第1話(BS04)「見捨てられた村」 1 / 2 / 3 / 4


1.1.1. 流浪の兄妹と辺境の予言者

 ゲオルグ・ルードヴィッヒ(下図上段)は、流浪の騎士である。彼は貴族の家に生まれたが、数年前、混沌災害によって、両親と、兄と、所領の全てを失った。その混乱の最中で「聖印」に目覚めた彼は、生き残った唯一の肉親である妹のルルシェ(下図下段)を連れて、傭兵稼業を営みながら、各地を放浪することになる。自分の家族を奪った混沌(カオス)を倒すために必要な「力」を身につける、それが今の彼の行動原理であった。


 そんな彼は今、その妹のルルシェと共に、ブレトランドの片田舎に位置するアトロポス村に立ち寄っていた。この村は元来、ブレトランドの三大勢力の一つ・トランガーヌ子爵領の一部であったが、同子爵がアントリア子爵ダン・ディオードに敗れて行方不明となった後は、アントリア子爵領とヴァレフール伯爵領の間に位置する中立諸村の一つとして、両陣営の緩衝地帯の一角を形成している。
 ゲオルグとしては、今のところ、アントリア陣営にも、ヴァレフール陣営にも組するつもりはない。彼は混沌に対しては極めて強い憎悪を燃やしてはいるが、権力者同士の勢力争いに関しては、今のところ何のしがらみも持たないため、積極的に誰かに協力する理由も、誰かと戦う理由もなかったのである。あくまでも彼にとって優先的に戦うべき相手は「混沌」であり、この日も彼は武者修行の一環として、魔物退治の依頼でも探そうかと、この村の酒場に立ち寄っていた。
 そんな中、村の名産品を用いた料理と酒を口にしながら、今後の方針について妹と語り合っていた彼の目の前に、一人の「眼鏡をかけた女性」が現れる(下図)。


「ようやく見つけることが出来ました、マイロード」

 そう言って、その女性は深々と頭を下げる。だが、ゲオルグには、自分のことを「我が君主」と呼ぶような人物に心当たりはない。この女性とも初対面の筈である。

「おいおい、俺は放浪の騎士だぜ。誰かに『ロード』と呼ばれるような身分じゃねえよ」

 グイっと酒を飲みながら、彼はそう答える。確かにゲオルグには聖印(クレスト)がある。この世界では「聖印を持つ者」の総称としての「君主(ロード)」という言葉はあるが、それはあくまでも、エーラムの魔法学院(マジック・アカデミー)の判断によって、「この世界を統治する権利を持つ者」として認められているという意味であって、実際に統治する土地や人を持たない者達もその中には含まれている。
 現在のゲオルグは、まさにその「土地を治める権利はあるが、実際に土地を有してはいない君主」の一人である。彼の聖印は魔法学院の基準で言えば「騎士(ナイト)」に相当し、標準的な村一つ程度を治める資格の持ち主であることをエーラムに認められる立場ではあるが、実際には所領も家臣も何一つ持っていない。彼の傍らにあるのは、身の回りの武具と、一匹の馬と、そして彼と共に行動する妹だけである。
 つまり、今の彼は「学院が用いる専門用語としての『君主(ロード)』ではあるが、一般名詞としての『君主』と呼ぶには値しない人物」ということである。少なくとも、彼自身はそう認識していた。

「いえ、あなたは間違いなくロードです。それも、このブレトランド小大陸の運命を握る宿命を抱いて生まれたロード、それがあなたです」

 強い自信と確信に満ちた表情で、彼女はゲオルグにそう告げる。その強い眼差しで見つめられたゲオルグは、やや顔付を改める。

「ほう、では、その大陸を統べるロードに、あなたは何の用なんだい?」

 正確に言えば、その女性は「小大陸の運命を握る」と言っただけで、「大陸を統べる」とまでは言っていない。ただ、今のゲオルグにとっては、この女性の言っていることはそれと同じくらい突拍子もない話、という認識のようである。

「申し遅れました。私、マーシー・リンフィールドと申します。我が一族は代々、この土地の未来を『予言』し続けてきました」

 つまり、彼女はエーラムの魔法学院の分類によるところの「時空魔法」の使い手、ということである。しかし、どうやら彼女はその技術をエーラムで学んだ訳ではなく、この地に伝わる一族の秘伝として継承している者らしい。このような者達を、学院は「自然魔法師」と呼んでいる。

「なるほど、名前は聞いたことがある。リンフィールドの『先読み』の一族か」
「はい。私はこの小大陸を救える聖印の持ち主をずっと探していました。そして、遂に見つけたのです、あなたを」

 何の根拠があってそう言っているのかは分からない。だが、ひとまずこの女性の話を聞いてみようと思ったゲオルグは、そのまま耳を傾ける。

「そして、まずはあなたの覇道の第一歩として、ラキシス村を救って頂きたいのです」

 ラキシス村とは、このアトロポス村の隣に位置する、小さな辺境の村である。この村もまた、アトロポス同様、トランガーヌ子爵の直轄地の一つだった。ただ、アトロポスにはトランガーヌ子爵の配下の従属騎士が「領主」として赴任していたのに対し、ラキシスにはもともと固有の領主は存在せず、トランガーヌ子爵自身の直轄地の一つであった。それ故に、彼がダン・ディオードに敗れて失踪して以来、君主不在の状態が続いているのである。
 一般的には、支配者としての君主が不在となった場合、このアトロポス村を初めとする近隣の村々の領主達がその地を傘下に治めようと相争うものなのだが、ラキシス村に関しては、どの君主達も手を出そうとはしなかった。なぜなら、この地の近辺は混沌濃度が高く、魔物が出現しやすい立地であるため、微弱な聖印しか持たない小領主にとっては、非常に統治しがたい土地なのである。しかも、特にこれといって目立った産業もなく、戦略的に重要な立地でもないため、あえてその地を領有しようと考える者は現れなかった。
 そんな中、最近になって「ドクロ団」と名乗る山賊達がこのラキシス村に現れ、「自分達が村を魔物から守ってやる」と言い出し、実質的に村の支配権を掌握することになったらしい。それは二人の邪紋使いと一人の魔法師によって率いられた集団であり、確かに魔物達と戦う能力には長けているが、魔物の発生源である村の近くの「魔境」そのものを浄化する能力は持たないため、根本的に混沌を消し去ることは出来ない。それに加えて、彼等は村人達を相手に法外な「報酬」を要求してくるため、彼等の支配に反発する人々も増えつつあるという。
 マーシーとしては、まずゲオルグがこの村を山賊の支配から開放し、彼自身が領主としてラキシスを領有することで、彼の「覇道」の足掛かりにして欲しい、と考えているようである。

「ほう、なるほどな。確かに面白そうな話だ。ルルシェ、お前はどう思う?」

 隣でずっと話を聞いていた妹のルルシェは、訝しげな視線をマーシーに向ける。どうも彼女の言うことが回りくどすぎて、今ひとつその真意が掴みかねているようである。隣の村を救ってほしいならば、小大陸がどうこうと言った大風呂敷を広げる前に、まず最初にその話をすればいいのに、と彼女は考えていた。

「お仲間の方ですか?」
「あぁ。俺の、ただ一人の妹だ」

 そう言われたマーシーは、なぜか驚いた表情を見せる。

「妹?」
「はい。妹ですが?」

 マーシーから不審な視線を向けられたルルシェは、露骨に不機嫌そうな顔でそう返す。確かに、彼女は兄とはあまり似ていない。また、生前の両親や屋敷の人々の態度の端々から、自分の出生には何か特別な裏事情があるらしい、ということを感じることもあった。だが、それでも彼はゲオルグのことを「兄」と信じ、幼い自分を助け続けてくれた彼のことを深く敬愛している。そんな兄との関係を、初対面の女性にいきなり疑われたことは、彼女にとっては甚だ心外であった。

「私の予言には、妹という存在は…………、あ、いや、すみません。では『妹殿』ということで」
「何なんですか、あなたは!?」

 さすがに堪えかねたルルシェが声を荒げると、ゲオルグが苦笑しながら止める。

「まぁまぁ、ルルシェ、ちょっと落ち着けって」
「失礼しました。ともあれ、私としては、ラキシス村を救ってほしいのは当然ですが、それだけでなく、このブレトランド全体で巻き起こっている戦乱を収めるために、あなたの力をお貸し頂きたいのです」

 どうやらマーシーは、ルルシェが内心で思っていたことを、その視線から読み取っていたようである。彼女の中ではルルシェの存在は「想定外」だったようだが、それでも、初対面の彼女の心理を即座に理解出来るあたり、やはり「予言者」としての力は相当なものらしい。もっとも、それが分かっていたところで、「相手の精神を逆撫でしない態度」が取れるとは限らないようはであるが。

「そうか…………。分かった、そろそろこの旅にも飽きていたところだからな。いいぜ!」

 そう言って、彼は食べていた料理をテーブルに叩き付ける。どうやら、彼の中での「君主」としての「覇道」が目覚めたようである。

「ルルシェ、次の行き先が決まったぞ。ついて来い!」
「はい、『兄さんに』ついていきます」

 ルルシェはそう言ってマーシーを牽制しつつ、彼女もまた、彼と共にラキシス村へと向かう決意を固める。混沌災害で家族を失って以来、彼女の人生はこれまで常に兄と共にあった。そんな二人の前に現れたこのマーシーという女性に対しては今ひとつ信用は置けないものの、兄が彼女の依頼を受けると言った以上は、ついていかない理由は彼女にはない。
 こうしてゲオルグ・ルードヴィッヒは、「人々を救う流浪の騎士」から、「人々を束ねる戦乱の覇王」へと、その人生の舵取りを大きく変えることになったのである。

1.1.2. 魔犬を連れた学院生

 その頃、そのアトロポス村にほど近い、アトロポス・ラキシス同様の中立諸村の一つであるクローソー村には、一人の召還魔法師が訪れていた。彼の名はヒュース・メレテス(下図)。エーラムの魔法学院の学生であり、エーラムの中でも屈指の名門・メレテス家の一員である。


