第4話(BS12)「帰らざる翼」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 騎士団長の息子

 マーシャル・ジェミナイ(下図)は、アントリア騎士団の若き俊英である。彼は騎士団長バルバロッサ・ジェミナイの甥にして養子であり、幼少期から洋の東西を問わず様々な軍略を学び、若干15歳にしてその知謀は騎士団のから一目置かれる存在となり、やがては養父の後を継いで騎士団長になるのではないか、とも噂されていた。もっとも、そのような立場故に彼のことを疎ましく思う者も多いため、彼自身は日頃は昼行灯を装い、個人的な野心を公言することもない。それが、「恵まれた環境で育った者」としての彼の処世術であった。


 そんな彼は今、主君であるアントリア子爵ダン・ディオード(下図左)の命により、首都スウォンジフォートの中央に位置する簡素な王城の「謁見の間」に出仕していた。玉座に座る主君を前にして恭しく膝をつくマーシャル。そしてその傍らには、鉄仮面をつけた謎の人物(下図右)が、同様の姿勢でダン・ディオードを見上げていた。


 二人を玉座から見下ろしながら、この国の主であるダン・ディオードは、二人を招集した理由について説明する。

「ここ一ヶ月ほどの間に、コートウェルズから飛来する龍の数が急激に増加している。この原因を突き止めるための調査兵団を派遣することになった」

 コートウェルズとは、アントリアを内包するブレトランド小大陸の北西部に位置する島である。龍王イゼルガイアを筆頭とする「龍」の一族に支配された島として有名で、一般には「龍の巣」とも呼ばれている。人間の住む町や村も存在はするものの、その地の大半は混沌に覆われており、龍を初めとする様々な投影体が跳梁跋扈する、「この世界の中で最も危険な領域」として知られていた。
 以前から、この島から海を越えてアントリアの北岸に龍などの投影体が飛来することは稀にあったが、確かにここ最近、その数が増えているという報告が届いている。この状況が長期化・悪化すれば、アントリアのみならず、ブレトランド全体、あるいはこの世界に住む全ての人々にとって大きな影響を与える可能性もある以上、アントリアの君主として、手を打つ必要があると考えるのは自然な道理であった。
 ただ、アントリアは現在、「ブレトランド統一」という大義に向けて、南方の「ヴァレフール伯爵領」と激しい戦争の最中にある。しかも、つい先月、一度は倒した前トランガーヌ子爵ヘンリー・ペンブロークが聖印教会の後援を得た上で「トランガーヌ枢機卿」としてこの地に舞い戻り、それと同時期に謎の人物ゲオルグ・ルードヴィッヒが「グリース子爵領」を名乗って覇権争いに参戦してくるなど(「ブレトランド戦記」参照)、ブレトランドを巡る情勢は更に混迷しつつある。それに加えて、アントリア領内には、旧アントリア子爵家の末裔を支持する者達による反乱軍(第2話「聖女の末裔」参照)も内在しており、現時点でブレトランドの北半分を支配しているアントリアといえども、その戦況は予断を許さない状態にある。
 そのような緊迫した状況に鑑みた上で、まだ現状ではアントリア軍の主力をコートウェルズに割く訳にもいかない、という判断から、ダン・ディオードは今回の調査兵団の責任者として、アントリアの正規軍には属さない人物の名を告げる。

「総指揮官は、ホルス・エステバン、お主に任せる」

 そう言われると、鉄仮面の男は深々と頭を下げる。マーシャルは「将来のアントリア軍を担うべき人物」として、アントリア軍の現状については一通り養父から聞かされていたが、「ホルス・エステバン」という名に聞き覚えはなく、このような鉄仮面を付けた男にも見覚えはない。また、現在のアントリアを軍事的に支えている大工房同盟から派遣された「白狼騎士団」の中にも、このような人物がいるという話は聞いたことがない。

「この男は、大陸中を渡り歩き、幾多の混沌を鎮めてきた歴戦の勇者だ。この男に、我が軍の特殊部隊の指揮権を委ね、今回の調査兵団の『本隊』とする」

 どうやら、アントリアとは無関係の、ダン・ディオードの個人的な知人のようである。ダン・ディオードはもともと、流浪の騎士として世界中を渡り歩いて混沌と戦っていた人物であり、その人脈は極めて広い。それ故に、これまでにも在野から優秀な人材を登用することは幾度かあったが、どうやら今回も、そのような形での大抜擢のようである。

「そしてマーシャル、お主は、アントリア騎士団の一隊を率いて、副官としてこやつを補佐せよ」
「畏まりました。謹んで拝任させて頂きます」

 これまでにもマーシャルは幾度か戦場に赴いたことはあるが、実質的に騎士団を代表する指揮官としての出陣という意味では、今までにない大役である。

「コートウェルズには、北方の港町パルテノから出立してもらう。その地で、パルテノの警備隊の一部と、『エーラム』および『暁の牙』から派遣された部隊と合流した上で、現地へ向かえ」

 どうやら今回は魔法都市エーラムと、傭兵団「暁の牙」にも協力要請を出しているらしい。かなり複雑な混成部隊となるが、そうなると尚のこと、「アントリア騎士団」の代表としてのマーシャルの責任は重い。

「出立は明朝の予定だ。今回は非常に危険な任務ということもあり、お主の育ての親であるバルバロッサには、今夜は非番を申し付けてある。出立前に、話すべきことは話しておけ」
「お心遣い、感謝致します」

 「養父との今生の別れ」になるかもしれない、という意図を理解したマーシャルは、改めて深々と跪く。その様子を確認した上で、ダン・ディオードは玉座から立ち上がってその場を去り、そして謎の鉄仮面の男・ホルスは、淡々とした口調でマーシャルに告げる。

「聞いての通りだ。よろしく頼む」

 そう言って、彼もまた謁見の間から立ち去っていった。これから生死を共にする相手に対する態度としては淡白すぎるようにも思えるが、マーシャル自身もまた、仕事仲間や上官に対して濃密な人間関係を求める性格ではないため、そのような態度に対して特に違和感を感じることもなく、彼もまた静かにその場を後にする。この任務の後に、自分の運命が思いもよらぬ方向へと大きく変転することなど、この時点でのマーシャルが知る由もなかった。


 その日の夜、マーシャルは言われた通りに、自宅にて養父バルバロッサ(下図)と二人きりで会食することになった。戦争の激化に伴い、軍務に追われている騎士団長にとっては、久々の休息の一時でもある。


 バルバロッサは同性愛者であるため、妻も実子もいない。過去には騎士団内の何人かの男性と浮き名を流したこともあったが、これといった特定のパートナーを作ることもなく、彼にとって「愛情を注ぐべき家族」は、今も昔もマーシャル一人である。無論、それはあくまでも「親子」としての情であり、一人の「男性」としての劣情を抱いたことは一度もない。あくまでも、ごく一般的な「父子家庭」の関係であった。
 今回の任務の内容については、事前にバルバロッサも聞かされていたらしい。その上で、彼は自信を持ってこう告げる。

「今回は急な任務になってしまったが、ホルスは信頼出来る男だ。彼のことを『陛下の名代』だと思って、安心して付いていけばいい」

 彼にとってのホルスがどのような位置付けなのかはよく分からないが、信頼する「父」にそう言われたマーシャルは、素直にその言に従う意志を示す。すると、それに続けてバルバロッサはこう問いかけた。

「ところで、今のお前は何のために戦っている?」

 出陣前にこのようなことを聞く「父」の意図はよく分からなかったが、これに対してマーシャルは率直に答える。

「この国を支え、父の力になるためです」

 それが、偽らざる彼の本心である。バルバロッサは大陸のヴァンベルグという国の出身らしいが、マーシャル自身はアントリアで生まれ、育ってきた。当初、彼が仕えるべき主君は(ダン・ディオードの元妻ロレインを中心とする)旧アントリア子爵家の人々であったが、ダン・ディオードがこの国を乗っ取った後も、父と共にアントリアを支え続けるという意志は変わらなかった。彼にとって大切なのは「国」とその地に住む「民」であり、その「主」が変わったからと言って、「アントリアを支える」という信念が揺らぐことはない。それこそが、彼にとっての「覇道」であった。

「そうか。その中でも誰か特別に、守りたい存在はいるか?」
「いえ、特に個人ということはございませんが……」

 しいて挙げるなら「父」ということになるのであろうが、あくまでも彼の中ではバルバロッサは「補佐する対象」であって、「守る対象」ではない。そもそも今の自分が「父を守る」などという発想自体が、おそらく彼の中では「おこがましい」という考えなのだろう。
 やや困惑しながらそう答える「息子」に対して、バルバロッサは遠くを見ながら呟くように語り始める。

「私には、守りたかった者が三人いた。一人は、お前の母であるジャクリーン。彼女はコートウェルズで受けた傷の後遺症が原因で、お前を産むと同時に死んでしまった」

 ジャクリーンとは、バルバロッサの妹である。兄同様の長い黒髪の美人だったという噂はあるが、その人物像については、あまり詳しく聞かされていない。そして、彼女の夫(マーシャルの実父)が誰だったのか、という点についても、バルバロッサはマーシャルに何も伝えていない。それがどういう意図なのかは不明だが、マーシャル自身も、幼少期からバルバロッサこそが「尊敬すべき父」と考えていたこともあり、自分の血縁上のルーツについては、あまり関心がなかったようである。

「もう一人も、コートウェルズの戦いで命を落としたと聞く。そして最後の一人が、お前だ」

 「二人目」については深く語らぬまま、バルバロッサはその「最後の一人」に対して、いつになく強い感情を込めた眼差しを向ける。

「もし、お前までもがコートウェルズで龍の餌食になったら、私は騎士団長の座を投げ出して、一人でコートウェルズに乗り込むことになるだろう。そして、私がいなくなれば、我が国の軍事系統は大きく乱れることになる。だから、お前が生きて帰ること。それが、この国を守ることにも繋がるのだ。分かったな」

 バルバロッサも、どちらかと言えばマーシャル同様、あまり感情を表に出さない人物である(というか、マーシャルの性格自体が、父譲りであるとも言える)。その彼が、このような感傷的な顔を見せることなど、滅多にない。そこまで感情を表に出すに至った詳しい事情は分からないが、その想いの強さだけは、マーシャルにもヒシヒシと伝わる。

「はい、必ず生きて戻ります」

 そう言って、マーシャルは静かに決意を固める。その瞳に奥底に秘めた闘志を確認したバルバロッサは、安心したような笑みを浮かべる。

(お前はきっと、この戦いで「真実」を知り、そして大きな宿命を背負わされることになるだろう。おそらくはそれが「彼」の意志。その上で、お前がどのような道を選ぶことになろうとも、それはお前の自由だ)

 そんな想いを抱きながら、バルバロッサはグラス越しに「息子」の姿を眺める。その表情に、亡き妹と、そして「彼の実父」の面影を重ねながら……。

1.2. 魔道のエリート少女

 ヴェルナ・クアドラント(下図)は、エーラム魔法学院の女学生である。若干5歳にして時空魔法師としての才能に目覚め、14歳で高等部を卒業し、現在は18歳で大学院に通うという、世界中の優秀な子女が集まるこのエーラムの中でも、特に「エリート」と呼ばれる経歴を積み重ねてきた。


 彼女の師匠は、エーラム内でも高等教員として知られるノギロ・クアドラント(下図)である。彼の本来の専門は生命魔法だが、時空魔法を含めた複数の分野に精通し、魔法師協会の中でも一目置かれる実力派として知られている。それに加えて性格は温厚な人徳者ということもあり、彼に師事を請う者は多いが、一教員としての評判の高さとは裏腹に、「養子」としての直弟子はあまり多く採ろうとはしない。


 そんな彼の中、彼の数少ない「秘蔵っ子」と言われているのが、このヴェルナなのであるが、彼女には「5歳」以前の記憶が無い。入門時に、それまでの記憶を全て抹消されているのである。通常、魔法の才能に目覚めた者が魔法師の家に入門する場合、それまでの家族との関係を断ち切るのが慣例と言われているが、実際には入門後も実家と何らかの形で繋がりを持つ者も多く、ましてや記憶を完全に消去される事例など、滅多にない。
 故に、そのような「数少ない例外」としての「過去の記憶を消された者達」に対しては、「凶状持ち」「心的外傷を受けた過去」「特別な出自」などの事情があるのではないか、といった噂が広まりやすいが、その真相は学院上層部のみが知る極秘事項とされている。ヴェルナの場合も、周囲の者達は様々な憶測を立てているものの、彼女自身は、自分の過去については特に気にしている様子はない。一応、ノギロから、彼女の両親は「ノギロの旧友」であるという話だけは聞かされていたが、今の彼女にとっては、「師匠」にして「養父」であるノギロに育てられた記憶だけが「人生」の全てであり、それ以前のことにそれほど強い関心も持っていなかった。
 そんな二人の許に、エーラムから遠く離れたブレトランド小大陸のアントリア子爵ダン・ディオードから、意外な依頼が届くことになったのである。

「コートウェルズの調査のために、アントリアからエーラムに協力依頼が来ました。今回は、アントリア子爵が、あなたを直々にご指名らしいです」

 そう言って、ノギロは愛弟子にして養女のヴェルナに対して、その依頼書を手渡す。そこには確かに「時空魔法師ヴェルナ」の派遣を希望する旨が記されていた。
 この世界の最高峰の頭脳が集まるエーラムに対して、混沌関連の調査のために魔法師の派遣を要望すること自体は、それほど珍しくない。だが、そこで名指しで、しかもまだ学生身分の者を指名することは、かなり異例の事態である。しかも、現在のアントリアには、ヴェルナと直接接点のあるような先輩がいる訳でもない以上、(学院内ではそれなりに名の知れた存在とはいえ)世界的な知名度がある訳でもないヴェルナを指名するのは、少々不自然なようにも思える。果たして、誰の推挙によるものなのか。

「私としては、あまり承諾したくなかったんですけどね……」

 ヴェルナにギリギリ聞こえるレベルの小声で、ノギロはボソッとそう呟く。どうやら、彼がヴェルナを積極的に売り込んだ訳ではないらしい。だが、その表情から、なぜ彼女が選ばれることになったのか、その事情を知っているようにも見える。ただ、なぜ「承諾したくなかったのか」という理由については、はっきり述べなかった。どうやら、ただ単に「危険だから」というだけの理由ではないようだが、そのことについては触れないまま、話を続ける。

「とりあえず、龍の生態系の異変ということであれば、確かに、我々の混沌に関する知識が役に立つこともあるでしょう。ここで学んだことを生かせるよう、頑張って下さい。ただ、無理はしないで下さいね。いかに今回の仕事が大切であろうとも、命を捨てる必要はありません」
「分かりました。まだ師匠から教わることはありますし……」

 それに続けて何かを言おうとした彼女だが、色々と言いたいことがまとまっていない様子である。ノギロもあまり「本音」を語らないタイプだが、その性格については、彼女にも悪い形で引き継がれてしまっているらしい。もっとも、彼女の場合は、それを克服しようとする意志は持っているのだが。
 そして、言葉には詰まりながらも、彼女の瞳の奥には、今回の任務に向けての強い決意が宿っていることをノギロは感じ取っていた。彼女はもともと、混沌に苦しむ人々を救うことには並々ならぬ意欲を燃やすタイプである。コートウェルズやブレトランドの人々が困っていると聞けば、放ってはおけないのは自然の流れであろう。

「まぁ、学生の間に実地研修に行くのは良いことです。場合によっては、その場で出会った君主と契約を結ぶこともありますが、あなたはまだ若いですし、慎重に決めて頂ければ結構です」

 そう言いながら、ノギロにはもう一つ、懸念事項があった。それは、あまり世間馴れしていない18歳の「年頃の娘」を、自分の手の届かぬ見知らぬ異国の地に派遣することへの不安である。今回の遠征で、アントリアやコートウェルズの軍人達と共同作戦をおこなう過程において、彼女の中で誰かに「特別な感情」が芽生える可能性もある。それ自体は「父親として受け入れねばならない現実」だと彼も分かってはいるのだが、彼の中では「通常の父親」以上に、娘の将来を不安視する理由があったのである。

(この子には「彼女達のような人生」を歩ませたくはないのですが……、そう考えること自体が、既に「親のエゴ」なのですかね)

 心の中でそんな自問自答を繰り返しつつ、彼女の護衛として、自分の私兵である盾兵部隊を随行させることを決意する。そして彼は密かに、兵士達に「もし、彼女が当分帰って来れない状態になったとしても、そのまま彼女を守り続けるように」と厳命するのであった。

1.3. 仇討ちに燃える若武者

 ウィルバート・ファーネス(下図)は、アトラタン大陸屈指の傭兵団「暁の牙」に所属する邪紋使いである。まだ15歳の若武者であるが、傭兵団内でも屈指の「龍のレイヤー」として知られ、年齢以上に風格を感じさせる雰囲気を漂わせている。


 そんな彼が、とある駐屯場にて鍛錬に励んでいた時、傭兵団長である「隻眼のヴォルミス」(下図)が現れた。どうやら、仕事の話らしい。


「次の派兵依頼が届いた。アントリア軍と一緒に、コートウェルズの調査に向かって欲しい、だとよ」

 「コートウェルズ」と聞いた瞬間、ウィルバートの中で何かがピクッと反応する。その反応をあらかじめ見越していたヴォルミスは、そのまま説明を続ける。

「何を考えているのかは分からんが、アントリアの大将はこの任務の指揮官として、お前さんをご指名だ」
「指名?」

 「暁の牙」に派兵を要請する場合、その任務に合わせて適切な人材を選択するのがヴォルミスの仕事だが、場合によっては、依頼先から「この部隊を派遣してほしい」と指定されることもある。だが、まだ年少で実績の少ないウィルバートが指名されるというのは、彼自身にとっても全く想定外の話であった。

「まぁ、あの子爵様は、ゲイリーとファインとは昔馴染みだったらしいし、息子であるお前さんに『仇討ち』の機会をやりたいのかもしれんな」

 「ゲイリー(下図左)」と「ファイン(下図右)」とは、ウィルバートの両親の名である。父であるゲイリーはアームズ、母であるファインはシャドウの邪紋使いであり、二人とも「暁の牙」の中でも屈指の強者として知られていた。


 しかし、二ヶ月前、コートウェルズでの戦いにおいて、この地を支配する龍王イゼルガイア(下図)との戦いで命を落としたという報告を、ウィルバートは聞かされていたのである。


 そして、この二人が昔、現在のアントリア子爵であるダン・ディオードと共に「冒険者」として戦っていたという噂も、ウィルバートは聞いたことがある。ただ、本人達がその時代のことはあまり語ろうとしないので、どのような関係だったのかはよく分かっていない。

「ただ、もし龍王に遭遇したら、迷わず逃げろ。アイツは、今の俺達が全力で戦っても、勝てる相手じゃねぇ。お前も色々思うところもあるだろうが、今回は『敵を知るための任務』だと考えておけ。絶対に、無理をするんじゃねぇぞ」

 ヴォルミスは、暁の牙の中でも最強クラスの邪紋使いであり、この大陸全体を見渡しても、彼と互角に渡り合える人物は数えるほどしかいないと言われるほどの豪傑である。その彼をもってしても、「勝てる相手ではない」と断言させるほどの存在、それが「龍王イゼルガイア」という投影体なのである。

「分かった」

 露骨に不機嫌そうな顔をしながら、ウィルバートはそう言って頷く。ただ、口ではそう言っていても、実際に龍王を目の前にしたら、この男は我を忘れて戦いを挑もうとするかもしれない、ということに、ヴォルミスは薄々勘付いていた。無論、だからと言って、今回の任務の指揮官を他の者に委ねる訳にもいかない。アントリア子爵はおそらく「粋な計らい」のつもりで指名したと推測される以上、どんな理由であれそれを断るのは、傭兵団にとっても、そしてウィルバート自身にとっても、不名誉この上ない話である。

