オフィス街、とあるビルの自動販売機コーナー。

「はぁ~」
 板についていないリクルートスーツをどうにか着込んだ冴えない青年が、ため息をつきながらとぼとぼと自販機に近づく。
(こりゃ、駄目かもわからんね)
 何が駄目かというと、ついさっきまで一つ上のフロアで行われていた某企業の採用面接である。
 面接、といっても形式は様々だ。学生1人を相手に行う個人面接。数人を相手に行う集団(グループ)面接。学生数人があるテーマに沿って議論をし、その結論を発表するグループディスカッション。あるテーマについて賛成・反対に分かれて議論するディベート、等々。
 彼が今回受けたのはグループディスカッションだ。テーマは『少子高齢化社会で企業が生き延びるには』。制限時間は45分。
 常識的に考えて、たった45分で、しかも学生ごときが結論を出せるようなテーマではない。かといって彼が受けたグループディスカッションが特殊だったわけでもない。大概の場合、少々話し合ったからといってシンプルな結論が出るようなテーマは与えられないものだ。
 重要なのは、どんな結論が出たかではない。どんな議論をしたか、だ。
 青年は自販機の前でもう一度ため息をつき、財布に手を伸ばした。
(あンのデブとメガネめ。まじふぁっ○だわ)
 しかし、稀にいるのだ。とにかく自己主張をすれば好印象と思っている奴や、他人の揚げ足を取ったり論破すれば高得点と思っている奴が。
 それが1人だけで、残りのメンバーが空気の読める者であればどうにか修正できるかもしれない。しかし今回は4人中、2人がそれだったのだ(デブとメガネ・敬称略)。
 メガネの発言にデブが食いついて、メガネが長々と持論を展開し、デブがそれを遮って揚げ足取りを始め、メガネが切れ気味に反論、デブが逆切れ――。
 もう目も当てられない。
 青年は開始5分で自分の意見を言うことを諦め、残り5分の時点で議論をまとめることを諦めた。
 希望の光は残る1人のメンバーだったのだが――
「すまないが、買わないのなら先に買っても構わないか?」
 財布を持ったままぼんやりしてしまっていたようだ。青年は慌てて譲ろうとする。
「どーもすんませんね、って、あれ?」
「君か。ええと、黒川勇くんだったか。偶然だね」
「ああ、えーと、やま、やま……」
「椙山だ。椙山玲子」
 切れ長の瞳に細めの眼鏡、涼やかな容姿でパンツスーツを着こなす彼女こそ、青年と共にどうしようもないディスカッションを潜り抜けた最後の1人だ。
「すんませんね、どうも。あ、先どうぞ」
「ありがとう」
 メンバー唯一の女性であった彼女は、見た目の印象に違わず理性的な女性であり、まともな議論にもっていこうと四苦八苦する勇を幾度とフォローし、曲がりなりにも結論まで持っていけた陰の立役者だ。
 その知的な美貌もあり、控え室でもデブに執拗に絡まれていたが、彼女が一際人目を引くのは顔ではない。
「――君も、耳と尾が珍しいのか?」
 彼女は犬耳族であった。

