第4話(BS07)「山岳街道の覇権」 1 / 2 / 3 / 4


4.1.1. ミスリル輸出計画
 
「いやー、出世しましたね、ゲオルグさん」
 
 そう言ってゲオルグに微笑みかけたのは、ラキシス村を訪れた敏腕行商人、アストリッド・ユーノである(下図)。彼女は以前、傭兵時代のゲオルグを自身のキャラバンの護衛として雇っていた身であり、どうやらその時から、騎士としての彼のことを気に入っていたらしい。

 
「まぁ、流れの君主が、村一つ率いる騎士になっただけだよ。俺はこんなところじゃ終わらない。もっともっと広い世界を治めてみせる」
「なるほど、それは頼もしいですね」

 そんな雑談を交わしつつ、アストリッドは建造されたばかりの「鍛冶屋ボルドの工房」へと案内される。ゲオルグが昔馴染みの行商人であるアストリッドを村に招いたのは、現在この地で着々と採掘・加工が進みつつあるミスリル製品のアトラタン大陸への輸出のためである。現状、ブレトランドの人々の多くは「ミスリル」の存在自体を知らないが、大陸の有力諸侯の中には、優秀な契約魔法師達を通じて、その価値を十分に理解している人々もいる。彼等に対して、このミスリル製品を高価で売りつけるために、幅広い販売ネットワークを持つアストリッドと専属契約を結ぶことにしたのである。
 ちなみに、ブレトランドではなく大陸諸侯を主な販売相手とすることになったもう一つの理由は、このミスリルに関する情報を近隣諸侯にあまり知られないようにするためでもある。現状、ラキシスは「戦略的価値のない貧乏村」としか周囲に認識されていないが、この村で採掘されるミスリルの価値が周囲に知れ渡ると、近隣の村々、更にはヴァレフールやアントリアからもこの村を傘下に収めようとする動きが生じる可能性がある。いずれはそれらの大国と戦うことになるにせよ、今はまだ、密かに力を溜める時だと考えている彼にとって、それは望ましい事態ではなかった。
 
「これが伝説の金属・ミスリルで作った武具ですか。確かに、これなら喉から手が出るほど欲しがっている人々は沢山いますよ。お値段はこれからマーシーさんと交渉させて頂きますが、出来る限り、高く買い取らせて頂くつもりです」
 
 ボルドが鍛えたミスリルの剣を手にしながら、アストリッドはそう語る。当然、彼女はその買値の何倍もの高価な値段で各地の諸侯に売り渡すつもりなのだろうが、武人として戦場で戦うこと以外の才覚を持たないゲオルグには、彼女との値段交渉に参加出来る余地はなかったので、この点についてはマーシーに任せるしかなかった。実際のところ、マーシーにもどれだけの商才があるのかは不明ではあるが、ゲオルグがこの村の領主となって以降、彼女が実質的に内政官として村の経営に携わるようになってから、村の経済状況は着実に改善されつつある。今の時点での対外貿易については、彼女に任せるのが一番であることは、誰の目にも明らかであった。
 一方、マーシーほどではないが、もう一人、村の産業振興に貢献している人物がいた。ヤヤッキーである。彼の錬金術師としての技術を取り入れたことで、ラキシスで生産される食物や木材の生産力も少しずつ向上しており、今や彼は、かつて村人を苦しめていた山賊としての立場から一転し、多くの村人から頼られる存在となっていた。同様に、オロンジョやタンズラーも、ガイアの率いる自警団と協力して、村の治安維持のために真剣に尽力するようになり、村人達も徐々にかつての遺恨を忘れ、彼等を「共に村を支える仲間」として受け入れ始めていく。
 しかし、彼等のそんな平穏な日々に水を差そうとする使者が、隣村から訪れることになる。それは皮肉にも、かつてはこの村の期待を背負ってエーラムへと旅立った、一人の若い魔法師であった。
 
4.1.2. 幼馴染の魔法師

「団長、『アトロポスからの使者』と名乗る魔法師が来ました」

 自警団員にそう言われたガイアが、ラキシス村の北側の入口へと向かうと、そこで待っていたのは、彼女にとっては馴染み深い、やや小柄な美青年であった(下図)。


「久しぶりだな、ガイア」
「リンちゃん!」
 
 彼の名は、リン・ストラトス。オロンジョやガイアとは幼馴染であり、かつては村一番の秀才として知られた存在であった。彼は魔法師としての才能を見込まれてエーラムへと渡り、魔法学院の学長センブロス・ストラトスの一門に弟子入りして、元素魔法師(エレメンタラー)として優秀な成績を収めて卒業し、アトロポス村の領主エース・クロフォードの契約魔法師となっていたのである。年齢的にはオロンジョと同じ24歳なので、ガイアから見れば4歳年上ではあるが、幼馴染ということもあり、彼女は親しみを込めて「リンちゃん」と呼んでいる。
 
「オロンジョは、元気か?」
「姉さんは元気よ。リンちゃんは?」
「俺は今の領主の下で、契約魔法師として働いている。お前も、成長したようだな」

 リンは嬉しそうにそう語りつつ、一呼吸置いて、真剣な表情でガイアに問いかける。

「ところで、この村に赴任した新領主は、どんな人物なんだ? この村の領主として、ふさわしい人物なのか?」
「それは、あなたの目で確かめて」

 今のところ、ガイアとしてはそう答えるしかない。彼の「戦士」としての力量は認めてはいるが、「君主」としてふさわしいかどうかについては、まだ彼女も見定めかねていた。
 
「お前は、今の領主に仕えていて、幸せか?」
「今はまだ、そう断言は出来ないけど、大丈夫。すぐに幸せになるわ」
「そうか……」
 
 リンはそう言って少し複雑そうな表情を浮かべつつ、この村に来た目的をガイアに告げる。どうやら、彼の主君である北側の隣村アトロポスの領主エース・クロフォードと、南側の隣村クローソーの領主ハウル・ヴァーゴが、ゲオルグに対して共同声明を提示することになったらしい。つまり、その両村の代表者として、彼がその内容をゲオルグに伝えるために派遣されたのだという。
 どうやら相当な大任を任されているらしい、ということを理解したガイアは、早速、彼をそのままゲオルグの屋敷に案内しようとするが、その途上、彼はガイアに一通の手紙を手渡した。
 
「もし、お前の主君が今回の我々の提案を拒んだら、この手紙を開いてほしい」
 
 その意図がよく分からないまま、ガイアはその手紙を受け取る。そして、ゲオルグの前に謁見したリンは、故郷であるラキシス村に対して、極めて厳しい「通告」を突き付けることになるのである。
 
4.1.3. 街道封鎖

「お初にお目にかかります。アトロポス村の領主エース・クロフォードの契約魔法師リン・ストラトスと申します」

 ゲオルグと謁見したリンは深々と挨拶した上で、両村の領主の共同声明の手紙をゲオルグに手渡す。その中身は、以下の通りであった。
 
1、我々はラキシスの新領主としてのゲオルグ・ルードヴィッヒの領有権を認める。
2、ただし、その配下として雇用している山賊団がかつて我々の村に対しておこなった乱暴狼藉の被害額および慰謝料を、今後、月単位で支払い続けることを要求する。
3、この要求を受け入れるまで、我々はラキシス村への街道を封鎖する。
 
 つまり、ゲオルグがドクロ団の面々を傘下に収めているという事実から、「ゲオルグ体制のラキシス村」は「ドクロ団体制のラキシス村」を引き継いだ存在であると解釈した上で、かつてのドクロ団がおこなった所業の責任をゲオルグが背負うべき、というのが彼等の主張である。この言い分に国際政治的な正統性があるかどうかは微妙なところだが、現実問題として、今のこの御時世では、理論的な正統性よりも現実的な経済力や軍事力の方が優先される。現状において、両村に街道を封鎖すると言われたら、実質的に他に外界との接触ルートを持たないラキシス村の経済は成り立たない。現在計画中のミスリル輸出計画も、全ては水泡と帰してしまう。
 だが、彼等の要求する支払い金額は、現在の立て治りつつあるラキシス村の経済状況を再びどん底に叩き落とすレベルの額である。ミスリル貿易が軌道に乗った後ならば、それでもどうにか払えないことはないが、かなり厳しい要求であることは間違いない。
 
「決断までには、しばらく時間が必要でしょう。ひとまず、今日のところはこれにて失礼致します」
 
 リンはそう言って、ゲオルグの館を後にする。故郷に対する要求としてはあまりに過酷な内容であるが、彼は淡々とその内容を読み上げ、表情一つ変えることなく、そのまま立ち去っていった。契約魔法師として、君主の意志を正確に伝えること。それは魔法師として正しい姿であり、個人的な感傷を挟むことは許されない。どうやら今の彼は、そんな魔法師としての矜持を教科書通りに守るために、あえて自分を押し殺しているようにも見えた。
 そして彼が去った後、ゲオルグは「いよいよ状況が動き始めたようだな」と言ってニヤリと笑いながら、側近達を集めて、この共同声明への対応を協議する。まず彼が確認しようとしたのは、彼等の言うところの「山賊団による過去の所業」についての旧ドクロ団側の言い分である。
 
「いや、あのですね、その、仕方がなかったんですよ。我々も食うに困ってましたし、アイツ等もこっちに喧嘩を売ってくるようなこともあったし、ほら、こういうのって、どっちが正しいとか、そういう問題ではないというか、そりゃあ、アタクシ達にも非は色々とありましたけど、その、どうしようもない不可抗力だった側面もある訳で・・・・・・」
 
 ヤヤッキーはそう言って弁明する。色々と言葉を並べてはいるが、どうにも歯切れが悪いところから察するに、少なくとも、自分達が隣村に迷惑をかけたという自覚はあるらしい。
 
「でも、いくらなんでもこの額は多すぎでまんねん。ここまでの被害は出してないでごわす」
 
 申し訳なさそうな顔をしながら、タンズラーはそう語る。実際、それはこの場にいる他の者達も感じていた。おそらく、ここまでの金額を要求してきた背景には、先日のオリバー組やボルド親子の引き抜きへの報復という意図があることは容易に想像できる。
 一方、当のオロンジョは不機嫌そうな顔を浮かべたまま、何も弁解しようとはしない。彼女としては、自分達がこの村にいることで、自分達の「業」を妹達にも背負わせるくらいなら、すぐにでもこの村を退去する覚悟はあった。さすがに、両村との和解のために自らの首を差し出すほどの義侠心は持ち合わせてはいなかったので、ゲオルグがそこまで要求するならば抵抗して逃亡するつもりではあったが、少なくとも、過去の自分を正当化する気もない彼女としては、今は黙って、領主の決断を待っていたのである。
 すると、そんな彼女の意図を察したのかは分からないが、ゲオルグが単刀直入に自身の考えを伝える。
 
「この要求、少なくともそのまま従う訳にはいかないな」
 
 彼等の要求に従うことは、今後のミスリル貿易の展開次第では、出来ない訳ではない。ただ、ここで彼等の多額の要求をそのまま受け入れてしまうと、この村で算出されるミスリルが相当な利益をもたらしているということが知られてしまう。そうなると、いずれは彼等が実力でこの村の支配権そのものを奪おうと画策してくる可能性も出てくるであろう。
 とはいえ、この状況を打破するためには、アトロポス側とクローソー側の、少なくともどちらか片方の街道を、何らかの形での交渉もしくは武力を用いて開かせるしかない。今のラキシスに、果たして彼等と戦えるだけの力があるのだろうか?

