風渡る翼、翼渡す風


1. 護衛部隊一同

 エストレーラの東の一角、イェーガ領。前領主ゼノットの10人の子供たちが血で血を洗う継承争いを繰り広げた結果、第二子カゾロが現領主を務めることとなったという、なかなかに血腥い歴史のある土地だ。ある日、領主カゾロのもとに、彼に仕える五人の部下が呼び出された。領主の妹オトゥーナ姫の護衛長を務めるレオニダス・リドリー(PC①)、イェーガにて実地研修中の見習い魔法師テオドア・エレイン(PC②)、そして、イェーガ軍の小部隊長を務めるアームズのエールド・シード(PC④)、オリンポス界の神の投影体ライア(PC③)、地球人のエイプリル(PC⑤)である。謁見の間に全員が集まったのを見回し、彼は軽く頷く。

「うん、皆集まってくれたね。このたび、俺の妹のオトゥーナが、隣国ギレモットシェイマス王子と縁談を行うことになった。姫がギレモットを訪問することになるんやけど、君らにはその護衛を頼みたいんや」

カゾロの妹でありスクア兄弟の第八子であるオトゥーナは、現在19歳。容姿端麗な深窓の姫として知られており、イェーガ周辺ではスクア家の鴎の紋章にちなんで、”海鳥の姫君”などとも呼ばれている。彼女とシェイマス王子の縁談の件は少し前から噂には登っていたが、今回の呼び出しで、正式に部下たちに通達がなされたということになる。
シェイマス王子、という言葉が出た瞬間、エイプリルは覿面に嫌な顔になった。彼女はアトラタンに投影されて以来、手持ちのデザートイーグルに拾ったレールガンを独自の技術で組み合わせて威力を増強し、それを武器に傭兵業をしている。かつて彼女はギレモットの軍に雇われていたのだが、女性に関して見境のないシェイマス王子にしつこく口説かれた結果、ほとんど亡命に近いような形でギレモット軍を抜け、イェーガで働くことになったのだった。その経験から彼女は当たり前ながらシェイマス王子のことを毛嫌いしている(上にもう金輪際色恋沙汰に巻き込まれたくないと思っている)。
そしてもう一人、この話を聞いて表情が険しくなった者がいた。レオニダスである。リドリー家は代々スクア家の従騎士を勤めている家系であり、レオニダスもその例に漏れず、生まれた時からスクア家に仕える者として教育を受けてきた。そして現在彼は、オトゥーナ姫の護衛長という立場にある。オトゥーナは継承の権利を放棄しカゾロに忠誠を誓い、それ以来ほぼ軟禁に近い状態で、領主の館の一室で暮らしている。時折外出が許可され、レオニダスの付き添いのもと城下街を散歩することはあるが、その頻度は決して高くはない。そんな不憫な境遇の彼女に対し、レオニダス自身が思うことが当然無いわけはなかったが、カゾロの手前それを表に出すことは出来ず、彼はぐっと言葉を飲み込んだ。
そして、そんな2人の反応を目ざとく見つけて、ややこしいラブロマンスの気配を察知したライアは、内心で「ほーぅ…?」と邪推を巡らせる。しかし対してカゾロは、気づいているのか否かは分からないが、それらをスルーして話を続けた。

「オトゥーナは別嬪さんやし、この俺の妹やから、狼藉やら誘拐やら働こうとする輩がおるかもしれん。くれぐれも気ィつけてな」
「…全力で、全身全霊を以って、姫をお守り致します」
「頼りにしとるよ、レオン

やや硬い声音でそう述べ、深々とお辞儀をしたレオニダスに、カゾロはにっこりと笑って答えた。慌ててレオニダスは顔を上げ、おどおどとしながらカゾロに非常に言いづらそうに抗議する。

「あの…その名で呼ばれるのは、ちょっと畏れ多いと言いますか、その…」

愛称で呼ばれることに抵抗があるわけではない。現に、彼と親しい同僚たちは、彼のことをレオやレオニーといった愛称で呼んでおり、彼自身も好きな様に呼んで欲しいと周囲に言っている。だが、襟足の長い金髪と鮮やかな碧眼というド派手な外見でありながら、反して非常に生真面目で控えめな性格のレオニダスは、”レオン”と呼ばれるのだけは苦手だった。アトラタンで”レオン”といえば、”ファーストロード”レオンのことを思い浮かべない者はいない。自分がそんな偉大な人物と同じ名前で呼ばれるのに、レオニダスはいつも気後れを感じてしまうのだった。
しかし抗議されても、カゾロはやや意地の悪い笑みを深めるばかりで、言い直そうとはしない。恐縮するレオニダスを見て、ライアもまた、生真面目故に苦労性な若者を、微笑ましげに見やった。
そんな彼らの隣から、今度は魔法師のテオドアが、カゾロに声をかける。

「ご拝命、然とお受けいたしました。この場での要件は、これで以上でしょうか?」
「うん、俺からは、こうやって正式な護衛部隊の任命をするために呼んだだけやからね。…特に、君は今研修のためにこの国におる訳やけど、もしかしたらシェイマス殿は自分の未来の契約相手になるかもしれんのやし、あの人のこととかギレモットのこととか、よぉ見ときや?」

テオドアは現在、魔法大学卒業後の就職先候補として、カゾロと仮契約を結んでいる。彼は七色の魔法を操る、ウィザードと呼ばれる系譜の魔法使いだ。良く言えば器用、悪く言えば凡才の彼は、在学中自分に合った魔法の系譜をなかなか見つけることが出来ず、様々な学科を転々としていた。七色の系譜の習得には時間がかかるため致し方のないことではあるのだが、28歳という年齢は、魔法師が初契約を結ぶにはやや遅いともいえる。そしてその事実はコンプレックスとして、常に彼の心に小さな闇として存在していた。

「ありがとうございます。では、準備等ありますので、失礼します」

丁寧に頭を下げ、テオドアは部屋を辞した。やっと卒業まで漕ぎ着けたのだから、ここで躓く訳にはいかない。彼は至極真面目に、与えられた任務に対して気を引き締めた。
テオドアが出て行ったのを見送った後、ライアはふと、カゾロに気になったことを問いかけた。

