第3話(BS35)「託される覚悟」 1 / 2 / 3 / 4

1.0. 女領主の憂鬱

 ヴァレフール七男爵の一人、ユーフィー・リルクロート(下図)が治めるテイタニアの街。そこでは半年前、近隣のパルトーク湖における湖底火山の噴火による「湖中(火山島)」の出現に伴う大水害と、その火山から出現した「黒蜥蜴のような巨大魔獣」の出現という混沌災害に見舞われた。


 最終的には、ユーフィーの妹サーシャ(下図)の身を呈した封印術により、巨大魔獣はその場で昏睡状態となり、現在も湖畔で横たわった状態が続いている(ブレトランドの英霊6参照)。この間に魔獣にとどめを刺そうとする者もいたが、下手に刺激をすると再び目を覚ます可能性が高いということで、その魔物や火山に近付くことは固く禁じられていた。


 ユーフィーとその側近の極一部の者達だけが掴んでいる情報によれば、この魔獣の正体は、四百年前に英雄王エルムンドの七騎士の筆頭格であった女騎士マルカートが、その聖印を混沌核に書き換えられたことでその身を「異界の魔獣」に変えられてしまった存在であるという。だが、マルカートはそのような姿になってもなお、主であるエルムンドとの深い絆故に人としての心を失わず、パルトーク湖の湖底火山の奥に眠っていた大毒龍ヴァレフスの「欠片」から生まれる魔物達との間で、人知れず四百年に渡る孤独な戦いを続けてきた。しかし、エルムンドの死後、自らの「主」を定めずにいたことが災いして、遂にその「人としての精神」が限界に達し、自らの理性を怪物の本能が上回った暴走状態のまま、湖底火山を爆発させた上で、地上に出現してしまったのである。
 マルカートと縁の深い「通りすがりの魔法少女」の見解によれば、マルカートが「人の心」を取り戻すためには、彼女が心を委ねるに足る「新たな主」が必要であり、その資格を持ちうる者は、マルカートの側近であった四百年前のテイタニア領主の末裔(リルクロート家)か、もしくは彼女自身の子孫であるヴァレフール伯爵家(インサルンド家)のいずれかの血筋の者達であるらしい。
 そして、その「新たな主」の契約の証となるのが、リルクロート家に伝わる(元来はマルカートとエルムンドの間の愛の証として作られた)「オリハルコンの指輪」だったのだが、既に一度暴走状態となってしまったマルカートの精神を鎮めるためには、最低でも「侯爵」級以上の聖印を持つ者でなければ、その指輪を装着して彼女と心を同調させようとした途端に、その暴走した混沌の闇に飲まれてしまうと、その魔法少女は語る。そして、半年前の時点でブレトランドにはその条件を持つ者が誰もいなかったため、ひとまずリルクロート家の一員であるサーシャが指輪を装着した上で、その直後に(魂が闇に飲み込まれる前に)魔法少女の特殊な魔術によってサーシャごとマルカートを昏睡させることになった。ユーフィーはサーシャを救おうと、自らの聖印を侯爵級以上にまで成長させるために、近隣の魔境討伐に勤しんではいたが、その実現にはまだ程遠い状態である。
 そんなユーフィーは最近、ふと唐突に子供の頃の記憶を思い返すようになった。まだ父も兄達も健在で、自分が領主になる未来など考えていなかった頃、彼女には「魔法師になりたい」という夢があった。 その頃に出会った一人の少年との思い出 が、なぜかここ数日、幾度も彼女の脳裏を過ぎるようになったのである。

(なぜ今更、あの時のことを……? もう私には、彼との約束を果たすことは出来ないのに……)

 もしかたら、これも何かの予兆なのかもしれない。彼との再会を心のどこかで願い続けた彼女は、ひっそりとそんな想いに浸る。だが、そんな彼女の感傷をかき消すような凶報が、彼女の耳に届けられることになるのであった。

1.1. 火山島の異変

 湖に出現したまま放置されていた火山島を監視していた偵察兵達から、「火山島の奥から激しく混沌が躍動する気配が感じられる」という報告が、ユーフィーの契約魔法師であるインディゴ・クレセント(下図)の元に届けられた。どうやら、半年前までマルカートによって鎮圧されていた「ヴァレフスの欠片」が、彼女がいなくなったことによって歯止めが効かなくなり、遂にはその影響が火山の外にまで及ぼうとしている状態であるらしい。


 この事態を重く見たユーフィーは、自らの総指揮の下で、部下である邪紋使いのアレス(下図左)と地球人のハーミア(下図右)を部隊長とした調査兵団を結成し、火山島の火口の奥へと向かうことになった。本来であれば、混沌に関する知識を持つ魔法師のインディゴも同行させたいところだが、この異変に連動して街の近くでも混沌災害が起きる可能性がある以上、ユーフィー不在の間の指揮官として、インディゴを領主代行として残さざるを得なかったのである。アレスやハーミアでは、能力的にも立場的にも性格的にも、長期に渡って街を統括する役割には向いていなかった(せめてサーシャが万全の状態であれば、また話は違っていたかもしれないが)。


 だが、出撃から数日経っても、調査兵団は帰って来ない。火山島から魔物が出現するような事態には至っていないため、まだ火口の奥での調査が続いているのだろうと思われるが、町の人々の間では不安が広がる。中でも、ユーフィーが日頃から世話をしていた子供達は、彼女がいない寂しさに表情を曇らせていた。
 そんなある日、町の様子を巡回していたインディゴに対して、そんな子供達が駆け寄って来る。

「ねぇ、お姉ちゃん、まだ帰ってこないの?」
「バカ! 『領主様』だろ! すみません、魔法師様……」

 そんな子供達に対して、インディゴは落ち着いた口調で答える。

「相手は混沌なのだから、時間がかかることもあります。街の人々を置いてどこかに行ってしまうような領主様ではないことは、皆さんも知っているでしょう?」

 そう言われた子供達は「魔法師様がそう仰るなら、きっと大丈夫なんだろう」と自分達同士で互いに言い聞かせながら立ち去って行く。とはいえ、インディゴ自身の中でもまた、今のこの状況への不安感は日に日に高まっていたのも事実であった。

1.2. 母と祖母

 その頃、「レア姫」を護送する形で港町オディールから首都ドラグボロゥへと向かっていたトオヤ達の中で、なぜかカーラだけは、自分たちが向かおうとしている方角の更に奥の方から、何らかの混沌災害の予兆が広がりつつあることに気付いていた。
 彼女は、先日の船上でのオブリビヨンとの戦いの直後、母であるヴィルスラグとの間で交わされていた会話の内容を思い出す。

 ******

「母様は今回は、ワトホート様のために働いていた、ということでよろしいのでしょうか?」

 それまで自分のことを「異界の武器の投影体」だと思っていたカーラは、それまで自分とは無縁だと思っていた「母」という存在を目の当たりにして戸惑いながらも、「娘として、母を相手に語るべき口調」を模索しながら、そう問いかけた。

「まぁ、そういうことになるな。それが私の使命。私達オルガノンは持ち主のために戦う。それは、お前も同じだろう?」

 厳密に言えば、カーラは「オルガノン」ではない。だが、母の血を強く受け継いだのか、その身体機能は完全にオルガノンのそれであり、彼女自身も自分がオルガノンであると信じて生きてきたためか、その点に関してはカーラも完全に同意出来た。彼女は明らかにぎこちない口調のまま、母に対して今の自分の想いを率直に伝える。

「えぇ。私もトオヤ様の願いを叶えるために、トオヤ様の下で働いています。そして『トオヤ様の願い』は、おそらく『ワトホート様の願い』にとっての『害』にはならないと思うのです。あの方は『自分の周りの人々を守りたい』とお考えの方です。どうか母様、あまりトオヤ様を敵対視しないで頂けると嬉しいのですが……」
「私も『娘の主』と戦いたくはない。だが、我々道具は本来『意志』を持つべきではないとも思っている。もっとも、私が私自身の『意志』を持つことがなければ、そもそもお主は生まれなかった訳だがな」

 自嘲的にそう語るヴィルスラグに対して、カーラがどう反応すれば良いか分からない顔を浮かべていると、ヴィルスラグは苦笑を浮かべながらも真剣な声色で話を続ける。

「一応、言っておくがな、私はお前が誰とどうなろうが放任するつもりだ。ただ、相手に妻がいる場合は覚悟しておけよ」
「いや、別に私は『女の幸せ』を求めている訳ではなく……」
「『今』はそうだろうな。私も、昔はそう思っていた」

 ヴィルスラグはそう呟きつつも、さすがにこれ以上、この話題を続けるのは不毛だと感じたのか、話を本題に戻す。

「まぁ、それはともかく、実際のところ『今の私の主』も、なるべく友好的に和解を結ぼうと考えてはいるし、『お前の主』のこともそれなりに高く評価している。反体制派の中では貴重な『話の出来る人物』である、とな」

 逆に言えば、トオヤ以外の者達とは対話も出来ない、と言っているようにも聞こえる。この点についても、カーラとしては反論する気はなかった。

「確かに、あるじ様のお爺様は強硬というか頑固というか……、あの方をどうにかしないと確かにどうにもならないのですが、でも、あるじ様のお爺様だから、私が直接何かするという訳にもいかなくて……」
「そこはあまりに気にしない方が良い。道具は道具に徹した方が楽だ。初めての主に対しては特別な思いがあるだろうが、何代もの手に渡っていくごとに、それも徐々に割り切れていく」

 四百年にわたり、様々な人々の手で継承されてきた母がそう語ったのに対し、カーラとしては完全に納得は出来ないまでも、その言葉の重みは十分に理解していた。

「なるほど……、精進します。それはそれとして、私も、トオヤ様も、チシャお嬢も、レア様のために働いているということを、ワトホート様にもお伝え頂けると嬉しいのですが……」
「分かった。私としても、レア様はいずれ私の主になるかもしれないお方である以上、そう言ってもらえるのは嬉しい。ただ、あのレア様、私が知っているレア様と少々違っているような気がするというか……、なぜかエルムンド様の気配を感じられないのだが……」

 そう言われたカーラは、目をそらしながらどうにかごまかそうとするが、なかなか言葉が出てこない。

「えーっと、その、先ほどの言葉を少々訂正いたしましょう。我々は『レア様』と『レア様のお立場』のために…………」

 明らかにシドロモドロな娘の様子から、ヴィルスラグは何かを悟ったような顔を見せる。

「詳しく言えない事情があるのであれば、私もこれ以上は聞かない。お前の主が『言うべきではない』と考えていることならば、それは母に対してでも言うべきではないことなのだろう」

 ヴィルスラグがそう言うと、カーラは少し安堵した表情を浮かべつつ、話題を変える。

「今回の件で、母様はゴーバン様のことをどう思いましたか? 私には、あの方は、人の上に立つよりも、前線に立ちたい方かと見受けられるのですが」
「確かにな。しかし、歴代の私の持ち主の中には、あのような方もいたぞ。もっとも、そういう方々は大体早死にしてはいたのだがな……。とはいえ、父親のトイバル殿よりは話の通じそうなお方だとは思う」
「そうですね、『人の心』があるといいますか……」
「まぁ、まだ子供なだけかもしれないがな」
「あの素直さが残ることを祈るだけです」

 そんな会話を交わしつつ、ふと、ヴィルスラグは思い出したかのように問いかけた。

「ところで、お前にどこまで私の力が受け継がれているのか、私もよく分からないのだが……、今、『北の方』で何か危険な気配が漂っているのを感じられるか?」

 そう言われたカーラが神経を集中させると、確かに、ヴィルスラグの言う方角から、何者かは分からないが、「極めて不快な気配」が漂っているのが感じられる。カーラがその旨を伝えると、ヴィルスラグは納得した表情を浮かべた。

「私の中には、大毒龍ヴァレフスと戦った時の記憶がはっきり残っている。どうやら、部分的にそれがお前にも受け継がれているようだな」

 実は、半年前の魔獣騒動の折にも、ヴィルスラグは「これまで湖の地下でヴァレフスの欠片と戦ってきたマルカートが暴走しかけていること」に気付いていた。それ故に、彼女はその時点での自分の「持ち主」であったブラギスの枕元に立ってそう告げたのだが、既に脳の老化が進んでいたブラギスは、それを曲解して「ヴァレフスそのものが復活しようとしている」と勘違いしてしまったのである。
 ヴィルスラグとしては、マルカートのことをどこまで正確に話して良いか判断に迷ったため、伝わりにくくなってしまった側面もあった。その時の反省から、ここで彼女はカーラに対して、正確に「事実」を伝える。マルカートがエルムンドの七騎士の一人であると同時に、彼の妻の一人でもあり、シャルプの母でもあり、カーラにとっては「祖母」に相当する人物であること。そして、そのマルカートが「怪物」となってしまった経緯についても、事細かく説明した(その詳細についてはブレトランドの英霊7を参照)。

「怪物となったマルカートをどうにかする上で、お前が鍵になるかもしれない。あいつは息子のシャルプのことを溺愛していたからな。そのシャルプの娘であるお前ならば、彼女の暴走を止められる可能性はある」
「責任重大なのですね……。分かりました」

 突然聞かされた事実に混乱しながらも、波に揺られた船倉の中で、密かにカーラはそう宣言したのであった。

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 そして、港町オディールに到着して、母と別れてファルクの帰還を待っていた頃、長旅の疲れを癒すべく休眠していたカーラの夢のなかに、一人の女性の亡霊のような姿が現れる(下図)。


 カーラはその女性と出会ったことはない。だが、直感的に彼女は感じ取っていた。この女性こそが自身の祖母マルカートであることを。そして、その女性はカーラに対して何かを訴えようとしていたようだが、その声はカーラに届くことなく、やがて姿を消してしまう。
 その時の夢の光景がカーラの頭の中から離れぬまま、北へと向かう旅路の中で、彼女は自分の中に湧き上がる「嫌な予感」を必死に振り払おうとしていたのであった。

1.3. 虚構の親娘会談

 カーラがそんな想いを抱いていることは誰にも告げられないまま、やがてトオヤ達は無事にドラグボロゥに到着する。「レア姫」の帰還に城下町が沸き立つ中、彼女の父であるワトホート(下図)はトオヤ達に対して「レアと一対一で話がしたい」と伝え、トオヤ達を応接室に待機させた上で、「レア」のみを謁見の間に呼び寄せることになった。


 こうして、「レア」が謁見の間に入ると、そこには確かにワトホートしかいない。護衛の兵士も、彼の契約魔法師もいない、完全に「二人だけの空間」であった。無論、いざという時に備えてどこかに誰かが隠れている可能性も十分にあり得るが、あえてこのような場を演出したことの意図を予想しながら、「レア」は静かに扉を閉める。
 その動作を確認した上で、ワトホートは彼女に対して真剣な表情で問いかけた。

「まず最初に問おう。レアはどこにいる?」

 いきなりの直球な質問に対して、「レア」は小首を傾げながら答える。

「おや? ここにいますよ? さすがにお父様の口から聞く冗談としては、意地が悪いようで」
「ヴァレフール伯である私の目の前で、本当にそう言えるか? もしヴァレフール伯を騙したということであれば、さすがにただでは済まなくなる可能性はあるぞ」
「……その様子だと、カマをかけているという訳でもなさそうですね」

 溜息をつきつつ、「レア」は「パペット」の姿にその身を変える。少なくとも、ワトホートはこの姿の状態の彼女(?)を知っている以上、これ以上の説明は不要であった。

「失礼を承知で申し上げますが、ご容赦下さい。私はあなたに仕えている訳ではなく、レア姫様に仕えている者ですから。たとえ相手があなたであろうと、一度はこうして確かめてみなければならぬのです」
「なるほど。それは確かに『影』の生き方として、正しいと思う。だが、レアの従属聖印に何か異変が起きていることは、既に私には分かっているのだ」

 その可能性はパペットも想定していた。本物のレア姫の体内に宿る聖印は、父ワトホートの聖印から切り取られた従属聖印であり、ワトホートが先代ヴァレフール伯爵ブラギスの聖印を吸収した現在においても、その従属関係は変わっていない。つまり、仮にレアが死亡して聖印が消滅するか、もしくはその聖印を誰かに譲渡したりすれば、その時点でワトホートの聖印にはその「異変」が感知されるのである。
 そしてワトホート曰く、現時点でレアに預けていた聖印が消滅した気配は感じられないものの、その聖印に何か奇妙な「異変」が起きていることを実感しているらしい。それが何なのかは分からないが、ひとまず配下の魔法師達の位置探知魔法で彼女の居所を調べてみたところ、その存在が世界中のどこからも感知されない、という結論に達したという。

「つまり、何があったのかは分からないが『私の知っているレア』は既にこの世界にいない。しかし、『レアの聖印』は消滅はしていない、という奇妙な状況になっている。このことについて、何か心当たりはあるか?」
「そうですね……、あなた相手に隠し立てをすることもないでしょう」

 そう言ってパペットは、まだトオヤ達にも話していない、レア姫の現状に関する「真相」を語り始める。

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 今を遡ること半年以上前、レア姫は留学先のサンドルミアで発生した、小さな混沌災害に巻き込まれた。その災害自体は大した被害には至らなかったのだが、それは災害の拡大を未然に解決出来たからであって、その災害を引き起こした混沌核自体には相当な潜在能力が秘められていたらしい。そのことを知らずにレア姫が自身の聖印でその混沌核を浄化しようとした瞬間、逆に彼女の聖印が混沌核へと書き換えられ、その姿が人間の子供程度の大きさの「二足歩行の蜥蜴」のような姿に変えられてしまったのである。
 幸い、その「事故」の場面は誰にも見られてはいないようだが、彼女は「このままでは祖国に帰れない」と考え、自分の姿を元に戻す方法を探すために、たった一人で何処かへと出奔してしまった。パペットに対して「私が戻ってくるまで、私の代役を続けていてほしい」という置き手紙だけを残して……。
 その後、ヴァレフールにおいてブラギスが急死し、ワトホートがその爵位を継いだことで、第一後継者たるレア姫に対しても帰国を促す手紙が幾度も届いたが、(レア姫に化けた状態の)パペットは様々な理由をつけてその返事を先延ばしにし続けてきた。本物のレア姫が帰ってくるまでの時間稼ぎのつもりだったのだが、いよいよそれも限界に達した結果、やむを得ず帰国を決意するに至ったのである。

