第3話(BS32)「革命の闘士」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 生きている価値

「あなたの力、もう必要ないというのなら、私に貸して。少なくとも、私には、あなたの力が必要。そしてこの世界のためにも、あなたの力は必要。だから、あなたが次の道を見つけるまで、この世界のために、そして私のために、その力を貸して」

 かつて、自分自身を救ったその彼女の声で、アシュレイ・ハンター(下図)は目を覚ました。彼は秘密結社「パンドラ革命派」に所属する魔法師である。歳は23。魔法の力で弓矢を召喚して操ることを得意とする亜流(山吹の流派)の静動魔法師である。


 「パンドラ革命派」とは、ブレトランド・パンドラ内の四派閥の一つであり、エーラムによる実質的な世界支配体制の打破を目指す集団である。エーラムがこの世界の秩序管理の名の下で不当な知的独占を続け、魔法開発の名の下で様々な人々の人生を狂わせてきたことを彼等は批判し、反エーラム思想を民衆に広げるための啓蒙活動と、来るべきエーラムとの全面戦争に向けての戦力拡充工作を続けている。
 彼等の大半は、数年前にエーラムの魔法大学において発生した、魔法師協会の改革を求める学生運動の参加者達であり、アシュレイもまたその一員であった。彼は幼少期に君主同士の勢力争いに巻き込まれる形で故郷を失った経験があるからこそ、君主を魔法師が支えるエーラム主導の爵位制度に対して、どこか不信感を抱いていたのである。だが、当時はまだアシュレイはエーラムの世界管理体制そのものを否定する考えではなかったため、彼等の中の急進派がパンドラへと身を投じて行く動きには加わらず、まっとうに魔法大学を卒業し、ヴァレフールの七男爵の一人であるイアン・シュペルターに仕える契約魔法師となった。
 だが、彼の学友にして好敵手であったキース・クレセントが、契約相手となったヴァレフール伯爵家のトイバル・インサルンドによって処刑されたことが、彼の中で大きな転機となる。この事件以降、彼は君主やそれを支えるエーラムという存在そのものに絶望し、契約相手であったイアンとも決別した上で(この時、イアンを殺そうとして返り討ちにあった際の火傷の後が、彼の顎から左腕にかけて残っている)、学生時代の友人達を通じて、パンドラへと身を投じることになる。当初は、聖印を持つ者やエーラムの関係者を見境なく惨殺する過激派部隊の一員として、パンドラ内でもその扱いを持て余される程の存在であった。
 しかし、半年前に仇敵トイバルの戦死(ブレトランドの英霊6参照)を聞かされたことで、彼は人生の目標を見失ってしまう。その結果、それまで自分が繰り返してきた殺戮の正当性にも疑問を持つようになり、一時は自ら命を絶とうとまで考えるほどに精神的に追い込まれていた。そんな彼を救ったのが、パンドラ革命派の女闘士ミオ・ローゼンブルクであった(下図)。


 彼女は影と幻影の邪紋の使い手であり、その両目に「異界の猫の眼球」を移植されたことで夜でも自由に行動することが可能な視力を手に入れた、まさに「隠密・暗殺」の専門家である。彼女はこれまで、任務のために多くのエーラムの要人を殺してきた英雄であり、パンドラ内の邪紋使い達の中でも多くの者達が彼女のことを師と仰ぐほどの人望の持ち主でもある。
 そんな彼女が、自暴自棄になりかけていたアシュレイにかけた上述の言葉が、彼に新たな生きる希望を与えた。彼女の言葉によって、それまで過去にとらわれていたアシュレイは、初めて積極的に未来を見据えた生き方が可能になり、以後は彼女の任務を後方から魔法で支援する役割を担うようになる。かつては自分の湧き上がる衝動だけを理由に見境なく殺人を繰り返していたアシュレイであったが、ミオという「光」を見出して以降は、「エーラムの権威を利用して悪政を敷く君主」を倒し、世界を少しでもより良くすることを、新たな人生の目標として掲げるようになったのである。
 だが、彼等がいかなる理想を掲げようとも、パンドラの行動は、「エーラムによる世界秩序」を是と考える者達にとっては、悪行以外の何物でもない。彼等の活動を封じるべく、ブレトランド内におけるエーラムの魔法師達の一部は、「パンドラ狩り」と称して、パンドラの関係者と思しき市井の者達を次々と捕らえていく。
 その中でも特に中心的な役割を果たしていたのが、ヴァレフール騎士団長(ヴァレフール反体制派の中心人物)ケネス・ドロップスの契約魔法師ハンフリー・カサブランカであった。彼はヴァレフール領内でパンドラに協力している疑いのある一般市民達を次々と捕らえ、様々な脅迫・拷問の末にパンドラの情報を割り出し、彼等の拠点を次々と潰していった。一般市民の中に反エーラム思想を広げようと草の根活動を続ける革命派にとっては、まさに仇敵である。
 そんな状況を打破すべく、先日、ミオは独断でハンフリーの本拠地であるアキレスへと潜入した(直接的な動機は、彼女が世話になっていたアキレスの一般市民の老夫婦が、彼の手で捕まり、拷問の末に命を落としたことが原因らしい)。彼女は巧みに城内へと忍び込み、見事ハンフリーの暗殺に成功したのが、その直後に囚われてしまった。契約魔法師を殺されたケネスは激怒し、アキレスの広場でミオを公開処刑にすると宣言する。これは実質的にパンドラ革命派への挑戦状でもあった。
 この状況に対し、革命派としては、それが自分達を捕らえるための罠だと分かっていても、黙って見過ごす訳にはいかない。すぐさま彼等はミオを奪還することを宣言した張り紙を各地に広め、全面対決の機運が高まっていた。
 当然、この状況において、アシュレイの心境も穏やかではない。現在、ミオを処刑しようとしているアキレスの領主ケネスは、くしくも、アシュレイの仇敵であったトイバルの元側近である。その点を抜きにしても、「彼女無くして今の自分は無い」と考えていたアシュレイとしては、今すぐにでも行動を起こしたい衝動に突き動かされていた。
 ちなみに、ここはパンドラ革命派の拠点として用いられている「移動式住居」の中の一室である。パンドラの魔法技術によって造られたこの建物は、外からその存在を察知することが容易ではなく、また、魔法師達の力によって他の場所に移転させることも可能であり、その所在地を悟られぬよう、常にブレトランド各地を転々と移動している。その内側には構成員の一人一人に簡素な寝室が与えられており、その中の一室で目覚めたアシュレイが、静かに上述の夢の余韻に浸っていたところに、扉をノックする音が聞こえてきた。
 アシュレイが扉を開けると、そこには一人の男が立っていた。

「あんたが、アシュレイさんだろ? ミオからこの手紙を預かっているんだ。『私が戻ってこなかったら、この手紙をアシュレイに渡して』と言われてな」

 そう言って、男は一通の手紙をアシュレイに差し出す。この男の名はジェームス。地球人の投影体であり、同じパンドラでも「楽園派」と呼ばれる別の派閥に所属する身であるが、その見た目が「通常のブレトランド人」に近く、一般市民の中に紛れるのに適しているため、諜報員・工作員として楽園派や均衡派からの依頼を受けることもある(初出はブレトランドの英霊6)。そのため、ミオとも個人的に顔見知りの関係であった。

「ミオから、ですか?」

 アシュレイはそう言いながら手紙を受け取り、その場で中身を確認する。それは、確かにミオの筆跡による手紙であった。

『あなたに相談せず、一人で勝手に行動してしまって、ごめんなさい。私にはどうしても、ハンフリーが許せなかった。でも、これは私の個人的な感情。暴走だということも分かっている。だからこそ、あなたを巻き込む訳にはいかない。私に何があっても、あなたはあなたの道を見失わないで。もし私が失敗して捕まったら、ボスは私の救出を考えるでしょうけど、それはあなたが止めて。私の身勝手な暴走のために、革命派の大義を見失うようなことはやめて。 大局よりも私怨を優先した私のことは、もう仲間だと思わなくていいから』

 そう書かれた手紙を読み終わったアシュレイは、それを静かに畳む。

「話は、それだけですか?」
「今のところはな。そういえば、あんたらのボスが、緊急会議を開くみたいなことを言ってたから、そのうちあんたにも招集命令がかかるんじゃないか?」
「そうですか、ありがとうございます」
「まぁ、俺も彼女には色々と世話になったからな。どうにかしてほしいところではあるが」

 そう言って、ジェームスは退室する。アシュレイは手紙を机の中にそっとしまいつつ、再び静かに一人物想いに耽っていると、やがて、ジェームスが言っていた通り、革命派の首脳陣から、招集がかかる。用件は「ミオ救出作戦に関する作戦会議」とのことである。

(ここで彼女を見捨てたら、今度こそ、私は生きている価値がない!)

 そう自分に言い聞かせながら、彼はすぐに身支度を整え、会議場へと向かうのであった。 

1.2. その名はオブリビヨン

 とある国の、とある戦場にて、一仕事終えた一人の少女(下図)が、不機嫌そうな顔で飯を喰らっていた。彼女の名はニーア。16歳。姓はない。というよりも、分からない。彼女は幼い頃に、唯一の肉親であった「姉」と生き別れて以来、感情のみを行動原理に、感覚のみを頼って、戦場で死体漁りをしながら一人で生きてきた。


 その過程で、やがて彼女は「混沌」を喰らい、「武器の邪紋」の力に目覚める。「悪魔の刃」と呼ばれる異界の大剣をその身と一体化させ、その力で近付く者達を排除しながら、自らの「縄張り」を作って生活していたところで、とある傭兵団に遭遇し、その力を見込んだ団長に勧誘されて、その一団に加わった。
 その団長の名は、ヴァライグ。そして傭兵団の名は、オブリビオン。その構成員の大半は邪紋使いであり、どこからともなく戦場に現れ、自らの力を指揮官に売り込んだ上で、好き勝手に暴れるだけ暴れて去って行くその性質から、凶悪な戦闘狂集団と言われている。
 現在、ニーアはそんなオブリビヨンの中で、部隊長の任に就いている。と言っても、別にそれは彼女が望んだ地位ではない。そもそも、彼女は他のオブリビヨンの者達ほど戦闘に飢えている訳でもなく、むしろ無用な戦闘は好まない。だが、今の彼女には戦うことしか出来ることがないため、彼女が安定して「食事」を得るためには、結果的にこの傭兵団の中に居続けることが最も確実な方法だったのである。そんな中で、彼女がその力を振るって戦果を挙げ続けた結果、気付いた時には「部隊長」の地位を与えられていたのである。
 彼女は部隊長として、団長であるヴァライグからの命令には従うが、決して今のオブリビヨンのやり方を好んでいる訳ではない。あくまでも、自分が飯を喰らい続けるための、自分が生き残るための契約として、彼等に従っているだけであり、組織や指導部への忠誠心など欠片もなく、彼等に隷属するつもりもない。相手がどんな人物であろうが、常に自分と相手は対等だと考えている(それ以前に、そもそも社会的な上下関係などを理解していない)。
 彼女の行動原理は「喰うこと」と「生き残ること」だけである。彼女の中では、そのための行動は全て正しく、それ以外のために何かをする気はサラサラなく、人間らしい感情そのものが欠落した存在であった。
 そんな彼女が一仕事終えて、これから部隊を率いてオブリビヨンに帰ろうとしていたところに、一人の伝令兵が到着した。どうやら、彼女一人にだけ「個別依頼」が届いたらしい。依頼主は、ブレトランドの秘密結社「パンドラ革命派」である。
 元来、オブリビヨンは自らの意思でその力を様々な権力者の元に売り込みに行くことで「仕事」を得ることを生業としており、誰かからの依頼を受け付けてはいない(そもそも、依頼を受けるための「窓口」自体が存在しない)。だが、彼等は一部のパンドラ系の組織とは密な関係を保っており、例外的に彼等からの依頼だけは、このような形で受け入れることもある。今回は、先方からの指名により、ニーア一人だけに依頼したい、という内容であった。

「『上』に話は通ってんのか?」

 ぶっきらぼうな口調で彼女がそう問うと、伝令兵も淡々と応える。

「あぁ、一応、ヴァライグ殿の許可は取ってある。即座に、ブレトランドのパンドラ革命派の元へと赴き、彼等の指示に従え、とのことだ」

 この伝令兵も、年齢的にはニーアよりかなり年上ということもあり、立場的にはかなり上な筈のニーアに対して、このような口調で返す。ニーアは別に、それを咎める気もなかった。彼女の中では人間関係において「上」も「下」もなく、そもそも「敬語」なるものの概念もよく分かっていなかった。
 一方で、彼女の副官のアクセルは、特に誰から命じられたという訳でもなく、上官であるニーアに対して、へりくだった口調で問いかける。

「なんで隊長だけなんスかねぇ? 少数精鋭の任務、ってことですかい?」
「知るか。お前らが使えねえからだろ?」

 ニーアにそう言われて、アクセルは一瞬、表情を歪ませたものの、そのまま会話を続ける。

「正直、少数精鋭での隠密系の任務なら、隊長より俺の方がよっぽど向いてると思うんスけどねぇ。まぁ、でも、隊長でないと出来ない特別な任務があるってんなら、仕方ないッスけど」

 実際、アクセルは邪紋使いの中でも「影」と呼ばれる系譜の能力者であり、あえて部隊を率いずに単独で仕事をこなす必要がありそうな任務だとしたら、普通は彼の方が適任な筈である。ニーア一人に任せられる仕事があるとしたら、その怪力を生かした破壊工作くらいだろうか。

「まぁ、俺達は次の仕事場に行きますわ。命があったら、また会いましょうや、隊長」
「あぁ、お互いにな」

 そう言って、彼女は部下達と別れ、一人、指定された合流場所へと向かって歩き去って行く。その手には、食いかけの昼飯が無造作に握られたままであった。

1.3. 咎人の仁義

 パンドラ革命派は基本的には闇魔法師の組織であるが、その組織を構成している者達の中には、何の力も持たない一般人もいれば、彼等に協力する邪紋使いや投影体もいる。彼等の参加動機は様々である。革命派の反エーラム思想に共鳴した者もいれば、個人的な友誼や恩義に基づいて参戦する者もいるし、ただ単に「他に行き場がないから」という理由で、成り行きで加わることになった者もいる。
 「革命」とは、必ずしも皆が同じ方向を向いた上で実現する現象では無い。厳密に思想を共有出来る者達だけの組織へと純化させたところで、世の中を変えることなど、いつまで経っても出来はしない。それ故に、革命派内においても「エーラムを打倒した後の新世界」の青写真はバラバラであるし、その下で戦う者達の意識も、決して統一されているとは言えない。だが、「革命」を起こすためには、それで良いのである。世の中を動かすためには「本来、力を合わせることが出来ない立場の人々」を、無理矢理にでも糾合する必要がある。だからこそ、彼等は呉越同舟のままでもひとまず「革命派」を立ち上げ、そして異なる理念を掲げる他のパンドラの勢力とも、「反エーラム」の一点のみを共通項として、一定の友好関係を保っていたのであった。
 そんな中、革命派の本拠地である移動式住居の「一階」に存在する詰所において、下っ端の構成員達が不穏な噂話を交わしていた。どうやら、ここ数日の間に、アキレス近辺のパンドラの活動拠点が、次々と潰されているらしい。

