「はいお疲れお疲れ、こぼさず綺麗にできたね。いやしかし、こんな細い体のどこにあんだけの量を溜めといたのさ」
 トイレを流し、自分の手を洗う勇。一方の玲子は、肩で息をしながら洋式便座に突っ伏している。
「残さず全部出した?」
 突っ伏したまま、力無く頷く玲子。勇は備え付けのコップに水を満たし、タオルと一緒に玲子に手渡した。
 口をゆすぎ、タオルで口元を拭く玲子。
「うぅ、……穴があったら入りたい」
「目の前にあるけど、入んないでね」
 勇はもう一度トイレの水を流し、玲子の背中をさすってやった。
「もう、大丈夫だ」
 立ち上がる玲子。だが足元がおぼつかない。ふらついたところを勇に支えられた。
「胃の中すっきりさせても、脳に入ったアルコールは無くならないからね。しょーがない」
「……すまない」
 トイレに入ったとき同様、勇に付き添われてよたよたとベッドまで戻っていく玲子。勇はいやな顔ひとつせず、玲子をゆっくりとベッドに横たえた。

「……本当にすまない。いろいろ世話させてしまった」
 暫くの沈黙の後、気分が落ち着いた玲子が蚊の鳴くような声でもう一度謝罪した。
「まあまあ、気にすんな……ってのも無理かもしれんけど、酔っ払いの世話はサークルで慣れてるし、おたくよりタチの悪い奴らばっかだったし。ま、あれだけ飲んだんだから、しゃーないよ」
 勇はベッドに腰掛け、沈んだ様子の玲子に慰めの言葉をかけた。現に勇はさほど気にしていない。サークルの連中にくれべたら、ちゃんとトイレまで我慢できた玲子は優等生だ。
「そうか。……その」
 言いよどみ、躊躇いがちに続ける玲子。
「君は、やはり嘔吐するような女は嫌なのか?」
「へ?」
「それとも、犬耳が嫌いなだけか」
「えーと、……話が見えんのだけど」
 急な話の展開についていけず、勇は玲子の方へ振り向いた。
 玲子はベッドに身体を預け、潤んだ瞳で勇を見つめていた。
 無造作に投げ出された四肢。細い上半身を包むシャツの硬い生地。スカートより、より足の細さと長さを強調するスラックス。特に胸元が開いているわけでもなく、素肌を晒しているわけでもないが、その姿は妙に扇情的であった。
「その、ちょっと落ち着いた方が良いって。まあ酒の間違いは誰にでも」
「落ち着いている。ちょっと、ふわふわした感じがするが」
 まったく信頼性の無い言葉を紡ぎ、上半身を起こす玲子。が、バランスを崩して勇の方へ倒れこむ。
「ちょ、まずいってば……」
 反射的に玲子を抱きとめた勇だが、穏やかでない体勢になってしまったことに気づいて冷や汗をかく。
 ラブホテル。ベッドの上。抱き合う男女。
「私は、覚悟していた。ここに入る前に」
 そう言いながら、ゆっくりと両手を勇の背中に伸ばす玲子。
「積極的に行為を望むつもりは無かったが、君に要求されれば、受け入れようと」
 きゅ、と抱きしめ、体重を勇に預ける。
「だが、我慢できなくなったのは私の方のようだ。君にも抱く女を選ぶ権利はあると思うが、拒否されても、止められる気がしない。だから――」
 そのまま力を込め、狼狽する勇と共にベッドに倒れこむ。
「――君を、強姦する」
 勇を組み敷き、熱にうかされたようにそう宣言した。