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「ですので、一つの考えられる説としてですが、『魔物化した状態のレア姫様』はまだ御健在であり、あなたから預かった従属聖印も、一種の『従属混沌核』のような形で存在はしているものの、位置探知魔法ではその存在を『レア姫』として認識出来なかったのかもしれません」

 自分でもかなり突拍子もない説明をしていることはパペットも自覚していたが、それが自分の知りうる限りの事実に基づく率直な推論である以上、そう言わざるを得なかった。一方、それを聞かされたワトホートは、存外素直に納得したような表情を浮かべる。

「なるほどな……。それはある意味、『我が国の始祖様』の現状にも通じる事例である以上、ありえぬ話ではないだろう」

 そう言って、ワトホートは「マルカート」のことをパペットに伝える。それは初代ヴァレフール伯爵の母親にしてエルムンドの七騎士の一人であるマルカートが、四百年前に強大な混沌核に触れてしまったことで、巨大な蜥蜴の魔獣となって、今はテイタニアの近くの湖に横たわっている、という内容であった(なお、彼にこの話を伝えたのは、ヴィルスラグである。彼女はブラギス相手に中途半端に情報を伝えようとして失敗したことへの反省から、現当主であるワトホートには、全てを包み隠さず話すことにしたらしい。もっとも、さすがに自身の「隠し子」であるカーラのことまでは話していないようだが)。

「つまり、あの巨大魔獣は我が始祖マルカート様の変わり果てた姿なのだ。この話は門外不出だが、レアの影を務めるお主であれば、むしろ知っておいた方が良いことでもあろう」
「……でしょうね。そして、似たような事例であるからこそ、姫様を元に戻すための手がかりになるかもしれない。そう仰られたいと?」
「そうだな。もっとも、今のところ、まだ始祖様を元に戻す方法も見つかってはおらぬ。一応、それに関して、まず今の状況を改善出来るかもしれない朗報は色々と届いてはいるのだが、その前に、まず確認しておかねばならないことがある」
「何でしょう?」

 ワトホートは、厳しい表情を更に険しくさせた上で、鋭い視線で問いかけた。

「お前の正体は、ケネスには気付かれているのか? いや、ケネスだけではない。ここに来た者達も含めて、そのことに気付いている者はいるのか?」

 それに対して、パペットはあっさりと答える。

「トオヤ達は知っていますよ」
「それは『知らせても問題ない』とお前が判断した、ということか?」
「えぇ。レア様のお立場を守るために、影として私が取りうる最善の手段を考えた結果です。その一方で、同じような考えに基づいた上で、ケネス殿にはお伝えしておりませんが」

 ワトホートとしては、パペットがこの判断に至った理由について色々と確認したいところではあったが、まずその前に、確認しておきたいことがある。

「ケネスは、レアをどうしようとしている? やはり、ゴーバンと結婚させるつもりなのか?」
「『自身の身内』と結婚させて、実権を握りたいというのが本音でしょうね。『誰と』というこだわりはないようですよ。ゴーバン殿が一番無難ではありますが。トオヤなどでも別に問題ないと考えている節はあります」
「そうだろうな。だが、血筋的に考えれば、ゴーバンの方が妥当と多くの者は思うだろう」

 ここでワトホートは、なぜか少し間を開けた上で「本題」に切り込む。

「『お前』から見て、トオヤとはどんな男だ?」
「非常に魅力的な方だとは思いますね。これは『レア姫の立場であるパペット』としても、『僕自身であるパペット』としても」

 そこまで言った上で、パペットは続けて独り言のように呟く。

「けど、正式に婚姻を結ぶということになると、さすがにね……、影としての僕の生き方が邪魔をするんだ……。さすがに姫様の許可もなしに、そんなことをする気は起きないさ」

 とても国主に対する発言とは思えぬような言葉遣いであり、これが他の部下達が同席する公の場での発言であれば大問題だが、あくまでもここは「私的な親娘の対話」の空間である以上、ワトホートはその態度に対して咎めることもないまま、話を続ける。

「では、もしレアが一年後まで待っても帰ってこなかったら、お前はどうする? 仮にだ、仮にトオヤがお前のことを全て分かった上で、お前やレアに協力する気があるのならば、お前が『レア』であるという建前の上で、本物のレアが帰ってくるまで、私の聖印を、お前に与えた体裁の上でトオヤに預けておく、という選択肢も無くはない。そこまで信用出来る男ならな」

 パペットは邪紋使いである以上、ワトホートの聖印を受け取ることは出来ない。この点だけは、誰の力を以ってしてもどうにもならないのである。

「だが、正式な爵位継承の際にはエーラムの立会いが必要であろうから、それをごまかしきるのは難しい。つまり、一年後の継承の時までにレアが帰ってこなければ、最終的にはトオヤを婿養子とした上で、トオヤに聖印を継がせるしか無くなるだろう」
「想定しうる未来の形の一つではあるね。僕もサンドルミアから帰ってきて、トオヤと再会してそう長い訳ではない。絶対的な信頼を置ける関係とまでは言えないが、それが一つの現実的な選択肢と思えるくらいには信頼はしているよ」

 相変わらず礼を欠いた口調のまま、どこか回りくどい言い方でそう答えるパペットに対して、ワトホートは改めて問いかけた。

「では、仮にレアがこのまま帰ってこなかった場合、お前は一生『レア』として生きる覚悟はあるか? レアの影武者として、お前自身がトオヤの子を産み、インサルンドの血を引いていない者に爵位を継がせる、それだけの業を背負う覚悟はあるか?」
「愚問だね。僕がこの立場に就いた以上、そんな未来はいつも僕の傍にあった。今更ダメだなんて言わないさ」
「ならば、お前自身もトオヤの妻として、そのまま一生を終えても良い、と?」

 それに対してパペットが黙って頷くのを確認した上で、それでもなお、ワトホートは更に畳み掛けるように問いかける。

「それ自体は影の生き方として何も間違ってはいない。だが、お前自身としては、どうなのだ? 幻影の邪紋使いが『真似た相手』の心に同調するというのはよくある話だ。それは本当に『お前自身の感情』だと言えるのか?」
「まぁ、無意識にそうなってくると言われると、自分もそうなのかもしれないという疑念は否めないね。けど、そういうところも含めて、嘘偽りない僕の気持ちなんじゃないかな。もし、『真似た相手に同調して僕の心が書き換わる』なんてことが本当にあったとしても、それはそれで結局、紛れもなく僕の心だ」
「そうか。そこまで分かっているのなら、もう私としてはこれ以上言うことはない。もうお前は立派な『ヴァレフールの影』として独り立ちしたんだな」

 ワトホートはそう言い終えたと同時に、その姿を一変させる。そこに現れたのは、どこにでもいそうな無個性な一人の男性。だが、それはパペットにとって、紛れもなく見覚えのある人物の姿であった。もっとも、その姿も、彼(?)にとっての本当の姿かどうかは分からないのだが。

「お師匠でしたか」

 パペットはそう呟く。彼(?)の名はパロット(鸚鵡)。パペットと同じ幻影の邪紋使いであり、パペット同様、ヴァレフールの重鎮達に様々な形で重宝されている「影武者」である。今を遡ること十年近く前、まだ力を手に入れたばかりの(それ以前の記憶を失っていた)パペットに、影武者としての作法や生き方を手解きした人物でもあった。 

「……いや、決めつけるのは良くないな。他の幻影である可能性もあるよ?」

 パペットがニヤリと笑いながらそう付言すると、その人物は苦笑を浮かべつつ答える。

「ここまでの情報を、ワトホート様が私以外に伝えるとは考えられんだろう。あの方としても、さすがに相手が何者かも分からない状態で、一対一で面談する訳にはいかなかったのだ」

 確かに、護衛も魔法師もいない状態で病弱なワトホートを誰かに会わせるのは、あまりにも無警戒すぎる。レア姫の現状が不明である以上、「レア姫」を名乗っている人物がパペットである可能性が高いと考えながらも、敵対する誰かが放った刺客である可能性は捨てられないと考えるのは自然であった。

「逆に言えば、『この状態』でなければ、お前も本音では話さないだろうからな」
「ま、当然の話だね」
「もう一つの理由として、そもそも体調が良くないから、というのもあるのだがな……」

 実際、それはパペットの方も想定していた話である。そしてパペットの中では「更に深刻な事態」もまた想定されていた。

「お師匠様の姿が出てきた時は、一瞬ヒヤッとしたよ。まさかワトホート様の方も『ここ』にいないのではないか、とね……。まだ無事なら良かった」

 パロットはその弟子の言葉を理解した上で、自身が座っていた玉座の「下」の部分を開き、そこが空洞となっていることを示す。

「ここでの話は、この空洞を通って、この下の隠し部屋にいる本物のワトホート様に全て伝わっている。逆に言うなら、このことを知っているのは私とワトホート様だけだ。とりあえず、お前がそこまで分かっているのなら、もう私から言うことは何も無い。この後、トオヤ殿を含めた上での面談という形になるが、それは本物のワトホート様との間で話し合ってもらうことにしよう」
「いいんじゃないかな。来たる『七男爵会議』に向けて、話さなければならないこともあるだろうし」
「そうだな。その上で、一つだけ忠告しておこう」
「ん? なんだい、お師匠様?」

 あくまでも飄々とした態度で聞こうとする弟子に対して、師匠は今までの会話の中で最も深刻な口調で告げる。

「もし、このままレア姫が戻って来ず、お前がトオヤ殿の子を産んだ場合、それが『父親似』ならば問題はない。だが、お前の血を強く受け継いだ場合、おそらく『お前の真の姿』に似た子供が生まれる。そうなると、色々と面倒なことが起きかねない」
「……嫌な話だね。僕ですら知らない『真の姿』に似るなんて」

 そんな反応を見せるパペットに対して、パロットは一瞬、聞こえるか聞こえないか微妙なほどの声で、

「まぁ、因果な話だな」

と呟きつつ、改めて「ワトホート」の姿に戻った上で、こう告げる。

「では、私からの話はここまでだ。お前も一旦、待合室に戻れ。その後で、また本物のワトホート様からの連絡が来るだろう」

 そう言われたパペットは頷きながら、再び「レア」の姿へと戻り、部屋から立ち去っていく。こうして、「偽物の父親」と「偽物の娘」による親娘会談は、ひとまず終わりを告げた。なお、この二人の間には「師弟」であるということに加えて、やがてもう一つの重要な「関係」が成立することになるんであるが、それはまだもう少し先の話である。

1.4. 連合の盟主

 その頃、トオヤ達が待機していた待合室に、別の客人達が姿を現した。どうやら彼等もワトホートに面会を申し出てきた者達らしいが、彼等は幾人もの屈強な兵士達によってその身を護衛されており、明らかに「只者ではない」ということはすぐに分かる。そして、その中にはトオヤとチシャにとっては馴染みのある一人の女騎士の姿があった(下図)。


 彼女の名は、ヴェラ・I・シュペルター。現伯爵ワトホートの異母妹(レア、ゴーバン、ドギにとっての叔母)であり、七男爵の一人イアン・シュペルターの妻である。彼女は半年前のテイタニアでの魔獣騒動の直後、その解決のために大陸に向かった筈であり、その彼女がこの場にいるということは、その解決の糸口が掴めたということなのだろうか。なお、この場にいる者達の中で、カーラだけは彼女とは面識がない。ただ、彼女は漠然と「夢の中に出てきたお祖母様と似ている……」と思いながら、ヴェラを眺めていた。
 一方、チシャはその彼女の傍らに立つ二人の人物にも見覚えがあった。一人は、エーラム魔法師協会の中でも屈指の実力を持つと言われる魔法師のグライフ・アルティナス(下図右)。そしてもう一人は、その穏やかな佇まいから明らかに常人離れした優雅な雰囲気を醸し出している、人の良さそうな美青年(下図左)であった。彼はチシャと目が合うと、優しそうな笑顔で彼女に対して語りかける。


「君は確か、チシャ、だったよね?」
「あ、はい……」

 戸惑いながらもチシャはそう答える。その声と物腰から、その人物が、チシャの記憶にある「エーラム時代に遭遇した青年」であることを彼女は確信する。だが、チシャの記憶が間違っていない限り、その青年は、本来ならばこのような場所にいる筈のない人物であった。

「そちらの二人は、初めましてかな。私は、ハルーシア侯爵アレクシス・ドゥーセ。以後、お見知り置きを」

 この世界の君主達の中で、その名を知らぬ者はほぼいないであろう。それは現在、この世界を分かつ二大勢力の一つである(ヴァレフールを含めた)「幻想詩連合」の盟主の名である。エーラムは魔法のみならずこの世界全体のあらゆる知識を独占する研究機関であるが故に、魔法師を目指す者達だけでなく、一般教養を学ぶために貴族の子女が留学することも多い。かつてのアレクシスもまたその一人であり、チシャとはその頃に顔馴染の関係となっていた。
 アレクシスが国主を務めるハルーシアはこのブレトランドから見て遥か南方に位置する大国であり、トオヤ自身は彼とは面識がない。だが、彼の両脇に立つヴェラとグライフの真剣な表情から、彼が「偽物」である筈がないことは明らかであった。

「え、えーっと、どうも、ご丁寧に。タイフォンの領主、トオヤ・E・レクナです。こちらこそ、よろしく」

 やや混乱しながら、トオヤはそう答える。一方、カーラは自分が帯剣している状態(というよりも、それが「本体」である以上、切り離すことが出来ない存在)である今の状況で、このような大物の近くに立つ訳にはいかないと考え、すぐさま「壁際」に移動することで、自ら「間合い」の外側にいることを強調する。
 そんな彼等の様子を笑顔で受け流しながら、アレクシスはヴェラを右手の掌で指し示しつつ、こう言った。

「実はこちらの姫将軍から、私の聖印がどうしても必要だと頼まれてね」

 それに対してヴェラは頷きながら、トオヤ達に向かって付言する。

「色々あって、半年もかかってしまったのだがな」

 そう言われても今一つ事態が飲み込めない状態のトオヤ達に対して、ヴェラは詳しい事情を説明する。彼女は半年前のテイタニアでの魔獣騒動の折、街の領主であるユーフィーから「魔獣を制御するためには侯爵級以上の聖印が必要」と言われ、その条件を満たす君主を探して、大陸へと旅立ったのである(前述の通り、その時点でブレトランド内には、該当する聖印の持ち主は誰もいなかった)。
 大陸各地で様々な人々から情報を集めた結果、ヴァレフールのためにその聖印の力を貸してくれそうな「侯爵級以上の君主」はアレクシス以外にはありえない、という結論に達した彼女は、ハルーシアに赴き、同国の重臣達に事情を説明したものの、当然のごとく「そのような得体の知れない怪物との戦いの矢面に、アレクシス様を立たせる訳にはいかない」という反対論が噴出する。ヴェラとしては、アレクシス自身に魔獣の制御を依頼するのではなく、アレクシスから聖印をヴェラもしくはテイタニアのユーフィーに一旦貸し与えてもらえれば良かったのだが、それはそれで「聖印の持ち逃げ」を警戒されることは目に見えていた。
 そこで彼女は、今度はエーラムへと向かい、魔法師協会に対して「人類共通の脅威としての『巨大な魔獣』の制御のため」という観点から、ハルーシアとの間の協力交渉の仲介役を依頼したのである。すなわち、エーラムから高位の魔法師が立ち会うことによって、「聖印の持ち逃げ」を防止するための準備を整えた上で、アレクシスの聖印を貸し与えるように依頼する、という思惑であった。それでもハルーシア内では反対論や慎重論が根強かったが、最終的にはアレクシス自身がヴェラの必死の訴えを受け入れた上で、(「エーラム最強の魔法師」との呼び声も高い)グライフを伴うことを条件に、自らこの地に乗り込むことになったのである。

「恥ずかしながら、私は戦争が苦手でね。普通の戦場ではあまり役には立てないんだ。だからこそ、せめて私が預かっているこの聖印が、この世界の人々の役に立てる機会があるのなら、ぜひ使って欲しい。そう思ったんだよ」

 友国とはいえ、遠い異国の国内問題のために連合の盟主が自ら赴くなど、極めて異例の事態である。その事実の重みに皆が恐縮している中、ヴェラがトオヤに声をかけた。

「久しいな。騎士団長殿の家の御曹司だったか。立派になったものだ」
「いえ、まだそのような……」
「話には聞いているぞ。海賊からレアを助けたそうではないか。叔母として、深く感謝する」
「その件に関しては、たまたまその場に居合わせた者として、姫であり旧友でもあるレアのことを救ったまでのことです」
「そう言えば、貴殿は子供の頃からレアとは親しかったな」

 ヴェラはそう言いながら、ニヤッと笑みを浮かべる。

「まぁ、伯爵家の女は扱いが面倒だとは思うが、一般的に皆、自分のことを『一人の女』として扱ってくれる男に対しては、素直に『一人の女』として尽くすものだ」
「は、はぁ、左様でございますか……」
「もっとも、その気があるなら、その前に『身辺整理』はしてもらう必要があるがな」

 ヴェラは皮肉めいた笑みを浮かべながら、チシャとカーラに視線を移す。その意図(疑惑)を察したチシャは思わず苦笑し、カーラは困った表情を浮かべる。実際、「従姉妹」であろうが「道具」であろうが、男性の君主の周囲に女性の側近が仕えていれば、そのような勘ぐりを招くのは必然であろう。
 一方、そんな空気の中で、アレクシスはふと思い出したかのようにチシャに問いかける。