「結局、ハンフリーが死んでも、状況は全然改善してねーよ」
「あれじゃねーか? ミオが、俺達の情報を漏らしたんじゃねーか? ったく、ろくでもねー女だな」

 ガラの悪そうな一般構成員の男性達が、酒を飲みながらそんな話をしていると、詰所の隅で魔道書を読んでいた「フードを深く被った細身の男(下図)」が、本をパタンと閉じて机に置き、すっと立ち上がる。彼は腰につけている二本の細剣を床に突き刺し、そこに魔力を溜め込むと、その剣先が埋まった床から「細い植物の蔦のような何か」(以下、「蔦」と表記)が出現し、その男達に向かって地を這うように広がり、やがて彼等の足を絡め取っていく。突然のことに彼等が気付いた時には、その全身が完全に蔦に巻きつかれ、身動きが取れない状態になっていた。


「な、何しやがる、てめぇ!」
「男が、フラれた女の悪口を言うものでは無い。身の程が知れる」

 フードの男はそう言い放った。実際、彼等は以前、ミオを口説こうと言い寄ったものの、全く相手にもされなかった者達である。

「べ、別に、フラれたから文句言ってる訳じゃねーし! た、ただ、俺は、あの女が生意気で気に入らなかっただけだし!」
「なれば、なおさら許せんな。ミオは我の窮地を救い給うた女だ。そんな理由で彼女の悪口を言うことは、我が許さん!」

 そう言って、フードの男が彼等の耳元に細剣を突き刺そうとするが、その直前に、後方から一人の男の声が響き渡った。

「やめなさい」

 アシュレイである。日頃は、このような場所に現れるような男では無いが、かつて「殺人鬼」と言われていた頃の悪名の高さから、下っ端の構成員達にもその顔は知られていた。

「元から、本気でやっていた訳ではない」

 フードの男が、そう言って二本の細剣を腰に戻すと、男達は蔦から解放される。アシュレイは、ミオの陰口を叩いていたその男達をギロッと睨みつつ、フードの男にこう告げた。

「あなたに招集がかかっていますよ」

 アシュレイは、そのことを彼に伝えるために、この場に足を運んだのである。要件は、彼と同じ「ミオ救出作戦」の会議への出席であった。

「承知した。どちらに行けば良い?」
「第3会議室です。一緒に行きましょう」

 そう言われた彼は、アシュレイと並んでその詰所を出る。会議室へと向かう途中、徐々に冷静さを取り戻しつつ、隣を歩くアシュレイに一礼した。

「止めて頂いたこと、感謝する」

 アシュレイはそんな彼に対して、あえて何も言わないまま、ポンポンと彼の肩を叩き、そのまま会議室へと向かった。
 このフードの男の名は、アバン。そのフードの下には「長く尖った耳」が隠されている。彼の正体は「エルフ」と呼ばれる異界の投影体であるが、日頃はフードでその顔を隠しているため、その正体を知る者は組織の中にもほとんどいない。そして、その顔には「咎人の証」である刺青が彫られているので、日頃はそれも化粧でごまかしている。
 彼は、この世界に投影される前から、荒みきった人生を送っていた。エルフ界において「咎人」扱いされている一族に生まれた後、両親に捨てられ、結果的にその後で一族そのものが滅んだことで、その一族の最後の一人となり、厳しい迫害の中で、教育も施しも受けることなく、たった一人で生きてきた。他人の喋る口の動きを見て言語を習得し、やがて自力で魔法の力を身につけたものの、他人とまともに交わることが出来ず、他人のぬくもりを欲しながら、一人孤独な生活を続けていたのである。
 そんなアバンがこの世界に「投影体」として出現したのは、半年前のことである。当然のごとく、彼はこの世界においても「人との接し方」が分からない。当初、彼はこの世界では投影体が迫害されていることを知らずに、ありのままの姿で近くの村に入った結果、魔物扱いされて石を投げられて追い出された経験から、それ以降はフードでその耳を隠し、「この世界の住人」のフリをしつつも、相変わらず、孤独な人生を送っていた。
 だが、そんな彼にとっての転機が訪れる。それが、ミオとの出会いであった。パンドラの一員である彼女は、投影体の中にも「人間に対して友好的な者達」がいることを知っている。彼女は任務の過程で偶然アバンと出会い、彼の正体を知った上で、彼のことを一人の「この世界の住人」として暖かく迎え入れてくれた。彼女は、この世界のことを何も分かっていなかったアバンに「世界はこんなに楽しいんだよ」と教えてくれた。そして彼女との付き合いで多くを学んだ彼は、彼女を追ってパンドラへと参加することになる。
 なお、アバンは、パンドラと敵対している勢力の存在は知っているが、彼の中では、パンドラが世間から悪い目で見られているということは、あまり実感出来ていない。というのも、彼は元々、人々からの罵声を浴びせられ続けて育ったため、人々から罵詈雑言を浴びせられても、それを「挨拶」程度にしか認識出来ていないのである。彼にとって、パンドラは「自分を受け入れてくれた初めての組織」であり、ミオは「自分を救ってくれた恩人」である。だからこそ、ミオの救出作戦ということであれば、協力しない訳にはいかなかった。

2.1. 生き別れの姉

 そんな二人が向かおうとしていた第3会議室では、彼等よりも先に到着した「オブリビヨンからの派遣傭兵」であるニーアを、パンドラ革命派の首領であるキラ・アッカーミヤ(下図上段)と、その側近のアンドロメダ(下図下段)が出迎えていた。


 キラは、元来はエーラムの魔法大学において将来を嘱望されていた優等生であったが、やがて「皇帝聖印(グランクレスト)不要論」や「協会所蔵の知的財産の一般開放」といったラディカルな改革案を掲げる学生運動の指導者となったことで、教員達から「危険思想家」とみなされ、記憶剥奪の上での退学を命じられるが、エーラム内に潜んでいたパンドラの工作員の手によって、記憶を消される前に脱走に成功し、故郷のブレトランドへと帰還して、「パンドラ革命派」を結成するに至った。
 なお、彼は元来は元素魔法師であるが、その左半身には邪紋が埋め込まれている。これは、元来は副官にして親友でもあったナッシュ・キャンサーの身体に刻まれていた「悪魔の模倣者」の邪紋であったが、彼の死後、パンドラの特殊技術により、その邪紋を自らの身体へと移植した結果、「魔法師にして邪紋使い」という特殊な異能者となったのである。

「ニーア殿、御助力、感謝する」

 キラがニーアにそう言うと彼女は無造作に飯を喰らいながら答えた。

「構わねえよ、固くすんな」

 そう言われたキラは、彼女が「そういう生き方の人間」だと理解した上で、対等な口調に切り替えて、本題に入る。

「お前の姉であるミオが、我々パンドラの仇敵である魔法師を討ち果たしながらも、運悪く敵に捕まってしまった。そこで、お前を呼んだということだ」

 そう言われたニーアは、一瞬奇妙な表情を浮かべる。彼女には、確かに「生き別れの姉」がいる。だが、その姉に関する情報を、彼女は何も知らない。なぜ、姉の方が自分の存在を認知していたのか? 認知した上で、なぜ今まで自分に会いに来ようともしなかったのか? なぜ彼女が捕まった今、自分が呼び出されたのか? ニーアの中では理解出来ないことだらけであったが、ひとまず、彼女は「最初に確認すべきこと」を率直に問いかけた。

「へー、姉貴が捕まったんだ。で、あたしはどうしたらいいんだ? 姉貴を助ける方か? それとも、とどめを刺す方か?」

 想定外の彼女のこの反応に、キラもアンドロメダも一瞬戸惑うが、すぐにキラが答える。

「ミオが我々の機密をもらすことはありえない。だから、とどめを刺すという選択肢は、最初からありえない。そもそも、殺すつもりなら、お前を呼ぶ必要もないだろう」
「そうかい」

 ニーアはそう呟きつつ、何か意味ありげに下を見る。そんな彼女の態度に対して、隣にいたアンドロメダが思わず口を挟む。

「あんた、姉さんが捕まってるというのに、それでいいの?」

 アンドロメダには、自分とそっくりな風貌の双子の姉がいる(なお、アンドロメダ自身は「男性」である)。彼はその姉に対して、偏愛と言っても良いほどの強い愛情を抱いているが(詳細はブレトランド戦記7参照)、そんなことをニーアが知る筈もない。ニーアは彼の言い方に強い苛立ちを感じながら、彼を睨みつける。

「逆に聞くけどよ、今までずっと一人で生きてきた人間が、『自分には家族なんていない』と思っていた人間が、急に『姉がいる』と知らされて、そいつに対していきなり『親愛の情』を持てると思うか? あいつが今まで、どんな活躍をしてきたのかは知らねえが、あいつがあったかい飯を食ってる間に、こっちは冷たい泥を食ってた。あいつがフカフカのベッドで寝ている間に、こっちは死体を枕に寝ていた。恨みこそすれ、親愛の情なんて、向ける意味はねえな」

 そう言い放ったニーアに対して、アンドロメダは呆れた口調で言い返す。

「あんた、本当に何も知らないんだね、ミオのこと。あの娘はフカフカのベッドで寝てたりなんてしてないし、おそらくあんたの方がよっぽどいいモン食ってるよ。てか、少なくとも、食ってる量はあんたの方が絶対多いよ」

 ミオが細身の引き締まった体型であるのに対し、ニーアは、身長こそ低いものの、体格的には少女とは思えぬほどの筋肉質な体型であり、その身体を維持するには、相応の「食事」が必要となることは、誰の目にも明らかであった。そして実際、今も彼女はアンドロメダの話を聞き流しながら、飯を喰らい続けている。

「確かに『量』には自信があるが、『質』がいいとは思えねえな」
「あの娘はね、この世界のために、自分の持てるものを全て捨ててきた。女としての幸せも全て投げ捨てて……」
「そりゃあんたの勝手な感傷だろ。あたしには意味がないことだ。あんたは仕事の話をすればいい。それはあたしの大事なメシの種だ」

 そう言いながら大量の飯を平らげたニーアに対し、更に何か言おうとしたアンドロメダであったが、彼を遮るように間に入ったキラが、こう告げる。

「分かった。じゃあ、今はお前は何も分からなくていい。ただ、これだけは言っておく。ミオはずっと、お前に会いたがっていたぞ」

 それに対して、ニーアは何も言わなかった。その直後、アシュレイとアバンが到着すると、キラは三人に簡単に自己紹介をさせた上で、作戦会議を始めるのであった。

2.2. 陽動と潜入

 キラは三人に対して、ミオが捕まっているアキレスの地図を見せながら話を始める。

「ケネスは、ミオを公開処刑にすると言っている。おそらくこれは我々を炙り出すための罠だ」
「でしょうね」

 アシュレイは淡々と応える。わざわざそのようなことを公言する理由は、他に考えられない。 

「だが、それが罠だと分かった上で、ここで彼女を見捨てるという選択肢は俺達にはない。そこで、作戦を単刀直入に言おう。『お前達三人』以外の我々『主力部隊』は、これから報復として、ケネスの孫であり、次期ヴァレフール伯爵候補であるゴーバン・インサルンドの誘拐作戦を決行する。これは、あくまでも『陽動』だ。しかし、『我々がこの作戦を本気で決行しようとしている』という情報が、既に奴等の耳には届いている」

 つまり、「ゴーバンを人質に取った上で、ミオとの人質交換に持ち込もうとしている」という誤情報を彼等に掴ませた上で、彼等の目をそちらに向かわせる、という策である。ケネス達は、仮にこれが陽動作戦であることを察していたとしても、無視することは出来ない。ゴーバンは彼等の旗印である以上、それをパンドラに奪われることだけは絶対に許してはならない以上、一定の戦力を彼の警護に割かねばならないのである。

「我々、革命派の主力部隊は、その誘拐作戦に向かう。その上で、『まだ奴らに顔が知られていないお前達』に、ミオの救出任務にあたってほしい」

 アシュレイは後方からの支援任務が中心であったが故に、あまり表舞台に出たことがない。アバンはパンドラの内部の者達ですら殆どその素顔を知らない。ニーアに至っては、そもそもパンドラの人間ではない。確かに、潜入任務を果たすには適した人選と言えよう。

「今のところ、アキレスは厳戒態勢だ。外から入るのは難しい。だが、あの町には我々に協力してくれている市民がいる。その市民の家の地下に、ここから瞬間転移で繋がる魔法陣が設置されているので、そこを辿って街の中に侵入することは出来る。ただし、その魔法陣を通れるのは少人数が限界であり、部隊を率いて突入するのは不可能だ。そこで、少数精鋭部隊としてのお前達に任せたい」

 ちなみに、ミオによって殺されたハンフリーは召喚魔法師であり、現在は彼の部下を中心とした「投影体部隊」が憲兵隊として町の警備にあたっている。ケネス傘下の騎士団の精鋭部隊は、現在のヴァレフール国内の冷戦状況(その原因はブレトランドの英霊6を参照)故に、「体制派」との決戦に備えて、両勢力の境界線の近辺に派遣されているため、アキレスの守りは彼等のような「非正規軍」に任せざるを得ない状態なのである(もともと、「パンドラ狩り」においては、一般市民の自宅へのガサ入れなどの「汚れ仕事」が多いため、あえてそのような「嫌われ役」を彼等にやらせてきた、という側面もある)。
 今回のアシュレイ達の任務は、あくまでもミオの救出であり、まともに彼等の相手をする必要はないが、仮に遭遇してしまったとしても、各個撃破すればどうということはない。部隊として組織された兵団が相手となると、いかに精鋭と言えども三人では分が悪いが、指揮系統が混乱した状態での戦いに持ち込めば、十分に勝機はある。つまり、街中を守る憲兵隊や、牢獄を管理する衛兵達を、陽動部隊を利用しながら撹乱・分散させることで、極力正面衝突を避けるための戦術が必要となる。
 その上で、問題は、牢獄に設置されているであろう鍵や罠を突破するにはどうすれば良いか、という点であるが、キラがその点についての説明を始めると、アンドロメダの陰から、一人の小柄な妖精の少女が姿を現した(下図)。