「オトゥーナ姫は、今回の話をどう思っているんです?」
「ん?あぁ、話はしたけど、『そうですか』くらいの反応やったよ」

カゾロは事も無げにそう答えた。ほとんど無関心と言ってもいいくらいの、そっけない返答だった。ライアもその返事をきいて、「あぁ、そうなんですね」と薄い返答を返す。

「俺は剣の導きに応えて、成すべきことを成すだけだな」

ライアに並んで立っているエールドは、腰に佩いた2本の剣の柄に触れながら呟くように言った。彼はかつて狩人として、師匠に剣を教わりながら暮らしていたが、ある時辺境の村で森の主として恐れられていた凶悪な野獣を仕留めたのをきっかけに、その剣の才を買われイェーガ軍に引き入れられた。狩人時代が長かったためなのか、彼は事あるごとに風や大地といった自然や、己の剣に語りかける妙な癖を持っている。その悪癖を気味悪がり、彼に近寄りたがらない人は少なくはない。そしてそんな彼にとって、オトゥーナの侍女であるリンド・リトルターンは、自分に別け隔てなく接してくれる大切な友人だったのだが、彼女はここ2週間ほど前から行方不明になっていた。オトゥーナ姫の名を聞き、エールドはリンドのことを思い、少々心配にかられるのだった。そんな彼を見てか、カゾロはエールドライア、そしてエイプリルに声をかける。

「そうやなぁ、リンドもおらんくなってしもうたし、3人はオトゥーナの面倒もよう見たってな。特にライアエイプリルは、同じ女の子なんやさかい」
「それに関しては、任されてくれていいわ!私は愛の女神の娘だからね。いくらでもそんなことは教えてあげられるわよ!」

ライアは胸を張って頷いた。彼女は、オリンポス界の鍛冶の神ヘパイストスと、愛と美の女神アフロディーテとの間に生まれた女神である。オリンポス界にいた頃は、彼女の出自を疎んだ他の神に呪いをかけられ、山羊の姿に変えられてしまっていた。だが、アトラタンに投影された彼女は、本来の彼女がそうあるべきだった筈の、19歳の乙女の姿で顕現した。当然美の女神の血を引いているだけあって、その容貌は言うに及ばず、である。
そんな自信満々な様子のライアのとなりで、もう一人の女性であるエイプリルは、何ともいえない表情で無言を貫くのであった。



2. 姫と騎士と出歯亀と

 ギレモット訪問を数日後に控えたある日、オトゥーナに外出の許可が下りた。レオニダスは早速ぴかぴかの鎧に身を包み盾と剣を備え、万全の状態でオトゥーナを迎えに彼女の部屋へと赴いた。

「相変わらず貴方は…眩しいわね」

現れたレオニダスを見て、オトゥーナはそう呟き目を細める。生真面目なレオニダスは、姫の言葉を文字通りに受け取ってしまい、赤くなってもじもじした。

「わ、私が眩しいなどと…恐れ多いです。ひ、姫様の方がよっぽど…お美しい…」

最後の方はほとんど消え入るような声量だったせいで、オトゥーナは聞き取れなかったようだった。小首をかしげて「あら、今何かおっしゃった?」と訪ねてくる彼女に、レオニダスは慌ててぶんぶん首を振る。

「い、いえ!何でもございません!」
「そう。では、早く行きましょう」

久々の外出にどことなく浮足立った様子のオトゥーナの手を取り、レオニダスは階段を降り館を出た。そして、予め館の近くに繋いであった自分の馬をつれ出し、姫を丁寧に抱きかかえてその背に横乗りに乗せ、自分もひらりと跨った。そのまま2人は城門を出て、城下街へと蹄の音も高らかに降りてゆく。金髪碧眼の騎士と美しい姫が白馬の背に同乗しているのは非常に『絵になる』光景で、それを兵舎の近くから見ていたエイプリルは、「あぁ、これがお伽話かぁ…」と感慨深くため息をついた。
街に出たレオニダスは、そのままオトゥーナの要望に応じて馬の鼻先を向かわせた。レオニダスと姫の外遊は城下の人々には名物的な光景となっており、道中では2人に向かって手を振る人々も少なくない。途中できらびやかなアクセサリーの店を冷やかしたり、カフェに立ち寄って甘いものに舌鼓を打ったりしつつ、やがて2人は街の人通りの少ない一角の木陰で立ち止まった。おもむろに、オトゥーナがレオニダスに話しかける。

レオ、私、この生まれを何度呪ったことか分からないわ。お父様はあんなだし、兄弟たちは物心ついた頃からギスギスしていて、弱い私にはどうすることもできなかった。それでも、私はまだ幸運な方だったわ。私には利用価値がある、だから、カゾロお兄様に殺されずに済んだもの」
「…利用価値などと、そんな哀しいことをおっしゃらないで下さい。貴方は貴方でいるだけで、それだけで立派な存在なのですよ」

そうレオニダスに励まされた彼女は、しかし悲しげに目を伏せる。

「お兄様もシェイマス様も、この縁談には非常に乗り気だもの。私はきっと、ギレモットにお嫁に行くことになるわ。そうなればきっと、あなたの護衛長としてのお役目も無くなってしまうんだろうけれど…」

そこで彼女は、何かを言いかけるように口を開き、一瞬、片手で喉元に触れるような仕草を見せた。だがその手はゆっくりと下ろされ、彼女はただ微笑んだ。

レオ、どうかその時まで、私を支えていてね」

明らかに何か言葉を飲み込んだ様子の彼女に、レオニダスはひどくやるせない気持ちになった。彼は懐から、一枚の栞を取り出す。それには、花弁の七枚ある不思議な花が押し花にされていた。

「私は、あなたがどこにいようと、貴方を守ります。この七枚の花弁の花は私の故郷では、あらゆる災厄から身を守ってくれるという、お守りなのですよ。あなたに、差し上げます」

