第7話(BS25)「智〜導き照らす光〜」 1 / 2 / 3 / 4


1.1. 地下アトリエの住人達

 アントリア子爵領の北端に位置する港町パルテノは、ブレトランド小大陸の「北の玄関口」であり、コートウェルズやノルドなど、北方諸国との交易が盛んな町でもある。この町の領主であるエルネスト・キャプリコーンは「芸術家将軍」の異名を持ち、絵画・彫刻・音楽・演劇など、様々な芸術分野に精通した風流人として知られていた。
 アントリアでは、現子爵ダン・ディオードの戴冠以降、華美贅沢を禁忌とする傾向が強まったため、国内の芸術家達は肩身の狭い思いをしているが、そんな中、エルネストは絵画や彫刻の才に秀でた者達を「文官」の名目で雇用し、密かに自身が所有する「地下アトリエ」で彼等に美術品制作の機会を与えていた。彼等の作品は主に海外に輸出され、そこで得た利益を彼等に還元するという形で、若き芸術家の卵達の生活を密かに支援していたのである。
 そんな「地下アトリエ」の住人達の中に、一人の風変わりな少女がいた。彼女の名は、フィアールカ(下図)。歳は16。姓はない。というよりも、自身の出自すらも明らかではない。彼女は幼少時、アントリア内陸地に位置するバラッティー村の孤児院の近くに捨てられていた。フィアールカとは、その捨てられていた場所の花壇に咲いていたスミレの名前である。


 彼女はその地の孤児院で育てられた。絵が得意で、孤児院の子供達のために色々な絵を描いてきたが、ある日、「海を描いて」と言われた彼女は、それまで海を見たことがなかったため、「実物」を見るために、幼くして「冒険者」として旅立ち、各地を転々とするようになった(その過程で、実は一度ルルシェ・ルードヴィッヒとも遭遇しているのだが、彼女はそのことはあまりよく覚えていない)。
 そんな彼女が、念願叶ってパルテノに到着して「海」と遭遇し、その光景を「絵」に残そうとした時に、パブロという名の青年と知り合う(下図)。端正な顔立ちながらも、どこか影を帯びた表情を浮かべていた彼は、エルネストに雇われた地下アトリエの住人の一人であった。


「お前、いい絵を描くな」

 彼はそう言って、フィアールカに地下アトリエに来るように誘う。彼女は一度は断ったが、最終的には「もっと絵の勉強をしたい」と思い、パブロがエルネストに紹介する形で、地下アトリエの住人となった。表向きは文官という形での雇用であるため、館の内部における雑務も担当する。また、同い年の(エルネストの娘の)マリベル姫の相手役をすることもあった。
 彼女は飄々として掴み所のない性格であるため、当初は(気難しい性格の者達が多い)地下アトリエの中でもやや浮いた存在だったが、その画家としての実力は誰もが認めるレベルであったため、やがて他の住人達からも「仲間」として認められるようになる。
 だが、そんな中、彼女をこの地下アトリエに誘った張本人であるパブロが、突然、行方不明となってしまう。彼は失踪する数ヶ月前の頃から、徐々にその作風に変化が現れ始めていた。率直に言って、「何を描いているのか分からない絵」を描くことが多くなっていったのである。一見しただけでは、目の前の被写体とは似ても似つかぬ奇妙な形状の、丸や四角を多用したその作風に、地下アトリエの住人達は困惑していた。そんな中、フィアールカだけは、彼のその絵に価値を見出していたのだが、結局、他の者達からは一切理解を得られぬまま、ある日忽然と彼は姿を消してしまった。
 それから約一ヶ月が経過したある日の昼下がり、地下アトリエの住人達の中で、「最近、領主の館の中で、パブロと良く似た姿の男を夜中に見た」と証言する者が現れ、話題となっていた。

「俺が、領主様の館の中で、夜勤で溜まった仕事をしていた時に、廊下の方で物音がして、ふと見たら、パブロっぽい奴が廊下を歩いてたんだよ。でも、声をかけようとしたら、急にいなくなっちまった。確か、二階の姫様の部屋の近くだったかな。でも、姫様の部屋の中からは、特に物音はしなかったんだよ」
「それを見たのは、いつなんだ?」
「三日前だけど」
「だったら、まだ姫様がゴルフ大会から帰ってくる前じゃないか?」
「あぁ、そういえばそうだな。だとしたら、誰もいない姫様の部屋で、あいつは何をしてたんだろう」

 そんな会話を交わしている中、フィアールカも割って入る。

「他に、見た人はいないの?」

 彼女にそう問われても、その場にいる者達からの反応はない。どうやら、目撃者は一人だけのようである。

「そもそも、なんで失踪したのかも分からないんだよな。いなくなる直前から、訳の分からない絵を描くようになってたし。もしかしたら、精神的にヤバい状態だったのかもしれないけど」

 目撃者の青年がそう呟くと、フィアールカは「まぁ、芸術家は繊細って言うからね」と呟きながら、ひとまずは真偽を確かめるべく、そのパブロが目撃されたという「二階の姫様の部屋の近くの廊下」へと向かうことにした。

1.2. 戦後統治構想

 一方、マージャの音楽祭を終えたパルテノの領主エルネストに案内される形で、ルーク一行はアントリア北岸の街道を東進し、間もなくパルテノへと到着しようとしていた。本来ならば海路を用いた方が早いのだが、マライアの中の「シリウスの感覚」が、方角的にそのパルテノの方面を指しつつも、その距離までは明確に分からなかったため(海路を用いることで、「七人目がいる場所」を通りすぎてしまう可能性があったため)、陸路を用いざるを得なかったのである。
 だが、結局、パルテノの近辺まで来たことで、その感覚は最高潮に強まりつつあった。どうやら、彼女達が探している人物は、この町の中にいるらしい。しかし、現状ではこの地の領主であるエルネストですら、その心当たりがなかったため、そう簡単に見つかる保証はなかった。
 そんな中、彼等はパルテノの近隣の村の中で、「透明妖精がラピスの外にも広がりつつある」という噂を聞いた。それは、シリウス不在によって増殖したのかもしれないし、ラピスを占領した者達が増殖させたのかもしれない。いずれにせよ、見えない相手である以上、まともに戦うことすらも出来ない、非常に厄介な相手である。対処法としては、その透明妖精がいると思しき一帯に向かって、火炎や雷撃などの広範囲魔法を放つくらいしかないのが現状である。
 このような状況を踏まえた上で、アントリアの首脳陣の中には、これ以上その被害が広がる前に、魔法師団の一斉射撃でラピスを燃やしてしまおうか、という意見もある。だが、現状ではラピスの住人達はまだ健在であり、かの地を占領した「女魔法師アンザ」と「謎の魔人(妖刀)」の命令で、何か得体の知れない強制労働に従事させられているらしいので、その彼等を見捨てる訳にもいかない、という意見が、今のところはアントリアの首脳陣の中でも多数派を占めているらしい。ダン・ディオード不在の現状において、子爵代行を務めるマーシャル・ジェミナイは「まずは敵の正体と目的を確認することが最優先」という見解から、現在は斥候部隊を派遣して、調査を続行中であるという。
 このような状況であるが故に、ルーク達としても、アントリア政府が「被害拡大の阻止を最優先すべき」と判断する前に、早めに手を打たなければならない。無論、エルネストもまた、アントリア騎士団の一員として、ラピスの住人ごと村を焼き払うという方針には反対するつもりではあるが、その前に、彼としては一つ、ルークやマライアに対して確認すべき点があった。

「マライア殿、一つお伺いしたいのですが、今までどうしてアントリア政府を頼らなかったのですか?」

 マライアとキヨは、ラピス陥落の直後、アントリア政府を頼る前に、ヴァレフールに養子に行っていた先代領主の息子であるルークを探すためにオーキッドへと向かった。その際に、アントリアの首都スウォンジフォートを経由しているため、その時点でスウォンジフォートの子爵代行マーシャルや筆頭魔法師ローガンに、ラピス奪還を陳情することは可能だった筈である。ラザールの死によって契約は消滅していたとはいえ、その場に居合わせた魔法師として、現状を報告する義務はあった、と言っても過言ではないだろう。

「あなたの選んだ行動は、おそらく一人の契約魔法師としては間違っていない。契約相手であった先代領主のラザールの無念を晴らすことを最優先するという意味では、アントリア政府を頼ることよりも、ラザールの遺児であるルーク殿を探しに行くことを最優先した判断自体は、間違ってはいないと思う。ただ、状況によっては、あなたの行動は、ヴァレフールからの侵略を誘発しうる行為でもあった筈です」

 実際、ルークが、少なくともあの時点ではヴァレフールの人間である以上、「ラピスを救う」という名目で海上からヴァレフールがラピスに侵攻し、先代領主の息子という大義名分の下に、あの地にヴァレフールの旗を立てるという選択肢もあった。そして、実は今でもそれが可能な状況ではある。

「あなたの中では、アントリアがラピスの領有権を維持することよりも、先代領主の息子殿がラピスを奪還することの方が重要だった、という認識でよろしいですか?」
「そう、ですね……」

 マライアとしては、あのラピスの陥落とラザールの死という衝撃の直後に、突如としてシリウスから「使命」を言い渡されて混乱していたこともあり、そこまで考える余裕が無かった。もともとブレトランド人ではない(しかも、ヴァレフールとの国境から遠いが故に戦争とも縁遠い)彼女は、ヴァレフールとアントリアの対立の根深さに対して、どこか無頓着なところがある。
「なるほど。そういうことなのであれば、私もラザールの縁者ですので、その考えには特に反対はしません。ただ、ルーク殿としては、ラピスの奪還後はどうするつもりですか?」

 そう言われて即答出来ないルークに対して、エルネストは更に問い詰める。

「まず、今のあなたは、アントリア人なのですか? ヴァレフール人なのですか?」

 ルークとしては、そこが一番難しいところである。だが、このまま黙っている訳にもいかないので、まだ自分の中でもまとまりきっていない考えを、素直に述べる。

「私としては、ラピスを奪還した後は、そのままラピスの地を治めたいと思っています。しかし、私はヴァレフールのオーキッドの領主家に養子に入っている身でもある以上、この先どうなるかは、まだ分かりません」

 オーキッドの領主である養父(叔父)のイノケンティスは、「混沌を祓うためならば、異国であっても協力は惜しまない」と言って、ルークとラスティの派遣を認めてくれた。だが、養子とはいえ自分の息子がラピスに留まった上で、アントリアの騎士となることを許すかどうかまでは確認していない。

「それが今のあなたの意志なのであれば、仕方ない。私としては、ラピス奪還のために全面的に協力したいところではあるが、あなたがダン・ディオード陛下に聖印を捧げる気がないのであれば、我が町が総出で助力するというのは難しい。あなたが『アントリアのために生きる』と腹を括ってくれないことには、ウチの家臣達は納得しないだろう」

 ただでさえ今、アントリアは混乱している。絶対的カリスマであったダン・ディオードはコートウェルズに行ったまま不在となり、騎士団内の方針も一枚岩ではない。それに加えて、ラピスだけでなく、マージャやクラカラインにも巨大な魔境が発生したままである。相対するヴァレフールの方もブラギス死後の後継者争いを巡って混乱しているからこそ、事なきを得ているものの、今のこの状態で「ヴァレフール人によるラピス奪還」という計画を大々的に提示することは、更に厄介な波紋を広げることになりかねない。

「お連れの方々はどうなのですか? マライア殿は、ラピス奪還後もルーク殿についていく、ということでよろしいのですよね?」
「はい、そのつもりです」

 まだ正式に契約は結んでいないが、契約以前の問題として、彼女の中では、ラピス解放後にルークに後を全て任せてエーラムに帰る、という選択肢は、最初から考えていないようである。

「そちらの……、キヨ殿とおっしゃられたか? あなたは、どうなさるおつもりですか?」
「私は……、特にどこかの国に属しているという訳ではないですし、そもそも、いつまでこの世界に残っていられるかも分からない存在ですので、この戦いが終わった後のことまでは、今の時点では何とも言えません……」
「まぁ、あなたはそもそも、この世界の住人ではないですし、それも致し方ないことでしょう。他の方々はどうなのですか?」

 そう問われた六人の邪紋使い達は、率直にそれぞれの見解を述べる。

「俺自身はラピスの人間ではないから、事が済んだらオーキッドに帰るのが筋だと思っている。ただ、ルークがどうしてもと言うなら、残ってやってもいいがな。ルークも俺の弟ではあるし」
「私は、カナハのユイリィ様とマイリィ様に恩義がある。だから、任務を果たしたら、ユイリィ様やマイリィ様からの新たな特別な指示が無い限り、カナハに帰らせて頂くつもりです」
「うーん、僕はもう、帰る所が無くなっちゃったしなぁ……。ルークさんが、ヴァレフール人としてであろうが、アントリア人としてであろうが、ラピスの領主になるんだったら、それを支えるのも悪くないかな。まぁ、全部終わった後で、まだそこに残った方が面白そうだと思ったら、そのまま残るよ」
「私は、この問題がひと段落したら、出来れば、大陸に残してきた弟の所に行きたいんだ。ちょっと色々と、ややこしい事情があるんだけどね。そこでの要件が済んだら、ティスホーンのマックイーン牧場へ帰るつもりだよ」
「僕は、この件が解決したら、姉さんのところに戻ると言ってあるよね?」
「私も……、孤児院の子供達との約束がありますから……」

 現状において、この戦いが終わった後もラピスに残ると明言している者は誰もいない。ラスティとロディは状況次第では残る可能性もあるが、その場合、ルークの「所属」がどちらになるかという点については、ロディは全くこだわりがないようであるし、ラスティの方も(ヴァレフールの貴族ではあるが)現状でワトホートに強い忠誠心を抱いている訳でもない以上、仮に「アントリア領ラピス」の武官として残ることを要請されても、それほど抵抗は無さそうに思える。
 ただ、肝心のルーク自身が、まだこの点で腹を括れていないのが現状である。現実問題として、ラピスを解放した彼がその地の領主に就任した上で、ヴァレフールに聖印を捧げるという道を選んだ場合、ヴァレフールからの本格的な援助がない限り、完全に四面楚歌となってしまう。つまり、ここから国際情勢が大きく転換しない限り、実質的には「アントリアの君主になる」か「領主権を他の誰かに譲った上でヴァレフールに帰還する」の二択しかないと考えるのが自然である。そして、少なくとも今のルークとしては、後者の選択肢を選ぶつもりは無かった。
 だが、ルークの中には自分が「アントリア騎士の実子」であるという意識は非常に強いが、その一方で、ヴァレフールの人々とのこれまでの縁をあっさりと捨ててしまって良いのか、という思いもある。もし、ルークがアントリアの騎士となった場合、ルークの帰還を期待するヴァレフールの人々と、今後は戦場で戦うことになるかもしれない。ケイの街で聞かされた、あのオルガノン達が語っていた「未来」が、ルークの頭をよぎる。
 結局、この問題については明確な答えが出ないまま、彼等はパルテノの町の門をくぐることになる。だが、結論を出さねばならない時期が近付きつつあることは、ルークも自覚していた。

1.3. おてんば姫の憂さ晴らし

 その頃、パブロの目撃情報があった「二階の姫様の部屋の近くの廊下」を調査しようとしていたフィアールカは、その二階の廊下でばったりと「姫様」ことマリベル・キャプリコーン(下図)と遭遇する。彼女は、貴族令嬢でありながらも、剣の達人として知られる「おてんば姫」として有名であった。


「あぁ、姫様。戻ってきてたんですか?」
「えぇ。二日前にね。これがさぁ、せっかくのゴルフ場の新ホールの杮落としの筈だったんだけど、訳の分からない烏天狗が7羽も現れて、結局、3番ホールの途中で終わっちゃってさ。正直、不完全燃焼のままなのよ」

 彼女は、旧トランガーヌ領モラード地方のウリクルの村のゴルフ大会に、父親の名代として参加していたのである(詳細はブレトランドの遊興産業2を参照)。

「それで姫様、『戦果』はどうでした?」

 フィアールカは、どういう意味の「戦果」なのかを明示しないまま、マリベルに問いかける。『貴族の姫君にとっての戦果』とは、果たして?

