第2話(BS34)「血統と資質」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 村への帰還

 トオヤ、チシャ、カーラの三人は、「レア姫(に化けたパペット)」を連れて無事に彼等の所領であるタイフォンの村へと帰還した。そんな彼等を、村の執政官であるウォルター(下図)は安堵の表情で出迎える。


 彼はトオヤの父レオンの代から長年にわたってこの村を支えた役人である。清廉潔白な人物で、村の財政の健全化のために、役人達の給料を削り、自らも質素な生活を送ってきた(実はトオヤと同等以上の甘党でもあるのだが、日頃はその点でも節制している)。生前のレオンに対して、長男であるトオヤを後継者とするよう、積極的に進言していた人物でもあった。
 ほぼ徹夜で船旅を終えて帰ってきたトオヤ達は、ひとまずこの日は村で一服した後に「レア姫」を連れてアキレスへと向かう、という旨をウォルターに告げると、彼は心配そうな面持ちでトオヤに進言する。

「若様、あ、いや、失礼。領主様。先日は騎士団長様と言い争いをしていたようですが、今後はお言葉にはお気を付け下さい。今は我々が結束しなければ、我が陣営はいつ崩壊してもおかしくない状況ですので」

 以前、トオヤがトイバルを諫めようとした進言が原因で謹慎処分となった状況の二の舞だけは避けなければならない、というのが、ウォルターにとっての最大の懸念のようである。

「それは分かっている。とはいえ、お爺様のやり方は……、いや、それは今は言うまい。とりあえず、一晩休んで、アキレスに向かう。またこのタイフォンを空けることになるが、留守はよろしく頼む」
「それは問題ありません。レア様に対しても、くれぐれも無礼の無いようにお願いします。あと、ゴーバン様に対しても、そろそろお言葉遣いを考えられた方がよろしいかと」

 トオヤはあくまでゴーバンに対しては「兄貴分」として接しており、側から見る限りでは、それは「主家の若様」に対する態度ではない。ゴーバンの側もそんな彼に憎まれ口を叩きながらも慕っている様子ではあるので、今のところ特に問題は起きていないが、ゴーバンが爵位を継承した後もそのような態度を取り続けると、色々な意味で「示し」がつかないと言われかねない関係ではある。

「とはいえ、まだまだ子供だからなぁ」

 若干遠い目をしながらアキレスの方面を見つめるトオヤの横で、カーラは先日のゴーバンの訪問時の一件を思い出して、げっそりした表情を浮かべる。

「稽古で実剣を使ってほしいと言うのは、もうやめてほしいです……」
「そんなことがあったんですか?」

 そう反応したのはチシャである。彼女は自分がドギに異界文書を読み聞かせている間にカーラがゴーバンと会っていたことは聞いていたが、詳細までは知らされていなかった。同様に、トオヤも驚いた表情を浮かべる。

「あいつ、こないだ怪我してると思ったら、そんなことが……」
「いや、ちゃんと木剣でやりましたよ。ただ、私が力加減を失敗しまして……」
「お前は悪くない。あいつの性格は分かってるからな」

 トオヤはそう断言する。実際のところ、(反体制派にとっての)第一爵位継承者に怪我を負わせることは重大事ではあるが、今回の件はあくまで稽古中の事故であり、たとえトイバルがまだ存命だったとしても、カーラの罪を問うことはしないだろう。ゴーバン自身も、ここでカーラを罰することは「自分が彼女より弱い」と認めることになる以上、彼女の非を責めるようなことはありえなかった。

「それはそれで、いい経験になったんじゃないですか」

 チシャも微笑ましい笑顔でそう語る。彼女から見ても、ゴーバンはまだまだ「成長過程の従弟」であり、これを機に向上心を持って鍛錬に励んでくれればいい、と考えていたようである。

1.2. 虚像の女傭兵

 一方、そんな三人に護衛される形で「レア姫」としてこの村に連れて来られたパペットであるが、ここで一つの問題が発生した。
 昨夜の襲撃事件において、彼女(?)は「幻影の邪紋使い」としての力を用いてトオヤ達と共に戦い、撃退に成功した。だが、彼女がその力を用いた場合、見る人が見れば、それは「聖印の力」を用いた戦い方ではないことが露呈してしまう。つまり、姿がレアのまま邪紋を使って彼等を支援することは、人前ではなるべく避けるべきなのだが、先日の戦いでも彼女の加勢が無ければ勝てた保証はない以上、今後また同じような襲撃に遭った時に備えて、出来れば彼女がその本領を発揮出来る環境を整えておきたい。
 そのための建前として、彼等はここで一人の「架空の人物」をでっち上げることにした。すなわち、彼等は「レア姫」としてのパペットを一旦客室に案内した上で、その場で彼女に「(特に誰がモデルという訳でもない)一介の女傭兵(下図)」の姿に変身してもらい、その姿で家臣や兵士達の前に彼女を連れ出して「トオヤがローズモンドで『凄腕の女傭兵』を見つけて雇った」という建前で紹介する、という作戦を考案したのである。


 つまり、今後はパペットは状況に応じて「レア」と「女傭兵」という一人二役を演じ分けるという難題が課せられることになったのだが、サンドルミア留学時も同じような形で「レア」と「侍女」の姿を併用していた彼女にとっては、それは不可能な話ではなかった。
 従来の「パペット」としての姿ではなく、あえて「全く新しい姿」を用意したのは、「パペット」の存在を知るワトホート派の極一部の者達と万が一敵対することになった時への対策である。その上で、あえて「女傭兵」の姿にしたのは「日頃は陰ながらレアの身辺警護をしている」という体裁にするためであった(レアの私的空間に入り込む際には、その方が差し障りがない)。

「さて、名前はどうしようか?」

 「女傭兵」の姿となったパペットは、トオヤ達にそう問いかけた。今後、ワトホートやグレンとも対面する可能性がある以上、「パペット」と名乗る訳にもいかない。大陸出身という建前ならばブレトランド風ではない名前の方が良いだろうと三人が思案を巡らせている中、ふとトオヤが呟いた。

「『ドルチェ』とか、どうかな?」

 それは大陸の言葉で「菓子」という意味である。甘党の彼ならではの安易なネーミングであり、女戦士の名前としてはいささか不釣り合いにも思えるが、当の本人は気に入ったようである。

「まぁ、いいんじゃないかな、コードネームっぽいし。センスがあるかどうかはともかく、君がつけてくれた名前なら、僕はそれでいいさ」

 こうして、女傭兵「ドルチェ」が誕生した。その上でトオヤは「ドルチェ」を自分の傘下の兵士達の前に連れ出して紹介した上で、今後は状況に応じて、自軍の一分隊を彼女に率いさせることもある、という旨を通告する。突如現れた「得体の知れない邪紋使い」に対して、当初は兵士達は困惑したが、人々を魅了することに長けた彼女の人心掌握術の前に、あっさりと彼等は彼女を「新分隊長」として受け入れるに至ったようである。

1.3. 凱旋入城

 翌朝、彼等は「レア姫」を連れて、トオヤとチシャの祖父である騎士団長ケネスの待つアキレスへと出発する。一応、パンドラからの再襲撃に備えて、タイフォンの兵士達による厳重な護衛を従えた上での行軍となった。「レア姫」は馬車に乗せ、その馬車の内側でトオヤと「ドルチェ」が彼女を護衛する、という体裁の上で(つまり、実際には馬車内には「二人」しかいない)、その馬車の両脇を騎乗したカーラとチシャが固めつつ、上空からの襲撃にも備えて、馬車の上にはチシャの呼び出したジャック・オー・ランタンを随行させるという万全の備えであった。
 さすがにタイフォンとアキレスの間の街道は比較的治安の良い地域ということもあり、特に怪しげな集団に遭遇することもなく、彼等は夕方頃には無事にアキレスの城下町に到着する。それに対して街の民衆達の間では「タイフォンの領主様が、姫様を賊から守ったらしいぞ」という話が広まり、彼等を歓迎している様子が馬車内からも伺えた。

「大したものじゃないか。ちょっとした英雄だね」

 馬車の中で「姫様」にそう言われたトオヤは淡々と答える。

「まぁ、タイフォンはそれほど大きな村でもないからな。小さなことでも、それなりに騒ぎになるのさ。それがこのアキレスの地にまで届いたのだろう」

 実際のところ、今回の「姫様の救出計画」は(どこまで計画通りだったのかは不明だが)もともとケネスが企図していたシナリオである以上、おそらくはこの民衆達の高揚もケネスの部下達による工作の結果なのだろうが、あえてそのことはトオヤは口にはしない。
 やがて彼等はアキレスの城の入口に到着するが、城の衛兵達は彼等に対して「城主様は急な案件で城を離れている」という旨を伝える。その話を聞かされたカーラがトオヤに問いかけた。

「こないだ、海軍の船と連絡が取れなかったことと関係あるのかな?」
「十中八九、そのことだろうな」

 トオヤが淡々と答えると、傍の「レア姫」とチシャも頷き、それぞれに口を開く。

「君達としても、それは想定外の事件だったのだろう? ならば、今の時点で推測しても仕方ないだろうね。どうしても気になるなら、『お爺様』が戻ってから確認するしかない」
「まぁ、そんなに急ぐことでもないですしね」

 ひとまず彼等は城代の従属騎士の指示の下で、城内の客室へと案内された。その上で、「レア姫」に対しても、トオヤの護衛(という名の監視)を条件とした上での自由な行動の許可も与えられる旨が告げられると、トオヤは「レア」に問いかけた。

「どこか、行きたいところはあるか?」
「私は何年もこの街に来ていないんだぞ。この街のことは全然知らない。むしろ、君のお勧めの場所を案内してくれ」
「そうか。それなら、エスコートは任せておいてくれ」
「期待しているよ」

 そんな二人のやりとりの横で、カーラがボソっと呟く。

「あるじ、エスコートなんて出来たんだね……」
「で、出来るよ、うん……」

 思わず動揺して「素」の口調になってしまったトオヤに対して、「レア」は微笑を浮かべながら右手を差し出す。

「期待しているよ。『姫様』の手を引きたまえ。光栄なことだよ」
「あ、あぁ」

 トオヤは臣下の礼を取りつつ、彼女の手を引いて、城下町へと向かう。

「あるじ、男を見せる時だよ!」
「そ、そうか」

 カーラに背中を押されながら去り行くトオヤを、チシャは微笑ましく眺める。

「エスコートするというなら、お邪魔をするのも悪いですしね。私は海軍の方々に話を聞きに行ってきます。時間があれば、若様達にもご挨拶してこようかと」

 チシャがそう言うと、カーラも彼女に同行した方がいいだろうと考えるが、ここで「嫌な予感」が彼女の脳裏をよぎる。

「ゴーバン様にご挨拶……、しなきゃいけないのかなぁ……。また無茶なこと言われなければいいけど……」

1.4. 姫との思い出

 トオヤと「レア」は城下町の様子を確認しつつ、地元で愛されている小さなケーキ屋へと向かった。実質的に戦時下ということもあり、町の中にはピリピリした雰囲気が漂い、人々の表情にもどこか不安感が広がっているのを「レア」は実感する。また、本来ならば賑わっている筈の商店街に入ると、空き家になったと思われる建物が目立つ。おそらくは、この国の将来を見限って大陸へと亡命したのだろう。
 また、街の警備をしている兵士達の中に、明らかに「ガラが悪い面々」が多いことにも彼女は気付いた。正規兵の多くがテイタニアの騒動で戦死した状態で、対ワトホート派のための人員を境界線上に割かねばならないこともあり、比較的安全なこの街の治安維持のために主力を割く余力がないため、「質の悪い傭兵」に任せざるを得ない状態となってしまっているようである。

(今の反体制派の中心都市なら、こんなものだろうな)

 「レア」がそんな感慨を抱く中、トオヤは彼女を連れて無事にケーキ屋へと到着する。

「若様、いらっしゃいませ! あ、もしかして……、そちらにいらっしゃるのは、レア姫様でしょうか?」

 そう言われた「レア姫様」は素直に頷く。

「いかにも。何年もこの国を離れていたにもかかわらず、民に顔を覚えていてもらえるのは嬉しいことだな」
「えぇ、それはもう。まぁ、今はちょっと色々とややこしい御時世ですので、大変だとは思いますが、ぜひウチのケーキを楽しんでいって下さい。腕によりをかけて作りますので」

 そう言って店主は、二人を店内の特等席へと案内する。そんな二人に対して、周囲の客は好奇の視線を向けていた。

「あれが噂のレア姫様か」
「騎士団長殿の若様がお助けになったとのことだが、ああして普通に二人で並んでいると、普通に恋人同士にも見えるな」
「騎士団長様はゴーバン様と結婚させたいと考えているという噂もあるが、年齢を考えると、やっぱりあっちの若様の方が合ってるよな」

 そんな人々の声を「レア姫様」は面白がって聞いていたが、トオヤは緊張した様子で全く気付かない。やがて、店主が届けたケーキに手をつけようとするが、やや身体が震えているようにも見える。

「トオヤ、さっきからどうしたんだい?」
「あぁ、その、あまりの感動に、手が震えているんだ。最近ずっと節制してたからな」
「君はここにそう頻繁に来ていた訳ではないんだね」
「そうなんだ。最近、給金が削られてね……」
「世知辛いことだな」

 どうやらタイフォンでは領主も給金制らしい(カーラはそれを「お小遣い」と呼んでいる)。とはいえ、それは単に財政事情だけが原因という訳ではなく、トオヤの体内の「血糖」と「脂質」を心配するウォルターの親心でもある(ウォルター自身も同様の弊害が体型に現れているからこその配慮であろう)。

「それにしても、懐かしいな。君がアキレスに来た時は、よくこの店に来たものだけど」
「『私』はこの店に何度か来た筈だが、『僕』は初めてだよ」

 一応、周囲に聞かれないように、彼女は声を潜めながらそう告げる。それに対して、トオヤも少し声のトーンを落としながら答えた。

「そうだったか。この店はレアのお気に入りだったから、連れてきたんだがな」
「だろうね。あの子も甘い物が大好きだから。向こうでも、『姫様のティータイム』に付き合うのが僕の仕事だった。彼女もこっちにいた時は、お茶にも砂糖を入れなかったし、ブラックコーヒーしか飲まなかっただろう? あれ、『姫様だから』って、無理してたんだぞ。向こうでは、砂糖をドバドバ入れながら飲んでたさ」
「そうなのか?」
「僕はそんな彼女がブレトランドにいた頃の『姫様としてのこだわり』に付き合わされた結果、ブラックコーヒーにすっかり慣れてしまったがね。もう今更、砂糖なんて入れようと思わないくらいに」

 ちなみに、そんなパペットに対して、サンドルミアで「砂糖ドバドバ入りコーヒー」を満喫していたレアが、何食わぬ顔で「パペット、随分渋い趣味をしているのね」と言ったこともある。その時は、流石にパペットも少し腹を立てたらしい。

「そうか。昔、彼女がブラックコーヒーを飲んでるのを見た時は、確かに随分大人びているなと思っていたが、意外とそうでもないんだな」

 そう言いながら手元のコーヒーに大量の角砂糖と牛乳を投入していくトオヤに対して、パペットは思わず苦笑を浮かべる。

「すました顔の裏で、彼女も結構無理をしていたんだよ。あるいは、その時は『僕』だったのかもしれないね」

 そんな思い出話に浸りながら、ふとトオヤが周囲を見渡しながら呟いた。

「しかし、こうして『何でもないひと時』を過ごしていると、国が二つに割れているなんて、信じられないな」
「でも、事実だよ。ここに来る前に、君も見ただろう?」
「あぁ。アキレスもだいぶ寂れてしまった。これも国が二つに割れてからだ。おかげで、最近はお気に入りの『甘い物の店』が次々と……」
「まぁ、落ち着いてくれ。どうにかしたいという気持ちはあるのだろう? だったら、それで十分さ。今は甘い物でも食べて落ち着きたまえ。今の君は、久しぶりに会った僕が見ても、焦っているように見えるよ」
「そうかな」
「少なくとも、そこにクリームをつけながら言うことではないね」

 彼女はそう言うと、トオヤの口元についていたクリームを人差し指で拭き取り、その指を自分の口元に運んだ上で、小悪魔的な笑みを浮かべながらペロッと舐めた。トオヤは思わず咳き込み、慌ててコーヒーを飲もうとするが、逆に吹き出してしまう。そして「砂糖が足りない」と言いながら、更に角砂糖を加えて飲み直す。
 そんな様子を「レア」は悪戯めいた笑みを浮かべながら眺めつつ、静かに席を立つ。

「じゃ、そろそろ戻ろうか」

 そう言われたトオヤは、店主にコーヒーを溢したことを謝りつつ、代金を払って店を後にする。そんな二人の様子を周囲の人々は(会話の内容は殆ど聞こえていなかったものの)生暖かい目で眺めていたのであった。

1.5. 謎の投影島

 一方、アキレスの海上警備を担当する役人達の元へ話を聞きに行ったチシャとカーラは、彼等が一人の「雇われ騎士」との間で問答を繰り返している場面に遭遇した。
 その雇われ騎士の名はガフ・アイアンサイド(下図)。ケネス直属の傭兵団長であり、人脈が広く、様々な物品を調達する能力に長けていることで有名で、武具の目利きにも定評がある。そんな彼は役人達から何かを要請されている様子だが、それに対して渋い顔での返答を繰り返していた。


「今すぐ軍船を増やせとか言われてもねぇ、資金的にもかなり厳しい状態になってきてるし、これ以上の戦費を賄う余裕は、あんたらには無いと思うがねぇ」

 そんな彼の姿を見たカーラは、顔を引きつらせた。というのも、以前、かつてカーラが「人」の姿でトオヤと共にアキレスを訪問した際、彼はカーラを一目見るなり、彼女の「本体」を購入したいと熱烈に懇願したのである。カーラは自分自身が「武器」であるという自覚はあるが、「物」として売買の対象と見做されることには強い抵抗があった。この辺り、彼女は通常のオルガノンよりも「人」としての意識が強いのかもしれないが、彼女がそのような気質であることの理由を、まだ彼女は知らない。

「おぉ、久しぶりだな、オルガノンさん」

 カーラの姿に気付いたガフは、そう言って笑顔で声をかけるが、カーラはまだひきつった表情のままである。

「えーっと……、あなたのことは『商人さん』としかボクは認識してないんだけど、合ってたかい?」
「まぁ、ここでは『傭兵』として雇われているんだが、『商人』でも間違ってはいないな。どっちが本業なのかは、俺自身もよく分からん」

 彼は「聖印」を持つ歴とした君主ではあるのだが、魔法師と契約も結ばず、また誰とも主従関係にある訳ではなく、ケネスとの関係もあくまで「傭兵隊長」兼「武器商人」としての雇用関係にすぎない。とはいえ、ケネスからの信頼は厚く、その雇用期間も長期にわたっているため、最近になって雇われ始めた(先刻トオヤ達が目の当たりにしたような)「質の悪い傭兵達」とは異なり、ほぼ正規兵に近い扱いでもある。
 それ故に、彼はトオヤやチシャとも何度も面識はあり、彼等がこの国においてどのような立場の人物なのかも理解していた。