「純粋に村の戦力だけを比較するなら、どちらと戦うにしても、片方だけが相手ならば勝算は十分にあります。ただし、それは『他の村からの援軍』が無かった場合の話です」

 それが、実質的な軍師でもあるマーシーの見解である。現状、アトロポスもクローソーの中立村ではあるが、地理的な事情もあり、実質的にはアトロポスはアントリアと繋がりが深く、クローソーはヴァレフール寄りの立場だと言われている。これらの大国が本気で介入しようとしてきた場合、さすがにラキシスだけで対抗出来る筈がない。
 仮にそこまでの援軍は無いにしても、現状において既に両村が協力体制を取っている以上、このままでは二正面作戦を強いられることになる。さすがにそれは戦略的にも厳しいので、せめてどちらか片方だけでも味方にしたいところだが、そのためにはまず、両陣営の内情について確認する必要がある。
 そんな中、この男が真っ先に手を上げた。

「私がクローソーに赴いて、動向を探ってきます」

 コーネリアスである。どうやらクローソーには、彼のトランガーヌ軍時代の知人であり、彼にとって兄貴分的な存在であったライカンスロープの邪紋使い「カイ・ホルン」がいるらしい。既に街道は封鎖されているようだが、シャドウの彼であれば、それをかいくぐって村の中に入り込むことも可能であろう。ゲオルグはその提案を了承し、まずは彼に、南方の情報収集を委ねてみることにした。
 
4.2.1. 兄貴分との再会

 ラキシスとクローソーの間の距離は、通常の人間であれば徒歩で半日。しかし、コーネリアスの足ならば、昼に出て夕刻までに到着することも容易であった。クローソーからラキシスへと伸びる街道の入口は封鎖されていたが、得意の隠密行動で難無く検問を突破し、村の内部へと入り込むことに成功する。
 ひとまず、小柄な「村の少年」のフリをして村人達に接触を試みたところ、全体的にややピリピリした雰囲気であった。どうやら、「オリバー組の引き抜きが原因で、ラキシスの新領主と戦争になる」という噂が広まっているらしい。村全体を見渡してみたところ、少なくともラキシスの正規兵と同等以上の数の部隊を動員しようとしていることが分かる。コーネリアスの目算では、戦って勝てない相手ではないが、少なくとも相当な損害が出ることは間違い無さそうに思えた。これと同レベルの兵をアントリア側も動員しているとなれば、さすがに二正面作戦は難しそうである。
 そんな状況を確認しつつ、ひとまずコーネリアスはカイ・ホルンに関する情報を調べてみたところ、どうやら彼は現在、村の守備隊長の任に就いているらしい。ひとまず怪しまれずに彼に近付くために、今度は「貧民街の孤児」のような姿に変装し直した上で、軍の隊舎の前で密かに張り込もうとする。
 すると、ちょうど夕食時だったこともあり、タイミング良く隊舎から出てきたカイ(下図)が出てくるのを発見する。


「兄ちゃん、兄ちゃん、これを自警団の人にって、手紙を渡されたんだけど……」

 そう言って、カイに話しかけたコーネリアスであったが、その姿を見たカイは、一瞬迷いながらもこう切り返す。

「お前……、コーネリアスか?」

 さすがに、同じ特殊部隊で彼の変装の練習に何度も付き合ったことのあるカイの目は、どうやらごまかせなかったらしい。

「久しぶりじゃないか! どうした、こんなところで? 相変わらず、ちっちゃいな♪」
「身長のことはいいだろ!」

 そう言って、頭を撫でようとするカイの手を、コーネリアスは払いのける。

「隊長、知り合いですか?」
「カイ兄ちゃんの弟の、コーネリアスって言います」

 相変わらず、子供のフリをしながら(実際、子供と言っても良い年齢なのだが)、コーネリアスがそう言うと、カイも笑顔で同意する。

「そう、まぁ、弟みたいなもんだ。で、お前、ここに来たってことは、もしかして、ウチの部隊に入ってくれるのか? いやー、お前なら、大歓迎だ。なにせこれから、ラキシスと戦争することになるからな」

 どうやら、現場の軍人達の間では、既にラキシスが提案を蹴って戦争となることが既定路線であるかのような認識であるらしい。そして、どうやら彼は今、コーネリアスがそのラキシスの領主に仕えていることも知らないようである。

「そのことで、ちょっと二人きりで話をしたいんだが、いいか?」
「ん? こいつらがいると、マズいのか?」
「知られると、クローソー村の領主に悪いことが起こるかもしれない」

 その様子に対して、カイの部下達は「何言ってんだ、この子供?」というような目で見ているが、コーネリアスが腕利きの「隠密」であることを知っているカイは、何か重大なコトを告げようとしていることを察する。

「すまん、皆、とりあえず、今日は久しぶりに会ったこいつとゆっくり話したいから、お前達はお前達で楽しんできてくれ」

 そう言って、幾ばくかの酒代を部下に渡したカイは、コーネリアスを隊舎内の自分の部屋へと連れて行き、二人きりで話を聞くことにした。
 カイの部屋に入り、他に誰もいないことを確認すると、コーネリアスは、父・アウグストの仇であるダン・ディオードを討つために、今の自分がラキシスの領主に仕えていることを告げる。

「お前だって、我が父のことを実の父のように慕っていただろう? だったら、俺と一緒に、ラキシスに来てくれないか?」

 それに対して、カイは険しい表情を浮かべながら、淡々と問い返す。

「確かに、あの人はトランガーヌ軍全体にとっての『父』のような存在だったからな。当然、俺もアントリアは憎い。だが、そのための君主が、なぜラキシスのゲオルグなんだ? なぜウチの領主ではダメなんだ?」

 クローソーの領主であるハウルは旧トランガーヌ騎士団の一員であり、騎士団長であるアウグストの直系の部下の一人でもある。トランガーヌの遺臣としてダン・ディオードと戦うならば、素性も知れないゲオルグよりも、ハウルの部下となって戦う方が正道に思えるのも当然であろう。

「父が殺されてから、俺は各地を放浪し、ダン・ディオードと戦える君主を捜してきた。しかし、見た目が子供である俺の言うことなど、誰もまともに聞いてはくれなかった。しかし、ゲオルグ・ルードヴィッヒだけは違う。彼は紳士とは言えないが、こんな姿の俺の話をちゃんと聞いた上で、本気でダン・ディオードを倒そうとする気概を見せてくれた」

 実際、コーネリアスも当初はゲオルグの横柄な姿勢に対して反発することも多かったが、あのダン・ディオードを倒すには、それくらいの気質の持ち主でなければならない、とも考えているようである。

「なるほど。確かに、ウチのハウル様にはそこまでの覇気はない。だが、口先だけなら、それくらい言える奴は他にもいるだろう。それに、色々話を聞く限り、俺はゲオルグという男は信用出来ん。ウチの領主を貶めるような噂を流して、ウチの屋台骨を支えるオリバー組を離反させるなど、やり方が汚い」

 どうやらカイは、彼の主であるクローソーの君主ハウルが、オリバーの妻・クレアを寝取ろうとしていたという噂は、全くの「ガセ」だと考えているらしい。そして、その噂の出所が、オリバー組をこの村から切り離そうとするゲオルグの陰謀だと信じ込んでいるようである。

「お前の今の発言に対して、二つ訂正させてもらおう。まず、ラキシス村を収める『真の領主』はゲオルグではない。妹のルルシェ様だ」

 つい先刻、「ゲオルグの気概の強さ」を強調したコーネリアスであるが、実際のところ、気概だけでダン・ディオードが倒せるとは彼も思っていない。多くの人々が彼の元に集っているのは、実は彼の妹のルルシェの持つ奇妙な人徳があるからこそ、というのがコーネリアスの考えである。

「彼女はその溢れるカリスマ性により、あっという間に村人達を掌握してしまった。その知識は山よりも高く、人望は海よりも深い」

 そう言って、コーネリアスはルルシェの「君主としての魅力」について熱弁するが、ルルシェほどの話術のない彼では、彼女の持つ一種独特な人的魅力を伝えられる筈もない。少なくとも、実際に会ったこともないカイにしてみれば、そう言われたところで、ラキシス村への認識が変わる訳でもなかった。

「そして二つ目だが、実際にクレア殿が何者かに誘拐されようとしていたのは事実だ」

 そう言って、コーネリアスは先日のクローソー村の外れの木造小屋での一件(パンドラと思しき魔法師によるクレア誘拐未遂事件)について説明する。

「お前は、それがウチの領主の仕業だと言うのか? ウチの領主がパンドラと手を組むなど、ありえない。ハウル様は、どちらかと言えば聖印教会側の人間だからな」

 パンドラは混沌を広める者、聖印教会は混沌に基づく力を否定する者。どちらもエーラムとは相容れぬ存在だが、この両者の関係も、理念的にはまさに不倶戴天の敵同士である。もっとも、どちらもその内部には様々な思想の持ち主がいるらしく、その思想体系は明確ではない。ハウルの場合は「君主に絶対の忠誠を誓うこと」を条件に、魔法師や邪紋使いの存在も許すという緩やかな立場であるが、少なくとも、闇魔法師主体と言われているパンドラに協力を要請するなど、絶対にありえないというのがカイの認識である。
 確かに、現状においてハウルが本当に手を出そうとしていたという証拠はない。クレア自身も身に覚えはないと言っているし、オリバーの過剰反応(被害妄想?)という可能性も否定出来ないのも事実である。よって、この件については、これ以上議論しても進展がないことは、お互いに分かっていた。
 その上で、今度はカイの側から話を切り出す。