「そうね、とりえあず、百足を5匹と、鴉の雑兵を数羽と、あとは……どうにかしたかったのが一人いたんだけど、相変わらずアイツは煮え切らないのよねぇ……。ということで、私、今、微妙に消化不良だから、あなた、ちょっと付き合ってもらえるかしら?」
「はいはい。じゃあ、いつものでいいですよね?」

 そう言いながら、フィアールカは姫と共に中庭へと向かおうとする。こういう時のマリベルは、決まって「剣の稽古」を彼女に要求する。「冒険者」として生きてきたフィアールカは、この町に来た頃から、護身術程度の剣技は身につけていたため、よく相手役に指名されていた。
 そんな二人が剣を片手に廊下を歩いていると、その途上で、フィアールカは館の裏口から一人の大柄な人物(下図)が外に出て行く様子が見えた。その手には、奇妙な小型の杖のような代物が握られている。


 エルネストの秘書官の一人、ゴーウィンである。と言っても、彼が何の仕事を担当している人物なのかは、フィアールカは知らない。彼女自身を含めて、この館の中では「表の仕事」と「裏の仕事」が全く別物である雇われ人は多いが、少なくとも、彼が地下アトリエに来たことはないので、基本的には彼女達とは別管轄の所属の人物のようである(ちなみに、その手に握られている「小型の杖のような何か」は、彼がいつも持ち歩いているが、その用途も不明である)。
 ちなみに、パブロが行方不明となった数日後から、彼女はゴーウィンの身体から「妙な気配」を感じるようになっており、その正体は「ただの人間」ではないのではないか、とも思えたが、ひとまず、あまり深くは追求する気はなかった。そしてこの時も、なぜ裏口からコソコソと出て行くのかが若干気になった程度で、特にそれほど深く考える必要は感じられなかったようである。
 そして、中庭に出た二人の少女は、互いに剣を抜き、構える。と言っても、姫様に怪我をさせる訳にはいかないので、ほどほどに相手をしてお茶を濁そうとしたフィアールカであったが、数合打ち合った段階で、マリベルは露骨に不機嫌そうな顔を浮かべる。

「あなた、手を抜いてるでしょ?」
「え? な、なんのことですか? 姫様の実力が上がったんじゃないですか?」
「確かに、私も日々鍛錬は重ねてるわ。でも、今の私よりも今のあなたの方が実力が上だということは、実際にやり合ってみればすぐに分かる」

 マリベルが「今の」と限定しているのは、別に負け惜しみではない。当初は、ただの我流剣術のフィアールカよりも、騎士の娘として最高峰の剣術指南役達から武術を学んでいたマリベルの方が、圧倒的に実力は上であった。ところが、ここ一ヶ月ほどの間に、フィアールカの剣技が飛躍的に向上し、マリベルがいくら本気で戦っても勝てないほどの次元にまで到達していたのである。フィアールカは姫を気遣って、時折わざと負けることもあったが、まだ彼女自身がその「力」の使い方を制御しれていないせいか、その「接待稽古」の有様があまりにも露骨すぎて、姫の目をごまかすことが出来ていない。

「というか、こんな短期間でそこまで強くなるなんて、あなた、何者なの?」
「フィアは、ただの冒険者ですよ」

 フィアールカは、自分のことを「フィア」と呼ぶ。彼女の周囲の者からも、そう呼ばれることは多い(以下、本文でも「フィア」と表記する)。

「そんな見たこともない武器持ってるし」

 マリベルはそう言いながら、フィアの持っているレイピアに視線を向ける。確かに、彼女のレイピアは独特の優美な刀身を持ちながらも、その切れ味いは普通の細剣とは明らかに異なる。少なくとも、その辺りの武器屋で一般に流通しているような品物ではない。

「あはは……」

 フィアは、乾いた笑い声でごまかす。ちなみに、彼女自身、このレイピアをどうやって手に入れたのかは覚えていない。彼女が急速に力を身につけつつあったこの一ヶ月の間に、いつの間にか彼女の手に備わっていたのである。
 不審そうな目でフィアを見つめるマリベルであったが、ちょうどこのタイミングで、館の入口に向かって使用人達が慌ただしく走り始めている様子が目に入った。

「あ、お父様が帰ってきたみたい」

 そう言いながら、マリベルは嬉しそうな表情を浮かべて父を迎えに行く。彼女は「おてんば」ではあったが、決して「不良娘」ではなく、一人の騎士としての父のことは、娘として素直に尊敬し、慕っている。
 そして、姫が去ったことで、ひとまず解放されたフィアは、改めて、当初の目的であった「パブロの目撃情報」の収集を集めようと、様々な使用人達の間で聞き込みを開始する。すると、どうやら他の館の関係者達の間でも、別の日に姫様の部屋の近くで彼を見たという情報はあるらしい、ということが分かった。

(一体、どうして姫様の部屋の近くで? なんで地下アトリエには来ないんだろう……?)

 そんな疑問を抱きながらも、フィアはこの日は非番だったので、ひとまず、館の外に出て町を散策することにした。パブロの件も含めて、何か面白い出来事はないか探すためである。彼女は「退屈」を何よりも嫌う。暇さえあれば自由に各地を見て回りたくなるその性分こそは、まさしく彼女が「冒険者」たる所以であった。

1.4. 透明妖精の気配

 パルテノに到着したルーク達は、行き交う人々の活気で賑わうパルテノの雰囲気を目の当たりにする。ブレトランドの南の玄関口の一つであるオーキッドほどではないが、この地もコートウェルズやノルドなど様々な方面からの異国人達の姿が目立つ、一種独特の雰囲気の港町であった。
 そんな中、ルークとキヨは、「奇妙な小型の杖を持ったかなり大柄の男性」が、町外れで「奇妙な白いフード付きのマント」を着た男と密かに会話を交わしている様子が目に入る。実はこの「かなり大柄な男性」の正体は、先刻のゴーウィンなのであるが、ルークもキヨも彼とは面識がなかったため、(どちらも目立つ風貌なので少々気にはなったものの)この時点では特にどうとも思わなかった(ちなみに、マライアは仕事上、彼とは何度か会ったことがあるのだが、この時点では彼女はその光景に気付かなかった)。
 そして町の中心部に位置する領主の館に到着した時点で、マリベル姫が館の使用人達と共に「お出迎え」に現れる。

「お帰りなさいませ、お父様」

 そう言って満面の笑みで会釈する彼女であったが、その姿は礼装とは程遠い稽古用の鎧姿であり、汗で少し髪が乱れた様子が垣間見れる。

「また剣の稽古か。まぁ、剣も剣で悪くはないが、私の娘なのだから、もう少し華のある生活を送るようにと……」

 エルネストがやや険しい表情を浮かべながら小言を口にしようとした瞬間、ルークを見たマリベルは、少し驚いたような表情を浮かべる。

「あれ? もしかして……、ルーク……、さん?」
「どうして、私の名を?」
「やっぱり、ルークさん、どうして、お父様と一緒に? もしかして、あなたも音楽祭に出演してたの?」
「エルネスト殿、こちらは……?」

 やや混乱した様子のルークがエルネストに問いかけると、彼は笑いながら答える。

「おぉ、そうか。まぁ、さすがに覚えてはいないかな。私の娘のマリベルだ。子供の頃に、何度か会ってはいるのだが」

 と言っても、二人が最後に会ったのは約10年前の話である。ルークの中では彼女が5〜6歳の頃の記憶しかない以上、16歳になった彼女を見ても、気付かないのは無理もない。ちなみに、この二人は父親同士が従兄弟なので、「はとこ」の関係になる。

「あぁ、そうでしたか。これは失礼しました。マリベル姫」
「まぁ、それだけ私が見違えた、ってことよね」

 そう言って得意気な表情を浮かべるマリベルであったが、そんな彼女の身体から、キヨはほのかに「犬の匂い」を感じ取っていた。

(この人、きっと犬を飼っている。それも、この匂いは、結構な大型犬……)

 そう思ったキヨは、どこかそわそわした様子を見せるが、そんな彼女に気付いたのか、マリベルはキヨに視線を向ける。

「で、なんか随分大所帯で来てるみたいだけど、あなたは、どこの国の人なの? ブレトランドの人じゃないよね? どこか東方の国の人?」

 そう言いながら、マリベルはこの「奇妙な取り合わせの集団」の中でも「最も奇妙な装束」をまとっているキヨに話しかけた。

「私は、ヴェリア界から来た者なのですけど……」

 そう言って分かってもらえるかどうか自信がなかったキヨだが、好都合なことに、この姫様にはすぐに理解出来た。というのも、実は彼女はこれまで何人ものオルガノンと遭遇してきた経験がある(つい先日もゴルフ場で一人遭遇したばかりであった)。

「じゃあ、もしかして、その『よく分からない服』があなたの本体なの?」

 微妙に違うが、わざわざ説明する必要もないと思ったキヨは、ついつい、聞かれてもいないことを答えてしまう。

「ただの、犬が好きなだけの旅人です」
「あ、犬好きなの? じゃあ、ウチの子、見てく?」

 マリベルは嬉しそうな表情を浮かべる。基本的に女性というものは、本能的に「ウチの子自慢」がしたいものらしい。

「いや、まぁ、待て待て。まずは皆を客室に案内してからだ」

 そう言ってエルネストに止められた彼女は、ひとまずルーク達を、領主の館の「離れ」の中に位置する来客用の宿舎へと案内した。この町はその性質上、海外からの「大物」の来訪者も多く、その一方で町の中に不審者が紛れ込むことも多いため、町の中で最も安全な場所である領主の館の内側に、多くの要人用の宿舎が備わっている。

「何か困ったことがあったら、いつでも使用人に言って下さいね。国賓級の対応でもてなすようにと、お父様からも言い付けてありますから」

 マリベルはそう言った上で、さっそくキヨを自室に連れて行こうとする。当初は、ルーク達もそれに付き合おうとしていたが、ここで、ロディアスとエルバが、何やらひそひそと話をしている様子が目に入る。

「ねぇ、ここに来る途中で、変な気配を感じなかった?」
「ロディも感じたのかい? じゃあ、やっぱり、気のせいじゃなかったんだね」

 すると、他の邪紋使い達もその二人の会話に同調する。どうやら、彼等は、この館に来るまでの間に、町の中の「誰もいない筈の場所」から、投影体がいるかのような気配を感じたらしい。皆、最初はただの気のせいかと思っていたようだが、六人全員がその気配を感じ取り、その一方で、ルーク、マライア、キヨの三人は全く気付かなかったことから、一つの仮説に辿り着く。

「もしかしたら、これが例の透明妖精ってやつか?」

 ラスティがそう言うと、ルークが真っ先に反応する。

「ラスティ、その気配は、どこで感じた?」
「最初に感じたのは町の入口のあたりだな。その後、向こうの路地裏の付近と、それから、あっちの方にも……」

 他の者達も、その「気配を感じた位置」はほぼ一致しているようである。

「ということは、いよいよ俺達の力の出番のようだな。これについては、俺達でないと、どうにもならないだろうし、俺達に任せてもらおう」

 ラスティは、どこか嬉しそうな表情でそう語る。遂に自分の中の「秘められた力」を発揮出来る機会が訪れたことに、武者震している様子であった。

「そういうことなら、私も一緒に行こう」

 ルークはそう申し出る。たとえ敵の姿が見えないにしても、敵が投影体ならば、倒した後にその混沌核を浄化するのが、聖印を持つ者としての義務である。無論、君主が浄化しなくても、邪紋使いである彼等がその身に吸収する、という選択肢もあるのだが、君主が浄化した上で聖印に取り込む場合とは異なり、邪紋使いが混沌核を混沌核のまま身体に吸収しすぎると、やがてそれは人としての自我を失わせることにも繋がりかねないと言われており、あまり好ましくはない。

「そうですか、せっかくですから、ちょっとルークさんにも相談したいことがあったんですけど、じゃあ、それはまた後で」

 マリベルはそう言って彼等を見送りつつ、ひとまずはキヨとマライアを、本館の自身の私室へと招き入れることにするのであった。

1.5. 犬と慕情と杏仁豆腐

 こうして、マリベルの部屋の中へと通されたキヨとマライアは、その部屋の中央に、巨大な長毛犬が座っているのを目の当たりにする。アフガンハウンドと呼ばれる大型犬であり、本来は猟犬だが、純粋に愛玩用に飼っている人も多い。
 見知らぬ来客に対して、当然のごとくその大型犬は警戒した様子を見せるが、それでもキヨに対しては、敵意がないことを確認しながら、少しずつ距離を近付いてきて、やがて身体を擦り寄せる。その仕草に、キヨも嬉しそうな表情を浮かべた。

「この子、見た目は大きいから怖がられやすいけど、気性はすごく優しいのよ。こないだも、私が寝苦しくてうなされてたら、自分からベッドの中に入ってきて抱きついてくれて……」

 マリベルがそう言って自慢話を始めるが、そんな話を聞かされる必要もないほどに、キヨは既にこの大型犬の魅力に取り付かれていた。その様子を見たマリベルは、満更でもない顔を浮かべつつ、やや真剣な声色で、二人に問いかける。

「ところで、一つ聞きたいんだけど、お二人はルークさんとは、どんな御関係?」

 犬に夢中になっているキヨの耳には入っていないようなので、ひとまずマライアが素直に「自分の立場」を説明する。

「私は、ルークさんのお父様の契約魔法師だった者です」
「じゃあ、今、ルークさんと契約している訳ではないのね?」
「そういう訳ではないんですけど……」

 実際のところ、そうなりそうな流れになっていることは、マライアも自覚している。しかし、ルークから直接契約を打診された訳ではない以上、現時点でこれ以上は何とも言えない。