「ところでチシャ、もしかして最近、誰か『いい人』が出来たのかい?」
「え? いや、そんなことは……」

 チシャは微妙に動揺した反応を見せる。この時、彼女の頭の中に浮かんでいたのが、ファルクなのか、トオヤなのか、それとも別の誰かなのかは、誰にも分からない。

「そうか。エーラムにいた頃に比べて、格段に綺麗になったからね。だから、『いい恋』をしているんじゃないかな、と思ったんだが」
「いえ、まだそんな……」

 言葉を濁すチシャに対して、アレクシスは何かを察したような表情を浮かべる。

「いや、言わなくていいよ。心に秘めなければならないこともあるだろう。私の場合は、それを秘めきれなかったことで、色々な人達に迷惑をかけることになってしまったのだけどね……」

 この世界を揺るがした「大聖堂の惨劇」(『グランクレスト戦記』1巻参照)のことを思い出しながら、アレクシスがそう呟くと、改めて重苦しい空気が広がる。
 そんな中、「偽りの親娘会談」を終えた「レア姫」が待合室に現れた。

「ただいま戻りました……、おや?」

 トオヤ達しかいないと思っていた部屋の中に、想定外の人々が顔を揃えていたことに一瞬困惑しつつ、彼女はアレクシスに対して語りかける。

「私の目に間違いがなければ……、このようなところになぜあなたのような方が、と言わざるを得ませんね」

 レア自身もパペットも、アレクシスと直接会ったことはない。だが、その姿を肖像画で見たことは何度もあるし、その胸に描かれた紋章から、それが幻想詩連合の盟主であることはすぐに分かった。

「私の聖印で、この地の人々を救える可能性があると、こちらの姫将軍に聞かされたのでね」

 アレクシスがそう言って、改めて「レア」に対しても先刻と同じ説明を繰り返すと、彼女は(先刻の「ワトホート」が語っていた話を思い出しながら)納得した表情を浮かべる。

「それはそれは、遠路はるばるブレトランドまでよくぞお越しくださいました。失礼。名乗りがまだでしたね。ヴァレフール伯の娘、レア・インサルンドです。よろしく」
「そうか、君が噂の次期伯爵候補、なのかな」
「おや、あなたのような方の中でも噂となっていたとは、恐悦至極」
「それは勿論ね。なにせ私の重臣達の中には、私にマリーネを諦めさせるために、君との婚儀を進めるべきだと主張する者もいるくらいだから」

 実際、年齢的にも立場的にも、それは十分に現実的な選択肢ではある。特にワトホート陣営にしてみれば、連合との繋がりの弱さがケネス陣営と比べて一つの大きな弱点ではあったので、レアとアレクシスの婚姻は願ってもない話であった(もっとも、逆に連合との繋がりを強化しすぎることで、これまで以上に「大陸の事情」に引きずられることを警戒する声もあったが)。

「そう言って頂けるのは、私個人としては非常に喜ばしい話ですが、さすがに『身に余る』というのも事実ですね。まぁ、その縁談が本格的に進むようになれば、またおいおいお話しさせて頂くことになるでしょうが……、あなたも本気にしている訳ではないでしょう?」
「そうだね。少なくとも、政略だけで進められるのは本意ではない。それは君も同じだろう。もっとも、端から見れば私とマリーネの関係も、我が国の政略の一環に見えたのかもしれないけど」
「ご冗談を。政略の話だけでどうこう出来る関係ではなかった筈ですよ。あの時の連合と同盟は。少なくとも、お互いの思いが介在していたように私には見えましたが。出すぎたことを言ったのなら、申し訳ございません」

 当時実現しようとしていた、幻想詩連合の盟主の息子であったアレクシスと、大工房同盟の盟主の娘であったマリーネの結婚は、確かに皇帝聖印の誕生に繋がるという意味において、政略上重要な意味のある婚姻であったことは間違いない。しかし、だからこそ、それは極めて実現が困難な縁談であり、それを実現まであと一歩というところまで漕ぎ着けた要因が、当人達の結婚に向けての強い「個人的な情熱」であったということは、多くの人々の知るところであった。

「いや、その通りだね。むしろ私達のわがままで世界を混乱させてしまった。その責任は重く感じている。だが、それでも私は後悔はしていない。私自身が軽率と言えば軽率だったのかもしれないが、それでも、私は為すべきことをしたと思っている。ただそれを成し切るだけの力が私達になかっただけだ」

 またしても部屋の中の空気が重くなってきたところで、この城の使用人が扉の外から姿を現す。

「申し訳ございません、トオヤ様、レア様。本来ならばこれから皆様との会談の予定だったのですが、アレクシス様達が御来場されたということで、申し訳ないのですが、その、会談の順序を……」
「あぁ、それは構わない」

 トオヤは即答した。自分達の要件もこの国にとって重要な話ではあるが、さすがに「連合の盟主」と「魔法師協会の実力者」の訪問ということであれば、そちらを優先するのは当然の話である。もしかしたら、ここでの会談の順序が今後の話に影響してくる可能性も無いとは言えないが、どちらにしても、この場で自分達の会談を優先する必要があると考えられる根拠が、彼の中では見つからなかった。

1.5. 残された四人

 こうして、異国の来訪者達が待合室から去り、その場に「四人」だけが残ったところで、トオヤが「レア」に問いかけた。

「姫、久しぶりのお父君とのお話、どうでした?」

 一応、城内で誰かに聞かれている可能性も考慮して、あくまでも「この体裁」を維持する必要があると考えたようである。

「相変わらずだよ。良くも悪くもね。体調が悪そうなのは気がかりだけどね」

 あくまでも「レア」として答える以上、彼女もそれ以上のことはこの場では言えない。

「そうですか……。もともとお身体が弱いということは聞いておりましたし、伯爵としての政務が大変なのでしょう」
「健康を考えるならば、今回の退位というのは、実は悪くなかったのかもしれない」
「そうですね。とはいえ、それでもまだ、もう少し頑張って頂かなければならないのは、少々心苦しくありますが」
「あぁ、一年後まではな。一年後に向けてどう動いていくかについては、また話があるだろう」

 そんな話をしている中、カーラがふと横からトオヤに「従者としての口調」で問いかける。

「私は『本体』を持ったまま謁見に行っても大丈夫でしょうか?」
「まぁ、その辺は大丈夫だろう。何か言われそうだったら、僕の方から事情を分かってもらえるように伝えるし」

 一応、カーラが「武器のオルガノン」であるということは、トオヤとしては隠している訳では無いし、今後も特に隠すつもりはない(もっとも、正確に言えばカーラは「オルガノン」そのものではないのだが、そのことをトオヤはまだ知らない)。オルガノンの存在自体を知らない人々への説明は困難かもしれないが、それでもきちんと話せば分かってもらえるだろうと考えていた。

「正直、さっきの場面でも、どうしたものかと……」

 想定外の大物を目の当たりにして困惑していた時のことを思い出したカーラはそう呟くが、そんな彼女に対して、トオヤは諭すように答える。

「カーラは少し、気を使いすぎだ。その辺りの立ち振る舞いについては今後色々なところで学んでいけばいいと思う」
「そうは言ってもね、怖がる人もいるだろうし……」
「まぁ、今回に関しては、アレクシス様の周囲に屈強な近衛兵の人達がいたのだし、多めに見てくれるさ」
「そうだね。でもまぁ、なるべく、あるじ達の後ろの方にいることにするよ」

 こうして、気付いた時には「いつもの口調」に戻ってしまっていたカーラであった。

2.1. 「薬売り」の提案

 首都ドラグボロゥが想定外の客人達の訪問に揺れていた頃、テイタニアで留守を任されていたインディゴの元にも、意外な人物が訪れていた。

「魔法師様、謁見を求める者が現れたのですが……」

 館の使用人にそう言われたインディゴは、一瞬、半年前の騒動の時に姿を現した彼にとっての「大先輩」のことが頭を過ぎったが、使用人曰く、その訪問者は「見覚えのない男性」であるという。

「通していいだろう」

 その人物の予想がつかないまま、ひとまず彼がそう答えると、使用人に案内されて彼の前に現れたのは、半年前の騒動の時に彼の姿を現した「もう一人の人物」であった。

「久しぶりだな、魔法師殿」

 その男の名は、ジェームス。テイタニアの下町の冒険者の酒場などに頻繁に出入りしている地球人であり、ハーミアの地球時代の知人である。半年前の森での混乱の際、インディゴ達は彼を助けることになったのだが、その時、彼が「エーラム製ではない魔法薬」を持っていたことから、彼の正体が秘密結社パンドラの一員であることは、インディゴの中で察しがついていた。

「えぇ、お久しぶりです」

 相手が相手だけに、慎重な姿勢でそう答えるインディゴに対し、ジェームスはいきなり本題を切り出す。

「これが何だか分かるか?」

 そう言いながら彼が取り出したのは、異界の道具である。それはハーミアが持っていた「地球の通信機」に、極めてよく似た形状であった。

「そこまで詳しいことは知りませんが、大体のことは分かります」
「では、この部分を耳に当ててくれ」

 そう言ってジェームスがインディゴにその道具を差し出すと、(ハーミアに対して苦手意識のある)インディゴは嫌な予感を思い浮かべながら、言われた通りに耳元に近付ける。

「あ、インディゴさんですかー?」

 それは紛れもなく、インディゴにとって生理的に受け入れがたい、あまり知性を感じられないハーミアの声であった。

「その声は、ハーミアか? そっちはどうなってる?」
「ちょっと今、大変な状態になってまして。仕方ないから『薬売りさん』に連絡をお願いすることになったんですよ」

 ハーミアも、パンドラがこの世界において一般的にあまり好まれていない組織であることは認識しているため、ジェームスの正体を知りながらも、彼のことはあくまで「流しの薬売り」であるという建前でインディゴ達には話している。そしてインディゴもまた、余計な「厄介事」を引き起こさないために、あえてその「建前」を受け入れていた。
 ハーミア曰く、現在、彼女達はまだ火口の中にいるものの、その火口内が魔境化しており、そのあまりに強大な混沌の力が織りなす圧力によって兵達が混乱状態に陥ってしまい、身動きが取れない状態になっているという。せめてインディゴがいれば、混沌濃度を下げることで状況を改善することも出来たかもしれないが、調査兵団の中に魔法師がいない以上、それも叶わない状態であった。

「残念ながら、部隊を連れてきたのは失敗だったみたいです。今、兵隊さん達は心神喪失状態に陥ってしまっていて、進軍も撤退も出来ない状態です。かといって、ここで彼等を見捨てる訳にはいきません。一応、まだ食料はあるので、しばらくは大丈夫なのですが……」

 現状、部隊の中で混沌の圧力に耐えられているのはユーフィー、アレス、ハーミアの三人のみであり、ユーフィーとアレスが次々と魔物を撃退しつつ、ハーミアが兵士達を守ることでどうにか対応はしている。だが、どちらにしてもこの状況では完全に手詰まりなので、ハーミアはインディゴに対して、ドラグボロゥに救援部隊の派遣を要請するように懇願したところで、通信を切った。
 深刻な表情を浮かべながらインディゴが通信機をジェームスに返すと、ジェームスは真剣な面持ちでインディゴに語りかける。

「話は今聞いてもらった通りだ。もし、あんたが『緊急を要する』と判断するのであれば、『俺達の仲間』でどうにかすることも出来なくはないぞ」

 それは、エーラムの一員であるインディゴにとって、まさに「悪魔の誘い」とでも呼ぶべき問いかけであった。そのことを分かった上で、ジェームスは続ける。

「あんたにとっちゃハーミアはどうでもいいんだろうが、領主様が亡くなられたら困るだろう? もっとも、その場合、こちらも『そこまで強力な魔境』をどうにかしようと思うと『全力』を出さざるを得ないので、おそらく『正体』はバレる。それが世間体上、よろしくないというのであれば、『俺達』は手を出さないが……」

 ジェームスの中には、特に深い思惑や策略がある訳ではない。彼はただ純粋に、個人的に思い入れのあるハーミアを救いたいと考えて協力を申し出ているだけである。だが、インディゴとしては、やはりそれは受け入れられない提案であった。

「それはさすがに、お互いにとって『よろしくない状態』になるでしょう」
「だが、手をこまねいていたら、取り返しがつかないことになるぞ。俺としては、こないだ助けてもらった恩義もあるし、ハーミアの歌をもう一度聞きたいという気持ちもある。だから、手を貸すように『上』を説得することも出来る。まぁ、それはそれで、色々『面倒臭いこと』にはなるがな」

 それに対してインディゴが答える前に、再び館の使用人が部屋に現れた。

「魔法師様、大変です。例の魔獣の近辺に、新たな投影体が出現したようです。今のところは、冒険者達が自主的に討伐に向かうことで、なんとか対応しておりますが……」

 どうやら、火山の異変に対応する形で、湖のほとりに横たわっているマルカートの近辺の混沌濃度が上がって、投影体の出現を促してしまっているらしい。その状況を踏まえた上で、インディゴは改めてジェームスに対して言い放った。

「あまり考えている時間はないようだが、この街のことは我々でどうにかする。こちらから手助けを要請することはない。そちらが『勝手に協力する』というのなら、勝手に協力してくれてもいいがな」
「……分かった。俺はしばらくこの街にいるので、気が変わったら来てくれればいい」

 そう言って、ジェームスは館を去って行く。インディゴは魔法杖を用いて首都ドラグボロゥに救援の要請を出しつつ、状況を把握するために、改めて正規に下町の冒険者達を雇って、湖近辺の調査に向かわせることにした。本来は自分が行くべきなのだが、さすがに今、この街を空ける訳にはいかなかったのである。

2.2. 勅命

 その頃、トオヤ達はようやく、ワトホートとの「正規の謁見」の機会を与えられていた。その傍らには、先刻までワトホートと会談していたと思しきヴェラ、アレクシス、グライフの三人と、その護衛の者達の姿もあった。

「此度のレアの奪還の件、誠に大義であった」

 ワトホートがそう告げると、トオヤは膝をついて頭を下げ、そのまま話を聞く。

「さて、これから先のことだが……、レアは今後しばらくドラグボロゥに残るとして、お前達はどうする? ここまで届けた上で所領に帰るつもりなのか、それとも……」
「いえ、私としては、レア姫様が次期伯爵として他の男爵様達に認めてもらえるよう、各地の諸侯を説得して回りたいと思います」

 その申し出に対して、ワトホートは怪訝そうな表情を浮かべる。

「ほう? 説得しなければならない相手がいるとしたら、誰だと思う?」
「それは……、『皆様』でしょう」
「少なくとも、グレンやファルクがそれに異を唱えるとは思えない。むしろ、一番説得しなければならないのは、お前の祖父殿ではないのか?」
「確かに、私の祖父も説得しなければならない相手です。しかし、グレン様やファルク様にも『本当の意味で』忠誠を誓って頂くためにも、説得の必要はあると思っています」

 「本当の意味で」が何を意味するのかについては、あえて言わない。ワトホートとしては、この意外な申し出に対して、その真意を測りかねた様子であった。

「そうか……。この話に関しては、もう少しじっくりと確認したいところなのだが、そうも言っていられない、喫緊の事態が起きてしまった。まずは、そちらの話を優先させてもらおう」

 そう言って、ワトホートは、テイタニアの魔獣問題の解決のためにアレクシスが来たことを改めてトオヤに伝えつつ、先刻インディゴから届けられた「テイタニアで発生しつつある新たな異変」についても説明した。

「こうなった以上、一刻も早く、アレクシス様をテイタニアにお連れすると同時に、現地への援軍を派遣する必要がある」

 そこまで言った上で、ワトホートが傍らに立つグライフに目配せをすると、グライフは今回の問題に関する「エーラムとしての見解」を語り始める。
 ヴェラがユーフィーから聞かされた話によれば、魔獣を制御するための『指輪』の持ち主となり得る者は、ヴァレフール伯爵家(インサルンド家)もしくはテイタニア領主家(リルクロート家)の人物であるという。その真偽を確かめるべく、エーラム内で時空魔法師などの力で様々な可能性を演算してみた結果、確かにその両家のいずれかの者達でなければ成功する可能性は低い、という結論に到達した(もっとも、その理由はまだ解明されていない)。そして、その中でも後者の者達の方が、より成功の可能性が高いのではないか、というのが、現時点でのグライフの見解であるらしい。
 そこまでの話を聞いた上で、ワトホートはトオヤに問いかける。

「お前は、血統的にはテイタニアの男爵家にも連なる者であろう?」

 確かに、トオヤの父レオンの母(トオヤの祖母)はリルクロート家の庶子であった。つまり、トオヤもまた傍流とはいえ、テイタニアの領主家の血筋を引いている身ではある。もっとも、それは「トオヤが本当にレオンの子供であること」が前提であり、トオヤの中ではまだその問題は未決着の事案であった。

「現状、リルクロート家のユーフィーが無事に帰還出来る保証はない。ヴェラは自分の手で封印するつもりでいるようだが、可能性としてテイタニア男爵家の方が可能性が高いというのであれば、『お前という選択肢』も準備しておいた方がいいだろう。そのことを踏まえた上で、今回のアレクシス様の護衛およびテイタニアへの援軍の指揮官を、お前に任せたい」
「……分かりました。謹んで受けさせて頂きます」

 トオヤとしては、血縁の問題に関しての疑惑はあるものの、いずれにせよ今後の伯爵位継承問題に関して、テイタニア男爵であるユーフィーに話を持ちかけに行くつもりではあったので、渡りに船の勅命ではある。