差し出された栞をオトゥーナは受け取って胸に抱く。レオニダスは言葉を続けた。

「私は、あなたを物理的な暴力から守ることしかできません。しかしその花はあなたを、望まぬものすべてから、守ってくれることでしょう」

その言葉を聞いて、オトゥーナはまた、淋しげに微笑むのだった。

「ありがとう、レオ。…そうであることを願っているわ」

彼女が言葉に反しその加護を信じていないことを察して、レオニダスは自分の無力を恥じ入りながら、彼女から僅かに視線を逸らす。その瞬間、彼は姫の背後の植え込みの影から、エイプリルが身を乗り出してこちらの様子を伺っているのを目撃した。エイプリルは2人の交流の様子を見守ろうと、領主の館からこっそり街へ降りてきていたのである。始めは植え込みに巧妙に隠れていたのであろう彼女は、今のやり取りを聞くのに夢中で完全に植え込みからはみ出している。レオニダスは真っ赤になって、大慌てで姫の手を取った。

「姫、ここは嫌な気配がしますので、場所を変えましょう!」

促されるままに姫は彼に従い、2人はまた馬に乗ってパカパカと蹄の音をさせながらそこから立ち去っていった。甘酸っぱく切ないやりとりに身悶えしていたエイプリルが2人がいなくなっていることに気づくのは、かなり時間が経ってしまってからのことだった。

「……逃げられたっ!?」



3. 混沌不良通信

 テオドアは、カゾロに命じられた任務に向けて、至極真面目にその準備に勤しんでいた。そんな彼のもとに、一本のタクト通信がかかってくる。通信をかけるのに非常識な時間帯というわけでもなかったため、彼はその時点では特に躊躇することもなく通信を繋いだ。

「はい、こちらはイェーガ領の仮契約魔法師、テオドア・エレインです。どちら様でしょうか?」

その通信はえらくノイズが酷く、雑音が入り混じっている。その合間から、聞き覚えのない声が途切れ途切れに聞こえてきた。その声は女性のようで、年の頃はかなり若そうな調子を帯びていた。

「…あなたが、テオドア…さん?」
「ええ。…すみませんが、少し混沌の状況がよろしくないようです。もう少し明瞭に聞こえるようにすることはできませんか?」

通信の向こうの声が、溜め息を付くような気配がわずかに聞こえた。

「これが限界かな…。…あまり時間もないし、手短に。あなたに会わせたい人がいる。今月の20日夕刻…。ギレモットの市の…『オリーヴの樹』で待ってるので」

港町のギレモットには、大きな市場があるが、『オリーヴの樹』が何を差すのかは彼にはよく分からなかった。そして今月の20日といえば、ちょうど姫の訪問の日である。通信を切り上げようとする相手に、慌てて彼は問いかけた。

「待ってください!あなたは一体?」

テオドアの問いに対し、相手が「私は…」と返答しかける。しかしその瞬間大きなノイズが入って彼女の声は遮られ、そのままなし崩し的に通信は切れてしまった。相手の正体も所在も分からないのでは、かけ直すこともできない。テオドアは記憶を探ったが、通信相手の声にはやはり心当たりはなかった。仮契約といえど魔法師である自分が縁談当日の夕方自由に動ける立場かは分からないし、そもそもこんな一方的で不審極まりない通信に応じてやる必要も義理もない。しかし念のため、各護衛隊長にはこの通信のことを話しておいたほうが良いかもしれない。そんな風に思案しつつ、彼は任務の準備を再開するのだった。



4. 鍛冶と勝利の女神

 ライアは美の神アフロディーテの娘であると同時に、鍛冶の神ヘパイストスの娘でもある。当然彼女にも、父神の鍛冶の権能はしっかりと引き継がれていた。領主の館の敷地の一角に工房を貰い、彼女は時折、兵士たちの武器の制作や調整を請け負っていた。そして今日も、エールドが自身の双剣を鍛えてもらおうと、彼女の工房へとやって来ていた。

「今日はどんな感じにチューンアップしてほしい?」

炉に火を熾し鍛冶の準備をしながら、ライアエールドに尋ねた。

「それは貴女にお任せしよう。貴女に任せるのが一番だからな」
「ええ、それは良いんだけど…あなたの使いやすさっていうのも大事だから。どんなイメージにしたい?炎がいい?それとも水にしたい?」
「そうだな…淀んだ風に勝てるようなものがいい」
「風に勝てる、ね。分かったわ!それじゃあ、風を裂けるような、稲妻の形にしましょう!!」

彼女はエールドの剣を作業台に乗せ、神器創造の力で以って打ち直した。煌々と輝く神炎の中で、剣はたちどころにその姿を変えてゆく。やがて、優美ながらも荒々しい、一対の稲妻の剣が打ち上がった。仕上がった剣を受け取って軽く振り、その出来にエールドは満足して頷いた。

「ありがとう、この剣があれば、俺は混沌の風にも負けない」
「ええ、あなたならその剣を使いこなせると思うわ!」
「ああ…それでは、また会おう」

エールドは外套を翻し、颯爽と工房を去っていった。その後ろでは、周囲で鍛冶の様子を見守っていたライアの部隊員(信者ともいう)たちが、「流石ライア様だ!流石ライア様だ!」と口々に彼女の技工を褒め称えていた。ライアは微笑んで、「あなた達の分も順番に作ってあげるから、待っててね」と、手近な者から順に次々と武器を誂えてやる。そのうちの1人が、自分の剣を彼女に差し出しながら、思い出したように言った。

「そういえば、ライア様エヴァンス様から、言伝を預かっているのです。『今日の夜、作戦室に来てくれ』とのことです」
「エヴァンスが?分かったわ、何かしら…っても、多分あの事に決まってるんでしょうけど」

