第6話(BS23)「仁〜慈しむ心〜」 1 / 2 / 3 / 4


1.1. 「死神」と「詩人」

 アントリア北西部に位置するマージャ村は、数年前に魔境の出現によって一度は壊滅したが、白狼騎士団の軍楽隊長レイン・J・ウィンストン(下図)を中心とする人々によって復興され、現在はレインが仮領主を務めている(詳細はブレトランドの英霊2を参照)。


 そのレインの部下の一人に、ティリィ・アステッドという名の15歳の少女がいた(下図)。彼女は、若くして白狼騎士団の一兵士となったものの、なぜか彼女が所属していた部隊は常に「壊滅的な負け戦」となり、そんな中でなぜか彼女だけが毎回生き残る、という状況が続いていたため、いつしか彼女は「死神」と呼ばれ、他の団員達からは「お前と一緒にいたくない」と言われて、行き場が無くなった末に、レインの軍楽隊に拾われることになった。


 そして、レインがこの地の領主になった後、ティリィは、この地に新たに設置された「孤児院」の院長を任されることになった。マージャが一度壊滅した後、住民達は近隣の村々へと散り散りになったが、その中には、親を失った子供も多かった。当初は、そんな子供達を呼び戻すために設置された孤児院であったが、やがて、それに便乗して、周囲の他の村々からも「扱いに困った孤児」をこの村の孤児院に押し付けようとする人々が現れるようになる。
 だが、レインもティリィも、そんな子供達を喜んで受け入れ続けた。博愛主義者のレインには、困っている子供達を助けるのを断る理由は何も無い。そしてティリィもまた、戦場において多くの仲間達を犠牲に生き残り続けた日々に戻るよりも、子供達のために尽力する今の生活を続けることに生き甲斐を感じていたのである。
 この日も、ティリィは近隣の村々を回って新たな「孤児」を幾人か集めて、マージャへと帰還してきた。彼女の傍らを歩く子供達は、不安そうな顔でティリィを見つめる。

「お姉ちゃん、マージャって、どんな村なの? 変な人ばかりが集まる、よく分からない村だって聞いたけど……」

 子供の一人がティリィを見上げながらそう言った。確かに、マージャは領主のレインを筆頭に、多くの「変わり者」が集まる村としても知られている。

「変な人……、多いかもしれない……。あと、猫とか、犬も多い……。でも、そこを治めているレインさんは、いい人。あと、村の中に音楽が溢れている。私は、好き」

 ポツポツと、呟くようにティリィは答える。覇気のない声のようにも聞こえるが、どこか安らぎを感じさせる声質でもある。
 ちなみに、まもなく村ではレイン主催で「第2回マージャ国際音楽祭」が開催されることが発表されており、ブレトランド中から多くの音楽家達が集まり、いつも以上に美しい旋律が村の中に響き渡っている、そんな状態であった。

「大丈夫かな、そこで、他の子達と仲良く出来るかな……?」
「大丈夫。孤児院の子、みんな、いい子だから」

 ティリィは静かな微笑みを浮かべながら、そう伝える。やがて、彼女達が孤児院の前に辿り着くと、その入口付近で、強い「混沌の気配」を漂わせている一人の少女(下図)が、孤児院の子供達と戯れている様子が見える。歳の頃はティリィと同じくらいと思しきその少女は、子供達に対して、何かを読み聞かせているように見えた。


「ただいま」

 ティリィがそう言って孤児院の入口の前に現れると、子供達が笑顔で答える。

「あ、おかえり。おねーちゃん」
「その人は、誰?」

 怪訝そうな顔でティリィが尋ねると、その「混沌の気配を漂わせた少女」は、軽く一礼してティリィに語りかける。

「あら、あなたが、ここの孤児院の院長さんですか? 随分若い方なんですね」

 彼女の物腰は、どこをどう見ても「ただの人間」である。髪の色も肌の色も体格も、「普通のブレトランド人」にしか見えない。しかし、ティリィには分かる。彼女が「この世界の住人」ではないことが。ティリィには、数ヶ月前から、それを見分ける能力が備わっていたのである。おそらく、彼女はどこか別の世界の住人の「投影体」なのであろう。

「はじめまして。私はハーミアと申します。ヴァレフールのテイタニアから来ました」

 大陸出身のティリィは、ブレトランドの地理には疎い。だが、そんな彼女でも、ヴァレフールにテイタニアという街があることは知っている。伝説の妖精女王の名を冠したその街は、ヴァレフールの首都ドラグボロゥに程近く、混沌濃度も高いことから、いわゆる「冒険者」が多く集まる街としても知られていた。

「テイタニア……、それは、すごく遠い……」
「そうですね。実はちょっと『とある人達』に頼まれて、今回の音楽祭に出ることになりました。今は、ここの子供達に、自作の叙事詩を読み聞かせていたところです」

 そう言って、彼女は手製と思しき小冊子をティリィに見せる。彼女の周囲の子供達は、キラキラした瞳で、彼女の叙事詩の続きを聞きたそうな顔で見上げている。どうやら、彼女は「悪い投影体」ではなさそうだということを、ティリィは直感的に察知した。
 ちなみに、彼女が語る叙事詩の内容は、「異界からやってきた可憐な少女」と「その少女に見惚れた美しき貴公子」が「悪い伯爵令嬢」の妨害を乗り越えて結ばれる、という物語である。その「貴公子」のモデルは、タレイアでルーク達と遭遇したあのフランク・シュペルターの兄なのだが(ブレトランドの英霊6およびブレトランド八犬伝5参照)、そのことはこの物語とは全く関係ない。

「あなたも、他の音楽家の人達も、ブレトランド中から音楽祭のために集まってくれて、とても嬉しい。レインさんも、きっと喜んでる」

 ティリィが素直にそう述懐すると、ハーミアもまた笑顔で答える。

「ここの村の領主様は色々な意味で風変わりな人のようですが、どこか私の街の領主様と似た空気を感じるというか、なんとなく、居心地がいいですね、この村は」

 現在のハーミアの直属の上司にあたるテイタニア領主ユーフィー・リルクロードは、ヴァレフールの重鎮である「七男爵」の一人であるが、「不殺」を信念に掲げる変わり種の君主である。その意味では、確かに「Love & Peace」を掲げる騎士であるレインとも、どこか通じる部分があるのかもしれない(ちなみに、くしくも二人とも、その性格とは裏腹に騎士としては攻撃型の聖印の持ち主である点も一致している)。子供好きで温厚な性格で知られるユーフィーだからこそ、今回の「敵国での音楽祭」にハーミアが参加することを、快く承諾したのであろう。
 そして、ここでハーミアが思い出したかのように、孤児院の建物を見ながら、ティリィに問いかける。

「ところで、あの一番年上っぽい女の子が、元気がないようですが、どうしたんですかね?」
「年上……? ニコラのこと?」

 ニコラとは、現在の孤児院における最年長(12歳)の少女である。しっかり者で、いつも率先して年下の子供達の面倒を見てくれることから、ティリィが不在の時は、実質的に孤児院のまとめ役となることが多い。
 そして、まもなく開催される「第2回マージャ国際音楽祭」では、彼女を中心とする「マージャ少年音楽隊」が出演する予定であり、彼女はその中でも花形となるバグパイプの担当として、日々練習に励んでいた。少なくとも、ティリィが今回の引き取り任務で村を離れるまでは、特に変わった素振りは見せていなかった筈である。

「どうなんでしょうねぇ。恋煩いでしょうかねぇ。もしかしたら、厄介な年増女に嫌がらせを受けて、辛い思いをしているのかもしれません」

 何の根拠もなくそう語るハーミアであったが、ティリィにはなぜか、その彼女の言葉に、どこか不気味な「怨念めいた空気」を感じ取っていた。

「なんか、あなたの言葉……、なんていうんだろ……、重い?」

 そう呟きつつ、ニコラのことが心配になったティリィは、孤児院の中へと入り、ニコラの姿を探す。すると、すぐに院内を清掃している彼女の姿(下図)が目に入った。


 一見するといつもと変わらない様子だが、よく見ると、どこか表情に微妙に影があるようにも見える。それに加えて、彼女の微妙に膨らんだ胸のあたりから、ほのかに「混沌」の気配が生じていることにティリィは気付いた。少なくとも、これはティリィが出立する以前には感じられなかった気配である(なお、その膨らみ方が、出立前に比べて微妙に大きくなっているようにも見えたが、それはこの年頃の少女としてはごく普通の話なので、特に気に留めはしなかった)。

「ニコラ、ただいま」
「あ、あぁ、うん、おかえりなさい」
「私がいない間、何かあった?」
「え? ううん、大丈夫よ。特に病気になった子もいないし。みんな元気にやってる」

 ニコラは笑顔でそう答えるが、明らかに、どこか空元気のような様子にも見える。とはいえ、彼女が自ら語ろうとしない以上、そこで強引に聞き出そうという気にもなれなかった。彼女の胸から感じ取れる混沌の気配に、彼女自身が気付いていない可能性もある以上、ここは慎重に対応すべきであろう。

「そう。それなら、よかった」
「じゃ、じゃあ、私、夕食の支度してくるね」
「待って。私も手伝う。私がいない間、手間をかけさせたから」

 そう言って、二人は台所へと向かう。ティリィとしては、ニコラの現状が気掛かりではあったものの、ひとまず、彼女を初めとする孤児院の子供達と久しぶりに会えたことに安堵していた。

1.2. 流浪の歌姫

 マージャ村に到着したルーク達は、ラスティ達と合流するため、しばらくそのまま滞在することになった。本来の合流時点であるクラトーマまで戻る選択肢もあったが、行き違いになる可能性もある以上(そして、その過程でルークがまた他の面々とはぐれる可能性もある以上)、ここは素直にラスティ達が伝言を聞いてこの地に来るのを待った方が得策と考えたのである。
 そしてレピアは、どちらにしてもしばらく動けないのであれば、出発の日まではガブリエラの身の回りの世話をしたいと主張し、ルーク達としてもそれを拒む理由は特に無かったため、しばらく彼とは実質的に別行動を取ることとなった。ガブリエラもこの地に慣れるまでは色々と大変であろうことは、ルーク達にとっても想像に難く無い。
 そして、まもなく開催される音楽祭に向けて、多くの観光客がこのマージャを訪れる中、村の中を散策していたルークは、見覚えのある人物を見かけた。それは「流浪の歌姫」として知られる女性歌手ポーラ・ウィングスである(下図)。


 彼女は、圧倒的な歌唱力と、ステージ上で靴を脱いで歌うパフォーマンスで有名な人物であり、前回の「第1回マージャ国際音楽祭」では、準優勝の栄誉に輝いた人物でもある(ブレトランド戦記6参照)。かつてはオーキッドにも来訪したことがあり、その時はその美声と美貌で多くの男性住民達を虜にしていた。中でも特に彼女に入れ込んでいたのが、ルークの義兄(ラスティの実弟)のウォートであったが、むしろポーラ自身はルークに対して、特に執拗に色目を使っていたようである(もっとも、そのことにルークが気付いていたかは定かでないが)。

「あら? あなた、たしかオーキッドの領主家の、一番下のご子息様よね? もしかして、私の晴れ舞台を見るために、わざわざオーキッドから来てくれたの?」

 そう言って、彼女は軽く上目遣いで微笑みを浮かべながらルークに近付いてくる。

「あ、あなたは、ポーラさん? 以前は、オーキッドにお越し下さり、ありがとうございました。私の家臣達の士気も上がり、私の兄もあなたの歌に大変感服しておりました」

 やや戸惑いながらもルークがそう答えると、彼女はそのままルークに身体を密着させながら、問いかける。

「で? あなたはどうなの? わざわざここまで聞きに来てくれたということは、あなたも気に入ってくれてたんでしょ?」

 突然、露骨な態度で迫ってきたポーラに対してたじろぎながらも、ルークは落ち着いて正直に返答する。

「私は、たまたまこの町を訪れただけでして……、あなたも音楽祭に出場されるんですね」
「もちろんよ。え? じゃあ、私が出ることを知ら無かったってことは、あなたはもしかして、他のシンガー目当てで来たの? まさか、ロザン一座の双子じゃないでしょうね? 私、あんな小娘達に負けるつもりはないんだけど」

 ポーラが言うところの「ロザン一座の双子」とは、ティスホーンの武術大会の一回戦でエルバやラスティと戦ったメランダ姉妹のことなのだが(ブレトランド八犬伝4参照)、ルークは彼女達の本業が歌い手であることを知らないし、彼女達がここに来ているという話も初耳である。

「あ、いえ、音楽祭は、特にどの団体が、という訳ではありませんが……、まぁ、音楽祭は、せっかくなので、楽しませてもらおうと思います」

 実際のところ、ルークとしてはそう答えるしかない。あくまでも仲間との合流のためにこの地に立ち寄っただけのルーク達ではあったが、その間に音楽祭という風流な企画が催されるのであれば、それを楽しまない理由もない。

「そうね。全部聞いてくれれば、その中で私の歌がどれだけ優れているかも分かると思うし。そういうことなら、よろしくお願いね。あと、私はそこの宿に泊まってるから、いつでも来てくれていいわよ」

 彼女は意味深な言い回しで魔性の笑みを浮かべながら、ひとまずルークの前から立ち去って行く。だが、ルークの場合、仮に彼女の宿を訪ねようとしても、そもそも無事にたどり着けるか、という問題があった。そして、更にそれ以前の問題として、今のルークは、まず、自分達の泊まっている宿に無事に帰り着けるかどうかという問題に直面していたのであるが、そんなことをポーラが知る由もなかった。

1.3. 芸術家将軍

 一方、その頃、マライアは、自身の中に眠るシリウスの力を頼りに、「6人目の仲間」を探して、村の中を捜索していた。実は彼女は数日前から、この村に向かって、レピアとは別の「もう一人のシリウスの後継者の気配」が近付きつつあるのを感じ取っていた。しかも、それは明らかに、ラスティ達とはまた別の誰かの気配のように彼女には思えたのである。
 そして今日になって、その「気配」が村の中にまで入ってきたことを確信した彼女は、その発生源を探ろうとしていたが、音楽祭が近付いてきた今のこのマージャでは、村の各地から奏でられる様々な旋律が響き渡っていたこともあり、マライアとしても自身の「第六感」に神経を集中させることが出来ず、なかなかその正確な場所を特定出来ずにいた。
 そんな中、必死でその居所を探ろうと村の中を歩き回っていた彼女の前に、一人の壮年騎士が現れた。彼の名は、エルネスト・キャプリコーン(下図)。アントリアの北端に位置する港町パルテノの領主であり、生前のラピスの領主であったラザール・ゼレンの従兄弟にあたる人物でもある。彼は過去に何度かラピスを訪れたことがあり、マライアとも面識があった。


「おぉ、マライア殿! ご無事でしたか。ラピス陥落以来行方不明と聞き、心配しておりました」

 なぜ、この地に突然彼が現れたのか、マライアは一瞬困惑したが、すぐに事態を理解した。実はエルネストは、アントリア騎士団随一の風流人として有名で、芸術、特に音楽に秀でた才を持つことで知られており、「芸術家将軍」の異名を持つ。ダン・ディオードの戴冠(簒奪)以降、質素契約令によってアントリア内の芸術文化活動が抑制される中、その才が生かされる機会は減りつつあったが、今回このような形で音楽祭が開かれることになった以上、おそらくは彼もまた一人の音楽人として、今回の大会に参加することになったのであろう。

「お久しぶりです、あれ以来、色々ありまして……」

 マライアは、ようやく自分のことを知っているアントリア民に会えたことで安堵したのか、そのまま現在に至るまでの事情を一通り彼に話した。ここはもうヴァレフールや神聖トランガーヌのような「敵国」ではない以上、正体を隠す必要も無いのである。

「なるほど。つまり、オーキッドに養子に出したラザールの長男殿が、今はラピス解放の旗印となっている、ということですな」

 エルネストは合点のいった顔で素直に彼女の話を受け入れる。この時点で、彼の中では一つの「疑問」があったが、ひとまずそのことは棚上げした上で、真剣な眼差しでマライアに対してこう告げた。

「そういうことならば、私に出来ることがあれば、何なりと申し出て下さい。ラザールは我が従兄であり、彼の無念は何としても晴らしたいと思っています。今回の音楽祭では、彼等への鎮魂の念を込めて弾かせて頂くことにしましょう」

 エルネストはそう彼女にそう告げると、ひとまず自分の宿の場所を教えた上で、その場を立ち去って行った。ちなみに、彼の得意楽器は「ピアノ」である。この世界ではまだ極めて貴重な巨大楽器であるが、この「音楽の村」には数ヶ月前から最高級の「グランドピアノ」が設置されている。アントリアの社交界でも随一のピアノの名手として知られたエルネストもまた、前述のポーラ同様、この大会の優勝候補の一人であった。

1.4. 「九代目」の少年

 こうして、ルークとマライアがそれぞれに旧知の人物と遭遇している中、彼等の中で唯一、過去にこの村に来た経験のあるキヨは、村の守備隊長であるアマル(下図)の自宅を訪問していた。