 自嘲気味に問いかける玲子に、ついつい視線が頭にある犬耳に行っていたことに気づいた勇は慌てて謝罪した。
「あ、いや、実は犬耳の人とサシで話すのって初めてなもんで、ついつい」
「そうか、君は都会育ちなのだな」
 少し皮肉っぽくそう言い、玲子は硬貨を入れて缶コーヒーのボタンを押した。
「いや、都会育ちというよりもド田舎育ちだったもんで……すみませんね、ほんと」
 もう一度謝り、玲子に続いてミルクティーを買う勇。
 勇が自販機コーナーに設置されたベンチに座ると、先に座っていた玲子が封を切った缶コーヒーを差し出した。勇も苦笑しながら缶の封を切る。
「お疲れさま」 「お疲れさまっす」
 乾杯。2人同時に一口飲み、同時にため息をつく。
「ふふっ」
「あはは」
 なんとなく笑みがこぼれる。短い時間ではあったとはいえ、共に過酷な状況を切り抜けた2人の間には妙な連帯感が生まれていた。
「いやはや、ホント疲れたねコレ」
「まったくだ。君は第一志望だったかい?」
「残念ながらね。そっちは?」
「残念ながら第一志望だ」
「そりゃ残念。お互い難儀なグループにあたったもんだねえ」
 今日出会ったばかりなのに、お互い不思議と感じる親近感。
 実は2人とも同じ大学であること、共に1人暮らしであることも判明し、より話が弾んだ。デブとメガネへの悪口で一通り盛り上がった後、お互いの就活状況や企業についての情報交換、相手の自己分析への感想まで、かなり突っ込んだところまで話し合った。
 いつの間にやら、夕日が差し込む時間になっていた。
「いかんいかん、もうこんな時間だわ。悪いね、引き止めちゃって」
 時間に気づいた勇は慌てて立ち上がる。
「む、いつの間に。私の周りには同じ業界を志望する人がいないから、もう少し情報交換がしたかったが……」
 とうに空っぽになっていた缶をゴミ箱に捨て、名残惜しそうに立ち上がる玲子。
「じゃあ、一緒に晩飯でも食う?」
 そう言ってから、自分の発言に内心驚く勇。特に他意もなく自然に出た言葉だが、よくよく考えてみれば就活にかこつけたナンパみたいなものだ。
 しかし玲子の方は気にした様子もなく、
「良いのか? じゃあご一緒させてもらおうか」
 すんなりと提案を受け入れた。

 玲子はここいらの地理に詳しくないらしく、勇が店を選ぶこととなった。
 就活中は何かと金がかかるので手軽な値段で、でもせっかく美人と食事するんだから牛丼屋やファーストフードは除いて、だからといって"情報交換”という本来の目的を果たす為にはそれなりに長居できるところ……とあれこれ考えた結果、
「良くサークルで使うとこで、飯はなかなかいけるし、安いし、多少の長居は大丈夫なんだけど……」
「だけど?」
「居酒屋なんよ」
 熟考の末が居酒屋かよ、と軽く自己嫌悪の勇。
「飯の美味い居酒屋か、興味深いな。久しぶりにお酒も悪くない。ここから遠いか?」
 それにしてもこの犬耳娘、ノリノリである。
「や、ちょっと歩いたとこ」
 玲子の懐の深さに感服しつつ、勇は案内を始めた。
 オフィスビルが立ち並ぶ地域を抜け、繁華街へと入っていく。いかがわしい店が並ぶ区画をさりげなく迂回し、飲食店があふれる地域へ向かう。
「ここ、ここ。地下1階の『ひさや』ってとこだけど……」
 外見はどこにでもある居酒屋。やっぱリクルートスーツで来る所じゃなかったかな、と今更ながら悔やむ勇だが、
「どうしたんだ、入らないのか?」
 全く気にしていない様子の玲子。勇は覚悟を決め、玲子の後に続いて階段を下りた。

 金曜日の夜というのもあったのだろう、その店はそこそこ繁盛していた。
 勇はもはや馴染みとなっている店長に挨拶し、気を利かせた店長がパーテーションで仕切られた奥の4人席を用意した。
「オヤジさん、500円くらいでがっつりめの定食1つ」
「ええと、どうやって注文すれば良いのかな?」
「定食ってメニューにないんだけどさ、いくらくらいでどんな感じのが食いたいって言えば、オヤジさんがいい感じに作ってくれるんよ」
「へえ、面白いな。じゃあ私も君と同じので」
「がっつりだよ?」
「構わない。あと生中1つ。君は?」
「……飲む気満々っすね」
「なんだ、君は飲まないのか?」
「いや飲むけどさ。生中もう1つ」
 そんなこんなで普通に飲みになってしまった2人。生中で乾杯し、リーズナブルな定食で腹を満たす。
 やはりアルコールが入ったため、自販機コーナーで話した時よりもくだけた話題が中心となった。説明会で見かけた痛い奴・うざい奴、就活生の間で毎年まことしやかに伝えられる某企業についての噂、ブラック企業の噂、言いたい放題に言われた面接官への悪口、等々。
 やがて定食を平らげ、『ひさや』自慢の地鶏を肴に酒メインとなっていったのだが……。