「それなら、率直に聞かせてもらうけど、ルークさんは、今、御結婚は?」
「私が知る限りは、していないですね」
「ということは、あなたともしていないのね?」
「えぇ、していない、筈です」

 相変わらず、語弊を招きそうな言い方をするマライアであるが、このタイミングでマリベルがこんな話を切り出してきたこと自体、色々と邪推を生みかねない質問でもある。だが、気にせずマリベルは話を進める。

「聞いた話によると、『男性の君主』と『女性の契約魔法師』が『そういう関係』になることは、あまり珍しくないらしいけど、あなた自身は、ルークさんに対して、特にそういった感情はないの?」

 今までも、色々な人々に同じようなことを聞かれた気がするが、マライアはいつもそれに対して、どう答えれば良いものかと苦慮していた。というのも、彼女の中でも、この一ヶ月ほどの旅を通じて、ルークという存在が、自分にとっての「先代の契約相手の息子」というだけの位置付けで収まる人物なのかどうかが、分からなくなっていたのである。

「正直、そういう気持ちを今までに感じたことがないから、今の気持ちがどういう気持ちなのかは分からないですけど、それに近い気持ちが、もしかしたら、あるのかもしれません」
「やっぱり、一緒にいると、そういう感情が強まったりするのかしら?」
「まぁ……、男と女の世界ですからね」

 自分でも自分の感情がよく分かっていないにもかかわらず、そんな言い回しで答えるマライアであるが、それがまた新たな「邪推」を呼び起こす。

「もしかして、そっちの人に遠慮して、今、本音が言えない状態?」

 マリベルは唐突に、キヨに視線を向けながら、マライアにそう問いかける。

「え……? まさか、ルークさんと、そういうことになってたりしないよね?」

 突然の指摘にやや困惑した様子のマライアは、キヨにそう問いかけるが、唐突にそう言われたキヨ自身も、困惑してどう答えれば良いものかと悩む。おそらく、キヨはマライア以上に、その手の感情に関しては根本的に欠落している(そもそも、オルガノンにそのような感情があるのかどうかも定かではない。)。

「いや、そのね、ちょっと心配なことがあってね。あ、別に私自身がルークさんに対してどうこうっていう訳じゃないのよ。そもそも会うのも十年ぶりくらいだし、私自身も、会うまで忘れてたくらいだし。実は、私にも、ちょっと離れた所に『気になる相手』がいるのよ。その相手には、5歳年下の契約魔法師がいるんだけど……」

 特に誰に聞かれている訳でもないのに、勝手に自分語りを始めるマリベル姫であったが、そんな微妙な空気の中で、扉の外からノックする音が聞こえてくる。

「姫様、オヤツの準備出来タヨー」

 ややクセのあるイントネーションでそう言いながら入ってきたのは、東方風の奇妙な装束をまとった少女であった(下図)。彼女はその手に円形状の透明な容器を持ち、その中には瑞々しい白い角状の何かと果物が入っている。


「あら、アニー、ありがとう」

 マリベルがそう言って、その奇妙な装束の少女からその容器を受け取ろうとした瞬間、その少女はキヨを見て、驚きの声を上げる。

「沙織!? ナンでココにイル? 私、聞いてナイヨ!」

 突然そう言われたキヨは驚いたが、キヨにはその「沙織」という名前に聞き覚えがあった。それは、彼女の地球上での「最後の持ち主」の名であり、現在のキヨの姿は(その「最後の記憶」が最も鮮明に残っていたせいか)彼女の姿に酷似している。キヨのことを、その沙織と間違えるということは、この少女は沙織と同時代の地球から投影されてきた人物なのだろうか。それとも、翔や明良と同じように、沙織もまたこの世界に投影されているのだろうか。

「イヤ……、よく見ルと、違ウ?」

 その少女が訝しげな顔を浮かべながらキヨを凝視しようと近付いてくる。そして、キヨもまた、この瞬間、相手の少女から発せられる奇妙なオーラに、見覚えがあることに気付いた。キヨの記憶が確かならば、この少女とキヨは、ヴェリア界で出会ったことがある。もっとも、その世界では今のこの「擬人化した姿」ではなかったので、互いに今の姿には見覚えがない。

「杏仁豆腐さん……、ですか?」

 キヨにそう問われた少女は、その問いに答える前に、逆にキヨに問いかける。

「ヤパリ、アナタ、沙織じゃナイ……。じゃあ、アナタ、誰?」
「私は、沙織さんの持っていた、武器です」

 そう言って、キヨは左手で自分の「本体」を軽く持ち上げる。杏仁豆腐と呼ばれたその少女は、その刀を見て、ようやくキヨの正体に気付いた。

「ア、ソカ、思い出シタ! ヴェリア界で、イショニイタネ、私ト」

 そう、彼女の正体は、キヨ同様にヴェリア界から投影された、杏仁豆腐のオルガノンである。ティスホーンでキヨが杏仁豆腐を食べた時、この世界に彼女が投影されているのではないか、ということを直感的に感じ取ってはいたのは、どうやら間違いではなかったらしい(もっとも、なぜそれがキヨに分かったのは、おそらく誰にも分からない永遠の謎である)。

「ソカ、沙織と初メテ会タ時、どこか懐カシイとオモタネ。アナタと『同ジ匂イ』シタカラ。やっと理由ワカタ」

 どうやら、彼女が「沙織」と出会ったのは、この世界に来た後らしい。ということは、やはり沙織も、このブレトランド(あるいはアトラタン)のどこかに出現しているようである。

「ん? どういうこと、アニー?」

 マリベルは混乱した顔を浮かべるが、アニーと呼ばれたその少女は、笑顔で答える。

「この人、私の知リ合イネ。だから、サービススルヨ」

 そう言うと、彼女は自らの掌の上に、マリベルに渡した「容器に入った杏仁豆腐」と全く同じ代物を、次々と出現させる。これは、彼女の「本体」である。食品のオルガノンは、自らの身体の一部を切り取って、誰かに食べてもらうことで充足感を得るらしい。

「な、なにこれ!?」

 その面妖な光景に唖然とするマライア。彼女はティスホーンでヨハンが杏仁豆腐を振舞ってくれた時、病床にあったため、杏仁豆腐を見ること自体が初めてである。

「コレ、私の国の食べ物というか、、私ソノモノというか、まぁ、食ベルヨロシ」

 彼女がオルガノンだということは理解出来たマライアだが、さすがに「食べ物のオルガノン」と会うのも、その「本体」を食べるのも初めてなので、ただひたすらに困惑する。そんなマライアを横面に、杏仁豆腐はキヨに問いかける。

「ところで、アナタ、ココで何シテル? 姫様の友達?」

 そう問われたキヨは、やや迷いながらも、現状に至るまでの大まかな事情を一通り説明する。ここは既にアントリアの地であり、この町の領主であるエルネストが(少なくとも個人レベルでは)全面的に支援することを約束してくれている以上、その娘であるマリベルや、その侍従と思しきこのオルガノンに対して、あえて隠す必要もない。
 そんなキヨの話を、まだ何の事情も聞かされていなかったマリベルは興味深そうな顔で聞き入っていたが、その傍らに立つ杏仁豆腐の少女は、複雑な表情を浮かべる。

「ソ、ソカ……、まぁ、アナタも色々アルネ。じゃあ、私、次の仕事あるカラ、行クネ」

 何の仕事をしてるのかも分からないが、ひとまず彼女はそう言って去って行く。だが、微妙にその表情が曇っているようにも見えた。

2.1. 見えざる刃

 一方、その頃、ルークは、六人の仲間達と一緒に町に調査に出た筈が、例によって例のごとく、いつの間にか仲間達とはぐれてしまっていた。

「おかしい。皆、どこへ行ってしまったんだ……?」

 そんな(いつも通りの)彼に、後ろから一人の少女が呼びかけた。

「お兄さん、お兄さん」

 領主の館の地下アトリエの住人、フィアールカである。館内での聞き込みを一通り終えた彼女は、街中に何か面白い出来事は起きていないかと、散策していたところで、見慣れない人物を見かけて、興味を示したらしい。

「ん? 君は?」
「フィアは、フィアだよ」
「フィア? フィアというのは一体?」
「フィアは、フィアの名前だよ」
「あ、あぁ、ごめん。君の名前だったのか。で、何か私に用かな?」
「お兄さん、旅人さん?」
「まぁ、そんなようなものかな。君は、何をしてるんだい?」
「フィアは、散歩だよ。お兄さん、道に迷ったみたいだけど」
「あ、いや、別に道に迷った訳じゃないんだけど……、今、ちょっと事件の調査をしていてね」
「事件?」

 フィアは、ちょっとワクワクした表情を浮かべる。だが、ルークとしては、この「よく分からない少女」を相手に、どう説明すれば良いものか悩む

「この辺りに、混沌の強い場所があると聞いて、それを探しているところなんだ」
「混沌かぁ。事件というほど大きなことは起きていないと思うけど」

 そうは言いつつも、実はフィアも、ここ最近、町の中で「混沌の気配」を感じたことはある。ただ、彼女はまだそれが「混沌の気配」なのかどうか、確証が持てずにいた。

「そうか。それならば良いんだが、どちらにせよ、この件については、私達に任せておいてくれればいいよ」

 そう言われたフィアールカは、したり顔で胸を張って言い放つ。

「フィアは、こう見えても冒険者なんだよ」
「冒険者?」

 ルークは首を傾げながら改めて彼女を見ると、確かに、彼女の腰元には、あまり見覚えのない形状の剣が差されている。もしかしたら、彼女も君主か、あるいは邪紋使いなのかもしれない。ルークがそう思った次の瞬間、フィアの視線が、ルークの後方に向けられた。彼女は、ルークの背後に混沌の匂いを感じ取ったのである。彼女がルーク越しにその匂いのする辺りを注視すると、その匂いは、少しずつ彼等から、逃げるように遠ざかっていく。

「お兄さん、ごめん!」

 そう言って、フィアはその混沌の匂いを追いかけて行く。ルークは、その様子がやや気がかりではあったが、彼女についてこれ以上深く詮索する理由も思いつかなかったので、ひとまずそのまま見送った。
 そしてフィアは、全力でその「匂い」を追いかけていく。その「匂い」は路地裏の狭い道をまっすぐに直進してフィアから遠ざかろうとしていたが、フィアがその「匂い」に追いついたと思った瞬間、「何か」にぶつかって、彼女はその場に倒れる。しかし、そのぶつかったと思しき場所には、匂いがあるだけで、何も見えない。
 更にそこから匂いは遠ざかろうとしたが、その遠ざかろうとした先の場所から、一人の巨大盾を持った男が現れた。フリックである。どうやら彼もまた「混沌の匂い」を嗅ぎつけて、この場にやってきたらしい。彼は、フィアが感じていたのと同じ場所から「混沌の匂い」が感じられる(そして自分の方に向かって移動してきている)ことに気付き、警戒心を強めるが、それと同時に、その奥に見えたフィアからも、今までに何度か嗅ぎ取った類の「匂い」を感じる。

(あの少女、もしかして……)

 直感的にそう感じた彼は、思わず声を上げた。

「そこの君、邪紋使いか!?」

 それに対してフィアは立ち上がって、後ろを見て、「誰のこと?」というような表情を浮かべながら首を傾げる。

「あ、いや、違うならいいんだが……」

 フリックはそう言いつつ、「混沌の匂い」が自分の横を通り過ぎようとするのを、その巨大盾を掲げて止めようとする。すると、その「混沌の匂い」は、今度は逆にフィアの方に向かって動き出した。フィアは、その「混沌の匂い」から、ほのかに「殺気」のような何かを感じたため、腰の剣に手をかける。

「盾のお兄さん、気をつけて!」

 この「得体の知れない何か」が、人間全般に対して敵意を抱いているのではないかと考えた彼女はそう叫びつつ、自らの身体に「風」をまといながら宙に浮き、その「匂い」に向かって斬りかかる。すると、確かにそこに「手応え」を感じた。どうやら、「姿の見えない何か」がそこにいるらしい。それに対して、その「見えない何か」も反撃を試みようとするが、彼女の周囲の「風」によってその攻撃が避けられる。
 すると、今度はフィアは自らの周囲に「火」をまとわせる。風と一緒になったその火は熱風となり、彼女はその火と風の元素を、その「見えない何か」に向けて放つ。すると、その「見えない何か」はその激しい炎熱に耐えられず、そのまま炎上し、そして、うっすらとその「輪郭」が見えたかと思うと、そのまま混沌の塵となって消えて行く。ちなみに、その輪郭から察するに、どうやらその「見えない何か」は、妖精界のゴブリンの一種だったようである。

(やはり、あれは透明妖精だったか)

 フリックはそう確信しつつ、その消えゆく投影体の中心にある混沌核を、四散する前に自らの身体に吸収する。そして、目の前の少女に問いかけた(ちなみに、この時点で、彼女の周囲に漂っていた「風」と「火」の気配は消え、再び彼女の足は地についている)。

「君は今、何をしていた?」
「うーん……、よく分かんない」

 はぐらかしているようにも聞こえるが、実際、彼女自身も、自分が「何」と戦っていたのかは、よく分かっていない。そして彼女自身、実は自分の「力」に関しても、まだその実態がよく分かっていなかったのである。

「今、そこに何かいたよな?」
「『何か』はいた筈だよ」
「そうか。正直、私もよく分からないんだが、私の考えが間違っていなければ、多分、君は私達の仲間だ」

 突然、訳の分からないことを言われたフィアは、一瞬、呆然となる。

「いやいや、フィアはただの冒険者だよ」
「冒険者か……。そういう意味では、少し前までの私と似たような状況だな」

 フリックもまた、かつては無法者として各地を転々としていた。その意味では、実はフィアと境遇が似ていると言えなくもない。

「今、君はこの町で何をしている?」
「絵の勉強、かな」

 「冒険者」と名乗った後でそう言われたことで、今度はフリックが混乱する。

(でもまぁ、最近は、猫でも絵を描く時代だしな)

 ティスホーンで出会った三毛猫のことを思い出しながら、フリックは改めて話を続ける。

「そうか、ここはそういう町だったな。親御さん達は?」
「フィア、孤児だから」
「あぁ、それはすまなかったな。まぁ、俺も同じようなものだが」

 実質、今のフリックには「身寄り」と呼べる者はいない。カナハの領主姉妹は、彼の中では家族以上に重要な存在ではあるが、それでも本当の意味での「家族」とは異なる存在である。