エヴァンスは、スクア家の第六子である。彼も元は聖印を持つ者だったが、継承争いの中でカゾロに聖印を捧げ、代わりに邪紋を刻んで一兵士となることで彼に忠誠を誓った。つまるところ、王子でありながら、実質的な立ち位置はライアエールドエイプリル達と同等なのだ。それでも彼に遠慮して敬語を使う者も多い中で、神であるライアは彼に気兼ねすることなく接し、エヴァンスもまた、彼女を神だからといって特別に扱うこともない、良き友人同士だった。そして、エヴァンスはオトゥーナとは同母兄弟の関係にある。このタイミングで自分を呼び出すとしたら、おおよそオトゥーナ姫絡みのことだろう、とライアには容易に察しがついた。

「分かったわ、伝言ありがとう。それで、あなたの剣はどんなのにする?」
「わ、私ですか!…それでは、舞い躍る炎のような剣を、ライア様のような剣をお願いします!!」
「いいわよ!それじゃあ、炎の刻印を入れたげる」

炎が閃き、新たな剣がまた一振り打ち上がる。小さな工房内は、兵士たちの完成に満たされるのだった。


 日が暮れた後、その日の仕事を恙無く終えたライアは、言われたとおりに作戦室へと向かった。扉の前に立ち、彼女はノックして中にいるであろう友人に声をかけた。

「エヴァンス?入るわよ」
「あぁ、どうぞ」

促されて中へ入れば、エヴァンスは作戦室の長テーブルに蝋燭の明かりひとつだけを灯して座っていた。

「よぉ、遅くにすまないな」

ライアは頷き、自身もまた、近くの椅子を引き腰掛けた。あまり長々と前置きを話すような間柄でもない。少し声を落として、彼女は率直に尋ねる。

「話って…あのことよね?」
「まぁ…そう、だな。」

歯切れ悪く答えて、エヴァンスは黙りこむ。彼はしばらく蝋燭の明かりを物憂げに見つめていたが、やがてふと、彼女に尋ねた。

「お前ってさ、兄弟はいるのか」

彼女はちょっと考えてから答えた。

「うーん、元の世界にはたくさんいたと思うんだけど…こっちでは1人みたいなもんよ」

オリンポス界の二柱であるライアの両親は恋多き存在であり、故に兄弟もたくさんいるということは彼女も聞き及んでいた。しかし山羊の呪いをかけられていたせいもあり、兄弟たちとはほとんど面識は無い。その上、アトラタンに投影されてからはその機会も無くなってしまった。尤も、彼女は現在の自由でやりがいのある生活に満足しており、山羊として生きていたオリンポス界や、顔も知らぬ兄弟たちに対する未練は薄かった。

「そう…か」

ライアの答えに、満足しているのかしていないかもよく分からない反応を示して、彼はまたおもむろに口を開いた。

「…これは、この国の人間としてじゃない。あいつの兄貴としての頼みだ。オトゥーナのことを守ってやってくれ。そんで、もしあいつが何か望むことがあるなら、できればそれを叶えてやって欲しい。今のあいつには、こうやって外に出る機会もほとんど無いから、色々見せてやってくれ」

そう言って、彼は真剣な目つきでライアをじっと見つる。姫を守ることに関しては、もちろん任務である以上、ライアは言われずとも全力で取り組むつもりだった。しかし、後半の頼みについては気安く引き受けるわけにはいかない。本人の意思も無しに神頼みを聞き入れるつもりは、彼女にはなかった。

「…オトゥーナ姫のことは、私も同情してるっていうのは、前に話したでしょ?私ももとの世界では、自由が全く無い中で過ごしてた。だから、昔の私を見てるようで…。だからもし彼女が、『自分から』何かしたいことがあるって言うんだったら、手伝ってあげてもいいけど」

そう釘を刺しておく。エヴァンスはそれを聞いて、穏やかな表情で頷いた。そして椅子から立ち上がり、ライアへと歩み寄った。投影されひとの姿に戻ったとはいえ、山羊の呪いの残滓は今もライアに纏わりついており、彼女に近寄ったり触れたりした者には呪いが伝染り小さな不幸に見舞われる。それはイェーガ軍には周知の事実であり、当然エヴァンスも知らないはずは無かったが、しかし彼は躊躇うこと無く跪いて彼女の手を取った。そしてちょっと戯けたような表情を見せ、その手の甲に軽く口付けをする振りをする。

「あぁ、それでいいんだ。どうかよろしく頼みますよ、俺達の女神様」

そう言い終わると、彼は「それじゃ、おやすみ」と言い残し、作戦室を出て行った。いつもの彼らしくもない気障な振る舞いに少々戸惑いつつ、ライアは自身の手の中に、一枚の紙切れが残されていることに気づいた。

『妹は 命を狙われるかもしれない』

読み終わった紙を畳んで懐にしまい込み、彼女は溜め息をついて眉根を揉んだ。

「全くあいつも…抱え込みすぎてどうしようもないわね。まぁ頼まれたんだから、何とかしてあげますか」



 その日の部隊の訓練の仕事を終え、シャワーを浴び、部屋着に着替えて寛いだ気分で廊下を歩いていたレオニダスの所へ、ライアがすごい勢いで走ってきた。驚いたレオニダスが何か言うより前に、彼女は息せき切って捲し立てる。

レオンレオン!ちょっと聞いてよ!」
「ラ、ライア殿…その呼び名は…」
「レオンって良い名前じゃない!なんで嫌なの?」
「それはですね、ファーストロードという偉大なお方が…」

理由を尋ねられたレオニダスは、まじめにその理由を話そうとして、その流れでファーストロードの素晴らしい英雄伝を小一時間熱く語り始めた。その語り口調は並の民衆なら圧倒され聞き惚れてしまうような心揺さぶるものだったが、既にその話は彼に何回も聞かされていたのもあり、ライアはうんざりした様子で彼の話を遮った。

「だから、その話はもう何回も聞いたってば!でも別にいいじゃない!かっこいい名前なんだから」
「まぁ…異界の神様には理解できない概念かもしれませんね」

レオニダスはレオン呼びを阻止できなかったことと、ファーストロードの物語があまり彼女に響かなかったことにがっかりして肩を落とした。そんなことより、とライアは彼に会いに来た当初の目的に立ち戻り、改めてレオニダスに向き直る。