「あと、こないだ俺達はヴァレフール側に雇われてアントリア軍と戦ったから、もしかしたら、そのことで何か因縁をつけられるかもしれないが、気にするな。適当に聞き流しておけ。傭兵ってのは、いちいちそんなこと気にしていたら、成り立たん」

 ヴォルミス達は数ヶ月前、ヴァレフールとアントリアの国境を守る長城線(ロングウォール)を海経由で突破してきたアントリアの特殊部隊に協力するフリをしつつ、終盤で彼等を騙し討ちにするという、長城線を守るケリガン家の三男坊リューベンが企てた計略に協力している(第3話「長城線の三兄弟」参照)。アントリア側にしてみれば、仲間面していた「暁の牙」に裏切られた形になるが、この計画を立てたのは彼等の雇い主であるリューベンであり、「暁の牙」はその命令通りに賃金分の仕事をこなしたにすぎない、というのがヴォルミスの主張である。彼の中では、これは「傭兵としての不義」には当たらない。
 とはいえ、もし、調査兵団の中に(可能性は低いが)この時のアントリア軍の生き残りが参加していたら、おそらくその理屈では納得出来ないだろうし、「暁の牙」に対して猜疑心を抱く者もいるかもしれないが、今回は雇い主がアントリア子爵である以上、ウィルバート達がアントリアを裏切ることはありえない。そのことは「雇い主との契約は絶対に守る」という「暁の牙」の本質を理解している指揮官にとっては、自明の理である。アントリア側の指揮官がまともな判断力の持ち主であれば、きちんとそのことを部下達に諭しているであろう。
 その上で、ヴォルミスはアントリア軍と合流するための手筈を一通りウィルバートに伝えると、決意に燃える瞳を滾らせた彼を横目に、その場を立ち去る。現在、ウィルバートが率いている兵達は、もともとはゲイリーが指揮していた部隊の者が大半であり、おそらくはその兵達の多くも、今回の任務に対して、並々ならぬ覚悟で臨むことになるであろう。

(まぁ、気持ちは分かるが、「叶わない相手」がいることを知るってのも重要なんだよ。戦場で生きる者としてはな)

 無論、そう言ったところで、今のウィルバートの耳に届かないことは分かる。だから、彼自身が自らの肌で実感するしかない。今の自分の限界と、その先に広がっているかもしれない可能性の有無を。

1.4. 故郷を捨てた貴公子

 シドウ・イースラー(下図)は、アントリア北岸の地・パルテノの街の警備隊を率いる、17歳の邪紋使いである。彼は、邪紋使いの中でも特に一般人から忌み嫌われやすい「アンデッド」と呼ばれる邪紋の持ち主であり、その雰囲気はどこか、人間離れした不気味さを醸し出していた。


 しかし、彼は生まれながらにしてこのような風体だった訳ではない。彼の父は、コートウェルズ最大の都市クリフォードの領主であるマーセル・イースラー男爵である。しかし、シドウは長男であったにも関わらず、なぜか幼少期から「後継者」とは目されず、父はシドウの一歳年下の妹・ソニアに自らの従属聖印を授け、「自分に何かあった時は、ソニアを当主とせよ」と家の者達に告げていた。つまり、兄である筈の自分を差し置いて、妹が「次期男爵」であるとはっきり明言されていたのである。
 幼少期のシドウは決して問題児だった訳でもなく、逆にソニアが特別優秀だった訳でもない。しかも、イースラー家の過去の継承においても、長男を差し置いて妹が後継者となった事例など、聞いたこともない。だが、父も、母も、そして長年イースラー家に仕える者達も、なぜかその決定を「当然のこと」と認識しているようで、その理由を問い質そうとしても、はぐらかされるばかりであった。
 シドウは、そんな自分の境遇に不満を抱きつつ、少しでも周囲の者に認められようとして、聖印を持たされないまま武芸の鍛錬に励み、龍や魔物との戦いにも積極的に飛び込んでいくことになる。そしてある時、街の近くに現れた凶悪な投影体との戦いに敗れた彼は、瀕死の重傷に陥るが、その時、何者かの力によって「邪紋」を身体に植え付けられた彼は、アンデッドの邪紋使いとして覚醒し、見事にその投影体を討ち果たす。しかし、その不気味に変わった姿に恐怖を抱く人々の反応を目の当たりにした彼は、混沌と戦うことの意義、更には混沌そのものの意味を知るために、実家を捨て、旅に出ることになる(ちなみに、彼に力を与えた人物の正体は、パンドラの闇魔法師クラインなのだが、彼はそのことを覚えていない)。
 そして、海を越えてブレトランドへと辿り着いた彼は、その邪紋使いとしての実力をパルテノの領主エルネスト・キャプリコーン(下図)に見出されたことで、彼の下で軍人として仕官することを即断する。クリフォードでは中途半端な立ち位置に悩まされていた彼にとって、血筋や家柄に関係なく自分を必要とする人物がいるのであれば、そのために自らの力を捧げることに、何の躊躇もなかった。むしろ、実家を離れたことで、ようやく彼は「自分自身の居場所」を手に入れることになったのである。


 そんな彼の現在の主であるエルネストから、出仕要請が伝えられる。どうやら、いつになく重要な任務が与えられるらしいということを理解したシドウが領主の執務室へと向かうと、エルネストは真剣な表情で、彼にこう告げた。

「まもなく、首都からコートウェルズに派遣される調査兵団が到着します。あなたも彼等と合流して、現地に向かって下さい。これは、子爵陛下からの勅命です。あなたはもともと、かの地の生まれとのことですし、この地に何度か実際に飛来してきた龍と戦ったあなたの経験は、きっと役に立つでしょう」

 どうやら、思わぬ形で「里帰り」させられることになったらしい。厳密に言えば、今回の派遣先は、コートウェルズの中でも北部に位置する「ゼビア地方」らしいので、彼の故郷であるクリフォード市からは、かなり離れた位置ではあるのだが、その調査の結果次第では、クリフォード方面にまで足を運ばなければならなくなる可能性もあるだろう。
 しかし、だからと言って、それを拒む権利は彼にはないし、そこで余計な気を回して悩んでも仕方がない、と割り切っていた。アントリア軍に仕官した時から、彼の中では「どんな任務でも引き受ける」という覚悟は固まっていたのである。そして現実問題として、現在のパルテノは飛来する龍の増加によって多くの被害が発生しており、首都に調査兵団の派遣を提案したのは、他ならぬエルネスト自身であった。この状況において今更自分が出陣命令に対して逡巡することなど、彼の信念が許す筈がない。

「現地までの航行は、最近は龍の出現率が多くて危険なので、対龍戦に秀でた海賊船を雇うそうです。残念ですが、我が国の海軍は、南方に出現した神聖トランガーヌからの再侵攻に備えるため、動かす余裕がありません。まぁ、海賊船と言っても、陛下のお墨付きを得た者達らしいですが」

 神聖トランガーヌ枢機卿領の主力部隊は、大陸中の日輪宣教団によって集められた大艦隊である。現在、魔境の出現によってアントリアへの陸路を断たれている彼等が、今後、海路を使って北上してくる可能性は十分にありうると警戒するのも当然の話であろう。

「それならば、安心ですね」

 シドウはそう言った上で、謹んでその任務を拝命する意志を伝える。色々と故郷への複雑な想いを抱きながらも、今はただ、与えられた使命を遂行することに専念しようとしていた。
 その上で、さっそく出立の準備のために退室していくシドウを見送りながら、エルネストの頭の中には、素朴な疑問が沸き上がっていた。

(なぜ陛下は、あえてシドウを選んだのだろう? 他の指揮官達も、年若い者達ばかりのようだが……)

 いつものダン・ディオードであれば、このような重要な任務に対して、実戦経験の少ない若者達を中心に編成を組むとは考えにくい。総指揮官のホルス・エステバンにしても、これまで聞いたこともない人物であり、どこまで信用して良いのか、周囲の者達には測りかねる。見方によっては、今回の調査兵団は「捨て駒」として選ばれたように見えなくもない。
 だが、それ以上の詮索が無意味であることは、エルネストも理解していた。ダン・ディオードはこれまでも常に、周囲の者達の想定の範囲外の作戦を立案し、ここまで勢力を拡大してきたのである。「陛下の決めたことであれば、間違いなどある筈がない」と、部下達に信じ込ませるだけの実績を積み重ねてきた過去を思い返せば、今回も自分ごときが余計な考えを回す必要もない、エルネストはそう自分に言い聞かせながら、シドウ不在時の街の警備システムの再編案の作成に取りかかるのであった。

2.1. 孤高の女海賊

 こうして、アントリア北岸のパルテノの街に、5人の指揮官に率いられた五つの部隊が結集することになった。アントリア騎士団、エーラムの魔法師の私兵、傭兵団「暁の牙」、辺境都市の警備隊、それぞれの代表である少年少女達を前にして、総責任者である(「アントリアの特殊部隊」を率いる)鉄仮面の男が挨拶する。

「ホルス・エステバンだ。今回の遠征の指揮官を仰せ付かった。これから先の調査の展開次第では長旅になるかもしれんが、よろしく頼む」

 淡々とした中年男性のようなその声を聞いた魔法師の少女ヴェルナは、一瞬にして彼の鉄仮面の内部に仕込まれた魔法装置の存在に気付く。それは、エーラムの錬金術師が生み出した特殊な魔法具であり、話者の声を人工的に合成された別の声に切り替える機能を持つギミックが組み込まれている。彼女が教養科目として履修していた錬金術の講義で聞いたその装置の合成声と同じ波動を、彼の発言から感じ取ったのである。
 顔を隠した上に、声まで変える必要があるこの人物は一体何者なのだろうか、などと彼女が考えていることには誰も気付かぬまま、今度は彼女を含めた四人の下位指揮官達が自己紹介させられる。

「私はアントリア騎士団のマーシャル・ジェミナイ。後方から弓兵隊を指揮して敵を挑発してその陣形を乱しつつ、聖印を用いて友軍を支援することが主な仕事だ」

 マーシャルの養父バルバロッサは、前線に立って敵を食い止めるタイプの騎士であるのに対し、マーシャルは後方からの指示・支援を得意とするスタイルであり、その戦い方は全く対照的である。騎士団長の息子という「特権階級」である上に、「危険の少ない後方部隊」ばかりを担当していることもまた、彼が一部の騎士団員から嫌われる一つの理由でもあった。

「エーラム魔法学院のヴェルナ・クアドラントと申します。専門は時空魔法です。あと、料理も得意ですので、お腹が空いた時には、いつでも仰って下さい」

 そう言ってヴェルナは頭を下げるが、今回の任務においては、食料担当要員はホルス率いる本隊の中に組み込まれている。そして、彼女自身は「料理が得意」と思っているが、彼女の味覚は非常に「寛容」で、普通の人間では口にしないような食材・調味料でも「美味しい」と感じてしまうため、彼女の手料理はあまり初心者にはオススメ出来ないと判断したノギロが、事前にアントリア側に対して「彼女に料理は作らせないように」と通達していた。そのため、幸か不幸か、この旅の間に彼女がその腕を披露する機会が与えられることはないのだが、この時点での彼女はまだそのことを知らない。

「傭兵団『暁の牙』のウィルバート・ファーネスだ。『龍の爪牙』で敵を蹴散らすのが俺の役目。前線での戦いは任せてもらおう」

 実はこの四人の中ではウィルバートが最年少なのだが(マーシャルも同い年だが、ウィルバートの方が誕生日は遅い)、その風格からは、既に歴戦の勇者のオーラが滲み出ている。そして、「両親の仇討ち」という強い決意を持って今回の作戦に臨んでいる彼は、この中の誰よりも強い闘志に満ち溢れていた。「龍の巣」に乗り込む上で、彼の持つ「龍を模した能力」がどこまで通用するのかは分からないが、彼ならば安心して任せても大丈夫だろう、という不思議な安心感が醸し出されていることを、周囲の者達は感じ取っていた。

「俺はパルテノの警備隊長、シドウ・イースラー。見ての通り、アンデッドの邪紋使いなので、大抵のことでは死なない。アントリア軍の盾として、皆をお守りしよう」

 その血色の悪そうな肌と生気を感じさせない表情は、どこか奇妙な威圧感を周囲の者達に対して与え、兵達の一部を萎縮させる。だが、戦場で生きてきた者達や、混沌に通じた魔法師であれば、アンデッドの力を持つ邪紋使いが戦場でいかに頼りになるかは理解している。それに、その不気味な容貌とは裏腹に、彼の物腰からどこか「気品」を感じさせることからも、彼がただの「辺境の軍人」ではないことを薄々感じ取っている者もいたようである。
 こうして、一通りの自己紹介を終えた彼等は、シドウに案内される形で、パルテノの港へと向かう。すると、そこには「赤いガーベラ」が描かれた旗を掲げた巨大な船が停泊していた。どうやら、これが今回彼等をコートウェルズへと導く「海賊船」のようである。
 そして、彼等がその船に近付いていくと、船体から、テンガロンハットを被り、毛皮のマントを片肩にかけた、顔に傷のある女性(下図)が降りてくる。その姿は、まさに典型的な「女海賊」の風貌であった。


「あれが、今回の水先案内人の女海賊、『傷顔(スカーフェイス)のアクシア』だ」

 ホルスが彼女を指差しながらそう言うと、それに気付いた彼女は、靴音を響かせて近付きながら、ホルスに向かって話しかける。

「久しぶりだねぇ……、ホルス殿?」

 なぜか、ホルスの名を呼ぶ前に「微妙な間」が空いていたのだが、そのことに皆が違和感を感じるよりも前に、彼女は両手を広げて「客人」達に歓迎の意を示す。

「ようこそ、我が『鮮血のガーベラ』へ。私が船長のアクシアだ。これから皆を『龍の巣』へとご案内しよう。ここから先は海も荒れる。船旅に馴れていない者にとってはキツいかもしれないが、安心して我々に任せてくれればいい。で、その子等が今回の隊長さん達、ということでいいのかな?」

 そう言いながら、ホルスの後ろに控える四人に目を向けていた彼女は、ヴェルナと目があったところで、目を丸くして驚いたような表情を浮かべる。その様子はヴェルナにも分かったが、彼女に全く見覚えがないヴェルナには、その理由は分からない。
 次の瞬間、アクシアは険しい表情を浮かべて、ホルスを睨みつけた。

「あんた……、ちょっと後で話がある。船長室に来い」

 その鋭い視線に、何か並々ならぬ事情を抱えていることはその場にいた皆が感じ取っていたが、ひとまずこの場では誰もその件には触れないまま、海賊船へと乗り込むことになる。こうして、様々な思惑を載せたまま、彼等のコートウェルズへの旅は幕を開けることになるのであった。

2.2. 荒波の航海

 調査兵団を載せた海賊船「鮮血のガーベラ」は、コートウェルズ北部のゼビア地方へと向かって順調に航行していく。といっても、「順調」と感じていたのは、この地区の荒れた航海に馴れた海賊達だけであり、調査兵団の者達にとっては、激しい波に揺られ続ける船旅は、決して快適なものではなかった。
 その中でも特に苦しんでいたのは、ヴェルナとシドウである。二人は強烈な船酔いに苦しみ、甲板で激しい嘔吐を繰り返していた。

「おいおい、大丈夫かよ、こんなガキンチョが指揮官で」

 海賊船の船員達が、不安と嘲笑が入り交じるような口調で、遠巻きにその二人を眺めながらそう呟く。

「ごめんなさい、船というものは、どうしても馴れなくて。これでも、ブレトランドに来た時よりは、少しはマシになったんですが……」

 さすがに、山奥のエーラムで育ったヴェルナには、この船旅は馴れないらしい。人生二度目の航海がこれほどの荒波では、体調を崩すのも無理はない。

「あー、もう、こんなとこ……、はよ帰りてぇなぁ…………」

 シドウもまた、船に乗るのはこれが(ブレトランドに来た時に続いて)二回目である。戦場での負傷ではそう簡単に倒れることがない彼でも、船酔いは別物らしい。ちなみに、彼の中での「帰る場所」は、おそらく故郷であるコートウェルズではなく、現在の自宅のあるパルテノのことであろう。

「おい、ナヨナヨしてんなぁ。そんなんで大丈夫なのかよ?」

 そう言って、それまで海賊達と一緒になって二人を茶化していたウィルバートが二人に近付いてくる。

「まぁ、そっちの時空魔法師さんは仕方ないとしても、おい、お前、それでも警備隊の隊長か!?」
「うるせぇよ、静かにしてくれよ、気持ち悪いんだよ……」
「そういう時はな、俺達の傭兵団に伝わる歌を聴かせてやろう。元気が出るぞ」

 そう言って、ウィルバートは大声で歌を歌い始める。その歌声は、上手くもなく、下手でもなく、なんとも中途半端なレベルであったが、船酔いに苦しむ二人にとっては、フラフラした頭に大声が響き渡ることで、余計に不快にさせられる。

「おい、やめろ! 今はそんな気分じゃ……、うっ……」

 そう言って、シドウが再び海に向かって体内の(不浄な)モノを吐き出そうとしているのを横目に見ながら、初めての航海である筈にも関わらず平気な様子のマーシャルは、ホルスに今後の任務についての確認を求める。

「ホルス殿、到着前に、上陸後の予定について教えてほしいのだが」
「そうだな。今のうちに伝えておいた方がいいだろう」

 そう言って、ホルスはゼビア地方の地図(下図)を取り出し、マーシャルに説明する。


「我々が向かっているのは、このバイロンという漁村だ。順調に行けば明日の朝には到着するだろう。まずこの地で情報を仕入れた上で、ビブロスおよびヴァイオラ方面へと調査を進めて行く。どの順番で進めるのか、隊を分けるのか、といったことは、得られた情報に基づいて判断する」

 今回の遠征は情報収集そのものが目的なので、現時点ではこのような大まかな予定しか立てられていない。ちなみに、このゼビア地方は混沌濃度が高く、作物の生産にもあまり適していないため、人口も少ないが、その割にはなぜか投影体があまり出現しない地域だったという。しかし、最近になってアントリアに現れる龍達の大半は、この地方から飛来しているらしい。
 そんな話をしている最中、船員の一人が、申し訳なさそうにホルスに問いかける。

「旦那、いいですかい? そろそろ、ウチの姐さんが待ちくたびれているんですが……」
「あぁ、そうだったな」

 そう言われたホルスは、船員と共に船の奥へと案内される。おそらくは、乗船前にアクシアが言っていた「船長室に来い」という一件であろう。ひとまず最低限の方針確認が出来たことに満足したマーシャルは、与えられた自室に戻り、到着後の任務に備えて一人、身体を休めるのであった。

2.3. 大人達の事情

 その後、日も陰り始め、ようやく吐き気が少し収まってきたヴェルナが部屋に戻ろうとすると、船員の一人が彼女に声をかける。

「なぁ、アンタも隊長さんなんだっけ?」
「あ、はい、そうです」

 船酔いで気分が悪いのを取り繕いながら、ヴェルナがそう答えると、申し訳なさそうにその船員が彼女に頭を下げる。

「ちょっと、ウチの船長に急遽伝えなきゃならないコトが出来たんだが、船長から、今は絶対に部屋に入るなと言われててさ……。悪いけど、今、船長室にいるそっちの大将を、何らかの理由をつけて部屋から連れ出してもらえないかな? あんたらなら客人だから、船長も仕方ないと諦めてくれると思うんで」

 どうやら、ホルスが船長室に呼び出されたまま、まだ長話が続いているらしい。そして、この船員の様子から、何やら深刻な事態が発生しているらしいことは、ヴェルナにも読み取れる。