「こらこらこらこら! そんな簡単に見ず知らずの男に身体開いたらいかんでしょう!? つか強姦って!!」
「勘違いしてはいけない。私が身体を開くのではなく、君が身体をこじ開けられるんだ」
 玲子を引き剥がそうとする勇だが、既に不利な体勢になってしまっているため、思うようにいかない。それどころか、シャツ越しに身体が擦り合わされ、だんだん雰囲気が出てきてしまう。
「野良犬に噛まれたとでも思ってくれ。それでも気がすまなかったら、訴えてくれれば良い」
 玲子は自嘲気味にそう呟き、勇の首筋に顔を埋めた。
「どうせ、このご時勢、犬耳女が後生大事に処女を守っていたって、ろくな捨て方にならない。だったら」
 勇のネクタイを緩め、ボタンを2、3個外して胸元を開ける。
「――うん、やっぱり、君は優しい匂いがする。初めてが君なら、決して後悔しない」
 すんすんと鼻を鳴らし、肺を勇の匂いで満たす。
「って、ちょっと聞き捨てならないんだが……えっと、初めて?」
「ああ」
 事も無げにうなずき、今度は味覚で勇を感じるべく首筋に舌を伸ばす。
「っぁ……これ以上はマジでまずいって。初めてがこんなので良いの?」
 頚動脈あたりをなぞっていた舌を引っ込め、彼の目を覗き込む。
「初めては、君がいい」
 そして、彼の唇に舌を伸ばした。
「んんぅ、んく」 「ん……」
 流石の勇も、これ以上玲子を押しとどめることができない。始めは唇を熱心になぞっていた彼女の舌を、ついに中に導いてしまった。
 口腔内の、粘膜同士の摩擦。ついに一線を越えてしまった2人は、抑えがたい快楽に身をゆだねるほか無かった。
 ただひたすら、お互いの舌を擦り合わせ、お互いの歯を、歯茎をなぞる。
「ん、……上手いな、口付け」
「いや、椙山さんも相当」
「そうか、感情の赴くままにしてみたんだが、良かったなら嬉しい」
 上半身を起こす玲子。それにあわせて勇も身体を起こそうとするが、
「言っただろう、これは強姦だ。君は黙って横になっていろ」
 玲子は勇を押さえつけ、それを許さない。
「えっと、そこはこだわるとこなの?」
「こだわってなどいない。純然たる事実だ」
 本当はこだわっている。
 玲子には、この行為を同意の上で行うつもりは無い。というか、できない。この建前は、彼女が勇に対する罪悪感から逃げるために必要だから。
「では、これから本格的に君を犯すことにする。まずは――そうだな、まずはフェラチオからか」

 ずりずりと勇の体を下りていき、膝の上辺りで腰を落ち着ける。
「既に大きくなっているな」
「そりゃ、しゃあないでしょ……」
 流石に恥ずかしそうにする勇。前の彼女と別れて随分経つし、就活で何かと忙しかったので溜まっていたのだ。
「ふん、口では嫌だといっても、身体は正直だな?」
「……何の真似?」
「言ってみたかっただけだ。それより、少しの間小さくしてくれないか。チャックが動かない……や、駄目だ、君は寝ていろ。私がやる」
 自分でズボンを脱ごうとするが、建前にこだわる玲子に拒まれる。かといってそんな便利に大きくしたり小さくしたりできるものでもない。そもそも、どうにかチャックを下げようと悪戦苦闘する玲子の指が意図せず刺激してくるのだ。
(……しょうがない、奥の手を使うか)



 ――俺は幹部候補でも構わず喰っちまう男だぜ?

 ――構いません……工場長なら、ラップ無しでも……

 ――嬉しいこと言ってくれるじゃないの
 ――そらっ

 ――アッー



「急に小さくなったな」
「……小さくしろって言ったの、そっちでしょ」
「?」
 なぜか疲れた様子の勇に疑問符を浮かべる玲子だが、とにかく行為を進めることにした。
 チャックを下ろし、丁寧にトランクスを掻き分けて小窓を探す。
「……面倒だ。ズボンごと下ろしてしまおう」
「てか、最初からそうすれば良かったんじゃね!? そうすりゃ良かった!」
「五月蝿いな、口ごたえするな」
 断固抗議する勇を無視し、ベルトをはずして脱がせにかかる。
「少し腰を上げろ。脱がせられない」
「はいはい……って、これってもう強姦じゃないでしょ」
「紛れも無い強姦だ。情状酌量の余地も無い」
 大真面目にそう言い、下着ごとズボンを足首まで下ろす。
(すごい匂いだ。濃い……)
 蒸れて濃縮された勇の匂い。一瞬、意識が遠のく。
「……せめて、シャワーでも浴びませんかね」
「標的にシャワーを浴びさせる強姦犯がどこにいる」
 匂いに誘われるまま、玲子は中途半端に充血したペニスに口を寄せる。
「ん、」 「っ!!」
 玲子はためらうことなくそれを口に含んだ。勇は声にならない声を上げてその感触に耐える。
「んん、……んく、んむ」
 だんだん大きくなるペニスを熱心に愛撫する。熱意を注げば注ぐほど、勇も反応を返し、更にサイズが大きくなっていくのが素直に嬉しかった。より丁寧に、唾液を塗りこんでゆく。
「ちょっと待って、ペース早すぎ……こら、そこは駄目だってば」
 勇の言葉は、既に玲子の耳には届いていない。それどころか、いよいよ愛撫に熱が入る。
「まっ、ちょっ、――あーもう、でるっつの!」
 勇は玲子の頭を掴んで無理矢理引き抜いた。が、その拍子に玲子の前歯が絶妙に亀頭を引っ掻き、
「あっ――」 「ひゃんっ」
結果、玲子に顔射をキめてしまった。