「ぷは、店員さん、おかわり。そうだな、今月お勧めの地酒で」
「ちょ、ちょ、ペース速いって」
 順調にジョッキを空けていく玲子。ゆうに勇の倍は飲んでいる。
「折角、久しぶりに居酒屋に来たんだ。心ゆくまで飲んでも罰は当たるまい」
 顔色一つ変えずに飲み続けているが、どうやら相当酔ってきているようだ。しらふの時は微動だにしなかった犬耳が、感情に合わせて動いている。勇の位置からは見えないが、きっと尻尾も表情豊かに動いているのだろう。
「君、聞いているのか」
「え、ああ、聞いてるよ」
「聞いていなかった時の、典型的な応答じゃないか」
 表情は変わらないが、耳がぴんと伸びる。
「ごめんごめん、ま、もう一杯どーぞ」
 酒をついで誤魔化す勇。店員が運んできた地酒を玲子のお猪口についでやる。
「ああ、すまない」
 こんどは耳がパタパタと動く。どうやら彼女は、本当にお酒が好きらしい。
「ええと、どこまで話したか、……そうだ、種族別採用のところだ」
 種族別採用とは、犬耳族や猫耳族といった、いわゆる獣人(差別用語として近年は使われていない)を対象とした採用枠だ。
「我が国は成文法による人権獲得は諸外国より遅れていたが、人と"耳を持つ者”が調和した誇るべき文化と風土を有してきていた。
なのに欧米に習って無闇に機会均等を図ったりするから変なことになるのだ。
どこの面接に行っても、最初の質問は『なぜあなたは種族別採用で応募しなかったのですか?』だ。
まったく、一昔前はそんな採用枠なんて存在していなかったし、"耳を持つ者”でも実力のあるビジネスマンは沢山いるだろうに、ああもう」
 どうやら随分と本音の部分が出てきたようだ。総合職を目指す彼女は犬耳族のコミュニティでも珍しいらしく、誰にも相談できずに随分と鬱屈をためていた。
「耳を持っていようがいよまいが、男だろうが女だろうが、内定出る人は出るし、出ない人は出ないしねぇ」
「結局、その個人次第だ、というのはわかるのだがな」
 コロッケを割り箸でぶすりと刺し、続ける。
「わかっていても、納得いかない」
 突き刺したまま、お猪口をあおる。
「まあ、納得いかないなら無理に納得することもないんでない?」
 玲子のお猪口に注ぎながら、何とはなしに相槌を打つ。しかしその言葉は玲子にとって意外なものであったようだ。きょとん、と目を丸くする。
(あ、かわいい)
 顔の表情は全く動かさない玲子が、初めて感情を顔で表した。大人びた顔立ちが、不意に少女っぽく感じられる。
「無理に納得することもない、か……」
 勇のそのく分け、かけらを口に入れる。眉根をひそめ、右の耳がゆっくりと上下している。どうやら彼女が考え事するときの癖らしい。
 会話が途切れる。
 居酒屋らしい雑多な喧騒が、奥の席にいる2人の間にうっすらと漂う。
 玲子はコロッケをつまみながら何事かを考えたまま。しかし勇は不思議と気まずさを感じなかった。上下する玲子の耳を眺めながら、ゆっくりとジョッキを傾けた。中のビールは随分ぬるくなってしまっている。
 何かに思い至ったらしく、玲子は顔を上げて口を開きかける。言葉をゆっくりと反芻する。突き刺したコロッケを小さ
「おいおい見ろよ、こんなとこに犬耳がいるぜ」
 無粋な闖入者が玲子をさえぎった。