「ただ、その場合、一つ問題がある。それは、誰が魔獣を制御するにせよ、アレクシス様の聖印を一旦預かる必要がある、ということだ」

 たとえば、トオヤがアレクシスの持つ侯爵級聖印を受け取るためには、トオヤが一旦持ってる聖印を一旦全てアレクシスに与えた上で、アレクシスが持っている聖印の大半部分を切り取った「侯爵級聖印」をトオヤに与える、という手順が必要となる。この時点でトオヤはアレクシスの「従属君主」となり、魔獣の制御を完了した上で、再び聖印の大半(本来自分が有していた分以外)をアレクシスに返した上で、アレクシスが従属関係を断ち切ることで、再びトオヤの聖印を独立聖印に元通りに戻す、という工程が必要になる(もう一つの方法として、トオヤが自身の聖印を手離さぬまま、アレクシスの聖印の大部分を取り込むということも理論上は可能であるが、その場合はトオヤが最初から独立聖印のまま強大な聖印を手に入れることになる以上、「持ち逃げ」防止の観点から、ハルーシアとしては了承出来る筈もない)。
 つまり、ヴァレフールの一員として(自身が所属する連合の盟主国とはいえ)「国外の君主に一時的とはいえ従属すること」に対して同意出来るか、というのが第一の問題である。この件について、ヴェラは緊急事態なので仕方がないと割り切っているようであるが、ワトホートとしてもアレクシスとしても、トオヤがそのことを了承出来るか否かを確認する必要があった。
 そして、トオヤがアレクシスの従属君主となっている間は、アレクシスはトオヤに与えている従属聖印を思うがままに操れる。いつでも即座に全て奪い取ってしまうことも出来るし、従属関係の継続を強いることも出来る。逆に言えば、現状においてまだヴァレフール内で重職に就いている訳ではないトオヤの身にしてみれば、いっそそのままアレクシス直属の騎士となってハルーシアに仕えるという道も無くは無い。
 そのことも踏まえた上で、ワトホートはトオヤに意志を問うと、彼はあっさりと答えた。

「聖印をアレクシス様に一旦お預けすることに異論はありません。聖印は確かに君主の象徴ではありますが、あくまで力です。状況によっては、一旦手放すことも必要でしょう。そして、私はまだヴァレフールでやらなければならないことがあります。そのことを果たすまでは、たとえ従属聖印という形であろうと、この国に残るつもりです。アレクシス様の人柄を考えれば絶対にありえない話ではありますが、たとえアレクシス様が私の聖印を取り上げることがあったとしても、私は一人の人間としてヴァレフールでやらなければならないことがありますので、そのままこの国に残るつもりです。もちろん、そのようなことは『絶対にない』と思いますが」

 トオヤが念を押しながらそう断言すると、ワトホートは満足そうな表情を浮かべる。

「その回答が聞ければ十分だ。この国の行く末に関しては、この件が片付いた後に、また改めて話そう。だが、今の回答の時点で、私の中で懸念すべきことはほぼ解消されたがな」

 そう言って話を終えようとするワトホートに対して、トオヤはある一つの訴えを提示する。

「ワトホート様に一つだけ、お願いの儀があります。レア姫様にも、今回のテイタニアへの救援軍の旗頭として、ついて来て頂くことは出来ないでしょうか?」
「ほう……、なるほどな、我が娘の『初陣』ということか」

 ワトホートはそう言ったが、実際のところ、今ここにいる「レア」には聖印を用いて戦うことは出来ない以上、正規の「初陣」扱いにするのは難しい。トオヤとしては、必死で「名目」を考える。

「いえ、さすがに実戦経験の少ないレア様がいきなり相手にするには、あの魔獣は危険すぎます。ですので、レア様には町の人々の慰問を主目的とした形での……」
「分かった。レアを護衛しつつ魔境を討伐するというのは大変だとは思うが、無事に務めを果たしてくれることを期待しよう」

 ワトホートも「事情」は知らされている以上、その点については「配慮」した上で、その申し出を受け入れることにしたようである。こうして、想定外の形ではあるが、「レア」とトオヤのテイタニアへの訪問が決定されたのであった。

2.3. 師からの提案

 出撃命令を受けたパペットは、ひとまず「ドルチェ」の姿となって兵士達に出立の準備を始めるように指示を出す。そんな中、彼女の目の前に突如「レア」が現れ、話しかけてきた。

「なかなか面倒なことになったようだな」
「えぇ、まさに今、目の前が」

 パペットは、自分の目の前に現れた「レア」の正体が師匠であると確信した上でそう答える。

「『お主』と『レア姫』が同時に公の場に出られないことが面倒なのであれば、こういう形でごまかすことも出来るが、どうする?」

 確かに、「ドルチェ」として戦う時に「レア姫」が姿を消さなければならないというのは、色々と面倒な話である。その意味で、「もう一人の影武者」がいてくれれば、選択肢の幅も広がることになるだろう。

「その提案は、もう少し早く頂きたかったところですね。そうすればあなたが『レア姫』としてここに残って、僕が『ドルチェ』として向かうことも出来たでしょうが」
「そう思うなら、お主の方から先にトオヤに話をしておけば良かったのではないか? 結局、私のことは話していないのだろう?」
「残念ながら、あなたのことを説明しようとすると、どうしても『余計な情報』がついて回るので」
「あいつを『余計なこと』に巻き込みたくない、ということか?」
「巻き込もうとしている本人が言うのも、どうかと思いますが」

 皮肉めいた口調で答える弟子に対して、師匠は肩をすくめながら話を続ける。

「まぁ、実際のところ、今からでもトオヤ達と話をした上で、私が協力するという道も無くは無い。どの道、ワトホート様も事情は分かっているからな。ただ、当然そうなると、私がワトホート様の影武者を務めることは出来なくなる。その分、あの方の負担と不安は増えることになるだろう」
「……なるほど。じゃあ、結構だ。僕が一人二役を続ければいいだけのことである以上、ワトホート様に負担をかけてまで、師匠の手を借りる必要はない」
「では、お主一人でなんとかごまかす、ということだな?」
「あぁ。それにね、個人的な理由だけど……、ちょっとぐらい『レア』としてトオヤと一緒にいたいんだ」

 そんな予想外の発言に対して、師匠はやや面食らった表情を浮かべながらも、どこか納得した様子を見せる。

「なるほど……。まぁ、お前がその気ならば、それ以上は何も言うまい」
「お心遣いには感謝しておくよ」
「それがお前の『影』としての道なのであれば、今更私が師匠面してどうこう言うこともないだろう」
「ご理解頂けたようで、ありがたい」
「せいぜい、『あいつ』のそばにいて、そして、出来れば『あいつ』を守ってやってくれ」

 そう言って、「レア姫」は去って行く。その師匠の言葉の持つ意味を弟子が本当の意味で理解することになるのも、まだもう少し先の話であった。

2.4. 馬上の二人

 翌日、トオヤ達が率いるタイフォン軍は、ヴェラ、グライフ、そしてアレクシスおよびその護衛の精鋭兵達と共に、テイタニアへと向かって進軍する。
 結局、「ドルチェ」と「レア」に関しては、二人が同じ馬車の中に乗っているという建前で、トオヤ軍の中のドルチェ分隊がその馬車を警護するという形でごまかすことにした。無論、兵士達の中には、二人が同時に顔を出すことがない状況に対して違和感を感じる者もいたが、不審な目を向ける者達に対しては、ドルチェが先んじて持ち前の「誘惑」の邪紋の力を用いてごまかすことで、どうにか事無きを得ていた。
 そんな中、全体を先導するのはそれぞれの愛馬に騎乗したトオヤとカーラであったが、トオヤはカーラの雰囲気がどこかいつもと違うことに気付いていた。

「カーラ、この間の船での一件以来、様子がおかしかったようだけど、少しは落ち着いたか?」

 不意にそう言われたカーラは、俯きながら答える。

「うーん、色々あって、何から話すべきなのか……、ごめんね、あるじ、心配かけて」
「いや、心配かけるのは、何も悪いことじゃないさ。別に無理して話す必要はない。ただ、苦しい時に何も言えないってのは、辛いからな……。全て本当のことを言う必要はないし、愚痴だけでも話してくれるなら、いつでも俺は聞くから」

 カーラはその心遣いに感謝しつつ、訥々と語り始める。

「今言えるのは……、うーん、そうだね……、どこまで話していいのか分からないから、ぼやかしながらでいいなら、聞いてくれるかい?」
「あぁ、聞くだけなら、いくらでも聞くさ」
「なんとなく察してるかもしれないけど、『彼女』はボクが封印される前の知り合いなんだよ。かなり近しい相手だから、やっぱり、仕えるあるじが対立しなければいいんだけどな、っていう……、それが今の一番の悩み事だね」

 主語も指示語も曖昧なままの説明なので、当然、トオヤに伝わる筈がない。ただ、それでもトオヤなりに、なんとか理解しようとしていた。

「そうか、近しい相手、か……。お姉さんとか?」

 当たらずとも遠からずな回答に、カーラは思わず苦笑する。その様子を見て、トオヤは少し安堵した様子で話を続ける。

「まぁ、その辺は話したい時に話してくれればいいさ。無理に聞こうとは思っちゃいない」
「ボクも、もうちょっと自分の中で、どこをどう話せばいいのか整理をつけてから話したいなと思うから……、もしかしたら、また今回みたいなあやふやな言い方というか、はっきりとしたことは言えないかもしれないけど……、また話を聞いておくれよ」
「分かった。いつでも聞く。あと、その人と、出来れば『近いところ』にいた方がよかったりするか?」
「あー……、いや、ボクも彼女もオルガノンだから、やっぱり、『自分を使ってくれる人』を優先したいものなんだよ」
「そうなのか」
「少なくとも『ボクら』はそうだから。だから、あるじを優先したところで、『あの人』は怒るどころか、それが正しいオルガノンだと褒めてくれる」
「そうか、それを聞いて、ちょっと安心したよ」

 トオヤはそう答えたが、実際のところ、彼がどこまで理解出来ているのかは、カーラにはよく分からない。ただ、カーラとしては、自分の中のモヤモヤした感情を言葉にして表に出せただけで、心境的には多少なりとも楽にはなっていた。

「心配してくれてありがとう、あるじ」
「まぁ、カーラが悩んでることとか、思い出したことが何なのかは分からないけど、こうやっていつでも相談に乗ることは出来る。逆に、今度俺が凹んだ時には、話を聞いてくれよ」
「もちろんだよ。あと、他言無用って訳ではないから、別に誰かに話しても大丈夫だからね。チシャお嬢でも、ドルチェくんでも」
「分かった。これからもよろしくな、相棒」

 そう言って、二人は馬上で腕をコツンと合わせる。全てを理解することは出来なくても、会話を通じて相手の気持ちをなんとなく慮ることは出来る。それが出来る相手がいること自体が、今の彼等にとっては掛け替えのない財産であった。

2.5. 自爆人形

 こうして、トオヤ達が連合盟主を伴ってテイタニアへと近付きつつあるという情報は、インディゴにも魔法杖通信で伝わっていた。想定外の「大物」の名前を聞かされたことには驚かされたが、これでテイタニアを悩ませていた魔獣問題が解決出来るなら、この上ない朗報である。
 だが、そんな客人達を出迎える準備を整えようとしていたインディゴの耳に、またしても厄介な事態の勃発を告げる知らせが届く。テイタニアからドラグボロゥ方面へと続く街道の近辺に、謎の投影体が出現したという目撃情報が寄せられたのである。その数も正体も不明であるが、少なくとも放置して良い状況ではないと判断したインディゴは、すぐに現場に急行する。幸い、出現場所はテイタニアから程近い地点であったため、万が一、自分の留守中に街で何か起きても、すぐに帰ることが可能な距離であった。
 そして、その「謎の投影体」の気配は、テイタニアに近付きつつあったトオヤ達も気付いていた。パペットは馬車の中から「ドルチェ」として飛び出し、トオヤ、カーラ、チシャと共に、それぞれの部隊を率いて警戒態勢に入る。
 そんな彼等の目の前に現れたのは、「子供くらいの背丈の、人型の投影体」の集団であった。彼等の腕の中には黒い「異界の機械」のような何かが握られている。

「アノ女、近付ケテハナラヌ、生カシテハナラヌ……」

 ややカタコトの口調でそう呟きながら、彼等はトオヤ達の後方でアレクシスを守るように剣を構えたヴェラを凝視する。なぜ彼等がヴェラを敵視するのか、事情は全く分からないが、ひとまずそんな彼等の視線の間に割って入るように、ドルチェが幻影の邪紋の力を駆使して、誘惑の眼差しを向ける。すると、その少年達の視線が今度は彼女に集中した。

「コノ女……、コノ女ノ方ガ危険ダ……」
「じゃあ、遊んであげるよ、こっちにおいで♪」

 ドルチェがそう言って投影体達の視線を引きつけている間に、トオヤもまた聖印の力を用いて鎧を強化しつつ防御陣形を整え、チシャはサラマンダーを呼び出す。
 一方、それと時を同じくして、テイタニア方面からもインディゴ率いる町の警備隊が駆けつけたことで、街道上で投影体達を挟み撃ちにする状況が整えられる。投影体達はそれを意に介さずドルチェの方を凝視し続けているため、インディゴからは彼等の「後ろ姿」しか見えなかったが、それでも、彼等が手にその腕の中に「黒い物体」を抱え込んでいる様子は確認出来た。

(あの黒い何か、以前どこかで見たことがある形状のような……)

 その正体を思い出せないまま、ひとまず彼等が「客人」に対して明確な敵意を向けていることを確認したインディゴは、街道の脇に転がっていた岩石や廃棄物を静動魔法で宙に浮かせた上で、彼等に向けて叩き込む。すると、その攻撃は投影体達の弱点を見事に突いたようで、彼等は一瞬、その場に蹲った。
 その直後、今度はチシャが呼び出したサラマンダーが炎の吐息を彼等に浴びせかける。すると、その一撃で投影体達の中の一人が手に持っていた黒い物体が爆発し、その爆炎に巻き込まれた隣の少年が手にしていた同じ物体の「誘爆」も引き起こすことになる。その様子を見たカーラは、それが「地球」という世界で作られている「地雷」という兵器のオルガノンだということを理解した(彼女はヴェリア界にいたことはないが、昔、自分のルーツを調べた時に、この世界に出現する様々な異界の武器や兵器について調べたことがあったらしい)。

「あれは確か、爆発する据え置き兵器だよ! きっと彼等は、その爆発兵器のオルガノンだ!」
「そうか、だとすると、後方に行かせる前に倒さなくては!」

 カーラの忠告に対して、トオヤはそう言って彼等の特攻を防ぐために身を以て制する覚悟を定める。だが、その彼の気概が発揮される前に戦いは決着することになった。この直後にチシャが呼び出したウィル・オー・ウィスプによって彼等の中の一体が倒されて爆発すると、またしてもその爆炎の圏内にいた別の一体が誘爆によって消滅し、更にその直後に特攻したドルチェ隊に対して、残った少年達が一斉に「自爆」に踏み切ったのである。ドルチェはその動きを見切って適切に部下に指示を出したことで、結果的に誰一人としてその爆発の影響を受けないまま、目の前の敵は消滅することになった。
 ちなみに、このオルガノン達の正体は、現在この街の領主に仕える地球人の少女によって地球から召喚されたものの使わずに放置されたまま最終的に廃棄された「地雷」達が、ヴェリア界を経由してこの時代にオルガノンとなって現出した存在だったのだが(なお、この現象は地球人の少女そのものの意思によって引き起こされた訳ではなく、彼女の無念を晴らそうとする地雷達の義侠心の暴走の産物である)、インディゴですら気付けなかったその事実に、今のこの町の事情など何も知らない来客達が気付ける筈もなかった。
 そして、あまりにも呆気ない結末に呆然としていたトオヤ達の前に、爆風が晴れる中からインディゴが姿を現すことになる。

「テイタニア領主の契約魔法師、インディゴ・クレセントです」

 そう言って自己紹介したインディゴであったが、実は彼はチシャとはエーラム時代に顔見知りの関係であったため、確認するまでもなく、チシャは明らかに彼が本人であるということは分かる(年齢的には倍近く離れている二人であるが、だからこそ、インディゴのような「オールドルーキー」の存在は、魔法大学の中でも極めて目立つ存在であった)。

「私はタイフォンの領主、トオヤ・E・レクナと申します。この度は、テイタニアの異変に対応すべく、ドラグボロゥから調査隊として派遣されました」
「話は伺っております。ありがとうございます」

 二人がそんな挨拶を交わしている間に、ドルチェはこっそりと馬車に帰還し、「レア」に戻る。そしてカーラはトオヤの耳元で囁くように助言した。

「あるじ、ここはまずヴェラ様達にもお話頂かないと。別にボクらが主役じゃないんだし」
「あぁ、そうだったな。えっと、申し訳ございませんが、テイタニアまでご案内頂くと同時に、ヴェラ様達にもご挨拶をお願いします」

 トオヤはそう言って、大陸からの客人達をインディゴに紹介する。インディゴとしても、事前に話に聞いていたとはいえ、(半年前にも会っているヴェラはともかく)実際にここまでの大物を目の当たりにすることは想定外だったため、激しく緊張しつつも、そのまま彼等をテイタニアの街へと案内するのであった。

2.6. 優先順位

 テイタニアの街に到着した彼等は、インディゴによって領主の館へと案内された上で、インディゴから改めて状況の説明を受ける。現時点で巨大魔獣の「仮の主」となっているのはユーフィーの妹のサーシャであり、彼女は館内の寝室において、「通りすがりの魔法少女」によって昏睡状態となったまま、半年間眠り続けていた。
 グライフが確認したところ、その睡眠魔法を解くことはグライフには可能であるが、起きた直後に彼女の精神は魔獣に支配されてしまう可能性が高い。そのため、血統的には彼女もまた「魔獣の主」であり続ける資質を持ってはいるものの、彼女に「現在の事態を説明した上でアレクシスから聖印を受け取る」という一連の作業を瞬時に求めるのは極めて難しい。よって、彼女はあえて眠らせた状態のまま、先にユーフィー、トオヤ、ヴェラのいずれかがアレクシスの聖印を受け取って準備を整えた状態で、指輪をサーシャから抜き取り、該当者が装着する、というのが最適の対処法であろうと考えられた(厳密に言えば、「レア」が本物であれば彼女にもその権利はあるのだが、聖印の扱いに慣れていないという理由から、事前に辞退していた)。
 この状況を踏まえた上で、グライフはインディゴに問いかける。

「我々としては、アレクシス様の聖印をユーフィー様に一時的にお預けした上で、ユーフィー殿が指輪の力を用いて魔獣の主となるのが最も成功率が高い方法だと考えているのですが……、現状、ユーフィー殿はご無事なのでしょうか?」
「……細かい状況までは不明ですが、火口の調査から戻って来れない状態のようです」