 一度出始めてしまうと、もうどうしようもない。大人しく全部出し切るのみ。
「――前が見えなくなってしまった」
 たっぷりと射出された精液が、玲子の眼鏡をべっとりと汚していた。
 玲子は眼鏡を外してレンズを拭うが、薄く引き延ばしてしまい、余計使い物にならなくなってしまった。
「しょうがない」
 口を寄せ、垂れる精液をすする。そしてレンズに張り付いた精液を丁寧に舐め取った。
「……? どうした?」
「あ、いや……」
 正直に言うと、あまりに卑猥な光景に見惚れていたのだが。
「なんつーか、ホントにこういうの初めてなの? 疑ってるわけじゃないけどさ、やけに上手いから」
「君の反応をつぶさに観察すれば、どうすれば良いか大体わかる。そもそも、私は強姦魔だしな」
「まだ言うか。理由になってねえ」
 勇の悪態などどこ吹く風、玲子は自分の顔についた精液を掬い取り、残さず舐め取っていった。
「美味しくは無いな、流石に」
「そりゃそうでしょうよ」
 と、割と諦めの境地の勇。
「では、お待ちかねの本番といこう」
 玲子は自分のベルトに手をかけ、自らの準備に取り掛かる。
「……ん、あれ?」
 が、スラックスが思うように脱げない。どうも尾が引っ掛かっているようだ。
「どこがどう引っ掛かったんだ……すまないが、尻尾を持ってくれないか?」
「はいはい。もう、いろいろグダグダ……」
「ああ、すまない。ついでにショーツも脱ぐから、頼む」
「被害者に手伝ってもらうレイパーなんて聞いたことも無い……」
「……よし、準備万端だ」
 薄っすらとだが、玲子の秘所も湿っている。匂いに敏感な犬耳族には、強烈な性臭だけでで十分に濡れる。
 いよいよ最後の一線、と勇の腰に跨る玲子。
「待った」
「何だ、往生際の悪い」
「これだけは譲れんぞ」
 勇がベッド脇の棚から取り出したのは――コンドーム。
「お、1箱とは豪勢な――じゃなくて、避妊は大切だからね。……何で残念そうな顔してんの」
「初めてがゴム皮膜相手というのは味気ない。というか何だ、犬耳は変な病気でも持っているとでも言いたいのか」
「違うってば。これは椙山さんの為。いざという時は、やっぱ女性が苦労する羽目になるんだから」
「――ふん、貸せ」
 勇の真意がどこにあるか、玲子にはにわかに判別できない。が、その言葉が、言葉通り私の為を思ってのものであってくれたら、と心から願った。

