬に残る三条の傷と引き換えに、血の通った本物であることを証明した。

なぜ、我が家に狐少女がいるのか。恩返しがどうのと言い出しているのか。
それを説明する為には、6時間前に遡らねばならない。

折りしも、趣味のハイキング中、山の中で奇妙な鳴き声を聞いた俺は、
わざわざ確認しに行くような物好きであった為、一匹の狐と遭遇した。
あの辺りは、確かに田舎だったが、それでも、狐が出るのは珍しい。
そこで敵意むき出しに吼える狐を、まじまじと観察していた俺は、
そいつが罠に引っ掛かっている事に気付いた。
しかし、これが笑える話で、その罠と言うのがクマバサミとかそんな大仰なものでなく、なんとネズミ捕りだった。
多分、卑しくチーズかなんかに手を伸ばして嵌ったんだろう、

でだ、俺はその怪我をしてるアホ狐に、軽く菓子を放ってやり、
油断した所でとっ捕まえて、その罠を外してやったわけだ。
いや、暴れるは噛むわで偉い目にあったが、散策用に、厚い長袖の服と皮手袋を持参したのが功を奏したな。
で、自己満足に浸りつつ家に帰ってみるとあれですよ、奥さん。
見知らぬ少女が家の中で待ってるじゃありませんか。

うん、すぐに警察に電話しようとしましたよ。
そしたら、見事にサブミッションを極められましてね。
狐の癖に、総合格闘でもやってんのかって勢いでしたね。あれは。
そのまま事情説明ですよ。もうアホかと、馬鹿かと。
助けた狐が助けた人より先に家に帰ってるなんてねーよと。
そんな訳で、落ち着いた俺の前に、助けた狐……、

「そういや、お前、名前なんていうんだ」
「えー、好きに呼んでくださいな」
「じゃあ、キツ子さんで」
「呪いますよ」
「じゃあ、フォックスで」
「横文字は嫌いなんですよぉ」

注文が多いやつだなぁ。

「じゃあ、7つ尻尾があるから七尾だ」
「ちょっと安直過ぎませんか」
「しばくぞ、この野郎」
「はい、それでいいと思いマス」

ともかくだ、七尾と言う名前はついた、
これで一歩前進したかもしれない。何がと言われても困るが。
えーッと何処まで話したっけ。

「あ、そうだ! で、結局恩返しってのはなんなんだ?」
「あぁ、はいはい。私たち一族はですねぇ、
 傷つけられたら七代仕返し、恩を受けたら七年仕えよと、そういう掟があるわけなんです。
 それで、貴方様に助けられた以上、私も七年貴方に恩返ししないといけないんですよねぇ」
「執念深いというか、義理堅いというか。ともかく、別に困ってないから帰っていいぞ」

玄関を指差し、手を振る俺。勿論左右ではなく、上下だ。
しかし、七尾は引き下がらない。

「そんなぁ、困りますよぉ。何もしないで帰ったら、私が今度は怒られちゃいます。
 長老様怖いんですよぉ。知ってますか、鬼狐と呼ばれてるんですよ。
 100年前は、隣の山の大猿大将とそれはそれは苛烈な一騎打ちを……」
「知らんわ。そんなローカルな武勇伝」
「う~、頼みますよぉ、お願いですよぉ」

足元にすがり付いて、懇願してくる七尾。
さすがに、これを振り払うのは気が引ける。

「分かった分かった、そこまで言うなら何ができるか言ってみろ。それ次第だ」
「へっへ~、私こう見えても、炊事洗濯掃除、何でも出来ますよ」
「ほぉ。家政婦代わりにはなりそうだな。よし、じゃあやってみせてくれ」

こうして、七尾の恩返し試験が始まった。
自分で言うのもなんだが、こんな試験やるのなんかウチが世界初だろう。
うん、全く嬉しくないが。

「帰れ、お前」
「そ、そんなぁ~~」

試験は1時間で全て終わった。
というか、コイツ使えない。全然使えない。小学生の方がまだ使える。
最初に料理やらせた時は、

「……あの~」
「なんだよ」
「これどうやって使うんですか」
「お前コンロも知らんのか。ここをこうやって捻るとだな…」
「わぁ! 火が出た!」
「………」
「あの~」
「なんだ」
「これなんですか?」
「何って、ピーマンだよ」
「ピーマンってなんですか」
「………」

キッチンどころか食材の半分以上が分からないという体たらく。
幾らなんでも味噌醤油も分からないんじゃ話にならねえ。
かと言って洗濯をやらせれば、

「これは…一体…」
「洗濯機だ」
「……せんたくき?」
「お前今までどうやって洗濯してたの?」
「そりゃ、洗濯板でごしごしと」
「………」
「洗濯板、ありません?」
「ねーよ」

そして掃除、これが一番酷かった。
これまでの例を見て、箒とかだろうと思っていたが。
アイツは、いきなり自分の尻尾を振り回し、
埃といっしょに、部屋の中の小物までいっぺんに外に放り出しやがった。
狐流の掃除だとよ、なめとんのか。

「お願いです! 最後の! 最後の機会を!」
「えぇい。知らん知らん。とっとと帰って長老とやらにしばかれてこい」
「そ、そんな! 殺す気ですか! 何卒、何卒最後の機会を~」

七尾は涙目で縋り付く…というより、俺にしがみついて来る。
ええぃ、うっとうしい。

「あぁ。もう分かった。いいか、次が最後だぞ」
「へへ~、ありがとうございます」
「全く…。あー、動き回ったら腹が減ったわ。
 飯にするから、お前は大人しくしてろ」
「はぁい」

…ハイキング帰りで面倒くさいな、簡単にできるものにするか。
そういや、レトルトのカレーがあったな。
コイツにも食わさなきゃいかんのか?

「おい、お前、人間の飯は食えるのか?」
「この姿なら、大抵のものは大丈夫ですよぉ」
「便利なもんだな」

カレーが狐の舌に合うかとも思ったが、
コイツは意外にもすんなり受け入れ、ペロリと平らげた後にお代わりまでしてくれやがった。
そんなこんなで飯も食い終わり、一息ついた俺達は、
ゴロゴロと横になり、閑談しながら時を過ごす事にした。

「あー、今日は色々疲れたな」
「体力が足りてないですねー。そんなことだとこれから困りますよぉ」
「半分はお前のせいだけどな」
「そうですねぇ…」

気楽に言ってくれるな、本当にコイツは。
しかし、横になって無駄話を続けていたせいか、腹もこなれてきた。
今日は歩き回ったせいか、どうにも体がベタベタとすると感じた俺は、
ヨッと腹に力を込めて起き上がり、浴室へと向かった。

今思えば、この直前の会話の時気付くべきだったかもしれない。
奴が既に、「恩返し」を始めようとしている事と。
横になりながらも、奴の尻尾がまるで狐が獲物を狙う時のように、怪しくユラユラと揺れていた事に。

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最終更新:2008年01月02日 23:05