「ウチの名前はフェイエン。鍵開けのスペシャリストや。ただ、鍵開け以外は出来へんから、戦闘は期待せんどいてな」

 どうやら彼女は、アンドロメダによって使役されている小妖精らしい。その口調が、彼女の一族の方言なのか、あるいは彼女固有の言い回しなのかは明らかではない。

「今みたいに、ウチは誰かの『影』の中に入り込むことが出来るから、とりあえず、隊長はんの『影』に入っておけばええかと思うんやけど、隊長はんって、誰?」

 この時点で、まだそれは決まっていなかった。だが、キラは即座に決断を下す。

「アシュレイだろうな」

 現実問題として、他に適任はいない。部隊指揮官としての経験に関してはニーアの方が豊富だが、オブリビヨンとしての彼女に出来ることは、「壊すこと」と「殺すこと」だけである。冷静な判断が必要となる今回の任務を任せられるのは、アシュレイ以外にはありえなかった。

「ほな、あんさんの影に入らせて頂きますわ。とりあえず、鍵穴の前まで来たら、呼んでな。大抵の鍵は開けられると思うけど、さすがに魔法の鍵とかになると、そうもいかんかもしれへん。そん時は、堪忍な」

 そう言って、彼女はアシュレイの影の中へと消えて行く。魔法の鍵に関しては、解呪の魔法で無効化することも出来るが、アシュレイにはその能力は無い。とはいえ、いざとなったら扉ごとぶち壊せばいいだろう、とニーアは考えていた。
 その上で、最後にキラは、魔法陣が設置されている家に住んでいる「協力者」についての情報を彼等に伝える。

「その家の主人の名は、リチャード・モア。以前はエーラムで魔術を学ぼうとしていたこともあるが、今はただの一般市民だ。最近、妻のキャンディスとの間に子供が生まれたばかりの若夫婦だから、迷惑をかけないようにな。戦いには巻き込むなよ」

 アシュレイは、その男とは面識がある。学生運動時代に何度か顔を合わせた程度だが、誠実で真面目そうな男であった。妻はエーラム出身ではないが、夫の思想を理解して、自分たちに協力してくれているという。ここ最近、アキレス近辺においてパンドラの協力者達が次々と吊るし上げられていく中、それでも危険を冒して協力し続けてくれている彼等は、今のパンドラにとっては貴重な存在であった。

2.3. 恩義と報酬

「他に質問は?」

 キラがそう言って周囲を見渡すと、アシュレイが問いかける。

「作戦指揮官として、一つ確認させてもらいたいのですが、最も優先すべきものは『彼女の命』ということでよろしいのですか?」

 それに対してキラは、鋭い眼光でアシュレイの瞳を見つめながら答えた。

「そうだな。ただ、より正確に言うなら『彼女とお前達の命』だ。彼女を救出するのは、彼女が『功労者』だからではない。彼女が『俺達の仲間』だからだ、そして、お前達も『俺達の仲間』だ」
「分かりました、全力を尽くします」

 アシュレイがそう言いながら微妙に笑みを見せる中、ふとニーアが手を挙げる。

「話の腰を折って悪いんだけどさ、てか、そもそもさっきの話の半分も理解出来てないんだけどさ、今回の作戦ってのは、要は『姉貴を助ける』って話なんだよな?」

 何気なくニーアはそう言ったが、ここでアシュレイとアバンは思わずニーアを凝視する。彼女は先刻の自己紹介の際に、「オブリビヨンから派遣された傭兵」であることしか語っていない。アシュレイもアバンも、以前にミオから「妹がいる」という話を聞いたことはある。だが、彼女がもしミオの妹なら、普通、最初の自己紹介の時点で最初に話すべきことではないのか? 逆に、もしそのことを隠したい何らかの事情があるのなら、このようなタイミングで、ここまでサラッとあっさり話したりするだろうか? 二人がやや困惑している中、そのままニーアが語り続ける。

「派手に行動したらよ、姉貴の処刑が早まったりして、助けられなくなったりするんじゃねえのか?」
「そう、だから、そうならないように、素早くやってもらう必要がある。手筈としては、夜中に俺達がゴーバンの館を吸収し、その混乱の最中にお前達に牢獄に突入してもらう訳だが、その際に注意すべきことは……」

 キラがそう言って作戦の詳細を説明しようとすると、それを遮るようにニーアが口を挟む。彼女が聞きたかった答えは、「それ」ではなかった。

「OK、OK、分かった、もう少し簡単に言おうか。作戦が成功したらとか、失敗したらとかじゃなくて、もし『不測の事態』が起きて、私達が全身全霊を尽くして、それでもなお姉貴が殺された場合、金はどうなるんだ?」

 その言い分に対して、アンドロメダがピクッと反応して何かを言おうとしたが、横からキラが彼を制しながら答える。

「当然、金は支払う。その場合は、失敗するような作戦を立案した俺の責任だからな」
「OK。なら、言うことはない」

 涼しい顔でそう言いのけるニーアに対して、アバンは小声で「チッ、金の亡者め」と吐き棄てつつ、真顔でニーアに言い放つ。

「この作戦の結果如何によって、彼女の運命が決するんだ。そのような態度はいただけない」

 そう言って、アバンは腰の剣に手をかける。それに対して、ニーアはちょっと意外そうな顔を見せた。

「へぇ、そういうことを言う奴もいるんだ。お前、姉貴の何なんだ?」
「貴様こそ、ミオとはどういう関係だ?」
「どういう関係もねえよ、ただ知りてえと思っただけだよ、質問に質問で返すなよ。なぁ、兄弟、これから一緒に仕事をするんだ、お互いのことは知っておきたいとは思わねえか?」

 ここで彼女が「二人称」として「兄弟」という言葉を使ったことで、アバンはかえって混乱する。もしかしたら、「姉貴」というのは実の姉のことではないのかもしれない、とアバンは思いつつ、ここで自分の立ち位置を隠す必要もないため、素直に答える。

「彼女は私の命の恩人だ。彼女があればこそ、今の私がある。恩人のために尽くすのは、『この世界』でも同じではないのか?」

 そう言った直後、アバンは「この世界」と言ってしまったことに気付き、はっとした顔をする。彼は過去の諸々の経験から、見知らぬ者の前では「投影体」であることを極力隠したいと考えていたのであるが、ニーアは彼のそんな素振りを特に気にする様子もなく聞き流し、アシュレイに視線を向ける。

「へー。じゃあ、リーダーはどう思ってる?」
「どう、とは?」
「なんでこの任務を受けたのか。金のためじゃないとしたら、何なんだよ?」
「私はパンドラの人間ですから、指示があればその通りに動くだけですよ」

 アシュレイは淡々とそう答える。それが、自分の本心を他人に知られたくないからなのか、彼自身が自分の本心を理解出来ていない(もしくは認めたくない)のか、あるいはただ単に、そう答えておいた方が無駄な言い争いにならなくて良いと考えたからなのかは分からない。だが、ニーアはその答えに対して満足した表情を浮かべる。

「OK、その方がいいな。シンプルで分りやすい。私からは、以上だ。出来ればこれ以上、難しい話は遠慮してもらいたいな。腹が減ってかなわん」
「そうですね。では、ミオ救出特殊部隊、アキレスに向けて出発することにしましょう」

 アシュレイがそう言うと、ニーアとアバンは黙って頷く。キラは、「アキレスのリチャード宅へと繋がる魔法陣を開くための時空魔法師」は間もなく到着すると告げた上で、その前に必要な物品を用意しておけ、と伝えて去っていく。その傍らではアンドロメダが「ねぇ、キラ。本当にあのメンバーでいいの?」などと問い掛けていたが、キラは特段心配している様子はなかった。その根拠がどこにあるのかは分からなかったが、その「勝機」を独特の嗅覚で感じ取ることが出来ることこそが、彼がこの組織の長である所以なのかもしれない。

2.4. 調達と相談

 キラとアンドロメダが会議室から出た後、三人が反対側の扉から外に出ようとした時、待っていたかのように彼等の前に、アタッシュケースを持った一人の男が現れた。ジェームスである。

「やっぱり、あんたらがその任務を担うことになったか。まぁ、ミオがわざわざ手紙を渡すほどだから、なんらかの『特別な関係』なんじゃないかと思ったがね」

 ジェームスはニヤリと笑いながらそう言ったが、それに対してアシュレイが全く無反応であるのを確認した上で、素直に本題に入る。

「とりあえず、あんた達に餞別を渡したい」

 そう言って、彼が左手に持っていた地球製のアタッシュケースを開くと、その中には「魔法薬」が敷き詰められていた。見た目はエーラム製の魔法薬と似ており、その中身もほぼ同じであるが、実際にはパンドラの魔法師達の手で作り出した「模造品」である。

「とはいえ、俺は楽園派の人間だからな。ここで横流し出来るのは『三つ』が限界だ。好きなのを選んで持って行きな。武運を祈っているぞ」

 「横流し」ということは、楽園派か、他の派閥か、あるいはパンドラ外の交易相手の誰かが、この行為の結果として不利益を被ることになる訳だが、アシュレイ達としては、くれると言われた物を拒む理由もない。戦略的に、どの薬が必要となるか、アシュレイは三人の戦力特性を考えながら吟味し始める。
 一方、戦略的なことはリーダーに任せれば良いと考えていたニーアは、その横で、おもむろに背伸びをしながら、アバンの肩に手をかけた。この時、身長差的に無理のある体勢であったが故に、アバンのローブが着崩れそうになり、フードが外れかかったが、アバンはそれを慌てて戻す。ニーアはそんなアバンの不自然な動きは一切気にせず、そのまま彼に語りかけた。

「なぁ、兄弟、怒らせたのなら悪かった。別に喧嘩を売ってる訳じゃないんだ。これから一緒に仕事をやる以上、仲良くやろうや」
「あ、あぁ、そうだな。私も少し嫌味な言い方をしてしまった。すまない」
「そう、仲がいいのが一番だ。その方が仕事はうまくいく。リーダー、頭を使うのは任せた。私をうまく活用してくれ」

 ニーアにそう言われたアシュレイは、黙々と薬を選定し終えた上で、最終的に選んだ薬を二人に渡すと、ジェームスは満足した表情で去って行く。
 そんな彼を見送りつつ、アシュレイは廊下を歩きながら傍らの二人に話しかけた。

「突入前に、敵の陣容などの下調べをしておきたいところですが……」
「もっと簡単な方法があるぜ。殴り込んで、そのまま真っ直ぐ行って、罠も壊して、姉貴を取り戻す。以上だ」

 ニーアが得意気にそう言うと、アバンが呆れ顔で指摘する。

「我々は『少数精鋭』だぞ。力押しは効かん」
「ダメかー」
「少人数には少人数なりのやり方があるということだ。私は隠密には長けている。私一人ならば、先に忍び込んで、色々と諜報することも可能だとは思うが……」

 アバンはそう主張するが、実際のところ、自分の「正体」を隠した状態のままでは、具体的な作戦立案は難しく、それ以上のことは言えない。アバンがそんな「歯切れの悪さ」を露呈しているのを目の当たりにしつつ、アシュレイは改めてニーアに問いかける。

「なるほど。では、あなたは?」
「私? じゃあ、新しいアイデアなんだけどさ、こいつが前の方でチョロチョロするんだろ? その間に私が真っ直ぐ行って、敵を倒して、罠も壊して、姉貴を取り戻して、終わり。完璧」

 そんな彼女に対して、アバンは苛立ちを隠しきれない。

「貴様は、考える脳がないのか?」
「ダメかー」

 ひとまず、ニーアには作戦立案も隠密工作も難しいらしい、ということを改めて実感しつつ、アシュレイはふと改めて彼女に問いかける。

「ところで、あなたはオブリビヨンの一員としては、顔は割れてるのですか?」

 今回の潜入作戦は、基本的には「顔が割れていないこと」を前提とした人選であるが故に、あえて(血統的には「縁者」なのかもしれないが)組織的に「部外者」の彼女を採用したのであるが、そもそも「オブリビヨンのニーア」としての知名度如何では、作戦の立て方(戦力としての彼女の使い方)も変わってくる。

「そんなこともないと思うぜ。まだ入ってから、それほど日も経っていないしな」

 実際のところ、「自分の知名度」というものは、本人にはよく分からないものである。ただ、彼女に限らず、オブリヨンの者達に関して言えば、その顔を見た者の大半は殺されているため、手配書のようなものが出回ることも少ない。
 一方で、アバンは日頃からフードで顔を隠しているため、そもそも他人に顔を見せることが滅多にないので、素顔を知られていることはまずない。だが、アバンとしては、人前に堂々と素顔(主に耳)を晒す気はない。そして、パンドラの本部内ならまだしも、フードで顔を隠した男が街中を歩いていたら、それはそれで目を引いてしまうだろう。
 そうなると、基本的には「市井に紛れる形での聞き込み調査」は難しい。出来れば、先に潜入した上で、街の状況を確認したかったところだが、アシュレイ自身も含めて、「偽装」や「聞き込み」が得意な人員はこの中にはいない。
 実はアシュレイとしては、出来ればミオを奪回した後、もし敵に見つかったままの逃走となった場合、そのままリチャードの家へと飛び込むのは彼とその家族を危険に晒すことになるので、自力でアキレスの外へ逃走した方が良いと考えていた。そのために、街の中で外へと突破するのに適した警備の薄い地区がどの辺りになるかを確認したいと考えていたのである。
 だが、この三人の中にそういった形での情報収集に長けた人物がいないのであれば、ひとまず、それについては現地に行ってリチャード本人に確認した方が良いだろう、という判断に至る。そのためには、夜の作戦決行時間よりも前に、少しでも早めに現地へと転移して、リチャードと接触して現地の情報を彼から聞き出す必要があるとアシュレイは判断し、ニーアとアバンもその方針を受け入れたのであった。

3.1. 潜入開始

 こうして、まだ陽が落ちるよりも前に、アシュレイ、ニーア、アバンの三人は、革命派の本拠地から魔法陣を通じて、アキレス市内のリチャードの家の地下へと転送される。薄暗いその地下室に、階段を降りてくる足音が響き渡る。三人がそちらに目を向けると、そこには若い男性の姿があった。