「むしろ、お前が本気でダン・ディオードと戦う気があるならば、まずヴァレフールに助けを求めるべきだろう。お前の領主を、俺達と同じヴァレフール陣営に引き込むことは出来ないのか?」

 実際に先日、ヴァレフールの騎士隊長の一人であるイェッタの領主ファルク・カーリン男爵から、協力を申し出る誘いはラキシスにも来ており、ゲオルグもそれには好意的な姿勢を示してはいる。だから、ここで正式にヴァレフール陣営に加わるという選択肢も可能なのだが、現状ではまずクローソーとの関係を改善させなければ、ヴァレフール側としても対応に困るであろう。

「確かに、クローソー村と協力体制を取れれば、お前とも敵味方にならずに済むんだがな……」

 そう呟きつつも、これ以上は自分一人でどうこう言える立場ではないと判断したコーネリアスはひとまずその場を立ち去り、カイもここはあえて黙って彼を見送る。そして再び封鎖された街道を密かに突破したコーネリアスは、夜道を一人、ラキシスへと帰還することになった。
 
4.2.2. 二枚舌外交

 一方、その頃、他の者達もそれぞれに情報収集に回ろうと考えていたが、既に街道が封鎖されている以上、コーネリアス以外の面々には、現地に直接乗り込むことは出来ない。それ故に、ラキシス村の住人相手に口コミレベルで情報を集めることしか出来ないのだが、もともと人の往来の少ないこの村の住人では、集められる情報は限られていた。
 そんな中、ガイアは、リンから渡された「手紙」のことで悩んでいた。現状では、まだ正式に両村からの申し出を断った訳ではないが、実質的に提案を拒否することを前提に戦略を立て始めている以上、少なくとも自分だけはこの内容を確認しておいた方が良いのではないか、と考えた彼女は、逡巡しながらも密かにその手紙の封を切る。すると、その中に入っていたのは、アトロポス領主エース・クロフォードからの、ゲオルグへの手紙であった。

「貴殿の勇気ある決断に敬意を表する。我々としては、貴殿が力に屈しない強い意志を示すのであれば、貴殿と取引をしたい。我々はこれから、貴殿とクローソー村が戦っている隙をついて、クローソー村を攻撃する。勝利した暁には、クローソー村と街道の管理を我が村に委ねて頂いた上で、これまでクローソー村が管轄していた鉱山の採掘権は貴殿に譲る。良い返事をお待ちしている」

 さすがにこの内容は、自分一人で抱え込むには重すぎると判断したガイアは、即座にその手紙のことをゲオルグに報告する。その内容に驚いたゲオルグであったが、先刻の手紙と見比べてみても、どうやらこの手紙のサインは本物らしい。

「確かに、この提案を承諾すれば、我々は通商権を手に入れ、更に勢力を拡大することも出来る。我々にとって悪くない話ではある。ただ、問題は、この話が本当なのかどうか、だ」

 サインそのものが本物だとしても、エースが自分達をも騙そうとしている可能性は十分にある。その場合、自分達がクローソーと戦っている間に、自分達の背後を攻撃されかねない。この話を受けるかどうか以前に、まず、アトロポスのエースの真意を確かめる必要がある。マーシー曰く、アトロポスのエースは「油断の出来ない策謀家」とのことなので、そのまま真に受けるのは危険、というのが彼女の判断である。
 だが、そのことを踏まえて、それでもゲオルグは不適にこう言った。

「この関係を上手く利用すれば、一気に両村を俺の手中に収めることも出来るかもしれんな」

 ゲオルグの中の「覇王」としての本能が、徐々に目覚め始める。敵がこのような形で二枚舌外交を駆使してくるなら、こちらも負けずに相手を上手く利用して、両村を叩いてしまえば良いのではないか、という考えが沸き起こってきたのである。
 この方針には、マーシーも同意する。彼女はもともと、ゲオルグには「ただの貧乏村の領主」で終わってもらうつもりはない以上、遅かれ早かれ、アトロポスもクローソーも彼の傘下に収めるべきだと考えていた。その上で、彼女はこう付け加える。

「もし彼等と戦うなら、着実に領主の息の根を止めることが大切です。彼等の聖印を奪わなければ、村を支配する権利をエーラムに認めさせることが難しくなりますし、彼等がヴァレフールやアントリアに亡命すれば、こちらへの侵攻の口実を与えることにもなります」

 エーラムの魔法学院は、領主間の争いに関しては基本的に中立である。ただし、多くの領土を収める領主にはそれ相応の「聖印」が必要、という立場でもある。ゲオルグの聖印は、まだ村一つを収める程度の大きさでしかないため、他の村を支配するためには、その村の支配者の聖印を奪って、自分の聖印に吸収しなければならない。逆に言えば、他の村の領主を殺せば、その村の支配権を奪うこともエーラムは認めているということでもある。理不尽なルールではあるが、「聖印の力で混沌と戦う者だけが、その聖印の力に応じて土地を支配する権利を得る」というのが、この混沌が支配する世界における人類社会の掟であった。
 そして、クローソー村から帰ってきたコーネリアスの話を聞いた上で、再び側近達を集めて会議を開いた彼は、以下のような戦略を立てる。

1、クローソーに、この密書を見せた上で、自分達と手を組んでアトロポスを討つように申し出る
2、アトロポスには、密書の内容に同意したフリをした返事をする
3、両村の勢力を正面から戦わせて、疲弊したところをラキシス軍が討つ

 ただし、これはあくまでも理想論であり、実際に相手がこちらの思惑通りに動いてくれるかどうかは分からない。よって、交渉が不調に終わった場合も考慮に入れた上で、最終的にどちらを優先的に倒しておくべきか、という方針について確認する必要があるとゲオルグは考えていた。
 この点に関して、マーシーは「敵として厄介な相手はアトロポス」と断言する。これについては、日頃はマーシーとソリが合わないことが多いルルシェも同意した。というのも、実は彼女は、彼女を慕う元聖印教会の三人組の一人で、アトロポス村出身のレクサスから、アトロポス軍の内情を聞いていたのである。
 曰く、アトロポス軍の中核となっているのは、領主のエースと、契約魔法師のリン、そして邪紋使いのベラミヤという男であるが、このベラミヤは「肉壁」という二つ名を持つアンデッドであり、彼がエースとリンを守りつつ、リンが強力な元素魔法で敵を殲滅する、というのが基本戦略である。しかも、ベラミヤはただ守るだけではなく、自身が深い傷を負った時に、その傷が深ければ深いほど、強力な反撃を瞬時に相手に跳ね返すことが出来るという特異体質であり、迂闊に彼を攻撃すれば、一瞬にして一部隊が丸々消失してしまうほどの手痛い反撃を喰らうことになるという。
 この話を聞いたゲオルグ達は、なるべくアトロポス軍とは直接戦いたくはないと考えるが、コーネリアスとしては、それでもアトロポスを優先的に攻撃することを主張する。それは、アトロポスがアントリア寄りであることに加えて、やはりクローソーのカイとはなるべく戦いたくない、という心情の現れでもある。ただ、それを言い出すと、ガイアもガイアで、幼馴染みのリンを擁するアトロポスとは戦いたくない、という気持ちがあるのも事実である。
 ちなみに、(街道封鎖によってラキシスに留まらざるを得なくなった)行商人のアストリッドは、もともとアントリア経由でこの村に来ていた訳だが、少なくとも彼女が見た限り、アントリア側がアトロポスに援軍を派遣する様子は無かったという。そして、カイが確認した限りにおいては、クローソーにもヴァレフールからの援軍は見当たらなかった。その意味では、長期的な戦略という観点から見ても、どちらを敵に回してもリスクという点では大差はない(ただし、現時点でラキシスに対して明確に好意的な姿勢を示しているのは、ヴァレフールの方である)。
 結局、この問題についてはひとまず棚上げした上で、まずは両村に対して、上記の戦略に基づいた「偽装交渉」をおこないつつ、相手の出方を見ながら次の一手を考える、という方針で一致することになった。
 
4.2.3. 旅立ちの日の真実

 その上で、派遣する人員については、まずクローソーに対しては、既に一度潜入してその内部状況が分かっているコーネリアスを案内人とした上で、ゲオルグの名代としてルルシェが派遣されることになった。彼女の交渉能力がゲオルグのそれを上回っていることは誰もが知るところであり、「クローソーとアトロポスを分断しつつ、クローソーに自分達との同盟を信じ込ませる」という、より難度の高い交渉を必要とする任務を彼女に任せるのは、妥当な判断と言えよう。
 一方、アトロポスへの使節に関する話になったところで、今回の件でずっと黙っていたオロンジョが、初めて口を開いた。

「アトロポスに行かせるなら、ガイアが適任だと思う。彼女が行けば、リンは悪いようにはしない筈だ」

 リンとガイア(とオロンジョ)が幼馴染みであることは既に周知のことであり、誰もこの方針には特に異論は無かった。そこで、正式な名代(交渉役)としては「領主の契約魔法師」であるヒュースを立てた上で、彼女をその補佐役という形で派遣する方針が決定する。
 この時点で、既に夜は更けていたこともあり、正式に彼等を派遣するのは翌朝となる。それぞれに旅支度を始めようとする中、オロンジョはガイアを屋敷の裏へと呼び出した。どうやら、二人きりで何か話したいことがあるらしい。

「アンタ、リンに会ったんだよね? アイツ、なんか言ってた?」

 あまりにも漠然とした質問だが、実際のところ、リンとは特にこれといって「中身のある会話」をしていた訳ではない。というよりも、じっくり話をする暇もなく去っていってしまった、というのが正直な実感である。そのことを告げると、オロンジョは少し間を置いた上で、別の問いをガイアに投げかける。

「私がなんでアンタを推薦したのか、分かる?」
「……昔馴染みだから、ということ意外に、何かあるの?」

 そのリアクションに対して、オロンジョは溜め息をつきつつ、空を見上げながら「昔話」を始める。

「数年前に私がこの村から旅立つ直前に、アイツはエーラムに行くことになったんだけど、その時に私は言ったのよ。『私の契約魔法師になるだけでなく、私の生涯のパートナーになってほしい』って。でも、アイツは『私に対してそういう目では見れない』って言ったの」