 彼もまた、ゲオルグと同様、混沌災害によって故郷の村を失った孤児であった。その後、各地を転々としていく過程で病に倒れ、心身共にボロボロだったところを、現ヴァルドリンド辺境伯国宰相でもある魔法師のアウベスト・メレテスに助けられ、その際に魔法師としての素質を見出され、彼の養子としてメレテス一門に迎え入れられることとなったのである。
 そんな彼にとってアウベストは養父であり、師匠であると同時に大恩人でもあるのだが、そのアウベストから、彼は一つの依頼を託されていた。それは、数年前に契約相手となる君主を捜してブレトランドに旅立ったまま行方不明となっている兄弟子ヤヤッキー(下図)の捜索である。


 彼はそれなりに優秀な錬金術師ではあったが、人格的にはあまり高潔とは言えず、自分より格上の者には卑屈に媚び諂う一方で、後輩の面倒見が悪く、それでいて若い女学生には積極的に手を出そうとする(しかし、誰からも相手にされない)など、非常に評判の悪い学生でもあった。おそらくはその性格故に、卒業が決まった後も契約相手が見つからないまま、ブレトランドの各地の君主達に自分と契約してもらえるように売り込みに行ったようなのだが、その過程で音信不通となってしまったのである。
 ヒュースにとっては、決して一緒にいて心地良い先輩ではなかったが、それでも彼の魔法師としての実力は認めている。そして何より、尊敬する師匠の依頼ということであれば、断る訳にはいかない。そう考えた彼は、ブレトランド各地を転々としつつ、様々な噂話を聞き集めて彼の目撃情報を整理した結果、どうやらこのクローソー村の近辺で、彼らしき人物を見かけたという話に辿り着く。しかし、その村で彼を待っていたのは、驚くべき真実であった。
 どうやら、ヤヤッキーは現在、「ドクロ団」と名乗る山賊団の一員として、隣のラキシス村を支配しているらしい。一応、名目上は「村を混沌から守るため」と標榜してはいるものの、実質的には彼等の支配に対して辟易している村民も多いという噂は、このクローソー村にも度々伝わっているようである。

「何やってんだ、あの馬鹿兄弟子は……」

 村の酒場でその話を聞いたヒュースは、一人静かに心の中で憤る。エーラムの魔法師は、人並みはずれた力を得る代償として、その人生に大きな制約を課される。学院に残って魔法の研究を続けるか、混沌を浄化する力を持つ君主と契約するか、その二拓以外の生き方は許されない。村人達の話を聞く限り、ドクロ団に君主はいないようなので、現在の彼は(たとえそれが本当に村人のためであったとしても)「自分自身」あるいは「学院でも君主でもない者」の意志に基づいて魔法を使っていることになる。これは明確にエーラムの原則に反する行為と言わざるを得ない。このような行為に走る者のことを学院は「闇魔法師」と呼び、その存在そのものが学院に対する敵対行為としてみなされる。
 名門メレテス家の一員として、彼の行為をこのまま見過ごす訳にはいかない。そう決意を固めた彼は、酒場の外に留めていたオルトロス(巨大な黒い双頭の魔犬)の「ガル」を連れて、ラキシス村へと向かうことになる。ちなみに、この「ガル」は彼が固定召還した混沌体であり、召還師としての彼にとっては相棒的存在であるが、召還師の存在自体をよく知らない人も多いブレトランドの片田舎では、彼を連れて歩いているだけで、当然、周囲の人々は彼に近寄ろうとはしない。だが、エーラムの学院内での生活が長かった彼は、そんなことまで配慮出来るような常識は持ち合わせていなかった。

1.1.3. 山村の自警団長

 一方、渦中のラキシス村においては、その「ドクロ団」と名乗る山賊達への対応を巡って、多くの者達が頭を悩ませていた。この村の自警団をまとめる女団長のガイア(下図上段)も、その一人である。だが、彼女の悩みは、他の者達とはやや異なっていた。というのも、ドクロ団を束ねている「三頭目(二人の邪紋使いと一人の魔法師)」の中の実質的なリーダーである女傑・オロンジョ(下図下段)は、彼女の実の姉なのである。


 オロンジョは、かつては正義感に燃える姉であった。しかし、彼女は数年前、「私は、この世界を救う君主になる」と言って村を飛び出してから行方知れずとなっていた。そんな彼女が村に戻ってきたのがつい数ヶ月前。しかし、彼女は「聖印(クレスト)」を持つ君主ではなく、身体に「邪紋(アート)」を埋め込んだ邪紋使いとして、山賊を率いて帰ってきたのである。
 君主を目指していた者が邪紋使いとなること自体は、それほど珍しい事例ではない。というのも、君主として聖印を生み出せるか否かは、各人が生まれ持った資質によると言われており、その資質がない者が混沌核に触れてしまった場合、混沌に完全に身体を支配されるか、もしくはその混沌を「邪紋」として身体に取り込むか、そのどちらかの道しかない。
 おそらく、オロンジョにはその資質が無かったのであろう。そう考えれば、彼女が混沌に乗っ取られることなく、邪紋使いになることが出来たのは、むしろ喜ばしい結果である。その能力が混沌そのものの力であるが故に、(この世界の支配者となることを認められた「君主」とは対照的に)人々からは禍々しい存在として敬遠されることも多いが、それでも実質的に人々を助ける力を有しているという意味では、君主や魔法師と大差ない。
 実際、妹であるガイア自身もまた邪紋使いであり、彼女はその力を用いて、自警団の仲間と共に村人達を混沌の魔の手から守り続けてきた。それ故に、彼女は当初、姉であるオロンジョが邪紋使いとして村を守ると言い出してくれたこと自体は喜ばしく思えた。しかし、彼女達は確かに村を襲う魔物達とは戦ってくれるものの、その「報酬」として法外な金品や(村内の様々な施設における)特別待遇を要求し、村人を相手に横柄な態度を取り続けた挙げ句に乱暴狼藉を繰り返すなど、村人達にとっては、ある意味で魔物達以上に「厄介な存在」となりつつあったのである。
 少なくとも、ガイアの知っているオロンジョは、たとえ君主としての道が閉ざされたとしても、このような横暴を許す人物ではなかった。なぜ、彼女が変わってしまったのか? 彼女の行動には何か特別な理由があるのか? まだ彼女の中にも「悪を憎み、理想を求める心」が残っているのではないか? 様々な想いが、ガイアの心を苦しめる。
 ちなみに、同じ邪紋使いの中でも、妹のガイアは「炎」の力を用いる「エーテル」と呼ばれるタイプの邪紋が身体に刻まれているのに対し、姉のオロンジョは、この世界とは異なる「タツノコーン界」の英雄に自らを擬態化させた「レイヤー」の邪紋の持ち主であった。ただ、どうやら彼女が模倣しようとしている「英雄」は、どうやら一般的な「正義の味方」としての英雄とはやや異なるタイプのようで、彼女はドクロや角など、どちらかと言えば禍々しい装束に身を包んでいる。もしかしたら、彼女が道を踏み外してしまった原因は、その「模倣する英雄の選択」の段階にあったのかもしれない。
 そんなことを考えつつ、これからどうやって姉と向き合っていけば良いのかと悩んでいた彼女の元に、部下の団員が駆け込んできた。

「団長、巨大な魔犬を連れた不審人物が、村に近付いています」

 巨大な魔犬、と言われても、彼女には心当たりが一切ない。

「一体、それはどこのどいつだ?」
「分かりません。魔法師っぽい姿をしているんですが、もしかしたら、あの山賊の仲間かもしれません」

 確かに、君主(領主)のいない荒れ果てたこの村に、魔法師が一人で訪れる理由は思い当たらない。普通に考えれば、ドクロ団の仲間である可能性は高いと言えるだろう。

「分かったわ。私が出向く」

 そう言って、ガイアは弓と剣を持ち、完全武装した状態で、この村へと続く唯一の街道へど向かう。すると、そこに現れたのは、オルトロスを連れた一人のエーラムの魔法学院生、ヒュース・メレテスであった。

「そこの者、この村に何しに来た?」

 そう問われたヒュースは、エーラムの魔法学院の学生証を見せた上で(と言っても、ブレトランドの片田舎に住む村人にすぎないガイアには、それが本物なのかどうかを判別することは出来ないのであるが)、事情を説明する。自分の不肖の兄弟子であるヤヤッキーという魔法師が、この地で山賊行為をはたらいていると聞き、彼を捜しに来た、という旨を素直に伝えると、ガイアはまだ警戒した様子で彼に問いかける。

「あなた自身は山賊ではないのか?」
「まさか! そんな師匠の名を汚すようなことを」
「見つけた後は、どうする?」
「連れ戻しますよ、あの馬鹿を」

 ヒュースの態度から、嘘は言っていないようだと判断した彼女は、ひとまず彼の入村を許可することにした。ヤヤッキーとは、確かにドクロ団の三頭目の一人の名である。もし、この男が彼をエーラムへと連れ帰ってくれるのであれば、山賊団の支配を終わらせる契機になるかもしれない。無論、この男の言っていることが本当だと確信出来る要素は何もない以上、彼が山賊団、あるいは他国の間者である可能性も十分に考慮すべきではあるが、「いざとなったら、自分がこの男を止めれば良い」と割り切っていた。それくらいの自信は、村の警護を任され続けてきた彼女には備わっていたのである。

1.1.4. 復讐に燃える少年

 こうしてヒュースを見送った後、ガイアはそのまま村の近辺の巡回に回ろうとしていたが、その彼女の背後に、人の気配を感じる。だが、彼女がそれに対して何か反応しようとするよりも先に、その気配の持ち主は剣を彼女の首筋につきつける。
 それは、一見すると「ただの子供」にしか見えないほどの小柄な少年であった(下図)。