 大学生くらいと思われる、若い男だ。髪を染めてピアスをあけ、どこにでもある今風のファッションに身を包んでいる。
 その男に呼ばれた友人らしき男たち2人が勇と玲子のテーブルを囲む。どれも似たり寄ったりの格好だったので、勇はとりあえずAからCまで適当に番号を振った。
「すげーモノホン初めて見たわー」
「なになに、動物園から逃げてきたのかにゃー?」
「でもこいつ、ちょーマブいじゃん」
 どいつもこいつも相当酔っ払っており、言いたい放題だ。にゃーとかマブいとか、今時の若者としてはいかがなものかと呆れる勇。
 一方の玲子は、露骨に動物扱いしてくる男たちを無感情な瞳で眺めているだけ。一見すると何を考えているかわからないが、ぴんと立った両耳を見ると、彼女は相当腹に据えかねているようだ。
 勇はさっと店内に目を走らせる。オヤジさんが好意で奥のテーブルを案内してくれたが、それがあだとなてしまった。店員も含めてこの状況に気づいている者はいない。
 普段なら店内の揉め事には真っ先に対応しに来るオヤジさんだが、今のところ忙しそうに働いていて気付く様子も無い。
 そうこうしている間に、男たちの横暴な振る舞いはエスカレートしていく。
 やれ、そのスーツ姿エロいね、だの、いいケツしてるね、だの、犬耳って淫乱ってホント?、だの、ホテルでハァハァ喘がせたい、等々。実際はもっと聞くに堪えない言葉を投げつけていたのだが。
 勇は呆れてものも言えない。確かに頭の中に睾丸が詰まったような酔っ払いたちだが、こうも露骨に迫ってくるとは……"耳を持つ者”への偏見も含まれているのだろうか。
 玲子が黙っているのをいいことに、さらに卑猥な誘い文句をまくし立てる3人組。いい加減聞くに堪えなくなった勇は、なるべく穏便にこの不埒な男どもを排除するために店長を呼ぼうとする。しかし、その様子に気づいた玲子が勇を押しとどめた。
 玲子はかけていた眼鏡を外し、男たちに向かって口を開いた。
「君らの言いたいことは了解した。つまりは3人がかりで私を手篭めにしたい訳だ」
 莞爾とした笑顔。勇にはその怖いほどの笑顔が宣戦布告を意味するものだと瞬時にわかったが、対する男たちはといったら"手篭め”の意味がわからないらしく、仲間同士で馬鹿面を見合わせている。
「私にも思うところがあるが、君らもそうそう引く気はあるまい。ならば居酒屋らしく、これで決着をつけよう」
 そう言って彼女が掲げたのは、日本酒の徳利。彼女は飲み比べで決着をつけよう、と言いだしたのだ。唖然とする勇。
「君ら3人が私を酔い潰したら、君らに一晩付き合う。心ゆくまで味わうと良い。私が君ら3人を酔い潰したら、私たちの支払いを持ってもらう。どうだ?」
 ようやく玲子の意図することが通じたらしく、目の色を変えて興奮しだす3人。さっそく酒を持ってこさせようとする男たちに、勇は何とか割り込んだ。
「ちょ、ちょっと待った……流石に1対3はフェアじゃないだろ。俺も混ぜろ」
 意外そうに勇を見やる玲子。
「私の問題だ。君が無理する必要はない」
「いやいやいや、そういう訳にはいかんでしょうに」
 なおも食い下がろうとする玲子はこの際無視し、3人組に了解を取り付ける。既に玲子を使った下卑た妄想世界に浸っている彼らは、勇の提案をあっさりと受け入れた。
 追加注文の酒が運ばれる。異変に気づいたオヤジさんが駆けつけるが、時既に遅し。3人組はもちろんやめる気はなかったし、玲子にもなかった。