 いきなり「自分の重すぎる過去」を語り始めた姉に対して、ガイアは困惑する。そして、それに続けて語られた真実は、彼女を更に動揺させることになった。

「で、その時にね、ずっと前から気になっていたことを聞いたの。『じゃあ、ガイアは?』って。そしたら、アイツは何も答えなかったわ」

 激しい衝撃が、ガイアの心に突き刺さる。この状況から導き出される答えは一つ。リンは自分のことを「そういう目」で見ていたということである。あまりにも突然の、間接的とはいえ想いも寄らぬ方向からの「告白」に、ガイアの心は激しく揺れ動き、いつもの「冷静な自警団長」としての彼女とは明らかに異なる「一人の女性」としての動揺した表情を浮かべる。そしてその様子から、ガイアの中でもリンが「ただの幼馴染み」以上の存在であることを確信したオロンジョは、更にこう続ける。

「だから、アンタが本気で説得すれば、アイツの気持ちが変わっていなければ、アンタに協力してくれるかもしれない。でもそれだけじゃなくて、もう一つの選択肢もあるわ。アンタはアンタで、アンタの幸せを優先してもいいのよ。今の君主に仕えることだけがアンタの人生じゃない。もし、アンタがアイツに説得されて、この村を裏切ることになったとしても、私はアンタを責めないわ」

 つまり、ガイアとリンが互いに「そういう感情」を抱き合っていた場合、ガイアをアトロポスに派遣することは、リンを離反させる計略でもあると同時に、逆にガイアが離反してしまうリスクもある、というのがオロンジョの認識である。それでもあえて、ガイアをアトロポスに派遣すべきと言ったのは、どちらがどちらに協力するにせよ、ガイアには自分の幸せを優先してほしいというオロンジョの想いが込められていた。

「まぁ、その時は全力で戦うけどね」

 そう言って、オロンジョは去っていく。自分の中で、これまで無意識のうちに押し殺していた感情が激しく高ぶるのを必死で抑えながら、ガイアは一人、夜空の下で立ちすくんでいた。
 
4.2.4. 人質

 翌朝、予定通りにコーネリアスとルルシェは南のクローソーに、そしてヒュースとガイアは北のアトロポスに向けて出立する。
 先に到着したのは、比較的距離の短いクローソーへと向かった二人であった。今回はルルシェを連れての正式な使者ということで、閉鎖された入口で守備兵に事情を伝え、領主の屋敷へと二人は案内される。そこで待っていたのは、この村の領主であるハウル・ヴァーゴ(下図上段)と、その契約魔法師のイクサ・カンティネン(下図下段)、そして守備隊長のカイ・ホルンの三人である。


「お初にお目にかかります。ラキシス村の領主ゲオルグ・ルードヴィッヒの妹、ルルシェでございます」
「ほう、お主が噂の『ラキシス村の真の領主』か」

 そう言って、ハウルは吟味するような目線でルルシェを凝視する。ルルシェは何を言われているのか理解出来ない様子だが、どうやらコーネリアスがカイに語った話(の一部?)は、既にハウルに伝わっているらしい。
 ひとまずルルシェはそのことについてはスルーしつつ、さっそく、兄から託された二通の手紙のうちの片方を渡す。それは、アトロポス村のエースによって渡された「密書」であった。

「……なるほど、そういうことか。やってくれるな、あの若造!」

 そう言って、怒りを堪えた苦笑いを浮かべながら、ハウルはその手紙を握りつぶす。どうやら、この密書が本物であるということは、信じてもらえたようである。

「で、この書状をあえて私に見せたお前達の真意は何だ?」

 厳しい眼光で睨みつけながらそう問いかけるハウルに対して、ルルシェは真っすぐな瞳で向き合いながら答える。

「私達と共に、アトロポス村と戦ってほしいのです」

 そう言って彼女は、兄の立てた戦略を伝える。曰く、この手紙の内容については知らないフリをしたまま、アトロポス軍と共にラキシスに向かって進軍した上で、現地でラキシス軍と合流して共にアトロポス軍と戦う、というのが基本線であった(実際には、ラキシス軍と合流せずにクローソー軍単体でアトロポス軍と戦ってもらうのがラキシス側としてはベストの選択肢なのだが、さすがにそこまでは告げない)。
 しかし、それに対してハウルは、訝しげな表情で答える。

「なるほど。確かに、我々としても、このような策を弄して我等を嵌めようとしたエースのことは許せん。だが、お前達が本当にアトロポスと繋がっていた場合はどうなる? この手紙に書いてある通りに、我々がラキシスを攻めている間にアトロポス軍がこの村を攻めることが無いと、どうして言い切れる?」

 確かに、それを言われると、アトロポス軍の動きまで明確に保証することは出来ない。仮に、ラキシス側がクローソーを裏切るつもりがなくても、アトロポスがこの手紙の内容通りに急襲してきた場合、守備が手薄になったクローソーが陥落してしまう恐れはある。もし、すぐに戻って彼等を追い払うことが出来たとしても、それまでの間に村が大損害を被ることは間違いないだろう。
 その上で、ハウルは更にこう続ける。

「このようなリスクがあると分かった以上、我々としての最良の選択肢は、この村を動かぬことだ。どちらから攻められるにせよ、この村の防壁を利用して我が全軍で迎え撃つならば、最悪両村を同時に相手にしたとしても、守りきる自信はある。だから、我々はお前達を攻撃するつもりも、アトロポスと戦うつもりもない。無論、お前達がこちらの最初の要求を飲まないなら、街道も閉鎖したままだがな」

 実際、クローソーの防壁は強固であり、全兵力で防衛されれば、そう簡単に崩すことは出来ない。また、長期戦になれば、ヴァレフールからの援軍も期待出来る。「村を守る者」としての領主の選択として、彼の判断は何も間違ってはいない。
 そしてルルシェとしても、クローソー軍がラキシスに攻めてこないのであれば、対アトロポス軍に戦力を集中出来るので、それだけでも悪い話ではない(街道に関しては、最悪、アトロポス経由のルートを確保するだけでも、交易は出来る)。だが、アトロポス軍の「エース・ベラミヤ・リン」という「厄介な布陣」と戦うためには、出来ればクローソーの助力が欲しい、というのも本音であった。
 そこで、得意の話術を駆使して、「このタイミングでアトロポスを倒すことの持つ意義」を伝えようとルルシェは尽力する。ハウルもその点については一定の理解を示すものの、どうやらまだ「例の件」について、彼の中での怒りは収まっていないようである。

「まずそもそも、我々に協力を申し出るなら、この私が部下の妻を寝取ろうとしていたなどという流言を流したことを詫びるのが先であろう」
「その件につきましては、真実は私達にも分かりません。ただ、その噂は私達がラキシスに到着する以前から流れていたものです。我々が流した訳ではありません」

 毅然とした態度で彼女はそう言い返す。彼女の持つ君主としての(?)圧倒的な目力によって、それまで「流言の出所はラキシスの領主」と決めつけていたハウルの心の中に「そうではないのかもしれない」という迷いが芽生え始める。しかし、だとしても、それだけで彼女達を全面的に信用する訳にはいかない。

「もし、どうしても我々の協力が必要だというなら……、そうだな、我が軍には、ヒーラーもメサイアもいない。長期戦になった時のために、貴殿がその力を我が軍に貸してくれるというのであれば、考えてやっても良いぞ」

 名目上は戦略的理由を語ってはいるが、要は、ルルシェに「人質」としてクローソー軍に残れ、という提案である。領主の妹であり、「真の領主」と言われるほどの重要人物であれば、確かに人質としての価値は十分にある。
 その意図を理解した上で、ルルシェはあっさりとこう答えた。

「いいでしょう。では、私はこの地に残ります。コーネリアス、その旨を兄上に伝えてきて下さい」

 笑顔でそう答えたルルシェだが、さすがにコーネリアスとしては、彼女をこの地に置いたまま帰っては、彼女を慕う多くの村人達、そして何よりゲオルグの怒りを買うことになる以上、そう易々とこの提案に乗る訳にはいかない。とはいえ、現状において他に打開策も見出せないのも事実である。結局、色々と逡巡しつつも、彼は「ひとまずラキシスにその旨を伝えた上で、すぐに自分もクローソーに戻り、ルルシェと共に滞在する」という約束の下で、足早にラキシスへと向かうことになった。

 そして、彼が去った後、ハウルは再び訝しげな表情を浮かべながら、ルルシェに詰め寄る。

「それにしても、貴殿が『真の領主』と言われるほどの人望があるなら、なぜ貴殿自身が領主にならぬのだ? 貴殿の兄は、貴殿を差し置いて領主になるに相応しい人物なのか?」

 そう言って首を傾げるハウルに対して、ルルシェは満面の笑みを浮かべて答える。

「はい、私の兄様は、本当に素晴らしい方です。今の私があるのは兄様のおかげであり、兄様こそがこのブレトランドを平和に導くために必要な存在なのです。なぜならば兄様は……」

 そしてここから、ハウル、イクサ、カイの三人は、数時間におよぶ彼女の「兄自慢」を聞かされることになるのだが、彼女の身を案じながらラキシスへと直走るコーネリアスは、そのことを知る由もなかった。
 
4.2.5. 偽りの同盟

 一方、その頃、アトロポスに向かったヒュースとガイアも、無事に現地に到着していた。ガイアの様子が明らかにソワソワした状態であることにヒュースはやや懸念を感じていたが、ひとまず、村に到着すると同時に村の守護兵に話をすると、すぐに領主の館へと案内される。
 すると、こちらでも、アトロポスの領主エース・クロフォード(下図上段)と、契約魔法師のリン・ストラトス、そして「敵に回したくない男」こと邪紋使いの“肉壁の”ベラミヤ(下図下段)の三人が出迎える。


「我が村としては、アトロポス村との同盟の件、快く承諾させて頂く方針です」

 ヒュースがそう告げると、エースは笑顔で答える。

「おぉ、それはありがたい。では、作戦としては書状に書いた通り、貴軍がクローソーを迎え撃っている間に、我が軍がクローソーを攻撃する、という算段でよろしいな?」
「あ、いえ、その点については、当方としては別案がありまして」

 そう言ってヒュースは、アトロポス軍にはクローソー軍と示し合わせたフリをして、共にラキシス村に進軍してもらい、その上でラキシス村で合流して共にクローソー軍を叩く、という戦略を提示する。これは、アトロポス軍とクローソー軍を直接衝突させるために必要な策であった(ルルシェもこの戦略に基づいた上で、クローソーに援軍を要請している)。ただ、実はこれは一歩間違えば(アトロポスとクローソーがこちらの思惑通りに動いてくれなければ)、ラキシスが両軍を相手に同時に戦わなければならなくなるという、非常に危険な策でもある。
 故に、もし、アトロポス側がこれを拒否して、あくまでも当初の作戦通りの計画を主張した場合は、その案に基づいて着実に(アトロポス側からの提案通りに)クローソーだけを倒す、という選択肢も視野に入れてはいた訳だが、この件に関してエースは、やや考え込む表情を浮かべた上で、こう答えた。