「エヴァンスから、ちょっと気になる話を聞いて。あなたの部屋に行ってもいい?」
「そ、そんな…女性が男性の部屋に来て2人など…!」
「そんなことどうだっていいから。行くわよ!」

真面目なレオニダスライアの突然の提案に赤くなって慌てるが、ライアは全く気にも留めず、レオニダスの襟首を引っ掴んで彼の部屋の方へと引っ張っていく。抵抗しようにも、ライアの可憐な見た目にそぐわぬ神の豪腕には、さしものレオニダスも敵わない。うわあああと悲痛な悲鳴を上げながら、彼は自室へと引きずられていくのだった。

 レオニダスを部屋へ放り込み、自分もまた部屋に入って、ライアはぴったり扉を締めた。傍から見れば勘違いされても仕方のない図であり、現にレオニダスもわたわたしているのだが、そんな彼に向かってライアは至極真面目にな表情で例の紙切れを差し出す。困惑しつつもそれを受け取り、書かれている文字を読んだレオニダスは、ようやくライアがなぜ強引に2人きりになろうとしたかを理解し、真剣な顔になった。

「これは…確かに私が知っておくべきことですね」
「誰が、とかどうして、とかそういうのは知らないけど…そういうことだから」
「私は、自分の全力を尽くすことしかできませんから。…『あれ』が姫を守ってくれると良いのだが…」
「あなた以外になにか、オトゥーナ姫を守ってくれるようなものがあるの?」
「守ってくれるという程のものでは無いかもしれません。おまじないのようなものです」
「そうなの。でも、おまじないって効果あるわよね!私だって、おまじないできるし?」

剣に神の加護を与えることが出来る彼女が言うと、説得力もひとしおである。だが、レオニダスはそれを聞いてふっと淋しげに表情を翳らせた。

「確かにそうでしょうね、あなたは神ですから。でも、私は無力なただの人間です。奇跡を起こす力など、持ってはいません」
「…まぁ、あなたがどう思ってるかは知らないけど、そこまであなたは無力じゃないわよ!だって、あなたはオトゥーナ姫に信頼されてるでしょ?」

思いがけない言葉をよこされ、レオニダスはきょとんとする。

「姫が私を…信頼、ですか?」
「うん、傍から見てるとそう見えるけどなぁ」
「いえしかし…姫は私の護衛対象であって、主であり…その…!」

しどろもどろになって言葉に詰まるレオニダスを見て、愛の女神は敏感にその心中を察した。ニヤニヤしながら、ライアは彼を問い詰める。

「それ以外に何かあるの?」
「いっ、いえ!下心など何も!そんな大それた…!」
「へーぇ、下心無いんだぁ?でもそれならデートとかしないよねー?一緒にスイーツ食べたりしないよねー?」
「そんな、あれはデートではありません!ただ、姫が疲れて、甘味を欲しておられると思っただけで…!」

レオニダスは真っ赤になって、思わず大声でライアの言葉を否定する。当然ながら、その声は廊下にも漏れ聞こえてしまっていた。そして、ちょうど通りがかったエイプリルがロマンスの気配を察知し、扉に忍び寄りひっそりと聞き耳を立てていたのだが、中の2人は当然それどころではなかった。
ひと通りレオニダスをおちょくった後、ライアはちょっと呆れたような優しい笑みを浮かべた。

「へーえ、やっぱりそうなのね。ま、いいわ。あなた自身がそれくらいの気持ちの方が、見てる周りも面白いから」
「え、ええ…?私の言動に何かおかしなところが?」
「ううん、あなたはそのままでいいの。そのままの方が素敵だから」

ライアの言動の意図がいまいち掴めないレオニダスは首を傾げるが、ライアは「時期が来たら教えてあげる」と軽く笑って彼をあしらった。

「まぁ、それはそれとして、さっきの話は覚えていてね」

伝えるべきことを伝え、満足した彼女は部屋を出ようとする。しかし彼女を、今度はレオニダスが呼び止めた。先程までの赤顔から一転、決意を秘めた表情で、彼はライアに言った。

ライア殿、少々お願いがあるのです。今の話を聞いて、私はようやく決意がついたのです。」

彼は自室の壁を指差した。そこには、レオニダスが使っている盾が掛けられている。盾にはリドリー家の紋章である、三対の翼を持つ鴎が彫り込まれていた。

「あれは、我がリドリー家が、スクア家への忠誠を表すために作った紋章です。ですが、『私』が守りたいのは、スクア家ではありません。…ライア殿、あの盾を、スクア家への忠誠の証であるあの紋章を消して、姫を守れるようもっと強く、あなたの手で鍛えていただけないでしょうか」

生真面目で内気な彼のいつになく強い眼差しに、ライアは驚いた。驚きつつも、やがて彼女は微笑み、力強く頷く。

「そうなんだ…その気持ちは良く分かったわ。その盾、しばらく借りてても良い?鍛え直して、当日に渡すわね」

さしもの自分も、この盾を彼の心意気に応えられる逸品に仕上げるには、少し時間を要しそうだとライアは思っていた。当日までの仕事ではスペアの盾を使えば良いため、レオニダスは快く家紋入りの盾をライアに渡した。ライアは、「それじゃおやすみ、レオン」と部屋を出て行く。その際、退室の気配を察して脱兎の如く逃げて行ったエイプリルの後ろ姿を廊下の角に見たのだが、何も言わないでおくことにした。

5. 消えた侍女

出発の数日前、テオドアは他の部隊長4人に、件のタクト通信について話した。そして、道中十分に注意するよう皆に促す。訪問の日程は公にされているので、たとえタクト通信とは関係無いとしても、カゾロの言うように狼藉を働きに来る輩が要る恐れは十二分にあった。