「分かりました。では、今から行ってきます」

 そう言って彼女が船長室に向かい、その扉をノックしようとしたその瞬間、部屋の中から、船長アクシアの声が聞こえてきた。

「なぜ、あの子を連れてきた? 魔法師なら、誰でも良かっただろう」

 文脈上、ここで言うところの「あの子」とは、どう考えても自分のことである。思わずヴェルナが手を止めると、中からそのまま二人の会話が聞こえてくる。

「誰でも良いなら、アイツでも問題ない筈だ。才能ある若い魔法師を連れてくるのに、何の問題がある?」
「あの子には……、私の因縁とは無関係に生きてほしかった」

 ホルスの人口合成声に対して、そう答えたアクシアの声は、どこか力無く、辛さと哀しさが込められているのを感じ取っていた。ヴェルナの知る限り、彼女はアクシアとは面識がない(少なくとも、彼女の中にある「5歳以降の記憶」の中には)。しかし、アクシアの方は、ヴェルナのことを知っている様子である。しかも、彼女の中では「自分の因縁」と関わるほどに深い関係らしい。

「それは無理だ。いくらノギロがそのことを隠そうとしても、エーラムで混沌の研究を続けていれば、いずれアイツ自身が気付く筈だ。自分の身体が普通の人間ではないことにな」

 その淡々としたホルスの発言が、ヴェルナに大きな衝撃を与えた。どうやら、この鉄仮面の男は、自分の養父であり師匠でもあるノギロと面識があるらしい。そして、自分の身体が「普通の人間ではない」とは、一体どういうことなのか?
 混乱した状態のヴェルナの存在に気付くこともなく、女海賊アクシアは更に会話を続ける。

「そうかもしれない。だが、それならなぜ私に案内役を頼んだ? なぜ私の目の前にあの子を連れてきた? アントリアに余力がないなら、ノルド海軍にでも依頼すれば良かっただろう」

 ノルドとは、アントリアの所属する大工房同盟の一員であり、海洋王エーリクによって率いられた「北海の雄」である。現在、アントリアに対して本格的な軍事援助をおこなっており、アントリアの主力の一角を為す「白狼騎士団」も、この地から派遣された人々である。

「これ以上、同盟諸国に借りを作る訳にはいかない。お前が優秀だから頼った、それだけのことだ。余計な邪推を抱かず、お前は報酬に見合った仕事だけをしてくれれば、それでいい」
「つくづく、悪趣味な男だな……。まさかとは思うが、他の3人も……」

 アクシアがそう言いかけたところで、船体が大きく揺れる。どうやら、急激に舵を切ろうとしたことによる反動らしいが、船に馴れていない者にとっては、何かに衝突したのか、と思わせるほどの衝撃である。

「何だ? 何が起きた!?」

 そう言って、船長室から慌てて飛び出すホルスとアクシア。すると、その前に、部屋の前で立ちすくんでいたヴェルナと鉢合わせる。

「あ、ホルスさん、えーっと……」

 何かを言おうとしたヴェルナだが、このタイミングでどう話を切り出せば良いのか分からず、口ごもってしまう。

「お前……、いつからそこにいた?」

 そう言ったのは、ホルスではなく、アクシアである。明らかに動揺した表情を浮かべていることは、ヴェルナにも分かった。どうやら、今の会話を聞かれたくなかったようである。

「いえ、今、来ました。ホルスさんに今後の予定を伺おうかと……」

 そう言って、平静を装いつつその場をしのごうとしたその時、甲板から船員の声が聞こえる。

「船長、大変です。ワイバーン(飛竜)が飛来しました」

 そう聞かされたアクシアは、すぐに甲板へと向かう。コートウェルズに近付く以上、こうなることは想定の範囲内ではあったが、思ったよりも早く強敵と遭遇してしまったらしい。そして、ヴェルナもホルスに声を書ける。

「私達も行きましょう!」

 人々を助けることを信条とする彼女にとって、この状況を放っておく訳にはいかない。

「あぁ、そうだな。だが、お前、大丈夫か? かなり体調は悪そうだが」
「本調子ではないけど、何か出来ることはある筈です」

 船酔いで明らかに顔色が悪いのを堪えながらヴェルナがそう答えると、ホルスは仮面の奥で満足した笑みを浮かべる。

「分かった。いい心がけだ」

 そう言って、彼もまたヴェルナと共に甲板に向かって走り出す。ヴェルナとしても、先刻の会話は非常に気になる内容ではあったが、まず今は、目の前の危機を乗り越えることに専念しよう、と割り切ることにした。こうして、調査兵団にとっての最初の戦いが幕を開けることになったのである。

2.4. 船上の戦い

 アクシア、ホルス、ヴェルナの三人が甲板に出ると、そこには既に、同様に船の揺れに違和感を感じて外に様子を確認に来たマーシャルとウィルバート、そして相変わらず海に向かって嘔吐し続けていたシドウの姿もあった。
 そんな彼等の視界には、遠方から近付きつつある三匹のワイバーンの姿である。大きさからして、一組のつがいと、その子供のようにも見える。
 その様子を確認したホルスは、剣を構えた上でアクシアに問いかけた。

「とりあえず、俺とお前で一匹ずつ仕留める、ということでいいな?」

 それに対してアクシアが無言で頷くと、今度はマーシャル達の方に向かって叫ぶ。

「そっちの小さいのは、お前達に任せた!」

 「お前達」とはおそらく、マーシャル、ヴェルナ、シドウ、ウィルバートの四人のことであろうと、彼等は即座に理解した。彼等にもそれぞれに部下の兵達がいるが、この狭い甲板の上で、しかも馴れない船上での戦いにおいて、部隊を展開することは難しい(そもそも、まだ兵達の大半は船の中である)。ここは、彼等四人だけで迎え撃つしかなさそうである。

「我が身は龍なり!」

 ウィルバートがそう叫ぶと、彼の身体に龍燐が現れ、そして手の先から龍爪が伸びていく。本物の飛竜を前にして、「彼の中の龍」が戦いの怒号を上げたのである。それに続いて、ヴェルナがワイバーンに向かって、ライトニングボルトの魔法をかけようとするが、まだ船酔いで本調子ではない彼女は、足下がふらついて集中出来ず、発動に失敗してそのまま体勢を崩してしまう。
 その直後、今度はワイバーンが彼等の真正面まで飛来すると同時に、その翼から、ヴェルナとマーシャルに向かって激しい衝撃波が放たれる。そこにシドウが割って入ることでヴェルナを身を挺して庇い、更に崩れた姿勢からヴェルナがクッションの魔法をマーシャルに向かって放ったことで、その衝撃波による負傷は最小限に留めることに成功するが、船酔い状態の二人は当然のごとくそのままバランスを崩して転がるように倒れ込む。
 それに対して、今度はマーシャルの増幅の印を受けたウィルバートがワイバーンの側面に回り込み、自らの爪牙を突き立てる。渾身の一撃を受けたワイバーンは激しい呻き声を上げるが、それでもまだ倒れそうにない。更に続けてシドウが起き上がりながら追い打ちをかけようとするが、今の彼のフラフラの体調から放たれた攻撃が、ワイバーンに当たる筈もない。
 傷を受けたワイバーンは、身の危険を感じたのか、一旦甲板から離れた上で、今度は海上から再び衝撃波をウィルバートに放つ。だが、再びヴェルナが発動させたクッションの魔法によってその衝撃が緩和されたこともあり、頑健な龍の鱗で守られたウィルバートには殆ど無傷であった。
 しかし、ワイバーンが海上にいる状態では、ウィルバートの爪牙は届かない。ヴェルナもライトニングボルトがまともに発動出来ない今の状況で、唯一の攻撃手段はマーシャルの弓なのだが、ここまでの戦いから、自分の弓の実力ではこのワイバーンには傷一つ与えられそうにないことを、マーシャルは既に理解していた。そうなると、ここで彼の採るべき行動は一つ。遠方からワイバーンを挑発し、撹乱させることである。彼は甲板の上から、ワイバーンの闘争本能を刺激する動作を繰り返し、その瞳を自分に釘付けにする。
 すると、見事にその挑発に乗ったワイバーンが、再び甲板のマーシャルに向かって襲いかかる。だが、今度は翼による衝撃波ではなく、自らの足の爪で彼の身体を抉ろうとしてきたのである。これではヴェルナのクッションが通用せず、シドウが庇いに入れる距離でもなかったため、その一撃はマーシャルの身体を真正面から貫き、マーシャルはその場に倒れ込んでしまう。死に至るほどの傷ではなかったが、次にワイバーンが彼に一撃を加えれば、間違いなく即死である。
 しかし、このマーシャルの身を挺した作戦は正解だった。誘い出されたワイバーンに対して、再びウィルバートが全力の一撃を叩き込んだ結果、その小型の飛竜はその場に崩れ落ちる。一方、その間に大型のワイバーンと戦っていたホルスとアクシアも、どうにか撃退に成功していたようである。

「まぁ、急造部隊だから仕方ないが、お前等、もう少し連携が必要だな」

 薄氷の勝利を勝ち取った四人に対して、横目で彼等の様子を見ていたホルスはそう告げる。確かに、それは彼等自身も痛感していたことである。船酔いで二人が本調子ではなかったのもあるが、それ以前の問題として、陣形もバラバラで、動きに全く統一性がなかった。

「いや、初めての船上での戦いであれば、苦戦するのも当然だ。むしろ、よくやった方だと思う」

 そう言って、アクシアは彼等の功を労いつつ、ヴェルナにチラリと目を向ける。ヴェルナもその視線には気付いていたが、今の時点では何も言うことが出来ないままであった。

2.5. 龍の巣の入口

 こうして、どうにかワイバーンとの戦いに勝利した彼等は、そのまま航海を続け、翌朝には無事に、コートウェルズ北部のゼビア地方南岸の村、バイロンに辿り着く。人口の少ない小さな漁村だが、アクシア達は過去に何度か補給のために立ち寄ったこともあるらしく、海賊船である「鮮血のガーベラ」が近付いてきても、動揺することなくその停泊は受け入れられた。

「じゃあ、私達はここで船を守る。ここから先は、お前さん達が気の済むまで調べてくれればいい。一応、食料は船内に数日分は貯蔵があるから、ここに来てくれれば補充は出来るからな」

 一応、この村は貨幣経済が通用する地域ではあるものの、ほぼ自給自足で成り立っている村なので、いくら金を積んだところで、彼等に提供出来る食料には限界がある。狩猟で食料を得ようにも、混沌濃度の高いこの地域では、それが安全な食材かどうかを島外の者が見極めるのは難しい。ヴェルナであれば、(少なくとも彼女の中では)何でも美味しく頂けるかもしれないが、「美味しい」のと「安全」なのは、また別次元の問題である。

「ありがとうございました」

 そう言って頭を下げるヴェルナに対して、アクシアは相変わらず微妙な表情を浮かべつつ、目をそらしながらも、話を続ける。

「あ、あぁ、気をつけていくんだぞ……。それから、もし、今回の件にエスタークが絡んでいることが分かったら、すぐに私に使いをよこしな」

 それはホルスに対しての発言であったが、それに対してヴェルナが問いかける。彼女の中でも、このアクシアという女性と自分の関係について、気になり始めているようである。

「エスタークさんって、どういう方なんですか?」
「…………身内だよ」

 短くそう答えたアクシアに対して、ヴェルナもそれ以上の詮索は控えた。おそらく、ここで更に追求したところで、彼女は何も語ろうとはしないだろう。


 こうして、ひとまずアクシアと別れた彼等は、村の中へと足を踏み入れる。すると、村の子供達がホルスを見ながら、口々にこう叫んだ。

「あ、ホルスだ! 鉄仮面のホルスだ!」

 その反応は、さながら「伝説の英雄」を生で見たことに興奮しているような様子である。しかし、その鉄仮面の威圧感のせいか、あまり直接近付いて来ようとはしない。

「妙だな。俺がコートウェルズに来たのはもう随分昔の話だから、あんな子供が俺のことを知っている筈はないんだが……」

 首を傾げながら、そう呟く。ただ、どうやら彼は過去にもコートウェルズに来たことはあったらしい、ということを、ここで初めてマーシャル達は知ることになる。もっとも、それが分かったからと言って、何がどうなるという訳でもないのだが。
 そして、そんな子供達が騒ぐのを見て、今度は村の大人達が集まってくる。すると、その中の代表らしき人物が、話しかけてきた。

「あんた達、どちらから来なすったのか?」

 それに対して、ホルスが一通りの事情を話すと、その男はひとまず信用した様子で、彼に事情を説明する。ホルスの入手していた事前情報通り、この地はもともと「混沌濃度が高い割に魔物(投影体)が少ない地域」だったらしいのだが、最近になって、北のビブロス村の方面から、龍や魔物が出現することが増えたらしい。もともと、バイロンとビブロスとの間での交流は薄かったが、このような事態になってからは、それまで以上に誰もビブロスには足を運ばなくなったため、今現在、かの村がどのような状態になっているのかも、彼等は全く把握していないらしい。
 とりあえず、彼等はこの村でもう少し情報を集めるという方針を確認した上で、自分達が逗留するための「仮の宿」として、使われなくなった古い民家を借り、ひとまずは船旅と船上の戦いで疲れた身体を癒すことになった。


 こうして宿を確保したマーシャルは、ヴェルナ、シドウ、ウィルバートの三人を自室に集めて、昨夜のワイバーンとの戦いの「反省会」を実施する。

「いいか、まず、それぞれの役割を確認する必要がある。俺の仕事はお前達を聖印で支援することであり、前線に立つことではない。俺は敵を挑発するから敵は俺のところに向かおうとするが、敵を俺のところに近付けないように、陣を張れ!」

 確かに、正論である。あの戦いの折に、マーシャルがワイバーンを挑発した時、シドウがマーシャルを庇える位置に移動していれば、マーシャルへの攻撃はシドウが庇うことが出来た。「味方を庇うこと」が仕事のシドウとしては、これは痛恨の失態である。そして、その役割はウィルバートでも可能であった。シドウほどではないが、少なくともマーシャルよりは彼の方が、敵の攻撃を耐えきれる可能性は高い。
 一般的には、後方の指揮官が自らこのような「正論」を掲げると、前線に立つ者達の反感を買いやすい。だが、今回の戦いにおいては、実際にマーシャル自身が瀕死の重傷を負う状態になるまで身体を張って敵の攻撃に耐えている以上、シドウもウィルバートも、その主張に反論する気は起きなかった。
 それに加えて、敵の攻撃パターンを把握した上で様々に陣形を変える必要性や、魔法を用いるタイミングなどについて一通り彼は持論を述べた上で、最後にこう付け加える。

「それから、俺達の兵はアントリアの兵なのだから、無駄に命を損なってはならない。いいな、絶対に生きて帰るんだ!」

 厳密に言えば、ウィルバートが率いているのは「暁の牙」の部隊であり、ヴェルナの護衛はノギロの私兵なのだが、彼等も彼等で、自分に預けられた大切な兵を失う訳にはいかない、という気持ちは同じである。船上の戦いでは彼等の個人戦だったが、これから先は兵達を率いて戦うことになる以上、確かにこれは全員が心に留めておかねばならないことであろう。
 このように、マーシャルは自ら音頭をとって全体の方針を規定しようとするのに対して、他の三人は素直にそれを受け入れていた。一応、マーシャルは「調査兵団全体の副官」としてダン・ディオードに任命されているものの、実はその件については、他の三人には伝えていない。つまり、これまで他の三人は、自分とマーシャルの関係は「同格」だと思っていたのだが、この場でのマーシャルの「仕切り役」としての能力に感服したことで、以後、無意識のうちに彼のことを「自分達の上官」として認識するようになる。そして、ここで築かれた関係が、この後の彼等の行動方針を大きく規定していくことになるのであった。

2.6. 龍の巣の実態

 こうして、ひとまず方針確認した彼等は、村に出て情報を集めようとするが、その前に、ヴェルナがプレコグニションの魔法を用いて、ビブロスの現状についての手掛かりを探る。すると、彼女の脳裏に、三つの言葉が舞い降りてきた。

「喪失」「大鎌」「翼竜」

 どうやら、この三つの言葉が、ビブロスの現状を知る上での鍵となっているらしい。と言っても、「喪失」は何が失われたのかは分からないし、「大鎌」と言われてもヴェルナにはそれが何を意味しているのかは分からない。「翼竜」は彼等が遭遇したワイバーンのことである可能性が高そうだが、今のところ、それ以上の憶測には繋がりそうにない。
 だが、そんな中、ウィルバートだけは「大鎌」に心当たりがあった。実は、二ヶ月前にこのコートウェルズで戦死したと言われる彼の父ゲイリーの武器が、まさにその大鎌だったのである。と言っても、生き残った兵達の証言によれば、彼が死んだのはもっと南の地域だった筈なので、関係があるのかどうかは分からない。ひとまずこのことは、自分の中で気に留めつつも、黙ってそのまま村に出て、他の者達と共に情報収集に向かうことになった。
 これまであまり調査活動に従事した経験の少ない彼等であったが、それでも根気よく村人達に聞いて回った結果、様々な情報を得ることに成功する。
 まず、マーシャルが、村を訪れていた(数少ない)旅人から聞いた話によると、どうやらこのバイロンの西方に位置するヴァイオラ村に、コートウェルズ最大の都市クリフォードから派遣された義勇兵が逗留しているらしい。ヴァイオラは先日、龍の襲撃によって大きな打撃を受けたが、彼等はその復興支援のために集まった者達で、それを率いているのは、クリフォードの男爵令嬢ソニア・イースラーという少女であるという。
 その話を聞いたシドウは、それまで自分の素性を彼等には話してなかったが、さすがにこれはバレるのも時間の問題と考えたのか、そのソニアが自分の妹であるということを皆に告げる。それを聞いた上で、団長のホルスはシドウにこう告げた。

「ならば、お主が仲介役となって、その部隊と共にビブロスを二方面から包囲するように調査を進めるのも良いかもしれんな」

 そう言われると、シドウとしては、それを断る正当な理由がない。ソニアは彼の一歳年下の16歳で、男爵令嬢として何不自由なく育った、純真無垢な少女である。しかし、シドウはそんな彼女に対して、自分を差し置いて聖印を与えられたことへの嫉妬心と、そんな自分の心境などおかまい無しに、天真爛漫に一人の「妹」として自分を慕い、時には甘えてくる彼女に対して、食傷気味の感情を抱いていた。ある意味、彼が実家を捨てたのは、この「妹」と顔を合わせ続けるのが精神的に辛くなったから、というのも一つの理由だったのである。
 一方、ウィルバートは先刻の「ホルスを見て騒いでいた子供達」の話から、彼等がホルスを知った経緯を知ることになる。
 どうやら、数日前までこの村に、「絵」と「語り」を組み合わせた「紙芝居」という特殊な形式の叙事詩を語る旅芸人が訪れていたらしい(ちなみに、コートウェルズにもブレトランドにも、そのような大衆文化は本来は存在しない)。そして、彼の語る「姫をさらった龍を倒す六人の勇者達の物語」に登場する勇者の一人として、「鉄仮面のホルス」という人物が描かれていたらしい。その紙芝居屋は既に村を去り、「この後はヴァイオラに行く」と言っていたという。
 そして、ヴェルナが村の年配層の人々から聞いた話によると、どうやらビブロス村には昔から「紅蓮の翼竜」を操る「ドラゴンロード」と呼ばれる一族がいるらしい、という噂を入手する。その「紅蓮の翼竜」なるものの実態はよく分からないが、少なくとも、船上でヴェルナ達を襲ったワイバーンは赤系の肌色ではなかったので、それらとは別種の個体のようである。
 あくまでも伝説的な存在で、果たして本当に「龍を統御する人間」など存在するのかも疑わしいところではあるが、ヴェルナの予見にも「翼竜」という単語が現れていたことを考えると、あながち眉唾モノの話とも言い難い。いずれにせよ、詳細は実際にビブロスに行って確かめる必要がありそうである。