「いいでしょう。その方が、クローソー軍をより安心させた状態で討つことも出来ますしね」

 笑顔でそう答えるエースであったが、果たしてそれが真意かどうかは分からない。このまま計画通りにコトが進めば、ラキシス村近辺で、三つの村の軍隊が、それぞれに誰が誰を攻撃するか分からない状態のまま鉢合わせることになる。それはある意味、誰にとってもリスクの高い、色々な意味で危険な「賭け」でもあった。

「では、せっかく我が村まで来て頂いた訳ですし、今から帰るとなると夜道も危険ですから、本日はごゆるりと御滞在下さい。ささやかながらに、歓迎の宴を催したいと思います」

 そう言って、エースは彼等を屋敷の二階に設けられた小規模のホールへと案内する。ラキシス同様、アトロポスも辺境の村ではあるが、それなりに豪華な装飾が施されているのは、華美を嫌うダン・ディオードの即位以降、アントリアから亡命してきた職人達の手によるものらしい。
 やがて、二人をもてなす様々な料理が運ばれてくる中、ヒュースはその部屋の片隅で、リンとベラミヤが密かにガイアの方を見ながら密談している様子が目に入る。その様子が気になった彼は、さりげなく二人との距離を詰めながら、更に耳を凝らして聞いてみた。

「いいか、あれがガイアだ。間違えるんじゃないぞ」

 リンにそう言われたベラミヤは、ややカタコトの口調で、こう返す。

「ワかった、アイツはコロさない」

 このやり取り、どう聞いても「同盟軍の指揮官」に関する発言とは思えない。仮に「同士討ちを避ける」という意味であるならば、ヒュースに対しても同じコトを言うべきだが、そういった様子は見られない。かと言って、ガイアが他の誰かと見間違えられるような風貌という訳でもない(少なくとも、これまで見てきた限り、アトロポスには女性の指揮官はいない)。ということは、この会話が意味しているものは……。不吉な予感を頭に浮かべつつ、警戒心を強めるヒュースであった。

4.2.6. 深夜の行軍

 こうして、アトロポス村にて「虚飾の宴」が繰り広げられようとしている頃、コーネリアスはラキシス村に帰り着いていた。彼が戻ってきた表面上の目的は、ゲオルグに今回の「人質案」を伝えることであったが、さすがに本人を目の前にその旨を告げる度胸はない。ルルシェほどではないが、ゲオルグもまた人並み以上に「兄妹愛」の強い人物なのである。
 そこで、屋敷の者にその旨を記した手紙を渡した上で、彼自身は自分とルルシェに割り当てられているラキシス村の正規兵達に密かに声をかけ、彼等に事情を話した上で、クローソー村への「深夜の行軍」を提案する。
 と言っても、別に実力でルルシェを奪い返そうという訳ではない。ルルシェがクローソー軍に従軍するということを踏まえた上で、「彼女と共に戦う護衛の兵」を連れて行くという名目である。おそらく、クローソー側はルルシェを(もしラキシスが裏切った場合、いつでも殺せる様に)「身一つ」の状態で手元に置きたいのであろうが、あくまでも「アトロポスとの戦争を補助するための戦力」としてルルシェが必要だという名目を掲げている以上は、このような形での「援軍」を拒絶することは出来ない筈である。無論、何らかの理由をつけて拒否してくる可能性もあったが、その時はコーネリアスが単体で忍び込んで、密かにルルシェを救出するという選択肢もあった。
 ただし、この作戦は、ラキシスの数少ない戦力の一部をゲオルグの許可無く勝手に動かすことになる以上、軍令違反として責められても仕方のない行為でもある。だが、ゲオルグの性格上、ここでルルシェを文字通りの「人質」として一人で他国の陣営内に放置しておけば、軍令違反の罪など比べ物にならないほどの怒りを買うことになるであろうことは容易に想像出来た。
 そして実際、軍内のコーネリアス隊の者達も、ルルシェ隊の者達も、この提案には二つ返事で賛同する。コーネリアス自身が言っていた通り、もはやルルシェはラキシス村において、ゲオルグと同等以上に「無くてはならない精神的支柱」となっていたのである。
 こうして、コーネリアスの独断で勝手に深夜にクローソー村へと向かった二部隊であったが、彼等が到着するまでの間に、クローソー村の「領主」と「文武の柱」の三人は、すっかりルルシェの話に夢中に聞き入るようになっていた。

「それほどまでの人物なのか、貴殿の兄上は」
「本当にそのような人物がいるのか、ぜひ一度会ってみる必要がありますな、マイロード」
「もしかしたら、その人物こそが、本当にこの地の戦乱を収めてくれる人物なのかもしれませんよ、ハウル様」

 本人が居ないにも関わらず(むしろ、本人が居ないからこそ?)、三人はすっかり、「ゲオルグ・ルードヴィッヒ」という人物に対しての憎悪や猜疑心を忘れ、「好意的な好奇心」を抱くようになっていた。
 そんな精神状態の中で、コーネリアスによって連れてこられた「援軍」を目の当たりにした彼等は、素直にその従軍を認めるようになる。まだ全面的にラキシスを信用した訳ではないが、少なくとも、この少女に対する敵愾心はすっかり消え失せて、ひとまずは素直に「友軍」として認識するようになっていたようである。

4.2.7. 守りたいもの

 そうこうしている間に、アトロポスでは二人を歓迎する「宴」が始まっていたが、あくまで「秘密同盟」のために訪れている二人である以上、参加しているのはこの村の要人数名のみである。しかも、どちらの陣営もあまり「本音」を語りたくないようで、表面上は適当に言葉をとりつくろいながら会話を繋いではいるものの、その空気は非常に重苦しい。あたかも仮面舞踏会のような不気味な雰囲気であった。
 そんな中、リンがガイアを誘って、その宴会場から繋がっているバルコニーへと連れ出す。その様子はヒュースの目にも映っていたが、少なくとも、「リンはガイアを殺す気はない」ということだけは分かっていたので、ひとまず黙って見送りつつ、周囲の者達の動向に目を向ける(しかし、少なくともこの時点で、彼に危害を加えようとする者はいなかった)。
 やがて、周囲に人がいないことを確認すると、リンはガイアに問いかける。

「ガイア、ラキシスの領主は、俺達と共にクローソーのハウルを倒した後、どうするつもりなんだ?」

 どうやらリンとしては、ゲオルグがこの提案に乗ってきたこと自体が意外らしい。

「分からないわ。ただ、クローソーが倒されたら、次にアトロポスに狙われるのは、ラキシスだと思う」

 政治的に深い話に踏み込んできたリンに対して、ガイアも本音で答えつつ、リンの顔色を伺う。すると、リンは予想以上に直球の答えが返ってきたことに動揺したようで、複雑な表情を浮かべながら、微妙に目線を外しつつ呟く。

「そうなったら、俺達は敵同士で戦うことになる。俺としては……、そんなことは、望まない……」

 おそらく、その言葉は本音なのであろう。だが、その口調は、どこか歯切れが悪い。はっきりガイアの顔を見ることが出来ない状態でそう呟く彼は、望む望まないに関わらず、そうならざるを得ない状態になるかもしれないということを、どこかで覚悟しているようにも見えた。

「私も、そんなのイヤだよ。リンちゃんとは戦いたくない……」

 やや涙声でそう呟く彼女に対して、リンは話題の矛先を変えようとする。

「もちろんだ、ガイア。それに、俺としては、誰と戦うにせよ、お前が傷付く姿は見たくない。だから、今回の戦いでも、出来ればお前には、あまり前線に出てほしくないんだ。出来れば後方で、ラキシス村の内部の警備に回ってくれないか? お前は、もともと自警団長なんだから、そっちの方が本業だろ?」

 どうやら、リンがガイアを呼び出した本当の狙いは、このことを伝えるためだったらしい。だが、既にアトロポスに対して一定の疑惑を抱いているガイアにとっては、この発言は余計にその「疑惑」に拍車をかけることになった。

「リンちゃん、私、リンちゃんのことを、ずっと……」

 そう言いながら、ガイアはリンに抱きつく。この瞬間、リンの中で何かが壊れた。彼はゆっくりと自分に絡み付くガイアの手を解きつつ、真剣な表情で彼女の瞳を見る。

「聞いてくれ、ガイア。エース様は、今回の作戦を通じて、クローソー軍ではなく、ラキシス軍を攻撃するつもりだ」

 その目から、悲愴な覚悟が漂っていた。想像出来た答えとはいえ、さすがに突然告げられた真実に対して絶句するガイアに対して、更に彼は続ける。

「だが、それはラキシス村を滅ぼすためではない。このアトロポス村と同様に、エース様の下で共に繁栄していく新体制を築くためだ。今の領主がそれに抵抗するならば討ち果たさなければならないが、お前の命だけは、絶対に奪われることがないよう、エース様には私から何度も進言している。だから、お前は今回の戦いには加わらず、戦いの後に村人達にエース様を受け入れるよう、説得する側に回ってほしい」

 彼の意図は、はっきり分かった。しかし、それを受け入れることは、今の彼女の主君であるゲオルグを裏切ることになる。彼個人に対してそれほど強い忠義心を抱いている訳ではないが、これまで村を再建してくれたことには恩義を感じている以上、そう易々と受け入れられる提案ではない。そして彼女にはもう一つ、この案に同意出来ない理由があった。

「もし、そうなったとして、姉様達はどうなるの?」

 オロンジョは、彼女の姉であると同時に、リンにとっても幼馴染みである。むしろ、同い年のオロンジョの方が、自分よりも彼にとって親しい存在であるとガイアは思っていた。……昨晩、オロンジョから「あの話」を聞かされるまでは。

「それは……、残念だが、そこまでの約束を取り付けることは出来なかった。今の俺の権限では、お前一人の命の保証を約束してもらうところまでしか、エース様には要求出来ない」

 口惜しそうにリンはそう呟く。君主と魔法師の関係は人それぞれだが、どうやら彼は、そこまで強く君主に進言出来るだけの関係を構築出来てはいないらしい。実際問題、アトロポス村とドクロ団との間で様々な確執があったことも事実である以上、彼女達の身の安全まで保証するのは、難しい相談であろう。

「どうしてそこまで、私のことを……」

 彼が、姉よりも自分の命を優先しようとしている理由は何なのか。既にガイアの中では、一つの「仮説」は浮かび上がっている。だが、それはあくまでもオロンジョという媒介を通した上での「昔の情報」にすぎない。本人の口から直接聞くまでは、それはどこまで言っても「仮説」でしかないのである。

