第3話(BS18)「忠〜捧げ続ける誠〜」 1 / 2 / 3 / 4


1.1. 老兵と少年

 ヴァレフール北部の湖岸都市ケイは、同国騎士団の七人の騎士隊長(男爵)の一人であるガスコイン・チェンバレンによって治められた北の要衝である。現在、この都市は、ヴァレフールの伯爵位継承争いにおける反体制派(ゴーバン派)の重要拠点の一つであるが、数ヶ月前に中央山脈で発生した巨大生物との戦い(詳細は「禁じられた唄」参照)で多大な損害を受け、その戦力を大きく損なってしまっていた。
 この状況を立て直すため、領主ガスコインは隣村レレイスホトから、引退したその村の元領主ハンス・オーロフを弓術指南役として招聘した。ハンスはヴァレフールでも随一の弓の名手として知られており、過去にも多くのアーチャーやシューターを育ててきた実績がある。今はもう58歳という高齢に達していることもあり、既にその聖印を息子(現レレイスホト領主)に譲ったことで、今は「君主」としての力は失っていたが、この街の守備隊に入隊したばかりの若い兵達の良き手本としての役割を期待した上での抜擢であった。
 ハンスには、ガスコインが所有する領主の館の別棟の一つが住居として貸し与えられているが、既に妻は亡く、子供達も皆、独り立ちしたため、共に住む家族はいない。彼と共にこの家で暮らしているのは、長年戦場を共に渡り歩いてきた二匹の犬(ボルゾイ)と、そしてレレイスホトから唯一連れてきた、彼の「侍従兼弟子」を自称する一人の少年(下図)のみである。


 その少年の名はロディアス。通称はロディ。まだ13歳だが、その弩の腕は既に一軍を率いるに足る実力と言われている。本来、彼はそれなりに裕福な商家の出身であったが、金勘定が苦手だったこともあり、家業を継ぐ気にはなれずにいた。そんな中、偶然知り合ったハンスの弓術に魅了された彼は、ハンスに弟子入りすると言って家を飛び出し、強引に彼の家に住み込むという形で、「内弟子」としての立場を強引に勝ち取ることになったのである。
 とはいえ、当初は全くの素人だったため、ハンスとしては時間をかけてゆっくりと育てていく方針だったのだが、ロディとしては、年々身体が衰えていくハンスの身を案じながら、少しでも早く彼を支え、そして超えていける存在になりたいと強く願っていた。そんなある日、彼の元に北方から謎の「珠」が飛来し、それが彼の体に飛び込んできたと同時に、彼の「体の一部」に「邪紋」が出現したことで、彼は「射手(シューター)」の邪紋使いとしての力を手に入れることになったのである。
 邪紋の力を手に入れた彼は、ハンスの的確な指導もあって、瞬く間に弩の名手として台頭し、名実共に彼の「一番弟子」としての立場を確立しつつある。だが、まだ気性は幼く、軍隊という組織の中でその力を発揮出来る状態ではないというハンスの判断から、ケイの弓兵隊には従軍させず、あくまでもハンスの侍従という立場のまま、正規の弓兵および訓練兵達と同じ練兵場で、弩の修錬に励んでいた。

「違う、弦を引く時はもっとこう右肩の角度を下げるのだ」

 ハンスがそう言って若い兵士達を指導しているその横で、ロディはハンスの仕草を真似ながら、その指導に便乗する。

「そうだぞ、もっとこう右肩を下げてだなぁ……」

 さすがに、まだ子供のロディにそう言われたその若い兵士は、露骨にイラつきながら彼を睨みつける。

「お前の専門は弩だろ!」
「あ、バレた?」

 そう、ロディの得意武器は、いわゆる長弓ではなく、弩(クロスボウ)である。もっとも、仮にロディが長弓使いだったとしても、指導の最中にふざけた茶々を入れられたら、どちらにしても怒っていたであろうが。

「お前、最近、力つけてきたからって、調子乗ってないか?」
「だって、力つけたんだもん。見てなよ」

 ロディはそう言って弩を構えると、その兵士が狙おうとしていた標的の中心を一発で射抜く。その腕前に兵士が言葉を失っていると、彼は更に続けて弩に次の矢を装填し、同じ標的に向かってもう一度射撃する。すると、その矢が既に的に刺さっていた前の矢を真後ろから貫通するように全く同じ場所に突き刺さり、前の矢が真っ二つに割れてそのまま後の矢が突き刺さる。このような正確無比な射撃が、並の人間の技量では到底不可能なことは、誰の目にも明らかであった。
 たかが13歳の子供にこのような神業を見せられてしまった兵士が何も言えずに黙り込んでいると、ハンスが再び口を開いた。

「人間、いつ何をきっかけに才能が開花するかは分からん。こいつも、ついこないだまではお前達よりも出来の悪い弟子だったことは、皆も知っているだろう。だが、こいつのように、突然として何かの才能に目覚めることもある。だから、お前達も腐らずに修練に励め。あと、お前もあまり調子に乗るな」
「はーい」

 両者を諭すような口調でそう言ったハンスだったが、ロディにはあまり通じていないようである。ちなみに、ロディが邪紋に目覚めたことはハンスは知っているが、他の者達にはあまり知られていない。というのも、彼の邪紋は、普通の人とはやや異なる位置にあるため、浴場などで彼の身体を見ている他の兵士達も、それに気付かない者が多いのである。
 そして、ハンスが別の兵士に声をかけようとした時、一匹のボルゾイが、走って駆け寄ってきた。ハンスの二匹の愛犬の中の一匹、ボリスである。その口には、一張の長弓を加えており、その後ろから、一人の兵士が追いかけてくる。

「師範、すいません、そいつが、俺の弓を勝手に……」

 どうやら、この弓の持ち主らしい。見たところ、まだ入隊したばかりの新兵のようである。それに対して、ハンスは冷たい視線で答える。

「勝手に持って来る筈が無かろう。こやつらには、弓の扱いが悪い兵に対して怒るように躾けてある。よほど、お主の弓の使い方がおかしかったのだろう」
「いや、確かに、扱いにくい弓ではあったんですが、そんな乱雑に扱ってた訳じゃ……」
「ともかく、しばらくこの弓はわしが預かっておく。お主は、しばらく基礎体力作りに専念しておけ。弓を思うように操れないのは、心身共に未熟な証拠じゃ」

 そう言って、ハンスは愛犬ボリスからその弓を受け取り、その兵士は落胆した顔でその場から去って行く。その弓は、一介の新兵が持っているにしては品質の良さそうな長弓であったが、ロディには、どこか奇妙な気配が感じられた。だが、それが何を意味しているのかは(まだ自分の持っている「力」の本質に気付いていない今の彼には)分からなかった。

(なーんかヘンな感じがするけど……、ま、いっか)

 そう思いながら、やがて一通りの訓練を終えると、ロディは弩を背中に背負って、街の外に散策に出掛ける。まだ13歳の彼にとっては、森と湖に囲まれたこのケイという街の周囲は、格好の遊び場であった。ハンスに弟子入りして以来、同世代の友と遊ぶ機会が少なくなった彼にとっては、このような形での訓練後の市外散策はせめてもの気晴らしであり、ハンスもそのことでロディの帰りが遅くなっても、特に注意することはなかった。ただ、この日に限っては、ロディは自らのこの行動を、後に激しく後悔することになる。

1.2. 湖に住む魔物

 一方、その頃、先日のカナハの一件の後、マライアの直感力を頼りに旅を続けていたルーク達は、このケイの街へと向かっていた。マライア曰く、ケイに近づくごとに徐々にその「シリウスから預かった感覚」が反応しており、この先に「第三の後継者」がいる可能性が高いと彼女は実感しているらしい。ちなみに、実はマライアにとっては、ケイに来るのは二度目である。彼女はエーラムの学生だった頃、実地研修でこの街を訪れたことがあったため、この周囲の地理にはそれなりに通じていた。
 レレイスホトからケイへと向かう街道はブラフォード湖に沿うような形で続いており、その湖畔の景観はブレトランドでも有数の美しさであると言われている。だが、一見すると美しい自然であっても、いつ何が起こるか分からないのがこの世界である。初めて訪れるこの地で警戒しながら歩みを進めていく彼等であったが、そんな中、ラスティとフリックが、湖から奇妙な気配を感じて、立ち止まる。

「おい、この辺りの湖水から、混沌の気配を感じるぞ」
「どうやら、水面の奥で、何かが収束しつつあるようです」

 二人がそう言うと、マライアとキヨも歩みを止める。だが、彼等に先行する形で少し前を歩いていたルークにはその声が聞こえなかったようで、彼はそのまま一人で先に進んで行ってしまった。彼は自分が方向音痴だという自覚が無いようで、自分が皆を引っ張っていかねばならないという責任感から、常に先頭を歩こうとする癖があるようである。
 そして、そのことに気付かないまま、マライアは湖の水面を見つめ、慎重にその周囲の混沌の気配を察知しつつ、必要であれば混沌濃度を下げようかと思いながらしばらく様子を見ていると、やがてその湖の奥から、巨大な影が浮かび上がってくる。
 それは、巨大な「蛙」の姿であった。その数は約十匹。そして彼等の瞳が、明らかに自分達を「獲物」と認識していることに気付いたマライア達は、すぐに身構えて戦闘態勢に入ろうとするが、ここに至ってようやく彼等は、一人仲間が足りないことに気付く。

「ルーク? ルークはどこ!?」
「さっきまで一緒にいた筈なんですが……」
「アイツ、また勝手に一人でどっか行きやがったな!」
「仕方ない。ここはひとまず我々だけで撃退しましょう!」

 こうして、彼等は旗印である「君主」不在のまま、突然の遭遇戦を強いられることになったのである。


 一方、その頃、ルークは湖の近くの林の中を彷徨い歩いていた。

「皆、どこで迷子になってるんだ?」

 彼も途中で、自分の後に誰もいないことに気付き、途中で他の者達が横道にそれたのかと勘違いして、林の奥地に入り込んで行く。だが、その結果、彼は街道からも、ケイからも、そしてマライア達が止まっていた湖畔からも明らかに遠ざかる方向へと向かってしまったのである。

「兄さん、なに迷子になってるの?」

 そう言って、ルークの前に一人の少年が現れた。弩使いの少年、ロディである。どうやら、不安そうな顔で周囲をキョロキョロと見渡しながら一人で歩いている彼が、ロディの目には迷子に見えたらしい(そして、概ね合っている)。

「私が迷子? いや、私は街に向かっていた筈で、決して迷子になってる訳では……」
「街に向かう街道からは、明らかに外れてるんだけど……」
「そうなのか? ともかく、仲間を探さなければ」

 そう言いながら再び林の中をアテもなく歩き出そうとしていた彼の耳に、少し離れたところから、巨大な蛙のような鳴き声と、戦いの怒号の声が聞こえてきた。同じ声が聞こえたロディが、その音源の方向を指差しながら問いかける。

「あんまり考えたくないんだけど、アレ……?」
「あれだ!」
「とりあえず、急ごっか」
「うむ!」

 そう言って、二人は駆け出して行く。この時点ではお互い、まだ相手が何者なのかは気付いていなかったが、どんな形であれ、「困っている人」がいれば助けるというのが、ロディの師匠であるハンスの教えであった。そして、実はハンスはルークにとっても深い縁のある人物だったのだが、そのことをロディが知るのは、もう少しだけ先の話である。


 そんな二人が駆けつけるよりも先に、巨大蛙との戦端を開いていたマライア達であったが、初めて遭遇する敵を相手に、彼等は間合いの取り方を見誤ってしまう。湖から飛び出してきた蛙は、通常の武器がギリギリ届かない程度の距離まで近付いてきた時点で、突然、口の中から長い舌を伸ばして、彼等に襲いかかってきたのである。ラスティは龍化した腕で、フリックは巨大盾でなんとかその一撃を受け止めるが、軽装のキヨは若干の傷を負ってしまう。
 しかし、すぐさまキヨは反撃に転じ、襲い来る蛙達を次々に斬り捨てて行く。それに続いてラスティもまた、マライアの魔法(ヴォーパルウェポン)によって強化されたその剛腕で、襲い来る蛙達をまとめて薙ぎ払う。不意打ちで出鼻を挫かれたものの、この巨大蛙自体は、今の彼等にとってはそれほどの難敵ではない。
 そして、彼等二人の傍で、フリックが自らの短剣で目の前の蛙に斬りつけた次の瞬間、戦場に駆けつけたルークが、弓矢でその蛙に止めを刺す。彼の姿を見て安心したマライアであったが、それと同時に、ルークの傍にいる「弩を構えた少年」が目に入った瞬間、彼女の中の「何か」が強く共鳴しているのを感じる。

(この気配……、もしかして!)