「革命派の皆さんですか?」

 その声に、アシュレイは聞き覚えがあった。紛れもなく、リチャードの声であると確信した彼は、一歩前に出て、廊下の上から入ってくる光の下に自身の身を晒す。

「お久しぶりです」
「これはアシュレイ殿、ご無沙汰しております。そちらの方々は初めてですね? リチャード・モアと申します。当初のお話だと、陽が落ちた後にこちらに来られると伺っていたのですが……」
「事前に、出来る準備はしておきたいと思いまして」
「なるほど、確かにそうですね。それでは、こちらへどうぞ」

 リチャードはそう言って、三人を階段の上に続く「一階」へと案内する。だが、この時点で、アシュレイとアバンは若干の「違和感」を感じていた。この家の中に、リチャード以外の人の気配がしないのである。そして、家の中がそこはかとなく荒んでいる様子に見える。
 一方、ニーアはそんな様子を全く気にもとめずに、本能のままに思ったことを口にする。

「腹減ったぁ。食いモン置いてねえか?」
「あ、すみません、ちょっと、その、今は、えーっと、どこにあったかな?」

 そう言って、リチャードは台所を探そうとするが、どこか不慣れな様子に見える。思わず、アバンが問いかけた。

「リチャード殿、お主には確か妻と娘がいたのでは?」
「あ、は、はい、その、妻は、えーっと、今、じ、実家に、行ってまして……」

 その様子は、明らかに挙動不審であるように思えたアシュレイは、更に問い詰める。

「では、その実家は何処に?」
「それは、その、隣町の、あ、そうそう、妻の父にですね、その、孫の顔を、見せに……」

 明らかに、リチャードの目は泳いでいる。

「で、飯はどこだ?」
「あ、すみません、今、その、家内がいないので、どこに何があるか……」
「いいよ、自分で探すから」

 ニーアはそう言いながら勝手に「家探し」を始める。そんな様子にリチャードが戸惑っているのを横目に、アバンはアシュレイに対して、「何か異変が起きているのでは?」ということを目配せで伝え、アシュレイは黙って頷く。
 アシュレイの記憶にある限り、リチャードの妻のキャンディスはエーラムとは無関係の一般市民であるが、旦那の理念に賛同して積極的に協力してくれていた筈であり、夫婦仲も睦まじかった。二人の間で何らかの仲違いが起きたとは考え難い。本当にただの一時的な実家帰りの可能性も無くは無いが、リチャードの様子自体が明らかに不審である。
 この状況下に置いて、アシュレイがどうしようかと迷いつつ、改めてリチャードを注視してみると、彼はリチャードの周囲から「何か奇妙な気配」を感じる。同様に、彼の様子を観察していたアバンは、その影の辺りに何かがいるような印象を受ける。そして、それまで何も気付いていなかったニーアは、突然、リチャードの影から、「アシュレイの影の中にいるフェイエン」と同じような気配が隠れているのを、本能的に感じ取った。

「キナくせえな」

 ニーアはそう言いながら、リチャードを振り向く。

「テメェ、何を隠してやがる?」
「い、いや、隠すも何も、私は、皆さんを、その……」

 シドロモドロな様子のリチャードに対し、ニーアが更に近付いていく。ようやく彼女も「何か」に気付いたと察したアバンはアシュレイに目配せして、二人はこっそりと「逃げ道」を塞ぐように立ち位置を変える。
 すると、リチャードの影から突然、「明らかに投影体と思しき何か」が出現して、ニーアに襲いかかった。

(あれは……、ホブゴブリン?)

 それは、ティル・ナ・ノーグ界と呼ばれる異世界の住人「ゴブリン」の上位種と言われる種族である。その性質は凶暴で、通常は人間と共存出来る者達ではないが、何らかの契約あるいは脅迫によって人間(主に魔法師)に従属する者もいる。
 そのホブゴブリンは巨大な棍棒をニーアに向けて振り下ろそうとする。しかし、それよりも先にアバンによって生み出された蔦がホブゴブリンの体に巻きつき、間髪入れずにアシュレイが瞬時に「幻想弓」を造り出して魔法の矢を放ち、ホブゴブリンの体に突き刺さった。それでも、ホブゴブリンは怯まずにニーアに対して棍棒で襲いかかるが、アバンが即座に二人の間に「水の壁」を造り出し、その衝撃を軽減する。

「サンキュー、魔法使い!」

 ニーアはアバンに対してそう言うと、邪紋の力で異界の大剣を腕と一体化させた上で、ホブゴブリンをその大剣の一振りで真っ二つに斬り裂いた。
 ちなみに、アバンが用いたのはエルフ界の魔法なので、彼はこの世界で言うところの「魔法師(メイジ)」ではないが、彼のことを「魔法使い」と呼ぶのは、間違いではない(もっとも、ニーアの知性では、そもそもそのような細かい違いなど理解出来ないであろうが)。

3.2. 異形の憲兵隊長

 ホブゴブリンが倒された直後、リチャードは腰が抜けたようにその場に倒れ、困惑しながらも、土下座のような体制で頭を床に擦り付ける。

「申し訳ございませんでした!」

 それに対して、アバンはフードの奥から鋭い視線を向ける。

「どういうことか、説明してもらおうか?」
「実は、私の正体が憲兵隊に発覚し、妻と娘を連れ去られてしまいまして、『パンドラの者達が来たら、罠に嵌めるように誘導しろ』と言われておりました」

 つまり、今のホブゴブリンは、リチャードを命令通りに行動させるための「監視役」として、彼の影の中に潜っていたらしい

「また『家族』か!」

 ニーアは苦虫を噛み潰したような表情でそう叫びながら、拳を壁に叩きつける。その直後、すぐに冷静さを取り戻し、二人に問いかける。

「こいつのこと、どうする?」

 今の話を聞く限り、リチャードは家族を人質に取られてやむなく敵に協力していた、ということになるが、その話が本当かどうかは分からない。また、仮に本当だったとしても、組織を裏切り、自分達を罠に嵌めようとしていたことは、紛れもない事実である。リチャードはそのことを自覚した上で、彼らに対してこう言った。

「近辺の仲間の居場所を奴らに密告したのは俺です。だから、俺のことは裏切り者として処分してくれていい。でも、妻と娘だけは、助けては頂けないでしょうか? 二人を連れて行ったのは、浅黒い肌をしたエルフで、『ナブリオ』という名の、この辺りの区画を取り仕切る憲兵隊のリーダーです」

 ナブリオという名前には、アバンはエルフ界時代に聞き覚えがある。エルフの中でもダークエルフと呼ばれる一族の一人で、姑息で、残忍で、身勝手で、非常に評判が悪い男であり、エルフ界の中において嫌われやすい存在であるダークエルフ一族の評判を、更に悪くしているような男であった。
 アシュレイ達は彼の話を聞きながら、部屋の周囲を確認するが、今のところ、特に誰かが潜んでいるような気配は感じられない。どうやら、見張りはこの倒されたホブゴブリンだったようである。故に、おそらくこのホブゴブリンの死(それに伴うリチャードの再造反)はこの時点では敵には発覚していないと思うが、彼等が何らかの形で定期的に連絡し合っていたのであれば、このまま放置しておけば、いずれはこの状況が敵に伝わることになるだろう。

「とりあえず、私達をどう罠に嵌めるつもりだったのか、聞かせて下さい」

 アシュレイのその問いに対するリチャードの返答によると、憲兵隊としては「パンドラの者達に『牢獄に案内する』と伝えた上で、憲兵隊の待ち受けているところに連れて行って、不意打ちで一網打尽にする計画」だったらしい。

「つまり、こちらの動きはバレているということか。ならば、力技で行くしかないな」

 アバンがそう言うと、ニーアは自分の出番とばかりに嬉しそうな表情を浮かべる。そして、アシュレイも同意した。

「ここは、早めに動いたことが幸いしたようです。向こうが準備を整える前に、奇襲をしかけましょう」

 そう言った上で、彼はリチャードにこう言った。

「すみませんが、あなたを処罰する代わりに、この件をパンドラに伝えて下さい。上空空襲部隊も対策を練られているかもしれませんし」
「上空空襲? それは何ですか?」
「分からないならいいです。とにかく伝えて下さい。それが伝わってなければ、次会った時にあなたを殺します」
「わ、分かりました」

 そう言って、リチャードは地下室の魔法陣を通って、革命派の本部へと向かおうとするが、それに対して、ニーアが不機嫌そうな顔で異論を述べる。

「待てよ、アイツが裏切ったらどうするんだよ? また妻子可愛さにパンドラを罠に嵌めようとするかもしれないぞ」

 だが、アバンとアシュレイはその可能性を否定した。

「見たところ、そこまで策謀を巡らせられる奴でもないだろう」
「正直、裏切らない確信はないですが、もともと危ない橋を渡っているのです。ここで更に危ない橋を渡るくらい、どうということはないですよ」

 その言い分に対して、ニーアはまだ不服そうである。確かに、リチャードが裏切るという確信がニーアの中にあった訳ではないが、逆に言えば、この状況下において、リチャードを殺さないことにメリットがあるとも思えなかったのである。

「リーダーがやらないなら、私がやってもいいぜ。リチャードを始末して、不安要素を排除してから、牢獄に突入すべきじゃねーか?」
「その時間も惜しいだろう。コイツがどこまで正確に事情を伝えてくれるかは分からないが、最悪、コイツを送りつけることによって、こっちの異変を本部が察知してくれればそれでいい」

 アバンは冷静にそう答える。実際のところ、ここで彼がパンドラの本部に行って誤情報を伝えたところで、当初の予定とは異なる状況が発生していることはすぐに分かるのだから、本部の人々がそのまま言うことを鵜呑みにするとも思えない。
 ニーアはその説明に対して、ひとまず納得させられつつも、どこか不機嫌な様子で、近くにあった食卓を蹴り飛ばした。

「まったく、どいつもこいつも!」

 ニーアは混乱していた。彼女は、ここにいる者達が皆、「自分の生存」以外のことばかり考えていることが理解出来なかったのである。

「わりぃ、とりあえず、頭は冷えた」

 どうやら彼女は、熱しやすく冷めやすい性格らしい。そんな彼等のやりとりを見ていたリチャードは、ここでふと思い出したかのように彼等に付言する。

「おそらく、ここに魔法陣があることを知っているのは、ナブリオ隊だけだと思います。奴はこの機にパンドラの人々を捕らえて、手柄を立てようとしていたので……」

 その説明に対して、今度は真っ先にニーアが納得した表情を見せる。

「なるほど。手柄を独り占めするために、上には言ってない可能性もあるのか」

 ニーアはこれまでの人生経験から、そのような利己的な人間の感性はすぐに理解出来るらしい。そしてアバンもまた、エルフ界におけるナブリオの言動を思い返してみると、確かにその説明には合点がいくように思えたがのだが、自分がエルフだということを明かしたくない以上、そのことを口にする訳にはいかなかった。

「信用してもらえるかどうかは分かりませんが、俺は憲兵隊の場所も知ってます。アイツらは、俺が完全に屈服していると思ってるから、皆さんが憲兵隊を出し抜こうと思っているのであれば、何か俺に命じてくれれば、今からでも皆さんのために協力はしたい。その上で、俺の処分は好きにしてくれればいい」

 リチャードがそう言ったのに対し、ニーアとアバンは黙ってアシュレイを見る。もし、本当にまだ敵の本部にこちらの情報が伝わっていないのであれば、ここで立てるべき作戦もまた変わってくる。

「とりあえず、ナブリオの存在は厄介です。まずは、彼をどうにかしましょう」

 こうして、彼等はリチャードの処分を後回しにした上で、ここで一計を案じることにした。

3.3. 反撃の一手

 それからしばらくした後、リチャードが憲兵隊の本部から、ナブリオを自宅へとつれて来た。リチャードは、床に広がる(ホブゴブリンの)血痕の横に、縄で縛られた状態でニーアが倒れている様子を、ナブリオに見せる。

「おぉ、よくやった、よくやった。ん? そういえば、アイツはどうした?」

 アイツとは、ホブゴブリンのことであろう。それに対して、リチャードはニーアを指差してこう告げる。

「今は、そいつの影の中に入っています」

 そう言われたナブリオが、屈んでニーアに近付こうとした瞬間、縛られた状態のニーアの身体の邪紋の中から大剣が出現し、彼女はロープを引きちぎり、そのまま彼女はその大剣でナブリオに斬りかかろうとする。
 だが、彼女の刃が彼を引き裂くよりも先に、勝負は決した。彼女が剣を振り上げたと同時に、ナブリオの足元から突然現れた蔦が彼の体を縛り上げ、その直後に家具の影から放たれた魔法の矢で体を貫かれた結果、ナブリオは、何が起きたのか分からないような表情のまま、その場に崩れ落ちたのである。

「やれば出来るじゃねーか」

 ニーアがそう言って剣を収める一方で、ナブリオは倒れた状態のまま苦悶の表情を浮かべつつ、必死に声を絞り出す。

「リ、リチャード! これは一体、どういう……」
「貴様は、罠に嵌められたのだ」

 そう言って部屋の物陰から現れたのは、アバンである。それと同時に、反対側からアシュレイも現れる。

「聞き覚えがあるな、その声……」

 ナブリオがそう反応したのに対し、アバンは吐き捨てるように呟く。

「チッ、同族の面汚しが」

 彼は小声で言ったつもりだったが、その声は周囲の者達全員に伝わっていた。

「そうか、あの呪われた『白き子』か」

 ナブリオが納得した表情を浮かべる一方で、アバンはアシュレイに対して進言する。

「リーダー、こいつは殺してしまっても構わんだろう」
「そうですね」

 アシュレイはそう呟きながら、チラッとナブリオを見る。

「ま、待て、お前達の要求は何だ? 俺に出来ることならば、何でも協力はする。お前達の悪いようにはしない!」

 それに対して、ニーアは大剣を掲げながら問いかけた。

「とりあえず、こいつの家族はどこにいるか教えてもらおうか?」
「ウチの憲兵隊の詰所の地下室の一角だ。階段を降りて、左から二番目の扉の奥にいる。鍵は俺が持ってる。俺の懐の中にある。だから……」
「そうか、それさえ分かればいい。私はもうお前に用はない」

 ニーアはそう言って、いつでも大剣を振り下ろせる体勢に入る。

「そ、それでお前達はそもそも一体……、そ、そうだ、思い出した! お前達、『あの女』を助けにきたんだろう!?」

 「あの女」とは、ミオのことであろう。ここは、あえてこのままナブリオに勝手に喋らせておいた方がいいだろうと判断したアシュレイは、あえて何も答えずに放置する。

「俺を助けてくれるなら、重要な情報を教えてやる!」

 アシュレイが黙っているので、ひとまずアバンが応答することにした。

「まぁ、聞いてやろう」
「あの女、今はもうあの牢獄にはいないぞ」
「では、どこに?」
「アイツはなぁ、色仕掛けで看守を籠絡しやがったんだ。今は看守の私宅で囲われている。今、牢獄にいるのは、看守が用意した、アイツの偽物だ」