「お前は、幻想詩連合(ファンタジア・ユニオン)か? それとも……」

 その少年はそう問いかけようとするが、次の瞬間、自分が剣をつきつけている女性が「顔見知り」であることに気付いた。

「あ、あんた、ガイア姐さんか!?」

 それまでの険しい表情から一変し、慌ててその少年は剣を収める。

「久しぶりじゃない。どうしたの?」

 ガイアは涼しい顔のまま、久しぶりに会った「弟分」にそう語りかけた。彼の名は、コーネリアス・バラッド。彼は以前、トランガーヌ子爵直属の武官として、ラキシス村に赴任していたことがあり、その時にガイアとは顔馴染みになっていたのである。
 彼はもともと、トランガーヌ子爵傘下の騎士団長であった名将アウグスト・バラッドの息子であった。父の力になりたいと思いつつも、君主としての資質に恵まれなかった彼は、シャドウの邪紋使いとなり、父と共にトランガーヌ子爵領の治安を守る軍人としての道を選んだ(その邪紋を手に入れる過程で、なぜか身体の成長が止まってしまい、既に14歳になった筈の彼だが、見た目は10歳程度にしか見えない)。しかし、一年前のアントリア軍の電撃侵攻の前に父は無念の死を遂げ、彼が所属していた部隊も壊滅状態に追い込まれてしまったのである。
 その後、彼は父の仇であるアントリア子爵ダン・ディオードと、彼の侵攻作戦を支援している大工房同盟(ファクトリー・アライアンス)への復讐のため、世界各地を旅して、剣の腕を磨いてきた。初対面の人間に対して、いきなりあのような尋問を仕掛けようとするのも、ダン・ディオードと大工房同盟への激しい敵愾心故である。
 だが、そんな彼が今回、かつての赴任先であるラキシスに戻ってきたのには、それとはまた異なる特別な理由があった。

「俺が昔所属していた部隊の元上司が、この村で山賊として暴れていると聞いて、戻ってきたんだ。姐さんこそ、元気か? 村の状況は?」
「私は大丈夫。ただ、この村は今、殆ど山賊の支配下に置かれた状態ね……」

 コーネリアスが言うところの「元上司」とは、オロンジョ、ヤヤッキーと並ぶドクロ団の三頭目の一人、タンズラーである(下図)。「地のエーテル」としての邪紋を持つ彼は、元々はコーネリアスと共にトランガーヌ軍の一員として戦っていたが、トランガーヌ子爵領が実質崩壊した後、行方不明となった末に、なぜかオロンジョ達と共に山賊としてこの村に現れることになったのである。彼はその圧倒的な腕力で、村を襲い来る魔物と、そして彼の言うことを聞こうとしない村人達を、次々となぎ倒してきた。今のラキシス村にとって、彼の存在はさしずめ「毒でも薬でもある諸刃の剣」といったところである。


「やはり、アイツがいるのか。で、その山賊のリーダーの名前は?」
「さぁ……、なんと言ったかしらね……」

 ガイアとしては、自分の実の姉がそのリーダーだということは、あまり口にしたくない。というよりも、「変わり果ててしまった姉」という現実そのものを認めたくないというのが本音である。

「姐さんとしては、どうしたい? 今の俺なら、忍び込んでその山賊のリーダーの首を取ることも出来る気がするんだが……」
「それはダメ。ここで山賊を殺したって、何も状況は解決しないわ」

 実際問題、ドクロ団がいなくなった場合、魔物達による村への被害が増えることは明白である。それに、彼女としてはあくまでも、オロンジョとは和解して、また昔のような姉に戻ってほしいとも考えていた。と言っても、そのためにどうすればいいのか、その解決の糸口が見えない状態のままであったのだが。

「そうか、姐さんがそう言うのなら、ここは剣を収めよう。だが、姐さんに危害が及ぶようなら、俺はいつでも山賊を屠る覚悟は出来ている」
「……そう言ってくれるだけで、嬉しいわ」

 こうして、村の状況を確認したコーネリアスは、ひとまず村内にある、かつて駐留武官達が用いていた駐屯所へと向かう。彼にとってこの村は、彼が初めて自らの力で魔物達から人々を守った地でもある。その人々を苦しめている上司の存在を看過することは、今の彼には出来なかったのである。

1.2.1. 二つの「聖印」

 そんな彼等に少し遅れて、ゲオルグ、ルルシェ、マーシーの三人が、ラキシス村へと近付きつつあった。しかし、彼等の視界にその村の入口が見え始めようとした瞬間、マーシーが周囲の異変に気付く。

「マイロード、前方で、今、混沌核が出現しました。この周囲の混沌が収束しようとしています」

 同じことは、ゲオルグも感じ取っていた。混沌の収束とは、すなわち、投影体の出現を意味している。異界の存在が投影されて現れる場合、それが人々に対して有害な存在である場合もあれば、無害(あるいは有益)な存在が現れる事例もある。
 だが、今回の収束の結果として出現したのは、残念ながら前者だったようである。その混沌核の周囲に現れたのは、人々の生活を脅かすティル・ナ・ノーグ界の妖魔、ゴブリンの群れであった。
 ゴブリンとは、人間の半分程度の大きさであり、単体ではさほど恐るべき存在ではない。しかし、集団で彼等に襲われた場合、彼等が用いる毒刃にかかって命を落とすことは、歴戦の戦士でもありうる話である。このような存在が街道の近くに現れるという時点で、この村が相当に危険な状態にあることを理解したゲオルグは、まずこの投影体を排除する必要があることを即座に理解し、馬に乗って武器を構える。

「いくぞ、ルルシェ!」
「はい、兄さん!」

 そう言って二人が戦闘態勢を整えると、二人の頭上にそれぞれ異なる聖印が現れた。その様子を見て、マーシーが驚きの表情を浮かべる。

(聖印!? この娘も君主だったのか!?)

 そんなマーシーの表情の変化に気付くこともなく、ルルシェは兄に向かって「神力の印」の力を授け、それを受けた上で兄は「王騎の印」を輝かせる。同じ君主の中でも、前者は「救世主(メサイア)」、後者は「騎兵(キャヴァリアー)」の聖印の持ち主だけが使える能力である。

(そうか、この娘、メサイアの君主か。しかし、だとしたらなぜ、私がその存在に気付かなかったのだろう……?)

 リンフィールドの一族は「聖印」を探す能力に長けている。だからこそ、彼女はゲオルグを一目見ただけで彼が「自分が探していた君主」だと認識出来たのであるが、妹であるルルシェに関しては、彼女が聖印の持ち主でらうことにすら気付かなかった。しかも、彼女が繰り出している聖印からは、今までマーシーが見てきたどの聖印とも異質な、奇妙な気配を感じたのである。
 当初、自らも時空魔法でゲオルグを支援しようとしていたマーシーであったが、この「想定外の存在」に気を取られている間に、そのタイミングを逸してしまう。やむなく彼女は、ひとまずこの「もう一人の君主」の正体を見極めるべく、しばらく様子を見ながらお手並みを拝見しよう、と開き直ることにした。

(これはもしかしたら、意外な「掘り出し物」に出会えたのかもしれない)

 そう考えたマーシーが口元で密かに微笑を浮かべていたことに、ゲオルグもルルシェも気付いていなかった。二人共、そんなことに目を向ける余裕もないまま、目の前の投影体を倒すことに神経を集中していたのである。

1.2.2. 偶然の共同戦線

 ラキシス村においても、混沌核による収束が発生しようとしているという情報は伝わっていた。自警団の人々により、村人達に外出の自粛を求める声が広がる中、逆に村を出てその混沌体の出現場所へと向かう三つの影があった。ガイア、コーネリアス、ヒュースの三人である。
 ガイアは、この村で山賊以外で混沌体とまともに戦える能力を持つ唯一の邪紋使いである以上、魔物が出現しようとしているのなら、自らがそれを率先して倒すのは当然である。コーネリアスにとっても、馴染み深いこの地が投影体に蹂躙されるのを黙って見ている訳にはいかない。そしてヒュースもまた、かつて混沌災害によって村を滅ぼされた過去を持つことから、混沌の出現に対しては並々ならぬ敵愾心を持っていたのである。
 こうして、三人がそれぞれに投影体の出現場所へと向かうと、そこには大量のゴブリン達の姿があった。そして、彼等から見てちょうど反対側に、それぞれに聖印を掲げてゴブリン達と戦おうとしている一組の男女の姿が目に入ったのである。
 今のこの状況では、互いに相手が味方か否かは分からない。だが、少なくとも、ゴブリンという「共通の敵」と戦おうとしていることだけは、彼等三人も、そして彼等の到着を確認したルードヴィッヒ兄妹も理解していた。
 そんな中、まず先陣を切ったのはヒューズである。彼は「ウーズ」と呼ばれるゲル状の生物をゴブリン達の真上に召喚し、そのままゴブリン達の身体に付着させ、彼等の動きを封じると同時に、その強い毒性によって彼等の身体を蝕んでいく。まさに、ゴブリン達のお株を奪う猛毒攻撃である。更にそこに、彼が使役するオルトロスの「ガル」が襲いかかり、次々とゴブリン達を葬っていく。
 それと同時に、周囲の者達に気付かれずに隠密状態のまま敵に近付くことに成功したコーネリアスが、ゴブリン達の急所に手持ちのダガーを次々と突き刺し、更に後方からはガイアが、自らが生み出した炎の力を込めた紅蓮の弓矢を放つことで、襲い来るゴブリン達を着実に射抜いていく。
 これに対して反対側からは、自分自身とルルシェの聖印の力を身にまとったゲオルグが、「人騎連撃の印」を掲げながら、ゴブリン達に怒濤の勢いで突進してくる。その勢いを止められる者は既に瓦解寸前のゴブリン達の中にいる筈もなく、彼等は次々とその場に倒れていく。
 そして、最後に残ったゴブリンにガイアが弓矢を放とうとした時、ゲオルグが「王騎追撃の印」を発動させて彼女の弓矢に聖印の力を与えた。この時点では、まだ互いに相手が何者かも分からない状態であったが、今はまず、混沌という共通の敵を着実に殲滅することが先、と考えたようである。その意を無言で理解したガイアは、ここで初めて彼が「混沌を浄化出来る聖印」を持つ君主であることに気付きつつ、そのまま渾身の一撃をゴブリンに放ち、見事に敵を殲滅する。
 こうして、ラキシス村に発生した混沌災害は、村を守ると言って駐留し続ける山賊達の力を借りることもなく、何の見返りも無く戦った五人の戦士達の手で、あっさりと沈静化させられたのであった。