「まぁこんなドロドロした政略結婚だもの。何が起きてもおかしくないわよね」

ライアがあけすけにそんなことを言う。周囲が口に出すのを憚っていることをあっさり言ってしまえるのも、実に神格らしい振る舞いと言える。

「しかし、大切な縁談の場に、魔法師殿がその場にいないなど…」
「私がその場に行くとは限りませんが、確認は必要ではないかと」

怪訝そうに首を捻ったレオニダスに対し、テオドアが補足する。通信の相手は、「テオドアひとりで来るように」とか「代役を立ててはいけない」などといった制限は一切言ってはこなかった。エールドエイプリルといった、縁談の席に必ずしも出席しなくてもいい立場の者を代役で待ち合わせに行かせるという案も、彼は考慮に入れていた。
折良く護衛長全員が集まっているこの場で、ついでにレオニダスは、気になっていたことをエールドに尋ねてみることにした。

「…時に、エールド殿、リンド殿はまだ見つかっていないのですか?」
「あぁ…リンドは俺も探してはいるんだが、未だにその気配を感じないんだ」

己の無力を歯噛みするように、彼は肩を落としながら答えた。そしてその彼独特の言い回しを、馬鹿がつくほど真面目なレオニダスは額面通りに受け取り、驚嘆の表情を見せた。

エールド殿は、人の気配を察知することが出来るのですか!」
「まぁな…こればかりは、言葉では説明出来ないのだがな」
「邪紋使いというのは…混沌の力と言うのは、なかなか複雑なものなのですね」
「あぁ、これが私だけに備わった力なのか、それとも邪紋使い特有のものなのか、それは分からない。だが唯一確かなのは、俺がそれを感じることが出来るということだ」

一見するとふざけているようにしか見えないやりとりを大真面目にかわすそんな2人を見て、エイプリルは身を震わせながら必死で笑いを堪えていた。テオドアは何となく自身の若かりし頃を思い出し、微妙に後ろめたい思いがして2人から目を逸らす。そしてライアは、これまたまじめにそのやり取りを聞いてうんうんと頷いていた。

「リンド殿には私もお世話になっていましたから。もし貴方がリンド殿を見つけられたなら、私に報告していただけるとありがたいです」
「ああ、混沌の力が、私をリンド殿の元へ導いてくれるだろう。他の方々も、リンド殿を見かけたら、ぜひ教えてほしい」
「はい…、分かりました…!」

エイプリルが爆笑を噛み殺しながら答えた。

ついでに周囲にいた部下の兵士たちに話を聞いてみると、リンドはカゾロの通達の2週間前の、オトゥーナの就寝までは侍女としての仕事をこなしていたようだった。しかし、その翌日の朝から誰も姿を見ていないという。更にテオドアが瞬間召喚したリャナンシーの手を借りつつ詳細に聞きこんだ結果、彼女がいなくなる前の晩、仕事を終えてからカゾロに謁見していたらしいことが発覚した。カゾロはもしかしたら何かを知っているのかもしれないが、通達の際彼が特に心当たりのある様子も見せていなかった以上、改めて聞き直すのは気が引けた。彼の性格からして、尋ねても教えてはくれないのではないか、ともレオニダスは思った。


 その晩、エールドは自身もリンドを探して、館を出て独り、草原へとやって来た。

「…偉大なる大地よ、リンドの居場所を、君は知らないか?」

彼は誰もいない草原に向かって話しかける。時折風が吹き抜け、草のそよぐ音がするばかりで、彼の問に応えるものは居なかった。

「くっ…ダメか。これもヤツの妨害が…。しかしリンドの命の炎は、そう簡単に消えるものではない。信じていれば、運命(カルマ)がきっと彼女を救ってくれるはず。…大地よ、その時は力を貸してくれよ…」

彼は外套を翻し、草原を立ち去ろうとする。その時、ひときわ強い一陣の風が彼の後ろから吹き抜けていった。エールドはその風が何かを伝えようとしたように思えたが、しかし何も聞き取ることは出来なかった。


6. 訪問当日 朝

20日の朝。5人は再び、領主の館の前に集合した。既に、護衛部隊の隊列がオトゥーナ姫の馬車を囲うように組み上がり、出発の準備は万端だ。そんな中、ライアレオニダスに近づいた。

「出来たわよ」

そう言ってレオニダスの方に差し出された彼女の両手には、白いベールを厳かに被せられた盾が抱えられている。他の3人が(特に事情を盗み聞きしていたエイプリルはにやにやしながら)見守る中、レオニダスは勢い良く、ベールを取り払った。布の下から、眩く輝く盾が姿を現した。彼のオーダー通り、鴎の紋章は無くなっており、代わりに長い髪の女性の横顔のシルエットが彫刻されている。女性の横顔のモチーフは珍しいものではないが、言うまでも無く、そのシルエットはオトゥーナに良く似ていた。

レオニダス殿、盾を新調されたのですね。この任務にかける決意が伝わってくるようです」

その見事な出来に、見ていたテオドアが感嘆の声を上げる。その隣で、エールドは盾の彫刻に興味を示したようだった。

「この装飾は、誰か実在の人物をもとにしているのか?」
「それはねー、もごごごご……」

胸を張って解説をしようとするライアの口を、レオニダスが慌てて塞ぐ。訳知りのエイプリルは代わりに話してやろうかと意地悪なことを考えたが、さすがにやめておいて、その秘密は自分の胸の内だけに留めておくことにした。
ライアは更に、他のメンバーに修繕を頼まれていた防具をそれぞれに返した。エイプリルのチェインジャケットは、防御性能はそのままにより軽く、動きやすいよう作りなおされていた。そして、テオドアが(ライアを信用してデザインはおまかせで)頼んでいたマントには、漢字で『天下布武』と大きな金色の刺繍が施されていた。

「これは、異界の文字ですか?」
「そうよ、気合が入るお守りみたいなもんよ」
「なるほど、心なしか一層気合が入るようだ」

テオドアが満足気にマントを羽織る後ろで、地球人ゆえにその漢字の意味を正しく知っているエイプリルは、彼に見つからないよう必死で笑いを噛み殺しながら、こっそりライアに尋ねた。