 その少年の弩の標的が巨大蛙であることを確認した彼女は、彼が自分達に加勢しようとしていると確信した上で、すぐに駆け寄って彼の弩にもヴォーパルウェポンの魔法をかける。そして、その姿を見たキヨもまた、自らの中に秘められたオルガノンとしての霊力を、まさに蛙に向かって放たれようとしているロディの矢に注ぎ込んだ。その結果、彼の放った矢で残っていた巨大蛙も撃ち倒され、彼等は無事に混沌の浄化に成功する。
 ちなみに、この時、ロディはルークが使った長弓が、先刻ボリスが咥えて持ってきた(ハンスが新兵から取り上げた)弓に似ていることに気付いていたが、先刻の弓とは異なり、ルークの弓からは特に怪しげな気配を感じなかったため、特に気に留めはしなかった。
 一方、キヨはこの戦いを通じて、というよりも、これまでの幾度かの戦いを通じて、徐々にルークに対して、なぜか奇妙な「懐かしさ」を感じるようになっていた。普段の彼と接している時には何も感じなかったのだが、戦っている時の彼を見ていると、遥か昔にどこかで彼と会ったことがあるような、そんな気分にさせられていたのである。ただ、それがいつの話だったのかは思い出せず、その感覚の正体にもまだ彼女は気付けずにいたのであった。

1.3. 第三の犬士

「お兄さん達、危なかったね。良かった良かった」

 ルーク達に「助太刀」したロディは、どこか誇らしげな顔でそう言うが、実際には、最初にキヨが軽傷を負った程度で、それほど危ない状態ではなかった。とはいえ、彼が来なければ、もう少し戦いは長引いていただろう。

「五人もいて、皆揃って武装してるってことは、旅の傭兵か何かなのかな?」

 そう言って興味津々にルーク達を眺める。すると、彼の嗅覚が、ラスティやフリックから「自分と同じ匂い」を、そしてキヨからは「自分よりも更に濃度の濃い何かの匂い」を感じ取る。そして、それはラスティやフリックの側も同様であり、その傍でマライアは、改めて自分の中に眠る「シリウスの感覚」に問いかけてみた結果、彼女の中で一つの「確信」が生まれる。

「ちょ、ちょっと待っててね。皆、集合!」

 マライアがそう言って、ロディから少し離れた位置に皆を集めて、小声でヒソヒソ話を始める。一人取り残されたロディは、ポカーンとした様子でそれを眺めていた。

「え? 僕、何か悪いことしたかな?」

 そんな彼を横目にチラチラと見ながら、マライアは自らの直感を皆に告げる。

「じゃあ、あの子が、シリウスの力を持っている、と?」
「おそらく……」
「確かに、それっぽい力は感じるが……、でもなぁ、あんなガキンチョが……?」

 そんなやりとりを経た上で、ルークがロディの方に向かって、真剣な眼差しで歩き始める。

「え? なになに? やぶからぼうに……。お金なら、無いよ」

 少し怯えながら後ずさりするロディに対して、ルークは落ち着いた口調で語りかける。

「さっきは助けてくれてありがとう。なかなかの腕の持ち主だな」
「ホント? そう言ってくれる? 自分で言うのも何だけど、凄いもんでしょ」

 得意気な顔でそう胸を張るロディに対して、今度はマライアが問いかけた。

「あなた、何か他の人とは異なる力を持っていたりしませんか?」
「邪紋の力のこと? そうだよ。それが?」

 ロディは自分の力の根源が邪紋であることを公言はしていないが、隠している訳でもない。聞かれて素直にそう答えた彼に対して、再びルークが、今度はラスティとフリックを両脇に立たせる形で改めて問いかけた。

「君の邪紋の中に、こんなような紋様があったりしないか?」

 彼がそう言うと、ラスティは胸を、フリックは肩をはだけさせ、そこに記された「孝」と「義」の文字を露わにする(と言っても、キヨ以外の者にとっては、これはただの「紋様」にしか見えないのであるが)。

「知りたい? 知りたい?」

 勿体振るような口調で逆にそう聞き返すロディに対して、もう一度マライアが、今度は「子供」であるロディに合わせるような口調で、優しく微笑みながら問いかける。

「教えてくれない?」
「うーん、そうだなぁ……」

 ロディはそう言いつつ、ニヤッと笑ってから、左手の人差し指で左目の下瞼を大きくずり下げた上で、ペロッと舌を出す。

「教えてあげないもんねー。知りたかったら、追いついてみなよ!」

 イタズラっぽい口調でそう言って彼は駆け出して行く。突然の突拍子もない行動に呆気にとられたルーク達であったが、ロディが左目を大きく広げたその瞬間、マライア達は、彼の左目の眼球に「奇妙な紋様」が浮かび上がっていたことに気付く。そして、その紋様の中心には、キヨにとって見慣れた「文字」が記されていた。

(あれは『忠』の文字……)

 それは、かつてキヨの持ち主だったとある剣士が所属していた一団が好んで用いていた文字であり、彼女が見間違える筈もなかった。そのことを伝えられたルーク達は、慌ててロディを追い掛けていく。ようやく見つけた「三人目の後継者」に、こちらの事情も話さぬまま逃げられる訳にはいかなかった。

2.1. 惨劇と濡れ衣

 こうして、ロディの気紛れによって、突発的に逃走劇(というよりは「鬼ごっこ」)が始まった訳だが、身軽で身体能力の高いロディが本気で走ると、誰も彼に追いつくことは出来ない。そのことを途中で悟ったのか、ロディは途中までは、時々手を抜きながら、彼等の視界から消えないギリギリの距離で、彼等を挑発するように走っていた。彼としては、あくまでも「旅のお兄さん達」をからかって遊びたいだけだったのである。
 だが、そんな彼の表情が、街に入ると一変する。というのも、ケイの街の入口が見えてきたところで、先刻、師匠であるハンスの愛犬ボリスが、鬼気迫る表情でロディに走り寄り、何かを訴えかけてきたのである。ロディはこれまで、ボリスがここまで逼迫した表情になったのを見たことがない。直感的に彼は、ハンスに何か危機が起きていることを察知し、すぐにボリスと共にハンスの家へと向かう。
 前述の通り、ロディはハンスと二人で同居している。その家は、領主の館の敷地内の別棟に位置しており、ロディは当然、その家の合鍵を持っているのだが、彼が到着した時点で、扉の鍵は開いていた。この時点で、ハンスが中にいることを確信したロディであったが、扉を開けた瞬間、そこには信じられない光景が広がっていた。ハンスが、大量の血を流して倒れていたのである。

「し、師匠!?」

 動転したロディは、すぐにハンスに駆け寄ってその身体に触れるが、全く反応がない。まだほのかに体温が残っているように感じたが、脈も、肺も、心臓も、既に動いてはいなかった。

「いや、あの、そんな……、嘘でしょ…………。起きてよ!」

 そう言って、師匠の身体を激しく揺らすロディであったが、全く反応はない。そんな彼の大声を聞きつけたのか、領主の館の衛兵達が、半開きの扉を開けて部屋の中を覗く。

「ハ、ハンス様……、ロディ! お前、一体何を!?」
「大変だ、師範が、師範が!」

 彼等がそう叫ぶと、次々と周囲の人々が集まってくる。そんな中、ロディは部屋の片隅に、ハンスのもう一匹の愛犬であるミハイルが倒れているのを気付く。こちらはまだ微かに息があることを察したロディは、手持ちの治療道具を用いて、すぐにミハイルの傷口を止血する。その間に、館を警備している救護兵や軍医が駆けつけてきた。

「これは、至近距離から心臓を射抜かれてますね。矢のような何かで」

 ハンスの遺体を確認した軍医はそう言った。だが、この部屋には、外から狙えるような窓はない。そして、常識的に考えれば、部屋の中での暗殺において弓を使うことなどありえないし、この家の中には、隠れて弓を打てるような死角もない。状況的に考えれば、「部屋の中に突然現れた射手によって撃たれた」としか考え様がないが、そもそも、それなりに警備の厳しい領主の館の敷地内にあるこの建物に、外部からの侵入者が忍び込むのも至難の業である。
 そして、皆がこの不可解な状況を頭の中で整理していく過程で、一人、また一人と、ロディアスに対して疑惑の視線が向けられていく。

「え? ちょっと、何? 何なの?」

 そう言って不安そうな表情を浮かべるロディに対して、衛兵の中の一人が詰め寄って詰問する。

「お前は今まで、どこにいた?」
「湖の近く」
「それを証明する者は?」
「旅の兄さん達」

 ロディとしては、正直に聞かれたことに答えただけである。だが、「旅の兄さん達」と言われても、衛兵達にはそれを信じる要因がない。 

「よし、じゃあ、詳しい話は取調室で聞こうか?」
「え? なに? 僕を疑ってるの?」
「他に誰が、この家の中に入れるというのだ?」

 現状において、この家の窓も扉も壊された形跡はない。鍵を無理矢理こじあけた形跡も見あたらない。そして、扉の鍵を持っているのは、ハンスと、ロディと、この建物をもともと所有していたガスコイン男爵のみである。

「……いないかもしれないね。でも、違うよ!」

 ロディはそう言って否定するが、周囲の兵達が彼の身柄を拘束しようとする。

「なにすんだよ、はなせよ!」

 突然自分の両手両足を押さえつけられ、ロディは抵抗しようとするが、そのまま押さえ込まれる。ここで彼が本気を出せば、この場から逃れることは出来たかもしれないが、その場合、勢い余って衛兵達の何人かを殺してしまうかもしれない。そんな思いが頭をよぎった彼は、まともに抵抗することも出来ないまま、縄でその身を完全に縛られてしまったのであった。

2.2. 不本意な再合流

 一方、ロディを追ってケイの街の中に入ったルーク達であったが、途中からロディが本気で駆け出してしまったため、その姿を完全に見失い、街中をアテもなく彷徨い歩いていた。すると、やがて街中がにわかに騒がしくなっていくのに気付く。

「ハンス様が殺されたらしいぞ」
「家の中で何者かに撃たれたらしい」
「ハンス様の侍従のガキが、さっきしょっ引かれてったぞ」

 周囲の人々がそんな噂話をしているのがルーク達の耳に入る。この時、ルークは「ハンス」という名を聞いて、一人の人物が脳裏に思い浮かんだ。この世界では平凡な名であるため、それが自分の知っている人物のことだという確信は持てなかったが、直感的に「嫌な予感」が彼の頭をよぎる。
 そんな中、領主の館の近くを通りかかったルーク達の視界に、ロディの姿が映った。

「は・な・せ・よ!」

 そう言って、縄に縛られながら衛兵達に訴えかけるロディは、少し離れたところにルーク達がいるのを見て、大声で叫ぶ。

「あの人達だよ、あの人達なら、僕のことを知ってるから、ほら!」

 彼がそう言うと、衛兵達は訝しげな表情を浮かべつつ、ロディを連れた状態でルーク達の方に近寄っていく。だが、それと同時に、衛兵の一人が手綱を取っていた(先刻までハンスと共に倒れていた)ボルゾイのミハイルが、突然、鬼のような形相でルークに向かって吠え始めた。ルークにとっては、犬に吠えられるのは先日のカナハでの「スサノオ」以来、二匹目だが、今回はあの時とは異なり、本気の「怒り」がそこから感じ取れる。
 そして、長年にわたってミハイルと連れ添っていたロディには、このミハイルの吠え方は、明らかに「主人の敵」と対峙した時の吠え方であることが分かる。

(え……?)