「いいよいいよ、フィア、気にしてないよ。お兄さんは、どこかの騎士さん?」
「そんな大層なものじゃない。騎士様の下で、騎士様を守るために戦う、ただの『盾』だ」

 そう言った上で、彼は肩に装着している鎧を外す。

「もう一度確認したいんだが、君の身体の中に、これと同じような邪紋はあるか?」

 そう言って、フリックは自分の肩に刻まれた邪紋をフィアに見せる。

「おぉー! お兄さん、筋肉ムキムキだね」

 実際のところ、フリックはそこまで特別筋肉質という訳ではないのだが、16歳の少女の目から見れば、十分に逞しい体格に見える。だが、本題はそこではない。

「あ、いや、そうじゃなくて、この部分の、文字だか記号だかみたいな……」
「分かってる、分かってる」

 そう言って、フィアはその文字の部分を凝視する。

「うーん、見覚えはないね」

 フィアが「七人目」であろうと半ば確信していたフリックは、この意外な反応に驚く。

(そうか……、いや、しかし、ロディの例もあるしな。もしかしたら、身体の『内側』に刻まれているのかもしれないし……)

 フリックは少し迷いつつも、単刀直入に彼女に問いかける。

「そうか。じゃあ、君の邪紋はどういう形状なんだい?」
「うーん、フィア、見たことないけど……」

 そう言われたフリックは、更に混乱する。先刻見た彼女の力は、どう見ても邪紋の力としか思えない。それを「見たことがない」と言われたのは、完全に想定外の返答だった。
 しかし、それは彼女が自身の正体を隠そうとしている訳ではない。彼女は「邪紋」というものの存在自体は理解しており、今の自分が「邪紋使い」の人々と同じような力を有しているという自覚もある。しかし、彼女は自分の身体の中に邪紋なるものが発現したのを見たことがない。したがって、彼女自身が、自分が何者なのかをよく分かっていないのである。

「とりあえず、君は今、どこに住んでいるのかな?」
「今は、領主様にお世話になってるの」
「そうか。それはある意味、好都合だな。じゃあ、ちょっと、領主様に話をしたいので、連れていってくれるかな」
「あれ? もしかして、お兄さんも迷子?」
「いや、そういう訳では……」

 ここでフリックは「も」という表現が気にかかる。

「もしかして、私と同じくらいの身長で、弓を持った緑色の髪の……」
「うん、そうそう、迷子になってた弓のお兄さんを見かけたよ」
「その人は、今、どこに?」
「さぁ? さっきまで一緒にいたんだけど……」

 こうなると、どちらを優先すべきか迷う。せっかく見つけた「七人目かもしれない少女」の確保と、今の自分達が守るべき君主の身の安全と。

「……一つ確認したいんだが、この街に『魔境』はないよな?」

 マージャで、ルークが魔境に迷い込んだという一件は、フリックも後から聞かされていた。

「あったら大変だよ、そんなの」
「まぁ、そうだな。じゃあ、一緒に領主様の所に行こうか」

 そう言って、二人は領主の館へと向かうことになる。ルークの行方が気がかりではあったが、ここは他の五人に任せた上で、「この娘が『七人目』である可能性は極めて高い」という自らの直感を信じることにしたフリックであった。

2.2. 白昼の影

「そこの弓使い、ちょっといいか?」

 フィアと分かれた直後のルークに対して、そう呼び止める者が現れた。

「はい、何でしょうか?」

 ルークが振り返ると、そこにいたのは、どこか不気味な雰囲気を漂わせた、武装した細身の男性である(下図)。


「この街の者ではないようだが」
「はい、私は旅でこの街に来た者です」

 そう答えたルークは、この男の風貌にどこか「懐かしさ」を感じる。そして、どうやらそれは相手の男も同様だったようである。

「ん? 前にどこかで会ったか?」
「うーん、会ったことがあるような気はしますが……?」

 互いに、思い出せそうで思い出せない。そんなもどかしい感覚を抱いていた。

「名前と所属は?」
「ルークです。所属は……」

 例によって例のごとく、今の自分の「所属」に関して、どうごまかそうかとルークが考えていた時、相手の男が何かを思い出したような表情を浮かべる。

「そうか、オーキッドのルーク殿か!」
「えぇ、そうです」
「私は以前、傭兵稼業に携わっていた頃に、オーキッドで働いていたシドウ・イースラーだ。今はこの街で警備隊長をしているのだが……、私のことを覚えているだろうか」

 そう言われて、ルークもようやく思い出した。確かに、数年前にオーキッドでシドウという名のアンデッドの邪紋使いがいた。といっても、あの頃の彼はまだ子供で、アンデッドの邪紋使いとしての力に目覚めたばかりの頃だったので、今とはかなり雰囲気が異なる(アンデッドの中には、成長を重ねるごとに、不気味な容貌へと転じて行く者が多い)。

「あぁ、シドウさんでしたか。お久しぶりです」

 ちなみに、年齢的にはルークの方が年上なのだが、シドウはアンデッドということもあり、どこか不思議な威圧感があるせいか、実年齢よりも上に見える。

「そういえば、ここに来る前に、三人ほど見慣れない邪紋使いを見たのだが、あなたの知り合いか? 『混沌の気配を追っている』などと言っていたが」

 そう言われたルークは、一通りの事情を説明しようとする。シドウがこの町の武官であるならば、ここで黙っていても数日中にエルネストの口から聞かされることになるだろうから、隠しておく理由は何もない。
 だが、その会話の途中で突然、ルークは後ろから「何者か」に斬りつけられる。しかし、ルークが振り返っても、その場には誰もいない。

「ど、どうした……?」
「分からない。何者かに、急に……」
「いや、しかし、ここには私しか……」

 そう言ったところで、今度はシドウも何者かに横から斬りつけられる。アンデッドである彼の身体は、そう易々と崩れ落ちることはないが、しかし、敵の姿も何も見えない状態での攻撃には、当然のごとく困惑する。
 そして二人がこの不可解な状況に混乱している中、ルークの視界に、見覚えのある人物が現れた。レピアである。彼は、ルークの目の前に現れると同時に、なぜかルークのいる方向に対して鋭い敵意の視線を向けると、マントの下に隠していたニードル数本を取り出し、ルークに向かって一斉に投げ掛けた。

「レピアさん!?」

 突然の凶行に驚愕するルークだが、そのニードルは、ルークに到達することなく、彼の眼前の「誰もいない筈の空間」で急停止する。その瞬間、何かに突き刺さったような音が、かすかにその場に響いた。

「投げれば刺さるということは、やっぱり、姿は見えなくても、実体はあるんだね。良かった良かった」

 どうやら彼もまた、透明妖精の気配を察して、この場に現れたようである。

「君主様、ここは下がった方がいいよ。これは多分、僕達の領分だ」
「ということは、ここに透明妖精が!?」
「君達にその存在が感じ取れないなら、間違いないみたいだね」

 そう言いながらレピアがルークの近くへと走り込むと、「ルークの目の前の空間」に向かって懐の刃で斬りかかる。すると、その場に「ゴブリンのような輪郭」の混沌の欠片が現れ、次の瞬間、その混沌が消滅していく。
 まだ半信半疑の状態ながらも、目の前に混沌核が現れたことで事態を把握したルークは、自らの聖印を現出させ、その混沌核を浄化吸収する。そして、この状況に至ってシドウも、ようやく今の一連の状況を理解した。

「そうか、ラピスの透明妖精が、この街にも……、しかし、今までそんな事件が起きたことは無かった筈なのだが……」

 まだどこか信じられない様子のシドウに対して、レピアがいつもと同じ飄々とした(どこか他人事のような)口調で、自分の中で思いついた「仮説」を口にする。

「それは、『事件が起きていたこと』に気付いてなかっただけなんじゃないかな。彼等が何をやっていても、僕達以外では存在すら感知出来ないみたいだし。もっとも、もしかしたら、僕達が招き寄せてしまった可能性もあるけど。ねぇ、君主様?」

 視線を投げかけられたルークは、落ち着いて頭の中で状況を整理しながら答える。

「あ、あぁ、そうだな……。しかし、シリウスの力を持たない者には感知出来ないなら、対処の仕様もないだろう」
「そうだね。とりあえず、分かったこととしては、透明妖精は君主様に襲い掛かった、ということ。そして、透明妖精はやっぱり僕達以外には感知出来ない、ということ」
「ということは、私を狙って……?」

 もし、彼等がルークの持つ聖印の特別な力(?)を警戒しているのなら、その可能性は十分にありうる。もっとも、ここに至るまで一度も遭遇は受けていない以上、もともとこの地に潜伏していた透明妖精が、たまたま目の前にいる「大将首」を見つけて襲いかかっただけで、最初からそのためにこの地に来た訳ではない可能性もある。ただ、いずれにせよ、今後もルークが狙われる可能性は十分にありうるだろう。

「だとしたら、君主様は僕達からは離れない方がいいと思うんだけど、そのためには、どうしたらいいのかな?」

 一緒に街中を歩いていたにもかかわらず、はぐれてしまった以上、もはやロープで彼をぐるぐる巻きにして「連行」するくらいしか、対処法はなさそうである。とはいえ、それではいざ戦闘が発生した時に、身動きが取りにくくなる可能性が高い(もっとも、それ以前の問題として、社会的な意味で、その姿で町中を往来して良いのか、という問題もあるが)。

「とりあえず、領主様の館に戻ろっか」
「そ、そうだな……」

 ひとまずシドウと別れて、ルークとレピアは館へと帰還する。シドウとしては、客人であるルークを館まで護衛したいと考えたものの、「見えない妖精」が相手では、自分では護衛どころか足手まといにしかならないという現状を受け入れ、ひとまず町の中で何か異変が起きていないかを確認するため、あらためて巡回を再開するのであった。

2.3. 疑惑の「七人目」

 一方、領主の館に残っていたマライアは、徐々に「二つのシリウスの気配」が自分に近付きつつあることを感じる。

「この感覚は……、フリックさんと、もう一人は……、誰?」

 これまでの仲間達との長旅を通じて、マライアはそれぞれの「シリウスの気配」を識別出来るようになっていた。普通の人間が、「形が同じでも色が違う物品」を視覚的に識別出来るのと同じ様に、彼女は「各自が発するシリウスの気配の種類」を区別出来るようになったのである。そして今、この領主の館に近付きつつある二つの気配のうちの片方は、明らかに「彼女がこれまで感じたことのない何者か」の気配であった。
 そのことに気付いた彼女は、キヨと共に館の玄関の方へと向かう。すると、そこには、フィアを連れたフリックの姿があった。

「マライア殿、この娘なんだが……、私の勘は間違っていないか?」

 そう言われたマライアは、はっきりと頷く。確かにその少女の身体からは、「七人目」の気配が感じ取れた。

「盾のお兄さん、このお姉さん、誰?」
「この人は、君の力の本質を見極めてくれる人だよ。君は、自分が今、特別な力を持っていることは分かっているだろう?」
「それはもちろん」
「その力が何なのかを、知りたくはないか?」

 フィアとしても当然、自分に備わったその力のことは気になっていた。そして、どうやら彼等が、自分のことを邪紋使いだと思っていることも察している。

「でも、邪紋使いって、さっき見せてもらったような邪紋が出るんじゃないの?」

 フィアがそう言うと、フリックが補足するようにマライアに説明する。

「この子は、自分の身体に邪紋が発現したのを見たことがないと言っている。ただ、ロディの時の例もあるから、どこか分かりにくい場所に現れているのかもしれない」

 実際、人間の身体のどこに邪紋が出現するかは、個体ごとに全く異なる。比較的分かりやすい場所に出現する者もいるが、「自分では見えない場所」や「人には見せられないような場所」に出現する者も少なくはない。

「なるほど。じゃあ、ちょっとごめんね」

 マライアはそう言いながら、フィアの身体を凝視しながら近付きつつ、服を脱がせようとする仕草をする。

「お、お姉さん、何するの!?」
「あなたの身体には『カンジ』という文字が刻まれている筈なのよ」

 一応、マライアはキヨからその概念は聞いてはいたが、それが何なのかは、彼女自身も実はよく分かっていない。

「カンジ、って、何!? ていうか、お兄さん、何なの、この人!?」

 そう言って助けを求める視線を投げかけられたフリックであるが、彼としても、マライアのやりたいことは分かる。ただ、さすがにちょっとタイミングが唐突すぎる気もする。

「いや、その、マライア殿、もう少し穏便に……、というか、そういう『作業』をするなら、私はこの場を去った方が良いと思うのだが」
「えぇ!? この状態で、私を見捨ててどこかに行くの!?」

 更に困惑するフィアに対して、ここで無理強いしても仕方がないと判断したフリックは、ひとまずマライアを制止する。

「分かった。ちょっと急すぎる話ではあったし、とりあえず、明日また詳しい話をしよう。領主様にも話をしないといけないし」

 そう言われたフィアは、逃げるようにその場を去った。さすがに、初対面でいきなり服を脱がされようとしたら、そんな反応になるのも当然であろう。
 その後、ルーク、シドウ、レピアも帰還した上で、それぞれの得た情報を整理した彼等は、ひとまず領主のエルネストに改めて謁見して、町中で現れた透明妖精について報告する。この地にまで透明妖精が出現しているという事態を聞かされたエルネストは、動揺しながらも、落ち着いてその出現状況に関する情報を確認する。その上で、フリックはエルネストに尋ねた。

「ところで、あのフィアという少女についてなのですが……」

 彼女が「七人目の後継者」ではないかという仮説をフリックは提示しつつ、彼女の素性について確認しようとする。

「ふむ、彼女は、なかなか面白い絵を描く才があるということで雇っていたんだが、もともと武術の心得はあるということで、時折、ウチのマリベルの剣の相手をすることもあった。と言っても、当初はマリベルにも遠く及ばぬ程度のつたない剣技でしかなかったのだが、ここ一ヶ月ほどの間に急に強くなったと、マリベルが言ってたな」

 ちなみに、エルネストは彼女の素性については、よく知らない。そして、彼女を連れてきたパブロが行方不明になっているため、確認も出来ない(もっとも、パブロも海岸で偶然出会っただけで、彼女の素性は何も知らないまま連れてきたのであるが)。
 ただ、状況的に考えれば、証拠は揃っている。「約一ヶ月前」というのは、ラピス陥落とほぼ同じタイミングであり、他の者達が、ラピスから飛来した「珠」をその身体に受けて、邪紋の力に目覚めた時期とも一致している。
 そう聞かされたエルネストとしては、まだ半信半疑ながらも、フィアをルークに貸し出すことについては、前向きな姿勢を示す。

「彼女がラピス解放のために必要な人材だというのなら、ぜひ協力はさせたい。ただ、微妙に扱いにくい子だという噂もあるから、彼女自身が納得してくれるかどうかは分からないのだが」