2.7. 龍王の眷属

 こうして、村で得られた情報を彼等が整理していると、バイロンの村人達が血相を変えて、調査兵団の者達の元に集まってきた。

「大変です、ドラゴニュートの一団が、村に迫ってきました」

 ドラゴニュート(龍人)とは、ドラゴンの眷属であり、二足歩行で武器や道具を使う能力を持つ投影体である。ドラゴン同様、一定の知性を持つ存在なので、状況によっては交渉することも可能な存在だが、この村に迫りつつある彼等は決して友好的な態度ではなく、彼等は村人達に対して「若くてイキのいい女をよこせ」と要求しているらしい。
 その話を聞いたホルスやマーシャル達は、すぐに兵達に迎撃体勢に入るよう、命令を下す。ホルス率いる本隊は、ドラゴニュート軍の中でも特にリーダーと思しき者に率いられた集団に突撃をかけ、マーシャル達の四部隊は、残りの敵軍の前に立ちはだかる。その中心は、(上述のリーダーらしき者とはまた違った意味で)やや他の龍人兵達とは異なる風貌の者がいたが、混沌に関する知識に通じたヴェルナは、すぐにその正体を見抜く。

「あれは『龍神官』ですね。魔法を使ってきます」

 彼女は皆にそう伝えつつ、彼等よりも先に、ライトニングボルトの魔法を敵陣に向かって打ち込む。船上では船酔い故に失敗してしまった彼女だが、既に体調を回復させた今なら、仕損じることはない。更にマーシャルがそこに増幅の印を加えたことで破壊力を増したその雷撃によって、ドラゴニュートの中の一部隊は半壊状態へと追い込まれた。
 それに対して、今度は龍神官が遠方から謎の攻撃魔法を放ってきたが、その射程範囲内にいたのは、シドウの部隊のみであった。前回の戦いを踏まえた上で、この兵団の中で最も守備力に長けたシドウの部隊を最大限に生かせるよう、綿密に最適の陣形を組んでいたのである。その一撃は決して軽いものではなかったが、鉄壁の護りを誇るシドウ隊には、傷一つつけることは出来なかった。
 こうして、渾身の一撃を止められて怯んだドラゴニュート軍に対して、今度は龍のレイヤーであるウィルバートの部隊が襲いかかるが、敵はあっさりとその一撃をかわしてしまう。龍の力を用いたウィルバートの攻撃は、彼等にとって「見切りやすい動き」なのかもしれない。だが、それはウィルバートも同様だったようで、直後に彼等に対して斬り掛かった敵部隊の反撃は、ウィルバート隊には全く通用しなかった。
 一方、マーシャルは得意の「挑発」で、敵の気をそらす。

「貴様等ごときが女を持ち帰ろうとは、一千万年早いわ」

 そう叫びながら、ドラゴニュートにとって侮蔑的な行為を繰り返した結果、既に半壊状態だった敵の一部隊が突撃してくる。しかし、距離的にその彼等の刃が届く前にシドウ隊が割って入り、その刃はマーシャル隊には届かない。
 すると、その「勝手に隊列を乱した部隊」に対して怒りを覚えた敵の龍神官は、その部隊もろとも、後方にいるシドウ隊、マーシャル隊、ヴェルナ隊に対して、炎の魔法を発動させる。しかし、マーシャル隊はその爆撃のタイミングを見事に察知して回避し、ヴェルナ隊への被害はシドウ隊が食い止める。先刻の作戦会議を踏まえた上での、見事な連携である。一方、この一撃で突撃してきた敵部隊は全滅するが、それを確認した上で、更に龍神官はもう一度、同じ場所に炎を打ち込む。今度はマーシャル達もかわしきれなかったが、それでも各部隊はまだ崩れない。
 その間に、前線に特攻してたウィルバート隊は、マーシャルの増幅の印を受けながら強烈な連撃を敵の一軍に叩き込み、壊滅に追い込む。この結果、自分を守る部隊が手薄になったことを理解した龍神官は、撤退を開始する。ウィルバート隊にはまだ余力があったが、後方の三部隊が既に火炎攻撃で大きな負傷を負っていたこともあり、それ以上の追撃は出来なかった。
 一方、その間にホルス隊は敵の龍将軍の首を上げ、ドラゴニュート隊を完全に全滅させていた。その圧倒的な勝利に、村人達は歓喜に沸き上がり、それまで彼等のことをやや懐疑的に思っていた人々も総出で、彼等の来訪を歓迎する態度を示す。そして彼等は、改めてホルス達に、この島を取り巻く龍達の生態系について説明するのであった。


 村人達曰く、この島の龍族の大半は龍王イゼルガイアを筆頭とするヒエラルキーによって成り立っており、(本来は異世界からの投影体である筈の)イゼルガイアは自らの「分身」としての「子」を自力で生み出すことが出来るが、他の者達にはその能力は備わっていない(無論、あくまでもそれは「イゼルガイアによって生み出された龍」の話であり、昨晩の船を襲ったワイバーンの親子などは、それとは別の経路でこの世界に呼び出された投影体なのかもしれない)。
 そして、イゼルガイアはもともと「男性型の龍」なので、一部の龍達は、自らの子を生み出すために、人間の女性をさらって、その胎内に子を宿そうとする。本来の人間の身体では埋めない筈の子を宿されるため、そこで受胎に成功したとしても、大抵の場合、出産時に母親は死んでしまうらしい。そして、産まれた子がどこまで龍の力を引き継ぐかは個体差があるらしく、ほぼドラゴンの姿で産まれて来る者もいれば、先刻のドラゴニュート達のような存在が産まれることもある。そして、龍に近い存在であればあるほど、親である自身や祖父に相当するイゼルガイアへの忠誠心も近くなるという。故に、中には人間に近い姿で産まれてくる者もいるが、そのような子供は「失敗作」として捨てられることが多いらしい。
 その上で、龍達には「より優秀な子を産む母体」を嗅ぎ分ける能力もあるらしく、一般的に「人間の男性の精を受け入れたことがない女性」の方が、龍の因子に対応した子を産みやすいという傾向もあるという。このような事情から、このコートウェルズの各地では、昔から若い女性が龍や龍人にさらわれた事例が数多く存在するらしい。
 前述の通り、その中でもこの地は比較的、龍や魔物の出現率の低い地域だったのだが、ここ最近になって、竜王配下の「四天王」と呼ばれる巨大な龍の中の一体である「白龍エスターク」の眷属が、頻繁にこの地に現れるようになったという。おそらく今回襲撃に来た者達もその一派で、エスタークの子の母体となるにふさわしい女性の身体を探しているのではないか、というのが彼等の推測である。
 このような状況を踏まえた上で、いつまた再びドラゴニュート達がこの村を襲うか分からないと判断したホルスは、ひとまず今夜は休養して英気を養った上で、自身の本隊をこの地に残した上で、残りの四隊をヴァイオラに派兵して、現地の情報収集とクリフォードの義勇軍との共闘要請を委ねる、という方針を提示し、マーシャル達もそれに同意する。
 その上で、「エスターク」という名前が出てきたこともあり、アクシア率いる海賊達にも協力を要請することになった。彼女がどういう意図からエスタークに執着しているのかは分からないが、この地がいつまた危険に晒されるか分からなくなった以上、少しでも多くの兵力を動員しておくべきであろう。
 こうして、調査兵団にとっての「龍の巣の初日」は、どうにか無事に幕を閉じたのであった。

3.1. 貴族令嬢の矜持

 翌日、マーシャル、ヴェルナ、シドウ、ウィルバートに率いられた四隊は、予定通りにヴァイオラ村へと向かう。その途上、様々な魔物や人間の屍を目の当たりにしながら、どうにか村に辿り着いた彼等は、龍の襲撃によって荒廃しながらも、それなりに活気付いて復興に勤しんでいる人々の姿を目の当たりにする。
 そんな人々の中心にいたのは、いかにも貴族の令嬢といった雰囲気を保ちながらも、気さくに村人達の話を聞きながら兵達に指示を出している、一人の少女の姿であった(下図)。


 その姿を確認したマーシャルは、「なぜか」彼女の方に目を向けようとしないシドウよりも先に、彼女に声をかける。

「そちらにいるのは、クリフォード男爵のご息女のソニア・イースラー殿と御見受けするが」
「あ、はい。あなたは、どちらの……」
「私は、アントリア騎士団から派遣された、マーシャル・ジェミナイと申します」

 そう言われたソニアは、目を輝かせて大声を上げる。

「アントリアの方々が、この島を救うために兵を派遣して下さったのですか!?」
「いえ、救うかどうかはまだ……。この島から我が国に龍が飛来してきているので、それを阻止することが主たる任務です」

 マーシャルは常に冷静である。ここで「そうです」と言った方がこの場は話が進むだろうが、後々になって、事態を解決せぬまま帰ることになった時には、かえって落胆させることになるだろう。過大な期待を与えることは、長期的に考えれば得策ではない。

「確かに、アントリアの方々にも多大なるご迷惑をおかけしてしますからね……」

 神妙な顔付きで、ソニアは呟くようにそう語る。龍が出現すること自体は彼女達の責任ではないが、コートウェルズの住人として、コートウェルズで発生した投影体が他国に被害を及ぼすこと自体が、彼女の中では申し訳ない気持ちにさせているらしい。ちなみに、彼女の実家であるクリフォード男爵家はアントリアとは昔から友好関係であり、彼女の名である「ソニア」も、旧アントリア子爵家の初代当主であるソニア・カークランド(英雄王エルムンドの長女)にあやかって付けられた名なのだが、そんな事情まではマーシャル達が知る由も無い。

「現在、我々の本隊はバイロンに逗留中です。ここ最近、ビブロス村の近辺からドラゴンが出現しているという話を聞きましたので、貴軍と共にバイロン、ヴァイオラの両方面から調査を進めたいと思うのですが、いかがでしょう?」

 マーシャルがそう提案すると、ソニアもその方針には同意する。その上で、現時点で彼女達が入手した情報として、ここ最近、ビブロス近辺で『黒い大鎌を持った魔人』が現れているという話を彼等に告げる。

「詳細はよく分からないのですが、おそらくその魔人は龍の眷属とはまた別の投影体で、ビブロス近辺に出没し、聖印や邪紋の持ち主を襲っていると聞きます。その点についても、気をつけた方がよろしいかと」

 この話を聞き、ウィルバートの中の「嫌な予感」は更に高まっていくのだが、そんな彼の傍らで、ソニアと目を合わせないようにしていたシドウの姿が、ソニアの瞳に映った。

「に、兄さん!? どうしてここに? 今まで、どちらにいらっしゃったんですか?」

 アンデッドの邪紋を取り込んだことで、その姿は大きく変わっているのだが、それでも彼女の目には、はっきりと彼が「兄」だと認識されてしまったようである。

「そんなことは今、どうだっていいだろう!」

 そう言って、彼は近付いてくる妹を拒絶する。妹が自分に対して敵意も悪意も持っていないことは分かっている。しかし、だからこそ、彼にとってはその「純粋さ」が心地悪く感じるのである。

「でも、今までずっと心配していたのですよ。亡くなったお母様も、最後まで気にかけていましたし……」

 その話を聞いて、シドウの顔付きが変わる。彼の母親はまだ若く、彼が出奔する直前までは、特に病弱な様子もなかった。

「母さんが、死んだ……?」
「はい、昨年末に、流行病で。その前から、色々と心労もあったようで、体調を崩すことは多くなっていたのですが……」

 もしかしたら、その心労の原因の一端には、自分の出奔も関わっているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎったのか、さすがに彼もショックを隠せない様子である。

「父さんは、大丈夫なのか……?」
「はい。お元気です。ただ、今回の出兵に関しては、お父様には大反対されてしまって……。でも、同じコートウェルズの人々が苦しんでいる今の状況で、何もせずにはいられなくて、こうして義勇兵の人々を募って、復興支援のために馳せ参じた次第です」

 実際のところ、義勇兵と言っても、その大半は一般の民衆なので、あまり戦闘能力は高くはない様子である。しかし、壊れた家屋の修復や食料支援など、様々な形で彼等の協力を得ることで、村の人々の雰囲気は明るく、活気に満ちていた。これまで、あまり他の村との関わりの薄かったこの地方の人々にとっては、別世界の住人だと思っていた「大都市の男爵令嬢」が助けに来てくれたということだけでも、大きな心の支えになっているのであろう。

3.2. 「六人の勇者」の伝説

 そんな活気に溢れる村の一角で、多くの子供達が人だかりを形成している様子がマーシャル達の目に入る。その中心にいたのは、見たことのない装束を着た中年の男性と、その男が持つ(見たことがない構造の)「台車付きの器具」であった。その器具の上部には窓のような形の「枠」が設置され、その枠の奥に何枚もの「絵」が挟まっている。男はその絵に合わせて何か口弁を加えながら、次々と枠の中の絵を取り替えて、一つの「物語」を表現している。どうやら、これがバイロンの子供達が見たという「紙芝居」という代物らしい。
 男の風貌は、装束以外は普通の人間のように見えたが、ヴェルナだけはその正体に気付いた。この人物は、投影体である。このコートウェルズはもともと混沌濃度が高いため、投影体が出現しやすい。しかし、この様子を見る限り、この男は特に危険な存在とも思えない。おそらく、投影体の中でも比較的「友好的な個体」が多いと言われる「地球人」の一種であろう。このような「友好的な投影体」に対しては、聖印教会の一部には「討伐対象」とみなす者達もいるが、エーラムの一員である彼女の倫理観に照らし合わせて考えれば、こちらから敵対的な態度を採る必要はない。
 マーシャル達四人が、その人だかりに近付くと、ちょうど一つの演目が終わったところだったようで、子供達が拍手をしながら満面の笑顔を浮かべる。すると、その男はまた新たな絵を披露し始めた。

「さぁ、みんな、ここから先は、来週の予告編だよ。タケオおじさんの、おもしろ紙芝居、次回予告『うるわしの姫君と六人の勇者』!」

 彼はそう言って、次々と次回演目の登場人物達が描かれた「予告編」の紙芝居を展開する。そして、それはマーシャル達を驚愕させる内容であった。

「さて、こちらにおわしますは、見目麗しいお嬢様。この方は、ヘルマイネの男爵令嬢、マレー様でございます(下図)」


 この瞬間、シドウの目が大きく見開く。「マレー」とは、彼とソニアの母親の名であり、ヘルマイネ男爵家と言えば、クリフォードの近くの小都市を統治する、彼女の実家である。しかも、そこに描かれた彼女の姿は、シドウの実家に描かれていた「10代の頃の母」の肖像画に瓜二つであった。

「このお嬢様を付けねらう、竜王イゼルガイアの四天王、黒龍ハーゴン! そしてこのハーゴンに立ち向かうのは、豪勇無双のダン・ディオード(下図)、


鉄壁のバルバロッサ(下図)、


鉄仮面のホルス(下図)、


癒し手のノギロ(下図)、


大鎌のゲイリー(下図)、


疾風のファイン(下図)。


さぁ、果たしてこの六人の勇者と姫君の運命は!? お楽しみに〜」

 そう言って、男はその木造器具を片付け始め、子供達は立ち去っていく。しかし、この次回予告を聞いてしまったマーシャル達の内心は、大混乱に陥っていた。
 マーシャルは、かつてバルバロッサがダン・ディオードと共に旅をしていたという噂は聞いたことがあるが、その件について、バルバロッサはあまり詳しく話そうとはしなかったため、その真偽についてはマーシャルも特に詮索しなかった。しかし、この紙芝居に描かれている「鉄壁のバルバロッサ」とは、どう見ても彼の養父の若き日の姿である。
 そしてヴェルナもまた、ノギロが若い頃に冒険者として世界を旅していたことがある、という話は聞いていたが、ダン・ディオードと面識があるということまでは聞かされていなかった。この紙芝居屋に登場した「癒し手のノギロ」が彼女の師匠と同一人物なら、ダン・ディオードが今回の一件で自分を指名した理由にも繋がってくるように思えるし、ノギロもそのことを知っていたと考えるのが自然だが、なぜそのことを自分に隠そうとしたのかは、現時点では推測出来ない。
 ウィルバートに関しては、両親がダン・ディオードの冒険仲間だという話は知っていたが、彼等がコートウェルズに来ていたという話は初耳である。先刻のソニアの話に出ていた「大鎌の魔人」の件も含めた上で、もしかしたら、自分の思っていた以上に、自分とこの地の関係は深いのかもしれないと改めて実感する。
 そして何より、彼等が最も驚いたのは、彼等自身の親や養父達が、今回の総責任者である「鉄仮面のホルス」の仲間として描かれていることである(ヴェルナだけは、その件については海賊船内の一件で予想はついていたが)。この件について、ホルスはこれまでの旅の過程で何も言わなかった。なぜ黙っている必要があるのか? そもそも、この物語の登場人物達は、本当に自分達の親(養父)なのか? 様々な疑問が渦巻く中、まず彼等は「この物語が真実なのか否か」を確かめたい、という欲求に駆られる。

「すみません」

 そう言って最初に声をかけたのは、ヴェルナであった。

「ほいほい、どうした、お嬢さん? ごめんな、今日はもう店じまいなんだよ」
「さっきの紙芝居の予告編なんですけど、その、知ってる人に登場人物が似ていた気がして……」

 そう言われた紙芝居屋は、首を傾げながらヴェルナ達を眺める。

「そういえば、俺も昔、お嬢さん達みたいな人達とどこかで会ったことがあるような気も……、いや、気のせいかな? もしかしたら、『こっちの世界』じゃなかったかもしれんしなぁ」

 「こっちの世界」という言葉が何を意味するのかは(彼が投影体だということを理解している)ヴェルナには分かったが、その件には触れずに話を続けさせる。

「この紙芝居はな、俺が若い頃、この世か……、あ、いや、この島に来た時に実際に見た物語なんだよ。さっき出てきたダン・ディオードってのはな、知ってるかどうかは知らないけど、そこで子爵様をやってる」
「えぇ、知ってます」
「バルバロッサってのは、そこで騎士団長をやってるんじゃなかったかな。ホルスさんは、この島で受けた傷が原因で命を落としたって聞いてるけど、他の人達は、どうしてるんだろうねぇ……」

 その話を聞いて、真っ先にシドウが反応する。

「ホルスさんが、命を落とした?」
「あぁ、俺はそう聞いてる。他の人達については、よく知らないんだんけどね。まぁ、いずれにせよ、凄い人達だったよ、彼等は。そりゃあ、後々、一国の王にもなるわな、と納得させられるくらいね」

 この男も、ホルスが実際に死んだ場面に立ち会った訳ではないようだが、もしこの話が本当なら、現在、彼等を率いているホルスは、この物語に登場したホルスとは別人、ということになる。しかし、鉄仮面のデザインは明らかに同じなので、おそらくは「先代ホルス」と何らかの関わりのあった人物が、その鉄仮面を引き継いだのだろう。だとすれば、「先代ホルスの仲間の子供(養子)達」のことを知らなくても不思議はない。もっとも、分かっていても黙っている可能性も十分にある訳だが。

「ちなみに、その姫君はその後、どうなったのかは……?」

 そう聞いたのは、シドウである。やはり彼としては、どうしてもそこが気になるらしい。

「あぁ、あのお姫様はね、えーっと、どこだったかな……、あ、そうそう、クリフォードだ。クリフォードの今の男爵様、当時のご子息様と元々婚約者だったらしくて、無事に助けられた後、そのまま彼と結婚したよ。ただ、これは俺の勘だけど、助けられた時の姫様は、間違いなく、ダン・ディオードに惚れてたね。でもまぁ、当時の彼は所詮、流浪の旅人だし、ちゃんとした婚約者がいたなら、破棄は出来んわな」