ライアさん、なんで『天下布武』なんですか!」
「昔、神友から聞いたのよ。異界の強い人が、気合を入れるために背中に刺繍する文字だって」

つまるところ、ライアも文字の意味自体はよく分かっていないのである。エイプリルはとうとう堪えきれずに吹き出した。流石に彼女の挙動を不審に思ったテオドアは、召喚した魔物の知恵を借りつつ自分の異界の知識を総動員してその意味を探ろうとしたが、結局良くわからずじまいだった。仕方ないので、エイプリルに直接、その意味を問いただす。

「どうしてそんなに笑っているんです?」

エイプリルは笑いをなんとか抑えようとしてまた吹き出しながら、「何でもないですよww」とはぐらかすばかり。テオドアは訝しみつつも、話してもらえそうもないのでしぶしぶ引き下がるよりほかなかった。

そんな一悶着がありつつも、オトゥーナ姫と護衛一行はついに、門を出て隣国への旅に出発したのだった。


7. 街道の無作法者

 ギレモットまでは5時間ほどで、昼過ぎころに到着できる予定だ。一行はのどかな街道を進んでいった。しかし、3時間ほど何事もなく進み、領地の境界を越えてギレモット領へ入って少し行ったところで、街道の向かいから、いかつい男たちの集団がやって来た。それは見るからにガラの悪そうな連中で、一行と距離が狭まるやいなや、がやがやと近づいて声を駆けてきた。

「おう、兄ちゃんたち、随分と綺麗な馬車じゃねぇか!一体どんな高貴なお方が乗ってらっしゃんだい?」

彼らはそれなりに人数もおり、盗賊団か何かのようにも見える。その内何人かの腕や顔には、邪紋と思しき紋章が刻まれていた。しかし、それを差し引いても、護衛部隊に勝るほどの戦力があるようには思えない。真剣に相手をする必要も無いと判断し、レオニダスは彼らと馬車の間に割って入るように足を踏み出した。彼は冷たい目でならず者共を睨み、低い声で威嚇するように言った。

「貴様らのような下賤な者が、この馬車に近づくのは許さぬ」

彼の高圧的な態度と派手な外見が気に触ったのだろう。ならず者共のうちの1人が不機嫌そうな顔でレオニダスに詰め寄った。

「あぁん?何だァチャラチャラしやがってよぉ!!」
「チャラチャラなどしていない!私は至って真面目だ!」
「るせぇ!野郎はお呼びじゃねえんだよ!」

水掛け論的な怒鳴り合いが始まる中、テオドアは背後からそっと「レオニダス殿、彼らはまだ声をかけてきただけですよ。あまり刺激するのは…」と諌めようとするが、それを遮ってライアが口論に参戦した。

「じゃあ何?私なら良いっていうの?」
「おぉ~、別嬪じゃねェか!ねーちゃん、俺らと遊ぼうぜェ!」

美しく勝ち気なライアを見て、ならず者共は口々に歓声を上げた。騒ぎが大きくなって、一行はますます立ち往生をくらう。その時、外から聞こえる騒ぎを心配してか、オトゥーナが馬車の窓に掛けられたカーテンをずらし、少しだけそこから顔を覗かせた。

レオ、何かあったの?」

彼女を見たその瞬間、突如としてならず者共の眼の色が変わった。リーダー各らしき男が、ヒュゥと口笛を吹いた。

「おォ…随分な上玉が乗ってやがるじゃねえか。おい野郎共、やっちまおうぜぇ!!」

野太い鬨の声と共に、ならず者共が一斉に武器を構える。対する護衛たちも、戦闘は避けられないと感じてすぐさま臨戦態勢に入った。幸い、こちらは戦力に事欠かない。むしろ、イェーガの兵士に手を出すとはどういうことかを教えてやるくらいの心意気で、彼らは戦いに臨んだ。
ならず者共のうち、邪紋を刻んでいる幹部格と思しき6人がその力を展開させ、混沌の気配を身に纏う。彼らの内4人はライカンスロープで、2人がアームズであることが見て取れた。しか彼らが動くより前に、先んじてテオドアが飛び出し、『ダークネス』の魔法を放つ。タクトから飛び出した真っ暗な闇がならず者集団の一部を覆い、彼らはたちまち前後不覚に陥った。また、闇に包まれなかったライカンスロープ率いる一団に、レオニダスが『誘導の印』を用いてその注意を引いた。
まず真っ先に動いたのはテオドアだった。彼は味方を巻き込まないよう冷静に射線を見定め、敵の一団の約半分を巻き込める位置へとファイアーボールを叩き込んだ。爆炎に巻き込まれたならず者たちが悲鳴を上げる中、テオドアはさらにタクトに纏う炎の残滓を、エールドの双剣へと注ぎ込んだ。剣が帯びていた雷の加護に、魔法の炎が融合し、激しい雷炎が爆ぜた。
しかし敵もやられっぱなしで黙っている訳ではない。炎の中からふらつきながらもライカンスロープたちが飛び出し、そのうちの片方がライアに襲いかかる。ライアの山羊の呪いを受けても尚その勢いを欠くことのない鋭い一撃は、しかしレオニダスの放った聖印の力で完全に封殺された。更に続けざまにもう一方のライカンスロープ率いる一団がレオニダスに直接爪牙を振りかざし襲いかかるが、彼の掲げる盾に傷一つつけることもできない。残りの二組のライカンスロープはエールドに狙いをつけたが、やはりレオニダスに進路を阻まれ、その盤石の守りを崩せないまま地団駄を踏んだ。そして、馬車に近づいてきた彼らに反応し、テオドアの使役するサラマンダーが攻撃を仕掛けた。テオドアがその動きに合わせすぐさまダークネスを解除し、闇が晴れたところにサラマンダーが灼炎を浴びせかける。その攻撃をならず者たちは咄嗟にかわしたものの、リャナンシーの妨害によって体勢を崩され、続けざまに放たれたエイプリルの銃弾の餌食になった。何とか倒れず踏みとどまったものの、すでにその一団は満身創痍だ。
一方で、敵のアームズ連中は同業者であるエールドに目をつけ襲いかかる。双剣での素早い連撃とあっては、さすがのレオニダスも庇い切ることはできない。レオニダスの守りとエールドの剣による受け流しをすり抜けた敵の刃が、エールドの身体を激しく切り裂いたかに思われたが、しかしテオドアの放った『エレメンタルシールド』によって、その威力は最小限に抑えられる。
そんな敵味方入り乱れての混戦が繰り広げられる中、ライアが燃え盛る戦槌を振りかざしながら駆け込み、大地へと思い切り振り下ろした。穿たれたその場所から、眩く輝く神の炉の炎が吹き上がり、辺り一帯を包み込んだ。すぐさまレオニダスが聖印と盾を掲げ、さらにテオドアがサラマンダーを呼び寄せ取り巻かせることで、味方へ降りかかる炎はその勢いを失う。しかし身を守るすべなど持たぬ敵のならず者たちは、鉄をもたやすく融かす白炎に飲み込まれ、一瞬で骨も残さず灰燼へと帰した。