 インディゴとしては、さすがにエーラムのエージェントであるグライフ相手に、パンドラの一員(ジェームス)からの情報提供があったとは言えない以上、このような形でごまかした説明しか出来ない。
 一方で、魔獣の近辺に出現した投影体達に関しては、今のところ冒険者達による対応でどうにか食い止めてはいるものの、日に日にその勢力は拡大しており、いつ限界に達するかは分からない、という報告が届いていた。そしてまた当然、今の混沌濃度が不安定な状況においては、テイタニアの近辺で新たに混沌核の収束が発生する可能性も十分にあり得る。
 この状況を踏まえた上で、彼等にはいくつかの選択肢がある。まず第一の問題は、先に火山口に突入してユーフィー達との合流を優先すべきか、あるいは、それよりも先に今この場にいるヴェラもしくはトオヤがアレクシスの聖印を借りて魔獣を制御することを優先すべきか、ということである。
 そして、どちらの選択肢を採るにしても、街を空にする訳にはいかないのだが、魔獣を制御するためには、魔獣が倒れている現場にまで(昏睡状態のサーシャを連れた状態で)足を運ぶ必要がある以上、どちらにしても「留守番」は必要となる。それを誰が果たすのか、ということもまた、重要な問題であった。
 この状況において、まず「レア姫」が自身の見解を述べた。

「私は、ユーフィー殿達の救出を優先したいと思う。件の巨大投影体の周りに魔物が湧いているというのであれば、近付くのも一筋縄ではいかないだろうから、ユーフィー殿率いるテイタニアの本隊と合流してからの方が良いだろう。更に言えば、それ以前の問題として、仮にもヴァレフール伯爵の継承者として、臣下である彼女達を見捨てるようなことはしたくない」

 「レア姫」がそう提言すると、それに対して異論を述べる者は現れなかった。そのことを確認した上で、彼女はアレクシスに対して頭を下げる。

「その場合、アレクシス殿達にはしばらくお待ち頂くことになるが、その失礼はどうかお許し頂きたい」
「それは別に失礼でも何でもないと思うのだけど、今、町の近辺にも投影体は出現しているのだろう? それは大丈夫なのかい?」
「この街は冒険者も多い。いざとなれば、街を守るために戦える人員はいます」

 「レア」はアレクシスに対してそう説明するが、この時、彼女の中では奇妙な「違和感」が生じていた。テイタニアが魔境に近い土地柄であるが故に冒険者が多いという話自体は、ヴァレフール人としての一般的な知識なのだが、自分自身の中で、それがただの「知識」ではなく、「実体験」としてその事実に深く関わっていたような、そんな感覚が一瞬だけ芽生えたのである。少なくとも「レア姫」として、この街に来たことは過去にない筈である。だとしたら、この不思議な「懐かしさ」は何なのだろう?
 彼女が内心で密かにそんな疑問に向き合っている中、今度はトオヤが口を開いた。

「そうですね。グライフ殿の見立て通りならば、魔獣の制御にはリルクロート家の人間が必要です。一応、僕もその血統の末席に連なる者ではありますが、やはり直系のユーフィー様の方が望ましいでしょう。だからこそ、まずはユーフィー様を火口から連れ戻すことが先決かと思われます。そのために、インディゴさんにも火山口への道案内のために御同行をお願いしたいのですが」

 トオヤとしては、この時点ではあくまでも魔獣の解決はユーフィーに委ねるべきという認識であった。自分自身がリルクロート家の血筋を引いているとは言っても、この地の人々との間での繋がりは決して深くはない(ユーフィーとは「はとこ」の関係ではあるが、子供の頃に何度か会った程度にすぎない)。そしてこの申し出に対して、インディゴは頷きながら答えた。

「それはもちろん。では、私が不在の間のこの町の指揮権に関しては、ヴェラ様にお願いしてよろしいでしょうか?」

 インディゴにしてみれば、街の警備を「部外者」に依頼するのは不本意ではあるが、この状況下で火山口の探索に自分が行かない訳にはいかない。そして、残された街の防衛を実質的に冒険者に委ねるということであれば、彼等の性質上、そもそもまともな集団作戦行動は不可能であろうから、この土地の地形や環境に関する知識の有無よりも、精神的な支柱となりうる人物か否かの方が重要である。その意味で、純粋に冒険者達の士気を向上させるには、騎士としての人望と実績を兼ね備えたヴェラの方が自分よりも適任であると考えたのである(もっとも、ここでヴェラにこの街を委ねるということは、これはこれで再び「地雷」が発生しかねない方策なのだが、先刻の投影体の正体に気付いていないインディゴには、そこまでの配慮は不可能であった)。

「心得た。アレクシス様とグライフ様も、町の中に御逗留頂くということで良ろしいかな?」

 ヴェラがそう答えると、アレクシスとグライフも静かに頷く。「地元民に人気の姫将軍」に加えて、「当世最大級の聖印の持ち主」と「当代随一の実力者とも言われる魔法師」の参戦によって、インディゴとしてはようやく、安心して主君の救出へと向かえる環境が整ったのである。

3.1. 火口の内側

 その後、トオヤ達はテイタニアの下町にて、「硬めの焼き菓子」や「乾燥させた果物」などの保存食を調達しつつ(冒険者の集う町だけあって、品数も種類も豊富であった)、火口までの行軍進路をインディゴから確認した上で、翌朝には出撃を開始する。
 戦力を温存しながら迅速に火山島に到達するため、あえて巨大魔獣の横たわっている湖岸を避けて大回りで湖へと到達した彼等は、輸送隊が運んできた簡易小舟団に乗って、火山島へと辿り着く(その途上、チシャとインディゴは遠目で魔獣の様子を確認したが、少なくともこの時点では、大きな異変は起きていなかった)。
 彼等は湖中島に上陸すると、兵士達と共に火山の急斜面を無事に登り切り、火口の「へり」の部分へと到達した上でその内側を覗くと、今のところマグマや溶岩が蠢いている様子は見えず、死火山か休火山のような様相が広がっている。火口の中心部分に向かってなだらかな斜面が続いているが、その火口の奥がどうなっているのかは、ここからは確認出来ない。
 ここでインディゴがトオヤ達に提言する。

「伝えるのが遅れてしまいましたが、この先は部隊を率いて行くのはやめた方が良いかと」

 突然そう言われたトオヤは、当然のごとく首をかしげる。

「それは、なぜです?」
「我々のような『特殊な力』を持っていない兵士達が入るには危険な領域があるのです」

 インディゴとしては、ジェームスとの関係を言えない以上、なぜそのような情報を得ているのかについて詳しくは説明出来ないのだが、トオヤ達も深くその点について更に言及しようとはせず、ひとまず彼の言う通り、兵士達は「へり」の部分に残した上で、彼等に「ロープの先」を預けた状態で、トオヤ、チシャ、ドルチェ、カーラ、インディゴの五人だけで、慎重に登坂道具を駆使して火口の奥深くへと下り降って行く。
 やがて彼等が(用いたロープの長さから推測するに)湖の水面よりも低い「地下」に相当する深さにまで到達すると、そこには地上の灯りが届かない、幅広い空間が広がっていた。一応、チシャが呼び出したサラマンダーがまとう炎によって一定の視界は確保出来たが、念のためインディゴが(不得意ながらも習得していた)光の魔法を掲げ、その空間内を確認すると、更にそこから螺旋状に地下へと続く「足場」が形成されているのが分かる。おそらく、それはユーフィー率いる調査兵団が通った跡であろう。そして、この空間の中の気温が、異様なまでの暑さに達していることを実感する。
 おそらくはこの空間が一種の「魔境」状態になっているであろうことを推測しつつ、彼等はその螺旋状の足場を頼りに下方へと降って行くと、空間全体から広がる「混沌がもたらす不快な圧力」を感じ取る。聖印や混沌の力によって常人とはかけ離れた心身の持ち主である彼等だからこそ耐えられているが、確かにここに普通の兵士達を連れて来ても、まともに進軍することすら難しいだろう。
 そんな中、彼等はやがて自分達が進もうとしている方向から、美しい女性の歌声が聞こえてくるのに気付く。それは聞く者の心を癒す穏やかな声色に彩られた優しい旋律であり、インディゴにとっては明らかに聞き覚えのある声であった。おそらく、心神喪失状態の兵達を励まそうと、ハーミアが懸命に歌っているのであろう。
 そのことを確認した彼等は、傾斜が厳しくなる足場を慎重に確認しながら降っていき、やがてハーミアの姿を確認するに至る。彼女の傍らには、ぐったりとした表情の兵士達が倒れ込み、そしてその更に奥の空間から、誰かが何かと戦っているような喧騒が聞こえてくる。
 彼等の到着に気付いたハーミアが、一旦歌うのをやめて問いかけた。

「インディゴさん、この人達は?」
「増援、といったところですかね」

 彼がそう答えると、トオヤが軽く一礼しながら自己紹介する。

「お待たせしました。この度、ユーフィー様達の救援に参りました、トオヤと申します。ユーフィー様は今どこに?」
「この奥で、筆頭武官のアレスさんと一緒に、魔物達と戦っています。おそらくこの空間は『魔境の第一層』であって、この層の変異率を生み出している混沌核らしき存在をこの奥で発見したのですが、その周囲を『炎を纏った蟻のような怪物』が守っていて、なかなか混沌核に近付けない状態が続いているのです」

 そう言われたトオヤ達が奥の空間に目を向けると、そこでは混沌が生み出したと思しき業火が広がっており、おそらく今の心神喪失状態のテイタニア兵達が助けに行っても、その炎熱の力に耐えられないであろうことは推測出来る。そして、ハーミアの歌の力でかろうじて意識を保っている彼等に、ここに至るまでの激しい斜面を戻って登り上がるだけの気力が残っているようにも見えない。つまり、進軍するにせよ、撤退するにせよ、この奥の混沌核を破壊しなければ、身動きが取れないとユーフィー達は判断したらしい。
 ひとまずカーラが、持参した非常食の甘い物を兵士達に配りつつ、兵士達を励ましている中、トオヤがインディゴとハーミアに語りかける。

「ならば、ユーフィー様とアレスさんの救援に向かうべきですが、その前に……」

 そう前置きした上で、彼は聖印を掲げながら、兵士達に向かって叫んだ。

「聞いてくれ、皆! これから俺達は、この奥で戦っている君達の領主の救援に向かい、その先にある混沌核を破壊して、すぐさま皆が脱出出来る状況にする! それまで少しの間、待っていてくれ! 皆が不安になるのは分かるが、俺はパラディンとして、必ず皆を救うと誓う!」

 トオヤのその宣言によって、それまで茫然自失としていた兵士達の瞳に、わずかではあるが光が戻る。彼等は今、自分達の目の前にいるこの若い君主が誰なのかは認識出来ていない。だが、それでも、彼の掲げる聖印に込められた強い決意と覚悟は確かに伝わったようである。
 続けてトオヤは、ハーミアにも声をかけた。

「ハーミアさんも、少し休んでいて下さい。ずっと歌い通しで疲れたでしょう? あとは我々にお任せ下さい」
「分かりました。では、よろしくお願いします。まぁ、私は平気ですけどね。だってこうして他の地域から援軍が来て下さったということは、既に援軍は各方面に要請しているのでしょう? だったら、きっと『あの方』も助けに来て下さる筈ですから。そうですよね、インディゴさん?」

 希望に満ちた瞳のハーミアにそう問われたインディゴは、思わず目をそらす。さすがにここで、救援に来ているのが「ハーミアが期待している人物」ではなく、「その妻」であるとは、口が裂けても言えなかった。

3.2. 炎の巨大蟻

 トオヤ、チシャ、ドルチェ、カーラ、そしてインディゴの五人が、魔境の「奥の空間」へと足を踏み入れると、そこにはハーミアの言っていた通り、巨大な混沌核と、そして「炎をまとった、人と同じくらいの大きさの軍隊蟻の集団」が、ユーフィーとアレスの前に立ちはだかっていた。横目で彼等の姿に気付いたユーフィーは、蟻達に対して二本の剣を構えた状態で、入ってきたインディゴ達に対して背中を向けたまま語りかける。

「救援に来てくれて、ありがとうございます。今、街はどうなっているんですか?」
「今のところ、差し迫った状況ではないです。混沌が押し寄せる気配も無くは無いですが、援軍も来ていますので」
「そうですか。とりあえず、あの混沌核を倒せば、この階層の変異率はどうにかなると思うのですが……」

 ユーフィーは蟻達の攻撃を受け流しながらそう呟くが、彼女も、その傍らのアレスも、周囲の炎熱の影響もあって、極度の疲弊状態にあることは誰の目にも明らかであった。
 この状況を打開するために、まずインディゴはこの場に広がっている混沌の変異率を、一時的に発散させようと試みる。混沌の蒸散自体は魔法師であれば誰でも備わっている技術であるが、強大な魔境における変異率の発散は、決して容易なことではない。だが、ここで彼は見事にそれを成し遂げ、この空間全体に広がっていた混沌の炎は、一瞬にして消え去った。
 その直後にドルチェが、邪紋の力を用いて蟻達の目を自身に惹きつける。

「さぁ、こっちにおいで……」

 その妖しい視線に引き寄せられるように蟻達はドルチェの元へと集まり、彼女はそれに対して細剣で斬りかかるが、蟻達の身体は炎の装甲に守られ、なかなか致命傷には至らない。

「まぁ、倒すのは僕の仕事じゃない」

 彼女がそう呟きながら、襲い来る蟻達の動きを完全に見切って、まるで舞い踊るかの如きしなやかな動きで避け続ける。その後方ではトオヤが、いつでも彼女を助けに行こうと、鎧を強化した上で待機していたのだが、まるで自分の出る幕がなさそうな様子であった。
 一方、インディゴは周囲の蟻達の身体の構造を瞬時に解析すると、彼等が(自分自身が炎をまとった存在であるにもかかわらず)炎に対して強固な耐性を持っている訳ではない、ということに気付く。

「彼等には、炎による攻撃も有効のようです!」

 彼がそう叫んだ直後、チシャはに対して、サラマンダーの口から火炎を放射させて、ユーフィーとアレスが対峙している蟻達に重傷を負わせつつ、ウーズを瞬間召喚することによって、他の蟻達の動きも封じ込める。
 そして、蟻達がドルチェの元に集まったことによって発生した「隙」を掻い潜って、カーラが混沌核へと向かって駆け抜け、全力の一撃を混沌核に向けて叩き込む。その斬撃で混沌核は激しく消耗するが、その直後にカーラの周囲に巨大な火炎が発生し、避ける間も無くカーラの身体を焼き尽くそうとする。しかし、それよりも一瞬早く、チシャが放ったオルトロスが身を呈してカーラを庇ったことで、彼女はどうにか一命を取り止めた。
 そして次の瞬間、既に変異率の発散で激しく疲弊していたインディゴが、残る魔力のほぼ全てを込めて放った全力の攻撃魔法を混沌核に打ち込んだことで、混沌核は破壊され、この階層全体に広がっていた混沌の圧力が一瞬にして喪失した。巨大蟻達の身体をまとっていた炎も消失したことで彼等は大幅に弱体化し、それでもユーフィーやドルチェ達を襲おうとしたが、やがて後方から、「混沌による恐怖」から解放された兵士達がハーミアに率いられて突入したことで、生き残っていた蟻達も瞬く間に殲滅されることになった。

「ありがとうございます、皆さん……」

 ユーフィーはそう呟きつつ、その場に倒れ込む。それと同時に、アレスもまた激しく呼吸を乱しながら膝をつく。二人共、かろうじてまだ意識はあったが、ここまで心身の限界まで戦い続けた疲労が一気に押し寄せてきたようで、これ以上の進軍は誰の目にも不可能な状態であった。
 二人は部下の兵士達に抱えられながら、インディゴの指示に従い、トオヤと共に火山の外へと脱出する。トオヤやインディゴにしてみれば、二人から聞きたい話は山のようにあったが、今はまともに会話が出来る状態ではないと判断し、まずは帰還を優先することにしたのである。

3.3. 湖畔の巨大蜥蜴

 だが、火口の外に戻った彼等に対して、待機していた兵士達から凶報がもたらされる。

「あの魔獣の近くで、新たな投影体が次々と出現しています!」

 兵士達が指し示した先にいたのは、相変わらず湖のほとりに横たわっている巨大魔獣と、その周囲に出現しつつある蜥蜴のような姿の投影体である。それはまるで、巨大魔獣の縮小版のような禍々しい魔物達の集団であった。

「では、急いで戻るぞ!」

 トオヤがそう言うと、彼等は即座に船に乗り込む。一方、インディゴの部下の兵士達は、彼に対して「奇妙な形状の薬瓶」を手渡す。それは半年前に魔境で「彼」から手渡された「あの薬」と同じ瓶であった。

「魔法師様、さきほど『流しの薬売り』の人が現れて、魔法師様が出てきたらこれを渡せと」
「またか……」

 どう考えても、こんな湖中島の火山の山頂に「ただの薬売り」が偶然現れる筈がない。「彼」がどうやってここまで辿り着き、その後、どうやって姿を消したのかは兵士達も把握出来ていなかったようだが、インディゴとしてもその点を追求する気はないし、それは追求してはならない問題だということは分かっていた。今の彼にとって必要なのは、エーラムの一員としての責務である「闇魔法師一派の捜索」ではなく、「疲弊しきった自分が、この先に待ち受ける投影体との戦いに参戦するための精神力の回復」である。この辺り、(エーラム時代の数少ない友人である、娘ほどの年齢の少女とは対照的に)あくまでも現実主義者である彼は、何も言わずに黙ってその薬を自身に処方した。
 そしてインディゴは小舟の中で己の魔力を回復させつつ、湖畔に次々と出現する蜥蜴型投影体達の様子を確認した上で、彼等に対しても炎熱攻撃が有効であろうという推察に到達すると、チシャに対してそう告げた上で、自身も魔法杖を構える。そして蜥蜴の魔物達が射程圏内に入ると同時に、インディゴが蜥蜴達の装甲の薄そうな部位を狙って攻撃魔法を放つと、それに続いてチシャの呼び出したサラマンダーによる火炎攻撃、更にはチシャが瞬時に呼び出したウィル・オー・ウィスプが立て続けに蜥蜴達に襲いかかる。
 一方、ドルチェが船上からまたしても邪紋の力で蜥蜴達の注意を引きつけている間に、カーラ隊はカーラ自身の「本体」の力を完全に覚醒させた上で、船が陸地に接舷すると同時に蜥蜴達の中でも最大級の一体に向かって突撃する。ドルチェの視線に魅了された蜥蜴達は次々とドルチェに襲いかかるが、彼女はここでも全くその攻撃を意に介さぬままあっさりと避け続け、カーラ隊に対して反撃した大型蜥蜴の攻撃も、カーラの巧みな指揮によって軽々とかわされ続ける。
 そんな戦場を後方から目の当たりにしていたトオヤは、今の彼女達であれば自分が防御に専念する必要はないと判断し、一刻も早く帰路への道を切り開くために、自ら槍を携えてカーラの援護に向かう。インディゴによる後方からの的確な指示もあり、トオヤ隊の槍突撃は巨大蜥蜴の心臓を一撃で貫き、その勢いで意気高揚した彼等は、ユーフィー隊の兵士達の援護もあって、そのまま一気に蜥蜴達を殲滅することに成功したのであった。