 アマルは、彼自身が犬系(狼)の獣人の邪紋使いということもあってか、昔から犬好きで、彼の家では多くの「混沌災害で飼い主を亡くした犬」が養われており、「託犬所」「犬屋敷」などと呼ばれている。当然、食費も世話も容易ではないが、村の中の犬好きな人々がボランティアで手伝ってくれており、そんな彼等に対してアマルの家の使用人達が、まかない程度の食事や飲み物を振舞っていくうちに、最近では「犬カフェ」とも呼ばれるようになり、村の観光名所の一つとして認識されつつある。
 そして犬好きのキヨもまた、すっかりこのアマル邸の常連客となっている。大小多様な犬達に囲まれて幸せそうな表情を浮かべる彼女に対して、アマルは歓迎しつつも、一つ気になっていたことを問いかけた。

「なぁ、メアの方には、行かなくていいのか? あいつもお前に会いたがっていたが」

 メアとは、アマルと共にこの村の駐在武官を務める邪紋使いの少女である。キヨがこの世界に来て最初に出会った人物であり、ジニュアールと共に彼女にこの世界についての諸々について教えてくれた恩人でもある。ちなみに、アマルもメアも邪紋使いではあるが、「シリウスの後継者」ではないことは、既にマライアが確認済みであった。

「……あとで、お邪魔しようと思ってます」

 微妙にバツが悪そうな顔で、キヨはそう答える。キヨとしても、久しぶりにメアに会いたい気持ちが無い訳では無いが、それ以上に、今は目の前の犬達と戯れる時間の方を優先したいというのが、彼女の本音なのである。
 ちなみに、メアはアマルとは対照的に「猫派」であり、彼女の家もまた「猫屋敷」と呼ばれるほどに多くの猫達が入り浸る「村のもう一つの観光名所」となっていた。

「そうかそうか、やっぱり、そうだな。お前は『こっち側』だと思っていたよ」

 改めて、キヨが「同志」だと実感したアマルは、そう言って改めて彼女を歓迎する。アマルの犬屋敷とメアの猫屋敷は、決して競い合ってる訳でも、いがみ合ってる訳でもないのだが、やはり、自分と同じ趣向の仲間が増えることは、アマルとしても素直に嬉しいらしい。
 そして、二人がそんな会話を交わしている中、開け放しになっていた入口から、物珍しそうな表情を浮かべながら、やや風変わりな格好をした一人の少年(下図)が入って来た。


「へぇ、この世界には、犬カフェなんてものがあるんだな」

 そう呟いたその少年の姿に、キヨは見覚えがあった。そして彼もまた、キヨの姿(より正確には、その腰に差さっていたキヨの「本体」)を見て、驚きの声を上げる。

「お前……、もしかして、清光か!?」

 そう言われたキヨは静かに頷きつつ、静かに口を開く。

「あなたは、竜童明良(りゅうどう・あきら)くん、ですよね?」

 それは、キヨが地球にいた頃の「九代目の持ち主」の名である。彼は、地球を襲う異世界からの(「悪魔」や「天使」と呼ばれる)侵略者達と戦う力を持つ撃退士(ブレイカー)と呼ばれる能力者であり、その育成機関である「久遠ヶ原学園」に通う学生の一人であった。

「あぁ、そうだ。そうか、やっぱりお前だったのか。いや、さっきそこで翔に会って聞いたんだよ。お前が、人間の姿になって、この世界に現れてるって」

 「翔」とはおそらく、カナハ(第2話)とティスホーン(第4話)で遭遇した、キヨの十代目の持ち主である鴻崎翔のことであろう。明良と翔は幼馴染であり、それぞれ「撃退士」と「灼滅者」という異なる性質の能力者となり、それぞれに異なる性質の敵と戦いながら人類社会を守り続けてきた少年達である。翔がこの村に来ているという話自体、キヨは初めて聞かされたのだが、どうやら既に翔が自分の正体のことを明良に説明してくれているようなので、キヨは少し安心した上で、改めて目の前に明良の姿を見て、呟くように話しかける。

「あれから、また少し成長しましたね」

 当初、8代目の持ち主からキヨを譲り受けたのは、当時中学生だった明良であった。彼はキヨのことを気に入り、一生使い続けていくつもりであったが、やがて彼の身体が成長するに伴い、自身の潜在能力を限界まで引き出すためには、より大きな武器を使う必要がある、と久遠ヶ原学園の先輩に諭された結果、年下の幼馴染であった翔に、キヨを譲り渡すことになったのである。
 よって、キヨの記憶の中での明良は、まだ彼が中学生だった頃のまま止まっていたのだが、今、彼女の目の前にいる彼は、その体格からして、おそらく高校生くらいの年齢と思われる。どうやら、今キヨの前にいるのは、「キヨと別れてから数年後の時点での明良」の投影体らしい。
 そして、実は彼には「天使や悪魔と戦う撃退士」としての側面と同時に、もう一つの顔がある。そのことを思い出したキヨは「彼がこの村を訪れた理由」を即座に理解した。

「このマージャ村で、もうすぐ音楽祭があるんですよね?」

 そう言われた明良は、得意気な表情を浮かべる。彼は人類を守る撃退士であると同時に、本気でプロのミュージシャンを目指すベーシストでもあった。

「そう、それに出場するために、この村に来たんだよ。カノンも、ライトも、マヨネーズも、みんな一緒だ」

 「カノン」「ライト」「マヨネーズ」とは、いずれも彼のバンド仲間の名であり、キヨもうっすらと彼等のことは覚えている。どうやら、彼等もまた明良と一緒にこの世界に投影されてきたらしい。彼等四人は、いずれも名前の最初の母音が「A」であったことから「QUATRO ACES」という名のバンドを結成していた。明良はその中で、ベースとメインボーカルを担当している(彼等の詳細については 2013年度前期キャンペーン「エリュシオン」 を参照。なお、厳密に言えば、この世界にいる彼等は、このキャンペーンが始まる直前の時点で投影された存在である)。

「ただ、正直、今の俺の歌唱力じゃ、優勝は難しいだろうと思ってたんだ。そしたら、俺が地球にいた頃にファンだった、イギリスのポップ・シーンで活躍してたハーミアっていう女性シンガーが、この世界に来ていることが分かったから、彼女のいる街まで行って、全力で頼み込んで、一緒に出てもらえることになったんだよ。で、この音楽祭限定の特別ユニット『ハーミア with QUATRO ACES』として、さっきエントリーしてきたって訳だ」

 そう語る明良の目は、キラキラと輝いていた。彼の中での音楽を愛する純粋な心は、こちらの世界に来てからも衰えていないということを実感し、キヨはどこか安堵する。

「どこまでやれるかは分からないけど、あのハーミアが協力してくれる以上、全力で優勝を目指す。蟹鍋も楽しみだしな」
「蟹鍋?」

 突然登場した(この世界に来てからは)聞きなれない言葉に、キヨは目を丸くする。明良曰く、どうやら、今回の大会の「主賓(審査員)」が、旧トランガーヌ地方北部に位置する漁村スパルタの蟹料理屋の看板娘の「アカリ・シラヌイ」という人物で、彼女が働いている店の「蟹食べ放題券」が、今回の優勝者に与えられる商品らしい。
 実は、アカリ・シラヌイ自身もまた、明良や翔と同時代の地球から投影されてきた少女であり、地球にいた頃には音楽活動をおこなっていた女子高生であった。日頃は彼女の歌声がその蟹料理屋の名物らしいのだが、たまには他の音楽家も招いてセッションをしたいと考えた彼女の意向に、同じ音楽家としてのレインが応える形で、今回の「第二回マージャ音楽祭」が開かれることになったのだという。つまり、実質的には、優勝者には彼女の住むスパルタの村に行って、彼女と一緒に何曲か演奏することが、その「蟹食べ放題券」を受け取ることの条件でもある。

「久しぶりに、あなたの演奏が聴けるのを楽しみにしてもらいます」
「俺も、お前に聞いてもらうというのは、なんだか不思議な感覚ではあるんだけど、ぜひ、聞いていってほしい」

 そんな会話を交わしながら、久しぶりに「戦友」と出会えたことを素直に喜ぶ二人であった。

1.5. 孤独な「四女」

 本節は、このルーク達の物語の本編には全く関係のない話であるが、時系列の都合上、ここに挿入しておく(なお、ブレトランドの英霊2およびブレトランドの英霊7を読んでいない人は、読み飛ばしを推奨する)。

(キヨさん、いつになったら、ウチに来てくれるんだろう……)

 この村のもう一人の駐在武官であるメア(下図)は、猫屋敷と呼ばれる自宅で仔猫達の世話をしながら、心の中でそう呟いていた。彼女は今、精神的に極めて不安定な状態にあり、その心を癒すために、久しぶりにこの村に来た旧友と、猫を愛でながら他愛ない話に興じたいと思っていたのである。


 彼女には三人の姉がいた。「一番上の姉」は、自らの夫に殺された。そのことに激怒した「三番目の姉」は、「長姉の夫」への復讐のために、「伝説の騎士」の力を蘇らせた。両者の和解を願っていたメアは、「三番目の姉」との対話を続けていたが、そんな中、「長姉の夫」が「隣の島」の人々を救うために、その島に眠っていたもう一人の「伝説の騎士」と契約して、この地を去ってしまった。
 この状況で、「三番目の姉」の心は揺れていた。彼の居ぬ間にこの地の主権を奪還すべきか、それとも、彼を討つために、彼を追って「隣の島」へと渡るべきか。メアもまた、この予想外の事態にどう対処すべきか困惑していた。そんな二人の前に、行方不明だった「二番目の姉」が現れた。そして彼女の傍には、また別の「伝説の騎士」がいた。三姉妹で数日に渡って議論した結果、彼女達は一つの結論に辿り着いた。それは「三番目の姉」と「二番目の姉」(およびその二人の仲間)が、伝説の騎士と共に海を渡って「隣の島」へと向かい、「長姉の夫」よりも先にその島に住む「竜王」を倒す、という選択肢であった。
 「長姉の夫」の過去の所業の是非はともかく、「隣の島」の混沌を浄化しようとしている彼を殺すことは、君主として採るべき道ではない、という形で説得された「三番目の姉」は、「長姉の夫」を討つ前に、彼の聖印をこれ以上成長させないために、先に「隣の島の竜王」を倒してその地を平定するという、より建設的な選択肢を受け入れることになったのである。ちなみに「二番目の姉」と共に訪れた伝説の騎士(の依り代)と、そのもう一人の仲間の魔法師は、彼女達とはまた微妙に異なる思惑があったようだが、ひとまずは「隣の島」の浄化計画に協力する方針で落ち着いたようである。
 そして、当初はメアも彼女達について行くつもりであった。「隣の島」のことはメアが誰よりもよく知っている。「長姉の夫」と遭遇してしまった時に、両者の対立を未然に防ぐためにも、メアは自分が先導するのが当然だと考えていた。だが、「三番目の姉」は、もし自分達に何かあった時のことを考えて、「旧子爵家の血統」を残すため、あくまでもメアはこの地に残るべきと伝えた。この地に残る旧子爵派の人々をまとめる存在として、メアにはこの村に残るように懇願したのである。
 こうして、メアの二人の姉は、二人の「伝説の騎士」と共に、「隣の島」へと旅立って行った。メアは複雑な想いを抱きながらも、「マージャの治安維持」「旧子爵派の人々の暴走抑制」「これまで拾って育ててきた猫達の世話」という三つの重大な使命をまっとうしながら、姉達(と長姉の夫)の帰還を待ち続ける道を選んだのである。

(寂しいな……。キヨさん、早く来てくれないかな……。こないだ生まれたばかりのこの仔達なら、犬派のキヨさんでも、きっと気に入ってくれると思うんだけどな……)

 生後数ヶ月の三毛猫達の毛繕いをしながら、彼女は一人、キヨを待ち続けていたが、何日経っても一向に現れない。そうこうしているうちに、徐々に音楽祭当日が近付いてくると、必然的に駐在武官としての彼女の仕事も増えていくことになる。前回大会の「幽霊騒動」の際には多くの犠牲者を出してしまったが故に、今回はそのような失態を犯さぬよう、部下達には厳重な警戒を命じていた。
 だが、そんな中、彼女の元に不穏な情報が届く。どうやら、大会出場者として登録していた人達の何人かが、ここ数日の間に行方不明となっているらしい。複雑な個人的事情を内心に抱えつつも、今はこの村を守る一人の武官として、その事件の全容解決に専念しよう、と心に誓うメアであった。

2.1. 死神の本音

 こうして、街全体が音楽祭に向けて様々な様相を呈している中、マライアはようやく「シリウスの後継者の気配」の出所を特定することに成功した。それは、この村のはずれに位置する孤児院であった。マライアがその建物の前に現れた時、そこでは、地球人の少女ハーミアが子供達に何かを読み聞かせている様子が見える。

「ねぇねぇ、おねーさん、その女の子はその後、どうなったの?」

 すっかり子供に懐かれているハーミアを見て、マライアは彼女のことを、この孤児院の職員だと勘違いして、語りかけた。

「すみません」
「はい。なんでしょうか? というか、あなたも、ここの職員さんですか?」

 そう問われたマライアは、一瞬、困惑する。

「え……? あなたは、職員さんではないんですか?」
「いえ、私は、通りすがりのただの女子高生(High School Girl)です」
「あ、そうなんですか……。じゃあ、職員さんは?」
「さっき、随分若い院長さんっぽい人が、中に入っていきましたけど」
「私も、中に入っていいんでしょうか?」
「それは、私が決めていいことではないので」
「ですよねぇ」

 二人のそんなやりとりを横目に見ていた子供の一人が、すっくと立ち上がる。

「じゃあ、僕、お姉ちゃんに聞いてくる」

 そう言って、その子供が中に入り、台所にいたティリィの元へと向かう。

「お姉ちゃん、お客さんだよ」
「お客さん? 珍しい……」

 小首を傾げながら、ティリィはエプロン姿のまま、台所をひとまずニコラに任せて、玄関口へと向かった。そして、その姿を目の当たりにしたマライアは、彼女から「六人目」の気配を感じ取り、思わず大声で叫ぶ。

「あなた!!!」
「え? な、なんです?」

 突然のことに驚いたティリィに対して、マライアは少し呼吸を整えて答える。ようやく見つけた「シリウスの気配の発生源」を目の前にして、つい興奮してしまったようである。

「失礼しました。私はラピスの領主の元契約魔法師のマライアと申します」
「魔法師さん? 私は、ここの院長のティリィ。孤児院に、何か用?」

 困惑した様子のティリィに対して、マライアは「いつもの説明」を始める。

「あなたの身体から、特別な力を感じるのですが、何か邪紋などが身体に現れたりしてないですか?」

 いきなりそう言われたティリィは、内心少し驚きつつも、素直に答える。

「それなら、ある」
「それを、見せて頂くことは出来ますか?」

 そう言われたティリィは、素直に右手の甲をマライアに見せる。そこには確かに邪紋が刻まれており、そしてその中央には、今まで見てきた「五人」とよく似た「文字」のような何かが描かれていた。
 これは、数週間前に謎の「珠」が飛来して、彼女の身体に入り混んできた時に生じた邪紋である。ティリィにはその「珠」の正体が何なのかは理解出来なかったが、少なくともこの邪紋によって、彼女は自分が「邪紋使い」の力に目覚めたことは自覚していた。そしてそれは彼女にとって「子供達の身に危険が生じても自分一人で守りきれるだけの力」を得たことを意味しており、それ自体は本来ならば「望ましい力」の筈であった。しかし、彼女の中ではそれと同時に、どこか「割り切れない想い」を感じていた。それは、その「邪紋」の性質の問題である。彼女にとってこの邪紋からもたらされる力は、望まざる、というよりも「忌み嫌うべき力」だったのである。
 だが、そんなティリィの複雑な想いなど知る由もないマライアは、その邪紋を見て、歓喜の声を上げる。

「これ!!!」
「な、なに?」

 更に驚くティリィに対して、マライアは改めて、ラピスにおける現状と「シリウスの後継者」に関する一連の事情を説明する。今までとは異なり、アントリア本国に戻ってきた以上、細かい事情を隠す必要はない。

「ということで、あなたはシリウスの後継者の一人なのです」

 そう言われたティリィは、困惑しながらも、どこか納得したような表情で語り始める。

「その話、信じられないことはない。いきなり私にこんな力が湧いたこと、それだけで、すごく不思議。だから、別に、ありえないことじゃないと思う」

 だが、ティリィはそう答えつつも、申し訳なさそうな表情を浮かべながら話を続けた。

「あなたの話が本当なら……、私は、あなた達について行った方がいい。でも……、それは、出来ない」
「どうしてですか? 何か事情でもあるのですか?」
「私は、ここの孤児院の院長だから……。ここの子達を大切に思っているから……、放り出してどこかに行くなんて、出来ない。申し訳ないけど……」

 俯きながらそう答えるティリィに対して、マライアは、どう返答すれば良いか迷いながらも、過去の経験上、「ここで強引に説得しても、事態が好転するとは思えない」と判断し、ひとまずこの場は引き下がることを決意する。