 どうやら、ほぼ間違いなく、シドウの母親のようである。そして、自分の母が自分の父以外の男性に心惹かれていたという事実を聞かされると、何とも言えない奇妙な感情が彼の中に渦巻いていく。

「非常に興味深い話なんだが、その紙芝居を今ここでやってもらう訳にはいかないか?」

 そう言って割って入ってきたのは、ウィルバートである。

「んー、まぁ、もう今日は店仕舞いしちまったしなぁ。そもそも、この話、子供にはウケがいいんだけど、あんた達にとって面白い話かどうかは分からんよ。龍退治なんて、それほど珍しい話でもないだろう?」
「いやいや、俺達はそういう話が好きだからこそ、こういう仕事をやってる訳だからな」

 無論、それはあくまでただの建前であるのだが、彼に限らず、自分の親が絡んでいると聞いたら、詳細を知りたくなるのも当然であろう。そして、同じ様に気になっていたマーシャル達も頼み込んだ結果、ひとまず、その男は物語のあらすじを彼等に伝える。と言っても、大枠の物語は既に「予告編」で語った通りであり、最終的には黒龍ハーゴンは彼等六人によって倒され、無事に姫君を救出した、という内容であった。

「まぁ、これは子供向けの紙芝居だから割愛したけど、実は子供には言えない様な裏話も色々あってね。ほら、彼等もまだ若かったし、若い男女が一緒に旅をしている過程で起きていた色々な感情も見え隠れしてはいたんだけどね。その辺を混ぜたら、もっと高年齢層にもウケると思うんだけど、さすがに穿り返しちゃいけない過去もあるしな。場合によっては、アントリアとクリフォードから指名手配されるかもしれないし」

 やや下卑た笑いを浮かべながら、男はそんな軽口を叩く。あくまでもこの男の推測とはいえ、当時の彼等の間で様々な「人間関係」が錯綜していたのであれば、それは今の自分達の出生にも大きく関わっているのかもしれない。そんな微妙な猜疑心を彼等が抱いているとは露知らず、男はそのまま荷物をまとめて、彼等の前から去っていく。
 ちなみに、この男の名は、タケオ・ナガマツ。地球上に存在する彼の「本体」は、彼という「影」がこの世界に発生していることなど知らないまま、その直後に大ヒット作「黄金バット」を生み出すことになるのだが、そのことは「影」である彼自身ですら知らない、この世界とは全く無縁の物語である。

3.3. 大釜の魔人

 とりあえず、この日は復興が進む村の中で築かれた仮説の住宅で一晩を過ごした彼等は、翌朝、ソニアの言っていた「大鎌の魔人」についての情報を集めてみる。
 すると、どうやらその魔人は「巨大な鎌」を持つ、「長い巻き毛」が特徴で、何かに取り憑かれたかのような顔で、「混沌(カオス)を、もっと混沌を……」と呟きながら、周囲に現れる魔物と戦いつつ、旅人にも襲いかかっていたらしい。しかし、旅人が、聖印も邪紋も持たない「無力な存在」だと分かると、襲うのを止めて去って行ったという証言もあることから、どうやら、聖印や邪紋や投影体の根底にある「混沌核(カオスコア)」を集めているようである。これは、暴走状態に陥った邪紋使いなどが陥る状態とも合致している。出没場所としては、ヴァイオラからビブロスへと向かう道から、やや北側に外れたところに現れることが多いらしい。
 そしてこの情報が集まった時点で、どのようにしてバイロンの部隊と合流するか、ということをマーシャルが思案している傍らで、ウィルバートの中では一つの決断が下された。彼は密かに、自分の隊の副官を呼びつけて、こう告げたのである。

「お前に、ここから先の隊の指揮権を任せる」

 決死の形相でそう告げた彼に対して、副官は何も言わなかった。そして彼は密かに隊を抜け、「大鎌の魔人」が出没すると言われている地に、一人で乗り込もうとする。状況的に、それが「暴走した状態の自分の父」である可能性が高いと考えた彼は、自分自身の手でこれを解決しなければならない、という衝動を抑えることが出来なくなってしまったのである。この副官も、かつてゲイリー達と共に戦っていた部隊の一員であるが故に、ウィルバートの心情を理解し、止めても無駄だと判断したのであろう。
 だが、部隊の規律には人一倍気を配っていたマーシャルの目を盗める筈もなく、あっさりと彼に見つかってしまう。

「お前、一人でどこに行くつもりだ?」

 マーシャルに呼び止められたウィルバートは、明らかに狼狽した様子で答える。

「いや、その、ちょっと散歩に……」
「ほほう? 部隊を置いて、一人でどこまで行こうというのだ?」

 彼の行こうとした方向は、明らかにビブロスの方面である。

「いや、その辺りをこう、ぐるーっと、散歩でもしようかと……」
「そうか、ならば私も同行させてもらおうか?」

 明らかに不審な視線を投げかけるマーシャルに対して、ウィルバートは更に動揺する。ここで、いっそ事情を話してしまおうかとも考えるが、彼の中では「自分達親子の問題」と位置付けられてしまっているため、それを口に出すことはどうしても躊躇してしまう。
 そしてもう一人、ウィルバートの動きに気付いた者がいた。

「あらあら、どこへ行こうというのですか? 私の専門は時空魔法ですよ?」

 そう言って、皮肉めいた笑顔を浮かべつつ彼の前に現れたのは、ヴェルナである。仮にここでマーシャルの追求をかわして彼を撒いたとしても、時間と空間を超えて周囲を見通す瞳を持つ彼女の目をごまかすことは出来そうにない。

「とにかく、勝手に動かれると隊が乱れて、こちらの兵も無駄に命を落とすことになるかもしれない。謹んでもらおう」
「あぁ、そうだな、分かった……」

 そう言って、おとなしくウィルバートは陣営へと引き下がる。失意の表情で帰ってきた彼に対して、副官は事情を察したのか、呆れたような顔でこう告げる。

「そりゃあねぇ、ぼっちゃんにそんな、他の人達を騙して行くなんて器用なマネ、出来る訳ないでしょう。だから、止めなかったんですけどね」

 見た目以上に大人びた風貌のウィルバートではあるが、長年にわたってゲイリーの下で働いていたこの男にとっては、あくまでも「ぼっちゃん」なのである。そして、彼が隠密行動に向いてないこと(その点については、シャドウである母親の才能を引き継がなかったこと)など、百も承知であった。

「もういっそ、話してしまった方がいいんじゃないですか? 他の隊長さん達に」
「……そうだな」

 こうして、彼は自分が勝手に単独行動を採るに至った理由をマーシャル達に語る。その上で、「父と思しき魔人」の件に関しては、自分に処理させてほしいと申し出る。だが、「処理」と言っても、具体的にどうしたのかという方針が明確に定まっている訳ではない以上、その口調はどうにも歯切れが悪い。それに加えて、マーシャルが言い放った一言が、彼に再び現実を直視させた。

「お前は今、父親と一人で戦って、勝てるのか?」

 正直なところ、ウィルバート自身、仮に二ヶ月前の状態の父親が相手だったとしても、「絶対に勝てる」という自信はなかった。それに加えて、これまでの話を聞く限り、その魔人がゲイリーであるとすれば、大量の混沌核を身体に取り入れて、その力は更に増幅されている筈である。

「……分かった。とりあえず、余計な行動は控える。その上で、少し考える時間がほしい」

 こうして、ひとまず魔人への対応は保留とした上で、マーシャル達はバイロンのホルスに対して使者を送り、今後の対応についての判断を仰ぐことにしたのであった。

3.4. 白龍と氷龍

 ところが、その使者が予想よりも早く帰ってきた。どうやら、バイロンに向かう途中で、逆にバイロンからヴァイオラへ派遣されていた使者に遭遇し、彼の話を聞いて急遽ヴァイオラに戻ることになったらしい。

「大変です! 現在、バイロンに『白龍エスターク』が近付きつつある、とのことです。至急、バイロンまで御戻り下さい」

 白龍エスタークと言えば、バイロンの人々の話では、龍王の「四天王」の一角と言われている存在らしい。それほどの大物が相手ということであれば、さすがに本隊だけでは厳しいと判断したマーシャル達は、全軍を率いてバイロンへと戻ることを決意する。
 こうして、急遽兵をまとめてバイロンへと向かった彼等であったが、その直後、更なる異変が彼等に直面する。彼等がヴァイオラを出立した後、今度は後方から、巨大な龍が飛来する音が聞こえたのである。振り返った彼等の目に映ったのは、ヴァイオラに向かって激しい吹雪を吐く龍の姿であった。ここに来る途中で事前に龍に関する基礎知識を学んでいた彼等は、それがアイスドラゴン(氷龍)と呼ばれる個体であることが分かる。

「おい、これはどういうことだ!?」

 そう言ってマーシャルは、バイロンから派遣された使者に確認するが、使者曰く、話に聞いていた白龍エスタークは、もっと巨大で、そのフォルムも異なっていたという。おそらく、今彼等の目の前にいるのは、エスタークの眷属の中の一体であろう。

(我々が出撃した直後に現れた……、これは、どちらかが陽動か? それとも、バイロンの方は偽情報?)

 マーシャルは様々な可能性を考慮しつつ、ひとまず目の前のアイスドラゴンを放っておく訳にもいかないため、すぐにヴァイロンへと戻るものの、彼等が村に到着すると同時に、アイスドラゴンはビブロスの方面へと飛び去っていく。そして、その足には「ソニア」が掴まれているのが、ヴェルナとウィルバートの目には映っていた。

「これは、今すぐ助けにいかなくては!」

 ヴェルナはそう主張するが、問題は、バイロンにはより強力な白龍エスタークが出現している、ということである。その実力は未だ不明だが、もし本隊と海賊達が倒された場合、彼等は帰る術を失う。この苦渋の状況において、マーシャルは一つの疑問を投げかけた。

「龍が人間の娘を孕ませるのに、どれくらいの時間がかかる?」

 この中で、投影体についての知識に最も詳しいヴェルナの見解では、それは「周期による」ということになる。龍が対象の妊娠能力を見定めることが出来るとすれば、女性の月経のタイミングを読み取って、最も受精に適したタイミングでの受精を試みる可能性が高い。つまり、今のソニアの月経の周期次第ということになるのだが、さすがにそこまで把握している者は(王城内における彼女の侍女などであれば分かったかもしれないが)、この場にはいなかった。
 そうなると、彼女を助ける時間的猶予は「有るのか無いのか分からない」という状態である。その状況を踏まえた上で、マーシャルは自分達の採るべき指針を示す。

「今すぐバイロンに戻り、本隊と合流して白龍エスタークを倒す」

 それが彼の結論である。あのアイスドラゴンがエスタークの眷属であると仮定するなら、ソニアをさらった目的は、エスタークの子を受胎させるためである。ならば、ここでバイロンに戻ってエスタークを倒せば、それが彼女の安全にも繋がる。
 逆に、もし仮にここでマーシャル達がアイスドラゴンを追撃した場合、一時的にソニアを救出することが出来たとしても、その間にエスタークによって本隊と海賊達が壊滅させられてしまったら、彼等だけでエスタークを倒すことはほぼ不可能である以上(そして本土に助けを求めに行く手段もない以上)、最終的には彼等はエスタークの餌食になる可能性が高い。また、もし仮にエスタークがバイロンを襲ったのが「陽動」で、すぐにバイロンから撤退していた場合、このまま彼等がアイスドラゴンを追って行くと、その「本拠地」でエスタークと遭遇する可能性がある。この場合も、ほぼ間違いなく彼等は全滅する。それならば、まず彼等が為すべきことは、本隊と合流した上で、エスタークを倒せる戦力を整えることである。
 無論、これはあくまでも「アイスドラゴンがエスタークのためにソニアをさらった場合」という前提の上での話であり、アイスドラゴンが自身の子を孕ませるために彼女をさらっていたのだとすれば、今すぐ彼女を助けに行く必要がある。だが、状況的に考えて、この両者の動きが連携している可能性が高い、というのが彼の判断であった。
 そして、もし仮にこの仮説が間違っていたとしても、アントリアの軍人であるマーシャルにとっては、どちらにしても最優先に助けるべきは、異国人のソニアではなく、アントリアの兵士なのである。今回の彼の任務は、あくまでも「アントリアに危険を及ぼしている原因の解明」であり、「コートウェルズの人々を救うこと」ではない。彼は、ここで目的を見誤って本末転倒な道を選ぶような指揮官ではなかった。
 彼のこの結論に対して、「困っている人を見捨てないこと」を信条とするヴェルナの心情としては、今すぐにでも助けに行きたいというのが本音であったが、確かに、彼のこの「正論」を聞かされれば、納得せざるを得ない。実直な性格のウィルバートもまた、すぐにアイスドラゴンを追いたい気持ちが強かったが、それでもマーシャルのこの結論に反論することは出来なかった。
 一方、目の前で(食傷気味の存在だったとはいえ)妹をさらわれたシドウもまた、内心では激しい葛藤に悩まされていた。彼のことを知るクリフォードの義勇兵の者達は、彼に対して必死に懇願する。

「ぼっちゃん、助けて下さい、ソニア様が、ソニア様が……」

 だが、それに対してシドウは、動揺する心を隠しながら、吐き捨てるように言い放つ。

「ソニアを後継者なんかにするから、こうなったんだ。俺だったら、こんなことには……」

 確かに、結果的に言えば、この地に来ていたのがシドウであれば、(男である以上)さらわれることはなかっただろう。だが、ソニアの性格を考えれば、仮に従属聖印を受け取っていなかったとしても、義勇兵を率いてこの地に来ていた可能性は十分にある。
 そんな悪態をつきながら、シドウは心の底にある感情を押し殺しつつ、こう言い切る。

「悪いが、ウチの指揮官の決めたことだ。その命令に逆らってまで助けに行く気は、俺にはない」

 実際のところ、マーシャルとしては彼等から反論があればそれも考慮するつもりだったが、ここに至るまでの彼の指揮官としての才覚に信頼を置いていた彼等は、彼に対して真っ向から反論出来る心理状態ではなかった。もっとも、シドウの場合は、決定権を放棄することで、自分の中の複雑な感情をごまかしたかったのかもしれない。彼の中では、優柔不断な姿勢を見せることは、最も恥ずべき行為であった。
 その上で、マーシャルは動揺する義勇軍の者達に対して、こう告げる。

「ソニア殿は、我々が本隊と合流した上で助ける。あなた達にはそれまで、この地を守ってほしい」

 これが、今の時点で彼が下せる「最善策」である。今すぐにでも彼女を助けに行きたい義勇兵達であったが、自分達だけではアイスドラゴンを倒せる力はないことは、先刻の戦いで嫌というほど思い知らされていたこともあり、断腸の思いで、その提案を受け入れる。
 こうして、それぞれに複雑な思いを抱えたまま、マーシャル達はバイロンへと兵を進めるのであった。

3.5. 再合流

 マーシャル達の視界にバイロンが入ってきたその時、同時に彼等の目には、先程のアイスドラゴンよりも遥かに巨大な純白の龍の姿が映る。おそらく、あれこそが白龍エスタークであろう。
 そして、村から大量の弓矢や投石がその白龍に向かって浴びせられるのと同時に、前線に立っている二人の指揮官の姿が目に入る。一人は、鉄仮面のホルス。そしてもう一人は、右半身を「龍」の姿に変えた、女海賊アクシアであった(下図)


「ようやく会えたね、エスターク。でも、私はもうこれ以上、弟も妹もいらないんだよ!」

 そう言って、彼女はその右半身から繰り出す強大な龍の力を用いて、エスタークに襲いかかる。その動きは、「龍のレイヤー」であるウィルバートとは明らかに異なる、さながら「龍そのもの」の力のように見えた。それに合わせて、鉄仮面のホルスもまた、とても人間業とは思えない動きでエスタークを翻弄し、着実に打撃を与えていく。その姿は、これまで彼等が見てきたどの剣士よりも速く、激しく、頼もしかった。
 こうして、巨大な白龍を相手に一歩も引かずに戦い続ける二人であったが、ここに至るまでかなりの長期戦を続けていたようで、さすがに二人とも疲労した様子は隠せない。そんな中、更なる攻勢を掛けようとしていたエスタークの前に、マーシャル達の部隊が到着したことで、村を守る部隊全体が息を吹き返す。すると、無勢を悟ったのか、エスタークは翼の向きを変え、ビブロス方面へと撤退していく。

「ヴェルナ! 追撃のライトニングボルトを!」
「分かりました」

 マーシャルに促され、ヴェルナは白龍に向かってライトニングボルトの魔法を放つが、あっさりとかわされる。やはり、龍王の四天王とも呼ばれる存在であれば、いかに魔法学院ではエリートと呼ばれていた彼女であろうとも、そう簡単に傷付けることは出来ないようである。だが、そのまま飛び去っていく白龍を悔しそうに見つめるマーシャル達の耳に、村人達の歓声が聞こえてきた。

「やったぞ、白龍を撃退した!」
「すげぇ! 本当にすげぇよ、あの人達!」

 先日のドラゴニュート戦の時など比べ物にならない程の狂喜乱舞である。これまで、この村の人々にとって、「人間の力で龍を撃退すること」など、おとぎ話のレベルの話でしかなかった。まさか自分達の目の前でその光景が展開されることになろうとは、夢にも思っていなかったのである。無論、その過程において、女海賊が「半身龍」の姿になったことに恐怖心を抱いた者もいたが、先日の戦いでウィルバートが「龍を模した力」で戦う姿を目の当たりにしていたことから、彼女の力もそれに類するものなのだろうと大半の村人達は考えていたようである。
 そんな勝利に沸き上がる民衆達の声を背に、ホルスとアクシアがマーシャル達の前に現れた。

「よくぞ来てくれた。どうやら奴は、もともと怪我をしていたようだが、それでも危なかった。お前達の援軍が来てくれなかったら、どうなっていたかは分からない」

 そう言って、ホルスは素直に彼等を労う。実際、間近で見ることで再確認出来たのだが、彼自身も相当疲弊しているようである。その傍らに立つアクシアの右半身は、改めて間近で見てみると、やはり、ウィルバートのような「レイヤー」の力ではない、より根源的な「龍」のオーラを感じさせたが、その件については、誰も触れようとはしなかった。

「で、そちらはどうなった?」

 ホルスにそう問われたマーシャルは、素直に現状を説明する。クリフォードのソニアがアイスドラゴンに連れ去られたこと、そのタイミングから察するにおそらくそれはエスタークの動きと連動していること、ヴァイオラの警護は残りの義勇軍に任せていること、そして、出来ればこのまま本隊と合流してソニアを助けに行きたいということ。
 その報告を一通り聞き終えたホルスは、落ち着いた様子で仮面の奥の口を開く。

「なるほど。事情は理解した。参考までに聞きたいのだが、その決断を下したのは、誰だ?」
「私です」

 マーシャルがそう名乗り出ると、ホルスは顔を近付けて更に問いかける。

「お前が全て自分の責任の上で決定した、ということでいいんだな?」
「無論です」

 迷いない瞳でそう言い切るマーシャルを見て、満足そうな様子でホルスは続ける。

「お前の決断は正しい。実際、お前達が来なければ、こちらもどうなっていたか分からなかった。他の者達も、その決断で納得した、ということでいいんだな?」

 そう言われた三人は、それぞれに抱え込む感情を抑えながらも「はい」と答える。すると、今度はアクシアがホルスに問いかけた。

「なぁ、ソニアってたしか……、あの姫様の子だろ?」
「そうだろうな。マレーも、龍の子を孕みやすい体質だと言われていたからこそ、ハーゴンに狙われた。おそらく、その資質を引き継いでしまっているんだろう」