 この言い分に対して、ニーアは肩をすくめながら口を開く。

「やっぱりな、ただじゃ死なねえ女なんだよ、あいつは。助ける必要なんか、初めから無かったのさ」

 今のニーアが何を思ってそう言っているのか、ナブリオに推測する余裕は無い。彼は構わず、そのまま喋り続けた。

「その看守の男は、カナールという奴なんだが、今はそいつの家で、しっかりすっぽりな関係ってやつよ。ったく、あんないい女を独り占めしやがって。自分が捕まえた訳でもないのに」

 下衆な本性を隠そうともせずに、ナブリオは更に説明を続ける。

「あの女が、このまま『こっち側』に寝返るつもりなのか、それとも、隙を見て寝返ろうとしているのかは分からん。ただ、あの女には『劫罰の首輪』が嵌められている。その鍵をカナールが持っている限り、奴から逃げることは出来んだろう」

 「劫罰の首輪」とは、エーラムが産み出した罪人用の首輪である。持ち主が「締まれ」と念じると締まる仕組みであり、それを解除することが出来るのは、エーラムの中でも相当に高位の魔法師のみであると言われている(詳細は『グランクレスト・リプレイ ノートリアス 霧覆う魔境の島』参照)。
 仮にナブリオが言っていることが全て本当だとして、そのカナールという看守が、現状、どのような思惑で彼女を囲っているのかは分からない。楽しむだけ楽しんだ上で殺すつもりなのかもしれないし、何らかの形で彼女を処刑したように見せかけた上で、このまま密かに自分の愛妾として囲い続ける策があるのかもしれない。あるいは、彼女に完全にパンドラを裏切る気がある、とカルーナが判断したのであれば、パンドラ壊滅に協力することを条件に、彼女の助命をアキレスの領主であるケネスに願い出る可能性もある(ケネスがそれを受け入れるかどうかは不明だが)。ただ、少なくとも今の時点では、看守であるカナールの個人的な私欲に基づく独断で彼女を連れ出しているだけだろう、というのがナブリオの憶測であるらしい。

「正直言えば、俺はあの女のことはどうでもいいと思ってる。俺をこの世界に呼び出したのはハンフリーの旦那だし、俺達は旦那の下で好き勝手やらせてもらった。だが、旦那が殺されたところで、別にそれほど困っている訳でもないし、この国自体にもそれほど執着がある訳でもない」

 そう言った上で、ナブリオは媚びるような視線でアシュレイを見上げる。

「だから、今からアンタ達が俺を雇ってくれるなら、それなりに役に立つぜ。少なくとも、こんな、女房を取られて敵の言いなりになるような腰抜けよりは、よっぽどな」

 これに対して、アシュレイは懐からナイフを取り出し、アバンに手渡そうとするが、アバンはそれを固辞する。

「そのナイフは必要ない。私にはこれがある」

 アバンはレイピアを引き抜き、一閃と共に、ナブリオの首を胴体から斬り落とした。

「クッ、貴様らのような存在が……!」

 アバンがそう吐き捨てるのをニーアは微妙な表情で眺めつつ、彼女は二人に対して問いかける。

「なぁ、もういいんじゃねーか?」
「何がだ?」

 アバンに問い返されると、ニーアは呆れたような、あるいは怒りをかみ殺しているような口調で答える。

「姉貴はもう牢から出てて、これから先も上手いことやってくんだろ? アイツは昔からそういうヤツなんだよ。何が『会いたい』だ、ふざけやがって」

 ニーアは、自分自身が何に対して怒っているのかもよく分からないまま語り続けた。

「もうさ、姉貴は誰にも殺されねーよ。アイツはアイツで、上手いことやれるよ。寝返ったなら寝返ったで、『上』にそう報告すればいいだけだろ? もうこんなくだらないことに命を使ってられるかよ。このままリチャードの家族を助け出して、それでハッピーエンド。とっとと帰ろうぜ」

 言いたい放題言うニーアに対して、アバンはまともに反論しても無駄だと判断し、「彼女の価値観」に合わせて忠告する。

「それでは、お前に報酬は入らないと思うがな」
「じゃあ、いいよ。報酬はいらねぇ」

 その反応に対して、今度はアシュレイが意外そうな顔を見せる。

「ほう?」
「もう関わってらんねーんだわ。これ以上、私の人生に関わってくるんじゃねーよ、あの女。クソ鬱陶しい」

 そんな個人的な感傷に捉われているニーアをひとまず放置した上で、アシュレイはアバンに対して問いかける。

「どう思いました? 今の話を聞いて」
「まず、個人的に言わせてもらえば、この男の言うことは信用ならない。だが、下手な嘘をつけば殺されてしまうような段階で、嘘を言えるようなタマでもないだろう。確かに、ミオは今は看守の元にいるのかもしれない。だが、さっきの話はあくまで、あのゲスの視点から見た上での話だ。ミオが自ら望んでそいつに従っているとも限らんだろう。ましてや、そのような首輪を付けられているのであれば、何を命令されても、逆らうことは出来ない。助けるべき状況であることには何も変わらないと思うが……、私はあくまで、リーダーに従うだけだ」
「そうですね。私も、まだ判断するには早いと思います。作戦は続行します」

 作戦指揮官がそう言ったのに対し、ニーアは視線を逸らしながら答える。

「そうかよ……」
「作戦がある以上は、従ってもらう」

 アバンがそう言ったのに対し、横からアシュレイが口を挟む。

「それは隊長の台詞です」
「これは失礼した」
「クソ鬱陶しい……」

 ニーアは露骨に不機嫌そうな顔を浮かべながらも、それ以上は何も反論しない。そして、三人がそんな会話を交わす中、それまで口を挟んで良いものか分からず黙っていたリチャードがおもむろに口を開いた。曰く、もともとミオ救出のための下調べをしていた彼は、看守であるカナールの私宅の場所も把握しているらしい。この状況下において、彼が裏切る可能性は限りなく低いと判断した彼等は、素直に彼からその位置を聞き出すことにした。

3.4. 作戦指揮官の判断

 リチャードからカナールの私宅に関する情報を聞き終えたところで、今度はアシュレイがアバンに再び問いかける。

「ところで、アバンさん、先ほどの方とはどのような御関係で?」

 「同族」と言っていたのを、アシュレイは聞き逃していなかった。それに続けて、ニーアも思い出したかのように口を開く。

「あの『耳長』か」

 それに対して、アバンは諦めたような口調で答えた。

「そうだな……。出来ることなら、私のことは伏せておきたかったんだが、さっきの話を聞かれてしまっていたのであれば、仕方ない」

 そう言って、彼はフードを外し、その下に隠されていた長い耳を露わにした(下図)。


「私は見ての通り、この世界の人間ではない。奴と同じ『エルフ』と呼ばれる一族だ。その中でも、私は奴と同じような『浅黒い肌の一族』に生まれたのだが、なぜか私だけ、このように肌の色が違ってな。そのせいで、物心ついた頃には捨てられていたんだ」

 結果的に言えば、彼は捨てられたことによって彼はその一族の滅亡時に命を落とさずに済んだ訳だが、ここで、ピクッとニーアが反応する。アバンが天涯孤独の身であることを知ったことで、どこか自分と通じるものを感じたのかもしれない。
 そして彼は、自分がこの世界に投影されてからも「人との接し方」が分からぬまま苦悶の人生を続け、その先にミオと出会って救われるまでの経緯を語った上で、改めて自分の姿をよく見えるように二人の前に晒す。

「奇特な外見だろう? この化粧の下にも、醜い『罪人の印』が隠れているのだ」

 そう言い終えた彼に対して、アシュレイは軽く微笑みを見せる。

「相変わらず、お人好しですね、あの人は」
「リーダーも、ミオに助けられたクチなのか?」
「まぁ、そんなところです」

 そんな二人の会話に対して、ニーアは驚いた表情を見せる。

「姉貴が、お前らを助けたのか?」
「昔、ちょっと、人生の目標を見失ったことがありましてね。その時に、色々と優しくしてもらいました。本当に彼女は、私の恩人です」
「ミオ殿は、やはり、どこまで行ってもミオ殿なのだな」

 二人がそう言って笑顔を浮かべると、ニーアは彼等に対して、真顔で問いかけた。

「なるほど、お前らが、なんでこの依頼に対して協力的なのかがよく分かった。だが、アイツがお前らが思ってるような女じゃなかったら、どうする? たとえばアイツに、生き別れの妹がいて、十何年も迎えに来ようとも、探そうともしなかったような女だったら?」

 その言い方から、それが(少なくともニーアの中では)「たとえ話」ではないことは、アシュレイにもアバンにも容易に想像がついた。二人がそれに対してどう答えるべきか言葉を選んでいる間に、ニーアは畳み掛けるように言葉を重ねる。

「ろくでもないヤツだよ、お前らが思ってるような女じゃない。それだけは間違いない。今だって、捕まったフリして寝返ったり。人の恩義なんか一つも考えていないような奴だ。期待した分、後で私達が割りを食うだけだぞ。それでも命なんか賭ける覚悟なんてあるのか? 自分の生存以上に、あの女の命が大事か?」
「私はあの時、彼女に声をかけられていなかったら、今生きてはいない」
「彼女がどのような人であれ、私が助けられたのは事実です。それだけは確かですよ」

 二人がはっきりそう答えると、ニーアは悟ったような表情を見せる。

「そうか、じゃあ、さっきの『やめる』って話はナシだ。なおさら確かめたくなった。お前らのことは助けたくせに、なんで私のことは助けなかったのか」

 実際のところ、その辺りの事情に関しては、アシュレイもアバンも詳細を知らない以上、なんとも言えない。とはいえ、ニーアが救出に対して再び前向きな姿勢に転じたのであれば、彼等としても、今は何も言うことはなかった。

「まずは、さっさとリチャードの家族とやらを助けることにしようか。アイツも、自分の生存よりも家族の方が大事だと思っているらしいからな」

 ニーアがそう言ったところで、アシュレイは二人に対して一つ提案する。

「その件ですが、リチャードさんには申し訳ないですが、一つ小細工をしたくなってきました」
「ほう?」
「リーダー、あんまりエグいのはナシだぜ」

 ニーアがどこまでエグいことを想像していたのか不明であるが、それに対してアシュレイは淡々と説明を続ける。

「いえ、大したことではありません。ただ、救出のタイミングをギリギリまで遅らせたいだけです」
「詳しく聞かせてもらえるか?」

 アバンがそう問うと、アシュレイは頷きながら詳細を語り始める。

「少数精鋭部隊としての特質を活かしたいのです。そのために、今すぐにではなく、空襲部隊が決行するタイミングまで待った上で、リチャードさんの奥さんと娘さんをまず助けます。こちらは、指揮官のナブリオがいないので、あっさり終わるでしょうが、すぐに騒ぎになることは間違いありません。しかし、むしろこれを呼び水とした上で、屯所に人を集めさせた上で、その隙にカナールの私宅を狙います」

 つまり、リチャードの家族救出という想定外のミッションを、本命のミオ救出のための布石として利用させてもらう、という作戦である。

「逆にここで急いでリチャードさんの家族を救出しに行くと、我々が中に侵入しているという事実だけを敵に知らせることになります。一時的に敵を混乱させることにはなるでしょうが、我々が作戦を決行する夜の時点で警戒が厳しくなっている可能性があるでしょう」

 その説明を聞いたニーアは、自分にはそれが適切な作戦かどうかを判断出来ないと考え、隣のアバンに問いかける。

「耳長は、どう思う?」
「その言い方はやめてほしい。私がこんな容姿であることは、本来ならば誰にも知られたくなかったのだ」
「そうかぁ? カッコいいと思うけどな」

 そう言われたアバンは、目線をそらしながらフードを被り直す。

「そう言ってもらえるのは嬉しいがな」

 二人がそんなやりとりをしている中、アシュレイは話を続けた。

「ただ、この作戦には一つだけ穴があります。リチャードさんの奥さんと娘さんが、その間に殺されてしまう可能性がある、ということは問題です」

 人質として監禁している以上、ナブリオの命令がなければ、部下達は彼女達を殺すことは出来ないだろう。だが、ナブリオがリチャード宅から戻ってこないことに対して、憲兵隊の者達が異変を感じたならば、その時点で何らかの作戦変更が起きる可能性はある。とはいえ、そこであえて人質を殺す必要があると彼等が判断するに至るとも考え難い。少なくとも、ナブリオの生死が確認されるまでは、独断で殺すことは出来ない筈である。
 とはいえ、ナブリオがなかなか帰ってこないことに対して、部下達が不審に思って、リチャード宅に足を運ぶ可能性はある。その点に関しては、リチャードに「もう既にホブゴブリンと一緒に、捕虜を連れて帰った筈」などと言ってごまかしてもらうしかないだろう。リチャードの本音としては、一刻も早く妻子の救出に向かってほしいところではあったが、そこまで要求出来る立場ではないことは彼自身がよく分かっていた。そうなると、今の彼に出来ることは、ナブリオがまだ生きていると憲兵隊に思わせるような「演技」を心がけることしかない。
 一方で、アシュレイとしては、看守であるカナールの家に本当にミオがいるかどうかを確かめたい、という思惑もある。そこで、ひとまずアシュレイ達三人は、作戦決行の前に、リチャードから聞いた「カナールの私宅」を調査することにした。アシュレイがニーアの傷を魔法で治療し、気付け薬で精神力も回復させた上で、三人は人目につかない道を選びながら、現地調査へと向かう。

3.5. 気まずい再会

 リチャードの指示通りに三人が街の一角へと向かうと、看守のカナールの私宅と思しき建物を発見する。少しずつその建物へと三人が近付いていく過程で、アシュレイは微かに開いた一階の窓から見える部屋の奥に、一人の女性らしき姿を発見した。完全に特定出来るほどはっきりと見えた訳ではないが、そのシルエットはミオに似ており、その首には「首輪」らしきものが嵌められていた。

「リーダー、何か見えたのか?」

 アバンがそう問いかけると、アシュレイは小声で答える。

「それらしき人影が見えました。とりあえず、私はもう少し近付いてみます。もし、見つかったら、私に構わずこの場から立ち去って下さい。いざという時に追手を撒くには、私も一人で逃げた方が都合がいいです」