3.4. 領主の帰還

 こうして、無事に投影体を撃退した彼等は、倒された蜥蜴達の傍らで眠り続ける巨大魔獣を刺激せぬようそのまま放置した上で、どうにかテイタニアの街への帰還に成功する。
 領主であるユーフィーが生きて帰ったことに街の人々は安堵の表情を浮かべる一方で、大陸からの思わぬ来訪者を目の当たりにした調査兵団の者達は激しく恐縮し、そして自分の期待とは真逆の「忌むべき存在」を目の当たりにしたハーミアは、ドス黒い笑みを浮かべながら一言だけ「彼女」に礼を言った上で、すぐに皆の前から姿を消した(その後、彼女が姿を現すのは数日後の話となるのだが、その間に彼女がどこで何をしていたのかは永遠の謎である)。
 そしてユーフィーは、グライフの魔法で心身共に回復させられた上で、彼の口から、昨日トオヤやインディゴ達に語っていた説明を受ける。彼女はアレクシスの来訪に深く感謝した上で、「ユーフィーが指輪を受け取って魔物を制御するのが一番成功の可能性が高い」というグライフの仮説を受け入れた上で、「今度こそ自らの手で魔獣を封印する」という強い決意を固める。
 ただし、ここでグライフは一つ重要な情報を付け加える。それは、最も確率が高い(とエーラムが考えている)ユーフィーを以ってしても、魔獣の制御の成功率は100%とは言えない、ということである。

「もし、ユーフィー殿が制御に失敗し、その精神を魔獣に支配されそうになった場合は、私が即座にユーフィー殿を殺さなければなりません」

 グライフは淡々とそう語る。彼には、現在サーシャにかけられている昏睡魔法を解くことは出来るが、同じ魔法をもう一度かけることは出来ない(というよりも、その魔法を使えるものは現在のエーラムには存在しない)。つまり、半年前に魔法少女が施した「時間稼ぎのための処方」は、一度解いてしまえば、(再び彼女がこの地に現れない限り)もう二度と再現することは出来ないのである。
 だが、それを聞かされた上でも、ユーフィーの決意は揺るがなかった。

「このままサーシャを眠らせておくわけにはいきません。私がやります」

 ユーフィーが改めてそう言うと、グライフは頷きつつ、少しでも成功率を高める方法についての相談を始める。彼が知る限り、他の地域においても似たような形で「かつて君主であった魔物」を制御した事例はあるが、その際には「制御する対象となる者と縁のある何か」の力を重ね合せることで成功率は高まる傾向にある、と言われている。リルクロート家やインサルンド家の血筋もその要素の一つだが、他にも何か「その魔獣に関する遺物」のような物があれば、それを触媒として利用することで精神的な繋がりを強めるのも有効な手段であるらしい。
 しかし、残念ながらユーフィーには、そこで役に立ちそうな物品が思いつかなかった。リルクロート家にもインサルンド家にも、それぞれに「家宝」と呼ばれる代物は存在しているものの、その中のどれがマルカートに縁のある代物なのか、はっきりとした記録が残っていなかったのである。それはこの場に同席していたヴェラやトオヤも(そしてチシャや「レア」も)同様であった。

3.5. 「祖母」の声

 そんな中、トオヤの傍らに立っていたカーラの脳裏に、突如、正体不明の「女性の声」が響き渡る。今、この場にいる者達の中で、その声が聞こえている者は彼女以外にいないことは、周囲の状況からすぐに分かる。そして、その声はこの場にいる誰の声でもなく、カーラにとって聞き覚えのある声でもない。
 だが、カーラは本能的に、その「声」の主が誰かなのか、推測がついていた。彼女は目を閉じ、必死に集中してその声を聞き取ろうとする。そして、そんなカーラの様子に気づいたチシャは、彼女が何かを感じ取ろうとしているのだろうと推察し、密かに彼女に対して、その神経を研ぎ澄ませる魔法を施した。

「あなたは、誰です?」

 その声をはっきりと確認したカーラは、心の中で答える。

「シャルプとヴィルスラグの娘、カーラです」

 すると、しばらく間を開けた後、同じ声が再びカーラの心に響きわたった。

「シャルプと……? 私は今、何か聞き違いをしましたか?」

 どうやら「彼女」はその辺りの「事情」までは知らないらしい。無理もない。彼女が「魔獣」の姿になったのは、カーラが生まれるよりも十年以上も前のことなのだから。

「あなたは、私のお婆様であるマルカート様ですか?」

 そう問いかけるカーラに対して、その声の主は否定も肯定もせぬまま、まだ困惑した様子で語り続ける。

「そんなことが……、しかし、あなたからは確かに、シャルプの気配もヴィルスラグの気配も感じられる……。まぁ、そういうこともあるのかもしれませんね。オルガノンは歳をとらない訳ですし……」

 この声の主がマルカートであるとするならば、「息子」と「戦友(剣)」の娘という事実に困惑するのも当然の話だろう。だが、それでも「彼女」は、その事実を受け入れたようである。

「あなたがこの地に近付いている気配は感じていました。ここ最近、私の中で安らぎを感じていたのは、そのためなのでしょうね」

 その声がカーラに届いた頃、彼女の傍らに立つトオヤは、カーラの様子の異変に気付いた。

「カーラ、どうかしたのか? おーい?」

 彼はカーラにそう問いかける。カーラにはその声は聞こえてはいたが、ここで集中を止めるとマルカートの声が聞こえなくなるかもしれないと思い、あえて答えないまま、ひとまず掌を立てた状態でトオヤの前に差し出して、無言で主からの問いかけを拒絶する。

「あ、う、うん……?」

 いつものカーラと明らかに異なる態度にトオヤは困惑しつつも、そのまま黙り込む。トオヤは、先刻までの一連の戦いの中で、自分の本来の役割である「守る力」を存分に発揮しきれなかったこともあり、内心やや気落ちしていたのだが、そんな中でカーラからまさかの「会話の拒絶」を突きつけられたことで、更に気持ちが沈んでいた。
 そして、周囲の者達もまたそんなカーラの様子に不自然さを感じていたが、あえて声はかけぬまま、しばらく黙って彼女に視線を向ける。

「あなたに今、話しかけている人は?」

 カーラの中で再び「彼女」がそう問いかけると、カーラは自信に満ちた態度で答える。

「私が仕えている、あるじ様です」
「そうですか。あなたの主は、どのような方ですか?」
「寂しがりで、欲張りで、甘いものが好きな人です。自分の大事なものは、掌から逃したくないとわがままをおっしゃる。でも、絶対にその掌の上にあるものを守ってくれるから、私は安心して自分の剣を振るうことが出来ます」

 心の中でそう力説するカーラの表情は、心なしか少しずつ緩んでいた。そのことは、周囲で彼女を凝視している者達にもすぐに分かる。

「なるほど。その人の掌は、さぞや大きいのでしょうね。あなたがそこまで心から信頼を持って答えるということは」
「どうでしょうね……。国ひとつ、とまで仰ることはないですが、自分の領民は全てその掌の上に包み込んで守ろうとしていらっしゃいます」

 カーラにそう言われた「彼女」は、先刻のトオヤの声を改めて思い出していた。

「今、あなたが話した方からも、どこか懐かしい匂いがしたような……。そうですね……、私も、くだらない意地をはらずに、次の主を決めておけば……」

 そう呟く「彼女」の声が、徐々に遠ざかっていくのをカーラは感じる。その状況に焦ったカーラは、思わず「心の声」をそのまま口に出して叫んでしまう。

「お婆様、待ってください! リルクロートの血筋の者が主になるようにと、お婆様は仰ったのでしょう?」

 その声に周囲の者達が驚いていることには気付かぬまま、カーラは心の中で「彼女」の声に耳を傾け続ける。

「そうです……。しかし、今の私は、自分で自分が制御出来なくなってきている……」

 弱々しい声でそう語る「彼女」に対して、カーラは再び、実際に声を出して訴えた。

「大陸から、強大な聖印の持ち主の方を招いています。その方の聖印を用いれば、その身の荒れ狂う混沌を御することも叶うでしょう」
「大陸の方、ですか……。その方が私の心に声を届かせることが出来る方ならば良いのですが……」

 そう言って、「彼女」の声はそのまま消えていく。それに対してカーラは更に訴えかけた。

「リルクロートの直系の者に力を貸してくれるとのことなので、その者の声をお聞き下さい」

 それに対する反応が一切ないまま、「彼女」の声は完全に消え去った。そして次の瞬間、カーラは目を開け、そして周囲の者達が自分に対して奇異の視線を向けていることに、ようやく気付いたのである。

3.6. 高等魔法師の見解

 自分が「どの時点」から声を出してしまっていたのか把握出来ていないまま、羞恥と困惑に身体を震わせるカーラに対して、グライフが落ち着いた口調で問いかける。

「少し、いいですか? ドラグボロゥの王城でお会いした時から気になっていたのですが、あなたは、投影体ですか? あなたからは、投影体であるような、そうでないような、奇妙な気配を感じるのですが……?」

 カーラがどう答えれば良いか分からず困った表情を見せると、グライフは次にトオヤに対して問いかける。

「トオヤ殿とおっしゃったか。あなたは今、この方の主ということでよろしいですか?」
「はい」
「エーラムからの依頼として、この方と二人で話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? そ、それは、なぜです?」
「エーラムとしては、もしこの方が危険な投影体であった場合、それなりの『対処』をする必要があります。そしてこの方の場合、そもそも投影体であるかどうかもよく分からない」
「し、しかし、彼女は……、以前、今は亡きウチのお爺様の専任の魔法師から、『安全な投影体』であるというお墨付きはもう貰っているのですが……、それでも、もう一度調べ直す必要があるとお考えなのですか? 」

 より正確に言えば、ハンフリーの見解では、カーラの存在は「投影体のようで、投影体ではないかもしれない何か」という程度の結論しか出されておらず、明確な認定は与えられていない。ただ、「無害な存在」であるという暫定的な判断だけは下されていた。

「そうですね。もしかしたらそれが、この状況を解決することに繋がるのかもしれない」

 そう言われたカーラは、まだ明らかに動揺した様子である。その状況を踏まえた上で、グライフはトオヤに改めてこう言った。

「心配ならば、あなたも同席するという形でも構いませんよ」
「……分かりました。では、その条件でお願いします。実は、カーラは過去の記憶がないので、こういう事態には色々と不慣れでして……」
「なるほど……」

 グライフはどこか納得したような表情を浮かべつつ、ユーフィーの指示を受けた館の使用人に案内される形で、トオヤ、カーラと共に「別室」へと移動する。そして使用人が部屋の外に出て、三人だけがその室内に残された状態で、グライフは改めてカーラに問いかけた。

「今、あなたは誰かと交信していましたね?」

 それに対して、カーラではなくトオヤが問い返す。

「交信? それは魔法師が杖を用いて会話をするようなものですか?」
「それに近いと言えば近いのかもしれません。ただ、それが彼女の力によるものなのか、交信してきた者の力なのかは分かりません。いずれにしても、彼女があの状況で誰かと交信していたのであれば、そして、あの場で言いにくいことが何かあるのであれば、ご相談して頂けないかと思った次第です。我々エーラムの魔法師協会は、秘密は厳守します」

 そう断言したグライフに対して、カーラは恐る恐る語り始める。

「出来ればこのことは、この場限りで、胸の内に秘めて頂けると幸いです……」

 それに対してグライフが黙って頷くと、彼女は意を決して「真実」を語り始めた。

「私は、初代ヴァレフール伯爵であるシャルプと、オルガノンであるヴィルスラグの娘として生まれました」

 先刻、実の祖母(と思しき誰か)をも驚かせたこの発言に対し、トオヤは当然のごとく驚愕の顔を浮かべるが、グライフは存外落ち着いた様子であった。

「なるほど……。実は、ヴァレフールの宝剣ヴィルスラグの正体がオルガノンなのではないか、という疑惑は、以前からエーラムの中にもありました。あくまでも「一つの可能性」という程度の仮説ではありましたが、ヴィルスラグに関する様々な記録を見る限り、そう考えた方が辻褄が合う、と思えるような事例がいくつもありましたので」

 淡々とそう語ったグライフに対し、カーラはそのまま話を続ける。

「先程は、父方の祖母であるマルカート様から言葉をかけられてしました」
「え? マルカートって、あれだよな? 英雄王エルムンドの七人の騎士の一人で……、それってつまり、霊みたいな形で?」

 明らかに困惑した状態のトオヤがそう問いかけるが、グライフはこれに対しても納得した表情を浮かべる。

「なるほど。そういうことならば、合点はいきます」

 実はエーラムの上層部の中では「エルムンドの七騎士」の諸々の伝承とその実態についても、ある程度までは把握していた。マルカートがヴァレフールの初代伯爵の母親であることも、そのマルカートこそがあの巨大魔獣の正体であることも、彼は既に承知していたのである。
 だが、そんなグライフを以ってしても、さすがにカーラの正体までは分からなかった。その事実を聞かされたグライフは、カーラに対して一つの「この状況への打開策」を提示する。

「それならば、『リルクロートの領主家の血を引く方』に、『あなたの本体』を手にしてもらった状態でマルカート殿と交信してもらうのが、一番成功率が高い方法だと思います。あなた方オルガノンは、持ち手と同調した状態になることが出来ますから。ただ、あなたが今の立場を知られたくないのであれば……、なぜそうしなければならないのか、という点に関して、色々と体裁を整える必要があるでしょう」

 グライフはそこまで言ったところで、トオヤに視線を向けて話を続ける。

「もっとも、これはトオヤ殿がどうされたいか、という問題でもあります。あくまでもユーフィー殿に任せるというのであれば、カーラ殿を一旦ユーフィー殿に貸し出して頂く必要がある。もっとも、一度あの魔獣と主従関係を結んでしまえば、その後はカーラ殿がいなくてもユーフィー殿一人で制御出来るとは思うので、すぐに返して頂いても問題ないとは思いますが」

 むしろ問題なのは、ユーフィーがカーラを持つ必要性があることを、カーラの素性を語らずにきちんと説明出来るかどうかである。それについては、グライフの中ではごまかす方法も無くは無かったのだが、その前にまず、「主」であるトオヤの意思確認が必要だと彼は考えていた。

「昨日の時点でお伺いした話では、トオヤ殿としては、ユーフィー殿に任せるという方針でしたが、それでよろしいですか?」

 改めてそう問われたトオヤは、しばしの沈黙の後、思い悩んだ表情のまま答えた。

「幾許も時間はないことは承知しているが……、少し、時間を頂けないだろうか?」

 そう前置きした上で、トオヤはこれまで黙っていた自分の中の感慨を述懐し始める。

「あの投影体には私の父が殺されている。だからこそ、『仇討ち』という訳ではないが、あれを収めることが父への手向けになるのではないかという思いがなくはない。それでも、私よりも直系のユーフィー様や、君主として格上のヴェラ様の方がふさわしいのではないか、と考えてはいた。けれど……」

 ここまで話したところで、自分の中の気持ちが固まっていないことを改めて認識したトオヤは、一旦話を打ち切る。

「すまない、すぐ戻るから、一人にさせてもらえないか?」

 彼はそう言って、一人、部屋を出て行った。

3.7. 二人の継承者

 「相棒」に関する衝撃的な事実を突きつけられたトオヤは、頭の中が整理出来ないまま、館の庭の一角に設置されたベンチに座りながら、遠い目を浮かべつつ一人佇んでいた。そんな彼の前に、会談が中断された状態のまま、なし崩し的に小休止状態に入っていたユーフィーが現れる。

「おや、そこにいるのは、救援部隊にいた君主様の、トオヤくんで良かったっけ?」
「はい。先程は、きちんとご挨拶することも出来ず、失礼しました」
「こちらこそ、助けに来てくれたのに、きちんと挨拶出来ずにごめんね」

 ユーフィーとトオヤは「はとこ」の関係であるが、家格でも年齢でも実績でも、ユーフィーの方がやや格上である。

「どうされたのですか?」
「たまたま君の姿が見えたから、声をかけてみただけだよ。ここに来るのは日課だしね。この先に鳩小屋があるんだ。手品用のね」
「そういえばあなたは、手品がお得意だと、風の噂で聞いたことがあります」

 あくまでもそれは「種や仕掛けのある手品」であり、「魔法」ではない。しかし、だからこそ、それは魔法の素養のない者でも人々を楽しませることが出来る、確固たる大衆文化の一つであった。かつて魔法師を目指していたユーフィーは、それが叶わないと知った時点で、代わりに「手品」を身につけることで、周囲の人々(主に子供達)を喜ばせたいと考えたのである。

「何か悩んでいたのかい?」
「まぁ、その、ちょっと色々あったというか……、自分勝手な理屈に自己嫌悪になっていたところです……」

 トオヤはつい先刻まで、魔獣を制御する役割はユーフィーが担うべきだと思っていた。だが、カーラに「触媒」としての能力があり、彼女をユーフィーに貸し出すがの最良の選択肢だとグライフに聞かされた瞬間、彼の中で突如、「カーラを他人に貸し出したくない」という気持ちが芽生えてしまい、その感情の発芽に、彼自身が戸惑っていたのである。