 いまだに酔いが抜けておらず、玲子はコンドームを装着するのにひどく手間がかかってしまった。
「これで良いのか?」
「ん、大丈夫っぽい。……まさか、2つも駄目にするとは思わなかったけど」
「五月蝿いな」
 勢い余って破いてしまったのをゴミ箱に投げ捨て、今度こそ、と勇の腰に跨る。
「……行くぞ、覚悟は良いな?」
「こっちはいーけど……震えてる?」
「震えてなどいない」
 強がる玲子に、勇は手を伸ばして頭を撫でてやった。
「ゆっくり、椙山さんのペースで良いからね?」
「……ふん」
 勇の言葉に踏ん切りがついた玲子は、ゆっくりと腰を落とし始めた。
 ゴム越しではあるが、勇の怒張が玲子の膣を押し広げていくのがわかる。
 ゆっくりと進入してゆき――最も奥まで到達した。
「っ、ふぅ、おくまで、ぜんぶ」
 大きく息を吐く玲子。無意識に呼吸を止めていた。
「だ、大丈夫? 痛かったりする?」
「いたい、のだろうか。なんか感覚が遠くて、良くわからない。破瓜、といっても大したこと無いな」
「いや、血ぃ出てる。むっちゃ血出てるって」
「……これくらいなら、生理の時よりましだ。気にするな」
「気にするなって……」
 破瓜の血に怖気づく勇だが、玲子は大して気にする様子も無い。アルコールが麻酔の役目を果たしているようだ。
 ゆっくりと腰を持ち上げ、再度奥まで押し入れる。
「ほら、大丈夫だ。現にしっかり動けるしな」
 持ち上げて、下ろし、また持ち上げる。

「……単調だな」
「いや俺に言われても」
 恐る恐る出し入れしているだけで、どちらも十分な快感を得られない。
「もっとこう、動きのバリエーションは無いのか」
「俺が動いてもいいの?」
「それは駄目」
「なんじゃそら……じゃあ、ちょっと失礼しますよ」
 つい先刻まで処女だったんだからしょうがない、と勇は自分に言い聞かせ、彼女の細い腰を掴む。
「こう、前後に動かしたり、円を描くようにしてみたり」
「ひあっ、きゅ、きゅうにうごかすな」
「入り口を引っ掻いてみたり、奥に擦り付けてみたり」
「んう、こらっ、やめ――はなせ!」
 ぺし、と勇の手を払いのけ、荒い息をつく玲子。
「……ま、全く、私が強姦している、と何度言えばわかるんだ」
 もう苦笑するしかない勇。まあ確かに、急に強くやりすぎたかもしれないが。
「よし、では、いくぞ」
 呼吸を整え、再度腰を動かす。先ほど勇にされたように、いろいろな角度、いろいろな方向へ。
「ちょ! もうコツつかめたの!?」
 今度は勇が声を上げる番だった。
「んっ、んぁっ、慣れればなかなか、ふぁっ」
 小刻みに吐息がこぼれ、そのリズムに合わせて玲子の身体も跳ねる。
 初めて男を受け入れる玲子の中は、当然ながら狭い。しかし酩酊状態の彼女は、中が無理矢理広げられるのをかえりみずにペースを上げる。強い圧力と摩擦が、勇を一気に高みへ押し上げていく。
 一度出して余裕のあった勇だが、にわかに劣勢に追い込まれた。
「だんだん、良くなってきた、かな?」
「わかっ、わかったから、ペース落としてっ!」
「……んふ、やっと強姦らしく、なってきたっ」
 藪をつついて蛇を出す。切羽詰った勇の様子を察し、玲子は容赦なくペースを上げた。
「なんだかっ、わたしもっ、んぁっ、良くなってきたっ、みたいだっ」
「わりぃ、もう我慢できないっ」
 2度目の射精。そうは思えないほどの量をコンドームの中に吐き出す。
「あはっ、これがセックスか! 癖になりそう……っ」
「まっ……もうでっ……」
 射精した勇に構わず、出したばかりで敏感になっている肉棒を擦り上げる。
 勇は玲子を押しとどめるべく腰に手を伸ばすが、玲子に掴まれベッドに押さえ込まれる。
「なんか、不安定で、飛んでいきそうなっ、変なかんじ……イく、というやつか」
 絶頂に近づく玲子。
 勇も変なスイッチが入ったようで、抜かずの3射目に近づく。既に声を上げる余裕も無い。
「……っ、い、くぅっ――」
 背筋を反らし、勇を目いっぱい締め上げる。それが引き金となり、勇も睾丸が引き攣るかと思うほど精液を吐き出した。