 実際、応戦するならばともかく、逃げるだけなら一人の方が逃げやすいとも言える。ただ、それは相手が「撒ける程度の追手」だった時の話であり、状況によっては応戦せざるをえなくなる可能性もあるだろう。その場合は、どう考えても三人の方が適切である。その選択肢を最初から排除して良いかどうかは微妙な問題だが、まだ作戦の序盤段階である以上、今は極力、衝突は避けたいところではある。

「水臭いこと言うなよ、と言いたいところだが、私も自分の生存の方が大事なんでな」

 ニーアがそう言ったのに対し、アバンは別の選択肢を提示する。

「私であれば、魔法を使えば身を隠して近付くことも出来なくはないが……」

 アバンの用いる「エルフ界の魔法」は効果の割に精神力の消耗が激しい。そのことを知っているアシュレイは、ここは力を温存するように伝えた上で、やはり自分一人で近付くことにした。 
 彼が窓の内側をはっきり覗ける位置まで近付くと、その女性が明らかにミオであることを確信する。その部屋は寝室で、彼女はベッドの横で鎖に繋がれて拘束されていた。その周囲に人はいないようだが、エーラム出身のアシュレイが知る限り、劫罰の首輪は、その場にいない状態においても「ここから動くな」といった形での命令を下すことが出来る(それに逆らった時点で、首が締まる)ため、この状況から連れ出すのは、どちらにしても難しいだろう。
 アシュレイが窓をノックすると、それを見たミオは驚愕し、それに続いて、困惑と気まずさの折り混ざったような表情を浮かべつつ、窓際に近付いてくる。

「今晩、救出に来ます。準備をお願いします」

 アシュレイは、窓越しのミオに伝わる程度のギリギリの小声でそう言った上で、すぐにそこから立ち去ろうとする。

「ま、待って。手紙は、届いてないの?」
「手紙は見ました。『私の好きに生きるように』と書いてありましたので」

 特に悪びれる様子もなくアシュレイがそう言うと、ミオは諦めたような顔を浮かべる。

「そっか……。私がそれに対してどうこう言える立場じゃないわね。でも、私がここにいることに気付いたということは……」

 そこまで言いかけてから、ミオは目線をそらす。

「ごめん、一つだけ言わせて……」

 少し間を空けてから、彼女は若干頬を紅潮させながら言った。

「あなたには、知られたくなかった」

 様々な意味での「羞恥」の感情が込められたその言葉から、アシュレイは彼女の状況を概ね察しつつ、それと同時にアシュレイの中で「よく分からない感情」が湧き上がってくる。だが、この時点では彼にはまだ、その自分の感情の正体が、よく分かっていなかった。

「必ず迎えに来ます」

 彼はそう告げた上で、その場から去り、二人の元へと戻る。

「姉貴はどうだった?」
「やはり、劫罰の首枷の効果で拘束されているようなので、先にカナールが持っている『鍵』を回収する必要があります。我々は救助に行く、ということは伝えたので、やるだけのことはやってくれるでしょう。彼女は一流ですから」

 それ以上の会話の内容は、アシュレイは伝えなかった。特に秘匿する必要があると感じた訳ではなかったが、伝える必要があるとも思えなかったようである。

「OK、じゃあ、あたしらはあたしらの仕事をしようか」
「そうだな」
「はい」

 その後、アシュレイとニーアは一旦帰還する一方で、アバンがしばらくそのまま精霊の力を用いてその場を確認していると、中年の騎士風の男が家に入ろうとするのが見える。家に到達するまでは疲れたような表情を見せていたが、家に入る瞬間、下卑た笑いを浮かべながら中に入って行った。アバンはその様子を舌打ちしながら確認しつつ、ひとまず合流してアシュレイにその旨を伝えるのであった。

3.6. 逆襲の狼煙

 陽が落ちて、夜となり、彼等はリチャードから聞いた情報を頼りに、ナブリオ隊の詰所へと辿り着いた(なお、それまでの間に、憲兵隊がリチャード宅に確認に来ることはなかった)。

「ようやくウチの出番やな」

 そう言って、アシュレイの影からフェイエンが出てくると、彼女はあっさりと鍵を開け、再び影の中へと戻る。三人が中へ入ろうとすると、内側から兵達の声が聞こえてきた。

「おっせーなぁ、隊長。何やってんだろうなぁ、まったく」
「なぁ、もういい加減さぁ、あの女ヤッちまわね? どうせ任務が終わったら、旦那共々殺しちまうんだしさぁ」
「でもなぁ、『任務が終わるまで楽しみに取っとけ』って隊長言ってたからなぁ」

 そんなやり取りをしていると、突然、彼等の足元から蔦が現れて、その身を縛り上げる。まだアシュレイは攻撃命令を出していなかったが、アバンが独断先行で魔法を放ったのである。そして、アシュレイはそれに対して、特に止める気も咎める気もなかった。

「な、なんだこれ!?」
「敵襲? 敵襲か!?」

 その攻撃を逃れた者達が外へ逃れようとするのをアシュレイが幻想弓で射掛けて、間髪入れずにニーアが大剣を振り払った結果、一瞬にしてその場にいた兵達は殲滅される。まだ他の場所に彼等の仲間が残っている可能性を考慮しつつ、ひとまず彼等がそのまますぐに詰所の地下室へと向かうと、そこには妙齢の女性と、幼子の姿があった。女性は困惑しながらも、すぐに状況を把握する。

「パ、パンドラの皆さん、ですよね? 夫は、夫は無事なんでしょうか?」

 そう問われた三人であったが、答えたのはその中の「パンドラではない者」であった。

「あんたの旦那は、家で待ってる。とっとと行ってやりなよ」
「あ、ありがとうございます!」

 そう言って、彼女は幼子を抱いてその場から走り去っていく。その様子を確認した上で、アシュレイは詰所にあった油を見つけると、それを屯所にかけた上で、火をつけた。すぐに火は建物全体へと伝わり、大きな煙が立ち込める。

「どうした!?」
「何があった!?」

 周囲の人々が混乱し、警備兵達が集まってくる。この時点で、彼等は街の中に「潜入部隊」がいることに気付くが、まもなく空襲部隊が到着する筈である。その時点で、彼等は「潜入部隊」が囮で、空襲部隊が本命であると誤解するだろう。この街の兵達は、この時点から、アシュレイの手のひらの上で踊り始めることになる。

3.7. 異界の飛空艇

 その頃、アキレスの上空には、五機の「謎の飛行物体」が近付きつつあった。それらは「女性の上半身のような姿」を形取った奇妙な飛空挺である。当然、本来のこの世界の産物ではない。異界からの投影体である。
 それぞれの「船」の中には、パンドラ革命派の急襲部隊の者達が乗り込んでいた。彼等はここから、異界の投影装備を用いて、降下作戦を開始する予定であった。
 その中の一つの船に乗り込んでいたアンドロメダは、その船の「船長室」に相当する区画にいた、一人の巻き髪の少女に声をかける。

「今回は、協力してくれてありがとね。あなた達『リップ・タイプ』……、あ、いや、ごめん、『リープ・タイプ』だったっけ?」

 そう問われた少女は、手に持っている一升瓶に入った酒を飲みながら、ほろ酔いの表情でフラフラと体を揺らしながら答える。

「どっちでもいいよ。どっちも正解だ」
「そう。とにかく、あなた達『リップ・タイプ』がいなければ、今回の作戦は成り立たなかった。あなた達の協力には、『革命派』一同、深く感謝しているわ」
「まぁ、困った時はお互い様だよ。あたしら『楽園派』も、この後で大一番が待ってるんだ。そん時には、あんた達の力を借りさせてもらうことになる」
「もちろん、全力で協力させてもらうわ。ブレトランド・パンドラの存亡に関わる大勝負になるのは間違いないしね」
「よろしく頼むぜ」

 ほろ酔いの少女はそう言いながら、ニヤリと笑う。彼女は、この「船」の「頭脳体」であり、この船は彼女の意のままに動かすことが可能である。他の五隻にも、彼女と同様の頭脳体が同乗してしていた(厳密に言えば、そのうちの一隻には「双子のような姿」の二人が乗っているので、頭脳体の数は六人である)。
 彼女達はパンドラ楽園派の一員であり、仲間達の間では「オルガノン」の一種だと思われているが、もともと彼女達は「投影元の世界」においてこのような形状の宇宙船として造られた存在であり、ヴェリア界を介して擬人化されたオルガノンとは、本質的には別物である。

「そういや、こないだブドーカンから聞いたんだけどさ、あんたらの仲間の一人に『シアン』って奴がいるよな?」

 唐突に、ほろ酔いの少女がそう問いかけた。正確に言えば、彼は「革命派」でも「楽園派」でもない、ブレトランド・パンドラ内における特異な立場の魔法師なのだが、この少女はそこまで詳しい事情は知らないらしい。そして、アンドロメダも、そこはあえて細かく訂正する必要はないと考えていた。

「えぇ、いるわよ。彼がどうかした?」
「この世界では『シアン』ってのは、男の名前なのか?」
「さぁ? あの人以外に『シアン』という名前の知り合いはいないから、それが一般的なのかどうかは分からないわ。あなたの元いた世界では、『シアン』は女性の名前なの?」
「うーん、向こうの世界で私が知ってる『シアン』も一人しかいないから、本来はどっちの名前なのかは、よく分からない。あいつも、一応、女だけど、男みたいな奴だったしな」

 正直なところ、彼女の中でも、別に「シアン」が男性名でも女性名でも、どちらでも良かった。ただ、この世界に来て、懐かしい戦友と同じ名前の人物の存在を知ったことで、少し昔を思い出したくなっただけである。

「まぁ、それを言ったら、私の『アンドロメダ』ってのも、本来は異界の姫様の名前らしいけどね。名付け親になってくれた異界人が、私と姉さんがそっくりだったから、『女の子の双子』だと勘違いして付けた名前らしいけど」

 ちなみに、ブレトランドにも「アンドロメダ」という地名があるが、それも異界の姫が語源なのかどうかは定かではない。

「さぁ、そろそろ到着だ。思う存分、暴れてきな!」

 ほろ酔い少女はそう言って、一升瓶に残っていた酒を一気に飲み干すと、アンドロメダに目配せをする。アンドロメダは笑顔でその場を立ち去り、そして仲間達と共に、降下作戦のための投影装備「ハンググライダー」を身につけるのであった。

3.8. 困惑する街

「パンドラだ!」
「空からパンドラが攻めてきたぞ!」

 アキレスの夜空から舞い降りつつある革命派の闘士達を見上げながら、虚をつかれたアキレスの兵士達の困惑の叫び声が響き渡る。街の中に潜伏していると思しき刺客を捉えようと躍起になっていた彼等は、「上」という想定外の方角からの敵襲に、完全に我を失っていた。
 しかも、彼等は幻影の魔法を用いて、その数を実数よりも何倍にも多く見えていた。地上から弓や魔法で応戦しようにも、その大半が幻影をすり抜け、その中の数少ない「本物」が放つ魔法によって、次々と街の防衛拠点が破壊されていく。
 そんな中、看守カナールの私宅へと向かおうとしていたアシュレイ達であったが、アバンは混乱する街の人々の中で、カナールの姿を発見する。どうやら彼は、牢獄の方面へと向かっているらしい。

「隊長、カナールだ!」

 アバンがそう告げると、先に反応したのはニーアであった。

「姉貴はどこだ?」
「多分、まだ奴の家の中だろう。救い出すなら、今が好機かと」

 アバンはそう言ったが、アシュレイは即座にそれを否定する。

「いえ、まずカナールを倒しましょう」
「姉貴は放っとくのかよ!?」
「まず、奴が持っている『鍵』を手に入れなければ、連れ出すことは出来ません」
「クッソ、しゃーねえな!」

 彼等は走るカナールを追いかけつつ、人影から、気付かれないように襲撃しようとしたが、間一髪のところで気付かれてしまった。

「な、なんだ貴様ら!」

 自分に武器を向けて近付いて来る者達に対して、カナールはそう言いながら聖印を掲げ、剣を抜く。それに対して、アシュレイは黙ってニヤッと笑い、その傍らでニーアはアバンに問いかけた。

「人違いじゃねえよな?」
「大丈夫な筈だ」
「よし、じゃあ、ぶっ殺すか!」

 彼女はそう言って剣を構える。そして、この状況下で、戦いを長引かせれば敵が増えることは必至である以上、瞬殺しなければならないと判断したアバンは、レイピアを二本突き刺して、全力で蔦をカナールの足元から発生させて、その身を縛り上げる。
 それに合わせて、アシュレイもまた全力で幻想弓の矢を叩き込んだ。

(貴様には、報いを受けてもらう!)