「タイフォンの魔法師様もいるってことは……、あぁ、そういえば、そちらの領主様が姫様をお助けになった、という話があったな」

 そう言われた二人は、少し微妙な表情を浮かべながら答える。

「まぁ、『助けた』ね、うん……」
「今は二人で羽を伸ばしに行ってもらってます」

 チシャの言うところの「羽を伸ばしに行っている二人」を思い浮かべつつ、ガフは何かを悟ったような顔を浮かべる。

「そうかそうか。まぁ、その二人がくっついてくれるなら……、あ、でも、ここの騎士団長さんとしては、ゴーバンの坊ちゃんに爵位を継がせたいんだったな。そうなると、それはそれで色々ややこしい問題になるのか」

 今後のヴァレフールの未来を慮りながらガフがそう呟いている隣で、先刻まで彼と交渉していた役人の一人が、チシャに対して問いかけた。

「魔法師様、一つお聞きしたいのですが……」
「はい、なんでしょう?」
「召喚魔法を用いて『島のような大きさの巨大な投影体』をこの世界に呼び出す、ということは可能なのでしょうか?」
「島、ですか……? うーん、大きさにもよりますが、かなり高位の召喚魔法師であれば可能だとは思います。ただ、それは本当に限られた人にしか出来ないでしょうね」

 実際、召喚魔法師の中でも、チシャが得意とする青(本流)の系譜の魔法ではなく、浅葱(亜流)の系譜であれば、生命体だけでなく、「地形」や「建造物」を召喚することも可能ではある。だが、人が住める程の大きさの「島」の召喚となると、そう容易いことではない。
 その役人曰く、昨日の時点で、アキレス南東部の「混沌濃度の高い海域」に、それまで存在しなかった筈の「巨大な島」が発見されたらしい。

「それは……、自然発生であることを願いたいですね……」

 投影体は、召喚魔法という形で人為的に呼び出さなくても、混沌の自発的(?)作用によって自然発生することも多い。そのような経緯で「異世界の空間」そのものがこの世界に出現することもあり、一般的にはその空間のことを「魔境」と呼ぶ。
 大抵の場合、「魔境」はこの世界の理に合わない存在であるため、周囲の人々に害をもたらす可能性が高い以上、その発生そのものが望ましい話ではないのだが、それでも「自然発生の魔境」の方が、「人為的に作られた魔境」よりは幾分マシである。なぜなら、後者であった場合、それを作り出せる魔法師(おそらくはエーラムには所属していない「闇魔法師」)が存在するということになる。それはすなわち、同じような魔境を何度も別の場所で発生させられる可能性があるという、極めて危険な事態を意味していた。

「地殻変動とか火山とかの可能性もゼロではない筈だよ!」

 カーラはそう言って場の空気を和らげようとするが、もし島一つが発生するほどの地殻変動が起きていたのであれば、その影響でアキレスやタイフォン全体を覆うほどの大津波が発生している筈である(実際、半年前にクリサリス湖の湖底火山が噴火して「湖内島」が発生した時には、テイタニアの近辺で大水害が発生している)。だが、ここ数年の間にそこまで大きく海が荒れたという記録は残っていない。
 そしてアキレスの海軍関係者の証言によると、まだ確証には至っていないものの、今のところ「パンドラの闇魔法師達によってこの世界に召喚された投影島」なのではないか、という見解が有力であるらしい。現在、アキレス海軍はその対応に追われており、騎士団長であるケネス自らが海軍の主力部隊を率いて調査に向かっているという。

「島ひとつ召喚して、何をしようというのでしょうね……」

 チシャはそう呟くが、実際のところ、皆目見当もつかない。ちなみに、その島が発見された海域はもともと混沌濃度が高く、それ故に通常の航海ルートからは外されており、アキレス海軍も通常時には近寄ることはなかった。だが、先日の誘拐未遂事件の時に「姫様を乗せた旅客船の近くの海域に偶然居合わせる筈だった巡回戦」が消息を絶った時点で、状況を確認するために派遣された軍船によって、偶然発見されたらしい。そして、その島の周囲にはその巡回船の残骸が浮かんでいたという。
 もし、この島がパンドラの手によって作られた「地形投影体」であった場合、状況的に考えて先日の誘拐未遂事件において彼女達を襲った「蝿男」も、この島から出撃していた可能性が高い(実際、海域図を見る限り、蝿男が飛び去った方角とも一致している)。つまり、パンドラの本拠地(あるいは前線基地)がアキレスやタイフォンの近海に出現したとなると、さすがにこれは放置してはおけない大問題である。ケネスが自ら調査に赴くのも当然の話であろう。
 とはいえ、現状ではその調査隊が戻るまでは憶測以上の見解は望めない。そんな中、カーラがふと思い出したかのようにガフに問いかけた。

「あなたは確か、『傭兵の頭』を張ってるのも仕事だったよね?」
「そうだ。どっちかというと、そっちが本業なんだがな。傭兵兼調達屋、ってとこだ。だからこそ、世界中の傭兵稼業の連中にも顔が効くし、武具の闇市場にも通じている。前にも言った通り、あんただったら、大陸中どこに出しても相当な値がつくだろう」
「せめて、『物』としてではなく、『雇う』とか、そういう言い方をしてくれたら、ここまでボクもあなたに不快感を抱かずに済んだんだけどね。まぁ、それはちょっと置いといて、今回、あなたが手配を依頼されてるのは、どういう類いの兵なのかは教えてもらえるかい? たとえば、船の上の戦闘に長けている兵が良いとか……」

 カーラはその質問を通じて、現在のアキレスがどのような戦略的状況に置かれているのかを確認しようとしたらしい。それに対してガフは、特に隠しておく必要もないと考えていたので、率直に答える。

「まぁ、そうだな。正確に言うと、兵士ではなくて、軍船だ。『魔法で壊れない特殊な軍船』が必要なんだとよ」

 もし、あの「投影島」がパンドラの手による召喚物であった場合、そこにはパンドラの闇魔法師達が集っている可能性が高い。そして、高位の元素魔法師の中には、巨大な「渦潮」を作り出すことによって海上の船を一瞬にして破壊する魔法を得意とする者もいる。それに対抗するには、エーラムによって造られた特殊なアーティファクト船か、もしくは異界から投影された特殊な船が必要、ということらしいが、いずれも入手するには相当な金がかかる。今のアキレスにはそこまでの金がないので、それを分割払い、あるいは「今のヴァレフールの内乱を集結させた後に払う」という条件でどうにかしてほしい、というのが役人達からの要求であったらしい。
 当然、後者の場合は「この内乱で反体制派が勝利すること」を前提とした条件であり、少なくとも相手から賠償金を要求出来る程度の条件にまで持ち込まなければ、支払いは不可能である。無論、それはこの「船」の話だけでなく、現在雇われている多くの傭兵達に関しても同様であり、最終的に十分な報酬が支払われる見込みがなければ、兵士達が略奪を始めてその地が荒れる可能性もある。これが、一度始めた戦争が容易に追われない理由でもある。戦争において「引き分け」とは、実質的に「両軍共に負け」なのである。
 このような状況において、ここまでヴァレフールを支援してきた大陸の幻想詩連合諸国は、このヴァレフールの内乱に対して、どう対応すべきかで迷っている。もともと連合と繋がりが強かったのはケネスであり、それ故にここまではどちらかというと反体制派寄りの国々が大半だったのだが、先日のパンドラ革命派との闘争での実質的な敗北もあって、もはや反体制派を見限って体制派を支援すべきではないかという声も広がりつつあるらしい。彼等の支援によって勢力を維持してきた反体制派としては、まさに今は崖っぷちの状況に立たされているのである。
 ガフとしては、これまでのケネスへの義理もあるし、少なくともこれまでのケネスは金払いが良かったので、出来ればケネスに勝利してもらいたいと考えてはいるようだが、少なくとも今の、まともな「抵当」すらも用意出来ないような状況では、これ以上の協力は難しい、という状況であった。

1.6. 王子達との再会

 チシャとカーラの二人がそんな深刻な事態に頭を悩ませているところへ、小さな乱入者が現れた。ゴーバンである。

「あ、いたいた!」
「おや、ゴーバンさん」

 チシャは穏やかな笑顔で応じるが、彼の視線はその隣のカーラへと向けられていた。当然のことながら、彼女は浮かない表情で挨拶する。

「ご、ごきげんよう……」
「よーし、今日こそはこないだのリベンジだ!」

 ゴーバンはそう言い放つと同時に、自身の聖印を掲げて、その中から光の大剣(巨煌刃)を出現させる。それを目の当たりにしたカーラは、慌てて声を荒げた。

「この場で出すのはやめて下さい! せめて、もう少し広いところで……」
「よし、分かった。広いところならいいんだな。じゃあ、中庭に来いよ!」

 そう言われたカーラは、意気揚々と中庭へと向かうゴーバンの後ろを、断頭台に向かうような面持ちでついていく。相手はまだ幼いとはいえ、対混沌能力に特化された君主である。しかも、前回怪我させていることもあって、カーラとしてはまともに反撃するのも躊躇われる。

(これはボク、死んだかな……)

 それなりに本気で彼女がそう思いつめていたところに、救いの神が現れた。「レア姫のエスコート」から帰還したトオヤが、ゴーバンの後ろから現れ、全力で頭を殴りつけたのである。

「ってぇ!」
「何をしている?」

 拳を握りしめたまま、静かな怒りを込めた表情でトオヤはゴーバンにそう言った。

「いや、何って、こいつが来たから、こないだのリベンジを……」
「お前な……、リベンジするのはいいとして、その手に持っているものは何だ?」

 トオヤはそう言いながら、ゴーバンが生み出した「混沌を切り裂く光の大剣」を指差す。

「俺、木刀だと、やっぱり調子が出ないからさ」
「お前の聖印の性質上、そうだろうな。だが、その刃を俺の部下に向かってなぜ向けている?」
「いや、別に、本気で殺すつもりはねぇよ。ただ、俺がこいつより強いってことを証明したいだけで……」
「相性というものを考えろ」

 実際、まだ未熟とはいえ、対混沌特化型の君主であるゴーバンの本気の一振りがカーラに直撃した場合、一撃死する可能性も無くはない。

「そんなこと言ったって、あいつだって普通の剣じゃないだろ? あいつ相手にそこら辺の普通の剣で戦うってのは……」
「ボクが普通の剣で戦うって選択肢はなかったのかい!?」

 カーラがもっともな反応を見せる横で、トオヤはゴーバンに諭すように語り始める。

「お前は、もう少し考えてから行動に移せ。お前はただ、自分の力を振るいたいだけだ。それは本当の君主の姿とは言わない」
「じゃあ、本当の君主の姿って何だよ?」
「それについてはいずれ教えてやるが、力だけじゃない『本当に強い者』を目指すのが君主のあるべき姿だ」

 それに対して、ゴーバンはまだどこか納得しきれない様子ではあるが、ひとまず刃を聖印の中に収め、渋々その場を立ち去っていく。一応、トオヤの言うことに対しては、憎まれ口を叩きながらもそれなりに耳を傾ける程度には、彼のことは信頼しているらしい。
 そんな彼と入れ違いに、今度は弟のドギがその場に現れた。彼の方は、チシャがこの地に来たと聞いて、彼女に会いに来たようである。そして、その彼の隣には、チシャと馴染みの深い一人の侍女(下図)の姿があった。


 彼女の名はアマンダ。かつてはチシャの毋であるネネの侍女を務めていたが、彼女の失踪後はドギの侍従長へと転属になった。歳はチシャの一つ上だが、その雰囲気からは年齢以上の落ち着きや風格を感じさせる。おそらく、彼女が「影の邪紋使い」であることがその一因であろう。彼女は主人の身の回りの世話を担当する雑用係であると同時に、いつどこから放たれるかも分からない刺客の手から主人を守るための護衛役でもある。

「お元気そうで何よりです」

 アマンダはチシャに対してそう言いながら、深々と頭を下げた。彼女は元来は孤児であったが、偶然の奇縁でネネに救われて以来、失踪前のネネに対しては絶対の忠誠を誓っていた。そのため、子供の頃からチシャとは親しい間柄にある。

「お久しぶりです、アマンダさん、ドギ様もお元気そうで」

 そう言われたドギは、その手に持っている書物を開きながら、チシャに問いかけた。

「あれから色々な本を読んで、こないだ紹介してくれた『赤くて丸い実』が実る木をこの国で育てるにはどうしたらいいか、色々考えてたんだけど、そのことについて、また相談したいと思ってたんだ」

 その書物には、ヴァレフールの一般的な気候や土地柄について記されていた。異界文書ではなく、この世界の言葉で書かれた本ではあるものの、9歳の子供が読んで理解するには少々難しい。また、仮に内容を理解出来たとしても、それですぐに「異界の樹」の植林の具体策が考案出来る訳ではないのだが、それでも、この国のために自分に出来ることを探そうとする彼の心意気を大切に育んでいきたいと思っていたチシャは、自分の知り得る限りの知識で、優しく丁寧に助言を始める。
 そんな中、その傍らに立つアマンダが二人にこう告げた。

「私が聞いた話によると、この木の実を使えば『アップルパイ』という大層美味な菓子を作ることも出来るようです」

 実はこのアマンダも「果実の蜂蜜漬け」を好物とする甘党である。トオヤといい、レアといい、ウォルターといい、アマンダといい、なぜかチシャの周囲には、体内の「血糖」と「資質」が心配になる面々が揃っているようである。

1.7. 紡がれる物語

 チシャによる「ヴァレフール地理講座」が終わった後、皆がそれぞれの客室へと帰還した上で、夕食の時間を待っている頃、アキレスの城に一人の吟遊詩人(下図)が訪れた。


 彼の名はハイアム・エルウッド。ブレトランド各地を旅する吟遊詩人であり、ここ最近はこのアキレスを拠点に、酒場などで古今東西の様々な英雄達の叙事詩を披露しているらしい。以前に城内での宴会にも招かれたことがある彼は、城に務める兵士や役人達の間でも顔が知られており、そんな彼がその人脈を通して、トオヤに面会を申し出てきた。

「この度のあなたの英雄譚、ぜひとも新たな叙事詩として広めていきたいと思いますので、出来ればその救出に至るまでの経緯を詳しく教えて頂きたいのですが」

 そう言われたトオヤが、どう話したものかと思案していると、横から密かにその話を聞いていた「レア」が姿を現す。

「彼の英雄譚だったら、私の口から語ろうか?」
「おぉ、それは是非も無いこと」
「どこまで正しく語れるかは保証しないがね。『助けられた姫』の瞳には、『王子様』はカッコ良く映るものだから」

 そう断った上で、彼女は程良い脚色を交えつつ、重要な機密(自分の正体や、蝿男がチシャとカーラをレアと勘違いしたくだりなど)は割愛した上で、あくまでも「闇の眷属に攫われそうになった無垢なお姫様」が「勇敢な王子様」に助けられる物語として、特に矛盾もなく、辻褄のあった美しい英雄譚としてハイアムに語り聞かせた。それはさながら、そのまま旋律に乗せればすぐに酒場で歌えそうなほどに完成された物語であった。

「なるほど、分かりやすいご説明でした。ありがとうございます。この国は明るい話題がなかったので、この物語を私が民の皆様に聞かせれば、笑顔も戻ることでしょう」

 ハイアムはそう言って、二人の前から去っていく。実はパペットは、自分が「レア」になる前に首都ドラグボロゥでこの吟遊詩人に会ったことがある(当然、その時の姿は今とは全く別人なので、ハイアムはそのことに気付いてはいない)。その頃から、この男は積極的に様々な情報を収集していたが、その中には「明らかに叙事詩の題材とはなりそうもない内容」も含まれていたため、彼のことは「ただの吟遊詩人」ではないのではないか、という疑念がその頃からパペットの中にはあった。だからこそ、適当にごまかす形で退散させたのだが、自分のことではないかのような「美しい物語」を聞かされたトオヤは、終始表情を固くさせたままであった。

「……あんなカンジで良かったかい、トオヤ?」
「あぁ、俺も思わず聞き入ってしまった。ところで……、今の話の主人公は誰だったんだ?」

 全くもって今更なその質問に対して、「レア」は呆れたような口調で返す。

「君だよ、トオヤ。そんなに現実感が無かったかい?」
「いや、まるで『物語に登場する王子様』のような話しぶりだったから……」
「君が思っているより、私の目からはカッコ良く見えているのかもしれないよ」
「そ、そうか……、ありがとう……」

 どんな顔をすればいいのか分からず、目線をそらしながら小声でそう答えるトオヤを見ながら、「レア」は複雑な表情を浮かべる。

「やっぱり、『王子様』にしては、少しシドロモドロすぎるかな」

2.1. 「姫」と騎士団長

 翌朝、ケネスが無事に海軍の精鋭兵達を引き連れて、アキレスへと帰還した。トオヤが「レア姫」を連れてこの地に来ていることを知った彼は、すぐに「レア姫」を応接室に招き入れた上で、彼女との「対談」の場を用意させた。彼女を救った功労者であるトオヤ、チシャ、カーラの三人も、その場に同席する。

「おぉ、レア様、よくぞご無事で。この度は大変災難でございました」

 自身も海上調査から帰還したばかりの身であったが、そんな疲れは一切感じさせぬ様子で、老獪なる騎士団長はそう挨拶する。

「あぁ。だが、貴殿のお孫殿のおかげで事無きを得た。感謝している」

 何食わぬ顔で「レア」としてそう答える彼女に対して、ケネスは胸を張って応じる。

「トオヤもチシャも、私の自慢の孫達ですからな。さて、しばらくブレトランドを離れていた姫様はご存知ないでしょうが、現在、この国は混乱している状態です。大変申し上げにくいことながら、姫様のお父君が先代伯爵ブラギス陛下を毒殺し、そして爵位を乗っ取るという事態に陥っております」

 あくまでも現時点ではそれは「反体制派の主張」にすぎない訳だが、その真偽については「レア」が知り得る筈がない以上、その点は肯定も否定も出来ない(そして「パペット」にとっては、その真偽自体はどうでもいい話であった)。彼女は言葉を選びながら、慎重に対応する。

「市井に出回っている程度の情報なら、私も把握している。連合と同盟がぶつかり合うこの地のことだ。大陸での関心も決して低くはない」
「そうでしょうな。サンドルミアでどのように噂が広がっているかは分かりませんが、我々としては、あのような非道を許す訳にはいかない。しかし、我々はあくまでも『ワトホート殿の非道を許さない』と言っているだけであり、『ワトホート殿の娘である姫様』には何の罪もないと考えております。むしろ、正しい王統を守るために、姫様には大変申し上げにくいのですが、お父君と少々距離を取って頂きたい。このままあの『大逆者』の元にいては、我々は姫様もその一派として討たねばならなくなります。それは我々の本意ではありませぬ」

 そう力説する祖父の姿を見て、トオヤもようやく彼の思惑が少し見えてきた。どうやらケネスは、レアをワトホートから切り離すことで、実質的にワトホート側の「後継者」の手駒を奪う算段でいるらしい。

「父君の成したことがケネスの言う通りならば、それも致し方あるまい。その上で、具体的には、私に何を望む? この街に留まることか?」
「そうですな。少なくとも、『反逆者達』が占拠している今のドラグボロゥに姫様が戻られることは、私としては看過出来ませぬ。とはいえ、このまま国が割れた状態が続くことも、我々の本意ではありませぬ。今現在ワトホートに協力している者達の中にも、やむを得ず協力している者もいるでしょうし、いずれに協力すべきか方針を決めかねている者もいます。彼等の協力を得て、反逆者達に罪を認めさせた上で、出来れば、あくまでも将来の話ですが、二つの王統をもう一度統合する形にしたい、と考えております」
「出来ない話ではないだろうな。実際、テイタニアやオディールは、まだ態度を明確にしていないと聞く。彼等も表立ってケネス殿に協力は出来ないまでも、彼等を通じて和解の道を探ることは可能だろう」
「その通りです。その上で、あくまでも一つの選択肢としてですが、『本来の後継者であるべきゴーバン殿下』と姫様がご婚約なさるということになれば、この国の諸侯もそれで納得するのではないかと。もっとも、まだゴーバン殿下は幼く、結婚ということの意義も十分に理解出来ていないとは思いますので、今すぐにとは申しません。ただ、姫様が父君と決別した上で我々に協力して頂けると宣言して下されば、この国の混乱は収まる道は開けると考えております」