1.2.3. それぞれの立場

 倒されたゴブリンの混沌核が露になると、ゲオルグはそれを自らの聖印の力で浄化した上で、自らの聖印へと吸収していく。ガイアは、村人達が待ち望んでいた「この村の混沌災害を消し去ることが出来る人物」が目の前に現れたことを実感していたが、彼女よりも先に、いつの間にかゲオルグの背後に回り込んでいたコーネリアスが、彼に話しかけた。

「名のある君主とお見受けする。応援に駆けつけてくれたことには感謝するが、お礼を言う前に、貴公に一つ尋ねたいことがある」

 そう言うと、彼は剣をゲオルグに突き付けた上で、険しい表情で問いかける。

「お主は、幻想詩(ファンタジア)か? 大工房(ファクトリー)か?」

 そう言われたゲオルグは、余裕を浮かべた表情のまま、やや呆れ声でその問いに答える。

「この村にいる山賊団は、変わり者だな。そんな訳の分からないことを言い出すとは。俺は別にどっちでもねぇよ」

 ゲオルグはこの村に来る途中で、マーシーから「山賊団の頭目は二人の邪紋使いと一人の魔法師」と聞いていた。そして、今、彼の目の前にいるのは、まさしく「二人の邪紋使いと一人の魔法師」である。しかもその中の一人が自分に対して剣を突き付けている以上、彼の目にいるこの三人こそが「ラキシス村を苦しめている山賊団」だと思い込むのも無理のない話である。
 そして、それは少し遅れて兄の後を追いかけてきたルルシェも同様であった。

「兄さんに何をする!」

 そう言って彼女はコーネリアスに駆け寄りながら、手持ちの盾(バックラー)で彼を殴ろうとする。そしてゲオルグも当然、自分に剣をつきつけたコーネリアスに対して斬り掛かろうとするが、そこにヒュースが割って入る。

「お、落ち着いて下さい。この人達は村の人です。山賊団ではありません」

 厳密に言えば、コーネリアスは今の時点では「村の人」ではない。ただ、先刻の戦いにおいて、村の自警団員の女性(ガイア)と彼が連携して戦っているのを見て、どうやら彼はコーネリアスも自警団の一員だと勘違いしているようである。

「あぁ? だから、村を苦しめている山賊団なんだろう、お前等?」
「いえ、山賊団なのは、ウチの糞馬鹿兄弟子の方で……」

 ヒュースはなんとか事情を説明しようとするが、実際のところ、彼も山賊団について詳しい情報を知っている訳ではないので、それ以上は言葉が続かない。

「急に剣を突き付けるような人のことを、信用出来ません」

 ルルシェがそう言ってコーネリアスに厳しい視線を向けると、さすがに初対面の相手にやりすぎたと思ったのか、彼も素直に剣を収める。

「すまない、早計だった。私の名はコーネリアス・バレット。とある理由で、大工房同盟の連中に恨みがあって、つい興奮してしまった」

 見た目が子供にしか見えない彼にそう言って丁重に頭を下げられると、ゲオルグもやや拍子抜けしたようで、ひとまず敵意を抑えて名乗り返す。

「俺の名はゲオルグ・ルードヴィッヒ。流れの騎士だよ。で、そこでプンスカ怒っているのが、俺の妹のルルシェだ。ほら、ルルシェ、挨拶しろ」
「『兄さんの妹』のルルシェです」

 彼女は後ろから歩いて近付きつつあるマーシーに向けてチラッと牽制の視線を向けながら、その場にいる三人に向かって頭を下げる。そして、まだ微妙に険悪な空気が残っていることを察したマーシーが、彼等の会話に割って入ってきた。

「マイロード、その御三方は、私の予言に現れた山賊ではありません」

 彼女の予言は全てを見通せる訳ではない。しかし、おおまかな特徴までは認識出来ている。ガイアに関しては、彼女の予言に現れた邪紋使いの女性と微妙に似た雰囲気を感じていたが、もう一人の邪紋使いはもっと大柄な男であったし、逆に魔法師はもっと小柄で貧相な体型の筈である。

「すまない、あなたは?」

 そう言って「小柄な邪紋使い」であるコーネリアスが問いかけると、マーシーは改めて自己紹介する。

「失礼しました。マーシー・リンフィールドと申します。そこのゲオルグ様と共に、皆様をお救いするため、この村にやってきました」

 彼女が言うところの「皆様」とは、ゲオルグ村の住人達のことである。しかし、それに対して、ゲオルグ達と同様、初めてこの村を訪れたヒュースが手を挙げて尋ねる。

「すみません、この村は今、どういう状況になっているんですか?」
「ということは、あなたはこの村の人ではないのですか?」
「はい、ヒュース・メレテスと言います。馬鹿兄弟子がここで変なことをしていると聞いて、連れ戻すために来ました」

 すると、今度はその会話に、コーネリアスが割って入る。

「メレテス、だと…………? 貴公の一門の者に、クリスティーナ・メレテスという者がいるな。奴は、私の父を殺したダン・ディオードに使える魔法師だ。ということは、貴様…………」

 そう、実はダン・ディオードに仕える魔法師の一人である元素魔法師のクリスティーナ・メレテスは、ヒュースの姉弟子である。ついでに言えば、彼等の師匠であるアウベスト・メレテスは現在、大工房同盟の盟主国であるヴァルドリンドの宰相であり、どちらもコーネリアスにとっては、不倶戴天の敵であった。

「え? そ、そうなんですか? すみません、初耳です……」

 一応、ヒュースとクリスの間に面識はある。ただ、ヒュースから見ればクリスはかなり「格上の先輩」だったこともあり、あまり直接話したことがなく、彼女の就職先も把握していなかったのである。

「そうか、では、貴公は大工房とは無関係、ということだな?」
「はい、私はまだ学生で、どこの君主とも契約していません」

 そう言って、激しい眼光で睨みつける(見た目は10歳程度の)14歳のコーネリアスに対して、20歳のヒュースは震えた声で答える。二人の体格の違いを考えると奇妙な光景だが、その身長差を感じさせない威圧感が、幼少期から邪紋使いとして戦場で生きてきたコーネリアスには備わっていた。

「では、どなたか、村の方はいませんか?」

 ややそれてしまった話を元に戻そうと思ったマーシーが再び問いかけると、ここでようやく喋るタイミングを得たガイアが口を開く。

「私が説明しよう。私はこの村の自警団長、ガイアだ」

 そう言って、彼女は一通りの事情を説明する。現在、ラキシス村の周囲が混沌に覆われていること、それを撃退するという名目で山賊が村を支配しているということ、そして、ここにいるヒュースの兄弟子とコーネリアスの元上司がその頭目となっているということをマーシー達に伝える。しかし、自分の実姉オロンジョのことは、口には出さなかった。

「なるほどな。じゃあ、ヒュース、お前の兄弟子を連れ戻すのを手伝ってやってもいいぜ。今からその山賊達に力付くで言うことを聞かせるのを、お前が手伝ってくれるならな」

 そう言って、ゲオルグはニヤリと笑う。もともと、彼は山賊退治をするつもりでこの村に来た以上、それに協力する戦力は一人でも多くほしいと考えているようである。
 だが、それに対して、ガイアが何か言いたそうな顔をしているのを察したコーネリアスが、口を挟む。

「待ってくれ、山賊をどうするかについては、まず、ガイア姐さんの話を聞いてほしい」

 弟分にそう言われたガイアは、内心彼に感謝しつつ、彼女が悩んでいる「表向きの事情」について説明する。

「今のこの村には君主がいない。だから、山賊を倒せば解決するという訳ではないんだ。その後の混沌とどうやって戦うかという問題が……」
「大丈夫だ。その問題については、たった今、心配の必要は無くなった」

 そう言って彼は改めて聖印を見せる。つまり、彼の聖印の力を使って、この地にはびこる混沌を浄化すればいい、ということである。

「確かにそれはありがたい話だけど、いきなりこの村を救ってくれると言われても、信用出来ない。あなたの見返りは、何?」

 今まで、どの君主もこの土地を治めようとはしなかったが故に、ガイアとしては「君主」そのものに対して今ひとつ信用出来ないのも無理はない。

「あー、ちがうちがう、村を助けるんじゃない。その村は『俺のもの』だから助ける、と言ってるんだ」
「どういうコト?」

 さすがに、いきなり自分達の村を「俺のもの」宣言をされて戸惑っているガイアに対して、ゲオルグは改めて「世界の理(ことわり)」について説明する。

「いいか、この村は今、中立地帯で、誰の領土でもないんだ。ならば、そこを誰のものにするかは『早いもの勝ち』だろう?」

 言葉だけ見れば横暴な言い分だが、確かにそれが「エーラムの魔法学院」によって定められた、この世界のルールである。混沌と戦うために、聖印を持つ者に「君主」には、各地の支配者となるが権利を与えられるのである。無論、複数の君主の間で領有を巡る争いが勃発した時は既得権が優先されるが、現時点で誰からも相手にされていない土地があり、その地を「その地を治めるにふさわしい聖印を持つ君主」が「自分の領土」だと主張すれば、その村の人々にはそれを断る権利は(エーラム主導の国際法のルールに則って考えれば)存在しない。