「……な、なんつうハードな……」
 やっと息を整えた勇が呟く。からからになった喉が痛んだ。元彼女とたびたび行為に及んだことはあったが、ここまで切羽詰ってしたのは初めてだ。
 玲子はというと、勇の胸の上で気を失っている。
(……幸せそうに寝おって)
 腹いせに犬耳を引っ張ってみる。薄く見える毛細血管が妙にリアルだ。
「……むー」
「むー、じゃねえよ」
 嫌がって声を上げる玲子。ぱたぱたと耳を動かし、勇の手から逃れる。再度つまんでやる。逃げる。つまむ。逃げる。
(ま、遊んでてもしゃーない。片付けるか)
 ゆっくりと玲子を体から下ろしてベッドに寝かせ、勇は2人の体液で汚れた諸々のものを片付け始めた。



 オフィス街、とあるビルの自動販売機コーナー。

「……はぁ」
 糊の利いたリクルートスーツをぱりっと着こなした女性が、ため息をつきながらとぼとぼと自販機に近づく。
(……これが最後の持ち駒か)
 何が最後かというと、これから行われる某企業の採用面接である。彼女は今、この企業に落ちてしまうと選考中の企業がなくなってしまう、という状況だ。
(ここが駄目なら、実家に帰ろうか)
 ここのところ、散々だった。納得のいく就職活動をしよう、と意気込んだは良いが、どうも空回り気味だったらしい。受けては落ち、落ちては受け、の繰り返し。遂には持ち駒が残り1つになり、流石の彼女もひどく後ろ向きな思考に取り付かれていた。
(そうだな、家業の手伝い、といっても、経営に直接携われると考えれば面白いかも……いや、でも)
 頭を振り、弱気な思考を押しのける。
(ここだけは、頑張ろう。彼に顔向けできるくらいは)
 この企業は第1志望というだけではない。彼とであった企業だ。
 種族別採用に逃げようか、と思っていた自分が、兎にも角にも総合志望で頑張ってこれたきっかけをくれた人。へべれけになった自分を介抱し、強引に肉体関係を結ばされ、それでも翌朝に「おはよう、体大丈夫?」と言ってくれた人。
(というかあれだな、どれだけ心が広いのか、と。どこぞの仏さまか、と……」
「仏さまがどうしたんで?」
 硬直。ぎぎぎ、と、どうにか声のした方を振り向く。
「や、どーも。椙山さんも選考残ってたようで、何より」
「くくく黒川くん……何で……」
「何でって、選考だってば」
「ああ、そうか、そうだな」
「で、先買ってもいいですかね?」
「ああ、そうか、どうぞ」
「それじゃお先」
 玲子にとって、まったく想定外の出来事だ。
 例の日、目が覚めてついでに酔いも醒めた玲子は、消えてなくなってしまいたかった。恥ずかしくて彼の顔もまともに見れず、綺麗に畳まれた自分のスーツを見たときなど、もう死んでしまいたかった。
 とにかくホテルを出て、人のまばらな早朝の地下鉄に乗り、乗り換えのために逃げるように車両を降りてから――謝罪の言葉を忘れていたことに気付いた。
 いくら錯乱していたからといって、それは無い。連絡先も聞き損ねていたので、そのうち彼の学部まで探しに行って謝らねば、と思っていた。が、まさかこんなに急に再会するとは。