「こんな、よく分からない話を信じてくれて、ありがとうございます。もし、また、考え直していただけるなら、私はいつでも待っています」
「分かった。でも、多分、私はここから離れられない……。それに、あなた達も、私と一緒にいない方がいい……」
「それは一体、どういうことですか?」

 そう問われたティリィは、更に暗い表情を浮かべながら答える。

「前と同じことが起こるかもしれない……。私と関わると、不幸になる……」
「不幸になる?」
「前にちょっと、そういうことがあった。それだけ……」

 そう語るティリィの重苦しい表情から、その点については触れるべきではなさそうだとマライアは察する。

「なにが過去にあったのかは私にはわかりませんが、わたしは、あなたの力を必要としていますので、ゆっくり考えてみてください」

 そう言って、ひとまずマライアは孤児院を去る。ティリィは申し訳なさそうな表情で彼女を見送りながら、再び台所へと向かった。

「ニコラ、ごめん。待たせてた。料理に戻る」

 すると、ニコラはその手で野菜を洗いつつ、おずおずと問いかける。

「そ、それはいいんですけど、さっきの話、大丈夫だったんですか?」

 どうやら、ニコラは密かにマライアとの話を盗み聞きしていたらしい。

「正直、私達のために、ティリィさんが大事な仕事に行けないんだとしたら、それは……。いざとなったら、小さい子達の面倒は私がみますから……」
「ニコラは、気にしなくていい。私がここにいたい、だけだし。それに、私はもう、戦うような生活に、戻りたくない。あの人達がどういう人達なのかは知らないけど、また戦いに巻き込まれる。そんな気がする……」

 ティリィにそう言われたニコラは、もうこれ以上、何も言えなかった。こうして、二人の少女はお互いに気まずい思いを相手に抱きながらも、黙々と他の子供達のための夕食の準備に勤しむのであった。

2.2. 魔境に潜む少女

 一方、ひとまず宿屋に帰還したマライアは、一足先に帰ってきたキヨに対して、孤児院での出来事を報告する。キヨもこの村の孤児院の存在は知っていたが、その院長がどのような人物かまでは覚えていなかった。ただ、マライアの話を聞く限り、今回もまた説得が難しそうな相手であると彼女も感じ取っていた。

「ところで、ルークさんは? まだ帰ってこないの?」

 マライアはそう問いかけるが、その返事はもはや「分かりきった話」である。キヨも困った顔を浮かべながら、「いつものやりとり」を繰り返す。

「また、迷ってるんじゃないかと……」
「そうだった。もう、別々に行動するのはやめよう。あの人、一人にしちゃダメだ」

 彼女達はこれまでもそのつもりだったのだが、それでも気付くと、なぜかルークは二人とはぐれてしまっている。それは、もはや「方向音痴」という次元を超えた、一種の特殊な才能なのかもしれない。


 二人がそんな会話を交わしていた頃、ルークは一人、「今まで見たことがない空間」に迷い込んでいた。彼は村の中を普通に歩いていた筈が、いつの間にか、なぜかマージャの近隣に広がる「魔境の森」の中に入り込んでしまっていたのである。
 この地の魔境は、ブレトランド全体の中でも最も混沌濃度が高いと言われる領域であり、これまで幾多の人々がこの地に足を踏み入れ、還らぬ人となっていた。そんなことを知らないルークは、ただ本能の赴くままにその魔境の中を徘徊し続ける。だが、彼の生来の「特異な方向感覚」のせいか、なぜか彼は絶妙なタイミングで魔物や混沌災害が発生する危険な区域を避けながら、(それどころか、なぜか途中で逆に精神力を活性化させつつ)魔境の奥地へと足を踏み入れてしまっていた。
 そして、そんな彼の前に、一人の少女(下図)が現れる。その姿から、明らかに「普通の人間」ではなく、おそらくは「魔族」と呼ばれる類の投影体であることは、すぐに分かった。


「あら、お客さんなんて、珍しいわね。私に会うために、ここまで来てくれたの?」

 やや幼い顔立ちながらも、どこか小悪魔のような笑みを浮かべながら、少女はルークに対してそう問いかける。

「君は誰だ? そして、ここはどこだ?」
「どこって、ここは私の『庭』だけど? ところで、あなた、歌は得意?」

 突然、訳の分からないことを言われたルークは、困惑しながらも素直に答える。

「歌の心得は……、特にはないが……」
「そっか、残念。でもまぁ、あなた、ちょっと私のタイプだし、特別に貰ってあげるわ。何かの役に立つかもしれないしね」

 彼女はそう言うと、その両目から禍々しい光を発しながら、ルークに対して奇妙な呪法を唱え始める。突然の事態に困惑したルークであったが、その謎の力の正体に気付けぬまま、やがて彼はゆっくりと意識を失っていくのであった……。

2.3. 魔女達の襲撃

 それから数時間後、ルークを探して、夜のマージャ村の中を歩き回っていたマライアとキヨは、領主の館の方角から、激しい物音が聞こえてくるのに気付く。どうやら、領主の館に侵入者が現れたらしい。ルークのことは気掛かりではあるが、この事態を放っておく訳にもいかないと思った二人は、領主の館へと向かう。すると、そこには信じられない光景が広がっていた。

「領主様をお守りしろ!」
「一人も逃すな!」

 館の衛兵達がそう叫ぶ中、彼等と対峙しつつ、その場から逃亡しようとしていたのは「背中に羽を生やした女性のような姿をした魔物達」と、彼女達をサポートするように後方から弓を放っている一人の「騎士」であった。真夜中であったが故に、その騎士の顔はよく見えなかったが、それでもマライアとキヨにはすぐに分かった。それが紛れもなく、今彼女達が探しているルーク・ゼレンその人であるということを。

「ルークさん、何をしているの!?」

 思わず、マライアはそう叫ぶ。だが、距離的に考えて明らかにその声が耳に入っている筈のルークからは、何の反応もない。
 そんな中、同じように領主の館の異変を聞いて駆けつけてきた少女がいた。ティリィである。彼女は、自身の武器である「大鎌」が入った巨大な布袋を担ぎながら、衛兵達を指揮している領主レインの傍らへと駆け寄る。彼女の大鎌は、その大きさも形状も威圧的すぎるため、日頃は人前には出さないことにしている。そして彼女自身、この大鎌の力を忌み嫌っており、あまり積極的に使いたくはない、という気持ちもあった。
 というのも、彼女の大鎌は、異界の「死神」の武器を投影した代物であり、彼女は「死神のレイヤー(模倣者)」の邪紋の持ち主なのである。仲間達から「死神」と揶揄されてきたティリィであったが、何の因果かその自分が「死神そのものの力」を手にするようになってしまったことで、より一層、自分自身が「死神」であると強く認識し、そんな自分のことを更に忌み嫌うようになってしまったのである。ティリィにとっては、「力」を手に入れたという喜び以上に、自分が「死神」の烙印からは一生逃れられないという現実(?)を突きつけられた苦しみの方が、遥かに大きかった。
 とはいえ、大恩あるレインに危機が迫っている以上、ここは「力」を使うことを躊躇する局面ではない。ティリィはそう自分に言い聞かせながら、レインに問いかける。

「レイン様、これは一体?」
「よく分からないけど、あの女の人達が突然、私の前に現れて、何か術みたいなのを仕掛けてきたのよ。で、それを跳ね除けたら、後ろからあの人が弓を射てきたんだけど……」

 そんな二人の会話が耳に入ったマライアは、思わず二人に駆け寄る。

「ティリィさん、今のこの状況、どういうことか分かります?」
「分からない。けど、レインさんを襲ってくるなら、看過は出来ない」
「でも、あの、弓を持ってる人、私達の連れというか、あんなことするような人じゃない筈なんです」

 「誤解」を生み出す可能性もある言い方だったが、それでもあえてマライアは正直にそう伝えた。その真剣な眼差しを真正面から受け止めたレインは、冷静に状況を理解する。

「じゃあ、きっと誰かに操られてるのね。さっき、あの女の人達が私に対してかけてきた術も、それっぽいカンジだったし。それに……」

 レインはそう言いながら、マライア、キヨ、そしてルークに目を向ける。

「あなた達とは、ティスホーンで一緒に混沌と戦った仲だしね。私はあなた達を信じるわ」

 だが、そうは言っても、現実問題として、今のルークはレインに対して矢をつがえている。衛兵達の奮戦とレインの聖印の力のおかげで、今のところレインに直接的な危害はないが、このまま放置しておく訳にもいかない。そんな中、レインはマライアの右手に魔法杖が握られているのに気付き、彼女に問いかけた。

「あなた、魔法師よね? 魔法で彼を正気に戻せる?」
「やってみます!」

 マライアは「治癒」を専門とする「緑(本流)」の生命魔法師である。身体や精神に異変をきたした状況を回復させるのは、まさに彼女の得意分野であった(逆に、相手の身体や精神に異変を与える魔法もあるが、あまり日頃は使わない)。
 自分の魔法でどうにかなる状態なのか、半信半疑のマライアではあったが、今は他に選択肢がない以上、ひとまず、ルークに向かって、全身全霊を込めて、体内の全ての異常状態を回復させる生命魔法を打ち込む。すると、ルークは一瞬、意識を失ったような表情を見せるが、次の瞬間、マライアと目が合って、困惑したような顔を浮かべる。

「マ、マライア? ここは一体……」

 その様子を見て、マライアは改めて叫ぶ。

「大丈夫!? 何があったの!?」

 そう問われたルークであるが、そもそも今の自分が置かれている状況を理解出来ていない様子である。

「私は一体、何を……?」
「こっちの台詞よ。あなた、どこで何をしてたの?」
「私は、宿に帰ろうとしていたら、いつの間にか、よく分からない所に入り込んでいて、魔物のような人のような少女と遭遇して……」

 困惑した表情のままその場に立ち尽くすルークであったが、ひとまず、彼が正気に戻ったと判断したレインは、衛兵達には彼を無視して女性型の魔物を攻撃するように命じる。だが、結局、その魔物達はそのまま夜空の中を空高く飛んで、逃げて行ってしまった。
 そして、ルークの周囲を、まだ警戒した表情で睨みつける兵達が取り囲む中、ティリィは彼に近付き、その身体から発せられる「匂い」を感知する。

「あなたの身体の周囲から、かすかに混沌の匂いがする。どこか、混沌濃度の高い所に、行っていた?」
「混沌濃度……? そうか、あそこは魔境だったのか!」

 ようやく気付いたルークに対して、マライアは呆れ顔でそう言い放った。

「もう、絶対にあなたは一人にはさせないわ!」

 マージャの近くに魔境の森があることはマライアも知っていたが、まさか、無意識のうちにその魔境にまで足を踏み入れてしまうとは、さすがにマライアも想定外だったようである。
 その後、自分がこの地の領主であるレインに向けて弓を放っていたという事実を説明されたルークは、思わずうなだれて、その場に膝をつく。

「私としたことが、なんということを……」
「あぁ、うん。大丈夫よ。人の心を操る魔物というのは、ちょくちょくいるし」

 レインは笑顔でそう慰めるが、さすがに「ちょくちょくいるから」という理由で済まされる問題ではないことは、ルークが一番よく分かっていた。

「その術にはまってしまった私が未熟だったということです。この度は、大変ご迷惑をおかけ致しました……」

 そう言って深々と頭を下げるルークであったが、レインは特に気にした様子もなく、冷静に今のこの状況を分析する。

「それにしても、危険よね。聖印を持つ君主の人ですら操られるということは、普通の人なら、まず抵抗出来ないでしょうし。目的は分からないけど、とりあえず、警戒した方がいいわね」

 レインが呟くようにそう言うと、ルークは自分が呪法をかけられた時のことを思い出す。

「そういえば、意識が無くなる前、『歌の心得はあるか』と聞かれたような覚えがあります。何か奴等の目的に関係しているかもしれません」
「そうか。歌い手を集めてるということなのね。ということは、あなたも?」
「あ、いえ、私は出場者ではありません」
「うーん、じゃあ、歌い手が狙いとも限らないのね」

 レインとしては、前回の音楽祭の時に幽霊騒動への対応が遅れた結果、多くの出場者を事前に辞退させてしまったという悔恨があるだけに、今回は何としても、早い段階でこの事件を解決しなければならない、と実感していた。

2.4. 再交渉

 そんな中、ひとまず事態が収束したことを確認したティリィは、その場を立ち去ろうとするが、それをマライアが引き止め、ルークとキヨに対して、彼女のことを説明する。

「なるほど。あなたがシリウスの力を持つ人でしたか」

 ルークにそう言われたティリィは、やや困惑しながらも、淡々と答える。

「シリウスが何かは分からないけど、そこの魔法師の人に言われた力なら、ある」

 そう言って、ティリィは右手の甲を掲げる。そこに描かれている紋様を確認したキヨは、静かに頷いた。その中央に描かれていたのは、キヨの故国において用いられている「仁」という文字であった。

「こちらの方から聞いたかもしれませんが、私達には、あなたの力が必要なんです」

 ルークはティリィに対してそう熱弁するが、ティリィの表情は変わらない。

「その話なら、聞いた。答えも伝えた」
「事情があるのは分かっています。難しいとは思いますが、少し、お考えいただけないでしょうか?」
「事情は分かる。でも、また私とかかわって、戦いに巻き込まれて、不幸になるのを、見たくない……。今まで私と共に戦ってきた人達と比べて、あなた達に、その不幸に抗える力があるとは、思えない……」

 俯きながらティリィがそう答えると、ここで、そのやりとりを横で聞いていたレインが、横から割って入ってきた。

「あなた達がやろうとしていることはよく分からないけど、それは、どうしてもこの子でないとダメなの? たとえば、私が代わりに行く、とかじゃ、力になれない?」
「……お申し出はありがたいのですが、ラピスを襲った透明妖精と戦うことが出来るのは、視力に頼らなくても混沌の匂いを嗅ぎ分けることが出来るティリィさん達だけなんです」

 マライアにそう説明されると、レインは落胆しながらも納得した表情を浮かべる。

「そっか、難しいわね……。正直、私としては、この子がいなくなったら困るけど、ちゃんと帰ってきてくれるなら、少しの間、連れて行くのは構わないと思ってる。もちろん、この子自身がそれでいいなら、という前提の上での話だけど」

 現実問題として「少しの間」で済むかどうかは、ルークとしても保証は出来ない。それでも、ティリィの直接の上官であるマライアがそう言ってくれたのは、ルーク達にとってはありがたい話である。もっとも、ティリィ自身にその気がない状況では、それでもどうにもならない訳だが。

「いざとなったら、子供の世話は私でも出来るしね。もっとも、私と長く一緒にいると、なぜかあの子達、だんだん疲れたような顔をし始めるみたいだけど」
「……かもしれない」

 自嘲気味に語るレインに対して、ティリィも小声でそう同意する。レインは博愛主義者であり、子供達のことも無条件で可愛がりたがる傾向はあるのだが、時に度が過ぎて、子供達から敬遠されることもある。基本的には、人も猫も犬も、構い過ぎるのはよくないらしい。
 ここで、ティリィはニコラのことを思い出し、レインに質問してみる。

「私が離れている間、孤児院に来た?」

 その口調は、一般的な軍隊における上官に対する発言としては不敬を咎められても文句は言えないレベルだが、レイン自身が基本的にざっくばらんな性格なので、軍楽隊内では上下関係は基本的に緩い。そして、ティリィがレインに対して人一倍強い経緯を抱いていることは(それが口調に現れていなくても)レイン自身がよく知っている。

「行ってないわ。ニコラがいるから、大丈夫だと思ってたけど」
「ちょっとニコラも、元気がなかった」
「そっか……。あなたがいなくて、疲れたのかもしれないわね。あの子は頑張り屋だから、あなたがいない状態で、ちょっと頑張りすぎたのかもしれない」

 レインにそう言われたティリィは、ひとまず納得したような振りをして、その場は立ち去ることにした。ニコラの胸のあたりから感じられる混沌の気配について、レインに相談して良いものかどうか、この時点ではまだ彼女には判断がつかなかったのである。

2.5. 「影」の助言

 こうして、様々な混乱を引き起こした襲撃事件を終えた後、レインの一存で「全て不問」と裁定されたルークは、マライアやキヨと共に宿屋に戻り、夜明けまでの僅かな時間で仮眠を取ることになった。
 そして翌朝、彼等の前に、それまで別行動だったレピアが現れる。

「さて、君主様、昨日は何があったのかな? さすがに『僕が連れてきた人』がこの村の領主様を襲った、ということになると、僕の姉さんの立場にも関わるから、気をつけてほしいんだけど」

 いつも通り、涼しげな笑顔で彼はそう問いかける。その裏で何を考えているか分からないからこそ、ルーク達はその笑顔から、うっすらと寒気を感じ取っていた。

「僕としては、せっかく出来た『姉さんの安住の地』を壊してほしくないんだ。とりあえず、何かまた下手なことをする前に、僕に何か協力出来ることがあるなら、協力するけど、今、どういう状況?」