 そもそも、まず彼女が本当にシリウスの後継者なのかどうかを確認する必要がある。ただ、その「確認作業」をマライアが先走ってしまったため、その話を切り出しにくい、そんな状況に陥ってしまっていた。

2.4. 杏仁豆腐の憂鬱

 その後、ひとまずルーク達はエルネストから与えられた彼等の客室へと移動するが、その過程でキヨは、先刻出会った「杏仁豆腐の少女」に呼び出された(なお、彼女はこの館では「アニー」と呼ばれているので、以下の本文では「アニー」と表記する)。
 アニーは、自身の私室でキヨ二人きりになったのを確認すると、キヨに対して、真剣な表情で問いかけた。

「アナタ、どうして、あの人達に協力シテル? アナタ、君主が何スル人か、分カテル?」
「この世界の混沌を浄化する人だと、聞いてます」
「ソウ、君主は混沌浄化スル人。そして、私達は混沌ソノモノ」

 つまり、本質的には、アニーもキヨも、ルークにとっては「浄化すべき対象」なのである。もっとも、この辺りの倫理観は人それぞれであり、聖印教会(の中でも特に日輪宣教団)のように、「全ての混沌は浄化されなければならない」と考える君主もいれば、「友好的な投影体であれば、この世界にいても構わない」と考える君主もいる。キヨがこれまで見てきた限り、ルークの場合は、明らかに後者であろう。そして、アニーを投影体だと知った上で使用人として雇っているエルネストやマリベルも、同じ考えであるように思える。
 だが、今の時点での彼等がそうであったとしても、彼等が今後、君主としての道を歩み続けた場合、一つの問題に直面することになる。アニーは、そのことをキヨに確認する必要があると考えたのである。

「皇帝聖印(グランクレスト)というものは、知テル?」

 キヨも、噂には聞いたことがある。だが、その実態はよく分かっていない。もっとも、本当の意味でその「実態」を知る者は、おそらくこの世界のどこにもいないのであるが。

「世界中の混沌集メテ、皇帝聖印作レバ、この世界の混沌、全て無クナル。ソレ目指す君主、多い。それ目指すべきという考え、一般的ネ」

 実際、それが最終的にこの世界の君主として目指すべき到達点だ、という思想は、多くの君主達の間に浸透している。ルークがそう考えているのかどうかは分からないが、混沌災害によって故郷を失った彼が、もう二度と同じような事態を引き起こさないために、そのように考えていてもおかしくはないだろう。

「でも、皇帝聖印出来レバ、私達の存在、消える。そのことワカタ上で、アナタの君主、皇帝聖印目指シテル?」
「それは……、分かりません」
「そうナタ時、アナタ、どうする?」
「そのことについては……、考えたことは無かったです」

 この問題は、投影体と友好的な関係を築いている君主全般に共通する難題である。それぞれがどんな考えを抱いているのかは分からない。そして、投影体である彼女達自身にとっても、自分達を「浄化」する力を持つ君主達とどう向き合っていくべきかは、難しい問題である。

「私はココの姫様、好キ。領主様も好キ。でも、アノ人達、本当は混沌浄化しなきゃいけナイ。でも、私のこと認めてくれる。だから私は好キ。でも、この先、どうなるかワカラナイ。皇帝聖印出来タラ、ホントに私達消えるのかもワカラナイ。ただの伝承。でも、私は皇帝聖印は絶対イヤ。私はこの世界が好キ。姫様達の近くにイタイ。まだ消えたくナイ。だから、もしアナタがこの世界にイタイ思うなら、皇帝聖印阻止シタイ思うなら、紹介シタイ人いる。アナタ、どう思う?」

 そう問われたキヨは、少し考えた上で、自分の考えを暫定的に整理しながら答える。

「私は、どうやってこの世界に来たのかも分からないし、いつまでこの世界にいられるのかも分からない。ただ、少なくとも今、この世界の中で、混沌災害で苦しんでいる人達がいる以上、私がいつまでこの世界にいられるにしても、この世界にいる間は、その人達を助けるために尽力したいと考えています。だから、皇帝聖印がこの世界の人々を救うために必要なら、私は、それを止めるつもりはありません」
「じゃあ、皇帝聖印出来テ、私達消えてもイイ?」
「ちょっと寂しいですけど……」

 複雑な表情を浮かべながらそう答えるキヨに対して、アニーもまた、重苦しい表情のまま、更に問いかける。

「ソカ…………。アナタ、この世界に来て何年にナル?」
「まだ、一年にもなっていないと思いますけど……」

 正確に言えば、この世界の暦自体について、よく分かっていない。彼女が元いた世界における一年と、この世界における一年が、同じ長さなのかどうかも、厳密に言えば不明である。

「この世界に長くイレバ、この世界に未練出テクル。だから、そのうち、考え変わるかもしれない。もし、考え変ワタラ、マタ来て」

 そう言い残した上で、アニーはマリベルの従者としての仕事に戻り、キヨもひとまず自室へと帰った。彼女達はいずれも「人間のために働きたい」という本能を持つオルガノンであったが、その「人間への愛」の在り方が微妙にすれ違う形で、それぞれの行動原理が構成されてしまっていることを、この会話を通じて実感させられた二人であった。

2.5. 消えた義兄

 その後、町の中を探索していた他の者達も次々と館へと帰還する。だが、それぞれに透明妖精らしき気配は発見したものの、直接的な戦闘にまでは至らず、逃げられたらしい。実際のところ、レピアやフィアによってあっさりと倒されたことから察するに、彼等は透明妖精の中でも、それほど強力な存在ではないらしい。彼等が到着するまで特に事件も起きていなかったという状況と照らし合わせて考えると、おそらくは斥候的な役割なのだろうと推測される。
 だが、そんな中、夜になっても一人だけ帰ってこない者がいた。ラスティである。ルークとしては、この機会に彼と相談したいことがあったのだが、いつまで経っても彼が戻ってこないことで、徐々に心配が募る。

「僕が最後に見た時は、酒場の辺りだったけど……」
「じゃあ、またそのまま飲み歩いてるんじゃないのかい?」

 ロディとエルバがそんな会話を交わしてはいたものの、透明妖精が出現している状況だけに、何が起きても不思議はない。

「よし、今から探しに……」

 ルークがそう言って立ち上がり、外に出ようとしたところで、傍らにいたマライアが彼の腕を掴む。

「『一緒に』探しに行きましょうね。あなた、また迷ったんでしょ?」
「いや、私は、迷ってなど……」

 誰もが言ってほしかった一言を真っ先にマライアが言ってくれたことで、邪紋使い達も安堵する。どちらにしても、ラスティを探すのであれば、彼の気配を察知出来るマライアが同行するのが道理であろう。その上で、護衛役としてのフリックと、探索および(いざという時の)伝令役としてのレピアを連れた四人で、彼等は夜の町へと繰り出すことになる。
 ルークとはぐれないように、マライアは彼と腕を組んだ状態で歩き、その前方をレピアが警戒しながら先導し、後方をフリックが護衛する。傍目には「騎士夫婦とその護衛」のような隊列で、マライアがシリウスの感覚を駆使してラスティの気配を追いかけた結果、やがて彼等は、人通りの少ない裏路地の辺りへと足を踏み入れることになる。
 だが、そこにいたのは「白いフード付きのマントを羽織った人物」と「小型の杖のような何かを持った大柄な人物」であり、ラスティと思しき人影は見当たらなかった。

(あの二人は、確か昼も路地裏で見かけたような……)

 この町に来た時のことをルークが思い出している横で、マライアは、その二人のうちの「白マントの男」からラスティの気配を感じ取る。だが、見た目の体格は明らかにラスティよりも小柄である。そして、もう一人の大柄な男の方は、マライアにとっては旧知の人物であった。

「ゴーウィンさん?」

 エルネストの秘書官である彼とは、ラピス陥落以前にマライアは何度か面識がある。と言っても、彼がどんな仕事をしているのかは知らなかったのだが、その巨躯と、どこか不気味な雰囲気が、彼女の中では良くも悪くも印象的だったので、その名は記憶に残っていたようである。

「ラピスの魔法師殿か?」

 ゴーウィンがそう答えると、白マントの男は、急にその場から立ち去ろうとする。この時、その白マントの男から、確かに「ラスティの気配」が感じ取れることを改めて確認したマライアは、大声で叫んだ。

「ラスティ、どこに行くの!?」

 だが、その白マントの男はその声には全く反応しないまま、そのまま足早にその場から逃げるように去って行く。その歩き方も、雰囲気も、体格も、明らかにラスティとは別人なのだが、それでもマライアの中のシリウスの感覚は、彼がラスティだと認識している。

(どういうこと……?)

 ルーク達は、マライアがなぜその白マントの人物のことを「ラスティ」と呼んでいるのかは分からなかったが、それでも彼がラスティ失踪の鍵を握る人物だとマライアが認識していることは理解出来たので、彼女と共に四人でその白マントの後を追いかけるが、結局、行方を見失ってしまう。そして、その場に放置されることになったゴーウィンも、マライア達が再びその場に戻ってきた時には、姿を消していた。
 困惑する状況の中、ひとまずマライアが仲間達に彼女が知る限りの情報を伝えると、レピアとフリックは、互いに顔を見合わせつつ、何かを確認した様子で、小さく頷く。そして、レピアが口を開いた。

「さっきの白マントの男と、短い杖を持った男、どちらも『キヨさんと同じ匂い』がした。多分、投影体だね、二人とも」

 レピアやフリックは、自分達の仲間(シリウスの後継者)を厳密に嗅ぎ分けることは出来ないが、ここ一ヶ月ほどの間に、混沌の強さ程度は識別することが出来るようになっていた。その彼等の嗅覚によれば、あの二人はいずれも(「邪紋」程度ではなく)「混沌そのもの」の匂いを発していたという。

「そういえば、今の二人を、この街に来る時にも見かけたな」

 ルークはそう言って、昼間にあの二人を見かけた時の様子を説明する。それを聞かされたところで、今の状況を正確に理解するには至らないのだが、少なくとも、エルネストの秘書官であるゴーウィンが、あの怪しげな「ラスティの気配がする人物」と複数回にわたって密会している(ただし、当然のことだが、昼間の時点ではまだラスティはルーク達と共にいたため、その時点ではそんな気配はマライアも感じてはいない)、という事実が明らかになった以上、彼等としては、エルネストを通じてゴーウィンを問い詰める必要がある、という認識に至った。

2.6. 画家の本懐

 こうして、ルーク達が不可解な事件に遭遇している頃、フィアは、マリベル姫の部屋の近くを警護していた。フリックやマライアの言っていたことは(断片的な情報しか伝えられていないため)さっぱり理解出来なかったが、この状況で、何らかの「事件」が起きていることは間違いない。ここは「冒険者」としての自分の出番だと、彼女は認識していたようである。
 そんな中、屋敷の外から、姫の部屋の窓を監視しているような何者かの気配がする。廊下の窓から外を見てみるが、暗くてはっきりとは見えない。
 そこで、フィアは己の体に「風」をまとわせた上で、廊下の窓から外に出て、ゆっくりとそのまま空中を浮遊しながら地上に降りる。彼女自身、この「力」の正体が何なのかはまだ理解出来ないままであったが、いつの間にか使いこなせるようになっていたようである。
 そして地上に降り立った上で、その気配のする場所へとフィアが向かうと、彼女はそこで一人の青年と遭遇する。それは、一ヶ月前から行方不明になっていた(フィアを地下アトリエに勧誘した張本人である)画家のパブロであった。

「絵描きの、かっこいいお兄さん」

 フィアはそう呼びかける。彼女は基本的に他人を「名前」で呼ばない。最初は彼のことは「絵描きのお兄さん」と呼んでいたのだが、その呼び名では地下アトリエ内で識別が出来ないため、いつのまにか「かっこいい」という形容詞が挿入されるようになっていた(実際、彼は他の画家達とは明らかに異なる、端正な顔立ちの青年であった)。

「フィア……、お前、いつからそんな力を?」

 どうやら、彼女が二階から風をまとって降りてきた姿を見られていたらしい。

「いや、そんなことより、お兄さん、今までどこにいたの?」
「ここではない所だ。そして、もうお前に会うつもりもなかった。私の居場所はここではないということが分かったからな」
「どういうこと?」
「お前が知る必要はない。お前は、お前の絵を描き続けていればいい。ただ、俺の描く絵を理解出来る者が、ここにいなかった。それだけのことだ」

 そう言って、パブロは去っていこうとする。全く状況が掴めていないフィアであったが、ひとまず彼女は、今の自分の中に思い浮かんだことを、そのまま口にする。

「お兄さん、諦めるの?」
「諦める?」
「絵を理解してくれないって、理解してもらうことを諦めるの?」

 彼女の中では「諦めること」は禁忌である。どれほど絶望的な状況においても、それでも希望を失わずに前を向く、それが冒険者としての彼女の信念であった。そしておそらく、パブロもそんな彼女の心意気が気に入っていたのであろう。フィアのその言葉で、パブロは心を動かされたような表情を見せる。

「お兄さん、絵描きなんでしょ? 描けばいいじゃない」
「あぁ、私は描き続ける。だが、それはここではない。私は、私の絵を理解してくれる人々を見つけた。その人達のために絵を描き続ける。そのためのアトリエは、ここではない」

 どうやら、彼は「絵を描くこと」自体を捨てる気はないらしい。そして、彼の中で「より心地良く絵を描ける環境」を見つけたようである。そのことを確認したフィアは、少し安堵した様子を見せる。

「そっか。まぁ、それはお兄さんの自由だもんね」

 彼女はあくまでも「自由」を重んじる。パブロが絵を描き続けるという信念を曲げずに、自分の好きな絵を描き続けてくれるのであれば、それがこの館の地下アトリエである必要はないように彼女にも思えた。ただ、それがどこなのか分からないのは、少々気がかりではあったが。
 そして、パブロはおもむろに懐から「何か」を取り出して、フィアに手渡す。

「すまないが、これを、あの子に渡してやってくれ」

 小さな皮袋に入った干し肉である。それは、マリベルが飼っているアフガンハウンドの好物であった。彼はそれをフィアが受け取ったのを確認すると、その場から立ち去ろうとする。

「お兄さん、『あの子』じゃ分からないよ」

 パブロは昔から犬好きで、中でも特にマリベルの飼い犬のことを気に入っていたことは、地下アトリエの中でも知られていた。故に、状況的に考えれば、これがマリベルの飼い犬への差し入れであることは明白であるのだが(そしておそらく、彼が過去に姫様の私室の近くに現れたのも、同様の理由であろうことは推測出来るのであるが)、まだ彼に話を聞きたいと考えてたフィアは、そう言って彼を呼び止めようとする。