「俺が本当に守りたいのは、お前だからだ。それは、子供の頃からずっと変わらない。オロンジョのことも決して嫌いではないし、本当はイイ奴だってことも分かっている。だが、俺にとって本当に大切なのは、生涯をかけて守り続けたいのは、お前だけなんだ、ガイア」

 その言葉を、ガイアはずっと待っていた。正確に言えば、この瞬間、自分が今までずっとその言葉を待っていたことに気付かされた。こうして、彼と、そして自分自身の気持ちをはっきりと認識したガイアの中では、より一層、「彼と戦いたくない」という気持ちが沸き上がってくる。

「だったら、この戦いをやめさせることは出来ないの? それが出来ないならせめて、リンちゃんが戦いから手を引くことは?」
「俺だって、出来ればそうしたい。だが、俺はエース様には大恩がある。あの方を裏切ることは、俺にはどうしても出来ないんだ……」

 彼はエーラムの魔法学院にいた頃、多くの君主を招いた宴席の場で、同級生を相手に私闘で魔法を使ってしまい、放校寸前にまで追い込まれたことがあるらしい。その時、彼のことを庇ってくれたのがこの村の領主、エース・クロフォードであったという。それ以来、リンにとってエースは「絶対に裏切れない恩人」として位置付けられていた。

「だから……、俺の方からもう一度、エース様にかけあってみる。だが、もし、俺から何の連絡も無く『作戦』の決行日になってしまった場合は、俺の頼みは聞き入れられなかったと諦めた上で……」

 彼は改めて、決意の表情を浮かべてこう告げる。

「戦場で、俺を殺してくれ。俺は戦闘が始まると同時に、ベラミヤが庇いきれない場所まで一人で移動するから、そこを狙い撃ちにしてくれればいい。俺が死ねば、エース様は『攻め手』を失い、作戦は中止せざるを得なくなる」

 だが、そんな悲愴すぎる提案を、ガイアが受け入れられる筈がない。

「ダメだよ、そんなの!」
「それしか方法がないんだ。さっきも言った通り、俺はエース様を裏切ることは出来ない。それはエース様だけでなく、俺を庇ってアトロポスへの就職を認めてくれた師匠の顔にも泥を塗ることになる。だが、俺が戦場で堂々と戦死したということにすれば、まだギリギリ面目も立つ。分かってくれ、ガイア。これが唯一の方法なんだ」

 リンの言うことは理解出来るし、今のところ他に打開策も見当たらない。だが、リンが死ぬことだけは、絶対に認められない。そう考えたガイアの脳裏に閃いた唯一の選択肢、それは「リンを死なない程度の瀕死状態に追い込んだ上で、捕縛する」という作戦である。リンが素直に自分から無抵抗で捕縛されに来てくれれば話は早いのだが、この様子から察するに、彼はあくまでも「全力で戦った上での戦死」を望んでいる以上、彼女がそう提案しても、承諾してくれそうにない。ならば、彼女自身が実力で(ギリギリの力加減でリンを生かすことで)その「リンの計画」を阻止しつつ、「自分にとっての理想の未来」を掴み取るしかない。共に戦ってくれるであろう、ラキシス村の仲間達を信じて。

「分かったわ。でも、私は絶対にあなたを殺さないし、殺させもしない。そして、ありがとう。私のことをそこまで大切に思ってくれて」

 そう言って彼女は、今度はリンの後ろに回り込み、背中越しに抱きつきながら、頬に軽く口付けをして、その場を去っていく。リンと、ラキシス村の人々と、そして自分自身の幸せを守るための「確固たる決意」を胸に秘めながら。
 
4.3.1. 臨戦態勢

 翌日、ヒュースとガイアは無事にラキシスに帰還する。ルルシェとコーネリアスは戻ってきていないが、コーネリアスの手紙から、事情は理解していた。妹の身を案じて動揺する気持ちを抑えつつ、ゲオルグはマーシーと共に、作戦を練り直すことになる。
 一応、当初の予定とは少々異なる形にはなったが、「クローソー軍とアトロポス軍の双方と秘密同盟を結んだ上で、ラキシス村までおびき出す」という作戦の準備は整った。ただし、アトロポス側は(おそらく)クローソー軍ではなく自分達に向かって襲いかかってくるであろうし、クローソー側はあまり積極的に攻撃に参加する可能性は低そうであり、最悪の場合、日和見した上で自分達を攻撃してくる可能性もある。しかも、ルルシェが「人質」に近い状態である以上、こちらから積極的にクローソーを攻撃する訳にもいかない(この時点で、ゲオルグはまだルルシェがハウル達の敵愾心を削いでいることを知らない)。
 ただ、その一方で、アトロポス軍の中核であるリンが、実質的に「殺されに」来てくれる公算が高いことが分かった。確かに、彼を無力化することが出来れば、アトロポス軍は実質的な攻撃手段を失うことになるだろう。無論、そこで力加減を間違えて彼を本当に殺してしまった場合、発狂したガイアが何をしでかすか分からない以上、「殺さない程度にリンを集中攻撃する」という、少々厄介な作戦が必要となる。そうなると、どちらにしてもアトロポス軍の相手をするのは、その事情を知らないクローソー軍ではなく、自分達でなければならない。
 そのことを踏まえた上で、この時点でゲオルグが立てた戦略は以下の通りである。まず、おそらく当初は「ラキシスとクローソーの潰し合い」を見物するつもりであろうアトロポス軍に対して、こちらから先手を打って攻撃を仕掛けて、その際にリンを無力化して、一気にアトロポス軍を追い詰める。そして、ラキシス軍が優位に戦いを進めることが出来れば、クローソー軍も自分達に味方をする可能性が高い。その上で、残る「厄介な存在」としてのベラミヤ隊をクローソー軍が引き受けてくれれば、最低限の被害でアトロポス軍を殲滅出来る。その上で、返す刀でクローソー軍をも攻撃すべきかどうかについては、「人質」としてのルルシェを奪還出来るか否かにかかっているので、何とも言えない、というのが現状の認識であった。
 その上で、ゲオルグは、オロンジョ・タンズラー・ヤヤッキーの三人を北街道、アルファ・メルセデス・レクサスの三人を南街道の近辺に派遣し、彼等と共にオリバー組の「木造工作」に長けた者達を同行させた上で、アトロポス軍やクローソー軍が撤退しようとした時にその足を封じるような細工を施すように伝えた。これはすなわち、マーシーの進言通り、エースやハウルが他国へと亡命するのを防ぐための策であった。

 こうして、村の存亡を賭けての大規模な戦争を前に、村人達の動きも慌ただしくなりつつあったが、そんな中で一人、部外者のような態度で優雅にくつろいでいたのは、行商人のアストリッドである。彼女は、オリバーの妻・クレアが最近始めた小料理屋で、店長特製のクリームシチューを注文しつつ、村人達の様子を見物している。商売人である彼女は、君主達の争いなど、どちらが勝っても大差はないと思っている。もし、ここでゲオルグが倒されたとしても、それはそれで、今度は新たにこの土地の領主となった者と新たな取引を始めればいい、と割り切っていた。

「では、お手並み拝見させて頂きますよ、ゲオルグさん」

 そう呟きながら、クレアから出されたクリームシチューをじっくりと味わう。この村の貧相な食材で作られたにしては異様なまでに完成度の高いその味に舌鼓を打ちつつ、どんな状況でも笑顔を忘れない良妻クレアと共に、戦いに備える男達を静かに見守る彼女であった。

4.3.2. 困惑の戦場

 それから数日後、作戦決行の日が訪れた。ラキシス村から正式に両村に対して「支払い要求の拒否」を提示することで事実上の宣戦布告を通達すると、アトロポスとクローソーは「対ラキシス同盟に基づき、南北から同村を挟撃する」という建前の上で、共に進軍を開始する。しかし、実際には、どちらも裏ではラキシスと内通しているという、なんとも奇妙な状況であった。
 ちなみに、アトロポスからは、実質的にほぼ全軍が派遣されていたのに対して、クローソー軍は兵力の約半数を村の警備に残していた。この点については、やはりハウルの方が(エースがクローソーを狙っているという情報を持っている分)より慎重な立場だったようである。ただし、その分の兵力を、結果的にラキシスから派遣された「コーネリアス隊」と「ルルシェ隊」が補っていたため、見た目の戦力は「クローソー村の全軍」と大差なかった。
 こうして、両軍の視界にラキシス村が入ってきたところで、やがてアトロポス軍が「異変」に気付く。村の反対側に陣取っている筈のクローソー軍に、全く攻撃の意志が見られないどころか、その中にラキシス軍の兵士が混ざっているということに、アトロポス軍の先遣隊が気付いたのである。
 
「さて、どういうことですかね、これは?」

 独り言を呟くようにエースはリンに対してそう問いかけるが、リンとしても「さぁ?」としか答え様がない。実際、クローソーとラキシスが内通していることまでは、リンも知らされていないのである。
 しかし、やがて彼等の目の前にラキシス軍の姿が現れ、そして、明確に自分達に向けて武器を構えているのを確認して、どうやら少なくとも、ラキシス側には自分達と共闘する意志はないらしい、ということを理解する。

「なるほど。どうやら彼等も、我々と手を組んだフリをして、我々を騙し討ちにするつもりだったようですね。まったく、とんでもない悪党だ」

 それに続けて「私に負けないくらいのね」と言いたい気持ちを抑えつつ、エースは不敵に笑う。だが、ここまでは、エースの中でも想定の範囲内であった。こちらが相手を騙して陥れようとしている以上、相手も同じことを考えている可能性も当然考慮している。それが策謀家というものである。

「マイロード、どうやら、ラキシスとクローソーが手を組んでいる可能性が高そうです。ここは一旦、引きましょう」

 リンはそう提案するが、エースは敵の戦力報告を聞いた上で、それを否定する。

「大丈夫ですよ、リン君。どうやら、今、目の前にいる敵の戦力は、全軍ではないようです。どういう理由かは分かりませんが、一部は南方のクローソー軍と同行しているようですので、ここに到着するのは遅れることになるでしょう。ならば、今の段階で敵の本体を速攻で潰してしまえばいい。クローソーのハウルは臆病な男です。こちらが優勢だと分かれば、すぐにこちらに寝返るでしょう。もっとも、その時点で彼を許すかどうかは、状況次第ですけどね」

