#77 星野仙一


  • 1947年1月22日生 岡山県倉敷市出身 右投右打
  • ご存知闘将。2010年最下位に沈んだ楽天を強くし、仙台を熱くするためにやってきた。

選手として

  • 史上空前の大豊作と呼ばれた、1968年ドラフトで中日に入団。
    • このドラフトで指名された選手は名球界入りを果たした選手や名選手がズラリ。
    • 主に田淵幸一や山本浩二、金田留広、山田久志、有藤通世、福本豊などがいる。
  • 事前に約束されながら巨人に指名されなかったことが影響したのか、巨人キラーになる。
    • 余談だがこのとき巨人に1位入団した島野修は、阪急・オリックスでマスコットの先駆者となった。
      いわばカラスコの遠いご先祖である。
  • 背番号20のエースとして中日の優勝に貢献。1974年には初代最多セーブのタイトルと沢村賞を受賞する。
    1982年、爽やかにマウンドを去る。
    • ちなみに、アニメ「巨人の星」にも登場していたりする。
      星一徹の命令で板東英二、山中巽と共にオズマと勝負するなど、何度か登場。
    • 本人は「自分が巨人の星に出ているとは知らなかった」とのこと。
    • ちなみに巨人入団が反故になった理由として当時肩を故障しているとの話をスカウトから聞いた川上監督が指名を見送ったとのこと。
    • 現役引退後にその話を本人から聞いて巨人憎しの気持ちも薄らいで和解したという。

監督として

  • 2度に渡って中日の監督をつとめたのち、2002年にノムの後を引き継いで阪神の監督に電撃就任。
    2003年、暗黒の代名詞だったチームに18年ぶりのリーグ優勝をもたらす。
  • 優勝後、健康上の理由から監督を辞任するが、その後もシニアディレクターとして阪神に関わっていた。
  • 中日でも第1期(1987-1991)と第2期(1996-2001)、それぞれ1度ずつ優勝している。
    中日生え抜きの監督でチームを優勝させているのはこの人が唯一だとか。
  • 一方、監督として出場した3度の日本シリーズいずれも敗退しており、短期決戦に弱いと言われている。
    むしろ短期決戦に弱いのはチームとしての伝統(ry

  • 珍プレー好プレー番組では必ずといっていいほど、乱闘や退場の場面が放映されていた。
    おかげで(?)キレてばっかりと思われがちだが、退場は通算5回(中日4回・阪神1回)とそれほど多くはない。
    そして現役時代は一度も退場していない。
    • ブラウンは12回(広島8回・楽天1回)と2倍以上だったりする。
    • ちなみに、2位は元ロッテ監督の金田正一氏で8回。
  • 中日監督時代、特に第1期政権は鉄拳制裁で有名。中村武志は顔が変形するほど殴られたらしい……。
    • 楽天就任前、選手の結婚が相次ぐ。
      これは既婚者は餌食にならないという話のせいでは、とわしせん民が邪推した。
  • スパルタの反面、結果を出す選手は大事にし、またタイトルを獲らせるのに手段を選ばない。
    たとえば96年のジャマさんのHR王争いの際には、巨人の松井秀喜を全打席敬遠させた。
  • このような温情采配と鉄拳制裁から、「親分肌の熱い男」というイメージを強く持たれている。
    • しかし、この温情采配が短期決戦に弱い理由なのではとも言われている。
  • 「乱暴」ではなく「熱血漢」なのがミソ。マスコミの扱いがうまく、役者である。
  • しかし、北京五輪ではそういったやり方が裏目に出る。
    結果は惨敗に終わり、その後の態度も言い訳がましく、批判を浴びまくった。
  • 監督の功績は島野育夫がいたからだの、衰えただのと散々言われたが、まあもう許してやれよ。
  • とはいえ歳を取ったこともあり、現在はかなり丸くなったようだ。
    それでも中日・阪神OBにとっては頭が上がらないらしく、取材に来た解説者らは緊張する様子を見せていた。
  • 楽天監督3年目となる2013年の4月26日(対ロッテ@QVC)に、A.ジョーンズの打席のストライク判定に抗議。
    楽天の監督になって、初の退場となった。