 さすがに、この状況にはロディも困惑する。さっきまで一緒にいたこの「旅の兄さん」が、ロディよりも先に街に到達してハンスを殺すことは、どう考えても不可能である。遺体の状況から見ても、殺されてまだ間もない状況だった筈なので、ロディと合流する前に殺したとも考え難い。だが、ミハイルが尋常ならざる形相でルークに向かって吠え続けているのも事実である。

「ミハイル、落ち着くんだ!」

 ロディがそう言うことで、ミハイルは吠えるのをやめたが、それでも鋭い視線でルークを睨み続ける。そんな状況の傍で、衛兵の隊長らしき人物がルークに問いかけた。

「貴殿の所属と身分を教えてほしい。この街の者ではないな?」
「私はルーク・ゼレン。旅の者だ」

 この街の領主であるガスコインは、ヴァレフール内の「反体制派」に属する立場なので、自分が(体制派である)オーキッドの領主の養子だという話は出しにくい。ましてや、実家であるラピスに関しては敵国アントリアの村である以上、尚更その名を出せる筈がない。

「彼は街の外で出会った少年だが、彼が何かしたのか?」

 ルークがそう問いかけると、その衛兵は苦々しい表情を浮かべながら答えた。

「こともあろうに、こやつの主人である我がケイの弓術師範を、こやつが射殺したたのだ」
「違うって! 見てよ、この澄んだ瞳を!」

 そう言って、ウルウルとした瞳で衛兵を見つめるが、この時、衛兵は彼の左目に「紋様のような何か」が映っていることに気付く。

「お前、目の中に今、ゴミか何か入ってるか?」
「いや、涙くらい出るよ、こんな状況だもの」

 どうやらロディは動転して、自分の眼球の邪紋のことを言われているとは気付いていないようである。周囲の兵達も横から彼の目を覗き込むと、皆、ロディの眼球に「普通の人間の目」には存在しない筈の模様が刻まれていることに気付く。

「隊長殿、これはもしや、世に言う『魔眼』の類いなのではないでしょうか? もしかしたら彼は今、悪霊に取り憑かれているのかも」

 衛兵達がそんな話をしている中、ルークが助け舟を出そうとする。

「彼は先程まで私達と一緒にいた。彼が街の人を殺すなんて、ありえない」

 実際のところ、殺された時間帯がいつなのかも聞いていない今のルークの立場では、そこまで断言出来る要素は無かったのだが、彼は直感的に、この少年が罪もない人を殺すような人物ではない、と信じていたようである(無論、その背景には、彼が「シリウスの後継者の一人に選ばれた人物」だから、という理由もあったのだろうが)。

「そうか。ところで、このボルゾイはな、殺された師範の愛犬で、非常に主人想いで知性が高いことでも有名だったのだが、なぜか先程から、お主に対して激しい敵意を燃やしておる。これは、どういうことだと思う?」

 衛兵に突然そう言われて、ルークは困惑する。どうやら、ロディを庇ったことで、自分達もまた「共犯者」の一人だと疑われているらしい。

「確かに、ミハイルがあんな反応を見せるなんて……」

 つい、思ったことをそのまま口にしたロディに対して、ルークが動転した表情を浮かべる。

「お、お前、どっちの味方だよ!?」
「自分の味方に決まってるだろ!」

 困惑したままそう答えるロディに対して、今度はマライアが「余計な一言」を口にする。

「でも、君、さっき、急に走って行ったよね……」

 あの状況で、なぜロディが彼等から逃げ出したのか、マライア達にしてみれば全く理解不能である。何か後ろ暗いことがあると勘ぐられても文句は言えない

「あぁ、確かに走ったぁぁぁ!」

 ロディは自暴自棄にそう叫んで、そのままうなだれる。

「おいおい、なんだ、あいつら、仲間割れか?」

 衛兵達がそう言いながら困惑した表情を浮かべる中、「隊長殿」と呼ばれた人物は、厳しい表情でルーク達にこう言い放つ。

「とりあえず、お主らにも詳しい話を聞こうか」

 ルークとしては、ロディを仲間に加えることがこの街に来た目的である以上、ここで彼を見捨てて逃げる訳にもいかない。それ故に、ここはひとまず共犯容疑をかけられることも覚悟した上で、やむなくロディと共に、おとなしく衛兵達の「取調室」へと連行されるのであった。

2.3. 取り調べ

 こうしてルーク達は、周囲を衛兵達に取り囲まれた状態で、館内に併設された衛兵達の詰所にある「取調室」に押し込められた。一応、ロディも抵抗するのをやめたことで、ひとまず縛は解かれている。

「とりあえず、お主が『旅の騎士』なのは分かった。その上で、そこの魔法師は……、たしかお前、前にウチに来たことが無かったか?」

 衛兵隊長にそう言われたマライアは、自分のことを覚えていた人物がいたことに少し安堵しつつ、素直に答える。

「はい、以前、実地研修でこちらに来て、ここの領主様にはお世話になりました」
「で、そのお前が、どうして恩を仇で返すようなことを?」
「え? 疑われてます?」
「そこの騎士は、お前の契約相手だろう?」
「いや、その契約相手ではなくて、その、色々な事情があるというか、ややこしい関係というか、まぁ、旅仲間みたいな、そんなような……」

 この説明が、微妙に余計な誤解を招いたような気もするのだが、マライア自身はそのことには気付いていない。

「で、なぜこの街に来た?」
「いや、その、私の中で感じるものがあったというか、特殊な力を持った人を探してまして。それが、この子なんですけど……」

 そう言って、彼女はロディを指差すが、ロディは何を言われているのか分からない状態のまま、キョトンとしている。

「確かに最近、こやつは急に力をつけてきた。その背後に、何か良からぬ物に手を出しているのではないかという噂もあるようだがな」

 どうやらこの衛兵隊長にはマライアが言う「特別な力」が、人道を外れた何かであるかのように聞こえたようで、余計に印象を悪くしてしまったようである。少なくとも、現時点における実質的な唯一の「容疑者」である彼の力を必要としていると答えられたら、彼女のことを怪しむのも当然であろう。とはいえ、マライアとしても、「アントリアの村を救うために人材の引き抜きにきた」と堂々と言える状態ではない以上、中途半端な言葉でごまかすしかない。
 そして、隊長は次に、「最も怪し気な風貌の女性」の詮議に移る。

「お前は、何者だ?」
「ただの『犬好き』です」

 キヨは一言でそう答える。間違ってはいないが、そういうことを聞いている訳ではない。とはいえ、彼女の素性を正確に説明したところで、理解してくれるとは思えなかった以上、この場をごまかすにはこれが最適の回答であるように彼女には思えたようである。ただ、さすがに今はボリスもミハイルも相当に気が立っているようで、彼女にはなついてくれなかった。
 その後、ラスティやフリックも身分を聞かれたが、二人とも、適当にごまかすことしか出来なかった。同じヴァレフール人とはいえ、オーキッドもカナハもケイとの現状の関係は微妙な情勢である以上、ここは出自は言わない方が得策と判断したのであろう。ただ、こうやって彼等が自分達の「正体」を隠せば隠すほど、より容疑が深まってくる。

「とりあえず、今日の取り調べはこれくらいにしよう。続きは明日、領主様の御前にて評定を開くこととする」

 隊長はそう言って、彼等を地下の留置所へと軟禁するように命じる。一応、まだ「状況証拠」しかない以上、彼等を完全に犯人扱いは出来ないということで、ルーク達は手枷や鎖をつけられることはなかったが、武器に関しては押収を命じられた。ただ、ここで問題なのはキヨである。彼女は刀が「本体」であるため、彼女の「人間」としての身体から切り離すことが出来ない。
 そのことを示すために、彼女は彼等の目の前で、ひとまず「本体」だけの状態へと、その身を変化させる。

「あれ? お姉さんが消えた!?」

 彼女が「刀」だけの身になった瞬間、ロディはそう言って困惑するが、意外にも、周囲の衛兵達はこの状況をすぐに理解した。

「お前……、そうか、SFCと同じ類の投影体か!」

 実はこのケイには、つい数ヶ月前まで、キヨと同じ「ヴェリア界から投影された存在」であるオルガノンがいたのである(詳細は「禁じられた唄」参照)。しかも、「彼女(SFC)」はガスコインの嫡男セシルの側近であったため、この館を守る衛兵であれば、その存在を知らぬ者はいなかった。

「武器のオルガノンか。だとしたら、確かに切り離すことは出来ないな」
「しかし、だからと言って武器を持たせたまま留置所に入れる訳には……」

 衛兵達がしばらく協議した結果、ひとまずキヨに関しては「武器」として扱うということで、「武器庫」に鎖付きで保管することになった。キヨが本気を出せば、その鎖をも引きちぎられる可能性があるかもしれないが、現状では、それ以外の解決法が思いつかなかったのである。

2.4. 留置所会議

「なんで、こんな知らない人達と一緒に、僕は閉じ込められてるんだろう」

 兵舎の地下の留置所(実質的には牢獄)で、ロディは座り込んだまま壁を見つめてそう呟く。同じ部屋の中には、キヨ以外の面々も一緒に押し込められている。全員で雑魚寝する程度の広さはあるが、あまり快眠出来そうな空間ではない。
 そんなロディに向かって、ルークが問いかけた。

「ところで、君の名前は?」
「ロディアス。ロディとでも呼べばいいよ」

 ふてくされた様子で、彼はそう答える。

「そうか。私はルーク。旅の騎士だ」

 一応、先刻も衛兵達の前で名乗ってはいたが、ロディが覚えている保証もない以上、一応、改めて名乗っておくのが礼儀と考えたようである。

「ふーん。で、そっちのお兄さん達は?」
「俺は、コイツの兄貴だ」
「私は、ただの無法者だよ」

 ラスティとフリックが短くそう答えるが、聞いた当のロディ自身、あまりその答えには興味が無さそうな様子である。というよりも、今は何をすれば良いか分からず、なんとなく無気力なまま会話を続けようとしているのであろう。