 勇・玲子ペア、一番手・勇、大将・玲子。3人組、一番手・男A、二番手・男B、大将・男C。勝ち抜き戦。
 余談だが、3人組の順番が心の中で勝手に割り振ったABCの順番どおりになったようで、勇は不意に笑いそうになってしまった。
 それはさておき。
 一回戦、勇VS男A。この日はさほど飲んでいなかった勇が何とか勝利。3人組に大きなアドバンテージがあるため、男Aが無理をしなかったのも勝因だ。
 正直これ以上大して飲めそうもなかったが、少しでも玲子を有利にさせるため勇は二回戦へと進む。
 二回戦、勇VS男B。ぎりぎりまで粘るも、玲子からドクターストップをかけられ、勇の敗北。気分の悪くなった勇はトイレへ直行。
 勇・玲子ペアは、早くも後が無くなった。

***************

「あ゛ー、久しぶりに吐いた……」
 飲酒についてはサークルで鍛えられていたが、ここ最近は上級生として飲ませる立場だったため、無理矢理に飲んだのは久しぶりだった。
 だがいつまでもトイレでうだうだしてる訳にもいかない。出すものを出したら、玲子の所へ戻らねば。
(まあ、いざとなったらトンズラすっか)
 洗面所で口元を拭いて、扉を開ける。すると必死の形相で勇を押しのけてトイレに入っていく男がいた。
(今の……男B?)
 確かに男Bっぽい感じの男だったが、チャラ男の区別などつかない勇には判別不可能だった。
 テーブルに戻ると、いつの間にやら人垣ができていた。心配そうにオヤジさんが見守っているから無茶な展開にはなっていないだろうけど……勇は大急ぎで人の壁を掻き分けた。
 勝負は、違う意味で無茶な展開になっていた。
「さあ、早く飲め。私は次の銘柄が飲みたいんだ」
 テーブルの上には、空になった日本酒の瓶。空になりつつある焼酎の瓶。
「もう降参か? だったら早く負けを認めろ。君のペースにあわせて飲むのは苦痛だ」
 顔を真っ赤にし、視線の定まらない男C。顔色どころか、表情も変わらない玲子。
「ちくしょう……テメェ、バケモンか」
「化け物かどうかは知らないが、確実に言えるのは、君よりもお酒に強い、ということだ」
 自分のグラスに残りの焼酎を注ぎ、そのまま一気にあおる。そんな玲子の様子を見た男Cは泣きそうになりながらグラスに口をつけるが、一向に減る気配はない。
 空になった瓶をもてあそんでいた玲子だが、男Cの様子に痺れを切らし、
「貸せ」
 グラスを奪い、残らず飲み干した。
「さ、やっと次の銘柄を選べる。私は芋が良いのだが、特別に君に選ばせてやろう」
 品書きを男Cの方に押しやる。
「君が選びたまえ、さあ、何が飲みたい。早く決めてくれ、私はまだ飲み足りないんだ。さあ、早く、早く、早く!」
 にこやかな笑顔で迫る玲子。その笑顔は、天使でも悪魔でもない、さながら魔王の笑み。
 震える手で品書きを掴もうとする男Cだが、叶わず、テーブルに突っ伏し、
「……負けました……」
 か細い声で呟いた。
 それまで玲子の迫力に圧倒されていたギャラリーだが、男Cの言葉で沈黙が破れ、熱狂的な拍手喝采が巻き起こる。
「ふん。……店員さん、次は芋で」
 沈没する男Cには目もくれず、眼鏡をかけなおして追加の酒を注文する玲子。そんなクールな彼女の様子に、一層ヒートアップするギャラリー。
「……なんとまあ」
 呆れるしかない勇であった。