「ふーん……。詳しく知らないから、下手なこと言うと怒られるかもしれないけど、私も似たようなことは時々あるな」
「そうですか。あなたのような方が自己嫌悪に陥ることなど、そうそうあるようには思えませんが……」
「いやー、半年前に、あの投影体を封印する時にね、私がやるか、妹のサーシャがやるかで、随分揉めたから……。本当はね、あの時、私が封印されようと思ってたんだ。最終的には、私はここで領主の仕事をしなければならないから、ということで、サーシャに任せることにして、今はそれに納得してるけど……。結局あの時、なんで私がそこまで強硬に主張したのかなと考えてみたら、やっぱり、それは『自分がやりたい』という、ただのわがままだったんじゃないかな」

 まさに今のトオヤと酷似した時の話を語られたことで、トオヤは自分の内心が見透かされているかのような感覚に陥りながらも、ひとまずは平静を装いつつ、問いかける。

「でも結局、その『自分勝手』は取り下げたんですよね?」
「君ももう会ったことがあるから知ってると思うけど、ウチの契約魔法師は随分と現実的な考えをしてくれるから」

 厳密に言えば、半年前の論争の時、インディゴは「自分の意見」は口にせず、「領主様御自身で決めること」としか言わなかった。だが、結果的には彼が「中立」を守ったことで、ユーフィーが自ら折れる道を選択することになった。あの時、彼がユーフィーの方針を積極的に支持して、サーシャを説得する側に回っていたら、話は変わっていたかもしれないが、インディゴの中では「健康なユーフィー」を封印して「病弱なサーシャ」を残すという方針を(それが自身の契約相手であるユーフィーの意思であったとしても)積極的に推せるだけの理由が見出せなかったのである。

「あなたの掲げる理想とバランスを取るには、それでちょうどいいんじゃないですか?」
「そうね。で、本題なんだけど……、件(くだん)の投影体を制御する役目は、私がやっていいのかな? もちろん私としては、自分の力でこのことに決着をつけたいよ。自分の力でサーシャを取り戻したい。それはあの時、サーシャに任せてしまった自分への決着でもあるし、ある種の信念というものでもある」

 そう言われたトオヤは、逡巡しながらも、ここまでの「当たり障りのない対応」をかなぐり捨てて、この「やや格上の親戚筋の女君主」に対して、今の自分の中の感情を、ありのままに吐露することを決意した。

「それを言うなら俺も、あの魔獣に対してはケリをつけなければならない。不仲だったとはいえ、自分の父親を殺したんだ。あの魔獣を殺してやりたいとか、そういう訳じゃない。それでも、ケジメみたいなものはつけるべきだと思ってる。ただ、あまりにも事態が大きすぎて、それに対して対処しきれるのかというのが、自分の自信と釣り合わなかったから、ここは引いてもいいと思っていた。でもさっき、詳しくは話せないけど、『大事な相棒』となら、やり遂げられるかもしれないしれない、という事実を突きつけられた時に、身勝手ながら、途端に『やらなくちゃいけないことだ』という、全く都合のいいような気持ちが湧いてきたんだ」

 自分でも、何が言いたいのかが分からない。口調も内容も明らかに礼を逸した発言となってしまっていることは分かっている。それでも、今のトオヤは、この感情をそのまま吐き出さずにはいられなかったのである。

「ふーん……」
「全く、都合がいいですよね。出来ないと分かっていた時は傍観しようとしていたのに……。本当に情けない……」

 全てをぶちまけた後で、改めて少し冷静になり、そして自己嫌悪に陥っているトオヤに対して、ユーフィーもまた、詳しい事情はよく分からないものの、トオヤが自分の代わりに魔獣を封印する役割を担うべきか迷っているということは理解した上で、思ったことを率直に語り始める。

「それは、都合がいいとか悪いとか、そういう話じゃないんじゃない? 私は、それが必要なら、今回の件を君に任せてもいいと思ってる。ただ、君は私以上にサーシャを救える? 君と君の相棒を信じていい? 私には、リルクロートの直系という誇りもあるし、半年前の事件に直面した時から、この問題に対して深い因縁も感じている。君の中で、それを上回るだけの信念や、君の言うところの『相棒さん』に対する信頼はあるのかしら?」

 そう言われたトオヤは、意を決してベンチから立ち上がる。

「ユーフィーさん、それは愚問だよ。俺は一人じゃ何も出来ない。正直、今回の一連の戦いの中では、仲間を守ることすら、ままならなかったくらいだ。実際、俺がいなくても解決出来たかもしれないけれど……」

 明らかに話が脱線しかかっていることに気付いたトオヤは、慌てて本筋に戻す。

「それでも、俺とカーラのコンビなら、何だってやれるさ。どんな強い投影体だって退けられると信じてる。俺は何も出来ないけど、俺を助けてくれる仲間の力と、それを守るための力を合わせれば、大抵のことは何だって出来る。だから、ユーフィーさん、悪いけど、俺にあの魔物を制御するための役割を譲ってもらっていいか?」
「君はサーシャを助けてくれるって、自信を持って言ってくれるんだね?」
「あぁ。俺は守護の聖印の君主だ。誰かを守ることなら、誰よりも長けている。あんたの妹だってきちんと守り切りながら、あの魔物を制御してみせる。きっと、不殺の信念を掲げているあなたよりも守ることは長けている。それだけは断言出来る」

 先刻まで思い悩んでいた様子から一変して、強い信念を込めた瞳でそう訴える「年下のはとこ」に対して、ユーフィーは自分の中の感情を一旦脇に置いて、納得した表情を見せる。

「そっか。じゃあ、君に任せよう。サーシャを、お願いします」

 そう言って、ユーフィーは頭を下げる。結局、彼女は今回もまた「譲る道」を選んだ。大変な任務であるからこそ、自分自身の手で解決したいという気持ちはいつでも彼女の中にはある。だが、それが自分の中でのエゴであるということも自覚しているからこそ、他人のエゴと衝突してしまった時には、相手のエゴよりも自分のエゴを先に降ろすことで、場を収める道を選ぶ。相手の心を重んじるその生き方は、ある意味、彼女の「不殺の信念」にも通じる理念なのかもしれない。

「分かった。任せてくれ」

 トオヤは、そんな彼女の気持ちを汲み取った上で、自分とカーラの力を合わせて、絶対にこの任務を成功させると心に誓うのであった。

3.8. 決意と感慨

 トオヤはユーフィーを連れた状態でグライフとカーラの元へと戻って「決意」を伝えると、改めてインディゴやアレクシス達を交えて、自分が「聖印を受け取る役」を担うという意思を告げる。
 インディゴはその方針に対して、特に異論もなく納得した様子であった。彼はあくまでもユーフィーの意思を最優先すべきと考えていたので、彼女がそれで納得したのであれば、彼の中では問題はない。ある意味、テイタニアの領主が持つべき「強大な力」を分家筋に譲る形にもなるのだが、彼の中ではこの一連の事件に関しては、「あまりにも重すぎる厄介事」を自分の主君に背負わせることの危険性の方が高いと考えていたので、トオヤがその代役となることを止める理由はなかった。
 そしてヴェラもまた納得した表情は浮かべつつ、トオヤに対して念を押す。

「ユーフィー殿は、この街の平穏と妹の命を貴殿に託すと言ったのだ。貴殿の中に、それだけのものを託される覚悟はあるのか?」
「俺は守護の君主です。誰かを守ることなら誰よりも長けている。魔物を倒したり、外敵を倒すことに関しては何も出来ないけど、今回のように誰かを守ることなら、誰よりも俺が出来る。それに、今回は俺一人で戦う訳じゃない。カーラも力を貸してくれる。それを思えば、俺は何だって守れる」
「分かった。ならばやってみるがいい。もし貴殿がどうしても混沌に抗えなかった場合は、私がこの手で介錯しよう」
「万が一にもそうならないように努力するが、その時はよろしくお願いします」

 トオヤはそう言って頭を下げた上で、傍らに立つカーラに申し訳なさそうな顔で語りかける。

「カーラ、勝手に決めてしまって、すまなかった」
「いや、正直、僕もちょっと安心してるんだ。お婆さまにはリルクロートの直系の君主を、と言ったけど、やっぱり、僕自身を預けるにはあるじが一番かな、と思ったし。その方が安心出来る」
「そうか。何があっても、お前だけは俺が守ってやるからな」

 そしてトオヤはチシャに対しても、改めて「決意」を伝える。

「チシャ、もし万が一、ヴェラ様が間に合わなかった時は俺を殺す役目を君に託すことになるが、その時はためらいなく頼む」

 状況次第ではあるが、確かに、騎士の剣よりも魔法師の魔法の方が早く相手にとどめをさせることはある。もっとも、それはどちらが早く「殺さなければならない」と即断出来るか、という問題でもあるのだが。

「そうですね。トオヤが決めたことなら反対はしませんけど、そうならないように、しっかりやって下さいよ」

 チシャがそう言ったところで、横からカーラが口を挟む。

「今回、蚊帳の外にしてしまってごめんね、チシャお嬢。全部終わったら、全部話すから……」
「そうね。正直、まだちょっと、何が何だかちんぷんかんぷんだけど、私は二人を信頼してるから。頑張ってきてね」
「う、うん、頑張るから」

 そんな彼等の様子を、ドルチェは黙って見守っていた。状況次第ではトオヤを殺さなければならないかもしれないという、極めて重大な事態ではあったが、不思議と彼女の中ではそこまで心配はしていなかった。大丈夫だと思える根拠は彼女の中には何もなかった筈なのだが、それでも、トオヤならばきっと成し遂げてくれるであろうと信じていたようである。
 一方、そんなドルチェに対して、部屋の反対側から彼女を遠目に見ていたユーフィーは、奇妙な「違和感」を感じていた。

(あの人……、トオヤくんの側近らしいけど……、以前どこかで私と会ったことがあるのかな……。見覚えはない筈なのに、なぜかどこか懐かしい何かを感じるような……)

 本来ならば、それは「感じ取れる筈のない気配」である。当然、ユーフィーにはその気配の正体が何なのかは分からない。そして、おそらくそれは今回の問題の解決には関係のないことなのだろうと判断したユーフィーは、この時点でドルチェにその素性を問いかけるのは控えることにした。今の彼女にとっては、それ以上に重要な案件が目の前で展開されていたからこそ、余計な話をこの場で広げるべきではないと考えていたのである。

3.9. そして彼女は火口に消える

 翌日、トオヤは仲間達と共に、ユーフィー、インディゴ、アレクシス、グライフ、ヴェラ、そして「ユーフィーに抱えられた状態のサーシャ」を伴って、再び巨大魔獣の横たわる湖のほとりへと向かう(その間の街の警備は、ひとまずアレスに任せることになった)。
 そして巨大魔獣の目の前に辿り着いた時点で、トオヤは「何かあった時に介錯されやすいように」という配慮から、あえて鎧を脱いで軽装状態となった上で、ひとまずアレクシスに自身の聖印を預ける。
 アレクシスはそれを受け取った上で、今度は逆に自身の聖印の大部分を切り取った上で、トオヤへと手渡した。

「この聖印は大聖堂の災害以来、我が臣下が血眼になってかき集めて、私に預けてくれた聖印だ。我等が連合の思いを私に託してくれた聖印でもある。その思いを今、君に託そう」

 トオヤは自分自身の中に「かつて感じたこともないほどの強大な力」が流れ込んでくることを実感しつつ、それを自らの(仮の)聖印として受け止める。

「あなたから預かった聖印の力は、量以上に人々の思いが詰まってる。きっとこの聖印なら、あの魔獣を止められる。このご恩は、決して忘れません」

 トオヤはそう言った上で、「本体」のみの状態になったカーラを手にして、彼女と心を同調させた上で、ユーフィーに抱えられた状態のサーシャの前に立つ。そして彼等の間にグライフが立ち、慎重な手つきでサーシャから「オリハルコンの指輪」を抜き取ると、その直後にそれをトオヤの指に嵌めた。
 次の瞬間、トオヤの心の中に「マルカートの魂」が入り込んでくる。それはあまりにも激しい混沌への憎悪と、それ以上に増幅された「闘争本能」や「破壊衝動」の濁流であったが、アレクシスから受け取った強大な聖印の力によって、その魂の激流が徐々に収まっていく。それでもまだトオヤが受け止め切るには強大すぎるほどの「圧力」が彼の脳内で躍動していたが、そこに「カーラの精神体」が割って入って来た。

「ごめんね、お婆様。さっきはああ言ったけど、リルクロートの直系である今の領主様よりも、僕のあるじ様の方が、ボクはふさわしいと思ったんだ」

 カーラのその「介入」によって、トオヤの中に入り込んできたマルカートの激情は完全に収まり、そして先刻カーラの中に響いていたような落ち着いた口調で、トオヤとカーラに対して(トオヤの脳内で)語り始める。

「直系か傍流かは大した問題ではない。と言うよりも、何が直系で何が傍流なのか、私が死んだ後のことは私にはよく分からない。大切なのは、この力を背負うだけの器であるかどうかだ」

 彼女はそう告げると、トオヤの魂へと同調を始める。トオヤの脳内に刻まれたこれまでの彼の記憶、培ってきた全ての精神的蓄積、そして今の彼を支えている決意の重さをマルカートが自身の内側へと受け入れることで、彼女の中にある(かつて聖印であった)混沌核とトオヤの魂との間で、奇妙な繋がりが形成されていく。そのことは、トオヤ自身も実感していた。
 そして、やがてトオヤの心の中に彼女の声が再び響き渡る。その声からは、安堵と納得と信頼の感情が込められていることが、トオヤにもカーラにも感じられた。

「あなたであれば、私の力を預けてても、きっと私を導いてくれるであろう。まだエルムンド様には遠く及ばぬが、将来性は感じられる。そなたとの心の絆があれば、私はこれでヴァレフスの欠片との戦いに挑むことが出来る。私はこれから再びあの火口に戻る。それでいいな、新たなる我が主よ」
「あぁ、それで構わない。俺は守護の君主だから、誰かを守るのは得意だ。だから、あなたの『人として戦う精神』を守ることも務めだ。それくらい、果たしてみせるさ」

 トオヤは心の中でそう答えると、次の瞬間、マルカートを形成している(かつて聖印であった)混沌核の中に埋もれていたマルカートの「自我」がトオヤを「自身の仕えるべき主」と認定したことで、その「自我」が再び活性化し、自らの混沌核を内側から統御出来るだけの胆力を取り戻す。
 そして魔獣は起き上がり、トオヤに対して静かに頭を下げると、地響きを鳴らしながら、湖を渡って、中央の湖中島へと向かって行く。その様子を周囲の者達が警戒して見守る中、やがて魔獣は湖中島に上陸し、その火山を登り、「本来の居場所」であった火口の奥への深層魔境と帰還して行くのであった。

4.1. 盟主の帰還

 その後、湖近辺の混沌濃度は急激に下がり、そして火口から蠢いていた混沌の気配も収まった。おそらく、「彼女」は再び魔境の奥底で、「ヴァレフスの欠片」と戦う日々に戻ったのであろう。トオヤと彼女は感覚を共有している訳ではないため、今の彼女がどのような状態にあるのかまでは把握出来ていないが、グライフが位置探索魔法で確認したところ、確かに彼女の気配は、火山島の深層から感じられたという。
 ちなみに、グライフの推測が正しければ、トオヤと巨大魔獣の関係は、あくまでも「精神的な繋がり」であって、そこには直接的には聖印は介在していない。侯爵級の聖印が必要だったのは、あくまでも暴走状態のマルカートの魂の濁流に飲み込まれないための「精神の防波堤」が必要であったからであり、暴走状態が収まった現状では、仮にトオヤが聖印を失ったとしても、巨大魔獣との関係は崩れはしないだろう、というのが現時点での暫定的な結論であるという。
 無論、それでもトオヤが命を落とすようなことがあれば、再び魔獣が暴走状態になりうる可能性もあるが、エルムンドが死んでから数百年以上も一人で戦い続けていたことを考えれば、即座に暴走する可能性は低いだろう。とはいえ、トオヤの死後は、なるべく早い段階で次の後継者に指輪を託す必要がある。現時点ではその最有力候補はユーフィーであろうが、トオヤが死亡した時点で既に彼に子供がいれば、その子供に委ねた方がマルカートの心情としては継承させやすいのかもしれない。いずれにせよ、それについてはまた「その時」が訪れた際に、その時点での状況を踏まえた上で考える必要があるだろう。それまでは、トオヤがオリハルコンの指輪を預かり続けることに、ユーフィーもインディゴもヴェラも同意した。
 こうして、ひとまずの安全が確保されたことが確認出来た時点で、トオヤはアレクシスから預かった聖印のうち、もともと自分が持っていた量だけを切り取った上で、残りをアレクシスに返還し、それを受け取ったアレクシスは、トオヤとの間の(聖印を与えた時点で発生していた)従属関係を断ち切る。その一連の受け渡しを経ても湖の周囲の混沌状況に変化が起きていないことを確認した上で、改めてトオヤはアレクシスに敬礼した。

「この度は、異国である我がヴァレフールのために大切な聖印をお貸し下さり、ありがとうございました」
「私に出来ることはこれくらいしかない。だから、役に立ったのであれば何よりだ。せっかくブレトランドに来た以上、もう少しこの地の人々と話をしてみたかったところではあるが、あまり長く滞在すると国許の家臣達も心配するので、私はこれで帰らせてもらうことにするよ」

 アレクシスは笑顔でそう答えると、ヴェラが二人の間に割って入る。

「では、今度は私が責任を持って、我が国の精鋭兵達と共に、ハルーシアまでお送りします」

 だが、それに対してアレクシスは首を振った。

「あなたには、夫がいるのでしょう? せっかく長期の任務を終えたのだ。早く帰って差し上げなさい」

 ヴェラはその言葉に恐縮しながら、素直にその提言を受け入れ、そしてアレクシスは静かにこの地から去って行く。
 そんな彼等のやりとりを、遠くから呪いの形相で眺めている地球人の少女がいたのかいなかったのかは、定かではない。