  • 監督としての本分はチームデザイン能力であろう。
    • 1997年、中日は投手有利とされるナゴヤドーム初年度のあおりを喰らい、最下位に沈む。
    • だが就任してすぐ「ナゴヤドームでの野球」を確立し2位に浮上、1999年に優勝している。
    • 阪神時代は「中継ぎ労働課」をはじめとする古参の大量解雇の一方で金本らを獲得。
      リーグ史上最速でマジックを点灯させるほどの快進撃で日本中をタイガースフィーバーに巻き込んだ。
  • 積極的な補強やトレードでチームを活性化させ、投手力で乗り切るのが基本パターン。
    短期間で強いチームの野球を確立させる「劇薬」「カンフル剤」。
  • 野村名誉監督が評して曰く、
    「自分の才能がない部分を自覚できており、そういう部分は変に口を挟まず才能ある人間に任せることができる」。
    ヨシコーチも阪神時代は完全に任されていたのでやりやすく、やりがいがあったとのこと。
    また、デーブも打線のオーダーを組ませてもらっているようだ。
  • 阪神時代にコーチをしていた達川によると、「1軍に上がってきた選手をすぐに使っちゃう人」とのこと。
  • フロントやスポンサーから資金を引き出すのが非常にうまいとされる。
  • 楽天でも早速岩村明憲松井稼頭央両獲り、渡辺直人を横浜へトレードという派手なことをやる。
  • 外人獲得に独自のネットワークを構築したはしりで、来年あたり何かするかも。
    投手では、宣銅烈やジェフ・ウィリアムス、野手では、ゴメスや李鍾範などが代表例。
  • 以上のことから、スポーツメディアに「選手獲得は一流、育成は二流、采配は三流」と評されたことがある。

  • 中日監督を辞した直後に阪神入りしたことで、中日OB会を除名されている。
  • 選手としても監督としても確かな実績を持つ一方で、その立ち居振る舞いや暴力的なイメージから、
    ノムとはまた別の意味で好き嫌いの分かれる人物。
  • 中日・阪神監督を辞任した理由はいずれも、健康上の理由。高血圧症の持病がある。
    本人曰く「職業病や」

  • グラウンドは真剣勝負の場と考えているらしく、マスコットのパフォーマンスがあまり好きではない。
    トラッキーをクビにし、ある意味カラスコ誕生の一因にもなった(ただし本人は解雇に関わっていないと否定)。
  • どうなるカラスコ?!

  • ネットでの通称「わしが育てた」はトークショーでの本人の発言、
    「大半の(中日の)選手は私が育てたんだもの、力のある連中ばかりだよ」が元ネタ。
  • いいピッチャーで乗り切る、つまり酷使が多く若手投手を潰したとされる。
    これをもじって「わしが壊した」とも。
    主な被害者としては与田剛、森田幸一、近藤真一などが挙げられる。
  • また、北京五輪で代表監督を務めた際には故障、不振に陥った選手が続出。
    この事態を漫画「DEATH NOTE」をもじって、わしノートともいわれることも。
  • そして監督1年目からさまざまな投手が故障する。おお、もう…。

  • 一時期、3位になったこともあったが、投手陣の故障や、岩村・鉄平らの大不振もあって、1年目は5位に終わった。
    • 本人曰く、「東北を熱くするために頑張ったけど、ぬるかったね。」
    • しかし、D.ラズナーの守護神転向や、内村のレギュラー化など、2010年シーズンよりも成長、健闘した年でもあった。
    • シーズンを通して頑張った田中や嶋らに温泉を紹介するなど、優しい一面を見せる。
  • フロントの編成部などといったところをいじるなど、住民の予想を右斜め上をいく改革を見せてくれた。
  • シーズンが終わって早々に、栗原やハーパーなど、新しい補強構想に関する記事が出まくる。
    • だが、村田や杉内、帆足らFA選手や、井川や川上などといったメジャー帰りの選手の獲得にも失敗。
    • オーナーや親会社が本当にケチなのか、それとも中日・阪神時代の覇気を失ってしまったのか…。
    • 元コーチで現阪神コーチの山田勝彦は星野と仲が悪く、山田は現役時代に顔が腫れるまで殴られ、「選手生命をつぶされたのは
星野仙一のせい」と自身のブログに公表している。もっとも阪神ファンから負彦と仇名されるように元々大した選手でもないが

  • 2012年5月11日(対檻)には、史上12人目となる監督通算1000勝を達成!戦後生まれの監督、そして投手出身の監督としては史上初。

  • 2013年には楽天を球団史上初の日本一に導いた。
  • ちなみに66歳での日本一は最年長記録である。

  • 2014年オフに持病の悪化を理由に監督を勇退。楽天のシニアアドバイザーに就任した。

  • 2018年1月4日に逝去。

  • わしが鷲を育てる。

    ……のか?

わしが育てた主な選手達


中日時代

  • 山崎武司
  • 種田仁
  • 関川浩一
  • …というか中日の選手は全員わし(と島野育夫)が育てた。

阪神時代

  • 阪神の生え抜きの大体はわしではなくこの人か田淵が育てた。

楽天時代

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最終更新:2018年02月26日 23:35