「そういう台詞は、人の名前をちゃんと呼ぶようになってから言うことだ」

 そう言って、フィアの追求を拒絶して歩き去ろうとするパブロをフィアは追いかけるが、その間に突然、「白いフード付きのマントを羽織った男」が現れる

「お嬢さん、あなたは巻き込みたくないと、この人は言っています。退いてもらえませんか?」
「誰?」
「知らない方がいいことも、沢山ありますよ、この世の中には」

 その白マントの男からは、敵意や殺意は感じられない。だが、フィアとしては、まだパブロに聞きたいことは山のようにあったため、ここであっさりと去られたくはなかった。

「フィア、そういうの苦手なんだけどな」

 彼女はそう言いつつ、腰のレイピアに手をかけた上で、まず相手の正体を確かめようとして、相手の頭部を覆っているフードを、その剣を使って剥がそうとする。だが、彼女がそのフードを剣先でめくり上げると、その下には円形の不気味な仮面のような顔が見えた。

「フードの下に仮面!? あぁ、もう、面倒!」

 そして次の瞬間、その白マントの下から、「腕のような何か」が飛び出し、彼女の体を弾き飛ばそうとする。その形状は、明らかに人間の手ではない。白い円錐状の何かが、不自然に滑らかな動きをしながら、彼女を体を引っ叩くように弾き飛ばしたのである。その一撃は強烈で、本来の「力」を発揮する前の状態だった彼女の身体に深い損傷を与えると同時に、彼女の服の一部も破損してしまった。
 「これは本気で戦わなければ勝てない」と判断したフィアは、その身に「風」をまとい、レイピアを相手の仮面に突き立てて、その仮面を割ろうとする。その一撃は仮面にクリーンヒットしたものの、仮面はそれでも割れない。だが、次の瞬間、相手はマントを脱ぎ捨てると同時に、それまで保っていた「人」としての姿から、「異形の何か」へと変わっていく。

「こんなところで、『本気』を出さねばならない相手と出くわすとはな」

 その姿は、さながら一つの「塔」のようである。本体は白い円錐形であり、その表面には赤い線状の左右対称の模様が描かれている。そして、その左右から(本体の3分の1ほどの大きさの)円錐が一本ずつ生えており、本体の「中央」と「先端」の部分には、それぞれ異なる形状の「不気味な円形の顔」が描かれている(そして、この時点でフィアの位置からは見えなかったが、中央部分の後方には「また別の顔」と「黒い線状の模様」が描かれている)。
 突如現れたこの不気味な「塔」に、フィアは底知れぬ恐怖を感じる。彼女もこれまで、冒険者として様々な「投影体」と遭遇してきたが、今、自分の目の前に現れたそれは、明らかに普通の投影体とは次元が異なる存在であった。激しく困惑するフィアに対して、その「白い塔のような何か」は、今度はその円錐状の腕(?)をフィアに突き刺そうとする。
 だが、そこに割って入る者が現れた。フリックである。ルーク達と共に、ひとまず館に帰還しようとしていたフリックが、館の中庭に現れた混沌の気配を察知して走り込み、その身を以ってフィアを庇ったのである。もし、その一撃がフィアに直撃していたら、彼女は瀕死状態に陥っていたかもしれないが、さすがにフリックの強靭な肉体であれば、その程度で倒れはしない。

「盾のお兄さん!」

 フィアがそう叫んで視線をフリックに向けると、その間にその「白い塔のような何か」とパブロは、その場から去ろうとする。そして、フリックと共にこの場に到着したルーク達も、その異様な光景を理解出来ずに唖然としたまま、彼等が立ち去るのを呆然と見送る。
 結局、何か起きたのかはよく分からないままであったが、ひとまずマライアが、負傷したフィアとフリックの傷を魔法で癒す。マライアのことは「いきなり服を脱がそうとしたお姉さん」と認識していたフィアであったが、自分の傷を回復させてくれるその好意は、素直に受け取る。
 そして、館の外の騒動を聞いて、キヨも駆けつけたのであるが、この時、キヨはフィアの破れた服の下から見える彼女の肌から、何かを発見する。

「その、背中の模様は……」

 そう言われたマライアも気付く。そこには確かに、フリックやレピアと同じ形状の「邪紋」が描かれていた。

「そうか。背中にあったのね。それなら、自分では気付かない筈だわ」

 そう言われても、まだ状況が飲み込めないフィアではあったが、自分に対して本能的な恐怖心を抱いていることを実感したマライアは、今の時点で自分が説明しても当惑させるだけだと自覚した上で、今はフィアの治療だけに専念する。

「これでもう大丈夫ね。詳しい話は、また明日にしましょう」

 そう言って、マライアはルーク達と共に館の「離れ」へと戻る。混乱した状態のフィアも、ひとまず頭の中で状況を整理しながら、自身の宿舎へと帰還するのであった。

2.7. 君主と投影体

 こうして、ようやく「七人目」を見つけたものの、未だラスティの行方が知れないことに不安を感じていたルーク達であったが、そんな中、この日の夜、珍しくキヨがルークの部屋を訪ねる。彼女は、アニーに言われたことを思い出しながら、ルークに問いかけた。

「もし、ラピスの混沌を浄化して、そのまま統治することになったとして、その後は、皇帝聖印を目指すのですか?」

 突然、スケールの大きすぎる話を持ち出されたことで、ルークはどう答えれば良いものか、判断に迷う。

「皇帝聖印……? うーん、唐突な話ですね……。私自身、特に意識したことはありません。ただ、この混沌災害を解決したら、一介の君主として、自らの領地と民の平和を守るために、この力を使っていたいと考えているだけです」

 ひとまず、ルークは素直にそう答える。その答えは、概ねキヨとしても予想通りだったのであろう。その上で、キヨは話の本題を切り出す。

「さっき、少し気になる話を聞きました。皇帝聖印が完成すると、混沌が全て浄化される、と」

 そう言われたルークは、うっすらと彼女の言いたいことを理解したようである。

「確かに、そう言われてますね。ということは、混沌である投影体の存在も、ということでしょうか」

 確かに、それは「投影体としてのキヨ」にとっては、文字通りの「死活問題」である。だが、先刻のアニーとの会話でも示した通り、キヨは「投影体としての自分の存在」に対して、そこまで強い執着心を抱いていなかった。

「私も、今まで各地で混沌が村や町に被害を及ぼしているのを見てきました。だから、皇帝聖印が出来上がって、混沌が全て無くなるということは、ブレトランドやアトラタンにとって、それが出来るなら、それが一番いいと思います」
「確かに、全ての混沌が浄化されれば、混沌災害も今後一切無くなる訳ですし、この世界に平和が訪れるでしょう。でも、私としては、キヨさんとはずっと旅をしてきた仲ですし、キヨさんがいなくなってしまうのは、少し寂しいですね」

 それもまた、ルークにとっては偽らざる本音である。キヨだけでなく、翔やTKGやマージャでで出会った者達など、多くの投影体の人々と関わってきたルークとしては、彼等を「犠牲」にした上での世界平和の実現という選択肢に対して、躊躇する心が無いといえば嘘になる。そんな想いを抱きながら、ルークは話を続ける。

「とはいえ、そもそも、その話も、真実かどうかは分かりませんし、皇帝聖印が完成するかも分かりませんからね」

 ひとまず、ルークとしては、今はそう言うしかない。存在するかどうかも分からない可能性について議論しても、あまり実りがないように思えるのも当然である。それについてはキヨも基本的には同意していた。

「私も、皇帝聖印を完成させることは難しいことだと思いますし、出来るかどうかも分からないのでしょうけど、それを阻止しようとする人達がいる、ということが、少し気になっています」

 アニーのあの話し方からして、おそらく彼女は、皇帝聖印の成立の阻止を第一目標とする集団に所属しているのだろう、ということは予想できた。

「皇帝聖印の完成を阻止する活動、ですか……」

 ルークも、「パンドラ」という組織のことは聞いたことがある。皇帝聖印を阻止しようとする闇魔法師の組織らしいが、その目的や手段は、内部でもバラバラらしい。そしてエーラムの中でも、混沌が世界から本当に消えてしまってもいいのか、という点については、水面下で色々と議論されているらしい。

「まぁ、今はとりあえず、ラピスの混沌災害を鎮めることを目標に尽力したいと思っていますので、これからもよろしくお願いします」
「はい。私も、君主としてのルークさんのことは信頼しています」

 二人とも、これ以上、この問題について議論しても建設的な話にはならないと理解したようで、ひとまずこの日の夜の会話は、ここで一段落することになった。とはいえ、皇帝聖印という「人類の夢」に対して、君主としてのルークと、投影体としてのキヨがどう向き合うべきかについては、いずれ再び直面すべき問題となるだろう。

3.1. 合流と承諾

 翌日、フィアはルークの客室へと呼ばれ、ルーク、マライア、キヨ、フリックの四人から、ようやくラピスの混沌災害の現場と、そして自身の身体に刻まれた「邪紋」の正体について、一通りの事情を聞かされることになる(その間に、フリック以外の邪紋使い達は、ラスティに関する情報収集のために、再び町へ出ていた)。
 実際、彼女の中にも、一ヶ月前にラピス方面から謎の「珠」が飛来して自分の中に入り込んだ、という記憶はあったため(その時点では、それが何なのかは理解出来なかったが)、フィアの中でもようやく全ての話が繋がり、納得する。
 そして、ルークも改めてフィアに対して自己紹介する。昨日、町中で会った時は、彼は自分の名を名乗る暇すらなかった。

「まさか君が、シリウスの力の持ち主だったとはね」
「フィアも、『迷子のお兄さん』が君主様だったとは思いませんでしたよ」

 前述の通り、フィアは基本的に他人を名前で呼ばない。このままではおそらく彼女は今後も、ルークのことは「迷子のお兄さん」と呼び続けることになるだろう。

「こちらとしては、君についてきてほしいのだが、どうだろう?」
「うーん、フィア、形だけとはいえ、ここの領主様に雇われてるから……」

 彼女がそう言いながら少し困った表情を浮かべていると、そこでルークの客室の扉を開けて、エルネストが現れる。

「そういうことなら、心配ない」

 どうやら彼は、ちょうどルークに用事があって、扉の前まで来ていたらしい。

「昨日の話を聞いて、大体の状況は分かった。私は芸術家としての君にも期待しているが、それ以上に今の君には為すべきことがある。幸いなことに君は、この町の役人というよりは、私個人で雇っている立場だから、私個人の一存で誰に貸し与える権利も私にはある。だから、その危険な透明妖精に対して、今の君の力が必要ならば、ぜひ尽力してほしい」

 突然、領主様からそう言われた彼女は一瞬戸惑うものの、気持ちを落ち着かせながら、ゆっくりと答える。

「フィア、使命とか、目的とか、正直、苦手なんだけど、まぁ、盾のお兄さんには借りがあるし、そろそろまた冒険に出たかったからね」

 実際、事情が分かれば、フィアとしても協力することはやぶさかではない。もともと、彼女がこの町に居続けること自体、それほど深い理由がある訳でもなかった。
 こうして、ひとまず話がまとまりかけたところで、マライアが口を開く。

「で、さっそく、困ったことがあってね。実は私達の仲間の一人が、昨日から行方不明なのよ」

 そう言われたフィアは、呆れたようにフリックの方を見る。

「お兄さん達、迷子になりすぎじゃない?」
「いや、ただの迷子ではないらしい。どうやら、昨日君が戦っていた、あの白い何かが深く関わっているようなのだが、あれが何者なのか、心当たりはあるかな?」

 そう言われた彼女は、懐から紙と筆を取り出し、おもむろに絵を描き始める。あざやかな手さばきでそこに描かれたのは、昨夜の時点で彼女を襲撃した「白マントの男」と、その「本体」
であった。

「これのこと?」

 ルーク達は、このどちらの姿にも見覚えがある。だが、この二つが「同一人物」であるということは知らなかった。フィアからそのことを聞かされて、改めて彼等は驚愕する。

「この人、確か昨日、ここのゴーウィンさんと話をしていましたね」

 マライアがそう言うと、それに対して、ゴーウィンの雇い主であるエルネストが、やや表情を曇らせながら反応する。

「そういうことなら、ゴーウィンに問い詰めてみなければならないな。ただ、もし、その『白い何か』がゴーウィンの旧知の人物なのだとしたら……、おそらく、あの竜のレイヤーの方は、その『中』に閉じ込められている状態なのだろう」

 彼が言うところの「中」という言葉の意味が今ひとつよく分からないルーク達であったが、ひとまずエルネストは彼等に詳しい話をするために、彼等に、この町の南方の外れに位置する「裏山」に来るように申し出て、彼等も素直にその言に従うことにした。

3.2. パンドラと投影体

 この町の裏山は、領主であるエルネストが個人で所有している土地であり、かなり広い。しかし、かといって、特に細かく手入れが施されている訳でもない。ただ、その裏山の一角に、明らかに不自然に木が刈られた広大な一角が存在していた。
 ルーク達がエルネストに連れられてその一角を訪れると、やがてそこにゴーウィンが連れてこられる。彼は神妙な面持ちを浮かべながら、その空白地帯の中央部分へと一人で赴き、その場に立って、いつも手に持っていた「奇妙な小型の杖」を天に翳す。

「皆さん、少し離れていて下さい」

 エルネストがそう言って、ルーク達が後方へ下がると、次の瞬間、ゴーウィンは一瞬にして「巨大な建物」に「変身」した。皆が呆気にとられる中、マライアだけはこの状況を理解する。どうやら彼は「建物のオルガノン」らしい。
 エルネスト曰く、ゴーウィンの正体は、地球において世界最大規模の所蔵量を誇る「大英博物館」の本館であり、ヴェリア界経由でこの世界にオルガノンとして現出した後、エルネストと出会ったらしい(ゴーウィンという名は、地球上において彼の建設の契機を作ることになった名を、彼が便宜的に名乗っている、とのことである)。ダン・ディオードの戴冠以降、アントリア全体に質素倹約令が出たこともあって、ゴーウィンの「本体」の中には、エルネストが各地の貴族達から預かった無数の「美術品」が収納されているという。
 一通りの説明をエルネストが終えると、ゴーウィンは再び「人間(擬人化体)」の姿に戻り、そしてルーク達に対してこう告げた。

「あなた方が見たあの白マントの男は、私と同じタイプの『建物のオルガノン』だ。あなた方の話を聞く限り、昨夜の時点では、まだ彼は自身の大きさを制御していたのだろうが、本来の大きさになれば、私ほどではないが、かなり巨大なサイズになる筈だ」

 そもそも「建物のオルガノン」なるものが存在することすら知らなかったルーク達にしてみれば、そう言われても今ひとつ実感が湧かないが、確かに、昨日彼等が見た「白い塔のような何か」は、「建物」であると考えるのが自然なようにも思えた。そして、彼が「建物」であるならば、ラスティがその「中」に収納されている状態だとしても、(それがどういう形状なのかを考えると腑に落ちない点は多いが)納得出来なくもない。