 そう言われたルークは、昨日の出来事を一通り全て説明する。自らの失態について説明するのは精神的には辛いが、ここで仲間相手に隠しておく訳にもいかない。

「なるほど、魔境か。確かに、ここの魔境は色々厄介らしいね」

 レピアはアントリアの文官として活動していたこともあり、マージャの近辺の魔境に関する噂も色々と聞いたことはある。「人の心を操る魔物」が出現したという話は初耳だが、そのような魔物の存在自体はそれほど珍しい話ではない以上、さほど驚くべき事態でもないように思えた。
 そして、レピアは次に「もう一つの議題」について問いかける。

「で、その、目星のついた人、ティリィさんだっけ?」
「あぁ。彼女は孤児院の院長という立場上、ここに留まらなければならなくて、村から外に連れ出すのは難しいらしい」
「つまり、僕の時と同じような状況、ということだね。僕にとっての姉さんが、その子にとっての子供達なんだろう。だとしたら、やるべきことは一つ。『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』という言葉を知ってるかな?」

 それは、この世界の東方諸国、あるいは異界の国に伝わるとも言われる格言である(おそらくレピアは、義兄のローガンあたりから聞かされたのだろう)。当然、ルーク達が知っている筈も無かったが、レピアが言いたいことは伝わった。つまり、レピアを説得する際にガブリエラが重要な役割を果たしたのと同じように、まずはティリィの孤児院の子供達の心を「味方」につける必要がある、ということである。
 その提案自体は確かに説得力のある内容のように思えたが、それに加えてもう一つ、マライアには気掛かりな点があった。

「あまり関係ないかもしれないですけど、彼女は『自分とかかわると不幸になるから』とも言ってました」

 その言葉の真意は、さすがにこの時点では誰にも分からない。だが、どうやらそれが、彼女の中での一つの重要な行動原理であるらしい、ということは、昨夜の発言からも読み取れる。

「それは、どうなんだろうねぇ。ただ、少なくとも僕は、結果的に君達と出会うことで、姉さんを助けることが出来た。だから、もし仮に、彼女が何らかの理由で『他人を不幸にする力』に取り憑かれているとしても、それ以上に君達の『他人を幸せにする力』の方が強い、ということを証明出来ればいいんじゃないかな。と言っても、具体的にどうやってそれを証明すればいいのかは分からないけど」

 とはいえ、実際のところレピアは直感的に、ルーク達にはそのような「他人を幸せにする力」があるように思えていた。無論、それはただの錯覚や思い込みなのかもしれない以上、自信を持ってその考えを口にすることは出来なかったが。

「じゃあ、僕の方でも、もう少し彼女の周囲について色々調べて、何か分かったらまた連絡するよ。しばらくは姉さんと姉弟水入らずで過ごそうかと思ってたけど、これ以上何か騒ぎを起こされたら、かなわないからね」

 そう言って、彼は静かに姿を消す。相変わらず、飄々としてマイペースな彼ではあるが、ルーク達としても、彼の「斥候」としての能力は高く評価している以上、ここは素直に、彼の助力を期待することにした。

2.6. 首都からの監査官

 こうして、レピアが独自に調査活動を始める一方で、ルーク達もまた説得の足がかりを探すために、改めて三人で孤児院へと向かうことにしたのだが、彼等が出発しようとしたその直前に、一人の若い魔法師(下図)がルーク達の宿を訪ねてきた。エーラムの制服を赤く染めた独自のデザインの装束に身をまとったその男は、落ち着いた物腰でルークに問いかける。


「私はスウォンジフォートから監査官として派遣された魔法師のラーテン・ストラトス。あなたが引き起こした昨日の事件について、確認させて頂きたい」

 彼の元に集まった情報によると、現在、幾人かの音楽祭の出場予定者達が行方不明になっているらしい。彼は第一回の音楽祭の折にも監査官として派遣としていたため、また今回も同じような混沌絡みの事件が起きているのではないかと、警戒を強めているようである。

「昨晩、あなたが魔境に迷い込まれたのは、どの辺りからですか?」

 そう問われたルークだが、実際のところ、彼がそこまで詳しい場所を覚えている筈がない。

「確か、あの辺りでポーラさんに出会った後で、宿に戻ろうとしたら、いつの間にか……」
「この人、方向音痴なんです」

 ルークに説明させても無駄だと思ったマライアが、そう言って割って入る。ラーテンとしては、ここ数日の失踪事件の手がかりとなる情報に繋がるかもしれないと考えてルークに接触したのだが、「方向音痴」の一言で片付けられてしまうと、それ以上何を言うことも出来ない。
 だが、常識的に考えて、いかに方向音痴といえども、無意識のうちに魔境に入り込むとは考え難いと判断したラーテンは、一つの仮説を思いつく。

「とりあえず、あなたと最後に出会ったのがポーラさん、ということは、あの人が何らかの術をあなたにかけて、魔境に迷いこませた可能性もありうる訳ですね」

 あくまでも一つの可能性として、ラーテンはそう言ってルークの反応を見るが、ルークの方は、ポーラのことをあまり詳しく知っている訳ではないため、それが現実味のある仮説なのかどうかも判断出来ない様子である。ちなみに、ラーテンの記憶にある限り、ポーラは君主でも魔法師でも邪紋使いでもなく、「ただ歌が上手いだけの一般人」の筈であった。

(もしかしたら、リン先輩にフラれたことで、ちょっとヤケになって、何か変な呪法に手を出したりしているのかも……?)

 内心でそんな突拍子もない仮説に思案を巡らせながら、ひとまずラーテンはルークからの聴取を終え、今度はポーラの宿へと向かうことになった。実際のところ、ルークが魔境に迷い込んだのは、純粋に彼の「常識を超えたレベルの方向音痴」だけが原因であり、ポーラにしてみれば、完全にとばっちりの容疑である。
 だが、結果的に、ここでラーテンが彼女の宿を訪問することで、ポーラの身に迫りつつあった一つの危機の発生が(ほんの僅かではあるものの)遅れることになる。とはいえ、この時点では誰もそんなことに気付いている筈もなかった。

2.7. 少女と仔犬

 ラーテンが去った後、改めて託児所に向かおうとしたルーク達は、その途上で、今度はポメラニアンの子供を連れているニコラと遭遇する。そのポメラニアンが、アマルの家で飼われている仔犬だということは、キヨにはすぐに分かった。どうやらニコラも、アマルの犬屋敷の住人達の世話を自主的におこなっている村人の一人らしい。ちなみに、キヨの記憶が正しければ、その仔犬の名は「ライラ」だった筈である。

「あ、あなた、昨日、孤児院に来てた、綺麗な人……」

 マライアを見るなり、ニコラは思わずそう呟く。それに対してマライアが軽く会釈で答えると、ニコラは改めて自己紹介した上で、心配そうな口調で問いかけた。

「昨日、ティリィさんがあなた達について行ってくれないと、この世界が大変なことになるかも、って言ってましたけど……」
「そうなんですけど、ティリィさんにも事情があるなら、無理に連れていくことは出来ません」

 マライアはひとまずそう答えた上で、ニコラの様子を伺う。すると、ニコラは申し訳なさそうな顔をしつつ、俯きながら呟いた。

「私がもっとしっかりして、皆の面倒を見ることが出来ていれば、そんなに心配させることはないんだろうけど……」

 その様子からは、年長者としての彼女の責任感の強さが伺えるが、それと同時に、どこか元気がない様子にも見える。そして、心なしか彼女が連れている仔犬のライラもまた、そんなニコラのことを心配しているような瞳で見上げる。

「何か悩み事でもあるの? いきなり会って、信用出来ないかもしれないけど、ほんの些細なことでもいいから、悩みがあるなら、相談に乗るよ」

 マライアにそう言われたニコラは、すぐに顔を上げて、気丈に振舞おうとする。

「あ、いや、そんな、大したことじゃないんで、大丈夫ですから」
「そう。それなら、無理に話してもらわなくてもいいわ。ただ、頼りたいことがあったら、いつでも頼って」
「はい、ありがとうございます」

 そう言って、ニコラはライラを連れてその場を去る。だが、この時、既にニコラの近くに不気味な影が忍び寄りつつあることに、まだルーク達は気付くことが出来なかった。

2.8. 異界の王女

 ニコラと別れた後、ようやく託児所に到着したルーク達を、ティリィは複雑そうな表情を浮かべながら出迎える。

「昨日の人達……、また来たの?」
「いや、その、無理に説得しにきた訳じゃないんですけど、昨日言ってた『自分に関わると不幸になる』という話が、ちょっと気になって……」

 マライアがそう言うと、ティリィはため息をつきつつ、ひとまず彼等を孤児院の中の応接室へと迎え入れた。そして、彼等が来客用の長椅子に並んで座ると、意外にもティリィの方から、彼等に対して話を切り出した。

「そっちの話を聞く前に、ちょっと聞いていい?」

 ティリィはマライアを見ながら、こう問いかける。ティリィの脳裏には、昨夜の領主の館でのマライアの姿が思い出されていた。

「そこの魔法師さん、治療が出来る人?」
「はい。私は、治療専門の魔法師です」
「ちょっと、気になることが、ある」

 そう言いながらも、自分が彼等からの申し出に協力出来ない状態で、こんなことを話して良いのかどうか逡巡している様子のティリィに対して、マライアが身を乗り出して答えた。

「私にも、出来ることと出来ないことがありますけど、私に出来ることなら協力したいので、何でも言って下さい」
「ウチの孤児院の子なんだけど、最近ちょっと、元気がなくて……。しかも、彼女の胸のあたりから、混沌の気配を感じる……」
「混沌の気配?」
「私だから分かる。でも、それがどんなものなのかは、分からない……」

 混沌の気配が感じ取れるということは、ティリィがシリウスの力を受け継いでいる証拠である。現状、他にそのことを確認出来る者は、この村の中にはレピアしかいないので、ルーク達としてはこの時点ではそれが本当か否かを確認する術はないが、この状況において、彼女のその証言を疑う理由もなかった。
 そして、マライアは昨夜の領主の館でのレインとティリィの会話を思い出しながら、直感的にそれが誰なのかを察知する。

「それは、さっき犬の散歩をしていた子ですか?」
「多分、そう。アマルさんの犬屋敷に行く、って言ってたから」

 ここで、実際にニコラと遭遇していたルークもまた、会話に参加してきた。

「確かに、彼女は元気がないように見えたな」
「私も、そう思う。だから、心配……」
「彼女のことについて、何か原因とか、心当たりは?」
「分からない……。私が、ちょっとした用で隣村に行ってる間に、何かあったみたい……。戻って来たら、彼女の胸のあたりから、混沌の気配がした……」

 この状況であれば、色々な可能性が考えられる。ニコラもまた邪紋の力に目覚めようとしているのかもしれないし、それとは別種の特殊な混沌の力にその身を侵されようとしている可能性もありうる。

「私が、あなた達の力になれないのに、こんなことを頼むのは、申し訳ない……。でも、ニコラのことは、気になる……」
「いえ、こちらこそ、急に来て、ついて来てくれなどという、無茶なことを頼んでいる訳ですし。困っていることがあるなら、私達も協力します」

 ルークがそう言ったところで、応接室の扉の向こう側から、聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。

「そう、全くもって失礼な話だよね。こちらの事情も聞かずについてこい、なんてさ」

 レピアの声である。その声と同時に扉が開くと、そこにいたのはレピアと、ニコラと、そして彼女に抱えられたポメラニアンの仔犬のライラであった。そして、明らかにニコラの表情が疲弊しているように見える。

「ニコラ……? その人は?」

 突然の新たな訪問者に驚いたティリィがそう言うと、ニコラは少し呼吸を荒げつつも、落ち着いて答える。

「危ないところを、助けてくれたの」

 彼女がそう言うと、今度はルークが口を開く。

「レピアさん、何があったんですか?」
「なんだかよく分からないけど、村の一角でこの子が、女性型の魔物に囲まれてたんだよ。人間に擬態してたから、傍目には分かりにくかっただろうけど、僕の嗅覚は誤魔化せないからね。それほど強力な魔物ではなかったけど、数が多かったから、ひとまずこの子達を抱えてそこら中を走り回って撒いた上で、ここに連れてきたんだけど、それで良かったかな?」

 相変わらず、涼しげな表情であっさりと彼はそう言ってのける。彼が本気になれば、子供と子犬を一人と一匹ずつ抱えた状態でも、敵の目をごまかすことくらいは容易らしい。
 そして、彼とニコラの証言によると、どうやら彼女を取り囲んでいたのは、昨晩、ルークと共にレインの屋敷を襲っていた女性型の魔物達のようである。ということは、おそらく彼女達を動かしているのは、ルークが魔境の中で出会った、あの風変わりな姿の魔族の少女なのであろう。
 今ひとつ状況が理解しきれていないティリィであったが、まずは素直にレピアに頭を下げる。

「ありがとう、ニコラを助けてくれて」
「いや、まぁ、たまたま通りかかっただけなんだけだから、別に気にしなくていいよ」

 ちなみに、大嘘である。レピアは、ティリィを説得するための鍵はこのニコラという少女にあるのではないかと勘付いて、ずっと彼女を尾行していた。

「で、この娘、何者なんだい? 混沌の匂いはするけど、邪紋使いではない気がするんだ」

 レピアはティリィに対してそう問いかける。この点こそが、レピアが彼女に注目した最大の要因であった。

「あなたにも、混沌の匂いが分かるの?」
「あぁ。僕も君と同類だからね」

 そう言って、レピアは足を見せる。そこには「悌」の文字を中心とした邪紋が刻まれていた。

「私と……、同じ……?」
「そう。多分、これと同じような紋様が、君の身体の中にもあると思う」

 どうやら、マライアが言っていた「八人の後継者」の話は本当らしいということを、改めてティリィは実感する。その上で、彼女は改めてレピアの問いに答えた。

「ニコラは、この孤児院の子。どういう状態にあるのかは、私には分からない」
「そうか。じゃあ、この子を狙っていた女性型の魔物について、何か心当たりはあるのかい?」
「……昨日、レイン様を狙っていた魔物と、同じ?」

 確証は持てないが、そう考えるのが自然であろう。ルーク達もそれに同意しつつ、先刻出会ったラーテンが調査していた「音楽祭の出場予定者の失踪事件」と何か関係しているのかもしれない、という仮説を提示する。

「確かに、それは関係しているかもしれない。ニコラと、孤児院の他の子達、音楽祭に出る」

 ティリィは深刻な顔を浮かべながら、呟くように続ける。

「だとしたら、放ってはおけない。ニコラだけじゃない。他の出場者達も失踪しているとしたら、放ってはおけない」

 そして、ティリィがそう言った直後、今度はニコラの胸のあたりから、ティリィもルーク達も聞いたことのない、子供用な甲高い声が聞こえてきた。

「狙われているのは、ニコラさんではないかもしれません」

 突然のことに皆が驚き、ニコラに視線が集中する。

「え? 誰? ニコラ?」
「な、何? どうしたの?」

 ティリィとマライアがそう言った直後、ニコラのブラウスの胸のボタンの隙間を強引に開くような形で、一匹のネズミのような生き物(下図)が現れた。


「はじめまして。私は『しっぽの王国』の王女、エポナと申します。と言っても、この世界の国ではないんですけど」
「あなたは……、投影体? 妖精?」

 ティリィが困惑しながらそう問いかけると、その「エポナ」と名乗ったネズミは彼女の方を向いて素直に答える。

「この世界で私がどう呼ばれているのかは分からないんですけど、私は、気付いたこの世界に来ていました。そして、元の世界にいた私の仲間達も、一緒にこの世界に来ています。でも……」

 彼女がそう言ったところで、今度はニコラが俯きながら、泣きそうな声で語り始める。

「ごめんなさい! 私のせいで、他の子達はいなくなっちゃったんです!」

 そしてニコラは、今までずっと誰にも話さずに黙っていた「秘密」について、語り始めた。

2.9. 小さな歌姫達

 ニコラは数日前、村と魔境の境界領域である森の辺りで、このエポナを含めた5匹の「人間の言葉を話す小動物」と、彼女達と同じくらいの大きさの1人の「小人の少女」と出会った。彼女達は皆、音楽が大好きで、いずれも美しい歌声の持ち主だった。彼女達はニコラの奏でるバグパイプの音に惹かれて、すぐに仲良くなった。しかし、彼女達は皆、臆病で、人間や犬や猫が大勢いる村の中に入ろうとはしなかった(特にエポナは、猫の匂いが怖かったらしい)。
 だが、どうしても彼女達を皆に紹介したいと思ったニコラは、少しずつ人間や犬や猫の匂いに慣れてもらおうと思い、まずは、アマルの犬屋敷の中でも一番気性の大人しい、ポメラニアンの仔犬であるライラを、エポナ達の前に連れて行った。当初は、エポナ達と仲良く打ち解けられていたライラであったが、その最中、ライラは魔境の方角から奇妙な気配を感じ取ったようで、突然、森に向かって激しく吠え始めた。その声に驚いた「1人と5匹」達のうち、エポナは思わずニコラの服の中に逃げ込んだが、他の「1人と4匹」は、一目散にその場から逃げ去り、そのままバラバラになってしまったという。
 魔境の奥が危険だということは、エポナの仲間達も本能的に察していたようなので、おそらく村の中のどこかに逃げ込んでいると思われるのだが、彼女達は今まで村の中に入ったことがなかったので、おそらくは帰り方も分からずに迷子になっているのではないか、というのがエポナの推測である。
 彼女達は音楽が好きなので、この村の中で音楽を奏でている人達の近くにいる可能性が高い。そこで、彼女達の匂いを覚えているかもしれないライラを連れて、ニコラは村の中を探して回っていたらしい。せっかく仲良く静かに暮らしていた彼女達をバラバラにしてしまった責任を一人で背負いこんでいたことが、彼女に元気が無かった要因だったようである。