「このまま山賊達に怯えながら暮らすか、それとも、俺の元で混沌を討ち果たして平和に暮らすか、お前が選ぶのはどちらだ?」

 このように「選択の余地」を与えているだけでも、ゲオルグのこの対応は(この世界の「君主」としては)紳士的である。ただ、実際に彼に村を任せたとして、山賊団以上に横暴な施政を村人に課す可能性も無いとは言えない。しかもその場合、山賊達とは異なり、「正統な君主」として国際的に認められた存在となるので、その排斥は今の山賊団以上に難しくなる。この村の治安を任されているガイアとしても、そう易々と了承出来る話ではない。
 そんな彼女が返答に窮していると、その会話にマーシーが入ってくる。

「あなたが守ろうとしているのは、この村の平穏ですか? ならば、あの方にこの村を委ねるのが、一番の近道です。あの方はヴァレフールにもアントリアにも属していません。この村が中立の立場のまま、この村の混沌を浄化出来る君主という意味では、あの方以上に適任はいないでしょう」

 「村の中立」というのは、確かに彼女にとっては重要な点である。ガイアとしても、現在のブレトランドに巻き起こっている君主達の争いに巻き込まれたくはない。ただ、彼女にはそれ以上にもう一つ、ここで彼にこの村を委ねて良いかを決めかねる、重要な懸念が残っていた。

「それに関しては同意するわ。でも、その後で山賊達はどうなるのかしら……」

 ガイアとしては、山賊の頭目である姉とは和解したい。もし、彼が「山賊達の処刑」を敢行しようとした場合、たとえそれで村が救われることになったとしても(それが村にとって必要なことだったとしても)、そのまま彼を村の領主として認める気にはなれない。

「あなたとしては、どうしたいのですか?」

 なぜ、彼女がそこにこだわるのか、事情を知らないマーシーには、今ひとつ理解が出来ない。しかし、ガイアとしても、ここで全ての事情を話してしまえるほど、彼女達を信頼する気にはなれなかった。

「私にはね……、この村と同じくらい、大事なものがあるの」

 そう言って複雑な表情を浮かべる彼女を見ながら、マーシーは(「先読み」としての能力故か)彼女の「大事なもの」が、「討伐後の山賊への処遇」如何によっては失われることになるらしい、という意図を暗に察したようである。

「あの方には、君主としての素質はありますが、今のところ、あの方のお味方は、あの『妹』と名乗る女性の方しかいません。少なくとも私が見てきた限り、あの方は人の話は聞く人です。あの方にとってあなたが『必要な存在』だと分かれば、あなたの言うことも聞いてくれるのではないでしょうか?」

 要は、討伐後の山賊の処分に口出しをしたければ、それに見合うだけの貢献を対山賊戦で果たせばいい、ということである。

「分かったわ。これ以上、多くの人が苦しめられている状態を放置する訳にはいかないしね」

 そう言って、彼女は協力に同意する。色々と思うところはあるが、今はひとまず、この男の聖印の力に頼る以外に状況を改善する方法が無いことも分かっていたのである。
 一方、ヒュースも兄弟子を連れ帰るために、そしてコーネリアスも上司の暴走を止めるために、まずは今ここにいる者達で協力することが得策だということは理解していた。

「分かりました。協力させて下さい」
「お前達のことを信用した訳ではないからな」

 こうして、先刻の戦いに参加していた5人にマーシーを加えた6人による、対ドクロ団連合が結成された。そして彼等が、やがてこの戦乱の続くブレトランド小大陸における「台風の目」となる存在へと発展してことになるのである。

1.2.4. 作戦会議

 ひとまず村の中に入った彼等は、旧駐屯所跡の施設において、マーシーの議事進行の下で、対山賊戦略について討論することになった。
 まず、大前提として、現時点で彼等6人だけで山賊団と正面から戦って勝利するのは不可能である。彼等は確かに人並みはずれた強者揃いではあるが、先刻のゴブリン達のような「統制の取れていない集団」ならばともかく、「戦闘部隊」として三頭目によって統率された山賊集団相手に戦うには、さすがに多勢に無勢すぎる。ガイアには直属の自警団の兵達がいるが、人数的にも練度的にも、山賊団とまともに戦える戦力とは言えない。
 そのことを踏まえた上で、マーシーはまず、三つの策を提示した。一つは、自警団以外の村民達にも武装蜂起を促し、村全体で山賊と戦うという案。いわば一番の「正攻法」だが、村人達が彼等に協力してくれるとは限らないし、多くの犠牲が出ることは想像に難くない。
 第二の案は、6人(もしくはその中の何人か)が山賊のアジトに忍び込み、頭目三人を個別で成敗する、という作戦である。ガイアの話を聞く限り、三頭目以外にまともに部隊を指揮出来る者達はいないらしいので、上手くいけば最も効率良く敵を実質的に無力化出来るが、現実問題として、隠密活動に馴れたコーネリアス以外は、敵の目をかいくぐってアジトに入り込めるのは難しい。
 そして第三の案は、何らかの形で三頭目をアジトの外におびき出した上で、捕縛もしくは成敗する、という戦略である。具体的にどうすればおびき出すことが出来るか、という問題はあるが、この作戦であれば、状況次第では敵を捕縛した上で恭順を命じることも可能である。オロンジョとの対話を求めるガイアとしてはこれが最も望ましい案であり、コーネリアスやヒュースにとっても、これが一番リスクが少なく、現実的な案に思えた。
 だが、それに対して、ゲオルグが異論を唱える。

「本当にこの村を守りたいのなら、村人自身が立ち上がるべきだろう。ここで我々が山賊達を倒したところで、彼等が我々に依存するようになってしまっては、本質的には何も変わらないではないか。ここは我々と共に彼等も戦うべきだろう」

 正直、この発言には、兄のことをよく知るルルシェ以外の全ての者達が驚いた。率直に言えば「君主らしくない発言」である。君主とは、無条件で支配者となる権利がある(とエーラムに認められている)一方で、自分が盾となり民衆を守る義務がある。つまり、民衆が自分に「依存」すること自体は、君主にとってはむしろ当然の道理であり、その「依存」に応えることこそが、君主としての義務(ノブリス・オブリージュ)と考えるのが、一般的な道理である。
 だが、このゲオルグの発言は、そういった伝統的な価値観とは少々異なる印象を受ける。どうやら彼の中では、民衆はただの「庇護すべき従順な下僕」ではなく、「いざという時には君主と共に戦うのが民衆の当然の義務」と考えているようである。民衆にとって、彼のような存在が「望ましい君主」なのかどうかは、難しい問題である。何も言わずに自分を守ってくれる君主の方が都合が良いと考える民衆も多いだろう。だが、そのような主従関係の場合、主君が横暴な支配体制を民衆に強要しようとした場合、君主に依存したままの状態の民衆では、それに抵抗出来ない。それでは今の「山賊に支配された状態の村」と同じである。
 つまり、支配者が「山賊(邪紋使いと魔法師)」から「君主」に変わったところで、それでは民衆にとって大差ない。確かに「エーラムによるお墨付きの有無」や「混沌を根本的に浄化出来る可能性」という点に関しては大きな違いはある。また、ゲオルグ自身も、自分がこの村の支配権を獲得した後に、今の山賊達のような暴政を引き継ぐつもりは毛頭ない。だが、そういった実利的な問題以前に、まず民衆自身の意識が変わらなければ、この村を取り巻く根本的な状況は変わらないのである。ゲオルグの真意がどこにあるかはともかく、彼のこの発言は、この世界を取り巻く「君主」と「民衆」の関係の核心的な問題点を鋭く指摘した発言とも言える。
 このような声が民衆の側から上がるならともかく、君主である彼自身がこのような主張を掲げたことには、さすがにこの場にいる者達も驚愕する。ヒュースは彼のこの信念に感銘を受けるが、その一方で、コーネリアスは反発する。

「民をむやみに戦いに参加させることを、私は是としない。この村の住人は、ただでさえ山賊達の支配の下で疲弊している。この上、更に彼等に負担を強いるのか? 今の村人達に、山賊に抗う力など、残ってはいない」

 現実問題として、現時点で自警団に参加している者達以外は、従軍経験どころか、まともに武器を持って戦った経験すら乏しい者達が大半である。彼等を練兵して戦力になるかどうかは怪しいし、そもそもここに来たばかりのゲオルグ達に従う保証もない。

「そう言って、自ら立ち上がることなく、ただ俺達に感謝するだけの存在になってしまうことが村人のためだと思うのか? この村の住人が、奴等に立ち向かえない弱者ばかりとは限らないだろう。お前はこの村の住人を馬鹿にするのか? この村の住人が負け犬のままでいいのか?」
「お前にこの村の何が分かる! お前はまだこの村のことを何も知らないだろう」
「あぁ、俺はこの村については何も知らないさ。だがな、自分の人生で、戦うべき時に戦えなかった。その悔しさは知っている!」

 戦うことすら出来ずに故郷を失ったゲオルグと、民の盾となって戦い続けてきたコーネリアスの理念レベルでの議論が熱を帯びる中、ここで「指揮官」としての経験が長いガイアが、実践的なレベルでの意見を口にする。

「民兵を大規模に組織するとなると、対山賊戦の作戦の概要も漏れやすくなる。作戦は、なるべく少ない人数で決行した方がいい」

 実際、彼等が民衆を本格的に兵士として戦わせるには、どうしても時間がかかる。その間に、山賊達がその動きを察知して、先手を打ってくる可能性はあるだろう。
 こうして様々な意見が飛び交う中、最初に三つの選択肢を提示したマーシーが再び口を開いた。

「確かに、今からの練兵には時間がかかるでしょうし、犠牲が増えるというリスクもあります。ただ、マイロードの仰ることも分かりますし、村の人々自身に立ち上がってほしい気持ちもあります。ですので、ここは『二段構えの作戦』にしてみてはいかがでしょうか?」