「では、あなたは、その白いマントの男と、どういう関係なのですか?」

 ルークはそう問いかける。実際のところ、彼等にとってより重要なのは、彼等の正体よりも、彼等がラスティを幽閉(?)する目的である。
 それに対して、ゴーウィンは神妙な表情で答える。

「誤解を生まないためにも、この際はっきり言っておこう。私は、彼に勧誘されていたのだ。彼が所属する『パンドラ楽園派』に来ないか、と」

 ブレトランド・パンドラには様々な系譜がある。その中の一つの「楽園派」とは「投影体の楽園を作ろう」という思想の持ち主の集団である。

「行方不明のパブロも、どうやら今は、その楽園派の中にいるらしい。彼も実は、私の本来の故郷である地球から投影された存在だ。白マントの男曰く、パブロは地球では相当に高名な画家だったのだが、彼の描く絵はあまりにも前衛的すぎて、この世界の住人達では、彼の絵の魅力は理解出来なかった。だからこそ、彼以外にも多くの「地球人」を擁する『パンドラ楽園派』に来るべきだと勧誘されたらしい」

 ちなみに、ゴーウィンも地球時代のパブロのことは知っている。もっとも、彼の本名はあまりにも長すぎて覚えられなかったこともあり、本当に彼が「ゴーウィンが知っているパブロ」と同一人物なのかは分からないらしい。なお、白マントの男曰く、パブロは彼(塔)を作った芸術家が、最もリスペクトしていた人物であるという。

「ただ、あなた方の仲間を、なぜ彼が拉致しているのかは分からない。パンドラ楽園派の動きと、ラピスの事件が、もしかしたら連動しているのかもしれないが、確証は持てない」

 ゴーウィン曰く、あくまでも彼は白マントの男の話に乗る気はなかった。ゴーウィンは、芸術を理解する心を持つエルネストと共にいることで、(借り物とはいえ)この世界の多くの美術品を自身の「中」に収納させてもらえる今の生活に満足していたし、その美術品を持ったままエルネストの元を去るような不義理はしたくなかった(仮に美術品だけを残して行くにしても、新たな所蔵場所の確保にエルネストが困ることは明白であった)。

「一応、白マントの男がよく出没する場所は分かっている。だが、申し訳ないが、私は君達に協力することは出来ない。私は彼に協力する気もないが、彼の存在そのものが、極めて高度な芸術品であることも理解している。博物館としての私の本能が、彼に危害を加えることを、どうしても許すことが出来ないのだ」

 ゴーウィンは申し訳なさそうにそう語る。ルーク達としては、今のところ、パンドラ楽園派による「投影体国家建設」という思想自体を否定する気はないが、少なくとも、ラスティは返してもらわなければ困る。そして、パンドラ楽園派が、具体的にどこにその「楽園」を作るつもりなのかは分からないが、彼等は武力でそれを勝ち取ろうとしているらしい(だからこそ、いずれどこかで人類社会と衝突する可能性はあることを考えて、ゴーウィンとしては、彼等に協力する気もないという)。ということは、もしかしたら、ラピスを占領して「投影体の楽園」にしようと企んでいる可能性もある。
 そして、ここまでの話を聞いた上で、ルークはふと、昨日の話を思い出した。

「それってもしかして、昨晩言っていた人達のことですか?」

 そう問われたキヨであるが、現状では確信は持てない。ただ、アニーがもし彼等の仲間ならば、彼女を介して白マントの男と接触を試みることも出来るかもしれない。いずれにせよ、ラスティを拉致する理由が分からない以上、まずは話を聞いてみる必要があるように思えた。

「では、私が直接、話をしてみます」
「そういうことなら、フィアも、デザートのお姉さんに会いに行くよ」

 フィアがそう言い出すと、ルークとマライアもそこに同席することを希望する。こうして、彼等四人は、揃ってアニーとの対話に臨むことになったのである。

3.3. 三派三様

「ハイハイ、四人前ネ。じゃあ、今日は特別に温州蜜柑入りヨ」

 突然、アニーの元を訪れたルーク、マライア、キヨ、フィアの四人に対して、彼女は嬉しそうにそう言いながら、自分の体から杏仁豆腐を次々と「取り出す」。「食べ物のオルガノン」である彼女にとっては、「多くの人達に自分を食べてもらえること」自体が無上の喜びであるらしい。その面妖な光景にルークが呆然とする中、彼女はキヨに問いかける。

「で、今日はドシタネ? 姫様の話? ワンコの話?」

 そう言われたキヨが、言いにくそうな顔を浮かべながら口を開く。

「昨日の『会わせたい人がいる』という話ですけど……」

 そう言った瞬間、アニーの表情が、一瞬にして険しくなる。

「……それ、今、ここでスルカ?」

 彼女はこの場にいる「他の三人」の顔を確認した上で、更に問い詰める。

「それとも、もう皆に話シタ?」

 キヨが静かに頷くと、アニーはより厳しい表情を浮かべる。無理もない。この話をルーク達に話したこと自体が、彼女にとっては、自分の身を危うくさせかねない行為である。アニーにしてみれば「キヨのことを信用して話したのに、裏切られた」という気分になるのも、当然の話であろう。

「領主様には言テル? 姫様には?」

 もし、アニーがパンドラと繋がっているということがエルネストの耳に届けば、それだけで十分に逮捕案件である。エルネストの立場にしてみれば、少なくとも一つの町を預かる領主として、その事実を隠蔽するだけでも、「反社会的勢力を助長した」として、今度はエルネスト自身が罪に問われかねない問題となる。

「……話したのは、ここにいる人達だけです」

 そう言われたことで、アニーもほんの少しだけ表情が緩む。だが、それでも、ルーク達の立場が分からない以上、まだ安心は出来ない。

「それは、この人達に話して、問題ない思タカラ?」
「私は、この人達を信じています。この人達は、あなたの考えを知ったところで、それを頭ごなしに否定するようなことはしません」

 キヨがそう答えると、ルークもそれに続いて口を開く。

「そうです。私達は、あなた方の考えを否定しにきたのではありません」

 そう断言するルークであったが、それに対して、逆にアニーが訝しげな表情を深める。

「『私の考え』、どこまで知テル? 私、この子にもそこまで詳シク言テナイヨ?」

 そう言われた瞬間、ルークもキヨも、自分達の憶測が早計であったかもしれない、という考えが頭をよぎる。彼等は、彼女が「パンドラ楽園派」の仲間であるという前提の上で交渉に来たものの、まだそう断言出来る要素は揃ってはいなかった。

「アナタ方、私のコト、何考えてる思テル?」

 そう問われたルークであったが、ここは一旦、先入観を捨てて話を進めるために、憶測でしか答えることが出来ないその質問をあえて無視して、率直に今の自分達の目的を告げる。

「私達は今、仲間を探しているのです。その仲間が今、とあるオルガノンに囚われているらしくて、その人に会うための手がかりを探しているのです」

 真剣な眼差しでそう訴えかけるルークに対して、アニーは溜息を零しつつ、淡々と話し始める。

「アナタ達が会いたい人、多分、私知テル。『Tower of the Sun』ね」

 それが彼の名なのかどうかは分からない。ただ、「Tower」という名からして、おそらくその可能性が高そうである。

「彼とワタシ、どっちもパンドラ。でも、立場チガウ。彼は楽園派、ワタシは均衡派。ワタシは、人と共存する世界続けたい。ダカラ、皇帝聖印阻止する。彼等は、人を拒絶する。ダカラ、人と違う道を進む。でも、時々協力することもある。目標違うけど、共通の敵多い。だから、彼がここにいること、ワタシ知テル。知テルシ、少し情報も教エテル。でも、ソナニ仲いい訳じゃない。ワタシの目標、皇帝聖印ノ阻止。それだけ。強い力持つ君主、私達の敵。でも、共存するつもりあるなら、皇帝聖印目指さないなら、私達の味方。あなたは、どっち?」

 どうやら、パンドラの中にもいろいろな立場があるらしい、ということは分かったものの、彼女の話を聞いても、今ひとつその具体的な関係性は見えてこない。ただ、彼女の問いに対する答えだけは、ルークの中で(昨夜の会話を通じて)ある程度はまとまっていた。彼はキヨに視線を向けながら、やや歯切れの悪い口調ながらも、自身の考えを述べる。

「私は、彼女の仮の主人として、話を聞きました。私は彼女とこれまで旅を続けてきて、一人の仲間として彼女のことを考えています。やはり、彼女がいなくなるのは悲しくもあります。出来れば、別れることにはならない方がいいと思っています。それに、皇帝聖印を目指そうというようなこともありません。私は、君主として、自らの領地の安寧を目指していくのみですから」

 それを聞いたアニーは、少し間を空けた上で、もう一度溜息をつきながら語り始める。

「……ふむ、ワカタ。少なくともアナタ、そもそも皇帝聖印の器じゃない。ダカラ、心配ない」

 本気で皇帝聖印を目指す人物なのであれば、心の中に「迷い」があってはならない。ルークの心の中にその「迷い」を見出した彼女は、少なくとも彼が自分達にとっての「危険人物」ではないことを確信したようである。

「で、その、『Tower of the Sun』がアナタ達の仲間、拉致してる。一応、ワタシ達のボス、『楽園派とは喧嘩するな』言テル。でも、アナタ達が喧嘩すること、ワタシ知ったことじゃない。でも、手助けは出来ない。私に何望ム?」
「出来れば、仲介をお願いしたかったのですが、協力して頂けないとなると、それも無理ですよね……?」
「話するだけなら、別にイイヨ? 皆が何するかは知ラナイ。ワタシは彼とは喧嘩シナイ。会った後、皆が喧嘩するのは、私知ラナイ。私の責任ジャナイ」

 どうやら彼女もゴーウィン同様(?)、あの「白い塔」とは複雑な関係のようであるが、少なくとも全面的に彼と協力関係にある訳ではないらしい。

「ただ、多分、平和的解決、難しい。あの男、アナタ達の正体知テル」

 そう前置きした上で、彼女はここで(誰もこのタイミングで彼女から聞こうとは思っていなかった)重要な情報を伝える。

「今、ラピスの混沌災害引き起こしてるの、元パンドラの人。でも、彼女は均衡派でも楽園派でもナカタ。彼女が所属シテタのは、革命派。革命派は、エーラム倒すこと第一。エーラム支配打倒が目的。だから『エーラム嫌い』が多い。あの女魔法師、元パンドラ革命派。ただ、途中で、考え合わなくなたらしい。で、今、パンドラ抜けて、独自に動いてる」

 おそらく、この「女魔法師」とは、アンザのことだろう。アニーのこの証言が本当なら、彼女がラピスを占領した背景には、エーラムへの憎悪が関わっている可能性が高いという。ただ、マライアが知る限り、少なくとも時空の狭間に消えるまでの彼女には、エーラムそのものに対して敵意を見せるような様子は、全く見えなかった。

「でも、一部のパンドラとは、まだ接点ある。Tower of the Sunは、あの女魔法師と取引してるらしい。多分、あなた達の仲間、取引の材料。私が言えるのは、ここまで」

 つまり、彼女の見解が正しければ、あの白マントの男は、ルーク達によるラピス奪還を阻止しようとするアンザに協力するために、ルーク達の行動を妨害している、ということになる。ただ、彼とアンザが必ずしも全面的な同盟関係ではないのであれば、交渉次第ではどうにかなるかもしれない。もっとも、相手に関する情報がこれ以上に手に入りそうにない現状では、その解決の糸口も掴めないのが現状ではあるのだが。

3.4. 白昼の白塔

 とはいえ、ゴーウィンもアニーも仲介役にはなってくれそうにない以上、こうなったら後は直接出向いて交渉するしかない。そのために、ひとまずマライアが神経を集中して、改めて白マントの男の位置を探そうとした結果、町外れの辺りで、「ラスティの気配」と「ティリィの気配」が、極めて近くにいることが分かる。どうやら、ティリィが白マントの男と接触しているらしい。
 ここまでの情報を聞かされていないティリィをそのまま放置しておく訳にもいかないと考えたルーク、マライア、キヨの三人は、すぐにその現場へ向かおうとする。そして、まだ状況がよく分かっていないフィアも、自ら彼等に同行した。

(この物語の結末は、ちゃんと見届けないとね)

 そして彼等がマライアの後を追って走りだす直前、キヨはアニーにこう告げた。

「私も、人と投影体の共存出来る世界が訪れたら良いと思っています。だからと言って、パンドラに協力するという訳にはいきませんけど、でも……」
「それがあなたの道なら、それでイイネ。やり方違っても、どこかでイイ形で交わるかもしれない。そうなることを願テル」

 そう言って送り出すアニーの笑顔を背に、彼等は現場へと向かう。そして、彼等が到着した場所は、あまり人気のない、建物すらも殆ど立っていない地区であったが、そんな中に巨大化した(まさに「塔」の大きさとなった)「Tower of the Sun」がそびえ立ち、その横にはティリィが倒れていた。まだ息はあるようだが、かなり深い傷を負っているように見える。

「ティリィ!」

 ルークがそう叫ぶと、彼女はなんとか起き上がろうとする。まだそれだけの気力は残っているようだが、身体がついていかない様子である。そして、そんな彼女の姿を見たフィアは、どこか既視感を感じる。

(あの子、確か、マージャの孤児院の……)

 実はフィアがパルテノに到着する以前、まだブレトランドの内陸部を旅していた頃に立ち寄ったマージャの村の孤児院で、彼女はティリィと会っている。もっとも、当時はまだどちらも邪紋の力に目覚める前だったので、今とは雰囲気も大きく異なっていたのであるが。
 一方、そのティリィの前に立ちはだかる巨大な白い塔もまた、ルーク達の姿を見て、思わず大声を上げる。

「またお前達か!」

 どこから声が出ているのかは分からないが、「中央の顔」の目が、鋭くルーク達を睨む。そして、その中にフィアの姿がいることを確認したその「顔」は、複雑な表情を浮かべる。

「あなたはやはり、彼等の仲間だったのですね」
「ちょっと違うかな。フィアが仲間になったのは、さっきだから」

 つまり、昨夜の衝突の時点ではまだ彼女は彼等の仲間ではなかった、ということが言いたいようだが、それは同時に「今は仲間になった」ということを意味した言葉でもある。だが、その白塔は、あえてその言葉を、自分に都合がいいように解釈した。

「ならば、あなたが仲間になる前に起きたことが原因のこの問題に対して、あなたが手を出す義理はない訳ですね」
「そう、なっちゃう、かなぁ〜」

 フィアはそう言いながら、ルークを見る。ルークとしては、手伝ってはほしいが、まだろくに事情も分かっていない状態では無理強いは出来ない、という心境でもある。
 そしてルークがどう反応すべきか迷っている間に、Towerは更に語り続けた。