「もし、猫や大型犬に遭遇したら大変だから、早く見つけてあげたいんだけど、でも、あんな小さい子達だから、なかなか見つけることが出来なくて……」

 それが、昨日からニコラが元気が無かった理由らしい。彼女としては、こんな「孤児院とも関係のないこと」(しかも、自分の浅はかな考えが引き起こしてしまったこと)のために、今回の音楽祭に向けて練習に励んでいる他の子供達や、遠出から帰ってきたばかりで疲れているティリィを巻き込む気にはなれなかったという。
 だが、先刻ニコラが遭遇した「人間の女性に擬態した魔物達」が、「音楽の演奏者」を狙っているのだとしたら、その対象はニコラかもしれないし、エポナかもしれない。こうなると、もはや黙っている訳にはいかないだろうと、ニコラもエポナも覚悟を決めたようである。
 彼女達の話を一通り聞き終えたマライアは、諭すような口調でニコラに告げる。

「大丈夫です。こちらのレピアさんと、そしてティリィさんにも、混沌の気配を察知する能力がある筈ですから」

 レピアは静かに頷き、そしてティリィもまた、改めてエポナを見つめながら答える。

「確かに、そこのエポナさんと同じような気配を発しているのであれば、きっと、見つけられる。ただ、エポナさんが言ってた、森の中から感じた嫌な気配も、気になる。多分、そちらの君主様を操っていた魔物と、同じ」

 ティリィとしては、ニコラの「友達」を早く見つけてあげたい気持ちは強いが、それ以上に、この村を預かる白狼騎士団の一員として、森の中の潜む魔物をどうにかしなければ、という意識もまた強い。 
 とはいえ、今の時点で、その森の中のどこにその魔物が潜んでいるのかも分からない以上、闇雲に探すことも出来ない。ならば、まず今は、エポナの仲間の小動物達を探すことの方が先決であるようにルーク達には思えた。実際に「エポナを連れたニコラ」が襲われている以上、村の中で他の者達の周囲にもその魔物が現れている可能性は十分にありうる。その意味では、結果的に、残りの小動物達を探すことが、事件の解決の手がかりに繋がるかもしれない。
 こうして、ひとまず彼等は「エポナの仲間達」を探すことを最優先する、という方針で一致する。現状、混沌の力を嗅ぎ分けることが可能な人物は(マライアが感知出来るのは、あくまで「シリウスの力」だけなので)レピアとティリィだけなので、ひとまずは「ルーク・マライア・レピア」と「ティリィ・キヨ」という二手に分かれて(疲れた様子のニコラとエポナは、ひとまず孤児院に残して)村中を探し回ることになった。
 ちなみに、エポナ曰く、他の「4匹と1人」は、それぞれ「イタチ族」「カエル族」「リス族」「モグラ族」そして「小人族」の少女で、いずれも、元いた世界では「歌姫」と呼ばれる存在であったらしい。彼女達は「素敵な音楽」が大好きなので、おそらくは街の中でも特に美しい音楽を奏でている人々の近くに現れる可能性が高い、というエポナの仮説を信じて、まずは「それぞれの知人の音楽家」を訪ねてみることにした(なお、エポナを始めとする彼女達「小さな歌姫」については2014年度後期キャンペーン「ウタカゼ」を参照)。

3.1. 鍵盤の奥の白い影

 ルーク、マライア、レピアの三人が真っ先に向かったのは、マライアと旧知の関係にあるエルネストの宿である。だが、どうやらエルネストは今、音楽祭の当日に使用する予定のピアノの調子を確かめるために、音楽祭の会場に向かっているらしい。
 急いでその地へと向かったマライア達は、レピアが事前に音楽祭会場の構図を確認していたこともあって、すぐにエルネストを見つけることに成功した。その傍らには、巨大なグランドピアノが設置されている。

「おぉ、マライア殿。もしかして、そちらはラザールの息子の……?」

 エルネストはルークを見ながら、そい問いかける。

「はい、ルークと申します」
「やはり、そうか。覚えているかな? 君が子供の頃に、何度か会ったことはあるんだが」
「はい、エルネスト様もお元気なようで、何よりです」

 そんな軽い社交辞令を交わした後、エルネストはおもむろにピアノに視線を移す。

「さっそく、挨拶代わりに一曲披露したい気分ではあるのだが、実はちょうど今、この村のピアノの調律師を呼ぼうと思っていたところなのだ。さきほど試しに弾こうとしたら、妙に鍵盤が重くて、強引に弾こうとしたら、ピアノの内側から奇妙な音がしてしまった。どうやら、どこか調子が悪いらしい」

 その発言に対して、ルークとマライアの心中に「嫌な予感」がよぎる。二人がレピアの方に視線を向けると、彼はそのピアノを指差しながら、一言ボソッと呟く。

「あの中に、いるね」
「いる? いるとは、どういうことだ?」

 突然、よく分からないことを言われて怪訝そうな反応を示したエルネストに対して、マライアが軽く事情を説明すると、エルネストは半信半疑にピアノの「上蓋」を開く。すると、そこには、激しく出血した「白イタチ」(下図)の姿がいた。


「お父様? お兄様? そこは一体、どこですか……?」

 苦悶の表情を浮かべながら、譫言のようにそんな言葉を口にする白イタチに対して、マライアが魔法でその出血を止めると、やがてその白イタチは正気を取り戻す。

「大丈夫ですか?」

 マライアがそう問いかけると、その白イタチは怯えた様子を見せるが、マライアがエポナの名を出すと、安堵した様子で事情を語り始める。

「ありがとうございます。私は、白イタチ族の族長の娘のフレイヤと申します。この村に迷い込んだ時、すごく綺麗な音を出す箱を見つけて、一体この箱の中はどうなっているのかと気になって中に入ってみたら、そこから出られなくなってしまっていたのです」

 どうやら、彼女の傷は、エルネストが弾いた時に動いたピアノの内側の弦によって刻まれてしまった切り傷らしい(エルネストが聞いた「奇妙な音」とは、おそらく彼女の悲鳴であろう)。
 フレイヤは、楽器を血で汚してしまったことを深く詫びつつ、ひとまずレピアの肩に乗りつつ、ルーク達と共にその場を去る。残されたエルネストは、突然の出来事に対して、狐(正確には、イタチ?)につままれたような表情を浮かべながら、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。

3.2. 木の上の目撃者

 一方、その頃、キヨとティリィは、音楽祭の実行委員会から、「ハーミア with QUATRO ACES」の宿舎を紹介してもらった。キヨにとっては、明良率いるQUATRO ACESとは旧知の仲であり、ティリィもハーミアとは面識がある。この二人が真っ先に彼等を訪ねるのは当然の道理であった。
 そんな二人が宿に着いた時、その宿の前で、一人の異界の少年が大声で叫びながら、周囲を見渡していた。

「明良先輩! 明良先輩! どこですか!?」

 その声の主は、明良の後輩で、QUATRO ACESのツインギターの片翼を担う少年、島村月(しまむら・らいと)である。彼もまた、キヨの記憶にあった頃に比べると明らかに成長しているが、確かにその面影がある。

「何か、あったんですか?」

 そう言ってキヨが問いかけると、月は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべつつも、すぐに事態を把握した。

「その格好……、あなた、もしかして、先輩が言ってた『先輩の刀が女の子になったっていう人』ですか?」
「はい。キヨと申します」
「そうか……、あの話、先輩の妄想じゃなかったんだ……」

 地球人として至極もっともな反応を示しつつ、月はそのまま事情を説明する。曰く、昨夜から明良の姿が見えなくなってしまったらしい。

「キヨさんの、お知り合い?」

 ティリィにそう言われたキヨは(厳密には、そう言って良いかどうか微妙な関係ではあるのだが)、ひとまず素直に肯定する。

「はい、地球にいた頃の……」
「地球から? 確かに、混沌を感じる……」

 ティリィがそんな反応を示していると、今度は宿の中から、また別の少年が現れる。

「やはり、この宿の中にはどこにもいないですぞ」

 月にそう告げたのは、QUATRO ACESのドラム担当の山口マヨネーズである。ちなみに、彼は本当は地球人ではないらしいのだが、そのことは、キヨも、そしてバンドの仲間達も知らない(そして、この物語の本筋とも全く関係ない)。そして、月とコンビを組むもう一人のツインギター担当であるカノン・ライヘンベルガーと、彼等と共に出場する予定のハーミアは、明良を探すために村の各地を探して回っているらしい。
 そんな中、ティリィは、その宿屋の近くの木の上の方から、今目の前にいるキヨや月やマヨネーズとは異なる「もっと微量な混沌の気配」を感じ取っていた。

「何か、いる」

 そう言ってティリィが木を見上げると、そこには一匹のリスと思しき小動物(下図)の姿が見えた。


「そこにいる、リスの子、もしかして、エポナさんの仲間?」

 そう問いかけられると、そのリスは驚いて答えた。

「え? あなた達、エポナの友達?」
「エポナさんの、友達の、友達、くらい……? エポナさんが、あなた達を探してる」

 彼女がそう言うと、リスの少女は一瞬ためらいつつも、すぐに駆け下りてくる。さすがに孤児院を任されているだけあって、ティリィには「怯えている少女」を安心させるような「独特のオーラ」が備わっているようである。

「エポナの友達の友達なら、あたしの友達と言ってもいいよね。あたしの名はリーフ。この建物の中から、なんか楽しそうな音楽が聞こえてきたから、昨日からずっとこの木の中で隠れてたんだ。よろしく。他の皆は無事なの?」
「分からない。今、手分けして探してる」

 そう言いつつ、ティリィはふと思い出したように、月に問いかける。

「あなた達のお知り合いの人は、いつからいなくなったの?」
「それが、さっぱり分からないんだ。昨夜まではいた筈なんだけど……」

 そう言ったところで、リーフが口を挟む。

「もしかして、あの、背が高くて髪が短い人? あの人なら、昨日の夜、なんかちょっと不気味な雰囲気の女の人達と一緒に、出て行ったよ。なんだか、虚ろな顔してたけど」

 その「女の人」が何者なのかは分からないが、おそらく状況的に考えて、ニコラとエポナを誘拐しようとしたと思しき魔物達が、人間に擬態した姿であろう。

「そういうことなら、心当たりがない訳ではないので、こちらでも探してみます」

 キヨが月にそう言うと、彼もまた「よろしくお願いします、先輩の刀さん」と告げて、そのまま捜索活動を再開する。どうやら、思った以上に事態が厄介な状態に突入しつつあることを、キヨもティリィも実感していた。

3.3. 大地に潜む者

 一方、フレイヤを保護したルーク、マライア、レピアの三人は、次の心当たりである「流浪の歌姫」ポーラの宿を探そうとしたところ、今回は奇跡的に、あっさりと見つけることに成功する。人並み外れた方向音痴のルークだが、なぜか今回だけは、明確にその宿への行き方を記憶していたらしい。

「珍しいね。君が一発で目的地に辿り着けるなんて。よっぽど、そのポーラさんという人が印象的だったのかな?」
「よっぽど綺麗な人なんでしょうね」

 レピアとマライアに淡々とそう言われたルークであったが、あまりその言葉の意味については深く考えないまま聞き流す。

「何はともあれ、中に入ってみよう」

 そう言って宿屋の扉を開けようとしたルークだが、その直前、彼はその宿屋の入口の脇に、不自然に空いている穴を発見する。そのことをレピアに告げると、レピアは神経を集中してその穴の中の気配を探ってみた。

「どうもこの奥から、この子に近い臭いを感じる」

 肩に乗せているフレイヤを指して、レピアはそう言った。

「さて、どうしようかね? キミが二人っきりでそのポーラさんに会いたいというなら、僕とマライアの二人でこの穴を調査する、という形で役割分担しても良いんだけど」
「別に私はいいのよ、それでも」
「いや、まずは今はその小さな歌姫達を探すことが先決であって……」

 ルークがそう言った瞬間、宿屋の奥から、聞いたことがない女性の声が響いてきた。

「だ、誰なの? あなた達!? あぁ、ダメよ、ポーラさん!」

 その直後、宿屋の中で激しい喧騒が響き渡り、入口の扉から、幾人かの客と従業員と思しき人々が、恐怖に表情を歪ませながら逃げ出してきた。

「な、何が起きたんだ?」

 ルークはそう言って、マライアを連れて宿屋の中に入ろうとするが、レピアが周囲を見渡しながら、何かに気づいたような様子を見える。

「近くで、キヨさんとティリィの気配も感じるけど、二人も連れて来ようか?」
「お願いします!」

 ティリィの実力はまだ分からないが、もし、この宿屋の奥に魔物が出現しているのであれば、少なくともキヨの力は欲しい。そう考えたルークとマライアであったが、既に宿の中で「何か」が起きている以上、二人の到着を待っている時間もない。
 やむなく、レピアが二人を連れて来るよりも先に宿屋の中に入ったルークとマライアは、その一階の食堂の一角で、昨晩ルークと共にレインを襲った魔女達と同種と思しき4体の魔物が、「虚ろな目をした状態のポーラ」を連れ出そうとしているのが見える。ポーラの表情は明らかに正常とは言えず、おそらくは操られているのであろうと推測される。
 だが、そんな魔物達を止めようと、黄金のキーボードを持った一人の少女(下図)が立ちはだかっていた。


「ガイアさん、すみません。ちょっと予定外ですけど、この子の力、借りさせてもらいます!」

 彼女がそう言うと、彼女と彼女が持っている黄金のキーボードが、一つの奇妙なオーラで包まれる。おそらくはそれが「オルガノン」の力であろうことは、キヨと長旅を続けてきたルークやマライアには想像がついた。どうやら彼女は、一人(と一台)でポーラを魔物達から守ろうとしているらしい。
 さすがにこの状況を見て放っておく訳にはいかないと感じたルークは、まず、聖印の力を用いて弓を同時に二本放ち、二体の魔物の身体を同時に射抜く。だが、いずれもあと一歩のところで致命傷には至らず、新たな敵の出現を察知した魔物達は、ルークに対して、特殊な「音波」を放って反撃する。今まで経験したことのない特殊な攻撃手法にルークは戸惑い、その身が内側から破壊されようとする恐怖に晒されるが、マライアがすぐに回復魔法をかけたことによって、どうにか倒れずにその攻撃を堪え忍ぶ。
 そして、その直後、今度は宿屋の外から、キヨとティリィが入ってきた。どうやら、本当に彼女達はたまたま近くを通りかかっていたところだったらしい。しかし、ティリィはこの時点で、武器を持っていなかった。彼女の武器である「大鎌」は、街中で白昼堂々持ち歩くには物騒すぎる代物のため、兵舎に置いてきたままだったのである。

「私を使って下さい」

 そう言って、キヨは自らを「本体」のみの状態に変えた上で、その身をティリィに預ける。初めて手にするオルガノンに困惑しつつも、そのキヨを握りしめた状態で、その身を宙に浮かしつつ、猛然と魔物へ向かって斬りかかって行く。

「見よ、英雄の輝きを!」

 ティリィの、わが身を省みぬ決死の突撃で、魔物は深い手傷を負う。だが、ティリィにとっては使い慣れない武器だったこともあり、キヨの力を100%発揮出来たとは言えず、致命傷には至らない。
 だが、それと同時に、キヨガ近くにいたルークに対して「自らの内に秘めた特殊な異界の力」を付与した結果、ルークの弓が次々と敵を射抜いていく。敵も更に反撃の特殊音波をルークへと放つが、その蓄積でルークが瀕死状態に至る前に、マライアが着実に回復魔法を放って、その身を癒し続ける。幾度も戦場をくぐり抜けてきた彼等ならではの、見事な連携であった。
 こうして、彼等は無事に魔物達を殲滅する。突然の援軍に少々驚いた様子の「黄金のキーボードの少女」であったが、ひとまず彼女がポーラに対して特殊な術式を施すと、やがてポーラは意識を取り戻す(ちなみに、この時点でティリィには、この「黄金のキーボードの少女」から、ハーミアと同種の匂いを感じ取っていた)。

「あら、あなた、やっぱり来てくれたのね!」

 そう言って、意識を取り戻したポーラは、ルークに向かって走り込んで抱き付こうとするが、ルークは脊髄反射的にそれをかわしつつ、声をかける。

「お怪我はありませんか?」

 あっさりと逃げられたことに微妙な不満を感じると同時に、困惑した様子のポーラは逆にルークに問いかける。

「う、うん。まぁ、大丈夫というか、そもそも状況がよく分かってないんだけど、今、どういうことになってたの?」
「何者かが、音楽祭の出場者を操って、そのまま誘拐しようとしているようなのです」

