第四幕 【叶わぬ願いと学園の混沌】

 

もとの世界に戻ってきてから約3週間。鎮石のことは気がかりであったが、怪異の関与しない日常に、逢魔人達は満足していた(たぶん)。しかし、そんな平穏はいつまでも続くはずがない。逢魔人達はまた、怪異を引き寄せる…。

 

新聞部の部員は少なくない。はずだ。間違っても部員数3という悲しいことにはなっていないはずである。だが、いつも通り部室にいるのは部長の佐藤熙八と後輩の今井芳樹だけであった。ちょこちょこ顔をだす押方純平が、そういえば最近は来ていない。そんなことを今井芳樹が思ったとき、遠慮なく部室のドアを叩く音がきこえてきた。「どうぞ?」突然の珍しい来客に、佐藤が驚きながらも声をかける。入ってきたのは押方純平の妹、一年の押方流美であった。兄と似た少し吊り上った目でじっとふたりを見てから、要件を話し出した。兄である押方純平が最近オカルトの類にはまり、以前にも増して奇怪な行動や発言をするようになった。何か心当たりがないか、ということだった。今井と佐藤の二人には心当たりはあった。しかしいきなり怪異事件が…などと言えば押方純平と同類で頭のおかしくなった集団だと思われかねない。何かわかったら教えると約束し、ひきつった笑みで見送ることしかできなかった。

 

「鎮石の封印が弱くなっています。」館田本成と山田貴大を前に、樋田あかりは不安げにそう言った。トノ鎮石の件で味方であった二人なら信頼できるということで、二人は相談役に選ばれたようだった。学園にある6つの鎮石のうち、ヨモノ鎮石とベラノ鎮石の縄が黒ずんできているらしい。清める方法などを試してみるが、強い怪異的な力による負荷がかかれば封印は解けてしまう。しばらくは怪異事件が起こっていないが、最近また学園内で怪異に関係する噂がはやっている。“猿の手”という願いをなんでも叶えてくれるモノがある。そんな噂。万が一それが存在し、使用されたら封印は守れない。“悪い神様”を解き放たないためにも手をかしてほしい。樋田あかりはそう言って、小さくため息をつく。「私には“良い神様”であるはずの綾川なおさんが、助けてくれるとは思えません。まだ確証はないのですが、その…」言いにくそうに一度下をみる。続けようとした言葉を飲み込み、一言だけ付け加える。「とにかく、気をつけてください。」

 

神明あおいはずっと悩んでいた。まわりとは違う自分。人間ではない自分を意識するたびに、どうしてもソレに憧れる。気が付くと鎮石をみていた。確かこれは、ヨモノ鎮石と…少し離れたところにあるのはベラノ鎮石だっただろうか。ぼーっと眺めていたが、縄が黒ずんでいることに気が付きぞっとする。まさか…。「神明さん。」そんな時に後ろから声をかけられ驚いて振りむくと用務員の人であった。「その石、悪魔が封じられてるとか噂されていましたよね。」話題も精神安定上よろしくないものを選ぶとは、敵かもしれない。神明あおいの心中を全く察することなく話を続ける。「今は“猿の手”っていうのが流行っているみたいですよ。なんでも持ち主の願いをかなえてくれるとか。」また怪異の噂。そして黒ずんだ縄。いやな予感をひしひしと感じているこちらを気にもせず用務員は話を続ける。「そういえば倉山先生は最近お休みみたいですけど、お化けのせいじゃないかって言われていますね。」今度こそ乾いた笑いしか返せなかった。

 

綾川なおは今朝からずっと元気がないようだった。彼女らしくないその様子も、左腕に巻いてある包帯も、兎吊木数一は気になって仕方なかった。休み時間になってすぐに聞いてみると、少し迷ったようにまわりをみてから小さく言う。「ちょっと、来て。」手を引かれて人のいない教室に入ると、綾川なおは上着を脱いで“左手を引き抜いた”。手…腕に似せた棒切れに包帯がまいてあるだけだったソレは床に落ちて高い音をたてる。肘から先のない腕を持ち上げ、困ったような寂しげな、そして泣きそうな目で綾川なおは兎吊木をみつめる。「どうしよう兎吊木くん。腕、とられちゃった。」

 

“猿の手”についての記事を書き、この噂を広めたのは押方純平であることを佐藤熙八は知っていた。たしかその時「猿の手を手に入れる方法をみつけた。」などとにやつきながら言っていた。恐らく、というか間違いなく奴が関係すると思った佐藤は、もう一度押方流美に話を聞くことにした。話を聞くと押方流美は、真っ青な顔で“人の腕”を差し出した。押方純平が「いつも迷惑かけてて悪いから」といって妹の流美にプレゼントしたらしい。触れるとソレは生暖かく、その断面を直視することはできなかった。佐藤にソレを渡すと流美は一歩ひいて手をかばうように身を縮める。「お願いですから。ソレ貰ってください。ソレをずっと持っているなんてもう耐えられません!」そう言われれば断ることはできなかった。それにこれはこの事件の解決に必要だろう。