 それは、トオヤも「レア」も概ね想定していた和解案であった。というよりも、現状においてこの分裂状況を打開する上では、それが最善の策であろうことは誰もが思いつく話である。無論、それで全てが解決するとはケネスも考えてはいない。むしろ重要なのは「その婚儀が実現した後、最終的に夫婦のどちらが聖印を受け継ぐのか」、そして「新体制においてどちらの派閥が主要な役職を任されることになるのか」といった諸々の案件である。ケネスがここで「レア」を自分の手元に確保しておくことで、その交渉を優位に進める環境を整えようとしていることは、この場にいる者達も容易に想像出来た。

「なるほど。ケネスの主張は理解した。だが、少々返答には時間を頂きたい。この国の将来のこともそうであるし、先ほど話題に出た私の婚姻のこともそうだ。私にとっても、ゴーバン殿にとっても、簡単に決断出来ることはないことはご承知頂きたい」
「無論でございます」
「私も『姫』としてこの国に生を受けた以上、私が誰と婚姻を結ぶかが政略の遡上に登ることは覚悟の上だ。だからこそ、軽々と決断していいことではない」
「それはその通りでございます。だからこそ、当面はこのアキレスに留まった上で、ゆっくりと考えて頂ければよろしいかと」
「そうさせてもらうとしよう。あと、今はなし崩し的にそうなっているが、貴殿の孫であるトオヤ殿を私の護衛のような形でお借りするぞ」
「それは勿論。トオヤもそれで異論はないな?」

 急に話を振られたトオヤは、どこか淡々とした声で答える。

「えぇ、ありません」

 自分の中で湧き上がる様々な感情を押し殺しながらそう言ったトオヤの表情を横目で見つつ、「レア」はケネスが満足そうな顔をしているのを確認した上で、話を終える。

「今、私から言うことはそれだけだ。トオヤ、君達からは何かあるか?」
「私からは特に」

 トオヤは相変わらず「心の篭っていない声」でそう答える。その傍のチシャもまた「私もありません」と答えたことで、ひとまずこの対談の「本題」については、これでひと段落することになった。

2.2. 広がる困惑

 続いて、ケネスはトオヤ達に対して問いかける。

「さて、その上で、姫様の救出の際の経緯について確認したいのだが」

 それに対して、トオヤはどこまで語るべきか迷いつつ、昨日の「レア」が語った物語を参考にながら、「語れる範囲」を模索しながら答え始める。曰く、自分達が休暇で「たまたま」ローズモンドへと向かい、その帰路において「たまたま」姫と同じ船に乗り、そこで「ならず者達」が暴れ出したので、それをチシャやカーラと共に殲滅したものの、その直後に今度は「蝿のような、おそら投影体のような何か」に襲われ、どうにか撃退はしたものの逃げられてしまった、というのが、その概要である。
 その話を聞いたケネスは、黙って一度席を立ち、自身の椅子の背後に置かれていた箱を取り出す。それは隻腕のケネスが片腕で持つにはやや厳しそうな程度の大きさであったが、彼は義手を用いて挟み込むようにそれを卓上に乗せると、その箱を開け始めた。

「正直、姫様の御前にこのようなものを出すのは心苦しいのですが……」

 そう言ってケネスが箱を完全に開けると、そこに現れたのは不気味な「異形の生首」であった。それは紛れもなく、船の中でトオヤ達が遭遇した「あの男」の首である。

「お前が仕留め損なった『蝿のような何か』とは、こやつか?」
「……確かに、こいつです」

 トオヤが衝撃を抑えながらそう答えると、ケネスは納得した顔を浮かべる。

「そうか。実は私は今朝まで南東の海域を調査していたのだが、そちらの方で『色々』あって、我々がこやつを討ち取るに至った。まぁ、その詳細はいずれまた話すとして、こやつで間違いないのであれば、私の判断は間違っていなかった、ということになるな」

 独り言のようにケネスがそう呟いたところで、突然、扉の外から伝令兵の声が響き渡った。

「騎士団長様! 謁見を求める方が!」

 ケネスは表情を歪ませながら答える。

「あえてこの場で割って入ってまで伝えねばならない来客とは、一体どこのどなたかな?」
「イェッタの領主、ファルク・カーリン様です!」

 それは、現在のワトホート派の中核的人物の一人であり、ヴァレフールの七男爵の一人である。騎士としての高潔な人柄に加えて、その端正な顔立ちと気品溢れる立ち振る舞いから、ヴァレフール中の女性を虜にしていることでも有名な人物であり、この場にいるチシャもまた(それほど入れ込んではいないものの)その一人であった。

「これはおそらく、レア様の話を聞いた上でのことでしょうな。さて、どうするか……」

 ケネスはそう言いながら、しばし思案を巡らせる。反体制派の本拠地であるこのアキレスに、まさか彼ほどの大物が単身で乗り込んで来るとは、この場にいる誰にとっても想定外だった。彼は自分の中の考えを言葉に出しながら、状況を整理していく。

「あの男は話が分かる人物の筈だ。それなりの交渉材料を持ってきた上で来たのだろう。とりあえず、会ってみるか……」

 そこまで言ったところで、トオヤに視線を向ける。

「トオヤ、お前はどうする? お前もいずれこの国を支える身として、そろそろ外交というものがどういうものか分かってほしいところではあるから、同席したいなら、同席するでも構わん」

 そう言われたトオヤは、相変わらず淡々とした口調で答える。

「それでは、同席させてもらいます」
「私もよろしいでしょうか?」

 隣にいたチシャがそう申し出ると、ケネスもそれに同意する。そして、ここで「レア姫」と会わせないのも、それはそれで不信感を招くと判断したケネスは、このままファルクをこの部屋に招き入れるように、伝令兵に通達するのであった。

2.3. 継承者の証

 応接室に案内されたファルク(下図)の背中には、巨大な袋が背負われていた。形状からして、 その中には剣か何かが入っているようにも見えるが、ひとまず彼はその袋を背中から降ろして脇に置いた上で、ケネスに対して一礼する。


「この度はレア姫を助けて頂き、ありがとうございます」

 それに対して、ケネスはやや皮肉めいた口調で答えた。

「こちらも、わざわざ御足労頂いたことには敬意を表するが、しかし、あえて単身でこの城まで来たということは、私が貴殿を騙し討ちにするようなことはしない、と思われる程度には信用されている、ということで良いのかな?」
「それは勿論、私は騎士団長様のことはよく存じ上げておりますから」
「まぁ、ここで謁見を求めてきた貴殿を騙し討ちにしては、私はヴァレフール中の女君主達を敵に回すことになるからな」

 ケネスは皮肉めいた笑みを浮かべながらそう返す。実際には、君主に限った話ではなく、国中の女性全般を敵に回すことになろうことは、彼も分かっていた。

「時にファルク殿、貴殿としてはヴァレフールのこの内乱、そろそろ終わらせたいと考えているのではないか?」
「その通りです。しかし、お互いに色々と『退けぬ事情』があることも分かっています」

 冷静に「当たり障りのない回答」に徹するファルクの表情を凝視しながら、ケネスは更に核心的な話へと切り込んでいく。

「この機会に『両家の縁』を結ぶのが一番の解決策だと思うのだが、いかがかな?」

 具体名を挙げずにそう言ったケネスであったが、当然、ファルクもその意図は察している。

「私もそれが一番現実的な道だと考えています。その上で、どのように新体制を構築するか、ということになる訳ですが……」
「私は貴殿とは今後も良き関係を結んでいきたいと思う。だが、グレンには副団長を降りてもらわねばならん。それが、和平の絶対条件だ」

 ここで、ヴァレフールの対立の原因について確認しておこう。騎士団長ケネスと副団長グレンの対立の直接的な争点は「正統な伯爵位後継者」を巡る見解の相違であるが、あくまでもそれは一つの象徴的な事象にすぎない。より根本的な対立の原因は、外交方針の違いにある。
 ケネスは幻想詩連合との関係を重視し、大工房同盟に与するアントリアの討伐の必要性を強調しているのに対し、グレンは「大陸の事情」に振り回されてブレトランド人同士の殺し合いが続くことを望んでいない。現状においてアントリアが征服したのはあくまでもトランガーヌの領土であり、ヴァレフールそのものへの侵入は食い止められている状態である以上、ここでいたずらに戦火を拡大するよりも、アントリアとの関係改善を目指すべきだと主張している(特に現在はアントリア子爵ダン・ディオードがコートウェルズに遠征中だからこそ、この機に反転攻勢をかけるべきか和平構築を目指すべきかで、両者の認識は大きく食い違っている)。
 もう一つの対立軸は、神聖トランガーヌとの関係である。グレンやファルクは聖印教会の信徒である以上、教皇ハウルから「枢機卿」の称号を賜っている神聖トランガーヌとの交戦は望んでいない。グレンもファルクも、神聖トランガーヌの主力を担う日輪宣教団の掲げる過激な「混沌撲滅思想(魔法師や邪紋使いの存在そのものを許さない姿勢)」には批判的ではあるが、それでも「教皇庁のお墨付き」を得ている彼等と戦うことは、自領内の信者達の動揺を誘うため、なんとしても避けたいというのが本音であった。これに対して、実利主義者のケネスは昔から聖印教会の存在そのものを嫌っており、彼の中では神聖トランガーヌはアントリア以上に危険な「狂信者集団」である。だからこそ、神聖トランガーヌとの共存という選択肢は彼の中ではありえない。
 つまり、端的にまとめると、ケネス派(ゴーバン派/反体制派)はアントリアに対しても神聖トランガーヌに対しても「主戦派」であり、グレン派(ワトホート派/体制派)はどちらに対しても「和平派」、ということになる(なお、もう一つの新興国家であるグリースに対しては、どちらも今のところ友好的な態度を示してはいるが、グリース子爵ゲオルグ・ルードヴィッヒに対しては「得体の知れない野心家」という評判もあり、全面的な信頼を寄せるには至っていない)。だからこそ、どちらも自分達が信じる「正しい道」へとこの国を導くために、この機に自分達が今後の外交の主導権を掌握する必要があると考えているのである。
 とはいえ、互いに相手を殲滅するまで争いを続ける気はない。どこかで「落とし所」を探らねばならないことは分かっている。その上で、ケネスの中では、グレンとファルクを見比べた場合、まだファルクの方が「話が分かる男」だと認識している。グレンは(日輪宣教団ほど過激な教義解釈ではないにしても)信仰心が強い敬虔な信者であると言われているのに対し、ファルクは父が熱心な聖印教会の信者であったが故にその地盤を引き継ぐことになっただけで、彼自身はそこまで熱心な信徒ではないというのが、ケネスを初めとする多くの者達の認識であった。

「今のこの状況で、グレンの発言権を今のままにしておくことは看過出来ん」
「それについては、今後また色々と考えていく必要があるでしょう」

 ファルクはそう言ってケネスの主張を軽く受け流しつつ、「この場における本題」へと議題を移行させる。

「私としては、縁談を進めること自体は望ましいと考えているのですが、せっかく戻られたレア様をいつまでも御厄介にして頂く訳にもいきませんので、ドラグボロゥにお連れ帰らせて頂こうと思うのですが」

 予想通りの要求に対して、ケネスも率直に返す。

「我々としては、レア姫様に対しては何の悪感情もないが、こちらもワトホートを反逆者として名指しで批判している以上、そう易々とお返しする訳にはいかない」

 あくまでもそれが「建前論」であることを匂わせつつ、そう答えたケネスであったが、ここでファルクは想定外の行動に出る。

「そう仰るであろうと思い、こちらも交換条件を用意しておきました」

 そう言って、彼は持参した巨大な袋を開ける。その中から現れたのは、豪奢な装飾を施された一振りの大剣であった。

(!?)

 それを目の当たりにしたこの場にいる者は、全員驚愕の表情を浮かべた。彼等は皆、その大剣の名を知っている。それは四百年前に 英雄王エルムンドが用いたと言われる「宝剣ヴィルスラグ」であった。エルムンドの死後、それは長子シャルプへと受け継がれ、代々ヴァレフール伯爵家の家宝として継承されている。言わば、伯爵位後継者の証とも言うべき存在である。

「ヴィルスラグか……。随分と私の身を高く評価してくれているようだな」

 「レア」がそう呟くと、ファルクはその剣を掲げながらケネスに告げる。

「そちらが『レア姫とゴーバン殿の御婚約』を御望みというのであれば、当方としては、こちらをゴーバン殿下にお預けしたいと考えております。ただし、これはゴーバン殿下自身に私がお渡しすることが条件です」

 さすがにこの提案に対しては、ケネスも面食らった表情を見せつつ、慎重に言葉を選びながら答える。

「しかし、殿下はまだ年少の身。幼い殿下にいきなりそこまでの代物をお渡しするというのは、いかがなものか」
「とはいえ、ワトホート様は現在、ご承知の通り、いつ御倒れになられるか分からない身。ゴーバン殿を後継者になさるということは、いつ実際に伯爵位を継ぐことになってもおかしくない立場になる、ということです。現在難局を迎えているこのヴァレフールの国主を選ぶにあたって、この剣を預けることすら出来ないような方を、後継者として認める訳にはいきません。もっとも、もし『ワトホート様の病状を全快出来るような手段』があるのであれば、まだしばらくゴーバン殿が継承する必要性が発生しなくなるので、また話は変わってくるのですが」

 ファルクは、ケネス側が「ワトホートの体質を治せる薬」を所有しているであろうことを暗示しつつ(この薬についてはブレトランドの英霊6を参照)、そう主張する。これに対してケネスは少し迷いつつも、トオヤに対してこう告げた。

「……殿下をこの場にお呼びせよ」
「分かりました」

 そう言って、トオヤは応接室を出て、ゴーバンがいると思しき彼の私室へと向かう。

2.4. もう一つの縁談

「あのトオヤは、祖父としての贔屓目もあるかもしれぬが、非常に信頼出来る男でな。どうしてもレア姫を連れ帰るというのであれば、奴を護衛として連れていくのはいかがかな? どうやら姫様は、パンドラと思しき者達に狙われているらしい。腕利きの身辺警護は必要であろう」

 ケネスがファルクにそう問いかけたのに対して、レアが割って入る。

「それは私の方からも同意しよう。何分、数年この国から離れていた身だ。信頼出来る部下というものは多くない。そんな中で、この地に向かう船の中で私の身を守ってくれたトオヤは、十分に信頼出来る存在だ。護衛としては申し分なかろう」
「それはそれで、当方としても構いません」

 ファルクは淡々とそう答える。ケネスに何か「裏の思惑」があることは推察出来たが、レアがそれを望んでいるのであれば、それをあえてこの場で否定して話をこじれさせるのは得策ではないと判断したのであろう。
 そんなファルクに対して、ケネスは唐突に本題から大きくそれた話題を持ち出す。

「ところでファルク殿、貴殿はまだ独り身であったな?」
「はい」
「貴殿は聖印教会に義理立てをして、未だ契約魔法師もおらぬ身だが、貴殿の教義解釈として、契約魔法師ではないにせよ、『女性の魔法師』と婚姻を結ぶというのは、教義に反することになるのであろうか?」

 唐突な申し出に、その場にいる者達が全員困惑する中、ケネスは気にせず話を続ける。

「たとえば、そこのチシャはトオヤの契約魔法師なのだが、トオヤが『そちら側』に出向するということになれば、必然的に彼女もついて行くことになるだろう。一つの選択肢として、彼女をトオヤと契約させたまま、一人の女性として貴殿が妻に娶るということは可能かな?」

 いきなり名指しされたチシャは動揺を必死に隠しつつ、どう反応すれば良いかも分からないまま黙っている。

「非常にもったいなき申し出でありますが、大事なお孫さんとの縁談ともなれば、そう易々と二つ返事で決めて良いことではありません」
「そうだな。こやつも、ヴァレフール中の女共から送られてくる刺客達を跳ね除けるだけの覚悟があるかどうかは分からんしな」

 やや品のない笑みを浮かべながらチシャへと視線を向けたケネスに対して、チシャは内心複雑なまま愛想笑いを浮かべる。そんなやり取りを見せられたカーラは内心で頭を抱えていたが、一方で彼女にはもう一つ、先刻から気になっていることがあった。
 それは、ファルクが手にしている「宝剣ヴィルスラグ」である。剣としての形状そのものは全く異なるものの、その鞘や柄の装飾部分からは、どことなく「カーラの本体」と似た雰囲気が醸し出されており、そんな剣に対して、カーラはどこか「不思議な懐かしさ」を感じていたのである。それはまるで、遥か昔に自分とこのヴィルスラグが「親しい関係」にあったかのような、なんとも言えない感覚であり、カーラは思わずその宝剣に対して自分が手を出しそうになるのを、必死に理性で堪えていた。

2.5. 「決める側」の責務

 応接室でそのような「戯れ話」が繰り広げられている間に、トオヤがゴーバンの部屋に到着すると、そこには家庭教師の話を退屈そうに聞き流しているゴーバンの姿があった。

「お、トオヤ! 爺さんとの話、終わったのか?」
「いや、まだ終わってはいないんだが、とりあえず、お前をお呼びだ。ついて来てくれ」
「そっか。まぁ、あんまり難しい話をされてもよく分からないんだけど、行かない訳にはいかないよな」

 ゴーバンは内心、勉強をサボる口実が出来たことを喜びつつ、トオヤと共に応接室へと向かう。その途上で、トオヤはゴーバンに対して問いかけた。

「お前、将来のこと、考えたことあるか?」
「俺がこの国を継ぐんだろ? で、お前が騎士団長になって、俺と一緒にこの国を支える。爺さんはそう言ってたぞ」
「じゃあ、お前が王様になったとして、何がしたい?」
「そうだなぁ……、とりあえず、悪い奴を倒したいな」
「悪い奴? それは誰だ?」
「この世界に混沌を広げる奴等さ。混沌のせいで、この世界はおかしくなったんだろ? 俺の力はその混沌を浄化するためにある。実際、まだこの国のあちこちに、人間を困らせている混沌は沢山いるからな。あ、もちろん、混沌が全部悪いとは思ってないし、お前んとこのアイツを浄化しようとは思ってないぞ」
「当たり前だ。もしお前がそんなことをしようものなら、俺とお前で泥沼の戦いを繰り広げることになるからな」

 ゴーバンの聖印は「混沌」以外の対象に対しては有効な攻撃手段を持たない。一方で、トオヤの聖印はそもそも攻撃手段を殆ど持たない。故に、聖印の相性的に、この二人が争っても、おそらく決着はつかないだろう。そのことはゴーバン自身もなんとなく自覚した上で、彼はそのまま話を続ける。