 ルークがそう言うと、ポーラの傍にいたキーボードの少女が、更に詳しい事情を説明した。曰く、ポーラのファンを装って宿屋を訪れた女性達が、突然、ポーラに対して奇妙な呪法をかけて、そのまま半ば昏睡状態になっていたポーラを連れて行こうとしたところを、この少女が止めに入った結果、その女性達が突如「魔物の姿」に変わって、強引にポーラを拉致しようとしたらしい。

「なるほど……。目的はよく分からないけど、私のこの美声を、どこかの魔物が利用しようとしている、ということなのね……」

 そう呟きながら、まだ半信半疑ながらも状況を整理しようとしていたポーラであったが、ここで彼女は一つ、「今回の事件とは全く関係ないこと」が気になった。

「ところで、あなたの周りにいるその三人の女の子達は、何者なの?」

 マライア、キヨ、ティリィ、の三人に目を向けながら、彼女はルークに対してそう問いかける。だが、ルークも「三人の女の子達」も、それに対してどう返して良いものか分からない。

「何? 私が今から入り込む隙は無いくらい、今のあなたは充実してるってこと? でもね、それはそれで、そういうシチュエーションってのも、闘争本能を掻き立てられるものなのよね。やっぱり、モテない男を口説いても意味ないしね」
「いや、あの、そういう関係では……」

 不敵な笑みを浮かべるポーラに対して、ルークが困惑しながら否定しようとすると、そこで「キーボードの少女」が割って入ってきた。

「あぁ、この人の言うことに対して、まともに相手しない方がいいですよ」

 彼女は心の中で「私、本来はツッコミ役じゃないんだけどなぁ……」と呟きつつ、ルーク達に対して深々と一礼する。

「ともあれ、助けて頂いてありがとうございます。私は南條里菜(なんじょう・りな)。地球人です。今回は、前回優勝者のガイアさんから、このキーボードを借りて、ポーラさんのサポート役として、音楽祭に参加させて頂くことになりました。とりあえず、ポーラさん、この件については、さっきの監査官の魔法師の人に報告に行きましょう」
「そうね。あの赤い服の子、なんか私のことを犯人扱いしてたみたいだけど、これで私が無実だということも分かってもらえるわよね」

 そう言いながら、二人は宿屋を出て、音楽祭の運営当局の事務所へ向かって行った。そして、その二人と入れ違いに、レピアが宿屋の中に入ってくる。彼は、扉の向こう側から宿屋の中の戦闘の様子を確認しつつ、「これは自分が参戦しなくても大丈夫」だと判断し、宿屋の周囲に魔物達の仲間がいないかどうかを警戒していたのである。
 その肩には相変わらずフレイヤを乗せたままのレピアであったが、それに加えて、彼の左手の上に、また別の小動物が乗っているのが、ルーク達の目に止まる。どうやらそれは、豪華な服を着た「モグラ」のようであった(下図)。


「もう一人のお嬢さんも見つけたよ、君主様」

 レピアがそう言うと、その「モグラのお嬢さん」が語り始める。

「皆様、お初にお目にかかります。わたくしはマーニャと申します。わたくし、この宿の中から聞こえてくる華麗な歌声に惹かれて近付いて来たのですが、その途中で、怖そうなオーラをまとった女の人達が現れたので、思わず土の中に隠れてしまって、声をかける機会を逸してしまっておりましたの。そうしたら先ほど、こちらの紳士的な方がフレイヤさんと共に現れて、わたくしをエポナさん達の所にご案内頂けるということで、こうしてお伺いに参りましたのですよ」

 そう言って、彼女はスカートの裾を軽く(その鋭い爪で)つまみながら、淑女のような仕草で一礼する。こうして、どうにか彼等は一つの「誘拐事件」を防ぐことに成功すると同時に、4匹目の「小さな歌姫」を確保することに成功したのである。

3.4. 水瓶の目撃者

 期せずして再び合流することになったルーク達は、次の候補者として、村の一角に設置された
「ロザン一座」のテントへと向かうことになった。村の人々の間では、彼等かポーラのどちらかが優勝争いの大本命だろうという意見が主流のようである。
 ルーク達がテントの近くに来ると、さっそく、一人の少年が彼等を出迎えた。キヨの十代目の持ち主にして、現在はこの一座の護衛を務める地球人の翔(下図)である。


「久しぶりだな。この間の大会以来か」

 ルークに対して、翔はそう話しかけた。その元気そうな姿を見て、傍に立つキヨも安堵する。

「あんたらと会うのは、これが三回目か。そういえば、あの大会は優勝したらしいな。おめでとう。そんなあんたを相手に引き分けたということは、俺の中では誇りに思っておくよ。キヨも、元気そうだな」

 そう言われたキヨは笑顔で軽く会釈する。だが、次の瞬間、翔は深刻な表情を浮かべる。

「ところで、ウチのアイレナを見なかったか? ティスホーンの時に、あのやたらゴツい色黒の男と戦っていた子だ。ウチの双子の歌姫の、髪を左右に分けてる方なんだが……」

 どうやら、こちらでも一人、行方不明となった人物がいるらしい。その話を聞いたルーク達は、当然のごとく嫌な予感が頭をよぎるが、そんな中、ティリィは一座のテントの傍に置かれた「水瓶」から、エポナやリーフの時と同じような混沌の気配を感じ取っていた。

「あの水瓶は……?」
「あぁ、あれはウチの団員の一人の『水芸』用だ。もともとは、俺達と同じ『地球』から来た誰かが伝えた大道芸だったらしい。まぁ、そういう俺も、地球にいた頃に実物を見たこともないんだけどな」

 翔はそう答えるが、ティリィにとって重要なのは、その用途ではない。ひとまず、その中を見せてもらうように頼むと、翔としては特に断る理由もないので、素直にその蓋を開ける。すると、その水瓶の奥の方に、カエルのような影が見えた。カエルの方もティリィの姿に気付いたようだが、水面に上がってこようとはしない。

「怖がらなくても、いい。あなたは、エポナさんの、友達?」

 ティリィがそう言うと、その影はゆっくりと水面へと上がってくる。そして、ティリィの肩にリーフが乗っているのを確認すると、そのまま勢い良く水瓶を飛び出し、その姿をルーク達の前に表した(下図)。


「あぁ、リーフさん。ご無事だったんですね。それに、フレイヤさんとマーニャさんも!」

 そのカエルの少女は、レピアの両肩に乗っているフレイヤとマーニャの姿を確認した上でそう言うと、改めてティリィに対して自己紹介する。

「私の名はツバキ。緑沼の王国のハルカゼ親方の娘です。この辺りで、美しいハーモニーを奏でている二人の女性の歌声に聞き惚れて、無断で悪いとは思ったのですが、この水瓶の中で身を忍ばせて頂いておりました。ただ……」

 彼女はうっすらと表情を曇らせつつ、話を続ける。

「その美しい歌声を聴かせてくれていた二人の女性のうちの一人が、今日の明け方の頃、不気味な雰囲気の女の人達に連れられて、森の方に行ってしまったのです。よく事情を知らない身でこんなことを言っていいのかは分かりませんが、なんだかとてもイヤな気配を醸し出してました」

 どうやら、「双子の歌姫」の片割れであるアイレナもまた、明良と同じように森へと連れ出されてしまったようである。おそらくは、先刻のポーラを連れ去ろうとした者達もまた、その仲間だったのであろう。

「やはり、魔境の森か。残り一人の『小人の女の子』も気になるけど、既に二人も森に連れて行かれたことが分かった以上、このまま放置しておく訳にはいかないな」

 ルークがそう言うと、他の者達も同意する。そこで、ひとまず、残り一人の「小人の少女」の捜索についてはレピアに任せて、彼に小動物達を預けた上で、ルーク、マライア、キヨ、ティリィの四人は、魔境の森へと向かうことを決意した。

3.5. 再び魔境へ

 徐々に日が陰り、夕刻に差し迫ろうとする中、ルーク達は村のはずれの森へと足を踏み入れる。通常の森の捜索であれば、夜間に足を踏み入れるのは得策ではないが、既に魔境化している状況においては、もはや昼でも夜でも、危険度という意味ではあまり大差はない。

「混沌の匂いが、強い。きっとこの先が、魔境」

 マージャの住人であるティリィがそう先導しながら、彼等は慎重に歩を進める。魔境の中では、どんな怪異が発生するか分からない。(特にルークが)はぐれないように気をつけつつ、周囲を警戒しながら捜索を続けて行く。

「この森、かなり、禍々しい雰囲気。前に迷い込んだ時に、なんで、気付かなかった?」

 ティリィがもっともな疑問を口にする。一定程度の感覚を持つ者であれば、魔境の奥地に入る前に、明らかにこの森自体が異様な空間だと気付くものであろう。

「あなたがそれを感知出来るのは、シリウスの力であなたの感覚が強化されているからではないでしょうか?」

 ルークはそう答える。確かにそれはそれで間違ってはいないが、その力を持っていないキヨも同じように禍々しい気配を感じ取っていたので、必ずしも、シリウスの能力が無ければ気付けないという訳ではない。
 だが、そんな禍々しい領域の中にいるにも関わらず、なぜか彼等は、徐々に自身の精神力が漲っていくのを感じる。ルークが最初に足を踏み入れた時もそうであったが、どうやら、の魔境の中では、必ずしも人にとって有害な現象ばかりが発生している訳ではないらしい。

(魔境というのも、案外、それほど悪い所ではないのかもしれない)

 ルークが一瞬、そんなことを思った直後、今度は突然、暗雲立ち込める夜空から、いくつもの雷撃が彼等に直撃した。ルークが咄嗟に防壁の印で防ごうとするが、防ぎきれずに彼等は軽症を負う。すぐに周囲を警戒する彼等であったが、特に魔法師らしき者の姿はない。だが、一般的な自然界の落雷とも異なる。おそらくは、これこそが「混沌災害」と言われる魔境の弊害(変異率)の一つなのであろう。
 こうして、魔境の内部で様々な不可思議な現象に戸惑いつつ、彼等が森の奥地へと足を踏み入れて行くと、やがて「不気味な歌声」が聞こえてくる。彼等がその歌声のする方向へと向かって行くと、そこには、ルークにとっては見覚えのある、あの「奇妙な装束の少女」が現れた。

3.6. 響き渡る魔歌

「やっぱり、また私に会いたくなったのね。わざわざもう一度来るなんて」

 からかうような表情を浮かべながらそう言った少女は、紛れもなく、昨晩、ルークに不可思議な呪術をかけた、あの魔族の少女であった。その周囲には、昨夜から何度も村の中で目撃された、あの女性型の魔物達が、その少女を守るように取り囲んでいる(その数は、見える限りにおいて七体)。そして、彼女達の奥には、おそらくは彼女達の呪術で操られていると思しき人々が、虚ろな表情を浮かべながら、不気味な旋律を口ずさんでいた。その中には、明良もアイレナもいる。そして、よく見るとその中には「褐色の肌をした小人の少女」の姿もあった。おそらくは彼女こそが、エポナの仲間の最後の一人の「小人の歌姫」なのであろう。

「どうやら、お前が元凶らしいな。後ろにいる人々を返してもらおうか?」
「返してほしいなら、もっと優秀な歌い手を私にちょうだい。そしたら、交換してあげてもいいわよ。あなた達自身にそれだけの力があるなら、あなた達でもいいけど」

 どうやら、彼女はやはり「歌の力」を欲しているらしい。そして、混沌知識に長けたマライアには、後ろで操られている人々によって歌われている「魔歌」が、彼女の力の源となっているらしい、ということが分かる。

「バルゴ様、奴等です。村で我々を邪魔していたのは」

 部下と思しき魔物が、魔族の少女にそう進言すると、バルゴと呼ばれたその少女は険しい表情へと一変する。

「そう。私の大事な親衛隊を四人も殺されたのなら、さすがに、黙っている訳にはいかないわね。残念だけど、ちょっと痛い目を見てもらうわよ」

 バルゴはそう言い放つと、部下の魔物達に攻撃を命じる。それよりも一瞬早く、ルークが部下の魔物達に向かって弓で攻撃するが、彼女達はその鋭い一撃で重傷を負いながらも、宿屋の時とな時ような音波攻撃を次々とルークに向けて放っていく。ルークも必死でそれに耐えようとするが、その数が前回の倍近いこともあり、今度ばかりはルークの体が耐えられず、その場に倒れこんでしまう。
 更に、それに続けてバルゴは、後方で魔法を放とうとしていたマライアに対して、背後で奏でられる魔曲の力を込めた強力な精神攻撃を放つ。魔法師らしからぬ強固な鎧に身を包んでいたマライアであったが、彼女達のような「内側からの攻撃」に対しては、その防具も役には立たない。深手を負った彼女もまた、思わず体勢を崩して片膝を地につける。
 この時、ティリィの脳裏に、かつての「嫌な記憶」が再び蘇った。

(また、私と関わったせいで、今度はこの人達が……)

 だが、次の瞬間、ティリィのその不安を、マライアが一掃する。ギリギリのところで意識を失わずに踏みとどまった彼女が、すぐに自分とルークに同時に高度な回復魔法を放ったことで、すぐにルークは起き上がり、再び矢をつがえる。
 そして、二人の無事を確認したキヨとティリィは、ルークの矢を受けて重傷を負っていた部下の魔物達に斬りかかり、着実に葬って行く。そんな彼女達とタイミングを合わせて、ルークが今度はバルゴ本人をも射程に入れて、聖印の力を込めた渾身の矢を放つが、バルゴの体に到達しようとしていたその一矢は、その直前で急速に勢いを失ってしまう。どうやら、魔曲の力によって、相当に強大な「防壁」が彼女を覆っているらしい。

「その程度の力で、私を倒せるとでも思ってるの?」

 バルゴはせせら笑いながら、今度は自分の至近距離に入り込もうとしていたキヨに対して、再び精神攻撃を放つ。ルークがそれに対して防壁の印を放って庇おうとするが、既にその前に部下の魔物達の攻撃で軽傷を負っていたキヨは、瀕死の重傷を負ってその場に倒れてしまう。
 一方、同じようにバルゴの間近まで迫っていたティリィに対しても、部下の魔物達は執拗に音波攻撃を仕掛けるが、ティリィには全く通用しない。彼女は、どんな手段の攻撃に対してもその身を守ることが出来る特異体質の持ち主であった。これは、異界の英雄の力を具現化するレイヤーの一部だけに備わっている特殊能力である。
 そして、この状況を後方から確認したマライアは、まずキヨに対して回復魔法をかけることで彼女を再び立ち上がらせた上で、それと同時に、バルゴの奥にいる『操られている歌い手』の目を覚まそうと試みる。昨夜、ルークを元に戻すことが出来た以上、おそらく同じ魔法で彼等にかけられた呪法を解くことも可能であろう、ということに彼女は気付いたのである。
 彼女が渾身の力を込めて状態回復の魔法を次々と放った結果、明良、アイレナ、そして小人の少女の表情が一変する。

「こ、ここは……? 清光!? どうしたんだ、お前、そんな傷を負って……」
「姉さん? 翔さん? 団長? どこにいるの? ここはどこなの!?」
「あれ……? 私……、今まで何してたんだっけ……?」

 どうやら、彼等は意識を取り戻したらしい。そして、それと同時に、バルゴの周囲から発せられていた強大なオーラが、急速に弱まっていくのを感じる。
 そして、起き上がったキヨに対して、部下の魔物達が再び音波攻撃を仕掛けようとしていたが、それよりも先にルークの速撃連射によって次々と彼女達は倒れていく。その上で、明良の無事を確認したキヨがバルゴに対してその身を振り下ろすと、防壁を無くしたバルゴはそれを直撃し、一瞬よろめく。
 更に、そこに飛び込んできたティリィが大鎌を振りかぶって、全身全霊の力を「死神の大鎌」に込めた斬撃をバルゴに対して解き放った結果、彼女の姿は一瞬にして真っ二つに裂けた。

「あ、あんたら、覚えてないさいよー! 絶対、またこの世界に帰ってきてやるからねー!」

 二つに裂けた上半身の口でそう叫びながら、彼女の姿は消えて行く。どうやら、彼女はこの世界における「投影体」という存在の性質を理解しているらしい(この世界で命を落として消滅した投影体が、再び混沌核を通じて出現することは、よくある話であった)。もっとも、本人の意思でこの世界に再現出来るかどうかは不明なのであるが(なお、彼女の正体については、 2015年度前期「でたとこサーガ」キャンペーン を参照)。
 ルークはそんな彼女の混沌核を吸収しつつ、誰に向けて言っているのか分からないような口調で呟いた。

「自分一人では何も出来ないけど、仲間がいれば、数倍、数十倍の力が出せる」

 おそらくそれは、ティリィに対して言いたかった言葉なのだろう。だが、その言葉に対して反応したのは、別の少女であった。

「だったら、今度は、何百人もの下僕を連れて復讐に来てやるから!」

 吸収されつつある混沌核の中に残っていたバルゴの残留思念が、ルークに浄化・吸収される直前に彼の脳裏にそう訴えかける。一方で、ティリィもまた、口には出さなかったが、そのルークの言葉の意図を理解していたようである。

(この人達だったら、もしかしたら……)