 

“猿の手”とは本当に猿の腕のことではなく、神性のこもった腕のことである。つまり綾川なおは、願いをかなえようとした誰かによって腕をとられてしまったのだろう。そのことに兎吊木は憤りを感じていた。はやく腕を取り返してあげるためにも、綾川なおに話を聞こうと教室へ向かうと、調査を手伝うといって神明あおいもついてきた。珍しい組み合わせで訪れたことに少し驚いたようだったが、彼女は元気のない口調で話す。「怪異の力を利用して盗ったとは思う。」でもわからない。気が付いたらなかったと、目をふせて首をふる。心配する二人に、無理につくった笑顔をむける。「大丈夫。痛くないよ。それに、力が戻ればなんとかなるよ。いつになるかわからないけど。」

 

再び調査にもどった兎吊木の後を神明あおいは追うつもりであったが、できなかった。強い力で腕をつかまれる。華奢な腕のどこにそんな力があるのか、食い込む指を気にしないように心がけながら、どうかしたのかと問う。「片腕使えないって、不便なんですよね。」それはそうだ。だから解決を目指して調査に行くのだと主張しようとして、彼女の言葉に先を越される。「だから、ちょっと、貸してくれませんか?」その迫力と異様さに全身が冷たくなる。拒否を示す言葉は、今度はしっかりとでてきた。その様子を綾川なおは少し笑ってみていた。「やだなぁ。冗談ですよ。」そう言った彼女の眼は、笑っていただろうか。

 

今井芳樹は床に倒れていた。大の字になるのが趣味なわけではない。新明あおいとの勝負に敗れたのだ。今井芳樹は鎮石に、自分の秘密が隠されているのではないかと思った。それを知るために封印を解きたかったのだ。それを邪魔しそうな人を減らしたかったのだが、うまくいかなかった。そんな日もある。きっと次は成功するだろう。そう言い聞かせる今井の上に影ができる。「よぉ今井、何のびてんだ?」押方純平だ。前は自分ものびていたのに今日は余裕そうである。「今のお気持ちは?」インタビューまではじめやがった。一通り付き合ってやると満足したのか立ち上がる。「かわいい後輩がこんな目にあっているのを黙ってみてるなんてできねーよ。いい先輩だからな、俺は。ほら、これ。使えよ。」そう言って救急箱を差し出してくる。先によこせよ。という言葉を飲み込むことにはなんとか成功したのだった。

 

兎吊木数一は鎮石の前に立っていた。綾川なおの失った手に関する手がかりが、何かないか調査をしにきたのだ。鎮石の縄は黒ずみ、封印が解かれる直前のトの鎮石のような状態になっている。樋田あかりが言っていたが、再封印されたのは神明の怪異的な力であり、もとからある神に関わる封印は解けたままらしい。またほかの鎮石の封印が解けたら、“悪い神様”が目覚めてしまうのではないだろうか。いやな想像が頭からはなれない。そのままじっと考えていると、よわよわしい声が聞こえてきた。「助けて」はっとしてまわりを見ても誰もいない。「私をここから出して」今度はわかった。この声は鎮石から聞こえてくる。早まる鼓動を感じながら、それに近づいていく。ゆっくりと…。「駄目だよ。兎吊木くん。」その声で足を止める。綾川なおは真剣な顔で言う。「駄目だよ。その声をきいちゃだめ。」綾川なおは兎吊木の手をひいてその場からはなれようとする。わけのわからないまま、それに抵抗することもなく兎吊木はついていく。さっきの声が頭のなかに残っているような、そんな感覚を覚えながら。

 

そして逢魔が時がやってくる。

 

逢魔人達は鎮石の前に集まっていた。それぞれに叶えたい願いがあった。

今井芳樹は本当のことを知るために。

兎吊木数一は綾川なおの手を取り戻すために。

館田本成は倉山菜摘を救うために。

佐藤熙八は押方純平をまともにするために。

神明あおいは完全な人間になるために。

山田貴大は鎮石の封印を守るために。

そのために、“猿の手”が必要なのだ。逢魔人同士の負けられない戦いが、はじまった。

 

結果として、兎吊木数一は勝利した。奪い返した猿の手…綾川なおの腕を、持ち主に返す。綾川なおは受け取ると、ほっと安心した顔をした後、自然な笑顔をみせる。「ありがとう。兎吊木くん。」その言葉が、その笑顔が、兎吊木にとっては最高の報酬だった。

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最終更新:2014年07月11日 15:11