「じゃあ、そっちのお姉さんは?」
「特殊な人を見分ける力を持った『綺麗なお姉さん』だよ」

 場を和ませようと笑顔でそう答えるマライアであったが、この状況でそう言われても、ロディとしてはどう反応すれば良いか分からない。

「あ、うん、綺麗だね……。じゃあ、さっきの消えちゃったお姉さんは?」

 そう言われて、今度はルーク達が答えれば良いか分からず顔を見合わせる。

「彼女は……」
「刀……としか言いようがないかな」
「正直、私達も、彼女のことはよく分からないのよ」

 そんな微妙に気まずい沈黙の後、ロディは、自分が「殺されたハンス」の侍従であり、弟子でもある、ということを説明した上で、誰に聞かれた訳でもなく、ただなんとなく、彼との思い出話を始める。

「ハンス師匠とは、これまでずっと一緒だった。師匠は凄い人だったから、あちこちの街で弓術を教えて回ってたんだよ。南はオーキッドから、北は……」
「オーキッドだと?」

 その地名に、ルークよりも先にラスティが反応した。

「うん、そうだよ。あの街の領主の、イノ……なんとかさんに呼ばれて」
「お前、父上のことを知ってるのか!?」

 いきなり「父上」と言われて、一瞬困惑したロディであったが、なんとなく空気を察して、そのまま話し続ける。

「まぁ、なんとなくというか、師匠に紹介されて挨拶した程度だけどね」

 そこまで聞いた上で、今度はルークが、先刻からずっと頭の中に浮かんでいた疑惑について確認しようとする。

「ロディ、殺されたお前の師匠のハンスというのは、元レレイスホト領主のハンス・オーロフ殿のことで、間違いないんだな?」
「あぁ、そうだよ。僕の大切な、世界で一番の弓使いさ」

 そう言われた瞬間、ルークはその場でうなだれる。

「そんな……、まさかハンス師匠が……」

 実はルークは昔、一時的とはいえ、ハンスに弓を習っていたことがある。ロディが言う通り、ハンスがオーキッドを訪れた際に、短期間ながらも彼から弓術の極意を指南され、その後もヴァレフール軍の合同演習の折に、何度も教えを受けていた。よくよく思い返してみれば、ハンスがオーキッドを訪れた際に、その傍に小さな侍従の子供がいたような記憶もあるが、もしかしたらそれが、ロディだったのかもしれない。

「私も昔、ハンス師匠に弓を習っていた身だったのだ……」
「なるほどね。で、師匠が弓で殺されたから、弓使いである僕達が疑われた、ってこと?」
「そのようだな」
「知らないよ、そんなの!」

 そう言って、ロディは小さな子供のようにジタバタと手足を動かす。だが、現状において、この状況を好転させるための術は、この場にいる誰も持っていなかった。

2.5. 武器庫より目覚めし者

(寂しい……)

 暗く冷たい兵舎の武器庫の片隅で、キヨは密かに心の中でそう呟いていた。この世界に来てからの大半の時を、彼女は常に「誰か」とすごしてきた。それはおそらく「道具」としての彼女の本能なのだろう。マライアと出会う前にも、幾人かの人々にその力を貸し、いくつかの事件を様々な人々と共に解決してきた。だが、今、彼女の周囲にあるのは、物言わぬ武具のみである。かつて自分もまた「ただの道具」にすぎなかった頃を思い出しつつ、持ち主も仲間もいない「孤独感」を、彼女は実感していた。
 だが、そんな中、微かに彼女はこの部屋の中から「自分自身とよく似た波動」を感じる。しかも、それはどこか懐かしい、おそらくはこの世界に投影されるよりも前に出会ったことのある誰かのような気配であった。

(私の他に「もう一人」いる?)

 状況的に考えて、明らかに「人」がいない筈のこの空間で感じ取れる気配である以上、おそらくそれはヴェリア界からの投影体のものであることは容易に想像がつく。そう、自分以外にもう一人、この武器庫の中に「オルガノン」が存在することに、彼女は気付いたのである。
 だが、部屋の中は暗く、そのオルガノンがどこにいるのかは分からない。そんな中、突然、武器庫の扉が開いた。扉の向こうの逆光に映し出されるようにそこに立っていたのは、三人の人物である。一人は大柄な青年であり、その傍に二人の(ロディと同じくらいの背格好の)子供が立っているように見える。その姿は、はっきりとは見えなかった。しかし、この暗い空間の中で研ぎ澄まされたキヨの感性は、彼等の正体をも一発で見抜いた。

(「この人達」も、私と同じ……)

 そう、明らかに彼等三人もオルガノンである。しかも、三人共、かつてキヨと(おそらくヴェリア界で)出会ったことがある者達である。そして次の瞬間、武器庫の中に突然、一人の「人物」が現れた。はっきりと姿は見えないが、逆光の中に移ったその影は、細身で長身で、そして明らかに過去にどこかで出会ったことがある人物である。おそらくこれが、先刻キヨが感じた「武器庫の中にいるもう一人のオルガノン」なのであろう。
 この時点で、キヨはまだ「刀」の状態のままである。おそらく、彼等には自分の存在は感知されていない。そして、「扉の向こうから来た三人(大柄な青年一人と、子供二人)」は「武器庫の中にいた一人(細身で長身の人物)」を連れて、そのまま武器庫の外へと去って行く。キヨは、今、自分の目の前で起きている状況を落ち着いて整理しながら、改めて、今回の事件の「真相」について、一人静かに思案を巡らせるのであった。

2.6. 共有する意思

「ロディ、君に伝えなければならないことがある」

 この状況を打破するためにはロディの全面的な協力が必要だと悟ったルークは、彼に「全ての真実」を伝えることを決意する。このような地下牢で語ることになったのは不本意ではあるが、どちらにしても、いずれは全てを伝える必要がある以上、遅いか早いかの違いでしかない。彼は、自分の実家であるラピスが危機に陥っていることと、その危機の元凶である透明妖精を倒すためには、長年村を守ってきた守護神シリウスの力を受け継ぐ後継者が必要だということを告げた上で、ロディにこう告げる。

「ロディ、君はそのシリウスの力の後継者なんだ」

 黙って静かにその話を聞いていたロディであったが、あまりにも突拍子のない話にやや困惑しつつ、苦笑いしながら受け流そうとする。

「まっさかぁ、そんな御伽噺みたいなコトがある訳ないじゃん」
「ロディ、君の瞳の中に文字があるでしょう? それは、地球という世界で使われている文字なの。私には読めないけど、さっきの刀のお姉さんがそう言ってたから、間違いないわ」

 マライアが真剣な表情でそう伝えると、ロディも少し深刻な表情を浮かべながら、少しずつその話を受け入れ始める。

「確かに、文字みたいな形してるけど……。で、どうするっていうの? まさか、僕の目玉をえぐり取って……」
「いや、君の目玉には興味はない。君の力が欲しいんだ」

 怯えるロディに対して、ルークがそう告げる。

「じゃあ、一緒について来いってこと?」
「そうだな。今はこんな状態だが、私達の仲間になって、共にラピスに来てほしい」
「ふーん……」

 ロディは少し間を置いた上で、あっさりと答える。

「いいよ、別に」
「……軽いな、おい!」

 もっと交渉が難航することを覚悟していた四人を代表するかのように、ラスティが思わずそう反応する。

「だって、本当はずっと師匠の下にいようと思ってたけど、師匠はこんなことになっちゃったし……。ただ、どうすんの、この状況?」

 確かに、まずは今のこの状況をどうにかしなければ、ラピスどころの話ではない。

「俺は武器が無くても、その気になればこの牢くらいぶち破れなくはないが、どうする?」
「いや、しかし、まだ有罪が確定した訳ではないからな」

 ラスティとフリックはそう語る。確かに、ラスティが竜化して本気を出せば、強引に脱獄することも出来なくはないだろう。ただ、フリックが言うように、まだ穏便に無罪を証明する方法もある。そして、その点についてはマライアも同意見であった。

「そうね。脱獄は最後の手段だから、有罪が確定してからにしましょう。キヨをどうするか、という問題もあるし」
「キヨ?」
「さっきの、刀のお姉さんのことよ」
「あ、キヨさんっていうんだ。そうだよね、あの人も別の所にいるし」

 今はまだルーク達は「軟禁」状態だが、キヨに関しては武器庫で厳重管理されている可能性がある以上、力づくで脱獄しようとしても、彼女を人質(?)に取られる可能性もある。そう考えると、ルークとしてはその選択肢は選べなかった。

「強行突破するのは難しいな、やはり」
「だから、そもそもなんで脱獄前提で考えてるんだよ!」

 ロディの中では、特に悪いことをした訳でもないのに、脱獄しなければならない理由はない。それに、ここで逃げ出したところで、師匠を殺した犯人が誰か分からないまま、この街を去らねばならなくなる。それは彼としては耐え難い決断であった。

「もういいよ、寝るしかないよ。こういう時に出来るのは、体力を回復させることだけだしさ」

 そう言って、彼はそのまま冷たい石畳の上で不貞寝を始める。ルーク達も不本意ながらもその意見に同意し、それぞれに快適とは言えないこの環境の中で、仮眠を取るのであった。

2.7. 推理と仮説

 そして翌日、改めて取調室に(キヨを含めた)六人が集められる。そして彼等の前には、この街の領主であるガスコイン・チェンバレン(下図)の姿があった。彼はまず、マライアに視線を向けながらこう告げる。


「マライアと言ったな。あの時は、仕事熱心で優秀な魔法師だと思っていたのだが、このような事態になってしまって、大変残念だ」

 厳しい表情を浮かべつつ、重々しい声でそう語る彼であるが、口調自体はそれほど高圧的ではない。どうやら、彼の中では確かに「研修生時代のマライア」は好印象だったようで、彼女がハンスを殺したという容疑についても、どこかでまだ信じたくないと考えているようにも見える。

「私としても、早く無実を証明したいところなんですけどね……」

 どう反応すれば良いか分からず、ひとまず思ったことを口にするマライアであるが、それに対してガスコインは、意外な発言で彼女を驚かせる。

「一応、私は君のことは目にかけていたからな。君がその後、アントリアの君主の下に仕えたという話は、風の噂で聞いてはいたんだ」

 実は彼は、マライアのことを息子セシルの契約魔法師候補として真剣に考えていたらしい。それ故に、彼がラピスのラザール・ゼレンと契約したと聞いた時は、やや落胆したという。そして彼は、そのラピスが現在、混沌災害に遭っていることまで知っているらしい。
 さすがに、そこまで知られているのであれば、マライアもこれ以上、隠し立てをする必要はない以上、素直にその事実を認める。そのことを確認した上で、ガスコインはこう問いかけた。

「では、なぜこの街に来た? ハンス殿を殺すことが、君の目的だったのか?」
「違います。まず、ハンス殿を殺したのは、私達ではありません。そして私達がラピスに来た目的は、私の村を襲った混沌災害を解決するために必要な人を探すためです」
「なぜアントリアの中ではなく、わざわざヴァレフールにまで」
「アントリアでは、あまり優秀な人が見つからなくて……」

 マライアとしては、この時点でまだシリウスの話まで説明しても良いものか迷っていた。ロディが「ラピス解放のためには絶対に必要な人材」だということが、敵国ヴァレフールの重臣である彼に知られてしまうと、それはそれで今後の交渉において面倒な事態を引き起こしかねない以上、慎重になるのもやむを得ない話であろう。

「人材不足か。まぁ、我が街もこの間の戦いで多くの優秀な者達を失ったからな。しかし、アントリアのために働く者がいると思うか? この間の中央山脈での一件以来、我が街ではアントリアの者達に対する憎悪は強いぞ。特に、アントリアの魔法師に対してはな」