「私たちに喧嘩売るからこうなるのよー!」

味方すらその威力に慄く中、ライアは不敵に笑いながら、戦槌を引き戻す。白炎は消え去り、それを合図にサラマンダーのとぐろからエールドが飛び出した。蒸発を免れたライカンスロープ率いる一団に向かって、雷炎を纏う剣で切り込んでゆく。

ライア様に鍛えていただいた、新しき真名を”雷の瞬き”としたこの剣を、試させてもらうぞ!」

しかし、敵のアームズの連撃を捌くのにかなり気力を使っていたためか、彼の一撃はあっさりと避けられてしまった。とはいえ、ならず者の大部分がライアの一撃で壊滅した今、彼らに勝ち目が無いことはそれこそ火を見るより明らかだ。残党たちが焦った様子でじわじわと後ずさるのを見て、レオニダスはふと、ある可能性に思い至った。

(始めから、我々と彼らには明らかに兵力に差があったのに、彼らは襲ってきた。もしかして彼らは自分たちの意思で我々を襲おうとしたのではなく、誰かに命じられていたのでは?)

そこで彼は、追撃をかけようとする仲間たちをいったん制し、ならず者の残党に向かって声を停戦を呼びかけた。しかし、すでに仲間を大勢やられて切羽詰った彼ら相手には、その呼びかけはどうやら、完全に逆効果になってしまったようだった。「うるせえ!!!!スッゾコラー!!!!」などと口々に叫びながら、獣の爪牙や各々の武器を打ち鳴らしながら、残党たちは果敢にもレオニダスたちへと再び襲いかかってゆく。しかし必死の抵抗も虚しく、テオドアの魔法とエイプリルの銃弾によって、彼らはあっさりと壊滅させられたのだった。重傷を負った彼らは、流石に命まで投げ出すほどの無鉄砲者ではなかったらしく、歩み寄ったレオニダスに向かって、「ゆ、許してくだせえ!」と諸手を挙げて降参の意を示した。膝をついた彼らを、レオニダスは厳しい表情で見下ろし、問い詰めた。

「貴様らに命令を下した者について話せば、命は助けてやろう」
「お、俺たちゃもともと、あんたらを襲うつもりなんか無かったんだ!俺たちゃ雇われただけなんだ!許してくれ!!」
「では、その雇い主の名を言ってもらおうか」

ならず者のライカンスロープは、レオニダスの問いに答えようと息せき切って口を開く。だが次の瞬間、彼の喉を、横合いから突然飛んできた一本の針が貫いた。もはや声を出すのはおろか息をすることも叶わず、ならず者は白目を剥き痙攣しながらその場にどうと倒れ伏す。驚いて針の飛んだ方向を振り向けば、黒装束に身を包んだ人影が、潜んでいたと思しき茂みから消えるような速度で駆け去ってゆくところだった。

「…随分と、舐めた真似をしてくれたものですね」

絶命したライカンスロープを見、狼藉者の消え去った後の茂みを見、テオドアは怒りの滲む低い声で唸った。恐らく今の人物がならず者共を雇い、オトゥーナに危害を加えようとしたのだろう。あるいは、小手調べのつもりでならず者共をけしかけたのか。不穏な出来事に、レオニダスも険しい顔になる。しかし人影を追おうにも、護衛長たる自分が姫のそばを離れる訳にはいかない。そこで彼は自分の代わりに、隠密に長けた者を2人ほど部隊の中から選び出し、黒装束の足取りを追うよう命じた。レオニダスの命を受けて、2人の斥候はすぐさま了解の意を告げ走り去っていった。

「無事に戻ってくると良いが…。『奴ら』は手強いからな」

斥候たちの背を見送りつつ、エールドは難しい顔で呟く。彼の言う『奴ら』が一体何から何までを含めて言っているのかはともかく、先程の黒装束の葉ずれの音も立てぬ身のこなしを見て、その任務が生易しいものでは無いことを察したテオドアも、静かに彼らの身を案じた。

「皆さん、無事ですか…!?」

そこへ、騒ぎが収まったのを聞きつけて、オトゥーナが再び馬車の小窓から顔を覗かせた。彼女は心配そうに部隊の者たちを見回すが、大きな傷を負っている者が1人もいないのを見受け、ほっと安堵の表情を見せた。結局出番の無かったエールドが、「俺が戦うほどの者でもなかったな」などと嘯くのをさておいて、レオニダスは姫に頭を下げる。

「大丈夫です、狼藉者は倒しました。…しかし、彼らを裏で操っていた者がいたらしく、生き残った族からその情報を聞き出そうとしたのですが、謎の人影に殺されてしまいました。私の無力ゆえです、申し訳ございません」
「いえ、皆が無事でいてくれただけで十分です。皆を守ってくれてありがとう、レオ」

オトゥーナはそう言って、畏まるレオニダスを優しくねぎらった。そして(ニヤニヤしながらその様子を見ていた)他の部隊長4人にも、感謝の意を伝えたが、

「いえ、これはほとんどレオニダス殿の手柄ですから」
「そうです、レオニダス様のおかげで我々の身体には傷一つありません!」

などと、周囲が一斉にレオニダスを褒めそやすのを見て、不思議そうな顔をするのだった。

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最終更新:2016年09月30日 15:18