「正直、アントリアがどうとか、トランガーヌがどうとか、その辺のことは俺はよく分からない。もちろん、この国に攻めて来るっていうなら倒さなきゃいけないんだろうけど、誰が敵で誰が味方なのかが分からなくなった時は、お前に聞く。それでいいだろ?」
「あぁ、俺も出来る限りの助言はしよう。だがな、ゴーバン、俺達君主は、この世界の方針を『決める側』の人間だ。そのためには、誰かを頼ってちゃいけない。自分で判断しなきゃいけないことも沢山あるだろう。俺も今はそれで苦しんでるところではあるんだが……、苦手だからと言って、それを全部俺にぶん投げるのはどうかと思うぞ」
「まぁ……、そうかもな……」
「それに、これは忘れちゃいけないことだが、君主にとって忘れちゃいけないのは、聖印の力だけじゃないんだよ。たとえば今のお前は、国際情勢とか、言われてもよく分からないだろう? そのことに関して、必死に学んでいく姿勢が大事なんだ。それが本当に強い奴ってことだ」
「なるほどな……」
「まだよく分からないかもしれないが、そのことだけは忘れないでくれ」

 トオヤのその言葉に対して、ゴーバンは少し考え込んだ表情を浮かべながら、彼と共に歩を進める。トオヤも、まだ11歳のゴーバンにそこまで求めるのが酷であることは分かっていたが、それでも、ゴーバンが「この国を支える王を目指す」という志を掲げる以上、それは避けては通れぬ道だということを理解してほしいと、切に願っていた。

2.6. 王子と宝剣

 やがて二人が応接室に到着すると、ファルクがゴーバンに対して一礼する。

「ゴーバン殿下、お久しぶりです。今、殿下の将来について、ケネス様と色々とお話をしていたのですが……」

 ファルクはここで一呼吸置いた上で、一瞬レアに視線を移しつつ話を続ける。

「ゴーバン殿下には、そちらのレア姫様と御結婚して頂いた上で、この国を共に統治して頂きたい、と我々は考えております」
「えぇ〜? レア姉ちゃんとぉ〜?」

 露骨に嫌そうな顔を浮かべるゴーバンに対して、その場の空気は一瞬凍りつき、当の「レア」は苦笑を浮かべる。

「随分と嫌われたものだね」

 ファルクはその空気を消し去るために、あえてその反応を無視して話を続ける。

「もちろん、今すぐという訳ではありません。将来の話です。その上で、結納品として、こちらの宝剣ヴィルスラグを殿下にお預けしたいと思います」

 そう言って彼がその手に握っていた「豪奢な装飾の大剣」をゴーバンの前に差し出すと、それまでうんざりしていた彼の目は急に輝き出した。

「え? マジ? ホント? ホントにくれるの!? それ!?」

 ある意味で「子供らしい、予想通りの反応」を目の当たりにさせられたトオヤ達が思わず目を合わせる中、ゴーバンはカーラに視線を向ける。

「これがあれば、お前とも対等に戦えるよな!?」
「えぇぇぇぇ?」
「や〜め〜ろ〜!」

 思わずトオヤが(公的な場に似つかわしくない態度で)そう言って割って入る。

「そこまでして私と手合わせがしたんですか、あなたは!?」

 カーラがそう言いながら、トオヤの影に隠れようとするのを横目に見つつ、呆れた表情の「レア」が呟く。

「さて、どうしたものかな……。ファルク、ケネス、見ての通り、ゴーバン殿にはこの話は少し早いのではないか?」

 そう言われたファルクであったが、彼は表情を崩さぬまま淡々と答える。

「そうかもしれません。しかし、これくらいの代物を提示しなければ、こちらの誠意も通じないでしょう。かと言って、ケネス殿に預けるという訳にもいかない。これは『伯爵位の後継者』のみが扱うことを許された宝剣ですから」

 その主張には確かに一定の筋が通っている。とはいえ、ケネスとしてもいきなりの提案に対して、まだ即答出来るほど考えはまとまっていなかった。

「分かった。前向きに検討はしたいが、こちらも考える時間が必要だ。ひとまず今日のところは長旅でお疲れであろうから、この城で御滞在くだされ。こちらも、なるべく早く返答を考える」
「分かりました」

 ファルクはそう言うと、一旦、宝剣を袋に戻した上で、部屋の外に待機していた衛兵によって、客室へと案内される。カーラが複雑な顔で、ファルクと共に部屋から消えていくヴィルスラグを眺めている一方で、ゴーバンは不服そうな顔を浮かべる。

「え? それ、くれるんじゃないの? くれるんじゃないのかよ?」
「だから、お前はもう少し落ち着きを学べ!」

 トオヤにそう諭されるゴーバンを目の当たりにしながら、カーラは彼と手合わせせずに済んだことに安堵しつつも、ヴィルスラグに対して抱いた自分の中での「不思議な感情」の正体が分からぬまま、どんな顔をすれば良いのか分からない様子であった。
 そんな中、ケネスがおもむろに口を開く。

「トオヤ、お前と二人で話がしたい」
「私は構いませんが……」

 彼がそう言って周囲を見渡すと、真っ先に「レア」が頷く。

「では、私達は席を外すことにしよう」

 そう言ってレア、チシャ、カーラの三人は、ゴーバンと共に退室するのであった。

2.7. 投影島の正体

「さて、お前にもそろそろ現実の政治というものを分かってもらわないといかんからな」

 ケネスはそう言って話を切り出そうとすると、それを遮るようにトオヤが問いかけた。

「その前に一つ確認したいんだが、俺がいない間に何か話をしていたか?」

 この部屋が「レア」を交えた「公の場」ではなく、「祖父と孫」の私的空間へと変わったことで、トオヤの口調は従来の「祖父に対する態度」に戻っていた。

「話? あぁ、それほど大したことは話していない。とりあえず、レア姫様を向こうに返すのであれば、護衛としてお前をついて行かせるのはどうか、という話をしていたのだ」
「あぁ、なるほど」

 それについてはトオヤにとっても願ったりな話なので、特に異論はない。

「それと、戯れ程度にだがな。ファルク殿に『チシャをもらってくれんか?』と持ちかけてみたのだが、軽く受け流された」

 そう言われたトオヤは、露骨に動揺して咳き込み始めるが、どうにか堪えつつ、平静を保とうとする。

「そ、そうか……」
「まぁ、契約魔法師がいきなり手元からいなくなったらお前も困るだろうが、あの男は味方に引き入れる必要がある。逆に言えば、あの男さえこちらに引き込めれば、事態は一気に好転する。そのための選択肢の一つだと思っていたのだがな」

 ケネスはそう言った上で、話の本題へと移行する。彼は「レア姫」を前にした状態で話せなかった「誘拐未遂事件」と「海域調査」の真相について語り始める。

 ******

 トオヤも想定していた通り、ローズモンドからブレトランドへと向かう船の中で、トオヤ達が最初に倒した「ならず者達」は、ケネスによって仕込まれた傭兵達である。彼等はケネスの命令で「姫の侍従の者達を殺した上で、姫をさらう素振りを見せつつトオヤ達と程々に戦い、最後は海へと飛び込んで逃げ伸びろ」と命じられていた。そして「ヴァルスの蜘蛛から誘拐計画の話を聞いた」というケネスの話自体も、ただの方便である。
 だが、「蝿男」に関してはケネスにとって全くの想定外の存在であった。おそらく、クリステルがトオヤに伝えようとした「よからぬ者達」とは、こちらのことだろう。もっとも、なぜ彼女がこの情報を彼等に伝えようとしたのかは不明であるし、それがヴァルスの蜘蛛自体の意図なのか、あるいは他の誰かの意志によって伝えられたのかも分からない。
 そして、トオヤ達を回収する予定であった巡回戦を破壊したのも、その蝿男の仕業らしい。状況から察するに、おそらくトオヤ達に撃退されて飛び去った後、(意図的か偶発的かは分からないが)巡回船と遭遇し、交戦の末に破壊するに至ったようである。ケネスはこの巡回船との連絡が途絶えた時点で異変を察して別の調査船を該当海域へと派遣した結果、今まで危険区域だと思って立ち入らなかった海域に「巨大な島」を発見したという報を受け、海軍の主力部隊を率いて、自らその海域に乗り込むことになったのである。
 そんな彼等に対して、その「島」から一隻の「異界の軍船」が出現し、ケネス達に交渉を持ちかけてきた。その軍船に乗っていた「島の代表者」と名乗る人物は「ここから立ち去れ。ここから立ち去るならば、我々は危害を加える気はない」と通達した上で、自分達のことを「パンドラ楽園派」と称していたという。
 その人物曰く、「楽園派」とは、望まずしてこの世界に出現してしまった投影体達が、自分達の居場所を求めて結成した組織らしい。その意味で、パンドラの一員ではあるが、魔法師ではなく投影体が主体という時点で、明らかに他のパンドラとは異質な存在であるが、他のパンドラの諸派閥とも協力関係にあるという(ただし、その「代表者」の見た目は、普通の人間であった)。彼等は自分達にとっての「楽園」を築くために「異界の島」をあの海域に投影させたらしい。その上で、彼等は自分達に干渉しない勢力と交戦するつもりはなく、あくまでも「住み分け」という形での相互不干渉を望んでいるという。
 一方、「レア」を攫おうとした蝿男は、パンドラの中でも「新世界派」と呼ばれる「最もラディカルな派閥」の一員であると、その楽園派の者達は主張していた(この点に関してはクリステルが事前にトオヤ達に伝えた情報とも一致する)。あの時、作戦に失敗した蝿男は、同じパンドラの「同胞」である楽園派の島へと逃げ込んでいたらしい。
 つまり、この時点において、あの島の主である楽園派の面々が「相互不干渉」を訴えたところで、明確にヴァレフールに対して敵対行為を示した「新世界派」の蝿男を匿っている限りにおいては、ケネスから見れば言行不一致と言わざるを得ない。ケネスとしては、先日の騒動で「パンドラ革命派」に完敗して威信を失墜させていたこともあり、ここでパンドラに対して弱腰を見せる訳にもいかなかい以上、頑として「巡回船を破壊した人物の身柄引き渡し」を要求し続けた。
 そして長時間に渡る交渉の末、最終的に楽園派は「蝿男の首」をケネスの前に差し出してきた上で、こう言った。

「こいつはお前達の手で倒した、ということでいいな?」

 楽園派としては、今の時点でヴァレフールと敵対するつもりはないが、表向きは新世界派とも協力関係を結んでいる手前、自分達が蝿男を処断したと公言する訳にはいかないが故に、このような形で「互いの顔を立てる裏工作」を選んだらしい。この「(他派閥とはいえ)仲間を切り捨ててでも衝突を避ける」という彼等の選択を目の当たりにしたケネスは、彼等が本気で「相互不干渉」を求めていることを理解し、今後、彼等の海域には立ち入らないことを約束した上で、この首を持ってアキレスへと寄港した。
 ケネスとしても、現状でこれ以上「敵」を増やす余裕はない以上、今の彼にとっては実質的にこれが最良手であった。無論、パンドラの一派との間で密約を結んだという情報を公にする訳にはいかない以上、この情報は門外不出である。

 ******

「新世界派が何を思ってレア姫を誘拐しようとしたのかは分からん。それは、楽園派の連中も分からんと言っていた。まぁ、本当かどうかは知らないがな。ともあれ、あの島の連中には今後一切関わるな。こちらもパンドラにハンフリーを殺されたことへの恨みはあるが、今の我々には、もう奴等と関わっている余裕はない」

 一通り話し終わった上でトオヤに対してそう告げると、トオヤは静かに答えた。

「そうですか」

 いつの間にか彼は先刻までの「淡々とした口調」に戻っていた。想定以上に「重い話」を聞かされた彼は、今のこの場が「祖父と孫の私的空間」では済まない、一種の「高度な政治的取引の領域」であることを理解した上で、無意識のうちに「本音を押し殺した表層的な対応」へと戻っていたのであろう。

「さて、その上でどうするか、なのだが、『楽園派』の者達が手を出して来ないにしても、『新世界派』の奴等が再びレア姫を狙ってくる可能性がある。まぁ、私としては、別に彼女が殺されるなら殺されるでもかまわんのだが、お前としては、そうは思ってないのだろう?」
「それは、まぁ……」

 つとめて平静を装いながら、トオヤはそう答える。

「ならば、お前の手で彼女を守ってやればいい」

 その言い分に対して、トオヤは黙って頷く。なお、この状況においても、トオヤは「蝿音がレアと間違えてチシャとカーラを攫おうとしたこと」については、ケネスには告げていない。もし、ケネスがまだこれ以上の情報を隠し持っているとすれば、このことについて相談することで何か真相を知る手がかりが得られるかもしれないが、そこまで腹を割って話せるほど、トオヤは祖父のことを出来ずにいた。

「さて、その上で、先刻のファルクからの申し出についてだが、受け入れて良いと思うか?」

 そう問われたトオヤは、淡々とした口調のまま、思うところを率直に答える。

「私としては、正直、微妙だと思っています。宝剣は確かに本物かもしれませんが、宝剣がこちらの手にあったところで、それが何だと言われればそれまでです。向こうとしては、何が何でもレア姫様の身柄を抑えたいのでしょう。ならば、それにわざわざ乗ってやる必要はないのでは?」
「では、この話は断るべきだと?」
「もう少し、お茶を濁してみるべきかと。もうしばらくすれば、また情勢が動くかもしれません。それを見た上で決断しても良いかと」

 確かに、パンドラの動きも含めて、ここ数日で様々な状況の変化がありすぎた。今の時点で即決することが正しいかどうかは、判断が難しいところだろう。

「なるほどな。だが、これだけは言っておこう。宝剣は確かに、ただの象徴だ。それ以外にどれほどの力があるのかは分からん。だが、象徴の力は侮れん。人は『分かりやすい英雄譚』を好む。そもそもなぜこの国は今まで『英雄王エルムンドの末裔』を後継者としてきたのか。そこに合理的理由はない。そこにあるのはロマンだ。『英雄王の血を引く者もまた英雄である』という、ただの非合理的なロマンにすぎない。しかし、ロマンこそが大衆の心を惹きつける。その意味では『英雄王の剣の後継者』という肩書きも、十分すぎるほどのロマンなのだ。私は合理主義者だと思われているが、『理』だけで世の中が動く訳ではない、ということが理解出来なければ、本当の意味での合理主義者とは言えない」
「確かに、お爺様の言う通りの面があるとは思います。とはいえ今、私達の陣営は苦しい。今の民に『英雄』を崇めるだけの精神的余裕があるでしょうか? それとも、このような時代だからこそ、『英雄』が必要だと仰るのですか?」
「そうだ。このような状況だからこそ、大衆の心を支える『英雄』が必要なのだ。とはいえ、いずれにせよ、熟考すべき問題ではあるとは私も思う。ひとまず、もう少しファルクをこちらに留めた上で考えてみるか。どの道、ファルクがここにいる間は、向こうも軍は動かせんだろう」

 そこまで言った上で、ファルクはふと思い出したかのように呟く。

「まずはヴィルスラグが本物かどうかを確認する必要もあるしな。それについてはガフにでも確認させてみると良いだろう。おそらく奴が今、この国では一番の『武具の目利き』だからな」

 それについてはトオヤも同意した上で、ひとまずトオヤとケネスの「非公式協議」は一旦終着し、二人は部屋を後にした。ここから彼等は、それぞれに複雑な想いを抱きながら、この厄介な難局を乗り越えるための方策をそれぞれに思案することになる。

2.8. 王子と「王女」

 一方、一足先に応接室を後にしていた「レア」は、廊下に出たところで、「従弟」にして「未来の夫候補」であるゴーバンに声をかけていた。

「ゴーバン、少しいいかな?」
「……なんだよ?」
「私も君と二人で話がしたいんだ」

 そう言われたゴーバンは、気まずそうな表情を浮かべつつ、「レア」に与えられた客室へと招き入れられる。チシャとカーラは、ひとまずこの場は空気を読んで、その部屋の外で待機することにした。

「ゴーバン、さっきの話、どう思う? 私が君の結婚相手と聞いて、随分不満そうだったじゃないか」
「だって、レア姉ちゃん、トオヤのこと好きだろ?」

 直球でそう切り返してきたゴーバンに対して、「レア」は興味深そうな笑みを浮かべる。

「……へぇ、私を取ったら、トオヤに怒られるとでも?」
「怒られるっていうかなんていうかさぁ、正直、俺、まだ好きとか嫌いとかよく分からないけど、『他の男が好きな女』と結婚するっていうのは、さすがになぁ、色々めんどくさいことになりそうだし……」

 ゴーバンは目線をそらしながらそう答える。実際、ゴーバンは「レア」のことが嫌いな訳ではない。だが、子供ならではの直感力で、彼は昔から「レアねーちゃんは、トオヤにーちゃんのことが好き」だと認識していたのである(もっとも、彼にそう感じさせていたのが「本物のレア」なのかどうかは、彼は知る由もない)。

「なるほど。でも、君はヴァレフールの統治者になるんだよね?」
「ま、そうだな。それが俺の使命だと、亡き父上からも爺さんからも言われてる」
「そのためにはどうすればいいと思う? 私と結婚せずに、どうやってそれを皆に認めさせる?」

 ゴーバンも、自分とレアがどちらも後継者候補として推されていることは知っている。自分の方が正統な後継者だと周囲の者達は言っているが、それを認めない人々がいて、それが争いの種になっているという程度のことは、彼も認識していた。

「うーん……、そっか、それは俺が考えなきゃいけないんだよな……」

 先刻のトオヤとの会話を思い出しながら、彼は必死で考える。

「……とりあえず、俺が『誰もが認める君主』になればいいんじゃないかな。お前の父ちゃんは、今の俺じゃダメだと思ってるから、俺が継ぐのを反対してるんだろ?」
「そうかもね。昔、お父さんが言ってたことがあるんだけどね。『トイバルにもう少し思慮があったら、伯爵位を譲ってあげてもよかった』って。別にあの人は、自分が伯爵であることにも、娘がその後を継ぐことにも、そこまでこだわりはないんじゃないかな。でも、今の時点で、私を次の伯爵にしたい人達も確かにいるんだよね、グレンのお爺さんとか。そういう人達を一番簡単に納得させる方法は……、君が私を殺すことだよ」
「何言い出すんだよ!」

 唐突な突拍子もない助言に対して、思わずゴーバンは声を荒げる。

「私よりこの国を上手く導けるという自信があるんだったら、そうしなきゃいけない時がくるかもしれない」
「そうかもしれないけど……、でも、俺、トオヤのこと嫌いじゃないんだよな……」

 どうやら彼は「レアが死ぬこと」よりも、「レアが死ぬことでトオヤが悲しむこと」が嫌らしい。その言い分に思わず「レア」は苦笑させられる一方で、ゴーバンは何かを吹っ切ったような顔で再び口を開く。

「まぁ、とりあえず、俺も色々考えるよ。確かに、俺、頭は良くないかもしれないけどさ。分からないなら分からないなりに考えるのが、君主の仕事なんだろ?」
「そうだね。うん、面白い話を聞けたよ。確かに君主には、そういうことを決めなきゃいけない時が、きっと来るのさ。でも、君は少し『違う』気がするんだよね……。国を守れるのは『王』だけじゃないんだよ。だからさ、私と結婚するにしたって、それを焦ってほしくはないんだ。君は君に出来ることを、ゆっくりと決めていってほしい」
「あぁ、そうだな……」