 これは「アントリアの城塞都市クワイエットの魔法師が、マーチ村で起きた混乱に紛れてガスコインの嫡男セシルを殺そうとした」という歪んだ情報が広まったことが原因なのだが、そのことまではマライアが知る由も無い。

「それは覚悟の上です。その上で、アントリアに敵意を持ってない、もしくは、持っていたとしても協力してくれる人がいる可能性に賭けてみたかったんです。それに、混沌災害が広がっていけば、アントリアだけでなく、ブレトランド全体に被害が広がる可能性もあります。そうなったら、アントリアとヴァレフールが対立している場合ではなくなります」

 マライアは真剣な眼差しでそう訴える。ガスコインは、マライア達が犯人であることを前提とした上で話を進めてはいるが、彼の中ではまだ本気でそこまで容疑が固まっている訳ではないと感じ取ったマライアは、彼が自分に対してそれなりに好印象を持っているという可能性に賭けて、誠心誠意、真正面から説得を試みたのである。
 そして、その気持ちが通じたのか、ガスコインは表情は変えないまま、若干和らいだ声のトーンでこう告げた。

「分かった。ならばひとまず、ここは君の言い分を信じることによう。その上で、君は誰が犯人だと思う?」

 ガスコイン曰く、自分が持っているあの建物の合鍵は、誰にも盗まれていないという。ハンス自身の鍵は彼の遺体の懐に入っており、誰かに盗まれたとは考えにくい。そうなると、部屋に入れるのはロディだけということになる。

「大変失礼ながら、ガスコイン様も怪しいことになってしまう訳ですが」
「まぁ、そうだろうな」

 マライアの返答はかなり非常識かつ無礼な発言であったが、あっさりとガスコインはその言葉を受け止める。彼はもともと強面で軍人気質の人物であり、数年前に妻を亡くして以来、心が荒み始めているという噂もあるが、実際のところ、彼は一人の為政者としては、至って冷静かつ公正な君主である。

「でもさ、そんなもん、魔法とかでも、なんとでもなるんじゃないの?」

 ロディがそう口にすると、ガスコインは再びマライアに向き合って問いかける。

「そう、だからこそ、知りたいのだ。鍵も窓も壊さずに部屋に入ることが魔法について、君の知っていることを教えてもらいたい」

 マライアが知る限り、瞬間移動の魔法は存在するが、かなり高度な技術である。ましてや「見知らぬ場所」に下準備も無しにいきなり転移することが出来る者は、ブレトランドどころか、アトラタン全体を通じても殆どいないと言われている。

「それが出来るとしたら、かなり高位の魔法師で、しかも、少なくとも一度、あの建物の中に入ったことがある人物でなければ難しいです」

 少なくとも、マライアには出来ない。そしておそらく、ガスコインの契約魔法師を含めたこの街のどの魔法師でも不可能だろう。
 ここで、今まで黙っていたルークが、自ら手を上げて発言を求めた。

「領主様、このように考えることは出来ないでしょうか?」
「何だ?」
「ハンス殿がその犯人を部屋の中に招き入れて、殺害した後に部屋の鍵を内側から開けて逃走した、という可能性もあり得るのでは?」
「確かに、ありえない話ではない。ただ、あの方は大らかな人柄のように見えて、実は警戒心が強いところがある。犯人がどのような立場を装って近付いたにせよ、あの方がその犯人の殺気に気付かないとは考えにくい」

 その点に関しては、ハンスのことをよく知っているロディも同感である。とはいえ、そうだとするとなおさら、彼が警戒せず部屋の中に入れる人物として、一番怪しいのは自分ということになる以上、ここで「それは確かに」などと相槌を打つ訳にはいかなかった。
 そんなロディの内心を知ってか知らずか、ガスコインはそのまま語り続ける。

「まだそれよりは、たとえば魔法師が姿を消してハンス殿と一緒にこっそりと中に入った、という可能性の方がありえるとは思うが、傷跡は矢のような何かによる貫通傷だった。魔法師による殺害とは考えにくい」

 こうして、再び取調室内に沈黙が広がる中、今度はキヨがおもむろに手を挙げる。

「私なら、出来るのではないでしょうか?」

 突然、何を言い出すのかと周囲が驚く中、ガスコインは得心したような顔を浮かべる。

「そうか、オルガノンか。確かに、『道具』の状態であれば殺気は消せるのかもしれん。傷跡は刀傷ではなかったらしいが、もし仮に『弓矢のオルガノン』がいるのであれば、ありえない話ではない」

 ちなみに、彼はオルガノンに対してはあまり良い感情は持っていない。妻が亡くなった後、息子のセシルが側近のオルガノン(SFC)にばかり構って、引き隠りになっていたことが原因である。故に、キヨがオルガノンだと聞かされた時点で彼女に対してもどこか悪印象を持っていたのだが、ここに来て、その「オルガノン全般への悪印象」が、むしろ彼の推理を「キヨの仮説」を支持する方向へと向かわせて行く。
 そして、それに追い打ちをかけるように、キヨが昨夜の話を彼に告げる。

「昨日、武器庫にいる間に、武器庫の中にあった武器の一つが『人間』の姿に変わって、外から扉を開けた三人の『オルガノンのような人々』と一緒に、外に出て行くのを見ました」

 そう言われたガスコインは、衛兵に命じて武器庫の確認に行かせる。この時、ロディはハッとした顔になって、その衛兵にこう告げる。

「『弓』を見てきて!」

 彼は、前日にハンスが新兵から取り上げた「奇妙な気配を持つ弓」のことを思い出したのである。あの時はそれが何なのか気付かなかったが、シリウスの後継者である自分に「混沌の力」を嗅ぎ分ける能力があることを知った彼は、その時の弓に感じた感覚が、今現在、目の間にいるキヨから嗅ぎ取れる気配と非常に似ていることを思い出したのである。
 そして、しばらくして衛兵が戻ってくると、案の定、彼はこう告げた。

「ハンス殿の家で発見された弓が、無くなっています!」

 どうやらそれは、ハンスが前日に新兵から取り上げていた「あの弓」で間違いないらしい。あの時、彼が倒れた時点で彼の近くに落ちていたため、衛兵達が「犯人の獲物」かもしれないと考えて、念のため押収していたようである。

「それなら、もう次にやることは決まってるじゃん」
「そうだな。そいつらを探さなければ。だが、現実問題としてどの弓がそのオルガノンなのかを見分けるのは、我々には難しい」

 息巻くロディに対してガスコインがそう答えると、ここで今度はラスティが立ち上がった。 

「そうかい? じゃあ、なおさら俺達が協力した方がいいんじゃないか?」

 彼はそう言うと、フリックとロディに視線を向けながら、ガスコインにこう告げる。

「俺とコイツと、あと多分、そこのガキンチョも、一発で見抜けるぜ。オルガノンか、ただの武器かはな。なにせ俺達は『鼻』が効くんだよ。混沌に対してはな」

 突然そう言いだした彼に対して、ガスコインも周囲の衛兵達も困惑する。この状況で彼等の理解を得るためには全てを伝える必要があると腹を括ったマライアは、ここで思い切って、全ての真実を彼等に説明する。シリウスのことも、その後継者の持つ力のことも、洗いざらい全て語り尽くしたのである。
 それに対して、ガスコイン達も当初は「にわかに信じられない」という表情を浮かべる。そこで、彼は部下に命じて、三本の剣をこの場に持って来させた上で、こう問いかけた。

「この中の一つは、エーラムから譲り受けた『魔力(混沌)の力が込められた剣』だ。どれか分かるか?」

 ガスコインがそう問いかけると、ロディ、ラスティ、フリックの三人は、即座に揃ってその中の一本を指差す。見た目はほとんど変わらない三本だが、明らかにその一本から特殊な臭気が漂っているのを、彼等は感じ取ったのである。それは魔法師であるマライアにも、投影体であるキヨにも判別出来ない、まさに彼等だけが引き継いだシリウスの力であった。
 その様子を見て、ガスコインは一つの決意を固める。

「どうやら本物のようだな。まだ理屈はよく分からんが、いずれにせよ、私としても、大恩あるハンス殿を殺した犯人を、このまま放置しておく訳にはいかない。では、捜査に協力してもらおう。それが、お前達を釈放する条件だ」

 衛兵達の中には、まだ信用しきれない者達もいたが、それが領主の裁定ということで、やむなくその方針を受け入れる。
 そして、その決定の直後、ロディは少しホッとした表情を浮かべながらキヨに近付いていき、彼女の手を握り締める。

「ありがとう! お姉さんのおかげで助かったよ、ありがとう! ありがとう!」

 そう言いながら、彼はキヨの手を握って何度も振る。

(子犬みたいで、かわいい……)

 キヨはそんな感情を抱きつつ、自分と同じオルガノンの者達が、なぜこのような凶行に至ったのか、その可能性を自身の頭の中で少しずつ推理し始めていた。しかし、この時点ではまだ、その謎を解くためのいくつかの重要な情報が欠落していたのである。

3.1. 「鎧」との戦い

 こうして、ルーク達六人はひとまず「仮釈放」された。ただし、まだ完全に容疑が晴れた訳ではないので、それぞれに幾人かの衛兵達と共に、手分けして犯人探しに協力する、というのが、衛兵隊長の出した条件である。これは、彼等を一ヶ所に固めておくと逃走する危険性もあると考えた上での配慮でもあった。
 そんな中、ロディが衛兵達と共に街の中を調査して回ると、この日の訓練を終えて宿舎に帰宅しようとしていた新兵の一人が着ていた革鎧から、強い混沌の気配を感じる。今、主に探しているのは「あの新兵が持っていた弓」であるが、キヨの話を聞く限り、他にもオルガノンがいる(しかも仲間である可能性が高い)以上、放っておく訳にはいかない。
 ちなみに、この新兵の名はクランキー。最近入隊した青年であり、ロディとも面識はある。ロディは、いつになく低姿勢で彼に近付き、話しかけた。

「あ、ちょっとすみません」
「おぉ、ロディ、ここにいるということは、もう疑いは晴れたのか?」
「お陰様で。で、ちょっと来てほしいんだけど……」

 そう言ったロディの後ろに街の警備隊の者達が、訝しげな表情でクランキーを見つめている。

「えーっと……、俺に、何の用だ?」
「んー、クランキーさんじゃないんだよね。どっちかというと……、これ?」

 そう言って、彼の鎧を指差す。

「この鎧がどうかしたか?」
「いや、その鎧をちょっと調べさせてほしくて」
「それは別に構わないが……」

 クランキーがそう言って、鎧を脱ごうとした瞬間、その鎧が自ら彼の身体を離れ、そして一人の「大柄な青年」の姿に変わって行く。クランキーが驚いて腰が砕けたかのようにその場に倒れ込むと、その「大柄な青年」は、その場から逃げ去ろうとする。

「待てぇぇぇ!」

 そう言って、ロディが追いかけて行く。「鬼ごっこ」なら、彼は大抵の者には負けない。彼はその「大柄な青年」の足に飛びつくと、その青年はその場に倒れこむ。この人物が「鎧のオルガノン」であることは明白であると考えたロディは、なんとしてもここで捕縛しようとしたのだが、すぐに起き上がり、ロディの手を振りほどき、逆に彼に対して殴りかかろうとする。
 そしてこの瞬間、ロディは自分の周囲に誰もいないことに気付く。どうやら、彼等二人の足に追いついて来れる者が誰もいなかったらしい。弓使いの彼としては、この状況はあまり望ましくない。ひとまず、背負っていた弩を構えつつ、一旦距離を取って、「鎧」に向かって矢を放つ。

「許さない!」

 そう言って放った矢は彼の鎧(本体?)を直撃するが、一撃ではビクともしない。さすがに鎧のオルガノンだけあって、相当に頑強なようである。そしてすぐに「鎧」はロディとの距離を詰めて反撃に転じ、力任せにロディに殴りかかる。その一撃は極めて重く、軽装のロディはその一撃だけで相当な重症を負う。このまま一対一で戦えば自分が圧倒的に不利ということを悟ったロディは、ここで生まれて初めて「死の恐怖」に直面した。
 だが、次の瞬間、ロディの目の前にキヨが現れた。どうやら、たまたま近くを探していた彼女が、ロディの声を聞いて駆けつけたらしい。

「お、お姉さん、助けて!」

 彼がそう懇願するのとほぼ同時に、キヨが自らの「本体」を振り下ろすことで放たれた会心の一撃が「鎧」に深手を負わせ、無勢を悟った「鎧」は再び彼等から背を向け、逃げようとする。ここでロディが更に追いかけるが、キヨの足では彼等に追いつけず、再び彼一人が「一対一」で対峙する状態に陥ってしまう。

(しまった……、でも、ここで引くわけにはいかない!)