4.2. 妹の目覚め

 一方、指輪を抜き取った後も昏睡状態が続いていたサーシャは、領主の館に戻って、再びベッドに横たわらせた上で、グライフが魔法解除の術を施したことで、半年ぶりにその目を開く。

「私は……、ここは……?」

 困惑した状態の彼女は、自分の傍にユーフィーがいることに気付き、声をかける。

「姉様、私は失敗したのでしょうか? ここにいるということは……」
「いいえ。あなたはこの半年間、立派にその務めをやり遂げました。詳しくは後でお話しますが、ヴェラ様が大陸から招いて頂いたアレクシス様の聖印によって、マルカート様の暴走は終わりを告げました。故に、あなたとまたこうして話すことが出来たということです」

 穏やかな笑顔でそう答えるユーフィーであったが、サーシャはまだ若干混乱した形相のまま、自分の手と、そして姉の手に視線を向ける。

「では、あの指輪は今は……? 姉様の指には見当たりませんが」
「暴走の解除のために必要だったので、こちらのタイフォンの領主様に預けています。本当は、私自身の手であなたを救いたかったのだけどね……」

 そう言って、ユーフィーは隣にいる「タイフォンの領主様」を紹介する。サーシャとトオヤは「同い年のはとこ」であるが、サーシャは幼少期より病弱で、親族の集まりに顔を出す機会も少なかったため、お互いに朧げな面識しか残っていない。また、半年前の時点ではタイフォンの領主はまだ先代のレオンであったため(彼はサーシャが眠る直前に戦死していたのだが、そこまで彼女が把握している筈もない)、急にそう説明されても、サーシャは混乱するばかりであった。

「すみません、私はまだ起きたばかりで、頭が働いていなくて、今の状況が正しく把握出来ていないのですが……、その……、ありがとうございます」
「いや、君主としての力を果たしただけだから」

 トオヤは穏やかな声でそう答える。そして、彼の後方に控えていた(「人型」の姿に戻っていた)カーラは、ユーフィーとサーシャに対してこう言った。

「マルカートお婆様のためにこれまで尽力して下さり、ありがとうございました」

 ユーフィーの発言から、彼女達が魔獣の正体を知っていることを確認した上での発言であったが、当然、「お婆様」という言葉の意味は、彼女達には分からない。だが、その点について詳しく聞き出そうとはしなかった。自分達の側にも、話せないことはいくらでもある。とりあえず今は、この街に平和が戻った喜びを分かち合えればそれでいい、というのが、この場にいる彼等の共通認識であった。

4.3. 魔法師と武官

「インディゴ殿、これで良かったのでしょうか?」

 巨大魔獣の封印の間、町の警備を任されていたアレスは、インディゴから一通りの話を聞いた上で、あえて彼にそう問いかけた。
 あの巨大魔獣の力は、本来はテイタニアの領主が持つべき権利である。それを分家筋とはいえ他家の、しかも色々な意味で「渦中の家」の者に与えることが、本当に望ましい解決策だったのかどうか、アレスにはよく分からなかった。現在は「火口」に帰っているとはいえ、もし主がその気になれば、あの巨大魔獣の力を以って国内外に覇を唱えることも可能なほどの強大な「力」である。それを任せるに足る人物なのかどうかについて、トオヤとほとんど会話する機会もなかったアレスには、判断が出来なかったのである(もっとも、アレス個人の立場としては、反ワトホート派の系譜に連なるトオヤは、実は潜在的同盟勢力なのではあるが)。

「信じるしかないでしょう。少なくとも私は、トオヤは信用に足る人物だと思っている」

 それが、今回の一連の戦いでのトオヤを目の当たりにしてきたインディゴの見解であった。そう聞かされたアレスは、ひとまずその言葉を受け入れる。

「それならば、私もあなたの目を信じることにしましょう。では、私はこれからユーフィー様の『手品教室』に出席しなければならないので、失礼致します」

 そう言って、彼は立ち去って行く。「手品教室」とは、ユーフィーの周囲の者達が有志で集まって彼女から手品の手法を学ぶ場である。もともと手先が器用なアレスには奇術師としての適正もあったようで、最近は実際に子供達の前で披露出来るほどの腕前となりつつある(そしてその技術は、有事の際の暗殺術にも応用出来ることは言うまでもない)。
 そんな彼を見送りながら、インディゴはボソっと呟いた。

「もはや彼は、テイタニアにとって『他人』ではなくなってしまったのだ。信じるしかないだろう……」

4.4. 出自と因縁

「すまない、今回は俺のわがままのせいで、心配をかけてしまったな」

 サーシャとの面談を終えたトオヤは、領主の館内でチシャに与えられていた客室を訪問し、彼女に対してそう言いながら頭を下げた。

「まぁ、成功したのなら、もう何も言うことはないでしょう。お疲れ様でした」

 チシャが優しくそう答えると、トオヤも少しすっきりした表情を見せる。

「これでまた一つ、ケジメがつけたかな」
「私も、思うところがなかった訳ではありませんしね。弟のこともありますし……」

 チシャの兄弟達のうち「上の弟」にあたるアンディもまた、半年前にレオンと共にテイタニアの戦いで命を落としている。他にも、彼等にとって馴染みの深いケネス派の多くの宿将達が、あの魔獣の吐き出した炎で焼き殺されていた。

「天災じみた投影体に対して、仇を取ったと言える訳でもないが、これで死んでいった者達の魂が少しでも救われてくれるといいんだが」
「ですね」

 その後、彼等はカーラと「レア」を部屋に招き入れた上で、カーラに一通りの事情を説明させることになった。

「今回のあの魔獣は、ボクのお婆様なんだ」

 彼女はそう言って、自分の出自と、自分が知る限りの自分の血族に関する話を全て彼等に語り始める。もともと、隠そうと思っていた訳ではなく、話す機会を逃してしまっていただけではあったのだが、その間に伝えるべき情報が次々と蓄積してしまっていたため、その説明には長い時間が必要であった。

「あ、あぁ、ううん……、そうすると、あの魔獣が七騎士の一人であるマルカート様で、マルカート様は初代伯爵シャルプ様のお母様で……、なんとも壮大な……」

 チシャは呆気にとられながらも、一つ一つの事象を口にしながら頭の中で整理していく。

「壮大か……。まぁ、年月を考えれば、そうだよね。ただ、その壮大な時間の大半の間、ボクは眠っていた訳だけど」

 カーラはこの「壮大な物語」が、自分の中でまだどこか他人事のような位置付けに留まっていることに対して自分でも奇妙な違和感を感じながら、そう呟く。それに対して、「レア」は存外落ち着いた様子で答える。

「まぁ、その話には驚かなくもないが、それを知ったところで、カーラはカーラなんだろう?」
「ボクは変わらず、あるじの剣である。そこは変わることはないから」
「であるなら、気にするようなことはない。それはある意味で、僕も同じだ。自分がどこから来たかとか、自分の出自なんて、気にしていても仕方ない」

 それは明らかに「レア」としてではなく、「パペット」としての発言であったが、ここで彼女がそう言ったのは、半分は自分自身に言い聞かせるためでもある。
 というのも、彼女はこの街に来て以来、ずっと「微妙な違和感」を感じていた。自分はこの街に来たことはない筈なのに、なぜか妙に懐かしい、そんな感覚に囚われていたのである。彼女はそれが「失われた自分の記憶」と何か関係があるのかもしれないと思いつつ、今更それを思い出すことが、今の自分やレアやトオヤにとって「望ましい何か」をもたらすことになるとは思えなかったため、あえて自らそのことを調べようとはしなかったのである。

「何にせよ、お疲れ様でした」
「あぁ〜、うん、チシャお嬢、ありがとう〜。その言葉が一番嬉しい気がする〜」
「正直、まだ混乱してますけど、二人が無事に戻ってきてくれたなら、それで十分ですよ」

 優しくそう微笑むチシャに対して、カーラは心底嬉しそうな表情を浮かべる。帰りの船の中でのヴィルスラグとの邂逅以来、ずっと自分の中でモヤモヤしていたものを、ようやく全て吐き出せてすっきり出来たような心地であった。
 一方、改めて一通りの事情を説明されたトオヤは、自分がその「壮大な物語」の中に組み込まれたことの重要性を実感しつつ、それと同時に、自分の中での個人的な問題について、一つの決着がついたことに気付いていた。
 それは、トオヤがリルクロート家の末裔であることが確定した結果、彼が父レオンの実子であることもほぼ確実となった、ということである。無論、それが今更分かったところで、亡き父との関係をどうこう出来る訳ではない。そして、実はまだトオヤの出生にはもう一つの重大な秘密が隠されているのだが、彼がそのことを知るのは、もう少し先の話である。

4.5. 「男爵」の見解

 その日の夜、トオヤは改めてユーフィーに「一対一」での対談を申し込んだ。この街に来た「もう一つの目的」を達成するために。

「今回はテイタニアの危機を救うためにこの場に派遣された訳だけど、実はそれ以前から、別の目的でここに来ようとは思っていたんだ」
「ほう? 何かな? 言ってみるといい。君はサーシャを救ってくれた恩人だからね。大抵のことなら話を聞くよ」
「まぁ、一旦そのことは忘れてくれ。恩とかそういう理由で聞いてもらいたい話じゃないんだ」
「……その目を見ると、本気みたいだね。どうやら不適切な言い方だったようだ。忘れよう。で、何かな?」

 改めてユーフィーがそう問いかけると、トオヤは言葉を選びながら慎重に話し始める。 

「もう既に君の耳にも入っているかもしれないが、一年後にワトホート様が退位される」
「聞いてるよ。さすがに私も七男爵の一人だからね」
「その後、後継者になるのがレア姫になった場合……」

 そう彼が言いかけたところで、ユーフィーが割って入った。

「後継者は、七男爵会議で決めるんじゃなかったっけ?」
「あぁ。その最有力候補がレア様なんだ」
「まぁ、そうだろうね。で、私に言いたいことって、何かな?」

 ユーフィーにしてみれば、「反ワトホート派」である筈のトオヤが、レアの護衛としてこの地まで来たこと自体が奇妙な状況に思えた訳だが、この時点でこのような話を持ちかけられた以上、そこに何らかの特別な意図があることは推察出来る。

「レア姫様に会ってみて、どう思った?」
「私達の救援に応じてトオヤ君達を派遣してくれたんだから、私はそれなりに好感を持っているけど……」
「それならいいんだが……、レア姫様はレア姫様で、この国の未来を思って戦う覚悟がある人だから、出来れば、その、後継者として推してほしいというか何というか……」

 やや口ごもりながらそう語るトオヤに対して、ユーフィーは改めて違和感を感じつつも、彼のその様子から、その言葉に何らかの「裏の思惑」があるようには思えなかった。立場的には、彼は本来は「ゴーバンによる爵位継承を主張する陣営の騎士」である以上、このような話を持ちかけてくること自体が不自然ではあるのだが、それでも、彼のこの発言からは、カマをかけている様子も、裏の思惑が潜んでいる様子も伺えず、純粋に「レア」を応援しようと本気で思っているように、ユーフィーには感じられたのである。
 とはいえ、トオヤのレアを支えようという気持ちが純粋な感情だったとしても、その感情を誰かが私利私欲のために利用しようと考えている可能性も否定出来ない。そのことを踏まえた上で、ユーフィーは率直に自分の考えを告げる。

「君の気持ちは分かった。でもまぁ、それは私がこの目でしっかりとレア姫様を見極めた上で考えさせてもらうよ。それが、この国を背負った七男爵の役目だから。当たり前のことだけど、少しでもこの国を幸せにしてくれる人に、この国を任せたいじゃん?」
「そうだな。俺はきっとレア姫様ならそれが出来ると信じている」
「じゃあ、後でまたレア姫様に会ってくるけど、君の言葉は心の片隅に留めておこう」

 そう言って、彼女はトオヤとの会談を終え、部屋を後にする。

 ******

 その後、「レア姫」と会談したユーフィーは、「この国の現状を憂慮し、民のために自らが後継者になろうとするレア(を演じているパペット)」に対して、素直に好印象を抱くのであるが、それと同時に、なぜか不思議な「懐かしさ」をどこかで感じ取っていた。それは彼女が先刻「ドルチェ」に対して感じた「懐かしさ」と同種の感覚であり、そしてまた、パペットの側も同じような感覚をユーフィーに対して抱いていたのだが、結局、二人とも最後までその感覚の正体には一切気付くことはなかったのである。

4.6. 甘い誘惑

 翌朝、トオヤの部屋を「レア姫」が訪れた。

「トオヤ!」
「姫、どうしました?」
「トオヤと一緒に、テイタニアの街に行きたいな。だって『私』、ずっと蚊帳の外だったじゃない」

 正確に言えば「ドルチェ」としては常にトオヤの近くにいたのだが、「レア」は最初の挨拶の時以来、ほぼ彼の前からは姿を消していたのである。「レア」への支持者を広げるという本来の目的に鑑みれば、ここでトオヤと共に民衆達の前に出て顔と名前を広めておくことは必要な戦略であると言える。
 もっとも、「レア」自身としてはそれ以前に、純粋に「トオヤと一緒に街を歩きたい」という感情の方が強かったのであるが。

「あぁ、そうだな。さて、何があったかな……? 数日前に買ったお菓子はそこそこ美味しかったけど、あれだけ色々な店が並んでいるこの街なら、きっと、もっと美味しいお菓子がどこかにある筈なんだ」
「じゃあ、探しに行こうか。ところで、昨日、領主のユーフィー様と話をして、なかなか印象の良い人だったんだけど、トオヤ、私のことについて何か言った?」
「あぁ、うん、まぁ、なんというか……」

 トオヤがどう答えて良いものか迷っていると、レアは懐から一枚の地図を取り出す。

「そうそう、これ、ユーフィーさんからトオヤに、って。この街の美味しいスイーツをまとめて地図にしてくれたらしいよ」

 そう言って地図を見せられたトオヤは、目を輝かせる。どうやら、彼が極度の甘党であるという情報が、いつの間にか彼女の耳にも届いていたらしい(それが「レア姫」自身による情報漏洩なのか否かは定かではない)。

「マジで!? じゃあ、しばらくここに滞在すれば、全部回れるんじゃないかな。チシャやカーラも誘って行こうよ! 君もいずれヴァレフールの領主になるんだから、民の生活を知るためにも、きっといい機会になるからさ」

 昨日までの深刻な状況から打って変わって、一人の「甘いものが好きな少年」の顔に戻ってはしゃいだ様子を見せるトオヤであったが、そんな彼に対して、「レア」は少し頬を膨らませて不機嫌そうな声で答える。

「分かったよ。じゃあ、チシャとカーラも呼んでくるね」

 本当は二人きりで回りたかったという想いを胸に秘めつつ、そう言って二人を呼び出しに行く。その話を聞かされた二人は、顔を見合わせて呟いた。

「やっちゃったな、あるじ……」
「まぁ、トオヤらしいと言えばトオヤらしいのかな……」

 こうして、「いつもの四人」で、彼等はテイタニアの下町へと繰り出して行くことになる。なお、この前日の夜にパペットが 奇妙な夢 を見ていたことについては、これ以降も永遠に誰にも明かされることはなかった。

4.7. 眺める二人

 そんな彼等の様子を、街の巡回をしていたインディゴが遠目に発見する。無論、彼としては、客人達の私的な空間を邪魔するつもりは毛頭ない。だが、彼はそれと同時に、そんな彼等を眺めている「もう一人の魔法師」の姿を発見してしまった。

「おや、私の気配を即座に感じ取るとは、これでもう完全にへっぽこ卒業かな」

 どう見ても「幼い少女」としか思えない外見のその魔法使いを目の当たりにして、インディゴは複雑な表情を浮かべながら黙り込むが、気にせず彼女は話し続ける。

「とりあえず、私が出なくても解決出来たようで良かった。私が出ると、また面倒なことになりそうな気がしたからな」

 どうやら彼女は、今回の騒動を聞きつけて、この街に潜伏していたようである。もっとも、それがいつの時点からなのかは分からないが。

「結局、テイタニアの中だけで解決することは出来ませんでしたが、結果的にはこれで良かったと思っていますよ」

 インディゴがそう答えると、その魔法少女は涼しげな笑みを浮かべる。

「そうだな。で、どう思う、あの男? この四百年間、一度として新たな主を迎えなかったマルカートが、ようやく選んだ新たな主である訳だが……、奴は、エルムンド様を超えられる器だと思うか?」

 唐突にそう問われたインディゴは、反応に困りながらも、ひとまずは無難に答える。

「今の彼からは想像出来ないが……、そうなる可能性もあるのかもしれない」
「うむ、なるほどな。そして、あやつの本命は結局、誰だと思う?」

 三人の少女を侍らせて楽しそうにケーキ屋巡りをしているトオヤを見ながら、その魔法少女は興味深そうな口調でそう問いかけるが、当然、インディゴにしてみれば、知ったことではない。 

「いや、私に聞かれても……」

 そんな彼に対して「大先輩」は呆れた表情を見せる。

「お主も、もう少し、そういうところをだなぁ……」
「そうは言っても、私は魔法師として務めるべきことが他にあるので……」
「政務官として人心を掌握するためには、これもまた必要なことだぞ。女の嫉妬一つで世の中が大きく転ぶこともあるのだからな」

 まさにその「張本人」の言葉としては極めて重い発言なのだが、そこまでの事情は知らないインディゴの頭の中には、むしろハーミアの姿が思い浮かぶ。どちらにしても、あまり聞き心地の良い話しではなかった。

「人にはそれぞれ向き不向きがあるのですから、そこまでは求めないで下さいよ……」

 溜息をつきながらそう答えるインディゴを横目に、魔法少女は五年ぶりに揃った四人の若者達の姿を静かに眺める。トオヤが「四百年前の英雄王」の後継者へと成長することを密かに期待すると同時に、彼等が「四百年前の自分達」とは異なる道を歩むことを、切に願いながら。

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最終更新:2017年09月17日 10:32