 「レア」が何を言わんとしているのかはよく理解出来ないまま、それでもなんとなく理解したような気分になった状態で、ゴーバンは彼女の部屋を立ち去って行った。

2.9. 当惑する少女達

 「レア」の客室でそんな話が繰り広げられている間に、扉の外で待機していたチシャは、先刻の応接室での光景を思い出しながら、ふとカーラに問いかけた。

「さっき、ファルク様が持ってたヴィルスラグを随分熱心に見てたみたいだけど、やっぱり、『武器のオルガノン』として、何か思うところがあったりする?」

 そう言われたカーラは、どう話せば伝わるのかと思案しながら、訥々と話し始める。

「いや、オルガノンとしてというよりも……、ボクは五年前まで封印されてて、その前のことは分からない、ということは知ってるよね?」
「もちろん」
「その前に会ったことがあるかもしれないというか、なんか懐かしい気がするんだよ……」
「会ったことが?」
「『剣と会う』ってのが、おかしい言い方だってことは分かってるんだよ、ボクも。でも、ボク自身も剣だから、会うっていうおかしな表現になってしまった訳で……。多分、『使い手が同じだった』とか、『一緒にいる時期が多かった』とか、そんなような関係だと思う。なんというか、とても懐かしい気がしたんだ……」
「とすると、カーラも相当特別な剣なのかな。もし許せば、もう少しヴィルスラグを調べたいところだけど……」
「癪だけど、あの『商人兼傭兵頭の人』に聞いてみるのもいいかもしれない。もし、作られた工房が同じとかだったら、見抜いてくれるかもしれないし。でも、さすがにあれが投影体ってことはないと思うんだけどね……」

 宝剣ヴィルスラグの由来については、正確な話は伝わっていない。「岩に刺さっていたのをエルムンドが引き抜いた」「泉の妖精から賜った」「エルムンド自身の聖印から生まれた」「元来はファーストロード・レオンの剣であった」など、様々な説が並存する。当然、異界の剣である可能性も十分に考えられるのであるが、ヴァレフール内にも一定勢力を持つ聖印教会派の中にはその説を頑として否定する者も多く、定説が確立されるには至っていない。

「一応、その可能性も頭にいれておいても良さそうかもしれないね。うん、ありがとう」
「ボクも正直、混乱してるというか、割と動揺してるかな……。突然のことだったし……」

 二人がそんな会話を交わしているところに、非公式会談を終えたトオヤが現れた。彼は複雑な表情を浮かべながら、チシャに問いかける。

「さっき、お爺様から聞いたんだけど……、チシャ、結婚するの?」

 いきなり「突拍子もない話」をもう一度掘り返されたチシャは、動揺した表情で答える。

「お、お爺様の戯れだと思いますよ、さすがに、えぇ……」
「だよね。急にいなくなられると困る、うん」

 極度の緊張感から解放されたせいか、トオヤの語り口は無意識のうちに、先刻までとは一転した少年じみた「素の口調」になっている。

「私も出来れば、トオヤの元を離れたくないと思っているので」

 それは契約魔法師としてのチシャの矜持でもあるし、従姉としての親族愛でもある。そう言ってもらえたことで、トオヤもようやく安堵した表情を浮かべた。

「いつも迷惑をかけてるけど、頼りにしてるんだ」
「えぇ。正直、私もファルク様に憧れているところはありますけど、結婚しろと言われると、またそれは違う気がするんですよね……」
「国中の女君主、女魔法師、女邪紋使いを敵に回すことになるからね」

 そう言って互いに笑い合う二人であったが、実は一番恐ろしい「敵」は国の外(メガエラ)にいるということを、彼等はまだ知らない(その詳細はブレトランドの英霊1を参照)。
 やがて、「レア」の客室からゴーバンが出てくるが、あえてトオヤ達はここでは彼とは会話を交わさぬまま別れ、再び「レア」と合流した上で、今後の方針について話し合う。そして「ガフによるヴィルスラグの鑑定」の必要性をケネスも感じているということを知ったカーラは、トオヤ達と共にその場に立ち会うという方針で合意することになった。

3.1. 宝剣鑑定

 翌日、トオヤ達四人はファルクをガフの自宅へと案内し、ヴィルスラグを彼の前に提示させる。「宝剣」と称される剣を目の当たりにしたガフは、思わずため息を漏らした。

「これがヴィルスラグ……、そもそも過去に「実物」を見たことがない以上、ヴィルスラグの本物であると断言することは俺には出来ないが、明らかに『ただの剣』ではないことは分かる」
「では、贋作ではない、ということは信じてもらえますか?」

 ファルクにそう問われると、ガフは鋭い視線で剣身を凝視しながら答えた。

「あぁ。贋作には贋作の『匂い』がある。無論、世の中には偶然似たような形状の剣が作られることもあるが、『偶然似たものが生まれた時』と『あえて似せようと思って作った時』では、明らかにそこから感じられるオーラが違うんだ。その意味では、この剣からは『贋作のオーラ』は全く感じない。これがヴィルスラグかどうかは分からないが、少なくとも、これまで世界各地で見てきたどんな聖剣、宝剣、魔剣の類いよりも、強力な『何か』を感じる……」

 そこまで語ったところで、ガフはふと思い出したかのように、カーラを見ながら呟いた。

「そういえば、『あんた』にも少し似てるな、この剣。形状だけでなく、そこに込められた何か、よく分からないが……」
「オルガノンのボクと、その宝剣が?」

 そのやりとりの最中、ファルクが一瞬、表情を歪める。それは「気付かれたくないことに気付かれた時の表情」であったが、そのことに気付いたのは「レア」だけだった。

「では、これが本物で間違いない、ということでよろしいですね」

 そう言いながら、ファルクは粛々とヴィルスラグを再び袋に収納する。その上で、ファルクは「結論が出るまで滞在が必要ならばこの地に残る」と言い残した上で、再び客室へと戻って行った。そんな彼を見送りながら、「レア」は黙って思案を巡らせる。そんな彼女の表情を目の当たりにしたトオヤが、思わず声をかける。

「レア姫、何か浮かない顔をしているようだが?」
「……気にすることはない。自分の今後の身の振り方に関わる重要な話が出た翌日だ。少しくらい考え事をしても、バチは当たるまい」

 ひとまずそう言って「レア」がごまかす一方で、カーラは先刻のガフの発言に対して、更に詳しく確認しようとする。

「『似せようとしたもの』と『偶然似てしまったもの』は違う、と言ってたけど、ボクとあの剣はどちら側だと思うかい?」
「少なくとも、『あんた』からも、『あの剣』からも、贋作の匂いはしない。あんたらが似てるのは『偶然』なのか、あるいは『別の必然』なのか……」
「作り手が一緒とか、そういう似方ではないのかい?」
「その可能性は十分にある。というか、素直に考えればその可能性が一番妥当なんだが、どうもそれだけではないような気がするんだよな。もっと根本的な何か……」

 「目利きの調達屋」としてのプライドに賭けて、ガフはなんとしても結論を導き出したいと考えてはいたが、いかんせん「オルガノン」も「宝剣」もあまりに規格外すぎる存在であるため、どうにも可能性が絞りきれない。
 前述の通り、四百年前にヴィルスラグがどこから現れたのか、明確な記録は残されていない。一方で、カーラには五年前にトオヤ達に発見される前までの記憶がなく、いつから「あの洞窟」の中にいたのかも分からない。また、投影体は本体が「異世界の存在」である以上、「元々いた異世界」の中では別の時代の存在だった者達が「こちらの世界」では同時に投影されることもあれば、逆に「元々いた異世界」では同じ時代だった者達が「こちらの世界」では別の時代に投影されることもある。そして、極稀にではあるが、『同じ存在』が複数同時にこの世界に投影されることもありえるとも言われている。したがって、もしヴィルスラグの正体が「投影体」であると仮定した場合、カーラとの関係性についてはほぼ無限に多様な可能性が並存することになる。

「そうか、ありがとう」

 そう言って、カーラはトオヤ達と共にガフの自宅を後にして、城へと帰還する。その過程において「レア」ことパペットは、真実を確かめるために、とある「奇策」を密かに考案していたのであるが、この時点ではまだそのことには誰も気付いていなかった。

3.2. 謎の「話し声」

 自室に戻ったパペットは、「レア」から「ガフ」へと姿を変えて、ファルクの部屋へと向かう。あくまでも「目利きのガフ」として、ファルクから更なる情報を聞き出すためである。だが、その「ガフ」がファルクの客室の前まで来たところで、本来はファルクしかいない筈のその部屋の中から微かに聞こえる「女性」の話し声に「ガフ」は気付いた。

「で、いつまでここに残るつもりなのか?」

 それはどこか威圧的な声質であり、どう聞いても一介の侍女や召使いではない、一定の風格を感じさせる雰囲気が感じ取れた。

「彼等も考える時間は必要でしょうし、致し方ないでしょう」

 そう答えたのは、明らかにファルクの声である。彼は公的な場では相手の身分に関わらず基本的に敬語で話す人物ではあるが、この時の彼の声色からは、相手に対して「相当な畏敬の念」が込められていることを「ガフ」は感じ取る。彼(?)がそのまま耳を凝らして聞いていると、再び先刻と同じ「女性の声」が聞こえた。

「それにしても、なぜ『あの子』がここにいるのか……」
「あなたは彼女を見た瞬間に、すぐにオルガノンだと分かったようですが、オルガノンには、オルガノンならではの『独特な気配』があるのでしょうか?」
「いや、特にそういう訳ではない。しかし、私が『あの子』を見忘れる筈がない。まぁ、正確に言えば『あの子』は、『オルガノン』ではないのだが……」
「どういうことですか、それは?」
「これ以上は言えない。この件に関しては、たとえワトホート様に聞かれても答える訳にはいかない」
「出すぎたことを申し上げました。いずれにせよ、彼等が決断しないことには、我々も行動出来ないのが現状です。正直なところ、私は『今回の計画』には反対だったので、話が流れてくれるのであれば、その方がありがたいのですが。あなた自身はどうなのですか? あなたの力をこのような形で使うことに、あなたは異論はないのですか?」
「私はあくまで、ただの道具。あの方の後継者のためにこの力を使う。それが私の全てだ」

 ファルクと「謎の女性」の会話は、ここで途切れる。「ガフ」はここまでの話を聞いた上で、あえて少し間を空けてから扉をノックすると、すぐに中からファルクが扉を開けた。

「おや、先刻の鑑定士の方でしたか」

 そう言って彼は「ガフ」を部屋の中へと招き入れる。そこにはファルク以外の人物の姿は見当たらない。ただ、そこには「ヴィルスラグ」が入っていると思しき袋が確かにあった。

「鑑定士というか、一応、本業はこっちも騎士なんだがな。まぁ、それはいい。で、ちょっと話をさせてもらっていいか?」
「なんでしょう?」
「あんたの持ってきたあの剣、普通の剣じゃないだろう? あぁ、この言い方はおかしいな。ヴィルスラグなんだから、普通の剣の筈はないんだが……」

 ここで少し間を開けた上で、「ガフ」はファルクの目を凝視しながら問いかける。

「あれは、オルガノンか?」
「……ヴィルスラグの由来に関しては、様々な伝承があります。投影体だという説も無くはない。真相は未だ不明なのですが、もしかしたら、オルガノンなのかもしれませんね」

 ファルクは聖印教会の一員ではあるが、投影体の有効利用に対しては柔軟な思想の持ち主である。だからこそ、なのかどうかは分からないが、はぐらかすような言い方で答えたファルクに対して、「ガフ」は更に追求する。

「ほーう。お前さんも知らないのか。だとすると、もし本当にオルガノンだったとしたら、いよいよ俺の目利きも本格的な領域にまで到達した、ってことになるな。で、結局のところ、ケネスの旦那とか、トオヤの坊ちゃんに隠してることはないんだな?」
「私は話すべきことは話しました。私が陛下から命じられたのは、このヴィルスラグを届けて、レア姫様をお連れすること。もしあなたの目から見てこのヴィルスラグが偽物だというならば、ケネス殿にそう進言して頂いても構わない。それがあなたの判断ならば」
「正直、分からねえな。本物を見たことがある訳でもねえしな」
「私も、実物を見る機会はそれほど多くはないですからね。陛下の戴冠式の時に拝見して以来です。その前は、いつだったか……」

 淡々と話をそらそうとするファルクであったが、「ガフ」は更に釘を刺す。

「俺は一介の騎士で鑑定士だし、国の偉い皆様方のやることに口を出す気はねぇ。ただ、世話になっている人を騙そうっていうなら、それはちょっと気にくわねぇ。そうでないなら、別に言うことはないさ。邪魔したな、今言ったことは忘れてくれ」
「えぇ。先ほども申し上げた通り、私はあなたの目利きを信用しています。ですので、もしこのヴィルスラグが偽物だというのであれば、それは長い歴史の中で、どこかで偽物と替えられたという可能性もあるのかもしれません」
「……少なくとも、タダモノじゃねぇよ。ヴィルスラグか、あるいは『それに匹敵する価値のある何か』だ」

 そう言って、「ガフ」は部屋を去って行く。そして廊下の途中で、周囲に誰もいないことを確認した上で再び「レア」の姿へと戻り、トオヤの部屋へと向かうのであった。

3.3. 宝剣を巡る仮説

 その頃、トオヤの部屋ではチシャとカーラを交えた三人での、ちょっとした「お茶会」が開かれていた。

(ゴーバン様がヴィルスラグを手にしたら、ヴィルスラグと手合わせが出来るんだよな……。ゴーバン様を怪我させたくはないけど、でも、ヴィルスラグとは戦ってみたい。そうすれば、真実が分かるかもしれない……)

 そんな想いを抱きがなら苦悶するカーラに対して、チシャとトオヤは心配そうに声をかける。

「大丈夫ですか?」
「何か悩み事がある時は、甘いものを食べるといい」

 そう言って、トオヤは一昨日の店でお土産として買ったクッキーを彼女に差し出す。すると、そこに「レア」が現れた。

「おや、ティータイムの会場はこちらかい?」
「あ、お嬢、お帰り」
「お帰りなさい」
「一体、どこへ行ってたんだ? 声をかけようと思ったら、あっという間にいなくなっていて、びっくりしたんだが」

 トオヤにそう問われた「レア」は、正直に答える。

「ちょっとね、調べ物に」
「そうか」
「ガフさんの姿になって、ファルクさんの部屋に行ってきたよ」

 それを聞いたカーラが、思わずお茶を吹き出す。当然、トオヤもまた驚愕の表情を浮かべた。

「バレてはいないのか?」
「バレたと思うかい?」
「その様子だと、バレてはいないようだな」
「さて、ここからが僕の手にいれてきた情報だ」

 そう言って、「レア」は先刻のくだりを正確にそのまま彼等に伝える。ここまでの状況から察するに「宝剣ヴィルスラグ」の正体が実はカーラと同じ(?)オルガノンであるという仮説が、ここに来て急速に現実味を増してきたことに、彼等は驚きを隠せない。そして、その「ヴィルスラグ」と思しき女性の発言の中に出てきた「あるフレーズ」が、チシャは気になっていた。

「『あの子』ですか……」

 前後の会話から察するに、それが「カーラ」であることはほぼ間違いないが、ヴィルスラグ(推定)からみて、カーラはそう呼ぶほどに親しい関係、ということらしい。
 一方、トオヤは先刻の祖父との対談を思い出しながら、今回の体制派からの「不自然な提案」の真意が、ようやく掴めてきたような気がした。

「仮にヴィルスラグの正体がオルガノンだったところで、相当な価値があることは間違いないし、交渉の趣旨自体が大きく変わることはないと思う。ただ、もしヴィルスラグがカーラと同じように『人』の姿になって『自分の足』で自由に動ける存在だとすれば、交渉が成立して『姫様』を彼等が連れ帰った後に、ヴィルスラグが自力で城を抜け出して彼等の元へ戻ってしまうことも出来ることになる……」

 トオヤがそう推察する傍らで、「レア」も頷く。

「そうだね。あと、この件を通じて、僕はカーラさんにすごく興味が湧いたね」
「そ、そうかい?」

 突然そう言われたカーラは、少し驚いた表情を見せる。

「彼等は君のことを『オルガノンのようでオルガノンではない』と言っていた」
「うーん、それって、どういうことなんだろう? そもそも、そういう存在って、ありえるのかな?」

 首を傾げるカーラに対して、トオヤと「レア」はどこか達観した表情で答える。

「混沌の引き起こす現象は理屈では測れない。何が起こるかは分からないからな」
「ま、僕もその辺の話は専門じゃないから、そんなのがいるんじゃないかと言われたら、それはそれで納得させられるさ」

 「分からないものは分からない」という彼等の姿勢は、ある意味で一番の真理である。そして、それは「専門家」であるチシャにとっても同じであった。結局のところ、混沌とは元来「法則性を持たない」からこそ混沌なのであり、魔法師が「魔法」として統御出来る範囲の「法則化された混沌の作用」などというものは、この世界の混沌の中での例外的な極一部の事象にすぎないのである。 

「ボクは本当に、君達に起こされる以前のことは覚えていないんだ……。不自然なほどに記憶がない……。でも、ヴィルスラグのことはなぜか『懐かしい』と思うんだ……」

 なおも悩み続けるカーラに対して、トオヤが心配そうに問いかける。

「失った記憶の中で、ヴィルスラグと関わったことがある、ということか?」
「そうじゃないかとボクは思ってるよ」
「なるほど。とはいえ、別に無理に思い出すこともないさ。カーラはカーラだろ?」

 「あるじ」にそう言われたカーラは、ようやく、どこかふっきれた表情を見せる。

「そうだね……。ボクはボクだ! 『あるじの剣』であることに変わりはない!」

 まだ心のどこかに何か「引っかかるもの」が残った状態ではあるものの、いずれ分かる時が来ることを期待しつつ、今はひとまずそのことは考えないことにしたカーラであった。

3.4. 「武器」としての生き方

 こうして、ようやくカーラが笑顔を取り戻した直後、彼女達が集まったトオヤの部屋の扉を何者かがノックする音が聞こえる。トオヤが扉を開くと、そこにいたのはファルクであった。その表情から、何か「重要な話」を切り出そうとしているように見えたトオヤは、あえて彼を(「レア」達がいる)部屋の中には入れずに、自ら廊下に出た上で、小声で話を聞くことにした。

「一つお伺いしたいのですが、あなたの従者の『黒い大剣を持った女性』、オルガノンの方とお見受けしましたが……」
「えぇ、そうですが」
「彼女とは、どこでお知り合いになられた?」

 ここで唐突にこのようなことを聞かれるのは、端から見れば明らかに不自然ではあるが、先刻の「レア」の報告を聞いていたトオヤには、おそらくはそれが「あの子」の正体を確かめようとするヴィルスラグ(推定)のための聞き込み調査であることを推察する。

「これはこれで長い冒険譚となるのですが……」

 トオヤはそう前置きした上で、あえて長々と「子供の頃の冒険譚」を物語仕立てで語り始める。「謎の魔法少女」のことも含めて全て事細かく説明したトオヤに対して、ファルクは最後まで集中力を切らさぬまま聴き終えた上で、ひとまず納得したような表情を浮かべる。

「なるほど。そういうことでしたか。ちなみに、彼女は今も『自分の素性』を分かっていないのですか?」

 その問いに対して、トオヤはわざと話の焦点をズラして答える。

「オルガノンであるからには、おそらくヴェリア界とかいうところから来たのでは?」
「オルガノンの方々は、ヴェリア界に来る以前はどこかまた別の世界にいたものだ、という話を聞いたことがあります。と言っても、私は混沌にはあまり詳しくないのですが」

 確かに、ファルクは聖印教会の信徒という立場である以上、混沌に詳しくはないだろう。そして、彼のような「混沌に詳しくない君主」は、普通は「ヴェリア界」という異界の存在自体を知らないのが一般的である。そう考えると、改めてトオヤの中での「ファルクと話していた女性」がオルガノンである可能性が高いように思えてくる。