 心の奥底でそんな想いを抱きながらも、彼女はキヨやマライアと共に、囚われていた人々の保護へと向かう。どうやらバルゴを倒したことで、皆、無事に意識を取り戻したらしい。一通りの事情を彼等に説明しつつ、彼女達の視線は「小人の少女」へと集中する(下図)。この状況に対して、当初は怯えていた彼女も、エポナの名を出したことで、素直に彼女達のことを「友達」として認識するようになる


「そっか。私、悪い人に操られてたんだね。助けてくれて、ありがとう。私の名前はマリア。よろしく」

 「マリア」という名は、ティスホーンで出会った魔法少女と同じであり、実はこの村の駐在武官のメアの本名でもあるのだが(そして歴史上、もう一人重要な「マリア」がこのアントリアの地にはいたのだが)、彼女は異界人である以上、おそらくはただの偶然であろう。どうやら彼女は、村のはずれで一人、寂しさを紛らわせるために小声で歌っていたところを、バルゴの部下の魔物に発見され、捕らえられてしまっていたらしい。
 こうして、行方不明だった人々を無事に救出したルーク達は、夜明けとほぼ同時に、村へと帰還する。その途上、魔境の変異率の影響で、なぜかルークが一時的に「亀」の姿に変わってしまう、といったハプニングも起きたが、バルゴが消えたことで混沌濃度が若干ながらも下がったせいか、概ね平穏無事な帰路であった。

4.1.1. 主賓少女の前座

 そして翌日、遂に音楽祭が開催されることになった。多くの辞退者を出してしまった前回大会とは異なり、今回は行方不明になっていた人々も全員無事に参加出来ることになった結果、前回以上に活気に満ち溢れている(ちなみに、一通りの事情を聞いたレインは、エポナ達にも飛び入り参加を勧めたが、彼女達は「たくさんの『おおきな人達』の前で歌うのは、こわい」と言って、今回は観客席の一角で、静かに聴き手に回ることになった)。
 まず、オープニングアクトとして登場したのは、今大会の主賓にして審査員を務める少女、アカリ・シラヌイ(下図)である。彼女は地球人の投影体であり、本来は女子高生アイドルとして活躍していた人物らしい。現在は旧トランガーヌ領北部の漁村スパルタで、蟹料理店の看板娘として働きつつ、時折、その美声を店内に響かせているという。前述の通り、今回の大会の優勝商品は、彼女が働いている蟹料理店の優待券であった。


「みんなー、元気ー!? 今日は私と一緒に、全力で盛り上がろうねー!」

 壇上に上がった彼女がそう叫ぶと、彼女の懐にあった小さな金属製の物質から、不思議な音楽が流れてきた。どうやら、彼女の世界で生み出された投影装備のようである。そして、その伴奏に合わせて、彼女は奇妙な振り付けのダンスを踊りながら、歌い始めた。

「かにったーべいこーーーー♪ はにっかんでいこーーーー♪」

 ルーク達には全く聞きなれない曲だが、どうやらこれが、彼女が働いている蟹料理店「黄金の蟹座亭」のテーマ曲らしい。なんとも不思議な旋律と意味不明な歌詞に、当初は困惑していた観客達であったが、やがて彼女の醸し出す奇妙な「ゆるい雰囲気」に飲み込まれていったようで、笑顔で軽く拳を上げながら盛り上がっていく。
 ちなみに、この歌は本来は、彼女の両親が好きだった女性デュオの楽曲である。故に、アカリにはこの音楽祭を通じて、一緒にこの曲を歌える「相方」となれるような逸材を探したい、という思惑もあったのだが、その気持ちは密かに胸にしまったまま、彼女はきっちりと観客を盛り上げて「前座」としての役割を果たした上で、これから登場する出場者達への期待を込めつつ、レインによって用意された審査員席へと座るのであった。

4.1.2. 異色の共演

 そして、そこから次々と並み居る実力者達が美しい音楽を奏でていく。ある者はフルートを、ある者はリュートを、そしてまたある者は歌声を、満席の観客に対して披露していく。ダン・ディオードが不在の今、以前に比べて芸術文化への取り締まりが若干緩和されつつあるようで、そんな中で息を吹き返しつつあるアントリアの音楽家達は、水を得た魚のように、このマージャの地で美しい楽曲を奏でていった。
 そして、この企画は「国際音楽祭」と位置付けていることからも分かる通り、他国からの来訪者もいる。そんな「外国人勢」の中でひときわ大きな歓声を集める人物が、ステージに現れた。現在はグリース男爵領で活躍する「流浪の歌姫」ポーラ・ウィングスである。その傍らには、黄金のキーボード「KX-5」を手にした地球人の少女、リナ・ナンジョウの姿もあった。
 ちなみに、リナが持っている黄金のキーボード「KX-5」は、本来は前回大会の優勝者ガイア(当時はグリースの首都ラキシスの自警団長)の楽器である。現在はガイアが産休中ということもあり、同じグリースのリナが彼女の代わりに、ポーラのサポーターとして参戦していた。つまり、実質的には「前回大会の優勝者と準優勝者のコラボ」と言っても良い。
 観客からの圧倒的な歓声に対してポーラは笑顔で答えつつ、旧友であるレインに目を向ける。

「レイン、ありがとね。また私にこの機会を与えてくれて。さぁ、テンション上げて行くわよ!」

 ポーラはそう言うと、一瞬リナと目を合わせつつ、リナがKX-5に手をかけた瞬間、いきなり靴を脱ぎ捨てた。ステージ上で靴を脱ぐパフォーマンスで有名なポーラであるが、曲の冒頭からいきなり裸足になるのは珍しい。どうやら、最初からテンションMAXの状態のようである。そんな彼女の熱気は、その「傾国の美声」と呼ばれる歌声を通じてすぐに観客に伝わり、彼女目当てで駆けつけたファンの人々を中心に、最初から大盛り上がりを見せる。KX-5から流れるポップでアップテンポな曲調に合わせて、ポーラは全身を使って観客を煽りながら、陽気な歌声で人々の心に光を灯していく。

(さすがは前回大会の準優勝者ね。マイクも無しであれだけの声量が出せるなんて、相当な実力派だわ。悔しいけど、私とは全然格が違うみたいね)

 審査員席のアカリは、内心そう思いながら素直にポーラの歌声に聞き惚れつつ、その背後でKX-5を奏でるリナに目を向ける。

(あの子、多分、私と同じ地球人よね。あの子もかなりいいセンスしてるわ。でも…………、ちょっと相性が悪いかも。ポーラさんとも、キーボードとも)

 実際、客席の大半の人々は気付かなかったが、出場者達の何人かは、この「二人と一台」の連携が今ひとつ取れておらず、所々で不協和音が混ざってしまっていることに気付いていた。どうやら、三者三様に自己主張が激しいようで、「一つの音楽」としての一体性がやや欠けているようである。この辺りは、さすがに急造ペア(トリオ?)としての限界なのであろう。だが、それは同時に、即興のセッションならではの独特のグルーヴ感が生まれた音楽でもあると言えた。

(とりあえず、今のところは暫定1位、かな)

 アカリが密かにそう結論付けたところで、ポーラ達は演奏を終え、大歓声を浴びながらステージを降りる。

4.1.3. 響き渡る鎮魂曲

 そして彼女達に続いて現れたのは、アントリア騎士団の「芸術家将軍」こと、エルネスト・キャプリコーンである。彼は、ステージの端に設置されたグランドピアノの前に立ち、観客に軽く一礼すると、客席に向かって、静かに低く響き渡る美声で訴えた。

「これから披露させて頂くのは、今は亡き我が親愛なる従兄ラザール・ゼレンと、彼と共に命を落としたラピス村の人々への鎮魂曲です。どうか皆様、彼等のことを忘れぬよう、そして一刻も早くラピスの平和が取り戻されることを祈りつつ、聞いて下さい」

 その言葉で、それまで大興奮状態だった客席は一瞬にして静まり返り、エルネストは静かにピアノの前に座ると、鍵盤に手を下ろす。その端正な指先が曲を奏で始めた瞬間、客席の人々はただ静かに、彼の奏でるレクイエムに耳を傾け続けた。

(綺麗な音色ね……。地球にいた頃に聞いたどのピアノ曲よりも荘厳で、魂の籠った演奏だわ)

 先刻までとは対照的な、壮麗でおごそかな雰囲気を噛み締めながら、アカリは静かにその旋律の奏で出す世界に没頭する。ただ、技術的には(同じ鍵盤楽器でも)先刻のリナよりも遥かに上ではあるものの、正直なところ、「アカリが求めていた音楽」ではなかった。

(残念だけど、ウチの店よりも、もっと高級でオシャレなバーとかの方が向いてそうね……)

 無論、そのことはエルネストも自覚していた。彼としては、優勝という栄誉にも、蟹鍋という商品にもさほど興味はなく、ただ、この場にいる人々と、亡きラザール達への追悼の想いを共有したいという一心で弾いていたのである。そして、彼が曲を弾き終えて観客の表情に目を向けると、その目的は十分に達成されたことを確認した彼は、満足気な面持ちで、静かにステージを降りたのであった。

4.1.4. 地球からの挑戦者

(次の人達はバンド系? てか、あの人達も地球の人? 正直、ちょっと曲順の巡り合わせが悪かったわね。かわいそうに)

 アカリは内心そう思いながら、エルネストに続いてスーテジに上がった「ハーミア with QUATRO ACES」の面々に同情していた。QUATRO ACESの服装から察するに、どうやらロック系の楽曲のように見える。もし、曲順がポーラの直後であれば、その盛り上がったテンションのままノリノリの楽曲で勢いに乗りやすかっただろうが、客席が一度静まり返ってしまったために、もう一度「温め直す」必要がある。
 他の出場者達も同じような心境で彼等のセッティングの様子を眺めていたが、当のハーミアは全く気にした様子もなく、準備が整うと同時に、観客に向けて笑顔で挨拶する。

「みなさん、はじめまして。テイタニアから来ました、ハーミアです。今日は、このQUATRO ACESの人達と一緒に、この歌を通じて『愛』の素晴らしさを伝えたいと思います」

 彼女はそう言うと、一瞬、明良と目配せした上で観客席に方に向き直ると、アカペラ状態で滔々と歌い始めた。その歌詞には「異世界で出会った運命の人」への強い想いが込められている。

(え? バラードなの!?)

 アカリが一瞬、驚いた表情を浮かべる中、ハーミアが最初の1フレーズを歌い終えたところから、QUATRO ACESが演奏を始める。その曲調は、明らかにHR/HM系のパワーバラードであるが、そのキーや音量は女性であるハーミアの声質に合わせて絶妙に調整されており、あくまでも「主役としてのハーミアを引き立たせるための演奏」に徹しているように聞こえる。
 そして、ここに至ってようやくアカリは気付いた。

(思い出したわ! あの子、イギリスのポップシンガーのハーミアじゃない! どうして彼女がこの世界に……)

 アカリも日本国内でアイドルグループに所属していたこともあり、同世代の海外アーティストのことはそれなりにチェックしていた。その彼女が、明らかにアカリと同じ日本人の少年達とバンドを組んでいるというこの状況にアカリは戸惑いながらも、徐々にその歌声と演奏の美しさに引き込まれていく。

(……これは、意外なダークホースね。正直、楽曲としての完成度は、ポーラさん達よりも上だわ。ちゃんと5人がそれぞれの役割をまっとうしてる)

 ただ、その一方でアカリには、QUATRO ACESの面々の演奏が、やや遠慮しすぎているようにも思えた。とはいえ、さすがに彼等としても、「憧れていたプロの歌手」のバックバンドということで、恐縮して自己主張出来なくなってしまうのもやむを得ぬ話であろう。
 突然現れた「無名の若者達」の完成度の高い楽曲に観客席がどよめく中、ハーミアは見事に「自らの想いを込めたラブソング」を歌いきり、割れんばかりの拍手を浴びながら、明良達と共に笑顔でステージを降りていった。

4.1.5. 国境なき楽聖達

 その後、何組かの出場者達の出番を経て、やがてポーラと並ぶもう一組の優勝候補が姿を現す。ブレトランドを中心に世界中を回る旅芸人集団「ロザン一座」である。
 彼等はステージに上がると同時に、前口上もないままに、団長のロザン(下図)が縦笛を吹き始める。


 それは、何処の国の音楽とも分からぬ、より正確に言うなら、彼等が世界中の様々な国々の音楽を吸収した上で作り出した「無国籍サウンド」であった。そして、それに合わせて打楽器隊が小太鼓で独特のリズムを奏で、会場全体が不思議な空気に包まれ始めると、一座の看板である双子のミレーユ・メランダとアイレナ・メランダ(下図)が、珠玉の美声で絶妙なハーモニーを響き渡らせる。


(これが噂に聞くロザン一座の音楽なのね。確かに、これは地球でも、こっちの世界に来てからも聞いたことがない、独特のメロディだわ)

 アカリも、観客席の人々も、そして他の出場者達も、それぞれにうっとりとその世界観に酔いしれるが、そんな中、アカリは「双子の歌姫」の声の響きの中に、ほんの少しだけ微量の「違和感」を感じ始める。

(なんだろう……? すごくいい曲なんだけど、すごく綺麗な歌声なんだけど……、何か「別のモノ」が入ってる気がする……。他の人達は純粋に音楽を楽しもうとしているのに、その中であの二人の歌声にだけ、「別の感情」が混ざってしまってるような……。うまく言えないけど……)

 観客席の反応を見る限り、殆どの人々はその「違和感」に気付いていない。ただ、アカリの中では、楽曲全体としての完成度が極めて高いだけに、その「微妙な違和感」が最後まで気になってしまい、途中からは今ひとつ楽曲そのものを純粋に楽しみきれないまま終わってしまった。

(何だったのかしら……? ただの気のせいなのかな……?)

 自分でもよく分からない感覚にとらわれたまま、アカリは彼女達の歌声をどう評価すべきか迷っていた。だが、その結論が出る前に、次の出場者がステージに上がることになる。

4.1.6. 無垢なる心

 ロザン一座に続いて「最後の出場者」として登場したのは、この地元マージャの孤児院で暮らす12人の少年少女達による「マージャ少年音楽隊」である。最年長のニコラですら12歳という幼い彼等ではあるが、マージャの軍楽隊に憧れて、彼等の制服を模したマーチングバンドのような衣装でステージに登場する。バグパイプを持ったニコラを先頭に、それぞれに打楽器や管楽器を掲げて勇ましく行進しながら、それぞれの持ち場に立つ。
 そして、そんな彼等を指揮しているのは、ティリィであった。レインの方針により、彼女の部下の軍楽隊の面々は原則として今回の大会には(正規の出場者としては)参加していないのだが、例外的にティリィだけは、「白狼騎士団の一員」としてではなく、「孤児院の院長」としての出場が認められたのである。
 とはいえ、ティリィとしても、決して自分が表に出るつもりはない。あくまでもニコラ達に快適に演奏させるための補佐役としての参加であった。そして彼女の指揮の下、ニコラ達はそれぞれの楽器を奏で始める。それは、この地方に古くから伝わる民族音楽であった。大陸出身のティリィにとっては本来聴き慣れぬ旋律であったが、さすがに軍楽隊の一員としてのキャリアのある彼女だけあって、すぐにその音階の性質を理解し、これまでニコラ達に的確な指導を続けてきたのである。
 つい先日まで気落ちしていたニコラも、「友達」が全員無事に帰ってきたことで本来の明るさを取り戻し、皆をリードするような形で明るい音色でバグパイプを奏でる。そしてそんな彼女とティリィに引っ張られるように、直前まで緊張していた子供達も、笑顔でそれぞれの役割をまっとうしていく。当然、技術的には「本物」の軍楽隊には遠く及ばない。だが、それでも、一生懸命に「音楽祭に来てくれた人々を楽しませよう」とする彼等の気持ちは、観客席の人々にも、そして審査員席のアカリにもしっかりと伝わっていた。
 そして彼女達が無事に演奏を終えた瞬間、これまで自分の気持ちを表に出さなかったアカリは、思わず立ち上がって叫んだ。

「そう、これなのよ! こういう音楽を私は聴きたかったのよ!」

 突然のことに周囲の人々が戸惑いの表情を見せるが、アカリは気にせずそのまま大声で語り続ける。

「決めたわ! 私、この子達にウチに来てもらいたい。一緒に蟹鍋食べながら、この子達と一緒に音楽を奏でたい! 優勝は『マージャ少年音楽隊』よ!」

 彼女がそう叫ぶと、それ続けて観客席からも彼女を支持する拍手が沸き起こる。ニコラ達は突然の展開に呆然としながらも、やがて事態を把握し、抱き合って喜び始める。

(さすがに、13人分の優待券を出すと言ったら、店長に怒られるかもしれないけど、まぁ、別にいいわよね)