「今すぐ、そこをどいて下さい。そうすれば、あなたを傷つけずに済む。あなたが傷つくと、悲しむ人がいる。私はあの人の心を傷つけたくはない」

 そう言われたフィアは、もう一度、ルークを見る。ルークとしては、彼等の会話のペースに巻き込まれると話が混乱すると考えたのか、率直に本題に切り込む。

「すいません、そこに倒れているのは私の仲間なのですが、あなたは何の目的で、そんなことを?」

 一応、まだ交渉による解決の可能性もあり得ると判断したルークは、最低限の礼は通す形で、そう問いかける。

「あなた達がやろうとしていることによって、私の友人が困ることになる。だから、あなた達には、私の中で眠っていてもらいたい」
「私達のやろうとしていること? それは、ラピスの混沌災害の沈静化か?」
「そう。彼女の目的が終わるまで、私の中で眠っていてもらいたい。私も、手荒なことはしたくない。まぁ、一人二人欠けるだけでいいのか、全員が邪魔なのかは分からないが」

 「彼女」というフレーズが、誰を指しているのか、この時点では確証は持てない。だが、先刻のアニーの説明が正しければ、おそらくはアンザのことであろう。

「彼女の目的?」

 マライアがそう問い返すと、その塔は淡々とした口調で応答する。

「知る必要はないし、知ってどうなるものでもない。知っても理解は出来ないだろう。理解出来るとしたら……、そこの日本刀くらいかな」

 「中央の顔」の瞳がキヨの方を向いた状態でそう言う。なぜ、キヨならば理解出来るのか? キヨがオルガノンだからなのか? それとも、キヨが地球出身だからなのか? あるいは、他に何か特別な理由が、キヨには隠されているのか? 突然引き合いに出されたキヨも、どうそれがどういう意味なのかは分からない。

「さて、そこをどいてもらえませんか? そこにいると、あなたも巻き込んでしまう」

 改めてフィアに対して塔はそう告げるが、フィアは逆に問いかける。

「じゃあ、フィアも眠らせるってこと?」
「あなたが彼等に同行しないなら、あなたに対してどうこうする気はない。ただ、その前に一つ聞きたい。あなたは、あの方の絵をどう思う?」

 突然、全く脈絡のないことを聞かれたフィアであったが、彼女は素直に、自分の思うところを答える。

「フィアは、アリだと思うよ」
「そうか……。やはり、あなたには、あの人の才能を理解が出来るだけの知性と感性が備わっている。ならば尚更、あなたを殺したくはない」

 ここでしばしの沈黙が流れる中、既にボロボロの状態のティリィが立ち上がり、そして目の前にそびえ立つ白い塔に向かって、その大鎌を振るおうとする。

「もう誰も、犠牲にさせはしない! ここは私が!」

 そう叫びながら、ルーク達の前に、満身創痍の状態の彼女が立ちはだかろうとする。さすがにこの状態では、もはや交渉で解決するのは難しいと考えたルークが矢を放つと、その一撃は塔の中心部の顔に深々と突き刺さる。
 その一撃で「中央の顔」の表情が歪むと同時に、その塔の突先に位置する「頂点の顔」が、周囲の混沌を吸収し始める。彼はその混沌を灼熱の太陽のごときエネルギーに変えて、目の前にいる者達に向けて照射しようとしていた。だが、次の瞬間、誰も予想していなかったことが起きた。その塔の中から、パブロが飛び出して来たのである。

「フィア、逃げろ!」

 そう言いながら、彼はフィアを庇おうとする。だが、結果的に彼が出てきたことで、塔の照射のタイミング一瞬遅れ、その隙にフィアはあっさりとその攻撃をかわす。一方で、他の者達はその照射を直撃してしまうが、すぐにその直後にマライアが全員に対して回復魔法をかける。瀕死の重傷に追い込まれてティリィも、どうにかその魔法で息を吹き返した。

「ティリィ、あなたは、皆を呼んできて!」

 マライアにそう言われた彼女は、ひとまずそのマライアの言に従ってその場を離れる。更にマライアがフィアの肉体を強化する魔法をかけると、フィアは「風」と「火」をまとった状態で塔の懐に入り込み、隠し武器を一気に塔に向けて投げつける。更にそれに続けてキヨがその本体部分に対して激しく斬りかかり、ルークが更に矢を射かけたことで、その白き巨体に、少しずつヒビが入り始める。
 だが、それでも塔は崩れず、最後の力を振り絞って、その身を回転させて鋭利な両手(?)の突先で、彼の周囲に立つ者達を切り刻もうとする。

「先生、さがって下さい! 殺しはしないから!」

 塔はそう叫びながら、フィアとキヨに向かって両突先の猛威を奮うが、フィアはあっさりとそれを避ける。風の加護を受けている時の彼女は、並大抵の攻撃であれば容易に避けてしまう。一方でキヨはその斬撃を直撃して重傷を受けるものの、ルークの聖印と、そしてフィアの邪紋の力によってその打撃を軽減されたことで、どうにか倒れずにその場に踏みとどまった。
 そして、続くルーク、キヨ、フィアの連続攻撃で、ついにその白塔のヒビが全身にまで行きわたり、内側から何かが揺らぎ始める。

「芸術は……、爆発だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 「塔」は自身を生み出した創造主の言葉を叫びながら、木っ端微塵に爆散する。そして、その飛び散った破片と煙の中央部には、昏睡状態のラスティが倒れていたのであった。

4.1. 去りゆく友人

 ラスティに息があることを確認したルークは、その場から逃げようとしたパブロの身柄を確保すべく、彼の退路を塞ぐように回り込む。すると、彼は達観したような表情で問いかけた。

「俺をどうする? どこかに引き渡すでも、この場で首を撥ねるでも、どちらでも構わない。どちらにせよ、この世界にいる私は、かりそめの存在なのだろう? ここで殺されても、本来の世界に戻るだけのことだ」

 どうやら、彼はこの世界の真理を聞かされた上で、達観した視点からその事実を受け入れているらしい。

「いや、私は、君をどうこうしようというつもりはない。ただ、話が聞きたいんだ。君達が加担している勢力について。君達が、ラピスの透明妖精を操っているのか?」
「少なくとも俺は知らないし、今の楽園派の連中も、おそらく関わってはいない。あの魔法師は、もともと革命派で、エーラムに恨みがある奴だと聞いている。今、お前達が倒したあの『塔』は、彼女に個人的に友誼があるということで、協力していたらしいがな」

 どうやら、ほぼアニーが語っていた通りの事情のようである。ただ一つ、彼女の憶測と異なっていたのは、「塔」がアンザに協力していたのは「取引」のためではなく、「個人的な友誼」が理由、という点であるが、これについては、どちらの解釈が正しいのかは分からない。

「そうか、ならば、私からあなたにすることは、もう何もない。せめて、フィアのところに行ってやってくれ」
「確かに、見ず知らずのあんたに、生殺与奪の権利を押し付けるのも、無責任な話だな」

 そう言って、パブロは少し離れた場所にいたフィアの所へ近付く。

「好きにしてくれればいい。今まで黙っていたが、俺はこの世界の住人ではない。と言っても、元いた世界の記憶も、そんなに残っていないんだがな。Sunが言うには、元いた世界では、俺は『世界一の画家』だったらしい。どこまで本当かは知らないが、あいつは俺の芸術を理解してくれた。だから、俺としては、あいつに協力したかったんだがな」
「フィアは別に、どうもしないよ。お兄さんが生きる道は、お兄さんが決めるんだから」

 実際、フィアとしては、最初からパブロを拘束するつもりはなかった。彼が自らの意思で新天地を選ぶのであれば、それに対して文句を言うつもりは、彼女の中にはない。

「あんたらは、どうなんだ? 俺は『あんたらの仲間を拉致した奴』に協力していたことになるんだが」

 そう問われたマライアとキヨは、それぞれに思うところを述べる。

「私としては、ラスティは生きて帰ってきたから、特に恨みもないわよ。後々、どこかで衝突することになるかもしれないけど、今の時点であなたをどうこうする理由はないわ」
「同じ投影体として、この世界に存在したいという気持ちは、私にも分かります。だから、今、あなたをどうこうするつもりはないです。出来れば、争いを生まないようにしたいですが」

 あまりにも寛大すぎる措置に対して、逆にパブロの方が面食らったような表情を浮かべつつ、彼は再度、ルークに対して確認する。

「そうか。では、俺がこれから、どこに行こうが感知しない、ということでいいのか?」
「フィアを庇おうとしてくれたしな」
「……いらんお世話だったようだがな」

 実際、おそらくあのタイミングでパブロが飛び出さなくても、フィアはあの太陽光の一撃を避けていただろう。それは、その後の彼女の戦いぶりからも想像は出来る。

「いずれにせよ、彼女を庇おうとしたあなたのことは、悪い人だとは思わない」
「そうか……。ならば俺は、俺の生きるべき場所で生き続けることにする。もし機会があれば、いずれあんたらの絵も描かせてほしい」

 パブロはそう言いつつ、ふとキヨに目を向ける。

「特にあんた、東方の国の出だろう? パリで流行ってるという話を聞いたことがあるし、俺も前々から興味はあったんだ。とりあえず、今の俺は、こいつを持って帰らなければならない。またどこかで会う機会があればいいな」

 そう言って、太陽の塔の残骸の中から、「中央の顔」の部分を持って、その場を去って行く。フィアは、そんな友人の背中を、静かに見送るのであった。

4.2. 旅立つ少女

 そして、この一連のやり取りを終えた直後、シドウ率いるパルテノの警備隊と、ティリィが連れてきた邪紋使い達が、戦後の現場に到着する。

「とりあえず、事態を説明してもらおうか?」

 やや困惑した状態のシドウに対して、フィアは一言で答える。

「隊長さん、やりすぎちゃった」

 彼女は悪戯っぽく笑いつつ、それ以上の説明は避ける。確かに、この塔に対して最も激しい打撃を与えたのは、彼女の一連の攻撃であった。

「そ、そうか。で、結局、こいつは何者だったんだ?」

 その点についても、彼等はやや言葉を濁す。彼の正体について詳しく説明すると、パブロの行方を詮索されることにもなりかねないし、情報源がアニーであることも説明する必要が出てくる。フィアもキヨもそれを望んでいないことは理解していたからこそ、ここは「よく分からないが、襲われたから倒した」という言葉でごまかした(一応、その後、ゴーウィンからの説明が加わったこともあって、なし崩し的にそれ以上の追求は立ち消えとなる)。
 そして、領主の館に戻ったルーク達に対しては、エルネストが深々と頭を下げる。

「町の治安を守る者として、お客人を危険な目に遭わせてしまって、申し訳ない」

 彼は大変恐縮した様子ではあったが、ルーク達にしてみれば、むしろ自分達が招き入れた外敵でもあったため、ここで頭を下げられるのは筋違いのようにも思えた。なお、透明妖精に関しては、あれ以降、目撃情報は見つかっていない。どうやら、彼等はあくまでも斥候的な存在であり、ルークの存在を確認したことで(そして、容易には倒せない相手であることを実感したことで)、ラピスへと帰還したようである。
 その上で、エルネストは改めて、フィアにルークへの協力を依頼する。

「フィアールカ、私としては、画家として成長したお前の絵を見てみたいが、その前に、ラピスをどうにかしなければ、絵を描くどころではなくなってしまうかもしれない」
「絵はどこでも描けますよ、領主様。それに、何事も経験ですし」
「そうだな、では、このブレトランドを救うために、ルーク殿に協力してくれるか?」
「フィアはいつも通り、好きにやらせてもらいますよ」

 ルークとしては、いまひとつ、フィアがどういう少女なのかよく分からない状態ではあったが、こうして積極的な姿勢を示してくれたからには、素直に彼女とも仲間としての契りを結ぶ。

「じゃあ、これからも力を貸してくれるかな?」
「よろしくお願いしますね、君主のお兄さん」
「あぁ、一刻も早く、ラピスの混沌災害を鎮めに行こう」

 こうして、遂に「七人目の邪紋使い」がルーク達の仲間に加わった。そして、ルークは無事に彼女の中で「迷子のお兄さん」から「君主のお兄さん」へと昇格したのであった。

4.3. 物語の結末

 ただ、そんな中で一人、この状況に対して、微妙な違和感を感じていた人物がいた。フリックである。彼は、フィアが協力する意思を示してくれたことには感謝しつつ、最後の決戦のくだりを後から聞かされた時に、一つの疑念が生まれていた。そのことをフィアに問いかけてみる。

「最初に私からの説明が不足していたこともあって、色々混乱させてしまって悪かった。正直、彼等は『よく分からない人達』だとは思うが、仲間としては頼りになるし、これから旅を続けていけば、いずれ皆の良さも分かってもらえると思う。ところで、その上でひとつ聞きたいんだが、こんな『訳の分からない我々』のために、最後の戦いで、敵からは『退けば見逃す』と言われたにもかかわらず、協力してくれた理由は何だったんだ?」

 フリックには、カナハの村を守りたいという意思があった。他の仲間達にも、それぞれに「守りたい人々」や「討ちたい敵」がいたからこそ、ルークに協力する形になった者が多い。だが、最後の戦いの経緯を聞かされたフリックには、なぜ彼女があの状態で協力する気になったのか、その動機が分からなかったのである。
 だが、それに対する彼女の答えは、至ってシンプルであった。

「物語は、ハッピーエンドでなくっちゃ」

 正直、これでは答えになっているのかどうかも分からない。だが、彼女がそう言うのであれば、それが彼女の答えなのだろう。フリックとしては、これ以上の追求は無意味だと理解する。

「そうか。君のハッピーが、私達のハッピーと、同じハッピーであればいいな」
「そこは、お兄さん次第かな」

 そう言って、ひとまず彼女はその場を去り、そして出立に向けての準備を始める。そんな彼女の手荷物の中には、一束の「絵」がまとめられた袋があった。その中に描かれているのは、これまで彼女が旅して出会った人々、風景、出来事をまとめた絵画である。彼女はいずれこれを「紙芝居」として、バラッティーの孤児院の子供達に伝えたいと願っている(ちなみに、この世界に「紙芝居」という文化を伝えた人物についてはブレトランドの英霊4を参照)。それもまた、彼女が冒険者として生きる目的の一つであった。だからこそ、彼女は子供達に聴かせられるような「ハッピーエンドの物語」を、最後まで見届ける必要があると常に考えている。
 そしてこの日の夜、彼女はその「紙芝居」の続きを描いていた。「君主のお兄さん」を始めとする9人の仲間達との出会い、友との別れ、そして新たな旅立ち。そんな一連の紙芝居の中で、「盾のお兄さん」との出会いの場面を描いている時の彼女は、最も楽しそうな表情を浮かべている。もっとも、その感情が何を意味するのかは、彼女自身すらもまだ分かっていなかった。

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最終更新:2015年10月14日 12:41