 つまり、まず何らかの形で山賊の頭目三人をアジトからおびき出した上で、説得もしくは捕縛を試みる一方で、その作戦が失敗した場合に備えて、民衆達に決起を促す準備も進めていく、というのが彼女の提案である。あくまでも「民衆自身の奮起を促す」というゲオルグの理念を尊重しつつ、実質的な被害は出来る限り減らそうという折衷案であった。
 ゲオルグとしても、民衆達に立ち上がってほしいという気持ちがある一方で、出来ることならば被害は少なく済ませたいという気持ちは当然持っていたので、ひとまず今回は彼女の提案を受け入れるという形で妥協する。他の者達も、それぞれの思惑はあったようだが、現状において他に全員が納得出来る手段も思いつかなかったので、大枠の方針としては、この「二段構えの作戦」で進めていこう、という方針で同意することになった。

1.3.1. 潜入作戦

 翌日、ラキシス村にほど近いドクロ団のアジトに、三人組の隊商が現れた。20歳ほどの好青年と、やや年上の美女、そして小柄な少女という三人組である。彼等の荷馬車には、大荷物が載せられている。

「おうおう、おめぇら、見ねぇ顔やな」

 アジトの入口を警護していた三頭目の一人・タンズラーが、そう言って彼等に対して威圧的な態度で迫ると、リーダーらしき好青年はこう答えた。

「ドクロ団の皆様。お初にお目にかかります。ハーフナー商会のルードヴィッヒ・ハーフナーと申します。今日は皆様に贈り物をお届けに参りました。どうぞお納め下さい」

 そう言って彼が積荷を開くと、そこには酒や食料が大量に積まれていた。

「おぅ、そうかそうか。ではさっそく、毒味をさせてもらおう」

 すると、タンズラーはその場で一人で勝手にその食料を貪り始める。

「うむ(ムシャムシャ)、これはなかなか(ムシャムシャ)、悪くないな(ゴクゴク)」

 そのいきなりの行動に隊商の者達が呆気に撮られていると、やがてそこに三頭目の中でも筆頭格の女傑・オロンジョが現れる。

「おや、どうしたんだい?」
「オ、オロンジョ様! いや、実はその(モゴモゴ)、こやつらが贈り物をと(モゴモゴ)」

 口に物を入れた状態のまま説明しているタンズラーの説明を聞きながら、オロンジョは隊商のリーダーの男に目を向ける。

「あらぁ、なかなか、いい男じゃなぁい」
「お初にお目にかかります、ルードヴィッヒ・ハーフナーと申します。私は以前、この村に世話になったことがありまして。あなた様がこの村を救って下さったと聞き、ぜひとも一目お会いしたいと思いまして」

 「いい男」に色目を使われながらそう言われたオロンジョは、まんざらでもない表情を浮かべる。

「あ、そーなんだ、ふーん、いいわ。じゃあ、色々と献上品を持ってきてくれたみたいだし、中へお上がりなさぁい」

 そう言って、彼等三人はアジトの奥へと通される。しかし、彼等は気付いていなかった。この三人の正体が、彼等を罠に嵌めるために変装した、ゲオルグ、マーシー、コーネリアスの三人であるということを。
 ゲオルグが、本来の粗野な風貌を隠して「さわやか好青年」を装っているのは、「いい男をはべらせるのが好き」という噂のあるオロンジョを油断させるためであり、コーネリアスが「小柄な少女」を装っているのは「女学生に強い執着心を持つ(ヒュース談)」ヤヤッキーを籠絡するための策であった(マーシーについては、大食い&大酒飲みのタンズラーの酌の相手要員として抜擢された)。本来ならば、年齢的にはルルシェがヤヤッキーの相手をすれば良かったのだが、「妹をそんな危険な人物の前に晒したくない」というゲオルグの意向に配慮して、コーネリアスが女装することになったのである。
 ちなみに、彼等のメイクを施したのは、かつて特殊隠密部隊として活動していたコーネリアスである。そんな彼の変装術は見事に功を奏し、三頭目は完全に彼等の接待術に酔いしれてしまった。中でも特にメロメロになっていたのが、女装したコーネリアスに酒を注がれているヤヤッキーである。

「あなたが、ドクロ団にこの人アリと言われた、ヤヤッキー様ですね?」
「お、キミィ、分かってるねぇ、そう、アタクシがブレトランド一の錬金術師、ヤヤッキー様なのよ。このアタクシの手にかかればね、もう混沌なんて、チョチョイのチョイでパーッと消し去れるんだから」

 ヤヤッキーは褒められることにあまり馴れていないようで、すっかり酔いしれて上機嫌のようである。

「凄いですね、私、ずっと前から憧れてたんです!」
「うんうん、もうね、今時ね、あんな学院なんかの言うことなんか聞いちゃダメよ。でもね、あの学院にも一つだけいいところがあってね。あそこの女子制服、ホンットに可愛いんだぁ。もう、それが目当てで入ったようなものだったからね。もし良かったら、こっそり持ってきた秘蔵の中等部の制服とか、キミも着てみない?」

 その制服がどういうルートで手に入れたものなのかは分からないが、この一連の発言を聞きながら、ルルシェをここに連れてこなくて正解だったとゲオルグは心底痛感する。
 一方、ゲオルグはゲオルグで、オロンジョの酒の相手をしつつ、隣でタンズラーに合わせて酒を呑まされているマーシーを気遣う。本来の作戦では、山賊達を酔わせて判断力を鈍らせた上で外に連れ出す算段だったのだが、彼等よりも先に自分達が酔いつぶれてしまっては、意味がない。
 そんな心配をしながら酒を口にしていたゲオルグだったが、そんな中、一瞬、マーシーよりもオロンジョよりも先に、彼自身の意識が飛びかける。

(ま、まずい)
「ん? どうしたんだい? もう終わりかい? だらしないねぇ」

 他人の心配をしている間に、彼自身が限界に達してしまったようである。どうやら彼は、自分が思っていた以上に、酒には弱いらしい。
 だが、次の瞬間、隣にいたマーシーが、すぐさま彼の杯を水に入れ替え、それを口にしたことで、なんとかゲオルグは平静を取り戻す。

「いえいえ、まだまだ平気でございます、オロンジョ様。さぁ、どうぞご返杯を」
「お、いいねぇ。そうこなくっちゃねぇ」

 こうして、どうにか山賊達を上機嫌のまま酔わせることに成功した彼等は、夜も更けた頃になって、それぞれ三人に「この品々とは別に、個人的にお渡ししたいものがある」と告げる。既に警戒心などすっかり抜けてしまった彼等は、言われるがままに砦の外へと連れ出されることになったのであった。

1.3.2. 聖女の鼓舞

 一方、その頃、ラキシス村では兄の意を受けたルルシェが、ガイア、ヒュースと共に、村人達に決起を促していた。

「皆さん、山賊達に好き勝手にされたまま、何もしなくていいんですか? 皆さんは彼等が現れる前から、自力でこの村を守り続けてきた筈です。もう一度、彼等を倒して、皆さん自身の手で村を守る気概を取り戻しましょう」

 基本的に、ここまではゲオルグの主張の代弁である。その上で、彼女は村人達に対して、更なる「希望」を掲げる。

「そして、皆さんが自らの手で立ち上がる気概を見せるならば、私の兄・ゲオルグが、この村の君主として、皆さんを導く光となります。兄さんが皆さんの君主となり、皆さんがそれを支えて下さるなら、もう山賊も、混沌も、そしてこの村を取り巻く周囲の諸侯も恐れることはありません。兄さんは、この村だけでなく、いずれはこのブレトランド全土に平穏をもたらすことが出来る人です。さぁ、皆さん、兄さんを信じて、ついてきて下さい!」

 冷静に考えれば、突然やってきた小娘にそんなことを言われたところで、ただの妄言にしか聞こえないだろう。だが、彼女の声と表情、そして身振り手振りから繰り出される不思議なオーラが、心のどこかで「救世主」を求めていた村人達の心に奇妙な安心感を与える。日頃は兄に助けられるだけの「か弱い少女」にしか見えない彼女だが、このような形で人々の心を動かす能力という意味では、兄以上に「君主」としての才能に満ち溢れていた。

「この人の言うことなら、信じても良いのではないか?」
「そこまで素晴らしい君主様なら、この村をなんとかしてくれるかもしれない」

 そんな気持ちが村人達の間に浸透し、やがて彼等は、彼女に言われるがままに山賊と戦う決意を固め、鋤や鍬を手に取り、戦いの準備を始める。それまで恐怖に怯え、絶望していた村人達が、何かに取り憑かれたかのように活気を取り戻していったのである。そんなルルシェと共に村民の説得にあたっていたガイアとヒュースもまた、彼女のカリスマ的な煽動力・動員力に、ただひたすら圧倒されていた。

1.3.3. 山賊達の過去

 こうして、ルルシェによって煽動された村人達は、それぞれの農具や斧などを手にガイアの指揮に従い、村の外れの森の一角へと配備される。ただし、彼等はあくまでも、作戦が失敗した時の補助要員であり、ゲオルグ達だけでこの事態を解決出来そうな状態ならば(山賊達を頭目だけ連れ出すことに成功すれば)、彼等には手出しはさせない、というのが、事前に成立した彼等の間での妥協案であった。
 そんな中、ゲオルグ達に騙された三頭目が、予定通りにその森の一角へと連れ出されてくる。

「なんでまた、わざわざこんなところまで連れてきたんだい?」

 ほろ酔い状態のオロンジョにそう問われると、ゲオルグはこう答える。

「実は、あなたにお渡ししたいものがあるというのは、嘘でしてね。本当は、あなたとお話ししたい人がいるんですよ」

 彼がそう言うと、民兵達を待機させた状態のまま、ガイアがオロンジョの前に現れる。

「姉様、なぜこのようなことをなさっているのですか?」
「ガイア、あんたか…………。なぜも何も、この村を守るためには私達の力が必要でしょ?」
「でも、村人は苦しんでいる」
「あの程度の要求で根を上げるような村人なんてね、どうせ私等がいなくなったら何も出来ないような奴等なんだから。だったら、私等のために村人が奉仕するのは当然の話じゃない」
「世界を救うと言って旅立っていった姉様が、どうしてそんなことを……」