 アカリが内心で苦笑しながら改めて彼女達の栄誉を讃える拍手を送る中、最後に領主であるレインが、愛用のギター(型の武具)を持って、ステージに上がる。

「みんな、ありがとう! 少年音楽隊のみんな、優勝おめでとう! 最後はみんなで一緒に歌おうね。LOVE & PEACE!」

 彼女がそう叫んでギターを奏で始めると、観客席は一斉に手拍子を始め、そしてレインの歌声が会場中に響き渡る。
 実は、レインの歌やギターの技術自体は、今回の大会に出場してきた多くの音楽家達と比べて、それほど突出して高いという訳ではない。しかし、レインの歌声には会場全体に不思議な高揚感をもたらす独特の力がある。あえて言うならばそれは、レインの持つ「心の力」なのであろう。マージャの人々の大半も、そんなレインの「技術とは別次元の魅力」に惹かれた人々だからこそ、今回のこのアカリの裁定を素直に受け入れたと言える。
 こうして、「第2回マージャ国際音楽祭」は、大盛況のうちに幕を閉じることになった。

4.2. 詩人の提案

「私としては、出来る限りのパフォーマンスは出来たと思います。あれで勝てなかったのなら、完敗ですね。やっぱり、子供達の持つ魅力には勝てません。私も実際、あなた達の曲が一番いいと思いましたし」

 大会を終えたハーミアは、楽屋裏でティリィに対して笑顔でそう語る。その傍らには、ティリィ達をねぎらうルーク達の姿もあった。そしてハーミアの傍らに立つ明良もまた、キヨに対して「やりきった笑顔」で敗戦の弁を語る。

「やるだけやったんだから、悔いはない。せっかく助けてもらったんだから、出来ることなら優勝して、お前と一緒に蟹鍋が食べたかったんだけどな」
「久しぶりに皆さんの演奏が聴けて、よかったです」

 キヨもまた笑顔でそう答えて、明良達を讃える。そんな中、ハーミアはティリィに対して、少し真剣な表情を浮かべながら、唐突に話題を変えた。

「ということで、大会も終わったので、この『期間限定バンド』はもう解散なんですけど……、私、もう少しここに残ってもいいでしょうか? 出来ればもう少し、ここの子供達と触れ合っていきたいんです。ウチの領主様は、話が分かる人ですから、もし、あなたが『どこかに行かなきゃいけない用事』があるなら、その間、私が留守番を担当してもいいですよ」

 突然の提案に、ティリィは戸惑う。少なくともティリィ自身は、ルークからの依頼の件について、ハーミアに話した記憶はない。にもかかわらず、なぜ彼女が急にこんなことを言い出したのか、正直、ティリィには見当がつかなかった(そんな二人を遠くから眺めながら「こういうのは、根回しが重要だからね」と内心呟いていた「影」の邪紋使いがいたのだが、そのことにティリィが気付ける筈もなかった)。
 とはいえ、確かに、ハーミアであれば、しばらくの間、ティリィの留守を任せられるかもしれない。少なくとも、ここ数日の彼女を見る限り、子供達は彼女になついている様子である。ティリィは少し逡巡しつつも、改めてルーク達に目を向ける。

「あなた達には、私の力が、どうしても、必要?」

 そう言われたルークは、彼女の目を見てはっきりと答える。

「あぁ。どうしても必要なんだ」

 強い信念が込められたルークの瞳を目の当たりにしたティリィは、更に問いかける。

「私は『死神』。もしかしたら、またあなた達の周りに、不幸をもたらすかもしれない。それを撥ね退けるだけの力を、あなた達は持っている?」

 それに対して、今度はマライアが口を開いた。

「一緒に動物達を探したり、魔境に入ったりして思ったけど、あなたは『死神』なんかじゃない。私達にとっては、むしろ『女神』よ」

 真剣な表情でそう言われたティリィは、思わず苦笑を浮かべる。

「それは……、大袈裟。でも、そんなことを言える人達なら、大丈夫」

 そんなティリィに対して、改めてルークが語りかけた。

「たとえ君が死神だとしても、それで私達に不幸が訪れたとしても、かまわない。どんな不幸が来たって、皆でいれば、跳ね除けられるさ。君一人がその不幸を背負うよりも、その方がいい」

 それは、バルゴを倒した時に口にした言葉と、ほぼ同じことを意味していた。それに対して、今度はティリィもはっきりと、自分の言葉で答える。

「確かに私もそう思った。あの魔境で、そこの君主様が倒れた時、私は、また自分の前に誰かが死んで行くのかと思った。でも、あなた達は、あなた達の力で立ち上がってみせた。だから、これから先もずっとそうだと思いたい」

 そう言った上で、改めてティリィは、ハーミアの方に顔を向ける。

「ハーミアさん、この子達のことを、少しの間、お願いしてもいいかしら?」
「大丈夫ですよ。私も子供達の相手をするのは好きですし。あの子達に話してあげている叙事詩も、まだ第3章の途中の『婚約不履行で貴公子様が逃げ出すくだり』までしか語ってないから。その続きを伝え終わってから帰りたいと思っていたところです」

 その叙事詩(というよりも、妄想詩?)を伝えることの是非についてティリィが判断に迷っている間に、ハーミアは話を続ける。

「今、『あなたにしか出来ない使命』があるなら、それを果たしてきて下さい。あと、実は私も私で、今回の件とは別に、『テイタニアを救うために必要な人』を探しているんです。この村は、色々な人達が行き来する村のようですから、このまま私がこの村に残ることで、『その人』に出会える機会が得られるかもしれません。それに、もしかしたら……」

 そう言って、一瞬、ハーミアはルークに目を向ける。

「いや、それは、今の私が判断出来ることではないですね」

 ハーミアのその視線と発言の意味は、その場にいる者は誰も理解出来なかったが、ひとまず、こうしてハーミアの協力を得たことで、ティリィはルーク達について行く決意を固めたのであった。

4.3. それぞれの帰路

 その後、ルーク達は楽屋にて、他の出場者達とも遭遇することになる。ロザン一座の面々は、アイレナを助けてくれたことについて改めて深く礼を述べつつ、これからすぐに次の予定地へと出発するという旨を告げる。
 優勝を逃したことについては、ミレーユもアイレナも残念がってはいたものの、彼女達もまた、どこか納得したような様子であった。というよりも、彼女達自身の中で、自分達に何が欠けていたかを理解出来ていたようである。

「私達の心の中に、ある意味、『邪念』があったのかもしれないわね。今、私達は、自分達の歌を『ある目的』のために使おうとしている。そのことを考えすぎて、目の前の観客を楽しませるという、一番大切な心を忘れていたのかもしれない」
「せっかく私のことを助けてくれたんだから、せめて恩返しに『最高の歌』を伝えたかったんだけど、まだまだだったみたいね。また、もっと上手くなって、もっと歌心を磨いてから、また聞いてもらうわ」

 そう言って彼女達は、翔達に守られながら、マージャを後にするのであった(彼女達が言うところの『目的』についてはブレトランドの英霊5を参照)。
 一方、最初から優勝よりも「ラピスの人々への想い」を伝えることが主目的であったエルネストは、その目的を果たして満足した表情を浮かべながら、ルーク達に対してこう提案する。

「もしこれから、ラピスを奪還するのであれば、我々としても全力で協力したいので、我がパルテノに来て頂けないだろうか?」

 ルークとしても、その提案は願ったりの話である。しかも、マライアの中の「シリウスの感覚」によれば、「七人目」と思しき気配が、どうやらそのパルテノの方向から感じられるらしい。こうなると、祖国に帰って来てようやく見つけた「全面的な味方」のお膝元に行くことを断る理由は、何も無かった。

「わかりました。どちらにしても、我々の目指すべき方向もそちらのようですし、このままパルテノまで御同行させて下さい」

 ルークがそう答えると、その背後から、この件とは全く関係のない筈の人物の声が聞こえた。

「え? パルテノに行くの? じゃあ、私もそれについて行っていいかな?」

 ポーラである。突然の申し出に困惑するルーク達に対して、後ろからリナが口を挟む。

「ダメですよ、ポーラさん。マーシーさんに認められた休暇の日程的には、今すぐ帰らないとギリギリなんですし。まだ色々と契約も残ってるんでしょ?」
「……そうね。私一人なら行ってもいいんだけど、この子(KX-5)は持ち主に返さなきゃいけないし、私一人で行動しちゃダメって色々な人に言われてるから、今日のところはここで帰るわ」

 今でこそ彼女はグリースと専属契約を結んでいるが、彼女の本性は「流浪の歌姫」である。気に入った人物を見かけたら、フラフラとその者について行きたがる習性があるらしい。グリースの知恵袋であるマーシーがリナを「お目付役」として付けたのも、そんな彼女の勝手な行動を阻止するためであろう(リナも本来は気まぐれな性格であるが、誰かに重要な「使命」を託されれば、それを全力でまっとうしようとする程度の気概の持ち主でもある)。

「ところで、一応、確認しておきたいんだけど、今、あなたの本命はどの子なの?」

 ポーラがルークに対して唐突にそう言うと、彼は再び困惑した表情を浮かべる。

「……おそらく、伴侶のことをおっしゃっているのだと思いますが、この使命が終わるまでは、そういうことを考える余裕は」
「つまり、まだ本命はいないってことね。いいわ、それなら、まだ私にもチャンスはあるってことよね」

 そう言ってルークに迫ろうとするポーラであったが、その瞬間、背後からステージ衣装の腰紐をリナに引っ張られて、そのまま引きずられていく。

「ポーラさん、馬鹿言ってないで帰りますよ」
「あぁ、ちょっと待ってよー。いいじゃない、もう少しくらい……」
「すみませんね、この人、あなたみたいな『真面目な男』をからかうのが趣味なんで」

 リナはそう言いながら、ポーラを強制連行してグリースへと帰還する。ポーラとしては、またしても優勝を逃してしまったことは不本意ではあったが、久しぶりに「自分の好きな音楽」を奏でることが出来たことで、歌姫としての充足感は満たされていたようである。

4.4. 出立に向けて

 翌日、エルネストと共にパルテノへと向かうことが決まったルーク達に、もう一つの朗報が飛び込んだ。ティスホーン以来、別行動となっていたラスティ達四人の気配がマージャへと近付きつつあることを、マライアが感じ取ったのである。
 こうして、ようやくこの地を旅立てる要件が整ったルーク達が出立の準備を始めていたところへ、改めてこの村の領主のレインが、駐在武官であるメアを連れて彼等の宿を訪れた。音楽祭の危機を解決してくれたことに改めて礼を告げるレインの横で、メアは「友人」である筈のキヨに対して、恨めしそうな視線を向けながら口を開く。

「結局、一度もウチには来てくれませんでしたね」
「色々と、忙しくて……」

 バツが悪そうな顔でそう答えるキヨであったが、メアは更に拗ねた表情を浮かべる。

「アマルさんのところには何度も行ってたのに……」

 誰から聞いた情報なのかは分からないが、そんな恨み言を口にしながら、そのままメアはレインと共に立ち去って行く。キヨとしても、別に猫が嫌いな訳ではないだけに、申し訳ない気持ちだけが残ってしまっていた。ちなみに、この後、キヨが出発前にメアの家に行ったのか、それとも最後までアマルの家に入り浸っていたのかは、どの文献の記録にも残っていないようである。


 一方、そんな彼女達と入れ違いに、今度は監査官のラーテンが彼等の宿を訪れた。今回の任務を無事に終えた彼は、以前に会った「公務」の時とは別人のようなざっくばらんな態度で、ルークに接する。

「いやー、あんた達のおかげで、俺も安心して首都に帰れるよ。ところで、ちょっと聞いた話なんだが、そこの魔法師さん、まだあんたの契約魔法師じゃないらしいな」

 マライアに目を向けつつラーテンがそう問いかけると、ルークは素直に答える。

「えぇ、そうですが、それが何か?」
「もし良かったら、俺と契約しないか? 俺の本来の契約相手は、故あって、今は君主じゃなくなってしまってるから、実は今、俺はフリーなんだよ」

 そう言いながらラーテンが改めてチラッとマライアの方を見ると、彼女がどこか複雑そうな顔をしているのが分かる。そして改めてルークの方を見ると、彼も彼でどう返答すれば分からない表情を浮かべていることから、なんとなくラーテンは「空気」を察する。

「まぁ、『最初の契約魔法師』を誰にすべきか、まだ迷っているなら、この件が終わった後でもいい。ただ、それまでに俺も気が変わるかもしれないからな。あんたよりも、もっと面白そうな君主がいたら、俺はそっちに行くかもしれない。まぁ、じっくり考えておいてくれればいいよ。もし、あんたが本格的にラピスをどうにかしようというなら、その時また会うことになるかもしれないしな」

 そう言って、ラーテンは去って行く。現在、彼は「アントリア子爵預かり」という立場でスウォンジフォートに滞在しているものの、そのアントリア子爵自身が不在ということもあり、そろそろ自分の「新しい君主」を決めなければならない立場にある。もしかしたら、このルークという人物について行くのも面白いかもしれない、と思ってカマをかけてみたラーテンであったが、今ひとつ彼に「その気」があるように思えなかったので、ここは素直に退くことにしたのである。

(とはいえ、いつまでも姉ちゃんの世話になってる訳にもいかないし、さて、どうしたものかな……)

 そんな悩みを抱きながら、彼はアントリアの首都スウォンジフォートへと帰還していくのであった。


 そんな中、ティリィもまた、出発の日が近付いていることをマライアから聞かされ、荷造りを始めていた。その傍らではニコラがその作業を手伝いながら、ティリィから孤児院の管理のために必要な事項を再確認している。

「ティリィさん、無事に帰ってきて下さいね」
「もちろん。ニコラも、私がいない間、皆のことをお願い。ハーミアさんにも頼んだけど、皆のことをよく知っているのは、ニコラだから」

 ティリィはそう言った上で、その傍らで彼女達を見守るハーミアに問いかける。

「ハーミアさん、本当に頼んで良かったの?」
「私は、この村の雰囲気が気に入ってますから。使命さえなければ、いつまででもここにいてもいいと思ってるくらいです」
「そういうことなら、孤児院の子達とも仲良く出来ると思う」
「でも、この子達が本当にいてほしいのは、あなただと思いますけどね」
「うん、全部終わったら、ここに戻ってくる。それは変わらない」

 ティリィはそう言った上で、思い出したかのように、一枚の紙片を取り出す。

「そうだ、一つ、『お礼』じゃないけど、これを」

 彼女はそう言って、「黄金の蟹座亭」の優待券をハーミアに手渡す。

「あの子達も楽しみにしてると思うから、一緒に行ってあげて。このままだと、あの子達のことだから、私が帰ってくるまで、待ってるでしょう。それは、ちょっと可哀想だから」
「じゃあ、一応、あなたがそう言ってたとは伝えます。でも、多分、あの子達は、あなたが帰ってくるまで待つと言うと思いますけどね」
「その時は、仕方ない。でも、もしあの子達と一緒に行くことになったら、その時は、保護者として、あの子達のことをお願いします」

 そう言って、ティリィは荷造りの作業に戻り、ハーミアもまた「どうせ最初から結論は出ているのにな」と思いつつ、素直にその気持ちを受け取ったのであった。

4.5. 死神の決意

 こうして、彼等の旅立ちの準備が進む中、ようやくラスティ、フリック、ロディアス、エルバの4人がマージャに到着し、ルーク達と再会する。

「すまなかったね、こいつが途中で色々馬鹿やったせいで、時間がかかってしまって」

 エルバがラスティを睨みつけながらそう言うと、彼は申し訳なさそうに苦笑を浮かべる(彼等のここに至るまでの経緯の一部については「ブレトランドの遊興産業」を参照)。そして、少し遅れてその場にレピアが現れた。

「出来れば、もう少しゆっくりしたかったけど、残念ながら揃ってしまったみたいだね。じゃあ、向かうことにしようか」

 レピアはそう言った上で「初対面の四人」に対して一礼する。

「では、初めまして。今の僕の『肩書き』が何なのかはよく分からないけど、とりあえず、そちらのルークさんと一緒に、ラピスに行くことになったレピアです、よろしく」

 そう言って、足に刻まれた邪紋を見せると、「古参組」もそれぞれに自らの邪紋を見せながら、自己紹介を始める。

「俺はラスティだ。戦いと力仕事は、俺に任せてくれ」
「私の名はフリック。皆の盾となって、全力でお守りします」
「はじめまして、ロディアスです。まぁ、ロディと呼んでくれればいいよ。あ、ようやく『僕と歳が近い人』が入ってきたみたいだね」

 左目を大きく見開いたロディにそう言われたティリィは、一瞬戸惑いつつも、おもむろに口を開く。

「白狼騎士団軍楽隊所属、ティリィ・アステッド。二つ名は、死神」

 ティリィは笑顔でそう名乗る。どうやら彼女の中で、ようやく「死神」としての力を、「皆を守るために与えられた力」として受け入れた上で、積極的に胸を張ってそう名乗れるようになったようである。

「なんだか物騒な呼び名だけど、私以外にも女性の邪紋使いがいてくれて安心したよ。ラスティみたいなのばかりだと、むさ苦しくてかなわないからね。私は、エルバ。エルバ・イレクトリス。よろしく、死神さん」

 そう言ってエルバが微笑みながら手を差し出すと、ティリィも笑顔のままその手を素直に握り返す。こうして、ラピス解放を目指すルーク達の元に「六人の邪紋使い」が集うことになった。残るシリウスの後継者は、あと、二人。

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最終更新:2015年09月26日 05:00