「少し、飲みすぎたかな」
 階段を上りながら、そんなことをうそぶく玲子。
 勝敗が決した後、玲子の勇姿に感動して盛り上がるギャラリーを尻目に、彼女は淡々と飲み続けた。折角タダ酒になったのだから飲めるだけ飲んでおこう、という魂胆だったようだ。
 そして、店を出たときのせりふが、これ。
「ホントに大丈夫なん?」
「大丈夫。少し、飲みすぎただけだ」
 相変わらず彼女の顔色は変わっていない。足元がふらついている訳でもない。あれだけ摂取したアルコールは、いったいどこに消えてしまったのか……もはや勇には理解不可能だ。
「すまなかった。私に降りかかった火の粉だったのに、君にも迷惑をかけてしまって」
「いやいやいや、あんなチャラ男たちに手篭めにされる椙山さんを見るのは忍びないし。そもそもあんまし役に立てなかったのにタダ飲みできたんだから、こっちが感謝せんと」
 勇の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべ、ぱたぱたと尾を振り始めた。
「君は優しいな。今日会ったばかりの犬耳族に、ここまで付き合ってくれるなんて」
 少しほほを赤らめ、潤んだ瞳で見つめる玲子。だが勇は慌てず焦らず、
「椙山さん椙山さん、それ、カネールおじさん」
「……あれ」
 玲子は先ほどからずっと、フライドチキンを世界に広めた髭のおじいさんに語りかけていたのだ。
「……いや、いつもはこんなふうにはならない。本当だ」
「まあま、気にすんなって」
 相当恥ずかしかったらしく玲子は必死に弁解をするが、勇は気にした様子もなく笑って済ます。
「それよか、まずいことになった」
「?」
 疑問符を浮かべる玲子に、勇は自分の腕時計を見せる。
 AM0021。
「終電、もうないわ」
「あ」
 この国でも屈指の大都市であるN市だが、土地柄のせいか日付が変わると地下鉄は動いてくれない。
「まあ選択肢としては、歩いて帰るか、タクシー捕まえるか、ファミレスか漫喫で一晩過ごすか、てなとこか」
 右の耳を揺らしながら考える玲子。
「革靴で長距離を歩くのは辛いな。ここからタクシーを使うとなると結構な額になる。ファミリーレストラン・漫画喫茶は捨てがたいが、体調を崩すような事態になると就職活動に響く」
 酔っているとは思えないほど論理的に答える。
「あー、確かに。じゃあ、どーすんよ」
「可能ならホテルに泊まりたい」
「いやいやいや、タクシーのほうが安上がりっしょ」
「……正直に言うと、タクシーに耐えられる自信が無いんだ。やはり飲みすぎたようだ」
「そりゃしゃーないか。どっかに安いホテルでもあると良いんだがな……」
 タダ酒の恩人に無理を強いることはできない。勇は玲子に合わせてゆっくりと歩きながらめぼしい宿泊施設を探す。繁華街なので、色々とあることにはあるのだが……。
「あるじゃないか」
 玲子がある建物を指差す。けばけばしい照明に照らされた看板には、『HOTEL すたーらいと』の文字。勇が努めて見ないようにしていた、いわゆるラブホテルだ。
「ちょっと、これはさすがにまずいんでない?」
「こういうホテルだからといって、必ずそういう行為をしなければならない訳ではあるまい。嫌なら……私1人で泊まる」
 表情に変化はないが、どうも玲子の様子がおかしい。体調がだんだん悪化しているのかもしれない。
 勇は意を決して、ホテルの門をくぐった。