 決死の覚悟で「鎧」の攻撃を間一髪のタイミングで避けつつ、弩で応戦するが、なかなか敵に致命傷を与えられない。その後、更に逃走を計ろうとする「鎧」との追撃戦を繰り返しつつ、最終的には再びキヨと合流したロディが、満身創痍の状態で放った最後の一撃が「鎧」を貫き、彼はそのまま「混沌核」となって消えて行く。邪紋使いであるロディは、その混沌核を体に取り込むことが出来るのだが、今の彼は、なんとか生き残ったことへの安堵感で頭の中が一杯であり、そこまで考える余裕が無かった。

「ありがとう、お姉さぁぁぁん!」

 先刻の取調室の時以上に感慨深い声で、半泣きの表情を浮かべながら、ロディはキヨに飛びつく。本来であれば、生け捕りにして情報を聞き出すべき相手だったが、この状況ではこうなってしまうのもやむを得なかった。少しでも手加減していたら、ロディが命を落としていた可能性もあるほどの強敵だったことは、実際に彼と共に戦ったキヨにはよく分かる。
 そして、自分にすがりつくロディの頭を撫でつつ、その傍で消えゆく鎧を目の当たりにしながら、キヨは三つのことに気がついた。一つは、キヨはかつてこの「鎧」と、ヴェリア界で出会ったことがあるということ。二つ目は、この鎧の形状が、今のルークが着ている鎧に酷似していること。そして最後の一つは、ここ最近の戦いを通じてルークに感じていた「懐かしさ」は、この「鎧」や他のオルガノン達に感じた「懐かしさ」と同じものである、ということであった。だが、彼女が今の時点で不用意に発言すれば、ルークへの容疑が再燃する可能性がある以上、今はまだ、仮設レベルの話を口に出せる状態ではなかった。

3.2. 消えた「ブーツ」

 その後、ルーク、マライア、ラスティとも合流し、マライアが魔法で満身創痍のロディの傷を癒す。邪紋の力に目覚めて以来、自分と同格以上の存在と戦ったことがなかった彼は、この戦いで相当に精神を擦り減らしたようで、先刻までの威勢の良かった彼が嘘のように、消耗しきった表情を浮かべていた。
 そして、少し遅れてフリックも合流する。どうやら彼は、ロディが鎧のオルガノンと戦っている間に、別のオルガノンを発見していたらしい。彼が発見したのは、ガーナという名の女性の新兵が履いていた「ブーツ」である。そのブーツは明らかに男物のデザインで、しかも圧倒的に強い混沌の匂いを放っていたことから、彼女を呼び止めて確認しようとした瞬間、その一足のブーツが「二体の子供のような姿」に変わり、脱兎の如き勢いでその場から逃走したという。重装備を着込んだフリックでは到底追いつくことが出来ず、他の衛兵達もあっさりとまかれてしまったらしい。
 ここまでの目撃証言を照らし合わせて考えると、おそらく、ロディと遭遇した「鎧のオルガノン一体」と、フリックの遭遇した「ブーツのオルガノン二体」が、キヨが武器庫で見た「外から来た三人」なのだろう。ちなみに、フリック曰く、そのブーツのデザインは、ルークが履いているブーツに極めてよく似ていたという。
 そして、それらの武具を装備していたクランキーとガーナの供述によると、それぞれの鎧とブーツは、この街に来る過程で拾った代物らしい。どちらも(領主の一族であるルークが身につけている物と同型ということからも分かる通り)高品質の武具なので、ただの駆け出しの傭兵である彼等にとっては、そんなものが道端に落ちていたら、それを欲しがるのも道理である。そして、二人共、その「拾った武具」がオルガノンであることには今まで一切気付かなかったらしい。ただ、朝起きた時点で、武具が「寝る前に置いた場所」とは微妙に異なる場所に置かれていることなどがあったような気もする、とも話していた。
 この供述が本当か否かは分からないが、少なくとも、この二人には自ら率先してハンスを殺す動機は無く、二人共彼が殺された当時には、それぞれにこの武具を着た状態で兵舎で自主練を続けていたという証言がある。従って、少なくともハンス殺害事件に関しては、直接的には容疑の対象外という判断が下された。
 そして、ここまでの捜査を踏まえた上で、フリックは一つの素朴な疑問を口にする。

「彼等の目的は何なのだろう? ハンス殿を殺すことが目的だったのなら、彼等はもう目的を果たしたことになる。まだこの地に残っているということは、何か他の目的があるのではないか?」

 もっともな話だが、現時点ではまだそれを特定出来るだけの情報がない。その上で、未だ肝心の「弓」が行方不明のままという状況を踏まえた上で、今後は敵に対峙する際には皆が合流した状態でなければ危険、という見解を衛兵隊に共有させることに成功した彼等は、以後は個別行動を避け、まとまって調査にあたるという方針で一致する。
 その上で、ルーク達はロディに連れられる形で、その「弓」が向かう可能性が高そうなハンス(とロディ)の家に行ってみたが、あの「弓」が再びここに戻ってきたような形跡は見当たらなかった。そうなると、次に探すべきは、あの弓を持っていた新兵の行方だろう。兵達に話を聞いたところ、その新兵は「アソート」という名らしいが、この日は今朝から姿を見ていないという。

「僕が、必ず……」

 部屋の壁にかけられた、ハンスの最も得意としていた複合弓(コンポジット・ボウ)を前に、ロディは密かにそう誓いつつ、ルーク達と共に「弓」の行方を追うために、再び街へと繰り出していく。

3.3. 動き出す「弓」

 そして、そんな彼等が街中の探索を続けて行く最中、ロディの耳に、聞き覚えのある男性の叫び声が聞こえてきた。

「な、何なんだ、お前ら!?」

 それは紛れもなく、あの「弓」の持ち主だった新兵・アソートの声である。それを聞いてロディは駆け出そうとするが、自分一人だけが先行すると危険だということに気付いた彼は、今度はルーク達と歩調を合わせて、キヨの後ろに隠れるように走り出す。
 そして、彼等が辿り着いた時、そこにあったのは、瀕死状態で倒れているアソートの姿である。通常の回復魔法や回復薬では助からないほどの重症だったが、マライアが、覚えたばかりの高度な治癒魔法「キュアシリアスウーンズ」の発動に成功した結果、間一髪のところで、彼は一命を取り留めた。

「た、助かった……。あ、ありがとう、アンタは?」
「……ただの、通行人よ」
「通りすがりの女神様、か。まだ俺にも運が残ってたってことだな……」

 そう言って、彼は安堵の表情を浮かべる。ラスティもフリックもロディも、彼からは特に怪しい気配は感じない。どうやら彼もまた、ただ「道端に落ちていた高品質の弓」を拾っただけの、駆け出しの新兵だったらしい。

「今さっき、俺の目の前にちっこいガキが二人現れて、『勘付かれた。まずい。時間がない』とかなんとか言ってきたんだよ。で、『何言ってんだ、コイツ?』と思ったら、突然、俺の弓が人間の姿に変わって、『お前はもう用済みだ』と言って、突然、俺に襲いかかってきて……」

 ちなみに、彼曰く、昨夜の時点で彼の部屋の前に、あの「弓」が置かれていたらしい。どうやらハンスの死に伴って、衛兵達が「本来の持ち主」である自分の元に返してくれたものだと勘違いしていたようである。ただ、なんとなく、ハンスに「基礎体力作り」を命じられた翌日にいきなり人前で弓の稽古をするのもバツが悪いと思ったようで、森に隠れて密かに練習しようと考えていた矢先の出来事であったという。

「で、そいつらは、どっちに?」
「あっちの方に」

 そう言ってアソートは、領主の館の方角を指差す。その方向にルーク達が彼等が走って行くと、その途中でロディは再び強い混沌の気配を感じ取った。

「そっちだ!」

 彼の言う方に向かうと、そこには、細身で長身の男と、二人の少年が立っていた。しかし、ロディ、ラスティ、フリックの三人には、彼等が普通の人間とは異なることがすぐに分かる。その身から漂っているのは、明らかにキヨと同じ「強力な投影体」の匂いであった。
 そしてルークは、その彼等の仕草から、彼等が「領主の館を狙撃出来る場所」を探しているらしい、ということが分かった。これは、アーチャーである彼ならではの感覚であり、それに加えて、オディールでのワトホート狙撃事件の調査の際の経験が生きているとも言える。

「あいつら、領主の館を狙撃しようとしているな」

 少し離れた所からルークがそう言うと、ロディはすぐさま弩を構える。

「足止めすればいいよね?」

 そう言って、ロディが三人の足元に威嚇の矢を放つ。すると、相手もすぐにロディやルークの存在に気付く。そして、彼等は身構えた状態のまま、おそらくは「弓のオルガノン」であろうと推測される「長身で細身の男」がルークに視線を向けて、静かに、そして重々しく、こう告げた。

「引いて頂けませんか、マイロード。我々は、あなた方に危害を加えるつもりはない」

3.4. 時を超える忠義

 突然、「マイロード」と呼ばれたルークは、困惑しながら問いかける。

「引いてくれとは、私に、か?」
「皆さんに、ですね。あなた方には、今ここで死んでもらう訳にはいかない」

 少なくとも、自分達はルーク達に危害を加えるつもりはない、と言っているようである。だが、それに対してロディが鋭い視線で睨みつける。

「そんなこと信じると思う? 師匠を殺しておいて」
「あの方には死んでもらわなければならなかったのです。皆さんの同士討ちを避けるために」
「どういうことだ?」

 全く状況が理解出来ないルークが再び問いかけると、その男は観念したような表情を浮かべながら、「真実」を語り始める。

「私は『あなたの弓』です。正確に言うならば、これから数年後、戦場で、ハンス殿に撃たれて命を落としたあなたの弓が、ヴェリア界に流れ着き、この時代に投影された。それが私です」

 突然の衝撃的すぎる告白に誰もが自分の耳を疑う中、「弓」はそのまま語り続ける。

「あなた方はこの後、ラピスの村に赴き、混沌災害から村を解放します。しかし、その後、多くの者達は、元いた場所へと帰っていきました。ラスティ殿はオーキッドへ、フリック殿はカナハへ、そしてロディ殿はこのケイへ。そう、あの御老人が生きている限り、ロディ殿はケイに戻らざるを得なかったのです」