 このエースの計算は、間違ってはいない。確かに、実質的に戦力の約4割を欠いている状態のラキシス軍とアトロポス軍では、正面から戦えば明らかにアトロポスに分がある。その彼の軍略家としての目算は、確かに正しかった。少なくとも「軍略家」としては。

「分かりました。では、私はこれから全力で、ラキシス軍と戦います。エース様、どうか御武運を」

 意味深な表情を浮かべながらそう言ったリンの様子を奇妙に感じたその次の瞬間、リンは突然、ラキシス軍の前方に向かって、一人で突撃を始める。

「エース様に栄光あれ!」

 そう言って、魔法師の彼が一人、部隊を飛び出して敵陣の真正面に飛び出そうとしたのである。慌てて彼の部隊の者達が後を追うが、あまりの突然の出来事に、エースは一瞬、思考が錯乱する。

「ま、待ちなさい、リン君、何をするつもりですか!?」

 主君の声を無視して、彼は一人、ラキシス軍に向かって、ファイアーボールの魔法を叩き付ける。その一撃は、ラキシス軍のゲオルグ本隊とヒュース隊に大打撃を与えたかに見えたが、ゲオルグは瞬時の判断でその攻撃を見事にかわし、そしてヒュースも召還獣を盾とすることで、なんとかその場をしのぐ。どうやら、彼は「自分がこの戦いで死ぬ」という宣言通りに飛び出してはきたが、せめて最後の最後まで「エースの忠臣」として戦い抜く道を選びたいと考えているようである。
 そして、リンの部隊兵達はすぐに彼に追い付くものの、既に彼の立ち位置は、本来彼を敵の攻撃から守る筈の「ベラミヤの守備範囲」から大きく離れていた。そのことを確認した上で、ガイアは炎の元素弾で彼を攻撃しようとするが、やはり迷いがあるのか、弾に勢いがない。しかし、彼はそれを避けようともせず、正面からその一撃を身体で受ける。だが、いくら肉弾戦には不向きな魔法師とはいえ、そんな気の抜けた攻撃で倒れるほどのヤワな身体ではなかった。それに続けて、今度はコーネリアスとゲオルグが「殺さない程度の一撃」を加えようとするが、リンの部隊兵達による妨害もあり、それでも致命傷には至らない。
 すると、すぐさまベラミヤ隊とエース本隊がリン隊を庇うように合流し、そしてその後方から、弓隊と歩兵隊も駆けつけて、乱戦状態となる。

「リン君、何をやっているんですか。隊列を乱してはいけないと、常日頃からあれほど……」

 そう言って咎める主君の声を更に無視して、リンは再びその「隊列」を乱して走り出し、ラキシス軍に向かって単騎特攻をかける。明らかにその様子はおかしい。何かに取り憑かれているような、錯乱しているようにも思えたが、それでもエースの目には、彼が誰かに操られているようには見えなかった。明らかにエースの想定の範囲外の、全くもって理解不能な行動であったが、それでもそのリンの表情は、自分自身の強い信念に基づいて行動しているように思えたのである。

(どういうことだ? あのリンが、私を裏切るとは思えない。実際、彼はラキシス軍に向けて本気で攻撃している以上、ラキシスに寝返ったとは考えにくい。では、一体何のために、彼はこのような無謀な行動を……?)

 軍略家・策謀家としてのエースが、その頭脳をフル回転させて事態を把握しようとしている間に、戦場はより混乱を増していく。リンは、ベラミヤ隊が何度彼を庇おうとしても、その範囲から逃げ出そうとしており、それに対するラキシス軍の攻撃も、他の部隊に対しては明らかに本気で攻撃しているのに、リン隊への攻撃だけは、どこか本気とは思えない「中途半端な一撃」を繰り返すに留まっている。そうこうしているうちに、やがてラキシス軍に、遠方から飛び出したコーネリアス隊とルルシェ隊が加わる。そして更にその後方からは、クローソー軍も近付きつつある。

(合流されてしまったか……。だが、あのクローソー軍の動きから察するに、まだハウルは戦局を見定めている段階だろう。我々がここでラキシス軍に対して優位を示せば、奴は間違いなくこちらにつく。だが、そのためにはリンが「本来のリン」に戻ってもらわなければならない。しかし、その原因が分からなければ……)

 主君がまだ状況を把握しきれていない中、リンの暴走と、それを守ろうとするベラミヤ、そして彼を殺さない程度に無力化しようとするラキシス軍という、奇妙な戦局が展開される。だが、コーネリアス隊とルルシェ隊が到着したことにより、その他の部隊との戦闘では明らかにラキシス軍が優勢となり、少しずつ着実に、アトロポス軍はその戦力を削がれていく。

(まずい……、このままでは、戦局を立て直せない。せめて、リンの暴走の原因が分かれば……。今の彼は明らかに「私に忠義立てした上での玉砕」を望んでいる。では、その理由は何だ? 彼の中で私の命令よりも優先すべきものがあるとしたら、それは一体……?)

 その時、エースの脳裏に、ようやく一つの仮説が浮かび上がる。

(そうか! そういうことか。リンが「どうしても命を救ってほしい」と言っていた、あの女指揮官か!)

 エースは合理主義者である。故に、恋愛感情というものについては、その存在そのものは認識していても、それが時として「忠義心」以上に人間を暴走させるということを、どうしても忘れがちになる。そんな彼には、リンが「自らの命を捨ててまで、ガイアとの戦いを回避する」という選択肢を選ぶなど、そう簡単に思いつく筈がない。しかし、彼がそう考えた上で、ガイア達がその彼を「殺さずに無力化しようとしていた」と考えれば、ここまでの展開は全て辻褄が合う。
 だが、ようやくそのことに気付いたところで、既に手遅れであった。主力であるエース本隊とベラミヤ隊はまだ無傷であったものの、リン隊が既に壊滅状態にあり、他の部隊の多くも疲弊しているのを確認したクローソー軍が、アトロポス軍に向かって襲いかかったのである。まだそれでもアトロポス軍には抵抗する力は残ってはいたが、これだけの敵を殲滅するには、リンの魔法力がどうしても必要になる。だが、それがもはや期待出来ないということが分かった時点で、エースに残された選択肢は一つしかなかった。

「…………やむを得ませんね。降伏です! 白旗を掲げなさい!」

 彼がそう言うと、それまで一人で勝手に暴走を続けていたリンは、満身創痍の身体のまま一瞬だけ笑みを浮かべて、素直にその場にタクトを捨てる。他の兵達も次々と武器を捨て、無抵抗の意志を示した。「まだ戦える」と考えていた兵達もいたが、主君の命令は絶対である。アトロポス軍は、軍略に長けたエースの命令に忠実に従うよう徹底訓練された組織であり、その規律こそが強さの源であった。逆に言えば、その規律を「ガイア」という一人の女性によって乱されていた時点で、最初から彼等に勝機は無かったのである。
 こうして、「ラキシスの領主ゲオルグ」としての初陣は、実質的な主力同士の戦いを経ぬまま、あっさりと幕を閉じることになった。リンを殺さぬまま戦いを終えられたことにガイアは歓喜し、一般兵達も勝利の喜びに満ち溢れていたが、そんな中で一人、ゲオルグは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

「降伏、だと…………。くっ、やむをえんか……」

 彼としては、このタイミングでエースを討ち取り、その聖印を実力で奪い取るつもりでいた。それは、マーシーに言われたからではなく、彼自身の中でも、このエースという男は「この時点で葬っておかねばならない存在」と考えていたからである。だが、この世界の戦争にも実質的な「不文律」がある。まだ抗戦が可能な状態にも関わらず、自ら無抵抗の意志を示した者の首を奪うことは、君主としての価値を貶め、領主としての信望を失う(しかも今回の場合、「誰が見ても相手方が全面的に悪い」と言えるような戦争でもない)。それ故に、彼が降伏する前に彼を着実に殺しておきたかったのである。
 だが、現実問題として、ベラミヤがエースを守り続ける以上、彼を討ち取るには多大な犠牲を払うことを覚悟しなければならない。その役割をクローソー軍に押し付けるというのが当初の戦略であったが、そのクローソー軍がなかなか動かず、ようやく彼等が動き出した時点でエースが白旗を上げてしまったのであるから、ゲオルグとしても、他に打つ手がなかった。故に残念ながら、今回はエースの「見極めの早さ」を認めて、彼の降伏を受け入れるしかなかったのである。

4.3.3. 山岳三村の盟主

 降伏したエースは、武器を捨てた状態のまま、堂々とした態度でゲオルグの陣営に姿を現す。その表情は、敗軍の将とは思えぬほど晴れやかで、どこか清々しい面持ちであった。ゲオルグの周囲には側近達が集まり、更にその傍らには、遅ればせながらも援軍に加わったクローソー領主のハウルの姿もある。

「一軍の将としての、そして一国の領主としてのあなたの実力、感服致しました。私の完敗です。あなたこそ、まさにこの山岳街道の支配者にふさわしい御方。そうは思いませんか、ハウル殿?」

 突然、話を振られたハウルは驚きつつも、黙ってその問い掛けを無視する。

「そしておそらく、あなたの才覚であれば、いずれはこの旧トランガーヌ領、いえ、このブレトランド全土を平定することが出来るでしょう。あなたがそれに足る器の持ち主であることは、この私が保証致します」

 いけしゃあしゃあと言ってのけるエースに対して、ゲオルグは剣を突き付ける。

「貴様、それが刃を向けた相手に対する態度か?」

 しかし、エースは全く動じず、眼鏡の奥に鋭い眼光を浮かべつつも、笑顔で答える。

「あなたはこれから、この小大陸の多くの諸侯を従えることになる君主です。私ごときを受け入れられないような器の小さい御方である筈がない。それに、あなたの陣営にはマーシーもいる。こうして私を傘下に加えることになったのも、何かの縁でございましょう」

 不敵な表情を浮かべながら、そう言ってエースは自らの聖印をゲオルグに差し出す。

「あぁ、そうだな。全くもって、その通りだ」

 不機嫌にそう言い放ったゲオルグは、黙ってその聖印を受け取り、自らの聖印に融合させた上で、改めてその聖印の一部を切り取り、エースに渡す。ゲオルグにとって初めての「従属聖印」の誕生である。

「エース・クロフォード、そなたを私の配下として認め、我が領土であるアトロポス村を任せる」

 ゲオルグとしては甚だ不本意ではあったが、この状況下で、多くの兵達が見守る中、無抵抗のエースを斬り捨てることは出来なかった。そして、自分の配下となった以上、ひとまずエースには、今まで通りにアトロポス村を任せて、北方への防波堤とすることが最良の策であると考えていたのである。これまでの動向から察するに、このまま素直に自分に従うとは考えにくい男を傘下に抱え込むことになってしまったが、エースが言っている通り、それもまた「大国の君主」を目指す者としては避けられぬことであろう。