「派手だな」
「こんなもんでない? あんまり知らんけど」
 1番安い部屋を選んだのでそう広くは無いが、けばけばしさは相当なものだ。
「こういうところには来ないのか?」
 そう問いかけてベッドに倒れこみ、「案外ふかふかだな」と感想を漏らす玲子。
「いやさ、下宿してるとわざわざこんなとこ来ないしねえ」
「……恋愛経験を聞いても良いか? 差し支えなければ」
「……えらく直球だね」
 勇はソファーに腰掛け、どう答えたものか考え込んだ。
「告られて、付き合って、二股かけられて、別れた」
「端的だな」
 どこまでも直球な玲子に、微苦笑で答える勇。
「俺からも聞いて良いかな。差し支えなければ」
 玲子の瞳が揺れ、耳が伏せられる。
「告白して、強姦されかけた」
 穏やかでない単語が彼女の口から発せられ、勇は目を見張った。
「もうずいぶんと昔、高校の頃のことだ」
 枕にあごをのせ、続ける。
「大好きだった先輩が、いたんだ。ちょっと、やんちゃだけど、みんなに慕われていた。告白したら、『やらせたら付き合う』って言われた。断ったら押し倒されて――」
「もういいって、無理しなくても」
 勇の言葉にふるふると顔を振り、可笑しそうな表情で、
「股間を蹴って、逃げた」
 我慢しきれず、くつくつと少女のように笑い出す。
「たくましいね、おたくも」
「そうでないと犬耳族なんてやってられない」
 彼女につられて、勇も笑い出す。ひとしきり笑った後、
「――でも、その男の正体が早めに判って良かったじゃん。変に深入りしてからでなくてさ」
 努めて明るく玲子を励ます。玲子は静かに彼の言葉に耳を傾ける。
「それに、椙山さんが純粋にその人が好きだったんなら、別に恥じることも悔やむこともない。たまたま、ちょこっとだけ男を見る目がなかったかもしれないけど、その時の想いが純粋だったならば、落ち度は無いんだから」
 そこまで一度切り、「ちょっと説教くさかったかね」と照れながら付け加える。
 玲子はただ、そんな彼をじっと見つめていた。

「……椙山さん? もしもーし、そんな見つめられると、余計照れるんですけど」
 何も答えない。勇を見つめている、というよりも、ただ焦点が合ってないだけのように思われる。これはもしかして――。
「待て、落ち着いて、焦ったら相手の思う壺だぜ?」
 彼女の沈黙の意味を悟る勇。なぜ気付かなかったのか、こんな状態になった後輩を何度も介抱した経験があったのに。
 勇は部屋の隅にあったゴミ箱を引っつかみ、彼女に持たせた。
「ゆっくり、ゆーっくりでいいから、無理せず椙山さんのペースで」
 肩を抱き支えながら、トイレへと誘導する。背が高めのわりに細い肩とか、纏めた髪の影から見え隠れするうなじのラインとか、そんな美味しい状況を楽しんでいる場合ではない。
 十分すぎるほどの時間をかけ、どうにか無事にトイレへ到着。洋式便座の前に座らせる。
「ちょいと失礼しますよ。汚れたらシャレにならんから」
 なるべく玲子を動かさないよう、慎重にスーツの上着を脱がせる。シャツは良いとして、下は……まあ、流石に無理だ。
「はい、よく我慢しました。さあ準備万端、思う存分出してしまえ」
 玲子の肩が一瞬震える。が、どうやら我慢してしまったようだ。
「ほら、吐いちまったほうが楽になるから、思い切って」
「吐き方が……わからない」
 涙目で訴える玲子。酒豪の彼女にとって、“飲み過ぎで吐く”という経験は初めてのことで要領がわからないのだ。
「確実な方法としては、喉に指突っ込む、ってのがスタンダードだけど」
 勇の言葉に、恐る恐る指を口に含む。だが恐怖が先に来てしまい、嘔吐に至らないようだ。
 勇は意を決し、背広を脱いで腕まくりをし、彼女の手首をつかんで指を抜かせた。
「やったげるから、ほら、口あけて」
「いいっ、じぶんで」
「失礼しますよ」
「やっ、まて――ぅ゛っっ!!」

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