 言っていることは突拍子もないが、少なくとも彼等はラピスの混沌災害のことを知っている。そして、ラスティやフリックの出自も知っている。言っていることが真実であるか否かはともかく、少なくとも、ルーク達のことを深く知る存在であることは間違いなさそうである。

「その後、ヴァレフールとアントリアの戦線が激化し、両国の国境の戦いにおいて、あなたは『君主に復帰したハンス殿』の放った矢によって命を落とす。私はそれを防ぐために、あなたが討たれた直後の時代から、ヴェリア界を経由して、この時代に投影されてきたのです」

 そもそも、投影体とは「異世界」から投影される存在であり、「未来のアトラタン世界」からの投影体など、聞いたことがない。だが、もし、ヴェリア界の時空の流れがこの世界とは異なっているのだとしたら、「未来の世界の武具」がヴェリア界に流れ着いた後、「過去の時代のこの世界」に投影されるということも、ありえない話とは言い切れないだろう。

「無論、ハンス殿が亡くなったからと言って、それで済む訳ではない。この地の領主であるガスコインもまた、戦場であなたやアントリア軍を苦しめた仇敵です。逆に言えば、彼さえいなくなれば、少なくともヴァレフール側からアントリアに攻め込む余力は無くなるでしょう。だから我々はこれから、ガスコインを殺します」

 ここまでの話を聞いた上で、皆が困惑する中、誰よりも一番混乱した心境のルークが、必死で平静を装いながらおもむろに答える。

「そうか、お前達の言いたいことは分かった。だが……、お前は本当に、俺の弓だったのか? 俺の弓だったら、そんな卑怯なことはしない筈だ!」
「そう、我々はあなたが『そういう人』だと知っている。だから、あなたには知られたくなかった。あなたが『そういう人』だからこそ、あなたを守るためには、あなたに知られずに事を済ませるしかなかったのです」

 「自らの弓」にそう言われたルークが、それに対してどう言葉を返すべきかで悩んでいる横で、彼よりも先にロディが口を開いた。

「それって……、弓が決めることなの?」
「確かに、道具は本来、持ち主の決断に従って生きるもの。それが道具の本来あるべき姿。だが、持ち主がむざむざ命を落とすのを防げる可能性があるのであれば、失敗した過去をやり直せる立場に立てば、たとえ持ち主の意思に反してでも、持ち主を守りたいと思う。それが道具として生きる我々の信念。少なくともお前には、持ち主に手にしてもらうことでしか自分の存在価値を認識出来ない我々の感情も、その『自分の存在価値』を失った悲しみも、分からんだろう。これは我々オルガノンにしか分からない」
「じゃあ、そんな『守りたいと思った人』を殺された僕の気持ちは分かるの?」
「お前はお前で、色々と思うところはあるだろう。だが、人とオルガノンは違う。人は、大切な人を失っても生きていくことが出来る。人は、自らの道を切り開くことが出来るからな。しかし、我々オルガノンは違う。我々は、持ち主を失ったら、存在することすら許されない。だから我々は、本来の形でこの世界に残ることが出来ずにヴェリア界へと流れ着き、このような姿となったのだ」

 そう語る「弓」であったが、どうやら彼等自身も、自分達の気持ちが人間達に通じるとは思っていないようである。ただ、出来ることならばルーク達とは戦いたくないという本音がある以上、ルーク達が説得に応じる可能性があるならば、その可能性に賭けたいという気持ちもあった。
 一方、この状況において(ある意味ではルーク以上に)板挟みの心境にあった「もう一人のオルガノン」であるキヨに対して、ロディが問いかける。

「キヨさんは、同じ様なことになったら、同じ様に考えちゃう?」
「私もオルガノンだから、主のために盾になるあなた達の気持ちも分からなくはないけど、私は過去に戻れたとしても、人の命を奪ってまで未来を変えたいとは思わない。私は今、自分を必要としてくれている人達の手助けをすることが、今まで自分を使ってきてくれた人達への恩返しに繋がると思っているから」

 そう言い放ったキヨに対して、「弓」は少し羨ましそうな表情を浮かべながら語りかける。

「そうか……。俺は、お前のことは覚えているぞ。ヴェリア界でお前と出会った時から、お前は俺達とは違うと思っていた。ヴェリア界に流れ着いた『道具』には、色々な者達がいる。持ち主に恨みを抱く者、強い未練を残した者、その一方で、天寿をまっとうして道具として幸せな生涯を送ったまま流れ着く者もいる。お前は、その類のオルガノンなのだろう。俺達は、主を守れなかった。どれだけ長くあの世界にいても、その悲しみから逃れることは出来なかった。その違いがどこにあるかは分からない。だが、おそらくこれはもう分かり合えないことなのだろう」

 同じオルガノンであっても、どうやら、彼等の価値観はキヨとは異なるらしい。もっとも、人間であっても多種多様な価値観が存在する以上、それもまた当然と言えば当然なことなのかもしれない。
 すると、今度はロディがマライアに対して、やや本題から外れる形で問いかける。

「マライアさんは、このままあの混沌災害が収まらなかったら、それでも大丈夫だと思う?」
「私は混沌災害を晴らすのが目的だから、その目的が達成されないなんてことは考えていない。逆に言えば、私は混沌災害さえ収められればいいの。ロディ君を連れてラピスの災害を収めることさえ出来ればいいから、正直、その後の争いに関しては、あまり口出しする立場じゃないわ。その後で国と国の関係がどうなるかは、私には関係のないことだから」
「そうなんだよね」

 そう言って、ロディは「弓」と「ブーツ」達の方を向き直る。

「あのね、師匠も言ってたけど、大事なのは『今』を生きることなんだ。この先どうなるかなんて、分かったことじゃない。今、ここでガスコイン男爵まで手にかけたとしても、その後のアントリアとヴァレフールの戦いがどうなるかなんて、この戦乱の世の中じゃ、誰も保証できない。それに、今後、男爵が僕達の手助けをしてくれるかもしれない以上、ここであの人を殺すことで、後々、ラピスの混沌災害すら抑えられない事態に繋がっちゃうかもしれないんだよ。確かに、男爵を殺すことで、その後の事態が好転するかもしれない。だけど、大事なのは僕達にとって『今』しかない。それを、勝手に『未来』から消されてたまるもんか!」

 そう言われた「弓」は、ため息をつきながら、はっきりと「諦めた表情」を見せる。

「……どうやらこれ以上、何を言っても、我々の思いは伝わらないようですね。わかりました。では……、殺しはしません。我々はあなた方を絶対に殺しはしない。殺さない程度に、マライア殿以外を『無力化』させて頂きます。いざとなったら、マライア殿がいれば皆さんを救うことは出来るでしょう。しかし、動けるのがマライア殿だけになれば、もう我々を止めることは出来なくなりますからね」

 「弓」がそう答えると、二人の「ブーツ」は彼を守るようにルーク達と彼等の間に立ちはだかる。こうして、「ルークを守るために未来から訪れた武具」との、時空を超えた悲壮な戦いの幕が切って落とされたのであった。

3.5. 哀しき想い

 真っ先に動いたのは、二人の「ブーツ」であった。彼らはそれぞれ、ロディとラスティに向かって襲いかかるが、どちらの攻撃も、フリックが身を呈して庇う。もともと「防具」にすぎない彼等の力では、フリックの鉄壁の防御を打ち砕くのは、到底不可能であった。
 それに対して、ルークは光弾の印の力を用いて二人の「ブーツ」を攻撃し、マライアのヴォーパルウェポンによる威力強化を得た上で、ラスティとキヨもまた彼等に対して反撃する。ここまでの戦いの流れは、ルーク達にとって「常道」と呼ぶべき展開であった。
 そして当然、そのことは「武具」達も分かっている。彼等はルーク達の手の内を知っている以上、自分達がいくら他の者達を攻撃しても、それが全てフリックの手で庇われること(そして彼等の力ではフリックを無力化するのが難しいこと)は分かっていた。だからこそ、彼等は捨て身の攻撃に出る。二人の「ブーツ」を中心にルーク達が密集した状態になったのを確認した上で、「弓」が空中から大量の矢を、「ブーツ」もろとも彼等全体に対して放ったのである。
 おそらくこれは、散光の印を発展させた彼の能力なのだろう。もしかしたらそれは、ルークがいずれ習得する奥義なのかもしれない。だが、さすがにここまで広範囲の同時攻撃だと、フリックといえどもマライア一人を庇うのが限界である。他の者達は深い痛手を負うが、それと同時に、二人の「ブーツ」のうちの片方がその場に倒れこむ。まさに、味方を犠牲にした上での決死技であり、倒れた「ブーツ」も納得した表情のまま、徐々にその姿が混沌核へと変わって行く。
 ひとまずマライアが仲間の傷を回復させていく中、生き残った「ブーツ」の片割れは、再びロディを狙うが、これも再びフリックの手で受け止められる。二人分の矢雨を一身に受けた直後のフリックだが、それでもまだ彼はビクともしない。そして、「弓」が次の一撃を放つ前に、彼を倒さなければならないと判断したルークは、双星の印で弓に連射撃をかけるが、「弓」に対してどこか気後れしているのか、その矢には勢いが無い。

「まだあなたは本来の力に目覚めていない。今のあなたには、私を倒すことは出来ませんよ」

 主人の矢を受け止めた上で、そう言って余裕を見せていた「弓」であったが、その直後、一気に間合いを詰めて斬りかかったキヨの全身全霊の一撃が、その「本体」である弓を真っ二つに斬り裂き、「人間体」の方もそのまま崩れ落ちる。

「くっ……、ここまで……、ですか…………」

 そしてその一撃とほぼ同時に、生き残っていた方の「ブーツ」に、ラスティ、ロディ、フリックの連続攻撃が加わり、彼もまたその場に倒れこむ。

「俺も、お前達の気持ちは分からんでもない。主のための『盾』として生きる道を誓った身としてな。だが、これでお前達も本望だろう」

 「ブーツ」に対して最後の止めを刺したフリックがそう言うと、「ブーツ」は納得したような、していないような顔をしながら、息絶える。
 そして、同じ様に混沌核となって消えようとしている弓に向かってルークが言い放った。

「お前は、俺のためを思って、未来からこの時代に来て、こんなことをしたと言ったな。だがな、俺はそんなことを望んでいない。そして、俺はこれから先もそんなことは望まない。恩師を殺してまで、そしてロディの大切な人を殺してまで自分が生き残りたいなんて、絶対に思えない。俺も戦場に赴く者として、戦で死ぬのならば、それは本望だ」

 そう言いながら、ルークは彼等の混沌核を吸収するため、聖印を掲げる。そして、最後に一言、こう続けた。

「ただ、ありがとな。そんなにも俺のことを想ってくれて。お前はやっぱり、俺の武具、だったんだな」

 自分の弓と鎧とブーツに目を向けながら、彼は微かに微笑みながらそう告げる。その言葉を確認した上で、「弓」は最後の言葉を彼に告げる。

「我々がここに来たことで、少なくとも我々の知っている未来とは違う道に進むことになった筈です。あとはあなたが、その新しい未来の中で、我々と共に生き残ってくれることを、我々の知っている未来とは違う道を歩んでくれることを祈るだけです。どうか、ご武運を……」