 これまでにない程の本気のアシュレイの一撃を受けたカナールは、深手を負いつつも、まだ倒れはしない。街の往来での襲撃となったため、当然、衆目の注目を浴びるが、一般市民達は恐怖のあまり、すぐにその場から慌てて逃げ去る。
 カナールは必死で蔦を身体から剥がしながらアバンに接敵するが、次の瞬間、ニーアの大剣がカナールに向かって振り下ろされる。

「わりぃな兄弟、ちょっと耐えろよ!」

 ニーアはそう言って、全力でアバンごとカナールを脳天から叩き割るように大剣を振り下ろす。アバンは水の精霊の壁を作って身を守りつつ、アシュレイからも防御魔法を放たれたことで、アバンは結果的に傷を受けずに済んだ。一方で、カナールもまた、その斬撃を直撃してもまだ崩れない。さすがに、重要犯罪人の監獄の警備を任されているだけの人物ではある。
 だが、それに続いて、残る力を全て振り絞って放たれたアバンの蔦がカナールの身体を縛り上げたところに、アシュレイがとどめの炎の矢を打ち込んだことで、遂に彼は力尽きた。

「な、何なんだ貴様等……」

 そう言いながら、彼はその場に、仰向けに倒れ込む。

「ハッ、だらしない。お前なんかに、姉貴が殺せるか!」

 ニーアはそう言って、倒れているカナールの懐へと手を伸ばすと、特殊な形状の「鍵」を見つける。

「いいモン持ってるな」
「そ、その鍵は……、そうか、貴様等、パンドラの……」
「これでお前には用はない」

 ニーアはそう言って、剣をカナールの心臓に突き刺す。この状況で、既に立ち上がる気力を失っていた彼を殺すことに必然性はなかったが、彼女は何の迷いもなく本能的に刃を突き立てた。自分の生存のため以外の目的で他人の命を奪ったのは、実は彼女にとってはこれが初めてだった。だが、自分自身をそこまで突き動かした衝動の原因を、まだ彼女は自覚していない。

3.9. それぞれの事情

 その後、街の兵士達が集まってくる前にその場から走り去った三人は、そのままカナールの私宅に向かう。家の前まで来たところで、アシュレイの影から現れたフェイエンが扉の鍵を開け始める。その間に、ニーアは手にしていた「首枷の鍵」を、アシュレイに向かって投げた。

「これで姉貴を助けてやってくれ」

 アシュレイがそれを受け取ったのを確認すると、彼女は扉に対して背を向ける。

「そうか、見張り役になってくれるのか」

 アバンがそう言うと、彼女は頷いた。

「あぁ、そうだな。それでいい」

 実際のところ、ニーアとしては、ここで「姉貴」に対して、どんな顔で会えば良いのかが分からなかったのである。やがてフェイエンが解鍵を終えると彼女は再びアシュレイの影の中へと戻った上で、アシュレイとアバンは家の中へと入る。そして、昼間と同じ寝室へと向かうと、そこには昼間と同じように、鎖に繋がれた状態のミオがいた。近くで見ると、かなりやつれているように見える。ここで何をさせられていたのかは不明だが、少なくとも、まともな生活を送らせてもらっていた訳ではなかったらしい。

「あ、あなた達、本当に……」
「ようやく、恩を返す時が来たようだな」

 そう言いながら、アバンは笑みを見せる。一方で、アシュレイの影からフェイエンが飛び出して、ミオを繫いでいる鎖の鍵を開け始めた。

「恩なんて……、少なくとも私は、あなた達に命をかけてもらうようなことはしていない……」

 彼女はそう言ったところで、窓の外に目を向けた。

「外が騒がしいけど……、もしかして、あなた達以外にも?」
「全員総出です」

 アシュレイがそう言うと、彼女はボロボロと涙を流し始めた。

「どうして……、どうして私なんかのために……。ボスにも何も言わずに勝手に行動した私なんかのために……」
「皆、助けたいからですよ、行きましょう」

 そう言って、アシュレイはカナールから奪った「鍵」を見せる。そして同時に、フェイエンによる鎖鍵の解鍵も終わり、再びアシュレイの影へと戻った。

「ありがとう。私にもまだ、生きて、やらねばならないことがある、ということね」

 そう言って、ミオは二人と共に家から出ようとする。だが、その頃、入口で気付け薬を飲みながら見張りをしていたニーアの前に、見覚えのある男達が姿を現していた。彼女の副官であるアクセル率いるオブリビヨンの邪紋兵団である。

「よぉ、何の用事だ?」

 ニーアがそう問うと、アクセルは下卑た笑みを浮かべる。

「やっぱり、隊長の任務は『こっち側』だったんですね」

 そう言う彼等は、どうやらヴァレフール陣営から「対パンドラ用の戦力増強」のために雇われていたようである。より正確に言えば、おそらく彼等の方からヴァレフール側に自らを売り込んだのであろう。それがオブリビヨンの流儀である。その契約が、パンドラからのニーアの派遣要請よりも前に上層部の間で決まっていたことなのかどうかは分からなかったが、ニーアとしては、それは別にどちらでも良かった。

「なるほどな。なんとなーく、馬鹿なあたしでも、この状況は分かるぜ」
「まぁ、仕事がブッキングすることなんざね、よくあることですよ。それに、この状況なら、あんたも俺も遠慮なく戦える。あんたを倒せば、俺は晴れて隊長に昇格だ」
「お前はあたしより弱かったから副隊長なんだ。意味は分かってるか?」
「じゃあ、本当にそうかどうか、試してみましょうか? まぁ、楽しみましょうや、俺達は、オブリビヨンなんですから」
「図に乗るなよ、お前等なんか、一度たりとも仲間だと思ったことはねぇ。ここであたしに食われて、あたしの生きる糧となりな」

 そう言ってニーアが大剣を構えたところで、アシュレイ達が部屋の奥から入り口へと到着する。

「なんか、まずい人が来てるみたいですね、ニーアさん」

 その声がアシュレイのものだということはニーアにはすぐに分かったが、今、この状態で後ろを振り向く余裕はない。彼女は状況を確認出来ないまま問いかける。

「姉貴はどうした? こっちは任せろと言った筈だ」
「そっちは、もう片付きました」

 アシュレイがそう言うと、その隣にいるミオが声を掛ける。

「ニ、ニーア……? ニーアなの? どうして……? あなた、オブリビヨンにいるって……? じゃあ、オブリビヨンも協力してくれてるの?」

 さすがに、この状況で、目の前にいる敵の正体にまで彼女が気付ける筈もない。

「足手まといは下がってろ!」

 ニーアがそう言ったのに対し、さすがにミオも、現状では正面から戦える体力は残っていないため、一歩後方に退く。だが、その足音が「一人分」しかなかったことに気付いたニーアは、今度はアシュレイとアバンに向かって言い放った。

「お前等もだ! こいつらは私の敵だ。私の因縁だ。オブリビヨンは前から気に入らなかった。お前等は、その女を連れて、どこへでも逃げろ!」

 それに対して、アバンはこう言った。

「ミオが万全の状態ならば、お前と共に戦おうとするだろう。そうだよな?」

 ミオは頷きながら答える。

「せっかく出会えた妹を、ここで失う訳にはいかないわ。私にも、ほんの少しだけだけど、まだ戦う気力は残っている」

 そう言って、彼女は後方から邪紋の力を発動させようとする。

「とっとと帰れ!」

 そう叫ぶニーアに対して、アバンが再び口を開く。

「さすがにそんな状態のミオを戦わせる訳にはいかないので、ここは私達が代わりに戦う」

 彼がそう言うと、アシュレイも頷いた。

「そうですね。私達はここに来る前に、盟主に確認をとりました。万が一の時は誰を優先すべきかを。『全員帰って来い』と言われましたからね。全員、生きて帰りますよ。いいですね?」
「お節介焼きが……。死ぬんじゃねえぞ。そんなら最後まで付き合え。行くぞ、兄弟!」

 ニーアはそう言うと、自分の部下であった兵士達を威嚇するように、大剣を地面に叩きつけて大穴を空ける。

「お前等に戦い方を教えてやったのは、このあたしだ。楯突こうってんなら、さっきも言った通り、『糧』になってもらおう。それで構わんな?」

 その威力に、思わず敵兵は威圧される。実際、ニーアは彼等の手の内は全て知り尽くしており、彼等の実力では自分には遠く及ばないことを知っている。だが、それはあくまでも彼等個人の話であり、「集団」となった彼等に対して一人で戦ったことはない。ひとまずは、彼等の闘志を挫くことで、その統率を崩して乱戦に持ち込む必要があることを、彼女は本能的に察していた。
 そんな彼女を支援すべく、まずアバンの渾身の力を込めた蔦が邪紋兵団の兵達全体を絡め取り、そのまま搾り上げる。だが、さすがに集団が相手となると、アバン一人の力ではその威力にも限度がある。兵達はそれをあっさりとふりほどき、そのままの勢いでニーアに襲いかかる。

「死ねや、ニーア!」

 そう叫んだアクセルを筆頭に、兵達が凄まじい勢いでニーアに対して次々と斬りかかった結果、さすがの彼女も防ぎきることは出来ず、一度は致命傷を受けてその場に倒れ込んでしまう。だが、その直後に彼女の体に混沌の力が凝集していった結果、彼女はゆっくりと立ち上がった。

「さぁすが隊長ぉ、そうでねぇとなぁ〜」
「どうした?、声が震えてるぞ。そんなに怖いなら、寝かしつけてやる」

 ニーアがそう言って大剣を振り払うと、その圧倒的な斬撃によって兵達は次々と倒れていくが、まだアクセルは余裕を見せている。そこにアシュレーが幻想弓の矢を射掛けるものの、兵達に守られたアクセルには届かない。再びアバンが蔦を絡ませて絞め上げていくが、それでも彼等はまだ闘志を失わなかった。

「この死に損ないがぁ!」

 そう言って再びニーアに向かって踏み込むアクセル達であったが、足元にアシュレイが一矢を打ち込んだことで微妙に陣形が崩れ、ニーアは華麗にその突撃を避ける。その直後、アシュレイが全ての魔力を注ぎ込んだ矢を放つと、アクセルを守っていた兵達は全滅し、アクセル自身も、膝から崩れ落ちた。

「隊長、あんた、新しい居場所を見つけたようですな……」

 そう言って、アクセルは微かな笑みを浮かべながら突っ伏して、そのまま息絶える。

「もとから、お前等のことは『居場所』だとは思ってねえけどな」

 ニーアがそう言い捨てた直後、ミオがニーアに駆け寄った。

「ニーア、大丈夫? というか、あなた、そもそもいつから邪紋を……」

 その彼女の声がニーアに届く前に、ニーアは気を失ってその場に倒れる。彼等は三人がかりでニーアを背負ってリチャード宅へと向かうと、そのまま魔法陣に突入し、リチャードおよびその妻子共々パンドラの本拠地へと移転し、魔法陣を閉じる。リチャード達としても、ナブリオ隊の生き残りが魔法陣のことを「上」に伝えている可能性がゼロではない以上、あの家はもはや放棄するしかないと判断していた。
 一方、上空からのキラ率いる陽動部隊もまた、「陽動部隊」としての任務をきっちりと終わらせ、あっさりと撤収する。あわよくば本気でゴーバンを攫おうかとするほどの勢いではあったが、さすがにそれを許さないほどの防備が城の近辺に固めていたことを察した彼等は、欲を出さずに当初の予定通りの任務に終始したのであった。

4.1. 騎士団長の決断

「完敗、だな」

 全てが終わった後、アキレスの領主にしてヴァレフール騎士団長を務めるケネス・ドロップスは、そう呟いた。腹心であった契約魔法師の仇を討つために仕組んだパンドラ壊滅作戦は、あまりにも惨めなほどに失敗した。多くの犠牲を出し、何も得ることがないまま、下手人のミオを奪われた。どさくさ紛れに「更なる戦果」を求めて本気でゴーバンを誘拐しようとした敵の一団こそ退けることは出来たものの、全体としては言い訳の仕様がないほどの惨敗である。

「パンドラ程度なら、雇われ兵でどうにか出来ると思った私の慢心が敗因だな。騎士団長が聞いて呆れる。すまんな、ハンフリー、お前の無念を晴らしてやることが出来ずに……」

 だが、今の彼には、ここで感傷に浸っている暇はない。ヴァレフールの伯爵位継承権を巡る争いはまだ続いている。パンドラ相手に大失態を犯したことは事実だが、それを理由に騎士団長の座を退く訳にはいかない。今、自分がここで一線を退けば、副団長グレンを初めとする聖印教会派の勢力が更に強くなる。そうなれば、これまで築き上げてきたヴァレフールとエーラムとの友好関係にヒビが入る可能性がある。
 ケネスが懸念しているのは、それだけではない。グレン達は聖印教会の人脈を利用して、ブレトランド全体での和議をも実現しようとしている。そのために、グレンは側近のファルクを頻繁に日輪宣教団率いる神聖トランガーヌへと派遣することで友好関係を築きつつ、自身の孫をアントリアの月光修道会主催の神聖学術院に留学させたまま彼等との関係を保とうとするなど、様々な施策を巡らせていた(この詳細は「ブレトランドの光と闇」四話にて語られる予定)。
 だが、実際にアントリアや神聖トランガーヌとの和議が実現した場合、次に待っているのは、大工房同盟の軍事大国ノルドによる本格的な侵略であろう、とケネスは考えていた。今はまだ、ブレトランド内での「代理戦争」という形で状況は収まっているが、もしアントリアが「同盟の手駒」としての役割を果たさなくなれば、ノルド侯爵エーリクは自分自身の手でブレトランドを直接傘下に収めるための軍を派遣する可能性がある。
 すなわち、「ブレトランド内の和議」は「ブレトランド外との全面戦争」をもたらす恐れがあるからこそ、安易に平和を構築するよりも、程良い小競り合い程度の対立関係を維持しておく方がヴァレフールにとっても、ブレトランド全体にとっても得策、というのがケネスの戦略である。だからこそ、その戦略に賛同しないグレン派にヴァレフールの主導権を握らせる訳にはいかない。幻想詩連合やエーラムとの関係を維持した上で、聖印教会や大工房同盟を巧みに牽制しつつ均衡状態を保つという外交術が可能なバランス感覚の持ち主は、今のヴァレフールには自分以外にはいない、と彼は考えていた。
 とはいえ、今回の敗北によって、自分の求心力が急低下することは避けられないだろう。ハンフリーの遺産とも言うべき投影体中心の傭兵部隊もその大半が壊滅した。このまま国内の冷戦状態が継続すれば、更なる状況の悪化は必至である。ヴァレフールを立て直すためには、早急にこの国内冷戦に終止符を打った上で、一刻も早く「次世代の後継者」を育成し、自分の後を託す準備を整えなければならない。この内乱を終わらせるために、自分が背負い切れるだけの「業」を背負う覚悟は、既にケネスの中では固まっている。自分達の世代が引き起こした怨讐は全て自分が片付けることを前提とした上で、その後の未来を託せる人物が、今のこの国には必要なのである。そう考えた彼は、側近の従者にこう告げた。

「トオヤの謹慎を解く。チシャを連れて、アキレスに出仕するように命じよ」

 それは、このヴァレフール、そしてブレトランド全体をも巻き込む、新たなる風雲の時代の始まりでもあった。

4.2. 内通者の処分

 ミオ奪還の成功に沸きかえる革命派の本部において、一人浮かない顔をしていたのはリチャードである。結果的に作戦は成功したものの、彼の密告によって、アキレス近辺の拠点が潰されたのは事実であり、その責任の重さは彼自身が痛感していた。
 アシュレイはひとまず事実をそのまま伝えたのに対し、アバンは「結果的に、リチャードのおかげで効率良く使命を達成出来た」ということをキラに上申する。それに対して、キラが導き出した結論は、以下の通りであった。

「それは、あくまでも結果論にすぎん。だが、俺は最初に言ったよな。俺達がミオを助けるのは、ミオが功労者だからではない。ミオが仲間だからだ、と。その意味で、当然、俺達に協力してくれる一般市民達も、俺達の仲間だ。だから、リチャードの妻と娘を助けに行ったお前達の判断は正しいし、そのために敵に従わざるをえなかったリチャードを責めることも出来ん。とはいえ、これ以上、リチャードをパンドラに関わらせる訳にはいかない。どこかで新たな人生を歩める方法を斡旋すべきだろう」

 それに対して、リチャードは、自分の身体に邪紋を刻むことでパンドラのために役立ちたい、と主張するが(パンドラには、それが可能な魔法師が一人いる)、キラはそれを拒絶した。