 この口振りから察するに、アクシアもホルスも、シドウとソニアの母であるマレーとは面識があるように思える。しかし、ヴァイオラで出会った紙芝居屋の男は、「マレーを助けた六人の勇者」の一人であるホルスは既に亡くなったらしい、と言っていた。もしその話が本当だとしたら、今、彼等の目の前にいる「鉄仮面の騎士」は何者なのか? 皆がそれぞれに疑問を抱く中、ホルスは話を続ける。

「で、方角は分かっているのか?」
「はい、ビブロスの方向へ飛んで行くのを確認しています」

 ヴェルナがそう答えると、それに加えてマーシャルが、その道中で遭遇するかもしれない「大鎌の魔人」のこともホルスに伝える。それを聞いたホルスは仮面の奥でなぜか神妙な顔を浮かべていたのだが、周囲の者達にそれを悟られぬまま、すぐに軍を編成してそちらに向かうことを決定する。

「アクシア、お前もついて行くか?」
「ここまで来て、行かない訳にもいかないだろう? ……その子が、誰の子かは知らないけどね」

 皮肉めいた口調でそう言いながら、彼女は軽くホルスを睨む。つい先刻、彼女は「あの姫様の子だろ?」と言っていた筈なのだが、それにも関わらず、なぜこんなことを言うのか? 未だにこの二人の関係性もよく見えないまま、彼等は部隊を合流させた上で、ヴァイオラ経由でビブロスへと向かうことになる。

3.6. 魔境の奥地

 白龍エスタークとの戦いを終えたまま、強行軍でアイスドラゴンを追った彼等が、ヴァイオラを越えてビブロス近辺の山岳地帯に入ったのは、もう日が暮れ始めた頃だった。ただでさえ不気味な様相のコートウェルズの山林が、夜に入ると余計に禍々しい気配を漂わせていく。
 そんな中、ヴェルナは、次第に高まりつつある混沌濃度と共に、この先の地が完全に魔境化していること、そして、おそらくここから先は(君主でも魔法師でも邪紋使いでもない)「通常の人間」には大な負荷をかける空間となっていることを実感する。

「団長、ここから先は、部隊を運用するのは難しいかと」

 彼女はそう進言する。実際、兵士達の一部は既に苦しそうな表情を浮かべており、このまま彼等を連れて行っても、戦力として役に立ちそうにない。

「そうだな、無駄に兵を殺しても仕方がない。ここから先は『龍と戦う力がある』と思う者だけがついて来い」

 彼がそう言うと、マーシャル、ヴェルナ、シドウ、ウィルバート、そしてアクシアの六人が彼の後に続き、他の兵達は周囲を警戒しながら、その場に残ることになる。
 そして、その六人が山林の奥地へと向かって行くと、その奥から、激しい物音が聞こえてきた。微かに聞こえる声から、「龍」と「人型の何か」が戦っている音のように思える。状況から察するに、おそらく後者は「大鎌の魔人」であろう、と推測した上で、マーシャルはホルスに進言する。

「もし、この先で起きているのが、『大鎌の魔人』と『エスターク以外の龍』の戦いであるならば、無視して良いと思います。魔人は、仮に元は人間であったとしても、正気ではありません。そして『力を持つ者』を襲う習性があると聞きます。我々がその場に現れれば、おそらく我々に襲いかかってくるでしょう」

 無論、マーシャルは、その魔人の正体がゲイリーである可能性は考慮していたが、彼を捕縛することは、今回の任務の範疇外である。彼が勝手に龍と戦っている状況に対して、自分達が介入する理由はない。

「さすがに、戦っている相手がエスタークだった場合は、話が別ですが……」
「あるいは、ソニア嬢をさらった龍だった場合も気になりますが、それ以外だったならば……」

 マーシャルの補足説明を更に補うようにヴェルナがそう付言すると、その話を聞いた上で、ホルスはやや間を開けて答える。

「なるほど、それはそうかもしれん。だがな、俺には……、そうも言えない事情があるんだよ」

 その「事情」とは何なのかを説明しないまま、彼はマーシャルにこう問いかけた。

「エスタークを、お前に任せていいか? むしろ、俺がそいつとケリをつけなければならないんだが」

 あまりにも唐突すぎる提案である。「そいつ」というのが「魔人」を指しているのであれば、「自分の昔の仲間」の問題を自分自身の手で解決したいと考えること自体は理解出来る。無論、それはこの男が「本物のホルス」であることを前提とした上での話ではあるのだが。
 しかし、自分が彼と戦うために、エスタークとの戦いをマーシャル達に任せるというのは、あまりにも突拍子の無さ過ぎる提案である。

「それは、私達がエスタークを倒せるという判断の上での提案ですか?」
「むしろ、お前達に聞きたい。お前達はエスタークと戦って勝てる自信があるのか? 俺はまだ、お前達の真の実力を知らないからな」

 挑発するようにそう問いかけるホルスだが、マーシャルは至って冷静に答える。

「それを言うなら、我々もエスタークの力を知らない以上、戦えるかどうかは分かりません」
「まぁ、それもそうだな」
「ですから、我々の保有する戦力を全てエスタークに集中させるべきかと。そもそも、魔人と戦うのは、エスタークを倒した後では駄目なのですか?」

 実にまっとうな正論である。マーシャルにとっては、魔人(ゲイリー?)という存在は「エスタークを倒してソニアを救出する」という現在の任務を遂行するまでは、ただの「障害物」でしかない。確かに、それは「いつ襲ってくるか分からない存在」である以上、先にそのリスクを排除しておくことも一つの選択肢ではあるが、彼が他の龍と戦っている状態なのであれば、そこに介入して無駄に体力を消耗するよりも、その間に全ての力を集中してエスタークを倒すことに専念し、その後で余力があれば魔人の捕縛に向かう、という順番の方がリスクが少ない、というのが彼の判断であった。

「そうだな……。何にせよ、この先にいる龍が何者か分からない以上、ここで口論していても仕方がない。まずはこの先に進んで確認してみた上で、その後のことは、その後で判断する」

 そう言って、ホルスはその「物音がする方向」へと進み、他の者達もそれに続く。結局、この「ホルスと名乗る人物」の真意は今ひとつ分からないままであったが、それでも今の彼等には、彼と共に進む以外に選択肢はなかったのである。

3.7. 三つ巴

 やがて彼等の目の間に広がっていたのは、予想通り、「龍」と「大鎌の魔人(下図)」が戦っている光景であった。その「龍」の正体は、ヴァイオラを襲ったアイスドラゴン。そして「大鎌の魔人」は、明らかに正気を失った様子ではあったが、紛れもなくゲイリーであるとウィルバートは確信していた。


 そして、二人が戦っているその傍らには、気を失った様子のソニアが倒れていた。どうやら、アイスドラゴンが彼女を連れていたところに、この魔人が襲いかかったらしい。遠目で見る限り、まだソニアには息があるように見えるが、この魔人は「聖印の持ち主」に襲いかかる習性がある以上、このまま放っておけば、いずれ彼の手でソニアが殺されてしまう可能性は十分にある。
 こうなると、マーシャルとしても当然、無視する訳にはいかない。その上で、彼は一つの作戦を提案した。それは、あの魔人が反応する相手が「聖印」「邪紋」「混沌核」のいずれかを体内に有する者のみであるということ。つまり、魔法師であるヴェルナであれば、近付いてもおそらく反応はされない。それ故に、あの二人が戦っている場に、まずヴェルナが近付いて不意打ちのライトニングボルトを放ち、その後に全員で襲いかかる、という手順である。
 ただ、さすがに白兵能力に欠ける魔法師を矢面に晒す作戦なので、これについてはマーシャルも、あくまでヴェルナの同意が得られるなら、という前提の上での提案だったのだが、ヴェルナはそれを快諾する。今、目の前でソニアがいつ殺されてもおかしくない状態にある以上、それが自分にしか出来ない役割なのであれば、断る理由は何もない。
 こうして、マーシャルとヴェルナが二人でこの案をホルスに提案すると、彼は少し間を置いた上で、その作戦を了承する。

「本当は、『ここ』は『お前』ではないんだがな」

 そう言いながら、彼は仮面の奥からチラリと、シドウとウィルバートに目線を向けるが、この発言の意図には誰も気付かぬまま、彼等は作戦配置につく。ちなみに、攻撃の対象としては、まず優先的にアイスドラゴンを無力化し、その後に魔人を捕縛する、という方針であった。

**

 そして、戦いの火蓋は、作戦通り、ヴェルナのライトニングボルトによって、切って落とされた。マーシャルが操時の印と増幅の印を用いて彼女を援護した結果、見事に彼女の雷撃が氷龍と魔人を直撃する。魔境であるが故に混沌濃度が極めて高い状態であることも、その威力を更に上乗せさせていた。

「なんだ、この力……? 俺は知っている、知っているぞ、この魔力……」

 大鎌でそのライトニングボルトを受け止めたその魔人は、虚ろな瞳のまま、ブツブツとそう呟く。ちなみに、ノギロの本業は生命魔法だが、実は彼は時空魔法にも精通していた。当然、弟子であるヴェルナはそのことを知っている(そして、もし本物であるならば「ホルス」も)。
 その直後、マーシャル達が彼女の背後から現れ、アイスドラゴンに襲いかかろうとするが、それを制してヴェルナがタクトを掲げる。

「もう一発、行きます!」

 そう言って、彼女が残り少ない魔力を振り絞ってもう一発のライトニングボルトを打ち込む。さすがにこの連撃によって相当な重症を負ったアイスドラゴンは、「目の前の魔人」よりも、まずこの「突然現れた魔法師」を攻撃対象にすべきと判断し、彼女を含めた六人に対して、激しいブリザードブレスを放つ。
 突然の猛吹雪に対して、ヴェルナは自らクッションの魔法で軽減したことでなんとか一命を取り留め、ウィルバートも龍燐の力でかろうじて耐え切ってはいたが、マーシャルを庇ったことで二倍の吹雪の打撃を受けたシドウは、まさに瀕死の重症を負う。それでもまだ、アンデッドとしての特性故にかろうじて動ける状態ではあったが、次の一撃を喰らえば、おそらく即死に至るほどにまで追い詰められていた。
 だが、ここからがシドウの真骨頂である。彼は自らの身体に受けた傷を、全てそのまま相手に跳ね返すことが出来る能力の持ち主であり、既に通常の人間としての限界を超えた重症を負っていた彼は、自らの身体を蝕んでいたその損傷を、アイスドラゴンの体内にそのまま叩き込んだのである。既に魔人との戦いと二発のライトニングボルトによってボロボロになっていたアイスドラゴンに、その突然の不可思議な攻撃を耐えきれるだけの力が残っている筈もなく、氷龍はその場に倒れ込んだ。
 その直後、アクシアが倒れているソニアに駆け寄って身柄を確保する一方で、ホルスとウィルバートは大鎌の魔人に向かって走り込み、その鎌に向かって攻撃をかける。この時点で二人とも、この魔人の動きから、おそらくは「本体」と「大鎌」が別の意志を持って動いていることに気付いていた。それ故に、二人とも大鎌そのものに刃を向けるが、ウィルバートの攻撃に対しては、むしろ魔人自身が、自ら大鎌を「攻撃させやすい位置」に動かしているようにも見える。だが、やはり「父親と思しき人物」が相手であるためか、ウィルバートの攻撃には今ひとつ威力が感じられない。彼の大鎌は、本体の右腕とほぼ一体化した状態だったため、大鎌だけを狙って攻撃しても、本体に対して無傷ではありえないのである。
 すると、ホルスが二人の間に割って入り、そして言い放った。

「お前の刃には迷いがある。ここは、俺に任せておけ」

 彼がそう言いながら、全力を振り絞って剣を叩き付けた結果、魔人の右腕ごと、その大鎌は粉砕された。その直後、魔人の身体から邪紋が消滅し、「本来のゲイリー」の姿へと戻っていくのを二人は確認する。
 しかし、右腕を失ったことによる大量出血は激しく、このまま放置していれば、間違いなく彼は死に至る。ヴェルナは簡易の回復魔法程度ならば嗜んでいるが、重度の瀕死状態の者を治せるほどの力は持ち合わせていない。
 そんな中、この場にいる中でただ一人、彼を助ける力を持つ者がいた。

「私に任せて下さい」

 ソニアである。アクシアに保護された後、意識を取り戻した彼女は、目の前で大量出血で倒れているゲイリーの姿を見て、彼が何者かも分からない状態のまま、自分自身の体調も不完全な状態ながらも、本能的に彼に近付き、そして自らの聖印の力で、彼の傷を癒していく。彼女は、人々の傷を回復させる力を宿した聖印の持ち主だったのである。
 そして、そんなソニアの横顔を見ながら、アクシアは心の中でこう呟いていた。

(この子は違うな。アイツの血を引いているとは思えない)

 何を根拠にそう思ったのかは、彼女自身にも分からない。ただ、直感的に、ソニアの身体から発せられるオーラは、彼女にとっての「アイツ」とは異質なものに思えたようである。無論、そんな女海賊の思惑など、この場にいる他の者達は知る由もなかった。

4.1. 出生の謎

 こうして、ひとまず「最低限の目的」を達成した彼等であったが、ヴェルナやシドウの消耗状態を考えた上で、このままの状態でエスタークと対峙するのは危険と判断した結果、ソニアを連れ、意識を失ったままのゲイリーをウィルバートが担ぎつつ、途中で部隊の兵達と合流した上で、一旦ヴァイオラへと帰還する。
 姫君の帰還に歓喜するクリフォードの義勇兵達の歓待を受けながら、まだ余力のあるホルスとアクシアが村の周囲を警戒しつつ、マーシャル達はゲイリーと共に、義勇兵が借りている建物の「仮の医務室」で休息を取る。ゲイリーの今後の処遇に関しては、彼はアントリア人ではなく、彼がこの地で殺した相手もアントリアの人々ではない上に、そもそもこの地がアントリアの法の管轄下でもない以上(より正確に言えば、もはや法が機能してしていない領域の出来事である以上)、アントリア軍の指揮官であるホルスやマーシャルとしては特に口出しする必要も義務もないため、「暁の牙」の代表であるウィルバートに一任されていた。

「身内の処理は身内に任せる」

 それがホルスの言い分であり、ウィルバートはその結論そのものには異論がなかったが、一つ気になる点があった。

「アンタの身内ではない、と?」

 ホルスは、エスタークを倒す義務を放棄してでも、自分自身の手でケリをつけたいと言っていた。にも関わらず、ここに来て「自分の身内ではない」と言って丸投げしたことに、やや違和感を覚えたようである。もっとも、「家族」という意味の身内であれば、確かにウィルバート以上の適任者はいないのだが。

「そうだな……。もっとも、お前がコイツを身内と考えるかどうかは、お前の判断次第だが」

 彼が何を言わんとしているのかが、ウィルバートには分からなかったが、ともあれ、処遇を任されたウィルバートは、自身の負傷が浅かったこともあり、他の仲間達が休養している中、同じ部屋のベッドの上で眠り続けている父の傍らで、彼が目を覚ますのを待ち続けていた。
 すると、やがてゲイリーの口から、まるで走馬灯を見ているかのような寝言が聞こえてくる。

「ファイン、大丈夫だ、そう、これからは一緒に暮らそう……。ウィルバートは、俺の子だ……。血は繋がってなくても俺の子だ……。だから、これから先は俺がお前を……」

 その発言にウィルバートが静かに衝撃を受けたその直後、ゲイリーは目を覚ます。

「ここは!? ……ウィ、ウィルバート!? 」

 しばらく混乱した様子で周囲を見渡す彼であったが、何も言わぬウィルバートの表情を見ながら、やがて少しずつ、事態を把握していく。

「そうか……、お前が救ってくれたんだな」

 ウィルバートは、それに対しても何も答えない。彼の暴走状態を止めたのはホルスであり、瀕死の重傷から救ったのはソニアである。そのことを把握していない辺り、暴走状態だった時の記憶がどこまで彼の中で残っているのかは不明である。そして当然、たった今、彼が口にした「うわ言」の件も気になってはいたが、それよりも先に、まず確認したいことが彼にはあった。

「おふくろは?」
「死んだ……。守りきれなかった……。いや、違うな、俺を守ろうとして、死んだんだ。あいつが咄嗟に俺を庇ったことで、俺は生き残った。生き残ってしまったんだ」

 ゲイリーとファインは、このコートウェルズの地で龍王イゼルガイアと遭遇し、その戦いで龍王の放ったドラゴンブレスによって二人とも死んだと思われていたが、ファインがゲイリーを身を挺して庇ったことで、ゲイリーだけは九死に一生を得ていたらしい。おそらく、他の傭兵達も龍王も去った後になって、ギリギリの瀕死状態から奇跡的に息を吹き返すことが出来たのだろう。

「それから俺は、イゼルガイアを倒す力を得るために、この島にある全ての混沌を手に入れようとした。その過程で、徐々に意識が薄れ、混沌に身体を乗っ取られようとしていることは分かっていたが、それに気付いた時には、もう俺は自分を止めることが出来なくなっていた」

 どこか遠い目をしながら、ゲイリーはそう語る。典型的な「邪紋使いの暴走」の症状である。聖印も邪紋も、その根底にあるのはどちらも混沌核であるが、聖印は混沌核を浄化した上で取り込むのに対し、邪紋は混沌核の性質を残したまま取り込むため、過剰に摂取すればやがて身を滅ぼす。それが分かっていても、愛する者を失った邪紋使いには、その仇を取るための「力」を得たいという衝動を止めることは出来なかったのである。

「正直、意識は曖昧だったが、俺が今までどれだけの罪を犯してきたのかは分からん。だから、その処罰はお前達に任せる。ヴォルミス団長に迷惑がかかるというなら、俺の首を撥ねてくれて構わない」
「その判断をするのは団長の仕事だろう。一度帰るべきではないか?」
「あぁ、そうだな……」

 そんな親子の会話を交わしつつ、ゲイリーは息子の周囲にいる者達に目を向ける。そして、マーシャルと目が合った瞬間、衝動的にこう言った。

「お前……、ホルスの息子だな?」

 突然の発言に、その場の空気が凍り付く。どうやら、ゲイリーは自分の中にある「ホルス」の素顔の面影を、マーシャルに感じたらしい。
 だが、そう言われたマーシャルは、毅然とこう答える。

「私の父は、バルバロッサ・ジェミナイです」

 それが彼の中での真実である。血縁上は「伯父」であったとしても、彼の中ではバルバロッサ以外に「父」と呼ぶべき存在はいない。

「あぁ、そうか、そうだったな。俺にはそういうコトを言う権利は……、ん? ちょっと待て。お前、今、『私の父』と言ったな?」
「はい、私の父は、養ってくれたバルバロッサ・ジェミナイだけです。実父のことは何も聞いたことがありません」

 そう繰り返すマーシャルに対して、ゲイリーは腑に落ちぬ顔をしながら、呟くような口調で続ける。

「俺は今、『実父』の話はしてないんだが……、そうか、お前は『そのこと』も知らされていないのか」

 彼が何を言ってるのか理解出来ないまま、皆が混乱している中、更に混乱させる真実を彼は告げる。

「聞かされていないということは、言うべきことではないのかもしれん。だが、これだけは伝えておく。ホルスはお前の『父』ではない。お前の『母』だ」

 いつもは冷静なマーシャルも、さすがにこの発言に対しては、ただひたすらに困惑した様子を隠せない。「ダン・ディオードや父の旧友のホルス」と「今のホルス」が別人なのではないかという疑惑はあったが、まさか性別まで異なっているという可能性までは、全く考えてもいなかった。だが、この瞬間、彼は紙芝居屋の話していた「ホルスの死因(コートウェルズで受けた傷が原因の病死)」が、バルバロッサが語っていた「母(ジャクリーン)の死因」と一致していたことを思い出す。

(もし、「本物のホルス」と「ジャクリーン」が同一人物なのだとしたら、今、我々を率いている鉄仮面の男は、一体何者なのだ……?)