「ところでお主、今、マーシーがどうとか言っていたが、どういうことだ?」

 それに対して、それまで「取り繕った笑顔」を続けていたエースが、初めて本気で意外そうな顔を浮かべつつ、答える。

「おや、ご存知なかったのですか? あなたの村にいるマーシー・リンフィールドは、私の実の妹です」

 エース曰く、彼はリンフィールド家の一員として生まれながらも「先読み」の才能に恵まれず、代わりに「聖印」を生み出せる体質であることが分かったため、クロフォード家に養子に入ったのだという。その事実を知ったルルシェは、マーシーが実の兄に対して「息の根を止めるべき」と考えていたということに驚愕し、改めて、彼女と自分は分かり合えない存在だと認識するようになった。

「ともあれ、これでこの山岳三村のうち、二つがめでたくゲオルグ様の傘下に収まった訳ですが……、さて、ハウル殿、どうなさいます?」

 そう言って、彼は眼鏡越しにハウルに鋭い視線を向ける。ここでようやくハウルは先程の自分への問い掛けの意味を理解した。ゲオルグの傘下に入ったと同時に、この男は、次はラキシス軍と共に自分を攻撃しようとしている、ということを。それが「ゲオルグへの忠誠を示すため」なのか、「『自分達』の領土を増やすため」なのか、それとも「裏切ったハウルへの復讐のため」なのかは分からない。だが、現実問題として、まだアトロポス軍もラキシス軍も、多少疲弊しているとはいえ主力は温存されている。それに対して、自分は主力の半分を村に残してきたため、今この時点で両村の戦力を相手に同時に戦うのは、どう考えても無謀すぎる。
 そのことに気付いたハウルは、エースの問い掛けを再び無視した上で、ゲオルグが何かを口にする前に、まず自分から彼に対して語りかけた。

「お初にお目にかかる。お主がゲオルグ殿だな。私はクローソー村の領主ハウル・ヴァーゴだ。妹君から、貴殿の話は聞かせてもらっている。ぜひともお会いしたいと思っていたところだ」

 そう言って、あくまで「対等な立場」として自分に近付いてきたハウルに対して、ゲオルグは妹がまた自分の武勇伝を過度に誇張して伝えているのではないかと不安に思いつつ、素直に受け答える。

「いかにも、私がゲオルグ・ルードヴィッヒだ。今回の御助力、感謝する」

 そう言って、ゲオルグは鋭い眼光をハウルに向ける。その眼差しを受けたハウルは、自分がアトロポス軍への攻撃を(戦局の流れが確定するまで)ためらっていたことを責められているかのような、そんな錯覚を受けつつ、その視線に怯まずこう問いかけた。

「一つ、お伺いしたい。私に関するあらぬ流言を流したのは貴殿ではないと聞いたが、それは本当か?」

 ハウルとしては、この点だけはどうしても確認しておきたい。今後、ラキシスとどのような形で接していくにせよ、自分の名誉を汚されたまま、その汚した相手をそのまま放置しておくことは出来ないと考えていたのである。既にルルシェの説得により、ゲオルグがその犯人であるという疑惑は彼の中ではかなり薄まってはいたが、それでも、公のこの場で明確に否定してもらうことが、彼の体面のためにも必要であった。

「あぁ。誰が流したのかは知らんが、少なくとも俺達ではないことは確かだ」

 ゲオルグがそう断言すると、それに続けて、それまでずっと黙っていた、ハウルの契約魔法師であるイクサが、おもむろに口を開く。

「マイロード、私はこの領主の言うことを信用しても良いと思います」

 彼はもともと、どちらかと言えば無口な男であり、このような場で発言すること自体が珍しかった。だからこそ、ハウルには、彼の言葉に不思議な重みが感じられた。

「私は今回の流言策は、おそらく狡猾な軍師的な魔法師の仕業であろうと考えていました。しかし、今、確認したところ、この領主の契約魔法師は、そのような器用なマネが出来る男ではありません」

 そう断言するイクサの目線の先にいたのは、ヒュースである。実はヒュースはこれまでずっと黙っていたが、このイクサという男、魔法学院時代にヒュースが生活していた学生寮の寮長だった人物であり、ヒュースとは顔馴染みだったのである。ヒュース自身は、実は隣村に彼がいることを風の噂で聞いてはいたのだが、あえてそのことを口にしなかった。それは、この「元寮長」は静動魔法師(サイキック)で、寮則を破った学生の内臓を魔法で握り潰すことを「趣味」として楽しむような男であったため、ヒュースの中では「あまり係わり合いになりたくない人物」として認識されていたからである。だが、イクサの側は、ヒュースのことは「優等生」として好意的に見ていたようで、それが結果的に、思わぬ方向から「無罪」のお墨付きをゲオルグに与えることに繋がったようである。
 だが、その一方で、ゲオルグの側には、ハウル側が本当に「無罪」なのかどうかを確かめる術はない。ただ、正直なところ、ゲオルグとしては、既にオリバー組という優秀な駒が手に入った状態である以上、今更、その噂が本当か嘘かはどちらでも良かった。故に、この男が「あらぬ流言」と言っている以上、それが本当にただの流言なのかどうかを、あえてここで問い質す必要もないと考えていたのである。
 それ故かどうかは分からないが、ゲオルグの上述の発言は、それが「誰かが流した噂」であることを間接的に認めているかのようにも取ることが出来るような言い回しであった。今のハウルとしては、それで自分の最低限の名誉が守られたと確信した上で、こう告げる。

「私はまだ、お主に聖印を預ける気にはなれん。だが、お主の妹君があそこまで熱弁するほどの存在だというのであれば、ひとまずお主のことは、我がクローソーを含めた『山岳三村の盟主』として認めよう」

 あくまでも「上から目線」ではあるが、実質的にゲオルグを自分の「盟主」として認める発言である。無論、聖印を預けないということは、いつでも他勢力に寝返る可能性があるということであるし、現在の自分の「クローソーの領主」としての地位を保全することを「当然の大前提」とした上での発言でもあるが、ゲオルグはその言い分を素直に受け入れつつ、こう付け加える。

「今はそれでいい。いずれそのうち、お前を含めたこのブレトランドの全ての領主に、自ら俺に聖印を捧げることを認めさせてみせる」

 こうして、「ラキシス村の領主」であったゲオルグは、この戦いを通じて実質的に「山岳三村の領主」としての肩書きを手に入れることになったのである。
 
4.4. エピローグ
 
 戦いを終え、屋敷に帰還したゲオルグは、マーシーに事の顛末を告げる。

「なるほど、そういう状況であれば、兄を殺せなかったのも、やむを得ぬことですね」

 あっさりと、マーシーはエースのことを「兄」と認める。そこには何か複雑な兄妹関係があるのかもしれないが、そんな個人的な事情まではゲオルグの知ったことではなかった。

「ただ、我が兄エースは信用出来ない男です。くれぐれも、お心を許すことはなきようお願いします」
「あぁ、俺もそのつもりだ」

 そう言って、ゲオルグは一人静かに私室に戻り、ゆっくりと休眠を取る。色々と予定外の事態が続いたが、結果的に、山岳三村の支配権を手に入れることが出来たのは事実である。このたった一日の戦いを通じて、自分の領土が一気に三倍に増えたこと。今は、それだけでも十分に満足すべきであると自分に言い聞かせていた。

 一方、「独立領主」から「従属領主」へと成り下がることになってしまったエース・クロフォードは、気を取り直して、改めて自分の部下達に、これからも自分のために尽力するように働きかけていた。彼の部下の中には、あまりにも早すぎる降伏に納得がいかなかった者もいたが、彼の迅速な判断のお陰で命を助けられた兵達は、むしろこれまで以上に彼のために働こうと決意を固めていた。
 もともと、本来のエースは「トランガーヌ子爵の従属領主」としてのアトロポスの領主であり、独立領主であった時期の方が短い以上、誰かの傘下に加わること自体に、それほど強い抵抗がある訳でもない。ただ、彼自身の中で、「あわよくばこの戦乱に乗じて自分が……」という野心があったのも事実である。だが、ひとまず今はその野心は封印し、「ゲオルグ陣営のNo.2の君主」としての立場を確保することを最優先事項と考えていた。

「そういう訳で、リン君、君は君で色々と思うところがあったのでしょうが、これから先もよろしくお願いしますよ」

 今回の敗戦の原因を作ったリンに対して、エースはそう言って「お咎め無し」という裁定を下した。リンの中で「主君よりも大切な存在」がいることを知ってしまったエースではあるが、既にその存在が「味方陣営」となった以上、今後は同じ様なことが起きることはないだろう、というのが彼の目算である。これに対して、事情を知らない多くの部下達の中には異論を唱える者もいたが、そういった人々に対しては、エースはこう言い切った。

「彼には、私が密かに立案した秘策のために、あえて奇行を演じてもらったのです。その策が失敗したのは、私の読みの甘さが原因です」

 この領主の「寛大な措置」に感銘したリンは、これから先はより一層、彼のために尽くそうと決意する。出来ることなら、この戦いが終わった後はラキシスに帰ってガイアと一緒に暮らしたいと考えていたリンであったが、その願いが叶うのは、もうしばらく先の話になりそうである。

 そして、ハウルとオリバー組との確執に関しては、ひとまず「全ては誤解が招いた不幸なすれ違い」であるということをオリバーも(渋々ながらに)認めたことで和解が成立し、今後はオリバー村の面々が両村の採掘に参加するということで、合意に至った。彼等の仕事量は倍に増えることになるが、新弟子候補を募るなどして、なんとか対応していくつもりである。
 そんな中、ようやく通商ルートが回復したことで、大陸への帰還の術を手に入れたアストリッドは、名残惜しそうにオリバーの妻クレアのクリームシチューを頬張る。どうやら、すっかり彼女も(オリバー組の人々同様)このシチューの虜になってしまったらしい。

「ねぇ、クレアさん、どうやったら、あんな材料からこんな美味しいシチューが作れるの?」
「それは秘密です。まぁ、しいて言うなら、『食べてくれる人への愛情』ですかね」

 良妻店長とそんなやりとりを交わしつつ、アストリッドはこの村を後にする。そして、この彼女の「クレアさんのクリームシチューへの執着」が、ラキシス村に次なる目標と試練を与えることになろうとは、誰も予想していなかった。

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最終更新:2014年09月24日 03:45