 涙声で訴えかけるガイアを目の当たりにして、オロンジョは改めて真剣な表情で彼女に向き合った。

「そうよ、私は君主になろうと思って旅立っていった。でも、なれなかった。私には素質が無かったから。最初はそれでも仕方ないと思った。ならばせめてこの力を君主のために使おうと思ったわ。でもね、私が理想に描いていた君主なんて、どこにもいなかったのよ」

 そう言って、悔しそうな表情を浮かべた彼女が言葉を詰まらせていると、横からタンズラーとヤヤッキーが口を挟む。

「そうでまんねん。わしらは、君主様に捨てられたでまんねん」
「アタクシ達三人は、元はこのトランガーヌ子爵領の一角を支配していたドクター・エベロという君主の下で仕えていたんですよ」

 ドクター・エベロとは、元々はエーラムの魔法学院出身で、卒業を果たせずに魔法に関する記憶を消された後に騎士になったという、変わり種の君主である。騎士でありながらも、様々な学術研究に余念が無かったこともあり、通称「ドクター(博士)」と呼ばれている。

「でもね、アタクシ達はあの人の下で立身出世をと思っていたんですけどね、急にあの人、聖印教会に入信してしまったんですよ」

 聖印教会とは、この世界を救うために必要なのは聖印だけ、という考えの人々であり、彼等は魔法師や邪紋使いを目の敵にしている。実はドクター・エベロのこの転身の背景には、大陸に亡命した(彼の本来の君主である)トランガーヌ子爵が旧領奪回を目指して同教会に入信したという経緯があるのだが、その裏事情までは彼等も聞かされてはいない。

「で、いきなり、『これから先はもうお前等はいらん』と言われて、アタクシ達はドクちゃんから捨てられてしまったんですよ」
「だから、これから先は私達も君主には頼らない。私達の未来は私達自身で切り開いていく」

 そう言って、オロンジョは悲愴な決意の表情を浮かべる。ただ、彼女達が「君主に頼らずに行きていく」と決意したことには一定の正統性はあるとしても、それは村人を相手に乱暴狼藉を働いても良い、という理由には直結しない。
 とはいえ、彼女達にもまだ「この世界のために戦う」という意志がない訳ではないことを読み取ったガイアは、再び涙ながらに姉達を説得しようとする。

「あなた方の言い分は分かった。でも、今回だけは、私達に協力してくれない? この村を根本的に救うことが出来る方法が、一つだけあるの」
「どういうこと?」

 オロンジョが首を傾げていると、先程から黙っていたゲオルグが、ようやく口を開く。

「その先は私が話しましょう」

 そう言って、ゲオルグはコーネリアスによって施された「特殊メイク」の仮面を剥がし、その素顔を露にする。

「あんた、その顔、素顔じゃなかったの?」

 やや落胆したような声のオロンジョの様子など気にせず、彼はそのまま語り始める。

「あぁ。改めて自己紹介させて頂こう。ルードヴィッヒ・ハーフナー改め、ゲオルグ・ルードヴィッヒ。流浪の騎士だ。ここには君主が治めていないという村があると聞いた。俺ならばこの村を混沌から救うことが出来る。だから、これから俺がこの村を仕切る。この村を混沌から救えないお前達は、どうする?」

 そう言って、彼はここまで連れてきた馬に乗り、聖印を掲げる。

「なんだ、あんた君主だったのかい。普通の人間だったら、アタシの愛人の一人にしてやったのに」
「お前はどうも俺の趣味に合わないから、その話は願い下げだな」

 あっさりとそう言ってのけるゲオルグに対して、今度はオロンジョが腰のレイピアを抜いた。

「まぁ、いいわ。口だけの君主なんて、もう、うんざりだから。アタシ等に言うこと聞かせたいなら、力尽くで言うことを聞かせてみせなさい」

 そう言って、彼女はレイピアを掲げると、ヤヤッキーとタンズラーも戦闘態勢に入る。それに対して、茂みからヒュースとルルシェも現れ、彼等に対峙することになったのである。

1.3.4. 深夜の決闘

「流浪の騎士ゲオルグ・ルードヴィッヒ、ラキシス村を占領するドクロ団を討伐する。者共、かかれ!」

 彼がそう叫ぶと同時に、まず最初に動いたのはヒュースである。彼がジャック・オー・ランタンを呼び出し、その怪しく光る炎をヤヤッキーに向けて叩き付ける。

「師匠の苦悩を思い知れ!」

 自分達の師匠が、不肖の弟子であるヤヤッキーのことを本気で心配していたのに、勝手気侭な山賊稼業に興じている彼の態度が、ヒュースとしては許せなかったのである。暗闇の中、突如現れた義弟の一撃に困惑しつつ、その怒りの炎に包まれたまま、彼はその場に倒れ込む

「な、なんでお前がココに……」

 そう呟きつつ、彼はそのまま気を失う。更に、それに続けて今度はタンズラーに対して、女装した状態のままのコーネリアスがその懐に入り込み、手持ちの短剣を次々と彼の身体に突き刺していく。

「こ、この太刀筋、どこかで……?」

 身体中から血を流しながらもなんとか踏み止まった彼は、その体勢から反撃に転じ、土の元素破撃をコーネリアスにぶつけようとするが、ヒュースによる魔法の援護もあり、間一髪のところで彼はそれをかわす。
 一方、オロンジョは自分に対して大言壮語を吐いたゲオルグに向かって、目にも留まらぬ速さでレイピアを操りながら斬り掛かる。

「さぁ、来い、オロンジョ。お前を倒して、俺はこの村の君主になる」
「その言葉は、私のこの一撃を喰らってからいいな!」

 彼女が繰り出したレイピアの一閃は、ゲオルグの心臓を的確に捉えた。これは彼女が模倣するタツノコーン界の英雄の絶技だが、厳密に言えば、本当はこれは彼女が信奉する「黒装束の魔女」ではなく、その宿敵である筈の「赤帽子の少女」の短棒術の応用である(どうも彼女の異界知識は、どこかで歪んでしまっているらしい)。
 だが、その一撃をまともに喰らった筈のゲオルグが、殆ど傷付いた様子もなく仁王立ちしている。

「ば、バカな!? い、今、貴様、何をした!?」
「お前には分かるまい。これが君主の力だ」

 そう言って勝ち誇った表情を見せるゲオルグだが、正確に言えば、これは彼の聖印の力ではない。彼の背後からルルシェが掲げた光壁の印の効果で、その一閃の衝撃をかき消したのである。
 そして、精魂込めた一撃をあっさりと受け止められて動揺したオロンジョに向かって、今度はガイアが火の元素弾をオロンジョに向けて放つが、姉への情のせいか、その一撃は精彩を欠き、オロンジョの身体には殆ど傷をつけられない。

「姉より優れた妹などいる筈がない。身の程を知りなさい」

 そう言ってガイアを見下すオロンジョに対して、ゲオルグが口撃でも応戦する。

「何を言う。その妹は村を守っていた。お前は村を苦しめていただけではないか。どちらが本当に優れていたかなど、分かり切ったことだろう」
「本当に優れているのは、村を守る力がある者。まだ彼女にはその力がない。それは私の仕事だ。妹の出る幕ではない」
「言ったな。ならば、ここで私がお前を倒せば、この村の支配者にふさわしいと認めるのだな!」

 リーダー同士がそんなやりとりをしている最中、ヒュースの相方であるオルトロスのガルが、既に先刻のコーネリアスの攻撃でズタボロ状態のタンズラーに止めを刺す。

「ぐはぁ……」

 そう叫んで、彼はその場に倒れる。かなりの重症ではあるが、まだおそらく息はあるだろう。こうして、遂に味方が誰もいなくなったオロンジョに対して、ゲオルグが決定打を打ち込むべく、剣を構える。

「では、喰らってもらうぞ、この私の力を!」

 そう叫んで彼は馬上から剣を振り下ろすが、今度はそれをオロンジョが、間一髪のところでかわす。

(危なかった、この英雄の防具が無ければ……)

 冷や汗を流しながらよけた彼女であったが、そこに今度はコーネリアの短剣が襲いかかり、彼女の身を包む英雄の防具の狭間から、着実に彼女に傷を与えていく。それでも彼女は怯まず、更に続けてゲオルグに対して、フェイントを織り交ぜながらレイピアで攻め立てるが、ゲオルグもなんとかその攻撃には耐えきり、次の一撃で止めを刺そうと剣を構え、その剣にマーシーがライトニングチャージをかける。
 だが、オロンジョに止めを刺したのは、彼ではなかった。ゲオルグよりも一瞬早く、ガイアが放った二撃目の元素弾が、彼女の身体を貫いたのである。

「強くなったね、ガイア……」

 口元に微かに笑みを浮かべながら、彼女はその場に倒れた。その様子を、遠方から(いざとなったら、自分達が加勢するつもりで)見ていた村人達は、一斉に歓声を上げる。

「勝った、勝ったぞ! あの君主様達が言った通り、本当に山賊達に勝ったんだ!」
「新しい君主様の誕生だ! もう混沌も恐れることはないぞ!」

 実際のところ、ゲオルグ自身はこの戦いでは目立った武功を挙げてはいない。その点はやや不服そうな様子も見せた彼であったが、とはいえ、大局として見れば、戦いは彼等の一方的な勝利に終わったことは間違いない。こうして、ドクロ団によるラキシス村の支配体制は、ようやく終わりを告げることになったのである。