「えぇ、彼女はどうやら記憶がないようです。しかし、なぜそれを?」
「私は聖印教会の身ですので、投影体のことはそもそもよく知りません。だからこそ、この機会に見聞を広めておきたいと思いまして」

 答えになっていないと思いつつ、トオヤは彼の意図は概ね推察する。

「そうですか。では、彼女と会って行きますか? 今、中で茶会を開いているところなのですが」

 そう言って、彼はファルクを部屋の中へと案内する。カーラは、従者と主人が同じ卓についているを見られるのが体面上よろしくないと思い、慌てて立ち上がった。

「先程、トオヤ殿から話を聞いたのですが、あなたはトオヤ殿に発見されたのですよね?」
「えーっと、はい、そういうことになりますね……」

 正確に言えば、この場にいる「三人」に発見されたのだが、そのことはここでは大きな問題ではない。

「それ以前のことは全く覚えていないのですか?」
「そうですね……、投影されて間もなかったのでしょうか、何も覚えていることがないのです」
「なるほど。では、今のあなたの主人はトオヤ殿、ということで良いのですね?」
「えぇ、そういうことになります」
「しかし、トオヤ様はあなたのことをあくまで『従者』として扱い、『武器』としては扱っていないようですが……」

 ファルクがそこから続けて何か言おうとしたところで、横からトオヤが割って入った。

「決して、『武器』として使っていない訳ではないですよ。私は守ることしか出来ない。そのために槍を持っていますが、彼女は私の代わりに『武器』として斬りかかってくれている。『二人で一人の騎士』ような存在ですよ」
「なるほど。では、あなたは、オルガノンとして、主人であるトオヤ様のために戦う今の立場で満足している、と?」

 そう問われたカーラは、少し逡巡しながら訥々と答える。

「まぁ、確かに、あるじ自身の手でボクを振るってもらうにこしたことはないけど……、でもボクは自分で動いて戦うことも出来る。実際、その方があるじも出来ることが増えるだろう?」

 そこまで言ったところで、思わず口調が崩れてしまっていたことに気付いたカーラが、慌てて言い直す。

「あ、いや、その、出来ることが多いでしょう?」

 ファルクはそのことは気にせず、軽く微笑みを浮かべる。

「私はオルガノンの方々がどういう感覚で生きているのかはよく分かりませんが、『主人のために尽くしたい』『誰かのために尽くしたい』と考えるという意味では、実は我々人間とあまり変わらないのかもしれませんね。誰かのために尽くすことによって充実感、満足感を得るのは、我々も同じです」

 その言葉に対して、カーラも納得した表情を見える。

「やっぱり、生き物として別のものでも、志は同じ、と言ってもらえると、私もこれまで、人と違うと思っていたので、安心することが出来ます。ありがとうございます」

 慣れない敬語口調で必死に言葉を繋ぎながら、カーラも笑顔でそう答えた。

3.5. 事実と真実

 そんな中、またしても別の来客がトオヤの部屋を訪れた。ドギの侍従長のアマンダである。と言っても、彼女はトオヤに用事があった訳ではない。

「チシャ様と二人とでお話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 どうやら彼女はチシャの行方を探して、この部屋にたどり着いたらしい。チシャはトオヤに一礼した上で退室し、城内の一角にあるアマンダの小さな私室へと案内される。

「チシャ様、一つ確認したいのですが……、あなたはネネ様の行方に関して、ご存知ではありませんよね?」
「えぇ、はい」
「ネネ様から、失踪前に何か特別なことを聞かされてもいませんよね?」
「はい」
「あなた自身、今の時点でネネ様に対して、何か聞きたいことなどはありますか? 無ければ良いのですが……」

 このアマンダの口ぶりからは、まるで「自分であればネネと話をつけられる」と言っているようにも聞こえるが、仮にそうだとしても、今、ここで安易にその話に乗って良いのかどうか、チシャには判断がつかなかった。

「それは……、聞きたいことはありますよ。少なくとも、なぜ何も言わずに失踪したのかは聞きたいですし……」

 そんな当然と言えば当然の感慨を口にしつつも、アマンダの意図を測りかねていたチシャとしては、これ以上踏み込んだ会話を交わして良いのかどうかを迷い、そのまましばし会話が途切れる。
 すると、再びアマンダが、今度は全く別の方面から切り込んできた。

「実は先刻、こちらの旦那様(ケネス)から、ただならぬ質問をされまして……。『チシャは本当にマッキーの娘なのか?』と」

 もともと、マッキーの家族の中でチシャだけが目の色が違うことは周知の事実であったため、そのような「噂」は(チシャの耳に直接届くことは無かったが)あったらしい。だが、ケネスが先日の「謎の投影島の調査」から帰ってきて以来、急にそのことを強く疑い始めた様子である。もしかしたら、彼は投影島で何かチシャの出生に関わる情報に触れたのかもしれない。

「私は『そう伺っております』と答えておきました。この件に関して、あなたがネネ様から何かをお聞きしている訳ではないのですね?」
「はい、それはありません」
「では、改めてお聞きします。あなたはこれから先も、今は亡きマッキー様の御息女でありたいと思っていますか?」

 その質問に対して、チシャは怪訝そうな顔を浮かべながら答える。

「えぇ、もちろん。なぜそのようなことを?」
「いえ、私はそれさえ確認出来れば満足です。あなたの今の考えが変わらないのであれば、これ以上は聞かない方がよろしいかと。旦那様は『自分の手駒として使える選択肢』が多い方がいいと考えているようですが……、私としては、あくまでもネネ様とあなた自身の考えを尊重したいと考えている。だから、あなたがマッキー様の子でありたいと考えているならば、それが『私の中での真実』です」
「そうですね……、『両親』を裏切ってまでどうこうしようという気はありません。私は、マッキーの子です」

 血縁の真実がどうであれ、実際に「父親」としてチシャを育てたのは紛れもなくマッキーである。不倫疑惑からトオヤに対して父親として接しきれなかったレオンとは異なり、マッキーは若くして病死するまで一貫してチシャに対して「父親」としての愛情を注ぎ続けた。その彼が「実の父親ではない」と言われたところで、チシャにとっては「血縁上の父親」以上に彼の存在の方が大切であったという事実は変えようがない。

「分かりました。では、それを『私の中での真実』として、これから先も私は生きていきます」

 アマンダはそう言い残して、侍従長としての仕事に戻り、チシャも自分の客室へと帰った。アマンダの反応から、改めて自分の出生への疑惑は強まったものの、今はそのことに対して、自ら詮索する気にはなれなかった。

3.6. 聖騎士達の想い

 一方、チシャが退室したのとほぼ同時に、ファルクもまたトオヤの部屋を出て自室へと戻ろうとするが、トオヤはそんな彼に対して、改めて声をかけた。

「ファルク殿、少々よろしいですか?」
「なんでしょう?」

 ファルクはやや警戒した面持ちで立ち止まり、話を聞こうとする。そんな彼に対して、トオヤは慎重な表情を浮かべながら問いかけた。

「あなたは、宝剣の代わりに姫様の身柄を王都に連れ帰るつもりのようですが、あなたはレア姫のことをどうお考えですか?」
「大変なお立場であろうとは思います。この国において、我々ワトホート様に仕える身としては、レア姫様が最後の希望の光ですから」
「そうですか……」

 トオヤは少し間を開けた上で、独り言のように呟いた。

「この、分裂するに至ってしまったヴァレフールにおいて、それをまとめられる王は、誰なのでしょうね」
「私はワトホート様だと考えています。出来ることなら、あの人のご病気を直したい。そのための薬を手に入れたい。私としては、レア様のご帰還よりも、まず薬を手に入れたい。しかし、その薬の持ち主がそれを是としないのであれば、また次の選択肢を考えなければならない」

 ファルクはそう言いながらトオヤの反応を伺うが、彼が「薬」という言葉に対して全く反応していないことから、トオヤが「薬」の件について何も知らされていないであろうと推測した上で、そのまま話を続ける。

「レア様とゴーバン様の婚姻だけが選択肢ではないと思っています。しかし、現状においてはそれ以上に望ましい解決策が私には思いつかない。ヴェラ様がいればまた話は変わってきますが」

 仮に反体制派がワトホートの爵位継承の正統性を認めたとしても、先刻ファルク自身が言っていた通り、彼はいつ急死してもおかしくない体質である以上、「その次の後継者」は明確に定めておく必要がある。
 ワトホートの長女のフィーナは現在行方不明。そして次女のレアも(トオヤ達しか知らないことだが)「本人」は行方不明の状態である。ただ、従属聖印の持ち主が死んだ場合、ワトホートにはそれが分かる筈なので、もしワトホートが「レア」がここにいると本気で信じた上でヴィルスラグまで持ち出しているのであれば、彼女が生きていることは間違いない(もっとも、その真意はまだ不明であるが)。
 とはいえ、当面はパペットが影武者となってごまかすことは出来るものの、彼女(?)は邪紋使いであるため、「その時」が来た時に実際に聖印を受け取ることが出来ない。また、ワトホートほどではないにせよ、レアも微妙に身体が弱いという難点はある。王としての資質については、トオヤもファルクも5年前の彼女しか知らない以上、まだ現時点では判断しにくい。
 一方、ワトホートの弟トイバルの子供達のうち、長男のゴーバンは、父譲りの「実直すぎる性格」と周囲から思われてはいるが、間近で彼の稽古の相手をしてきたトオヤから見ると、彼はまだ「子供」なだけで、それなりに周囲の助言を受け入れようとする柔軟さもある以上、これから先の成長次第では、名君となれる資質はあるのかもしれない。ただ、「トイバルの息子」というだけでワトホート側からは敬遠される可能性が高いだろう(無論、それはレアの側も同じことであるが)。
 トイバルの次男のドギは最も幼いながらも勉強熱心で、賢王となれる資質はありそうだが、病弱である上に、そもそも聖印を受け取れない。歳を重ねることによってそのような体質が改善した事例も無くは無いらしいが、少なくとも今の時点では後継者候補にはなり得ない。
 一方、この二人の姉であるサラは、幻想詩連合の盟主国ハルーシアの名門貴族の御曹司との婚約が決定しており、既にブレトランドを去って現地で花嫁修業中である。そんな彼女を今からでも呼び戻すことは出来なくもないが、現時点で縁談を破棄する正当な理由がない以上、その場合は実質的に「異国の貴族」が王配となる。そうなると幻想詩連合との繋がりがより一層強くなるため、グレン派としては容認しがたいだろう。
 一部では最も資質に恵まれた存在とも言われていたワトホートの妹のヴェラは、臣下であるシュペルター家に降嫁した時点で本人が「私はもう伯爵家の人間ではない」と断言している上、今はテイタニアの騒動を解決するために大陸各地を放浪中の身である。どうしても他に選択肢がいなくなった場合には、帰還して後を継ぐことを本人も了承するのではないか、と期待する声もあるが、今のところ現実的な継承候補者とは言えない。
 現時点で「血統」という観点から継承者としての条件を満たしているのは以上の面々である。ワトホート達の父ブラギスの兄弟達は皆早逝しており、ブラギスの父の兄弟達の末裔はいずれも縁組によって大陸諸国に点在しているため、上記の者達以外の王族の血縁者となると、かなりの遠縁となってしまう。
 そして、彼等の中で誰が王としての「資質」を備えているのか、という点に関しては、年若の者達が多い以上、まだ何とも判断し難い。ただ、現実問題として諸々の諸条件に鑑みるに、実質的に「レア」と「ゴーバン」の二択となっているというのが、多くの者達の認識であった。
 そのことを踏まえた上で、改めてファルクはこう言った。

「いずれにせよ、この国を立て直すために必要なのは、『治める者』だけではない。『支える者』も重要であると私は考えています」
「えぇ、それはもちろん」
「その上で、あなたはレア様とゴーバン様がもし御結婚された場合、その新体制を支えていくつもりはある、ということでよろしいのでしょうか?」
「俺は……」

 しばしの沈黙の後に、改めてトオヤは答える。

「俺の役目を果たすだけです。領民やヴァレフールの国を守るだけです」
「それに関しては私も同感です。私もあなたと同じ『守る力』を神から与えられた『聖騎士の聖印』の持ち主ですから。だからこそ、早くこの争いを終わらせたい。ケネス殿にもグレン殿にも、それぞれに退けぬものはあるでしょうが、このまま続けていて良い筈がない。ただ、あなたから見て、今回の提案がその解決に繋がらないというのであれば、無理に推すつもりはありません。その場合は断って頂いて構いません」

 どうやら「レア」が言っていた通り、ファルクは今回の「交換条件交渉」そのものに内心では反対しているようであるが、ひとまずそのことには触れないまま、トオヤはトオヤで自分の中での感慨を素直にそのまま述懐する。

「そうですか。正直なところを言えば、今の内乱はウチのお爺様と副団長殿の権力争いから始まった争いであり、身内の恥のようなものです。だからこそ、その二人の勝ち負け無しで終わってほしいと私は考えています。この争いが続くことで、一番苦しむのは領民達ですから」

 そう言い残して、トオヤはその場を立ち去った。内乱を終わらせたいという思いは共有しながらも、その思いが微妙に噛み合わない今のこの状況に苛立ちを感じながら、それでも終わらせなければならないという強い決意を改めて胸に秘めて。

3.7. 国を背負う覚悟

 この日の夜、改めてケネスがトオヤを自室へと呼び出した。契約魔法師としてのチシャと、側近としてのカーラの同席は認められたが、今回は「レア」は呼ばれなかった。おそらく彼女に聞かせたくない話なのだろう。とはいえ、出来れば直接その話を聞きたいと考えていたパペットは、あえてここで「カーラの人間体」の姿に化けた上で、「(人間体を消した状態の)カーラの本体(大剣)」を持って同席するという形で、実質的にその場に潜り込むことに成功する。
 ケネスはそんな「カーラ」の正体に気付ける筈もなく、「身内」しかこの場にはいないという前提の上で、トオヤに問いかけた。

「家臣団と話し合った結果、今のところは『ファルクの出した提案に乗っても良いのではないか』という意見が多いが、お前はどう思う? 昨日の時点は乗り気ではなかったようだが、今もそう思うか?」

 ケネスとしては、この提案を受け入れた上で、トオヤ達が体制派の内側に入り込むことによって様々な政治工作を施す機会が得られるのであれば、それもそれで一つの利点だと考えていたのだが、当のトオヤにその気がなければ意味がない。だからこそ、ここで彼の意思を確認する必要があったのである。

「私がこの交渉に乗り気でなかったのは、宝剣をこうも簡単に出して来ることに違和感を覚えていたからです。それに関して、あることが分かりました」

 そう言って彼は、「『チシャによって呼び出された小型投影体』がファルクの部屋から盗み聞きした」という体裁で、パペットが聞いた情報をそのままケネスに伝える。

「つまり、どうやらあの宝剣はオルガノンのようなのです」
「……なるほどな」
「そうなると、宝剣を一旦こちらに預けた上で、密かに宝剣が人間体となり、この城を抜け出し、彼等の元へ戻るという算段かもしれません」
「それは『ヴィルスラグそのものが本来オルガノンだった』ということなのか、それとも『ヴィルスラグのふりをしたオルガノンをファルクが持参した』ということのか、どちらだ?」
「分かりませんが、ガフの話から判断する限り……、おそらく『もともとオルガノンだった』のではないでしょうか?」

 ガフは「贋作の匂いはしない」と言っていた。もっとも、彼が「模倣して化けたオルガノン」の匂いまで識別出来るのかどうかは分からない。

「確かにな……。ヴィルスラグがオルガノンだという可能性は考えたことはなかったが、ありえない話ではない。四百年前から伝わる宝剣と言われてはいるが、そもそもオルガノンに寿命があるのかどうかも分からないしな……。その辺りはどうなのだ?」

 ケネスは「カーラ」に問いかける。当然、パペットがそのようなことを知る筈がないが、ひとまずは当たり障りない回答でその場をごまかすことにした。

「今のところ、仲間のオルガノンが寿命で死んだという話を聞いたことはないです」

 より正確に言えば「仲間のオルガノン」なるものがカーラにはいない。だが、言葉の上では、これはこれで「嘘は言っていない」ということになる。

「そうだろうな。投影体の中でも、この世界の中で歳を取る者と取らない者がいるからな」
「私の場合は、5年前から姿形は変わっていないので、寿命はないのかもしれません」

 「カーラ」はそう答えるが、実際のところ、これについては「それぞれの個体による」としか言いようがないのである。混沌の産物(投影体)とは、そういうものなのだ。

「いずれにせよ、ヴィルスラグが本物であろうと無かろうと、『敵のオルガノン』をこちら側に置いておくことは、向こうにとっても色々な選択肢が考えうるということか……。しかも、もしそのオルガノンが本物の『宝剣ヴィルスラグ』でもあるならば、『そこの者』のように自律型で動き出した場合、どれほどの力を持っているかは分からん。何か『よからぬこと』を企んでいたとしても、そこら辺の雑兵では止められないだろう。その上で、奴等はゴーバンに預けることにこだわっていた。つまり……」

 単純に城から単体で脱出するだけでなく、ゴーバンの誘拐、あるいは暗殺すらも考えうる話だろう。少なくとも、自分が相手の立場ならばそれは必ず選択肢に含めた上で考える、というのがケネスの見解であった。

「それを踏まえた上で、どうなさいますか?」
「確かに、そう考えると色々な意味でこの提案を受け入れるのは危険すぎる。とはいえ、ここで話をまとめたいところでもあるのだ。私としても、これ以上この不毛な争いを続けたくはない」
「そうですね。何より領民が苦しんでいる」
「ここで話が決裂したという形になると、なおさら話がこじれる可能性もある。何か代替案があれば良いのだがな……。レア姫の本音としては、どうなのだ? ゴーバン殿下との婚姻に対して、前向きなのか?」

 ここにレア姫がいないという前提でそう問いかけるケネスに対して(それはそれで間違いではないのだが)、トオヤは率直に答える。

「それについては私は分かりません。ただ、あの方は君主としての役割をきちんと理解され、その責務を果たすべきだと考えているようです」
「市井の間では、お前こそがレア姫の相手としてふさわしいという評判もあるようだが、それについてはどう思う?」

 これまであえて極力考えずにいた選択肢をいきなり提示されたことで、トオヤが咳き込み始める。どうやら、この「動揺した時に咳き込む癖」は、どうしても止められないらしい。ケネスとしては、トオヤのこのような「気持ちが表に出てしまう体質」が、「将来の騎士団長候補」としてはどうにも不安に思えた。

「お、俺としては……」
「弟分であるゴーバン殿下に取られるのは、癪か?」

 あえて挑発するような言い回しでトオヤにそう問いかけたケネスであるが、トオヤが答える前に彼は持論を滔々と語り始める。

「はっきり言おう。私はこの国を継ぐ者は、必ずしも『英雄王の直系の血族』である必要はないと思う。ただ、英雄王の血統を継ぐ者の方が、民衆は支持しやすい。その上で、お前にその覚悟があるのであれば、お前がレア姫を娶り、爵位は彼女が継いだ上で、実質的にお前が彼女の夫として、この国を正しい方向に導いていくというのも、選択肢の一つだと考えている。公の場では言えんがな。あくまでも我々は、正統後継者はゴーバン様であるという建前は崩せない。だが、現実問題として、今のゴーバン殿下にこの難局を乗り切れるとも思えん。お前に、レア姫の王配として、この国を背負う覚悟はあるか?」
「俺は……」