 そして、頷きながらその混沌核を吸収するルークを、一歩後ろからロディが、複雑そうな表情で眺めていた。何かを言いたいが、何から言えばいいのか分からない。そんな葛藤が、その邪紋を帯びた瞳の奥に蠢いていた。

4.1. 領主の裁定

 こうして、ケイを揺るがした弓術師範暗殺事件は終幕した。街中での戦闘だったこともあり、この戦いの一部始終は、幾人かの町の住人や衛兵達に見られていた。故に、ガスコインに報告するために、仲間達と共に領主の館を訪れたルークは、今回の犯人が「未来から来た自らの武具」であることを、ガスコインに正直に告げる。
 ガスコインは、そんなことが本当にあるのかと半信半疑になりながらも、周囲の人々の証言も踏まえた上で、少なくとも自分が彼等によって助けられたという事実と、その「彼の武具」によって(自身にとっても街にとっても)大切な恩人を殺されたという事実の両方をひとまず受け入れた上で、彼等に対してこう告げた。

「私はお前達に対して、礼も言わんし、恨みもしない。ただ、色々と巡り合わせが悪かった、ということだろう。今後も、再び巡り合わせが悪ければ、いずれお主とは戦場で戦うことになるのかもしれない。それが、聖印を持つ者としての宿業だからな」

 その上で、ルーク達がこのケイに来た「本来の目的」のことを思い出したガスコインは、そのまま話を続ける。

「今この街にいる一人の『仕えるべき主人を亡くした子供』がこれからどこに行くかなど、私の知ったことではない。少なくとも、自分の子供の心すら掴むことが出来ない私に、彼がこのまま仕えることはないだろう。私はハンス殿とは違い、子供に好かれるような性格ではないからな。だから、もし我が国と戦争になったら、そやつを連れて、いつでも一緒に攻めてくればいい。だが今は、このブレトランドのために、お主達がラピスの混沌を浄化してくれることを、私は勝手に期待している」

 そう彼は言い放つが、この時、一緒に来ていた筈の当のロディが、いつの間にかいなくなっていることにルーク達は気付く。

「私達を信じて仮釈放して下さったこと、感謝致します」

 改めてそう言って一礼した上で、ルーク達はロディを探すために、ガスコインとの謁見の間を後にする。そして、ルークと共に去って行くマライアを見ながら、ガスコインの傍に立つ彼の契約魔法師は、密かに一人の女性のことを思い出していた。

(やはり、似ていますな。今は亡き奥方様の若かりし頃に……)

 彼はそう思いながらも、その言葉をガスコインに聞かせてはならないと考え、自分の心の中に密かに封印した。ガスコインがマライアの言葉を信じることが出来た背景の一つに(更に言えば、彼女が実地研修に来た時点から目をかけていた背景の一つに)そんな個人的な理由であるのかどうかは分からないし、仮にそのことを指摘しても、ガスコインは絶対に否定するだろう。余計な邪推で主君の機嫌を損ねるのは、契約魔法師のすべきことではない。ただ、他にも同じことを思っている者達が、この館の中に何人もいたこともまた、紛れもない事実であった。

4.2. 割り切れない心

 その頃、ロディは領主の館の敷地内の「ハンスとロディの家」で、相変わらず壁にかけられたままの「ハンスが使っていた複合弓」をボーッと眺めていた。何も口にすることが出来ないまま、色々な想いが頭の中を行き来する。
 彼の中では、師匠を殺した「弓」に対して、ルークが「ありがとう」と言っていたのが、どうしても耐えられず、何も言えなくなって、いたたまれなくなって、ガスコインへの報告の途中でその場から逃げ出し、無我夢中でここまで走ってきてしまったのである。
 そして、やがて「ロディが行くとしたらここだろう」と察したルーク達が家の前に現れ、扉を叩く。ロディは黙って扉を開け、彼等を迎え入れた。

「なぁ、ロディ。君は、俺達について来てくれるか?」

 そう言ったルークに対して、ロディは冷めた口調で切り返す。

「……ムシのいい話だよね、あんなに色々なことが一気に起きて、それで、その弓に師匠を殺されて、それに対してありがとうって言う人がいて、その人がついて来いって言って……、やっぱり、ムシがいい話だよね」

 そう言われた瞬間、ルークは自分の「失言」に気付かされるが、それをどう言い繕えば良いのか分からず、困惑した表情を浮かべる。すると、彼よりも先にマライアが語り始めた。

「私も、師匠ではないけど、契約していた領主様が殺されてるから、その気持ちも分かるし、そこからシリウスがどうのこうのとか、八人の継承者だとか色々言われて、正直『何なの!』と思ったけど、でも、それが自分の道なんだと割り切った顔をして旅をしている。もちろん、整理はつかないと思うけど、良ければ、君も自分の道だと思って、継承者の役割を果たしてほしいという気持ちが私達の中にはあるわ。すぐにとは言わないから、考えを整理してもらいたいかな」

 彼女がそう言い終えると、ルークがロディに向かって頭を下げる。この状況、何をどう言い繕っても無駄だということを実感した彼は、素直に謝罪した。

「ごめん! そうだよな、君の大切な、俺達の大切な師匠を殺したのはこの弓だ。それはつまり、私が殺したも同然だ。この罪を許してくれとは言わないし、許してくれとも言えないだろうが……、だが、それでも……」

 「ついてきてくれないか」と言おうとしたルークであったが、その言葉を言い出すことが出来ない。冷静に思い返してみれば、確かにこの事件を引き起こした「当事者」として、あまりに身勝手すぎる要求のように、自分でも思えてきたのである。
 そんな「君主」の苦境を察してか、今度はフリックが口を開いた。

「もし、私がカナハの村で、ユイリィ様かマイリィ様のどちらかを失っていたら、私は今ここにいたかどうかは分からない。その意味では、私は幸運だった。だから、私は今の君の気持ちが理解出来るとは言えないし、君に対してどうこう言う権利はない。ただ……、私はかつて、一度全てを失ったことがある。故郷も友も全てを失った後で、ユイリィ様と出会い、その後、ルーク様とも出会った。今の君にこれを理解しろとは言わないが、人は一度、大切なものを亡くしても、またそれとは別の大切なものと出会うことが出来る。それは、あのオルガノンが言っていたとおりだ。誰かを失ったからといって、それで人生が終わる訳ではない。我々には新しい道を選ぶ権利があるし、選ぶ義務もあると私は思っている。だから、君がどうするかは、君に決める権利があるし、君が決めるべきことだと思う。私は、君の意思を尊重する」

 それに続けて、今度はラスティがロディに語りかける。

「お前は、死んだ爺さんに必要とされていたのか? 俺は、父上の役に立ちたいと思っていた。しかし、君主の力を受け取れない。そんな苦しい時を過ごしてきたんだ。お前の倍以上もな。そしてようやく俺は今、力を手に入れた。この力を手に入れた意味が何なのかは、まだ俺もよくわかっていないが、この力で自分が何をすべきかは、この力を使いながら考えれば良いと思ってる。俺は自分を必要とする戦場があるなら、そこでこの力を使いたい。お前もそうじゃないのか? せっかく手に入れたこの力、誰のためであろうが、何のためであろうが、それを使いたいという本能が、お前の中にもあるんじゃないのか? 勿論、それはこいつのためでなくても良いのかもしれん。だがな、身内贔屓と言われるかもしれんが、こいつと一緒に旅をすることは、面白いぞ。他では味わえない面白さがある。なぜかこいつは、色々な事件に巻き込まれやすい体質のようだからな。きっと、退屈しない人生を送れるぞ」

 彼等の言葉を受け止めながら、冷め切っていたロディの瞳に、少しずつ感情が戻ってくるのが分かる。だが、彼はそれでも、何も言えなかった。そんな中、キヨが静かにこう告げる。

「このまま混沌を放っておいたら、ブレトランド全体が混沌の手に落ちてしまうかもしれない。私はロディには、ハンスさんと一緒にいた時の記憶までは無くしてほしくない」

 その言葉がロディの心に突き刺さり、そして徐々に彼の瞳に涙が溜まってくる。

「みんなの言うことは分かるんだ。分かる、分かるんだ……」

 そう言いながら、キヨの腕にすがりつき、俯きながらこう言った。

「ごめん、明日まで、待って」

 そう言われたルーク達は、黙って彼の家を後にする。彼には時間が必要だということは、ルーク達には分かっていた。彼を一人にしておくことを心配する気持ちもあったが、今はそれしか道がないことも、彼等は実感していたのである。


 その日の夜、ロディは壁にかけられたハンスの弓の前で一人で泣いていた。すると、やがてその傍に、二匹のボルゾイが寄り添う。ボリスもミハイルも、寂しそうな、というよりも、心配そうな瞳で、ロディを見つめていた。

「大丈夫……。答えは、決まってるから」

 二匹を優しく撫でながら、改めて師匠の弓の真正面に立ち、そして、静かに決意を固めるのであった。

4.3. 少年の決断

 翌日、ハンスの家の前にルーク達が現れると、そこにはロディが笑顔で仁王立ちしながら待っていた。

「うん、行くよ!」

 ルーク達が何も言う前に、彼は晴れやかな笑顔でそう言った。

「昨日も言ったけど、大事なのは『今』だからさ。あと、これも師匠からの受け売りだけど『罪を憎んで人を憎まず』って言うし。更に言えば、そんなもん、ルークさんが気にすることじゃないもんね。だって、あくまでやったのは『弓』でしょ? 別に、ルークさんがやった訳じゃないんだし。それに、僕の『この力』は必要だしさ! あと、『この力』もね!」

 そう言って、彼は得意気に、自分の「左目」と「弩」を指差す。昨夜の彼とは別人のようなテンションでそう語る彼が、どこかまだ無理をしていることはルーク達も感じ取っていたが、そのままロディは語り続ける。

「楽しい旅になるんでしょ? 楽しい、面白い旅になるっていうなら、そりゃあ、ついて行くよ。僕が必要とされてる。それで僕は十分だ。ちゃんと、僕だってやることはやってみせるよ。色々あるけど、それだけ考えればいいんじゃないかな、っていうのが、僕の結論。僕が先頭に立って、ちゃんと道を案内するから、心の道を案内してよね、マイロード」
「あぁ、よろしくな、ロディ」
「こちらこそ。キヨさんも、マライアさんも、フリックさんも、ラスティさんも、みんなよろしく。じゃあ、行こっか!」

 そう言って歩き始めた彼の背中には、片手に持っている弩とは別に、壁にかけられていた師匠の複合弓が背負われていた。どうやら彼は、師匠の「魂」をこれから先も受け継いで生きて行く決意を固めたようである。

「よし、じゃあ、この街から出るぞ!」
「いや、ルーク、そっちは逆だから」
「……キヨさん、あれで本当に大丈夫?」

 そんなやりとりを交わしている彼等を、街の高台に建てられたハンスの墓所から、その墓守となった二匹のボルゾイが眺めていた。猟犬として優れた視力を持つ彼等の目には、ロディの笑顔の中で、少しだけ涙が流れる様子が見えていた。だが、それもこれで最後である。

「さぁ、行こう! 次の街はどこ?」

 こうして、少年は新たな一歩を踏み出した。これまでの過去を乗り越えた上で、未来へと続く「今」を生きる。そう決意を固めた彼の前途には何が待っているのか? その答えを持つ者は、誰もいない。なぜならば、ここから先の未来は、彼自身の手でしか作れないものなのだから。

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最終更新:2015年04月06日 13:50