「えーと、買わないん?」
 玲子が気付くと、ミルクティーを買いベンチに座っていた。なるたけ平静を装って玲子も缶コーヒーを買う。
「なんか緊張してるみたいで。顔色悪いよ?」
「最終面接なんだから、緊張もする」
「……なんで?」
「なんでって……」
 最終面接で緊張する。至極当然なことなのに、何が疑問なのか。
「えっと、状況を整理するとだね。椙山さん、前回は役員面接だった?」
「ああ、本社ビル、つまりここで役員面接だった」
「面接は今日で3回目? グループディスカッションは除いて」
「ああそうだ。――何が言いたい」
 苛立たしげに缶コーヒーをこつこつと小突く玲子。
「俺、3回目の面接が今終わったとこなんだけど……あの、役員の次呼ばれたら内々定、って話、聞かんかった?」
 無い内定、いや内々定。ナイナイテイ?
「待て――まて! どういうことだ!!」
 凄い勢いで思わず勇につかみかかる。
「いやだからどうもこうも……内々定なんて内定みたいなもんだから、おめでとさん、としか言いようが……」
 ふっ、と玲子の力が抜け、燃え尽きた灰のようにベンチに座り込む。
「…………私の決死の覚悟は、何だったんだ」
「知らなかったんかい」
 頭を抱える玲子の前に、勇はミルクティーを差し出す。
「ま、お互い内定出たようで、良かったじゃん」
「……まあ、そうだな」
 玲子も顔を上げ、缶コーヒーを彼の缶にこつん、と当てる。
「いやしかし、第1志望から内定貰えるとは思わんかったよ。椙山さんも第1志望って言ってたけど、ここに決めるの?」
「ああ、決める……というか、ここ以外残っていない」
「ま、どれだけ落とされても、第1志望から内定貰えたんだから、結果オーライ」
「ああ」
 どん底の状況から一転、就活に終わりが見えた玲子。あまりに急な展開で実感が湧かない。
「いやー、まさか同じ会社の同期になるとはね。不思議な縁ですなあ」
 不思議な縁。確かにそうだ。同じ組でグループディスカッションを受け、酒の勢いでベッドを共にし、偶然こうやって再会し、同期になる。
「……そうだ、君に言っておかないといけないことがある」
 はっと正気に戻り、勇に向かい合う玲子。そうだ、彼に会ったらやらねばならないことがある。
「ええと、何でしょう? 急に改まって」
「例の日のことだ」
 何度も頭の中で反芻した謝罪の言葉を思い出す。
「酒に酔っていたとはいえ、いや、酒のせいにして、君に酷いことをしてしまった。本当に申し訳ない」
「ああ、いや……」
 急にその話を持ち出された勇は一瞬うろたえる。周りを見回し、人がいないことを確認する。
「あのね、その、まあこっちも美味しい思いができたといいますか、この話は水に流したほうが良かないですかね、といいますか」
「そんな、悪いのは私なんだから、水に流すなんてできるものか。この償いはどうすればいい? 君の言うことは何でも聞くつもりだ」
「ああもう……」
 なんとか穏便に済まそうとする勇に業を煮やす玲子。
「……そもそも、おたくだって初めてだったんでしょうに。こんなオッさんが相手で良かったの?」
 小声でそう尋ねられ、思案する。初めてが彼でなかったら。あの場にいたのが、彼以外の男であったら。
「俺なんか、酔った女の子を手篭めにした男よ? 紳士でも何でもないし、顔だって」
「――嫌だ」


 勇の言葉を遮って、思わず言葉がこぼれる。
「嫌だ嫌だ、絶対に嫌だ。君以外の男? 冗談じゃない、気持ち悪い」
 想像してみたそれは、嫌悪以外の何物でもなかった。
「私は、とても幸せ者だ。偶然とはいえ、手段が誤っていたとはいえ、君が初めてで、とても幸せだ。愚痴に丁寧に付き合ってくれた君で、親切に介抱してくれた君で、朝になっても横に居てくれた君で、本当に良かった」
 感情があふれ、止まらない。
「私ばかり良い思いをさせてもらって、本当に申し訳なく思っているんだ。君の気が済むなら、君が望むなら、何でもする。償わせてくれ」
「あの、ちょっと落ち着いて」
 勇にハンカチを差し出される。いつの間にか、涙が流れていた。
「あー……なんといいますか」
 涙を拭いながら、困惑気味の勇を見つめる。
「じゃあ、そこまで言うなら、1つ頼み事をしよかな」
「なんだ、何でも言ってくれ」
「面接終わったあと、暇?」
「ああ、暇だが……」
「飯、食いに行こ? 椙山さんのおごりで」
「……そんなことでいいのか? もっと他に」
「なに、何でもするって言ったのに、嫌なの?」
「そうではなくて……」
「じゃあ決まり。面接そんな時間かからんから、ここで待ってるわ。ほら、もうすぐ時間じゃないの?」
 強引に押し切る勇。確かに面接の時間が迫っていた。慌てて立ち上がる玲子。
「その……本当に」
「あーほら、ちゃんと涙拭いて、深呼吸して。時間無いんでしょ?」
 開けずじまいだった缶コーヒーを取り上げられ、鞄を持たされる。
「そんな顔だと、受かるものも落ちるよ? ほら、笑って」
「……うん、そうだな」
 ぺちぺちと頬を打ち、深呼吸をする玲子。

「……よし、じゃあ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」

 惚れた男に見送られ、玲子は胸を張って歩き出した。