 トオヤが自分の考えを必死でまとめようとしているところで、「カーラ」が口を開く。

「申し訳ない、トオヤ。少し頭が痛いんだ。席を外していいかな」
「あ、あぁ……」

 これは、パペットが「自分がこの場にいることでトオヤが答えにくくなる」と考えたのか、あるいは純粋に彼女(?)自身が「聞きたくない」と思ったのか、どちらとも取りうる状況で困惑しつつも、トオヤは素直に「カーラ」の退席を容認する(必然的に「本体」もそのまま部屋からいなくなる)。
 この時、「カーラ」の口調が明らかに「いつもの彼女」とは異なっていたのであるが、ケネスはそのことには気付かなかった。むしろ、彼が気になったのは全く別のことである。

「オルガノンにも、頭痛というものがあるのだな」

 彼は騎士の中では比較的混沌に関する情報に通じた人物ではあるが、オルガノンに関しては投影体の中でも非常に特殊な存在であるが故に、そこまで造詣は深くない。

「基本的には、『人』と同じですから」

 「投影体の専門家」であるチシャがそう言ってその場の空気を落ち着かせている間に、トオヤの中ではようやく「今、自分が伝えたいこと」がまとまった。

「お爺様、少々、話はそれますが……、俺は、父に愛されて育った訳ではありません。母につきまとう噂話によって、正直、私は父に憎まれて成長したと言っても過言ではありません」
「その噂は私も聞いている」
「父上の感情として、そうなるのは至極当然のことだと思います。そのこともあって、私は両親のことを『家族』と思っていなかったのです。そんな私にとって、初めて手にした『家族』と呼べるような存在が、チシャであり、レア姫様であり、さきほど退室したカーラだったのです。俺はこれまで、領民を初め、彼女達のことを守ると言っていましたが、実際には違うのです」
「ほう?」

 トオヤの口調が(一人称も含めて)ブレ始めていることから、彼がようやく「本音」で語り始めようとしていることをケネスは察しつつ、そのまま黙って話を聞き続ける。

「私は何より、家族を失うのが怖かった。最初は何も持ってなかった俺に、愛情を教えてくれた彼女達を失うのが、本当に怖かった。そのことを、船でレア姫を守った時に実感しました。そんな臆病者の私ですが、この国の、特に自分の領民達が苦しんでいるのを見て、失いたくはないと思っています。臆病者と罵られるかは分かりませんが、確かに守りたいとは思っています。それが王としてふさわしいかはともかくとして、君主として以前に守りたいんです。だから、お爺様、あなたが本当にこのヴァレフールという国を守りたいのであれば、私はどのようなことでも背負っていきます。何も失わないために」

 気持ちがまとまらないままに話しているため、言いたいことの主旨はよく分からないが、少なくとも「必要とあればレア姫を娶ることも厭わない」と考えているのであろうと解釈したケネスは、その前提の上で改めて問いかける。

「なるほどな。だが、仮にお前がレア姫を娶ったとして、それはそれでまた色々な問題が起きるだろう。私としては、ゴーバン殿下もお前も私の孫だ。私の立場としてはどちらでもいい。だが、おそらくワトホート側はお前では納得しないだろう。レア姫と同格の存在とはいえないからな。『伯爵家の血筋を引いていない私の孫』がレア姫と結婚するとなれば、『なぜトオヤのなのか』『ならば自分でも良いのではないか』などと言い出す者も出てくるだろう。で、『お前』はそやつらを納得させられるだけの存在でありえると思うか?」

 そこまで言ったところで、ケネスはあえて言い直す。

「いや、ここで問うべき問いとしては、正確ではないな。『今のお前』は、そやつらを納得させられるだけの存在であると思うか?」

 トオヤは静かに答える。

「いいえ、『今の私』はそれほど強い存在ではありません。強くあろうとはしていますが、それだけです」
「では、『未来のお前』はそうなれると思うか?」
「俺一人では無理でしょう。俺は、ただの泣き虫な臆病者です。ただ、俺には幸いなことに、優秀な契約魔法師もいれば、非常に優れた剣もいます。そんな親愛なる俺の家族の助けがあれば、いつかヴァレフールところかブレトランド中に名を響かせる英雄になれるかもしれません」
「……そうであってほしいと、私も思っているのだがな」

 ケネスはひとまず(完全にではないにせよ)納得したような表情を見せた上で、改めて「喫緊の課題」へと話題を戻す。

「そういうことなら、今ここで無理にゴーバン殿下との婚儀の話を進める必要もない。『そちらの選択肢』も残しておいた方がいいだろうからな。その上で、今のこの状況を改善するために、何が必要だと思う?」
「ひとまずは、向こうに歩み寄らなければなりません。そのためには、レア姫様を向こう側に渡すしかないかと」
「レア姫を向こうに渡した上で、その代わりにこちらは何を得る? 非常に大きな手駒を失うことになるぞ」
「えぇ……」

 そのことはトオヤも分かっている。だが、老獪な策士であるケネスですら思いつかない解決策を、まだ17歳の駆け出し騎士にすぎないトオヤに考案しろというのも、無理のある話であった。

3.8. 時限案

 しばしの沈黙が続いた後、ケネスはふと思い出したかのようにチシャに視線を向ける。

「すまない、チシャ。またここでトオヤと二人だけで話がしたいんだが」
「分かりました」

 そう言って、チシャが退室すると、ケネスはやや声量を落として語り始める。

「実は一つ、チシャには、というよりも、エーラムには話せないことがあってな……」

 それは、例の「投影島」におけるケネスとパンドラとの交渉の際の話である。「パンドラとの裏交渉」という行為自体、エーラムに所属するチシャの前で堂々と話せることではないのだが、ケネスは彼等との交渉を通じて、色々と情報を仕入れており、その中には、チシャの目の前では話しにくい事柄も含まれていたのである。
 昨日の時点ではケネスはトオヤに対して「新世界派がレアを拐おうとした理由は分からない」と言っていたが、実はこの時点でケネスは既に一つの「重要な手がかり」を握っていた。それをトオヤに話さなかったのは、中途半端な情報を伝えることによってトオヤを混乱させない方が良いと考えたからなのだが、あれから僅か1日で状況が二転三転し、明確な方針が見えなくなってきたこの現状において、あえてそのことをトオヤに伝える決意を固めたのである。

「奴等がレア姫様を手に入れようとした明確な目的は不明だが、どうやら奴等には『エルムンドの血統の者』が必要らしい。そして、そのための誘拐対象候補として、『チシャ』と『あの剣』も新世界派に狙われていたらしいのだが、お前、何か知っているか? 特に、あの剣に関して」

 チシャに関してはもともと「伯爵家の誰かの御落胤」なのではないかという噂もあったので、ケネスにとってはそれほど意外な話でもなかった(だからこその先刻のアマンダとチシャの問答が発生したのである)。だが、カーラに関してはその存在そのものがあまりにも謎すぎるため、皆目見当がつかない。
 一方、トオヤにしてみれば、この情報自体は(船内での一連の経緯とクリステルからの事前通告に照らし合わせて考えるに)ほぼ想定通りの内容であったが、逆に言えば、それ以上のことはトオヤにも分からない。

「あのオルガノンは何者なのだ?」
「分かりません。しかし、カーラはカーラです」

 ケネスとしては、ここで「伯爵家の血統」という後継者の条件を満たしうる「別の選択肢」が存在するなら、それも一考の価値はあると考えていたようだが、トオヤが知らないと主張するならば、今の時点でこれ以上問いただしても仕方がないと判断した上で、改めて本題に戻る。

「では、その件は一旦置いておこう。それはそれとして、交換条件はどうする? いっそ、何の見返りも求めずに返すという道も無くは無いがな」

 前述の通り、トオヤ達を敵陣の内側に送り込めるというだけでも意義はある。その上で、トオヤとレアがそのまま仲を深めて婚姻にまで持っていくことが出来るのであればそれも大きな利点なのだが、今のところ、そこまでの気概がトオヤにあるとはケネスには思えなかった。

「我等としては、ワトホートに毒殺の罪を認めさせた上で退位させる、というのが最終目標ではある。だが、レア姫を人質に取ったところで、奴等はそれを飲まないだろう。そして人質を取った形でそれを認めさせたとしても、民衆はついてこない。ならばいっそ、我等がレア姫の継承権を認めた上で、その条件としてワトホートに即時退位を要求する、という道もあるが、どうする?」

 おそらく、それがケネスとしての最大限の譲歩だろう。ワトホートの毒殺の嫌疑を曖昧にしたまま「体調問題」を理由にレアに即時継承させるという形式を取れば、両陣営の顔は立つ形での落とし所になる。その上で、ゴーバンもしくはトオヤとの婚約という条件を付与したかったところではあるが、昨日の時点での「レア」とトオヤの関係を見る限り、レア自身はトオヤのことを全面的に信頼しているように見えたため、ここで無理にどちらかとの婚儀を進めなくても、このままトオヤがレアの側近として新体制の中で確固たる地位を築ければ、グレン派に国政を乗っ取られることもないのではないか、とケネスは考えていた。
 だが、トオヤとしてはその提案を認める訳にはいかない。なぜならば、今この城にいる「レア姫」が偽物であるため、「即時継承」はそもそも不可能なのである(ここでケネス相手にそのことを話せるほど、彼は祖父のことを信用出来てはいなかった)。トオヤはそのことに内心苦悶しながらも、それ以外に有効な選択肢が思いつかないため、どうにかその方向でまとめつつ、「ワトホートからレアへの即時継承」に反対するための「大義名分」を探ろうとする。

「確かに、それも一つの選択肢でしょう……。ならば、そのことを諸侯に認めさせるための交渉を、レア姫御自身になさって頂く、というのはいかがでしょうか?」
「ほう?」
「それが上手くいけば、彼女の後継者としての力量を証明することになりますし、それを我々が手助けするという形で共に諸侯から認められることが出来れば、我々『反体制派』だった者達が新体制下で軽んじられるということもなくなるかと」

 つまり、「レア姫」を一旦返した上で、国内の反対論を強引に押し切って即時継承を要求するのではなく、トオヤ達が彼女の「次期伯爵就任」を支援すると宣言し、彼女と共に「彼女の為政者としての資質」を国内諸侯に説いて回った上で、皆が容認して納得出来る状態になった時点でワトホートからの継承を執り行う、ということである。当然、トオヤの本音としては、その間に「本物のレア」を探す道を探りたいとも考えていた。
 その提案はケネスにとっても決して悪い条件ではない。そもそも、今の時点でケネスがいきなり掌を返してレア姫継承を容認すること自体が、ゴーバンへの継承を目指して共闘してきた同志達への裏切り行為とも取られる以上、このような形で「方針転換までの猶予期間」があった方が、諸侯としても柔軟な対応が可能となるだろう。その上で、レアにその資質がないと判断した者達が改めてゴーバンを推すことになれば、その時はその時でまた議論して決めればいい。それで再び泥沼の対立に陥る可能性もあるが、少なくとも現在の一触即発の冷戦状態よりは「ワトホート退位」を前提とした上での「平和的論争」での解決へと持ち込める分、幾分マシである。

「では、期限を決めるか」
「期限、ですか?」
「さすがに、そこでズルズルと話を引き伸ばされても困るからな。レア姫を返した上で、一年以内にワトホートは退位する。理由は健康問題でも何でもいい。その上で、一年後までの間に七男爵会議を開いて次期後継者を決定する。今回は『保留』は認めない。それでどうだ?」

 この条件であれば、あくまでもゴーバン継承を主張する者達も、ひとまず納得出来るであろう。実際、現状において、態度不鮮明な三人の男爵も存在する以上、状況はどう転じるかは分からない。もっとも、その三男爵はレアの継承自体に異論を挟む可能性は低いと考えられており、むしろトオヤ達がレアによる継承を支援するのであれば、ガスコインをはじめとする反体制派の諸侯を納得させる方が骨が折れる可能性もあるし、体制派の側でも、レアへの継承は認めてもトオヤを側近として重用することに反発する者もいるだろう。いずれにせよ重要なのは、一年以内にレアと同時にトオヤ自身の評価も諸侯の間で高めておくことである。

「その上で、お前がレア姫と共に国内の諸侯を説得し、新体制に向けての挙国一致体制を築ければそれで良し。それまでの間に『レア姫とゴーバン殿下』もしくは『レア姫とお前』との縁談をまとめることが出来ればそれが最良の道だろう。相手はどちらでも私は構わん。いずれにせよ、お前が果たすべき最大の役割は、レア姫に他の『悪い虫』がつかないように気をつけることだ。お前の最大の敵はファルクだと思え。あの男を超える騎士になれば、お前がレアの夫になろうと、側近になろうと、誰も文句は言わないだろう」

 一年以内にそこまでの名声を獲得しろというのは無理難題のように思えるが、現実問題として、(歳は10歳以上離れているとはいえ)レアとファルクの縁談という可能性も無いとは言えない。少なくとも、聖印教会の中にはそれを求める声が一定数存在するし、ファルクに密かに懸想する国内の独身女性達を納得させるという意味でも、実はそれが一番現実的でもある(本人の意志は不明だが)。
 上述の通り、これはケネスにとっては「最大限のギリギリの譲歩」である。だが、政治的交渉というものは、そもそも最初から「ある程度までは譲歩する」ということを前提とした上で、互いに「取り下げ可能な要求」を一番上に掲げながら妥協案を探っていくものである。

「我々としてはワトホートに毒殺の罪を認めるべきと主張し続けてきたが、現実問題として、奴等がその条件を呑むことはないだろうし、そんなことは私も最初から分かっている。あくまでも外交上のカードの一つにすぎない。どちらにせよ、真実は分からんしな」

 暗黙の了解とはいえ、公の場では言えないこのようなことを、ケネスはあえてトオヤに対して言い放つ。それはトオヤが新体制下において「次期騎士団長」に就任することを期待しているからである。それは、彼がケネスの「血統」を引き継ぐ者だからではない(トオヤの母の不倫疑惑はケネスも知っているし、そのこと自体はケネスは「どうでもいいこと」だと思っている)。あくまでも彼の中に、自分の後継者足りうる「資質」があると見込んだ上でのことである。
 まだまだ甘さは残るが、トオヤが上記のような形での「妥協案」を自ら絞り出すことが出来たことで(その真意が「本物のレア姫を探すための時間稼ぎ」であることには気付いていなかったが)、ケネスは彼の中に秘められた「為政者としての潜在能力」を十分に感じ取っていた。

3.9. 新たなる決意

 その後、再び四人はトオヤの部屋で合流し、トオヤは彼女達に一通りの話を伝える。その中には「チシャには伝えない方がいい」とケネスが判断した話もあったが、どちらにしてもその情報はほぼ彼等の中でも周知の話であったので、今更隠す必要もなかった。

「……という方針になったんだが、それでいいかな?」

 それに対して、最大の当事者である「レア」は頷きながら答える。

「そうだね。その方針には概ね賛成だ。僕はレア姫が帰って来るまで代理を務める。それはつまり、何か重要な決断が必要になった時に、僕が決めることになる、ということにもなるのだが、なるべく姫様の意に沿うようにはするよ。ただ、ゴーバン殿下との結婚となると、あまり乗り気にはなれないな」
「あぁ、まぁ、それはそうだろうな。さすがに勝手に決めるわけには……」
「相手が君だったらいいんだよ、トオヤ」

 涼しい顔で「レア」はそう言い放つ。

「え!? そ、そそれは、どういう……?」
「ここまで言っても、まだ分からないのかい?」
「あ、あぁ、うん、分かった。だが、すまない、今日は心臓に悪いことが多くてな……」

 「偽物」とはいえ「レア」の顔でそのようなことを言われると、当然のごとくトオヤは平静ではいられない。いや、より正確に言えば、そもそも、この少女が「偽物」なのかどうかも、トオヤの中では微妙な位置付けなのである。少なくとも、彼がこれまで「家族」として接してきたレアの中の何割かは、もともと「彼女」の方だったのである。「自分の中でのレアへの感情」が、「行方不明のレア」への感情なのか、「この場にいるレア」への感情なのかも、トオヤの中ではよく分からなくなっていた。
 そんな彼の心境を知ってか知らずか、「この場にいるレア」は、はっきりと断言する。

「今がどうかは知らないが、少なくとも以前の姫様は、君のことを好いていたさ。姫様が戻って来て、僕が御役御免になった時、結婚相手がゴーバン様よりは、まだ君の方が納得してくれる」
「そ、そうなのか……。そういえば、お爺様から、レア姫様に悪い虫がつかないように護衛するのもお前の仕事のうちだと言われてたんだが……、サンドルミアではどうだったんだ?」

 それが「仕事」としての質問なのか、それともトオヤ個人の中の何らかの衝動が「知りたい」という感情を掻き立てていたのかは不明であるが、「レア」は淡々と答える。

「僕の知る限りでは、ないね。向こうの学園でも、外国から来た姫様にちょっかいを出そうという奴は、あまりいないのさ」
「そういうものか」
「まぁ、僕の知らないところで何かあったなら、それこそ僕の知ったことじゃない」

 とはいえ、四六時中レアと共にいて、頻繁に彼女の影武者を勤めていたパペットの目を結んで誰かと逢瀬を交わすということは、現実的にはほぼ不可能であろう。トオヤはそれを聞いた上で、少し落ち着きを取り戻しながら、改めて話を本題に戻す。

「いずれにせよ、過去のことは分からないし、それよりも大事なのは未来を見ることだな。これから、君を『レア姫』としてドラグボロゥに一緒に行く訳だが……」
「それで、ヴァレフール中のお偉方を相手にした交渉合戦の始まり、という訳か」
「とはいえ、その過程で『レア姫』を狙う奴らが現れる可能性も十分にある」
「だけど、それについは心配ないな。だって、君が守ってくれるんだろう? 僕だけでなく、チシャやカーラも狙われるかもしれないけど、三人くらいは守りきってくれ」
「あぁ。そこは安心してほしい」

 そうして勝手に話を進める二人に対して、カーラとチシャが少しだけ不服そうな顔を浮かべながら口を挟む。

「一応、ボクだって最低限の『守り』は出来るんだよ」
「守られてばかりじゃ、あまり気分よくありませんしね」

 実際、カーラの「本体」は相手の攻撃を受け止める際にも並みの盾と同等以上の役割を果たせるし、チシャにも召喚獣を用いた防護壁を作る術はある。そのことはトオヤも理解した上で、改めて三人に対して頭を下げる。

「勝手に決めてすまないが、これからも、よろしく頼む」

 そんな彼に対して、「レア」は小悪魔的な笑みを浮かべながらこう言った。

「これからも僕を守ってくれたまえよ。どこぞの暗殺者からも、どこぞの悪い虫からもね」

4.1. 和平への船出

 それから一晩明けて、改めてケネスは家臣団との間で方針を協議した結果、ファルクからの「結婚を前提とした宝剣貸与案」を正式に断った上で、「一年以内のワトホート退位要求」を軸とする和平案を提案する。
 当然のことながら、その提案の受諾の是非はファルクの一存では答えられないため、「一度ドラグボロゥに話を持ち帰った上で協議する」という返答になったのだが、あくまでファルクの個人的見解としては「その条件であれば合意を得られる可能性が高い」という旨を伝えていた。
 そこで、ひとまずファルクは、レア(および護衛のトオヤ達)と共にアキレス所有の「アーティファクト軍艦」に乗ってドラグボロゥの南に位置する港町オーキッドへと向かい、その地に軍艦を停泊させた上で、ファルクが単身でドラグボロゥに赴いて正式にワトホートによる合意の旨が確認出来た時点で、レア達は軍艦を降りて首都へと向かう、という方針で一致するに至った。面倒な手続きではあるが、互いに「騙し討ち」を避けるためにはそれしかなかった。
 こうして、ようやく「和平実現に向けての一歩」が踏み出されることになった、という情報は瞬く間にアキレス中に向かうことになり、町の人達の間でも「これで内乱が終わるかもしれない」という歓喜の笑顔が広がっていく。