1.3.5. 君主の器

 その後、瀕死状態だった三頭目の身体をルルシェが聖印の力で癒し、どうにか彼等は意識を回復する。そして、完膚なきまでに叩きのめされた彼等に、もはや抵抗する気力は残っていなかった。

「い、いやね、アタクシ達はですね、本当に村のためを思っていたんですよ。ただね、そのね、部下達にはね、それなりに褒美を与えなければならないってこともありまして、それで村人さん達には無理を強いたりもしちゃっていたんですけれども、でもですね、その、ちゃんとした君主の方がいらっしゃるなら、我々としては、いつでも馳せ参じるつもりでいたんですよ、えぇ」

 そう言って、ひたすら平身低頭してヤヤッキーは謝り倒す。自分より強い者にはひたすら媚び諂う、ヒュースにとっては、学院時代から見慣れた「いつもの兄弟子」の行動であった。

「特にそこの可憐なお嬢さんのためであれば、アタクシはこれからは全力で村を守るために尽くさせて頂くつもりであります、はい」

 コーネリアスを見つながらそう懇願するヤヤッキーであったが、無情にもコーネリアスは彼の目の前で、その特殊メイクを落として、その「少年」としての素顔を見せる。

「えぇ!? そ、そんなぁぁぁ、純粋な男心を弄んでおいてぇぇぇ!」

 そう言って困惑したまま取り乱すヤヤッキーに対して、ヒュースがポンと肩に手を置く。

「さぁ、帰りましょう」
「え? か、帰るって……? い、イヤだ! あの師匠の元にだけは絶対に帰りたくない。マイロード! どうか私と契約して下さい、マイロード!」

 そう言って、ゲオルグにすがりつくヤヤッキーであったが、ゲオルグとしても、こんな人間性の魔法師と契約することには抵抗がある。とはいえ、錬金術師としての彼を陣営に加えれば、国造りにおいても大きなプラスになることは間違いない。色々と考えながらも、最終的にはヒュース共々、二人揃ってこの村で彼の元に契約魔法師として仕えることになった。

「僕としても、まだ卒業後の契約先は決まっていませんでしたし、この人達なら、世界を変えられそうな気がします」

 ヒュースは並び立つルードヴィッヒ兄妹を眺めながら、そう語る。実際のところ、今の時点での彼の中では、ゲオルグと同等以上に、圧倒的なカリスマで民衆を味方につけたルルシェの方が印象強かったため、彼としては、ひとまず「この兄妹」にまとめて仕える、という立場を取りたいようである。
 一方、変装を解いたコーネリアスを目の当たりにしたタンズラーは、ようやくその正体に気付く。

「お前、コーネリアスか……。そうか、すまんかった。お前はそういう趣味があったんやな。今まで気付かなくて申し訳ない」

 そんな元上官の言い分に対して、女装を解きながら怒りを覚えるコーネリアスであったが、ヤヤッキーがそこに割って入る。

「ね、ねぇ、タンちゃんも、オロンジョ様も、一緒にこの人に仕えましょうよ、こちらの方々に」

 そう言われたタンズラーは、ひとまずオロンジョの顔色を伺う。すると、彼女は微妙に釈然としないような顔を浮かべつつ、妹に問いかける。

「ガイア、この人は、この村を任せるに値する君主だと、あんたは思うのかい?」
「……少なくとも、悪い人じゃないと思う」

 正直なところ、ガイアとしてもゲオルグの実力はまだ計り兼ねている。だが、初対面で自分を助けてくれたり、民衆自身の奮起を促しながらも自ら率先して敵地に潜入する任務を買って出るなど、人間的に信用が出来る君主であることは確信していた。

「姉様、お願いします、協力してほしいんです!」

 妹のそんな言葉に心を突き動かされつつも、まだ踏ん切りがつかない様子のオロンジョに対して、マーシーが語りかける。

「あなた方も、これ以上、芝居を続ける必要はないのではないですか?」

 突然、「芝居」などという訳の分からないことを言われたオロンジョは、一瞬、キョトンとした表情を浮かべる。

「あなた方は、真の君主にこの村を委ねるために、あえて悪人のフリをしていた。そうですよね?」

 そう言われたところで、オロンジョは彼女の言わんとする意図を理解し、突然、「やっと気付いたわね」と言いたそうなドヤ顔に変わり、高らかに宣言する。

「そ、そうなのよ。ガイア、合格だわ。これであなたは、私と同等以上の力を手に入れたことは認めるし、あなたがこの人を信用するというのなら、私も信用することにする」

 彼女はそう言い放った上で、ヤヤッキー、タンズラーと共にうやうやしくゲオルグに向かって臣下の礼をする。誰も彼女の言い分が本音だとは信じていなかったが、ひとまず「そういうこと」にしておけば全てが丸く収まることは皆が分かっていたようで、あえて誰も何も言わなかった。

「お前達の忠誠は、確かに受け取った。これからは我が配下として励むが良い」

 そう言いながらゲオルグは剣を掲げ、その様子を見ていた村人達も歓声を上げる。ラキシス村に新たな若き君主、ゲオルグ・ルードヴィッヒが誕生した瞬間であった。

1.4. エピローグ

 こうして、君主としてラキシス村に君臨することになったゲオルグであるが、その前途は多難であった。現時点で、この村にはマーシー、ヒュース、ヤヤッキーという三人の魔法師と、ガイア、コーネリアス、オロンジョ、タンズラーという四人の邪紋使い、そして聖印を持つ妹のルルシェという、八人の協力な能力者達を抱えている。貧乏村の君主としては既に十分すぎるほどの人材に恵まれていると言えるが、まだ彼等の中でのゲオルグに対する個人的な忠誠心は薄い。盲目的に兄を信奉するルルシェと、彼を「ブレトランドの命運を握る存在」と考えているマーシー以外は、なし崩し的に彼に従うことになっただけで、決して家臣団として一枚岩にまとまっている訳ではなかったのである。
 そして、この村の周囲には、まだ多くの混沌がはびこっている。まずはゲオルグとしては、それらの派生源となる混沌核を一つずつ着実に浄化していく必要があった。

「とはいえ、我々にはルルシェ様もいるのですから、二人がかりなら、それほど大変な作業ではないと思います」

 マーシーがそう言うと、ルルシェは何かを言い出しそうになりつつも言い出せない、そんな気まずい空気が流れる。

「あー、そう言えば、言ってなかったっけ。実はこいつ、混沌を浄化することが出来ないんだ」

 突然そう言われたマーシーは、眼鏡の奥の目を丸くして驚く。

「え……!?、でも、確かに、聖印をお持ちですよね?」
「まぁ、そうなんだが……、一応、他のことには支障がないんだが、なぜかこいつの聖印は混沌を浄化することだけは出来ないんだよ。ただ、あまり公言することでもないから、他の者には内密にな」

(なるほど、それで私が彼女の聖印を感知出来なかったのか……)

 内心で一応納得しつつも、まだどこか釈然としない表情を浮かべながら、マーシーは了解する。

「分かりました。では、ルルシェ様の聖印は、『本当に強力な混沌を封印する時のために力を溜めている』ということにしておきましょう」

 彼女がそう言うと、今度はコーネリアスが彼女に問いかける。

「マーシー殿、この領主様についていけば、我が父の仇、ダン・ディオードを倒すことが出来るのか?」

 彼の中では、この「得体の知れない君主」をどこまで信じれば良いのか、まだ決心がついていない。ただ、自分にとっての悲願を果たす上でこの人物に仕えることが正解なのかどうか、それを知りたいのである。

「それはこれから先のマイロードと、マイロードのために我々がどこまで尽くすことが出来るかにかかっていると言えるでしょう。しかし、私には見えます。マイロードがダン・ディオードを討ち果たす姿が」

 マーシーは目を閉じながら、そう答える。とはいえ、「先読み」としての彼女の能力が本物なのかどうか、コーネリアスには確かめる術はない以上、彼女の言うことをどこまで信用して良いのかも分からない。
 ただ、彼としては少なくとも、民衆を動員することに成功したルルシェの実力だけは認めていたため、ひとまずは彼女に仕えるという形で、間接的にゲオルグの臣下となることを決意する。たとえ混沌を浄化する力を持たないとしても、彼女の持つカリスマ性は、ゲオルグ以上に「君主の器」にふさわしいと彼は考えていたのである。
 この点は、実はヒュースも同様だった。彼の場合、学院に「契約相手」として届け出るには、「混沌を浄化することが出来ない君主」であるルルシェでは微妙に支障が発生する可能性があったので、形式的にはヤヤッキー共々、ゲオルグに仕えることになったが、彼の中での印象としては、どちらかと言えばルルシェの方により強い「可能性」を感じていたのも事実である。
 そしてゲオルグとしても、そんな彼等の本音については察しつつも、その点については特にこだわるつもりはなかった。もし、最終的に自分よりも妹の方が君主にふさわしいと皆が考えるようなら、自分は所詮そこまでの器だと割り切っているようである。 
 こうして、色々と歪な形ながらも、新体制を整えつつある彼等であったが、現状における最大の問題は、実は混沌でも内部不和でもなく、この村の経済力の弱さである。もともと産業に乏しく、自給自足の生活を送ってきたため、村をこれ以上発展させようにも、まずそのための先立つ資金が存在しない、というのが現状である。
 そして、実は山賊団達の村人への要求も、この村の相場からすれば「法外な報酬」ではあったが、「傭兵」の雇用料としては、大陸基準で考えればそれほど無茶苦茶な値段設定でもなかった。それが村人の生活を圧迫するほどの要求と彼等が感じていた根本的な原因は、実はこの村そのものの貧困さにあったのである。
 だが、これについてはマーシーには一つ、秘策があるという。この村の産業力を飛躍的に向上させるための未来図が、既に彼女には見えているらしい。ただし、そのために必要な人材が、まだこの村には揃っていなかった。その人物達を村へと招き入れることが、新生ラキシス村の領主としてのゲオルグの最初の仕事となるのである。

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最終更新:2014年07月06日 07:49