 彼がその疑念に混乱している横で、現在のホルスの「中年男性のような声」が合成音であることを知っているヴェルナは、「現在のホルス」が女性である可能性もあると考えていた。この時点で、この二人が持っている情報を摺り合わせていたら、ホルスの正体にいち早く気付いていたかもしれない。だが、いずれにせよ、彼等は間もなく知らされることになる。彼等と共にこの地にやってきた「鉄仮面のホルス」の正体と、そして彼等がこの任務に選ばれた真の理由を。

4.2. 紅蓮の翼竜

 そして翌日、まだ病み上がりのゲイリーとソニアをヴァイオラに残したまま、調査兵団の面々とアクシアは、ビブロス村へと向かう。ソニアは救出したとはいえ、まだ肝心のエスタークを倒していない。それに何より、最近になってこのゼビア地方における龍や魔物の出現率が上がったことの原因は、まだ全く解明されていないのである。
 その途上、明らかにこの地が魔境化しつつあるほどに荒廃していることを実感しつつ、どうにか村に辿り着いた彼等は、失意に満ちた表情を浮かべる村人達の絶望的な様子を目の当たりにする。そんな中、村人の中の長老的な人物に事情を聞いたところ、彼はうつろな瞳を浮かべながら、こう言った。

「我等がドラゴンロード様が殺されてしまった、大鎌の魔人に……。もう我々には、龍に抗う術はない」

 どうやら、バイロンで彼等が聞いた「紅蓮の翼竜を操るドラゴンロードの一族」の噂は本物だったらしい。そして彼等曰く、この地が高い混沌濃度に侵蝕されつつも、人々を脅かすような龍や魔物が出現しなかったのは、その「紅蓮の翼竜」を従えるドラゴンロードの一族が、この地に出現する様々な魔物や他の地から飛来する龍達から、代々この地を守り続けてきたからだという。
 だが、約一ヶ月前に、その一族の現当主が「大鎌の魔人(ゲイリー)」に倒されたことで、そのパートナーであった紅蓮の翼竜も本来の力を発揮出来なくなり、その結果として、山の向こう側の地方から次々と「人間に害を及ぼす龍」が飛来するようになったらしい。この状況は、ヴェルナが予見した「ビブロスの現状」の断片的な情報とも確かに合致していると言えよう。
 そして、彼等がその老人から話を聞いていたちょうどその時、おそらくは村の中心的な建物の一つだったと思われる荒廃した廃墟の上に、巨大な「紅蓮の翼」をはためかせた翼竜が舞い降りる。それは海上で彼等を襲ったワイバーンとは明らかに異なる、この世界に一般的に現れる飛竜の類いとは別種の個体であった。

「我は、英雄王エルムンド様の配下の七騎士の一人、トレブル・クレフ」

 その紅蓮の翼竜は、マーシャル達を見下ろしながら、そう名乗る。「英雄王エルムンド」と言えば、四百年前にブレトランドを混沌から救い、ヴァレフール、トランガーヌ、アントリアの礎を築いた伝説の人物である。その部下に七人の騎士がいたということは有名な話であるが、彼等の前に現れたのは、どう見ても人間の姿とは掛け離れた、一匹の巨大な翼竜である。

「我等は、混沌との戦いの中で、巨大な混沌核に触れた結果、このような姿になってしまった。私のこの身体は、エステル・シャッツ界に住むと言われる巨大な翼竜のもの。だが、身体は投影体になってしまっても、我等は人の心を保つことが出来た。それは、エルムンド様との『心の絆』があったからだ」

 唐突に語られる荒唐無稽な話ではあるが、聖印の持ち主が、自身に制御しきれないレベルの混沌核に触れることで、その内なる聖印を混沌核に書き換えられてしまったという事例は、伝説レベルであれば確かに存在する。もっとも、英雄王エルムンドの配下の七騎士に関するそのような伝承については、ブレトランド生まれのマーシャルですら、全く聞いたことも無い話なのだが。

「しかし、やがてエルムンド様が、大毒龍ヴァレフスとの戦いで受けた傷が原因で死期を悟られた時、我等は自ら、ブレトランドの各地に封印される道を選んだ。エルムンド様亡き後、理性を保てる自信が無かったからだ。そしてその時、我等は共に一つの誓いを立てた。いずれ再びブレトランドの地が危機に瀕した時、エルムンド様に匹敵する人物が現れたら、その方のために再び立ち上がろう、と」

 この翼竜が話している内容が真実であるという保証はどこにもない。だが、不思議と、その場にいる者達は皆、彼の話に耳を傾けていた。見た目はただの投影体にすぎないこの「魔物」の言葉には、聞く者を納得させる不思議な説得力が備わっていたのである。もっとも、それが「四百年前の英雄」であることの証明にはならないのであるが。

「そして我等はそれぞれに永き眠りについた……。そして、それから約二百年の時を経た後、私が眠っていたアントリア北部の山岳地帯に一人の騎士が現れ、こう言った。コートウェルズの混沌の浄化に力を貸して欲しい、と。私はその騎士の決意に感銘を受けた。だが、私の力は本来、ブレトランドの人々のためのもの。コートウェルズの人々のために、ブレトランドを去ることは、我等の誓いに反するのではないか、という想いに悩まされた。そこで私は新たな誓いを立てたのだ。本来の誓いを破ってまでコートウェルズに渡る以上、この地の混沌を全て浄化するまで戦い続ける、と」

 英雄王エルムンドの死から約二百年後ということは、現時点から見て約二百年前、ということになる。つまりこの翼竜は、二百年前からずっとこの地で、混沌と戦い続けていたらしい。

「しかし、私と彼の力をもってしても、この地の混沌を全て浄化することは難しかった。やがて彼の寿命は尽きるが、その後継者となる者達が現れ、私は彼等と代々契約を結んでいくことになる。いつしか彼等は『ドラゴンロード』と呼ばれるようになった。しかし、その最後の継承者が死んでしまった今、私は本来の力を発揮出来ない。いや、正確に言えば、本来の力を発揮しようとすると、おそらく私は、自分で自分を制御出来なくなってしまう。私が本気でこの力を用いるためには、私と魂を共有してくれる『高貴な魂の君主』が必要なのだ」

 紅蓮の翼竜はそう言うと、ホルスとマーシャルに目を向ける。

「だが、今、私の目の前に、私が力を預けるに相応しい資質を持った二人の君主がいる。お前達のどちらか、私の主になる気はないか? 私の力をもって、このコートウェルズ、そしてこの世界を救うために」

 突然そう言われたマーシャルは、戸惑いながらもホルスに目を向ける。すると、ホルスは彼にこう問いかけた。

「お主はどうしたい?」

 いささか卑怯な逃げ口上のようにも聞こえるが、そう問われたマーシャルは、素直に自分の思うところを口にする。

「私の仕える国はアントリアです。自由騎士のホルス殿がその役割を担って下さるのであれば、この場は御任せしたいのですが」

 彼の目から見ても、この紅蓮の翼竜が「相当に強大な力を秘めた龍」であることは分かる。その身体に秘めた根本的なポテンシャルは、先刻のアイスドラゴンなど比べ物にならない。白龍エスタークと同じか、あるいはそれ以上なのかもしれない。そんな強大な力を手に入れられるかもしれない、という状況でありながらも、彼は至って冷静にそう答えた。彼の中では、自分が力を手に入れるかどうかよりも、自分自身の役割の方が重要なのである。
 すると、ホルスは鉄仮面の留め金に手をかけながら、こう答えた。

「分かった。では、コートウェルズは私に任せろ。その代わり、アントリアは任せたぞ」

 そう言い終わると同時に、彼は鉄仮面を外し、初めて彼等の前に素顔を晒す。それは、マーシャルにとっては見慣れた、彼の「主君」の顔であった。

「この俺がコートウェルズを全て制圧するまで、俺の名代として、アントリアを頼むぞ」

 そう言い放ったその人物は、紛れもなく、現アントリア子爵ダン・ディオードだったのである。

4.3. 父と子

「わ、分かりました……」

 突然その正体を現した「主君」を目の間にして、マーシャルは反射的にそう答える。だが、突然の事態に、さすがの彼も困惑せざるを得ない。彼がダン・ディオードから今回の任務を命じられた時、その隣に確かに「ホルス」はいた筈である。
 実はあの時、彼の傍らにいた鉄仮面は影武者で、出陣前の時点でダン・ディオードと入れ替わっていたのだが、鉄仮面の内部に装着されていた合成音装置の存在故に、マーシャルには「声」による判別も出来なかったのである。とはいえ、この点については、今現在、鉄仮面を外したダン・ディオードが、明らかにそれまでとは異なる「本来のダン・ディオードの声」で話しているため、ヴェルナからこの装置の話を聞いていなかったマーシャルでも、何らかのカラクリがその鉄仮面の中に内臓されていることは薄々理解出来る。
 だが、それ以上に問題なのは、今現在、彼に課せられた使命である。「ダン・ディオードの名代」ということはつまり「国家元首代行」を意味する。それをいきなり、ダン・ディオードの筆頭契約魔法師であるローガン(『ルールブック2』233頁参照)でも、騎士団長であるバルバロッサでもなく、騎士団内の一指揮官にすぎないマーシャルに託す、と言っているのである。あまりにも大役すぎるその指名に、彼も含めた周囲の者達は、混乱の色を隠せない。
 そんな空気を察してか、鉄仮面を外したダン・ディオードはこう告げる。

「なに、心配することはない。バルバロッサにもローガンにも、今回の調査結果次第では、お前に後を託すと言ってある。二人とも知っているからな、お前が『俺の息子』だということを」

 突然の告白に、その場の空気が凍り付く。確かに、マーシャルは実父の名を知らない。そして、母であるジャクリーンと「初代ホルス」が同一人物であるとすれば、仲間であったダン・ディオードとの間で「そういう関係」が発生していてもおかしくはないだろう。

「お前達はどうする? 俺と共に、この地で混沌と戦うか?」

 そう言って、残りの三人に目を向ける彼であるが、三人とも「帰るべき場所」がある以上、このままこの地で、いつ終わるとも知れない戦いに身を投じる訳にもいかない。
 そしてこの時、ヴェルナの中に「もしや……」という予感が過り、彼女は時空魔法師としての奥義とも言うべき「賢者の予言」の力で、「この世界の真理」に向かって問いかける。自分の正体が何者なのか、と。その結果、彼女の脳裏には衝撃的な真実が舞い降りてきた。彼女の母は女海賊アクシア、そして、父は今、彼女の目の間にいるアントリア子爵ダン・ディオードであるという。
 確かにそれは、今までの状況と照らし合わせて考えてみれば、納得は出来る。少なくとも母に関しては、これまでのアクシアの態度と発言から、おそらくヴェルナの中でも薄々勘付いていたであろう。しかし、まさか父がこれほどの「大物」であろうとは、考えてもいなかった。
 そして、彼女がその事実に打ち拉がれているのを知ってか知らずか、ダン・ディオードは三人に向かってこう言い放った。

「まぁ、お前達がどの道を進もうが、お前達の自由だ。それに、どんな人生になったとしても、心配することは何もない。俺の子供達が、そう簡単に死ぬ筈がないからな」

 既に自力でその真実に辿り着いていたヴェルナだけでなく、シドウとウィルバートに対しても、この「無責任な父親」は唐突に真実を突き付けた。さすがに二人とも衝撃を受けた様子ではあるが、しかし、冷静に思い返してみれば、思い当たる節はある。シドウの母マレーも、ウィルバートの母ファインも、若き日のダン・ディオードと同じ時をこのコートウェルズの地で共有している。シドウにしてみれば、もし自分が「クリフォード男爵」の息子でないならば、自分を差し置いて妹が後継者に任命されたことも理解出来る。そしてウィルバートも、昨日のゲイリーのうわ言から、自分が彼の本当の息子ではないことは薄々察していた。

「まぁ、詳しい話は、バルバロッサにでも、ノギロにでも、ゲイリーにでも、好きに聞くがいい」

 言うだけ言って、あっさりと話を切り上げようとする彼に対して皆が困惑していたが、そんな中、ヴェルナが静かに口を開く。

「私は今更、出自がどうのと言われても……」

 どう反応して良いか分からない様子の彼女に対しては、少し離れた位置から見ていたアクシアも、目を合わせようとはしない。アクシアは、「今回の調査兵団の責任者であるホルス」の正体がダン・ディオードであることは、最初から知っていた。しかし、この時点で彼女は、まだヴェルナが「自分の母親がアクシア」と気付いていることを知らない。だから、ヴェルナが自分からそのことについて言い出さない限りは、黙っているつもりでいた。
 そんな微妙な心境の母と娘の心情を知ってか知らずか、ダン・ディオードは再び話を始める。

「そうだな。俺も、自分の出自とは関係なく、アントリア子爵になった。だが、お前達には間違いなく、俺の力は引き継がれている。そして今回の件を通じて、よく分かった。マーシャル、お前の方が俺よりもよっぽど、『王』に向いているぞ」

 そう言って、彼は再びマーシャルの前に歩み寄る。

「俺がお前の立場であれば、迷うことなく目の前のアイスドラゴンを追っていた。そしておそらく、それは用兵術の観点から考えれば間違いで、より多くの兵を失うことになっただろう。俺にはその計算が出来ん。お前はまだ弱い。弱いからこそ、生き残るために頭を使う余地がある。おそらく、そういう者が必要なのだ、今のアントリアにはな」

 ダン・ディオードは、人々を束ねる「王」としては、あまりにも強すぎる。自分自身が強すぎるが故に、その「力」だけで全てを解決しようとするが、その力を持たない者達を生かす術には長けていない。どうやら彼自身が、その限界に気付いていたようである。

「今回、この島に来てよく分かった。やはり俺は、くだらぬ人間同士の争いよりも、目の前の混沌を倒す方に生き甲斐を感じる。それが君主の本来あるべき姿だ。だが、残念ながら今のブレトランドに必要なのは、混沌と戦う『力』ではない。人々を従える『智』だ。俺の『力』による統治で、アントリアをここまで広げることは出来た。今後はお前の『智』で、今のアントリアを立て直してみろ。それで駄目なら、また俺が戻って、『力』で全てを捩じ伏せる。この島の全ての龍を従えてな」

 あまりに身勝手で、一方的な言い分である。そもそも、コートウェルズの全ての龍を従えることなど、伝説のファーストロード・レオンでさえも実現出来なかった「見果てぬ夢」である。百歩譲って、仮にそれがダン・ディオードに可能であったとしても、それを実現するまでに何年かかるかも分からない。それまでのアントリアを、為政者としての経験すら持たない15歳の息子に突然委ねるというのは、どう考えても無謀すぎる。
 しかし、当のマーシャルにとってはそのこと以上に承服出来ないことがあった。

「分かりました、父上。アントリアと騎士団のことは御任せ下さい。しかし、その前にまず、あなたには『説教』の時間が必要です」
「どういうことだ? 俺は、説教されるようなことは何もしていないぞ」
「これまで父であることを隠していたこと自体が、説教に値します」

 マーシャルの中では、バルバロッサこそが「尊敬すべき父」である。ダン・ディオードのことも、「仕えるべき主君」として、その価値を一度も疑ったことはなかった。しかし、その主君が「実父」だと突然聞かされれば、このような感情が沸き上がるのが道理であろう。

「俺の子だと知らずに生きてきた今までのお前の人生に、不満があるのか?」
「いえ、人生には不服はありません。しかし、それ以前に、父として名乗れないようなら、子を作るべきでは……」
「今、名乗ったであろう。名乗るべき時になったら、名乗る。それを判断する権利はお前にはない。まだ子も作ったことがないような奴が、偉そうな口を叩くな!」

 ダン・ディオードがこれまで四人に対して「父」と名乗らなかったのは、「英雄の息子」という肩書きを背負わせることにより、「周囲の過度な期待」や「本人の慢心」を引き起こすことを避けるためである。それ故に、「子供達が、自分自身の人生を自力で切り開ける力を手に入れた段階で、名乗る」というのが彼の方針であり、今回彼等を同行させたのは、彼等がそこまで成長しているかどうかを見極めるためでもあった。今までその正体を隠していたのは、そのことを事前に彼等に悟られないためである(ホルスの仮面と名を借りたのは、彼の中での彼女への複雑な想いの体現であろう)。それに加えて、実はそれぞれの「母」や「養父」達の思惑も絡んでいたのだが、そこまで逐一説明する気は彼にはない。
 しかし、当のマーシャルにしてみれば、どんな思惑があるにせよ、子育てをバルバロッサに丸投げして、自分に「隠し子」が何人もいることを伏せたまま、旧アントリア子爵家の娘と結婚することで今の地位を手に入れること自体、どう考えても筋が通らない。その上で、もはやこの男に何を言っても無駄だと分かったマーシャルは、この男は「父」と呼ぶには値しないと割り切った上で、すぐに頭を切り替える。この時点で彼の中では、この男への怒り以上に、子供も国もあっさりと丸投げするようなこの男に代わって、自分自身が祖国アントリアを守らなければ、という強烈な使命感が、フツフツと沸き上がっていったのである。
 そして、他の三人もまた、突然の事実に混乱しつつも、ヴェルナにとってはノギロが、ウィルバートにとってはゲイリーが、自分をここまで育てた「父」であるという事実に変わりはない。そして、これまで自分のことを軽んじてきた父(クリフォード男爵マーセル)に対して不満を抱いてきたシドウも、この事実を聞かされたことで、逆にその父の心情にも理解を示せる気持ちが生まれ始めていたのである。
 こうして、それぞれに様々な感情が渦巻く中、アントリア子爵ダン・ディオードは、「紅蓮の翼竜」という「圧倒的な力」を手に入れた上で、このゼビアの地を襲う白龍エスターク、そしてその上に君臨する龍王イゼルガイアを倒すため、このコートウェルズに逗留し続けることになり、マーシャルを中心とする四人は、そのことを含めた「調査兵団としての報告書」をまとめて、アクシア達の手でアントリアへと帰還することになる。そして、アクシアは最後までヴェルナには「母」とは名乗らず、ヴェルナもその件には触れないまま、ブレトランドを経由してエーラムへと帰参するのであった。

4.4. 若き勇者達の事情

 こうして、無事にエーラムに戻ったヴェルナは、コートウェルズでの出来事を全てノギロに報告する。そして、自分の「養女」が自らの「正体」を知ってしまったことを聞かされたノギロは、複雑な表情を浮かべながら、彼の知るところの全ての「真実」を、彼女に語り始める。彼の中では、彼女に話して良いことなのかどうか非常に悩ましい問題ではあったが、「真実を見極めること」を生業とする時空魔法師の彼女が、いつまでも「自分自身の真実」と向き合えない状態でいることは好ましくない、と判断したようである。

「まぁ、若いころはね、みんな色々あったんですよ」

 そう断った上で、彼はおもむろに「昔話」を始める。紙芝居屋の男が「子供には見せられないから」という理由で割愛した、彼等の青春群像の裏側を、一つ一つ丁寧に語り始めたのであった。