 ******

 ここで問題になるのは、トオヤ達が「レア姫」の護衛のための兵(タイフォンの守備兵の大半)を率いたまま、長期にわたって所領であるタイフォンを留守にすることである。政務に関しては基本的にはウォルターがいれば問題はないが、彼はあくまでも「一般人」のため、もし混沌災害などが起きた場合、トオヤもチシャもいない状態では対応出来ない。
 そこで留守居役として、雇われ騎士のガフとその傘下の傭兵団が当面駐留することになった。一応、ガフは「聖印」を持つ「君主」でもある以上、何かあった時は彼の聖印で混沌を浄化することは出来る。

「まぁ、『領主様代行』なんて柄じゃねえが、頼まれたからには、きっちり仕事はするぜ。久しぶりに、『君主』としての腕の見せ所だな」

 そう言ってタイフォンへと向かおうとするガフに対し、トオヤはウォルターへの手紙を託す。そこには、改めて彼に苦労をかけることへの謝罪と感謝の言葉が綴られていた。

 ******

 一方、ゴーバンは宝剣を貰えなかったことに不満を感じつつも、今回の和平案を通じて縁談が一旦破綻したことを喜びつつ、一年以内に次の伯爵が決定されるという話を聞かされた上で、それまでに自分が「立派な君主」になると宣言する。現状において、レアを後継者とする方向で話をまとめようとしているトオヤとしはやや心苦しかったが、そんなトオヤに対して、ゴーバンはこう言った。

「レアねーちゃんはお前にやるから、宝剣は俺が貰う」

 それが継承者候補として何を意味しているのかはゴーバン自身もよく分からないまま、彼は笑顔でトオヤと、そして(困った表情を浮かべる)カーラを見送るのであった。

 ******

 これに対して、弟のドギはチシャに対して名残惜しそうな顔を浮かべながらも、こちらもこちらで納得した表情を浮かべる。

「せっかくだから、もう少し話がしたかったけど……、あなたもあなたでやることがあるなら、僕は僕で次に来る時までにもう少し勉強して、『あの木』をこの土地に根付かせる方法を考えたいと思う」

 彼は彼で、なんとか自分の存在意義を見出そうとしているらしい。一方、彼の傍らに立つアマンダもまた、チシャに対してこう言って見送った。

「もし何かあったら、いつでも何でも私に仰って下さい。ネネ様も、この世界のどこかであなたを見守っている筈です」

 その言葉の意味をあえて深読みせぬまま、チシャもトオヤやカーラと共に軍船へと乗り込むことになる。

 ******

 そんな彼等を見送る民衆達の中には、先日トオヤを訪ねた吟遊詩人ハイアムの姿もあった。

「久しぶりに、英雄と呼ぶに値する可能性のある人物に出会えて嬉しく思えます。いずれこの停滞した世界をあなたが救って下さることを、私も期待しております」

 そう言って、彼はトオヤ達の門出を祝福する。その静かな笑顔の裏で、彼は冷静に今のこの状況を分析していた。

(どうやらまだ、反体制派の命脈は尽きてはいないらしい。そう報告しなければな……)

 彼の正体は、幻想詩連合の本国ハルーシアからの密偵である。ブレトランドにおける情勢を本国に伝えることが彼の本業であった。連合内においては、ヴァレフールの内乱を早期に集結させるために、優勢と見られる体制派への支持を表明すべきではないか、という意見もあったが、この状況を見る限り、まだしばらくは様子を見守るべきであろう、というのが「密偵としてのハイアム」の現在の見解であった。
 一方、「吟遊詩人としてのハイアム」は、トオヤから確かに「英雄としての潜在能力」を感じ取っていた。今はまだ駆け出しの騎士にすぎないが、そんな彼から「この世界を変革させられるだけの可能性を秘めたオーラ」を感じ取っていたのである。それ故に、彼はまだトオヤの「姫様救出の物語」を叙事詩にしようとはしなかった。おそらくここから先、まだまだ彼の物語は続いていく。今回の彼の武勇伝は、その最初のほんの些細な序章にすぎないかもしれない、という思いから、あえて今の時点で彼の物語を「小さな叙事詩」としてまとめることが憚られたのである。
 そんな彼は、トオヤ達の出航に向けて沸き立つ街の一角で、数百年前から伝わる、この小大陸に住む者なら誰でも知っている「英雄王エルムンドの叙事詩」を歌い始める。いつかトオヤ達が、この叙事詩をも超える英雄譚を築き上げてくれることを期待しながら。

  七つの聖印携えて
  六つの輝石の加護を受け
  五つの銀甲身に纏い
  四つの異能を従えて
  三つの令嗣に世を託し
  二つの神馬の鞍上で
  一つの宝剣振り翳し
  全ての希望を取り戻す
  かの者の名はエルムンド
  ブレトランドの英雄王

4.2. 戦闘狂船団

 こうして、トオヤ達を乗せた船はオーキッドに向かって出航した。その船内において、カーラは改めてファルクが有している「宝剣ヴィルスラグ」が気になっていた。ドラグボロゥに到着すれば、おそらくヴィルスラグは再び宝物庫に厳重に保管されることになるであろう。だからこそ、その正体を確かめることは今しか出来ないのだが、さすがにファルクに直接話を聞きに行く訳にもいかず、手合わせを申し出る決心もつかないまま、船は粛々と南西へと帆を進める。
 やがて夜が更けて、一部の警備兵以外を除いた者達が静かに寝静まった頃、唐突に船内がザワつき始める。チシャと「レア」はその音で目を覚まし、そして甲板に様子を見に行こうとした瞬間、船が大きく傾き、体勢を崩して倒れる。そして、その衝撃でトオヤとカーラもまた目を覚ました。その直前に何かが直撃したような衝撃音が響き渡っていたため、おそらくは何者かによる砲撃か何かを受けたと思われる。

「トオヤ、起きてるかい?」
「大丈夫だ」

 真っ先にトオヤの部屋に向かった「レア」は、彼の無事を確認すると、「傭兵隊長ドルチェ」の姿に変身し、チシャやカーラとも合流した上で、隣の集団寝室で寝ていた部下の兵士達に戦闘準備を整えさせる。
 やがて彼等を従えて甲板に上がったドルチェは、その視線の先に不気味な形状の軍船が漂っているのを目の当たりにする。すぐさま彼女は近くの水平を問いただした。

「これはどうしたことだ?」
「あれは『オブリビヨン』の船です。誰に雇われているのかは分かりませんが……」

 オブリビヨンとは、アトラタン大陸およびその周囲の幅広い地域で活動する、神出鬼没の傭兵集団である。その実態は不明であるが、腕利きの邪紋使い達を揃えた精鋭部隊であると同時に、戦場となった地を焼け野原にするまで破壊・略奪・暴行の限りを尽くす戦闘狂集団であるとも言われている(実は先日の対パンドラ革命派との抗争の際には、彼等の一部はケネスに雇われる形でアキレス側に協力していたのだが、当時謹慎中だったトオヤ達はその事情を知らない)。

「ここでこの船に沈まれても困るな。加勢する。奴等の目的は分かるか?」

 ドルチェがそう問うと、その船員が答えた。

「宝剣ヴィルスラグをよこせ、と言ってます」

 この船にファルクが乗船していることは周知の事実だが、ファルクがヴィルスラグを所有しているという情報は公開されてはいない。誰がそのことを漏らしたのかは不明であるが、ここで英雄王の後継者の象徴を奪われる訳にはいかない以上、彼女達は徹底抗戦を決意する(そもそも、仮にその宝剣を渡したところで、そのまま気にせず相手を皆殺しにするような連中、というのが、オブリヨンに対する一般的な認識であった)。
 そんな中、そのオブリビヨンの軍船から巨大な砲弾が再び浴びせられるが、それを一人の男が身を呈して庇った。ファルクである。彼は大盾で身体を守りながらその砲撃を受け止めるが、さすがに生身で対軍船兵器の一撃を受け止めるのは負担が大きく、思わずその場に片膝をつく。ちなみに、その腰には一本の剣が差されてはいるが、それはファルクの本来の愛剣であり、ヴィルスラグではない。

「ファルクさん!」

 日頃は冷静なチシャが思わず叫ぶ。だが、彼はすぐに立ち上がった。

「なんとか一撃は食い止めましたが、そう何発も止め続けるのは無理です。先刻からあの船の移動速度を見る限り、おそらく逃げ切ることも出来ないしょうから、こちらから接舷して倒しに行くしかない」

 痛みに耐えながらそう語るファルクを目の当たりにしながら、ドルチェは船員に尋ねた。

「そのように船を動かせるか?」
「もちろんです!」

 こうして、彼等を載せたアキレスの軍艦は、謎のオブリビヨンの襲撃船へと突撃し、そのまま乱戦状態に突入することになった。敵の甲板に立ち並ぶ不気味な邪紋兵団達に対して、カーラは敵を混乱させるために、あえてその「本体」を空高く振り上げた上で、こう叫ぶ。

「このヴィルスラグの一撃、受けてみよ!」

 すると、敵の視線は一瞬にして彼女に惹き付けられた。彼女の剣身はヴィルスラグとは(微妙に似てはいるものの)明らかに異なる形状なのであるが、わずかな月光に照らされただけの夜の船上で、本物のヴィルスラグの姿を正しく認識出来ているとも思えない者達を騙すには、その一言だけで十分であった。
 案の定、敵の主力部隊が船を乗り移ってカーラに向かって突進してくるが、その刃がカーラ隊に届く前に、聖騎士の聖印の力で強化されたトオヤ隊が間に割って入ってその突進を食い止め、その直後にカーラは自らの本体を一瞬だけ巨大化させ、その一瞬の間に周囲の敵達を一気に薙ぎ払う。
 その隣ではチシャ隊に対して襲い来る者達もいたが、トオヤが光の壁を広げることでその攻撃を喰い止めつつ、チシャがウィル・オー・ウィスプを召喚して次々と敵兵を焼き払っていく。
 一方、その奥に控える敵兵達に対して立ちはだかったのは、ドルチェ隊であった。彼女は独特のなまめかしい動きで敵軍の邪紋兵達の目線を翻弄しつつ、その不規則な動きの剣先から繰り出される攻撃で着実に敵の頭数を減らしていく。やがて、彼女の作り出す独特の空気に惑わされた他の部隊の邪紋兵達も彼女を襲おうとするが、ドルチェの視線に心を奪われた彼等の攻撃は(トオヤが庇うまでもなく)彼女にはまるで当たらない。
 そうこうしている中、カーラが二度目の本気の斬撃を周囲に繰り出した結果、敵の本隊は大打撃を被り、完全に指揮系統が混乱した混乱状態へと陥る。

「おぉ、さすが宝剣ヴィルスラグ!」

 アキレスの船員達が感嘆の声を上げる中、混迷する敵本隊に対してチシャが魔力の全てを込めたウィル・オー・ウィスプによる攻撃を繰り出した結果、あっさりと敵は殲滅される。まさに、数日前の蝿男との戦いで露呈した「詰めの甘さ」を克服したかのような完勝であった。

4.3. 剣少女の正体

 一方、この戦いの最中、甲板の隅の方で、たった一人で巨大な剣を振るいながら戦っている女性(下図)の姿をカーラは発見する。交戦中はよく見えなかったが、戦いを終えた時点でカーラがその女性を凝視すると、その手に持っていたのは、明らかに宝剣ヴィルスラグであった。


 どうやら、カーラが「囮」になったことで目立たなかったが、「彼女」もまた戦場でその身を振るわれていたらしい。そして、その「女性」の姿はこれまでこの船の中で一度も見ていない。また、その身を包む鎧の形状も、明らかにこの世界の代物ではなく、どちらかと言えばカーラの(封印を解かれた直後から着ていた)鎧に近かった。
 そんな彼女に対して、カーラは駆けよろうとするが、それと同時に彼女の方からもカーラに向かって近付いて来る。そして彼女はカーラに対してこう言った。

「さすがだな、『宝剣ヴィルスラグ』殿」

 軽い皮肉が込められたその口調に対して、カーラは深々と頭を下げる。

「えーっと、その、騙ってしまって、申し訳ございませんでした!」

 それに対して「その女性」が何者言わないまま、カーラは恐る恐る頭を上げ、そして改めて彼女の顔を見上げたところで、それまでカーラの中で封印されていた「記憶」が、突然、カーラの記憶の奥底から蘇ってきた。

 ******

 カーラには、他のオルガノンとは違って、「元いた世界の記憶」は一切存在しない。それは忘れてしまったからではなく、もともと存在しなかったのである。
 彼女は「厳密な意味でのオルガノン」ではなく、そもそも「投影体」ですらない。「投影体」とは、異界に存在する何かの「複製品」が、混沌の力によってこの世界に出現した存在であるが(それ故に、投影体がこの世界でどうなろうと、元の世界では「本物」は何も変わらず存在し続けている)、カーラにはそのような「元いた世界に存在する本物」なるものが存在しない。なぜなら彼女は「最初からこの世界で生を受けた存在」だからである。
 彼女が生まれたのは、400年近く前のブレトランド小大陸。彼女の父の名は、シャルプ・インサルンド。英雄王エルムンドの長男にして、初代ヴァレフール伯爵となった人物である。だが、公式の家系図にはカーラの名は記されていない。なぜならば、カーラの母はシャルプの正妻ではなく、そして人間ですら無かったからである。
 その母の名こそが、宝剣ヴィルスラグ。その正体は、英雄王エルムンドに支えた「剣のオルガノン」であった。つまり、カーラは「英雄王の息子」と「英雄王の宝剣(オルガノン)」の間に生まれた、半混沌の混血児だったのである(かつてカーラは、ケネスの契約魔法師であったハンフリーから「お前の体内には、通常の投影体に比べて半分の混沌核しかない」と言われていたが、これこそがその理由であった)。
 宝剣ヴィルスラグはエルムンドの死後、その長男であったシャルプに受け継がれるが、その擬人化体としての「ヴィルスラグ」がシャルプと恋仲になり、やがてカーラが生まれた。しかし、この時点でシャルプには既に正妻がいた。また、「英雄王の宝剣」とはいえ「混沌の産物」との間に子供を作ること自体への倫理的な問題もあった(当時の彼等の認識としては、そもそも「人とオルガンンの間に子供が生まれること」などあり得ないと思っていなかったのかもしれない)。
 それでも、正妻の目を盗んでどうにかある程度の年齢までは育てられたが、やがてその存在が明るみになりそうになったところで、「ヴィルスラグの旧友」を自称する一人の「魔法少女」が現れ、両親の同意の上で、彼女の力によってカーラはドラグボロゥ近辺の洞窟に封印されることになったのである。

「この国に危機が訪れた時に、英雄の資質がある者が現れたら、お前の封印を解く」

 その魔法少女からそう言われたカーラは、その直後に記憶を一旦消された上で、「剣」の状態で四百年近くその洞窟に封印されることになった。
 そして五年前、まだ子供だったトオヤ達が、(なぜか四百年前から全く歳を取っていない)その「魔法少女」に導かれ、彼女を引き抜くことになったのである。

 ******

 一瞬にして失われていた記憶が全て戻ったカーラは、驚愕と困惑と感動と安堵が織り混ざった、なんとも言えない表情でそのまま「彼女」を凝視する。それは確かに、その蘇った記憶の中にあった「ヴィルスラグ」の「人」としての姿であった。

「さすがに、母の顔は忘れなかったか?」

 笑顔でそう問いかけるヴィルスラグに対し、カーラは無言のままボロボロと涙を零し、そのまま彼女に抱きつこうとする。

「今は、あまり人目につく訳にはいかんからな……」

 ヴィルスラグはそう言うと、一瞬にして「宝剣」だけの状態となり、そのままカーラは「母」を抱きかかえ、ハラハラと涙を流している。暗い夜の船の甲板の隅に立つそのカーラの姿にトオヤ達が気付くのは、その直後のことであった。

4.4. 闇に消えた謀略

 その後、船はオーキッドへと辿り着き、「レア」やトオヤ達をひとまず軍船に留めたまま、ファルクはヴィルスラグを背負った状態で、早馬でドラグボロゥへと向かう。この村の領主であるイノケンティスは、」敵対していた筈のアキレスの軍船をそのまま停泊させろという命令に困惑するが、船の上から「レア姫」が住民達に笑顔で手を振る姿を見せたことで、町の人々は(よく事情は分からないまま)素直にその軍船を歓迎する。
 一方、無事にドラグボロゥへと辿り着いたファルクは、ワトホートへの報告の前に、まずヴィルスラグを宝物庫へと届けることにした。その直前で、ヴィルスラグは自らの分身である「擬人化体」を出現させた上で、ファルクに問いかける。

「貴殿としては、これで安堵しているのだろう?」
「えぇ。私としては、宝剣であるあなたを、あのような『謀略』に用いることも、そのために幼いゴーバン殿下の心に傷を負わせることも、容認したくはなかったですから」

 その「謀略」とは、ヴィルスラグをゴーバンに預けた上で、真夜中にゴーバンが寝静まった頃、ヴィルスラグが自分の本体の柄をゴーバンに握らせた上で「剣」だけの状態となり、その状態でゴーバンの身体を彼女が操って(オガルノンには、持ち主の身体を実質乗っ取るような形でその四肢を動かすことが出来る。無論、持ち主がそれを拒めば不可能だが、寝ている状態では止めようがない)、「ゴーバンの体」を用いてケネスを暗殺する、という計画であった。
 この策略が成功すれば、反体制派の旗頭であるゴーバンが、その後見人でもあるケネスを自らの手で暗殺した、という情報が広がることで反体制派が大混乱に陥り、やがて彼等はそのまま内側から瓦解していくであろう、というのが、ワトホートの描いたシナリオだったのである。
 ファルクとしては、あまりにも騎士道精神から外れたこの謀略に対して、当初から激しい嫌悪感を抱いていたが、彼は同時に「政治は綺麗事だけでは片付かない」という現実も分かっている。だからこそ、自らが主君と定めたワトホートの指示に従い、ヴィルスラグを届ける役を担うことになったのだが、それでも、自らが託された計画が失敗したことに対して、彼の中では謝罪や後悔よりも安堵の気持ちの方が遥かに強かった。

「では、また何かあれば、いつでも呼んでくれ。久しぶりに腕を振るう機会を与えられたおかげで、また本来の『武器』としての本能が湧き上がってきたからな」

 彼女はそう言い残して「宝剣」だけの姿となり、ファルクはその宝剣を城の地下にある宝物庫へと届ける。結局、ファルクは「ヴィルスラグとカーラの関係」については何も聞かされないままであったが、ヴィルスラグ自身が話そうとしない以上、特にそこは深く関与するところでもないと考えて、彼の方からこれ以上追求する気はなかった。

 ******

 それから数日後、ファルクはオーキッドへと再び現れ、ワトホートが「時限付き退位案」を受け入れたという知らせを届けた。こうして、膠着状態が続いていたヴァレフールの内乱は、トオヤとケネスが提示した妥協案によって、ようやく解決に向けて、大きな一歩を踏み出すことになったのである。

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最終更新:2017年08月24日 07:42