「少なくとも、お前の妻と娘はそれを望んではいないだろう。もうお前は十分、俺達のために尽くしてくれた。あとは家族のために、お前の残りの人生を捧げてやれ」

 そう言われて、リチャードは複雑な表情を浮かべながらも、黙って同意した。その様子を横で見ていたアシュレイは、傍らにいるニーアに問いかける。

「どう思います? 邪紋使いさん」
「いいと思うぜ、邪紋なんて、ろくなもんじゃねぇ。戦う力なんて、無いほうがいいさ。あいつらは、あれでいいんだ」

 彼女はそう言った上で、キラに問いかけた。

「ところでよ、出来れば、あたしを仲間に加えてくれねえか?」

 ニーアとしては、オブリビヨンから派遣されてこの任務に参加したものの、今回の戦いで、結果的に彼女は自分の部下達を皆殺しにすることになった。とはいえ、彼女がオブリビヨンに帰還したところで、誰も彼女を咎める者はいないだろう。それぞれに与えられた任務が衝突して、結果的に同胞達を惨殺したところで、それはオブリビヨンの一員として、何も間違った行動ではない。だが、もはや彼女自身の中に、今更オブリビヨンに戻りたいという気持ちはサラサラ無かった。
 実際のところ、これまで戦うことと食べることしか考えてなかったニーアには、革命派の面々の掲げる理念が正しいのかどうかはさっぱり分からない。ただ、現状で特に他に行くアテもない彼女が、ひとまずこの場に居座ろうと考えるのは、彼女にとっては自然な発想であった。

「それはもちろん、大歓迎だ。というか、もともと、俺としてはそのつもりだったしな。ミオも喜ぶだろう」

 キラがそう答えると、やや苦めの顔を浮かべるニーアであったが、キラの傍に立つアンドロメダが、軽く口を挟む。

「あんたもいい加減、素直になった方がいいわよ。姉さんが自分の近くにいるということが、どれほど幸せなことか。私は今、会いたくても会えない立場なんだから。あのバカのせいで」

 最愛の姉を奪ったグリースの召喚魔法師のことを思い浮かべつつ、アンドロメダがそう語るが、ニーアは更に眉間にしわを寄せる。

「うるせーな。お前とあたしを重ねんなよ。それと、仲間にならせてもらって恐縮なんだが、あたしはあんたらの下につく訳じゃねぇ。あんたらからの依頼があれば受けるが、あたしは誰にも隷属しねぇ」
「つまり、個人的な傭兵契約、ということかな?」

 キラがそう問い返すと、ニーアはニヤリと笑って答える。

「そう捉えてくれるなら、あんたはなかなかいい奴だ」
「まぁ、いいだろう。ただ、お前がその気になれば、いつでも『本当の意味での仲間』として迎えるつもりだ。少なくとも、俺もミオも、それを願っている」
「それはありがたいね。『仲間』ってやつに、ちょっとは興味が湧いてきたところだ」

 こうして、市民リチャードとその家族がパンドラを去る一方で、邪紋使いニーアはオブリビヨンを脱退し、パンドラ革命派の客将となった。後日、キラはオブリビヨンにその旨を書状で通達したが、オブリビヨンの団長ヴァライグからは、特にこれといった返事はなかったらしい。ニーアは彼等にとっても重要な戦力の一人だった筈だが、ヴァライグの中では、その程度のことは、特に気にとめるほどの話でもなかったようである。

4.3. 「恩人」への想い

 その後、ミオは改めて、今回の作戦の中心人物であった三人に対して、個人的に会う機会を作ってもらうことにした。まず最初に訪問したのは、アバンの私室である。

「ごめんなさい、そして、ありがとう。私としては、皆を危険に遭わせたくなかったけど、でも、せっかく皆に助けてもらった命だから、これから先も皆のために使いたいと思う」

 彼女は決意を込めてそう言った上で、彼女の中にあるもう一つの感情も露わにする。

「でも、あなたには、あまり無理はさせたくない。もちろん、それはあなただけじゃないけど」

 今回の任務を通じて、アバン達に相当危険な橋を渡らせてしまったからこそ、彼女はそう言わざるをえなかったのだが、アバンはその言葉をそのまま切り返した。

「それは、皆がミオに対して思っていることと一緒ですよ。ミオは十分、皆のために尽くしてきた訳ですし、ミオももう少し、自分の幸せについて考えた方がいいんじゃないですか?」

 任務中のアバンは、ミオを含めた全ての人々に対して淡々としたぶっきらぼうな口調で話していたが、任務外ではこのような「穏やかで丁寧な喋り方」になるらしい。それに対して、ミオは少し考えた上で答える。

「私の幸せか……。私は、今こうして皆と戦えていることが、すごく幸せだけどね。あなたはそうは感じないの?」
「そうですね。初めはあまり良く思っていなかったニーアさんとも仲良くなれましたし」

 どうやら口調に引きずられるような形で、ニーアに対しても無意識のうちに「さん」付けになっているようである。そしてミオは、彼女の名を聞くと、複雑な表情を浮かべる。ミオはパンドラに帰還して以来、まだニーアと、まともに会話が出来ていない状態であった。

「ニーアは私のことを避けてるみたいだけど、彼女、私のこと、やっぱり嫌ってるのかな?」
「それは、どうでしょう?」
「そもそも、もう長いこと会ってなかったし。確かに、好かれる理由は何も無いんだけど、嫌われる理由も分からないというか……」

 困惑するミオに対し、アバンは自分の思うところをそのまま伝える。

「そうですね、私の印象としては、ニーアさんは『姉』という存在を持て余してしまっているだけのように思えます。私やアシュレイや他の皆に対してそうしたように、あなたの方から彼女の懐に飛び込んでしまえば、きっと仲良く出来ると思いますよ」

 実際のところ、アバンには「家族との正しい接し方」は分からない。だが、今の彼にとって、ミオは家族同然、あるいはそれ以上の存在である。家族愛というものを理解していない自分にそこまでの感情を抱かせてくれたミオが、実の妹を振り向かせることが出来ない筈がない、と彼は確信していた。

「分かったわ、ありがとう」

 そう言って、ミオはアバンの部屋を去って行く。彼の助言を胸に、妹の本音を聞き出そうと心に誓って。

4.4. 「姉」への想い

 パンドラに加わったばかりのニーアには、まだ「個室」が与えられていない。そんな彼女が、現在の拠点の設置されている土地の近辺の野原で、一人暇を持て余して無心で空を眺めていたところに、仲間から彼女の居場所を聞きつけたミオが現れた。

「ニーア、その、えーっと、……」

 ミオが、何から話せば良いのか分からずに戸惑っていると、ニーアの方から声をかけた。心なしか、その表情は少し笑っているように見える。

「よぉ、体調はどうだ?」
「私は大丈夫。それより、あなたの方はどうなの?」
「あたしは何ともねーよ」

 実際、帰還した時点ではニーアの方が満身創意であったが、もともと体力だけが取り柄で生きてきた彼女にとっては、あの程度は「寝てれば勝手に治る傷」であった。その様子を見て安堵したニーアは、改めて、意を決してニーアに問いかけた。

「あなた、やっぱり、私の生き方を軽蔑してる?」

 それに対して、ニーアは目線をそらしながら訥々と語り始める。

「別に、あんたのことが嫌いって訳じゃない。ただ、あたしは今まで、誰も仲間になんかなっちゃくれない環境で生きてきた。今更あんたみたいなのが出てきて、どうすりゃいいか分からないだけだ。でもまぁ、あんたが他の奴らに尊敬されてるって聞いたから、あんたのことを嫌いになれそうにない。ただ、それを踏まえた上で、あんたに一つ頼みがある」

 少し間を空けて、彼女はこう言った。

「これ以上、あたしの中に入ってくんな」

 それに対して、ミオは少し考えた上で、ニーアを見つめてながら答える。

「分かったわ。それが今のあなたの気持ちなら、私はそれを受け入れる。でも、私があなたの中に入っていくことが許されなくても、あなたが私の中に入ってくることは、私はいつでも歓迎するから」
「あたしはようやく強くなったんだ。姉さん、あんたの存在を認めると、あたしはまた弱くなっちまう」
「そうかしら? 少なくとも、あなたがどうかは分からないけど、私はアシュレイやアバンやボスや皆と共に戦えることで、皆の中に入っていけることで、私は強くなれたと思っている」
「気に食わねえなぁ……。悩んできたことを、ズバリそのまま言っちまう。嫌な奴だ……」

 そう言って、ニーアはミオに抱きついた。

「……なんで、捜してくれなかったんだよ!」
「捜したわよ! 一生懸命、捜したけど……、でも、そうね。言い訳ね。見つけられなかったのは、私の落ち度だわ。ごめんなさい」

 実際、ミオはこれまで、ニーアの居場所を探すための情報を集め続けていた。そんな彼女の耳に、「ニーアがオブリビヨンにいるらしい」という情報がキラ経由で届いたのは、彼女がハンフリー暗殺へと向かう直前の時期だったのである。そのタイミングで実の妹に会うことで、決意が鈍ってしまうことを恐れた彼女は、キラがオブリビヨンからニーアを引き抜くための工作を考案している最中に、単身アキレスに乗り込むことになったのである。だが、そんな事情を一からニーアに説明したところで、それはニーアの中では言い訳にしかならないだろう、と察したミオは、それ以上何も言わないままニーアを抱きしめる。
 ニーアは、そんなミオの腕の中で、無言のまま、自分でも気付かぬうちに、涙を流し始めた。その涙の意味をニーア自身が理解するには、まだ、もう少し時間が必要であった。

4.5. 「一番大切な人」への想い

 それから数刻後、現在の拠点の近くの海沿いの崖の上で、アシュレイが一人で物思いに耽っているところに、一人の小柄な妖精のような姿の少女が現れる。

「隊長はん、こないなところで、何してはるの?」
「あぁ、ちょっと風に当たりたくて」

 彼がそう言うと、その少女はおもむろに問いかけた。

「ほな、隊長はん、今回のことで、ちょっと聞きたいことあるんやけど、ええかな?」
「何ですか?」
「隊長はん、その、ミオはんのこと、どない思うてはるの? 隊の人等が言うてたんよ。今回の任務の時の隊長はんは、目の色が違うたって」
「誰が言ってんですか、それ?」
「いろんな人やね。ジェームスはんとか」
「そうですね……、彼女は私にとって『特別な人』ですから、いつも以上に気持ちが入っていたのかもしれませんね」
「特別ってのは、どういう意味で?」
「それは勿論……、彼女は私が本当に困っていた時に、助けてくれた人ですから」
「ほんまにそれだけ?」
「何が言いたいんですか?」
「いや、気のせいやったらええんやけどね。まぁ、でも、そやね……」

 その少女がそう言いかけたところで、それまで「フェイエン」だと思われていたその少女の姿が突然、「ミオ」の姿へと変わった。ミオが「幻影」の邪紋使いでもあることをようやく思い出したアシュレイが、驚愕のあまり動揺した表情を浮かべる中、ミオは語り続ける。

「まぁ、でも、そうよね。分かってるわ。あなたの中での私が『それ以上の存在』ではない、ということは。あなたはそういう人だし。それに、やっぱり、私みたいな『汚れた身体』の人間は、あなたには釣り合わないわよね」

 その独白をアシュレイは背中で聞きつつ、おもむろに弓を出し、上空に向かう鳥に向けて、あまり意味もなく弓を構える。

「それ以上の存在、と言われても、正直、困ります。私には、何というか、その、あなたは、私にとって……、『一番大切な人』です」

 自分でも何を言ってるのかよく分からないような口調で、アシュレイがそう言うと、ミオは呆れたような、諦めたような表情を浮かべる。

「……ズルいわよね、男って。じゃあ、一つ、これだけ聞かせて」
「ん? 何です?」
「あなた、私が、生き延びるために、脱出するために、どんな手を使おうとしていたか、察しはついているんでしょう?」

 その言葉に対して、アシュレイは再び動揺した様子を見せつつも、何も答えない。

「それを知った時、どう思った?」

 アシュレイは、一度引いていた弓を元に戻しつつ、少し考えた上で、答えた。

「忘れました。あなたが生きていたことが嬉しかったので、忘れました」

 その言葉に、ミオは肩をすくめながら、笑顔を見せる。

「いいわ。多分、それがあなたのいいところだから。忘れてくれた方が、私も嬉しいし。そうね、これから先も、よろしくお願いするわ。私にとってもあなたは『一番大切な人』だから」

 一方、そんな二人の様子を、近くの小屋の陰から覗いていたアバンは、悩ましい表情を浮かべている。

「あー、もう、そうじゃない、そうじゃないのに、隊長ぉぉぉ」

 そんな彼を、後ろからニーアが蹴り上げた。その傍らには「本物のフェイエン」もいる。

「まごまごしてんな。出ろ!」
「いや、今出たらダメでしょ」
「うっせー、お前が行け」
「いやー、誰が行っても変わらんと思うよ」

 そんな舞台裏の様相など露知らず、ミオはアシュレイに対して、こう言った。

「そういえば、『鍵』の件だけど、それ、そのままあなたが持っててくれていいわ」
「いや、何言ってるんですか? これで外せるでしょう?」

 そう言って、アシュレイは懐から取り出した鍵をミオの首元に当てようとするが、適切な鍵穴が見つからない。どうやら、この鍵は「鍵」の形状こそしているものの、実は首枷を外すための道具ではないらしい。

「この首枷を外すには、エーラムの魔法師の力が必要らしいわ。つまり、今のパンドラの技術では外せないのよ。だから、あなたが持ってて」
「自分が持ってた方が安全でしょう?」
「私が持ってたら、どこかで誰かに盗られるかもしれないでしょう? 私、一回ヘマやってるんだから」
「……分かりました。では、私が預かっておきます」

 アシュレイがそう言って鍵を再び懐にしまうと、後ろの小屋から物音がする。どうやら、身体を乗り出して状況を見物しようとした三人が、身を崩して倒れてしまったらしい。二人の視界に入ってしまった三人は、気まずそうな表情を浮かべる。

「あ、すみません、すぐに戻りますんで」
「邪魔するつもりはねーよ」
「心配せんでも、その鍵はウチでは外せんからね」

 何を心配する必要があるのかも分からないまま、三人は再び小屋の陰へと去って行く。そんな彼等をアシュレイが呆然と見送る中、ミオは彼に対して、首輪をあえて彼に見せつけるような姿勢になりながら、満面の笑顔でこう言った。

「じゃあ、これから先も、よろしくお願いね。私のご主人様♪」

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最終更新:2017年03月27日 23:23