 20年前、魔法学院の高等課程を修了したノギロ・クアドラントは、「仕えるべき君主」を探して旅をしていた。そんな中、彼は、まだ全く名も知れていなかった頃のダン・ディオードと出会い、彼の中に秘められた「人並みはずれた君主としての潜在能力」を見出して、共に旅をするようになったという。
 その後、彼等は旅先で、自由騎士の兄妹と出会う。兄の名はバルバロッサ、妹の名はジャクリーン。いずれも長い黒髪が印象的な、美しい顔立ちの兄妹であった。元々、彼等は大陸のヴァンベルグ伯爵領の貴族家の出身だったが、妹のジャクリーンが、望まぬ相手との結婚を迫られ、それを不憫に思った兄バルバロッサの謀略により、「事故死」を装って兄妹共々出奔することになったらしい。しかし、後に旅先で彼女の素性がバレそうになったため、彼女は(音声合成装置を内蔵した)鉄仮面をつけて、「ホルス・エステバン」という男性名を名乗るようになったのである。
 やがてそこに、ファインとゲイリーという、二人の邪紋使いが加わる。ファインは、アロンヌ北部の山賊団の頭目の娘だったが、山賊稼業を手伝わされることに嫌気がさしていたところで、その山賊団がダン・ディオード達によって壊滅させられたことによって、彼等の仲間となった。ゲイリーは、ファーガルドの小さな村の住人だったが、混沌災害に襲われた際にダン・ディオード達に助けられ、その時に邪紋の力に目覚めたことで、彼等のパーティーに加わったのである。
 しかし、この二人が加わった頃から、徐々にパーティーの中で、様々な感情が渦巻き始めることになった。ファインは、出会った当初からダン・ディオードに対してほのかな恋心を抱いていたものの、山賊出身という自分の出自に蟇目を感じて、その気持ちを表には出せずにいた。一方、そんなファインに心惹かれていたのが、当時のパーティーの中では最年少のゲイリーだったのだが、更にそのゲイリーのことを密かに想っていた人物がいた。それが、(同性愛者の)バルバロッサだったのである。ゲイリーはファインの想いを、バルバロッサはゲイリーの気持ちを理解していたが故に、彼等はそれぞれの「本心」を胸に秘めながら旅を続けることになった。
 そして、当時のダン・ディオードは、その圧倒的な騎士としての実力に加えて、どこかカリスマ性すら感じさせる精悍な顔付きの持ち主だったこともあり、旅先で出会った様々な女性と恋仲となり、彼女達と密かに逢瀬を重ねていくことになる。
 ノギロの知る限りでは、ダン・ディオードの「最初の相手」は、彼等がコートウェルズに渡る際に力を借りた女海賊、アクシアである。彼女は、(既にヴェルナも今回の旅を通じて察していたようだが)白龍エスタークが「コートウェルズ南部の村人の娘」をさらって産ませた「半龍人」である。彼女は「人間」としての因子を強く残して産まれたが故にエスタークに捨てられ、その「汚れた出自」故に人間社会の中でも忌み嫌われ、やがて海賊に身を堕とすことになったという。そして、その「不気味な正体」故に、裏社会の男性達からも忌避される人生を送っていたが、何一つ臆することなく彼女を「一人の女性」として扱ったダン・ディオードに彼女は惹かれていき、やがて、彼等の間には「娘」のヴェルナが産まれることになる。
 だが、この時点ではアクシアは、彼女を自分一人の手で育てるつもりだった。アクシアはダン・ディオードのことを本気で愛してはいたが、彼の愛は自分一人だけに注がれている訳ではないことも理解していたため、あまり長く彼の近くにいるべきではないと考えていたのである(故に、彼女はダン・ディオードに協力しつつも、そのパーティーには加わらなかったため、コートウェルズの紙芝居にも登場しなかった)。
 その後、コートウェルズで黒龍ハーゴンを倒したダン・ディオードは、その時に助けたヘルマイネ男爵令嬢のマレーからも熱烈な求愛を受け、彼女には婚約者がいたにも関わらず、嫁入り直前の彼女の胎内に子を為してしまったという。おそらく、それがシドウなのであろう。現時点でノギロが把握している限りでは、彼がダン・ディオードの「第二子」であり、「長男」ということになるが、その前後にも、ダン・ディオードは旅先で出会った様々な女性と「一夜の恋」を繰り返していたため、ダン・ディオードの血を引く者は、他にもいる可能性は十分にあるというのが、ノギロの見解である。
 そんなダン・ディオードとは対照的に、ただひたすら一途にゲイリーのことを想っていたバルバロッサは、その想いを秘めたままゲイリーと一緒にいることに徐々に辛さを感じるようになり、ハーゴンを倒した直後にパーティーを離れて、アントリア騎士団に仕官する道を選んだという(その数年後に、ダン・ディオードがこの国の子爵令嬢と結婚することになろうとは、この時点では彼は全く考えてもいなかった)。
 一方、彼の妹であるホルスことジャクリーンは、当初はダン・ディオードの「女性に対する節操の無さ」に対して嫌悪感を示していたが、後に、それが彼への嫉妬心によるものだと気付いてしまった結果、やがて彼女自身もまた彼を求め、その子を身籠ることになる。だが、その妊娠の事実が発覚するのとほぼ同時期に、彼女はコートウェルズの戦いで受けた傷が原因で病に倒れ、アントリアのバルバロッサの元に送られて療養することになるのだが、最終的にはマーシャルを出産すると同時に、命を落としてしまう(以後はバルバロッサがマーシャルを育てることになる)。
 そして、それまでずっと自分の想いを殺していたファインもまた、ダン・ディオードとホルスが結ばれたと知った直後、自分の感情を抑えきれなくなり、彼と身体を交わした結果、彼女もまた彼の子を身籠ることになる。ただ、この時点ではまだホルスが存命で、彼女(および今後も現れるであろう新たな「恋敵」達)との間で諍いごとを起こしたくないと考えた彼女は、密かにパーティーから去ることを決意する。だが、この時、その彼女の動向を察知したゲイリーは、全てを知った上で、彼女の「夫」として、彼女の腹の子の「父親」として、彼女を支えていくと宣言し、ファインもそんな彼の優しさを受け入れ、二人はゲイリーの故郷の村へと移住することになったという。そして、ウィルバートを産んだ後、彼等は再び冒険者稼業に復帰し、最終的には「傭兵」として「暁の牙」に入団するに至るのであった。


「これが、あなた達四人の出生に関して、私の知る全てです」

 一通り語り終えたノギロは、静かにヴェルナにそう告げる。当時一緒に旅をしていたとはいえ、なぜ彼がここまでの裏事情を把握していたのかは不明であるが、おそらく、時空魔法にも精通していた彼は、仲間達の動向を心配するあまり、(意図した結果なのか、無意識の産物になのかは分からないが)「見なくても良い真実」まで見えてしまっていたのであろう。
 彼自身がどのような想いで彼等(パーティーメンバー+アクシア&マレー)の恋模様を眺めていたのかは不明である。もしかしたら、彼もまた内心ではこの中の誰かに心惹かれていたのかもしれないし、冒険者時代の彼が(彼女達を含めた)幾人かの女性から想いを寄せられていたのかもしれないが、彼は自分自身の「過去の女性遍歴」については何も語らなかった。

「その上で、最後に一つ、ダン・ディオードと長年付き合った者として言わせて下さい。彼の行動原理はただ一つ、人々を救うこと、それだけです。肉体的にも、精神的にも、苦しむ者や悩む者がいれば救う、それが彼の信条です。ただ、後先は考えない。だから、目の前で誰かが助けを求めていれば助け、自分を求める女性がいればその期待に応じる。非常に単純明快な男です」

 困っている人々を見捨てない、という性格に関しては、ある意味、ヴェルナにも引き継がれているのかもしれない。しかし、「異性に求められたら断らない」という点に関しては、これまで学院内で勉学一筋に生きてきた彼女にとっては、そもそもそれが正しいのかどうかすら判別出来ないレベルの感性である。

「私はその後もしばらく、新たなパーティーメンバー達と共に彼と旅を続けましたが、やがて途中で気付きました。彼の契約魔法師に相応しいのは私ではない、私では彼の持つ圧倒的な『力』を制御することは出来ない、ということを。そこで、彼がアントリア子爵家に婿養子に入ると同時に、私は彼の元を去り、そして代わりに、学生時代に面識のあったローガンを彼に紹介したのです」

 そして、学院に戻った彼は、教師として後進の育成に専念することになる。そして、学友の紹介で知り合った女性と所帯を持ち、教員としての立場を確立した頃、旧知のアクシアから、「娘が、僅か5歳にして魔法師としての力に目覚めた」と聞き、ヴェルナを引き取ることを決意する。幸か不幸か、ヴェルナは母親の持つ「半龍人」の因子は殆ど受け継がなかったが、彼女の才能の「早すぎる開花」の背景には、その身体の奥底にある「混沌と親和性の強い血統」が影響しているのであろう。
 その際、アクシアの意向で「裏社会でしか生きられない半龍人の海賊の娘」としての記憶を全て消して育てて欲しい、という意向を聞き入れ、学院上層部の許可を得た上で、彼女の記憶の抹消を決断した。こうして、「クアドラント家のヴェルナ」が誕生するに至ったのである。

4.5. それぞれの未来

 ここまでの話を語った上で、ノギロは改めてヴェルナに向き合い、こう告げる。

「あなたも、これから先、私のようにここで研究職を続けることになるのか、誰かと契約を結ぶことになるのかは分かりません。ただ、一つ付言しておきたことは、ダン・ディオードも、彼の子を産んだ女性達も、私が見る限り、誰一人として後悔している様子はなかった、ということです。あなたも、あなた自身の中で納得出来る答えを導き出した上で、その道を迷わず進んで下さい」

 そう言われたヴェルナは、静かにその事実を受け入れつつ、眼鏡越しに師匠の顔をはっきり見据えて、その胸中を素直に伝えた。

「大変興味深いお話、ありがとうございました、師匠。今、師匠から聞いた話は、なかなか複雑なものでしたが、でも、今の私には殆ど関わりのないことなのでしょう。私は『一人の魔法師』です」

 そう、彼女にとっては、自分がどんな出自であろうと、そのことに自分の人生を引きずられるつもりはない。そして、彼女の両親もまた、彼女の人生に介入する気がないことは、彼等の態度から明らかであった。学院に残るにせよ、誰かと契約するにせよ、彼女はあくまでも「一人の魔法師」として生きていく。それが今の彼女の率直なる決意であった。

「それで構いません。勇者の血を引いていようが、龍の血を引いていようが、最終的には、あなたはあなたなのですから」

 そう言って、満足そうに愛弟子を見つめるノギロであった。


 パルテノに帰還したシドウは、直接の上司であるエルネストに任務の終了を報告した後、再びこれまでと同様に「警備隊長」の立場に戻った。結局、彼は自分自身の出生の件については、誰にも話していない。無用な情報を広めることで、アントリアやクリフォードの後継者問題に対して今更波風を立てる気は、今の彼にはなかった。
 その後、出立前までは頻繁に飛来していた龍や魔物達は、彼等の帰還後は殆ど姿を見せなくなった。どうやら、海の向こうで「新たなドラゴンロード」が、着実に混沌の殲滅を続けているようである。
 そして、今回の任務を通じて、自分が「アントリア北部のパルテノ」にいることが妹のソニアに知られてしまった上に、龍の出現率が激減してアントリアとコートウェルズの間の定期便も復活したことで、彼女からの手紙が頻繁に彼の元に届けられるようになる。その内容の大半は、彼女を含めたイースラー家の人々の近況報告であった。どうやら彼女は相変わらず、コートウェルズ各地の人々を救うための義勇兵の派遣の是非を巡って、父親と喧嘩を繰り返す日々を続けているらしい。
 そんな妹からの手紙を、彼は相変わらず面倒臭そうな表情で受け取りながらも、さすがに今回の一件を通じて、自分ではなく彼女を後継者と決めた父の心情にも一定の理解を示した彼は、妹にして「正統後継者」であるソニアに対しても、以前ほどの嫌悪感を抱くことはなくなっていた。

(まぁ、たまには返事を返してやるか)

 昔であれば全て無視していたであろう妹からの手紙に対して、そんな感情を抱く程度には、彼の中での「実家」への忌避感は和らいでいた。義父から「我が子同然」に育ててもらっていた他の三人とは異なり、これまで「父(だと思っていた存在)」としてのクリフォード子爵マーセルとの関係は決して良好とは言えなかった彼であったが、彼が「実の父」ではないとを知ったことで、「それでも自分を育ててくれたイースラー家」との距離は、むしろ近付いているようにも思える。もっとも、この事実を知ってしまった以上、今までとはまた違った意味で、父(義父)とは気まずい関係になってしまった側面もあるのだが。
 そんな不思議な心境を抱きつつ、妹に帰す手紙の内容をどうすべきかでシドウは苦心する。これまでは、優柔不断なことが嫌いで、即断即決がモットーだったが、今回の一件で、自分の中にまだそんな「人間らしい心」が強く残っていることを、改めて実感させられてしまった彼であった。


 父ゲイリーと共に「暁の牙」に帰還したウィルバートは、団長ヴォルミスに今回の件を報告するが、ヴォルミスとしては、ゲイリーに対して特に何の処分も下すつもりはなかった。任務の範疇外で何をやっていようが、ヴォルミスにとっては「どうでもいいこと」である。もし万が一、ゲイリーによって殺された者の家族が彼を訴えるようなことになった場合は、その時は彼自身の判断で「落とし前」をつければいい、というのが団長の意向であった。
 そして、ウィルバートは、自分が父の「うわ言」を聞いてしまったことも、ダン・ディオードに「俺の子供」と言われてしまったことも隠したまま、何も知らないフリをして、今まで通りの態度でゲイリーに接していた。今回の任務においても、最後の最後で、自分自身の手でゲイリーを救えなかったことに苛立を感じながら、ひたすら鍛錬に励む。今のウィルバートには、それしか出来ることが無かった。
 そんな彼に対して、ゲイリーはこう告げる。

「俺はもう、邪紋を失ってしまった。右腕も無い今の状態では、もはや龍王と戦うことは出来ない。一応、エーラムには生命魔法師の友人がいるから、彼に頼んで義手を作ってもらうことも可能だろうが、どちらにしても、もう昔以上の力を取り戻すことは無理だろう」

 この「友人」とはノギロのことなのであるが、そのことまで説明する必要はないと考えた彼は、左腕一本で鎌を握った状態で、「息子」に対してこう告げる。

「だから、俺はこれから、お前を鍛えることに、残りの人生の全てを賭ける。お前が、龍王イゼルガイアを討ち果たすその日まで」

 盟友であるダン・ディオードが、イゼルガイアを倒そうとしていることは知っている。だが、実際にイゼルガイアと戦ったゲイリーとしては、いかに紅蓮の翼竜の力を手に入れようとも、彼一人の手でそれが成し遂げられるとは思えない。いや、仮にそれが可能だとしても、彼一人に任せておく気にはなれない。自分自身が「妻の仇」を取るのが無理なら、せめてその願いを「息子」に託したいというのが、今の彼の唯一の願いである。ウィルバートにとって自分が「他人」であるとしても、ファインが彼の「母」であるということだけは、紛れも無い真実なのだから。

「分かった、では、早速……」

 「父」の意図を汲み取ったウィルバートは、そう言って片腕のみを構えて、彼に対して向き合う。邪紋を失った今のゲイリーであっても、元々の基礎的な戦闘能力だけで、十分に鍛錬の相手にはなるだろう。今回の戦いで、自分自身の未熟さを痛感した彼は、父の想いを全て受け継いだ上で、今度こそ「母の仇」を取る、そんな強い決意に満ち溢れていた。


 そして、(二代目)ホルス・エステバンことダン・ディオードに代わって、「調査兵団」の指揮官としてアントリアに戻ったマーシャルは、「父」であるバルバロッサに、現地での顛末を全て伝える。
 バルバロッサは、彼にとっての「永遠の想い人」であるゲイリーが存命であったことに内心では歓喜しつつも、その感情は伏せたまま、現状について冷静に「息子」と語り合う。

「そうか……。陛下が後先考えずに行動するのは、昔からそうだったのだが、かの地に残ると決めてしまった以上は仕方がない。お前にはこれから、『アントリア子爵代行』として、陛下の名代を任せることにしよう。色々と反発はあるだろうが、ローガンもこうなる可能性については考慮した上で、渋々ながらも今回の計画に同意している。私と彼が了承すれば、他の者達がどうこう言うことは出来ないだろう」

 一応、彼等の中では「しばらく影武者を立てる」という選択肢も考えたのだが、それが判明した時に発生する混乱のリスクを考えれば、最初から「今、コートウェルズを救うために北の大地に渡っている」ということを堂々と公言した上で、「息子を名代に立てる」という形の方がいい、という判断に至った。
 無論、「婿養子」としてアントリア子爵家に入ったダン・ディオードが、先代アントリア子爵ロレインと結婚する以前の段階で産まれていた「隠し子」を名代にするというのは、旧子爵家との縁が深い者達の反発を招くことになるだろうが、ダン・ディオードとロレインの間に子がいない以上、遅かれ早かれ「旧子爵家の血を引かない者」が後継者となるのは分かっていたことである。むしろ、この段階で実質的に「ダン・ディオードの息子が後継者である」という方針を明確に示すことで、「新アントリア子爵家」がここに確立したことを示すのは、国家の安定という意味でも悪いことではない。

「おそらく、お前はこれまでも、私の養子ということで白い目で見られることも多かったようだが、逆に言うなら『七光り』扱いされるのは馴れているだろう?」
「そうですね。もっとも、これから先は、その視線の強さも今までの比ではないでしょうが」

 そのことは、彼自身も覚悟している。その上で、これから先、やらねばならないことは山のようにある。自分自身の為政者としての正統性を示すためには、自分が「ダン・ディオードと同等以上に優秀な国家元首」であることを示すしかない。そして、今回の一件を通じて、これまで自分が「主君」として仕えてきた人物が、いかに無責任で節操無しの人物だったかということを知った今、むしろ彼の中では「仮にコートウェルズから戻ってきたとしても、もうこれ以上、この国を任せる訳にはいかない」という決意に満ちている。もはや彼のことは、主君としても実父としても認める気はない。

「この国は私の国です。この国を守るために、これからもよろしくお願いします、父上。仮に、あのアホがコートウェルズを統一したとしても、私がヤツのことはアゴで使ってやります。せいぜい、混沌との戦いのために利用してやりますよ」

 つい先日まで「陛下」と呼んでいた人物を(非公式な場とはいえ)「あのアホ」とまで言い切るようになったマーシャルに対して、バルバロッサは苦笑を浮かべながらも、突然降ってきた「大役」に全く動じることなく、強い決意と自信を持ってその任を果たそうとする「息子」に対して、どこか安心した様子であった。

「そうだな、アイツは、誰かが制御してやらないとな。俺では出来なかった。ノギロでも、ゲイリーでも、ファインでも、ジャクリーンでも、出来なかった。ローガンはそれが出来ているつもりだったようだが、今回の件でもアイツの決断を止められなかったことからも分かる通り、結局はアイツに振り回されていたにすぎん。だが、お前なら、アイツの持つ無尽蔵のポテンシャルを、この世界のために役立たせる方向に用いることが出来るかもしれん。今は、その可能性に賭けることにしよう」

 そう言いながら、バルバロッサは「私もいつの間にか、ただの親バカになってしまったのかもしれないな」と心の奥底で自嘲しつつ、妹の忘れ形見であるマーシャルと共に、盟友ダン・ディオードが築き上げたこの「新生アントリア」を、これから先も支えていく決意を改めて固める。
 こうして、ブレトランドの戦乱を引き起こした張本人である「簒奪者ダン・ディオード」は、誰もが予想出来なかった形でこの小大陸から去り、そして若干15歳の少年が、現時点における「ブレトランド最大の覇権国家」の実質的な頂点に君臨することになる。この事件はブレトランド各地の諸侯に激しい衝撃を与え、そしてこの小大陸の覇権を巡る激動の時代は、新たな局面へと突入していくのであった。

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最終更新:2014年09月22日 14:47